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稻葉委員 配炭公団の
現地調査東北班の御
報告を申し上げます。
六月十九日、二十日、二十二日の三日間平市元
配炭公団常磐支団事務所及び仙台市仙台管区経済局、盛岡市盛岡地方
検察庁に
関係者の出頭を求め、
実情を聽取した結果は以下の通りであります。
出頭者は小名浜
貯炭場係員小牧重三君、元常磐支団経理課長寺田大次郎君、仙台管区経済局監査部長野間忠義君、
配炭公団清算事務所仙台支部長小野昌治君、盛岡地方
検察庁副検事菊池貞治君の五名であります。寺田、小牧両君よりは主として常磐支団
関係、小野君よりは仙台配炭局
関係、野間君よりは
公団運営を監査した結果、菊池君よりは
不正事件の捜査顛末につき、それぞれ
実情を聽取したほか、小名浜
貯炭場の視察を行つた次第であります。
まず第一に常磐支団の
業務の大体は、茨城、
福島両県下で生産される
石炭を一手に買取り、これを仙台、東京、名古屋の配炭局へ輸送し、着駅または港頭で引渡すものでありますが、
公団発足以来、廃止までの間に当支団が買取つた
石炭の
数量は、六百六十三万三千四百八十二
トン、
金額にして百十億七千三百五十四万二千円、
解散時の
昭和二十四年九月十五日現在における持越
数量は九千二百六十四
トンで、同年十二月末までに、東京、仙台両配炭局へ拂出しを終
つております。当支団管下の
貯炭場は荒川沖と、海上輸送の積地
貯炭場である小名浜の二箇所でありますが、たなおろし実施時における
欠斤の
状況は、荒川沖が二百九十五
トンで、これは同所の受入
数量九千六十一
トンに対し三%弱にあたり、さして問題にするほどの
数量ではありません。小名浜の場合は、キテイ台風により千二百
トンを流失しております。これは船積みの
関係から、台風でも来れば当然流失を免れぬ地点に
貯炭した結果でありますが、その
原因を
公団係員の怠慢、不手際に帰するよりも、むしろ後に述べるがごとき不合理きわまる常磐炭の海上輸送を、
監督官庁並びに本団が強行させた結果の犠牲の一部と見る方が妥当のように思われるのであります。
第二に常磐支団からの送炭は、
公団末期において、特に
規格以下の
粗悪炭が多く、東京、仙台両配炭局における
貯炭場の
自然発火は、ほとんど常磐すそもの炭がその
原因とな
つているという非難がありますので、炭質検査及び検量が適正に行われていたかどうかにつき、
関係者から
実情を聽取しました。寺田元支団経理課長の説明では、
規格の決定は支団直属の
分析所で科学的に
分析の上なされるもので、試料の採取は約二週間前に採取員が出向くむねを
山元に通知いたしますが、実際の日時は通知せず、試料は原則として貨車積の
石炭から採取するので、この間に不正や情実の介在する余地はなく、また検量の点についても、再三
山元駐在員へ注意して厳重に励行させていたので、間違いはないと信ずるという話しでありましたが、富士炭鉱その他二、三の
石炭については、揚地の東京配炭局から
規格以下の
粗悪炭であるとのクレームが起り、
山元へ交渉して
格下げした事実を認め、さらに
公団末期における夜間積出しの際、あるいは
粗悪炭の混入、
欠斤があつたかもしれず、その点保証しがたいと付言しております。
仙台管区経済局の監査
報告によれば、
分析所の試料採取員が
山元へ出向く日時は秘匿されてあるはずなのに、事実は詳細な日程が事前に漏れていたのを常としていたらしく、試料についても
山元で工作された疑いがなきにしもあらざる状態で、さらに
山元駐在員のほとんどがしろうとの引揚者、復員者を採用したものであり、その点遺憾の点があつたことは、小野仙台支部長も認めておる次第であります。これらの
山元駐在員は、配置の不適正から住居の
関係で、担当積出駅へ汽車通勤する者が多く、かつ時間外勤務をやらぬことや、デスク・ワークの多いこと等のために、現場に行
つて立会う時間が少い結果、完全な検量は不可能で、特に夜間積出しの場合など、ほとんど立会
つていなか
つたのが
実情であり、常磐支団、仙台配炭局への
山元駐在員からの
報告書は、実地監査の結果から見て、まつたく信を置くに足りぬものであると、野間経済監査部長も言
つております。この間の
事情を最もよく語るものは、小牧、小名浜
貯炭場係員の証言で、同人は同
貯炭場に貨車で送られて来る
石炭、
