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1950-02-08 第7回国会 衆議院 電気通信委員会公聴会 第2号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十五年二月八日(水曜日)     午前十時二十三分開議  出席委員    委員長 辻  寛一君    理事 飯塚 定輔君 理事 高塩 三郎君    理事 中村 純一君 理事 松本 善壽君    理事 受田 新吉君       池田正之輔君    中馬 辰猪君       降旗 徳弥君    土井 直作君       田島 ひで君    今井  耕君  出席公述人         全国ラジオ電機         商業協同組合連         合会会長    小川 忠作君         東京大学教授  川島 武宣君         日本放送労働組         合副委員長   河田  進君                 新名 直和君         科学研究所主任         研究員工学博士 辻  二郎君                 長谷川才次君         藤原歌劇団主宰         者       藤原 義江君         評  論  家 村岡 花子君         評  論  家 柳澤  健君  委員外出席者         専  門  員 吉田 弘苗君     ————————————— 本日の会議に付した事件  放送法案について     —————————————
  2. 辻寛一

    辻委員長 これより昨日に引続き、電気通信委員会放送法案に関する公聽会を開会いたします。  この際公述人諸君にごあいさつを申し上げます。本日は御多用中にもかかわらず、当委員会公聽会に御出席くださいましたことにつきましては、委員一同を代表いたしまして、委員長より厚く御礼申し上げます。  申すまでもなく、本法案は同時に提案されております電波法案とも関連いたしまして、国民が重大な関心を有する放送事業を根本的に改革整備せんとするものであります。すなわち現在独占的に行われております放送事業国民一般にも自由に開放し、国民的、公共的な放送企業体と、自由な文化放送企業体との一本建とし、これによつて放送事業民主化並びにその発展を期し、国民に十分な福祉を享受せしめんとするものであります。従いまして現在社団法人である日本放送協会は、この法律によつて規定せられる公共性の強い特殊法人となり、各種の特権を與えられるとともに、必要な監督を受けることといたしております。また一方一般放送事業者には、若干の規整のほか、自由にその放送事業を行うことを保障しております。  思うにかくのごときは画期的な改正であり、国民に與える影響も大きく、種々なる観点よりの御意見も多々あることと存じます。  本委員会本案重要性にかんがみ、愼重審議を進めておるのでありますが、なお広く国民の輿論を反映せしめ、また多年の御経験と御研鑚に基く各位の御意見を拜聽いたしまして、審議の方全を期したいと思い、公聽会を開き、各位の御足労を願つた次第であります。公述人諸君におかれましては、本案についてあらゆる角度から忌憚なき御意見を御発表くださるようお願いする次第であります。公述の時間は一人二十分程度とし、公述の後に委員諸君より質疑があることと思いますが、これに対しても忌憚なくお答え願いたいと思います。  なお念のために申し上げますが、衆議院規則の定めるところによりまして、公述人発言ようとするときは、委員長の許可を得ることになつております。次に、公述人発言は、その意見を聞こうとする問題の範囲を越えてはならないのであります。もちろん本法案電波法案電波監理委員会設置法案とともに、電波法案として一体的なものであり、全然切り離して考えることは不可能でありますから、御意見が他の法案にも及ぶこともあろうかと存じますが、本日は放送法案について御意見を伺うのでありますから、あくまで放送法案中心にお願いしたいのであります。また委員公述人に対し質疑をすることはできますが、公述人委員質疑することはできません。以上お含みおき願います。次に公述人諸君が御発言の際は、便宜上劈頭に職業または所属団体並びに御氏名を述べていただきたいと存じます。なお発言の御順位は、かつてながら委員長御指名の順序に発言台で御発言を願います。  それでは藤原義江君、お願いいたします。
  3. 藤原義江

    藤原公述人 私は歌唄いの藤原義江でございます。本日十二時から放送局へ入つて、十二時半に放送いたしましてから、一時から日比谷の公会堂で公演があります関係上、時間がありませんので一番最初にやらしていただきます。本来なら人が何千人いても驚かない私でありますが、ここへ入つてみますと、どうも全然かつてが違つていて、何か非常にこわいところへ、惡いこともしないのにひつばり出されたような、ことに名前の下に公述人と書いてあるし、今村岡先生とも話しておつたのですが、すつかり上つちやつて、何を言つていいかわかりませんし、どうもものものしくて非常にやりにくいので、私の思つているところの半分もしやべれないと思います。歌を唄わせればとにかく、ああいうところでしやべらしたらなつていないということを、初めからお考え置き願いたいと思います。原稿も持つておりませんし、今ここへ来てちよつと二、三行書いたようなわけでございますから、もちろんまとまつたことは申し上げられません。  ただ放送には非常に縁が深いわけでございますから、いやいやながらこういうところへ引き出されて来たようなわけで、実はゆうべもおそくまでやつておりまして、十時にここへ来るということは、私にはたいへんなことなのでありますが、今申し上げましたように、おそらく日本放送というものをした一番最初じやないかと思いますが、大正の末期かあるいは昭和元年か、はつきり覚えておりませんが、帝国ホテルの大ホールへ朝野の名士を約一千名集めて、そこで神戸から来られた何とかという技師が、初めてこれから日本における最初放送というものをごらんに入れるというので、私と当時の男爵大倉喜七郎氏と二人で帝国ホテルで立ちまして、それではただいまここにいる藤原君が、帝国劇場の屋外から歌を唄つて本人の声を聞かせますから、皆さんお待ちくださいと言つても、そこべみんなを待たしておいて、私が車で帝国劇場の屋上へ行つて、電話機を持つて歌を唄つて、それを帝国ホテルにいる諸君にお聞かせした。これが日本放送の初めかどうかは知りませんが、少くとも電波を通じて歌を唄つた最初ではないかと思います。そういう因縁があるので、きようここへ出て来てしやべる気になつたのでありますが、御承知よう民間放送というものができるということになつて、われわれとしてはお得意がまたふえるので、非常に喜んで、今から民間放送ができたらもつと金が入るだろうとみんな喜んでおるような始末でありますが、これも皆様もうすでに御承知ように、わが国音楽文化と申しますのは、非常にレベルが低く、多いところは、東京などではシンフォニー三つもありますし、オペラも及ばずながら私が十七年続けて、現在もやつておりますし、その他音楽界、形の上では世界の一流の国のどこにもひけをとらないのでありますが、内容においてはまつたくおはずかしいようなわけであります。しかもそれが全部東京に集まつてしまつて、一たび東京を離れまして、仙台あるいは靜岡まで行きますと、もう全然レベルが低くて、一昨日も歌劇椿姫、これはだれでもよく知つておるオペラでありますが、それを持つて靜岡へ参りましても、なるほどオペラというものはピアノでやるのではなくて、オーケストラでやるのですか。聞いてみますと靜岡オペラを公演したのは一昨日が初めてだ。そういうようなわけで非常に都会、ことに東京に集中されておりますけれども、地方では全然そういう惠みに浴されていない。それを地方の人にそういう音楽文化を曲りなりにも全部、鹿兒島から北海道のはてまで聞かせるためには、これはどうしても放送によるほか現在ありませんし、またそれを高めて行くのも、放送の力をかりるよりほかしかたがないと思うのです。  民間放送ができまして、どういうふうに放送ができるか私は存じませんが、私の知つておる範囲で行きますと、私も大体世界を十ぺんまわりまして、その間にほとんど世界の各国において放送をいたして参りました。アメリカ放送をしたのが一番多く、その次はイタリア、南米ブエノスアイレスあるいはリオデジャネー口、フランスでパリー、ロンドン、それからプラーグ、ストックホルム、まだあると思いますが、大体そういう所で放送して参りましたが、今度の日本民間放送でございますと、幾つできるか存じませんが、おそらく規模から行きましたら、アメリカ民間放送ような大きなものでなく、ブエノスアイレスで現在行われておるような、ああいつた放送会社ができるのではないかと私は想像しております。そうしますととてもこの放送農村漁村にまでわれわれのオペラだとか、あるいはシンフォニーだとかいうものを送ることは、将来はともかくとして、今のところはむずかしいのじやないかと思いますし、何か電波の方の関係もそういうことだということをちよつと伺いました。そうしますとやはり現在のNHKにわれわれとしてはたよらなければならない。  ところがそのNHK放送しておるわれわれの状態はどうかといいますと、一名これは薄謝協会といわれておりますが、とてもあれだけの放送料でもつていい文化をやれと言つて——もちろん金の高によつてつておるのではありませんけれども、とても大した放送料で、これはわれわればかりでなく、放送料が非常に安いということは定評であります。私は何もここで放送料を上げてくれということを申し上げるのではありませんけれども、実は辻さんから厖大なパンフレットをいただきまして、歌さえ満足に覚えないのに、とてもあれだけの、どこをあけてみてもむずかしいことの書いてあるものを読むことはできないので、まことにおはずかしい、また無責任のようですが、全然読んでおりません。ただ一つ法送法案というのを開きましたら、そこに音楽のことが書いてありまして「音楽、文学、演芸、娯楽等の分野において、最善内容を保持すること。」と書いてありますが、とてもあれだけの放送料では、最善内容なんかもつてのほかで、また放送を扱つておる放送局の方々の方から行きましても、おそらくそうだと思うのですが、たとえば放送料一つ上げるにしても、あるいは今度の君の方のオペラはこういうものをやつてもらいたいと言つても、あつちで判こをもらい、こつちで判こをもらい、向うでこれは何と申しますか、委員と申しますか、理事と申しますか、政府側で非常に縛つてつて縛り上げるだけ縛つておいて、そうしてきまつた金でお前たち公共団体だからいいものをやれと言つても、放送をやる人にとつても非常にやりにくくて、ああ規則ずくめで縛り上げられたのでは、おそらくわれわれの言うことも放送局としては聞いてもらえないのじやないかと思つておるのでございます。  そういうわけでいい放送、ことに民間放送ができますから、われわれの一番望むところは、放送局がたくさんできて、もつといい音楽文化都会だけが占有しておるものを農村漁村はてまでも、日本音楽文化を上げるためには、放送の力にたよるよりしかたがない。これも御承知よう日本交響楽団などという現在日本が持つております最高の音楽団体、これもよその国と違いまして、おはずかしい話なが、交響楽団とかオペラはみな国庫の補助あるいは市の補助、県の補助でやつておりますが、われわれは十五割の税金、その上に取引高税までとられて、オペラ交響楽団をやつておる。実に口では文化々々と言つておりますけれども、わが国文化運動くらい金をとることばかりに縛り上げられて、何ら補助を受けてない文化団体というものは、おそらく世界にはないのじやないかと思うのでございます。私の申し上げておるのはおもに音楽方面のことでございます。  そういうわけで、結局今われわれは何にたよつてオペラなり、交響楽団をやつておるかというと、御承知よう日本交響楽団NHK補助がある。それがあればこそあれだけのものを維持しておる。放送によつて得るお金で経営しておるというようなわけですから、私としてお願いしたいのは、放送によつてどんどんそういういい文化ができて参りますためには、規則規則で、もちろん民間放送のことは存じませんけれども、NHKの場合で行きますと、いい放送をさせるためには、もうちつと何とか金を出してもらつて、われわれにもせめて電車へ乘らなくても済む。自動車で行き帰りができるくらいの放送料を拂つていただくことと、それから放送に携わつておる人々が、この法案を見ますと、何でも全部規則によつて縛り上げられて、あれではとても困るのではないかと思うのと、この二つのことでございます。先ほども申し上げましたように、東京を一歩出ますと、日本音楽文化というものは、非常にレベルが低いようなわけで、これを上げて行くのには放送にたよること以外にはないと思います。ますますこれから放送というものは、たくさん放送会社ができて来ますと、やりようによつて文化程度が非常に下つて行くのではないかということを言う人もございます。それはやりよう一つでそういうこともないと思います。のど自慢けつこうでございますが、ひとついい意味の、もつとレベルの高いのど自慢もまた必要なのではないかと思います。  ごらん通り原稿も何も持つておりませんし、行き当りばつたりでこの発言台へ立たされて、裁判所へ行つたらおそらくこんなものではないかと思うのですが、思うことがすらすらと、歌を唄うように出て参りません。何か聞いていただくことがございましたら、お答えできることはお答えしたいと思いますが、大体私の今頭の中に出て来てしやべるのは、このくらいのところで失礼いたしたいと思います。(拍手)
  4. 辻寛一

    辻委員長 ただいまの御発言に対しまして、質疑がありましたら、これを許します。
  5. 飯塚定輔

    飯塚委員 藤原さんにちよつとお伺いいたします。りつぱな芸術家を、こういうきゆうくつなところへおいでを願つたことを、われわれとしては非常に恐縮しております。ただ、この最初にできる民間放送の重要な法案審議に際しまして、ぜひあなたのような方から、われわれが法案審議するために、重要な非常によい御意見を伺つておいた方が、われわれとして非常に助かることと思いますので、恐縮でありますが、一ことだけお伺いいたします。  先生が冒頭に、多くの放送局ができて、現在のような独占的な放送のやり方でなくなると、お金がたくさん入るというお話がございましたが、きのうから、薄謝協会の問題については、同僚の方からも、また公述の方からも、いろいろとお話がありましたから、私はこの点についてはあまり触れたくないと思いますが、ただその点について、将来芸術家の名をはずかしめないような料金について、どういうよう程度薄謝を差上げたならばよろしいか。その点をまずお伺いしたいと思います。
  6. 藤原義江

    藤原公述人 これは非常にデリケートな話で、それでは一体君は幾らもらつておるのだと言われると、これはちよつとここでは申し上げてはいけないと思うのですが、私が現在洋楽の方面では、実際は存じませんが、一番高い放送料をもらつておるそうでございます。ところがその放送料がどのくらいということは、大体地方での演奏料の四分の一程度の金をもらつております。しかしそれはものによりましては、たとえば「ほこをおさめて」とか「どんとどんと」なんかは、いきなり行つて、お茶一杯のんでやつてもできますが、大きな歌劇になり、ベートーヴェンのフィデリオとか、きようも十二時半からカルメンの放送をしますが、これはグルリットという先生に頭ごなしにやつつけられて、二日ないし三日、多いときには一週間ぐらい頭ごなしにたたき上げられて、しかも二日間ぐらい放送局に通つて練習してやる。その費用なんというものは、全然一銭も入つておりませんし、その間二日なり三日なりは、聞いていらつしやると、何だ、あんな放送をして、真劍にやつておるのかと思われるかもしれませんけれども、非常に放送には神経をいためて、何しろこれは日本中に広告することですから、とてもわれわれは神経を使うのです。それにしては少し放送料は、現在のほかのものに比べると、あまり安過ぎるのじやないかと思うのでございます。ですから、せめて今の放送料の倍くらい——もつとも中には、おれは金はいらないから放送したいんだという人もたくさんあるし、また何とかひとつ放送さしてくれないかという人も多いから、ちよつとそういうところはデリケートですから申し上げられないのですが、大体放送料というものを今の倍くらい、せめて一家をなした人に対しては、今の倍くらいの放送料を拂つていただいたらどんなものだろうかと思います。
  7. 飯塚定輔

    飯塚委員 もう一つお伺いいたします。先生が十七年来楽団を率いて、さらに十回も全世界をおまわりになつて日本文化興隆のために御努力され、ただいま外国のいろいろな放送局の例をお話になり、民間局ができましても、ブエノスアイレスにある放送局程度のものしかできないだろうということでありましたが、われわれは不幸にしてブエノスアイレス放送局を少しも存じませんので、その点について、簡單でよろしゆうございますから、伺いたいと思います。
  8. 藤原義江

    藤原公述人 ブエノスアイレスを例にとりましたのは、たまたま南米に二回参りまして、ブエノスアイレスとリオデジャネイロとで放送いたしましたが、非常に規模の小さい、放送室と申しましても——もつともブエノスアイレスにも相当たくさんの放送会社がございますから、一番大きいのはどのくらいか、私きようこういうところへ引出されて話をするということがわかつていたら、もつといろいろ見て来ておればよかつたなあと思うのですが、そういうことは全然予期していなかつたので、実際全部のブエノスアイレス放送会社内容を見て来たのではありませんが、私が放送しました約三つばかりの放送会社放送室というのは、実に簡單なもので、ちようどビクターコロンビアのレコードを吹き込む部屋程度のもの、あるいはその半分くらいしかない、この部屋の三分の一くらいしかないような、現在のNHKの一番規模の小さいくらいのところで、東京NHK放送していたわれわれにとつては実際びつくりしたので、こういうところで簡單放送ができるのかなあと思つて、聞いてみましたら、これはブエノスアイレス中心にして何十マイルしかこの電波は行かないんだから、これでできるのだということを伺いました。それでアメリカのNBCとか、コロンビアシステム、ああいう大きな民間放送システムでなく、ちようどブエノスアイレス放送会社くらいのものがまず日本でも最初に設立されて、やられるのではないか、こう思つたわけであります。
  9. 飯塚定輔

    飯塚委員 それに関連してでありますが、現在のNHK、これは世界でも相当有数なものと思つておりますが、先生の御体験から、日本民間放送局が将来できて、経営の面から行けばこれは別でありますけれども、そういうブエノスアイレスような小さな放送局がたくさんできて、それで完全に今の法案をつくるその趣旨が徹底できるか。これは先生方芸術家の立場からお考えになつたことでよろしゆうございますが、現在のようNHK一本とか、あるいはそれと同じような大きな放送局ができた方がいいのか。あるいはブエノスアイレスような小規模民間局がたくさんできて、地区的にでもいいからそれを放送された方がいいか。その点をもう一つお伺いしたいと思います。
  10. 藤原義江

    藤原公述人 これも非常にむずかしい御質問で、これを正直に答えると、将来私どもの方にたいへんさしさわりが出て来て……
  11. 飯塚定輔

    飯塚委員 その点はどうぞ御懸念なく……
  12. 藤原義江

    藤原公述人 あのときああいうことを言つたから、うちの放送会社では君の方のオペラ放送しないということになると非常に困るので、何しろお得意ができることですから、民間放送のできることを非常に私たちは喜んでおりますが、ただ一つ問題は、大規模な非常にお金のかかるもの、最小限度大体百人程度人間を動員しなくては——百人ではちよつとむずかしいですが、その程度人間を動員しなくてはならないシンフォニー、あるいはわれわれのオペラ放送というものは、今日の薄謝をもつてしても非常に厖大放送料になります。しかもこれをほんとうに味わつてくれるのは都会の人が多いんですが、都会では、さつきも申し上げましたよう音楽文化というものはどちらかといえば、いい悪いは別として、あり過ぎるくらいある。どうしてもわれわれのねらいは、地方へこれを電波に乘せて送つていただきたい。ところがかりに民間放送でそれができるとしまして、あまりに費用がかかるのと、それから東京周辺の人はラジオによらなくても、東京へ出て来られるということで、現在NHKがやつておりますように、あの厖大放送料拂つてシンフォニー放送オペラ放送をやつていたのでは、民間放送のお得意と申しますか、放送の時間を買う方のシャボン会社なり、外国の例でいいますと、おもに大きなお金を拂つているのは自動車会社、せつけん屋さん、歯みがき屋さん、化粧品屋さんというものが大放送会社のお得意です。おそらく日本でもこれは同じことだろうと思いますが、はたしてせつけん一つ売るため、歯みがきを売るために、化粧品を売るために、シンフォニーとかオペラというような高踏的なものに、莫大の金を拂うかどうかということを、私は考えさせられるのでございますが、民間放送ができてもやはりそういうものは、公共事業団体としてお金をもつて使うことのできる、広告主からの收入によらないでもやつて行ける、NHKにたよらなくては事実、将来はとにかくとして、できないのではないかと思うのであります。これでどうぞ……
  13. 辻寛一

    辻委員長 よろしゆうございますか。ほかに……。松本君。
  14. 松本善壽

    松本(善)委員 ただいま藤原さんから実にけつこうなお説を承つて、私ども非常に感謝しておるものであります。薄謝協会ということでございますが、きのうもその問題が出ましたので、はなはだ迷惑千万だろうとは存じまするが、これが薄謝であるという事実と、それから先ほど申されました二倍くらいの程度が最低のものではなかろうかというお説もございました。昨日はまた杉山さんから三倍くらいが妥当であろうというお説も出ましたので、その点簡單けつこうでありますから、しからばどの程度であるかということを、この際ひとつ発表していただきたいと思います。よろしければその点まず最初にお伺いいたします。
  15. 藤原義江

    藤原公述人 それは金額ですか。
  16. 松本善壽

    松本(善)委員 そうです。
  17. 藤原義江

    藤原公述人 現在私がもらつておるのは五千円程度ですが、そのうちから莫大な税金を差引かれますから、残るところは四千幾ら。その中から車賃を拂い、それから放送が八時から九時になるときは——これはそんな所に住んでいるのが悪いじやないかと言われればしかたがありませんが、私は鎌倉の山の中に住んでいる関係上、ホテルへとまります。ここでホテルを言うとホテルの宣伝になりますが、京橋の地下鉄のメトロというホテルにとまります。大体ホテル宿泊代が千五百円はかかる。そうしますと残るところは四千幾らから千五百円ですから、二千幾らかしか残らない。そこへちようど一生懸命みんなやつてくれた合唱団とかオーケストラの連中に、先生ようはいい声でしたね、と言つて肩をたたかれれば、もうあとの二千五百円は飛んでしまう。(笑声)これは私ばかりでなく、みんながそうだろうと思うのですが、とにかく放送をやるということは、これは芸能人にとりまして——口では大きなことを言つておりますが、何といつてもたいへんな一つ魅力で、一番古くからやつている私でさえ、放送にこれだけの魅力があるのですから、ことに若い人はいくら薄謝でも、たとえば現在の放送料を半分にされてもやりたい。これは正直なところだろうと私は思うのです。その弱点につけ込んで、(笑声)それでは薄謝でもいいじやないか。それはなるほどわれわれは、お前にこれから一切放送さしてやらない、歌も放送さしてやらないと言われても、根がすきだから、どんぶりの一つずつを出してでもやりたい。それですからやつているのですが、われわれはその程度放送料しかもらつていないのです。民間放送は、これは相手がお得意の時間の売れぐあいで拂うのですから、民間放送に対してはそういうことは言えないかもわかりませんが、公共事業団体として、少くとも政府がやつている放送協会には、われわれにもうちつとお金を拂つてもらうためには、予算か何かでもう少し放送局お金を拂つていただけるようにしたら、われわれももつと拂つていただけるのではないかと思うのです。
  18. 松本善壽

    松本(善)委員 重ねてお尋ねしたいのでありますが、しからば日本においては現在テレビジョンというものが研究過程にあると思うのでありますが、もしも実現いたしました場合には、いわゆる姿を映し、またその雰囲気まで映して、あるいは目でまた耳でそれを味わうことができると思います。現在日本にテレビジョンがもしも仮定的に来たとした場合のことを考えて、今後の日本の芸術というものはどうあるべきかということも、参考のためにひとつお伺いしたいのであります。つまり藤原さんのテレビジョンに対する抱負経綸を一応お尋ねしたいと思います。
  19. 藤原義江

    藤原公述人 だんだん答えるのにむずかしいようなことばかり出て参りましたが、テレビジョンは私はこの間ビクターの研究室で、自分の顔を映されて初めて見たのです。そういうわけであまりテレビジョンに対しては知識はございませんが、御承知よう日本の歌唄い——おもに私の申し上げるのは歌唄いですが、オペラなんかをやつておりましても、日本人は非常に表情が小さくて大げさでないから、昔から腹芸といいますが、明けても暮れても腹芸ばかりやつている。ことにオペラなんかをやつておりますと、舞台なんかでもほとんど腹芸で——これはほんとは腹芸をやつておるのではない。腹芸に見えるのであつて、実に表情がこまかい。外国の人のような大きな表情をしませんから、またそういう生活の中でわれわれは生きておりませんから、向うですとすぐ手を握つてキスするというところまで行くけれども、日本ではそうではない。見て、にらんで、外へ出して、そうして話をするまで非常に時間がかかる。ですからテレビジョンなどになりますと、非常に表情のこまかい日本人には、テレビジョンはたいへん苦手だろうと思いますから、もし将来テレビジョンというものが——もちろん今日の日本の技術をもつてしたら、テレビジョンもおそらく数年のうちにはアメリカと同じようになるでしようが、そうなつた場合には、何かテレビジョンに対して專門の人が出て来て、エロキューションと申しますか、もう少し顔の筋肉の動き方だとか、いろいろ表情のために專門に今から準備しなければ、今の日本の映画でもそうでありますが、非常に表情が小さいから、テレビジョンになりますと、ことにそれがもう一つ表情がなくなつて、さびしいものになるのじやないか、それだけにテレビジョンというものができることに対して、われわれ今から心配しておる。この程度のことしか私は存じません。
  20. 松本善壽

    松本(善)委員 たいへんけつこうなお説を拜聽いたしました。次に外国その他を旅行されて来ました藤原さんに、日本に現在ありますところのスタジオが、外国に比べまして、どういうような見劣りがしておるかということを、率直にお答え願いたい。ことにきのうの他の公述人の方のお説によりますと、NHKはまず義務教育であり、それから今後できますところの民間放送というものは、專門的な教育の過程だろうというような言葉を用いられた方もあります。私はそれに同感するものであります。従いまして、もし今後できますところのものであるといたしました場合においては、いわゆる広告料を主としたもの、すなわち民間放送のあり方が今後の問題ではないかと考えられますが、しからばスタジオというものはどうあるべきであるか。ことに芸能関係に関するところのいわゆるスタジオというものは、外国に比べてどういうところが欠点であるか。またいいとすればどういうところがいいかということを、忌憚なく御意見を伺いたいと存じます。
  21. 藤原義江

    藤原公述人 これもただ私が歩いて参つた世界各国の——しかも最後に外国へ行きましたのが三九年でございますから、もう約十年近くも外国の土を踏んでおりませんが、私の知つておる範囲では、現在の日本NHK放送設備、これは電波とか何とかは全然しろうとで何もわかりませんが、部屋の設備とか局員の働き振り、そういうところから見ますと、これは世界放送からいつてまず一流——その一流の中にA、B、Cとつけることはできるかもしれませんが、建物といい、内容、つまり設備ですが、そういうものからいつて、おそらく世界の一流の中の指折りの一つではないかと私は思います。もつとも私のいないこの十年近くに、どれだけの放送会社ができたか存じませんが、アメリカコロンビアシステムにしても、大体私たちが見て来たのとあまりかわりがないようでありますし、ヨーロッパにはもちろんできておりませんから、そういうことから考えますと、世界の一流の放送設備を持つている。実際だれも日本に来てまず驚くのはあの放送会館で、あの中に入つてびつくりする。この間私の知つているアメリカから来た兵隊に聞きましたら、アメリカから来た兵隊が東京で驚いたのは、あの宮城を中心とする外観のりつぱさと、それから日劇のあの大きい劇場と、浅草の国際劇場と、放送会館の内容だと言つていました。これは、どうせ日本行つて放送なんか大したことはないだろうと思つて来るから、驚くのが一つかもしれませんが、とにかく現在の日本NHKの設備というものは、世界で一流のものだろうと存じます。ただ内容につきましては、私は音楽のことしかわかりませんが、これもいい悪いは別といたしまして、あれだけの厖大NHKシンフォニー、あれだけのものを放送して、しかも放送会社がそれを持つているというのは、アメリカのNBC、ロンドンのBBCのシンフォニーと、わが国NHKシンフォニー、これなどは三つに数えられる大きいものではないかと思います。
  22. 松本善壽

    松本(善)委員 たいへんけつこうなお説を承りまして、感謝いたします。次に、たいへんお忙しくて、法案も何も勉強なさらなかつたというお話がありましたけれども、現在、法案がもし通過したといたしますと、協会にはいわゆる経営委員会というものができ上る予定になつております。その際、委員がどういうものであつたらいいか、芸能人としての行き方から、どういう代表がいいか、あるいは地域代表とか何代表とか、こういう御希望もございましようから、いわゆる芸能を代表して、いつでもそうした委員を通じて自分の意見を伝えてもらえるというような御意見がありましたならば、どういう方がよろしいかということを、もし御発言ができますればお伺いしたいと思います。
  23. 藤原義江

