○宮入
公述人 電波法対策委員会を代表させていただきまして、これから公述に移ります。
戰争放棄という画期的な
條項を持つ新憲法のできたありがたい御代に生きたことを私は感謝し、同時にこの
電波法案が、
行政組織としては
委員会制度をとり、衆智を集めて、一方的な
官僚統制や一
党一派に偏しないで、この文化財を扱
つて行うという態度につきましては、まことに満足の意を表するにやぶさかではないのであります。ところがそういう希望と明るさをも
つて、この
法案を拜見さしていただきますときに、どうもたいへんうらはらな
感じを持つたというのが事実であります。
先ほどもどなたか公述の方が言
つておられましたが、こうも縛らなくてはできないのか。こんなによく
規則ができるものだというような御
発言があつたようでありますが、私も事実これを拜見さしていただくと、これは
電波法でなくて、うかうかと警察法か、風紀
取締法みたいでないかという錯覚に陷
つたのであります。ちよつと勘定して見ましても、
免許とか、取消しとか、監督、審理、訴訟、科料、罰金、懲役(笑声)まことに
皆さんの前で御披露するのも、民主国家の一人として非常にはずかしいような
言葉がたくさん出ております。こういう
立場でこの
電波法を見ることはよくないでありましようが、そういう
感じを持つたということを、一応前提にしておきたいの一であります。こうした形でなければ、こうした文化財の、
公共性のある、
国際性の強い
電波が
利用、
運用できないのかということになると、かなり疑問があるのではないか。それともこうしなければならないような他の目的が存在しているのか。われわれは今の状態ではよくこの点が判断できぬ。おそらく立案当局及び賢明なる常任
委員各位は、おわかりにな
つていることと思うのであります。
この
法律が一昨年二十二年に起案されました当時には、戰後の
混乱から、
電波の規制が大分乱れて、下法発振等、好ましからざる事態がしばしば起きて、これを
取締るためには、従来の
法規では不十分である。新しい
法規をつく
つて新事態に対処して、
電波の
利用を公正、能率化して行かなくてはいかぬというようなお話を承
つたのでありますが、当時立案する当局のお考えは、この
取締りの対象を客観的な事態、たとえば
設備とか、
技術とか、
機械とかという面、及び国自体が
混乱している時代の中に、その事実を発見するという努力がきわめて不足でありまして、これは單にその
設備を操作する
無線従事者の質の低下、アプレ・ゲールの
通信士がこれを操作するから、こうした不祥な事態が起きるのだという、非常に警察観念的な部面でこれを評価して、この
通信士を
取締ること、この
通信士にげんこつを與えることだけで、
電波の不法発振や、規制の乱れは救い得るという建前で立案されたのであります。そのために各界、各
方面から、労働者の生活権とも結びつきまして、猛烈な
官僚独善に対する反対運動が起きて、これは一応白紙に撤回するということにまでな
つたのであります。その後当局も相当
考慮されまして、
利害関係者、受益者、その他
一般の
立場においての人々の衆智を集めて、この立案過程の中に、よき民主的な要素を盛り込もうということを声明され、われわれもそれを期待してお
つたのでありますが、これもどういう
事情からか、きようあす伸び伸びいたしまして、遂に何だか私生兒でも産むかのごとく、こそこそとこの
法案が
国会に出てしま
つたのであります。私はこの
法案のこうした成り行きで
国会に提出された姿につきまして、はなはだ悲しむとともに、この
法案自体の今後の運命につきましても、まことに悲しい予想を持つものであります。
私は大体
法案に対しましての感想的なものをこの辺にとどめまして、具体的な内容に入りたいと存じます6この
法規は特殊な法令でありますから、
先ほどからも、わからないがこうだろう、わからないがどうするのだというような話で、事実われわれみたいにこの
法案と生活自体が結びつけられ、生活権自体を保障してもらはなければならない
無線従事者の
立場からいたしますと、この
公聽会の空気と申しますか、雰囲気というものは、たいへん心細く
感じております。勢い
言葉も同じように專門語になると思いますけれども、
委員各位におかせられましては何とぞ御辛抱願
つて、わからない点は御研究いただきまして、直接にこの法令によ
つて生活を守らなければならない