コークスの検量を目測で行い、また船積みの荷役に立会うことを職務としていたものであるが、同人の言によると、
公団末期、
山元がむりをして夜間貨車積みしたものに
粗悪炭が多か
つたように思われます。一例をあげると、一見して
規格以下のひどい
石炭が送られて来たので、特に置場をかえて
貯炭し、ただちに支団へその旨を通告したところ、あらためて
分析の結果、
規格にかわりなしということで、夜間積み出したため、貨車の清掃が十分でなく、そのため粗悪に見えたのであろうとの説明であつたというのであるが、一見して
粗悪炭とわかり、そのため置場までかえて
貯炭するほど土砂その他異物の混入した
石炭を、一部
良質炭の再
分析の結果だけで、
山元へ
格下げを交渉する等のこともなく押し通したというのは、支団当事者の不誠意、無
責任さを語るものであると思われます。また
欠斤について同人の言によると、送られて来る
石炭が貨車の側板から二、三寸低下しているのは普通のことなので、この点も支団に注意したところ、
山元駐在員の説明では、貨車連結のたびに炭質によ
つて低下するもので、
欠斤ではないとのことでありました。これを要するに、当支団の検量、検質が完全なものでなく、その結果、
公団末期において常磐炭の悪名をとどろかしたゆえんも、ある
程度うなずけるものがあると思われます。
常磐支団
関係の
調査において最も注目に値するのは、常磐炭の海上輸送の問題であります。すなわち常磐炭の東部地区向け輸送は、すべて陸運によるを有利とするもので、常磐線綴駅を基点として、清水港及び名古屋港を着地とした場合の運賃比較は、海送費は陸送費の約三倍高についております。しかるに
公団は、
昭和二十三年四月六日より二十四年一月二十九日までの間に、試験輸送と称して二十回にわたり清水、名古屋、大船渡港向け
合計三千十
トンの海上輸送を試みました。これによる汽車運賃との差額
合計は、清水港向け分三百五十万円、名古屋向け分五百四十九万円、計八百九十九万円となり、大船渡港向け二回分千二百五十八
トン分を加算すると、さらにその額は増大します。常磐炭の海上輸送は、経済的に不利であるばかりでなく、能率的にも、小名浜港は水深わずか六メートルで、六、七百
トン以下の小型船でなければ、直接船を岸壁に横づけさせることができないので、この種船舶では一気に大量の輸送をすることもできません。また貨車により埠頭までの中間輸送も必要であります。当時すでに鉄道側の配車
事情も好転して来ているので、東部地区向けについては、陸運直送にまさると思われる点は少しもないにかかわらず、これを実施し、理由は、支団側では、
石炭庁よりの慫慂により、試験輸送として、
公団本部のさしずのままに、配船に対する積込みを行つたと称しております。本試みは
昭和二十四年一月末をも
つて一応打切られたはずでありますが、実際は
公団廃止時期まで、その後も引続き行われたもので、結局
昭和二十三年四月より同二十四年九月までの間に、二万六百七十一
トンを海上輸送しております。これを同期間内における静岡、愛知両県向け鉄道輸送
数量計三十万四千六百八十七
トンに比べると、わずかに六%にすぎず、陸運直送力の不足を補うために、三倍も高い運賃をかけて海送したという弁解は成り立たないのであります。寺田元支団経理課長も、常磐炭の海上輸送については、支団は当初から反対で、配炭計画をきめる炭繰
会議席上でも、数次にわた
つてこの問題について反対意見を主張して来たが、本団のいれるところとならなか
つたのは、まことに了解に苦しむものであると言
つているし、仙台管区経済局でも、
昭和二十四年三月の第一次監査において、常磐炭海上輸送の不合理を詳細に指摘し、同年六月中央
経済調査庁を通じて、
全国の監査
報告とともに通産大臣あてに勧告書を提出したはずであると、野間監査部長も証言しております。本問題は
配炭公団赤字累増の一因とも見られますが、
監督官庁並びに
公団が、
現地の反対勧告を無視して、あくまでも不合理な常磐炭の海上輸送を嚴に実施した理由につき、あらためて通産省資源庁の
責任当局から説明を求
める必要があると存ずるのであります。
次に仙台配炭局
関係でありますが、同局の
業務の大体は、小野支部長の説明によると、地方別の配炭計画に基いて、北海道、常磐両支団から供給を受け、さらに山形、秋田、
岩手、青森の各県下から産出されるいわゆる本土炭を收買し、産業別割当によ
つて東北六県の