    藤原公述人 ますますむずかしくなつて参りましたが、われわれとしましては、あの人は困るなというよう委員とか理事とかという人が相当あります。それではだれだと言われたら、それは申し上げられませんが、何も音楽はわかつていただかなくてもいいのですが、たとえば今頭に出て来ました名前を申し上げますと、久保田万太郎先生よう——久保田さんは音楽の方はあまりおわかりにならないようですが、久保田さんはお会いするたびに、非常にオペラなどに対してのいい注意だとか、こういうことをやつたらいいとかということをよく言つていただきますし、また昨日ここに来てしやべられた水谷君なども、音楽にはしろうとですが、やはり長い舞台上の経験で、非常にいいことを言つてくれます。ですから、これは音楽のわかる人でない方がむしろよいので、音楽をわかつている人というのはとかく非常にりくつが多くて、しかもお互いのいがみ合いというものがみにくいくらい対立しておりますから、そういう人を——もちろんわれわれの関係委員というものは音楽が主でありますから、音楽家でなくてはいけませんが、外部からそういつた文壇の大家のような、たとえば今申し上げました久保田先生とか久米先生ような方、ことに久米さんなんかは外国オペラも見ておられるし、シンフォニーも聞いておられるし、できれば一度くらいは本物のオペラを見られた方、本物のシンフォニーを聞かれた方を選んでいただけば、君そんな大きなことを言つているけれども、あそこはこうじやないかとつつ込まれたときに、レコードの知識ばかりでなく言われる人がわれわれとしてもほしいので、それは何も音楽の專門の方でなくても、たとえば穗積先生よう音楽とはおよそ縁の遠いお方でも、音楽に関する、オペラシンフォニーに関する書物まで書いておられる人が相当いらつしやる。穗積先生、辻先生、そういつた方が相当おられますから、われわれとしてはぜひそういう方を委員に選んでいただきたいと思います。
  24. 松本善壽

    松本(善)委員 たいへんけつこうな御説を承りまして、また藤原さんはたいへんお忙しいということをお聞きいたしましたから、一応私の質問はこれで終ります。
  25. 辻寛一

    辻委員長 中村君御質問がありますか。——よろしゆうございますか。では田島君。
  26. 田島ひで

    ○田島(ひ)委員 一つだけちよつとお伺いしたいと思います。昨日から水谷さんのお話を伺いましても、たいへんいろいろと謝礼のことが問題になつておりましたが、これはひとり放送協会の問題だけではなくて、日本の今年度の予算にいたしましても、昨年度の予算にいたしましても、予算の中で日本文化とか、あるいは教育とかいう面の予算が非常に少い。日本全体が文化に対しての関心を持つていない。こういう点が非常に大きいと思います。ことにこの法案ができますにつきましては、やはりNHKが今後相当この法案で強化されて参ります。そしてまたここでは一応は民主的にいろいろな委員会や何かの制度ができておりまするけれども、私は皆さんが御希望なさるようには、放送協会がよくなるという方には向わないと思うのです。それについても、どうしても聞く方の方、また聞かせる方の方、実演なさる方々が何らかの方法で、ただ個々ばらばらに薄謝であるとか、御不平をなさるのでなくて、今日はNHKの古垣さんもおいでになりませんけれども、放送協会に対して、あるいは今度この法案を通じていろいろ政府の監督機関ができて参りまするが、そういうものに対しまして、皆様の意思を反映なさるような何らかの方法を今までおとりになりましたか。今後おとりになるようなお考えが、ここで急に具体的にそれを説明せよとは申し上げませんけれども、おありになりますかどうか。私はそういうものがなければ、なかなかこれは改善されないと思いますし、またそういうものをぜひつくつていただかなければいけないと思いますけれども、芸術家の方々が個々ばらばらにでなく、昨日からも伺つておりますけれども、そういうお考えがありますかどうか。これはいろいろな機関としてでなくても、何かそういうものを反映なさるような方法をお考えになつておられるかどうかを、ちよつとお伺いしたいと思います。
  27. 藤原義江

    藤原公述人 おはずかしい話ですが、実際ほかの芸能の方は存じませんが、音楽の方は確かに個々ばらばらでございます。それは一つはこういうことで個々ばらばらなのではないかと思うのですが、俳優の方々と違つて音楽家というものはその一座を首になつても、すぐあくる日から自分一人で何らかの報酬が得られるという強みがあるものです。俳優ですと、一致団結して、おれはあの座長のもとについて食い下つていれば、腰が立たなくなつても何とかしてもらえるだろうという、あれがあるから馬の足でも食べて行けます。またバイオリンやピアノは名声が落ちても、自分さえ落してかかれば、後進のために道を開くから、おれは舞台なんかやめて弟子をとるのだという、非常にきれいな名前のもとに生活はできますが、われわれ歌唄いの場合は、なかなかそういうことはできないので、これでしやがれ声でも出して歌を唄うようになれば、だれも見向いてもくれない。と同時に、声さえ出ている、あるいはピアノさえひける、バイオリンさえひければ、自分一人でもつて何らかの報酬を得られるという頭があるものですから、少しいやなことを言えば、先生、明日から少し休ましてもらいます。ポツといなくなつてしまう。そういうわけで、ほかの団体から見ますと、まことに音楽家というものはみな実際りくつばかり多くて、しようがないなあと思われるのですが、そういう一つの強みがあります。またその強みは一つの弱点で、なかなか音楽家というものは、これは日本ばかりでなく、世界中どこに参りましても、音楽家が一致団結してやつているというところはない。また一致団結してやつているよう音楽家というものは、これは団体として行動をしなければ絶対に自立ができないというようなことで、これは政治家でもそういう方がたくさんおありだろうと思いますが、(笑声)とにかく一人立ちではどうしてもやつて行けないから、何らかの団体でもつてくらいついて、あいつがそんなにいばるのなら、おれの方は団体の力でやろうという。音楽家仲間ではそういう者はない。それがあるのは合唱団だけです。そういうわけではたから見ますと、一致団結していないようでありますが、それともう一つは、お互いにやろうじやないかと言いましても、何しろ朝早くから起きましてやるなんということも——大体用がなければ十一時か十一時半ごろまでみな寝て、なるべく休養をして、歌なりいい演奏なりをしよう。ですからよそから見ますと、実にだらしがない生活をしているようにも見えますけれども、これは結局皆さんにいい演奏をするためのだらしのない生活、と言うと少し変ですけれども、(笑声)まアそういうわけで、一致団結ということがなかなかほかから見ますと、できていない。またこれが非常にできにくいことなんですが、まあ今の薄謝のことにつきましても、何とかひとつみなでもつて寄合いをこしらえて、上げてもらおうじやないかという団体をつくろうとしましても、いや私は何も放送料なんかどうせ当てにしていないのだから、そんなものには加わらないというような人がすぐ出て来ますし、また、いや少々くらい自分は持ち出しても、放送というものはやりたいんだというような人も出て来ますし、非常にそういうことの一致団結ということがむずかしい。実は五、六年前、まだ環さんが生きておられるころに、戰争中でありましたが、君の放送料が一番高いからひとつ負けてくれないか。環さんのは二百円、当時私は五百円でしたが今五千円ですから、いかに安いかというさつきの話になりますが、当時五百円でしたが、環さんには百円負けてもらつた。君もひとつ負けてくれ、ぼくはただなら出るけれども、びた一文でも負けるのはいやだ。演奏料というものを負けるということは、自分の芸というものが落ちたということになるから、ぼくはただならやるけれども、もういまさら放送をやつて広告してもらわなくてもいいんだから、ぼくの放送料を若い人にやつて、私はここでみえを切るわけではありませんが、そう言つて、ただならやるけれども、負けるのは絶対いやだ。じや、この次の放送はお断りする。すると二、三日たつて、当時大田という音楽課長でしたが、大田さんが来られて放送を頼みに来ましたから、この間の問題はどうなりましたかと言うと、いや、もうああいうみつともないことは言わないことにしたというので、そのときの私の発言で、放送料というものはまあ芸能人というものは下げられずに済んだ。ところがそれを下げてしまつた人が相当ある。それがために放送料がせつかくこうなつて来たのがまた下つた。ですからこれは放送局が下げようとしないで、芸能人の方からくずしてかかつたというような形になつたわけであります。なかなかそこがうまく行かない。そういう実情でございます。
  28. 辻寛一

    辻委員長 よろしゆうございますか。ほかに御質疑はありませんか——。中村君
  29. 中村純一

    ○中村(純)委員 私は時間が大分たちましたから御遠慮しようかと思いましたが、考えてみますと、後に予定せられております公述人のお方の御発言にもおそらく関連があると思いますので、一つだけ伺つておきたいのであります。それは受信機の問題であります。藤原さんとか、あるいは昨日の水谷さんのような一流の芸能人のお方が、よいものを御放送になる場合に、わが国の受信機の状態が、非常に程度の低いものをみんなが持つておる状態なのであります。私どもはなはだ音痴で、藤原さんに申し上げては失礼でありますが、のど自慢オーケストラもあまり区別がつかないのであります。加うるにかよう程度の低い受信機を国民の大部分が備えておるということになりますと、これが政治家の演説ならばただ聞えさえすればよいのでありますが、せつかくよいものを御放送になつても、ああいう受信機で、あんながらがらした音が出て来るのじや困るというような御感想が、さだめしおありじやないかと思うのであります。私個人といたしましては、少くとも日本の現在並びに近い将来のことを考えまして、この受信機も少くともスーパー程度のものが一般のレベルになるまで行かなければ、ほんとうのよい放送文化というものは国民に惠まれないのではないかと思うのでありますが、そういう点につきまして御感想を承ることができますれば仕合せでございます。
  30. 藤原義江

    藤原公述人 われわれといたしましてはいなかに行くと——現に私の家なんかで使つておりますのは、ビクターの会社からただもらつたものですから、よいものじやありません。どつちかというと今の日本の普通の受信機の中でも、おそらく中くらいの程度のものしか持つておりませんから、何とも申し上げられませんが、とにかくどんな惡い受信機でもよいから、これが津津浦々に行き渡つていただきたいと思うのです。惡い機械で聞いたら、必ず今度は金をためて、ひとつよい機械を買つてやろうという欲望が出て来る。もうこんな機械じやしようがないからといつてやめる人はない。おそらく放送なんというものは、一度聞いたら熱病みたいなもんで、必ずあと聞かなくちやいられないようなことになりますから、どんな惡い機械でもよいから、よい機械が少くできるよりも、惡い機械がたくさんできて、そうして今度はだんだん金をためればよい機械を買うことができるというふうに——これも私機械のことは全然無知で、どういう機械がよいのかわかりませんが、何でもよいから一台でも多く機械が行き渡つていただきたい。もつともイタリアのいなか、あるいはバルカンのいなかあたりを旅行してみますと、ラジオのある家は実に少い。日本くらいラジオが方々に行つて聞かれるところは、私は少いと思つております。これは私の考え違いかもしれませんが、日本のいなかは、音楽文化ということについては遅れておるかもしれませんが、とにかくそういう方面では何かたいへんな文化国家のような気がするのです。ラジオは相当行き渡つておると思います。これがもつと行き渡つてほしいとわれわれ思いますし、その際は機械が少々惡くても、それはよいに越したことはありませんが、もつと機械が行き渡つていただくことが先決問題じやないかと思います。
  31. 受田新吉

    ○受田委員 藤原さんの芸術的な良心に訴えてお尋ねしたいと思います。放送内容について、ここで自分が放送しておることが、全国八千万の国民に聽取せられるという、非常に大きな誇りを持つておやりになつておられると思います。その際芸術家として、放送局の編集方針に自分の意思を曲げられて、強制的にそのプログラムに従われるようなことはないか。また自分自身の強い意欲を、放送局の編集方針に溶け込ますように非常に努力を続けて、もし自分の意思に反した場合には、出演を断るというふうな努力をされておるかどうか。もう一つ、これからの日本の行き方として、文化国家という大きな目標があるのでありまするが、その目標の前に、今後民間放送その他が猛烈に進展して行く場合に、下俗なる音楽その他が流行して、争うて芸能人を招聘するという立場から、あなたのような良心的な芸術家の進出が、そういう大勢に押されるおそれはないか。それに対して真に美しい音楽、美しい芸能を国民に徹底させるという大きな良心的な欲望を、今後の放送の動きの上にいかに考えておられるか、この点をお伺いしたい。最後にもう一つは、評論的な立場から、ラジオを評論する国民の声がほしいと、先ほどもいろいろな角度の学者その他までが、この音楽その他に評論的立場をとつておることを歓迎しておられましたが、国民全体の声として、ラジオに対する評論という問題に対して、いかなる御希望を持つておられるか。これはあなたが今日出られた公述人中ただ一人の文化人、特に芸能人の立場に立つておられる関係上、あなたの感覚から見られた、今申し上げた諸点に対する御意向をお伺いしておきたい。
  32. 藤原義江

    藤原公述人 自分はいやだけれども、頼まれたからやるという場合は、若いときは相当ございました。しかし現在はあまりそういう……。なるほどこれはいやだなと思うことを頼まれて、何だ、おれのあとに漫才をやるのでは、漫才もおれもどつちも聞いておる方にとつてはあまりおもしろくないのじやないか。しかもその前に三昧線の日本音楽、そういう間に入りますと、若いときは非常にいやな気がしましたけれども、近ごろは年のせいですか、そういうことはちつともいやでなくなりましたし、現に大みそかの晩には非常に碎けたものを歌いまして、正月早々べートヴェンのフィデリオの放送をしております。ことに私の場合はほかの人と違いまして、音楽学校からずつと出て来てやつておるのと違つて、浅草からオペラというものを心がけて、それから外国行つて勉強したものでありますから、私の考えで行きますと、われわれは芸術家であるけれども、実際芸をする人間だから、芸人に違いない。日本の現在の音楽家には、おれは音楽家であり、声楽家であり、芸術家であるけれども、芸人ではないという人もいますが、これが歌を唄つても実につまらない歌になるのではないかと思う。そういう意味で、私はたとえばぜひ「どんとどんと」を今度やつてくださいと言われれば、その場合には、自分のファンには浅草時代からのファンもあるし、ほかの人と違つて百姓もおれば、工員もおれば、あらゆる階級のファンがいるのだから、こういう歌もたまには唄わなくてはならぬ。私は喜んでそういう歌を唄います。ですからいやいやながら唄うということは、ほとんど私の場合においてはありませんが、若い連中にはそれが相当あることは事実であります。しかたがないけれども、あれを断ればこの次のよい放送に出してもらえないから、これをやる。しかし頼む方でもとにかくその人がよいからやはり頼むのであつて、今までのよう放送局の人に金一封を包んだり、一ぱい飲ましたり、菓子箱を持つて行つたりしても、もう今日では通用しないので、かつていざこざが起きたようなあれとは全然違いまして、スポーツマンと音楽家というものは、実際に聞いている人、見ている人が甲乙をつけて、その場で勝負がきまつてしまいますから、あれは声は惡いけれども、実に内容のよい歌を唄うのだと言つても、手をたたいてくれないのです。あれは君、負けたけれども、実に負け方がよかつた。スポーツマンと同じで、なるほど三振しても川上や別当の三振は実にきれいですし、また双葉山の負け方も実にきれいであつたかもしれないが、やはり演奏家はいい演奏をしなければ長続きしないし、またスポーツマンは勝たなければ長続きしない。今日では舞台の上でも放送の上でも、聞いている人が勝負をつけてくれるのですから、なぜあんなものを放送に出したのだろうかという人は、今日ではあまりありません。それからどうしてもレベルを上げるために、もつとこういう企画をしてほしいとか、ああいう企画をしてほしいということは、われわれとしてはたくさんございますが、私の方でおもにしたいのは、厖大シンフォニーを伴奏にしたオペラ放送をもつとしたいと思います。今のNHK放送のプログラムがつまらないということをよく聞きますが、あれだけのバライティーを盛つたプログラムは、現在ではやはりアメリカ日本だけじやないかと思うくらい、私はバライティーが日本放送のプログラムにはあると思うのです。ことに御承知ように西洋音楽日本音楽というものは、外国には見られない。そういうものが非常にたくさんある。これはもう文句を言えば幾らでもあるでしようが、プログラムの編成などについては、私はむしろ感心しているくらいです。それからのど自慢がよく対象になりますが、これはやはり必要で、ああいうものがあれば、あれに出て唄う人はどんな修業をし、どんなかつこうで唄うかということが、その中からも出て参りましようし、これもやはり必要じやないかと思いますが、ただ今は必要以上にのど自慢が行われていて、病気みたいになつているのではないかとも思います。
  33. 受田新吉

    ○受田委員 それから一般大衆を音楽的に情操を高めるために、卑俗な音楽その他の流行するのを押えて、高尚な音楽を大いに指導、啓蒙するところの意欲を、あなたはどういうふうにお持ちになつておられるか。民間放送が進歩したときに、至るところで争うていろいろな放送がされると思いますが、純粹な音楽、純粹な芸術を生かすための意欲を、あなたはどういうふうに持つておられるか。それから民間放送に対するあなたの御希望、この二点について伺いたいと思います。
  34. 藤原義江

    藤原公述人 これから民間放送ができますと、シャボンを買う人、香水を買う人——シャボンや香水もいいもの惡いものがたくさんあつて、買う人によつてつて参りますが、大体シャボンの時間、歯みがきの時間、香水の時間は、シンフォニーだとかオペラでなく、流行歌などの方が音楽の分野から言うと似合つておりましようし、また費用の点から行きましても相当安くて、しかも相当効果があるから、これはひとつ今度は経営者の頭で、民間放送で思い切つていい放送をやろうということになると思います。たとえばブエノスアイレス放送局がたくさんあります。その中にエキセルショーという放送会社がありますが、このエキセルショーという会社の例をとつて申しますと、非常に小さい会社でありますが、よそと全然違つた行き方をしている。それはどういう行き方をしているかというと、よそが一生懸命でジャズ、流行歌で広告をやつておるのに、そのエキセルショーという会社だけが、一流のピアニスト、一流のバイオリニスト、一流の声楽家というものに重点を置いて、プログラムの三分の二を一流の音楽家だけで埋めておる。またブエノスアイレスでは、あのたくさんある会社の中で、エキセルショーが今日は何をやつているだろうというわけで、それが非常な売りものになつておるのであります。ひとつこういうものが東京や大阪でもできてほしい。そうして片方ではのど自慢でも何でもかまわないから、通俗的な音楽がやられると同時に、片方ではそういう行き方をした放送会社がぜひできてほしいということを、この間も二、三の人と私は話したのでありますが、そういうことをわれわれは希望しておりますし、そういう行き方をする会社ができれば、われわれ自身としても、音楽家として大いにそれを支援する義務があるのではないかと思います。民間放送会社というものはどうせいばらの道を歩まなければならないと思いますし、音楽家としてもその点は非常に考えて、良心的なプログラムだけで押して行く会社があつたら、われわれとしてはそういうものに積極的な応援をしなくちやいけないのではないかというようなことも考えております。
  35. 辻寛一

    辻委員長 次は川島武宣君。
  36. 川島武宣

    ○川島公述人 私は東京大学の法学部におります川島でございます。先ほど委員長から忌憚のない意見を述べろというお話でございましたから、私は忌憚のないことを申し上げます。  この法律に対して私は全体的に反対の意見を持つております。私が問題にしたい点を簡單に申しますと、まず第一にこの法律は、日本放送協会に対して国会と政府とが、非常な力でもつて統制をし、監督をするという点に、大きな眼目があるように思うのであります。はたしてこういうコントロールをする必要があるだろうか、それでよいだろうかということを、私は非常に疑問に思うのであります。一体日本放送協会というものは、いわば税金ように、強制的に国民から料金をとることになつておりますが、これは現状ではどうもやむを得ぬだろうと思うのです。つまり日本ようなところは、商業放送だけで放送事業を発達させ、津津浦々までラジオという文化伝達の手段を普及させるということは非常に困難でありますから、私はこういう特殊な団体があつて、いわゆる公益放送をやるということ自身には賛成いたすものであります。ですから私はそのこと自身には異存はないのでありまして、そういう強力な大きな団体があつて、津々浦々までネット・ワークを持つて公益放送をやる。ことにいろいろニュースをも放送するということは、非常に文化的意義があると思うのであります。つまり税金的な料金を国民から取上げるということ自身は、非常にけつこうだと思うのでありますが、どうも私の想像しまするのに、国民から税金的に取立てるのだから、これは国会が監督していいのだ、政府が監督していいのだというふうに、この案は考えているのではないかと私は推測するのでありますが、その点に私は大きな疑問を持つのであります。     〔委員長退席、中村(純)委員長代理着席〕  一体税金的にわれわれ個人の意思を無視して、いやでもとにかく金をとるという仕組みは、世の中にいくらでもあるのでありまして、ラジオに限らない。たとえば電車にもつと安く乘りたいと思つても値切ることはできませんし、電気やガスももつと安く拂いたいと思つても、これは少し使い過ぎると罰金をとられます。ですからわれわれの意思を無視してやるということは、必ずしも国家が全面的に事業をコントロールするということにはならないと思うのであります。ただNHKの場合には非常に問題が大きい。大体放送局の財産は、最初社団法人設立のときの基本財産はあるけれども、現在の大部分の財産は、聽取料で成立つて来たのではないかと思います。今後ますますこれが聽取料でやつて行くということになりますと、これは結局民衆がこの日本放送協会を維持しているということになるのでありまして、結局われわれはそういう経済的な面から行きましても、これはやはり民衆のために放送局というものは運営さるべきものだと思うのであります。ですからそういう意味でやはり経理なんかも、民衆の金を預つてつているのだという考えでやらなければなりませんし、事業の運営にしましても、民衆全体の利益のために運営されるというふうに考えられなければならぬと思うのであります。私はこれを端的に言えば、日本放送協会というものは、これは民衆から金を集めて、その金で放送事業をやるという、いわば放送を信託されておる受託者だという関係にある。そういう性質のものだと思うのであります。つまり一種の人民と放送局との間の信託関係だと思うのであります。でありますから、日本放送協会なるものは民衆のために放送をやる。そのために金を預つてつているという責任感を持つてつてもらわなければ困ると思います。そのためにいろいろの規定も必要だと思うのでありますけれども、しかし私はそれがために国家が事業の内容を監督をするということに、非常に疑問を持つのであります。  と申しますのは、たとえば一番大きな問題は、経営委員会というものは内閣総理大臣が任命いたします。そうしてその経営委員なつた人は、委員たるに適しない非行があるときにはこれは何どきでも総理大臣が首を切ることができることになつておりますが、これは一体どういう場合に委員たるに適しない非行があるのか、これは考えようによつてはたいへんなことになるのであります。たとえば客観的にニュースを報道すべきだということになつておりますけれども、客観的に事実を報道した場合に、たまたま内閣に不利益な報道をしたならば、これは委員たるに適しないという判定を與えることは容易であります。何となれば、お前はおれに不利益な報道をしたということは言えませんけれども、何か因縁をつけて首を切ることは、実際上そんなにむずかしくないのであります。これはわれわれ法律家の立場に立ちますと、それは容易に考えられることであります。法律というものは非常に抽象的な言葉を使つておりますので、具体的にそれがどういう内容を持つているというようなことは、解釈によると思います。どういう解釈をやるかということは、そのときどきの事情によりまして、いかにいい法律をつくつても、それを運営する人が惡ければ、どんなにでも運営できるわけであります。そうしてある法律にどういう内容を盛り込むかということは、結局そのときに解釈権を持つている政府が、最後の力を持つているわけでありますから、政府の気に入らなければ、首を切るという可能性はいくらでもあるわけでありまして、私はそのことに疑問を持つのであります。  それからもつとこまかに言えば、これを国会でコントロールするという問題もあるのであります。私は国会や政府が一種の言論機関であるところの、しかもほとんど独占的な言論機関であるところの日本放送協会に対して、これほど強大な監督権を持つているということに、私は疑問を持つのであります。なぜかと申しますと、やはり私は言論の自由ということは、民主主義国家の根本原則だと思うのでありまして、言論の自由がもしも権力の手に握られるというようなことがあつては困る。それはつまり全体主義になる。つまり学問の自由、言論の自由というものは、最近しばしば問題になつておりますように、いかなる政治的な党派の影響をも受けないで、それ自身が独立して、絶えず日本の正しいと思うものに対してみなが言論をする、あるいは研究の結果を発表する。そういうことによつて批判を絶えず受けて行くというところに、一国の進歩があるのでありまして、道を誤らないゆえんがあるのだと思うのであります。もしもある言論機関、言論や学問がある特定の政党の支配を受けますならば、その政党に対しては批判ができない。しかもそれが権力を持つておるものに支配されるならば、結局学問や言論というものに権力にのみ奉仕することになるのであります。それはわれわれの歴史においてすでに苦い経験をなめておるところであります。今日の悲惨な状態を来したのに、今までのわれわれはどういう状態にあつたかというと、われわれは少しも権力に対して批判することを許されなかつたのであります。批判どころじやない、ちよつと批判がましいことを言うと、すぐにわれわれはひつぱられたのであります。そういう状態においては、日本の国が間違つた方向に動きつつあつても、こういうことを言つたらたいへんだと思う。実際問題として国民全体が鬪うことを支持しない限り、死をもつて鬪えばよいということは空論であります。しかも言論機関が政府の手に握られておる。それを支持する国民がないから、少数の人間がかかることはできないのであります。そしてわれわれが悲惨な状態を来したのはなぜかというと、言論機関が権力で握られておつて、全然正しいものに対して批判し、正しいものを実現すべく努力することが許されなかつたというところにあると思うのであります。もちろんこういう議論が成立つと思うのであります。つまり国会において多数を占める政党は、国民が選んだのである。従つて国民が多数を支持したのであるから、その多数の政党が言論機関を自由にするのは、結局国民が言論機関を使つておるのである。だから多数政党が言論機関を支配してもよいのだという議論をお持ちになつておる方が、あるいはあるのじやないかと思います。私はその議論に対して根本的に反対したのであります。私がこういうことを言うと、何か民自党にたてつくようにお思いになるかもしれませんが、民自党は決して天壤無窮ではないのでありまして、民主主義の世の中ではいかなる政党といえども、永遠に天壤無窮の権力を握つておることはできない。そういうことを考えるのは全体主義であります。民自党だつて天壤無窮ではない。これは決して民自党の惡口を言つておるのじやありませんが、いかなる政党といえども、民主主義の時代では天壤無窮ではあり得ない。たまたまある政党が天下をとつたから、学問、言論を自分の自由にしてよいのだ、国民がそれを支持したから自由にしてよいのだという論が通れば、民自党が天下をとれば、反対の言論機関、大学教授などの首を切つてしまう、次に総選挙をやつて社会党が出れば、これがまた全部首を切つて社会党系にする。これではもう学問の自由や言論の自由という、憲法に規定したことは全然ナンセンスであります。つまり言論の自由とか学問の自由とかいうことは、どんなむちやをやつてもよいということではありませんけれども、しかしそのときどきの勢力に支配されるということはないように、つまりある特定の勢力に奉仕するような、そういう小間使にならないように、常に正しいもののために努力してこそ、われわれは日本のために鬪い、日本のために努力し得るのであつて、その中から国民がおのずから正しいものを取捨選択して行くようにすべきである。これがつまり学問の自由とか、言論の自由というものが憲法に保障されておるゆえんだと思うのであります。ですから私は特定のある政党が、たまたまそのときに多数になつたら、言論機関及び学問というものを——これは同じ性質のものだと思うのです。あるいは出版でもそうですが、そういうものを全部コントロールして、自分の支配下に置いて、自分の権力を使用して使つてよいというロジックは、全然成立たない。それを成立つとするならば、これは今までまさに全体主義国家がやつて来たことであり、今日日本はそれで苦労をなめておるのであります。私たちはこういう苦労はもうたくさんであります。こういう苦労は二度と再びしたくないのであります。私たちはこの全体主義的な政治はお断りなのであります。ですから私はそういう危險のある制度をつくつてもらいたくないのであります。この日本放送協会というかくも巨大な、ほとんど独占的な言論機関というものは、政府及び国会が直接に干渉し得るというような地位に置かないで、もつと直接に民衆の監督統制のもとに置くようなことを、ひとつ考えていただきたいと思うのであります。  どうすればいいか。私はこれについてはいろいろ電波庁なり、あるいは国会の皆様に考えていただくのが一番よろしいと思いますから、こまかいことは差控えますけれども、いろいろな方から、つまり内閣総理大臣が任命しないで、各種の団体なり、あるいはサークルから代表者を出して、それが放送協会をコントロールして行く。そうしてこれは国民の金を預かつておるわけですから、経理については非常に嚴格な監督を要すると思います。放送協会が私で使うべきものではないと思います。     〔中村(純)委員長代理退席、委員長着席〕 けれども、それも私は会計検査院がやるという前提の内容にすることはおかしいと思います。一歩間違うと、やはり政府の力が圧倒的に強大になると思うのでありまして、私はこれについてはやはり今後公認計理士の制度を利用するという方法なら、最も完全な経理の公開、経理の公正を期する方法は、不可能でないと思うのであります。  もう一つ、私は重要性をつけ加えておきたいのは、いわゆる輿論調査の問題でありまして、この法律にうたつてある科学的輿論調査に応じて完璧なラジオの運営をやつて行こうとしておりますが、これは私は非常にいい規定だと思います。但しその輿論調査なるものは、もつと科学的でなければならない。投書なんというものは、あまり重要視してはならぬと思うのであります。投書する人は特殊な人でありますから、そういう人の言うことを聞いておつては、投書しない人の言うことを聞かれない。輿論はよいと言つても、実際はそうは行かぬのであります。郵政省をもうけさせるばかりでいけない。日本の輿論科学は非常に遅れております。日本ように民主主義的でない国は、輿論の発達する社会基礎というものを欠いておるのであります。アメリカがおそらく一番発達しておるように私は思います。今後放送協会におかれましても、この輿論科学の発達に特に力を用いられて、專門家を大いに御利用なさり、また放送協会の中で、特に放送局に必要な輿論科学の吸收発達に御努力になつて、最も科学的な方法で、国民ラジオについて持つている考えを正確に、精密に御調査になることを、私は特に希望したいのであります。但し国民が今思つておることに追隨して、盲従することは禁物でありまして、もちろん放送局は理想的な一つの指導方針を持たなければなりませんけれども、同時にこれが民衆のものであるということをお忘れなく、ぜひその点の御用意を願いたいと思うのであります。聞くところによりますと、これは放送局の方もおいでになりますが、忌憚なく私は申し上げますが、現在そういうことをやつておる放送文化研究所というものが放送局にあるそうでありますが、あれは放送局ではあまり重要視されていないそうでありまして、好ましからざる人物を大体あそこに押し込めて、そうして仕事をさせないようにするといううわさを聞いております。ほんとうかうそか知りません。もしもそういうことがあるならば、これは一日も早くそういうばかなことをおやめになつていただきたいのであります。私はこれは放送局が真に民衆のものであるために、欠くべからざる最も重要な仕事をしておる部門だと思います。私はぜひ放送文化研究所のようなものを重視して、もつと科学的にやつていただきたいということを、特に申し上げたいのであります。  それからもう一つ、別の点でありますが、今度の放送法ではいわゆる商業放送をやつて行くということが書いてありますが、私はこの点には非常に希望を持つのであります。大体独占というものは私はよくないと思うのであります。独占体というものは、それが完全に民衆の力でコントロールされていない限りは、独占体の持つておる力を、結局独占体を持つておる人の利益のために使い、これを民衆の利益のために使わなくなる危險性というものを常に持つておる。戰争以来あらゆる独占体が、すべてこれを証明しております。もちろん放送協会には私が今申しました通り、最大可能の方法でもつて、民衆の意向、民衆の気持を反映するような、民衆をコントロールする方法をとるべきでありますけれども、しかし現在の日本において、そういうことが完全に実現するとはもちろん考えられません。これは放送局の人が、だれが惡いという問題ではないのであります。もつと大きな問題があるわけであります。放送局は独占体ということではなく、やはり競争を持つということが、非常によい刺戟になると思うのであります。たとえば放送局ではこんなくだらないことをやつておる。商業放送ではこういうおもしろいことをやつておるということになれば、やはりぴんと放送局にも反映するだろうと思います。私が想像しますのに、日本はこういう貧乏国で、経済力がないし、そういうところで、つまり経済的に言えば、国内市場が極端に貧弱でありますから、そういうところでは商業放送をやつてみて、はたしてどれだけの收入が得られるか、どれだけりつぱな内容放送を維持できるか、私はまつたくわかりませんけれども、想像するのに、相当困難があるのではないかという気がするのであります。言いかえれば、日本放送協会はそう恐るべき敵を持たないのではないか。日本放送協会は相かわらず、日本放送界における独占的勢力を維持するのではないかと思いますが、もし幸いにしてこの商業放送が進歩するなら、また進歩し得るように、これは日本の経済界がなることを希望いたしますが、この商業放送が発達するならば、私は日本放送協会にも非常によい影響を與えるだろうと思うのであります。そういう意味で私は商業放送というものを、あまり無視しないようにしてもらいたい。これは特に電波庁に対する私の希望であります。それでうわさによりますと、日本放送協会は中波を独占して、商業放送は短波放送しかできないのではないかということを聞くのであります。明らかにそうであるかどうかしりませんが、そういうことがあつたならばたいへんだと思います。技術的なこともございましようが、私が聞き及んでおる範囲では、まつたくそれも解決できないことでなさそうであります。もし商業放送が全部短波になりましたら、これはほとんど聞く人はありません。日本ような貧乏国で、オール・ウェーブのラジオを持つておる人は、ちよつと金持ちでなければ持てませんので、ぜひ商業放送も中波放送を持てるように、これはぜひお考え願いたいと思います。私の申し上げたいと思うことは大体その程度でございます。
  37. 辻寛一