通信従事者の
立場を、御了解願いたいと思うのであります。
私はこの
法案にまず反対でございます。この反対の理由を
二つに便宜上わけて申し上げてみたいと思います。第一は、この
法案はその
法律目的の中で、
公共の福祉を増進させることをうた
つてあるのであります。当然うたうべきことをうた
つたのでありましようが、しり抜けとな
つているのは
法文の内容でありまして、
公共の福祉を増進させないのみならず、あるいは福祉を阻害するような内容を盛
つてあるということについて、二、三例を示して反対するのであります。第二は、この
法案は
電波の
利用方法について、公平かつ能率的という目標を置いてあるにかかわらず、
電波の
利用の実現の前に、直接
電波の価値を生産する
無線従事者、すなわち労働者の
立場を納得行くような形で処理していない。
電波の価値を生産するものが納得し得ないような形で、
電波の
利用を実現して、
公共の福祉が増進されるものでありましようか。これは詭弁でありません。よくお考えにな
つていただきたい。こうした
立場から、この
二つの点を基本といたしまして、二、三の例を引いて
皆さんの御了解を求めたいと思うのであります。
この
法案を見ますと、かなりの部分が船舶の
無線局について
規定してございます。
先ほど来
電波は文化財——まことに
放送というものが
皆さんの頭の中に非常にヴイヴイツドに、直接的に入
つておりますために、
電波といえば
放送というシノニムに聞えて参ることと思うのでありますが、この
電波というものが、どんなに人間の命と直接に、または莫大な財貨と直接に
関係しているかという理解の上に立つた御議論は、たいへん少かつたように思うのでありますが、ここに申します船舶
無線局というのは、まさに命がけの命に
関係する、大きな財貨に
関係する要素として登場している。
電波のおそらくは、文化的というようななまやさしいものではなく、生理的な、本能的な大きな課題が、この船舶
無線に與えられているということを御理解願いたい。これはもちろん海上の人命保全の條約、特にロンドン條約と申します。それから
国際電気通信條約、A・C條約、これらの條約に当然こうした義務がありますので、これを国内的に裏づけるために、
電波法で規律しておるのでございますが、そもそも
放送のできる前までは、
無線といえば船ということを連想したほど、それほど
関係が深か
つたのでありますが、いつの間にやら
無線は
放送に奪われて、船舶
無線という問題については、非常に関心が薄く
なつたというのが現状であります。こんな
電波の
利用について深刻な目的を持つ船舶
無線のことでありますから、これはもう少し真劍に取上げていただきたいと思います。ところがこの
法案を見ますと、船舶の安全装置として、または船舶の乘組員の命を託する装置として登場しているこの装置に対しまして、この
法案の
規定をそのままうのみにいたしましても、はなはだその生命の保障、財物の保障という面において、欠けている点があるのであります。
まず三十四條をごらんいただきますと、三十四條は、船舶
無線の補助
設備は、義務
無線または義務
無線でも、漁船は予備装置なしでもよろしいとは書いてありませんが、予備装置が強制されていないことは、その文字ではつきりわかるのであります。今までの旧
無線電信法においては、船舶の
無線は補助
設備を持たなければならないとはつきり強制してあります。補助
設備という文字の面から、
皆さんどうお考えになるかもしれませんが、これは非常に備えた、あぶない場所においての装置であります。補助装置というよりは、むしろ非常装置と言つた方が、
皆さんには非常に
感じがよいと思います。ただこの非常装置をつけても、つけなくてもよい船がある。それは千六百トン以下の船、それから
無線を強制されていても、つけなくていいというのは漁船でありますが、私は当面商船に限
つてお話をいたします。千六百トン以下の商船には、つけなくてもよいというふうに緩和されたのであります。この
統制の緩和は、
一般的な面での
統制の緩和というような観念を持つとたいへんであります。これは安全に対する緩和、生命の保障に対する緩和であ
つて、命がけの海上労働者にと
つては、これほど大切な問題はないのであります。いざという場合に、本装置が動かなかつたら、命が助からぬという場合に、この非常装置がいらないというのですから、これは海上に命を持つ者にと
