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1950-02-07 第7回国会 衆議院 電気通信委員会公聴会 第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十五年二月七日(火曜日)     午前十時二十四分開議  出席委員    委員長 辻 寛一君    理事 飯塚 定輔君 理事 高塩 三郎君    理事 中村 純一君 理事橋本登美三郎君    理事 松本 善壽君 理事 受田 新吉君    理事 江崎 一治君 理事 河口 陽一君       淺香 忠雄君    池田正之輔君       中馬 辰猪君    降旗 徳弥君       土井 直作君    川崎 秀二君       田島 ひで君    今井  耕君  出席公述人         評  論  家 阿部眞之助君         読売新聞社論説         委員      梅田  博君         名古屋鉄道株式         会社社長    神野金之助君         朝日放送株式会         社設立準備委員 杉山 勝美君                 杉山 達郎君         社団法人日本放         送協会会長   古垣 鉄郎君         株式会社ラジオ         日本創立事務局         技術部長    別所 重雄君         芸術座座頭   水谷八重子君                 森田  實君         早稻田大学教授 吉村  正君  委員外出席者         專  門  員 吉田 弘苗君     ————————————— 本日の会議に付した事件  放送法案について     —————————————
  2. 辻寛一

    辻委員長 これより電気通信委員会放送法案に関する公聽会を開会いたします。  この際公述人諸君にごあいさつを申し上げます。本日は御多用中にもかかわらず、当委員会公聽会に御出席くださいましたことにつきましては、委員一同を代表いたしまして委員長より厚く御礼申し上げます。  申すまでもなく、本法案は同時に提案されております電波法案とも関連いたしまして、国民が重大な関心を有する放送事業を根本的に改革整備せんとするものであります。すなわち現在独占的に行われております放送事業国民一般にも自由に開放し、国民的、公共的な放送企業体と、自由な文化放送企業体との二本建とし、これによつて放送事業民主化並びにその発展を期し、国民に十分な福祉を享受せしめんとするものであります。従いまして現在社団法人である日本放送協会は、この法律によつて規定せられる公共性の強い特殊法人となり、各種の特権を與えられるとともに、必要な監督を受けることといたしております。また一方一般放送事業者には、若干の規整のほか、自由にその放送事業を行うことを保障しております。  思うにかくのごときは画期的な改正であり、国民に與える影響も大きく、種々なる観点よりの御意見も多々あることと存じます。本委員会本案重要性にかんがみ、愼重審議を進めておるのでありますが、なお広く国民輿論を反映せしめ、また多年の御経験と御研鑽に基く各位の御意見を拝聽いたしまして、審議の万全を期したいと思い、公聽会を開き、各位の御足労を願つた次第であります。公述人諸君におかれましては、本案についてあらゆる角度から忌憚なき御意見を御発表くださるようお願いする次第であります。公述の時間は一人二十分程度とし、公述の後に委員諸君より質疑があることと思いますが、これに対しても忌憚なくお答え願いたいと思います。  なお念のために申し上げますが、衆議院規則の定めるところによりまして、公述人発言しようとするときは、委員長の許可を得ることになつております。次に公述人発言は、その意見を聞こうとする問題の範囲を越えてはならないのであります。もちろん本法案電波法案電波監理委員会設置法案とともに電波法案として一体的なものであり、全然切離して考えることは不可能でありますから、御意見が他の法案にも及ぶこともあろうかと存じますが、本日は放送法案について御意見を伺うのでありますから、あくまで放送法案を中心にお願いいたしたいと思います。また委員公述人に対し質疑をすることはできますが、公述人委員質疑することはできません。以上お含みおき願います。次に公述人諸君が御発言の際は、便宜上劈頭に職業または所属団体並びに御氏名を述べていただきたいと存じます。なお発言の御順位は、かつてながら委員長御指名の順序に発言台で御発言を願いたいと思います。  それでは神野金之助君。
  3. 神野金之助

    神野公述人 私はただいま御紹介をいただきました神野金之助でございます。職業名古屋鉄道株式会社取締役社長をいたしております。  それではこれより御審議中の放送法案につきまして、私の考えを申し述べたいと存じます。このたび従来の無線電信法にかわりまして、放送法電波法電波監理委員会設置法の三法案国会に提出せられましたことは、その御趣旨におきまして非常にけつこうなことと存ずるものでございます。ことに放送法案につきましては、従来社団法人日本放送協会が、全国民基盤を持つ特殊法人となりまして、公共放送使命が一層重要視されておりまする点と、一方これに並行いたしまして商業放送が可能となりましたことも、時勢の進展に即応いたしまするものと考えまして、まことに喜ばしく存ずるものでございます。商業放送すなわち広告放送について考えますると、今後わが国の各産業自由競争ということが当然に考えられるのでありまして、それに伴つて広告宣伝がますます盛んに行われるようになることは、必然の趨勢と考えられるのでございます。このときにあたりまして広告放送の道が開かれましたことは、ひいてあらゆる産業発展に寄與することになりまして、広告放送役割はきわめて重要であり、これが健全に発達することを切に望むものでございます。また法案について見ますれば、一般放送については何らの制限もなく、自由闊達に放送が行われるようになつておりますことは、放送事業発達の上にまことにけつこうなことであつて、心から賛成をいたすものでございます。しかしただ一つ私の懸念いたしますことは、商業放送が自由であり、闊達に行われますことを利用いたしまして、商業広告の名のもとに、それ以外の特殊の目的のためにこれが使われはしないかということでございます。もしこのような杞憂がありといたしますならば、これらに対して何らかの考慮が拂われる必要はないかと懸念いたすものでございます。これはしかし單に私の杞憂にすぎないことを望むものでございまして、この点は別といたしますならば、私は日本産業の振興のために、商業放送が自由に闊達に国民大衆のために行われますことは、大いに賛意を表するものでございまして、その意味においてこの法案に対して賛成をいたすものでございます。  次に、公共放送の点について考えてみますと、もともとわが国放送事業は、その公共的な性質にかんがみまして、事業体は当初より公益法人として発足いたしまして、東京、大阪、名古屋社団法人としての放送局がまず設立いたされまして、その後各地に放送局を新設して、全国民ができるだけ容易に、平等に放送を聞き得るようにいたしますために、全国を一本として現在の日本放送協会が生れたものでございますが、これが今回さらに全国民基盤といたしまして、一層民主化された形に改められようといたされますことは、まことにけつこうなことでございまして、国民のものである公共放送が、かかる確固たる基盤と強力なる放送網とに助けられまして、将来の一層の発展を約束せられますことは、非常に望ましいことと存ずるものでございます。しかしそれだけにまた新しくできる日本放送協会は、一層重大な公共的使命を背負うこととなりまして、ひいてはその関係者たる役職員責任等に関します規定が法案に盛られておりますことは、当然のことと存ずるものでございます。しかし一方放送事業のような文化的であり、かつ時事的な事柄を取扱う仕事におきましては、自由闊達な運営ということもまた大切に考えるのでございます。公共放送と申しましても、いわゆる官僚統制とか、官製放送になつてはならないと存ずるものでございます。従つてあまりに複雑な監督機構は、できるだけ避けらるべきであろうと考えます。  この点についてはなはだ失礼とは考えますが、幸いに私の意見を率直に申し述べることをお許しいただきますならば、放送法案を一読いたしまして、国家機関監督関係がどうも少し複雑過ぎるのではないかと考える点でございます。協会に対するすべての監督電波監理委員会に集中いたしますることは、これは往々にしてその弊害を生するおそれもございまして、そのために協会に対する各種監督権を分立させることも、一応はうなずけるのでございますが、実際的に申しまして、あまりに多くの国家機関監督いたしますことは、結局協会が同じような事務を重複して行われなければならないというばかりではなくして、ややもすれば官僚統制に陷る結果ともなりまして、事業経営の面から申しますならば、必ずしも適当でないと思われるのでございます。電波監理委員会国会承認を得て任命されるというような手続をとつておりますから、事業計画收支予算その他の点につきましても、さらに国会承認を要するというようなことは、どんなものであろうかと一応考えるのでございます。また監査の面におきましても、同様経営委員会が任命いたしました監事が一応監督いたして、これを委員会に報告するということでありまするから、会計検査院の検査までには及ばないのではなかろうかというような気もいたすのでございます。  また法案では、受信料についても法律できめるというようなことになつておりますが、これも同様な意味からいかがかと考えるものでございますが、協会最高決議機関であります経営委員が、国民の代表たる国会の同意を得て任命せられるというような手続がとられるのでございますから、経営委員責任をいま少し強化して、これを信頼することによりまして、国家機関監督はいま少し簡素なものにする方が適当であるように考えるのでございます。それはいわゆる商業放送であると、また公共放送であるとを問わず、放送事業性質上から考えまして、どうしてもスピードということ、あるいはスマートさと、さらに彈力性のある運営ということが、必要であると痛感いたすものでございます。  次に、公共放送商業放送とが並行して行われまする場合に、最も注意しなければならない点は、電波関係の問題であろうと存ずるのでございます。あるいは話が少し横道にそれて恐れ入りますが、わが国において放送事業が最初に始められましたときに、直接その仕事に携つておりました私といたしまして思い起しますることは、社団法人日本放送協会ができましたときに、その重要な目標としてラジオ放送画期的普及をはかりますために、全国にわたる鉱石受信機化ということが、目標とせられたことがございます。ところが、その後科学の発達国民経済発展に伴いまして、鉱石受信機はまつたく姿を消しまして、現在のような進歩した受信機が完全に風靡するようになつて参りました。また将来においてもさらに高級なものに発展するであろうということは、申し述べるまでもございません。しかしかつて鉱石受信機化というそのねらいは、当時において科学的並びに経済的の発展段階におきまして、全国に数多くの放送局を設けまして、全国民が一人でも多く容易に、しかも安価な受信機放送を聞くことができて、国民一般文化水準を高めようというところにあつたのでございます。今日においてこれを回顧いたしますれば、当時の計画、見込みはまことに幼稚なものでありますが、しかしそれをねらつた精神というもの、すなわち放送事業発展は、国民の富の程度から、容易に持つことのできる受信機の性能というものと不可分の関係にあるということを、常に考慮に入れて行かなければならないことは、現在においてもまた将来におきましても、同じことを言い得るのではなかろうかと考えるものでございます。今回の電波監理問題の場合は、いささか観点が異なるかも存じませんが、これが処理にあたつては、国民の富の程度なり、受信機のレベルなどを十分考慮に入れられまして、やつていただきたいと考えるのでございます。すなわち現在の国民一般経済状態から申しまして、分離度の高い受信機は非常に高価でございまして、一般大衆はそのような機械を買う余裕は少いのではなかろうかと考えられます。従いまして現在の大部分の受信機では、とかく相互の混信を起しやすく、ただ聽取者、すなわち一般国民が迷惑するような結果になりはしないかと心配いたすものでございます。しかしながらそのような事情は国民経済発展に伴いまして、逐次変化いたすべきものでありまして、電波監理委員会におかれましても、それらの発展段階に応じて、公共放送商業放送、あるいは商業放送相互に両立ができまするように、電波関係を処理していただくことは当然のことと存じますが、事柄が実際的でございますので、またきわめて重要であるだけに、この点について老婆心ながら一言つけ加えさせていただきたいと考えたのでございます。あるいは将来できまする委員会に対して、はなはだ失礼なことを申したかも存じませんが、この点はお許し願いたいと存じます。  なおもう一つこれに関連いたしまして、世間の一部に、現在日本放送協会放送網を独占し、放送内容についても独善的であるから、この際むしろ放送協会施設なり電波を分割して、商業放送に向わしたらというようなことを、私のある友人からも耳にいたしたことがございます。しかしこの点について最も考えなければならないことは、なるほど過去におきましては、放送は一本の形で統一運営されて参りましたし、その間には戰争というものも加わりまして、いわゆる官庁の監督も非常にやかましくて、その点で内容も独善的のそしりを免れないものがあつたと存じます。戰後それらの弊害はだんだん改まつて参つたようにも存じますし、またもちろん今日でも、そのような弊があれば当然改めなければならないことは申すまでもございませんが、それは放送協会全国的な組織を持つておるからいけないというのではないのでありまして、過去において監督とか運営経営の衝に当つた方々の問題でありまして、今度の法案によつて協会が一層民主的になるように考えられていることでもありますし、また全国民的な公共放送としての責任も、一層重要なものとされておりますから、平素ラジオ以外にほとんど文化娯楽施設のない、人口の少い地方の人々のために、少しでも文化水準を高めようとするところの、いわゆる公共放送を行う放送協会の、現在の施設を分割するようなことがあつてはならないと考えるものでございます。全国的な放送網は、国民全体の利益から考えまして、今後も一層強化さるべきものであると信ずるものでございます。  次いで経営委員会人選についてでございますが、国民といたしましてきわめて重要な、しかも関心の深い公共放送を行う根本的な方針をきめる委員会でもございます。ことに重大な役割を演ずるものと存じますから、これらの方々の御人選にあたりましては、国会において十分留意して、公正を期していただきたいと存ずるものでございます。  以上申し述べましたことを要約いたしますれば、まず今回の放送法案に対しましては、その趣旨において全幅的に賛意を表するものでありまして、ことに従来の公共放送を強化し、あわせて商業放送を認めます点について、心から賛意を表するものでございます。また法案全体を通して見ました場合、日本放送に対する協会監督があまりに複雑であり、いま少し簡素化する必要があるのではなかろうかという点と、いま一つは、同一地方におきまして数多くの電波が出るようになりました場合に、電波混乱を起さぬよう、細心の御注意をお願いいたして、国民大衆放送を聞きます上において、迷惑をこうむらぬようにお願い申し上げたい。これらの点につきまして、私が平素考えております点を申し述べたような次第でございます。  これをもつて私の公述を終りたいと思います。
  4. 辻寛一

    辻委員長 委員諸君にちよつと申し上げますが、公述に対しまする御質疑は、あるいはその都度あろうかとも存じますが、時間の関係上、大体午前中に予定いたしております公述人諸君公述が一応終つたところで、これを行いたいと思いますから御了承願います。  次は水谷八重子君。
  5. 水谷八重子

    水谷公述人 水谷八重子でございます。俳優一座座頭を勤めております。  この法律ができますと、NHKのほかにたくさんの広告放送をやる会社ができることになるということでございますけれども、私は芝居で忙しいために、あまり詳しくこの法案を拜見いたしたわけでございませんけれども、ただ芸能人として私が心配いたしますような疑問を申し上げて、こういう疑問や心配のないようなりつぱな放送をさせていただきますように、委員方々にお願いする次第でございます。  NHK職業放送が両方できますことになりますと、いい面では放送番組内容競争になつて、よりよくなつて行くことと考えられます。けれども日本のように芸能人にすぐれた人の少い場合、逆に競争でお客をつるために、かえつて惡い、惡どい、つまり卑俗な、程度の低いもの、そういう番組がふえるおそれはないのでございましようか。これは雑誌とか、映画とか、新聞とか、私たち芝居にも従来たくさんの例があるような気がいたします。それだけに、それが一番心配になります。NHK番組終戰後非常に伸び伸びとした、明るいものになつて参りましたけれども、この法律ができますと、NHKがまたお役所的になつて、戰争中または戰争前に私たち芸能人が経験いたしましたように、いろいろな面で統制されたり、禁止をされたり、いろいろな干渉が行われるような心配はないのでございましようか。また職業放送会社ができると、その会社が劇場とか、芸能人を專属的に独占してしまうことになりはしないでしようか。そうするとりつぱな芸術全国津々浦々に聞かせたいという私たち芸能人の良心が、満たされなくなりはしないでしようか。たとえば新橋演舞場東劇とか、そういつた芝居がある放送会社に独占されて、そこしか中継ができないということになりますと、全国の津々浦々の方々に聞いていただくことができなくなつたり、また私なりの放送が、ある放送協会に專属になつてしまつて、その放送局以外の放送には出演できないということになると、放送だけしか娯楽のない、また文化を聞くことができない津々浦々の聽取者方々が、困るのではないかと思います。また私たちも非常に残念な、困ることだと存じます。外国のように政府が補助をして、中央のいい文化地方へ紹介し、地方文化向上をはかつておる国は別でございますが、日本のように交通費、またはいろいろな宿にとまつたりする費用とか、そういう経済面に非常に負担が大きくて、またその上に税金が非常に高くて、中央のいい文化地方の隅々まで持つて行けないという国情にあります場合、この放送だけを通じてわずかに中央文化を聞いているという方たちに対して、芸能人の義務として申訳ないことになるのではないか、こういう心配が一番ございます。広告放送会社がほしい芸人にどつさりお金を出すようになつてしまう。私たちとしてはその競争の中に立てば、かえつていいかもしれませんけれども、NHKのようにお百姓さんとか、学校の子供さんたちとかいつたような方々にまで、放送をしなければならないような場合に、放送料金が非常に安く限定されていたり、そのために広告会社に押されて、いい放送ができなくなるのではないか。私たちお金のことを心配するのは変でございますけれども、そして私たち芸術家お金で左右されるものじやなく、やはり自分の芸をよりよくして行き、少しでも日本文化向上に役立ちたいと思つているのでございますから、料金のことなど申し上げるのは変でありますけれども、そしてまた経済的にそういう方面もよくわかりませんけれども、それも心配になります。  また私は新聞をすつかり読む時間もありませんし、世の中のことを知る機会も少いものですから、始終ラジオをかけておいて、いろいろなことを耳から自然に聞きながら、勉強しているのがすきだもんでございますから、旅へ出ましてもどこへ行きましても、携帶のラジオを持つて聞いているようにいたしておりますが、そういう場合、ただいまでも旅行中などは幾つもの放送が入つて来たりして、非常に聞きづらいのでございます。それがいろいろな放送局ができて、電波がいろいろ複雑になつて参りました場合、それを聞きわけるだけのりつぱな機械を経済的に買えなかつた場合に、煩わしい結果ができるのではないか、そういつたことが一番心配になります。委員方々にお願いいたしますのは、そういう心配のないりつぱな放送ができますよう、また津々浦々の方々に少しでも中央文化を聞かしてあげて、ますます文化向上がはかれますように、どうぞお力添えを願いとうございますので、今日押して伺いましたわけでございます。どうぞこの私のたどたどしい申し上げ方——もつと申し上げたいのですけれども、どうぞ心持をおくみとりくださいまして、よろしく心配のないような、安心な、健全な、りつぱな放送局ができますように、どうぞこの法律ができますよう力添えをお願いいたします。
  6. 橋本登美三郎

    橋本(登)委員 水谷さんは午前の公聽会が終るまでおいでになれるのかどうか。もし途中でお帰りになるならば、今日は芸能人は一人ですから、お尋ねしておきたいと思います。
  7. 辻寛一

