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淺岡参議院議員 これは昨年のことを申し上げてはなはだいかかがと思うのでありますけれ
ども、ちようど昨年の五月の二十日にタス通信からすでに皆さん御
承知のように、従来ソ連に残
つておる者は五十九万四千人だという発表があ
つたのであります。そうして四十一万人千百六十六人を当初から今日までに返した。それから現地で七万八百八十人を解放した。残りの十万四千九百大十四名というものは、そのうち九万五千名を六月から十一月までに返す、残りの九千四百六十四名は戦犯その他で返すわけに行かぬということをタス通信によ
つて発表された。私はさつそく当時厚生省にお
つたものでありますから、復員庁の吉積事務官とともに留守業務部に行きまして、一切を調査したわけであります。もちろんその前に舞鶴に参りましたり、あるいは函館へ参りましたりして、そういう問題に対しては
内容は聞いておりますが、しかし何と言
つても千葉の留守業務部が一番わかるというようなことで、数日実態調査というものを見たわけです。そのときに、部屋の大きさと言いますと、この
委員会の部屋の三倍くらいある部屋で、そこでずつとカード組織にな
つていて、約千七百名近い人が従事しております。そのカードを扱
つている人は婦人が多いのです。婦人はどういう種類の婦人かと閥きますと、留守家族の人であ
つたり、遺族の人であ
つたりするそうですが、その婦人たちに聞きますと、こうや
つてカードをいじ
つているうちに自分の夫が出て来はせぬか、あるいは自分のむすこが出て来はせぬかというので、時間などにかまわずに、ほんとうに真剣にや
つている。その姿を見まして感激いたしました。そこで聞きますと、大体鈴木三郎とい
つたような名前は全国で約二万六千からある。東京都だけでも約八百六十六人からあるというようなことで、地域的に鈴木のすの字が出ればどこの県のどこの村の人かということで集約してや
つておる。私は今日本
政府がや
つておりまする千葉留守業務部のいろいろな仕事を見まして、
向うに残
つておる人、帰
つて来た人の数字を調べることは容易なわざではないと思いましたが、この容易なわざでないことを、とにかく日本の
政府としてはや
つておるということに対して、非常に敬意を持
つたわけであります。さらにその中で死亡者ということになりますと、これは
向うから帰
つて来た人に、あなたの知
つておる
範囲の人を書けというので、これはまあ覚書というようなものを舞鶴あるいは函館でやらせます。さらに各都道府県世話課でや
つておるわけであります。そういうわけて、二人以上の確認者、あるいは三人以上の確認者があ
つたというときに、それをさらにあらゆる角度から町村で詞べる。そうしたして確認書を渡すというのを実際に見たわけであります。そうして自分としてはそれを見て、容易ならない仕事だというふうに思
つております。さらに今度は昨年
帰還者から証言を求めたときに、民主グループにいた高山君かと思いますが、あるいは名前は
違つておるかもしれません。その証言によりますると、
向うでは死んだ場合には五通の書類を書く。その一つは万国赤十字、その一つは司令部、もう一つは日本
政府、あとは現地と、それからソ連に残して来るというようなことを言われた。しかしそういうことは実際になされておらぬではないかと言いますと、いや、自分たちはそういうふうにしておるものだと思
つてお
つたというようなことを言
つておりました。
さて今の御質問でありますが、
ソ連地区におるところの死亡者の有無の問題につきましては、申し上げれば際限のないことでありますが、根本は
向うで発表しない限り、こちらではわからぬということでありまして、さよう御了承願いたいと思います。