需要者に
平均月間十万
トンを配給していたものであります。このうち進駐軍向け及び釜石製鉄所用が半数を占め、残り半分を
一般需要家に供給したのでありますけれども、
東北地方は零細な工場が多く、大口需要家はほとんどない状態でありました。仙台配炭局が販売した
数量並びに
金額の総計は、
石炭二百二十万
トン、七十五億円、
コークス三十六万
トン、十六億円、亜炭十九万
トン、二億円、
金額にして総計九十五億円であります。これら販売
代金の
回收状態はどうであるかといいますと、小野支部長の証言によれば、そもそも
公団法の建前では、荷
渡しが第一義、
代金回収は第二義にな
つていて、割当証明書さえあれば、
代金回收のいかんにかかわらず配給しなければなりませんでした。配炭局部内においても、この点で
業務部と経理部がそれぞれの立場から常に対立し、争
つていたほどであります。このため
公団発足半箇年にして、
売掛代金回收状況は相当憂慮すべき状態に立ち至
つていたと言
つております。野間経済局監査部長の証言もこれを裏書きして、二十四年三月の第一次監査時において、すでに
炭代の
回收は非常に悪い
状況にあり、逐月増加の傾向をたど
つていました。すなわち仙台配炭局の
石炭代金未
回收は二十三年十二月末で三億六千七百九十一万一千円、二十四年三月末には四億九千五百八十六万二千円に増加を見ております。同じく
コークスの未
回收は二十三年十二月末で二億一千九百九万九千円、二十四年三月末が二億九千九百七十三万九千円とな
つております。この
原因は金融の逼迫によることはもちろんでありますが、延滞利子もとらず、また荷
渡し抑制等の措置も講じていません。分団側の
代金回收に対する消極的
態度もまた大いにあずか
つて力あるものとして、仙台経済局では直接仙台配炭局に対して嚴重
改善方を申し入れております。配炭局では、かたがた
関係方面からも
炭代の強硬
回收工作をなすよう指令を受けていたので、二十四年四月以降は、荷
渡し後三箇月以上
代金納入の遅れている者には爾後の送炭を停止し、かつ日歩五銭の延滞利子を徴收する等の措置をとるに至
つたのであります。しかしなお二十四年九月十五日現在の、
公団解散時における
売掛金未
回收額は、亜炭を除き十四億円に達していたが、本年五月三十一日現在の残高は五億三千万円とな
つております。このうち三億三千万円は釜石製鉄所の分で、これは七月中には完済されるはずであり、結局どうしても
回收不可能と思われるのは七千万円
程度と見込まれております。他は時日をかければ
回收可能と思われるのであるが、本年九月三十日の精算時には、なお一億四千万円
程度の未回
收金を残す予定で、小野支部長も九月三十日までに精算することは不可能であると申しております。
当配炭局の
昭和二十四年九月十五日現在におけるたなおろし当時の
欠斤及び
廃棄炭の
数量は、
欠斤七千百九十六
トン、五六%、
廃棄炭四千六百四十七
トン、三%でありますが、これらの
欠斤、
廃棄炭を生じた理由として、小野支部長の説明によりますと、山形、秋田、
岩手、青森の四県下から産出されるいわゆる本土炭は、炭質がすこぶる悪く、他地方ではまつたく需要がなくて、
東北地方で消化する以外に道のない
石炭でありますが、
昭和二十四年初頭から需給状態が緩和されて来たのに加えて、
炭代の強硬
回收工作を始めてからは、本土炭の
貯炭が急にダブつき出し、さらに
公団廃止の声を聞くに至
つてからは、本土炭や常磐すそものの低
品位炭が、
貯炭能力を超えて続々と送り込まれるに至り、当配炭局の常時
貯炭能力は二万
トンであるのに、二十四年四月には五、六万
トン、
最終時には途中炭を含めて十六万
トンにもはね上
つたのであります。このため
貯炭場も急場の間に合わず、畑地、濕地等不適当な場所に
貯炭するも、またやむを得ない状態に追い込まれました。本来本土炭の下級炭は、一箇月も野積みすれば、風化してボロボロの状態となり、また常磐すそもの炭は硫黄分、揮発分が多く、
自然発火のおそれが多分にあるもので、このため塩釜、船川、紫野の
貯炭場では、遂に
自然発火を起すに至つたが、これらの
事情が
欠斤廃棄格下炭を出した理由であると述べております。
なお
貯炭拂出しを完了した本年五月三十一日現在の
最終欠斤、
廃棄、格下炭の
数量は、
欠斤一万一千
トン、
廃棄炭七千
トン、格下炭五万