    辻委員長 よろしいそうでございますから、次は杉山勝美君。
  8. 杉山勝美

    杉山(勝)公述人 私は朝日放送株式会社創立準備委員長杉山勝美でございます。本日公聽会におきまして民間側意見公述いたしまする機会を得ましたことを、深く感謝する次第であります。私は本委員会委員であられまところの橋本委員、並びに本日御出席になつておられまするところのNHK会長の古垣君と一緒に、終戰時まで朝日新聞におきまして机を並べておりました同僚の間柄にありました。本日は古垣君には少々お耳に痛いことを申し上げるかもしれません。あらかじめごかんべんをお願いする次第であります。また所定の時間をやや超過するかもわかりませんが、この点もあらかじめ御了承を願いたいのであります。  私はこの放送法案につきましてはいろいろの欠点があり、また修正を要すべき点が多くある。こういうことは認めるのでございますが、次のような理由によりまして、この法案に原則的に賛成するものであります。NHK独善的プロによりまして、いかに国民大衆が迷惑し、悩んでいるか。これは日々の新聞、月々の雑誌ラジオ評などが指摘するところでありまして、これは輿論の一致するところである、こういうように解したいのでございます。現在民間放送局開局申請は、全国におきまして三十九の多きに上ります、さらに三月までには五十局にも達せんとしておりますが、この申請者が続出しておるという現実こそ、NHKに対しまするところの不満を持つておる輿論の反映である、こういうように思うのであります。社会不安とか経済混乱温床がありまして、初めて危險思想が芽ばえ育つがごとく、NHKに対しまするところの輿論不満という温床があつて民間局申請が続出している、こういうように思います。民間放送会社はこの輿論要望にこたえまするために、営利を目的とせず、文化事業の先兵といたしましてここに立ち上つておるのであります。この輿論要望が熾烈であるという現実の前に、私はこの法案は種々の不都合な点を持つておるが、あえてそれを忍んで、原則的に法案賛成の意を表するものであります。いな、一日も早く法案が成立しまして、NHK独善的経営が揚棄せられ、民間放送が誕生しまして、日本ラジオ界が健全な発達をしまする日の、一日も早からんことを望む次第であります。私は法文の個々につきまして修正意見を申し上げる前に、根本的な、かつ基本的な問題につきまして、ここに深く掘り下げてみたいと思うのであります。  その第一は、NHK法案反対論は不当である、こういうことを申し上げたいのであります。NHK及びNHK支持者でありますところの人たちが、この法案が成立しまするときは、放送の自由性が失われる、こういう点を反対の第一にあげられております。しかし私はこれは納得行かない点であります。NHK当局及び同支持者の方々は、この法案NHKを二重、三重、いな四重、五重に縛つて、まつたくこれでは身動きができない。こういうように申されておりまするが、しかしこの反対論は、放送の自由という美名のもとに、自己の勢力温存をはかり、現状維持を策しておるもの、こういうように考えておるのであります。現在日本におきまする諸種の制度、機構の変遷を見まするに、たとえば国鉄とか專売局などが、官営から漸次公共企業体となつたごとく、制度、機構は民主化の線に沿いまして民営の方向へ進んでおることは、御承知の通りでございます。これが日本の現状でございます。しかるにこれまで民間の一法人でありましたNHKは、この法案によりまして公共企業体になることは、前に申す日本の傾向、趨勢に逆行するものでありまして、私はNHKはむしろ純然たる民間放送になるのがよくはないかと思うのでありますが、今法案によりまして公共企業体となる。こういうようにきめられておる以上、種々の監督や規整を受けるのは当然である、こう思うのであります。この監督、規整がおいやであるならば、NHK当局は純然たる民間放送になるように、そういう方面になぜ猛運動をなさらないのか、私の深く疑問とするところであります。現在のごとく他から何らの監督、制肘を受けず、わがままほうだいにお手盛りでやつて行ける、こういうことはNHK当局にとりましてはまことに都合のよいことでありますが、それではわれわれ国民はたまつたものではないのであります。この法案に盛られておりまするところの監督規定が嚴にすぎる、こういうことは私も認めます。しかしNHKが今までやつて来られましたところののほうずと申しますか、そういうやり方をこの際徹底的に矯正する、打破するためには、このくらいの監督行政はがまんするのがよくはないか、こういうように考えます。また会計検査はいやだという反対論も聞いておりまするが、これも正しい経理、むだのない経営であれば、進んで検査を受けられるのに何らの不都合もない、こういうように考えます。さらにNHK当局並びに支持者の方々は、とかくNHKが受けておられまするところの、種々の特典については一切口をつぐんで、不利益な点をのみ大声叱呼されておる、こういう傾きがあるように見受けます。民間放送には與えられておりませんところの非常な特典、恩典を受けておられまするが、かかる恩典、特典があればこそ、取締り、監督もまたこれに伴いまして嚴重となつておる、こういうように考えます。もしこの監督、規整が嚴重に過ぎるというのでおいやであるならば、この特典、恩典を返上したらどうか、こういうように考えます。  次にNHK電波波長の独占を清算してもらいたいということを、お願いしたいと思うのであります。NHKは現在日本に許されておりまするところの波長の大部分を独占的に使用して、民間放送の方に割当てられまするところの波長は非常に少く、とても多くの民間局は出現不可能であるというのが、一般の声であります。しかしこれはNHK電波の大部分を独占しているがためであります。電波監理委員会が発足いたしまして、電波が免許される際には、一応現在の波長を全部御破算にしまして、総合的に合理的に波長の割当をなさるのがよいのではないかと思います。民間局に対しまして反対される方々は、波長の少いのをもつて反対しておるようでございますが、NHKの波長を全部御破算してやれば、相当数の波長の割当はできる、こういうように考えます。NHK当局は口をお聞きになりますと、これ以上局を増加するときは、混信をすると言つておられます。しかしNHKは現在電波庁に対しまして、第二放送の拡充を申請しておると聞いております。自分が第二放送を拡張するときは、混信を来さず、民間局申請するときには混信するからだめだ、こういうような反対論はまつたくNHK中心の議論であろう、こういうように考える次第であります。  次に、NHKの第二放送を開放してもらいたいことをお願いする次第であります。NHKの設立目的は、第七條に、「あまねく日本全国において受信できるように放送を行うことを目的とする。」と法案に明記してございます。この目的を達成いたしまするためには、現在の第一放送で十分である、こういうように私は考えます。第一放送と第二放送の二つがなければ、協会設立の目的が達成できないということは、これは協会当局の腕がまずいがためだと断言したいと思うのであります。新聞におきまして、現在の二ページにて、十分昔の八ページ以上の記事を掲載しており、十分に読者の満足を買つております。四ページとか八ページなければ、新聞使命が達成できないなどということは決して申しません。四ページあるいは八ページあれば申分はないが、四ページ、八ページなければ全然だめだということはありません。編集者のくふうや技術上の改善によりまして、うまく新聞紙面の狹隘を乘切りまして、多数読者の満足を買つておるのが現在の状況であります。放送においてもしかりで、第一放送のほかに第二放送がなければというのは、自己の力量不足をごまかす遁辞にほかならない、こういうように私は考えるのであります。この法案を見ますると、どこにも第二放送をうたつておる條文はありません。これは法案が第二放送を対象としていないことを示しておるもので、私は第二放送はこれを民間に開放すべきものと確信いたします。そうしますれば波長が足りないため混信を来すという点は、たちまち解消するでありましよう。  さらに観点をかえまして他の観点から見まして、現在の事実が示すがごとく、第一放送は八十八局あります。そしてあまねく日本全国において受信できるというようになつておりますが、第二放送はわずかに二十六局で、とてもあまねく日本全国において受信できないのであります。第一放送と第二放送の比率は、三対一でございます。この数字が示しますように、今日において第二放送全国あまねく受信できないのみならず、将来におきましても、波長の関係上、民間局を圧殺しない以上、全国あまねく受信できないのでありまして、かかる制約を持ちますところの第二放送は、協会の設立目的第七條に反することとなるのでございます。この観点から考えまして、第二放送はこれを民間にゆだね、その創意くふうによつて内容を充実することが最も至当である、こういうふうに考える次第であります。  次に特典、恩典は、協会と民間を同一にしていただきたい、こういうことを申し上げたいと思うのであります。法案の第四十二條の放送債券三十億円の発行、四十八條の免税、四十九條の土地收用法の適用など、協会は非常な特典、恩典を與えられておりますが、民間局にも同一の待遇を與うべきものである、こういうように考えるのであります。両者間に何をもつて区別しなければならないか。納得の行かない点であります。協会放送公共放送であり、民間局広告放送であるから、かような区別があるのは当然である。こういう論を聞きますが、そもそも公共放送とはどういうことであるか、この点について少しお話したいと思うのであります。この公共放送という言葉、概念ほどはつきりしないものはなく、いろいろ自分に都合のいいように使用されております。NHKは同協会から発行しておりますパンフレツトの中に、協会経営形態を簡單に公共放送とうたつておりますが、この言葉は当らないと思います。放送はすべて第一條に明示されておるごとく、公共の福祉に適合するように規律されておるものでありまして、NHKのみが公共放送で、民間局が全部広告放送ではないのであります。民間局におきましても、全体の三分の二以上の時間は、いわゆる公共放送をやるのでございます。かかる見地からいえば、協会に與えますところの特典を民間局に拒否する理由は、これを発見するに苦しむものであります。われわれ民間局のものは、協会以上の特典を與えよと叫ぶものではありません。協会と同一の特典を與えよというのであります。協会民間局とは同一の基盤の上に立ちまして、正々堂々と相互に切瑳琢磨し、日本ラジオ界の健全なる発達に寄與せんとすることを念願するものであります。また放送債券三十億円は、どういう計算の基礎に立つておりますか。私はそれをつまびらかにいたしませんが、かかる厖大な債券発行は不必要と考えるのであります。二十三年度におきますところのNHKの貸借対照表を見ますと、長期借入金一億二千万円、短期負債一億八千万円で、長期短期を合しまして三億円の負債しか持つておりません。その上同期におきますところの利益金は一億六千万円あつたということが対照表に載つております。この彼我を対照して見まして、放送債券三十億円などという厖大なものは、まつたく不必要である、こういうように考える次第であります。  また聽取料を現行と同じく、第三十二條中に月額三十五円とすると明示してあるのはどうでありましようか。三十五円が適当であるか、または不当であるかということは、法案が成立しました上で検討されてよいものでありまして、法文中にあらかじめ明示すべきものではない、こういうように考えるのであります。三十五円は昭和二十三年の七月に、従来の十七円五十銭を一躍二倍としまして実施したものでありますが、二十三年度末のNHKの收支を見ますと、一億六千百万円の利益を計上しております。すなわち四月、五月、六月の三箇月間は十七円五十銭の聽取料でありましたが、残りの九箇月分を三十五円に引上げただけで、一億六千万円の利益をあげております。二十四年度にはさらに多額の利益をあげておることと思います。この收支状況から見ましても、法文中にあらかじめ三十五円を明記することは不当と考えるのであります。  次に民間局への門を開いた以上、くぐれる門にしていただきたい、こういうことを申し上げたいのであります。放送法案を立案された方々は、この法案によつて民間放送の門を開いた。その門をくぐるといなとは、民間局を企画する人たちの勇気と企業開拓の精神によると、いかにも得々として申されております。確かにかたくとざされましたところの門を開かれました功績は、これを認むるものでございまするが、しかし門を開いた以上、その門は少くともくぐれる門でなくてはならないと思うのであります。くぐれない門を開いたのでは、まつたく不可能事をしいるものであると言わざるを得ないのであります。今この法案を検討してみまするに、その門は小さくて、なかなかなかぐりにくいと思われるのであります。私は賢明なる立法の方々が、かかる立案者のひとりよがりを排しまして、広くかつ大きな門にしていただきたいと願う次第であります。そのためにはいかなることが必要かと申しますると、民間局が成立しやすく、また成立した以上は永続できるような措置を講じてくださることであります。初めから不可能に近いことが予想されておるにもかかわらず、それを看過したり、またあとで法案の改正をやるというようなことは、用意周到な立法者のとらないところであろう、こういうように考えるのでございます。われわれが求めまするものは、門を開く以上、くぐれる門でなくてはならないということであつて、その門を撤去してしまえとか、あるいは大きなパリーの凱旋門のようなものにしてくれということを申すのではございません。そういう過大な要求をするものではございません。ただくぐれる門であればけつこうなのでございます。しからばそのくぐれる門とは何でございましようか。これから具体的に申し上げます。その第一は聽取料、すなわち受信料の問題でございます。法案では、協会には受信料の徴收を認め、一方民間局には広告收入だけでやれ、こういうことになつております。その理論的根拠はどこにあるか。どうも私には割切れないものがあります。協会公共放送であるから受信料を認め、民間局商業放送だから認めないという論もあるように見受けまするが、先にも申しましたように、民間局放送のうち、少くとも三分の二の時間は協会と同じ公共的放送なのであります。その部分については協会民間局放送との間に、本質的に何らの差異もないのであります。この民間局の公共的放送の部分に対して、なぜ受信料の徴收を認めないのでありましようか。納得の行かない点でございます。また一方民間局の聽取範囲がはつきりせず、聽取者の数が不明であるため、受信料の徴收が事実上不可能である、こういう当局者の弁解も聞くのでございます。しかしこの聽取範囲の測定は、種々の方法によつて可能なのでございます。一例をアメリカにとりますると、アメリカの局では受信機を乘せましたところの数台の自動車を四方八方に走らせまして、自社の電波の聽取可能な範囲を確定しております。かかる方法ではかつた自社のサービス・エーリアを明示した地図を広告主に見せ、広告主をして安心して広告放送をさせておると聞いております。かかる方法によりますれば、聽取の範囲は測定され、その中におる受信機保有者の数もはつきりいたします。その数を内輪に見まして、その何%を民間局聽取者とするということはできるのでございます。聽取者数さえとらえることができまするならば、その数に比例しまして、協会受信料の一部を民間局にさくことが可能であります。協会は三十五円に、民間にさくべき二円なり三円なりの額を、まとめて徴收すればよいのであります。民間局のない地方から、民間局にさく受信料をとるのは不都合である。こういう議論も一応成立つと思うのでございますが、第二放送のない地方からも、第一放送、第二放送と二つある地方と同様に三十五円の受信料をとつておる以上、かかる論難は当らない、こういうように思うのでございます。さらに三十五円の協会受信料のほかに五円を徴收いたしまして、その一部を民間局に、その聽取者の数に比例して按分して、残額は広く民間放送の技術研究費などに使用させる。こういうことにしますれば、不公正だというそしりを免れることを得ると思うのであります。方法論的には相当の困難性があり、やつかいな問題ではございますが、受信料を一部民間局にまわすということは、全然不可能なことではないのであります。大体聽取料、すなわち受信料という言葉を使用いたしまするから、誤解を招きやすいのでありまするが、受信料のかわりに受信機使用料という言葉を使えば、一般の了解を得やすいのではないかと思うのであります。協会は三十五円の受信料を徴收し、民間局は五円の受信機使用料を徴收するといたしますれば、両者の関係もはつきりすると思います。協会受信料民間局受信機使用料でございます。この五円のうちの一部を、民間局聽取者に比例して配分します。残りを研究費、徴收委託費、こういうものに充当すればよいと思います。法案の立案をなさつた方々の中には、民間局としては受信料契約を禁止してはいないから、聽取者と契約してかつて受信料をとつたらよいと申される方があるかもしれませんが、これは現実を遊離した詭弁であります。ただで聞ける放送を、金を出して聞くほどの物ずきはありません。もし当局がそういうことを強調されるならば、われわれには協会の標準放送を受けつけない、そして民間局の周波数だけにマツチしました受信機を製造しまして、聽取者に配付するという奥の手はあります。かかる受信機は簡單で安価に製造し得ます。もしも実際にそんな場合が起りましたならば、協会は相当の打撃をこうむることと思うのであります。以上申し上げました受信料の一部を民間局にまわすことは、最も簡便な民間局育成の近道であります。その他前に述べましたところの、NHKと同様の種々の特典を民間局に與えることは、くぐれない、あるいはくぐりがたい門を、広くする道であると確信する次第であります。  また国際放送協会の独占と法案になつておりますが、民間局の機能いかんによりましては、民間局を利用することも、民間局を育成する一つの方法でありましよう。民間局を初めから国際放送の利用範囲外におく第三十三條は、不当であると思うのであります。  また中継放送のため、安い特別料金を設定することなども、助長手段の一つでありましよう。  以上は民間局育成助長のための積極面でありますが、消極面の方を見ますると、そこにもいろいろの注文がございます。すなわち積極面は、小さい門を大きくすることであります。消極面は、門に入れないように門前に横たわつておりますところの、もろもろの障害物を取除くことでございます。障害物とは何でございましようか。それはNHKの企画されております事柄が、民間局の育成に重大な支障となる点であります。  その第一は、前に申し上げましたNHKの第二放送網の拡充計画であります。この拡充計画は一応電波庁の手で押えられていると聞いておりまするが、電波監理委員会ができました後、またいつ何どきこの案が日の目を見るに至るか、はなはだ危險なしとしないのであります。第二放送網の拡充がもし許される場合には、先に申しました通り民間局への割当波長がなくなつてしまうおそれがあります。  第二の障害物としましては、NHKの非常に大きな、超大局の新設計画であります。大阪のJOBKは現在十キロ局でありまするが、これを近く百キロ局とすると聞いております。かかる百キロ局が出現するとなりますと、民間側の十キロ局は、手も足も出ない結果となります。NHKのかかる計画は、結果的に見まして民間局を圧迫するということになると思うのであります。この百キロ局の新設案は、ジユネーブの国際会議で承認されておりますが、日本の地形上から見まして、また現在の日本の経済的不況からいいまして、現在の十キロ局で十分である。せいぜい五十キロ以下でけつこうと思うのであります。最大出力を五十キロ以下に制限することは、消極的な民間局育成策でございます。NHK当局は、表面民間局の出現を歓迎されているがごとき顔をなされているのでございますが、以上のごとく民間局が生れます以前に、民間局の圧殺となるような計画を平気でなさつておられる。われわれは最もこれが恐ろしいのであります。NHKは横綱であり、われわれはかけだしの十両以下であります。横綱は堂々と受けて立つ、こういう大きな襟度をもつてわれわれに対せられるのが至当であります。委員方々にはこの辺よろしく御洞察を賜わりたいと思うのであります。  次に、民間側に往々ありますところの泣きごとには、賛成できないということを申し添えたいと思います。民間局企画者の中には、日本におきますところの広告ソース、広告資源の貧弱さをもちまして、民間局経営はとてもできないと力説される方もありまするが、私には何だかこういうことは、悲鳴か泣きごとのように聞えるのであります。アメリカにおきますところのラジオ界の現状は、これから生れますところの日本民間局にとりまして、貴重なる先例や参考資料とはなりまするが、アメリカの例がそのまま日本に当てはまるかどうか、私は疑問とするところであります。日本には日本の特殊の事情があり、またわれわれには日本人独自のくふうもあります。この点は皆様も意を安んじていただきたい、こういうことを失礼ながら申し上げたいと思うのであります。  放送法案につきましては、種々小さな條文的修正はございますが、時間の都合上これら條文の修正点は申し上げません。しかしこの法案を通覽覧して感じますことは、世間一般にいわれておりますように、放送法案があまりにNHK温存法案のにおいが強いことであります。法案全文五十八條のうち、協会に関する條文は第七條から第五十條まで、四十四箇條ございます。しかるに一般放送に関します條文は、五十一條と五十二條の二條であります。法は少きをもつてたつとしとする。こういうように申しますから、わずか二條しかないということは、一方ありがたいとは考えるのでありまするが、協会の四十四箇條に対しまして二條とはどうでありましようか。私はここに協会に対しますところの、立案者当局の勢力温存と官僚統制のにおいがあることをひどく感ずるとともに、民間蔑視の昔からの弊風を肌身に感ずるものであります。少くとも第四十四條の放送番組の編集、第四十五條の政治的公平などは、第一章の総則の中にまとむべきものでないか、こういうふうに思うのであります。私はくぐれない門をくぐれる門にしていただきたいと、長々と立法に携わつておられまする皆様にお願いいたしたのでありまするが、もしもかりに万一われわれが要望しておりますことが何一つとしていれられず、どうしてもくぐれないような門でありますならば、その門を押し倒しても、乘り越えましても、突進する勇気を持つております。パイオニアの精神は、われわれ言論界におりまする者の最も誇りとするところであります。しかし門を押し倒したり、乘り越えたりしますれば、そこに必ず種々の混乱が起きて参ります。私どもはその混乱を決して好むものではありません。どうかかかることの起らないよう、立法府の皆様の御明察によつて民間局のため広き門が開かれますようお願いする次第であります。  最後に重複いたしますが、私の申し上げたいことは、一、放送法案に原則的に賛成であること、二、NHK法案反対論の不当なること、三、NHK電波、波長の独占はいけないこと、四、NHKの第二放送民間側に開放すること、五、特典、特権は協会と民間は同一とすること、六、民間局を許す以上大きな門を開いてもらいたいこと、七、民間局企画者側に往々にしてある泣きごとや悲鳴には賛 成できがたいことなどであります。  民間放送は世論の強く要望するところであります。一日も早く健全なる誕生ができますよう、われわれの要望をいれられて、法文を修正されんことをお願いして、私の意見開陳を終ります。  なお民間局の死活のかぎを握る電波監理委員会委員人選とか、目下電波庁で原案を作成中と聞いている免許基準などについても、意見を申し述べたいのでありまするが、あまり長く時間を独占いたしますると、NHKと同様の非難をこうむりますので省略いたしますが、いつにても文書あるいはかかる会を開いていただければ、馳せ参じて意見を開陳いたしますから、よろしくお願いいたします。どうも長々御清聽のほどありがとうございました。(拍手)
  9. 辻寛一

    辻委員長 次は古垣鉄郎君。
  10. 古垣鉄郎

    ○古垣公述人 私は日本放送協会会長をいたしております古垣鉄郎であります。  ただいま友人の杉山君からNHKに対して、横綱扱いにされてみたり、また無能呼ばわりをされましたが、いろいろ御批評をいただいたことは非常にありがたく思つております。この中で参考になるところがありましたら、大いに考えて利用したいと思つております。何分杉山君は今一生懸命に勉強しておられ、放送についてはまだ御経験がないように思います。この貴重な時間に、委員の皆様のために私の意見を用意して参りましたから、その点には触れないで、私の放送法案に対する意見委員の皆様に申し上げたいと思います。  私はこの法案が、その第一條に掲げられておりますところの原則、すなわち放送が最大限度に普及されて、その公共性が十分に保障されること、及び放送の自由を確保して、放送が健全な民主主義の発達に資することを理想とし、目標とする点において、この法案賛成し、そのすみやかなる通過を希望するものであります。  まことに放送事業は、他のいかなる企業にも見ない特殊かつ微妙な、いろいろの性格や機能を持つものでありまして、従つて他の類似の事業、たとえば新聞とか、映画とか、あるいは講演会とか、学校とか、さらには鉄道とか、配電事業というようなもので、簡單に類推することはできないのであります。従いまして民主主義の発達しております諸外国におきましても、放送事業の形態は種々にわかれております。米国ではたくさんの商業形態が競い合つて存在しておるかと思えば、民主主義の制度においてきわめて堅実な発達を遂げでおりまする英国では、初め商業形態であつたのを数年後改めまして、二十数年この方、單一独占の公共事業体として、BBC一本で経営して、英国民全体にサービスしております。また民主主義の先進国フランスその他の欧州諸国では、官営の独占形態で放送が行われております。さらにまた英国の海外自治領たるカナダや濠州においては、公共放送商業放送の二本建ての形態になつております。わが国のこれまでの放送形態は、英本国のそれと非常に似ておりまして、私どもは英国のBBCを放送事業における先進として、大いに学んでおるのであります。それが今回の新しい法案によりまして、こうした公共企業体を中心として、さらにこれに米国の自由企業の形態を配することになつたものでありまして、これは主としてカナダ、濠州の例にならわれたものと拜察いたすのでありますが、ここに注意すべき点は、カナダ、濠州の場合におきましては、公共放送商業放送とは明らかにその目的使命または地位、もしくは業務範囲を異にした立場で存在しているということであります。三年ばかり前、対日理事会において数回にわたつて日本放送はいかなる形態で営まれるのが平和的で、かつ民主的であるかという問題が審議されましたが、そのときもある代表は、單一の国営形態が最も適当であるという意見であり、ある代表は、放送企業のいかなる形態が最も平和的、民主的であるかということは、その国々の特殊なる事情によつて相違していて、一律には言えないという意見を述べたのでありますが、まことにその通りで、いまだ世界中に放送の理想的形態というものは存在しないのでありまして、各形態に一長一短があるわけであります。それゆえ外国の立法例はいかに優秀な制度、形態であつても、日本の特殊な地理的條件、経済の現状、文化の水準、放送事業発展過程、並びに割当周波数と受信機の普及事情を無視しては、これを適用するわけには参らないのであります。それゆえに放送が單一独占形態だからといつて、ただちにこれを非民主的であると評したり、あるいはもし今新聞日本一つしかなくなつたらどうか、それと放送は同じだなどと、單純に類推して批判するような種類の議論は、あまりにも放送という電波科学の性能を無視した考え方であり、また新聞や世論が十分に発達した英国、少くともわが国よりはるかに発達した英国、その他諸外国の事実を無視した議論であることが、おわかりになることと考えます。御承知のごとく英国にあつては、新聞や通信事業が実によく発達しておりながら、放送は英国の事情に従つて、單一独占の公共企業形態をとつており、しかも英国の放送は、世界中で決して他のいずれの国にも劣らぬ発達を見ておりますことは、自他ともに認めるところであります。ことに英国BBCの第三放送のごときは、独占事業であればこそ初めてできる種類のものであり、これは他の国の放送がとうていまねのできない優秀なものなのであります。さらにまたBBCが放送や出版等によつて提供するニユースや情報は、その正確と公平、穏健な点において、国の内外で好評を博し、英国のみならず、日本でも、さらに世界各国で大いに利用され、敬意を拂われているところであります。  私はかような考えから、今回の放送法案は、初めに申し述べましたその趣旨を基礎として、放送公共性と、放送事業の自主性という二つの大原則を打ち立てて、実現されるべきものと信じます。すなわち日本全国どこでも聞かれる公共放送を中心として、これに配するに自由企業の商業放送をもつてし、両者の短を補い、かつ両者の長を十分発揮せしめるという趣旨であろうと拜察いたします。この意味におきまして、この法案は確かに進歩的な、また野心的な法令でありまして、私どもはそれが国民全体の利益を増進することであり、少くともそれが国民大衆の利益、利便を現実にそこなわない限り、新しくできるであろうところの商業放送に対して、協力を惜しむものではありません。NHKは世間でいろいろと手きびしい批判をこうむつてはおりますけれども、何と申しましても、わが国においては唯一の経験者であり、しかも二十五年という世界の放送史上で比較的長い経験を有する事業体でもありますから、私どもは今後商業上の目的をもつて新しく放送をお始めになる他の事業体に対しましても、その健全な発達に及ばずながら欣然御加勢いたしたいと考えるものであります。私どもはこの見地から、放送事業の各部門について、具体的な協力方法の検討を進めたいと考えておるのであります。  しかしながらこの法案について、一部でNHKに対する保護が過ぎるということを耳にいたすのでありますが、それはおかしいことであると思います。NHKに対する保護とは何か。それは国民全体の利益のみを目標とする公共放送の保護、国民の保護ということであります。国民の保護が過ぎるということは、まことにおかしな考え方であります。私どもは国民中の一部分の人々の利益を考える前に、国民全体としての利益を考えなければならないと思います。公共の利益を優先せしめるという天下の公理は、新憲法にも明らかにされております通り、この法案をも貫く根本的な精神であると考えております。そうでなければ、われわれは二兎を追つて一兎をも得ない愚を侵すことになることを恐れるのであります。  NHKは巷間に若干誤り伝えられておりますような、ことさらに電波の独占を企図しているような事実は毛頭ありません。ただ日本という特殊な地理的條件のもとに発達しました放送事業が、限られたわが国への電波の割当範囲内で、しかも国民の経済的負担能力に相応した簡易、低廉な受信機の普及しております実情のもとにおきまして、いかにすれば混信なしに、しかも国民に犠牲と過度の負担を與えないで放送が行えるかという観点から、検討している次第であります。従いまして商業放送を行うために、混信による聽取者の迷惑もやむを得ないとするような議論は、はなはだ遺憾とするものであります。放送電波を使用する事業であります以上、混信を前提とするがごときいかなる議題も設備も計画も、国の政策としては成立ち得ないと考えるものであります。  またNHKの第二放送網拡充の五箇年計画も、昭和二十三年に計画され、目下進行の途中にありますが、この進行途中の第二放送の形を指摘して、その効用は充分でないから、これを分割して、他の事業体運営にゆだねようとする御意見や、また商業放送局の所在地にはNHKの第二放送を中止せよとする御意見もあるようでありますが、NHK公共放送は、地域的に見まして全国を対象とする全中プロがあり、数県をブロツクとする管中プロがあり、また一県一地方を單位とするローカル・プロがあるのであります。また聽取者の階層、年齡、職業、教育程度の区別に基づく特殊な対象別につきましても、それに当てはまるような報道、教養、娯楽番組のためには、第一放送のみでは国民聽取者に選択の自由が與えられないばかりでなく、とうてい番組は編成し切れないのでありまして、このため第二放送網の完成を急いでおり、この完成をまつて、第一放送と第二放送による表裏一体の公共放送網を国民大衆に提供して、その要望にこたえようとしているのであります。  次にぜひ申上げたいのは、放送の自由、つまり企業の自主性保障の点であります。放送の自由は、單にその番組の編成を保障するのみでは、決して達成されるものでありません。企業全体を、その組織や経営や人事や財政の面で、事業体の自主性を確立しなければ、自主独立の放送ということは成立ちません。この点で新しい法案の規定は、若干御再考を煩したいと希望するものであります。たとえばこの法案では、日本放送協会の重要な問題を国民基盤審議させる方式として、経営委員が任命されておりますが、この協会経営の最高機関であります経営委員会は、法案によりますと、その決定は何一つとして最終的な決定とはならず、その議決事項はいずれも、政府機関や国会承認や認可を経なければならないことになつておるのでありまして、これでは経営委員国民大衆の代表として、公共放送運営に参加しております目的は、一体何であるかにとまどうのであります。経営委員会は最高機関として、国民のために方針を最終的に決定することが、公共放送のあり方として適当であろうと存ぜられます。  次には、公共放送に対する監督行政の一元化についてであります。この法案によりますと、監督行政の主管の官庁は、一応電波監理委員会でございますが、さらにこの他に国会、内閣、大蔵省、会計検査院にも、認可や承認や検査を受けなければならないことが、多数あるようになつております。これでは、それぞれの機関がそれぞれ独自の立場で監督に当られたり、さらには一つの事項につきましても、二つも三つもの複雑な監督を受けます場合などは、協会がその間に立つて困難いたすばかりでなく、協会事業が停滯させられることも予想され、ひいては放送事業の健全な運営が阻害されるおそれも出て参るのであります。特に機敏に仕事を進めてこそ、初めて放送のような動きのはげしいものの使命が果されるのでありますから、監督機関の複雑さはどうぞ一元化して、すつきりとした形にしていただきたいと希望いたします。  なお協会の予算、事業計画料金決定の手続についてでありますが、公共放送国民生活に至大の影響を持ち、その事業計画や予算が、国民文化、経済につながつておりますだけ、国民の代表であられる国会の批判の対象となりますことは、当然と考えられるのでありますが、しかし財政的にこれを国家予算と同一な高さで、国会の御審議を願うこととしてありますことは、やや複雑に過ぎるのではないかと思われます。率直に申し上げますと、聽取料金はガス、水道、電気と同じく、主務官庁が認可し、事業計画收支予算経営委員会がこれを決定し、さらにはこれらの事業の実績を国会に報告して、その御批判をいただくというのが、放送事業の機動性にも合い、かつ監督のあり方としてもバランスを得ているのではないかと存じます。  放送のごときものの公共性は、監督の嚴重さで維持するということよりも、経営委員への信頼と、国民の直接の批判の声、または国会の御批判を仰ぐという形の方が、これを維持するのに適当な、かつ実際的な方法であろうと存ずるのであります。  以上貴重なお時間をいただいて述べさせていただきましたが、なおさらに小さい部分の意見につきましては、文書をもつてお手元に差上げたいと存じます。  これを要するに公共放送の対象であり、目標とするところは、国民自身でありまして、決してある一部の広告主でもなく、資本家でも企業家でも投資家でもなく、あるいはある一定の主義やある主張を追究するところの団体や個人でもないのであります。どうぞこの国民全体を対象として純粹に国民の利益を代表する公共放送運営の点に、遺憾の点がありませんよう、電波という特殊な複雑微妙な科学の世界で仕事をいたしますのに、最も適当な方法を御考慮願いまして、かかる公共放送が十分にその公共性が保障され、同時にまた国民奉仕のこの文化財が、十分にその機能を発揮できますような自主性が保障され、確立されますよう、国民の代表者たる皆様の深い御理解と、御考慮をお願い申し上げて、私の陳述を終ります。(拍手)
  11. 辻寛一

    辻委員長 それではこれよりただいままで御発言を願いました四名の公述人方々に対して、質疑を行います。なお質疑を受けられました公述人各位におかれましては、自席でそのままお答えいただいてけつこうであります。
  12. 橋本登美三郎

    橋本(登)委員 一応順序として、公述人発言台に上られた順序から御質問申し上げます。  水谷さんにお聞きいたしますが、先ほど水谷さんは、民間放送局ができるために、優秀な芸能人のひつぱり合いが起るのではないか、こういうような御心配でありましたが、実はわれわれ委員会においても、その問題が相当に心配されているのであります。最近御承知のように野球が二つの大きなリーグができましたために、ああした選手の争奪戰が起きて、それがために結局各リーグともに相当経済的な打撃をこうむつている。こういう危險から考えても、何らかの保護法が考えられなけば、その間に大分芸能人の争奪戰が起きはしないか、こういう心配があります。この法案では、ことに民間放送局に対しては、最大限の自由を與えている。それらに対する規定はもちろん設けてありません。ただわれわれが心配するのは、先ほど来から中立側の公述人のお話がありましたように、公共企業体として新発足する日本放送協会は、国民のものとしての放送局である。その観点から、條文においても料金を規定して、できるだけ安い料金をもつて聞かしめる。こういう方針をとつているのでありますけれども、それがために従来日本放送協会は非常に謝礼が少いので、薄謝協会というあだ名があつたくらいでありますから、こういうような芸能人の争奪戰の場合においては、とうてい民間には太刀打ちができない。しからばこの日本放送協会に対して、たとえば民間放送業者に專属をいたしましても、公共企業体である日本放送協会は、その專属のいかんにかかわらずこれを依頼することができる、こういう規定を設けますとなお一層放送協会に対する保護規定が濃化せられる。こういうように心配せられるので、いろいろこの問題については、委員会においても大きな悩みの問題となつているのであります。これに対して水谷さんは、どういうようなことが芸能人の立場を保護するとお考えになられるか。また従来の日本放送協会が、芸能人その他の方々に與えられておつた謝礼なるものが、これは独占事業でありましたから、むりもありませんけれども、はたして妥当であるか。あるいはあまりに少きに失するかについての御意見をお聞きしたいのであります。
  13. 水谷八重子

