○中川俊思君 私は、本院選挙法特別改正委員会が第五
国会以来
審議を継続しておりまする公職選挙
法案要綱の主要な点につきまして、若干の意見を申し述べ、諸君の御批判に訴えたいと存ずるのであります。
本要綱案は、現行の衆参両院議員、地方公共団体の
議会の議員及び長、並びに教育委員会の委員に関する選挙
関係法令を総合統一化しまして、内容を改正整備し、名称を公職選挙法と名づけんとしているもので、全体は、第一章総則以下、十七章二百七十三條及び附則よりな
つていることは、諸君すでに御承知の
通りであります。しかして本
法案が、現行法に改正を加えるに至つた最大の
理由は、今春一月に行われました選挙が、幾多の細かい取締
法規のもと、選挙運動を萎縮せしめ、公営の美名に隠れ、
官僚の統制選挙に終始したため、選挙の本旨たる自由闊達を著しく阻害したことに基因するものでありまして、このことは、諸君が身をも
つて体験された
通りであります、
さて、本要綱案の詳細にわた
つて論及することは、時間の
関係上不可能でありますが、私は、まず第一に、衆参両院の選挙区制について若干の意見を申し述べたいと存じます。
巷間、
参議院の
全国区の廃止が批判の対象とな
つておるようでありますが、これは、去る第五
国会において、社会党、共産党の
参議院の繊員諸君が、衆議院と同様、暫しく党派性を発揮したのが原因であります。しかし根本問題は、
憲法代四十三條の「両議院は、全
国民を代表する選挙された議員でこれを組織する。」という、両院の間に何ら本質的等差のないことに基因すると存ずるのであります。この点については、
憲法改正の折、その不徹底がつとに叫ばれ、衆議院におきましては、次のごとき附帶決議さえ行われたのであります。すなわち、
参議院が衆議院と重復するがごとき機関になることは、その意義を没却するものである、
政府は、この点に留意し、
参議院の構成については、つとめて社会各部門、各職域の知識経験者がその議員となるに容易なるよう考慮すべきである、こういう附帶決議があ
つたのであります。これは、今もかわることのない、
参議院議員選挙法を改正する場合におきまするところの主眼でなくてはならないと存ずるのであります。
第二院が第一院と同様なら無用であるし、反対なら有害だという有名な言葉がありまするが、要するに
参議院は、政情の不溶定に処して、よく衆議院の行き過ぎを公正に批判する立場だけは忘れてはならないのでございます。将来
憲法が改正され、
参議院議員が全
国民を代表する議員ばかりでなくてもよいようになり、衆参両院の性格がかわれば、
全国区の問題はまた別でありますが、
全国区におきましては、幾多の弊害ももちろん認めます。けれ
ども、現在におきましては、まだ
全国区の改正の時期ではないと私は
考えるのであります。これを要するに、
憲法の改正に触れないで、ただ
全国区の廃止をとなえてみましても、決して完全なるところの改正はできないと存ずるのであります。
次に、衆議院の選挙区制の問題でありますが、現行の中選挙区制は、過去において行われました大選挙区制並びに小選挙区制とも幾多の弊害を伴つたことを
理由とし、その弊害を除去することを忘れて、ただ漠然と、その中間であるところの中選挙区制を採用しているというにすぎませんが、この中選挙区制も、必ずしも前二者に対して完璧な選挙区制とは申されません。また幾多の弊害を認めざるを得ないのであります。
選挙においては、政党並びに候補者の主義、政見が有権者に徹底することが第
一條件であります。その
関係上、できるだけ選茶区は小さくして、この目的が達成されることに留意しなくてはならないと
考えます。諸君は、ことごとく中選挙区制によ
つて当選されました
関係上、現行法に一応賛意を表されることは当然でありましようが、諸君の体験上、僅々二十日足らずの運動期間のうちに、とうてい選挙区全般にわたり諸君の
政権を徹底さすことの不可能なことは、十分お認めと
考えるのであります。このことは、同時にまた有権者諸君も、候補者の主義、
政権に認識を欠く結果と相なることは申すまでもありません。ゆえに私は、弊害のあるところは互いに衆知を結集して是正に努めるとして、新然小選挙区制に改正すべきことを強く主張するものであります。
諸君御承知のごとく、アメリカ、イギリス、フランス、イタリア等においても、それぞれ小選挙区制を採用して今日に至
つておるのであります。一郡、一市において互いに覇を争い、堂堂の戰いを経て当選の栄光を獲得した者こそ、再建
