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1950-06-15 第7回国会 衆議院 考査特別委員会 第30号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十五年六月十五日(木曜日)     午前十一時五十三分開議  出席委員    委員長 鍛冶 良作君    理事 菅家 喜六君 理事 高木 松吉君    理事 内藤  隆君 理事 小松 勇次君       井手 光治君    岡延右エ門君       佐々木秀世君    篠田 弘作君       島田 末信君    田渕 光一君       塚原 俊郎君    西村 直己君       稻葉  修君    大森 玉木君       横田甚太郎君    中村 寅太君  委員外出席者         証     人         (愛媛喜多郡         肱川大字宇和         川部落実行組合         長)      萬願寺忠徳君         証     人         (愛媛喜多郡         肱川村長)  谷本 義光君         証     人         (愛媛民生部         児童課長)   五島 貞雄君         証     人         (愛媛県知事) 青木 重臣君         参  考  人         (本人)    土居 良子君 五月一日  委員青木正君、中馬辰猪君、高橋英吉君、麻生  太賀吉君及び坪内八郎辞任につき、その補欠  として、安部俊吾君、高木松吉君、岡延右エ門  君、佐々木秀世君及び橋本登美三郎君が議長の  指名委員補欠選任された。 同月二日  委員橋本登美三郎君、前田郁君及び小平忠君辞  任につき、その補欠として大橋武夫君、田淵光  一君及び中村寅太君が議長指名委員補欠  選任された。 六月十五日  安部俊吾君及び高木松吉君が理事補欠当選し  た。     ————————————— 本日の会議に付した事件  理事の互選  篤農家表彰件調査小委員選任  証人出頭要求に関する件  委員派遣承認申請に関する件  土居良子表彰の件     —————————————
  2. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 会議を開きます。  先般明禮事務局長辞任に伴いまして、その後後任を選考中でありましたが、理事諸君の御了承を得て、物部薫郎君を事務局長に任命する運びになりましたので、御了承を願います。  では物部君を御紹介いたします。物部君。     —————————————
  3. 物部

    物部考査委員会事務局長 ただいま御紹介いただきました物部であります。どうぞよろしくお願いいたします。
  4. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 この際お諮りいたします。先般理事安部俊吾君及び高木松吉君が委員辞任され、現在理事こ名が欠員となつておりますので、理事補欠選任を行いたいと思います。これにつきましては、前例に従い委員長において指名するに御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  5. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 御異議なきものと認めます。  それでは安部俊吾君及び高木松吉君を理事指名いたします。     —————————————
  6. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 次に篤農家表彰の件につきましては、すでに調査部において全国の篤農家につき一応基礎調査を終了し、すでにお手元に配付してある通り報告書を作成いたしたのでありますが、問題の性質上、本件につきましては、小委員会を設置して調査したいと存じますが、御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  7. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 御異議なきものと認めます。それではさよう決しました。  なお小委員は、委員長において指名するに御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  8. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 御異議なきものと認めます。それでは    岡延右エ門君  小川 平二君    大森 玉木君  加藤 鐐造君    中村寅太君  以上五名を篤農家表彰件調査小委員指名いたします。
  9. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 次に薪炭需給調節特別会計赤字問題につきまして、先般委員会の都合により延期いたしました証人につき、十六日に    富岡 正雄君  細見 才次君    山本 平保君  大久保正市君十七日に    工藤 祐雄君  山室  章君   廣瀬與兵衞君  濱田  正君  以上八名の諸君をあらためて証人として本委員会出頭を求めたいと思いますが、御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  10. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 御異議なきものと認めます。それではさよう手続をいたします。
  11. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 次にお諮りいたします。調査部において基礎調査を進めておりました土居良子表彰の件につきましては、基礎調査も終了いたしましたので、これを本委員会において調査いたしたいと思いますが、御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  12. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 御異議なきものと認めます。それでは調査することに決しました。  次に本件につきましては、本日の委員会調査に支障なきよう、理事諸君の御了承を得まして、本日     愛媛喜多肱川村長            谷本義光君     同部落実行組合長            萬願寺忠徳君     同県児童課長 五島 貞雄君     同県知事   青木 重臣君及び土居良子君の五君に、それぞれ本委員会出頭を求める手続をいたしておきましたのでありますが、谷本萬願寺五島青木の四君につきましては、本委員会証人として証言を求め、土居良子君につきましては、参考人として事情を聴取することに御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  13. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 御異議なきものと認めます。それではさよう決します。     —————————————
  14. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それではこれより土居良子表彰の件について調査を進めることといたします。さつそく証人より証言を求めることといたします。  ただいまお見えの方は、谷本義光さんと萬願寺忠徳さん、以上二名ですね——本日は遠路のところ御足労ありがとうございました。実は本委員会におきましては、その調査項目の一といたしまして、文化、科学、技術等の発達に寄與し、もつて日本再建のために多大の貢献をした諸行為を調査することになつておるのでありますが、土居良子表彰の件につきましては、昨年十一月十九日付で青木愛媛県知事から高橋英吉君、内藤隆君両議員の連署をもつて土居良子君の孝養、増産、供出完納等の努力、精進の至誠は青少年の亀鑑であり、かつ社会的影響も多大であり、日本再建の光ともいうべきものであるから、その善行につき調査表彰されたいとの要求書が提出され、諸調査の結果、本委員会において調査をいたすことに決定いたしたので、本日皆さんの御出頭を願い、これについていろいろと証言求むることになつた次第であります。  ついてはあらかじめ文書で御了承願つておきましたが、正式に証人として証言を求むることに決定いたしましたから御了承願います。  では、これより土居良子表彰の件につき証言を求めることとなりますが、証言を求める前に、各証人に一言申し上げますが、昭和二十二年法律第二百二十五号議院における証人宣誓及び証言等に関する法律によりまして、証人証言を求める場合には、その前に宣誓をさせなければならぬことと相なつております。  宣誓または証言を拒むことのできるのは、証言証人または証人配偶者、四親等内血族もしくは三親等内の姻族または証人とこれらの親族関係のあつた者及び証人の後見人または証人の後見を受ける者の刑事上の訴追または処罰を招くおそれのある事項に関するとき、またはこれらの者の恥辱に帰すべき事項に関するとき、及び医師歯科医師、薬剤師、薬種商、産婆、弁護士、弁理士弁護人公証人、宗教または祷祀の職にある者、またはこれらの職にあつた者がその職務上知つた事実であつて黙秘すべきものについて尋問を受けたときに限られておりまして、それ以外には証言を拒むことはできないことになつております。しかして、証人が正当の理由がなくて宣誓または証言を拒んだときは、一年以下の禁錮または一万円以下の罰金に処せられ、かつ宣誓した証人が虚偽の陳述をしたときは、三月以上十年以下の懲役に処せられることとなつておるのであります。一応このことを御承知になつておいていただきたいと思います。  では法律の定めるところによりまして証人宣誓を求めます。御起立を願います。     〔証人谷本義光君各証人を代表して朗読〕    宣誓書   良心に従つて、真実を述べ、何事もかくさず、又何事もつけ加えないことを誓います。
  15. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 では署名捺印を願います。     〔各証人宣誓書署名捺印
  16. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 まず萬願寺さんから承ることにいたします。あなたは愛媛喜多肱川村の農事実行組合長ですか。
  17. 萬願寺忠徳