    水谷公述人 まずその薄謝ということでございますけれども、古垣さんもいらつしやいますが、正当ではないと存じます。ほんとうに薄謝だと思いますけれども、私たち芸能人は芸術を一人でも多く聞いていただこうと思つておりますので、ただお金だけで動くものではありません。やはり国民の一人として、その国民から、うぬぼれのようですけれども、芸能をもつて立つ選ばれた一人といたしましては、その義務といたしまして、たとい薄謝であろうとも、津々浦々まで中央文化を聞かしてあげたい、そういう気持でいたしております。ですからもし競争が起りまして、今度の野球の騒ぎのように、方々から争奪戰が始まりまして、私たちまるで想像もつかないような、争奪のためのいろいろな費用とか俸給とかをかち得ていらつしやつて、その選手の方たちが、今までの野球のようにただゲームをするのでなくて、今度はその争奪戰のために、自分一人だけのプレーを見せるような結果になりはしないか。それが芸能人の間でも、自分一人がよければいいというような気持になつて芸術というものがだんだん低下して行くのを一番恐れます。それでその心配がまず第一番だと存じます。それをどういうふうにして行くかということは、私たちのからつぽな頭ではよく考えられませんので、委員方々によろしく御指導していただきたいと思います。意見を申し上げるのでなく、ただ自分の疑問なり心配なりを訴えて、皆様から御意見を聞かしていただきたいと思つております。こんなことでよろしゆうございますか。
  14. 橋本登美三郎

    橋本(登)委員 今の問題につきまして、民間放送会社の代表である杉山さんにお尋ねしますが、今申しましたように、水谷さんなどの芸能人の立場から考えると、ややもすればそういうような危險はありはしないか。その場合において、法律上これを規定することは全然不可能ではありませんけれども、やれば、先ほど申し上げましたように、日本放送協会、公共企業体に対しては、いかなる会社の專属も、個人的な事情がない限りにおいては依頼に応じなければならない。こういう規定を設ければ、ある程度は防げると思いますけれども、そういう規定がはたしてあなたから考えて必要であるか。あるいはそういうことが一部のものを特殊に保護することになり、自由競争の原則を破るとお考になるかどうか。その点、民間放送局の立場からお聞きいたしたい。
  15. 杉山勝美

    杉山(勝)公述人 今の御質問は、全然私は反対の考えを持つておつたのであります。水谷さんが先ほど一番に御発言になつて意見を述べられたときに、私は全然今まで反対のことを考えていた。それに対しまして全然反対のことを言われたような感じがしたのであります。それは先ほど私が公述いたしました消極的な面におきまするところの、NHKの妨害というものの一つに実はあげたい、こういうように思つておつた。ただ時間の関係上言及をいたしませんでしたが、もしも時間がありましたら、その点につきまして私実際は申し上げたいと思つたのであります。それはわれわれ民間局を開設することを担当しております者の考えの中には、專属制度というようなものを設ける意思は全然考えてもおらなかつた。私たちNHK当局がその厖大なる資産、金力をもちまして、今までは薄謝協会であつたが、競争ができた場合には、その大きな金力をもつて、あべこべに芸能人協会の方に独占されるのではないか。そういたしますと、NHKに比べますと非常に貧弱なる民間局の方では、とても太刀打ちできない。こういうように考えるのでありまして、全然及びもつかない御意見だと思います。そういう関係上、今橋本委員が申されましたように、そういう規定はあべこべにNHKの方につけていただきたい、こういうふうに考えておる次第でございます。
  16. 橋本登美三郎

    橋本(登)委員 この問題はそれで打切りますが、先ほど杉山さんから重大な問題を提示されております。それは日本放送協会に対して政治的公平を法文上しいておる。こういうふうなものは民間放送局に対してもその條件を設けるべきではないか、こういう御意見であります。この点は委員会におきましてもすこぶる重大問題であつて、御承知のように一応目的の中には不偏不党、あるいは真実なる放送ということが規定されておりますけれども、これは目的であります。従つてたとえば政治的公平の問題があえて課せられておりませんから、民間放送局が特殊の政党あるいは特殊の団体のために、その意図のもとに放送することは可能であります。たとえば民主自由党が大いにがんこな政党だといたしますれば、この政党が強力なる放送局を持つことによつて、そこでその放送局のプログラム及び放送局の態度なんかを、その方面に向けて放送するということは可能である。同様に共産党の場合においても、可能であります。この法文上から見れば可能である。しかもこういうような政治的偏向を持ち、あるいは一種の独得の思想を持つて放送することは、あえて電波法においても免許規定から、これを取消す規定は入つておりません。取消し規定の中には、單に日本憲法及びそのもとにつくられたところの政府を暴力をもつて転覆するような主張をした場合、あるいは特別にわいせつなる通信を行つた場合においては、何年以下の禁錮もしくは罰金に処せられる。従つてこれらの場合には免許の取消しができるのでありますが、こういうふうに、わずかこれだけが放送局あるいは無線局の取消しの事項であります。従つて今申し上げましたような特定の団体がその意図のもとにプログラムをつくつて放送するということは可能であります。しかし現在の日本の憲法のもとにおいて、言論の自由が認められ、あるいは政党結社の自由がある以上は、こういうことを禁止するということは、はなはだおもしろくないのではなかろうか。しかし実際上としてはこれが相当に強力なる権力をもつて、この種の偏向が行われた場合においては、社会秩序の安寧に対しても相当の影響を與えはせぬか、こう考えておるのであります。従つて杉山さんから政治的公平を民間の放送局にも規定すべし、こういう御意見が現われたのは、われわれとしては非常に奇異の感じを持つておるのでありますが、これは杉山さんが中立の放送局の代表であられるからでありましようが、同時にこのことにつきましては杉山さん並びに神野さんの方からも、御意見をお聞きしたいと思います。
  17. 杉山勝美

    杉山(勝)公述人 橋本委員がおつしやいましたのは、四十五條の「協会放送番組の編集は、政治的に公平でなければならない。」この條項を第一章に持つて来ることがよくはないかという意見を私申し上げましたことにつきましての、御質疑と思うのでございますけれども、これは実際問題として考えまして、特殊の政党、特殊の思想団体、特殊の宗教団体に対して、電波監理委員会が免許します場合に、これを許すかどうかという問題ですが、これは事実上免許されない。こういうことがあると思いまするが、理論的に考えまして、私はこういうふうに考えておるのであります。すなわちアメリカにおきましては民間局が非常にたくさんある。民主党の機関の放送局もあるし、また共和党の機関紙的な放送局もあると聞いております。しかしそういうものは繁栄していない。繁栄しておるものは何かと申しますと、この法案の第一條に掲げてありますところの不偏不党の放送局のみが栄え、そういうものの電波のみをほとんど国民は聞いておる。機関紙的な放送局は全然繁栄していない。これは民衆に影響力がないというように聞いております。そういう面から見まして、この四十五條を前に持つて来まして、それが民間局を規制するというような場合におきましても、一向さしつかえないじやないか、かように考える次第であります。
  18. 神野金之助

    神野公述人 ただいまの私に対しましての御質問は、先ほど申し上げました商業放送が、広告の名前のもとにいろいろ悪用されはしないかという点についてであろうかと考えまするが、まだ放送の始まりません今日でありますから、具体的に申し上げることもどうかと存じまするが、私は多分にそういう点を実は心配いたしておるのでありまして、今のお話のような、政党あるいは特殊に目立つた看板を掲げてやります場合は、これは当然問題でございまするが、私の申し上げたのは、そこまで行かなくて、ただ何々の広告をするという名前といいますか、表面はそれに現われておりましても、実際において商品その他すべての広告内容をいかようともゆがめて、ほかの目的に利用できるのじやないかというような点も、実は危惧いたしておるのであります。そういうことがだんだんあまりに自由々々で参りますれば、大衆は結局批判によつて、その放送がいいか惡いかきめるでありましようけれども、とにかく一応聞く聞かぬにかかわらず、一部の人に対しても押しつけるというような傾きが必ず起きて来る。そういう意味から申しまして、私が先般から申しておりますのは、政治はどうか存じませんが、思想その他におきましても、何か防ぎ得る方法がないものかどうかと存じましたものですから、委員の皆さま方はもとよりお気づきになつていることと思いますが、ただ一応御考慮を煩わしたい。注意を喚起すると申すとはなはだ失礼でございますが、そういう意味において申し上げたわけでございます。
  19. 橋本登美三郎

    橋本(登)委員 大体了承しましたが、次にこの問題は新聞にも関係あることでありますけれども、きようの公述人方々はあまりお触れになつておりませんが、放送のあやまちを訂正する條文であります。第四條に、請求を受けた日から二日以内に訂正放送をやらなければならぬ、こうなつておる点でありますが、はたして請求のあつたものを、ただちに二日以内に訂正放送をしなければならぬということが、技術的に可能であるかどうかということを、われわれは心配しておるのであります。この点について古垣さんからお答え願いたいのですが、同時に先ほどから杉山さんのお話の中にもありましたが、聽取料金を法定額できめるということははたしてどうであろうか。この点も問題になつておるのでありまするが、この理由の一つは、先ほど古垣さんから、ガス料金のようなものがああいうふうにしてきめられておるから、そのような方法できめられてけつこうではないかという抽象的な御意見でありましたが、われわれの中には必ずしもそればかりでなくして、こういうような法定額をきめるということが、かえつて特殊の日本放送協会を保護する規定になりはしないか。従つてこれは税金化する規定である。同時にこの金額をきめることによつて、非常に融通のきかないものになる。現在まで物価は高騰して参りましたけれども、今後は物価は下落の方向に向うと考えなければならない。ところが一たび法律によつてきめますれば、法律の改正によつてでなければなりませんから、年に一回あるいは二回開かれる国会において、はたしてこれが順調に訂正が行われるかどうかということは、非常に疑問なのであります。ことに臨時国会のごとき場合において、この種の法律案の改正は、実際運営上困難である。常に通常国会にまたなければならない。こういうような結果になつて国民の負担軽減という立場から考えても、逆に高いものを国民に拂わせるような結果になりはせぬかということを心配しておるのであります。かつまた先ほど杉山さんのお話の中で、放送協会の三十五円なるものは、二十三年七月の改訂である。その後賃金ベースその他が変更され、最近においては電力料においても大巾に引上げられておるのでありまするが、こういう状態にあつて、もしこれが法文が修正できずして、三十五円が制定せらるるような結果になつた場合において、はたして二十五年度において放送協会は、国民の負託にこたえることのできるような内容のある放送番組並びに研究、あるいは施設の拡充、こういうものが可能であるかどうか。この点、古垣さんからお答え願いたいと思うのであります。
  20. 古垣鉄郎

    ○古垣公述人 最初の問題から次々にお答えいたしたいと思います。  第一に訂正放送の問題、これはただいま橋本委員のおつしやる通りでありまして、この第四條の條項は、われわれの立場から検討いたしましても不適当であるというので、文書をもつてお願いしようと考えていた点であります。これによりますと、請求があれば、請求を受けた日から二日以内といことになつておりまして、はなはだ不当であります。それが間違いである、誤りであるということが判明してから二日以内ということがまず合理的であろうと考えます。それから昨日も新聞界の代表の方が、参議院の公聽会で主張されました通り、誤りの中には非常に小さな、社会あるいは個人の利益名誉に何ら影響を與えない種類のものがある。たとえば日にちの間違いとか、時間の相違とか、人数の相違とか、あるいは名前のちよつとした綴りの間違いといつたようなものがありまして、その都度本人から請求があつてそれを訂正放送する。あるいはこれは新聞の場合にも、非常に遺憾であるというような御意見でありましたけれども、私はこれももつともだと思います。公共放送をやる立場にありますから、その誤りが公共の利益に影響し、個人の名誉を侵すと認められるものに限つて訂正放送をしてこそ、その放送が公共にも影響があり、個人の人権を尊重するということになろうことと思います。  その次は聽取料についての御質問であつたと思います。放送協会の聽取料は先ほども申し上げましたように、できるだけ低い値段ですえ置きまして、放送を全国民に聞えるようにするというのが目的であります。しかしながら先ほど水谷さんもおつしやいましたように、また世間でもよくいわれますように、放送出演者に対する謝金というものが、一般の市価よりもはなはだ低いのである。これは一方において聽取料を低く維持するということから来ておるのでありますけれども、しかしよい放送をするために、よい番組を組みますためには、すぐれた出演者を持つて来て、そうしてこのすぐれた出演者のすぐれた出演、演出というものに対しては、最小限度の謝金を拂う義務があると考えます。現在の聽取料三十五円は、すでに二年前に一般物価の改訂と同時にきめられたのでありまして、昨年中にガス、水道、鉄道運賃などみな上りました。新聞放送だけがそのままにすえ置きになつておりましたが、今年は新聞もすでに値上げとなつております。ひとりこの放送が單に手続上のことから、まだそのままとなつておるのでありますが、私どもとしては今御質問の、はたしてこれで二十五年度の放送を、国民の負託にこたえる十分の保障をもつてやれるかどうかということにについては、非常に困難であると答えざるを得ないのであります。その大きな理由といたしましては、すでに一昨年から今日では、一般の物価、人件費とか、事業費というものが、倍近く値上りを見たのであります。放送協会もまたそれに従わざるを得ないのであります。また関係方面の勧告によりまして、今までの放送に対してこれを一層、放送一つ一つ番組にバライエテイーを持たせる。一人の人が出演して十五分やるところを、二人、三人とふやして出演させてやる。従つて放送料金の單価は二倍になり三倍になる。またそれに音楽を加える。従つて作曲費、あるい音楽の出演費、これに劇の形を加える。そうするとまたそのことによる経費の増加があります。要するにこういう番組の立体化の要請から来るところの値上りがございます。次はただいま申しました一般の謝金の権衡から、作曲費というようなものの一般市価の値上りにつれて、放送協会の支拂う謝金も値上りを強制される。必要な最小限度にするためには、値上りを必要とする。また放送技術の面で、技術の改善は絶えず行つて行かなくてはならないのでありますが、これの單価がまた一昨年から今日では著しく値上りを見ております。そういうようなことから、單に現状を維持して行くだけでも、現在の聽取料金では不当になつておるようでございます。
  21. 橋本登美三郎

    橋本(登)委員 次に先ほど来から、日本放送協会には特別に恩典が與えられておるようなお話を聞くのであります。われわれは必要限度の保護規定であると考えるのでありますけれども、ただ第四十九條に土地收用法を適用できるということがあります。この問題は技術的に見て、あるいは最小限度にこうした法律があつた方がいい場合があろうとは考えるのでありますけれども、従来官庁におきましても、土地收用法を適用する実際上の場合は、ほとんどないのであります。こういう点から考えて、すでにある程度まで放送網の拡充せられておる放送協会としては、はたして土地收用法が今後とも必要と考えられるかどうか。ただこの法案としては、こういう必要もあろうと考え、あるいは公共企業体であるという性格の一部を現わす意味において、これらの條文が掲げてあると考えるのでありますが、実際上の問題として、放送協会としてぜひとも必要であるかどうか。同時にまた民間放送局としても、一応その目的は、公共の福祉のために民間放送を行うのでありますから、この土地收用法が、実際事業開始の上において、特に必要であると考えられるかどうか。その点、古垣さんと杉山さんからお聞きしたいのであります。
  22. 古垣鉄郎

    ○古垣公述人 ただいまの土地收用の條項でございますが、私も全然橋本委員と同じように考えております。現実の問題、実際の問題といたしましては、この條項は必ずしも必要としないのではないかと思います。
  23. 杉山勝美

    杉山(勝)公述人 四十九條の土地收用の條項につきましては、実際の問題としまして、民間局を企画しますわれわれとしまして、そういう場面に接しておりません。これは一に今古垣さんが言われましたように、協会が二十五年の長きにわたりまして支障がなかつたとおつしやるならば、そういう御経験の上で判断されまして、そういう條項が必要でないとおつしやるならば、民間側にも決して不都合はない、こういうように考える次第であります。
  24. 橋本登美三郎

    橋本(登)委員 最後に一つお聞きいたしたいのでありますが、日本放送協会は公共企業体でありますから、種々の税金の免除を受けております。なおまた民間放送局におきましても、新聞と同様とは参りますまいが、大体それに近いだけの恩典は受けると思う。ただ来るべき——これは私どもの委員会の所管ではありませんが、多少の関連はあるわけでありますが、附加価値税が、新聞の方はこれを免除するように今計画が進んでおるようでありますけれども、この問題は今のところは、民間放送局に関しては具体的な問題になつておりません。しかし広告税は免除せられております。この附加価値税の免除についての御意見を、杉山さんにお聞きしたい。  それから先ほど杉山さんのお話の中に、債券発行の権限を日本放送協会に與えてあることが、一つの特権のようにおつしやられました。この点はお考え違いだろうと思いますが、この問題は別でありますから、今の附加価値税の問題について御意見をお聞きしたい。
  25. 杉山勝美

    杉山(勝)公述人 ちよつと話が前後いたしますが、放送債券の方からお答えします。私は放送債券の発行を不可とすると申し上げたのではなくして、そこに三十億という線をお引きになつたのが不当ではないか。こういうように考えまして、三十億ということを法文の中におうたいになる必要はない、こういうことを申し上げたのであります。  それから税金の問題につきましては、私の方も專門の者が研究しておりますので、そういうことは資料を差上げてお答えしたい、こういうように思います。
  26. 橋本登美三郎

    橋本(登)委員 機構の問題につきましては、午後の公述人方々の中に專門家がおられるようでありますから、この問題についての御意見を聞いてから質疑をいたしたいと思いますので、一応私はこれをもつて終ります。
  27. 辻寛一

    辻委員長 飯塚君。
  28. 飯塚定輔

    ○飯塚委員 簡單にお伺いします。午前中の四人の方の御意見は、われわれの審査に非常な貴重な御意見として、参考にさせていただきたいと思いますが、先ほど杉山さんが、この法案に対して、その欠点と修正の必要のある点をお話になり、原則としては御賛成だということを伺いました。また古垣さんも、法案の第一條を御引用になつて、大体御賛成のようなことを伺いました。ただ神野さんのお話は、私ちよつと遅れて来たので結論の方だけ伺いましたが、放送法案に対しては趣旨賛成だ、ただ法案全体を通じて監督を簡素化せよというように伺いました。また多数の電波が出て混信のおそれがあるから、これを注意するようにという御意見だと思いますが、間違いないですか。
  29. 神野金之助

    神野公述人 ただいまお話の通りでありますが、ただこの法案について、いわゆる簡素化の問題でございますが、私どもこういう事業をいたしている者から感じた点でありますけれども、ことにこの放送というものは、先ほど公述人の中のどなたかお話がありましたように、その都度々々相当機敏に行つて行かなければならない性質のものではないかと思います。従つて時間的によほど前から計画することも、至難な問題があるのではないか。従つて済んだ結果を国会なり何なりによく御報告申し上げて、御批判を受けるということが、事業を運営する上において、非常にスムースに行くのではないか、また敏活に行くのではないかというような感じがしましたので、その点を申し上げたのでありますが、こまかい個々の点については、私にはあまり詳しいことはわかりません。
  30. 飯塚定輔

    ○飯塚委員 次に水谷さんに一言お伺いいたしますが、NHKは戰争中は軍部統制というような形で、非常にきゆうくつであつたが、現在は非常に改善されて、非常に明るくなつてやりよくなつた、そういうお話のように伺いました。そこで問題は二つになりますが、一つは、現在提案になつているこの法案が成立しなくとも、NHKの現在の改善された方法でやれば、それでよいという御意見でしようか。もう一つは、この法案が成立して、その運用の方法をよくやれば、新しいこの法案ができてもよいというお考えでしようかどちらでしよう。
  31. 水谷八重子

    水谷公述人 新しい法案ができましても、その運用がうまく行けば、たいへんけつこうだと思います。つまり先ほど申し上げましたような心配が起らないような、健全なものならけつこうだと思います。ただ、ただいまの放送のままでよいかとおつしやれば、それは番組のことでございましようか、それともいろいろな運用の方のことでございましようか。
  32. 飯塚定輔

    ○飯塚委員 前のお話の中に、戰争中はNHKへ出ましても、非常にやり方が統制されたというか、きゆうくつなやり方だつたが、そのきゆうくつなやり方が戰争後非常に明るくなつてやりよくなつた。そういつたお話のように伺つておりますから、今の新しい放送局ができて、いろいろなトラブルが起る。それを恐れて、むしろ今の改善されたNHK放送一本で行つた方がいいというような意見にも聞きとれましたものですから、その点をお聞きしたのです。
  33. 松本善壽

    ○松本(善)委員 公述人の方にはたいへん御苦労様でございますし、時間にも制限があるわけでありますので、なるべく時間を嚴守いたしまして、皆さんの御迷惑にならぬように相努めたいと思います。従つて簡單にお尋ねいたしますから、どうか簡單に要領よくお答え願いたいと思います。  まず最初に水谷さんに忌憚ないお答えを願いたいと思いますのは、現存放送をやつておりますNHKにおけるところの設備が、比較的芸術を高度に発揮し、満足し得るところのものであるか。この設備のいかんということについて、現在ありますところの設備はどうであるかという忌憚ない御意見を伺いたいと思います。
  34. 水谷八重子

    水谷公述人 ただいまの放送局のままで決していいとは存じません。もつといろいろな設備も完備されて来れば、もつと向上したものがやれると思います。けれども放送局へ何べんも行つてみたりしておりまして、現在のこの状態では、今のを最善に使つて行くよりしかたがないのだろうと思つて、同情を持つているくらいでございます。
  35. 松本善壽

    ○松本(善)委員 しからば水谷さんにもう一点伺いたいのでありますが、先ほどNHK会長さんからも答えられたように、みずから認めておるところの薄謝という問題でありますが、現在やつておりますところの放送局のいわゆる薄謝というものは、一流の芸能人であるなれば何分に幾ら、こういうことを先に古垣会長の方からお尋ねして、しかる後に水谷さんにお聞きしたいと思いますが、まず最初に放送局現実に支拂つておりますところのいわゆる薄謝なるものが、どういう基準でやられておるのか、これは一流の芸能人について簡單に御説明願いたいと思います。
  36. 古垣鉄郎

    ○古垣公述人 非常にむずかしい問題です。一流の芸能人につきましても、各種類によつて非常に段がある。それで数字等については私今宙に覚えておりませんから、調べてお知らせしたいと思いますが、要するに二年前三十五円の聽取料がきまりましたときに、市価と見比べまして、この辺が妥当であろうということを一人々々について検討いたしまして、そうしてきめたのであります。またその芸能人自身も市価に上下があり、また技術にも高下が起つて来ますから、それがマンネリズムにならないように、定期的にみんなで検討してやつて来ておる次第でございます。薄謝ではありましても、決して今日の公共の放送に対しては不当のものではなかつたのです。三年前に二倍半以上にその前の値段を上げております。それが今日非常に問題になつているわけであります。
  37. 松本善壽

    ○松本(善)委員 古垣さんの御意見も一応は納得でき得るものでありますが、了解に苦しむものであります。  しからば水谷さんにお聞きしたいのでありますが、非常にあいまいな会長の回答であつたので、料金もおそらくあいまいにいただいておることであろうと思うのでありますが、しからば市価のたとえば三〇%、いわゆる五割とか三割というような数字であるかもわかりませんけれども、しからば大体芸能を犠牲にしないまでに、好意をもつて放送局に馳せ参ずるような料金は、芸能家としてどういう数字が出ますか。あなた方は、もちろん自分の考えでもありますが、一般的な芸能人としてどれぐらいいただいたなれば、好んで行くことができるか。忌憚ない御意見を承りたいと思います。この点については民間においても今後大きな問題になります。たとえば同僚の橋本君からもあつたように、野球の二の舞いをするような面がしばしば考えられますがゆえに、忌憚ない御意見が御発表いただければ、私としても非常にけつこうだと思いますので、どうか忌憚ない御意見を簡單に、率直にお答え願いたい。
  38. 水谷八重子

    水谷公述人 どうもむずかしいことなので、数字を出してお返事申し上げることはちよつとできかねると思います。それに放送をもつてつている方と、私のように舞台をもつてつておりまして、放送は今のはやりのアルバイトとでも申しましようか、そういうことになつております者との違いもございますし、どこを標準にして申し上げてよろしいか、それはわかりません。また同じ放送でも、劇を放送いたします場合と、二十の扉とか、対談とか、訪問とか、そういう時々に応じて違いますから、どれをもつて標準としてよろしいかは、私たちにはまだわかりません。
  39. 松本善壽

    ○松本(善)委員 水谷さんに重ねてお伺いしたいのでありますが、あなたは芸能人として、芸術家としておありでありますがゆえに、二十の扉に出られた人として私どもは受取つておりませんので、その点あなたが一流の芸能を代表しておられる立場においてお答え願いたい。
  40. 水谷八重子

    水谷公述人 私はただいま申しましたように、舞台の方が主でございますから、今まで放送局に対してどれだけくださいと要求をしたことは一度もございません。ただあちら様がくださるのを黙つていただいて来ているだけなので、俳優と申します者は、自分の芸を評価して、その値がきまるようなものでございますから、その自分の値段はなかなかおつしやらないのです。ですから、はたの方がどれだけとつていらつしやるのやら、また自分のも人に申しませんから、どれが標準なのか、さつぱりわからない。ですからそういつた場合に、もしも競争会社ができた場合、だれでも少しでも多い方がそれはいいのですから、芸術的良心が少いとか、またそれを何かでごまかされた場合に、悪い道へ落ちて行くことが一番こわいのです。ただそれだけで、その標準の値段は何と申し上げてよろしいか……。
  41. 松本善壽

    ○松本(善)委員 ただいま薄謝の問題でありますが、この点について杉山さんにもお尋ねいたしたいと思いますが、はたしてあなたも薄謝ということをお認めになつておられるのか。今後人間を犠牲にしてということは失礼でございますが、薄謝という考えをあなたはしておられるかどうか。そうしたならば、あなたとして今後民間放送に携わられる場合において、パーセンテージでけつこうでありますから、どの辺が妥当であるかというお考えがもしもおありになれば、聞かせていただきたいと思います。
  42. 杉山勝美

    杉山(勝)公述人 民間局を企画いたします当初、並びにそれより前に研究いたしました当時に、いろいろ各方面の意見をお聞きしたことがございます。特にNHKの專門の方につきましても、いろいろその経理内容をお伺いしたことがございますが、どうも全部ふたをあけてお話にならない。そういう関係上、これがほんとうに当つておりますかどうかということははつきりいたしませんが、私は薄謝ということはもはや認めておるわけでありまして、たとえば二十三年度と思いますが、二十三年度に協会が薄謝として拂われましたものは一億円以下、八千万円ぐらいと聞いております。その当時の協会の全体の收入は三十億円近く、その中で一億円足らずのものが薄謝として出されておる。私の調べましたところではそういうようになつておる。そういう面から見まして、三十一億に近い收入のうちの三十分の一が謝礼だということであると、これは少くとも三倍ないし五倍に上げるのが至当ではないか、こういうように考えております。
  43. 松本善壽

    ○松本(善)委員 その薄謝の件については、一応了承いたしました。  次に、経営委員会委員について、神野さんからも御意見があつたようでありますが、まず神野さんに、この法案によつて生れる委員はこうあつてほしいという御希望か御案、具体的なあなた方のお考えがおありになれば、この際参考のためにお聞きしたいと思います。
  44. 神野金之助

