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野津参考人 私は
中央大学教授であり、かつ
弁護士であります
野津務でございます。
私はただいま資料をいただいたばかりでありまして、まだ十分に見ておりませんので、二、三思いつきました点を述べたいと思います。これだけの大きな
改正案をつくられて、たいへんな努力をされました法務御当局の方に対しまして敬意を表します。
総論的にまず述べますが、どうも今度の
法案は天くだり的につくられまして、民間からの実際の主張があ
つて、それから
改正せられたのでないという点について、はなはだ私は遺憾な点があるのであります。後に述べます無
額面株の
制度につきましても、アメリカにおきましては一八九二年に無
額面株という
制度を設けたらよかろうということが論ぜられまして、それが一九〇八年に
至つてニユーヨーク弁護士会の
決議とな
つて、そういう
制度を設けた方がいいということになりまして、そこで一九一二年にな
つて初めて
ニユーヨーク州の
会社法の
改正に
規定せられることに
なつたわけでありまして、それが
規定されるまでに約二十年以上の年月を経ておるわけであります。しかるに今回
卒然としてこういう
法案をつくられた。しかもわれわれはこの
法案を論議する時間もない間に
卒然これを
法律にされる——されるかされないかまだわかりませんけれども、されようとしておるようなわけでありまして、あまりにこれは性急過ぎるように私は考える次第であります。
各論といたしましては、まず第一に
授権資本の
制度でありますが、これは現在それほどの大改革をする必要があるのかという点が疑問であります。
取締役に大きな
権限を与えて、時宜に適する処置をさせようというのかその趣旨であろうと思いますが、一方
株主の
立場もよく考える必要があるのでありまして、新株を発行するについて、それが
株主の
利益になるかならないかというようなことは、やはり
株主をして判断せしめる必要がありやしないか。もつとも
取締役に相当の
権限を与えた方がいいというような点も考えられまするので、それならばいわゆる
認許資本の
制度をとることにしたらどうだろうか。フランスにおきましてもゾシエテ・ア・キヤピタル・ヴアリアブルというような
会社がありまして、
定款変更を要しないで
取締役が
資本を増加することができるということにな
つておる。そういう
制度もあるわけでありますが、ある程度
取締役に
権限を与えるということは納得ができますけれども、現在の
資本確定の原則からこの
授権資本の
制度に飛躍する、その飛躍ということはあまり行き過ぎではないか。その間にまだ通過すべき段階があると思うのであります。それから
会社によ
つては
授権資本の
制度をとりたくないというようなのもあるだろうと思いますし、すべての
会社が
授権資本の
制度によらなければならないということにしないで、
現行法通りにや
つて行くことができるように、並行的な
規定を設けたらどうか、こう考える次第であります。強制する必要はないと思います。
それから無
額面株でありますが、無
額面株の
制度のよいところは、結局その額面額を
株価が割
つておるような財政の状態の悪い
会社において
資本を調達するという上において、多少便宜であるというだけのものでありまして財政の状態のゆたかな
会社においては、かえ
つて無
額面株は
取締役をして私腹を肥やす材料とされるおそれがありはしないかということを考えるのであります。それから
個々の
株主の地位を強くするために、
発起人や
取締役の
責任を追及するという
制度が設けられております。これにつきましては、先ほど来、お二人の方から御
意見がありましたが、私も全面的に賛成であるのであります。しかし結局
会社荒しに利用されるというおそれがあると思うのであります。それから
株式買取り請求権、これにつきましてもやはり先ほども
お話のあつた通りであります。のみならずこの
株式の買取り請求がたくさんに出て来たような場合におきましては、
会社の現金がそれだけ出るわけでありますから、
会社の財産状態に
変更を生ずるわけでありまして、そのために
営業讓渡の
條件であるとか、
合併の
條件などに
変更を生じなければならぬ。そのためにその
