○木嶋
公述人 日本教職員組合の木嶋でございます。
国家公務員の
職階制に関する
法律案に対する私の見解を申し述べたいと思います。今われわれが
職階制に対しで模範としておりますところの
アメリカの
職階制の
採用は、人民による
政治形態として当然であるところの
自由任用制度、猟官
制度が、政党の情実によるところの任免、昇進が行われ、腐敗堕落したことと、その
採用したところのしろうとの非能率的であるということによ
つて、政党を通しての人民の
官僚への支配を犠牲にしても、専門的な、あるいは技術的な、能率的な、公正な
官吏制度たる
職階制を選ばしたのであります。そしてこのことはまた近代資本主義の発達が、行政において、企業において規模が拡大し、
複雑化し、それに伴
つて分業化、専門化、技術化して来たことが、何らかの統一あるところの分類、整理をして、科学的、能率的たらしめることが必要になり、そこに
職階制を必然的に必要ならしめたのであると考えるのであります。
従つてその必然性から、
職階制採用の
目的は明らかだと思うのでありますが、これについては時間もございませんので、一応本
法案の第一條第一項の「公務の民主的且つ能率的な運営を促進することを
目的とする。」ということ、それからより具体的には、第二條第二項によるところの「
給與準則の統一的且つ公正な基礎を定め、」あるいは「
試験及び任免、」「教育訓練並びにこれらに関連する各部門における
人事行政の運営に資する」ということが
目的だと考えられます。これらの
目的がはたしてこの
法律によ
つて達成できるかいなかが問題でありますけれども、そのために、以下私は申し上げたいのでありますけれども、その前に先ほど申しましたところのこの
職階制が、歴史的にも、経済的にも、
政治的にも、ある程度の必然性を持つならば、この
職階制を
採用するためには、現在の
日本においてその基礎としてなされねばならぬところの前提條件が存するのではなかろうか。その前提條件についてまず申し上げたいと思うのであります。
その第一は、
日本の過去の
官僚制度は、公僕あるいは人民の奉仕者ではなくて、人民に対して権力をも
つて支配し、まつたく人民と無
関係の特権的階級であつた。前に申しましたことく
アメリカの
公務員は、人民、政党が
公務員を支配し過ぎたことから
職階制を
採用したのであ
つて、この点わが国と
職階制を
採用する以前の基礎が、まつたく異な
つておると言われると思うのであります。しかも現在わが国において最も重要なことは、権力主義的、絶対主義的
官僚制度を打破し、人民の支配し得る、人民の奉仕者たらしめる
公務員制度の確立こそ、現在
公務員の
人事行政を民主化する本質的な基礎であ
つて、このことと
職階制とはまことに相反する形になりますので、この
関係を明確にせずして、ただいたずらに米国にまねることは、まことに危険でなかろうかと思うのであります。
前提條件の第二は、
職階制採用は、経済の安定の後になされねばならぬのではなかろうかということであります。それは
職階制は、
給與をその
職務と
責任によ
つて決定することを
目的としております。
公務員の
給與は最低生活を保障するものでない限り、民主的、能率的運営は確保されないのであります。このことは今回の
人事院の
給與水準改訂勧告の
最初においても、公正適当なる
給與水準は、少くとも
職員に最低限度の生活を保障するに足るものでなければならぬと
言つております。しかしながら実質賃金が戦前の三分の一である現在、
職階制によ
つて職務と
責任の低い
職級に格づけられた者は、最低生活を保障するところの費用を大幅に割る
給與を支給されて現在もおり、今後もされる可能性があるのであります。
従つて経済が安定し、賃金水準が労働力の再生産を上まわり、最低の
職級の者も最低の生活ができ得る状態にな
つて、初めて
職階制が
実施され、その
職階制によるところの
給與が支給されてしかるべきではなかろうか。
第三の前提條件としましては、
公務員の質の改善ということを申し上げたいと思うのであります。元来
職階制はその
職務の分類であ
つて、個々人の身分とか、あるいは人格、社会的価値の分類ではないのでありますけれども、過去の
日本の
官僚制度が、天皇の官吏としての封建的、身分的
制度であつたために、その慣習が身分、人格、社会的価値の上下として取扱われ、そのために多くの弊害が予想されるのであります。このような観念を除去しない限り、
職階制はかえ
つて逆な効果を生むのではなかろうかと私は心配するのでありますが、このこともまた
公務員のみずからのあり方によ
つて決するのでありまして、
——今私はみずからのあり方と申しましたけれども、もしみずからのあり方を民主的かつ能率的になさんとするならば、このあり方によ
つてもまたできるものと思うのであります。この点
公務員の構成がきわめて劣惡であるということを、私は申し上げたいのでありますけれども、私は教
職員組合の立場から申しまして、教員の構成について申し上げたいと思います。
お配りいたしました「教育
職員の
給與は如何にあるべきか」そのうちの構成についてだけ簡單に申し上げたいのでありますけれども、
