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小林参考人 私は
日本弁護士連合会弁護士小林一郎であります。私は司法
制度の改善と
司法権の確立、このことにつきまして非常な関心を持
つているものであります。本日ここに発言の機会を與えられましたことにつきまして、はなはだ光栄に存じております。
この
民事訴訟法の一部
改正法案を拜見いたしますと、
最高裁判所の
使命の重要性にかんがみ
負担を軽減しろ、そういうことが
提案の
理由にな
つております。私はこの
最高裁判所の
使命、これをいかに説明しておるか聞きたいのであります。私は
考えますのに、
最高裁判所の
使命は、一国の法令の
解釈を統一し、
司法権を統轄して、不動の基礎のもとに
国民の行くべき道を示す、これが私は
最高裁判所の
使命ではないかと思
つております。この
法案を見ますといろいろ言いまわしはありますが、要するに忙しくて仕方がない、事務が輻湊する。であるから
最高裁判所の
裁判官に
仕事ができるように、その範囲を
制限しろ、こういうことです。
最高裁判所の
使命を達成するためにいかなる機構と手続を要するか。こういう
法案ではありません、現に
最高裁判所を構成しておる人間に
仕事ができるようにこの
法案をつくれということです。これは
まつたく本末、主客を顛倒した
議論であり、その目的のもとにできている、こう言うほかはないと私は思う。私はイギリスの
裁判官の言
つたことで、非常な感銘を受けていることがあります。本日私御参考にイキリスのことをときどき申し上げますが、これはお聞き苦しいこととは存じますけれ
どもお許しを願います。
あとでまたちよつと触れますから、大体大ざつぱにイキリスの
裁判所の構成のことをちよつと申し上げておきます。イギリスの
裁判所の中心をなすものは、ロンドンにシユプリーム・コート・オブ・ジユデイカルチユア、これがイキリスの
最高裁判所の中心である。これがハイ・コート・オブ・ジアステイス、それからコート・オブ・アピール。ハイ・コート・オブ・ジアステイスが三つの部門にわかれましてチヤンスリ・デイヴイジヨン、キングス・ベンチ・デイヴイジヨン、プロベート・デイボース・アンド・アドミラリテイー・デヴイジヨン、その三つになるのです。ところで今申し上げましたそのキングス・ベンチ・デイヴイジヨン、これがイキリスの
裁判所のほんとうの中心になるのです。これがロード・チーフ・ジヤステイスと、それからそのほかに十九人のジヤツジ、合計二十人の
裁判官をも
つてこのキングス・ベンチ・デイヴイジヨンが構成されております、しかして御
承知の
通り、イギリスには巡回
裁判がある。これは年に二回行くところ、それから三回行くところがあります。それから一人で行く場合と、二人で行く場合がある。それでこの巡回
裁判に出るがためにロンドンにおいては
裁判官が七人、六人、そういうふうに非常に少くなることがある。でありますからそういう時期にはロンドンの
仕事が非常なさしつかえを生ずる。それから一面におきまして、これは年に二回とか、三回しか行きませんから、その地方々々ではまた非常な不便がある。そこでこれは一八六九年ごろからの
議論でありますが、そのロンドンにあるハイ・コートの支部を各地方ごとに設けろ、そういう
議論があるのであります。ところがこれに対してロンドンのキングス・ベンチ・デイヴイジヨンのジヤツジは頑として応じない、どういう
理由かと申しますと、われわれはロンドンに一かたまりにな
つてロンドンのトラデイシヨンをつくるひとつの風をつくるのだ。それで英国の
司法権の風、それをも
つて全国にまわるのだ。そこで
司法権を統一する。これがもし各地にそういう支部を設けて、地方々々ごとに
裁判させたならば、この
司法権はばらばらにな
つてしまう。地方地方に色がついてしま
つて何も統轄がとれない、そういうことを
言つて頑として応じない。それはその当事者のためにも
裁判官のためにも非常な不便になる。そういうことをそつちのけにして、その高い目的のためにどうしても応じない。このイギリスの
裁判官の態度が私の頭にこびりついて離れないのであります。この
法案が出、また
最高裁判所あたりでそういう