    辻委員長 川島先生の御予定の時間が大分追つておりますので、御質疑がありますれば、大体十五分ぐらいでお済ませいただきたいと思います。
  38. 高塩三郎

    ○高塩委員 川島先生はこの法案に対しまして、大体御反対の御意見よう承知いたし、また了承いたしましたが、その根本原因は、NHKにおけるところの経営委員会委員の選任の問題とお聞きしておりますが、非常にこれが複雑であるが、先生のお考えではどんな程度で、どんな方法によつて委員をお選びになることが最も妥当であるか。またその地区別ということがはたしていいか惡いか。またここに人数が八人ときめられておりますが、この人数の点がこれで妥当な数字であるか、もつと多い方がいいか、もつと少い方がいいか。この三点について簡單に御意見を拜聽いたしたいと思います。
  39. 川島武宣

    ○川島公述人 私今ちよつと申し上げましたのは、そういう御質問に入る前の前提問題なのでありまして、つまりそもそも内閣総理大臣が経営委員を任命することに反対しておるわけです。ですからどの地区から選ぶかどうかということを、あまり論ずる価値がないように私は考えておるのです。どんなに一生懸命になつて選びましても、あいつは好ましからぬやつだ、あいつは追放しようということになつたりする余地があるような制度に、私は反対しておるわけであります。つまり言いかえますと、委員たるに適しない非行のあるときはということは、ああいう放送はやめさせろと内閣総理大臣が言つて、それはさせます、させなければいけませんと言うと、それは委員たるに適しないということで、首切ることが実際できるわけです。法律解釈というものは実際そういうもので、現在多くの法律がそういうふうになつておる。私の專門の民法で申しますと、あの新民法をつくるときには、こういうつもりでなかつた法律が、現在実際各地の役場ではまつたく予想に反したひどい解釈をやつておる。それは輿論の批判があるというふうに一応お思いになるかもしれませんが、しかし輿論の批判なんというものを無視してやろうと思えば、いくらでもできます。権力というものは何でもできるのであります。それでは困るが、実際はできる。ですから民主主義国家というのは、権力が横暴なことのできるようなことをしない法律をつくるのが民主主義で、特にセクト・バランスというものは、そういうことを考えてアメリカではやつておるのでありまして、私は先ほど申しますように、言論、学問の自由ということが民主主義の根本原則であつて、権力がこれをコントロールするということになつては、民主主義ではない。私が專門にしておる民法について、ある議論をいたすといたしますと、お前はそういう議論をしてはいけない。民主党、共産党、民自党、何でもけつこうですが、党の方針にお前は合わぬ。だからお前は早くやめてくれとなつたら、私は日本の学問というものは成立たぬと思うのであります。それで日本の社会科学が今日非常に遅れておるのでありまして、日本の社会科学の遅れ方はどれだけ遅れておるかというと、皆様御專門以外の方には御想像がつかないくらい遅れておる。十年間のブランクはたいへんなものです。今後これを取返すためには、私たちたいへんな努力をしなければならぬ。夜の目も寢ずに努力しなければ追いつかない。それはなぜかというと、社会科学が完全に権力にコントロールされておつたからです。それと同じことが言えると思うので、言論と学問というものが政治的勢力によつてコントロールされるということを私は極度におそれるのであります。ですからどういう人を人選したらいいかということに対しては、私は実はお答えする余地がなくなつてしまうのであります。
  40. 飯塚定輔

    飯塚委員 川島先生からただいまの高塩君の質問に対して、その質問に入る前提としてのものだということを伺いましたが、先ほどのお話の中に、放送協会のような言論機関を、政府とか国会が監督するようなことではいけない。民衆がそれをしなければいけない。それから言葉のあとの方がはつきり聞きとれなかつたので、あるいは失礼なことを申し上げるかもしれませんが、各種の団体ということをお話なつようですが、各種の団体から代表者でも出て、そういう委員会ようなものをおつくりになるというお考えでしようか。この点をお伺いしたい。
  41. 川島武宣

    ○川島公述人 私実は立法者でありませんし、あまり考えていないのです。こんなに資料をもらいましたが、私全部読んでないのです。外国の例を先ほど引きましたが、私のほんの思いつきで、これは我田引水になりますが、たとえば日本学術会議というようなところから代表者を一人出すとか、あるいは日本の報道事業、新聞関係から代表者を一人出すとか、あるいは芸術界から一人出すとか、農民の協同組合の関係もあるかもしれません。どういうのがいいか私わかりませんので、国会の皆様に考えていただきたいのですが、私はそういうところから出て行くというふうにしたいのです。そうして政府の直接コントロールするということをやめてもらいたい。  先ほど時間を気にしておりまして申し落しましたので、つけ加えさせていただきますが、それでは民衆の代表者が来てどんなことをやつても、これを黙つておくのか。私はそれは困ると思う。私は新聞にプレス・コードがありますように、やはり放送についても客観的なわくをつくりまして、これを出ては困る。たとえば日本の国家の国際的の信用を落すようなことを放送しても、非常にわいせつなことを言つても、そのほか下劣なことを言つてもいかぬし、それはいろいろわくがあると思う。ですから私はそういう一般公共の福祉ということを考えまして、わくをつくつて、そのわくをみだりに出ないようにする規則をつくる。しかしその規則は客観的なものとして一応あつて、もちろん最後にその規則に触れるか触れないかは、やはり何か判定する機関をつくらなければならぬと思います。そのときには政治勢力が入つて来て、またそれが争いになつて、結局権力を握つておるものが勝つかもしれません。けれども私はそれをできるだけ少くしたいのでありまして、直接絶えずこうせい、ああせいということを総理大臣が言われない。行政組織のようにならないで、完全独立した委員会というふうにしたい。教育委員会というのは一応独立しておりますが、ああいうふうにボートのシステムと同じようシステムを考えたい。
  42. 中村純一

    ○中村(純)委員 ただいま川島先生お話になりました全般的な御趣旨は、私どもよく了承できるのでございます。またその御趣意に基いて、具体的な一つの問題として経営委員会委員の面に関しまして、この法律の規定がはなはだ部分的であり、しかして抽象的な規定のもとに、当てはめる具体的な内容は、時の権力者によつてつてに当てはめ得るところに、非常なる危險と不満があるという御趣意に承つたのでございます。その御趣旨もこれまたよくわかるのでございますが、その当てはめんとする具体的の内容、これまた一つの例として今お話になりましたことは、時の権力者の気にいらぬよう放送をしたとか、あるいは気にいらぬようなことをおつしやつたような場合でも、これを具体的に適用し得るのではないかということを、一つの例としておあげになつたわけでございますので、その一例としておあげになつたことにあまりに固執するようで、はなはな恐縮でありますけれども、しかしながらそれは一例としておあげになつたのでありまして、その例そのものは、先生の真にお考えになつております言論の自由ということに、深くつながつておる問題でありますがゆえに、ちよつとお尋ねをいたします。実は私もこの放送法案の勉強の途上にあるのでございますけれども、この法案を通じまして、今つけ加えてお話になりましたようなプレス・コードに該当するようラジオ・コード的なものは、内容として抽象的なものでありますけれども盛られておりますし、また法案の第三條に、放送番組そのものにつきましては、法律に定める権限に基く場合でなければ、何人からも干渉されない。また規律されることができないということを定めておるわけであります。すなわち総理大臣といえども、気に入らぬ放送をかつてに自分の恣意において禁止することはできないということを定めておるのであります。つまり放送内容については、法律上自主性が考慮せられておると、一応受取れるのでございます。従いまして、ただいま先生が例としてあげられましたようなケースは、この委員の任免に関しまして起り得ないのではないかと考えるので、その点について御意見を承りたいのでございます。
  43. 川島武宣

    ○川島公述人 もちろんこの法律は非常によくできております。私法律家ですから、これを読みまして、実によくできておると感心をしております。おつしやることも一応全部用意周到にできております。ですから、私も今おつしやいました諸点は承知いたしておるのでありますが、問題は、経営委員会が内閣のもとにあつて、その支配を受け、監督を受け、首を切られるという機構そのものにあるのであります。ですから、法律の上ではそういうふうになつておりますけれども、実際は気に食わなければ首を切れといつて解職をする。いかぬと言つても、事実上辞令を出せと言つて出させれば通つてしまう。権力というものはそういうものなんです。それで今までわれわれはさんざん苦労したのです。言論の自由というものはちやんと保障しておかなければ、規定がこういうふうになつておるのだから、そういうふうなことはしないだろうでは済まないのです。言論の自由を蹂躙できるようなすきがあれば、権力のある者が決意すればいつでもできる。今日われわれが苦しい生活を送つている原因はそのためであります。ですから、私はそういう構想そのものが困ると言うのです。もう一つは、一体こういう構想は、私はどうも民主主義の根本精神に反する。憲法の精神に反すると思う。たとえば憲法八十九條でしたかに、教育に関するプライベートの機関には、政府は一切金を出してはいかぬということがあります。あれは実にやかましく解放されておりまして、政府が私立学校に助成金をやろうとしてもやれない。なぜかといえば、ピープルの金であるから、これをやりつぱなしにはできない。どうしても政府がコントロールしなければいけない。そうなると教育にガバメントが干渉するということになり、民主主義の精神に反する。だから私立学校に金をやることはできないということになつておる。これには非常にやかましいうるさい規定があるわけです。つまり金をやつてはいかぬというぐらいにうるさいのであります。ところがこの言論機関のかんじんな役を政府がみな任命して、そして首を切れるというのでは、これは私は直接憲法違反とは言いませんけれども、憲法の精神に非常に矛盾しておると思うのです。ですから、そういううまい規定が用意周到にあるかどうかということもさることながら、こういう構想そのものが、私は憲法の精神に反するのではないかというふうに考えるのであります。
  44. 中村純一

    ○中村(純)委員 よく御趣旨はわかりましたが、おつしやいますような経営委員会という方式は、実は私ども存じておる限りにおいては、内容は類似しませんが、放送協会以外の類似の各種のコーポレーシヨンにとられておる形態なのでございます。しかして先生のおつしやいます御趣旨は、これが放送協会であるがゆえに、すなわち言論機関であるがゆえに不適当であるとおつしやいますのか。あるいは他のコーポレーシヨンも通じて、この種の機構そのものが、いかなる場合でも不適当であるという御趣旨でございましようか。その点承りたいのであります。
  45. 川島武宣

    ○川島公述人 私の趣旨はこういうことであります。つまりいろいろのコーポレーシヨンに政府が役員を任命する場合は、いくらだつてあると思うのです。特に政府が資本を出しているという場合には、政府が役員を任命してコントロールするのは、責任上当然である。つまり政府はピープルの金を扱つておるわけでありますから、それを出してある事業をする以上は、政府がその役員を任命してコントロールする義務がある。ところがこの放送協会は言論機関である。つまり言論の自由は保障しなければならないということから、政府の一切のコントロールを排除したいというのであります。たとえば国際放送には政府が金を出すという規定がございます。また国際放送をやるために研究する金を出すということがあつたかと思いますが、そういう規定が政府が金を出す以上、その限りにおいては、政府がこの金の行方について監督する必要があると思う。従来助成金など、出すまではなかなかやかましいが、判を押して出してしまうと、その金がどう使われているかということは非常にルーズでありまして、何とか事件、何とか事件というスキヤンダルがたくさん起つたわけであります。あれは起す方も惡いが、金を出したあと知らぬ顔をしている政府も惡いと思います。政府が日本放送協会に金を出したら、経理は嚴密にやるべきだと思います。結局経営委員会が会長、理事をつくつて行くのでありますから、そこを断ち切らなければ、言論の自由は保障されない。憲法の精神に反するのではないかという感じがするのであります。
  46. 松本善壽

    松本(善)委員 ただいまの御説を承つてたいへん参考になりました。放送法案の第一條に「放送を公共の福祉に適合するように規律し」とありますが、放送事業公共性を有していることはもちろんであり、またわれわれの日常生活にとつて一つ文化機関でもあります。しかして言論自由の大原則に立つてこれを自由に許したとして、もしもこれが文化事業を助けるものでなく、むしろ逆な効果を来して、商売本位になつたり、民衆の方向を誤らすようなことがあつた場合、だれが責任をとるか、こういうことが私どもの疑問とするところです。また欧州各国、ことデモクラシー国家としまして、われわれが今後勉強しなければならぬ米国の委員会のあり方が、はたして学者の間によい制度だとあがめられているかどうか。米国は御承知の通り大統領が一人でその責任を負うことになつており、現在の日本は国会がこれに当つております。このいずれがよいかということは、今後私たち大いに勉強させていただかなければならないことであると考えるのであります。先ほどの先生の御説はもちろんわかりますが、知識が浅薄でありますが、そういう米国における委員会制度というものが、学者の間にはあなたが言われるような非常にいいという説も妥当でないように私も聞き知つておるのでありますがゆえに、簡單けつこうでありますが、米国における議会の外廊団体の、いわゆるサークルというものの中においてできた協会または委員会、そういうもののあり方が学者間にどういう批判を受けておるか、あなたの御見解をまず承りたいと思います。
  47. 川島武宣

    ○川島公述人 お答え申し上げます。私が今申しましたのは、言論を自由にしておいてどんなことをやつてもいいと申し上げたのではないのでありまして、私はむしろ先ほど申しましたように、これはやはりわくがないと困ると思うのです。ただ私が申しますのは、放送協会という言論独占機関を、政府が権力でコントロールすることに反対しておるのです。ですからいけないという点では、たとえば商業放送の方にはこういう規定はありません。商業放送の方は総理大臣が任命するということがありませんから、何でもできるわけです。それでは商業放送の方は、やはり総理大臣が理事を任命しなければならぬかということになるわけです。ですから私は逆ではないかと思う。つまり言論機関であり、文化機関であるものを、かつてにされては困るということは、私は万々思うのでありまして、これは社会公共のために大いにやつてもらわなければならぬと思うのです。むしろ私は商業放送がべらぼうなことをやつては困ると思つて、大いに心配しておるわけであります。ですけれども、だからそれを総理大臣が任命すればいいということに、私は疑問を持つわけでありまして、もしもそういうことならば、商業放送も総理大臣が任命しなければならぬということに問題が行くのではないか。私は逆にすべての言論機関は、権力がコントロールすべきではない。しかし何でもやつていいということを言うのではない。ただ行政組織の中に入れて、上からコントロールして命令して行くというのに、私は反対するだけである。ですからそれは何も放送協会だけではないのでありまして、商業放送がエロ本の広告放送をやられれば、非常に困ることは当然でありまして、これはやはり断固押えなければならぬでしようから、その点は同じじやないか。商業放送であろうと公益放送であろうと、やつてはいけないことはやつてはいけないのです。公共の福祉に合わないようなことをやつてはいけないことは当然なのでありますが、それをただ時の政治権力に直接従属させて、その指揮命令系統下に立たせるということに、私は反対しているだけであります。従いまして委員会制度が何も欠点のない神様のような制度であるかというと、絶対にそんなことは言えない。ただ客観的な法律的なわくをつくつておいて、それにはずれればいけないということで、これを第三者が判断してやつて行くというシステムの方が、はるかにいいのではないか。そうでないと、権力を持つている人間がそれがいいということになると、これは非常に苦い経験をわれわれは持つております。だから権力を持つている人間が任命する指揮命令系統の下に立つという仕組みに、私は反対したわけであります。委員会の制度については、もちろんアメリカでも批判があるらしいのでありますが、私は委員会制度の專門家ではありませんから、多少意見は持つておりますが、申し上げることをお許し願いたいと思います。これは皆さんに御研究願いたいのでありますが、ただ私は総理大臣が任命するよりはるかにいい言論機関を、総理大臣が任命することを認めたら、これはたいへんなことになる。たとえば大学教授に、お前の議論は何党にあまり得にならぬから、やめてくれと言つては困ると同じことになると思います。われわれは日本の政府によつて任命されている教授でありますけれども、しかしわれわれは一定の公務員のわくがあつて、そのわくをはずれたら首になる、けれどもわれわれの業務内容というか、われわれがどういうテーマでどういう研究をし、どういう結論を出すかということについては、何人の指揮、命令にも従つていない。そうでなければわれわれは憲法にいう学問の自由を維持することができない。私はそういうことを言わんとするのであります。
  48. 松本善壽

    松本(善)委員 先生方は、言わんとするところだけ言うようでありますが、私がお尋ねしておることは、先ほどの米国における委員会制度のことであります。しかしその点については御研究をなされておられないということによつて、一応打切ります。  次にこの放送法案につきまして、あらたは先ほど総体的に反対である、内訳が今いつた組織論において反対論であるということに承つておりますが、しかしこの法律の根本の精神は、私はこう考えておるのであります。放送事業というものは放送協会、いわゆるNHKしか現実において持つておらない。今度新たにもしもあなたがお考えになるような立場において、NHKだけをそういう方向に認めて、ほかの放送事業には一切させないという観点に立つた場合には、先生が言われたような理論が、あるいは成立つのではないかと私も考えておる次第でありますが、放送法案が生れたところには、今後民間の放送もなし得るだろう。——私どもは知識が浅薄でありますので、お教えを請わなければならぬのでありますが、私の考えといたしますならば、放送法案が生れれば、新しい競争者というものがこれででき上るのではないかと私も考えておるのであります。初めからおとなになろうということは、なかなかできないのでありましよう。もちろん日本におきまして、文化的に科学的に遅れたというのは、十年と申しましようけれども、ただそれが研究されておつても、発表する機会を得なかつたから遅れたということも、しばしば私たちが耳にするところであると思います。従いまして放送法案が生れ、民間放送が新しい発足の産声をここであげるのだということによつて、私たちは少くとも明るさを感ずるのであります。協会に対してのみその理論をあなたは中心としておられたようでありますが、新しく産声をあげるところの民間の放送事業というものに、真に重点を置かなければならないと思います。その点について、先ほど私が藤原さんのときにも申し上げましたようNHKに対してはこういうふうに権利と義務の中に立つようではありますけれども、民間放送を育成するためには、やはり一方において義務的な教育を與えて置いて、一方に專門的なる教育を與えようとする親心のない法案であると、私は考えておるのであります。従つて今後生れるところの民間放送に重点を置いて考えるのが妥当であつて、子供を育てるためには、親はこういう苦労もしなさいというのが、いわゆる権利義務の関係であると私は深く信じております。従つてNHK関係の方々からは、おそらくこれは希望しておられないと思いますが、しかし今後育て上げる民間放送というものを考えた場合において、わが子のために努力して行こうという親心を、私は日本放送協会にお願いして参る考えでありますので、結論といたしまして、あなたが先ほど言われたように、協会が税金をとるから監督権、これも当然である。経済的な面に立つて会計監督をやる、これも当然であります。しろうとがやる場合においては、必ず人間がやるのでありまして、人間というものはだれでもよいからその仕事をなせというのは、これはほんとうの理論であつて、実際はとうていできない、疑問であると私は思います。はなはだ恐縮ではありますが、私はかく考えておるものであります。従いましていざやるという場合には、しからばどうしたならばよいかということが実際疑問になると思うのでございます。  私が次に先生にお尋ねしたいことは、民間放送というものが今後生れたら、どういう形態であるべきだろうという、この点について御高見を拜聽させていただきたいと思います。
  49. 川島武宣

    ○川島公述人 たいへんむづかしい御質問で、私の能力ではどうも答えられそうもないのであります。私まず最初にお答えしますのは、今後民間放送はいかにあるべきかということでありますが、私は不幸にして知識がないので、民間放送をどうやつてよいかわかりません。どうぞそういうように御了承を願います。ただ私先ほど申しましたように、あるいは私の言い方が惡かつたかもしれませんが、私はこの法律で民間放送を許すと、競争ができてよろしいという今おつしやいました御議論に、全面的に賛成であります。先ほどそういうふうに申し上げたつもりでありまして、私はむしろNHKが波長をとらないように、つまりもつと民間放送を育成するように考えていただきたいということを、私は電波長官の方にお願いしたわけでありまして、その点については私はまつたく同じ意見を持つております。
  50. 中村純一

    ○中村(純)委員 まことに恐縮でございますけれども、重要なポイントでありますから、簡單にお尋ねいたしたいと思います。私どもは何ら成心を持つて先生にお尋ねを申し上げるのではないということを、前提として申し上げますが、條文十六條の委員の任免に関することで、先生の今御指摘になりましたお言葉が足らなかつたせいかとも思いますけれども、内閣総理大臣が簡單委員を任命したり、首切つたりすることができ得るというような御趣旨と承つたのでありますが、この條文を見ますと、これは普通の公務員の任免とははるかに違つておりまして、委員たるべき者の資格に関する積極的な條件を定め、また消極的にその欠格條件を定めており、その範囲内において両院の同意を得て、内閣総理大臣が任命するということに相なつております。この趣旨は、いろいろな解釈がございましようけれども、この場合における内閣総理大臣の任命なるものは、あたかも天皇の認証のごとき、一種の形式的な手続上の行為であつて、実質は両議院にあるとも解釈されると思います。その点におきまして、一般公務員の任免とは非常に違う実質と條件とを持つておるように考えられるのでありますが、それにしても困るという御趣旨でございましようか。
  51. 川島武宣

    ○川島公述人 お答え申し上げます。私のおそれるのは、非常に骨のない、何でも言うことを聞くイエス・マンを入れるとか、また両議院の同意とはいいますが、大体多数党と総理大臣は一緒である。従つて今は民自党が多数であるが、そのときに選んだ人が、今度ほかの政党が多数になると首切られてしまつて、首のすげかえができる。国会は多数決ですから、極端な場合にはそういうようになるのではないかということでありまして、実際にそういう経験を今までいろいろと持つて来ている。それは單なる杞憂にすぎないと思われるかもしれませんが、今の政党政治は大正時代からずつと発達したのですが、これまでにも自分の党に都合の惡いような行政官を首切つたこともあるので、そういうことをおそれるのであります。またラジオという言論機関は、使いようによつてはたいへんな宣伝機関になると思う。これに着目して、政治家が自党のプロパンダをやれば、大したもので、大いに自党の票をかせぐことができると思う。そういうこともおそれるのであります。またかりにそんなことはしない。ほんとうに総理大臣及び国会が、自党の利益を考えないということを前提にしても、言論機関を政治的権力のコントロールのもとに置くということは、根本的に憲法の精神に反するのではないかという疑問を、法律家として持つということをつけ加えさせていただきたいと思います。
  52. 中村純一

    ○中村(純)委員 なおもつとお尋ねいたしたいこともあるのでございます。特に本法において予定いたしておりますラジオ・コードの関係と、この機構問題との関連について、お尋ねしたいことも多々あるのでありますが、もう時間もありませんから、これで打切ります。
  53. 田島ひで

    ○田島(ひ)委員 先生の御意見を伺いますと、たいへんこの法案の弱点をおつきになつておられまして、私も同感に感じます。この法案だけ見ますれば、先生が申されましたように、非常に民主的にいろいろ用意周到にできておりますけれども、最近の客観的な状態から見まして、この法案が一旦できますれば、これを運営する上において、必ず現在すでに進歩的な人々が——学校の先生も追い出されておるという現状におきましては、私どもがかつて戰争前から戰争を通じて、言論の自由が圧迫され、統制されましたところの憂いを、再び私どもは繰返すのではないかとおそれるのであります。この点につきましてなお私は先生からいろいろ御高見を承りたいと思いますが、時間がございませんから、この法案を離れまして、現在の放送事業、つまりNHKに対する内容その他いろいろな点につきまして、これも時間がございませんので簡單でよろしゆうございますから、それの御意見を持つておられたら、あるいは御批判のような点がありましたら、おつしやつていただきたいと思います。
  54. 川島武宣