最初の図表を見ましても、二十三年度において、小学校においては二十六歳以下が全体の五二・九九%を占めております。中学校においては四〇・七八%、しかもこの図でごらんくださいますように、中堅層が非常に低いということが言えると思うのであります。その次の次の図表でございますが、これは勤務年数別に見たわけでございますが、小学校において五年以下の勤続年数が五二・九一%、そうしてまたこの図に見られるように、中堅層がきわめて少いのでございます。その次の表は、中学校の勤務年数別によるところの表でございますが、これも五年以下が五七・五七%であります。しかも中堅層が非常に少く、かつ赤い線が二十四年度でありますが、二十三年度より二十四年度の方が惡くな
つておるという現象を呈しております。その次の数字は省きますが、下にグラフのあるところの学歴別に見た図表でございます。これにおきましても、小学校においては中学校卒が五一・六%を占めておる。小学校の
先生のうち師範学校を出ない、すなわち中学校卒が五一・六%、半数を占めておるという事実、あるいは助教が二四%近くあるということ、あるいは今年の師範学校に希望するところの率が、募集人員に対して応募者が七〇%しかなかつた。これらのことを見ましても、きわめて
職員の構成が惡いということが言えると思うのであります。かくのごとき教員構成においては、さらに教育の危機を深めるであろうと思うのであります。このことは他の官庁においても言えることではないかと思うのであります。このような
公務員の構成において
職階制を
実施しても、前に申しましたごとき弊害が生じ、あるいは能率的な運営も期待できないのではなかろうか。
職階制をしくと同時に、有能な
公務員をいかにして誘致し、確保する施策こそ、まずとられなければならないのではないかと私は考えるのあります。
前提條件の第四は、
能力と希望とによ
つて、だれにも任用、昇進の道が開かれなければならないと思うのであります。
職階制による各
職級への任免、昇級は、ある一定の
資格を有する者の競争
試験において行うのであります。これが民主的たらんとする限りにおいては、だれもが希望と
能力によ
つてその
資格を得る機会が與えられ、競争
試験に加わり得るものでなければならないと信じます。不幸な家庭に育つたために一生下積みとなり、生活の脅威を受けなければならぬということは、民主主義社会の恥辱であるとすら考えるのであります。かかることの解決のためには、希望する者すべてに修学の機会が與えられるための教育施設の拡充強化が必要であり、また経済的事情のために、希望しても修学の機会を與えられない人たちのために、育英資金の大幅な増額が必要ではなかろうか。育英資金の例をとりますならば、英国においては現在
国家奨学資金として、授業料と諸費用をまかなうに足るところの育英資金が七百五十種、同様な大学獎学資金が千二百種もあります。さらに終戦後は復員者の育英資金が新設されている。こういうようなことが、
公務員のだれもが希望と
能力によ
つて、り高き
職務に進み得るところの道を開くことの前提條件ではなかろうかと思うのであります。
以上四つの前提條件を述べたのでありますが、これらが満たされずに
職階制を
採用しても、その
目的は達成できず、あるいはむしろ惡弊が大きくはびこるのではなかろうかという心配があるわけであります。
以上の前提條件の後に、この
法律案について申し上げたいのでありますが、これらについては先ほど来ずいぶん申し上げておりますので、私は簡單に申し上げたいと思うのであります。
まず第一は、この
法案と
人事院のあり方についてであります。このことは先ほど
鵜飼先生以下、二十九條に問題を集中されておられたようでありますが、私もまつたく同感なのでありまして、このような
法律が、すなわち作成の原則と
方法のみを
規定したものが、二十九條第一項の
職階制は
法律で定めるとある、この
法律で定めるべき
職階制であるのか、あるいはこのことは二十九條の四項によるところの
国会に提出してその
承認を得なければならないというものであるか、この辺は明確ではないのでありますけれども、少くともこの
法案は、作成の原則と
方法のみを今回この
国会に提出して、具体的な分類整理の
計画は、第四條によるところのすべて
人事院の
権限においてなし得るように
規定いたしておる。このことは少くとも
国家公務員法第二十九條第四項に違反するものであると思うのであります。このことは單に
修正すればよいということではなくて、かかる考え方は
国会の制定権、審議権、あるいは立法権を侵害するものであ
つて、わが国の過去より伝うところの特権的
官僚政治の惡弊を余すところなく示すものではなかろうか、私はこの点を重要視したいのであります。
なお
人事院に対する独裁制あるいは大きな
権限を與えることについては、これは今まで申し上げられたことく、私もまつたく同感でありまして、公務
制度の根本的改革に、人民の
代表たる
国会が、人民の奉仕者であるところの
公務員制度に対して何ら参加しないということは、まことに不可解であると私は考えるのであります。
第二は、現実に即して愼重になされなければならぬということであります。米国においても一世紀近くもかか
つて徐々になされたことであり、連邦
公務員法が一八三三年に制定されて、一九二三年に
職階制が
実施されるまでに、四十年間の
研究調査をなしたのであります。しかも終戦後の
日本があらゆるものを一度に百八十度の転回をなして、しかも今徐々に民主主義社会の育成に整備しつつあ
つて、なお今後も大巾に改革される時期においてこの