議論が出ると、すぐこれが私の頭に浮んで参ります。
それからもう
一つお耳に入れておきたいことは、
日本では三権分立を非常にやかましく言う。やたらに形ばかりのことを申しまして、判然たる区別があるようなことを申します。しこうして
司法権、これは法令の
解釈に專念すればいいのだ、そういうふうに扱われておりますが、イギリスにおきましてはロンドンにジユデイシアル・コミテイー・オブ・ザ・プリヴイー・カウンシル、枢密院の司法
委員会で、今は別でしようが、インド及び植民地から来る全部の
上告事件をそこで扱
つておる。これは世界三億五千万の人間の上に
裁判権を持つと
言つておるのですが、これによ
つて、この
司法権を巧みに利用して、その植民地、インド等の人間を巧みに統轄しておるのです。これは学者もそういうふうには御説明にならない。だれも気がついていないところですが、イギリス人が知らないうちに
司法権はそういうところまで行くわけです。これもお耳に入れておきたい点であります。これにつきましても、この
法案はその一国の法令の統轄、統一。そんなことはそつちのけにいたしまして、先ほど申し上げました現にある
最高裁判所、これに
仕事をさしたい、
仕事ができるようにしろというのですから、私はこの
法案が一顧にも値しない
法案ではないかと
考えておる次第であります。
それならばなぜ今日
最高裁判所で
仕事の澁滞を来すという結果に
なつたか、これは私は常々
言つておるところでありますが、これは外国のまねだけをしておる。ほんとうにわからないで形だけを整える、その結果だと思います。これは御
承知と思いますが、
裁判官を十五人にしたということは、これは
アメリカとイギリスのまねしただけのことです。
アメリカでは八人、それにチーフ・ジヤステイス、今はふえておるかもしれませんが九人。イギリスにおきましては
上告審、これはハウス・オブ・ローズー貴族院です。これはどういう人間をも
つて構成しておるかと申しますと、第一にロード・チヤンスラー、そのほかにローズ・オブ・アッピール・イン・オアデイナリー、これは常任
上訴判事と訳せばいいと思いますが、これが六人、これだけです。しこうしてこのロード・チヤンスラーとその常任
上訴判事、それからハイ・ジユデイジアル・オフイス、司法高官の職にあ
つた者の貴族院議員、その三人以上が集まればできるということにな
つております。それでイギリスでは貴族院議員、これは表面上は全部その
裁判に加わる権限がある。しかしながらしろうとの貴族院議員は全然その表決には加わらない慣例にな
つておる。これは過去においてただ一回あ
つたらしいのでありますが、一八八三年後は全然
裁判には加わらない。でありますから、やはりイギリスにおいては七人くらいの者で
上告裁判所を構成しておる、これがお手本にな
つておるのであります。それならば
事件はどのくらいあるか。これは少し古い統計でありますが、一八三三年の統計によりますと、貴族院に行く
上告事件は、大ざつぱに言いますと一年に百件です。そのうち四十件は未裁、
あと六十件は完了して、平均約百件です。それで
刑事事件については、その年のは全然
上告がありません。それで
事件はどんなふうに処理されておるかと申しますと、三月以上、六箇月以内で大半が済んで、二年以上係属しているという
事件は全然ありません。こういう点をそつちのけにいたしまして、形だけ
アメリカやイギリスのまねをして、
上告裁判所は人が少い、だから人を少くして偉くして行く、ただそれだけなんです。今日の事態を来すことは、これは私当時三年前に、いまに見ていらつしやい、ひどい目にあうということを相当にうるさく言
つた問題です。それが三年を出ずして今日の事態を生じている次第であります。
それからこの
法案にも現われておりますが、
最高裁判所では
憲法問題ということをやかましく
言つて、
憲法裁判所にする、これがまたどういうことかはなはだわからない。
憲法問題必ずしも難問ばかりではありません。これが
アメリカでありますれば、
アメリカは御
承知の
通りたくさんのステートが集ま
つて連邦をつく
つておりますから、このステートは最小限度の権限を連邦のコングレスに與えている。でありますからその
制限された権限、これがややもすると
