○小川原
委員 私は本案の採決にあたりまして、一応討論をさしていただきたいと
考えます。
午前中に建設
委員長から提唱されました事柄につきましては、
委員長初め
江花委員そのほかの
委員の
方々から、本法が通過いたしました後において、決して何らの拘束力がないのだということを繰返していただいて、私もその
通りと
考えておるのでありまして、本案が通過後におきましては、何ら拘束力なしと再確認をいたしまして、討論に入りたい、かように
考えるのであります。
北海道が開発されましたことは、徳川幕府から明治の初年にかけてできたことではありますけれども、新憲法の
趣旨と何ら異
なつたことはない。北海道の特有性というか、それはほかの三つの島と比べてみましても、何ら異なるところはなく、実に文化国家の建設であつたと思うのであります。それは何であるかと申しますと、明治天皇が明治二年に詔勅を賜わりまして、北海道を開拓せいということをだれに対して言われたかというと、宗教家であるところの東本願寺の大谷光瑩氏に対しまして御下命に
なつた。こういうことは、実に北海道の最も特殊性であります。そこで大谷家では、百二十人の人を集めまして、そうして中仙道を通
つて、信州を横切
つて、越後を越えて、酒田から北海道に渡るのに一箇月の間かか
つたのであります。そうして遂に函館に上
つて、道のない險しいところを、野に宿して、噴火湾に出て、これよりずつと
日本海にまた出まして、そうして小樽に行
つて、札幌におちついたのでありますが、そのときにはたつた倭人が四人であつた。その四人で拓殖を始めまして、今日は
一つもありませんけれども、東本願寺農場というものを至るところに興しまして、宗教というものと学問というものを中心にして、そうして北海道を開発いたしたのであります。こういうことは、
日本の歴史を見ましても、北海道のみの行き道であります。遂に北海道に警察を置かなければならぬ、兵隊も置かなければならぬということになりましたが、初めは屯田兵と申しまして、なるほど名前だけは、兵という字がつきますけれども、これは軍国主義のものではないのであります。農家であります。この特別な
組織によ
つて開拓をや
つたのでありまして、北海道の農村に行きますと、今日におきましても、かぎをかけておりません。屯田兵というものは、かぎをかけぬで寝ておつた。こういう文化が一体世界のどこにあるかということです。これは宗教とか学問とかいうことによ
つて、文化的開発をねらつたからであります。またこれを軍事的に見ましても、旭川に師団を置いたということは、これは戰争の場合を
考えますと、こんなものは何にもならぬ。こんなところに師団を置くということは、ばかの骨頂です。北海道の開発は何ら軍事的ではないのです。北海道を開発して、
日本の国民が将来どうして文化的に行くかというところにねらいを置いたということを、まずも
つて考えなければならぬ。また千島は、武力でも
つてと
つたのではないのであります。これはお互いに納得して、條約によ
つて交換をいたしたのであります。
日本の領土になりましてから、この千島というものは大切なものでありまして、もしわれわれが侵略主義であつたというのならば、その木なども、みな切
つてしまうはずでありますが、千島だけは木を存在さしておりまして、一本の木といえども切
つておりません。また一年に二億からのカン詰を、人類のために北海道は輸出しておる。それから海獸につきましても、御
承知の
通り国際條約を結びましたが、いよいよ困
つたのは、一匹の海獸が一年に十万のさけを食い荒してしまうのでありますから、これは世界人類の生存上、はなはだおもしろくないというので、そのときに海獸をとつただけであ
つて、海獸をと
つて、北海道が利益を得ようという
考えはなか
つたのであります。そうでありますから、交換をいたしましたときの
通りに、このさけがふえて行
つておるのであります。またもう
一つ申し上げてよろしいのは、私も北千島を視察いたしましたが、海岸ではさけをと
つておる。そこにくまが出て来て、とつたさけを食
つておるのでありますが、それでもわれわれの仲間は、そのくま一匹撃たないのであります。この一例を見ましても、いかに平和的に文化国家を建設しようと
考えておつたかということは、如実にわかります。
それでありますから、明治維新になりまして、クラークさんとかあるいはケプロンさんがアメリカから来まして、教育方針を定められましたが、われわれもこの教育の一端を受けておるわけであります。であるから、今日北海道をごらんくださるというと、わかりますが、他の大きな島三つと北海道とでは、住んでおる人間の行動というものが違
つておる。これはアメリカの教育方針に
従つておるのであります。また御
承知の
通りに、札幌がアメリカの計画されましたところの都市であり、今日占領地になりましても、北海道は世界中でまことに住みやすいから、札幌の附近に村をつくりたいということであり、アメリカの
方々が来て、住居を構えておられる。また北海道には総合大学もできて、いろいろほかの大学もできましたが、われわれは
最初の出発においてアメリカの指導を受けて、北海道農学校というものをつくりまして、そこから出たところの学才の人、佐藤昌介、あるいは新渡戸博士、あるいは松村何がし、こういう人はみなアメリカの学問によ
つて教育され、その子孫が今日おるというぐあいでありますから、今アメリカ軍が参りまして、北海道はまことに住みやすいところである、こう認められて、この
法案が提出されたということは、何らかここに因縁があるような感じがいたします。
こういうわけでまことに文化国家の建設の上において、この
法案をすみやかに上程してもらわなければならぬ。御
承知の
通り、今日拓殖計画が切れてしまいまして、その切れました間に、国家は北海道に金を出させております。第二期拓殖計画が終るまでに、どれだけ国家から金をいただいたかといいますと、北海道はわずかに三、四千万円の金を頂戴しておるだけである。毎年使