つては、こんな大事な問題はないのであります。
さてこの緩和
規定を受ける船は、一体どんな船かと申しますと、
日本の商船隊の中で千六百トン以下のもので、この適用を受ける船が五〇%、二百七十二隻であります。この中には
皆さんもかねがねお耳に入
つておりましようが、俗に棺おけ船と言
つている船がある。なぜ棺おけ船と言うかというと、乘つたままで地獄か天国に行かれるという悪口から生れた
言葉だそうでございますが、戰標船の改E型八百八十トン、これが
日本にはまだ二百三十五隻もある。このあぶない船が一応予備装置をいらないというわくの中に入れられおります。たまたま改E型の話が出ましたから、もう
一つお耳に入れておきたいのですが、この改E型は、今言うように予備装置がいらないというばかりでない。あとで五十條にも出て参りますが、
無線通信士の定員を裏づける
運用時間の面でも八時間と
規定されて、船主側では八時間労働に切りかえられますときに、現在二人いる
通信士が一人になる。こんなあぶない船に安全装置もなしに、
通信士も今の半分でよいという
規定が、戰後のこうした民主的な、生命の尊さをつくづく味わなければならない世の中にな
つて、この
電波法の中に見られるということは、私今まで夢にも思
つていなかつた。
第二には、ついでに出ましたから五十條の
規定に移りたいと思いますが、この五十條はごらんの通り、船舶
無線局の
運用時間に従
つて種別したものであります。
先ほど船主協会の代表の方の公述の中に、
国際條約にもないような大勢の
通信士を配置するようなこの種別の
規定は、やめてもらいたいというようなお話のあつたその
條項であります。この
運用時間に従
つて種別したものを見まして、
日本の商船像五百四十八隻をこの種別で色わけいたしますと、第
一種船、すなわち二十四時間無休で
無線装置が働くという船は全体の一四・二%、七十八隻しかございません。第二種甲、すなわち一日のうちの三分の二の十六時間だけ働けば、安全は保てるのだという立案者側のねらいに適合するものが、全体の三五・九%であります。それから
最後の第二種乙、これは一日八時間さえ
無線が働いておればいいのだ、一応船舶に施設した
無線の役割は果せるのだというのが全体の四九%、二百七十三隻となるわけであります。
先ほど申し上げました棺おけ船は、もちろんこの第二種乙の、八時間組に入るわけであります。これで行きますど、小型で堪航生性乏しいあぶない船ほど、その安全装置としての
無線は最低でよいという、まことに妙なロジツクになるのであります。このままこの
法案が通過するということになりますと、現在安全要員として海上に配置された船舶
通信士の四一%は、一応その職場から解かれます。今四一%の
通信士が職を解かれるという問題を云々するわけではありませんが、この四一%という形は、船の
無線に依存する安全率を、四一%減したということと同じことになるということだけは、御記憶願いたいと思うのであります。
この
法案の第五十條の御
趣旨は、当初千六百トン以上は義務
無線というか、全部無休で働かなければならないという
規定にな
つておるのであります。そこで船主側が採算上の理由で、
電波庁に押しかけまして、現在のように改まつた。立案者側と申しますか、
電波庁側は、われわれ労働者側に対するときにはたいへん御愼重でありますが、船主側のふところ勘定の泣言に対しては、きわめて御同情的であるという
感じを受けたのは、私だけでございましようか。いやしくも第
一條の目的の中で、
公共の福祉を増進させようという看板を掲げておられる建前から、一船主、一資本家の
利益と、海上で死ぬか生きるかの
立場に立
つている人の
利益が、こうも違うという形で表現されるということは、きわめて非民主的だと私は考えるのであります。
日本列島をごらんになればわかりますけれども、南西から東北に伸びる暴風の通路そのままの地形と地理的條件を見ていただきたい。気象の激変や海流の変動、群島の散在等の自然的な悪條件に加えて、航路標識はおそまつ、海上保安施設は頼むに足らない。機雷は流れる、棺おけ船的船質、こういう悪條件のため、
日本の近海航路というものは、
世界の中で最悪の海難率を示しており、海難の上でずば抜けて大きな
世界最高記録を持
つているのが、
日本の近海航路であります。この附近の海難によ