  18. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 部落実行組合長なのですね。
  19. 萬願寺忠徳

    萬願寺証人 はい。
  20. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 いつから実行組合長をおやりです。
  21. 萬願寺忠徳

    萬願寺証人 二十一年の、月ははつきり覚えておりませんが、秋だつたと思います。それから二十二年もやつております。
  22. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 二十一年の秋からずつと今まで続けておられるのですか。
  23. 萬願寺忠徳

    萬願寺証人 二十二年だけです。その後はかわつております。
  24. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 二十一年の秋から二十二年一ぱいですね。
  25. 萬願寺忠徳

    萬願寺証人 はい。
  26. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 あなたの道野尾部落とはどういう所ですか。簡単でいいのですが、村の状況及び生活状態、それから風俗。
  27. 萬願寺忠徳

    萬願寺証人 肱川村の一番西の端、大川村に接するところであります。戸数約二十戸、人口は約百三十、生活程度は中以下であります。
  28. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 全部農業ですね。
  29. 萬願寺忠徳

    萬願寺証人 全部農業です。農業のかたわら出かせぎに出て、日雇い労働をしている者があります。
  30. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 人柄は……。
  31. 萬願寺忠徳

    萬願寺証人 純朴です。
  32. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 あなたの村に土居良子という子供さんがおりますね。
  33. 萬願寺忠徳

    萬願寺証人 はい。
  34. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 これは道野尾部落ですか。
  35. 萬願寺忠徳

    萬願寺証人 そうです。
  36. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 どういう階層と言うては語弊があるかもしれぬが、どんなような生活をしておつて、どういう仕事をしておつたのですか。
  37. 萬願寺忠徳

    萬願寺証人 父が生きておりますころは、大体道野尾部落の中くらいの生活をしておりました。当時父が農業のかたわら荷馬車を引いておりました。父が応召後、母のクニエさんが祖父、それに良子以下四人分子供をかかえて農業をやつてつたのであります。
  38. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 クニエというのは……。
  39. 萬願寺忠徳

    萬願寺証人 母です。
  40. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 父は……。
  41. 萬願寺忠徳

    萬願寺証人 新六です。
  42. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 耕作はどの程度つておりましたか。
  43. 萬願寺忠徳

    萬願寺証人 当時は畑は現在の通り三反三畝、田は約三反つくつておりました。新六さんが出征一反二畝を小作に出し、あとをつくつておりましたが、南海地震のために水でなくなりまして、現在一反二畝を耕作いたしております。
  44. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 畑三反三畝に田三反をやつてつたのを、新六さんが出征したために一反二畝ほかへつくらせたというのでね。
  45. 萬願寺忠徳