営業讓渡もできなければ、
合併もできないというようなことになりはしないかというおそれがあると思います。それから
取締役の違法行為さしとめの請求権があるわけでありますが、
会社に回復すべからざる損害を生ずるおそれがあるかないかということの認定は困難でありまして、もし仮処分で違法行為さしとめの請求をいたしますと、そのために取引ができないで、
会社は商機を逸するようなことになるおそれがあると思うのであります。これもやはり
会社荒しの好餌になると思います。それから百六十六條の第五項に新株引受権を
定款に定めさせることにな
つておるわけでありますが、新株引受権を
株主に、与えるか与えないかということを
定款の上に書かなければならぬことにな
つておるわけであります。この新株引受権を与えることにしますと、違つた種類の数種の
株式を発行しておるような場合に、その一方の
株式だけについて新株を発行しようという場合には、他方の種類の
株主の
利益を害することになりますし、またごく
少数の新株しか発行する必要がない、そうたくさんな
資本を必要とするのでない、ごくわずかな
資本だけが必要であるというような場合、つまり
少数の新株を発行するような場合に、この新株引受権を与えたその
株主全部にそれが必ずしも行きわたらない、行きわた
つてもごく端株みたようなことになるおそれがあると思います。それからまた新株引受権を与えないということに
定款で定めれば、これは場合によ
つては、旧
株主はやはりその
会社の財産状態がよければ新株を引受けたいと思うのに、
定款でそういう定めがあるために引受けられないというのでも困るわけなんでありまして、新株引受権を与えると定めても都合の悪い場合もあるし、それを与えないというふうに定めても都合の悪い場合があるのでありますから、この新株引受権の有無を
定款に定めさせる、そして
定款を
変更するまではのつぴきならぬ、それに従わなければならぬということにするのは妥当でないと思います。むしろそれは
取締役会という
制度を設けられるならば、この
取締役会においてその都度新株引受権を、与えるか与えないかを定めさせる、そのときの
経済状態なりあるいは
会社の財産状態なりを
考慮して適当に定めるようにした方がよくはないかと私は考える次第であります。
それから
書類閲覧権については、先ほど来お二人のおつしやつた通りであります。そのほか整理開始の申立権であるとか、清算人の解任の申立権であるとか、特別清算の検査命令の申立権であるとか、こういうようなものについて近く申立て要件が緩和されて、
現行法の約三分の一になるわけでありまして、これもやはり
会社荒しに悪用されるおそれがあると思います。
次に
会社の機関のことについて申し上げたいと思いますが、今度の
法案によりますと、
取締役の
権限が非常に拡張されたわけでありますが、これは聞くところによれば、金融上の專門的な技能に富んでおる人に対して自由にその手腕を振わしめたいという趣旨によるものだそうであります。そうして
株主総会の
権限が縮小されて、監査役を廃止され、
取締役に非常に自由な手腕を振わせるという構想に基くもののようであります。ところがこれは原理的に申しまして、はなはだ矛盾があると思うのであります。そういう
少数の
取締役で
会社全体の運命を決するような経営方法は、これは寡頭政治的、寡頭主義であるわけでありまして、現在の民主々義の原理とどういうぐあいに調和するものであるか、その点がはなはだ私は疑問に思
つております。
株式会社を
民主化するということが必要であらうと思うのでありますが、
反対にこれが寡頭政治的になるわけであります。これは原理的に非常な矛盾があると思うものであります。ナチス・ドイツにおきましては、いわゆる指導者原理に基いて
取締役が指導者的な役割をや
つて、
株主総会の
権限を縮小して、
取締役が自由に経営上のことを決定して行くという方法をとつたわけであります。もちろんその
取締役に自由に手腕を振わせるというその経営形態は、現在アメリカにおいても行われておることでありまして、
取締役会というのは、これは昔から英米における
制度であつたわけでありますけれども、ドイツがそれをと
つたのは、やはりナチズムにその形が合致するからであります。ところが
わが国におきましては
会社法を