つて失う一年の損害だけでも、数十億に達するはずであります。船主側に言わせれば、そうした損害は保險会社がカバーするから、なるべく経営費の中が余
つて来ることが望ましいという形で、首切りというか、人員減らしということをお考えになるのでありましようが、いやしくも
国民的な
立場に立
つて考える場合に、この数十億に上る海難の損害を一割減らすことができるならば、これはこんな首を切るどころでなく、この三倍も四倍もの人間を集めてや
つても、十分
国民経済は成立つ。こういうことを考えるならば、ここで一人減らすとか二人減らすとか、五千五百トン以上は二種甲にしろとか、こういうようなまことに素町人的なそろばん勘定は、
国民としてまことにおもしろくないのであります。
こういう次第で、五十條においてこの種別をきめるという精神につきましては、この
法案に反対するばかりでなく、私は三十年海上生活をしておりまして、海上生活の第一歩から主張して参りましたことは、
無線通信士は安全要員として、いかなる船においても無休の執務、無休の当直、無休の聽守を行えと主張して来た人間であります。私はこの事実を身をも
つて、二人しかない場合でも無休でこれを行うということを、自分自身で実践して来ましたゆえか、また偶然かもしれませんが、私は三十年の経験の中で、あぶない思いをするような海難を一度も起した経験のない一人です。私はそれだけのほらが吹ける。私はこの経験をどういうところで得たかと申しますれば、私が上海丸という船に乘りましたときに、船長が
日本一の名船長で、十八ノツトの日韓連絡船に十年余り乘
つて、千航海以上無事故でやつた。この船長のもとで私は
通信士として勤務したのですが、
通信士は一人しか乘
つておらない。そのとき船長が私に言うことは、局長——
通信士のことを局長といいますが、局長、おれはつんぼでは航海ができない。それをお前、さしてくれ、こういう話。つんぼでは航海できないということは、
無線通信士が当直室にいて当直していてくれなければ、船の安全のためにや
つてお
つてくれなければ、私は航海できないのだ。こういうわけで私は一人でしたが、短かい航路でもありましたから、二十四時間
一つも寝ずに勤めて来たのであります。その船長は神戸に帰りますと、必ず奧さんが私を出迎えに来て、一夕私の労をねぎら
つてくれた。このくらい船長が
無線を
利用することを知つたればこそ、千何航海十八ノットでも
つて、神戸、長崎、上海というような、最も難航路を無事故でやれたのでありますこのことをよくわきまえておられたならば、
一種船を二種船に下げるだの、二種乙に下げるだのというような、小さいそろばんではなく、いつそ
通信士を三百人も乘せて、船を安全にした方がよい。私はそれだけの自信を持
つておる。それで十分に
日本の海運経済が成立つ。従
つて船主さんも十分そのおこぼれを頂戴するから、御心配なさいますなと私は申し上げたい。
それから
先ほど黒川さんの御公述の中に、よく
外国の例を引かれまして、アメリカではこう、ノールウエーではこうというようなお話でありました。今ごろの
日本におきましては、あちらのお話が出れば、こちらはぜひおじぎしなければならないという通念がございますので、ちようど昔軍部とさえいえば、人民はおじぎしてしま
つたのと同じような戰術で、あちらのお話をなされたことだと思うのであります。戰術としてはまことにけつこうだとは存じますが、どうせあちらのまねをおやりになるなら、頭数だけをおまねにならずに、あちら並の
設備、あちら並の船員の待遇、あちら並の船、あちら並の施設、それらのあちらの実態をよくおまねに
なつた上で、頭数には
最後に来ていただくようなら、まことに話のわかるお話だと思
つております。どうか頭数というような、あまり卑近な例の中で、そろばんをおはじきになることはお愼しみ願いたい。
私はさらに三十七條の自動警急受信機のことについて申し上げたい。これも
先ほど黒川さんからお話がありまして、オート・アラームを備えつけたら人一人ぐらい減らせる。まことにどうも、何のためにオート・アラームをつけるのか、何のために
通信士が乘
つておるのか、何のために
無線設備があるかということの根本をおつかみにな
つておらない。一体このオート・アラーム——自動警急受信機は、
皆さんも御存じの方は少いと思うのでありますが、これは
通信士が当直しないときに、ある
一定の安全信号に対して、べ、ルがバラバラと鳴りまして