    萬願寺証人 はい。
  46. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 今どうしておりますか。
  47. 萬願寺忠徳

    萬願寺証人 今もほかへ出しております。
  48. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 これは自分所有ですか。
  49. 萬願寺忠徳

    萬願寺証人 そうです。所有です。
  50. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 しかしこれだけつくつてつたのでは、新六さんがおつて荷馬車を引けばそれで生活は相当に、中ぐらいにやれるが、荷馬車を引いて金をもうけぬとするならば、楽じやないですな。
  51. 萬願寺忠徳

    萬願寺証人 苦しいです。
  52. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 良子さんのおじいさんおばあさんはどんな人でしたか。
  53. 萬願寺忠徳

    萬願寺証人 おじいさんおばあさんも非常な働き手だつたのですが、老齢のためにあまり働けなくなつたのです。新六さんの出征後は最後までよくがんばつておられました。
  54. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 親戚は相当いいうちがありますか。
  55. 萬願寺忠徳

    萬願寺証人 母方親戚に大体地方の中流くらいな生活をしておる人があります。
  56. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それは母の何に当るのですか。
  57. 萬願寺忠徳

    萬願寺証人 母の兄です。
  58. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 おやじさんなりおばあさんなりは、部落民との交際とか仲はどんなふうでしたか。仲よくやつていましたか。
  59. 萬願寺忠徳

    萬願寺証人 新六さんの生きているころは、部落民とも非常に仲がよかつた
  60. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 新六さんはいつ応召されましたか。
  61. 萬願寺忠徳

    萬願寺証人 昭和十九年の六月だつたと思います。
  62. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 新六さんが出られたとき、おばあさんはおりましたか。
  63. 萬願寺忠徳

    萬願寺証人 おばあさんは死んでおりました。
  64. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 そうするとおじいさんお母さんで働いておつたわけですね。今おつしやつたように、おじいさんも年とつてつたが一生懸命やつてつたというわけですね。それですぐ死んだようですね。
  65. 萬願寺忠徳

    萬願寺証人 すぐ死にました。
  66. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 いつ死にましたか。
  67. 萬願寺忠徳

    萬願寺証人 私はその当時出征しておりまして、月日ははつきりしておりません。
  68. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 新六さんが応召された次の年に死んだというのですが、大体そんなものですか。
  69. 萬願寺忠徳

    萬願寺証人 そういうふうに聞いております。
  70. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 お母さんクニエがなくなつたのは……。
  71. 萬願寺忠徳

    萬願寺証人 二十二年の五月だつたと思います。
  72. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 相当わずらつてつて死んだのですか。それともころつと死んだのですか。
  73. 萬願寺忠徳

    萬願寺証人 大体胃腸が賜い人だつたと思いますが、死ぬる直前は、あまり長わずらいではなかつたと思います。
  74. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 二十二年の五月に母が死んで、それから新六さんはどうなつたのですか。
  75. 萬願寺忠徳

    萬願寺証人 新六さんの餓死の公報が二十二年の十月に入つた
  76. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 新六さんがいないでも、おじいさんお母さんが働いておるときはどうでもやつてつたのですが、おじいさんも死に、お母さんも死んで、うちはどうなりましたか。
  77. 萬願寺忠徳

    萬願寺証人 親族会議の結果、子供を全部親戚に分散させて養育をするといヶような議が起つたそうですが、そのときに、ちようど新六さんのおじに当られる西野さんといわれる方が、そういうことはいけないからと言われて、ぜひここで全部一緒に育てたいということを提案せられまして、それが決議されたように聞いております。
  78. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それはどういう意味なのですか。せわをしたくないという意味なのか。それともこのままでめんどうを見てやろうという意味なのか。
  79. 萬願寺忠徳

    萬願寺証人 それはいわゆる子供を分散させては、さようだいの情が薄くなる、かわいそうだ、ぜひともここへ置いて、だれかが来てせわをしてやろうという意味なのです。
  80. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 お母さんの死んだとき、その後、お父さんが戦死したという公報が入つたときの模様はどんなものでしたか。
  81. 萬願寺忠徳

    萬願寺証人 その当時お母さんの死んだときなどは、部落民といたしましても、二日と見られないような非常にかわいそうな気持がいたしました。親戚の方がさようだいを分散させれば、部落でもこれを一緒に交代にでも養つてろうと部落の者みながそう言つてつたが、幸いにして一緒に育てることができましたので、部落民といたしましても非常に安心をしたわけです。それからちようど当時数え年四つで満三歳の房子がかわいそうだというので、おばあさんに当る人が現在数え年七十八歳ですが、その方が来られて、ともに。
  82. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 そうすると子供は何人ですか。
  83. 萬願寺忠徳

    萬願寺証人 五人です。良子が一番上で十四歳。
  84. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 その次は。
  85. 萬願寺忠徳

    萬願寺証人 宮子。当時十二歳です。それから三番目が長男貞丸
  86. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それは幾つですか。
  87. 萬願寺忠徳