職階制をなすことは、現実に即してなされるべき
職階制である限りにおいては慎重に、急がずに、年数をかけてや
つてほしいと思うのであります。民主的、能率的たるべきこの
計画が、その
計画の不備粗雑のために、
公務員の不平不満をもたらすものであ
つては、まつたく意味のないものであると思うのであります。そのためにはすべてが公平で、すべての者がこの
制度を納得し、理解し、協力するのでなければならないと思うのであります。
従つてこの決定にはきわめて小さいことでも、慎重にやらねばならぬと思うのであります。ことに
職務の分類、あるいは格付においブほ、きわめて微妙であり、困難であると思うのであります。
たとえば今教員の
職務の分類を考えるならば、この分類の基準は本
法案の七、八條によ
つて、
職務の
種類及び
複雑と
責任によ
つて決定するのでありますけれども、小学校と中学校と高等学校の
先生を分類するということは、一応可能であります。あるいは
一つの学校の中においても校長と教諭、小使と給仕を分類することもまた可能であります。しかしながらこれはいまさら
職階制を持
つて来なくても、明治の初めより学制の制定以来すでに出て来ておることであ
つて、いまさら騒ぎ立てることではない。そこで教諭だけを分類するならば、学科別に分類すれば、音楽の
先生と体操の
先生とどう分類するか、あるいは担任制別に考えてみても、一年生と六年生の
先生を分類するとしても、何をも
つて職務と
複雑と
責任の評価の基準とすることができるであろうか、あるいは助教員と教諭を分類するということも一応考えられるのでありますけれども、その
職務は子供を教えることにおいてはまつたく差がありませんし、
責任においては、子供をよりよく育て、子供の生命を常に
責任をも
つて預か
つておるという点においては、何らの差もないのであります。大学
先生の
研究や講義の
内容の
複雑、
責任の評価は、何をも
つてすることができるであろうか。こう考えて参りますと、分類、格付は非常に微妙であり、しかもそれをやろうとすれば、よほど愼重でなければならない。
私は今
先生に例をと
つたのでありますけれども、他の官庁においても同様のことがきわめて多いのではなかろうかと思うのであります。しかも現在なされておるところの
職務記述書によ
つて、
人事院が分類整理しようとしておりますけれども、私はこれに対しては、ほとんどわれわれが不満を抱くものだけしか出ないであろうと、おおよそ考えておるのであります。
従つてよほど愼重になされて行かないと、まつたく逆な結果になると考えるのであります。その立場から言いまして、改革せんとする組織の中に、日々呼吸しておるところの職場の
意見を、審議会あるいは
委員会などを設けて、しかも末端各階暦から審議して行く。縦と横に深く広い各階の審議を得て、徐々になさなければならないものであると考えるのであります。
次は
給與との
関係でございますが、前に申しましたことく
給與は、現在の経済状態では、下級者の最低限度の生活は保障されずに「上級者の
給與は生活給を上まわる
職務給が多く支給されることになるのであります。このために大部分を占めるところの下級
職員の不平不満となり、科学的人事管理ということも、労力の再生産ができぬという非科学的人事管理となり、あるいは社会正義の上からも問題になると考える。
従つてこのためには最低賃金制を確立するか、あるいは
職階給與制度とともに最低生活保障給
制度を併設して、
職階給與制度においては
給與を決定しても、その額が生活保障の額に満たない場合においては、生活保障の額を支給されるというような
制度が別につくられるということか、考えられなければならないのではなかろうかと思うのであります。
最後に、直接
法案とは
関係ないのでありますけれども、現在問題にな
つておるところの高級官吏の
試験について、一言申したいと思うのであります。現在の高級官吏の多くは、いわゆる高文出身である。そのために専門が明確でもなく、かつ技術的でもないのであります。
従つて政策決定に参加するという立場において、任用されておると私は考えます。ところが元来
職階制というものは、行政組織を系統的に、科学的に組織化せんとするものであります。しかるに
日本の行政組織は、系統的、科学的に組織されておらないのであります。専門的、技術的に分解されてもおらない。相互の関連があり、からみ合いが非常に深いのであります。
従つて現在の
日本の専門的でない行政組織において、専門的に明確でないところの高級官吏を、専門的に
試験することそれ自体が、すでに矛盾であると私は考えております。この
試験の結果、専門的な者が任用されても専門的でない現在の行政組織の中においては、その者が任用されて、はたしていかなる効果があるかということを、私は一応疑
つて見たいのであります。このような立場から言うならば、この
試験の問題は、
一般的な、常識的な、形式的な、あるいは言われるところのとんち教室的のものになる。してもしなくても何ら結果はかわりないということにな
つて行くおそれがあるのではなかろうかと思うのであります。
以上の諸点から私は時期尚早であるという意味において、本
法案の通過されることについては、反対の
意見を申し上げたいのであります。御審議の際におきまして御参考にしていただけるならば、はなはだ幸甚だと思います。