    神野公述人 私は委員の選定方法についてお尋ねでありますから、自分の感じを率直に申し上げますと、基礎が地域的にきめられております。それから文化、科学、産業と並べて、職域に対しても考慮するというようになつております。そこで国会において御選定になる上に、非常に御困難があるのではなかろうかと考える点を簡單に申し上げますと、地域的に常識の非常に発達した人と申しますか、全般をながめて、経営その他運営の面において有能な常識の発達した人を第一にお選びになつて、それをもつて基礎とするのが一番いいのではないか。それから放送の基本をきめることになつておりますが、そういうことをその委員会において、各種の芸能というか、芸能ばかりではなく、職域において、地域別でもけつこうでございますが、そういう特殊な專門的な機関をつくつて、そこに諮問をして、その意見を徴して、経営委員会において放送の基本條項をとりきめるというふうにして行けば、專門的なものになるのではなかろうか。芸能のこともありますけれども、芸能人ははたして経営というものに堪能であるかどうか。それからそういう点が少しどちらかに偏するのではないかというような感じがしております。お尋ねがありましたから、自分の思つたままを申し上げます。
  45. 松本善壽

    ○松本(善)委員 古垣さんも一時のお約束だそうでありますゆえに、まず古垣さんに対する件を二、三やつてみたいと思います。先ほどの協会に対する監査の件でありますが、御承知のように法案によりますと、会計検査院がこれに当り、国会に提出する。こういうことに相なつておりますが、しからばあなたは、現在やつておる制度と比較されてそれを言つておられるのか。あるいはどうしてもそういう方式にしてやらなければ、今後の放送局のあり方として発展して行かない。ことに民間放送というものができておるのだから、手をゆるめてもらわなければならないと考えられるのか。この二点のどちらであるかお伺いしたい。
  46. 古垣鉄郎

    ○古垣公述人 今おつしやつたあとの方の点であります。
  47. 松本善壽

    ○松本(善)委員 この点について、杉山さんの御意見をお伺いいたしたいと思います。
  48. 杉山勝美

    杉山(勝)公述人 先ほど公述いたしましたように、私は会計検査院の検査は一向さしつかえない。これの経理が非常に公平妥当であり、また正しく経営ができておるような場合には、進んで公開してもさしつかえないと思つておる関係上、その点はけつこうである、こう思つております。
  49. 松本善壽

    ○松本(善)委員 重ねて杉山さんにお尋ねいたします。もし協会に対して政府の保護が與えられたとした場合においても、やはりあなたは同様なお考えをお持ちになりますか。
  50. 杉山勝美

    杉山(勝)公述人 これも公述いたしましたように、保護があればあるだけ、そういう監督、監査は嚴重でなくちやならぬ。逆に申しますと、そういう監督、規制を受けないならば、保護規定をなるべく少いように訂正するのが本来ではないか。こういうように申し上げた次第でありまして、保護規定があればあるほど、検査は嚴重であるのが当然であると思います。
  51. 松本善壽

    ○松本(善)委員 古垣さんにお尋ねいたします。法案の第四章に罰則規定があることは御承知だろうと思います。現実におきましては、役員も職員も同じにこの規定が適用されると思うのでありますが、私といたしましては職員に対してこの罰則を適用するのは、論外のことであると考えております。しかしながら過去において放送局でこうしたことがあつたかどうか、またあり得るような仕事をさしているのかどうか、この法案とは別個に、現在NHKにおいてやつている実際のあり方を御説明願いたい。
  52. 古垣鉄郎

    ○古垣公述人 私もこの罰則の適用が、役員のみならず職員にまで及ぶということには、反対の考えを持つております。これは役員に限られてしかるべきだという考えでございます。といいますことは、職員が過去においてそれと類似のことがあつたからというのでは決してない。むしろそれと反対であります。ことに公共的な仕事をやる放送事業におきましては、いろいろの誘惑がございます。従いまして私どもはそういう点は、非常に嚴重に取締つて参つたつもりであります。そうして私の知る限りにおいて放送局の職員は、内においても外においても、決してこういう罰則に当るような、また罰則を必要とするような行動をとつていないことをはつきり申し上げます。でありますから、放送のような敏活を要する仕事において、ことに放送とかこういう方面において、こういう罰則のあることは不名誉なことである。放送自由人としてこの罰則は、職員からはずしていただきたいと思います。
  53. 辻寛一

    辻委員長 大分時間も経過いたしております。
  54. 松本善壽

    ○松本(善)委員 経過いたしておりますがゆえに、私も一応打切りたいと思います。
  55. 受田新吉

    ○受田委員 水谷さんはお帰りになつたので、水谷さんに対する質問は省きます。先ほど四人の方の公述なさつたことは非常に真劍で、それぞれの立場より私たちを啓蒙していただいたことを感謝します。去つて行かれた水谷さんは、特に文化人として非常に良心的な意見を述べておる。この点においてもわれわれ非常に学ぶべき点が多かつたと存じます。今ここにお残りいただいている民間放送の権威であられる方と、それから現在のNHKの最高責任者のお二方に、ちよつと基本的な問題についてお尋ねしてみたいと思うのであります。これはこの法案を通すことによつて民間放送がここに考えられたのではあるが、このままでは民間放送発展させるのに非常に困るという御意見であつたと思いますが、杉山さんの場合は、聽取料の取立てその他の規定を設けてないこと、それから現在の周波数並びに受信施設をもつてしでは、民間放送の伸びる範囲が非常に狹いという懸念を持つておられましたが、この法案が通つたとしても、この法案の幅において十分民間放送発展するという熱情を持つていらつしやるのであるか。これがこのまま通つた場合には、非常にきゆうくつな形になつて、前途が暗澹とするという不安を持つておられるのか。この点においても特にあなたの確信ある御意見をお伺いしておきたいと思います。  もう一つ、古垣さんは現在における放送の当面の最高責任者でいらつしやいますので、その尊い体験を通しての意見を述べておられたのでありますが、この法案をこのままで通しても、民間放送は十分自由の立場で伸びて行けるであろう。公共企業体としてのNHKとそれから民間放送とは、両立するものであるという確信を持つていらつしやるか。これは非常に基本的な問題でありますので、お二方にお尋ねしてみたいと思うのであります。
  56. 杉山勝美

    杉山(勝)公述人 民間局を開設いたしまするにあたりましては、各方面をいろいろ審査いたしまして、愼重審議の結果、非常な覚悟を持ちましてわれわれは立上つておるのであります。そういう関係上、前途に非常な不安を持つておる、これも事実でございます。またこの法案が成立いたしましても、このままでございますれば相当の困難性があるということは覚悟しておるのであります。しかし先ほども公述いたしましたように、全然成立たぬという議論をなされる方が、民間の企業者の中にもあるのでありますが、それには賛成したくない。すなわち前途は非常に暗澹としてけわしい。しかしこれを乘越えるところの熱情とパイオニアの精神、これだけは持合せておる。この精神だけではやつて行けない。結局赤字というものは相当出ることを、現在予想しておるのであります。しかしその赤字が非常な大きなものであるか、あるいはそれほどでなく、われわれの資金で、またわれわれの腕で、それを防げるかどうかということにつきましても、満幅の確信は持つておりませんが、まあ三年なら三年というくらいのところは、相当な赤字でも乘切れる。こういうことの資本のバツクとか、そういう精神を持つた人々をかき集めまして、この民間放事業をやつて行きたい。こういうように考えるのでありまして、法案ができましたならばたちまち黒字になる。こういう甘い考えは持つておりません。非常な赤字である。しかし三年で赤字が累積いたして、各民間放送が共倒れになるという場合には、この立法に当られた方がこの法案をよき方に改正してもらいたい。この点は現在から非常な期待を持つておるのでありまして、ぜひともひとつお願いいたします。
  57. 古垣鉄郎

    ○古垣公述人 私簡單にお答えいたします。私どもの最大の関心は、国民全体の放送がこの法案によつて犠牲をこうむらない。少くともこの法案目的とする国民に対する侵害がないようにしたい。つまり聞えないまうなところがあつたり、また聞く番組が低下する、昔が悪くなるということがないように、監視をいたしておるのであります。その見地からこの法案を見ますと、いろいろ技術的に意見はございますが、原則的にこれで最低限度の公共の利益が保障されると考えます。他方御質問の焦点である民間放送につきましては、これは広告業者あるいは民間の企業者が利用なさるのでありますから、その努力とその計画のよしあしにかかることでありまして、門が開かれてあつて、それからはその努力次第によつて発展もし、あるいはその発展がそれほどでないということもあり得ると考えます。
  58. 受田新吉

    ○受田委員 古垣さんの御意見国民のすみずみまで、国の津々浦々に至るまで、あらゆる階層、あらゆる地域を通じて、放送公共性を強調される点が、この法案に特に要請されておるということは、私非常に賛意を表するのでありますが、特に今の日本文化を高めるという立場から、山間僻地に至るまでこの受信施設が完備して、中央放送地方放送が適宜聞かれるようにありたいと思うのですが、この法律が規定されても、ほとんど影響のないのは、やはり山間僻地とか島とかいうところです。こういうところが相当の地域にわたつておると思います。この間種子島で民間放送を特殊の技術者がやつておるということを聞きまして、非常にうらやましく感じたのですが、ああいう電気の施設のない島などというものは、全国に非常に多数あるけれども、ほとんど放送の効果を受けておりません。そうして電気の引いてない山間においても同じことです。こういう点については少し——今度はこちらの政府の責任になるわけでありますが、放送当事者としてはでき得べくんばそういうことを十分考えて、この法案を生かす道に努力していただきたい。  それから民間放送の場合に、今度は杉山さんのお立場でありますが、先ほど放送は三分の二というものは公共性を持つのであるが、この点においては協会と待遇をあまり差別して来られては困るという御意見がありました。私の公共性というものを協会の場合と比べると、非常に範囲が狹くなるおそれがありはしないか。つまり公共性を持つ協会の場合は、非常に大きな立場で動く。民間放送の場合は、特殊の官の力を借りるということなくして、独創で行くという立場から特殊な、公共性が片寄るおそれがないか。これが少し心配であります。それとその公共性の部分に対する聽取料ということをお考えになつておられたようですが、そういうことは技術的に、放送公共性の部分に対する徴收は、それは分割してもらうということに対する技術的な観点というものを、ちよつと御説明していただきたい。たとえば五円をわけてもらうというような、そういう計算の基礎はどこにあるかということ、このことをお尋ねしたいと思います。
  59. 杉山勝美

    杉山(勝)公述人 三分の二が公共放送だ、公共的性質を持つた放送であるということを申し上げたのでありますが、それに対しますところの割合というものが、どこに出るかということは、結局これは法文に特に三十五円と明示されておるようには行きませんので、たとえば全国におきまして何局が許されるか。その何局がどういう規模であるか。そういう方面から逆算して、それに要する諸経費というものの大体の目安がつくと思うのであります。それからそういう目安がつきますれば、それを現在のNHKの八百三十万の聽取者に割当てて、これが二円になるか三円になるか、こういうようにきめて行く方法がとれるのじやないか。また初めからたとえば五円というような仮定の数字を出しましてその数によりまして、大体各民間局が維持できる費用を按分する。それ以外に広告放送がありまするから、広告放送から入りまするところの経費にプラスいたしまして、大体腰だめ的に五円なら五円というような数字を先にきめて行く。こういう二つの方法によりまして、大体二円なり、三円あるいは五円というような数字は出て来るのじやないか、こういうように考えておる次第でありまして、たとえばまたその一つの根拠といたしまして、この四月から以降、鉄道の通行税が廃止になります。そうしますとこれが年間二十六億円の金が余つて来るわけでありますが、国鉄の方ではそれほど鉄道の運賃を下げるかと申しますと、鉄道運賃は全然そのままにすえ置きにいたしまして、サービスの改善に向けて行く。こういうことから考えますと、先ほど申し上げましたようにその五円なら五円とりました一部を民間局へ配付する。その残額というものを放送技術の改善の費用に広く使うということにおきまして、民間局のないところからとる不公平がないことになるのじやないか、こういうように考えておる次第であります。
  60. 受田新吉

    ○受田委員 これで質問は終ります。水谷さんがおいでになりますが、私特に文化人としてのあなたの放送に対する御見識を先ほどから非常に感激してお聞きしたわけですが、芸術家が良心的に動く場合に、放送などによつてその良心が曲げられるということです。これはこの法案とちよつと離れるようでありますが、非常に貴重なる問題でありますので、特にここへおいでいただいた目的は、そこに重点があると思います。自分の意図にない立場で放送しなければならぬような場合、また実演をする場合に、ここで一緒にやりたいという地域がある。こういう場合に進んで出てやりたいというようなことをお考えになつても、いろいろな関係文化に惠まれない地域には、再びお伺いできないというような事態が起きると思うのです。こういう場合に放送というものは非常に公共性を持つて来る関係上、先ほどお話になつた点で民間放送のよく行われる地域は、現状では都市が中心になると思う。非常に文化の低いいなかの方は、やはり公共性を持つ協会の方の放送が中心になると思いますので、山間僻地、農村というようなところは、公共性に大した現状の変動はないのじやないかと思う。それともう一つ、芸術をほんとうに生かす立場から、放送のプログラムなどで、自分の意図にないことをむりにしなければならぬというような場合に、その良心を尊重されて、これを拒否されるというような場合も起きると思うのですが、こうした場合に、先ほどの御説のごとくに、できるだけ文化を高めてやりたい。料金をとらないようにして、多くの人に文化の潤いを與えてやりたい、こういう芸術的な良心を生かしていただくことによつて放送技術の欠陥が補えると思うのです。私は放送というものは一つの技術であり、放送するそのものは非常に高い文化規範であると思いまするから、この法律そのものが一方においては文化法であり、一方で言うならば一つの技術的な法律でしようが、特殊な法律である関係上、芸能人としての御感覚がよほどお迷いになつておるだろうと思うのですが、非常に良心的な御意見であることにおいて、先ほど来非常に謹聽したわけです。その点をお礼を申し上げておきます。
  61. 辻寛一

    辻委員長 それでは江崎君。御質問は古垣さんらしいのですが、古垣さんは午後一時からどうしても出かけなければならぬ御事情があります。時間が経過しておりますから、簡單にお願いいたします。
  62. 江崎一治

    ○江崎(一)委員 それでは古垣さんにお尋ねしますが、この法案によりますと、現在の社団法人である日本放送協会が、実質的にそのまま新しい日本放送協会に移つて行く。こういう形でありますので、特にお伺いしたいと思うのです。この放送法案の第一條第二号によりますと、「放送の不偏不当、真実及び自律を保障することによつて放送による表現の自由を確保すること。」こういうことがありますが、今までの放送協会ではこの法の精神に一致しておつたか、あるいは多少ずれておるか、その点についてお伺いしたい。
  63. 古垣鉄郎

    ○古垣公述人 簡單にお答えをいたしますと、放送協会はこの精神に沿つております。私どもはいずれの権力、いずれの勢力にも偏しないで、放送を中立の立場からするということに全力を盡して参つております。
  64. 江崎一治

    ○江崎(一)委員 もう少し詳しくお話を願えないでしようか。
  65. 辻寛一

    辻委員長 それで大体はつきりわかるのじやありませんか。
  66. 古垣鉄郎

    ○古垣公述人 それでおわかりだと思います。
  67. 江崎一治

    ○江崎(一)委員 それではお伺いいたしますけれども、これは日本評論の去年の九月号に載つておつたのです。ルポルタージユの中にあるのですが、銀座の松坂屋わきで行われた街頭録音、あなたの家計簿はどうなつておりますかという題なのです。そこでこの録音放送をわれわれ聞いておりますと、非常に苦しいけれども何とかやつて行けるというような意見を述べる人が、どんどんピック・アップされておる。しかしながら実際にとつてみた中から、特に非常に生活の苦しさを訴えておるというようなのは、取上げておらぬのです。きまじめ過ぎておもしろくないからでしよう。こういつたような理由によつてバツになつておる。たとえば麦わら帽子をかぶつた首相な男がおる。この人が、物価は数百倍に上つたけれども、私の給料は昭和十五年に対して百倍あるいはそれ以下である、だから非常に苦しい、こういうことを言つております。また女事務員が、まつたく赤字そのものである、着物一枚買いたくても買えないし、映画を一度見たいけれども、それも思うように行かれないと言つておる。そのほかいろいろ生活の苦しさを訴えておる。これは全部バツ。こういうような編集方針を指導しておられるのかどうか、その点をひとつお伺いしたい。
  68. 古垣鉄郎

    ○古垣公述人 そういう編集方針は指導しておりません。それから人間のやることですから、人間的ないろいろの批判の余地はあるだろうと思いますけれども、編集については編集の自由独立というものを持つておりまして、編集者が十分良心的にやつておることだけを申上げておきます。
  69. 江崎一治

    ○江崎(一)委員 ではもう一つ反証をあげたいと思うのですが、これは実はぼく自身のことです。私滋賀県選出ですが、滋賀県選出の代議士が全部集まりまして、これで三分間の録音放送をやろうという計画NHKでなされた。このときちようど下山事件、三鷹事件のはなやかなときでありまして、これについて共産党の見解、これはデマであるということを三分間にまとめた。そしてこれをJOBKに持つて行つたところが、なかなか原稿についてOKと言わない。編集部長に何回も何回も会い、そのあと使いの人が往復した。これはあなた御存じの通り、今非常にきゆうくつです。特にあなたの党に対しては、その点がやかましゆうございます。何とかこれはひとつ撤回してもらえぬだろうか、こういう話であつた。これはほんとうのことですよ。とにかくあなたは滋賀県から出ておられるのだから、滋賀県の話をしてもらえぬだろうか、こういう話です。そこでそんなら話をしよう。保守党から特に名を引きますが、保守党と叡山の坊さんの話をしようか。坊さんは極楽に行けぬという話をしようかと言つたら、それもどうも困る。それで一体あんたは国会議員を県会議員並に扱うのか。こう居直つたら、そうしたらやつとのことで、この下山事件、三鷹事件に対する三分間の録音放送が、大分修正されて許可されたという事実、これはほんとうのことですよ。たいへん申訳ないけれども、これは御存じの通りたいへんきゆうくつです。こういうことを言つておる。これは一体どういうことですか。
  70. 古垣鉄郎

    ○古垣公述人 たいへんおもしろく伺いましたけれども、別に御返事する必要はないだろうと思います。あなたが御経験になつてお話になつたその通りだろうと思います。われわれとしては常に中立を持し、不偏不党でやつて行く……。
  71. 江崎一治

    ○江崎(一)委員 今のお答え、非常に私不満足なんですが、大分むずかしい注文かもしれませんが、非常にやかましく言つて来るところがあると言つておる。それはあなたが言つているのですか、どなたが言つているのですか。
  72. 古垣鉄郎

    ○古垣公述人 私は初めから申し上げている通り、私どもとしては常にここにも「放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによつて放送による表現の自由を確保すること。」ということが出ておる通りに、今までもこの方針でやつて来た。しかし私が不肖であつたり、従つて同僚において神様のようにできないこともあるかもしれません。あつたかもしれません。それは御了承を願いたいと思います。私としてはそれ以上つけ加えることのないように思います。今のお話おもしろく、新しく伺いました。
  73. 江崎一治

    ○江崎(一)委員 この問題については、これ以上追究をいたすことをいたしません。去年放送で、盛んに株式の民主化ということを宣伝された。そうして家庭の御婦人もどんどん株を買うてください。労働者も株を買つて、株主の労働者になりなさい。どんどん株の民主化ということで株を買つた。そのあげくの果、株の大暴落、株を買つた人はえらい損をしたのだけれども、政府のちようちん持ちをして、国民大衆にこんな大きな損害を與えたことについて、NHKはどう考えるか。
  74. 古垣鉄郎

    ○古垣公述人 この問題は、私も何をお答えしていいかわからないのですが、われわれは公共放送をやつておりますから、公共的な放送として、必要を認められてする放送はございます。しかしそれだからといつて、全然責任を他に転嫁する考えはありませんけれども、まだ問題は終つていないと思う。それだけに責任をやはりそれぞれ感じて、そうして株の問題だつてこれで下つてしまつて国民が損害をしてしまうのではなくて、すべての産業国民が参加するという趣旨でやつておられることだろうと思うので、まだ問題は終つていない。これをよくして行くように、みんなで努力したらいいんじやないかと思つております。
  75. 江崎一治

    ○江崎(一)委員 従来もこの放送委員会を活用しておられるかどうかということと、特にこの放送法案に対して、この放送委員会意見を聞かれたかどうか、これをひとつお聞きしたいと思います。
  76. 古垣鉄郎

    ○古垣公述人 放送委員会はもう仕事を円満に終つて、解消したものと思つております。
  77. 江崎一治

    ○江崎(一)委員 最後に水谷さんにお伺いしたいのですが、いろいろ劇団の人のお話を聞きますと、こういう放送劇に、こういう出し物をしたいのだけれども、こういうわけで相談するというと、これはちよつと困る。そういうことを言われるかどうか。またいろいろなせりふの言いまわしでも、ここはこういうように創つてもらわなければいかぬということがあるかどうか。それをお伺いしたいと思います。
  78. 水谷八重子

    水谷公述人 戰前、戰時中は盛んにありました。言いたいせりふも言えませんし筋もかえられたりして、きゆうくつなことが盛んにございました。戰後はそういうことは一切ございません。来ました台本は、台本通り放送できます。
  79. 辻寛一

    辻委員長 田島君。
  80. 田島ひで

    ○田島(ひ)委員 大体江崎さんの質問がありましたから、ちよつと関連したところを念を押しておきたいと思います。この法案は、先ほど杉山さんからお話がありましたように、良間放送に開放しておりますが、事実はなかなか民間企業ができないようになつている。小さな日本の資本でつくるといたしましても、これは容易じやなく、何か莫大な、特別な資本を持つたバツクでもあれば特別といたしまして、できましたところで、この電波監理委員会が生殺與奪の権を持つておりますから、結局これは街頭の広告放送とか、あるいは雑誌や映画で見ますような低級なエログ口の民間放送に堕する以外には、民間放送としてはこの法案では効果はなかろうと思う。今後あるいは特別な資本が入つて来るかもしれません。そのことは別として、結局いたしますと、今のNHKの独占強化が、この法案でなされようとしている。その点で單一独占的な放送が、必ずしも民主的でないという御意見を古垣さんが述べておられましたが、私も同意見であります。しかしこの法案によりますと、一層独占強化になります。古垣さんの御意見では、国民奉仕のサービス機関として、自主性を今後持たれるかどうかについて、私疑念を持たされました。江崎さんも御質問になりましたけれども、今の放送協会のやり方につ  いて、自主性をお持ちになつておられるかおられないか。この点をはつきりお伺いしたいのです。具体的な例を二、三おあげしてもよろしいと思います。たとえば先ほどの債券の問題にいたしましても、放送局の自主性の立場からなさつておられるのか。私の例を申しましても、私あまり出ませんが、一、二回出ましたときには、いろいろつまらないことでも制限されております。そういうことは放送局が自主性をお持ちになつておられるのかおられないのか。もし持つておられないといたしますと、これが一層今度の法案によつて独占強化されまして、戰争中のあの放送の統制というようなことを懸念いたします。その点のお答えをはつきりお願いしたいと思います。
  81. 古垣鉄郎

    ○古垣公述人 終戰以来NHK放送は非常に大きな自由が與えられまして、政府の干渉等もなく、日本の現状において自主性を持つてNHK放送をいたしております。
  82. 田島ひで

    ○田島(ひ)委員 つけ加えておきますと、先ほども債券の例が出ましたが、あれも政府なり証券会社のあれがなしで、NHKの自主性でもつて完全にやつておいでになるのか。われわれに対するいろいろな制限も、あなたの方の自主性でおやりになつていると断言できますか。
  83. 古垣鉄郎

    ○古垣公述人 日本の現状において——日本の現状がどういう現状にあるかということは、私から申し上げるのはむしろこつけいだと思いますが、現状において自主性を持つてつており、私どもの責任であります。
  84. 田島ひで

    ○田島(ひ)委員 そういたしますと、現在の状態にあつては、やはり別の意味で解釈いたしますれば、ある一定の制限を加える。そういうことが今度の法案の中に法文化されている。そういうふうに解釈してよろしゆうございますか。
  85. 古垣鉄郎

    ○古垣公述人 それは意見の相違であると思います。
  86. 辻寛一

    辻委員長 それではこれにて暫時休憩して、午後二時より再開することにいたします。     午後一時十九分休憩      ————◇—————     午後二時十二分開議
  87. 辻寛一