    萬願寺証人 九歳。次は島子
  88. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 幾つですか。
  89. 萬願寺忠徳

    萬願寺証人 七歳。次が房子で、これが四歳でした。
  90. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 お母さんが死ぬときには、何か遺言でもして死にましたか。
  91. 萬願寺忠徳

    萬願寺証人 やはり供出のことを一番気に病んで死んで行きました。供出割当を完遂せよというような意味合いのことを……。
  92. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 そこでおばあさんが来てせわをしておつたが、お父さんの戦死の公報が入つたときは、どういう模様でしたか。
  93. 萬願寺忠徳

    萬願寺証人 私も公報が入りました夕方行つてみたのですが、子供たちは仏壇の前で泣いておりました。
  94. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 その後どういうふうに家庭をやつておりましたか。
  95. 萬願寺忠徳

    萬願寺証人 生活は非常に切詰めまして、私たち子供だから料理の仕方を知らないから配給をとらないのだ、鮮魚なんかの配給がありましても受けておらぬ、あるいは料理をして切つてやるからというような部落民もありましたが、それも辞退しておりましたので、そう思いましたが、あとで聞いてみますと、やはり生活がやつて行けないからそんなものを食べない、あるもので済ます、どうにか自分がつくつたもので食つて行くというふうな、最低生活をやつてつたような気がいたします。
  96. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 子供のもりはどういうしふうにしておつたか。
  97. 萬願寺忠徳

    萬願寺証人 一番小さいのは自分がおぶつたりまたは遊ばせたりいたしまして、一人で一生懸命にやつてつた
  98. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 百姓は……。
  99. 萬願寺忠徳

    萬願寺証人 百姓の方を一生懸命やつてつた。それで夕方なんかはおそく帰つて来ますと、洗濯、針仕事とかいうようなことは夜やつてつた
  100. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 こういう写真がありますが、これは間違いないでしようね。耕作をしている実情、それから子供たちせわしておる……。
  101. 萬願寺忠徳

    萬願寺証人 両方とも間違いございません。
  102. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それではその後部落人たちも、相当せわでもしてやつてくれましたか。
  103. 萬願寺忠徳

    萬願寺証人 仕事の点でやはりやつております。
  104. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 手伝つてつてくれた……。
  105. 萬願寺忠徳

    萬願寺証人 忙しいときに、全部が全部ではありませんでしたが、必要に応じてやつておりました。
  106. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 おばあさんはまだおりますか。
  107. 萬願寺忠徳

    萬願寺証人 はあ、今でもやはりおつていただいております。
  108. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 良子さんのうちで、せわしておりますか。
  109. 萬願寺忠徳

    萬願寺証人 小さい子供せわをしております。留守になつておりますから……。そのおばあさんはいつもはおらないのです。
  110. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 そうすると、良子さんはことし十七になつたわけですか。
  111. 萬願寺忠徳

    萬願寺証人 数え年十七歳であります。
  112. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 その後大分今日ではなれて、相当楽に暮しておりますか。楽というほどでもなかろうが……。
  113. 萬願寺忠徳

    萬願寺証人 生石はやはり非常にじみな方でして、生活はやはり以前のようにやつております。
  114. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 あまり親戚めんどうを見なくとも、どうでもこうでもやつてつておりますか。
  115. 萬願寺忠徳

    萬願寺証人 そうです。母方おじがときどき来ておりますが、大体一人でやつております。きようだい非常に仲よく働いておりますから……。
  116. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 弟や妹は、みな相当よく言うことを聞いて働いておりますか。
  117. 萬願寺忠徳

    萬願寺証人 私はちようど近くでありますが、弟や妹は非常にはたから見る目もうらやましいほど仲がいいのです。農繁期などは、貞丸という長男が、御飯をたいて皆に食べさせておるというような実情です。
  118. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 これについて村長、それから農業協同組合県知事愛媛民事部司令官等から良子表彰があつたそうですが……。
  119. 萬願寺忠徳

    萬願寺証人 はあ、ありました。
  120. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 表彰されてからは、何かかわつたことはありますか。別にかわつたことはありませんか。良子精神状態及び生活状態等に……。
  121. 萬願寺忠徳

    萬願寺証人 生活状態などは全然それ以前とかわつておらない。精神状態においてもかわつておりません。非常にまじめにやつております。
  122. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 いろいろ新聞記者が行つたり、雑誌社でたずねたりしておるのではないですか。
  123. 萬願寺忠徳

    萬願寺証人 たびたび来ていただいております。
  124. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 そういうものが来ると、あまりよい影響を與えぬこともあるよう、だが、そういうことはどう思つておりますか。
  125. 萬願寺忠徳

    萬願寺証人 仕事の点については、少しじやまになるという感じはいたしますが、あの子の精神状態にはかわりありません。
  126. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 じや、よろしうございます。あと谷本さん、あなたは愛媛喜多肱川村の村長さんですね。
  127. 谷本義光

    谷本証人 そうです。
  128. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 いつから村長をやつておりますか。
  129. 谷本義光