日本を背負うに足る、真に代表たる資格を具備した士と存ずるのであります。小選挙区制においては、買收その他の忌まわしき弊害を伴ななどと、けちをつけておることは、近代文化の恩典に浴しつつ、勇躍
民主国家の建設に立ち上がらんとしつつある
国民感情を侮辱したものであり、みずからは封建的意識から脱却しきれないところの、哀れな
存在と言うべきであります。選挙区を広くすることによ
つて、おこぼれの札をかき集め、しやにむに当選さえすればいいというような候補者に、はたしてこの難局を担当し、再建
日本を背負う資格ありやいなや、疑わざるを得ないのであります。本要綱においては、この私の主張は取入れられなか
つたのでありますが、さらに諸君の御研究を願いたいと存じます。
その他、本要綱案は、選挙権並びに被選挙権において、居住
條件の短縮、範囲の拡大をなすとともに、投票においても、現行法の絶対的要素でありますところの自書を改め、代理投票を認めるなど、幾多敗正されんとしていることは、まことに機宜の処置と申されますが、何とい
つても、本要綱中最大の関心事は、選挙のエキスとも称せられる選挙運動であります。冒頭に申し述べましたことく、今春の選挙が統制選挙となり、自由、明朗、闊達を阻害いたしましたことにより、本要綱案においては、特にこの選挙運動の改正に主眼が注がれたことは申すまでもありません。
まず第一は、戸別訪問の問題でありますが、過去において、戸別訪問が自由に行われた
時代においては、忌まわしき弊害が随伴して、選挙の公正を著しく阻害しましたために、大正十四年の普通選挙の実と同時に、このことは禁止され、今日に至
つていることは、諸君御承知の
通りであります。
〔
議長退席、副
議長着席〕
しかるに、本要綱案第百三十
八條を拜見いたしますと、一何人も、選挙に関し、投票を得若しくは得しめ又は得しめない目的をも
つて戸別訪問をすることができない。」と明記しておきながら、但書を付して、「但し、公職の候保者が親族、平素親交の間柄にある知己その他密接な間柄にある者を訪門することは、この限りでない。」とな
つておるのでありますが、戸別訪問を認めるがごとく認めざるがごとく、幽霊案となりておるのであります。この点、特に検討の余地があると存じます。事実、われわれが選挙に直面し、特に親しい友人や親戚を訪問することは、従来しばしば繰返されたところであり、また当然のことのようでありますが、このために選挙違反の処罰を受けた実例をも見のがすわけにに参らないのであります。
そこで私は、検察当局の意向を聽取しておく必要を痛感いたしまして、委院長にこの旨を進言し、さようとりはから
つてもらつたりでありますが、結局、検察当局においても、この條項、すなわち戸別訪問のどこからどこまでが戸別訪問になるかならないかという限界点については、明確な言明はできなかつたようであります。衆参両院議員の候補者においては、各町村に参りましても、戸別に親交の間柄にある人はいないかもしれませんが、この選挙法が、公職選挙法として、町村が
議会の議院及び長の選挙にも適用されるといたしまするならば、
同一町村内に常時生活しておる者の
大半は、親交の間柄にある者ばかりというも過言ではありますまい。この場合、町村議員並びに長の候補者には、この但書に従い、各戸別訪問をした場合、これがはたして処罰の対象になるかどうかという点であります。この第百三十
八條は、向後行われますところの選挙において、必ずや私は問題を起す條項と存じますので、特に諸君の御検討を願
つて、適切なる改正を要望するものであります。
さらに、昨今重大な問題とな
つて、いまだに本要綱案中決定を見ざるものに、新聞の報道及び評論の自由に関する問題があります。すなわち、委員会におきましては、要鋼案第百四十
八條において、新聞の報道は認めるが、特定の政党並びに候補者に対し事実を歪曲し選挙の公正を害するがごとき評論に対しては制約をしなければならないということになる。
原則としては、
憲法の保障する言論の自由を認めることによ
つて評論をを認めるが、上述のごとき場合に許さないという態度を持しておるのであります。これに対し、新聞協会より猛烈なる反対が叫ばれ、無
條件に評論も許すべしと、強硬なる申出が委員会になされたのであります。よ
つて、委員会といたしましては、新聞社側と懇談会々開催して、意向を聽取いたしたのでありますが、遂に結論に到達せず、今日に至