憲法にひつかかる。でありますから
アメリカにおいては
憲法問題ということは相当予想される次第であります。わが国においては、ただいまでこそ二言目には
憲法違反、
憲法違反とい
つております。
憲法違反というと何か鬼の首でもと
つたように扱われておりますが、これは当分のことで、相当の時間が
経過いたしますれば、
日本においては
憲法問題、
憲法違反の問題、こんなことは寥々たるものになると私は
考えております。それをただいま
最高裁判所で何でもかでも
憲法裁判所にする、
憲法問題だけ扱いたい。こんなものは
アメリカあたりのそういう事情を曲解した結果である、これはよほど注意しなければならぬと私は
考えております。この
意味においてもこの
法案はな
つていないと私は
考えております。
それからこの
法案はどこから
提案されたか、私は法務府であろうと思いますが、発祥の地はやはり
最高裁判所だろうと思います。この
提案にあたりまして、いかにして今日この事務が澁滞したか、この事情をどの
程度に御
調査に
なつたか、これを私は実は知りたいのでございます。これは私、
法制審議会におきましてもうるさく言
つた点であります。これは御参考のためちよつと申し上げておきますが、イギリスにおきましては
事件の処理が非常に早い。ことに船の
事件などはヨーロッパからみなイギリスに持
つて来るようにな
つております。そうしてイギリスではその
事件をいかに迅速に処理するか、このことについて年中
調査をいたしております。一九〇九年、一三年ごろには先ほど申し上げましたキングス・ベンチ・デイヴイジヨンでこの
事件をいかに迅速に処理するか、これについて
委員会ができております。それから一九二二年から三年にかけて、今度は先ほど申し上げましたハイ・コート、それの全体について
事件をいかに迅速に処理するか、これについて
委員会ができております。それから一九三三年にはシユプリーム・コート、それの全体の
事件についていかに迅速に処理するか、こういう
委員会が設けられております。それから一九三四年には、今度はキングス・ベンチ・デイヴイジヨンが個々の
事件処理をいかに迅速に処理するかという
委員会、これは委員七名からな
つておるのですが、その
委員会が一九三四年十二月に構成されまして、それが一九三六年の一月にレポートを出しております。私ここに持
つておりますが、これは
裁判所の内部の事情、手続、あらゆる点にわた
つて徹底した
調査をいたしております。これはただいま国会でや
つていらつしやるように、証人を呼んで、宣誓をさせて証言を求める権限を與えられておる。それでこの
委員会におきましては七十一名の証人を呼んでおります。それでこれに対しましてはロード・チーフ・ジヤステイスを初め
裁判官、弁護士等、ここに目ぼしい人をみな呼んでおる。また実業家、チエンバー・オブ・コマース、チエンバー・オブ・シツピング、そういう実際の
訴訟に
関係のある方をみな呼んでおる。こういうふうに徹底した
調査をしておるのであります。それで私はこの問題にならいまして、今度の
法制審議会におきまして、まず第一に
最高裁判所長官に来てもら
つて説明してもらえ、それからこういう点をみな
調査してもらいたいということを言
つたのでありますが、これは一笑に付されて顧みられなか
つた次第であります。
そこで伺いたいのは、この
法案が出るまでにそういうことを
裁判所の内外にわた
つておやりに
なつたかどうか、
裁判所法が制定され、
最高裁判所ができましてから、
裁判官会議というものを盛にや
つておいでになるようです。どうやら
裁判官は裁
判事務より
行政事務、人事とか財政、そういうことに非常な興味をお持ちにな
つておるのじやないかと思える節があります。そこで私か伺いたか
つたのは、そういう
行政事務に
最高裁判所はどれだけの時間を費しておいでになるか。裁
判事務に費す時間とそういう
行政事務に費す時間、これの統計をいただきたいと私は言
つたのです。それで二十四年の分だけをちようだいいたしましたが、それ以前のはちようだいすることはできなか
つたのであります。その統計ができないのか、あるいはできてもちようだいすることかできなか
