○
加藤(充)
委員 これは
質問ではありませんが、民族
資本を当てにしても、どうにもならないと言
つたようなことは私はないと確信します。確信とい
つたところで、どうもはつきりしないというかもしれないが、そういう話をした記憶を私は持たないのです。むしろこういうような
商法の
改正のときには、
田嶋委員が言われたように、いわゆる
少数株主権の保護ということ——それは
生産管理に対して
労働組合や労働対策の一端としてこれを採用する場合の
懸念などを
ちよこまかしく
考えておるよりも、むしろ大きく
外資に対して、民族的な
立場でこの案件を
検討する必要があるのである。幾ら大きな
資本家とい
つたところで、総体的にごく
少数のものしか、
日本ではいわゆる大
会社というものはない。そこでどうしても強力な
外資が入
つて来るような場合、それは
商法の技術面のわくの中で、どういうふうに
改正するかということを
考える必要がある。そういうことを言
つたのでありまして、ましてやあなたの言われておるように、
ちよつと気がきいた大
資本家がないという、それはそれなりにして、それぞれの
会社なり
企業を営んでおるものが多いことは、かえ
つてこのたびの
商法の
改正などが、
外資という問題を民族的な
立場に立
つて考える、そういう
意味合いで民族
資本というものを
考えなければ、
外資のために荒涼たる
日本の
企業なり、
産業界というものが出現してしまう。そういうことを言
つたことはあるのですが、それ以上の話をした記憶はないと思います。
それはさておきまして、明治の初めに
民法編纂があ
つたときに、われわれの先輩は、
内容のよしあしにかかわらず、あの有名な法典論争ということをや
つたことを、民族の歴史の中にわれわれは持
つておる。また最近では御
承知のように、第一次世界戰争後における
ドイツ経済の建直しという
意味で、あそこでもやはり英米法系統の
商法の
導入の問題があ
つたのを、世界的な、歴史的な経験としてわれわれは持
つておるのであります。で次のような事柄をわれわれは
考えて見る必要があるのではないかと思うのです。やはり第一次世界戰争後における
ドイツの
経済というものは、
資本の窮乏に悩んで、生産の維持と、能う限りの増強に必要な
資本を獲得するかせぬかということが死活問題であ
つた。しかもその当時どこの
資本が入るかということになりますれば、諸
外国よりの
外資導入でしようが、何とい
つてもいわゆるポンド・レートの引下げ問題がドル相場に対してありました以前のことでありますが、あの当時においても、英仏と
ドイツとの
資本主義の対立という問題で、英仏の
資本の
導入というものを、いろいろな面からやはりそのものとしては受取れなか
つた事情もありましよう。いずれにしても、あの当時やはり米国に
外資の
導入を期待せざるを得なか
つた。こういう
状態があ
つたと思うのです。それで私は
ちよこまか読みましたことをここでごひろうするつもりもありませんが、一九二四年の第三十三回の
ドイツ法曹大会では、
株式による
資本の調達を容易化するために、立法の変更をなすべきかどうという問題で大論争をや
つたことがあります。その中に、いかに
外国投資家を顧慮するにしても、われわれは
ドイツの
株式会社保護を
外国人たちのために放棄しようとはしないという発言をした人もある。またフレヒトハイムという人だそうですが、問題は米国
資本を得られるかどうかということではなく、いかなる条件をも
つて得られるかということが問題である。こういうようなことが活発な討論になりまして、そこでまた無
額面株というのは採用に至らなか
つた。それから二年ほど
たちまして、一九二六年の第三十四回の法曹大会では、
株式法の将来の
改正にあた
つて、根本的な問題について英米法に接近すべきかという論争がテーマに取上げられた。そしてその結論は、
ドイツ株式会社法の一般的
改正は現在その必要がない。英米法の
規定は
ドイツの
状態に移すには適当ではない。それは尊重すべきであ
つたにしても、一般的に模倣すべきではないということが結論づけられたということをわれわれ聞いておるのであります。そういう点をわれわれはここで十分に
考えなければならないと思うのであります。もちろんあの当時と今とは全然時代の隔たりもあり、世界的に
政治的な
経済的な環境も違うことは違うにいたしましても、さきに読み上げました
法律時報の
座談会の
記事の中に
石井さんが発言しているところですが、何も
商法をかえなくても、臨時
措置法でいいのではないかと
考えられる、結局は
政治の問題に帰着する。こう言われております。しかも引続いて、こういうような大立法だから一年か二年おいて、大いに
検討することが望ましいのですが、その時間的な余裕もいろいろな事情から制約されるということにな
つてしま
つたという
趣旨の発言がありまするが、私は聞くところによりますれば、この
商法は来年の七月一日以降実施することはできない。それ以前に施行しなければならないという
規定もここに加えられておりまするし、しかも承るところによりますれば、至急に上げなければならぬということが急遽この
委員会の雲行きあるいは国会の雲行きの中に出て来たかのごとく見受けられるのです。以上申し上げましたような、歴史的な
日本人の経験、あるいは世界の経験、そしていろいろな人の発言をつまびらかにいたしまして、私
どもは先ほど申し上げましたように、
商法の一部を
改正する
法律案というようななまやさしいものではない、一大立法だ、こういう点から私は民族的な
立場、同時にその歴史的な転換の中に、われわれはいかに善処して将来の民族の
発展をこいねがうかという点から、慎重に
審議さるべき性格のものだと思うのです。
質問がたいへん長くなりましたが、急遽これを上げなければならないという雲行きが
政府にあるとすれば、
政府はその
責任をみずから背負い切るだけの勇気と自信があるのか。また国会や当
委員会においてそういう雲行きがあるとすれば、将来ゆゆしき問題だと思いますので、その点についての御見解をひとつ承りたいと思います。