    辻委員長 休憩前に引続き公聽会を開きます。  それでは阿部眞之助君にお願いいたします。
  88. 阿部眞之助

    ○阿部公述人 私は法律のこともよく存じませんし、ことに放送の技術のことについても一向よく存じていませんので、私のこれから申し上げることは、大衆の心持というか、大衆のセンチメントを申し上げるので、議論にはならないかもしれないのであります。しかしこの場所は大衆政治家によつてものを議せられるところなので、大衆のセンチメントを基礎にしてこの法案を御審議していただきたいと思います。それでなければいわゆる條理を盡した案にはならぬだろうと思います。そういう意味で私は大衆の心持を申し上げるわけであります。もちろん私が大衆を代表するとか、そういう意味でなくで、大衆の一人としての心持であることは申すまでもないことであります。  私は初めこの案が出ると聞かされたとき、先ほどもある委員が言われた中に、自由競争の原則という言葉があつたのでありますが、そういうふうな意味合いでこの法案が提出されるのではないか、かように理解しておつたのであります。ところが法案を拜見しますと、必ずしも自由競争の原則というものが全面的に取上げられてないようであります。といつて従来あつたような統一的の、そういうふうな原則でもないわけであります。いわば先ほど古垣君も言つたような、二重的の原則によつてこの案が取上げられているように思うのであります。一つはいわゆる公共放送一つ商業放送、こういうことになつておる。先ほど来公共ということはどういう意味かということが、盛んに論議されていたように拜見しましたが、私にわからないことは、一体公共的とは何ぞやという基本観念について、はなはだ不明確なものがあつたように受取れたのであります。ある委員の方からは、民間放送だと非常に公共性の幅が狹くなるというような御議論もあつたようでありますけれども、実をいいますと、今のような政府もしくはある公共団体が経営するがゆえに公共放送であり、民間の事業であるがゆえに非公共的であるという見解は、実は私はたいへん形の上にとらわれた議論のように理解されるのであります。民間人が経営するものはみな非公共的であるという議論の非根拠的なものであることは、それならば新聞というものはすべて民間人の経営になるものであるから、新聞公共性というものはないかというと、そうではない。逆を言うと、従来の経験によると、ある公共団体もしくは政府によつて経営されるものが、かえつて非公共的であるという場合がはなはだ多い。公共の名によつて民間を圧迫し、大衆を圧迫したという例は、この戰争以来われわれは耐えきれないほど味わつて来たところであります。ただ單にある公共団体の経営なるがゆえにこれが公共的である。ある民間会社なるがゆえに非公共的であるというようなことは、まことに私は理由にならぬことだと思う。何が放送の公共的であるかということは、放送内容によつてきまることであります。どういうことを放送すれば公共的であつて、どういうことを放送すれば非公共的であるかということで、そのものがきまるのに、放送内容がどういうものであるかということを、この法案一つもうたつていない。放送協会の方の要綱を見ると、放送協会は公共的の放送をやる、公衆とか公衆社会の福利のために放送するといいますが、それなら民間の事業は公衆の福利をまるで無視してもかまわないか。私はそんなものじやないと思う。いやしくも民間放送といえども、公共の福利を眼中に置かないような、一切のそういう放送は、経営者の公共団体であると民間団体であるとにかかわらず、私は非公共的の放送なりと言わざるを得ない。ところで放送内容を見ますと、この法案には何も書いてない。どういうことを放送することが公共的であるということが説明されていない。おそらくは民間放送協会放送が始まつた場合においては、内容はあまりかわらぬものができて来るだろうと思う。浪花節のようなもの——というと浪花節語りの人にあるいは怒られるかもしれないけれども、浪花節のようなものでも、放送協会がやれば公共的の放送であつて、同じ浪花節が民間の業者によつて行われた場合には、それは非公共的のものであるというような解釈は、私は成立たないと思う。この点についてこの放送法案は何も語つていない。ただ経営が民間人であるか法人であるかということだけの区別によつて、一方を商業的といい、一方を公共的と称しているだけで、これは言葉のあやであつて公共性の何ものであるかということの実際上の解釈にはならぬ、かように存じています。  先ほど朝日新聞を代表された——というよりも朝日放送会社ですが、その方によると、三分の一は広告放送だから、それは非公共的かもしれないけれども、あと三分の二は公共的だというお話がありましたが、私は非常に奇異の感に打たれた。三分の一の広告といえども、公共的なものでなくてはならぬと思う。現に日本新聞は、というよりも世界中の新聞は、広告のために非常に多数の紙面をさいておる。こんなにたくさんの広告を入れているために、それらの新聞がすべて非公共的であるかというと、そうではない。それなら入つておる広告の面だけは非公共的かというと、私はそうは見ない。広告といえども、私は非常に重大なる公共性を持つていなければならぬだろうと思うのです。この広告は従来は、ことに日本新聞においては、非常に非良心的に扱われて来たということはあるのです。しかしながら本来の広告そのものは、実に現在においては欠くべからざる重要なる公共的の仕事であると思う。ただ單に広告者が自分の営利のために広告するという、そういう解釈を持つということは、私は広告に対するたいへん古くさい考えだと思う。私は広告業者を代表して言うわけでも何でもない。広告というものは、新聞の記事と少しもかわりのないものだろうと、私は解釈しているものです。従つて新聞紙に掲載したところの広告に対しては、新聞社は全面的の責任を負うべきものであろうと思う。アメリカあたりにそういう新聞が非常に多い。ここには新聞記者の諸君もたくさんおりますが、クリスチヤン・サイエンス・モニターのような、キリスト教支持の非常に道徳的に潔癖な新聞は、不道徳だときめられる一切の広告は排している。酒の広告、タバコの広告、その他怪しげな映画の広告、すべて自分の考えで責任が持てないような一切のインチキ広告は、紙面に掲載することを拒絶しておる。そうまでならなくても、少くとも新聞広告については、もしくは新しく生れるべき放送局というものは、広告に対しても公共的の責任を感ずべきものだろう。これによつて日本の正しい商人が繁昌し、正しくない商人が淘汰されて行くというところに、重要なる役目を果すと同時に、広告を見ることによつてわれわれはいろいろな生活に必要なことを知ることができる。こういう方向を民間広告放送会社というものはとるべきものであろう。またとらせるように仕向くべきものであろうと私は思う。そうしてみたならば、民間放送協会による放送というものの間の、どれが公共的であるか、だれが非公共的であるかということの区別は、なくなるだろうと思う。  案ずるに、この原案の作者が、協会というものと二つのものを持ち出したということは、午前中どなたかおつしやつたように、ある政治的の意図がある。こう考えられても私はしかたがないことだろうと思うのです。従来放送協会というもののあり方を見ていますと、あそこがいわゆる逓信官僚の巣窟になつておる。この巣窟を温存するために、ああいうふうなものをでつち上げたのじやないかとさえ思われるのです。一体それ以外に公共放送として、政府が放送会社に要求するものは何がある。言論の抑圧とか、言論を一つに統制するために、一つの大きな統制組織を、政府もしくは権力者が持ちたいという意図がなくて、何があるというのです。構想の内容においてこういうことを私は憂うるわけです。これはちようど戰争中、軍閥の人たちがまず放送局を自分の傘下に置いて、あらゆる軍閥に都合のいい宣伝をしたと同じ意味合いのことを、ある政府によつてなされないとだれが言うことができるかということです。だからこういうものはできるだけ公平中正なる立場において取扱われ、幾つかの放送局というものがあつて、そういうふうな言論を一本的に統一される、抑圧されるという憂いを「今日において取除く必要が十分にあるように私は感ずるのです。  先ほど来委員の方から、放送局の謝礼についていろいろ御質問があつたようです。特に芸能人に御質問があつたようです。古垣君も、芸能人を代表された方も、お見えにならぬから、私がここで言うのは卑怯のように思うが、これらの人たちは言葉をあいまいにして、委員方々に答えることを避けられておる。委員の方は、野球協会のような、ああいうばかばかしい料金を出して争奪戰が始まりはしないかということを憂えられておるが、現在においてはそれどころの騒ぎではない。実に芸能家諸君の放送協会からもらう金は、ばかばかしくて話にならぬ。だから私は古垣君、水谷君がこれを避けられたと思う。今はどうか知らないが、二、三年前に聞いたところでは、ある芸能人のごときは、一晩出て百円くらいの礼しかもらつていないというのです。古垣君は三年前ならそれで適当だと言つておるのですが、三年前であろうが、一流の著名の芸能人が三十分、一時間出演して、百円などというそういう謝礼というものが、私は決して適当な謝礼であるとは思われない。なぜそういうことが起きたかというと、放送局一つの独占的形態にあつたからである。それらの芸能人は、一晩出てその謝礼でいいかというと、中にはただでもよい。運動費まで出して出してもらう。一ぺん出るとお座敷が多くなるそうですね。水谷さんのごときは非常に良心的だといつて、良心的に安く出ておるが、非良心的な人は、自分で乘り出しても、自分の商売のために出してもらう。そういう状態である。百円は間違いかもしれんが、薄謝協会と言われるほどで、話にならぬ。ことに芸能人においてはひどい待遇を受けておるということは、間違いのない事実である。こういうことが起るのはどこから起るかというと、そういう強い官製の、統制的のそういう機関があればこそである。だから民間放送局が興きて、これに対抗するということになれば、引抜き運動どころでなくとも、少くとも芸能人は適当の待遇を要求することができるようになる。もう現在ではNHKの当事者に拒否されたら、それらの芸能者は放送に出る、そういうチャンスを持つことができない。ところが幾つかの放送局があつて、これらの不幸なる芸能者を迎えることができるということになれば、これは芸能者にとつてはたいへんけつこうなことだろうと思う。  こういうようなことを考えてみると、ただ單純なる公共性とか、経営者の構想の内容によらず、ただ経営者が個人であるという、そういうわけのわからない区別によつて公共性ということをきめるということは、私はたいへんな間違いだろうと思う。少くともこの法案審議にあたつては何が、どういう放送が公共的であるか。だから公共的の放送協会に課せらるべきものは、どういう放送をさせなければならぬかということでなければならぬだろうと思う。おそらくNHKの人たちは、教育放送とか、社会教育的の放送というようなものは、とても民間会社では広告の対象にならぬから、そういうものを主としてやらなければならぬということになるかもしれません。しかしながらこれといえども、私は広告対象になるだろうと思います。私は今教科書会社関係しておりますが、もしも民間放送が興きるならば、教育放送というものも同時に広告放送に利用して、そして自分の教科書を方々の学校に買つてもらう、そういう広告もなし得ると思います。どんな面でも広告に利用する場合には、そういうような放送もなし得るので、少くとも私が教科書会社関係者として、そういうふうな教育放送をやる場合には、今の文部省がやつているような、もしくはNHKがやつておる、そういう教育放送より、もつとよき教育放送をやつて、より多く聽取者を求めるということもなし得るわけであります。ただ單にある社会教育的のものとか、そういうものばかりが公共的であるということも、線を引くことはなかなかめんどうだろうと思います。  要するに、NHKが現在の形のままで引受けられたとき、何がゆえにかくのごとき厚き保護を受けなければならぬか。これを保護する根拠はどこにあるかということを、私は十分皆さんに御審議をお願いしたいと思います。同じ浪花節の放送をするのに、一方は公共的で非常に保護を受ける。他の方では、浪花節放送というものは、ただ單なる娯楽に過ぎないというような、そういう見方をしていただきたくないと思います。私がかように申し上げても、この法案が出たということをたいへん喜んでいる一人です。従来の少くともNHK独占というものが、ある形において破られるということにおいては、私はこの法案がないよりあつた方が、はるかにいいということは十分認めておりますが、しかしこの案をよりよき案に仕上げるためには、この放送というものの内容について、もつと愼重なる御審議をお願いいたしたい。かように存じております。  ちよつとそれだけ申し上げたいと思つて参つたのであります。(拍手)
  89. 辻寛一

    辻委員長 途中でありますが、ただいま本会議開会中でありますので、委員各位は本会議に御出席願いたいと思いますから、暫時休憩いたします。     午後二時三十二分休憩      ————◇—————     午後三時四分開議
  90. 辻寛一

    辻委員長 再開いたします。  先ほど阿部君より御意見の発表がございましたが、阿部君はお急ぎのようでありまするから、この際委員の方で御質疑があればこれを許します。
  91. 中村純一

    ○中村(純)委員 ただいま阿部さんから、放送というものの公共性という問題につきまして、非常な御卓見を御発表いただきまして、私どもまことに啓発されたのでございます。しかも放送というものの公共性、非公共性ということに関しまして、この言葉の哲学的な意味とでも申しますか、あるいは社会的な意味とでも申しますか、かような意味合いにおきまして、この言葉の概念を考えまする場合におきましては、私は阿部先生の御意見と全然同感でございまして、何ら申し上げることもないのでございます。しかしながらここに阿部先生に質問をいたすということよりも、むしろ質問という形式を借りまして、御批判を得たいのであります。  今日この場合におきまして、私どもがこの法案に関連をいたしまして公共性あるいは非公共性ということを論じまする観点は、実は私は阿部さんのお話のごとき哲学的、あるいは社会的な意味におきまする意味合いではなくして、もつと卑近な観点にあるのではないかと考えておるのでございます。言いかえますならば、阿部先生のお話のごとき意味合いにおきまする公共性の問題は、これがNHKであろうと、あるいは民間放送であろうと、全然同一であると考えるのでございまするけれども、この法案においてこれを区別して考えられておりまするゆえんのものは、問題はそこにあるのではなくて、放送事業者の企業形体というか、企業目的というか、それが法律的に、あるいは経済的に営利を目的としておるが、非営利であるかというところにあると私は考えるのでございます。私が営利、非営利と申しますることは、毛頭道徳的な意味において申し上げるのではございません。純粋に法律形態として、また経済上の観点において、そういう言葉を使うのでございますから、その点は御了承を願いたいと思うのでございますが、そういう観点から申しますと、この法律の言葉の中に公共というような言葉を使うことは、あるいは多少そこに観念の混迷を来すのであります。十分にこれが適切な言葉とは考えませんが、たまたまそういう言葉が使つてありますので、いたし方がないのであります。私は本件に関しましてこれを論じます場合は、ただいま申し上げました観点からの区別が、ここに考えられるのではないかと思うのでございます。従つてこれは先ほどの杉山さんの御意見にも、自然関連をいたして参るのでございますが、民間放送におきましてNHKと同様の特異と申しますか、特権を希望せられるならば、その反面において、当然と言つては言い過ぎるかもしれませんが、非営利的な面、また国家の監督と申しますか、拘束と申しますか、そういう面が浮んで来るのではないかと思うのでございます。従つてこの点は後ほど杉山さんからお答えをいただければ仕合せでありますが、ただいま阿部先生の御発言に関連して私の意見を申し述べますならば、事柄はそういう点にあるのであつて、今後このNHKとその他の民間放送とが、見方によつては片方はよろい、かぶとを着て、湯たんぽや何かで暖められている。片方は素面、素小手で立つている。こういう違いが法案の上において現われております。言葉は適当ではないが、将来この両者の間においてその勝敗優劣を決するものは、決してこの法案の上に現われている各種の保護と申しますか、特典と申しますか、拘束と申しますか、こういう法文上の問題ではなくして、その真の決勝点は、私は阿部先生のお話になつたごとき意味における、真に国民大衆に密着するところの、国民大衆にアツピールするところの、公共性のある放送をどちらがやるかということが、勝負の決するゆえんであると私は考えるのであります。そういう意味からも、問題の本質はこの法案の中にあるのではなくして、法案の外にあると私は考えるのでございますが、その点につきまして、阿部先生の先ほどの非常に高邁な御高見を拜聽いたしましたので、私の私見を申し上げまして、御批判を得たいと思うのでございます。
  92. 阿部眞之助

    ○阿部公述人 ただいまの御意見によりますと、一方が非営利的であつて、一方が営利的であるというところに区別があるというお話なので、多分それは実質的にはそうだろうと思うのですが、営利的という言葉を使うのは、この場合非常に不愉快なのです。しかしかりによい意味における営利的であると見て、その民間の営利事業が少しも公共性を害さないということならば、特に非営利的という、そういうふうな機関を設ける必要はちつともないと思うのであります。なるほど営利事業には、これに伴ういろいろな弊害があることも、私はよく存じております。営利的なるがゆえに、ときによるとその範囲を逸脱して、公共性を害するというような場合がしばしばあることは存じておる。しかしながら非営利性という名目において、より以上に国家的の害悪をなされるということを、私はしばしば見て来ておる。どつちが得かという問題なのです。どつちが国のためになるかという問題になるので、そういう点をよく御考慮に入れて、この法案をこしらえていただきたいというのが、私の精神なのであります。
  93. 橋本登美三郎

    橋本(登)委員 阿部先生に御意見をお聞きしたいと思います。これは午前中にも民間放送杉山さんのお話の中に現われましたし、それから一、二御意見も拜聽いたしましたが、確かにこの放送法案を一瞥しまして、相当に感ずることは、民間放送に対する規制が少い。特に政治的公平ということを杉山さんは大上段として、これは民間にも規制したらいいではないか、こういう御意見なのですが、こういう点について、大体この説明は先ほど申し上げましたからおわかりと思いますが、阿部先生は、はたして民間放送業者にも政治的公平というものを設けることがいいかどうか、評論家の立場から御意見を承りたいと思います。
  94. 阿部眞之助

    ○阿部公述人 私は少くとも事業そのものは、形態が営利的もしくは非営利的であろうとも、いわば競争の立場に立つ、その競争の立場をこの法律が認めるからには、法律はでき得る限り対等な待遇を與えるのがあたりまえだと思うのであります。そうしなければ民間の事業というものは、現状においては私は非常な困難に逢着するであろうと見ております。結局は、既設の大きな組織のえじきになつてしまうというおそれが多分にあるだろうと私は思うのであります。先ほども私は芸能人のことをちよつと例に引いたのですが、一方では全国的に芸能人を特派することができる。かりに芸能人を自分の專属にするという場合に、どつちにつくかということになると、これは問題にならぬと思います。民間業者が非常に高い給料を拂うかしなければ、とても既設の組織の大きい全国的な放送協会と、競争するというようなことはできない。ところがこの法案を見てみますと、民間業者は広告料をとるのだから、それでやつて行け、あとは知らぬ、そういう態勢をとるということは、いやしくも民衆からなつておる現在の政治形態においては、私は許されることではないと思う。公共団体だから特別の厚い保護を受けるという理由は、私はちつともないと思うのであります。事業の形態によることなので、同じ事業をするものとしては、同じ保護を受けることがあたりまえなのであります。これは労働者の問題でも同じことなのであります。同じ仕事をするなら、男でも女でも、同じ給料を拂うのがあたりまえじやないかという議論と、根底を同じくするものであろうと私は思います。單に一方は営利事業である、一方は非営利的であるということだけでは、そういうふうに国の取扱いを二、三にする理由にはならないだろう、かように私は理解しております。
  95. 橋本登美三郎

    橋本(登)委員 今の阿部さんのお答えですが、私の質問が不十分であつたために、お間違いになつてのお答えだつたようですが、そうじやなくして、この法文で申しますと、第四十五條に「協会放送番組の編集は、政治的に公平でなければならない。」とあります。日本放送協会に対しては、法文上こういう制限を加えられておるのであります。ところが民間放送に対しましては、放送法目的として第一條の第二号に「放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによつて放送による表現の自由を確保すること。」かように漠然と、公共の福祉に合うようでなければならぬというだけであつて、この條文から申しますと、第四十五條にあるような政治的に不公平な放送番組民間放送会社がしても、これは放送免許には何らの影響はない。さしとめられていないのであります。そうするとある民間会社に対して、特定の経済的力なり、あるいは政治的力なりが伸びて、その放送番組に特定の政党の、あるいは特定の団体の意図を盛つたものを放送することは可能なのです。これが相当強く行きますれば、あるいは社会不安を釀成するような大きな力にまで発展し得る可能性がないとは言えない。そういう危險性があることから、放送というものが新聞と同様に——新聞全体がそうじやありませんが、社会秩序に大きな影響があるから、そこで杉山さんも、一般民間放送会社に対しても、一般的には政治的に中立でなければならぬ。従つて民間放送にも政治的制限を加えてはどうかという御意見であつたのでありますが、われわれは一応そういう点も考えるのでありますけれども、これを大局的に考えると、新聞に機関紙があるがごとくに、たといそれが成長して、一般の利益になるならないはともかくとして、ある政党なり団体なりは、利害にかなわらずそういう放送をしなければならないようなものがあり得ると思うのです。そういうものについては、何ら民間放送に対する制限がないのでありますが、一面からいえば、民間放送を自由勝手に発達せしめるという意味では、非常に有効だと思うのでありますけれども、社会不安あるいは社会秩序という面から考えれば、一応考慮すべき問題だと思うのです。この点阿部先生はどういうふうにお考えになりますか。
  96. 阿部眞之助

    ○阿部公述人 私ちよつと誤解しておりましたが、私は原則的には、民間放送に対してはそういう制限はなるべく設けない方がよいだろうと思うのです。しかしながらその放送の特殊性と申しますか、新聞の場合とそこがちよつと一致しない点があるだろうと思います。紙の事情がよくなれば、新聞なら幾つでも機関紙的なものは出し得るのです。百出ようが、二百出ようが、少しも制限はないのです。ところが放送の場合は、いかに自由とはいいながら、東京都に十も十五もの、いろいろの意見を持つたものが許されるわけのものじやないだろうと思う。どうしても現在のNHKのほかに、許されてもたかの知れたものだろうと思う。だから現在よりも多少範囲は広がつたけれども、そういう電波関係その他の事情から行つて、きわめて限られた、まだ完全な自由というわけには行かないだろうと思うのであります。つまり独占的なにおいが非常に高い形において、二、三の電波は許されることと思う。そういう場合においてある特定の機関、そういう放送局があるということは、私は好ましくないと思う。常にやはり公平な、不偏不党な立場における放送局経営者があることが、きわめて私は望ましいことであると思う。しかしながら電波という特殊な事情がなかつたならば、無制限にめいめいの意見を述べ得るような放送局ができるという時代が来たならば、そういう制限は必要はないだろうと思うが、現在においてはきわめて独占的なにおいの高いものが二つや三つあつたところで、それ以外にはもう出し得ないという、そういう形における現状においては、不偏不党、きわめて公正なる立場をとるべしという規定があつても、少しもいわゆる言論の抑圧とか圧迫でなしに、かえつてそのことが一般民衆に公平なる判断を與え得る非常に重要なる役割を果すことであろうと思う。さように私は考えております。
  97. 辻寛一

    辻委員長 ほかに御質疑はございませんか。  それでは次に別所重雄君にお願いいたします。
  98. 別所重雄

    ○別所公述人 民間の放送事業を企画いたしておりますラジオ日本の準備委員の別所でございます。時間も大分たつておるようでありますし、私が申し上げたいと思つたことも、大分いろいろな角度で先の方から御意見が出ましたので、なるべく重複しないように、できるだけ簡單に公述いたしてみたいと思います。  この放送法のいかに重要であるかということにつきまして、このように愼重な審議が継続されておりまして、おそらくは非常にいい姿において——もとより最初でありますから、完璧は期しがたいでございましようが、とにもかくにも立法の精神に準拠した法律が、必ず制定されるであろうと思いますし、私もまたこの方の仕事にいささか関連した経験も持つております建前から行きましても、日本放送事業が従来の独占的なものから、多辺的と申しますか、民主化と申しますか、そういう姿において新しく日本放送文化の花が咲き、国民文化水準が高くなるという一つの方向をねらわれましての関係方々の御審議、あるいは現在のところ、今日ほど国民があげてこの問題に大きな関心と期待をつないでおることは、近来珍らしいと思います。ラジオ重要性については、私どもが申すまでもないわけでありますが、立法の精神につきましては皆様御異論がない。ただそれをどういう姿において実現させて行くかということについての、いわば生みの悩みであると思います。これを一つの手術にたとえますれば、混信の問題、その他技術的の画からも障害がありましよう。しかしどうしても一つの手術を行う必要があると認めた場合には、敢然として刀がとらるべきでありまして、そのために若干の出血はやむを得ない。しかしながらその出血の姿を最小限度に食いとめるということにおいて、最もよき考慮が拂われなければならないと思う次第であります。きわめて抽象的な申し方でありましたけれども……。  そこで今後の日本放送に対する考え方は、しばしば御意見に出ておりますように、新しく発足いたします日本放送協会使命が、従来とかわつた性格、先ほどからこれも御議論の出ております、いうところの公共性を高ぐ掲げて、NHKはおのずからはつきりした立場をとつて、この線を遂行して行く。そのためにいろいろの国家保障の姿がとられております。受信料の平ば強制的な徴收でありますとか、起債の問題、土地の問題、その他いろいろなものがあるのでございますが、私など考えますのに、このような新しい性格を日本放送協会に與える以上は、自然協会放送内容番組の編成、その他にいたしましても、今までのような、申さば一般に供するといいますか、言葉は悪いかもしれませんが、一般聽取者に何とかして食い込んで行くといつたふうな、多分に政策的な意図が盛られたような放送番組は、今後はとることができなくて、教養の放送でありますとか、あるいは全国僻陬の地域までこの電波を普及させねばならぬというふうな、さらに加わつた新しい使命、いわれるところの公共的な性格を非常に高く盛り上げて行かなければなりませんから、そのためにはどうしても採算は考えられず、このような保障の姿が出て来るのでありまして、そこで結局NHKの今後のあり方は、その姿においてかなり明確に出ておると思います。それがすなわち協会の保護されるゆえんであると私は信じておるのでありまするが、しかしながら法案を通じて見ますと、協会擁護の線が非常に強い、そういうふうなことが一般に言われておるわけです。そのあれといたしまして、この法案そのものが官製であるとか、あるいはひどく偏狹なものであるというふうな考えが、巷間しばしば用いられておりますが、私などはその点比較的この立法に当られた方々の御精神に近いものを感じ得ると思つておりますので、ありていに申し上げまして、私はNHKに対するこの程度の保障は、現状の段階においてやむを得ないと思つております。日本の将来の放送が、各国の例のお話が出ておりましたが、新しい日本放送協会のほかに民間放送ができまして、いわば二本建のような姿が、日本にとつてはたして適合するか、あるいは日本では商業放送というふうなものが成立たなくて、遂にまた今日のような姿に帰つて来るか。このことは経営者の企業的才能、あるいは経済的なものにもよりましようが、しかしながらこれを決定いたしますものはだれでもない、日本国民であろうと思う。早ければ三年、五年のうちに、日本における放送の問題が、いかにあることが一番適合しておるかという結論が出て来るだろうと私は思う。そこで最初に申し上げましたように、最初からできるだけ完璧は期さなければなりませんが、もとより情勢の変化その他によりまして、この経営の問題はいろいろかわつて参りましよう。そこで私は当面はこの電波独占事業を、いわれるところの電波国民の手にという姿が、この法律が制定されることによりまして、新しい脚光を浴びることになるのでありますから、この点について国民としては十分な認識をもつて出発せねばならぬと思います。今の段階におきまして、NHKをこのような姿において経営して行かなければならぬということは、私たちやむを得ないものと思つております。ある要路の方からは、NHKは義務教育の機関だと心得ていいのじやないかというお話がございました。その意味はいろいろな角度から考えられまするが、新しいNHKの性格をかなり端的に表現されておるのじやなかろうかと思いまして、私は至言であるなと思つて承つたのであります。  そこで、それではこれからの日本放送を、NHK民間側と併立して行く上において、どのような方法がとらるべきであるかということになると思うのでありますが、これに対してさつき協会の当局者の古垣氏初めいろいろな方々が、公共性一本やりに押しておいでになりました。公共性について先ほどから御議論が応酬されたようでありましたが、私もまたこの公共性の意義なるものに対しては、それが営利団体であるからとか、営利企業であるからというようなことにおいてのみ繰返されることについては、表面はなはだ不同意なものを感ずるのであります。なぜなら民間放送経営いたしましても、おそらくは先に杉山君が申されましたように、放送番組の半数あるいはそれ以上の時間というものは、無料の放送をいたさなければならぬ。その無料の放送というものは、自局番組と申しまするか、その放送局が提供する番組でありまして、これらは放送局の方で金を出しまして放送するものでありますから、従つて国民生活に最も有効な、あるいはそれは教育放送の姿もとりましようし、またニユース解説その他いろいろな意味の、国民生活に最も卑近な、営利というふうなものを除外いたしました姿において、このような放送がなされるわけでありまして、これは明らかに今後NHKが担当されるものと大同小異であろうと思うのであります。そのような意味におきまして、日本における民間放送の発足は、決して営利一方の、もうかればいいというような主義は、おそらくだれもとれません。また事実それは不可能であります。一面それを経済的な面から見ましてもきわめて簡單なように、この事業ほど当初に設備資金を要する事業はありません。いささか首をつつ込んで研究してみますと、非常に困難なものであると思う。公共性が高くなければいけないということ、経済的な基盤がしつかりしていなければならぬということ、放送内容が非常にりつぱでなければならぬといつたふうな意味が考えられまして、エログロ的なおそまつな民間放送が出て行くといたしますならば、それは国民の声において、あるいは声なき声において、この放送は決して成立つて行くはずがないと思います。それも先ほど申しましたように、国民の声によつて、今後はあるべき方向に決定されるものだというふうに考えます。しかしながら民間放送が出て行く理想と責任というふうなものは、非常に強く感じております。  ここでNHK民間放送と比較いたしまして、今日の段階で與えらるべき特典その他すべてのものが、平等でなければならぬというような御議論もありますが、これはNHKに課せる使命の上から考えまして、今の段階ではいささか困難じやないかと思います。しかしながらその以外の、たとえば私どもが最も関心を持つておりまする電力周波数、そういうふうなものの割当において、非常に大きな制限を受けるのではなかろうか。もとより事業をやります以上、おのおの限界があります。放送局経営いたします場合には、そろばんをはじいたり、番組を編成したり、営業の将来を考えてみたりしまして、そこにおのずからその土地々々における必要とする経済電力が割出せるわけであります。そこでもつとそれを端的に申しますならば、東京、大阪というふうな地域におきましては、現在NHKが非常に強力な放送をやつております建前上、五百ワツトやそこらのものでは、とても受信機に聞えはしない。従つてこれは企業として成立たないといつたふうな面が、現在のきゆうくつな周波数の面から考えまして、最も困難な山、がんというものがそこにあると思います。NHKはそういう非常に重大な使命をやるのだから、あくまで強力なものを與えて行つて、一指も触れさせない。従つて民間放送はその自余の余裕をくぐつて、やれるものならやつてごらんといつたふうな考え方であるとするならば、この立法の精神は私は最初から否定さるべきだと思います。そこでしからばNHKの持つておるものとこれからできる民間放送との割当の線を、どこにきめるべきかといつたふうなことが、当然技術的に考慮されねばならぬと思います。従つて日本のようなこれほど放送が普及しております、ある程度文化水準の高い国家で、このようなおそまつな受信機を持つている国は、世界中にどこにもないと思います。このことはあえてここで論じようとは思いませんが、NHKの独占であつたがゆえにできた功罪の両面における一つの例であろうと思います。しかしながら今日あるいは今日以後の日本電波に対する文化水準というふうなものは、うんと引上げなければなりません。そのためには、何としても受信機も改造されなければならぬと思いまするし、それは強力であればどんな機械でも聞けるわけでありますから、強力でないもの、あるいは混信というふうなものを分離しなければならぬということが必要になつて来たときには、この問題はどのくらいの日にちがかかるか別といたしまして、逐次解決して行く。そこでこの混信分離の問題などというものは、NHKが前に出しましたパンフレットによりまして、民間放送が出て来るとNHKを妨害する。NHKが聞けなくなることは国民のために不利益であるというようなことを、非常にパンフレツトその他で宣伝されております。しかしながらこれなどは一方的な不親切きわまるものの見方でありまして、意図するところはNHKの巨大なる巖のようなものを存続しながら、一方において脆弱な民間側が、卵をもつて岩に当るようなことを、やれるならやつてみろというものにほかならぬ。少くともパンフレツトその他NHK当局の意見を聞く者にとつては、かような解釈が当然出て来るだろうと思います。結局その若干の混信の問題などは、方法は幾らでもあると思います。それは現在ありますラジオ商組合連盟、それを動員する手もありましよう。またこういつたふうな面に対して当局が非常に御心配なさるならば、これを一日も早く指導改善して行くために、国家的な何らかの処置というものが考えられていいのじやなかろうかというようなことも考えるわけであります。まさしくこの法案民間側に門戸を開きました。しかしこれもお話に出ましたように、この門は非常に狹い門で通りにくい。通つても中がまつ暗である。一方は大きな道がついていて、こうこうと電気がついているが、民間側にとつてはここは入つていいが、入つたつてまつ暗で、生きている心持もないというような印象を、この法案そのものから一般に與えている面が非常に多いと思います。それは民間放送に対する條章がすべて自由潤達であるがゆえに、何らの規制をされていない。まさしくそういうことも考えられましようが、しかしながらそうは言いながら、民間放送もやり得るのだというようなにおいをこの法案に盛り込むわけに参らない。あるいはもしこの法案に盛り込むことができないならば、これからできるであろうところの監理委員会規則というようなものにおいて、民間放送をやる決意を持つということは、これは実は容易ならぬことなのであります。それほどの決意をしながら、やろうとして今や全国に四十件近い申請がありますが、これは実はぐらぐらしている。やつていいものかやらずにいいものか迷つている。ですから中には玉石混淆、やるだけの決意もあるいは実力もないものが、登録だけしているという面もあるように思います。漠然と與えております不安は、一番端的な例として取上げれば、電力周波数の問題、もう一つは政府がまつたく無保障である。やれるなら勝手にやれという印象しか與えていない。このことに対していかに処理すべきかということが、今日民間の放送事業を企画いたします人たちの大きな悩み、晦冥のもとであろうと思います。NHKが一本であつた方がいいか悪いかという問題は、再びここで論じようと思いません。しかしながら今日の輿論放送が多元的になる、たとえローカル的なものであつても、聞かされるラジオから聞くラジオへ転ずるということの楽しさは、国民文化水準を高める上において、これは文明国家としても絶対必要なことだと思います。功罪ともに多くのものを果して来ましたNHKが、別に民間放送が出て来るということに対して、表面は反対はしておりませんが、その他面においてNHKにちよつとでも触れてみろといつたような態度を、依然として捨て切れないということは、私はこの日本放送文化のために、もつと大悟徹底して道を譲り、そうしてまたこれを指導される当局の方々も、民間放送がかくしてこそ成立つのだというふうな、一つの活路を與えることに根本の御精神を置いていただくように、この法案もそのような見解において制定していただければ非常にけつこうなことだと存じます。  それから協会に対する諸種の特典、それを同じように民間放逸側に與えよという御意見も、あるいは聽取料の一部分割希望の御意見も、これらはすべて民間放送がいかに困難な事業であるかというふうなこと、およそ少くとも三年や五年のうちは、営利企業的な性格から行きますれば、まつたく逆であつて、いかに大きな犠牲を負担せなければならぬか。しかも今日出願しております、実力を持つておるというふうに考えられる出願者を見てみますというと、それぞれの土地におけるそういう文化的立場、あるいは社会人的な立場において、この問題に無関心でいられないというふうな人たちが結集いたしまして、損も承知、赤字も覚悟、しかし文化のためにこれはわれわれに課せられた使命であるというような、非常に高い考え方でもつて出願しておるのが、ほんとうの姿であろうと思います。ここでラジオ日本のみずからの例を申し上げることは恐縮でありますが、ラジオ日本の創立委員長として、日商会頭の高橋龍太郎氏が当つておられます。この人が常に言われることは、私はこの老齡、この画期的な時代において、これを最後の御奉公として勤めたい。そのためにはいかなる犠牲も、私の及ぶ努力も、少しも惜しむものではないといつたふうな、非常に真劍な態度を持つておられます。われわれがこの方を支持しながら、いろいろな事業的な計画をやつて行きますわれわれ自身が、ああこの人たちは、こんな高い感覚をもつて、このような大きな犠牲的精神をもつてつてつてくれるならというふうに、しきりに感じておるくらいであります。要はいかに経営的出血を少くするかということに思いをいたしておりまするが、これが企業体としてもし伸びて行ければ、非常にけつこうなことだと存じますが、そこに行くのは容易ならぬことだと思います。しかしそんなに特別な保障を要求したいとも思いません。ただ電力と電波のその土地における適正な割当、及び全般的な考慮としては、NHKに対する当局の考え方と、それから民間側に対する考え方とを、同一條件におとりはからいくださるよう、お願いいたしたいと思う次第であります。  その他法案を逐條的に、ここがどうの、あそこがどうのということは、おのおの專門的な方々が御意見を述べられましようし、また審議もされると思いますので、私は法案そのものの逐條的なことよりも、まず民間放送はやれるものだという、やらせ得るものだという方の精神を再びはつきりと把握していただきまして、やり得るような姿においてこれを運営していただく。その強い前提のもとにこの法案の御審議を進めていただければ、非常にありがたいと思つております。  はなはだ簡單でありますが、これをもつて終ります。(拍手)
  99. 辻寛一