    ○川島公述人 NHKに対する批判ということは、どうもたいへんむずかしくて、あれこれと私も注文があるのであります。しよつちゆう聞いておりまして、注文がありますが、私が何よりも希望したいことは、私がきよう申しました一切の議論がそれに関係するのですが、NHKはいかなる政党にも偏しないで、あるいは少くとも偏しないというつもりでやつてもらいたい。その個人々々はみんな意見があるかもしれませんけれども、偏しないように努力してやつてもらいたい。私はニュースなどにつきましても、いろいろ希望したいことがあるのです。いろいろむずかしいことはあると思いますけれども、ニュースなんかにおいても、もう少し客観的にいろいろなことを私たちは知りたいと思うことがあるのです。もう一つは演芸放送などにおいては、私も実は藤原さんとまつたく同意見で、少しのど自慢やら、二十の扉やら、話の泉やら、何やらとりとめのない、聞いていてばかになるよう放送が多過ぎるので、私はこの法律に感謝しております。私は電波庁の方に感謝しておりますが、ここに書いありますように、放送を詳細に「事実をまげないで報道すること。」「できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。」「音楽、文学、演芸、娯楽等の分野において、最善内容を保持するということ。」それから「協会の放送番組の編集は、政治的に公平でなければならない。」という、これらのことについて特にどうぞ御留意願いたい。今までこれらの諸点に合わない点も、ときにはあつたのではないかと思いますが、私はこの法律にそういう意味で大いに感心いたしておりますが、これが実行できるようにせられたいと思います。いわゆる日本放送協会の自主性ということに結局はなると思います。そういうことを私はお願いしたいと思うのであります。従来日本放送協会は、独占的言論機関としての地位を完全に自覚してやられたかどうか。客観的に申分なかつたかどうか。われわれもいろいろ注文したい点がある。それだからといつて政府の機関のもとに立たせばいいということは賛成できないのであつて、私はこれに自主性を持たして、われわれ民衆がこれを大いに批判でるような機構を、ひとつお考えいただきたいと思います。そうすれば私はいろいろ各政党の方々も、こういう巨大な言論機関は津々浦々にまで行きますから、これを選挙対策なり何なりに公平な條件のもとにおいて、大いに利用していただきたいと思います。そういう意味で、私はお答えになるかと思いますが……
  55. 辻寛一

    辻委員長 川島君に対する質疑を終ります。ありがとうございました。  次は村岡花子君にお願いいたします。
  56. 村岡花子

    村岡公述人 村岡花子でございます。私は家庭の主婦でございまして、そして家庭の仕事の間々に、ものを書いている者でございます。一番初めに藤原さんがここにいらつしやいまして、そうして発言なさいましたときに、ものものしさに打たれたということをおつしやいましたし、それから山と積まれた資料は、勉強し切れなかつたとおつしやいました。それらのこと全部を込めて、私もあの藤原さんの前文に賛成をするものでございます。ここに繰返しませんけれども、初め前置きに藤原さんがおつしやいましたことのほとんど全部を、私も同じように言いたいと思います。私はここに原稿を書いて持つて来ておりますが、それは非常に準備がよく届いたのではなくして、恐怖からでございます。たつたこれだけの間を話すのでございますけれども、非常に恐れましたので私、ここに書いて参りました。それぐらいに、今日は何か初めての経験で、上つているのでございます。川島教授は、今爆彈的発言で、この放送法案には反対だ、こういうふうにおつしやいました。私は今度は、非常にものやわらかに始めます。  私は放送法ができますことについては、賛成いたします。まず結論としてこのことを申しておきます。この法律ができますことについては賛成いたします。その第一條に示されてあります通り、「放送国民に最大限に普及されて、その効用をもたらすこと」、「放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによつて放送による表現の自由を確保すること。」さらに「放送に携わる者の職責を明らかにすることによつて放送が健全な民主主義の発達に資するようにする」のが、この法案の目的であります以上、この目的を額面通りに受取りますれば、この法律のできますことは、私ども国民の幸福が増すわけであり、国民はこの法律の成立によつて自由な、伸び伸びとした放送を耳にして、啓発と、報道と、慰安と、娯楽とを十分に受け得ることを約束されるわけであります。この意味におきましては、放送法案の成立は喜ばしいことでありましよう。私は放送のあるべき姿としてうたわれているいわゆる「不偏不党」の純粹なる立場において、私もこの法律の成立そのことには賛成でありますが、現在の法案内容につきましては、幾分の疑いと不安とを持つものであります。  まずこの法案について意外に感じました点は、それが「公衆によつて直接受信されることを目的とする無線通信の送信」という、きわめて一般的の意味の説明で規定されている放送に対する法律でありながら、ほとんどすべては、現在のNHKなる社団法人のあとを引継ごうとしている、日本放送協会のあり方を規定するもので終始している点であります。私たち国民——と申しますと、むしろ、言葉がいかめしくなります。私たちの家庭で——私は今日ここで家庭を代表しているつもりであります。私たちの家庭で楽しんで期待している民間放送、無料で聞けるあの民間放送局というものに対しては、ただ第三章で二項目をあげております以外には何もないことが、いささかふしぎの感を抱かせるのであります。もちろん現在のところ、波長の関係などから、民間放送範囲はそれほど大きなものではありますまい。しかしながら一切の広告放送を禁じられる日本放送協会と、広告料あるによつて聽取者には無料で放送する民間放送との、二本建の間にはさまれている公衆の側からは、商業放送の進歩のための規定と保護、そういうものがある程度設けられてあるべきはずだと思われるのであります。  公共放送の企業体、日本放送協会中心としてつくられる放送法案の運用が、はたしてその放送番組の上に表現の自由を完全に確保できるものでしようか。不偏不党ということがいかにむずかしいものかということを、私たちは終戰直後の放送を聞きながら、確かに感じとつたのであります。傾かぬといい、公正の道を歩んでいるといいながらも、結局はいずれかの思想傾向に影響されていることを、あの当時聽取者の家庭では寄り寄り批評していたのであります。それはNHKの自主性の足りなさが、国民という各種各層の混成体であるものに向つて一つの色の勝ち過ぎた印象を與えて不満を買つたのでありますが、新しくでき上ろうとしている放送法によつて日本放送協会の監督と経営はそれぞれ委員制度のもとに行われ、その委員任命は内閣総理大臣が国会の同意を得て行うということには、民主的なものが感ぜられますが、今までのNHKが競争相手のない独占事業であつたために、かなりの独善に陷つていた傾きもありますゆえに、今度の新しい行き方で、国民の代表である国会の同意によつて選ばれる経営委員会を、実際に自分たちの代表であると意識して、日本放送協会のあり方について、いわば親身になつて関心を持つほどの習慣は、私どもにはついていないのであります。新しく出発する日本放送協会は、全国民、全家庭が、国会を通じてこれに必要な監督を行つているのだという意識を植えつけるような、親しみ深い、そしてすべての生活層に触れた放送番組をつくることに、特別の努力をしていただきたいと切望いたします。  そこで国民のすべてに満足を與えるようにとの心づかいからも、全国を八つの地区にわけて、そこに住いを持つ者のうちから、一人ずつの経営委員を任命することになつているのでありましようが、適材がはたして都合よく八つの地区に一人ずつ分布されているものでありましようか。地区はわけられますが、人間を一緒にわけるわけには行きませんから、いささか心配される次第であります。その上に、いわゆる委員会制度も、有名人を並べることで終つたり、あるいは各政党への総花的な選任になつたりする今までの形式に落ちなければ、仕合せなことであります。  初めにも申しました通り、私は放送法を成立させることには賛成であります。けれども、ここに出ております法案の運用にあたつては、ただちに公平無私の態度が要求されると思います。政治的公平は、單に経営委員会に五人以上同一政党の者がいないことぐらいで、保たれるかどうかということもあります。国会における政党の勢力の及ぼす重圧も考えられます。多数党のみが国民の意志の代表ではなく、少数党の中にもまた、相当の数の国民の意志が宿つていることに思い至りますとき、放送法案のうたう民主性にも、なかなか複雑微妙な感情が忍び寄つて来るのかもしれません。  公共放送からも一般放送からも、家庭が求めるところのものは、不愉快、不明朗な雑音にじやまされない、澄んだ報道であり、親しみ深い啓発であり、明るい娯楽であり、落ちついた慰安であります。  放送法案の完璧を期してお骨折りくださつていられる国会の皆様は、この法案にあらゆる面から十分なる検討を加えられ、必要なる修正を加えてくださることを期待いたします。
  57. 辻寛一

    辻委員長 何が御質疑がありますれば、この際御質疑願います。
  58. 松本善壽

    松本(善)委員 たいへんけつこうなお説を承りまして、感謝をいたしたいと思います。私たちもこの法案が生れ、実際この通り行われなければならないだろうということは、今後私たちが皆様とともに責任があるわけでありまして、この点については私も同感でございます。それで言葉を返してはなはだ相済みませんけれども、終戰以来私たち国民放送に関して一言も申すこともできなかつたと思うのでありまするが、しかし今度放送法案というものができ上つて、あるいは私たちが一言もの申すことができたようにも私は考えるのであります。従いまして放送に関しても、あらゆることでも同じだろうと思うのでありまするが、民間放送に対する御見解をもう少し、生れるとすればどういう過程でどういうふうに生れたがいいか。現在は協会のお話ばかりでございまするが、構想というものは先入感が伴いますので、NHKのみを論談になされるのであります。ことに條文が二箇條しかないから、その二箇條をどう育成して行つたらよいかという見地に立つて、論をやつていただきたいと思います。今までは民間放送というものが全然なかつた。それでも二箇條できたという、この二箇條できたという論点に立つてやるべきであつて、どうも民自党の人たちが多数であるから、現在はどうも言論機関を封鎖するのにNHKをいじめた。放送NHKしかないのだという今までの考え方で、論談せられておるのではないかと思うのでありまして私の聞きたいことは、特にこの二箇條をどういうふうにわれわれが盛り立てて行くか。私としては二歳の子供のようなこの二箇條を、どういうふうに励まして行くかということを、一応評論家でもあり、また婦人代表でもありまするから、この二箇條の子供をどういうふうに育てるかという親心について、ひとつ御発言願います。
  59. 村岡花子

    村岡公述人 この民間放送、商業放送というものは、だれにとつても未知の世界でございます。アメリカ行つて来た方たちは、アメリカは商業放送だけでなつているということでございまするから、それがいかにやかましいものであり、よいところもあり、また実に煩わしい、うるさい、何とかして放送から逃げ出したいという悲鳴をあげるくらいのものだというようなことも、私はアメリカの人たちからいつも聞いて来たことでございますけれども、事実そうであるかどうかは存じません。けれどもアメリカ行つて来た方々は、どういうものであるか、何か構想がおありと思いますが、私のように一度も商業放送というものは聞いたことのない者、またそのほか大部分の国民にとつては、まつたくこれは知られない世界だと思います。  たつた二つだけこの法案の中に出ておりますことは、皆さん方も御存じの通り広告放送の場合には、広告主があらかじめこれが広告放送であるということを告知するのは、あたりまえのことでございます。それでなかつたら広告放送の値打はないのでございますから、それをもちろん下手に考えたら一番先にするわけでしようが、アメリカなんかの一般広告放送ように、非常によい音楽放送された後に、たつた一言、ただいまの放送はどこどこの会社の放送でありますと言う。ただその一言で、開いておる人たちが、その十何分かの観賞の後にその会社の名を覚え、商品を覚える。あるいは全体の劇の中に、どうでもこれを食べさせたいと思うようなカン詰ならば、劇の間の至るところに絶えずその名前が繰返されて行くとか、いろいろとそういつたような方法はございましようが、この法案の中に出ておりますように、広告主があらかじめそれを告知するということは、もう当然わかり切つたことでございます。  それからもう一つ書いてございますところは、立候補の放送の場合に、日本放送協会がその人々に放送の時を與えるならば、商業放送の方でも同じようにそれを與えなければならない。これはほんとうの基本的な法律だと思うのでございます。もつともつとこういうものについて言うべきところはあるのでございましよう。今NHK中心にしてとおつしやいますけれども、日本に初めて生れる放送法律の法案そのものが、NHK中心にしてこれから生れようとする日本放送協会というものをがんじがらめにしようとしているものが、大部分だというふうな印象を與えるのであります。しかしそれがよく運用されれば、非常によいのでございましようから、私は破壞的な絶望的なことは考えたくございません。むしろ国民全体の監督によつて、私たちがこの法律を生かして行きたいということが、今の私の望みでございます。しかし国民全体がそれを生かすことができるためには、日本放送協会の教育というものを、その面に非常に集中されなければならないと思いますし、同時にそのほかの面での社会教育も、やはりそういうことを取上げて行くべきだろうと思います。論法がすべてNHKに集中されたようになつておりますことは、法律の性質そのものからしかたのないことだと思うのでございます。  それから商業放送は、ただいま申し上げましたように未知の世界でございますから、こうあつたらいいだろう、あああつたらよいだろうということは、今私には申し上げるほどの考えはございません。ただ長い間アメリカ放送というものについて、自分がいろいろのときに読んだものでございますから、商業放送のやり方ということについては、こうしたら受けるだろう、ああしたらよいだろうというような、いろいろ構想は持つておりますが、これは商売のことでございますので、ここで別にそれほど申し上げることもないと思います。一番大事な点は、先ほどからどなたもおつしやつていらつしやいますように、あまりに野卑なものにならないようにということ、そういうことがあると思います。そして将来商業放送は、今は小さいものであつても、非常に盛んになるだろうと思いますが、そのときに私たちが空中から聞える音のために、いかに悩まされなければならないかということを、私はときどき思うのでございます。それで悩まされないためには、つまり放送法律というものが入り用なのだ。こういうふうにある程度の規格というものがなかつたならば、私どもは逐に耳を押えてどこかに逃げて行きたいというようなことになるのではないか。そのためにはここに放送の法律というものが必要だと思います。その点から商業放送についても、もう少し研究があつてしかるべきだ。これは私の方から立案者の方々に申し上げたいとこうでございます。
  60. 高塩三郎

    ○高塩委員 ただ一点、放送番組のことについてお聞きいたしますが、村岡さんは始終放送なさつておられまして、一番この放送という問題、ことに家庭の主婦といたしまして、放送番組について御関心を持つておられることと拜察いたします。ことに先ほど川島教授からも、あの放送を聞いておると、むしろおかしいよりも、ばかになるというようお話がありまして、われわれも一部分そんなことを感じておるものもありますが、家庭の主婦といたしまして、ただいまの放送番組につきまして、最もいけないという点と、それからこういうふうな編成の仕方をしてもらいたいというような点につきまして、忌憚のない御意見をひとつ承りたいと思います。
  61. 村岡花子

    村岡公述人 この委員会は、放送番組の構成に非常に興味をお持ちのようでございまして、盛んにその質問が出ますけれども、放送番組の作成ということはなかなかむずかしいことで、まず大体からいつて私は、NHK放送番組は非常に上手にできている。だれかほかの人がかわつてやろうといつても、なかなかあれだけのことはできないものだというふうに、大体からいつては感心しております。けれども先ほどからの娯楽放送、たとえば二十の扉とか、ああいうものについてもいろいろ批評もございましようけれども、国民全体というものを考えてみますと、ずいぶんあれを楽しみにして、ああいうふうなばからしい、くだらない、ばかになりそうだというよう放送によつて、りこうになりつつある人たちもあるのでございます。そういうものだつたのか、知らなかつた、きようはひとつ新しいことを覚えたと言つている人々が、国民の中にはたくさんあるということを考えますと、放送というのは多種多様なものを盛らなければならない。その意味において私は、もつともつと多種多様なものであつてほしいと思います。ことに家庭向けの放送などになりまして、婦人なんかを対象にしての放送には、非常に感心もいたしますけれども、あるときには浮いておるような感じがする場合がございます。私自身が、自分が放送をしておりまして、たとえば座談会なんかの放送をいたしますときに、私どもがしております場合に、その人たちに一般的になるように、やさしいようにとずいぶん言つておりましても、その放送が終つてから地方に行きますと、あにはからんや、この間の座談会はちつともわかりませんでした、こういうのでございます。その中で使われておる言葉がわからなかつた。しかもそれを言う人たちは、決して無知無学な人たちではなくて、地方で婦人団体のために熱心に働いておるような、地方の指導層とも思われるような婦人の方でも、私どもが都会放送の中で使う一つの言葉とか、きまつたような言葉でも、それがなかなかわからない、こういうときもございます。そういうことを考えますと、放送の用語というものはよほど研究しなければならない。これは私自身が自分の戒めとしておるところでございますけれども、そういう意味ではもつと平凡な、もつと平易なものも必要であろう。それと同時にもつと深いものも、もつとむずかしいものも必要だと思います。そういう意味で、私は日本放送協会ような大きな組織の中では、第一放送があり、第二放送があり、あるいは第三放送までもあつて、いろいろな面を満足させるようなプログラムを盛ることができたならば、非常にいいだろうと思います。同時に商業放送のことになりますけれども、商業放送なんかの場合でも、ある一つのところでは一番高いところをねらつて、たとえば宗教なら宗教放送というものがそこの一つの長所であるというようなものもあり、あるいは高級な音楽というものをそこの呼びものにすると、こういう行き方もいいことだろうと思うのでございます。要するに放送のプログラムというものには多種多様、多彩であればあるほど、多くの人を満足させることができる。私たち放送というものこそは、国民全体を相手にしておる公器だと思いますので、どうぞそれが片寄らないようにということ、最も大いなるものと最も小さいものとを考えて行く。こういつたような包容牲のあるものを望んでおるのでございます。たいへん抽象的になりまして……
  62. 辻寛一

    辻委員長 暫時休憩をいたしまして、午後二時から再開することにいたします。     午後一時六分休憩      ————◇—————     午後二時十五分開議
  63. 辻寛一

    辻委員長 午前に引続き公聽会を開きます。  辻二郎君にお願いいたします。
  64. 辻二郎

    ○辻公述人 私はときどき放送に出さしてはいただきますが、放送事業のことについてはまつたくのしろうとでございます。しかし今日は放送法案について何か感想を述べろという御招請を受けましたので、気がつきましたことを二、三申し上げてみたいと思います。  今度の放送法案によりまして民間放送が許されることになりまして、アメリカ等の様子を想像して非常にこれはけつこうなことである。自由放送の時代が来たというふうに考えます。もつとも私などは少々早合点いたしまして、今度はラジオの聽取料なんか出さなくても、どれでも勝手に聞えるのだというようなことを最初考えておりましたが、法案を見ますと、決してそういうわけではない。NHKは今後今までよりもさらに重大な任務を持ち、むしろ国家的な存在になつて、重要な任務を負わされるものである。それと同時にまたこの法案によりますと、非常に多くの條件におきまして、庇護を受けておるということを知つたわけであります。NHKが非常な庇護を受ける。たとえば所得税、法人税等も免除される。電波庁におきましても、いろいろな点において保護されるということは、これは国家的に非常に重大な任務を負わされているという点から——私は決してそのこと自体に反対をいたすわけでも何でもないのでありますが、それに比べまして民間の放送業者があまりに保護を受けないという点は、私どもちよつと割切れないような気がしないでもないのであります。この点はあとでももう少し申し上げたいと思いますが、NHKの場合には、今後商業放送の方に讓つてもいいようなものはむしろ割愛して、そしてどうしても日本放送協会でなければできないような重大な仕事が、まだなかなかたくさんあると思いますので、そういう点に十分力を盡されることを希望いたします。たとえば文化、教育等の放送などは、商業放送ではなかなかできませんものでありますから、そういつたもののほんとうの筋金の通つた放送等に力を入れていただきたい。また私は科学技術者として今日お呼びを受けたのでありますが、科学技術等に対する今までの通俗科学技術の放送等もけつこうでありますけれども、さらにもつと高度の、どうしても專門家が聞かなければならぬといつたような、重大な科学技術面の放送なども、今後は十分に力を入れていただきたいということを要望いたしたいのであります。  NHKの組織は、今度経営委員会によつて運営されるようでありますが、経営委員会は非常に大きな権限と責任とを持つているものと思います。またさらに電波監理委員会がその上の権限を持つているという点で、これらの委員会は非常に重大なものではないかと考えております。こういうふうな委員制度は、最近非常に多いのであります。私自身も国家公安委員をいたしておりますが、国家公安委員会のごときは、全然警察行政に経験がない者、経験があつてはいけない者、しろうとでなければならぬということになつております。しかしこの経営委員会、またこれは今日の直接の問題ではなく、電波法案の方の問題かもしれませんが、電波監理委員会委員の方々は、いずれもその道に広い経験と知識とを持つておられる方ということになつております。この委員会の運営は、非常にむずかしいであろうと思うのであります。委員に非常に適任ないい方を得るということが、大事なことであろうと思います。この点についてはどういう方法でこの委員を選定するかということが、たいへんに重大な問題ではないか。この放送法案の成功するかしないかの、かかつてわかれるところではないかというふうに考えます。しかもこれらはみな專門家の方々でありますから、それぞれ非常に独自の意見を持つておられる方、従つて委員長もなかなかむずかしい役ではないか。その選定の方法等も、まだ具体的なことは私は存じませんけれども、これをどういうふうな方法によつて選び出すかということ、もちろん総理大臣が国会の承認を得て任命されることになつておりますけれども、その具体的な方法等は、十分研究の余地があり、また国会において十分審議される。審議されなければならないことではないかというふうに考える次第であります。  この民間放送の方に対しては、ちよつと私どもよくわかりませんけれども、一方において放送協会がこれだけの保護を受けておるのに比して、民間放送が営業として成立するかどうかということは、私ども非常に疑問に思うのであります。こういうことで、このシステムで成功しておるのは、アメリカだけのように聞いております。オーストラリアもやや日本の今度の法案と似ておるようでありますが、ほかの国にはあまりない例であります。ことに日本ようなこういう狹いところでありまして、商業放送の成功しそうな大都市といつたような地区が、あまりたくさんございませんようなところで、うまく行くかどうかということが、私に非常に大きな疑問であります。しかも非常にたくさんの申込みがあるようになつておるのでありますが、この営業はなかなかむずかしいのではないか。つきましては、これをもし助成するという建前であるならば、たとえば広告税のようなものを免除するとか、所得税とか法人税とかいうものについて何か考慮を加えるというようなことをしませんと、なかなか育たないのではないかというふうに考えられるのであります。  なおここまで申しては少し申し過ぎかもしれませんが、NHKの聽取料、国民といたしますと、NHKだけに聽取料を拂つて、ほかのものはただ聞きするのではないかというふうな気持もいたさないではない。NHKの聽取料というものは、これは現在のNHKを生かしてそのまま使うためには、当然とらなければならないと思いますけれども、そのうちの何割かをさいて、それを民間放送の助成というようなものにまわすということができないものか。そういうことでもすれば、相当困難であろうと思われる民間放送育成のためにもなるのではないかというふうなことを考えておるのであります。  またこの法案の中では、一番有力なNHKが受信機の格付、認定といつたようなことを、してはならないということになつております。今度非常にたくさん放送局ができますと、なまじつかな、ちやちな受信機では、セレクティヴの悪い受信機では、何もかもみなごちやごちやになつて、みんな聞えなくなるのではないかという心配がありますから、選択性のいい受信機を持たなければならない。従つて国民の側から申しますと、どの受信機を買つたらいいかということが、非常に大きな課題になるのであります。その格付をする、あるいは保証するのはNHKではできない、してはならないことになつておりますが、ともかくそういう機関があつて、権威のある機関が受信機に対して格付をしてほしい。これは弊害の方もずいぶんあると思いますが、その弊害の方をあまりにおそれて、今度はほんとうに聞える、いい受信機がほしいという者が、どこにたよつて行つていいか。たよりどころがなくなるという点が私は非常に心配なのであります。この法案通り、NHKでやつていけないことになることを私は申すのではありませんけれども、どこかにそういう権威のある機関がほしい。おそらく今あります普通の受信機の大半は、相当な混信を来すのではないかというふうに考えられるのであります。  これらがおもな点でございますけれども、この法案全体が、NHKが非常に官庁色を帶びて来ているということは、一般の人が感じていることであると思います。そのために、これが自由放送の建前から離れないように、ある特定の政党政派等の御用放送局ようなことになるということではいけないということは、だれでも考えているのでありますが、ずいぶん強い政府の監督を受けるようになつておりますから、その点は法律の運営の上において十分気をつけなければならないことと思います。  なお、この監督が数段になつておりまして、電波監理委員会があり、また内閣、国会、会計検査院とか、大蔵省までこれに加わつているということで、事務的にいろいろむずかしい、繁文褥礼的なことになるのじやないかというようなことも考えられないではないのであります。  主としてそのくらいのことでありますけれども、なお小さい点を申せば、新聞にも出ておりましたが、間違つた放送の訂正等の申出があつたら、二日以内にしなければならぬというようなこと。これはちよつとむりではないか。その真偽を確かめるのに、地方によつては相当の日にちをとる。こういうことは実際運営上、不可能なことになりはしないかと思われます。  なお聽取料につきましては、今まで三十五円ということでありましたが、これが法律できめられるということになると、こういう物価の変化のはげしいときでもありますし、やや合点できないようにも思います。これは法律では聽取料をとることだけきめておいてはどうかということも考えられるわけであります。  大体私の感じましたことを申し上げた次第であります。
  65. 松本善壽

    松本(善)委員 辻さんからたいへんけつこうなお説を承つて、ありがとうございます。なるほど皆さんが言われるように、御用的な報道機関になつていけないということは、今までの放送局のあり方から考えての御観点だろうと思うのであります。また商業放送という建前、またアメリカが現在やつておりますところの放送ということを例にとられて、技術的な面から御達観を拜聽いたしたのでありますが、私も同感に存ずるのでございます。NHKにのみ所得税、あるいは土地所有というような点についても許しておりまするが、こういうような特権のようなものを與えておつて民間放送には実際何も與えていない。ほんとうにこれからいばらの道を踏み歩かなければならないところの民間放送というものを、私たちも考え得るのであります。その建設的な意見といたしまして、聽取料の件について、民間放送もやはり公共性を持つておる。であるからこの公共性というものに対して、幾分か政府もこれに対して助成か、あるいはその他何かの形で、これにもどうかという御意見に対しまして、非常に私も参考になると思うのであります。  それから所得税の軽減でありますが、この点につきましてはいろいろ大蔵当局その他において、疑義が生ずると思うのであります。現在やつておりますところの、町かどで何やかやの商店の放送を耳にいたすのでありまするが、現在の税法によりますれば、あの放送はかつてにやつていても税金がとれないというのが、現在の税制のあり方なのでございます。しからば受信機を据えつけて、一定の設備をされたという事実により、報道されたということによつて税金のみそれに高く課して行くということについては、私も全面的に賛成することは、今後の民間放送を育成する上において、非常に何だかかわいそうなような気がいたしておるのであります。従いまして、現在法制的に言つてできないところの街頭のアナウンスがあることを考えて、むしろ現在のそうした乱れつつある街頭の放送を廃止するか、それでなければ今後広告料を主とするところの放送事業経営において、これが懸念をいたす一点になるかもしれぬと思うのであります。従つて私は街頭でやつておるいわゆる町場の放送というものに対して、何か政府が制限し、あるいはその他の方策をもつてしなければならないと、私も政府に対してお願いするのでございます。その点についても御同感でございます。  次に、なるほど権威者だけある、と言つてははなはだ浅学非才な者が失礼でありまするが、この委員会でも技術的な面についてはどうだろうかということを、私たち懸念しておつたのでありますが、この点についても、大体どのくらいの期間ならばそういざこざなしに済むだろうか。この二日という期限について御意見があつたのですが、しからばどのくらいがよろしいかという御意見がございますれば、まず最初にその期間をお答え願いたいと思います。
  66. 辻二郎

    ○辻公述人 ただいまの訂正の問題でありますが、これは現在のこの法文そのままでも、運用によつてはよいかと思います。というのは、誤つた放送に対して二日以内に訂正するということであります。誤りだということがわかつたからと、こういう意味にもしとれるものなら、それでもよろしいと思いますが、要するに真偽を確めて——苦情の側からはこれは間違いだ、しかしその放送局はこれは間違いではないと言いました場合に、その真偽がわかつてから二日とか三日とかいうことであれば、問題によつては非常にその審議が長くかかることもありますし、すぐわかることもあると思いますが、そういう意味で申しましたので、真偽がわかつて、誤りだということがわかつてから二日以内ということであれば、けつこうだと思います。期間と申しますのは、その審議を確める期間というのが、最も適当ではないかと思います。
  67. 松本善壽