民主化する必要がある。その点から申しますれば、これは原理的に非常に矛盾を犯すものではないか。
取締役が経営上の自由を縛られて手も足も出ないというならば、これを改めることが必要でありますけれども、
現行法におきましては、
取締役はそういう自由を縛られておるわけではなく、実際上非常にその勢力が強く、監査役を抑えているくらいで、
株主総会といえども定時
総会をときどき開くという程度であ
つて、
取締役の自由が縛られておるわけではないのでありますから、特に
改正しなければならぬほどの必要はないと考えます。それから任期が二年ということにな
つておりますが、もし監査役を廃止することにするならば、
株主総会をして
取締役を監督せしめるという上から、任期をむしろ一年として、毎年
取締役の信任をとるということにした方がよくはないかと考える次第であります。
それから今度は
取締役会という
制度を設けることにな
つておりますが、この
取締役会の内部において、
取締役相互を監督させようと——従来監査役という
制度はあつたけれども、実際上監査役が無力であるという
実情から監査役
制度をやめて、
取締役の監督は
累積投票等の方法によ
つて、
少数株主の
利益を代表する
取締役を
取締役の中に加えて、それによ
つてお互いに牽制し監督せしめ合う、こういう構想に基くもののようであります。ところがそういう言葉で説明すればはなはだもつとものように見えますけれども、実は
取締役は、これは
権限においても大体において同じであるわけでありますし、結局同僚であります。同僚間でお互いに牽制し監督するということは、結局
取締役同士の間でけんかさせるということなりであります。別の言葉で言えば、要するに
取締役をお互いにけんかさせようとする案であるのであります。現在大
会社はそんなことはないかもしれませんが、大
会社でもときどきはありますから、多くの中小
会社におきましては、
会社の乗つ取りというようなことで非常に争奮戦がある。これは実例が非常に多い。
取締役が
取締役内部で自主勢力を得ようと思
つてお互いにけんかして乗つ取り合うというようなことは、現在の
制度においてすら非常に多い。これが
法律になれば、小中
会社においてはますますそのけんかがはなはだしくなるだろうと思います。監督だとか牽制し合うとかいうと言葉ははなはだきれいでありますけれども、事実は同僚でありますから、けんかすることなのであります。これはむしろ現在の監査役と別の機関を置いて、別の機関で
業務執行機関を監督することにした方がよいではないかと思うのであります。現在監査役が無力であるというのは、監査役に十分な
法律上の地位を与えておらぬからであります。これを
改正しないでおいて、現在の監査役は無力であるからやめてしまえというのは、これはやはり飛躍しており、通るべき段階を通
つておらぬのであります。あまりに飛躍し過ぎておるのであけます。現在の監査役が無力であるならばこれを有力にするような
規定を設ければよいのであります。その
規定を設けないでおいて、ただ無力である無力であると言
つているのは、これははなはだおかしなものであると思います。それでは監査役はどうすれば有力になるかと申しますと、ドイツにおきましては、監査役は
取締役を選任する
権限を持
つているのであります。でありますからドイツにおきましては監査役の地位が高い。
取締役は監督されている。ところがドイツにおきましては、監査役は力が強過ぎて弊害があるというのでありますが、
日本におきましては、
反対に弱過ぎるというのでありますから、監査役にある
権限を持たせれば——この際はある
権限を持たせるということにおいてやや強い地位にしてみることがむしろ適当ではないかと思うのであります。しからば監査役にいかなる
権限を持たせしむべきであるかと申しますと、
取締役を選任するのについては、これは
株主の意思によつた方が私はよいと思います。これは
株式会社の内部を
民主化するという上から申しましても、
株主の意思によ
つて取締役を選任するということは、これはむしろ当然の要求であろうと思いますから、監査役は
取締役を選任させるというのではなしに、やはり
株主総会においてこれを選任するということにした方がよくはないか、そこで