つたのか。できないとすれば、これはいかに戰後忙しい
時代でありましても、
最高裁判所の怠慢は免れないじやないか。これだけの
法案をお出しになるにつきましては、何ゆえに
事件か澁滞したか、これについては
裁判官が裁
判事務と
行政事務をどういう割合で時間を費したか。これははつきりしなくてはいかぬと私は
考えております。それからこのほかにわが国におきましては
会議制をと
つておる。これに非常な時間をお費しにな
つておるのじやないか。これは
裁判所法ができる当時、英米の例にならいまして、少くとも
最高裁判所においては
裁判官は各自
法廷において
裁判を英米のは、複数の
判事をも
つて構成する場合は、
裁判官は各自
裁判を
法廷でやる。しかしてその結果によ
つて決をとる。こうな
つております。
最高裁判所だけはこうしなくてはいかぬと私が
主張したのが、曲りなりにも落ちついたのが、
判決に
裁判官の少数の
意見をも記載するということであります。でありますから、英米の
裁判官は、
会議によ
つて二時間も三時間も
議論して
裁判官が時間をとることは予想されておりません。英米の
裁判官は個性に非常に重きを置いておる。これがおわかりにな
つておるかどうか。皆さん御
承知と思いますが、
最高裁判所の
裁判官は大した部屋をちようだいしておる。ちよつとわれわれの見たこともないような部屋をちようだいしておる。これは
まつたくそこから出ておるのです。これは
裁判官の個性に重きを置いておる、
裁判官は各自
裁判をするだけの能力がある、そういう前提のもとにかくのごとく扱われておるのであります。これをはたして
最高裁判所の
裁判官は自覚しておるかどうか。私は疑いなきあたわずと言いたいのであります。そういう点を御
調査願
つたかどうか私は聞きたいのですが、どうも御
調査にな
つていない。洪水が出るには山が荒れておる場合もありましよう、あるいは川床を掃除しないためかもしれない。どうもこの
法案は、そういう場合に山が荒れておるかどうかも
調査しない、川床がどうな
つておるかということも
調査しない。ただ水が出て仕方がないから堤防を設けて横に流す、そういうことではないかと私は思う。これは戰後われわれは非常に悩まされたのでありますが、金が足りない、職員に拂う金がない、だから郵便料金値上げをする、あるいは鉄道運賃を増す。こんなことならば何も政治家はいらない、私らでもできるはずです。何もくふうをしない。この
法案は私はそうではないかと思う。私ははなはだ遺憾にたえない。
そこで私が申し上げたいことは、この国会は
憲法六十
二條によ
つて国政
調査権を持
つていらつしやる。この国政
調査権の名のもとに
裁判に関與するということは避けなくてはいけません。これは許されない。しかしながら
裁判以外の、いかに
裁判するか、その手続、それは国会はどうでもお定めにな
つていいはずである。この国政
調査権によ
つて、イギリスの
委員会がや
つておるように、今ここの
委員会で証人をお呼びにな
つておるように、
裁判所は内外にわた
つて徹底的に私は
調査をなさらなくてはいかぬ、そう
考えております、その場合には内部の機構、
行政事務でも、人事でも、財政でも、内部ではどういうふうに
事件が処理されておるか。
裁判には関與することのできません。しかしそれ以外のことは全部御
調査に
なつたがいい。また実業界の目ぼしいお方を証人としてお呼びにな
つて、
訴訟についてどういう注文があるかということを一切お調べにならなくてはいかぬと私は
考えております。
ただこの
法案に反対するだけであるが、それならどうすればいいのだというような
質問が必ず出ると思いますが、それにちよつと触れておきたいと思います。あまりに無責任だと思いますから……。第一に、今十五人で先ほ
ども中村教授からお話に
なつたと思いますが、もとは四十人か四十人以上の
裁判官がや
つたその
仕事を、手続は何もかえてない、何もやり方はかえてない。ただかつこうをかえただけです。頭を減らしただけである。幾ら神様でもそれでできるわけがないのです。それがやれるような顏をしておるのが私はむりだと思う。ですからこれをどうしたらいいか。この問題は何か
考えなくてはいけないと思います。ところで
まつ先に