つておる金は、自まかないで、国民が汗水洗して得た税金でも
つて、国家にこれを納めるかわりに、北海道の開拓をせい、こういうことなんです。何も多くの金をもらつたことはない。もしそのときに国費が多ければ、北海道民はその金を国に返さなければならぬ。こういうことでおつたわけです。それで戰争になりますと、中止しまして、われわれはそれを国に税金として納めておつた。こういうような特殊性がある。それが、さつき申しましたように、敗戰後も国家にこれを納めるようになりまして、一例をあげてみますれば、せつかく野幌に木材研究所がありましたが、それをぶちこわしてしまいまして、そうしてそれを鹿児島に持
つて行つた。今度は工業試験場、農業試験場、水産試験場をほかに移そうという説がある。こういうことになりますと、非常に大きな損失が現われて参るのでありまして、一例を申し上げますならば、馬のことにつきましてもいろいろございます。原産種を置こうと思つたがその原産種が追われてしま
つて、今はどこにも入れるところがないというような哀れな、
状況にな
つておるのであります。そこでこの
法案を急いでつく
つていただきたい、こういうのでようやく
当局もこれを認められまして、これをつく
つていただくことにな
つて今日上程され、ここに同僚各位が非常に御心配をくださ
つて通過をはか
つておられますことは、まことに国家のために慶賀にたえないのであります。それから
考えましたときに、国の総合開発としての大きな計画、これはぜひや
つていただきたい。これは総合開発の一環であると私どもはかように
考えますので、東北を開発し、あるいは長崎県の開発があり、あるいは鹿児島県の開発があり、幾多の開発があろうかと
考えるのでありますが、これはぜひ国費をも
つて開発をしてもらうと同時に、その一部分であるということを
考えまして、私どもはこの国土総合開発の
法案が一日も早く出ることを望んでおるような次第であります。
そこでもう
一つ、くどくどしいようでありますがお聞きを願
つておきたいことは、北海道は米を三百万石と
つております。世界のうちで北海道のように緯度の高いああいう日照量の不足なところに米がとれることは、
日本人の力である。いかなる国に行
つてもあれだけの米はと
つておらない。こういう特殊性を持
つておる。それはどうするかというと、水温上昇です、水を暖めて水田に配る、こういう研究、いかように、電気を使つたらいかように米がとれるかという
考え方、あるいは漁業の方におきましては、にしんのようなものは回遊期がありまして、なかなか容易ではありませんか、北海道人は決して自分だけ
——日本のみを
考えておりません。このにしんを人工で孵化をいたしまして、これがソ連に行
つて子供を持
つてもよろしいし、とられてもよろしい。とにかく世界ににしんがふえればふえるだけ
日本も幸いであるというまつたく文化的な
考え方をいたしておる道民であります。こういう施設を、とくとながめていただかなければならない、そこで私どもは、これが一刻も早く
実施に移されることを非常に希望しておるのでありますか、東北と私どもとはまことに密接な
関係がありまして、何も今のように時間をかけて函館から青森に着く必要はない。函館から大間であろうが小畑であろうが、そこに上りますとわずか二時間で航海ができる。ところが青森県にわれわれが施設したいとい
つても、北海道の側で青森に施設するわけに行かない。こういう計画ができると、ここに三時間、四時間という時間の短縮ができるのであります。もし東北線が複線をこしらえなければならないということに
なつたならば、何も今日から後に石炭をたくところの複線をつくるよりも、電気をかけて電車で通うようにすれば、どれだけ金が安く、どれだけ交通が便利になるか、そういうことをわれわれは
考えておる。北海道は石炭がたくさんあるから、こんなところは電気をこしらえて
——今日は五十一万キロワットできておるようでありますが、われわれの目算するところによりますと、三百万キロワットの電気ができるのであります。もし津軽海峡に鉄道がかかることに
なつたならば、この電気はみな東北に来る。石炭もそうであります。石炭をたいて暖をとるようなことに遅れた話でありますから、石炭を液化してそれから原料をと
つて工業化しさえすれば非常に大きな増産ができる。それから石油を掘ることも民間にまかせてはとうていできないのであります。いろいろの問題がございます。また泥炭地十万町歩、これを今軌道客土をや
つておりますが、これはとても北海道地方の力ではできません。こういう開発法ができまして軌道客土
——レールをしいて汽車で土を運んで行く、こういう状態でありますし、また牛にいたしましたところで、これはアメリカにならいまして宮脇博士がバターをつく
つて、このバターが御
承知の
通り北海道特有のものであるとまで言われておるような次第でありまして、牛乳からは家具をつくりあるいはボタンをつくり人造宝石までつく
つております。これらを輸出して行きたいものである。こういうことをながめてみますと、さらに水銀が出る、クロームが出る、白金が出る、あるいは金が出るという問題もございますが、これは国の大きな力でなければ開発ができないといろいろ心配をいたしてお
つたのが、幸いにして今日百年目に遂に
国会において堂々法律化したということは、北海道人として満腔の喜びであると同時に、また国としても非常な大きな利益である。そして総合開発と一緒にこれを一貫して
運営していだだいて、一日も早くこの
法律案によ
つて北海道の開発のでき得ることを希望しておるのであります。私は原稿を持ちませんから、言葉の上でいろいろ重つた点もありますし、また粗雑の点もあつたであろうと思いますが、熱意のあまり申し上げたのでありまして、これをも
つて私の賛成討論といたしたい。かように
考える次第でありますが、何とぞ私の意のあるところをおくみとり願いたいと
考えます。