    谷本証人 昭和二十二年四月からです。
  130. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 あなたの村の大字宇和川道野尾部落土居良子について、御承知になつておる点をまず大体伺いたいのですが……。
  131. 谷本義光

    谷本証人 ちようど私のところから約半里くらいしか離れていないので、父の状態、母の状態をよく知つておるわけです。ただい萬願寺さんが申し上げておるのとかわりないわけですが、要するに馬車引きお父さん時代から非常にまじめな人であつて、やはり両親の気持良子に移つていると思うのですが、大体父が出征し、母が死亡した当時は、非常にさんたんたる状態であつたのでありますが、特に道野尾という部落がいいのでありまして、この道野尾という部落は、戰時中には共同作業共同炊事農繁期には数年やつたところであります。これは私の村でも模範部落であります。従つてその部落がこの子を生んだということにもなると思うのであります。従つて非常に困つている当時は、部落の人の援助も相当あつたと思うのです。大体母がなくなつたのちに、子供でありながら、どうしても自分のやつている仕事だけは完全にやらなければならないという気持と、部落の人が手伝つてつてくれて、そうして二十二年——二十二年にはまだ母がおつたが、二十三年、二十四年に麦、かんしよの供出をいたしておるのでありますが、田の方は元来少いのでありますから、米の供出はいたしておらないのであります。部落の方でもこの子供供出だけは、ほかの者で持つてやろう、こういうような議を諮つたようでありますけれども、子供は進んで出しております。こういうようなわけでありまして、特に供出美談であるし、主たきようだい仲がよろしい、そういう点から善行美談であるというので、昨年の十月に表彰したわけであります。
  132. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 表彰村長としてなさつたのですか。
  133. 谷本義光

    谷本証人 はあ。
  134. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それから地方事務所長からも何か……。
  135. 谷本義光

    谷本証人 地方事務所長からもしております。それから民事部知事、それから村の農業調整委員長あたりもしております。
  136. 鍛冶良作

  137. 谷本義光

    谷本証人 はあ。
  138. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 これは一緒にやつたのですか。
  139. 谷本義光

    谷本証人 同日に行いました。
  140. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 いつ、どこでおやりになりましたか。
  141. 谷本義光

    谷本証人 昨年の十月二十五日に役場会議室で行いました。
  142. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 そのときの模様は。
  143. 谷本義光

    谷本証人 そのときの模様は、大体村民の代表者が、村会議員部落委員というような者が約百名ばかり寄りまして、それから役場吏員、あるいは農業協同組合の職員あたり合せまして百二、三十人おつたと思います。私も村長でありながら、式辞を始めると、もう涙でほんとうに式辞も読みかねた。民事部長、あるいは知事代理あたり表彰状を読みかねたというような、非常な感激の場面であつたわけであります。
  144. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 良子のこの善行について、村なり部落、あるいは県、その他社会等に対して與えた影響等について考えられたことがありますか。
  145. 谷本義光

    谷本証人 村といたしましては、この子供がやつておることが供出に非常に好影響をもたちしまして、供出の成績が非常によくなつたこういう事例があるわけであります。その他教育方面につきましても、いろいろそういうことが考えられておるのであります。村におきましては、この良子のきようだいがやはり学校に行つておりますが、このきようだいに対する気持、それから常に良子さんの家庭に対することが先生などから話されて、相当児童には好影響をもたらしておるように思つております。  それから村の婦人会あるいは郡の連合婦人会、こういうものも表彰いたしまするし、また村の婦人会では特に女の子のことでありますから、この子の将来というものには非常な関心を持つて、あやまらさないように見守つて行こう。こういうことの誓いを立てて、いろいろと婉曲にこれらがこの子を見守つておるようであります。
  146. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 われわれ一番気になりまするのは、表彰するのもけつこうですが、あまりこういう子供をもてはやしますと、よく男の子で言えば英雄になつたりしてしまうことがあるのですが……。
  147. 谷本義光