    松本(善)委員 次に最後にお話になられました料金の問題でありまするが、はなはだ同感でございます。しかし現在の法律上の問題といたしましては、まず御承知ように物価庁関係の、いわゆる今までの法令上では、郵政省事業、あるいは電気通信、もとの逓信省主管事業以外の点に抵触するものであります。この点についても私たちといたしましても、大いに勉強させていただいておるのでありまするが、何分にもまだ結論が出ていないようでありまするが、一まず聽取料三十五円という数字は、御承知ように二年以前かと思いますが、きまつたままで参つておるのであります。しからばこの料金をどれくらいにするかということになりますと、これをどこまでまたきめるかということになりますので、はなはだ実際の面としてはやりにくいだろうと思うのです。御説に対してはなはだ同感であります。  それから御承知ようにこの法案自体においては、受信機に対するところの相談といいますか、そういうような機関がNHKでは許されていない。こういう御説を拜聽いたしたのでありまするが、この点につきましてもしばしば協会から問題になつた事項でもあり、また陳情になつたことでもありますので、委員会といたしましても、この点については大いに検討をいたしておるのでございます。またそうした受信機、あるいはその他受信機の相談機関というようなものをつくるといたしますならば、どういう形態によつてそれを許したらよいかということも、また考えられ得ることだと思いますが、もしもそういう考え方を一応していただきました場合におきましては、NHK以外の方法でやらせるなら、どういう機関がよろしいか。そうした場合にはどういう機構と組織がよろしいか。そういう仮定に立つて簡單けつこうですが、御高説を拜聽いたしたい。
  68. 辻二郎

    ○辻公述人 真空管とか、あるいはその他の部品、受信機等の格付、これは民間の機関でもようしいかとも思いますけれども、しかしこういう商品に関係がありますから、やはりいろいろな弊害を生ずることもあります。それから今度は民間の機関を嚴重に監理しなければならぬという問題もあります。あるいはそういう半官半民のような機関で、これを電波監理委員会が監理するというようなこともよろしいかとも思いますが、工業技術庁というようなところもありますから、ああいうところに所属した一つの試験所とか、検定所といつたようなものをつくつて、これは政府でやられることになるけれども、そこで格付されるということになれば、今のよう——この方にも弊害があるかもしれませんが、民間でやるのを取締るというようなめんどうがなくて、比較的公平にできるのではないか。工業技術庁がよろしいか、またいろいろ問題があると思いますが、現在ある機構でいいますならば、あすこはたくさんの研究所を監理しておりますから、ああいうところ、あるいは電通省、あるいは特別に電波庁にそういう試験所、検定所というようなものを設けられてもよいのであります。現在の部品の、無線関係その他何でもでありますけれども、部品とか製品とかいうものに関するしつかりした審査機構がないということは、国民にとつていろいろな場合に支障を生じておるのであります。権威のある検定所によつて、一応安心して買えるというものをほしいと思います。
  69. 松本善壽

    松本(善)委員 一番最初に申されました委員の問題でございますが、私も非常にこの問題については重要だと考えております。従いまして委員の選任の方法でございますが、八つの地区から地区的な選抜をやりまして、その中から云々という説も出ておりますが、辻さんの技術的な面からお考えくださいました場合において、地区的がよろしいか、それともまたどういう方法がよろしいか、忌憚ない御意見を承りたいと思います。
  70. 辻二郎

    ○辻公述人 私は別にこれに対しては、対策を持つておるわけではございませんが、やはり日本放送協会の性格から見まして、全国から出た方がいいのじやないか。そういたしますと八つの地区になつておりますが、これから出ることはけつこうじやないかと思います。しかしこの委員は非常に広い知識経験を持つておる方であつて、しかも無報酬で相当にお忙しいと思うのでありますが、なつていただきたい人に出てもらえるかどうかということは、ずいぶん疑問であると思います。従つてこれも出てもらえるような機構にできないものか。その辺に研究の余地があるのじやないかと思います。
  71. 松本善壽

    松本(善)委員 これで私は一応終ります。
  72. 飯塚定輔

    飯塚委員 私は質問でなく、議事進行に関して……。公述人の方は、午前中は特に早くお帰りになる方もあつたのですが、午後もお一人に対して質問なさることになると、まだ辻先生で三人しかおやりになつておりませんから、大分時間も食うことと思いますから、どうでしようか。きのうのように全部御意見を承つてから、御質問を申し上げることにしたらいいかと思いますが……
  73. 辻寛一

    辻委員長 おいでいただいておる公述人は、いずれもお忙しい方なのでありますが、特に時間的に御予定などもおありでありますので、たとえば辻公述人は三時に予約があり、次にお立ちになる柳澤さんも四時にお約束があるというよう関係がありますので、個人個人に済ましておりますが、それ以後の公述人の方々におきましては、一応終りましてから、きのうのように一括して行いたいと思つております。と同時に御質疑の方も、御熱心は恐れ入りますが、公述人の御意見に対して御同感の向きは御同感でけつこうでありますから、質疑の要点だけをおつしやつていただくように、なるべく進行をはかりたいと思つております。  辻さんありがとうございました。次は柳澤健君。
  74. 柳澤健

    ○柳澤公述人 評論家ということで私が出て参つておるわけでございますけれども、実は私自身長年外務省の役人をしておりまして、十何年か欧米並びにアジア等を歩いておりまして、自然放送については各国各様のものを聞いたり見たりして参つた以外に、外務省に入ります前に逓信省に籍を置きまして、ちようど海外有線、無線電信というような仕事をまずもつて仰せつかりまして、多少ながらそういう方面関係し、それと最後にちようどヨーロッパ大戰の始まります直前、すなわち最近の万国電気通信会議に委員を仰せつかりまして、約二箇月ばかりその会議に列席して参つたようなことでもあり、特にこの問題については、個人としましても非常に興味を持つておりますので、この際公聽会公述人として出てくれというお話を、欣然とお受けしたわけでございますけれども、さていろいろと法案を拜見したり、また参考書類を拜見したりしますと、かえつて申し上げることが漠然となつた感がございまして、自然これから申し上げることも、私自身が非常に不満足なことを申し上げるはめになるのじやないかと思いますけれども、よろしくその点お許しをいただきたいと存じます。  一体新聞と放送というものは、その文化的使命が非常に類似しております関係上、放送事業を新聞同様に純粹な自由主義、もしくは自由放送、ないしは公平な機会均等主義でやるということは、むずかしい問題であります。従つて今日問題になつております法案が、何かしら従来の行きがかりにとらわれまして、日本放送協会というものをたいへんにかばい過ぎておる。これから生れる民間放送事業というものを軽視しているのじやないかというような非難の世論がなかなか多いようでございますが、しかし私はこの放送事業というものは、電波の制約の嚴重な基礎のもとに立つて行われる関係上、とうてい新聞とは同一視得ないものであると思うのでございます。  それから一体自由主義ないしは民主主義というものは、形式で判断したり論じたりするものではなく、その内容いかんにあるものではないか。このことは私自身が十数年にわたつて海外各国を歩きました経験からしましても、たとえば政治的に君主制をとる国であつても、決して反民主的なことはないということ、また共和制をとつております国が、必ずしも十全な民主国ではないということ、これをまざまざと見て来たと思うのであります。要は国情なり伝統なりを無視しないで、その上に立つて、その国にふさわしい改善改良をはかつて行くということであろうと思うのであります。  今この法案を一読いたしますと、一方においては日本放送協会というものを立てておりますが、他方においてはその他の民間放送事業を認めておりまして、いかにも時代の要求に合うような形をとつておりますが、実はこれはこう言つてはどうかと思いますが、非常に安易な一つの妥協の立案というふうに考えられるわけであります。従つて協会自身も、また民間放送業者としても、満足しないような結果を生むおそれが多分にあるではないかということを考えられます。すなわち形においては民主的と申していいわけでありますが、事実から申しますると、はたしてどうであろうかということであります。私自身の考えから申しますると、放送事業というものはきわめて限定されました電波の制約のもとにある以上は、それをどうして最も有効に使うかが問題で、それによつてすべてを決すべきものであろう。従つてとうてい新聞のごとき自由競争は、行われ得ないものと信ずるのであります。かりにもし放送事業者が個々別個にかつてにプログラムをつくる。またそれをかつてな時間に放送するというようなことになつたならば、ときにはかんじんなニユースが脱落するということもあるわけですし、またときにはそれが重複するというようなことも必然であろうと思うのであります。従つて私はむしろ世論に反するきらいはありますけれども、この際協会一本建ということにしまして、その組織と運用をできるだけ民主的のものとすること、ちようどイギリスのBBCのごときものが、むしろ模範ではなかろうかと思うのであります。イギリスにはBBCあるのみで、他にいわゆる民間放送業なるものはございません。これに反してアメリカは、全然民間放送だけでやつて参つたわけでありますが、近ごろ相当にその弊に耐えないという声が高いということを聞いております。従つてむしろ私の思いつきと申し上げてもいいのでありますが、たとえば協会の放送を第一、第二までは行いますが、さらに第三、できれば第四くらいまでをつくるということ、その第一に該当するだけの力を、さらに第二放送に持つて行く。それから第三放送もしくはそれ以外は、民間放送事業に該当する広告放送の方に——主力を公共放送に注いで、その余力を広告放送に持つて行く。それに対しては言うまでもなくあらゆる放送関係者が緊密に協力しまして、最善のプログラムをつくつて行く。もちろん重複はしない。脱落はしないということであります。BBCの話を聞いた中に、BBCは第一から第三まで放送番組を持つておりますが、第三放送のごときは、たとえば三時間ないしは四時間にわたるよう世界的の傑作を放送しておる。シェークスピアのハムレットの全部をやることもあれば、ワグナーのトリスタンとイゾルデを全曲やることもある。これはBBCのごとき今の組織のもとに初めてできることであつて、決して個々独立の民間放送業者の放送においては、とうていできないことではなかろうかと思います。また一般のリスナーなんというものは、新聞の一般の読者と同じでありますが、その教養においても、趣味においても、また望むものにおいても、千差万別であります。浪花節を聞きたいという時間に、ちようど浪花節のかわりにベートーヴェンだつた。また笠置シズ子さんを聞きたいという時間に、ちようどそれは長うただつたというようなことで、それをどうして一致させるかということ、これはほとんど不可能と申してもいいので、おそらく従来日本放送協会のプログラムなんかについて、不平を持つておる人は非常に多かつたと思うのでありますが、しかしこれはどんなにしてもとうてい根本的に解決はできないことであろうと思うのであります。新聞ならば、朝読まなかつた新聞を午後に読んだり、夜に読むということもできます。けれども放送はそれができない。ちようど自分のからだがあいたときに浪花節を聞こうと思つておつたところが、ベートーヴェンが入つて来るというようなわけで、これはいかに民間放送を奬励したところが、とうてい解決はできない。ですからいかなる方法によつても、不平だけは永久に除くわけには行くまい。それをわれわれは頭に置いて、この法案の問題を解決する必要があろうかと思うのであります。私自身としまして、いわば最大公約数として国家で一つにまとめて行き、目標をきめて行くということだけは考えて行きたい。  それで私は提案の姿で申し上げたいと存ずるのでありますが、あの法案を見ましても、やはりその点が不備のように存じますが、それは都会地方という大きな問題であります。日本にも御承知の通り、大阪にも、名古屋にも、長野にも、仙台にも放送局があるというふうになつておりますけれども、プログラムを見ましても、いわば中央の中継局という程度であつて、真にその地方に合うプログラムが編成されて、それが運用されるというのではないように思う。その点私の今まで歩いて来ましたヨーロッパの国なんかにおいては、まだ日本よりはいわゆる地方色の濃い地方局が、それぞれに置かれてあつたように思うのであります。多少余談になりますけれども、ある人がロシアの大作家のゴリキーに会いまして、一体ソ連にはもはや階級鬪争というものはなくなつたわけだ。ところがその階級鬪争をテーマとした文学小説が一番時代的なもの、現代的なものと思われるが、それがソ連になくなつたということになると、あなたたちは何を目標に悲劇を書き、喜劇を書くのかということを聞きましたところが、ゴリキーが言うのには、なるほどソ連には階級鬪争はなくなつた。しかしながら都会農村との反発、対峙というものは大きなものだ。この鬪争、これがわれわれの文学の主題となるものである。こういうことを申したそうでありますが、現に日本自体においても一番よくわかりますのは、経済的の面で都会農村との利害の不一致ということではなかろうかと思うのであります。おそらく政治家としても、一番の大きな問題は、やはりここにあるのではなかろうか。ことに文化面におきましては、日本ように、アメリカと違いまして、古い伝統と古い文化地方地方に持つておりましたところにおいては、この都会文化地方文化との差、区別、相剋、対峙ということを、十分頭に入れる必要があるのではなかろうか。ところが本法案を見ますと、その点がはなはだ稀薄のように思うのであります。もちろん経営委員会の八名の委員の選定を、日本内地の八つの地区に住所を持つておる者ということにしております点は、まさしく私が今申し上げた点が、立案者の頭にあつたに違いないと思うのでありますが、しかし実際問題として、これではただ名目だけ八人の委員が、一人は北海道に住まいを持つておる。一人は東北に、一人は東京に、一人は九州にいる。それがただ集まつて、そうして委員長のもとでお話をなさるというだけでは、私の申し上げております点は、とうてい達し得ないと思うのであります。これを何とかして、この地方放送というものを強化することを考えていただきたい。たとえば中央委員、それに対して地方委員の制度、もしくは都市委員に対して農村委員というようなことで、その選出、その運用、その活動というようなものを、法案の上なり、また法案の外で、十分御研究を願つたらということを考える次第でございます。従つてこの法案にうたわれております経営委員会のほかに、電波監理委員会も、やはり今申し上げたような構想のもとにこれが変改できるものならば、そうしてそれに都会地方の輿論なり、輿望なりが十分盛り得られるようなことになれば、非常にけつこうであろうと思うのであります。そういう問題は、むしろ私はやはり日本放送協会一本建ということによつての方が、容易に目的を達し得るものではなかろうかということも、同時に考えるわけであります。  ところがそれ以外に、この法案を見て参りますと、まず委員会といたしまして経営委員会、それから電波監理委員会、それにそれぞれ委員長がおいでになる。それからまたその中心ともいうべき日本放送協会には、会長があり、副会長がある。それを全体的に監督する当該大臣として電気通信大臣、さらにその上に内閣総理大臣自身がやはり委員の任命なんかもなさる。監督もなさる。それに並行して国会は国会で、参議院と衆議院と両方の電気通信委員会というものがあつて、またその委員長がその面で御監督なさる。実に複雑きわまる感じを持つのであります。ことにこの事業が文化的の事業であるということになれば、さらに文部省関係ということになつて参ります。また対外放送という点からやつて参りますと、外務省もまた介入して参るということになつておるわけであります。この複雑な機構を何とかしてもう少しすつきりしたものにできないであろうかということが、私の考えであります。私は、これもただ思いつきの提案として申し上げるわけでありますが、やはり会長を中心としてやるのが、一番実際に適することになりはしないであろうか。今までがちようどそれだつたので、今度こそは新しき日本にふさわしき民主的の行き方で行こうというようなことで、委員会をおつくりになり、その委員会委員長を選んで、それを総理大臣が任命して、さらに国会の承認を得るというようなことで、どうだ、すばらしく民主的だろう、そういうようなことをおつしやるかもしれませんけれども、実際問題として、朝から晩まで、ラジオならラジオのことばかり考えておるような人が中心にならなければ、能率というものは全然上るものじやないだろう。それを批判するいろいろな制度、それらはまたいろいろ考えてよいと思うのであります。しかし責任者はやはり一人ということにすべきものではなかろうか。実は私外務省におりまして、国際文化、その中には放送も入つておりましたが、国際文化の仕事をしばらくやつていたことがあるのですが、これくらい文句の多いものはなかつた。ところがやはり度胸ができて参りまして、さして重きを置くに足りないという結論になつた。と申しますのは、先ほど午前中に藤原義江君が来ておりましたが、南米藤原君をやつてひとつ歌つてもらおうという場合に、必ず新聞とか何かで、藤原なんかどうしてやるのだ、三浦環という人がおるじやないか、もしくは笠置シヅ子の方がもつとよいのじやないか、エノケンの方がよいじやないかと、これは言う人から言うと、ちつとも間違いじやないのです。実際またそういう議論も堂々と立てれば立つのです。ただしかし問題は、委員会というようなものができて、それによると報酬も実はもらえないわけです。電波監理委員会の方は報酬があるのですが、経営委員会の方は報酬なしということになつております。報酬がなくして、そうして北海道に住所を持つておる人が、ときどきやつて来て、そうして相談をする。それが会長を押え、副会長を押える。これは私は話が逆じやないかと思う。なるほど形はその方が民主的かもしれませんけれども、実際においては民主的どころじやなくて、これは別な名前で言つた方がよいくらいに非能率的な、非民主的なものになりはしないであろうか。やはり朝から晩まで放送のことばかり考えている人、そうしていよいよしくじつたとなつたら、もうほんとうに自省して、なるほどおれが惡かつたといつてやめるような人、その制度がやはり一番いいのではなかろうか。それを訂正するために、監督するために、補佐するために委員会その他があるということは、これは当然であります。そういうふうに私自身はこの法案を読んで感じたわけであります。要するに私自身の意見は協会一本建、そのかわりその内容をできるだけ民主化するということ、それに加えまして、地方放送というものをぜひとも強化していただきたい。この二点に期するわけであります。  なお最後に、これは私長年外務省にいたという関係で、ほんの気づきを申し上げるわけでありますが、この法案によりますると、第三十五條で、対外放送は国家が費用を負担するということになつております。その関係で当然会計検査院なんかがまた出て来るという、複雑な問題が起つて来るわけでありますが、私は一体国家がこういう場合に費用を負担するということはどうであろうか。実は先ほど午前中に東大の教授をなさつている方から、民衆ということを非常におつしやつて、政府の干渉、国会の干渉というようなものを、民衆に対峙したものみたいなことをおつしやつたので、はなはだ奇異な感を私自身は持つたので、新しき憲法のもとにおいては、民衆すなわちそれが国会であり、すなわちそれが内閣であるというふうに思いますので、理論的にも私は非常に奇異な説をお吐きになつように実は感じたのでありますが、その点から申せば、対外放送に国家が費用を負担したつて一向かまわないわけで、国家が負担するということは、各自の税金がそこに行くことなんで、要するに聽取料と本質的には別にかわつてないということになるわけで、国家が費用を負担したつて一向さしつかえないじやないか。こういう議論がむろん立つと思うのでありますけれども、ただ実際問題として考えますると、どうもやはり国家が対外放送に金を使つて、そうして指揮監督したということになりますと、聞いております方が非常に御用放送ということになるのであります。自由なる民論の反映というふうにとつてくれない。とらない方がいいとか惡いとかいうのではなく、事実問題として私は申し上げるので、どうもそういう傾向があるのであります。これは知つたふりをしてはなはだ恐縮ではありますけれども、この点をこまかく掘り下げますと、実はアメリカとヨーロッパとでは、この点が相当違うと思う。アメリカでは国家が介入するということ、政府が介入するということを、非常にきらいます。できる話も、政府とか何とかが入つて来るとこわれるという場合が非常に多いのであります。ところがヨーロッパにおいては反対で、政府が入つて来ないと安心しない。政府が入つて来ると、政府の名においてものを言うということになりますと、非常に信用を持ち、信頼を持つ。同じ外国と申しましても、アメリカとヨーロッパではたいへん違う。こういう点がありますので、今の問題も、アメリカではそれはどうかしらぬが、ヨーロッパではかえつてその方がいいかもしれぬという説があるかもしれませんが、どつちみちそういうこともございますから、国家が費用を負担するのがいいかどうかということは、そのアングルからも一応御検討願いたいものである。けれども放送協会なら放送協会が、金がないから困るではないかということならば、これはいろいろと解決の道があるわけで、何も聽取料を特別に多くしないでも、法案によりますと、たとえば出版事業をするとか、いろいろな事案をやることになつておりますから、たかが対外放送にそんなに金がかかるとは私は思つておりませんので、むしろこの際国家が費用を負担するというようなことを除くことにしたらどうであろうかということを考えたわけであります。  その次に第五條に、国際親善を害する放送はいかぬ。「国際親善を害するものであつてはならない。」ということが書いてございます。これはきわめて当然のことでありますが、しかし私は当然ならばなおさら、こういうものを特別にうたわない方がよかろうではないか。と申しますのは、世界の現状を見ましても、今日の日本は占領下にあつて、実はその意味では対外的の言論の自由は持つておりませんが、早晩われわれが対外的にも言論の自由を持ち得た場合に、常に媚態外交をやらなければならないのではないか。こういう印象を非常に持たせるのではなかろうか。ある国が日本に対してあられもない非難をした場合に、これに答えることがなおかつ国際親善を害するかもしれぬというので、黙つていなければならない理由は、毛頭ないと思うのであります。好んでこの際国際親善を害する放送をやるはずはないと思うだけに、自繩自縛するようなこの文句は、必ずしもこの際必要がないではなかろうかというふうに考える次第であります。  私の申し上げますことは、いろいろございますけれども、このくらいにしてお許しを願うことにいたします。どうもありがとうございました。
  75. 辻寛一

    辻委員長 御質疑がありますか。
  76. 飯塚定輔

    飯塚委員 先生のおつしやつた英国のBBCを模範として、一本建でやつた方がよいという御意見ように伺つたのでありますが、BBCはお話によりますと、第一、第二、第三放送までやつておられる。現在の日本は、協会の放送は第一、第二でありますけれども、昔の戰争前の第二放送、これが進駐軍專用になつて、現在では実際は第三までやつておるような形になつております。将来国情がかわつて来ると思いますけれども、現在これをやつておる場合に、先生のおつしやるようなことは、あるいはこれは技術的になるかもしれませんが、これはどういうふうになりましようか。その点お伺いしたいと思います。
  77. 柳澤健

    ○柳澤公述人 これはむしろ技術方面の問題で、ただ民間の放送電波をさくということであれば、その電波を使つて、今の第一、第二並びに進駐軍関係以外のものを第三放送とし、第四放送として使うということは、技術的に何らの困難はないのではなかろうか、こう存じます。
  78. 辻寛一