考えられることは、これは英米でや
つておることですが、イギリスでは
上告するのに許可がいります。
刑事事件につきましては、その問題の
上告が公益上必要か、あるいはその
上訴が公益上はたして必要かどうか、それについてアットー二ージエネラルからその証明をもら
つて初めて
上告ができる。
刑事事件ではそうな
つております。それから
民事事件では原審の許可がいる。コート・オブ・アッピールで
判決があると、すぐその席で、私は
上訴したいから許可してくれと
法廷で言うのです。あるいは
裁判官が進んで、おれはこうだけれ
ども、これはさらに上級審の判断を求めなければならぬから、そうするならいつでも許可するぞということを言う方がある。とにかく
下級審の許可がいる。ところが
下級審が許可しない場合には、
上告審に貴族院の許可を得る、そういうことにな
つております。
上告審には、アッピール・コミツテイーというのがありまして、そこの許可を要する、許可制にな
つております。それならばこれを採用したらどうか。そういう
議論が出ますが、これは私はちよつとむりじやないかと思います。なぜかといいますと、わが国におきましては、みな
下級審の
裁判所は
上訴をおそれる傾向があります。しこうして上級審の
裁判所は争点を回避する。顧みて他を言う傾向がある。これは
裁判官も全然ないと御否定にはなれないと思う。今でも
判例の中にそういう点を見出し得ると私は思うのです。そういう
状態でありましてイギリス、
アメリカのまねをして
裁判所の許可を得るということは、
国民がおそらく納得いたしません。でありますから、これはある時期を待たなくてはいけない。それならば次に一番
考えられることは、ただいま知
つてか知らないでかおやりにな
つておるが、その
裁判官が裁
判事務に專念しないで
行政事務に時間をお費しになる。この点です。これは
裁判官は
まつたく裁
判事務にのみ專念する。そういう仕組みをつくらなくてはいけない。これは私はできないことはないと思います。それから先ほどお話があ
つた調査官の問題、それでもどうしてもいけなければ、今度は機構の問題でしよう。今の数、これは何も絶対のものじやないのじやなかと思います。いずれにいたしましても、何かそういう点を徹底的に御
調査にならなければ、この
改正案をそのままにお通しになるということはいけないと私は
考えております。
それで結論といたしまして、私はこの
法案には全然反対いたします。それじやどうすればいいかといえば、これは行くべきところまでや
つたがいいと私は思
つております。しこうして
国民に徹底的に知らせるがいい。ほんとうのことがわからないで、形だけ外国のまねをしておるとかくのごとくひどい目にあうぞ、そういうことを
国民に徹底的にお知らせになるがいいと思う。私はさればとい
つて英米法、英米の
制度を取入れることに反対するものではありません。私はその逆な人間です。英米の
制度をわが国はできるだけ取入れなくてはいけない。御
承知でありましようが、
明治二十五、六年ごろ、当時英法学者と独法学者がえらい
議論をしたことがあります。しこうして独法学者が勝
つて、英法がわが国に行われなか
つたのであります。当時これが逆でありましたならば、私は
日本は今日の悲境には立たなか
つたのではないか、そう
考えております。そこで私がもう
一つお願いしたいのは、
司法権は国家の根本問題である。私は国家再建の道の第一は、この
司法権を各位が確保されなければならぬ。しこうして立法権と
行政権をあくまで確保されまして、そうして国家の再建をしなければならぬ、こう
考えております。それにつきまして、この司法
制度の問題につきまして、この国会におきまして国政
調査権に基いて御
調査にな
つていただきたいけれ
ども、しかし非常に国会は御多忙ですから、みずからおやりになることはむりではないか。そこでこれを英国の例にならいまして、
法律をおつくりにな
つて、その
法律によ
つて委員会を構成する。その
委員会には証人を呼ぶ権限を與える、そういうことにいたしまして、徹底的に
調査する。これなら間違いないというところまで御
調査にな
つて、それで
国民の納得できる
最高裁判所をつく
つていただきたい。これが私の願いであります。