    谷本証人 だからその問題は、私どもも村長という立場から考えましても、その点を非常に心配しておつたのでありますが、表彰を受けまして後も、たびたび新聞社あるいはその他から調査に来られたり、あるいは方々から手紙あるいはみやげものなどが贈られたり、特に大阪からは無名で一万円金を邊つて来た、こういうような事例がございまして、そういうことのために、あるいは精神的に多少うちようてんになるようなことがあつては困る、こういうことを非常に心配しておつたのでありますが、何らそういう点についてはかわりがございません。かえつて新聞記者などに来られると、本人の方では困つている、こういうような状態であります。それから贈物などもらつたものにつきましても、決して無断に処置しない。それから表彰などを受けましたのも、昨年の十月に県から表彰を受けましたのが現金一万円であつたのでありますが、これなども農業協同組合に貯金したまま決して手をつけない。それから大阪から参りました一万円では、自転車を買うようにということであつたのでありますけれども、ちようど自転車を買わせるよりも、リヤカーを買わせて、やはり作業用に利用させることがいいと思いまして、村の方ではリヤカーを買わせた。六千円ばかりでリヤカーを買わせまして、あとの残りをやはり貯金している。こういうことでありまして、現在この子供生活は、自分でつくつておりまする、三食を消費しますのと、現金収入はほかにありませんから、村の方では生活扶一助を千五百円ずつ出しておる。その千五百円の現金で、このきようだいの学用品その他の経費、そういうものを全部済ませている。わずかに一年に麦を少々出しましたり、かんしよを出しました供出代金と、これだけで済ませる。そうして家計簿たども、これはだれもすすめた者はなかつたのでありますが、きちんとこの子が、母がなくなつて以来ずつと家計簿をつけているつこういうような状態でありますので、だれも教えた者もないのにそれをやつている。それからきようだいに対しましてのいつくしみというものは、これは年寄り以上にいいのであります。もちろん素朴ななりをしておりますけれども、母がない子、だからということによつて、破れたもの、よごれたものを着せているということは絶対にない、こういう状態でありまして、近所の奥さん方がかえつて教えられるというような状態であります。
  148. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 何かお聞きになりますか。内藤隆君。
  149. 内藤隆

    内藤(隆)委員 私は今お二人の証言を拝聴いたしておりまして、肱川道野尾ですか、あなたの、村長さんのお話もありましたが、まことにいい部落で、環境がやはり人を生んだのじやないか。ことに馬車引きをしておつた土居良子さんの家庭を聞きましても、たいてい馬車引きというものは車夫、馬丁にひとしい、まことに家庭的には恵まれていないむのであるにかかわらず、この人々の家庭を見ますと、実にうるわしいように聞きました。これは要するにとの村あるいはこの部落、そうしてこの土居さんの家庭、この三者の環境が土居良子を生んだのじやないかと思われます。御承知のごとく、戦後少年少女が堕落をきわめているというとき、かようなまことに聞くも涙ぐましいりつぱな少女を生んだことは、この社会に対するまことによき亀鑑として表彰するに足るということは考えるのであります。ただここで、きようは知事が見えているかどうか知りませんが、私の申し上げたいことは、とかく子供の時分に表彰されますと、成人の後までずつと人格が保ち得るやいなや、この点かえつて表彰を受げたがために社会の指弾を買うというような実例も多く聞いております。聞けば今年十七になるということであります。もはや数年にして結婚の適齢期にもなつて来ると思いますが、おそらくりつぱな夫を迎えるだろう、またそれを私たちは期待いたしておりますが、しかし県なり村なりは大いに責任をお持ちになつて、これほどりつぱな娘さんの人格をきずつかぬように、ひとつ監督と申しますか指導と申しますか、その点心からなる御親切を願いたいと思います。もう一点、たとえば結婚の後におきましてもいろいろなことがあると思いますので、国会が表彰したことによつてかえつて悪い結果たどを起したりして、国会の権威に漢することがあつては大きな問題である。この点は村長さん初め部落の有志、あるいは県当局としても十分によく指導されんことをお願いしたいのであります。これは希望であります。
  150. 鍛冶良作

  151. 中村寅太

    中村(寅)委員 私は今証人証言を聞いて非常に土居良子のまじめな性格に感謝をするのであります。特にせわをしておられる村長さん初め村の世話人の方、村民の方にお願いしておきたいのでありますが、まだ若い、十七ですか、そういう若い人を表彰することによつて、非常に精神的にきゆうくつさを感じさせるようなことのないようにやつていただきたい。人間は最も純真に、しかも伸び伸びと自由に生きさすべきであるのに、表彰した、あるいは表彰されたということによつて、その人の人生にきゆうくつさを感じさせないということ、もちろん自由奔放にという意味ではありませんけれども、人間の自由性、伸び伸びと生きたいという本能の点から考えましても、そういう大切なものが人間にはある。それがややもすると、表彰された者が将来を誤らないようにということに縛られるために、その人の生活がきゆうくつになる、偏狭になるということがありがちだと思う。そういうことのないように、ひとつ十分気をつけていただきたい。  それともう一つは、現有行われた当人のりつぱな業績というものが続いて行くことを、これはもちろんお互いに望むのでありますが、それを続けて行くためにも、やはり生活に封じては、私はきゆうくつさを感じさせないように、皆さん方の特別の御考慮をお願いしたい、かように考えます。
  152. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 村長さんに承りますが、今のことについてどうお思いですか。
  153. 谷本義光