通信士を起して、非常の
通信を聞くようにな
つておる
機械であります。これと関連しては四十條の
規定に、聽守員という人間がおり、免状がある。この聽守員というのは、安全信号にだけ耳を傾ける
通信士の
制度なのであります。一番初めに大正の末年から、この聽守員
制度というものが採用された。これも
通信士の不足ということと、船主のふところ勘定と合せて採用されたものでありますが、これが安全信号、遭難信号、緊急信号の三種類だけ聞いておれという
立場で乘
つてお
つて、これが何にもならなかつた。何か人間よりも
機械の方がいいだろうというわけで、それこそ
外国にまねてオート・アラームがつけられた。ところがこのオート・アラームが一向働いてくれないという事実は、私はたくさん知
つております。まだこのオート・アラームのおかげで人が助かつた。オート・アラームが活躍した。オート・アラームが有効であつたという材料については、
皆さんはどうか知りませんが、私はまだ不敏にして聞いておりません。それよりもオート・アラームのおかげでどんな目に合つたという話は、私はたくさん知
つておりますから、時間さえあれば申し上げたいのであります。
外国ではちやんと使
つておるではないかと言われますか、
外国ではどう使
つておるか知りませんけれども、私が
外国の
通信士の方に会
つて聞いたときには、少し時間が離れて十年ばかり前ですが、英国においても、これはオート・アラームでない。フールズ・アラームとか、アウト・アラームとかいわれておる。なぜそういう不安全な装置の中で、
通信士自体のあなた方は満足しておるのかと伺つたところが、私はマルコニー会社に附属しておるが、マルコニー会社は
機械を貸した方が、人間を貸すよりも得だからしかたがないさとお笑いにな
つておつた。この中にも実際人道の問題というよりも、もつともつと切実なそろばん勘定のあるということは、見逃せないと思うのであります。
こうしたオート・アラームや聽守員
制度というものが、
日本においてもどんなに役に立たないものであつたかということは、この
法律をおこしらえに
なつた立案者が、実に身をも
つて味わい、身にしみておるはずなのであります。にもかかわらずこの新しい
規則の中に、またおめおめと登場しておる。登場しておればこそ、船主はこのオート・アラームを使
つて、人を減らせということになる。しからば
皆さんはこのオート・アラームに自信がありますかと聞くと、最高当局者でも決して
責任ある御返事をなさらない。この間
電波庁長官に対して、
国会共闘
委員会の
皆さんがお会いに
なつたときも、このオート・アラームは人の代用をするとか、そうした積極的な安全性を保障するというふうには考えておらぬというようなお話があつたそうであります。これはあつたそうです。その
程度の御認識ならば、何のためにこの
法律の中にうた
つたのか。むしろもつと人間のかわりになるような
機械ができたときに、これを入れてもおそくはありますまい。私はその意味でこのオート・アラームという
制度が、海上の人命と安全に対して、どんなにマイナスの形で、まことに不幸な形で、この
法案の中に飛び出しておるかということを
皆さんに訴えて、これを削
つていただきたい。また聽守員級の
通信士、ただ安全信号だけを聞いておれば済むというような
通信士がどんなものであるか。
通信士の質の低下即船の安全の低下ということをおぼしめして、こうした形の
通信士の登場することも、やはり削
つていただけるものなら削
つていただきたいのであります。
まだ申し上げたいことがありますが、時間が長くなりますので、以上のような理由をもし御検討くださるならば、この
法律が
公共の福祉を増進するために存在しておるのだと称しがら、
公共の福祉を阻害しておる面、あるいは
公共の福祉を保障していない面があるということを、この二、三の理由の中からもおくみとり願つたものと私は了承したいのであります。
次に私は
先ほどの第二段の点を、簡單に申し上げたいと思うのであります。この
電波の価値を直接生産する労働者、
無線従事者の取扱いを、納得の行くような形にされないならば、
電波の
利用は実現しないであろう。
電波の
利用の実現しないところに、
公共の福祉の増進は夢のような話であろうということを、
先ほど申し上げたのであります。この
無線従事者の取扱いについて一応申し上げてみたいと思うのであります。