    辻委員長 ほかにございませんか。——どうもありがとうございました。  次は河田進君にお願いいたします。
  79. 河田進

    ○河田公述人 河田進であります。私は日本放送労働組合の役員であります。現在日本放送協会には二つの労働組合がありまして、共産党の諸君中心といたします約百六、七十人のものと、それ以外の六千八百人の大多数の職員をもつて構成するところの労働組合と、二つにわかれております。私は後者の大多数の職員の立場を代表して、この放送法案に対して、われわれだけがこの問題に対してほんとうの生活権の脅威——場合によつては脅威を感ずる。また文化事業に対して一生をささげることを誇りといたしておりますわれわれが、こののつぴきならぬ絶対絶命の、われわれといたしましては、放送事業を離れて生活の道もないのでありますから、そういう立場からきわめて端的に、率直に意見を申し上げてみたいと存じますので、よろしくお聞取りをお願いいたします。  まず第一に放送法案のねらいでありますが、何といつても根本的な趣旨は、NHKというものを公共的な立場と、放送ラジオというものの持つ言論機関としての特性と申しますか、あるいは文化事業といたしましての総合芸術を完成いたしますところの一つの企業体としてこれを眺めて、この両者をどういうふうに調和するかということが、この法案の根本的な問題であろうかと存ずる次第であります。その点から私どもこの法案を見ますと、最近に至りまして各新聞社の諸君が、一斉に民間放送を出願いたしまして、各社とも競つて民間放送をやろうといたしておりますが、この点にジヤーナリズムの傾向に迎合いたしまして、民間放送は許可するという一つの大きな見出しを出しまして、その陰に隠れて、かんじんの全国民の九九%の利害を持つところの公共放送を、完全に政府あるいは国家権力あるいは官僚のわくの中に閉じ込めて、これを規則せんとするきわめて陰險な、非民主的な法律であると私は断ずる次第であります。  第一に私が申し上げたいのは、この法律は要するに放送を育てるための法律でございまして、これを取締るための法律ではございません。いかに国民大多数に重要なる文化の滋養を供給する雌牛であつても、この雌牛を国民のものであるからといつて、二重、三重に囲いまして、おまけに会計検査院というような鉄條網を張りめぐらして、全然牛の動きがとれないような立場に置くならば、必ずその牛は倒れてしまつて国民はその滋養ある乳を飲むことができなくなるのであります。角をためることが目的ではない。牛をよくするために角をためるのでありますが、そういう観点からこの放送法案というものは、日本文化を阻害する大きな欠点を持つものであると、はつきり申し上げておきたいと私は思うのであります。ことに総合芸術としての、あるいは自由なる言論、いずれの権力にも左右されないところの、国家権力から独立したところの言論という観点から申しますならば、ラジオはあくまでも自由であるべきであります。私は放送協会に今日まで十一年おります。その間に一番痛感いたしましたことは、戰争中に味わつたあの官僚統制の弊害でございます。放送協会が設立当初から、逓信省から来られた方で、確かに放送協会として今日われわれ後輩から恩人と目する方は多いのでありますが、しかしながら逓信省の官僚諸君が、その権力をもつてNHKを蹂躙いたしまして、文化的な機能を発揮するのを非常に阻害した事実を、はつきり私は思い起すのであります。ことに一番ひどい思いをいたしましたのは、戰争中でございます。御承知の通り逓信省と内閣情報局と、この二重監督を放送局は受けたのであります。この逓信省と内閣情報局の二重監督を受けたときのわれわれの思いというものは、まことにさんたんたるものである。立てば高しといつて党を打たれる。すわれば疊に鼻をこすりつけられる。立つに立たれず、すわるにすわれず、しよつちゆうへつぴり腰で両者のごきげんをうかがつていなければならぬ。逓信省の官僚諸君、情報局の官僚諸君も、ともにこの放送局という公器を、なわ張り争いというようなものに利用いたしました。この弊害がこの法案に再び大きく浮び上つて来ておるということを、私は痛切に遺憾の意を表したいのであります。これ先ほども申しましたように、放送事業は公共事業でございます。たとい民間放送といえども公共事業であります。NHKもとより聽取料を独占いたしまする関係上、何らか国家との関係に法的なつながりを持つということは、これは必ずなければならぬことであります。われわれその点に対して、当然これは規制さるべきであるということを感じておるのでございますけれども、やはり牛は牛である。文化事業は文化事業である。言論機関は言論機関である。そのためにはその法律的関係をきわめて單純に、シンプルなものにしていただきたいということを、率直にお願いする次第でございます。  この法案を見ますと、経営委員会がございます。その上に電波監理委員会がございます。さらに内閣の認可を得なければならない。最後に国会の承認を経る。それでOKかというと、締め括りとして会計検査院、この五重の監督を受けて、どうして自由な放送ができるでありましようか。私は非常に疑います。それと同時に、こういうように複雑な形に規制しておくことによつて、これは私はいつも申すことでございますけれども、やはり官僚諸君といえども、人間的には非常にりつぱな人も多いし、ことに專門的な技術官であるということに対しては、深く敬意を表するものでありますが、何分にも自分で判定を下して責任をとるというような態勢にない。そういう面から見ますと、この放送法案は非常に監督を複雑化することによつて、いろいろな形に責任を転嫁し、責任の帰趨を不明確にいたしまして、その中に一貫して強靱な官僚統制というわくをはめ込んでいる一つの構想があるということを、私は申し上げたいのであります。以下、われわれ労働者といたしまして非常に密接に関係するところを、逐條別に申し上げたいと思います。  まず経営委員会でございますが、この経営委員会は、先ほどから種々論議になつておりますように、現在の法案ではこれを地区別に出すことになつております。公共放送の使命といたしまして、どんなところでも、もうかつてももうからなくても、放送が全国民に聽取できるように、これは経営が成立つても成立たなくても、聽取できるような施設をすることが義務でございます。従つて北海道のような、開局以来今日まで二十数年、依然として赤字の出つぱなしのところでも、網走あたりに十キロ放送局を建て、あるいは釧路に放送局を建て、あるいは鹿兒島の片いなかに十キロの放送局を建てるというようなことは、公共企業体であるNHKだからこそできるのであつて、これは営利を目的とする事業では、とうていできないところでございますから、この経営委員会のそういう面からいたしまして、地区代表的な、地区の利益の代表者が入ることは当然でございますが、私は何より各階級別の、あるいは階層別の、言葉をかえれば職能別でもけつこうでございますが、そういう意味の横の層からの代表を経営委員会に入れなければならないということを、はつきり申し上げたいのであります。経営委員が地区別に出されるということになりまして、非常に一党一派に偏した、あるいはその地方の顔役とかボスとかいわれるよう放送人によつて、この公共事業体である放送が牛耳られるようなことがあつては重大問題でございますから、この法案にはつきり各分野の代表を入れるように明記していただきたい。ことに現在の世の中で、労働者に対する資本家、あるいは支配階級に対する被支配階級というようなことは、これは嚴然たる事実でございます。また全人口の五〇%を占める農民諸君、あるいは漁民諸君の代表も、この公共事業体の経営に参加するということは、当然の権利でございます。また男性に対する女性、ことに封建的な、まだ民主革命の達成されない日本におきまして、解放されざる婦人の代表が、この言論機関に参加することは当然でございます。單に地区別的な代表ということでなく、現在の法案ではそれが非情にぼかされて来ておりますが、明確に労働代表あるいは婦人代表、教育代表、科学、文化あるいは経済というような、各階層の代表がはつきり出られるように、この法案を修正していただくように御考慮をお願いしたいと存ずる次第であります。  次に電波監理委員会について申し上げます。経営委員会は公務員が欠格條件でございまして、公務員は経営委員にはなれぬということになつていますので、この電波監理委員会も当然私は公務員が欠格條件になると思つていたら、法案によりますと、これは公務員でも有資格者でございます。従つてわれわれがこの條文を見て率直に感ずるところは、現在の電波庁を中心といつたしますところの高級技術官僚諸君が、ここに相当お入りになつて、その方々が電波行政たけをおやりになるならともかく、NHKを含めた全般の放送行政をお握りになるということに対しましては、非常に不可解な念を持つものでございます。電波監理委員会は、これは当然電波関係あるいは技術関係であることを規整すべきであつて、その技術面の有能な士をもつて構成すべきであつて、その方々が文化事業であるところの放送の方に手をお出しになれば、これはたいへんな間違いがそこから起る危險がある。これは放送関係のことは一切経営委員会におまかせ願いまして、電波監理委員会は技術的な電波行政のみにおとどめ願いたい。しかもそれは一般在野の有識者をもつて構成して、公務員諸君がこの中にお入りになつて、結局官僚統制ということの総仕上げをするというような形になることは、私は非常に危險ではないかと信ずる次第でございます。その関係で、法案の第三十七條から四十條までは、われわれ日放労といたしましては、削除していただければ非常に幸いだと存ずる次第でございます。  それからその上に、電波監理委員会の決定いたしましたところを、さらに内閣を通じて国会の承認を得るということが規制してありますが、これはまた私は非常にたいへんなことになるのではないかと思うのでございます。第一、放送ような機動性に富んだ事業で、一年半前から予算を放送局でつくつて、それをさらに経営委員会にかけ、電波監理委員会にかけ、さらにいつ開かれるかちよつとわからぬが、この次に閉かれる国会に放送協会の予算が提出されるということになつているうちに、もうオリンピツクは開かれる。古橋君が南米に行くとか、いろいろのことが次から次へ起つて、われわれはどうもやりたいけれども、予算の認可が出ないのだというふうに、まつたく文化的な機動性が失われる危險性がある。まして現在私も国会におきまして、少数党の方から、多数党の横暴というようなことをいろいろおつしやられておると聞いておるのでございますけれども、それは別といたしましても、こういう言論機関にまで国会の多数決で物事を決定する機関が入つて来ることは——これはよくても惡くても、当然そういうことにならざるを得ないと思う。ことに電波監理委員会というものができて、それが最後の責任を負わないで、国会に責任を持たせる。国会はこれは民主主義の原則といたしまして、当然多数決で物事を処理する。従いましてNHKの言論もあるいは多数決で、民自党の横暴があの言論に響いて来るというようなことがあつて、盛んに言論統制の攻撃が国会に集中する。私は国会の権威のために、そういうようなくだらない責任はおとにならない方が賢明ではないかと思う。国会はやはり大きな目からこの放送行政全般を眺めて、次の国会に間違つている点、あるいはこうしなければならないというような点は、立法手段によつて処理していただきたい。あくまで国会は、その本旨が立法の府であり、ささたる行政の末の責任をおとりになるということは、私どもとしてはきわめて国会のために惜しむところであります。  ましてこの三十五円の聽取料を国会が決定するというようなことは、どういうことであるか、ちよつと私には見当がつかないのでございます。これは放送ばかりでなく、電気料金、あるいはガス料金、そういうものの方がはるかに国民に重要な影響力を持つておるのでございます。国民生活に最も関係の深いものはお米でございますが、お米の値段は今日国会ではおきめになつておりません。これは別のところできまつておるようでございますが、それが何のために三十五円の聽取料を、国会でおきめになるように法律で規定しなければならぬか。実に私にはわかりかねるのでございます。ことに今日政府はデイス・インフレと申されますが、野党は盛んにデフレであるというようなこと、また国会共闘あたりでは、三月攻勢でドツジ予算の打破というようなことを、労働者は言つておるようでありますが、非常にこのことは経済の混乱を意味しておるのであります。インフレのあらしが治まつていない、また新たなる経済的な秩序も立つておらぬ今日、こういうようなことを法文に規定されるということは、私は非常に危險であるということを申し上げたいのでございます。  その次に会計検査院の問題でありますが、私は会計検査院は、あくまでも国家財産の会計検査に当つてしかるべきものだと信じます。国家支出あるいは国家財産を会計検査院がタツチされるということは、当然でございます。これが全然民間の聽取料から成立つておるところのNHKの会計を、会計検査院がタツチされるということは、私は非常にわからないのでございます。こういうような公共的な意味からだけ申しますならば、先ほど申しましたように電気料金、あるいは電気事業、発送電であるとか、あるいは関東配電であるとか、あるいはガス会社であるとかいうところでも、会計検査院の適用を受けなければならぬということになると、これは重大な問題ではないかと思います。單にNHKだけの問題ではなくて、こういうことは、国家権力が民間事業体に伸びて行く要素をつくるものであると信じますので、会計検査院で検査するということはやめていただいて、これは経営委員会なり、あるいは場合によつて電波監理委員会なりが、適当なる会計検査規則を設けまして検査していただいた方が、一番いいのではないかと思う。ことにNHKの予算あるいは決算、そういう経理の公開を徹底的にさせるということが、何よりも一番いいことではないか。われわれの労働組合といたしましても、われわれの働いておる企業体の経営状況を常に嚴重に見守つております。そこに不正がないということをわれわれも注意しておりますし、一般労働者諸君もそうであろうと思うのであります。またその他国民諸君も、非常に興味を持つておられることと存じますので、これを公開して、しかも直接密接にその仕事の内容のわかるところで、会計検査をするというような方向にしていただきたい。かつてわれわれは逓信省の会計検査を受けるために、駅の赤帽から領収書をもらわなければならぬ。あるいは機械を乘用車で運んで行つて、運転手に領収書を書いてもらう。領収書を書いてくれなければどうにもならぬのだというようなことで、泣きついたこともあるのでございますが、そういうふうなことでは、文化事業としてせつかくいい思いつき、アイデアが浮んでも、予算がない、あるいは会長の決裁がどうこうというようなことで、仕事としての機動性、あるいは迅速性というものがまつたく失われて行きますので、こういう点は特にわれわれとしては、できるだけこういう官僚的、官的のにおいのする機関の拘束を受けることは、放送協会に対してやめていただきたいと考える次第であります。  次に非常に小さなことでありますが、第九條第五項に、放送協会は受信機のサービスを、電波監理委員会の認可があつたところに限つてできるというふうに規定しておりますが、これは私は非常に何か誤解されているのではないかと存ずる次第であります。NHKラジオを売りません。修理はいたします。これはとにかく受信者があつて放送で、ございまして、聽取者諸君が受信できないということであつては、放送の目的が達成できないのでございますから、この観点でNHKといたしましても、修理業務をやるわけでございます。特に一般業者の諸君が、都会中心として、とにかく一軒店を構えて引合うようなことでなければ、どうしても成立つものでございません。それが瀬戸内海の小島々々であるとか、ああいうところに巡回船をまわして修理して歩いたり、あるいは山間僻地の聽取者に対してサービスするのも、やはりこれは大きな公共企業体であるNHKみたいなところでなければ、事実上できないと思います。これは業者の方はやると言われてはおりますが、たといおやりになつたといたしましても、山奥に入つて行つて、一日、二日の旅行で、一台や二台の受信機でお出かけになるというようなことでは、とうていサービスにならぬと私は信ずる次第でございます。都会におけるラジオ業者の非常にたくさんおられるようなところで、NHKがこの大規模な組織をもちまして、その営業を圧迫し、その生活難を脅威するようなことは、NHK自体が当然愼しむべきことであつて、私は現にそういう方向に向つていることと信じているのでございます。しかしながらほんとうの山間僻地に至りましては、やはりわれわれがやらなければならぬ。ちようどこの関係は、一般の病院と国立病院というよう関係でありまして、国立病院あるいは慈善病院は、一般病院のお医者さんの生活権を脅威すべきではありませんで、やはりそういうものがあつて、なかなか恩典に浴し得ない、聽取者諸君に対してサービスするということは、これは公共企業体としてきわめて当然のことであつて、これを一々電波監理委員会の認可を受けなければ、サービスができないというようなことでは、サービスにはなりません。これはNHKの自主的な判断においてこのサービス事業をやるように、かえていただきたいと思います。  それからまたきわめて小さいことでありますが、第九條第一項第四号に、放送協会の研究事項がございますけれども、先ほど川島先生NHKの世論調査をしつかりやれというようなことを言われましたが、ああいうことはNHKでなければできないようなこともございます。その点で技術研究所というものがありまして、また片方に放送文化研究所というものがあります。法案によりますれば、放送技術に関する研究は自由にできるようになつておりますけれども、放送文化に対する研究、音楽、演劇あるいは輿論調査というようなものの研究が、自由にできるようなことが明記してございません。この点を第九條第一項第四号に、こういう放送文化関係の研究ができるようにしていただきたいということをお願いする次第であります。  それから、しばしばきのうあたりから問題になつております訂正放送でありますが、第四條第一項に、二日以内に訂正しなければならぬということがございます。このことはむろん迷惑をこうむつた国民諸君にとつては、非常に重大な問題でございますけれども、言論機関によつては、場合によつてはこれは死命を制せられることになります。次から次えと変転して行くニユースを報道して行くだけに、ある事項だけをとらえて、これだけはぜひ訂正をしろということがたくさん申し込まれたら、一体どうして処理して行くか。ことに二日以内ということはとうていできない。これは明らかにそういう場合はこれを拒否することができるということを明記していただくとともに、「真実」というふうな言葉は、非常に何か深い意味のあるような、主観的なにおいがするのですが、真実という言葉をやめていただいて、具体的に「事実」というような言葉に訂正していただきたいと存ずる次第であります。このことは昨年の六月から八月に至るころまでの、あの社会不安といわれておつた状態のときに、もしこの規定が生きておりましたならばどういうことになるか。ことに第三国人関係の非常にデリケートな今日、こういうような規定がありますことは、放送のみではございません。新聞に至つても非常に脅威となることでございますから、その点御考慮を願いたいと思います。  それから、これは私がやはり放送局におりましての体験でございますが、第四十六條に広告放送ということがございます。広告放送は、何が広告放送であるかということは、非常にむずかしい問題であろうと思います。かつてわれわれの仲間で、銀座松坂屋前と言つただけでしかられたこともあります。味の素というのは、これは一般の家庭に使われておるけれども、広告であります。味の素という商標であります。アルマイトがしかり、ましてや相撲放送、プロ野球というようなことになりますと、この広告という関係において、民間放送業者との間にきわめてデリケートな関係を生ずるおそれがありますので、どの点も法文上明らかにしていただきたいと思います。  それから民間放送のことでございますが、私は民間放送があることは決して反対ではありません。原則的には賛成であります。われわれといたしましても、ストーブ・リーグでもやつていただいて、アナウンサーであるとか、われわれなども引抜きでもやつていただけば、われわれの賃金が高まることになることでございますので、その点に関しては異議はございません。しかしながらよく考えていただきたいことは、民間放送を許すということは、これは——民間放送という言葉が必ずしも適当ではない。これは商業放送、ある意味においては資本家放送、そういうことにならざるを得ないと思う。ことに新聞の場合は、われわれのような者でも機関紙を持つております。全国機関紙まで入れたら、数万に上る新聞が出て来ます。これは完全な自由が確立されております。放送の場合に完全な自由を與えたらどうなるか。これは一枚の紙面の上にいろいろなものを刷つて、まつ黒な紙を配ることになる。従つて民間放送を許可された結果、何箇所できるか知りませんが、これもまたきわめて特権を與えられるものであるということは、私ははつきり言えると思います。しかもこの特権を與えられたものは、大体東京とか大阪とか名古屋とか、そういうふうな非常に聽取密度の高い、ヒンターランドとでも申しますか、そういうところにのみ発展して、裏日本であるとか、北海道、東北、四国、九州などというのは、完全に放任されてしまうおそれが多分にございます。これは私放送局におりましても、先ほど北海道のことを申しましたが、東北、九州でも、決して現在のNHKでも採算はとれません。赤字でございます。大部分東京、大阪の聽取料から持つて行つて、補つて成立つておるのであります。そういう観点から申しますと、この民間放送を自由にすることはけつこうでございますけれども、NHKの波長をさいてそれに與えるということは、すなわち国民の犠牲をしいているということに、私は結果的になるということをおそれます。  第一放送が行われ、第二放送が行われておりますが、第一放送と第二放送とは、これは当然なければならぬものでございます。今日東京で第一シンフオニーを聞き、あるいはハムレツトを見るために、えんえん長蛇をなしている大衆諸君もございますし、たるのしりをたたいて八本節を歌つて大いに満足している国民大衆もある。東西古今を通じて、これほどいろいろな形において、都会地方文化の錯綜しているところはありません。都会地方とこれほど文化程度の開きのあるところはございません。こういうものを、あるいは娯楽放送を提供しながら、常に民主主義的な方向に、文化の向上に努力して、大衆をとらえながらひつぱり上げようとする力がなければ、日本文化は低下するばかりであります。従つて第二放送において、高級な文化を常に放送して、それが聞えるようにすることが、また国民文化の水準を高める上において大いに必要であります。従つて第二放送が今二十数局しかございませんが、当然第二放送を全国に聞えるようにすることが、NHKの義務であります。これができないようにするのは、あるいはNHKのどこかの波長をとることになりますから、今日百数箇所に出ているNHK電波のどこかを奪うことになりはしないかと思います。そういうことであつては、民間放送に私は反対せざるを得ないのであります。飛彈の山奥や釜石、ああいう辺境の地に技術屋を五、六人も置きまして、またアナウンサーを置いて、そういう地方文化の向上に努めていた者を、引上げさせることになりますと、そういう地方文化というものは、勢い低下せざるを得ません。従つてだんだん民間放送都会に集中いたしまして、都会人の抹消的な、官能的な点のみを刺激するような方向に行くということを、私は日本文化のためにおそれるものであります。従つて第一放送、第二放送が全部できて、しかもなお民間放送のできる余地が私はあろうかとも思いますので、そういう面において民間放送を許可せられるのはけつこうでございますが、辺境の地区の犠牲において、都市のみに集中して利潤追求を目的とするような商業放送を御許可になるようなことがあると、私は国民のために非常に残念だと思う次第であります。  いろいろ述べましたが、要するにこの法案というものは、私が見ますのに、国鉄あるいは專売を規定する法律と、まつたく同じ趣旨でできているということを痛感いたします。その点に根本的な問題があろうかと思います。文化事業である放送を、国鉄、專売と同じように規律することが、はたして日本文化の向上に、言論の自由確保のために、適当であるかいなかということは、賢明なる委員諸賢の御判断にまちたいのでございますが、專売の場合、サロンでタバコを巻いても、監獄でタバコを巻いても、タバコはタバコであります。徳田球一氏が石炭をくべても、吉田茂さんが石炭をくべても、汽車は大阪まで走ります。ところが放送ような言論機関を、そういうふうな考え方で律して行つて、官僚的な面を非常に濃化して行きますれば、これは文化の低下となり、言論の圧迫となり、私は国家のために非常に憂うべき事態があることを信じます。極端な左翼の進出によつて、今日いろいろな面から言論の圧迫の問題が出て来ていることは事実であります。極端な左翼の、あの破壞的な傾向は最も憎むべきことですが、それを規制するために、全般の言論を抑圧するような風潮が今日日本にあることを、最も嘆くものでありまして、自由主義精神の高揚を期待すること、今日より急なるときはないと思います。そういう意味におきまして、この法案に対してわれわれ純心なる七千労働者の皆様にお願いするところを、よく御吟味いただいて、御審議の一助にしていただきたいことをお願いする次第であります。(拍手)
  80. 辻寛一

    辻委員長 次は小川忠作君にお願いいたします。
  81. 小川忠作

    ○小川公述人 私は全国ラジオ協同組合連合会会長の小川忠作でございます。全国の業者を代表いたしまして、その総意を申し述べたいと思います。  まず第一に、われわれのここ申し述べようといたしまするその結論を、先に申し上げたいと存じます。われわれ業者といたしまして放送法案第九條第二項第七号の條文「委託により放送受信用機器を修理すること。」及び同法案第九條第五項の條文「第二項第七号の放送受信用機器の修理業務は、電波監理委員会が定期的に行う調査により必要と認めて指定した場所に限り行うことができる。」とあるのであります。この條文の全文の削除を要請する次第でありまして、この要求がいれられない法律に対しましては、反対を表明するものであります。  以下その理由を申し上げますと、このたび電波法案の制定は、適正な内容の完備と公正なる運用がはかられますならば、日本におけるラジオ放送事業の基礎が確立せられまして、放送の自由なる発達が約束されることになるわけで、その点まことに慶賀にたえないものであります。かかる意義ある法律の制定にあたりましては、あらゆる角度からでき得る限り日本の現状と国民性に適合せしめまして、その完璧を期せられたいと念願するものであります。ラジオ放送と最も密接な関係を持つておりまする私ども受信機の保守と供給を專業とする企業者は、放送ラジオの普及発達とともに、ますますその責任を痛感いたしまして、業態を整備いたすとともに、聽取施設の保守については全国同業者相連繋いたし、相戒めて遺憾なきよう、万全を期してこの趨勢に即応いたしたいと念願するものであります。また将来における電波の輻湊から来る混線に備えまして、電波分離状況の不良地域に対する完全聽取対策といたしまして、現在聽取者八百万のうち、約八割と称せられます国民型並四球程度の受信機を、最も安価な費用をもちましてスーパーに改造できるよう、その研究と運動を起しておる次第であります。  以上申し上げましたごとく、われわれはわれわれの職域を通じまして、国民大衆に対する奉仕と放送ラジオの普及に対し、全幅の努力をささげておる次第でありますが、さて以上の見解と覚悟を持つわれわれの立場から、ここに示されました電波法案を検討いたしますと、はたしてそれがまつたく理想化されておるかどうかという点で、遺憾の点を多々認めるのでありまして、御理解ある御再考を希望する次第でございます。  第一に、放送法案を通覧いたして痛感することは、法案があまりにも日本放送協会の擁護に偏していることであります。日本放送ラジオを民主的に自由闊達に発達せしめるためには、民間企業の自由なる進路が開かれてあらねばなりません。しかるに現法案においては、民間放送に対してはわずかに数行の條文にとどめて、その基準目標を不明瞭とし、また一方においては日本における放送開始以来二十五年の間、小資本により堂々として自立経営、今日におけるラジオ放送普及の礎石となつているわれわれラジオ機器の保守供給業者の存在を黙殺いたしまして、修理業務を法制化いたして、巨大なる独占資力と、法律の権力のもとにおいて、重税の圧迫にあえぐわれわれ零細企業者に、さらに強い圧力を加えんとするがごときは、まさに独善横暴そのものであるというほかないのであります。もちろん放送法案ないし日本放送協会の本旨は、国民大多数の利福を優先にすることは当然でありまするが、さりとて善良なる、しかも国策に忠実なる国民の一部たるところのわれわれ業者を犠牲にしてもいいということは、言い得ないと信ずるのでありまして、個人の零細なる資力によつて業務を経営しつつ、放送ラジオの普及に協力するわれわれラジオ修理販売業者の功績は、放送協会の掲げまするその業績と同様に認められてもいいと信ずるものでありまして、これに圧迫と強圧とで報いられまするがごときことは、とうてい信じ得られないところであります。万一修理保守業者の業績が、日本放送事業の発達を促すために不十分であるとかいうのであるならば、それを育成助成する施策を必要とし、またこれを害する点がありましたならば、これを除去する政策、すなわち生産機器の品質向上をはかり、受信機等の故障を未然に防ぐ根本対策等の樹立こそ、適正な方策であると信ずるのでありまして、かような建設的な方針はまつたく認め得られないのであります。末梢的な修理業務のごとき膏薬張りに汲々とし、いたずらに小企業と対立し、これを圧迫牽制せんとする独善独占の態勢は、過去における日本放送協会の独善独占行為に、さらに筋金を入れる以外に何物もないと認められるのであります。また日本放送協会は、今回の法案に示されました修理業務の実施にあたりまして、電波監理委員会が行う地域の認定條項の削除をさらに要求し、独断による自主権の把握を強力に運動しておるようであります。これはわれわれ業者が過去十数年間、日本放送協会による修理業務の行き過ぎに反省を求めまして、その撤廃を叫び続けて来た本旨からいたしましても、また以上申し上げました趣旨からいたしましても、一層われわれ零細業者に恐怖を過重するものでありまして、この案に対しては絶対反対を表明するものであります。  さて実際問題といたしまして、協会の機関による受信施設の保守によらなければ、その万全が期せられないかどうかという問題であります。過去の協会による数字的実績というものは、すなわちわれわれの実績なのであります。と申しますのは、協会が過去二十数年間われわれと常に車の両輪と称して、相提携してその保守業務を実施しつつあると称せられることによつても明らかであります通り、協会の修理業者の行うところ、必ずや業者の実務がこれに伴つておるのであります。もしまた業者を伴わない、協会單独の修理業務というような実績があるとするならば、それだけ業者の生業を圧迫しておる実績でありまして、ここに過去十数年にわたり、業者がその修理業務の圧迫、行き過ぎを訴えて来た原因を明示しておる次第でございます。また協会による保守業務の実態でありますが、放送協会の職員による修理業務の実態は、いわゆるお役所仕事の範囲内に入るべきもので、全般的に見て低調であり、單なる業務実績かせぎのおざなりにすぎないという感が深く、生業の対象として故障機器と真劍に取組み、やむにやまれぬ営業競争とサービスの徹底を相競ふ自由企業者の行動と、格段の相違があることは当然でありまして、素質、能力においても、自由企業者のものがそれに劣るとは考えられません。むしろ立ちまさる場合が往々あり、その実例は幾多あげることができますが、一般の通有性として、官尊民卑の傾向がいまだとれないのであります。有力なる組織を盲信する人情の働きが、協会の修理業務を過大に評価する傾きがないとは言えないのであります。またサービス網の配置問題でありますが、都市、繁華地帶に対するサービスは別といたしまして、山間僻地に対する受信機の保守に対しては、業者といたしましてもそれぞれ自主的に、集団修理、出張修理等を行つておるのでありますが、この点は十分業者としても自覚し、それぞれの自主団体または地域組織と協力して、この方面へのサービスも万全を期すべく努力しているのでありますが、放送協会においてこれら地域に対する保守サービスに、それほど深い関心を感ずるならば、都心地において業者に対立して、いたずらにその生業を脅かしつつある相談所等の施設を全廃し、その経費の一部でもこの施策に振り向けて、業者を支援することの方が、民業助成の実も上り、その本質に沿うものであろうと考えるのであります。従つて協会の修理業務を山間僻地に限定する趣旨において、前記條項を残すというような論は、承認しがたいのであります。何となれば協会がかかる山間僻地に、一々出張所のごときものを設けることができるかどうか。また故障のあり次第ただちに聽取者の家庭へかけつけて、修理してやることができるかどうか。当然不可能のことであります。結局定期または臨時に巡回修理でもするのがせいぜいであります。しかしてラジオ聽取者が受信機器の故障の都度、すみやかに修理をしてもらおうと思えば、結局もよりのわれわれ業者のところに来るほかはなないのでありますから、協会が山間僻地において修理業務を行う必要があるということは、ほとんど意味がないのであります。現に協会が修理業務を営んでおる場所は、決して山間僻地ではありません。たとえば東京都内の数寄屋橋とか、全国を通じて中小都市の中心地、繁昌しそうな所で実施せられておるのでありまして、業者の生業を圧迫しておるのであります。協会は修理を行えば、必ず繁昌しそうな所を特に選んでやつており、山間僻地と称するものはどこにあるか、実に疑問の次第であるのであります。今日も実はここに福島県の人が傍聽に来ておりますが、旭村のごときも何年も来たことがない。町から五里も離れておる。そういうところを協会が実際にやるとするならば、福島県だけでも何千万の金がかかる。業者は五里、十里の道を自転車に乘つて、その山奥までサービスに歩いておるのであります。  大体日本放送協会による修理相談業務はいつ始まつたかというと、昭和五年東京中央放送局技術部長北村政次郎氏が、これは業者の権益を脅かすものであるから、絶対的に業者と提携して行わなければならないという、確たる方針のもとに開始せられたものでありまして、協会は受信機器の診断をのみ行い、その修理業務は全部業者に任しつつあつたのでありまして、また相談業務等も業者と完全に提携し、業者はその店舗を提供し、これを基準に受信機の相談または診査に当つていたのでありますが、戰時中における統制政策により修理業務に乘り出したものが、今日の慣習を生み、さらに今後におけるその続行を強化しようと計画しているのでありまして、業者の自主的進歩発展を阻害する施策と言わなければならぬのであります。また今後、遠い将来といわず、三、五年後におけるラジオ放送事業の発達等を考えましても、またこれに伴う受信機器の改善向上、保守技術の進歩、各種サービス網の拡充、そういうような点をいろいろ考えましても、修理業務のごときはわざわざ法文に載せるほど必要なことではないと思うのであります。  そこで時間を節約するために、項目的に申し上げたいと思います。  一、協会の修理業務の実際面においては、われわれ專業者の立場より見れば、技術的にもサービス面にも、業者としては信頼するほど価値あるものではないことであります。  二、業者はラジオの普及のため、受信機の販売に、あるいは保守業務に專念しておるのであつて民間放送実現とともに、さらにその企業の発達を期待するものであり、その素質と配置等に関しても、またサービス面についても、何ら不安がないと信じます。  三、電波監理委員会が必要と認めた場所に限りと言つて、いかにも限定したようにとれますが、その認定いかんにより、広くも狹くもなり、極端な場合を想像すれば、日本全国をいわゆる必要と認めた場所とすることが可能であり、従つて日本放送協会は、修理業務の範囲に関し監理委員会にいろいろと働きかけ、またわれわれ業者もまた自衞上、これが対策に狂奔せざるを得ないことになり、ひいてははなはだ好ましからぬ現象を惹起するおそれが大いにあると思料されるのでありまして、かかる禍根を絶滅するためにも、前記関係の條項をすべて削除することが至当と考えるのであります。  四、協会の行う修理業務は、営利を目的としてはならないはずの協会をして、営利に向わせる危險があるのであります。これまた前記條項の全面的削除を願いたい理由であります。  五、日本放送協会の受信機器修理業務は、監理委員会が必要と認めた場所の認定いかんにより、われわれ業者と競争関係に立つようになることは明らかであります。協会はわれわれと比較にならぬほど、巨大な事業能力を有しておりますから、われわれ業者たちの自由なる競争を不可能にし、少くともこれを制限することとなるのであつて、独占禁止法にいうところの、不当なる事業能力の格差を生ずる可能性があるのであります。かかる状態が発生したときに、公正取引委員会に申し出まして、その排除処置をとつてもらうようになるよりは、初めからそのおそれのある條項を制定しないことが賢明であると思うであります。  六、協会が現状のごとく広く修理業務に手を出すようになると、修理料の決定につきましても、まだ修理用の部品につきましても、協会の例に従わざるを得ないはめとなり、結局放送法案第九條第四項「協会は、放送受信用機器若しくはその真空管又は部品を認定し、放送受信用機器の修理業者を指定し、その他いかなる名目であつても、無線用機器の製造業者、販売業者及び修理業者の行う業務を規律し、又はこれに干渉するような行為をしてはならないと規定してあるのに、牴触することになるおそれが大いにあると思うのであります。  七、受信施設の保守にかくのごとく深慮するのであるならば、これに携わる保守技術者の素質、並びに施設を認むべき国家的認証制度の施策が考えられてもよいと思うのであります。  八、民間放送会社が企業維持の收入源としてあげております受信機器修理業務もまた、われわれラジオ業者と同様の影響を受け、その收入源を脅かされ、企業の自由なる発達を阻害される場合もあると考えられるのであります。しかしここでちよつとお断りいたしておききたいことは、民間放送会社の修理販売企業に対しましては、その独占事業的性格、集中資本的性格にかんがみまして、その実行にあたつてはわれわれ中小企業者といたしましても、別の面から対策を研究いたしておるような次第でございます。  結論といたしまして、受信機器の修理業務の條項は、いたずらに国政を煩雑化せしめる以外効力がないこと、中小企業者として重税を拂いつつあるわれわれ業者に圧力を加え、その生業を不安ならしめるにすぎないのでありまして、その全項目を削除し、協会の経費を削減し、本然の任務たる放送業務に集中せられ、また聽取料のごときは、その余剩経費によりできる限り軽減せられんことを望むものであります。しかしてラジオ機器の生産根源に対する施策をお考え願いまして、わが国ラジオの改善向上をはかるとともに、日本ラジオ機器が多量に海外に輸出せられまして、外貨獲得になるよう、われわれ業者は全幅の努力を惜しまないものであります。  以上をもちまして、全国ラジオ修理販売業者を代表いたしまして、私の公述を終ることにいたします。
  82. 辻寛一