    谷本証人 ごもつともな御意見でありまして、私どももそれを一番に考えているわけであります。何と申しましても、過去の人であればもう何でありますけれども、この子供の将来というものを考えました場合においては、今御碗のようなことがごもつともに考えますし、私どもといたしましても、部落の者といたしましても、非常に、この点には一応重荷を負わされた感じを持つておるのであります。ただ私ども念願といたしますことは、何もほかに望むことはないのでありまして、ただよい農家のお母さんになつて、この子が終つてくれることを念願としているわけなんであります。そういう意味におきまして、やはり適当なと申しますか、まじめなお婿さんを迎えることによつて、この子の将来を誤らせないようにしなければならない、これのみを実は考えているわけであります。そういう意味におきまして十分見守つて行くようにいたしたい。  それから御説にございました非常にきゆうくつさを覚えるのではないか、こういう点も一応心配をするわけでありますが、後刻この本人がこちらへも出ることと思いますので、この子供状態をごらん願いますれば、さほど心配でないのではないか。この子の性格そのものが非常にまじめにできていると見ておるのでありまして、そういう意味から申しましては、あまりきゆうくつさも感じない、うちようてんにもらなないが、きゆうくつさも感じないで、ごく自然に伸びるのではないかと考えております。監督と申しますか、指導と申しますか、そういう点に対しましては、今の両先生の御意見を十分私ども感銘いたしまして、注意をして行きたい、かように考えておる次第であります。
  154. 中村寅太

    中村(寅)委員 今村長さんのお言葉の中にありましたのですが、本人をまじめな農家の主婦として、いい婿さんを持たせてということは、ぼくはやはりこの結婚の問題についても本人の意思を十分考える。あるいは、これはたとえでありますが、現在本人は必ずしも農家の婿さんを持ちたいとは思つていないかもしれない。そういう場合、現在まで農業にあつて、村に善行をして表彰を受けたのだから、農家の生活を守り、農家のいい主婦になり、同業者のいい婿さんをというような限定したわくにはめないように、私は本人のほんとうの真底に流れている自由性というものを押えないようにして行くことが必要だ、本人がこういうことで表彰されたのだから、いい農家の主帰にしたいと一応考えられることでありますけれども、それも決してむりでない意味で、人間の運命というものはどうかわつて行くかわかりませんから、その本人が持つている運命を正しく受けるように考えて行かなければならぬと考えますので、私はさような意帳も含めて、きゆうくつにならぬようにということをお願い申し上げておきます。
  155. 谷本義光

    谷本証人  よくわかりました。
  156. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 萬願寺さんも別にかおつた意見はありませんでしような。
  157. 萬願寺忠徳

    萬願寺証人 つけ加えて申し上げます。最近青年団の動きが非常に活発でございまして、今度この国会に来るようになつたことにつきまして、肱川村青年団の宇和川の団員が、積極的に援助してやろう、仕事が遅れておつたら行かれぬじやろうというような気持からでしよう。私は十三日に出て来たのでありますが、十一日、十二日の二日間交代で出まして、三反に余る畑を、ちようど今とうもろこしを植えておりますが、それに肥をやつて、中をきれいに打つている。そうして心残りのないようにしてくれたということは、とりもなおさず青年によき感じを與えたのだと、私非常に心から喜んで出て来たのであります。以上つげ加えておきます。
  158. 横田甚太郎

    ○横田委員 今の青年団とは、男女青年団のことですか。ちよつとお伺いしておきます。
  159. 萬願寺忠徳

    萬願寺証人 男女ともにやつております。
  160. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それでは済みました。御苦労さまでした。  それでは約三十分休憩いたします。     午後零時四十七分休憩     —————————————     午後一時四十七分開議
  161. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 休憩前に引続き会議を開きます。  この際お諮りいたします。明日より二日間にわたり、薪炭需給調節特別会計赤字問題について証人を喚問することになつておりますが、この問題と配炭公団をめぐる不正事件につき、北海道、東北、信越、東海、近畿、中国、四国九州の各地区に委員を派遣して現地調査をいたしたいと思いますが、御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  162. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 御異議なきものと認めます。それではさよう決しました。  なお派遣委員の氏名、日程、その他の手続については委員長に御一任願います。各委員におきましては、希望地区を委員長まで至急お知らせ願います。     —————————————
  163. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 ただいまお見えの証人五島貞雄さん、青木重臣さんですね。  本日は遠路のところ御苦労さまでございました。実は本委員会におきましてはその調査項目の一つといたしまして、文化、科学、技術等の発達に寄與し、もつて日本再建のため多大の貢献をした諸行為を調査することになつておるのでありますが、土居良子表彰の件につきましては、昨年十一月十九日付で青木愛媛県知事から高橋英吉内藤隆議員の連署をもつて土居良子君の孝養、増産、供出完納等の努力、精進の至誠は青少年の亀鑑であり、かつ社会的影響も多大であり、日本再建の光とも言うべきものであるから、その善行につき調査表彰されたいとの要求書が提出され、基礎調査の結果、本委員会において調査をいたすことに決定いたしましたので、本日皆さんの御出頭を願い、これについていろいろと証言を求めることになつた次第であります。ついてはあらかじめ文書で御了承願つておきましたが、正式に証人として証言を求めることに決定いたしましたから御了承願います。  ではこれより土居良子表彰の件につき証言を求むることになりますが、証言を求める前に、各証人に一言申し上げます。昭和二十二年法律第二百二十五号議院における証人宣誓及び証言等に関する法律によりまして、証人証言を求める場合には、その前に宣誓をさせなければならぬことと相なつております。  宣誓または証言を拒むことのできるのは、証言証人または証人配偶者、四親等内の血族もしくは三親等内の姻族または証人とこれらの親族関係のあつた者及び証人の後見人または証人の後見を受ける者の刑事上の訴追または処罰を招くおそれのある事項に関するとき、またはこれらの者の恥辱に帰すべき事項に関するとき、及び医師歯科医師、薬剤師、薬種商、産婆、弁護士、弁理士弁護人公証人、宗教または祈祷の職にある者、またはこれらの職にあつた者がその職務上知つた事実であつて黙秘すべきものについて尋問を受けたときに限られておりまして、それ以外には証言を拒むことはできないことになつております。しかして、証人が正当の理由がなくて宣誓または証言を拒んだときは、一年以下の禁錮または一万円以下の罰金に処せられ、かつ宣誓した証人が虚偽の陳述をしたときは、三月以上十年以下の懲役に処せられることとなつておるのであります。一応このことを御承知になつていただきたいと思います。  では法律の定めるところによりまして証人宣誓を求めます。御起立を願います。     〔証人五島貞雄君各証人を代表して朗読〕     宣誓書   良心に従つて真実を述べ、何事もかくさず、又何事もつけ加えないことを誓います。
  164. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 署名捺印願います。     〔各証人宣誓書署名捺印
  165. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 証言五島さんから先に承ることにいたします。別に秘密事項でもないから、青木さんもそこにおつていただいてけつこうだと思います。  五島貞雄さんですね。
  166. 五島貞雄