トンに達しております。仙台経済局の監査も、この間の
事情も大体認めておりますが、ただ
貯炭の管理
状況が不良で、
自然発火の予防措置、発火後の処置、及び盗炭防止に関して必要な考慮が十分に拂われていなかつた点を指摘しております。なお
格下げについては、作為的なものはなく、やむを得ざるものと認めております。
公団廃止後の
残炭処理につきましては、本団の
指示価格に基き、東部
石炭販売
会社ほか数社の販売
業者に逐次拂出しを行い、また
廃棄炭に近き炭も、その都度財務局の許可を得た例外
価格で拂出しを行
つていて、
東北地方においては協同組合の設立による
一括処分等は行われなかつた次第であります。東部
石炭販売
会社は
資金二百五十万円をも
つて設立され、専務、常務、監査役を初め、営業経理両部長を旧
公団職員が占める第二
会社的性格が濃厚なものであるが、同社への拂出し
数量、
金額並びに入
金額は、
石炭六万一千
トン、五千六百万円、
コークス九千七百
トン、二千四百万円、総計八千万円のうち、本年六月末までに一千七百六十五万円が入金し、残高は六千二百万円とな
つているのであります。その他例外
価格で同社に拂い出した
石炭は千五十六
トンで、
代金は
回收済みであります。この間に情実的な拂出しが行われたかいなかについては、目下のところでは残念ながら確認されていない。ただ
最終的に残つた
廃棄炭を無償で同社に引取らせる申請については、仙台財務局でなお検討中であります。
次に亜
炭代金の
回收見通しについてでありますが、これはすこぶる悪く、ほとんど
回收不能に近いものと見られております。
統制廃止当時、亜炭の
貯炭の量は約十五万
トンでありましたが、
生産業者は
公団の手でこれを処理されると、ダンピングのおそれがあ
つて不利であるとなし、盛んに売りもどしの運動を行つた結果、
価格査定
委員会の査定に基いて、
公団と
業者と売買契約を結びました。この売りもどし亜
炭代は七千五百万円で、
昭和二十四年三月三十一日までに、三回の分割拂いで
代金を完済する契約でありましたが、期日までに一銭の入金もなく、その後総司令部の指示もあり、数度嚴重督促に及びましたが、なおほとんど入金のない状態でございます。中央の方針では、昨年十二月一齊に強制執行をするはずでありましたが、
業者の
実情からそれも不可ときまり、目下悪質な
業者の百件に対し、
金額にして三千万円の訴訟を起しております。
次に
東北地方
配炭公団不正事件は、常磐支団
関係で選別炭の横流し
事件があり、
福島地方
検察庁平支部で、支団
業務部副部長鶴山菊二郎外四名の
公団職員を、物価
統制令違反の幇助並びに收賄の罪名で起訴しましたが、一審では無罪の判決があり、これに対し検事控訴がなされております。目下係争中であります。
仙台配炭局
関係では、厨川
貯炭場の盗難
事件と盛岡支局の荷後炭売捌
事件がありますが、盛岡地方
検察庁により、前者は犯人三名が窃盗罪で起訴され、後者は横流しの
代金十三万四千円を被疑者の元支局長帷子康三が弁償した結果、起訴猶予とな
つております。いずれも地方的な小
事件でありますけれども、厨川
貯炭場から白晝堂々と十三台分の
石炭が搬出されておるのに、
公団職員中だれ一人これに気づかなかつたということは、
貯炭管理に対する
公団職員の怠慢、関心の
程度がうかがわれ、また横流しした荷後
炭代金の大半が接待費に費消されていたということは、まことに注目に値すると同時に、遺憾にたえない次第であります。
最後に
公団赤字の根本的
原因について、小野仙台支部長に意見を徴したところ、
公団赤字の大部分は、
公団末期における
貯炭の激増に基くものでありまして、これは
公団法の不備により、
公団が無制限に買取り義務を負わされていた結果であります。また
昭和二十三年秋ごろより、すでに需給
関係が
東北地方におきましては緩和され、経済
事情もかわ
つて来ておるにもかかわらず、
政府はいつまでも四千二百万
トンの看板を掲げて増産政策を推進した結果、
公団は需要のない
石炭をいたずらに買い込んで、これをどろに化してしまうという始末と
なつたものであります。
公団廃止の時期もおそきに失したきらいがあり、急激にこれを廃止せず、需給緩和の見通しのついたころより、段階を経て廃止いたしたならば、かくのごとき混乱も避けられ、従
つて赤字も出なか
つたのであろうと思うのであります。以上御
報告を終る次第であります。