    辻委員長 次は吉村正君にお願いいたします。
  100. 吉村正

    ○吉村公述人 私は早稲田大学教授吉村正でございます。先ほどからいろいろな方がいろいろな角度から問題を論ぜられまして、ほとんどあらゆる問題にわたつているようであります。それで私は組織及び行政監督というようなものに関する一般的原則からいたしまして、この法案についての若干の所感を申し上げて、あわせて広い教育の立場からいたしまして、要望をいたしたいと考えている次第でございます。  この法案はおよそ三つから成立つているようであります。最初に総則がありまして、次に日本放送協会のことがあつて、次に一般放送事業者のことがあるようでありますが、まず第一に日本放送協会のことについて所感を申し上げたいと思います。結論的に申し上げます。日本放送協会の規則の中で、経営委員会に関する点につきまして、私は率直に申しまして、これでは経営委員会の自主性が非常に少いという感じを深くいたしているのであります。この法案にありますように、経営委員は総理大臣が国会の同意を得て任命するのでありますが、この経営委員は、総理大臣が職務上の、義務違反をやつたと認めた場合におきましては、両院の同意を得て罷免することができることになつております。これは十六條より二十條でございますが、どうもこういうふうでは経営委員会の自主性というものが確保されておらぬ。こういうふうに考えるのであります。議会は御承知の通り多数決主義でやるのでありますから、これではもちろん委員に罷免のとき、弁解の機会は與えられますけれども、しかし議院内閣制のもとにおきましては、大体多数党の党首が総理になるのが普通でありますから、従いまして多数党が認めればやめざるを得ないということになるのであろうと思います。従いましてもう少しこの点について、経営委員会なるものに自主性を保たせる必要があるのではないかと考えるのであります。これが組織の方面であります。  それから職務の点についてでございますが、経営委員会日本放送協会経営方針を立て、それを運営するところの指導統制を任ずるものでありますが、その收支の決算とか、あるいは事業計画とか、資金計画とかいうような、すべての点につきまして、これを電波監理委員会に報告し、電波監理委員会はそれに意見を付しまして内閣に出し、内閣が国会に提出して同意を求めるということになつております。これでは経営委員会に究極の経営の権限がまかされていないように思うのであります。従いましてその責任の所在があいまいになるように私は思うのであります。結局は全部国会まで来るというように考えられるのでありますが、これは経営組織一般の原則上からいいまして、また公共企業体を特別に設けます意味から行きまして、どうも賛成しかねるところであります。大体御承知でもありましようが、経営体の組織原則は、今日まで世界と行われておる原則は大体四つ、詳しく言つても五つしかないと思います。一つはウイーク・オルガニゼーシヨンであつて、これは経営体の力を弱くしておくという方法であります。これに対しましてストロング・オルガニゼーシヨンという経営体の力を非常に強くしておく一つの方式があります。もう一つはコミツシヨナー・オルガニゼーシヨンで、合議制の委員をもつて組織されておる一つの方法であります。いま一つはコミツシヨナー、あるいはカウンシル・マネージヤー・オルガニゼーシヨンと申し上げてよろしいかと思うのでありますが、そのほかにノン・エグゼキユーテイーヴ・オルガニゼーシヨンというのがありますが、これは御承知のごとくプリミテイーヴな経営において行われておることでありまして、今日の進んだ社会状態においては、これは普通ないと思いますが、大体四つだろうと思います。この四つの中におきまして、最近の傾向からいいまして、どうしても経営主体の権限というものを相当大きくとつておかなければならぬ。そのかわり、またそれに対しては当然責任を伴うものである。こういうぐあいな経営の方式をとることが最も望ましいものである。最近の学界の意見は、大体こういうように傾いておるのであります。それに対して多少民主主義的な統制というようなことを含めたものが、アメリカあたりに発達しておるコミツシヨナー、あるいはカウンシル・マネージヤー・オルガニゼーシヨンというのでありまして、私はこれを見ますと、大体このカウンシル・マネージヤー・オルガニゼーシヨンの方式が、多分に取入れられておるように思うのであります。すなわち上の方に経営委員会というものがありまして、その下に会長、副会長理事という直接に経営に当る機関が存在しておる。これは御承知でもありましようが、アメリカの都市においてカウンシル・マネジーヤー・プランというのが行われまして、大体においてあまり大きくない都市、中都市において非常に成功を見まして、最近においてはおそらくは六、七百に達しておるだろうと思いますが、その方式と大体同じようになつておると思うのであります。ところがその場合、その委員会という、上の方の経営しておるカウンシルもしくはコミツシヨナーに相当するものは、経営について根本的方針をきめる最後的権限を大体與えられておるのであります。ところがこの法案を見ると、最後の権限が與えられておらない。それが電波監理委員会に行き、内閣に行き、国会に行くというように、非常に煩雑になつておりまして、責任の所在が非常に明確でない。従つてまたこの経営についての権限が明確でない。従つてもし国民がこれを批判する場合において、一体どこをついて批判をしたらいいのかということが、非常にあいまいになるだろうと思うのでありまして、この点について、もつと経営委員会の権限というものを拡大する。そのかわり重大な責任をこれに負わせるというように組織されることが望ましい、こういうぐあいに感ずるのであります。  もう一つ経営委員会でございますが、この経営委員会会長及び委員をもつて組織するとなつております。ところが、二十七條に、「会長は、経営委員会が任命する。」となつております。ところが十五條に「経営委員会は、委員八人及び会長をもつて組織する。」となつております。会長の入つておる経営委員会が、会長を任命するということは、一体どういうぐあいにして任命されるのであるか、どうも少し規定がおかしいと思うのでありまして、どういう意味だか、私どもはちよつと納得が行かぬ点であります。  それから経営委員会というものを強化しなければいけないと考える。そうしなければ自主性が保てないというのが第一点であります。もう一つの理由は、公共企業体という意味から、私はこういうことを申し上げたいと思うのであります。公共企業体は御承知のように、二十世紀になつてからの大体発達に属するわけでございますが、これは一面において公的な機関による経営ということに対しまして、私的な機関による経営の長所というものを取入れる。つまり公共性を持つた事業をすべて政府がみずからやる。政府機関によつてやるということになりますと、官僚の経営になりまして、能率と経済というものが低下するのが大体の原則である。また従いまして公共性を持つたものであるから、單なる私的団体によつて行うことは適しない。しかしながら政府そのものが行つたのでは、官僚主義に流れるおそれがある。そこにおきまして欧米諸国におきまして、公共企業体という経営の方式が考えられたのであろうと思いますが、はたしてそうであるといたしますならば、この日本放送協会を公共企業体として経営される以上は、できるだけ政府からの官僚の統制から独立いたしまして、自主性を持つてその経営に当る。そうしてそれによつて私的企業、すなわち株式会社等の経営の長所である経済と能率をあげる。そうして第一條の目的に示されてありまするような目的をすみやかに達成する。こういうふうに組織されなければならないと思うのであります。ところがこの法案を見ますと、どうも経営委員会の力が非常に弱くて、何でもかんでも全部国会に行かなければものはきまらないというように受取られるのでありまして、この点は公共企業体というものによつて日本放送協会経営される意味からいいまして、もつと経営委員会の自主性を確立してもらうということが望ましいと思います。  また議会そのものから申しましても、日本放送協会の收支決算や、事業計画、資金計画に至るまで、一々国会に持つて来られましても、私はおそらく皆さんの方で十分な審議をされる余裕はないと思う。そうして責任だけを負わされるということになりますならば、皆さんとしてもとうてい耐えられないことであろうと推察いたしまするし、また国民といたしましても、国会を見てみますと、いろいろ重要な法案がたくさんありまして、前の議会のときも審議未了の法案が相当あるように考えておるのであります。こんなこまかい仕事まで国会に持つて参りまして、国民生活に至大の関係を有する根本問題を決する重大なる法案が、審議未了に終るというのは、国会の職責を全うされるということから参りましても、決して望ましいことではない。かように考えるのであります。いずれの方面から見ましても、こういうような複雑な、そうして責任の所在がどこへ行くかわからぬというような監督の規定を設けられるということは、どうも賛成いたしかねるのであります。  それからちよつとこの法案よりも、電波監理委員会設置法案に多少関係があることでございますが、やはりこの放送法案関係がありますので、ついでに申し上げたいと思うのであります。それは日本放送協会もしくは放送事業の監理、監督官庁として、電波監理委員会というものが設けられるのでありますが、これは合議制の官庁で、内閣の外局として設けられるということであるように推察いたすのであります。最近こういう会議制による長官制の組織が、わが国に非常にふえて参つております。これはおそらくアメリカのコミツシヨナー・システム、あるいはインデイぺンデント・オーソリテイーというものに大体範をとられておるのであろうと思いますが、アメリカにおきましても相当多くの学者のうちに、アメリカではどうも大統領直属機関であるインデイペンデント・オーソリテイー、独立機関というものが多過ぎて非常に困る。あれはアメリカの一つの悪い点であるということを申しておるという点を、ひとつ御記憶願いたいと思うのであります。アメリカは御承知のように伝統的に省というものをふやさない国であります。あの厖大な国家でありましても、御承知のように十一しか省がない。この間までは十しか省がなかつたのであります。そういう点から見まして、それからもう一つは、これは長くなりますから申し上げませんが、憲法の建前からいたしまして、ああいうようなゴミツシヨナー・システム、インデイペンデント・オーソリテイーというものを盛んにつくるのであります。わが国の憲法の建前はアメリカと異なりまして、御承知のごとく内閣が行政権について責任を負うようになつております。アメリカは大統領が一人でこれを負うようになつておる。そこに根本的な相違があるのでありまして、何でもかんでも内閣の外局にそういう監督機関を設けることは、私は責任内閣制の確立の点から言つて考うべき点ではないか、こう考えておるのであります。  それからこの合議制による監督官庁の設置ということでございますが、これは意見が非常に異なつておる場合に、その意見を出すとか、あるいはものを非常に熟慮してやるとか、あるいは納税者の代表をそこに加えるとかいう場合において、この合議制による長官制がとられるのであります。しかし半面におきましては、この合議制による長官制というものは非常な欠点を持つておりまして、アメリカにおきましても多くの権威者は、最近これに反対をしております。この反対の理由といたしましては、第一に技術的、事務的なことにしろうとが入り込むことになるから、失敗する。アメリカでは現にこれがために失敗して来ておるといわれておるのであります。それから委員会は合議制でありまするから、責任ある指導がなかなかできないのであります。どこに責任の所在があるかということが、非常にあいまいである。それから一々集まりまして、議論をやつてものをきめますから、活動が非常に鈍くなる。また一定の理想を持ちまして、この理想のもとに決定を行うということがほとんどないのでありまして、せいぜい妥協に終つてしまう。従つてまた紛争を起しやすいという、いろいろな欠点を持つておるのであります。そういう意味におきまして、私は日本放送協会経営がすでに合議制の機関である経営委員会の手にまかされたのに、これを監督する機関が合議機関であるということは、行政監督の点から言いまして、これはどうも賛成いたしかねるところであります。こういうふうになりましたならば、公共企業体としての特徴を十分発揮して、その目的を達成することができないのではないか、こういうぐあいに私は感ずるのであります。  なおこまかい点について、元に戻りますがその経営委員会委員の選び方であります。先ほども神野さんからお話があつたようでありますが、一面において委員文化産業、科学を代表する。また反面におきましては、八つにわけまして各地区から一人ずつ出すということでありますが、これは事実問題として、非常にむずかしい問題になるのではないかと私は思うのであります。むしろこれはやはり経営に当るのでありますから、経営についての識見、手腕、知識というようなものを持つておられる方を第一義として選ぶべきではないか。国民全体というものを対象に考えてやるのでありますから、地区別ということが経営という面におきまして、どれほどの意味を持つかということに、私は多大の疑問を有するものでございます。むしろこういうような地区別の利益を放送の中に織り込む必要があるならば、私の考えるところによりますと、経営委員会というものはもつばら経営の根本方針を決定する。これを実行するものは会長、副会長理事会、そのほかに各種の諮問機関を設けられまして、これは法律に一一こまかく規定する必要はありませんが、規定をされることが望ましいと考えるのであります。そうして各種の諮問機関を設けることによつて各種意見をこの放送の上に現わして行くことが可能である、また必要であると私は考えるのであります。大体日本放送協会に関することはそのくらいのことでございます。  次に民間放送の点についてでございますが、先ほどからいろいろ委員のお方と公述人の間にもお話があつたようでありますが、政治的中立に関する規定を入れるか入れぬかというお話でございます。これはひとり政治問題のみならず、宗教上の問題につきましても、すいぶん私は考うべき点があると思うのであります。私がアメリカにおりましたのはずいぶん古いことでありまして、約二十年も前になりますので、今は違つておるかもしれませんが、その時分ウイー・マスト・キープ・アメリカ・イン・プロテスタントという放送局がありました。アメリカをプロテスタントにしておかなければならないという主張をしておる放送局でありまして、これは朝から晩まで徹底的にローマ旧教の攻撃ばかりやつております。いつスイツチを入れましても、ローマ旧教を信じたらアメリカの国を危うくするという放送をやつております。宗教の積極的な放送をやることはもちろん必要でもありますが、こういうことになりましたならば、一体どういうことになるか。今日ずいぶんいろいろ宗教も御存じのごとくありますが、これではたして社会のためになるかならぬかという点に疑問を持つものでございまして、先ほどお話がありましたように、民間放送といえども、これは公共性を持つたものでありますし、広い意味におきまして、私はやはり社会の一つの教育機関であると考えたいのでございます。こういう見地からいたしまして、どういう方法があるか。いろいろ方法は考えられるのでありますが、これについてもやはり何らかの統制が必要である。まつたくただ自由に放任するというのには、放送はあまりに特殊な、また社会的な重要な意味を持つておると私は信ずるのであります。ただその統制は、政府の官僚的統制に陷つてはならないと思うのであります。この点につきましては、私はやはり自主的統制あるいは民主的統制、たとえば民間のラジオ放送をおやりになる経営たちがお集まりになりまして、一つ協会を持たれ、それによつて自主的な統制をして行かれるという方法もありましよう。またそれに若干の一般人を加えまして、これによつてデモクラテイツクなコントロールをやつて行くという方法もあろうと考えられますが、そういうことによりまして、民間事業が社会に重大な意義を持ちまして、ますますこれが発展する。民間放送をますます社会的に重要性を持たして、発展せしめるという点からいたしまして、そういうこともぜひ望ましいことではないかと思うのであります。  最後に一点、先ほどから申しましたように、ラジオというものは、やはり社会にとりまして非常に大きな教育機関であると考えるのであります。そういう点から申しまして、日本放送協会の場合におきましても、世論調査をやつて、それを公表し、参考にしてきめるという御案がございますが、しかしそれだけでは、ややもすると私は世論に迎合するといいますか、必ずしもラジオ放送の水準が高まつて行くとは考えられないのでありまして、ぜひラジオにつきましては、りつぱな批評家が出て来なければならぬと思うのであります。ところがこの点につきましては、御承知のごとく今日日本に專門的にラジオについて批評をなし得るものは、ほとんどないと言つて私は過言でないと思うのであります。非常に口はばつたいようでありますが、何となれば、そういうことについての批評家を養成する機関というものは、どこにも存在しておらないのであります。この点につきまして、私は一面におきまして日本放送協会といわず、また民間放送経営事業者といわず、できるだけ自主性を重んじて放送されることを望むとともに、他面におきまして、国民放送に対する水準を高あるために、放送批評をなす者を養成するための、何らかの施設を施していただきたい。これは学校の講義の中にこういう講座などを設けるのも、一つの方法であろうと思うのであります。そういうことによつてラジオ放送の水準を高めて行くことでなければ、この第一條の放送が健全な民主主義の発達に資するようになるというような目的を、遺憾なく達成することが困難ではないかと考えるものであります。  以上簡單でございますが、私の所見を申し上げまして、公述を終ります。(拍手)
  101. 辻寛一

    辻委員長 次に梅田博君、お願いいたします。
  102. 梅田博

    ○梅田公述人 読売新聞の論説委員梅田であります。  この放送法案はありていに申しまして、今までの組織をそのまま、單に看板を塗りかえたり、また機構をいじくつて、同じ組織を次の放送機関として持続して行くというだけの意義しか見えないと存じます。單に民主主義という名前をつけて、この仮装のもとに同じ形態のものを持ち続ける。今まで皆さんも御存じの通りに、放送協会というものは逓信官僚の温床として育つて来たものでございますが、その逓信官僚がいつの間にか放送官僚を形成し、そのままの組織を持込んでいる。これは明らかに日本民主化に対する逆行であります。すべからく多くの商業放送を認めまして、この放送局の独占企業体というものをぶちこわさなければ、日本民主化は遂行して行くことはできないと存じます。  先ほどからいろいろお話を承つていますと、技術的に困難だという議論がございます。官僚というものは、二口目には技術々々ということを持ち出す。議員の方の中にも、たとえば江崎委員のような非常に技術に堪能な方もおりますけれども、大体議員諸君は政経とか法科の御出身の方が大部分を占めておられまして、官僚に技術的に不可能だと言われると、そういうものかと思つてしまう。これが官僚の従来からの手なのであります。たとえば電波をわけてやつてもいいが、また技術的に行詰まる。今の機械ではスーパーでもオール・ウエーヴでも、分離は困難だ、混信を受ける、先ほどもそういう御意見を伺いました。諸君、スーパーやオール・ウエーヴがなぜ高いかというと、これは需要供給の問題なんです。たくさんにスーパーなりオール・ウエーヴの需要がふえましたならば、必然的に技倆もよくなり、安くなる。これがほんとうの自由競争のあり方です。しかるに今やれば国民に高い金を負わせるというのは、いつまでも官僚がイニシアチーブをとつていようという魂胆です。これはすべからく分割しなければならぬと思いますけれども、このような原則論に対しましては、先ほどからいろいろの公述人方々から御発言がありましたので、これを避けて、この法案につきまして、二つの点について私の所感を申し上げたいと思います。  第一は、ただいま吉村博士から御発言がありましたところの、経営委員会の構成であります。地区を別にするところの委員、これを全国を八つのブロツクにわけて、その中から代表を出す。同時にその人が産業もしくは文芸、芸能、そういつた各界から網羅する。明らかに二つの違つた概念であります。ほんとうにその精神を打ち抜こうとするならば、地区別から八人、職域から八人出して、十六人あれば大体そのかつこうは整えられる。それを全然別個な観念から、たとえば東京から芸能界を出し、北海道からは産業界を出したところで、てんで意味をなさないことなのであります。この意味をなさないことを一つの條件とすれば、実際的に困難であると、前公述者は申されましたけれども、実際的に困難であるよりも何よりも、頭の中が少し混線した議論だと私は存じます。その上に学術経験者であることを要求しております。電波監理法にいたしましても、学術経験者をもつてやる。学術経験者とは何者であるか。学術経験者というものは、たとえば国家警察における委員会、ああいつたものが学術経験者、官僚の上に乗つておもちやになるものが、学術経験者の定義です。官吏の古手とか、学者のごく古い方とか、世間から見て何の役にも立たない人間を、上に乘せておいて、その下で官僚どもがそれを混乱させ、かき乱してやるというのが、大体学術経験者というものの今までのありきたりである。それを選ぶのが、官僚諸君が選ぶ。そして国会に推薦し、国会は知らないものですから、賛成をするといつた模様になつておりまして、学術経験者たることを要しない。経営でありますから、ほんとうに経営の才があり、かたがた文化的方面にも識見のある、最も有能な人間を、国会責任をもつて御推薦されることを私は望んでやまないのであります。そこで結論としましては、右の中からこの地域代表というものをとつてしまつて、またしかるべく今の趣旨が通りまするような方法によつて、この委員を御選考になることを切望いたします。  第二点は、言論の自由に関する問題であります。私の解するところにして誤りがなかつたならば、放送法案は実体法と言つてもいいと思います。こういうことは放送してもいい、こういうぐあいにして放送する、こういうことはしてもいいとか悪いとか、実体に関する問題であります。監理法案は技術的な面を規定したものであると思います。多少の例外があるかもしれませんが、大体におきまして技術的なことを規定したものであります。ところが先ほども橋本委員からお話がありましたように、電波法案の百七條、無線電信等によつて日本国憲法又はその下に成立した政府を暴力で破壞することを主張する通信を発した者は、五年以下の懲役又は禁こに処する。」とございます。その次は「わいせつな通信を発した者は、二年以下の懲役又は十万円以下の罰金に処する。」と書いてあります。私は決して日本国の政府並びに憲法を暴力で倒すということに対して、賛成をしておる者ではございません。またわいせつなことを言つてけつこうだと申し上げておるわけではございませんが、この條文は第一に非常にあいまいである。どうしてあいまいだといいますと、通信設備によつで通信を発した者と、放送した人間もひつかかるんじやないか。設備を持つてつて言うのはひつかかるわけでありますが、この條文を單純に解釈いたしますると、設備は持つていなくて單に放送しただけでひつかかる。主張を放送しただけでひつかかる。刑法に現在朝憲紊乱の罪が規定されてありますけれども、朝憲紊乱はその行動に移り、もしくは未遂であつて、初めて罰せられる。ただ暴力をもつて政府を倒せ、非常にあいまいであります。デモによつて吉田内閣を倒せというような放送をかりにした。デモは暴力なりという解釈が成立つたならば、そのときこそ憲法で保障されておりまするところの言論の自由に対する、一大断圧であると私は考えざるを得ないものであります。ことに單なる技術法にすぎない電波法に載せて、公聽会を遠ざけた。それを入れるならばなぜ公聽会放送法案に入れてもらわないか。また日進月歩の世の中であります。電波というものは刑法ができたときには規定されてなかつたけれども、單に電気とは物とみなすとかいつたような前時代的な刑法でありまして、この憲法の中にラジオによるところの主張というものは何も規定していない。私は理想といたしまして、もしもそういうことが必要なら刑法に規定すべきであり、それがだめだつたら少くとも実体法であるところの放送法案の中に入れていただきたい。放送法案の中と言いますと、第一章の終りくらいに入れれば大体映るのではないか。それを技術的な法案であるところの電波法案の中に入れて、すべり込みをやつてしまうことは、明らかに官僚の言論に対するところの干渉であると私は思うのであります。話は余談になりますけれども、われわれ新聞人はまた新たなる計画のもとに、新聞紙法のごときものが設定されまして、いやしくも言論の自由を圧するというようなこの重大法案、こういつた一部の小さな特別法案の中に織り込んだということに関しまして、非常なる憤懣を抱かざるを得ないのであります。いろいろ逐條的に申し上げたいことがありまするけれども、このたびは御遠慮申し上げまして、私の所感を申し上げた次第であります。(拍手)
  103. 辻寛一