    辻委員長 次は新名直和君にお願いいたします。
  83. 新名直和

    ○新名公述人 新名直和であります。先刻委員長から、公述最初に職業を述べろというお話がありましたが、私は現在職業を持つておりません。ただ、今より二十五年の昔、東京放送局が初めてできた時分に、その創立に責任者として参與いたしまして、さらに日本放送協会の常務理事として、何年かこの放送事業関係した因縁を持つているだだけであります。従いまして今日は団体を代表する意味でもなく、また別に評論をするような気持でもなく、国民の最も関心を有する放送法案についての所見を述べるべく、出席した次第であります。  昨日以来十数人の識者あるいは関係諸君から、るる賛否両論にわたつて、各視野から論じ盡されたのでありまして、もう十分これらに関する論議は明らかにされたことと存じます。ことに今朝来拜聽いたしております公述人に対する委員各位の御質問ぶりは、実にその中核をついて、最も大事な要点を遺憾なく摘出して御質問になつている。このありさまを拜見いたしまして、これらの御検討を経て成立する放送法案は、必ずや国民の要望にこたえ得る完全な法規ができ上るものと、非常に愉快に感ずる次第であります。法律というものは、二年か三年で根本的にひつくり返つて改正されるものもありますし、またあるものは数十年にわたつてそれが持続するものもあります。ことにこの放送に関する法律のごときものは、ただいまの後者に属するものでありまして、大正四年に無線電信法というものが初めてできた際、無線電信電話は政府これを管掌す。但しこれこれこれのものは主務大正の許可を得て私設することを得ということになつておりましたが、そのこれこれこれなるものが、あるいは船舶無線であり、あるいは漁業無線であり、また離島無線であつたわけですが、そのあとのその他主務大臣において必要と認めるものは、その認可によつて施設することを得という、この短かい簡單な條項によつて放送というものが二十五年間、今日まで来ておるのであります。この法律には放送のほの字もなければ、ラジオのラの字もない。それはそうでありましよう。大正四年といいますと、大正九年アメリカのピツツバーグで初めてこの世の中に放送というものが生れ出たのに先立つ五年であります。大正十二年の大震災によりまして、その日から放送の必要というものを初めて朝野が痛感して、その年のまだ余燼もうもうたる十二月に、放送用私設無線電話規則という逓信大臣の省令が一本出たのであります。この省令が今日まで四半世紀にわたつてのこの放送というものの、唯一無二の基本條項であるということは、実にこれは一種の驚異であります。その時分には放送というものは、だれもあまり知りませんでした。この規則の一番最初の書出しが、時事、音楽その他の事項を放送せんとするときは、この規則によるべしというようなきわめて軽微な立派で、しかもその條項なるものは手続法的なもので、技術に関係することばかりではありませんが、そういうものが主たるものでありまして、放送の使命、運営の研究、財政的の関係というようなものは、少しも規定してない。その時々の必要に応ずる申合せ的の主務官庁の通達や、放送当事者の創意自律等によりまして今日まで放送というものが運営されて参つております。従つてこの中には不備また不適正と認める條項が多々あるのは当然である。むしろ今日までこれらの單純なる規則によつて、とにかく運用というものを全くし得たということは、これはたいへんなこの法律の功績というべきもでありましよう。今回はこの法案によりまして、従来の不完全、不備、こういうものが補正されるということは、まことにけつこうなことであります。私はこの法案については、全面的ということは留保させていただきますが、大部分この法案は賛成であります。ことに民間放送を許すというこの第三章の規定を含めて、これは賛成いたします。しかしこの賛成の理由は先刻来種々お話がありましたから、別に申し上げる必要はありません。ただ時間の節約上、また委員長委員各位の御多忙の時間をなるべくむだにいたしませんように、重複を避けまして、先刻来委員各位からの御質問に対する公述各位のお答えになつたことで、いろいろ賛否両論もありましようが、これらのお話中心にして、一、二所見を述べてみたいと思います。  この法案の最も進歩的だと考えられます点は、ただいま申し上げるよう民間放送というものの問題を解決したとか、それから放送というものの使命、あるいはその運用の原則を、国民共同の福祉に適合するべく、また民主的に自由に、独立、国民文化享有、機会均等、真実性、こういうような必要な方面を強調されまして、国民とともにこのラジオというものがいかにあるべきかということを、はつきりさしてくだすつたということは、まことにこの法案起草者の労を多とするものであります。進歩的の規定に富んでおります。また先刻来いろいろ議論もありますが、この審議機関の愼重を期して、あるいは放送経営委員会の制度を案出し、また予算、財政計画、事業計画等の任務を、單に協会当事者の独善專断にまかすことなく、国家の必要な機関を通して、国民注視のもとに、公明正大にこれを取扱う。適正なる結果を期待する。こういうように仕向けられたということは、確かに放送事業そのものの進歩でありまして、歓迎すべき最も大事な点であると思います。  先刻来問題になりました経営委員会のあり方、これはむろん問題になるのでありますが、地区を中心として八人の委員を出すということはいかがかと思います。たとえば北海道から一人、四国から一人、また関東方面からも一人、大阪からも一人、中央放送局というものにとらわれ過ぎて、その地区の含む人口、地区の加入せる聽取者の数、これにあまり重きを置かなさ過ぎるのではないか。たとえば北海道、四国の聽取者と関東方面の聽取者とは、一と十との比率であります。しかしながら経営委員の選出は同じく一人である。国民の代表者としても、また聽取者の代表としても、これは比率を失しておるのである。ただ中央放送局が各所に一つずつあるということだけのことである。必ずしも八人という数が確定的にきめられたものでないとするならば、この比率は考えるべき余地があるのではないか。少くとも北海道、四国が一人ずつ出るならば、大阪からは二人、東京からは三人といつたよう——四人でもよろしいですが、一人というふうに限る必要はないのではないか。文化なり産業なりの各方面の分野を代表する上から言つても、もう少し数が多くあつてしかるべきではないか。また代表者に適当なる者を得る範囲を、もう少し広く見てはどうであろうか。かくのごとく人数においても研究の余地がありましよう。  またこの経営委員会の任務ということを考えますと、これは放送の運営の方針を確立し、これを監督指導する。そして放送協会長に指示するという、この放送事業の最高機関であります。しかしながら公平に判断する能力、経験を有する資格、こういうことは必要でありますが、しかしながら放送事業そのものに関する知識経験というものは、むしろじやまであるかのごとく見える。いわゆるしろうとを集めるのだという立法の精神ではないかとさえ考えられます。先刻も辻公述人からお話がありましたが、公安委員のごときものはなるべくしろうとを集める方針だということでありました。この放送事業の経営に至つては、そういう者ばかりではいけないのではないか。もう少し複雑なる選考條件というものを必要とするのではないか。選任の方法を誤りますと、一年に何べん出て来ますか。月に一ぺんしか会合がないのか、あるいは予算を決定する時分だけに招集するかもしれませんが、要するに地方に住居を有する人たち東京に出て来て、何らの施策を持たない。電波監理委員会は何人でもスタッフを持つておりますが、経営委員会の方はスタッフがないようであります。そこに事務員というものがつきましようけれども、平常の調査機関というものは別にないようであります。そうしますと、たまに出て来た人に厖大な事業計画を突きつけ、複雑なる技術関係の書類を見せ、多額なる予算を與え、さあどうだ、こういうこれを言われましても、結局は協会長の諮問機関に終るのではないか。並び大名みたような結果になつたのでは、この放送事業の最高責任者としての職責を盡し得ないのではないか。少くともそのうちの何人かは常任して、始終毎日の放送業務を見ている。そうしてその知識を持ち、その可否を判断するるところの機会を與える必要もあろう。一種の諮問機関であるならば、昔の評議員のごときものであるならば、常識の判断のみであるいはよいかもしれませんが、運営の最高の責任者であるという以上は、そういうようなほんの一時的の当座の知識を利用するといつたようなことでは許されない。しかもこれに絶大なる権力を持たして、放送事業の最高の義務を負わしておる。名ははなはだ美であります、その実が伴いませんと、放送当事者自身の專断に陷る。独善の結果を招くおそれが多分にありはしないか。この点は十分に考慮を必要とするものと考えます。  また計画の審議でありますが、これはもうすでに皆さんからも論議になつておりますが、電波監理委員会が検討し、さらに政府が十分にこれを見、そうして両院が検討されて、初めて承認をするということは、これは少し御丁寧過ぎるのではないか、毎年々々事業報告を出し、決算書を出して、財政説明書を出すのでありますから、両院議員におきましては、この説明書なり報告書なりを検討吟味されて、そうしてそれを訂正すべきは訂正して、十分御用が足りるのではないか。予算あるいは事業計画のごときものは、なかなか機敏性を要し、活発性を要し、創意を要するのでありますから、これを制肘束縛する意思はなくとも、事実においてそういう結果に陷りますと、放送事業というものが御用化するおそれが多分にある。しかしながら国会は国民に代つて、十分に放送事業というものを御了知になる必要はむろんあるのでありますから、この報告だけは十分にごらんになつて、また始終視察されて、この可否を判断され、訂正すべきは訂正する。これはぜひ必要だと思いますけれども、毎年々々予算なり、事業計画なり、技術計画なりを一々国会で検討して、承認を與えるということは、時期を失するおそれも相当あると思います。これらの点は委員各位においてもすでに御成案があることと思いますので、あわせて御研究願いたいと思います。  私は商業放送と称せられまする一般放送事業について、最後に少し述べます。一般放送をこの法案において認めたということは、先刻も申したごとく非常な進歩であります。大賛成であります。これによつて電波の独占ということが開放せられ、また商業手段が増加し、ひいては産業の増強にも相なります。同時にこれが動機となつて、技術方面にも非常によい結果を生ずることは間違いない。しかるにこの商業放送を許すか許さぬかということについての反対論が、世間には相当あります。その理由としてあげられるのは、第一に電波の混信であります。上海には五十幾つの放送局があります。しかしながらスーパーなどの高級機械を持つておりまして、みな電波を分離しておるようであります。わが国における受信機は、なかなかそういうわけに参りません。そのうちの七〇%が改良を要するということは、ただいまの公述人お話にもありました。それをことごとく改良するには、数年を要するそうであります。また一台について何百円、あるいは何千円の費用を要することでもあります。もしもこの分離ができないということでありますと、それはゆゆしい大事であります。これがために公共放送といわれるNHK放送が聞えなくなる。ことに夜間等におきましては、いろいろな電波が混入しましよう。どれも聞えぬということになると、これはたいへんなことになります、またこれをことごとく聞き得るようにするには、何年かの年月を要し、またたいへんなる費用を要するという、これもまたたいへんなことである。かくのごとくしてなぜ民間放送を許さなければならぬかということが、反対論の一つであります。これは電波法案の問題に属しまして、ことに私自身は技術のことを存じませんから、この席におきまして自分の意見を述べることは差控えまするが、しかし今日考えられておりまするところによれば、ある一定の数ならば、そうしてその放送局の設置場所が適当な地点であるならば、決してNHK電波を妨害しない。こういう議論が信ぜられております。ことにこの許可は、電波監理委員会におきまして專門家の調査によつて、混信を引き起させない。決してこれがために電波の混乱を来さないという認定のもとに、免許せらるべきものであります。ゆえに免許せられた電波なるものは、決してその他に惡影響を及ばさないものと見るべきであります。この点は電波監理委員の調査によつて免許せられたものならば、さしつかえないと思います。またやつてみてそういう結果があるならば、これを補正する手段は法規の上に明らかになつておりまするから、この点は心配ないと思います。  第二に反対論の主張は、日本の産業界の現状に照らして、広告放送のみをもつて一箇年間、あるいは一箇月間に何千万円を要するところの放送事業を維持するだけの收入を得ることは困難ではないか。むしろ不可能ではないか。つぶれるのがわかつておるのになぜ事業を許すのか。こういうような議論があるのであります。これは一応検討を要すると思います。しかし私はこれに対しても楽観論をとります。むろん電波監理委員会で免許をする時分には、まずもつて技術上の関係を調べまするが、同時に財政上の基礎が鞏固でありやいなや、この放送を維持するに必要なる維持費を得る道がどういうふうにあるのか、その見地のもとに十分検討されて、これならばよろしいというものが許可されるわけでありますから、ねこもしやくしもことごとく許されるものではない。またいかなる事業といえども、放送に限らず、何でも事業を開始したあくる日から黒字になるということは考えられない。一定期間赤字を負担する覚悟がなければこれはできない。いわんや今日の放送アメリカのお手本もありますから、あの手この手といろいろ收入を得る道もありましよう。また多角経営、たとえば出版事業を兼営するとか、いろいろな方面から放送広告以外に收入を得る道も相当考えられておりましよう。必ずしも損をするときめてかかる必要はない。しかし別の意味から、相当注意しなければならぬと思います。むろん財政上の問題もありましよう。ただ民間放送局相互が競争のあまり、内容を吟味するいとまなくして、各方面にいわゆる広告を売りつける。あるいはかき集める。そしてしかもその切り売りしたる時間内は、広告放送者のまず自由にまかすべきが原則でありましようから、その内容というものは結局公衆の趣味にこびる、あるいは聽衆をやんややんやといわせるという方面に急にして、その結果が醇風美俗を害するとか、あるいはおもしろからぬ結果を来す方面に意を用いる点が盛んになるのではないか。これはまだ忍ぶとしても、最も注意を要することは、これは東洋のある都市なんかにもその実例があるそうでありますが、講演、演芸、娯楽とかいうようなものの中に隠れて、ちよちよいとある種の精神的な放送を伝播するという結果が起りはしないか。この点は私は詳論を省きます。委員各位の御賢察にまかせます。こういう点も相当考慮いたさなければならぬと思います。電波に関する監督は、電波監理委員会が十分に監督しましよう。しかしながら多くは電波の質とか、波長とかいうような技術的の関係に重きを置いて、つまり乘物だけに重きを置いて電波という乘物に乘つておるお客さん、すなわち放送内容の監督というものを等閑に付しては、これはゆゆしい大事が起ると思います。この電波内容の監督については、電波監理委員会において十分の御考慮をなさる必要があるのではないか。  放送協会に対するラジオ・コードは嚴重にできております。またラジオに関する監督も相当行われましよう。またこれが経営の任に当る者の人選も、ただいま申すようなむしろ愼重すぎるような愼重さをもつて吟味されますから、この点はまず一応信頼してもよろしいのであります。民間放送でありますと、資本関係以外に、その経営の責任者を別に吟味する機構はないようであります。だれがやるのか、どういう仕組みでやるのかということをあまり問わない。一般商事会社の経営方針と同じよう程度にまかしてある。この点は相当考慮を要すると思います。ことにまたこれが株式会社であります場合に、いつも財政がゆたかとは考えられません。財政の窮乏を生じた場合に、一般会社にあるごとく株式全部の肩がわりもできましよう。また委任経営もできましよう。また放送設備の賃貸あるいは買收壤渡ということもできましよう最初監理委員会で認可した場合には、いろいろだれが経営したか、どういう背景があるかというようなことを、相当問題にして検討しましようが、その後どういう株主がマジョリティーを持つているか、だれが賃貸したかというようなことまでは、監督の手はなかなか及びにくいものであります。しかるに放送協会に対しては、ただいま申した放送設備の賃貸、壤渡、あるいは別のものの支配に属するような場合には、監理委員会の認可を経なければならないことになつておりますのにかかわらず、民間放送に対してはかくのごとき規定がないのであります。規定がない以上は、一般商事会社の例によつて、株式というものがだれの手に移るかわからない。だれの支配にこれが属すようになるかということはちよつとわからない。資本関係、経営関係の取締りが比較的自由になつておる。あるいはこれが法案の本旨であるかもわかりませんが、そういう方面に対する配意が、この法案の上にもう少し盛り上げられてもいいのではないか。午前中にも話がありましたが、法案の五十八條の規定のうち、民間放送に関する規定がたつた二箇條しかない。もつとも最初の総則において、ラジオに関する原則が二、三箇條ありますけれども、その以外はまつたく二箇條しかない。もう少しラジオに関する放送の原則、運営の方針、またただいま申したよう電波内容に関する配意、これなどがこの法案の上に考えられてもいいのではないか、かように考えております。  また先刻来委員各位のうちからも御質問が出ましたが、民間放送局の育成という問題であります。私も民間放送局は、日本放送協会の競争者にもあらず、また脅威者にもあらずと考えております。法律の上では二つ一緒に生れて来ますけれども、片方は二十五年以来の伝統の技術、経営、人的布陣、財政、あるいは放送網、かくのごとき遺産を相続した長男であります。片方はまつたくの呱々の声をあげたばかりの嬰兒でありますから、これは競争者にはならぬ。従つて民間放送が今後いかに発達いたしましても、なかなかNHKと対等の地位をとるということは、よほど年月を要しましよう。これについては私は、まさか政府が直接に補給金を出すというようなふうには考えられませんが、少くともNHK民間放送局の育成共助ということについて、十分に考えるべき立場にあるのではないか。  これについて自己の古い経験を申し上げますが、二十五年以前に東京放送局が成立いたしました際に、社会が問題にしたのは、新聞社がにらみ殺されてしまうだろう、こういうような声がずいぶんありました。その時分には確かに放送というものは新聞の敵であると、一般に考えられておつたのであります。また各新聞社は争つてこの放送局の志願をしました。それがみな不認可になつて社団法人東京放送局というものができたのでありまして、その新聞社の当初の計画は実現いたしませんでした。ただ東京放送局の中に入つて放送事業をメーカーと一緒にやつたのでありますが、その際における各新聞社の態度は、まず私は今日から見ると実にりつばであつたと申してよろしいと思います。実に育成的態度、助長的態度を遺憾なく発揮したのであります。第一、ニュースは無料で提供してくれました。一日に数回わざわざ持つて来てくれました。しまいにはとりに行きましたが……。あるいは毎日の紙面もさいてラジオ・プログラムを出し、演出家の写真までほとんど出して、ある新聞のごときものは毎日半ページ以上費しておりました。また幹部の人が時間をさいて、毎日放送局行つて手伝つてくれたり、あらゆる便宜を提供してくれました。例のラジオ課税問題が茨城県に起つた際のごときは、驚くべきことでありまして、東京全市の新聞社、通信社等十社が連名で、共同声明を発表したのであります。そのラジオ課税の文化を害する不法なことをなじり、多大な紙面をさいて共同声明を発表し、また一時逓信省と人事問題について争いを生じた際にも、各社が共同声明をもつてこれに対する意見を発表いたしました。かくのごときことは従来なかつたのであります。いかに各新聞社が放送事業を育成助長するに熱心であつたかということは、実にこの一点で明らかであります。ある人はこう申します。各新聞社がもしも反対の態度をとつて、白眼をもつて放送事業をにらんでおつたならば、放送局は今日の盛業を見得なかつたであろう。少くともはるかに放送事業の発達が阻害せられたであろう。私はこの機会において、各新聞社が放送事業に対してとつてくれた態度に対して、感謝の意を表するものであります。NHKも新誕生者たるこの民間放送に対しては、かくのごとく大なる襟度をもつて、自分の弟を育成するような態度をもつて、育成に盡力してくださることを期待するのであります。  最後に一言、これは小さいことでありましようが、従来この放送事業に努力しておりました出資社員が、全国に六千何百名おりますが、これに対する処分の問題であります。この法案の附則の第何條かによりますと、二百円の出資金を還付するということであります。当然放送協会解散と同時に、出資社員たる資格を喪失するのであります。出した二百円は、彼らは最初から別に還付を要求しておりません。むしろ寄付するつもりでおりました。それに対する一つの待遇として、聽取料を免除しております。しかしながらこの人たちは、まだ放送というものが生れ出ない。どんなおもしろいものだか、つまらないものだかわからない時分に、放送局の人が行つて頭を下げて、どうぞこういうものであるから加入して社員になつてくださいと、一々懇請して参つて社員になつてもらつた人たちなのであります。もしこの人たちがなかつたならば、放送局は誕生しておりません。すなわち今日あるのは、出資社員が二十五年以前に二百円、金額はともかく、その当時において一定の価値を持つ二百円を出資して、何らそれに対する代価を求めないで、この文化事業に率先盡力をしたという点に、ただ誇りを持つのみであつて、これがもとで今日あるを得た有力なる原因であります。今度いよいよ機構がかわつたから、この人たちに二百円返してやる、これでよろしい、こういう態度をとるべきではないと思います。二百円を返さなくてもよろしいから、この人たちには従来の功績を認めて、今後あるいは十年間とか何年間とか、無料聽取の特権を與えて、その優遇の意を明らかにすることが、かえつて従来の出資者に対する道ではないか。かように考えております。  いろいろ申し上げる点も多々あるのでありますが、時間もすでにおそくなりましたので、この程度でごめんをこうむります。(拍手)
  84. 辻寛一

    辻委員長 最後に長谷川才次君にお願いいたします。
  85. 長谷川才次

    ○長谷川公述人 時事通信社の長谷川であります。  この法律案を拜見いたしまして、初めの第一章総則はまことにけつこうだと思つておりまするが、突然第二章以下になりますと、日本放送協会のことばかりずつと書いております。最後に一般放送事業がたつた二箇條、あとは罰則、附則というふうになつておりまして、ちよつとこれを一読いたしまして、どうも統一したものの考え方で貫かれておらぬのではないか。占領の治下にありますので、いろいろと方々から意見が出て、船頭がたくさんおりますので、いささかばらばら事件になつているのではないかという印象を受けたのであります。根本的な建前がはつきりしない。私ども長いこと通信社の仕事をしておりまして、二十年前から私どもの商売の仲間でいつでも問題になりますことは、日本ような貧乏な国に二つの通信社が可能かどうかということなんです。アメリカにおいでになつた方はよく皆さんおわかりだと思いますが、とんでもない金持の国なんだ。アメリカへ私ども二月、三月旅行しただけでありますが、戰争前でエコノミックス・オブ・アバンダンスということが、つくづくわかるのであります。大西洋を渡つてロンドンに行きますと、昔は偉かつたかもしれぬが、やはり貧乏国、エコノミックス・オブ・ポヴァーティ、近ごろはそれを言いかえて、貧乏人がウエルファーを進めるための、エコノミックス・オブ・ウエルファーということを言つております。貧乏な英国では、通信社が一つしかないのであります。外国の通信を行うロイターと、国内の通信を行うプレス・アソシェーション、これが合せて一本なんであります。ところがアメリカに行きますと、非常にりつぱな通信社がたくさんできている。そこで私は放送局の問題につきましても、日本ような貧乏な国に二つの放送局放送協会が可能かどうかという根本的な一線があると思うのです。先ほどからいろいろお話がありましたが、イギリスではBBC一つ、それに大体範をとつて今までNHKがやつて来たのだろうと思いますが、占領以来やはり通信社と同じように、放送局民間放送局を入れて複数にしようじやないか。こういう考え方が強く出て来ていると思うのであります。そこでこの法案を起草せられました当局の方や国会の皆さんが、この問題は、ほんとうに身にしみた体験から一つで行つた方がよいと自分たちは思うが、いろいろな事情で複数にするということになりましたのならば、一体どのようなかつこうで複数にするか。二つ以上の放送協会、放送局をどうするかという問題を、十分お考えになつたかどうか。この法案を見ますと、そこら辺の御検討が不十分なのではないかという気がするのであります。  こういう貧乏な国で、二つ以上の放送協会をつくるということであれば、現在のNHKような、今までの組織を一応御破算にいたしまして、機会均等の上に立つて複数の放送局を考える。これはほかの場合においては全部そうであります。通信社もそうであります。たとえば国際電気通信株式会社も解体してしまつている。出版関係の日配も解体して、新しい販売業者が機会均等の立場からできておりますので、そういう建前をとるべきじやないか。先ほど申し上げたように、一つ放送協会がいいのだという御議論ならば、これで貫いた方がよろしいので、趣旨が徹底すると思う。しからざれば一応御破算にいたしまして、もちろん技術的ないろいろな制約はあるでありましようけれども、機会均等の上に立つた複数放送局に考え直す。こういうことではないかと思うのであります。  ところがこの法案を見ますと、大部分NHKの事後処理法案、しかもNHKにはいろいろ特権を與えている。従つていろいろとこれにめんどうくさい監督を加えている。組合の代表の方が先ほど痛烈にこきおろしましたが、こんなふうに監督されたのでは仕事ができないというのは、まことにごもつともだと思います。すべての特権を投げ出して、平等な立場に立つて、自由競争の原則に立つて仕事をやつて行く。そこで個人のイニシアチーブを発揮することによつて、事業の進歩をはかる。そういう哲学に立脚しなければならぬ。片方においては特権を享受する、片方は自由にやるのだというのでは、哲学がばらばらだ。全面的な競争なんということは、今はとうていできませんが、どうしても一つ放送協会ではいかぬということが大前提でありますならば、レギュレーデッド・コンペティションというか、一応統制の加わつた競争というかつこうを、この法案の根本的な建前としておとりになるのがよろしいのではないか、かように考えるのであります。  細目につきましては、先ほどからのお話が大分詳しいので、私は省略さしてもらうつもりでありますが、まず大筋の考え方といたしましては、第一放送の波をそのままにしておきまして、第二放送の波は民間放送局にわけてやる。それから経済的な点も、民間放送局を好意的に育成するようにお考えになりませんと、これは育たないと思うのです。複数放送局という建前をおとりになるならば、少し現在のNHKの持つております特権的な地位を削りまして、民間放送局を育てるという建前にお考え直しになりまんと、趣旨が実際には通らない結果になると私は考えるのであります。  細目につきまして一つ、私ども通信社で働きました者の建前から、多分これは不注意で入つた條項ではないかと思いますが、第九條の第二項の六に「ニュース及び情報を他人に提供すること。」という簡單な一項目が入つております。これは何でもないというふうに委員の方はお考えかもしれませんが、これはトロイの馬でありまして、これだけの條項がありますと、りつぱに通信社の仕事を営むことができます。放送協会は放送によりまする言論、ニュース、報道その他の事業を独占する。独占でもありませんが、実際上は独占に近いような権限を持つのであります。それからもう一つ、通信社に運営いたしまして、新聞社にニュースを届ける。日本全国にわたつて新聞社にニュースを届けるという仕事をやりまして、紙によるマス・メディア、ラジオによるマス・メディアを放送局が独占する。古垣さんが依然として新しい協会の会長になりますならば、ローマ法王以上の権限を持つようになる結果になるのであります。これはたいへん危險なんです。  私ども戰争中、同盟通信社で政府の方々や軍の役人の方と協力して、大いに戰争に協力した。一生懸命やつたのです。それが悪いといつて、戰争が済みましてからがちやんとつぶされてしまつた。そのときに関係方面の考え方としては、こういう大きな権力を通信社に與えておつてはいかぬのだというようなことで、政府から特に助成金をもらつた、電波をもらつておるというような、特権的な地位を持つておる通信社は許さない。こういうおしかりを受けてわれわれ解散したのです。先輩が三十年も苦労して、私どもも二十年間、人生のベスト・パートを国家建設のための戰争に捧げたのです。そしてその後にその年の九月二十四日と記憶しておりますが、メモランダムが出まして、その第二項に、現存する通信社ないしは将来できる通信社につきましても、国家から特別の特権を得ている通信社の存立は許さない、こういうことであります。通信社というのはきわめて簡單で、ニュース及び情報を他人に提供するのが通信社であります。第六号が通信社のりつぱな定義であります。これを国家から非常な特権を得ております新らしい協会が営むということは、おそらくその覚書違反なのです。まだ覚書は生きておるつもりでありますから、委員の方お調べになりますとわかりますけれども、この條項はその意味からも削除していただいた方がよろしいのではないか。  放送協会の方は、特に古垣君が乘込みましてから、新聞屋出身だから、通信社にまかしておくわけにいかないから、おれのところでニュースを集める。取材網をだんだん広げて来られました。これはけつこうです。まことにごもつともなことです。つまり新聞のニュース——白い紙を黒くして売るのが新聞でありますが、新聞に字で書くニュースと申しますか、文学と申しますか、記事の書き方というものと、声から耳で入つて来るニュースないしは文学の書き方は、全然違うものなのです。書き方が違うばりでなく、取材のアングルも全然違つて来るから、放送協会が独自の取材網を持つことはけつこうです。ところがそれをやつていると、單なる新聞社と競争になつて、特種を一足先にやろうということを考えまして、遂にはどうもおれのところは地方取材が貧弱だ、地方の新聞とニュースの交換をやろうじやないか。網島長官の御説明では、大きな通信社になるわけではない、まあ普通のニーュスの交換ぐらいが関の山だというお話ようでありましたが、地方の新聞とニュースの交換——交換というと商売でないように思いますが、対価が貨幣であるか物であるか、バーターであるか売買であるかという違いで、実体は同じです。それをやつておりますると、これは多分昭和二十年九月二十四日のメモランダムの第二項に牴触すると私は考えます。  それからこれだけの特権を持つて、新らしい放送協会が通信事業に乘出しますると、現在の通信社はちよつと太刀打ちができないと思う。三十五円で八百二十万人から三億円の金をとつて、しかも税金がいらないという、そういう商売と、われわれ先ほどもお話がありましたように、いくら勉強してもそれはアンフェアー・コンペテイッションだと私は考えます。そういう経済的な点からも、多分これは不注意で入つた條項だと思いますが、削除されるのが妥当だと、かように考えております。
  86. 辻寛一