先ほどからも出ましたが、この
法律案の中に
免許の更新という項目があります。五年目。ことに
免許は更新する。その中で二年半以上の有効実歴を持たない
通信士は免状を取上げられ、再び
国家試験を受けてもらいたい、こういつた形があります。これは一体どういうところからそういう理由に
なつたかと聞きますと、
無線従事者は
免許を受けた当時の知識を永久に持
つていなければいけないのだ、長くその
仕事に従事しないとその知識は低下するから、
試験をするのだ。こういう建前でこの
制度ができているのだそうであります。私は、知識というものをもう少し分解して考えてみたい。学校で習う知識、あるいは
免許を受けたときの知識や技能というものが一番最高であるならば、見習い期間はいらない、経歴なんていらない実歴なんていらない。にもかかわらず学校を出て来た、
免許を受けて来たはずの人が、役に立たないという知識なのだ。これは今後伸び行くための基礎的な知識なのだ。実用の
世界に出ましては——私は
一つ覚えた三十何年も前にこういう公式を覚えた。2πνルートCLこれが波長の公式なのです。この波長の公式を知らなくても、ちやんと目盛りや測定波器があれば、波の長さを示してくれます。私はこんなものを一々頭に詰め込んでいて、実務に当る場合には、この日常生活に消化されない知識のゆえに
仕事ができない。知識というものは、
免許を受けたときの知識を実用にこなすということが一番大事なのだ。その実用にこなすというのはいけないのだ。2πνルートCLに帰れというわけです。私はこんなわからない話はないと思う。日常生活に消化された知識というものが、二年や三年の間その職にいなかつたからとい
つて、落ちるものか落ちないものか。ここにおる
皆さん、
委員各位におかれても、十分御
承知のことだと思う。なおこの場合に私不思議に思うのは、長くその職務に従事しない場合はというが、従事しない場合もあるでしようが、私は長くその職に従事できない場合があると思う。これを想定したであろうか。病気であればその
仕事に従事できない。部署がかわればほかの
仕事に移るだろう。船員だから下船しているときがある。予備員の期間がある。こうしてその
仕事自体に対して従事できないという
事情が、
社会的な條件で、個人的の
事情でなく起
つておる。その
事情を何ら濾過することなく、従事しないというような自動的な
言葉をも
つて、これをごまかしている。われわれは従事できない場合をどうしてくれるのだということを言うのです。こうしたことを考えるならば、二年や三年の間、それの知識にいなかつたから、あらためて
国家試験をする。私は今実際一級の
通信士ですが、
国家試験を受けろといわれましても、まことに悲しいけれども、私は受からないでしよう。しかしながら私は船に乘
つて、お前一級
通信士として三十年来の経験を生かしてや
つてみろと言われたら、おそらくだれにも負けないでしよう。この事実を、この知識を、この技能を、一体
免許という問題を課題にして、どう取上げるか、どうこなすかということを、
委員各位に実際御判断願いたいのであります。
なお、長く従事できないというその
事情は、
先ほど来申し上げます通り、四一%も人を減らすような法則をこしらえたために職場から出て来るとか、その他いろいろの
社会的な
事情が合理化の線に沿うて出て
行つて、その合理化というものによ
つて首切ろうとしている。こういうことを看取するならば、
免許が受からないという形で、その
仕事に従事できないという形で、いかに多くの人がちまたにあふれるのか、
皆さん御想像願えることと思います。これは悪
條項であります。これはわれわれのためはかりでなく、他の
技術の方の
関係の人についても同様のことが言えると思いますが、これはぜひとも
皆さんに削
つていただきたいと思います。その地下三級
通信士につきましては
先ほど話がありましたし、私はたいへん時間をとり過ぎていますので、かねがね請願
手続をもちまして
皆さんのもとに配
つてある書類がございますし、この中に委曲盡して申し上げてありますから、なお一応御検討願えれば仕合せと思います。
元来船乘りで、
言葉の使い方になれませんので、
皆さんのごきげんを損じたかと思いますが、かくのごとき悪法が出るか、改正されるか、どうか
皆さんの御書方を願いたいということに盡きるわけでございます。御溝聽を感謝いたします。