    辻委員長 次は杉山達郎君に願います。
  104. 杉山達郎

    杉山(達)公述人 私は北海道放送会社の設立委員でありまして、技術の面を担当しておるものでございます。純粋な技術者でありまして、ほかのことは何も知りませんが、かつて日本放送協会の外郭団体でありました放送協会の技術に、約十一年ほど勤務いたしました。その間ちようど今の民間放送と同じような條件に惠まれておらない放送局の建設に、約十数箇所関係いたしましたので、その程度において放送局をつくれるかという問題につきまして、少しこまかいことかと存じますが申し上げたいと思います。  とにかく民間放送の開設を得ましたことは、私としては衷心より賛意を表しております。私も多年日本放送協会には種々の面でお世話になつたのでありますが、その関係は別としていただきまして、放送法案中の民間放送局の技術の面に対して、重要なと思うことを二、三述べたいと思います。  参議院の公聽会その他で原則的に皆さんは御賛成と承知しておりますが、混信の問題とか、その他技術的な問題になりまして、民間放送は許可の数が少いとか、資本家の道具になるとか、一方的な存在になるとか、あるいは受信機を改造する必要がある、そのために国民の負担が多くなると言われる方々もございますが、この御許可に対しましての周波数の問題でございますが、この案がここまで進展して来ます間に、電波庁その他関係技術者各位の十分なる御研究によつて、相当数のものが御許可になる見通しがついたから、ここまで来たと私は存じております。また私の体験上からいたしましても、十分の御許可があると思つております。  次に受信機の改造の問題でございますが、これは国民の負担というような大げさのものではないと私は思います。この対象となります受信機は、わが国で一番普及率の高い、高周波増巾のない、いわゆる並音と申しますか、それ以下の受信機についていわれるのでありますが、これもすべてがその改造の必要のあるものではありません。ある範囲のある地帶のものだけであります。これは新しい局をつくります場合、常に問題になるのでありますが、今までの場合は何といたしましてもその受信機を基礎として、計画を立てて行かなければなりませんでした。しかし民間局の場合は利潤ということを考えますと、サービスというものが重点的に今までより一歩前進して考えることができます。これは民間局、業者、聽取者の三者が一体となつて考えることによつて、解決すると私は思います。これによりまして業者も活気を得、聽取者も多くの局を希望によつて選択して受信することができるのでありまして、このようになりますことは、次にまた新しく使用できる波長を見出すことになります。従つて協会、民間等を問わず、放送事業発展して行く基礎となり、大いに役立つものであります。私が民間局といたしまして最も希望してやまない点は、次のごときものであります。この問題は放送が一方的になるか、国民が迷惑するかしないかということになるので、よくお聞き願いたいと思います。その一つといたしまして、空中線、これは適当な言葉かどうか知りませんが、電波発射地点の近接土地の電界強度を制限することであります。電界強度というものはそう必要以上に必要ないのであります。たとえば三球の受信機を対象といたしますときに、十ミリボルトあればいいとか、あるいは二十ミリボルトあればいいとか、この地帶は雑音が多いとか、いろいろなこまかいことを言いますといろいろの理由が成立ちますけれども、実際問題といたしまして必要以上に大きいということは、他を押えようという意図もできるからであります。それからいわゆるブランケット・エーリアの問題でございます。これは御承知の放送局相互の間のサービス・エーリアに関する地域に起る問題でありまして、たとえば片方の局が片方のサービス地域を侵す範囲であります。この範囲をはつきりと限定していただきたいのであります。それからこの限定いたしますのに、民間局放送協会とを問わず絶対同一條件でなければならぬと思います。たとえばこのように同一條件でないというような場合になりますと、独占事業の再現も考えられたり、または小さい局が都市の中に進出して参ります。そういうようなことになりますと、国民が非常に迷惑いたしますから、この問題はそのことによつて私は考えるのであります。そうしてこの問題が明らかにされますと、現在民間局を申し出ておりますものが、また再考せねばならぬ問題が出て来ます。たとえばどこかビルデイングを借りて、屋上からちよろちよろと電波を出そうとかいう計画は、適当でなくなつて参ります。あるいは自分の局は出力が小さいから、町の方へ行つて出してやれというようなことも、一応考えなければならなくなつて参ります。これは細則になる部分かもしれませんけれども、電波監理委員人選の不明な現在、特に私は憂慮するのであります。  それから周波数の割当であります。周波数は民間と放送協会と、ある程度平等の立場において選定をすることであります。これはいろいろと事情があることと思いますが、とにかく合議の上で決定していただきたいと思います。  次によく皆さんが申しますところの、大きな放送協会に対して、小さな民間放送が何の力があるか。あるいは役に立たないのじやないかというようなこともちよつとお聞きいたしますけれども、その経営とか、そういう面に対しましてはいろいろのものがございますが、よくしろうとの方が、と言うと失礼でございますが、対象にされるのは空中線の電力であります。放送協会は百キロである、民間放送は十キロである。十対一ではどうにもならないじやないかというような御意見があるかもしれませんが、それは放送局の出力という問題でありまして、電波の強さはそういうところから標準にならないのであります。それは十に対して一のレートの比でありますから、この比からしますと三対一であります。ですから片方が十、片方が一とすると、一方の強さは三分の一の比があるということであります。ですから空中線の能率とかその他を考えますときに、広告放送によります民間局も、その構造のいかんによつては十分経営できるものだと私は思つております。  次に法案について申し述べたいと思います。第九條の五項に「第二項第七号の放送受信用機器の修理業務は、」とありますが、その以下のところが非常にはつきりしておりませんので、業者の方々がいろいろ心配しております。これは今日ラジオ発達して参りますのに、業者の方がいろいろと努力されたことも大きいと思いますし、また業者の生活問題にもなると思いますので、私はこの問題を、不可抗力による天災地変、山間僻地、離れ小島と御明記願いたいように感じております。混信分離の問題とか、放送電波の制限というような問題は、非常にこまかい技術的なことになりますので、私がここで全部をまとめにくいのでございます。いろいろと私見を述べましたが、とにかく競争なきところに進歩発達はございません。ラジオのごとき文化の伸張に重大なる関係を有する機関でありますゆえに、NHKにおかれましても文化の進展のために民間局を育成されまして、生成発展の道を御指導くださるようにお願いいたします。
  105. 辻寛一

    辻委員長 最後に森田實君にお願いいたします。
  106. 森田實

    ○森田公述人 全日本放送の森田でございます。前の公述人の方からいろいろな御意見がありまして、ここで重ねて申し上げる必要はないと思うのであります。従つてその要点だけを時間も大分切迫しておりますから、お話申し上げたいと思います。  今までの公述人の方の御意見を承りますと、いわゆる標準電波——約五百キロから千五百キロサイクルの標準電波についてのみ、その範囲内においていろいろなデイスカツシヨンがあつたのでありますが、これはもつと広く考えなくてはいかぬ。放送はやはり米国でやつておる通り超短波のFMの放送から、テレビジヨンの放送まで拡大して議論され、そういうところを政府の方でもお考えになつて波長の分配をされれば、いろいろないわゆる波長電力の争奪戰というようなことがなくなるのじやないか、そう考えるのであります。それで現在NHKのやつておる中波放送、これは放送開始以来最も歴史的な、技術的に申し上げますと非常に旧方式に属する放送方法でありまして、これは波長の割当の問題からいつても限度がある。それでこれをNHKと一般民間放送会社が適当に分配して行くということに、はなはだ疑問を持つておるのであります。それでどうしても超短波の領域までひとつこの際日本は持つて行かなくてはいかぬ。しかしある方は日本の現在の経済情勢におきましては、とうていそういつたようなことは実現不可能じやないかという考え方を持つ方もありますが、しかしこれはやればできないことはない。その普及の方法は、受信機の物品税の免除とか、あるいは販売方法に特殊な方法を講ずるというようなことをやれば、必ず実現されると思うのであります。とにかく戰争までは日本は中波放送という一番旧方式の放送をやつており、また対外通信におきましても、電信は一つ電波一つ、きわめて簡單な方法でやる。電話もNHKと同様に短波は使つておりますが、簡單な振幅変調の方式をとつておる。これはわれわれは武器を捨てて文化国家として立つ日本として、また兵器を整備する負担を免れた日本として、実現可能じやないかと考えておるのであります。通信方式なども終戦後ただちにシングルサイド・バンドの方式が逓信省において採用され、国際電気通信において採用されておる。これはできるものをやらなかつた。それでは外国のものを使つたかというと、そうでもない。われわれがつくつたものをやつた。あるいはFMの方式が採用され、これも外国から輸入されたが、しかしそれはわれわれが十何年前にパテントを出願しており、FMによるポリス・ラジオが実現された。こういうふうなことでありますから、これはぜひ議員の方も実現促進の方向に御指導をしていただきたいと私は感ずるのであります。  それから中波の放送の波長の関係で、NHK放送が受信できる範囲の受信機を設備したものは、放送を聽取してもしなくても料金は徴收するぞというようなものが放送法案の中に載つておりまするが、これは実際物を買わなくても金を出せ、かなり経済的な原則から見て不当な料金の徴收方法ではないかという感じは、常識的にだれもが受けるわけで、私はこの中波帶を適当にあんばいいたしまして、ある周波数からある周波数までNHKに使用させ、その他のものは一般放送に使用させる。それでその間の周波数、いわゆるNHK電波を受信し得る受信機を所有するものだけは、NHK料金を徴収する権利があるというようなぐあいに考えたらどうか、こう考えるのであります。これはそうむずかしくないと思います。ドイツなどはやつておりましたし、おそらくソ連などもやつているのではないかと思うのですが、検定制度を設けて、そうして周波数をはかる計器、簡單にラジオ屋でも使える周波数帶をはかる機械を加入者のところへ持つてつて周波数帶を測定して、あなたから徴收いたしますということを言えばよい。そういうぐあいにやつてみたらどうかという考え方であります。  それからあと一つは、NHKは今かなり高調波を出している。それで中波の放送をしているにもかかわらず、短波の放送、いわゆる高調波の輻射といいますか、そういうものがかなり遠くで聞える。たとえば私のいなかに親がいて、まあひとつオール・ウエーブを聞かしてやろうと思つてつて行く。そうしますとかえつてNHKのいわゆる中波の放送を聞くよりも、副的な高調波を受信した方がよろしい。短波で受信した方がよろしいという場合がある。そういう場合に料金を一体NHKはとるかとらないか。そういうことの問題が起きて来ますが、これをたとえばある技術のわかつた業者が、高調波を受けているのだから、これは料金NHKに佛わなくてもよいだろう。しかし出て来る波はNHKの基本波と同じ波が拡声機から出るのですから、一応監督とかあるいは巡回にまわる人は、それに疑問を持つわけです。それをもぐつてある業者は、これはNHK料金を拂わなくてもよい。しかしNHKが聞えるのだということになつたらどうなる。こういうことは法案には記載してないから、この法を改めるか、あるいは運用の面で何か考えてみたらどうか。私はきわめて簡單にこれだけ申し上げまして終ります。
  107. 辻寛一

    辻委員長 以上公述人各位の御発言に対しまして、質疑があればこれを許します。
  108. 橋本登美三郎

    橋本(登)委員 公述人の中の吉村博士に御質問申し上げます。先ほどの吉村博士の御意見は、まことにわれわれといたしまして参考になりまして、貴重なる公述と拜聽いたしました。特にその中で、われわれも法案審議しておりますうちに感じますことは、経営委員会電波監理委員会、これは同じく総理大臣の推薦によつて国会承認を求めて、両委員会ともに成立するわけでありますが、同じような選任方法をもつて設けられたこの経営委員会電波監理委員会では、もちろん機構上、組織上の違いがありますから、当然の任務の相違はやむを得ないのでありますけれども、経営委員会がほとんど独自の立場において決定する事項が非常に少い。大部分が結局電波監理委員会承認を求めなければ、事業遂行ができないようになつていることについては、われわれは非常に遺憾の意を表しているのであります。しかしこの電波監理委員会の設置につきまして先ほどのお話では、こういうような委員会制度を幾多設けるということは、アメリカとは日本の情勢が違つているので、必ずしも日本の国情には合つておらない。こういう御意見でありまするが、この御意見を推し進めると、電波監理委員会の制度はやめて、そうして従来あるところの電気通信省なり電波庁において、それらの職務を行つてよいのではないか。もちろんそのうち大部分の仕事は、ことに放送に関する限りは経営委員会に移して、その他はまつたく監督機構として行う最小限度にとどめて、これはあらためてそういう委員会をつくらなくてもよいだろう。こういうふうにお聞きしたのでありますが、この点についての御意見を拝承いたしたいと思います。
  109. 吉村正

    ○吉村公述人 大体その通りであります。先ほど申しましたように合議制の長官制には非常に欠点がありますので、裁判所のごとく何か審議する場合は別でありますが、監督行政を行う機関は、單独制の長官制が適当である、こういうぐあいに考えるのであります。また電気通信省がすでにありまして、各大臣が集まりまして一蓮托生で行政について責任を持つているのでありますから、わざわざ内閣に外局を設けて、政府機構を厖大ならしめる必要は毛頭ない。これは電気通信省の中の電波庁くらいのところで監督すれば十分である、こういうぐあいに考えているのであります。
  110. 橋本登美三郎

    橋本(登)委員 なおこの問題に関連して、先ほどどなたでしたか、阿部さんからも話があつたようでしたが、政治的公平といいますか、大分これにこだわるようでありますが、先ほど非常に波長が少いのであるから、公共放送以外に二、三のものが認められるにすぎないということになれば、その点から言えば一種の独占に近いものである。従つてこれらが自由かつてなことをするということになると、弊害が及ぶかもしれぬ。従つてこれに対して法律の上で、政治的中立を守るようなことを規定してはどうかという御意見があつたようでありますが、それに対して吉村博士の御意見を伺いたい。
  111. 吉村正

    ○吉村公述人 民間放送といえども、やはり公共性というか、社会的な意味を持つているものでありますから、政治並びに宗教上のことにつきまして、放送を通じて争いをするということは、どうも賛成いたしかねるのであります。そういう点につきまして、ただいまお尋ねになりました政治的中立性の維持ということは望ましいことである。従つて何らかの方法でこれを明らかにされる方が、明白であると考えるのであります。
  112. 橋本登美三郎

    橋本(登)委員 なお吉村博士に伺いたい。先ほど経営委員会の性格は、これはマネージメントが中心である。従つてこれに地区をわけたり、あるいは文化とか産業とかをわけるということは、能率上においてどうかと思う。こういう御意見で、かなり卓見でありますが、それに対して文化あるいは産業、こういうものについて指導するというか、意見を具申する機関として、放送協会の内部にある種の委員会なり、諮問機関を設けてはどうかという意見でありますが、これは法制上に、たとえば文化委員会あるいは産業振興委員会といいますか、そういうようなものを明文化して、この諮問によつて決すべしというような條項を、積極的に入れる方が可と考えられるか。あるいは單なる協会の内部的な機構にとどめてよろしいとお考えになるか、その点のお考えを承りたい。
  113. 吉村正

    ○吉村公述人 強制するということもないと思いますが、そういつた諮問委員会協会は設けることができるというくらいの規定を法律に設けまして、それからいずれ日本放送協会規則というようなものが制定されることになるでありましようが、その中に内部組織としてその点を明示されてはいかがか、こういうぐあいに考えております。
  114. 橋本登美三郎

    橋本(登)委員 大体かんじんなことはお聞きいたしましたが、経営委員会委員の任命資格の中に、第十六條の第四ですが、政党の役員が欠格條項に入つております。これについて原案作成者側の御意見を聞きますと、政府としては一定の解釈は決定しておらぬけれども、国有鉄道法においては政党の役員とか支部の役員も、こういう規定が適用されておりますが、一貫した方針としては、そこまで考慮しなければならぬのではないか、こういうふうに考えられております。従つてこの政党の役員なるものは、一応政府の解釈からいたしますと、政党の支部の役員——政党の支部の役員と言いますと町村まで入るでしようが、支部の役員まで欠格條項になるということになつております。この点について、私自身はそれがあまりに広汎に過ぎるために、かえつて人材を得がたい場合も出て来るので、この点相当に狭義に解釈すべきではないかと考えるのでありまするが、こういう場合においての諸外国の例、あるいは吉村博士自身の御意見について承りたいと思います。
  115. 吉村正

    ○吉村公述人 この点は、イギリスのやり方とアメリカのやり方と、多少相違しておるように私は感じております。イギリスはこういう点につきまして、あまり嚴格な規定を持つておらぬようでありますが、アメリカはひとりこういう委員会に限らず、いろいろな委員会につきまして、政治的中立ということを重んずるような規定を設けておるようであります。諸外国の例はそういうわけでありますが、わが国のさしあたりの問題といたしましては、これはどの辺で役員というものを定義するか、むずかしい問題だと思いますが、あまり広く解釈することも、今お話になりましたような弊害がありまするし、またあまり狭くいたしましても、政治的公平を守るという意味において、あるいは遺憾な点が出るかと思うのでありまして、役員という言葉は意味が非常にあいまいでありますが、何かの方法でもう少しこれを明確に定められることが必要であると、先ほどから私ちよつと感じておりました。法律できめることはできませんが、施行細則か何かにおいてこの点は明らかにする必要があるように思うのであります。
  116. 橋本登美三郎

    橋本(登)委員 もう一つ恐縮ですがお答え願いたいのですが、国会審議にこういうような放送協会程度の議事を持つて来るということは、法律上においては何らさしつかえないと思いますが、実際上においては国会自身も迷惑するのではないか。しかも名義上の責任だけ大きく付されて、何らかあやまちがあれば、国会承認したのだからと、こういう逃げ口上に使われる危險がある。お話まつたくその通りでありますが、この法文では内閣を経て国会に提出する、こういうことだけでありまして、これを内閣を経て国会に報告するとあつた場合においては、内容的に相当かわつて来ると思うのでありまするが、專門の教授の立場から御意見を拝聽したいと思います。
  117. 吉村正

    ○吉村公述人 それは仰せの通りでありまして、報告するのと提出するのとは相当違うと思います。法律的の意味は非常に違つておりますが、実質的には報告されましても提出されましても、議会でお取扱いになるのは大体そう相違ないのじやないかと考えておるのであります。しかしこれは法文としては、報告とされることが適当だと思うのであります。そうしましてやはり監督責任は政府がこれを負う。しかしながら経営自体の責任は直接に経営委員会が社会的に負うべきものである。そういう仕組みの方が責任の所在が明らかになつて、より民主的であるように私は考えております。
  118. 辻寛一

    辻委員長 ほかにございませんか。
  119. 川崎秀二

    ○川崎委員 午前中の杉山勝美公述人にお伺いをいたしたいと思います。あなたの御説によりますと、国際放送民間放送にも許可したらいいじやないか、こういうような御意見があつたように思いまするが、そういう御意見でありましたでしようか。
  120. 杉山勝美

    杉山(勝)公述人 国際放送の許可というのでなくして、條文に初めから民間を除外に置くということがどうか。許可せよという要求でなくして、国際放送協会の方だけ通じてやるというように明記する以上は、民間局を使わないということになるから、そうでなくして、民間局の機能いかんによつてはこれを併用したらどうか。そういうことを初めから除外する規定を法文に明記するのは困る、こういうことを申し上げたのであります。
  121. 川崎秀二

    ○川崎委員 そういう御趣旨だと大体わかるのでありますが、もう一度さらに念を押してお答えを願いたいと思うのでありますけれども、元来国際放送というものは従来までも一般でやつて来た。それから通信言論の自由からいたしますると、当然国際放送であつても、何本出ても私はさしつかえないものだ、こういう考え方を原則としては持つておりまするけれども、今日日本は言うまでもなく連合軍占領台下に置かれているわけであります。従つてその方面からするところの国際電波の制約は、相当強烈に制約されるのじやないかということが一つ、その点においてはそういうようなことを言われても、現実においてはできないじやないか。可能性がないのじやないかということが、私があなたにお伺いしたい第一の点であります。  第二の点は、将来かりに連合軍が撤退をして、わが国から国際放送各種電波が流れるということが許されるにいたしましても、従来国際放送はどこの国においても、たとえばイギリスはもちろんBBC一本でありますし、また濠州でメルボルンの放送があつてもシドニーの国際放送があつても、放送局の局数は二つであつても、実際においては国内の言論というものはそう分裂して出ておるという傾向に私はないと思う。アメリカにおいてもこの国際放送に関する限りは、相当指摘し得るじやないか。言い方は違つてつても、国際放送というものはある意味における統制を受けておるのじやないかというような観点から、実際問題として不可能ではないか。この二点についてあなたのお考えを伺つておけば幸いだと思つております。
  122. 杉山勝美

    杉山(勝)公述人 私がここに公述した目的というものは、国際放送そのものにつきまして、これが民間局に使うのがいいとか、あるいは協会を通じたのがいいとか、こういう意味でここに引用したのでなくて、そういう民間局がある以上、一つの助長の手段として、こういうものを機能いかんによつては使つたらいいのじやないか。まして先ほども申し上げましたように、初めから電波監理委員会が命じますところの国際放送を、協会だけの方に持つて行く。こういう條文をその中に入れて、機能のいかんによつて使い得るところの民間局がもしもあつた場合もそれを除外する。そういう根本的な立法の趣旨というものがおもしろくない。こういう点においてお話したわけであります。
  123. 川崎秀二

    ○川崎委員 それではいま一点、梅田博公述人とそれから吉村公述人にお伺いをいたしたいのでありますが、本日朝の公聽会で古垣日本放送協会長は、民間放送局発達については、NHKとしても十分協力するのだ、協力態勢をしくのだということを言われたのであります。私はいかなる協力態勢をしくかということの具体的な内容についてお伺いをいたしたかつたのでありますが、すでに午後にはお見えにならぬという状態でありますので、むしろ中立的な立場に立つておられる御両者に対して、日本放送協会に対して民間放送会社が協力してもらうという面は、具体的にはどういうことであるか。たとえば施設の開放であるとか、あるいは優秀なる技術員の一時的な身分がえであるとか、派遣であるとかいう問題を主として指すものであるかどうか。こういうことに関連をしていま少しくつつ込んだ具体的なお話でも伺えれば仕合せだと思います。
  124. 梅田博

    ○梅田公述人 私の公述外のことでありますので、はつきりした御返事を申し上げることはできませんが、私の考えといたしましては、一番大切なことは資金の問題よりも何よりも、電波を開放してやることが一番大切だと思います。先ほど申し上げましたように、今度の電波は五百三十キロ・サイクルから千六百キロ・サイクルまで許可になつておりまするが、これを波長の中で割りますと約十キロの中があれば放送ができるわけであります。十キロの中がありますと、その差千百を十で割りますから、嚴密に言えば百十の放送局が開設できるわけであります。それでありますから、大まけにまけましても三十や四十は開設できる。それを独占的に日本放送協会がほとんど占有してしまつて、これでお前たちつて行けと言われたところで、やつて行けるはずがないと思うわけでありますから、現在の放送局というものを解体して、そうして分割して、独占形態というものをたたき直さなければ、日本放送民主化ということは絶対にできるものでないと信じておるわけであります。もちろんたいへんな犠牲を伴いますけれども、多大の犠牲を拂つてこそ、日本民主化が初めて成就できるものだ、つけ焼刀みたいな膏薬ばりをやつて、それで日本民主化を遂行できるという考え方は非常に甘い考え方で、何も日本放送協会は物的な援助、技術的な援助をなさらないでも、その放送の波長を分割されるということの恩惠に浴して、民間放送はおそらく立つて行けるものでないと私は信じまするがゆえに、この独占的な波長を開放されることが第一だ、こう信じております。お返事にならないかもしれませんけれども一応申し上げます。
  125. 吉村正

    ○吉村公述人 どうもお尋ねの点について、具体的な御返事を申し上げることはできませんが、やはりこれは二本建で行きますが、協力はして行つてもらわなければならぬものだと思います。またお互いにこの放送がどちらも一般社会のためになりまして、そうして日本文化の水準がだんだん高まり、日本の民主主義が完成するような方向に協力されることが望ましい。抽象的でございますが、こういう考えでございます。具体的な面については、たとえば鉄道におきまして国有鉄道と私鉄とが協力いたしますように、具体的にどういうことになるか、私は存じませんが、たとえば技術の面とか、それから技術者の養成というようなことにつきまして、これは十分な協力が可能ではないかと考えております。
  126. 中村純一

    ○中村(純)委員 ただいまの波長の問題に関連いたしまして、ちよつとお尋ねをいたしたいのでありますが、過日の本委員会におきまして私より政府に質問をいたしましたところ、今日までは日本放送波長というものは、NHK以外に放送事業者がないので、便宜的に全部の波長をここに一時ストツクをさせておつた形になつておるのであるが、現状においても三十幾つかの波長は捻出し得るという政府の答弁があつたのでございます。なおこの点につきましては今後本委員会におきましても、もう少しつつ込んだ質問をいたしたいと考えておるのでありますが、この波長の開放ということが、よく民間放送局側の方から言われるのでございまして、先ほども杉山勝美公述人から、第二放送の波長開放の御意見が出たように存じておるのでございますが、そのおつしやられる意味は、現にNHKが使つておる第二放送の波長までも、全部吐き出させるという意味でありますか。あるいは残つておるものを全部出せという御趣旨でありますか。その点ちよつと伺いたい。
  127. 杉山勝美