    辻委員長 以上の公述人の御発言について、御質疑がありましたらこれを許します。
  87. 中村純一

    ○中村(純)委員 大分時間もたちましたから、簡單に二、三お尋ねをいたしたいと思います。ただいま長谷川さんから、時事、共同両通信社設立に関する経緯を、きわめて率直明快に承ることができまして、はなはだ欣快にたえないのでございます。この法案の生れ出まするまでの内外諸般の情勢というものにつきましても、われわれいろいろと考えさせられる点があるのでございます。そこで先ほど河田さんのお話なのでございますが、この放送法案におきまして、各種のNHKに対する監督の段階と申しまするか、機構がきわめて複雑であり、多過ぎる。これがためにNHKのモーションがはなはだ束縛せられるという御説でございました。その御趣旨に対しましても、私どもも多々同感させられる点があるのでございます。しかしながら同時に御意見によりますると、つまりこの監督機構のあまりの複雑さということの中に、官僚統制に陷る可能性、危險が非常に包含せられている。しかしそれがすなわち言論の自由の圧迫になるかのごとき御意向のように承つたのでございます。実はけさほどの川島博士の御意見も御同様の御意見でありまして、やはり御同様の結論と申しますか、そういう御発言になりまして、私実はそのときにもお尋ねしたかつたのでありますが、時間がなくて留保しておつたのであります。この協会の運営に対する監督の多元性ということが、官僚統制に陷るということと、それがただちに言論の拘束、言論の彈圧になるという結論との間には、私は多少論理的なギャップがありはしないかと思うのであります。むろん運営に対する統制と申しますか、監督の嚴重さということが、間接的にはさような影響を及ぼすかもしれません。その可能性は十分考えられるのでありますが、御議論の根底に、これがただちに言論彈圧なりという結論に直結するものであるか、その点を一つ伺いたいのと、あわせて本法案におきましては、けさほども私申しましたが、プレス・コードに匹敵すべきラジオ・コードとも考えらるべき部分が、相当載つておるのであります。このラジオ・コードは放送事業者に対する一つの基準でありますとともに、これは返す刀として、権力者に対する一つの覊絆になつておるものだと私は考えておる。従つて私は言論自由の観点から申しますならば、むしろ論議はこのラジオ・コードの内容の適否というような点に、重点を置いて考えなければならないのではないかと思うのであります。ラジオ・コードにつきまして、何か御意見がありますれば承りたいのであります。なお二つばかりお尋ねしたいことがありますが、さしあたりまずそれを伺います。
  88. 河田進

    ○河田公述人 お答えいたします。多元的監督は直接的に言論圧迫になるということは、物理的現象としては起らないかもしれません。しかしながら検閲官というものが昔ございまして、今度は番組の検閲ということは行えないのでございますけれども、お役人の方方は自分たちがやはり一番有能であると思つている。これはいつの時代の官吏でもお考えになつており、技術的には最大の自信を持つておられる。いつの場合でもそういう方々が、自分の意見をいろいろな形において出されるということが、必然的に起つて来る。それは予算の関係であるとか、あるいは人事の関係だとか、そういうことで非常に縛つて来るということが行われると思います。今日民主主義の世の中でございまして、番組を直接統制するということはございませんが、かつて逓信省の監督を受けておつた時代に、現在の放送討論会とか、あるいは街頭録音、あるいはのど自慢というような企画は、NHKに前からあつたのであります。そういうものは逓信省の監督を受けておつた時代には許可にならない。それはなぜかというと、根本的に大衆の声が直接マイクに出るということを恐れられることばかりでなく、何かやはりお役所的なものであつて、その権威ということをお考えになることがまず最初に出るから、そういうことになるのではないか。この点は直接的に起らないが、結果的に必ず拘束するような現象になつて来るということを、私は申し上げたのでございます。  それからラジオ・コードに関する部分にいろいろ記載がございます。これは権力者を直接、また同時に逆な面において規制して来るということも事実でございますけれども、私の言うのも、前に川島先生のおつしやつたことも同じでありましようが、だれしも、これははつきりこうしてはいけないということを、おれはこうするのだと言つて来るばかはない。しかしながら国会の認可とか、あるいは電波監理委員会の認可とか、そういうふうな人事とか、事業計画とか、資金計画まで入つて来る。たとえば街頭録音をやるにしても、それだけの予算をとらなければならない。録音機をそれだけつくり、それだけの技術者の定員を配置し、いろいろしなければなりませんが、そういう面でいろいろと規制されて来る面があるのであります。このことは先ほど言い忘れましたが、第一條に書いてあることは非常にりつぱなことでありまして、第一條通りに行けばよいが、労働基準法におきましても、第一條から第八章くらいは堂々たる文章でいいのですが、こまかいことになつて来ると、根本的な最初の目標を殺してしまうようなことを規定して来る。このラジオ・コードの問題でも、こういうふうに放送事業者あるいは政府の両方に課しておいて、実際にはいろいろ権力を持つて監督する部面において方向づけられて来る。従つて直接的には起らなくても、長い目で見ると、真綿で首を絞めるように、じりじりとやはり一定の方向に持つて行かざるを得ない結果が招来されることを私は申し上げたのであります。
  89. 中村純一

    ○中村(純)委員 しからば次にお尋ねいたしたいのでありますが、先ほど経常委員会の構成、機能等につきまして、御意見を承つたのでございますが、この経営委員会なるものの存在並びにそのやり方が、ただいま御主張であるこのNHKの敏活な機能の発揮、あるいは言論の自由という面に対して、いかなる影響を持つであろうかということについての御意見を承りたい。
  90. 河田進

    ○河田公述人 このままでは、私はどうにもならないと思います。それで先ほどからいろいろ御意見が出たのだと思います。その点、私は時間の関係で省略いたしましたが、私は各地区に月に一回ぐらい集まるということがいいと思います。これでは、労働組合でよくやりますように、大会を開いて運動方針をきめて、その運動方針によつて執行部がそれを執行して行くという、大まかな線をきめるということぐらいにしかならない。従つて協会の執行部が全権を持つのでございましようが、私はそれではやはりまずいのじやないかと思います。経営委員会の経営委員が、なるだけいろいろな事柄を直接御判断なさつた方がいいのじやないか。それが国民の公平な分野からいろいろ出されるということにして、ほんとうにNHK国民のもの、これだけは民間放送だというように、国民のすべてが関與できるということを、この経営委員会の人事を通じてやつていただきたいということを私はお願いいたします。
  91. 中村純一

    ○中村(純)委員 私のお尋ねが、少し言葉が足りなかつたのですが、このままではどうにもならないということもわかるのでございますが、しからばこの経営委員会が強い権限機能を持つだけ、それと反比例して執行部の働きというものは拘束を受けるのであります。方向として経営委員会に強い権限を持たしむべきであるかどうかということについての御意見を承りたい。
  92. 河田進

    ○河田公述人 その点、私ども何分法律的な関係はよくわかりませんので、悩んだ点でございます。それで結論的に私申すのを落しましたが、第三国会に提出せられました放送法案におきまして、放送委員会という制度、この放送委員の方々が大体公務員になられて、それが全面的にやる。電波関係のことは電波庁にまかされておりますが、ああいつた形のシンプルのものがいいと私は思います。経営委員会がこのままではだめだというのはそういうことでありまして、結局私の結論としては、あの第三国会に提出されたような形に放送委員会というものを持つて行つて、この民間放送も含めて、そこでやはり放送行政を全部おやりになる。但しその放送委員というものの構成を、われわれの主張しておりま各分野構成で出るように御配慮願いたいということを申し上げておきます。
  93. 中村純一

    ○中村(純)委員 私のお尋ねしたのは経営委員会であります。
  94. 河田進

    ○河田公述人 ですから、前は放送委員会だつたでしよう。ああいつた放送委員会ように、協会との間に何もなかつた……
  95. 中村純一

    ○中村(純)委員 前のことはやめてください。
  96. 河田進

    ○河田公述人 今の経営委員会はやめて、前の放送委員会ようなシンプルが、つまり監督行政を一切やるような形の方が望ましいということを申し上げたのであります。
  97. 中村純一

    ○中村(純)委員 そうしますとNHKという企業体に関する限りにおいては、経営委員会というようなものがない方がいいという結論でございますか。
  98. 河田進

    ○河田公述人 ちよつとそれは飛躍し過ぎるのです。経営委員会は民間でしよう。ですから電波監理委員会もつくる、あるいは内閣も関係する、国会も関係するというようなことにしないで、前の放送委員会ように一本にしておいて、この任免を国会なら国会がやられて、これに全部まかされたらいいじやないかと思います。監督行政の一元化です。縱にすつきり割つていただきたい。横にいろいろな断層を設けられると、そこに魑魅魍魎が活躍するということを申し上げているのであります。(笑声
  99. 中村純一

    ○中村(純)委員 それでは次の問題に移りますが、先ほど河田さんの御主張では、NHKの現に使つている、あるいは使つてはいないが保有しているところの第二放送の波長を、民間放送に分割することはいけない。しかもこの第二放送の波長を分割しないでも、なおかつ民間放送に與え得る波長はあり得るという御意見ように承つたのでありますが、それはいかなる根拠によるものでございましようか。
  100. 河田進

    ○河田公述人 私は技術屋でございませんのでわからぬのですが、組合の中で技術関係の人が研究いたしますと、夜間は問題はあるかも知れませんが、パワーの点で、いろいろ研究すればできないことはないということであります。民間放送なんか、長谷川さんの方から、哲学が一貫しないというお話ですが、権利を持つておるということ、いろいろ特権があるということは、つまり北海道とか東北とか、ああいうどんな辺鄙なところでも第一放送、第二放送を全部聞こえるようにサービスしなければならぬ。そういう大きな勤務の代償として権利があるわけです。民間放送よう東京、大阪、名古屋、そういうような大勢の、十キロぐらいの放送で数百万ぐらいの人を包括できるような地区を、商売なさつていらつしやるようなところとは違つて——広汎といつても島国で大したことはないのですけれども、とにかくこれだけのものを全部カバーしなければならないという理由に対比して、権力がいる。ですからこれほど、私は民間放送アメリカとの関係において考えられるということが、何よりも労働組合としては恐ろしい。アメリカように年間百何十万台の自動車を売るところと、日本ような、花王せつけんを何万箇売つているか知りませんが、そんな考え方でいろいろな事業を民間放送会社にさせるということは質の低下、それを非常に私は憂えておる。先ほども私ちよつと言葉が足りませんでしたが言つたわけです。ですからBBCが独占である。当時あれほど自由を追求することに熱烈なフランスが独占で、スカンジナビア諸国でも独占だと聞いておる。日本文化国家を一つの目標として見られておる。そういう面から言つても、私は文化の全般なる向上のために、そういうことがなさるべきでないと思います。そしてNHKの第一放送、第二放送がどの国民でも、どんないなかの方でも、比較的安く手に入るような受信機でお聞きになる。その上においてなお電波の余地が、東京、大阪あたりでは幾つか必ず制限されます。それは非常に少くされるのでありましようが、それがあるということは、われわれの技術屋の計算で結論が出ておるので、その点だけを申し上げておるわけであります。
  101. 中村純一

    ○中村(純)委員 昨日ある公述人の方が、おもしろい比喩を言われたのであります。それはNHK民間放送とを比べてみて、NHKは義務教育であるという意味のこと、そこでこれを私どもはおもしろいたとえであると思うのでありますが、この法案の建前から考えましても、またただいまの比喩的な言葉の意味から考えましても、われわれはNHKが全国至るところに、デッド・エーリヤを全部なくして、どこでも放送が聞ける態勢を確立していただきたいということは、非常に望むところであります。それは最小限度においてわれわれが率直に理解できるのは、第一放送を全部聞かせなくてはならぬということはすぐわかる。ところが第二放送まで全部聞かせなければならぬというところまで来ますと、これはいろいろ議論がわかれて来やしないかと思うのでありますが、ただいまの御意見では、第二放送でも全部カバーして聞かせなければならぬという御主張のように承つたのでありますが、それはどういうお考えからそういう結論になるのでありますか。
  102. 河田進

    ○河田公述人 わが国は戰争に負けて、文化国家を目標としております。義務教育とおつしやいましたが、義務教育は昔は六年でありました。ただいまは六・三・三になつております。それで第一放送は大体六年ぐらいのところで、第二放送によつてあとの三年をカバーする。それから民間放送が高等教育である。NHKは義務教育だということですが、これはまつたく不思議な話で、民間程度の資本では、幼稚園もむずかしいのではないかと思います。だから少くとも六・三・三の六・三までは義務教育として、全国の人々に提示したい。第三放送ができればさらに三年、第四放送ができればさらに大学院ということになろうかと思いますが、その点で御了解願いたいと思います。
  103. 中村純一

    ○中村(純)委員 なかなかうまい話でしたが、私はしかし民間放送が大学教育とは思いません。あるいは幼稚園かもしれません。それはこれからどういうものが出て来るかによつてきまるのでありますが、それからちよつとひとつ別問題で伺いたいのは、ラジオの修理に関する問題であります。先ほど小川さんの方からもお話が出たのでありますが、相談所というものは相談にだけ応じられるのでありますか。あるいは修理を直接おやりになつておるのですか。
  104. 河田進

    ○河田公述人 昔は相談だけやつておつた。そしてここが惡いから、この受信機がこわれておるから、四・六Bをラジオ屋から買つてつけなさい。この抵抗が飛んでおりますから、この抵抗はラジオ屋へ行つてつけてくださいということで昔はやつておつた。ところがただいまはそれでは聽取者の方が不満で、やはり聽取者の方は直接そこで耳に聞いて鳴らなければ安心できない。それでぜひ放送局で直してくれということで、そういうことになつたと思います。先ほど小川さんがおつしやいましたが、都会ばかり集中してやつてつて、てんでいらぬようなところまでやつておるとおつしやいましたが、これは結果的にそうなつた。というのは、やる意思でなつたのではなくして、放送局都会にあります。われわれ組合員も勤め場所は放送局です。それで山間僻地へ出張の形で、しよつちゆう出まわつているわけですが、ふだんプールされておるところはやはり都会であります。そこで遊んでいるわけにいかないから、そこへ持つて来たものは、そこへ持つて行けばラジオのことは一切間に合うと思つておる。それでどんどん持つていらつしやる。それはうちはお役所みたいなものだから、そういうことはやりません、まつぴらです。民間業者に出して直してください。だが、そればかりやつてつては、NHKはあまりにも独善であるという声がその辺から起ります。これははなはだ進退苦しいところがあつたけれども、やはり聽取者に対するサービスと同時に、特に労働組合として中小工業者を圧迫するようなことを、こういう大規模な組織でやるのは、私自身もなすべきではないと思つております。従つて最小限度にとどめて、今後の問題は主として山間僻地をやるべきだと思います。
  105. 中村純一

    ○中村(純)委員 小川さんにお尋ねしたいのでありますが、今日、これはNHKがつくつた統計でありますから、あなたの方からごらんになつてどうかわかりませんけれども、その統計によりますと、全国の町村の中で、ラジオ業者の一軒もない町村というものが、たしか三千近くあつたかと記憶するのでありますが、そういう町村に対して今日業者はいかなる方法でもつて、修理サービスをなさつていらつしやるか、それをお伺いしたい。
  106. 小川忠作

    ○小川公述人 それに対しましては先ほどもちよつとお話の中に入れたのでありますが、たとえば福島の山の奥の旭村であるとか、あるいはその他全国を通じていろいろございますが、やはりもよりの業者が自主的に相談いたしまして出張修理するとか、あるいは巡回修理というようなことを自転車をもつて現在やつておりまして、また組合の全国ラジオ本部といたしましても、いわゆる放送局の修理業務に反対する以上は、その裏づけがなければならない。そういうことでありまして、その修理業務に対しても特に強力に指導育成しておるような次第であります。何べんも申し上げるようでありますが、日本放送協会が山間僻地々々々々と言つておりますが、実際の仕事は、いわゆる都会中心地でやつておる修理業務の、おそらく百分の一ぐらいじやないかと私は想像するのであります。さほどに山間僻地に真に必要でありますならば、即座に都会の相談業務はやめまして、業者と提携いたし、そうして積極的にそれに乘り出したならばいいのではないか。今日の日本放送協会の相談業務というものは、二十五年以前に放送が始まつたときにはやつておらないのであります。ことごとく業者の手によつてつてつたのであります。その後協会がやりたいというときに、時の北村政次郎さんが、やつてもいいが、業者を圧迫するようなことがあつてならぬ。いわゆる今日の八百万達成に対しまして、日本放送協会も相当自負の念をお持ちになつておることと思うのでありますが、その八百万の受信機は、だれの手によつてつておるのでありましようか。ことごとく全国業者の手によつてつておるのであります。しかも協会は税金も拂わないで、われわれ業者と対立して修理業務をやられたならば、零細なる人間は立つべきものではないのであります。相談業務に対する山間僻地は、大体その点で盡されたと思うのでありますが、やれ四国の山の中だとか、いろいろなことを言つておりますが、その通り全国隈なく実際はやつておらないのであります。協会本部の言うことと実際とは違うのでありますが、しかし今日このラジオ業界全体と放送協会と相対立しておるさなかに、北海道の釧路では、さらにデパートに相談所を建設せんとして開始したのであります。これも業者に反対されてやめたというような、あらゆる問題があります。あるいは九州の放送局の局長は、ラジオの月賦販売のあつせんにまで乘り出した。営利を目的としちやならない協会のおりますところ、言葉と実際とことごとく相反しているのでありまして、全国の業者は実にこれに憤慨し、反対するのは当然であります。まさしく今日のラジオ普及に貢献した全国ラジオ業者の功績を認めることなく、さらに強烈に働きかけて、法文にこれを生かし、さらにかつてにやり得るように努力しているということは、はなはだ寒心にたえないのであります。私はもつと日本放送協会は本然の任務たる放送事業のみに專心いたしまして、しかしてラジオの普及発達というものは、全国津々浦浦にある業者を指導育成して、民主的にその普及をはからなければならないのであります。全国ラジオ業者ができる限り安全なる経営面に持つて行かなければならない。現在は重税にあえいで、その行動たるや実に並々ならぬものであります。協会幹部諸公はそれは御存じないでありましよう。一例をあげますならば、朝八時に自転車に三台のラジオを積んであてどなく東京市内のあらゆる聽取設備のないところをくまなくまわりまして、夕方までに月賦で三台を置いて、辛うじてうちへ帰るのであります。聽取者を探してラジオを売らなければ、その生計は立たないのであります。そこまで協会幹部の方々は御存じないのでありましよう。しかるに一方は重税、一方は無税で自由がつてやられたんでは、いかに山間僻地といえども、経済の根本を破壞するものであります。
  107. 中村純一

    ○中村(純)委員 今小川さんのお話を承つておりますと、今日は放送協会がうような法律も規則も何もないはずである。でありますから、今日の状態では放送協会がもしあなた方の方と競争するつもりであるならば、いわゆる自由競争で、どういうこともできる立場にあると思うのであります。ところが今度ここに書いてあります法律によりますと、協会の修理業務は、電波監理委員会が調査して、必要と認めた場所に限つて行うことができる、こういう法律をつくろうとしている。今全然自由放任であるところに、こういう必要と認めたところだけにやることができるという法律をつくることは、なるほどお話ように全国をみな必要と認めてしまえばそれきりの話でありますけれども、こういう法律の條文の精神を考えてみますと、これは今の自由放任のところに、こういう制限的な規定を置くということは、だれが考えても放送協会の活動を今よりは制限する、極限するために、こういう法律をつくつているとしか、だれが考えても考えられないと思うのです。従いまして御主張のような立場から申しますと、これはむしろあなた方の方々に今よりははるかに有利な規定をつくろうとしているのではないかと私どもには考えられるのですが、問題は結局必要と認めて指定した場所というものを、あなた方の立場から見れば、できるだけ少くしてもらいたいということになるだろうと思われる。私ども国民の立場から考えますと、都会に住んでいる者は問題はないのです。問題がないということは、NHKが禁止されようと、あなた方が大勢おられるのですから、ちつとも不自由は感じないのですが、やはり山間僻地にいる人から見れば、NHKも来なければ、あなた方の方もまわつて来られましようけれども、なかなか都会並には行かないでしようから、実際問題として一番困るのは、そういう地方にいる人だろうと思うのであります。こういう立場にいる人から見れば、NHKだろうがあなたの方だろうが、どつちからでもいいから、とにかくたびたび来てもらう方が、国民としては歓迎するのではなかろうかと思うのであります。今の法律の問題は、これをつくつたお役人はどういう考えか知りませんけれども、これはいろいろ考えてみても、どうしてもそうとしかとれないですがね。
  108. 小川忠作

    ○小川公述人 問題は過去の日本放送協会の行き方から考えましても、まさか全国を必要な箇所ときめるわけにはあり得ないとは思いまするが、その認定たるやはなはだ不明瞭で、今後法律にこれを規定する以上は、業者の権益を奪う。認定の仕方によつて、そこに業者との見解が相反する場合が出て来るということは実はおそれるのであります。協会は本然の放送だけやればいいんだというふうに考えております。
  109. 松本善壽

    松本(善)委員 たいへんおそくまで御苦労さまでございますが。簡單にお答え願いたいと思いのです。河田さとそれから今の小川さんに伺いたいのですが、私も過ぐるときに北海道、東北方面を巡業いたしまして、その際私も班長という姿で行つたのでありまするが、御承知ように北海道は中村局長がおられますが、その際各業者の方方もお見えになりまして、北海道の特殊な状態も、私よくその際承つておりますので、業者の方々がいかに活躍なされて、かつまた協会の方々がいかに苦労なさつておるかは、それぞれの立場からよくわかりました。皆さんが真劍にこの僻地に対しても、いわゆる真空状態をなくそうという言葉も聞きましたけれども、あまねくラジオを聞いていただこうという考えで一生懸命でおられるという、この二つの明朗な姿を見ましたときにおいては、これはおのずから解決できるのじやないかと思つたのであります。ことに協会の今までやつておりましたところの巡回相談というものは、もちろん常時そこにいて相談するということではないということは、これはあなたがその職場においてよく知られておることと思います。かつまた小川さんが言われるのは、常時業者というものは、どの場所におるという宣伝をしておりまするがゆえに、そういうような場所を指定した際に、都合のいいときにその業者をお使いになる。こういうこともまた考えられる。つまり巡回相談に行かれる際は、なるべく業者の店舗を利用されて、そうして技術的な研究の面に專念されることがもしも可能なりといたしますならば、そういう方法でおやりになつたらいかがと、その際申し上げた次第であります。ことに北海道、東北方面にはしばしばそういうところがあると考うるものであります。  次に私はしからば河田さんにもう一度お尋ねしたいことがありまするが、その一点といたしましては、もちろん北海道、東北方面におきましては、今度民間放送ができるのであろうということは知つておりましても、はたして産声を上げることができるかどうかということにつきましては、多大の疑問があると思うのであります。かつまた経済的な面において、かつまたその人材の面において、おそらくでき得ないであろうということも、私は今までの考え方からいたしますると、そう想像いたすことができるのでございます。従いましてあなたが先ほど放送法案ができて民間放送に云々ということも言われ、同僚議員である中村君の質問に対しましても、第二放送までも、第三放送までも、第四放送までもやりたいというその御意向に対しては感服し、また感謝の念を抱くのは、放送事業というのは公共の事業である、こういう観点に立つて申された場合にしかりと考うるものであります。しかしながら私たちがもしもしろうと目から、この第二放送というものの番組面を見ました際におきましては、あるいは民間放送というものが生れるというようなことがありますれば、あるいはこの第二放送でやつておられるところの番組に対しては割愛なされてはどうかとも考えられるふしがあるのでございます。ことに先ほども非常に私のすきな表現方法を聞きまして、いわゆるNHKは義務教育である。こういうような批評をもつてなされたのは、実にその通りだと思うのであります。アメリカ日本に来られて、義務教育について六・三・三制というものを施行された。これも一つの例でありますが、しかし私はこういうふうに義務を見ておるのであります。もしも許されるならば通信大学というものを日本につくりたい。もちろんそれは私学校によるものであるか、あるいは一般大学令によるものであるか、これは論議のほかといたしまして、将来においてこの通信というものを通じまして、今第二放送でやつておるところのテキスト的のもの、まあ初等英語とか、そういう学校放送は、まことにまとまりのつかない、雑音だけを放送しておると私は考えておるものであります。従いましてもしも今後この点に重点を置くといたしました場合においては、どうしても統一されたところの一つの実業教育、職業教育を、この放送という面を通じて、もしもでき得るなれば、私はこの民間放送にそれをやつていただけるように相なればとも思いまするし、また第二放送にそういうような完全なることろの商業教育、実業教育をなさし得るような、完全な人格者を養成するような点にまでもしもできるといたしました際に、先ほど河田さんのおつしやいましたところの、いわゆる六・三・三制の議論がそこに成立つのであつて、現在やつておるところのNHKの番組におきましてはまだまだ望み遠いと思うのであります。第二放送を通じて特殊的な完全なる実業教育、人格者養成がもしも将来できるといたしました場合においては第二放送でも、もちろん第三放送でもNHKに差上げて、国民は甘んじて受くべきものだと思つております。しかしながらこの際考えますときにおいて、修理物資という観点に立ちました場合は、先ほど同僚議員中村君から質疑があつたように、指定された場所以外でも店舗のある所であれば、技術相談、巡回相談をその業者の所に行つてやる。何もけんか腰で、これはどこのお得意さんである、これは放送局のお得意さんであるということでなしに、中小企業のラジオ屋さんの店舗で技術相談をやつて、また技術的面で交換をやつて行く。不備な点はあると認めますけれども、実際の面において国民のために私は衷心から御協力をお願いたします。質問でありませんから、その答えを願わなくてけつこうであります。
  110. 辻寛一

    辻委員長 これをもちまして、二日間にわたる放送法案に対する公聽会を終ることにいたしたいと思いますが、終りにあたりまして公述人各位に一言ごあいさつを申し上げます。まことに御多用中のところを長時間にわたりまして、忌憚ない御意見をお聞かせいただきまして、われわれ得るところ多大であつたことを厚く感謝いたします。  なほ委員会各位に申し上げますが、明日午前十時から電波監理委員会設置法案につきまして、内閣委員会と連合審査会を開くことになつておりますから、御了承を願います。  これをもつて散会いたします。     午後五時四十七分散会