つておりますが、この点、きわめて重大なる問題と存じますので、重ねて諸君の御検討を煩わしたいと存じます。
私
どもが、
憲法の保障する言論、集会、結社の自由を拘束することのできないことは論をまちませんが、
終戰後、ややともすれば、この点を悪用する一部の政党や、悪徳新聞、雑誌が跋扈して会社の秩序を乱し、
日本再建に重大なるところの支障なしておりますことは、まことに遺憾千万のたえないりであります。世上ややもすれば、自由をはき違え、わがまま、放縦、利己主義を混淆し、これをしも自由と称し、著しく社会に害毒を流しつつある幾多の事例を見るのでありますが、
憲法第十二條は、自由に対する制約を明記いたしております。
国民に保障する自由及び権利は、
国民の不断の
努力によるべきことを要請するとともに、その濫用を戒め、公共の福祉に反せせることを
規定いたしておるりであります。
選挙に際し、悪徳新聞が横行闊歩し、巧みに候補者の弱点につけ入つたり、事実無根の報道や、名誉毀損に該当するがこどき評論をなし、てんとして恥じざる行動の行われることは、私
どもの、かねて聞き及んでおるところであります。私
どもは、もちろん、堂堂たる日刊新聞で、しかも新聞協会加盟紙等に、さようのことがあろうとは毛頭
考えていなか
つたのでありますが、先般新聞社側との懇談会の席上、新聞協会より承れば、某県の相当な日刊紙でも、対面の保持上いかがわしき事由のため、新聞協会から警告が発せられたとりことであります。しかも
全国で、協会加盟紙はわずかに百四十八社とのことでありまして、これら一流新聞を除いた残余幾百幾十の新聞の中には、新聞としての使命に徹せるもののみとは
考えられないところの幾多の悪徳新聞のあることは、天下周知の事実であります。
新聞に自由があるとともに、
国民一人一人にもまた自由が與えられているのでありまして、他人の自由を蹂躪して、
自己のみの自由を貫かんとするがごときは、自由の本旨に反するものと申さなければならません。新聞協会より委員会あてに寄せられたる意見書を拜見しますと、理論としては、さすが高邁なる識見の持主であろことに、多大の
敬意を拂うものでありますが、遺憾ながら、選挙の実際とは、およそかけ離れた御理論でありまして、選挙に必勝を期して闘うわれわれの、とうてい解釈に苦しむところであります。
これを要するに、われわれも大いに反省を要するとともに、新聞社側におかれても、社会の木鐸としてより以上の
責任を痛感され、お互い自戒自粛に
努力するに至らば、こうした紛争は自然解消するもりと存じます。しかしながら、現段階においては、遺憾ながらその域に到達しておりません。われわれも大いに反省これ努めるとともに、新聞社側に対しても、ある程度の制約を要請することは、やむを得ざるところであります。
新聞社から先般委員会に寄せられました意見書によりますと、選挙目当の悪徳新聞を排除するに必要な民衆の啓蒙運動については、協会加盟各新聞社は十分協力する用意があると述べられ、暗に悪徳新聞の
存在を認められておりますが、この点、特に協会加盟の各社の御助力をお願いするとともに、協力していただかなくてもよい時期になりました節は、われわれにおいても、評論の自由に何ら。制約をも加える必要はなくなるわけであります。何とぞ今後新聞協会並びに
全国の各新聞社におかれては、このわれわれに対しまして格段の御助力をお願いいしたいと存ずるのであります。
いかなる新聞であろうとも、選挙に際し、特定政党、特定候補者に対し無
制限に評論を許すべきではないという以上の点に関し、私は、遺憾ながら以上の
理由により、今日の状態においては、ある程度の規制はやむを得ないと存じますが、諸君におかれても、選挙の際、直接
関係のあることでありますから、十分御検討を賜わりまして、結論を與えられんことを切望いたします。
その他、今回の選挙法改正要綱案を大観いたしますと、選挙運動の自由を
理由に、各種の
制限がたくさん撤廃いたされておりますために、莫大なるところの経費を要する懸念があるのであります。このことは、選挙に際し、できるだけ経費の節約をはからんとする選挙公営の本旨に反する結果となるのでありまして、しよせん、角をためて牛を殺す結果を予想されるのであります。この点、要綱案全般を十分に御検討願
つて、私
どもの
立法が後世悪評を殘さざるよう諸君の御協力を待望して、私の討議を終る次第であります。(
拍手)
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