    杉山(勝)公述人 私が申し上げました第二放送の開放論というのは、現在持つておりますところの波長全部はもちろん、古垣公述人が申し上げました第二次五箇年計画の拡張案によりますものを全部一応御破算する。のみならず短波の割当をします場合には、第一、第二を通じまして最も合理的な割当をやつていただく。こういう意味を申し上げたのでございまして、割当の場合は第一、第二を通じての合理的な割当のやり直しということでありますし、波長の点につきましては、第二の現在持つておるものはもちろん、今申請しております五箇年計画による波長というものも、将来全部出していただく、こういうように思つております。
  128. 中村純一

    ○中村(純)委員 それから放送のプログラムを新聞の紙面にたとえてみますならば、NHK内容広告面のない記事ばかりの新聞であります。民間放送の方は広告もあり、記事もある新聞であります。しかしてこれをまた経営面から見ますならば、NHK広告收入のない、購読料だけでやる新聞である。民間放送の方は逆に購読料がなくて、広告收入だけでやる新聞のように思われるのでございますが、新聞経営をもつてただちに放送事業経営を類推することはいかがかとは思いますけれども、またかようなお尋ねをいたしますことは、あるいは御迷惑かとも存じますが、朝日新聞とか何新聞とかいうのでなく、今日新聞経営において、広告收入というものと購読料というものは、どういう比率を持つておるものであるか。もしおさしつかえがなければお教えを願いたい。どなたからでもけつこうであります。
  129. 梅田博

    ○梅田公述人 どこの会社でも、さきほどの水谷さんのお話ではありませんが、そういうことは極祕になつておるらしくて、経営主でないわれわれは、実のところ存じていないのでございます。でありますが、少しそれに附加しまして私の議論を言わせていただきますと、三十五円なら三十五円という基本ベースをつくりまして、民間もNHKも同一の立場で競争する。そして自分が拂いたいと思う放送局に、その三十五円なら三十五円を拂つたらよい。そうしました場合には、必然的にいいものに金が集まり、悪いものはすたれるというような結果になりまして、お互いに競争がはげしくなりますから、今のところ広告料だけでやつて行くということが一番望ましいことでありますが、それができないとすれば、基本ベースをつくつて、そしてこつちには十円拂い、こつちには五円拂うという意思表示をするような、一つのスライデイング・システムというものを設置しましたならば、ほんとうにこの放送が伸びて行くのじやないかと思うのであります。私案を申し上げましてたいへん恐縮でありますけれども、そういうように思います。
  130. 中村純一

    ○中村(純)委員 先ほど梅田さんのお話の中に、暴力をもつて政府を破壊するような通信、あるいはわいせつな通信を発したる者が罰せられるという規定が放送法案の中になくて、電波法案の中にあることは、これは官僚が公聽会のようなものをエスケープしようとする意図から出たものではないかというような御意見があつたのであります。この原案を作成したのは官僚でありますから、その点は私存じませんけれども、この公聽会にかけるかかけないかという問題は、実は国会の問題であるのでありまして、ただいま御指摘の電波法案につきましても、実は明後日公聽会を開く予定にいたしておるのであります。その点はあしからず御了承を願いたいと思います。  それから今の点に関連いたしましてお尋ねをいたしたいのでありますが、梅田さんの御意見によりますと、その設備を持たずしてこの種の通信を発したる者、すなわち放送に参りまして、放送出演者がかような言辞を弄したる場合に、その者が処罰せられることは、言論の彈圧であるからいけないという御趣旨のように承りましたが、さようでございますか。
  131. 梅田博

    ○梅田公述人 第一からお答えいたします。これは官僚がつくつたかつくらないかということは、私は知らなかつたのでありますが、いかにも官僚らしい法律なので、多分そうだろうと思つたのであります。  第二には、全体の趣旨から見ますと、設備をつくつて、その持つている者が放送した場合というのは、これは全体の趣旨であります。この條文だけを見ますと、どつちにでも通用するような規定になつておりますので、それではいかようにでも解釈されます。たとえば民衆の圧力によつて内閣を倒せ、こう言つた場合に、これは暴力によつて内閣を倒せということであるとこじつけるというようなことが、かりにあつたとしました場合に、これは非常な言論の自由というものに対する侵犯でありますので、ことにそういつた実体法的な放送法案の中に入れていただきたい。理想的に申し上げれば、事いやしくも憲法の基本條項に関することでありますので、刑法に入れていただきたい。その刑法はラジオの発明以前の、前時代的な刑法でありますから、それを若返らせる意味におきましても、時代に即応した刑法に入れていただきたい。それがだめなら放送法案に入れていただきたい。電波管理法というものは、非常に技術的な感じを與えますし、またその公聽界におきましても、技術界方面の人が多く来られると思います。それで申し上げたわけであります。
  132. 中村純一

    ○中村(純)委員 ただいまのお話によりますと、当該條文に規定せんとする事柄それ自身がいいか悪いかというよりも、その規定の方法がよくないという御趣旨のように承つたのですが、そうですか。
  133. 梅田博

    ○梅田公述人 この法案というものは、率直に申し上げると反共法としてできたものでございます。でありますので、ここに政府を暴力で破壞することを主張する通信を発した者は云々ということは、これは明らかに共産党をさしていると思います。それで私の立場としまして、言論の自由ははつきり守りたいのだけれども、あまり共産党に対して御同情申し上げておりませんので、ここに一つのジレンマに陷つているわけでありますけれども、やむを得なければ、事いやしくも言論の自由に関する問題でありますから、刑法なり、実体法であるところの放送法案に入れていただきたい。これがいいとか悪いとかいうことは別個の問題だと存じます。
  134. 中村純一

    ○中村(純)委員 わかりました。
  135. 松本善壽

    ○松本(善)委員 別所さんかと思いましたが、話は抽象的であつたようでありますけれども、非常にけつこうな、当を得た御意見で、その趣旨には同感いたすものでございますが、その言葉の中でこう述べられたと思うのであります。協会は、義務教育であるとか民間教育というようなもの、それに対する專門的な、いわゆる実態教育といいますか、職業教育とも言いますが、そういうような別個の線で発展させた方がよかろうというような御趣旨のように承つたのであります。その趣旨に基いて考えるときにおきまして、先ほど梅田さんの言われたジレンマという言葉を拜借いたしますなれば、私もそういう感じがいたします。そこでこの点について技術者の出身であられる杉山達郎さんのお話と、吉村さんのお説を伺いたいのでありますが、梅田さんのお説を拜聽いたしますと、放送局はぶつこわしてしまつて、そして放送を開放せよというお言葉のように承つたのでありますが、しからば実際面において、現在二十有余年やつて参りましたところの日本放送協会の事業に対して、今度新しく出て来るところの民間放送が、はたして対等の競争をして行つたならば、どつちがいいだろうかといわれた場合において、おそらくあとから出て来る方がひけをとるのではあるまいかと思います。従つてこの経営という面に立つては、吉村さんに御批判願いたいのでありますが、杉山達郎さんには、現法案におけるところの問題、あるいはNHK関係に許しておりますところの波長によつて、いわゆる民間事業というものは技術的な面においてはたして今後なし得るかどうか、お尋ねいたしたい。まず杉山さんの方から御意見を承りたいと思います。
  136. 杉山達郎

    杉山(達)公述人 NHKをぶつこわせという問題でありますが、これは波長を全部取上げてしまつて、御破算にしてやり直せということでありますが、私の考えますところでは、それはむだなことだと思います。それはなぜならば、波長というものは、おれはこれがいい、あれがいいということできまるものではありません。これは国際的な電波でありますから、アメリカその他にも認識されている電波もございますし、その電波自身にもいろいろ歴史がございます。ですからこれを全部御破算にしろという意見は、私は持つておりません。但し道を横になつてばかり歩くことを考えずに、縦になつて一列に歩くことも考えなければいけないと思います。それは通行人が多くなつたからであります。具体的に申し上げますと、戰争中に国内で使つておりました波長は十指に満たないものでありました。それでもある程度のいわゆる放送というものは確立されておりました。またNHKの第一放送にいたしましても、全国放送のプロが非常に多いのであります。その点から考えまして、同一周波ということも考えられます。これはだれもが安易な方法によつて、安易な技術によつて放送しようといたしましたならば、ここに争いがありますけれども、技術の面においてある程度努力をして、みながここをとろうじやないかという気持がありましたならば、私はこわすなどということを考えなくても、解決する問題だと思つております。
  137. 松本善壽

    ○松本(善)委員 了解しました。次に吉村さんにお伺いいたします。
  138. 吉村正

    ○吉村公述人 日本放送協会と民間放送事業とを、日本放送協会をやめてしまつて民間放送局にしたらどうかということについてのお尋ねのように承つたのでありますが、この点については、午前中古垣会長からお話がありましたように、アメリカは民間放送でやつております。それからイギリス等は公共企業体としてやつておるようでありまして、わが国はその中間を行きまして、二本建でやろう、こういうことでございます。これはどちらがいいかという問題になると、りくつはどちらにもつくだろうと思います。何しろ今まで日本は、御承知のごとく日本放送協会一本でやつて参つたのであります。これを今急に全然こういうものをやめてしまつて、全部自由競争による民間放送に一ぺんに移して、それがはたしてうまく行くかどうかということにつきまして、アメリカの社会的経済的事情と、わが国の社会的経済的事情とは、多少異なつておると私は考えるのでありまして、むしろわが国はややイギリスの方に近いのではないかというように考えますので、安全という点から考えまして、目下のところは二本建でやることが当を得たものでないか、かように考えておるものであります。
  139. 松本善壽

    ○松本(善)委員 了承いたしました。次に森田さんにお尋ねしたいことでありますが、NHKその他機械のことで、私はちよつと受取れなかつたのであります。たとえば聽取料その他を徴收する際に、どつちに料金を拂つたらいいかというような疑問を持つことがある。われわれのちよつと知らないようなことを教えていただき、再質問するようで申訳ありませんが、どういう場合にそういうことが起り得るかということを、一応御説明願いたいと思います。
  140. 森田實

    ○森田公述人 私の御説明いたしたことは、中波を、NHKのみならず一般業者にも與えよ。そこで分配の問題が当然起つて来るが、この分配というものにも技術面で限度がある。中村先生から先ほど相当の数の電波の余裕が出るというようなお話も承つたのでありますが、しかしこれはNHKも相当辺鄙なところまで放送を届かせようとしますと、かなりの波長を使わなくてはならぬと私は思うのであります。それですから、その波長に限度がある。しかしそうかといつて、中波を一般業者に許さぬということはいかぬから、ある比率を電波監理委員会できめるだろうと思うのです。その場合に同じ中波を持つていても、今中波で申請しておるところが相当新奇な、奇抜な放送、有益な放送というもので多角的に編成をやつた場合に、NHK放送を聞くよりも、一般放送を聞いた方がよろしいという場合も考えられる。その場合に、NHKを聞かないのに、約五百KCから千五百KCの電波を受取るのだから、聞かなくてもこれは拂わなければならぬということになると、非常に感情上の問題が出て来はせぬか。従つてNHKにはあるバンドを與えて、そのバンド内の受信機を所有する者から料金を徴收せよ。それでそういうバンドの測定というものは、決して技術的に困難な問題ではないというわけであります。
  141. 松本善壽

    ○松本(善)委員  一応了承しました。
  142. 飯塚定輔

    ○飯塚委員 ラジオ日本の別所さんにお伺いしたい。この法案審議に際してのよい参考になると思いますが、先ほどあなたのお話の中に、政府は民間放送がやれるならやつてみろという態度であつてはいかぬ。なるほどそう私も感じております。また民間放送の成立つように法案審議してほしいという御希望がありましたが、もしも具体的なお考えがありますならば、たとえば民間放送に対する法律の保護だとか、電力、周波数等の割当だとか、あるいは料金の問題であるとか、何かそういうような具体的な問題がありましたならば、簡單でよろしゆうございますからお伺いしたいと思います。
  143. 別所重雄

    ○別所公述人 お答えいたします。今御質問のように、民間放送がやれるようにしていただきたいということは、先ほど公述しましたように、この問題について考えておる者のひとしく希望するところであろうと思います。そこで具体的な問題ですが、この最も根幹をなしますものは、電力、電波であります。電力が、NHK放送を少しでも妨害するというような建前から制限を受けますと、また周波数としまして、能率的に非常に悪いところの周波数でなければ、民間側に割当てられないというふうなことであつては、困るわけであります。そこで重点的に電力、電波の割当に対する当局の考慮、それから先ほど技術面で杉山氏からお話がありました、たとえば協会電波民間側電波が重なり合いまして妨害し合うというブランケツト・エーリアの問題、電界強度の決定についての問題、こういう問題について少くとも民間側でおそれ、かつ心配しておりますことは、この基礎は現在の協会目標にしたものであつて、妨害するという言葉の意味は、協会電波を妨害するものであるといつたような解釈が、一般に行われておると思うのであります。これらを総括いたしまして、特別のNHKの性格をこれから育てて行くために必要とするといわれるところの、国家的保障というものを置いてある限りにおいては、やむを得ないと思うのであります。その以外の面における協会に対するこの問題の処理と、民間側に対するこの問題の処理を平等にし、なお先ほど混信分離の問題につきまして、政府当局も御考慮いただきたいということを申し上げたのですが、その意味は、民間側においても大いに自発的に推進するでありましようし、同時に政府といたしましては、できるだけこの線の助長をしていただきたい。それからたとえば民間放送の企業的な、経済的な面につきまして、非常に大きな不安を持つて出発するわけでありますから、これも一つの具体的な方法といたしまして、これが可能であるかいなかは別として、希望として申し上げれば、ある暫定期間内の営業税の免除といつたふうな特典が、與えられないものかどうか。それから資金融通等の、例の優先順位の場所を、せめて乙の上ぐらいにおとりはからい願えないものだろうか。かりに十キロ程度のものを計画いたしますと、一億五千万円ぐらいの費用を要するわけであります。しかもこの経済の困難な時代におきまして、約一億の設備を要するような現状から見まして、どうしてもこういうふうな低金利の処置を受けなければならぬ。これに対して国家としてできるだけの御援助をしていただくならば、民間放送側は非常に安心して、シユアーな経営の緒につくことができるであろうと思います。繰返しますが、電力、電波の割当に対する御考慮をいただくことがかんじんだと思います。それから電波相互干渉に対する考え方を、民間側NHK側と同一の條件において御考慮願いたい。なお広告税は免除されるそうでありますが、できれば暫定期間内の営業税の免除、それから資金融資待遇、それらのことを今の御質問に対してお答えいたします。
  144. 中馬辰猪

    ○中馬委員 杉山勝美さんにお伺いいたしたいと思います。先ほど来電波、波長の独占、NHKが持つていると、いろいろな関係によりまして、民間放送に対して、門は形式的につくられたけれども、通らんとしても道路もなければ電燈もついていないので、ほとんど絶望的であるという御意見を承つたのでありますが、もしかりにこの原案がそのまま通つたといたしますならば、はたして民間放送が事業的に成立し得るものであるかどうか。あるいはまつたく絶望しなければならぬものであるかどうかについて、御見解をお尋ねいたしたいと思います。
  145. 杉山勝美

    杉山(勝)公述人 この法案がこのまま通りました場合には、非常に困難な経営状態になる、こういう不安を持つております。しかし私が公述いたしましたように、民間の企画をしておりますうちに、これは絶対だめだと初めから敗北主義を掲げて、そのために、たとえば民間局一つでいい、それ以上にすると経営的に成り立たぬ、こういう言をなすものが民間側にもあるのであります。しかし私はそれにも賛成できない。非常に不安はあるが、何とか乘り切ることができる。こういう自信と抱負を持つております。これは実際にやつて見なければわかりませんが、絶対に不可能ではないという抱負と確信を持つておる次第であります。
  146. 受田新吉

    ○受田委員 吉村先生にお尋ねいたします。あなたのお考えになつておる経営委員会の構成であります。あなたは合議制に対して賛意を表しておられないようでありましたが、これがこのごろこれに類似したあらゆる法案に出て来る形態なのです。それで、これとほとんど同じものが、文化財保護法で今構想を練られておるのですが、こうした合議体に八人とか五人とか限られて人数が出ると——これは八地域を代表するものでありますが、地域的代表ということがあまり強くなり過ぎて、各層各階の権威を網羅することができないので、人数という問題について、合議制であるならばもつと多い方がいいか、少い方がいいかという問題が一つ、それから経営委員会委員は無報酬になつておるのですが、こうした重要なる任務を担当しておる人たちに、無報酬ということが妥当であるかどうか。この二つについての御見解をお尋ねしたいと思います。
  147. 吉村正

    ○吉村公述人 今お話のありました経営委員会が合議制であることには、反対でないのであります。私の反対いたしましたのは、監督官庁としての電波監理委員会が、合議制であるということに対してであります。お尋ねの第一点の経営委員会の人数の問題でございますが、これは非常にむずかしい問題でございます。かつてイギリスでハルダン・コミツテイーというのができまして、協議する場合の人数を研究したことがありますが、それによりますと、大体ラウンド・テーブルをぐるつと取巻いた十二、三名ということが出ております。まあそのくらいの程度で、あまり多くない方がよかろうと思う。アメリカのカウンシル・マネージャー・プランでは大体五名であります。委員数は偶数よりは奇数であることが、原則として望ましいと私は思つております。これは会長を加えて九人になつておりますが、先ほど申し上げましたように、会長がすでに経営委員会委員になつてつて、それが委員の任命もすることになつておるので、この規定はちよつと矛盾しているように思うのです。そういう点から言いまして、委員を九名とか、奇数にしておく方が、たとえば可否同数ということがなくなるので、問題を決するときによいと思います。ですから大体九名がよいと思いますが、五名でもよく、人数はできるだけ少数で強力なのが、私はよいように思います。それから報酬のお話でございますが、それはこの経営委員会委員の任務にもよると思います。これによりますと、くわしいことはちよつと覚えておりませんが、八名の委員が全部出なければ会議が開けないものでもなく、四人出れば開けるようになつておりますが、八人のうち四人だけでも議決が成立ち、根本方針が決定され行くということには、どうも賛成いたしかねます。原則的に三分の二くらいが出なければ、会議が成立たぬというぐあいにきめられるのが妥当のように思います。そういう点からいたしまして、始終ここに出て、経営主体として職責を果されます者には、一定の報酬を出す方が正しいように思います。
  148. 受田新吉

    ○受田委員 技術面の担当であられる森田さん、それから杉山達郎さんにお尋ねしたい。先ほど来のお話の中に、專門的立場からの御観察があつたのですが、ここで直接問題にぶつかるのは、受信機の製造とか修理とかが、現実にあなた方がお考えになられて御期待の線に沿い得るかどうか、これが私の一つの疑問です。先ほど森田さんから、超短波や中波の装置が自由に操作できるというお話があつたけれども、そういう機械を持ち得る家庭はそうたくさんあるわけではない。森田さんのような特殊の御家庭の方がお持ちになるだけで、大多数の国民はほとんど経済的に不可能である。こういう場合に、民間放送の可能性ということに言及されるのですが、この点について、現状における受信装置の打開策、現在の経済的立場、あらゆる情勢を判断しての見通しなどについて、技術家の立場から御意見を伺いたい。
  149. 杉山達郎

    杉山(達)公述人 受信機の改造の問題でありますけれども、私は三球か四球の受信機を一躍スーパーにするようなことは、とても不可能なことだと思います。結局これは改造でありまして、それに一球加える程度で大体いいのじやないかと思つております。そのことによりまして、先ほど来盛んに申しておりますブランケツト・エーリアの問題とか、それから混信分離の問題が解決いたします。たとえば今まで高周波がないところは、電波の使用が三対一しか考えられないけれども、それが高周波をつけますと、一番悪いときで、一対十、ちよつと專門的になりますと、一対三十ぐらいの比率によつて分離するわけでございます。これは周波数が一・二ないし三ぐらいのところでございますけれども、その程度において相当技術の発達に寄與すると私は信じております。ですから私はいきなりスーパーにしろの何のということは考えておりません。ただ国民普及型四号以下の受信機が、現在五〇・八%でございますか渡つておりますが、その受信機に高周波装置をつけるとか、あるいは一球つけて簡單なスーパーにするということによつて、解決できると考えております。
  150. 森田實

    ○森田公述人 今杉山先生からいろいろお話がありましたが、私は非常に積極的な、ややこれは口巾つたいですが、進歩的な考えでラジオ界を推進さしていただきたい。こう思うのです。科学の進歩というものは、いろいろな制肘はありますが、これは抑制できない。かつて日本無線電信株式会社法が成立して、対外通信を長波の通信で開始した。そのとき政府は現物をもつて、株式の半分を持つてスタートした。そんなときにわれわれが技術者としても一番驚いたことは、長波の施設を数百万円かけまして完成するやいなや、もうすでにその施設は旧方式に属して、短波通信をしなければならぬ。とうてい世界各国と通信するためには、長波ではだめだ。ドイツのテレフンケンからその長波の設備を買つたのですが、われわれが長波の設備を受けて試験しようとするその最中に、もうすでに一方には短波の増設施設をやらなくちやいかぬ。こういうふうなことがあつて、その当時の事務重役は非常にあわてたのです。それで私は中波放送というものにあまりに執著しておるということは、たといそれが株式によつて募集されても、その株式に応募した人に対して迷惑を與えはせぬか。戰前から米国はFM放送をやつておる。テレビ放送がもうすでに中波放送を圧倒というほどではありませんが、今テレビ、テレビと進んでおる。こういう情勢にあくまでも中波、そうして並四球とか、あるいは高周波とか、そういうところにあまり執着せず、NHKでも超短波の放送をするくらいのところまで持つて行かれるというようなことをしませんと、いつまで経つて日本ラジオ工業というものも進歩しませんし、またその他の問題も悲観的なことになりはせぬかと心配するのです。技術面といいますが、実はラジオ工業というものは、これは高周波工業に属しまして、いずれの産業においても、これはみじめな境遇にある。それは需要がないことです。この需要をある程度まで超短波放送をやりまして刺激してやる。そうしますと高周波工業というものが発達しまして、輸出にも向くというようなことにもなつて行くと思うのです。それですからひとつぜひFM放送なり、テレビ放送なりというものにかなりの便宜を與えて、それがうまく行くようにして“中波の波長の争奪戰というようなみじめな状況は、なるべく解消してしまつた方がいいのじやないか。それからラジオ関係の技術者というものは、今南方、支那、満州から引揚げて、失業で困つておる。これも救済してやらなくちやいかぬ。ぜひひとつ中波放送という狹いわく内でものを考えないで、超短波の新分野を開拓するように指導していただきたいと私は思うのであります。
  151. 受田新吉

    ○受田委員 最後にまとめて、これが私の質問の終りになりますからお尋ねしたいのですが、森田さんに重ねてお伺いしたいことは、現在のような電気の施設の立場で、離れ島で電気の設備のないところ、こういうところに特殊の受信装置をなし得る可能性がないか。そういうところで一箇所へ集まつて、その島の人が何らかの装置により、どういうものでもいいから、何とかそこに受信装置があつて、その島の人が毎日そうしたラジオ放送により文化に浴せるように、そういう道を開く大きな運動を起す必要があると思うのですが、これに対する見透しと、それからこれは無線放送に限つてでありましたが、将来有線放送ということも当然考えなければいかぬ。その有線放送というようなものを、この無線放送とあわせて考えるということに対するお考え、この二つをお願いする。  それから杉山勝美先生は今朝来非常に御熱心に、終始ここにお残りいただいて、御研究をしておられるその真摯なお姿に深く頭をたれるものでありますが、この民間放送のためにとにかくやろうという御熱意に、私は非常に敬意を表します。それについて今朝来の公述の際に、現状において協会放送と民間の放送の調和がとれない場合においては、特殊の受信装置によるところの、独特なる受信網を設けてでも、対抗する用意があるというお話がありました。これほどの御決意に対するこれも見通しを述べていただく。  以上の点をお尋ねして質問を終りたいと思います。
  152. 森田實

    ○森田公述人 私は島あるいは非常に山奥で、電力線の行つていないところで放送を聞きたいというような方のためには、従来電池式のものが使用されておりましたが、電池式の中にも乾電池を使用するものと、蓄電池を使用するものと二色あるわけです。それでこれは非常に安くできるのですが、この乾電池の方は経費がかかりますから、できたら小規模のガソリン・エンジンを部落に一つ設けまして、蓄電池を充電しながら使つていただく。これが経済的ではないか。今一般に使つておるような交流の受信機は、絶えずガソリン・エンジンを動かしていなければならぬ。騒音がやかましい。またその番人もいるわけですから、蓄電池式で小型ガソリン・エンジンで充電して使用するというようなことを、島などの電力のないところの方はおやりになつたら一番いい、こう考えます。  それから有線放送の問題ですが、この有線放送というものには、電力の節約という一つの問題がある。放送電力を節約し得るという一つの問題、それから周波数は、今の周波数よりももつと高い周波数を使い得るという点、あと一つ電波を国外に出さないというような場合に、たとえばここで発射した電波をソ連地区に——こういう例をとつていいか悪いか知りません。これははなはだまずいかもしれないのですが、あるいは中共に聞かせたくないというような場合に、電波の伝播範囲を局限し得るというような利点があるのですが、これはあまりやらない方がいいと思うのです。こういつたようなことはやめて、むしろ進歩的な、いわゆる超短波のFMの放送をやる、テレビをやるというような方向に金を使つた方が、より効果的だと私は考えます。
  153. 杉山勝美

    杉山(勝)公述人 受田議員からの御質問でありまするが、私はきようの公述の結びといたしまして、門が小さくてどうしてもくぐれないというような場合には、その門を押し倒し、乗り越しましても、突進する勇気があるということを申し上げたのでありますが、これは非合法的なことをやるということを申し上げたのではなくて、先ほど御質問にありましたように、NHKの標準放送を全然キヤツチしない。たとえばラジオ日本放送だけ、あるいは朝日放送放送だけ聞ける機械をつくりまして、門が非常に狭くてどうしてもくぐれないという場合には、そういう奧の手があるということを、一つの例として申し上げただけでありまして、まだその奥の手を全部ごひろうしてはおかしいと思いますが、たとえば現在NHKがありまして、非常に料金をよく拂つていらつしやる。二十四年度においては收入は三十二億、こういうものを全部拂つておる。これは大体新聞におきましても、購読料をよく拂つておるのでありますが、放送の方も非常によく拂つておる。これは聞いても聞かなくてもよく拂つております。しかしもしももう一ついいものができまして、その方が聞けるような場合には、NHKは倒れてもいいということになる。そうなりますと聽取者の皆さんは、たとえば三十五円というものを不拂いするということはできると思うのであります。三箇月不拂いすると、NHKは非常な打撃だと思う。その場合にNHKはどういう手段をとるかと申しますと、民事訴訟以外にはないと思います。そうしますとNHKは下拂いのものに順次一軒ずつ民事訴訟をして行かなければならぬ。八百三十万の民事訴訟をしなければならぬ。これではたちまちNHKはつぶれてしまう。そういういろいろな奧の手もあるということだけ御承知を願いたいと思います。
  154. 辻寛一

    辻委員長 本日はこの程度にとどめます。  この場合、一言公述人の皆さんに御挨拶を申し上げます。本日は御多用中にもかかわりませず、長時間それぞれ御專門のお立場から、きわめて貴重なる御意見を御発表いただきまして、われわれ法案審査の上に、非常契席に有益なる参考に相なつたことを、厚くお礼を申し上げます。  明日は午前十時から第二回の公聽会を開くことに相なつております。念のために申し上げます。これをもつて散会いたします。     午後五時五十五分散会