取締役が悪いことをした場合において、監査役がこれを解任することができる。あるいは少くとも解任の申立て権を許す解任権を監査役に与えることにしたならばどうであろうか、こう考えるのであります。ところがそうすれば、監査役がむやみに
取締役を解任して困るではないか、解任権を濫用するではないかという議論も出て来ると思いますが、その濫用を防ぐためには幾らでも方法があるのであります。それは次の
株主総会において解任の
理由を報告するとか、あるいはそれができなければ、あらかじめ
裁判所の許可を得て解任をするということにしてもいいのであります。監査役の解任権濫用を防ぐ方法はそのほかにもあるだろうと思いますが、そういうことにすれば監査役の地位はぐんと強くなるわけでありますから、
取締役が悪いことをしないと考えます。そうなると
取締役は、現在の支配人と実際的には同じように、
取締役の指揮のもとに支配人が仕事をするというようなぐあいで、
取締役はやはり監査役の監督のもとに適正なる処置をすることになりはしないかと思うのであります。
それから
累積投票のことでありますけれども、これは
少数株主の
利益を代表する
取締役を選任する可能性があるというのでありますけれども、ところが
累積投票は、それは大
株主の方でうつかりゆだんしておれば、
少数株主が勝利を得るということになるかもしれませんけれども、そうなれば大
株主の方もゆだんしないのでありますから、結局同じことになる。ただ
議決権の数がふえるだけのことでありまして、割合は同じことでありますから、
少数株主にと
つて有利であるということは、それは観念論にすぎないのでありまして、現実のことではないのであります。現実にはかわらない。ただ観念的に
少数株主に有利であろうというだけの話でありまして、現実に
少数株主に有利になるということは言えない。こう思うのであります。
従つて累積投票はちつとも感心しないのであります。
それから譲渡の
禁止制限を
禁止する。これは先ほども
お話がありましたが、裏書きを
禁止する、
定款の
規定を無効にするというのは少し行き過ぎであると思います。裏書きを
禁止するということは、裏書きは実際不便な点もあるのであります。株数が非常に多いという場合には、一々裏書きをするのはなかなかめんどうであります。これに反し白紙
委任状でありますれば、何千株でも何方株でも一通の、たつた一片の白紙
委任状をこしらえればいいわけであります。それから記名
株式の讓度につきまして、証書をつくらなければならない。譲度証書を添付しなければ譲渡ができないということにするのは、これはどうも不当な
制限であると思います。
現行法では譲渡の当事者間における意思表示的なものによ
つて譲渡ができるわけでありまして、当事者間においては株券を渡さなくても、また
委任状をこしらえなくても譲渡ができるわけであります。これほど
株式の流通をよくする方法はない。ところがそれに対して、今度は譲渡証書を添付しなければ譲渡が無効であるというのは、これは
株式の流通を最も阻害と言うと少し語弊がありますが、
株式の讓渡に対して多少の障害になると思うのであります。もつとも取引上ああいうような職業的な
株式譲渡については、現在白紙
委任状をそのままつければいいというのでありますから、
改正にな
つても大した打撃はないでしようけれども、職業的でなぐ
株式を讓渡するというような場合に、一々譲渡証書をつけなければ譲渡ができないというのは、はなはだ不当であると私は考えます。
それからそのほか
訴えについて
担保供与の義務がないなどということについては、先ほど
お話がありましたから省略いたしまして、こまかい点でありますが、
資本の減少の場合につきまして
株式数を増加することにつきましては、
発行済株式総数の四倍を越えることを得ずという
規定が三百四十七條に出ておりますけれども、
資本減少の場合においては、
株式数を減少する方法による減資の場合に、やはり比率を保たれなければならないのであるかいなかということについては、何ら
規定が設けられておらないのであります。これは解釈上当然だということは言えないものと思うのでありまして、
株式数増加については三百四十七條の
規定があるのに、
株式数減少による
資本の減少については何ら
規定を設けないというのは、増加の場合に比べてこれは片手落ちであろと考えます。なお論じたい点もありますけれども、この程度にしておきます。