    五島証人 はい。
  167. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 あなたは愛媛県児童課長ですか。
  168. 五島貞雄

    五島証人 はい、そうです。
  169. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 いつから。
  170. 五島貞雄

    五島証人 昭和二十三年の一月一日、児童課の新設と同時に課長になりました。
  171. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 あなたの県喜多肱川村に土居良子という少女があつて昭和二十四年十月二十五日愛媛民事部司令官ウエリュトン・B・サールス君及び県知事青木重臣君その他から表彰されたということですが、それについての経緯、それから理由についてお述べを願いたいと思います。
  172. 五島貞雄

    五島証人 土居良子さんの表彰につきましては、実は私新聞で初めて知つた。と申しますのは、これは供出面におけると申しましようか、いわゆる食糧課の方が扱つてつたのでありまして、その経緯については十分知らなかつたわけであります。しかレ表彰されてその後の模様なり、あるいは本人につきまして事実なりを調査いたしてみますと、これはひとり供出面ばかりでなく、善行児童というか、そういう方面に非常にすぐれた点があり、多くの青少年に及ぼす影響などから考え合せまして、これは食糧課よりはむしろ児童課の方において扱うのがよいのでやないかということになりまして、それから以後私の方で取扱い、またあらゆる面から良子さんの性格なり、あるいはその他のことについて調査もいたしまするし、またあらゆる方の紹介た’につきましてもお答えもいたしておるといつたようなことでありますので、表彰以前のいきさつにつきましては、食糧課の方の供出面ばかりで扱つてつたものですから、経緯の詳しいことは存じません。
  173. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 大体でよろしゆうございます、あなたのお知りの範囲で。
  174. 五島貞雄

    五島証人 というのは、大体供出のことにつきまして、ちようど昭和二十二年と思いますが、お母さんがなくなり、しかも帰つて来るお父さんを待ちながらとうとい汗を大地にしぼつて農業にいそしんでおつた。ところが父が餓死いたしましたのがたしか九月と聞いておりますが、それ以来本人もがつかりしたらしい。しかしそれではならないと、父の出るそのときも、また母の死に行くそのときも、世間に迷惑をかけないように、あるいは銃後の国民としては供出面ということは非常に大事だからといつたようなことを思い起したらしく、奮然として立ち上つたの数え年十四歳と聞いております。そうしてつくり上げたそのときの供出、しかもこれを村のトップを切つて出した。これがために非常に各方面に感動を與え、今まで出さなかつたとか、あるいは強権発動寸前にあつたその村の空気が一変して、従来の供出よりは早く村の供出が完了した。また次いで二十三年度におきましても二十四年度におきましても、いつも良子さんが先に出す。こういうふうな面で非常にうるわしい、今まで山の中の一輪の花といいましようか、人知れず咲いておりましたが、これを何とかということになつて、村あるいは地方事務所を通じまして知事表彰方の申請があつたと聞いております。それによりまして知事表彰するし、あるいはこのうるわしい話を四国民事部が聞いたときに、また民事部として表彰の運びになつたのじやないかと考えておるのでございます。
  175. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 土居良子のおい立ち及び人柄等について、御承知のことがあれば承りたいと思います。
  176. 五島貞雄

    五島証人 おい立ちにつきましてはあまり深く聞いておりませんが、父新六さんですか、この方は非常に信用のある方であつて馬車引き仕事としておつたそうでありますが、新六さんに頼めば間違いがないということで、大事な荷物はいつも新六さんに頼んでおつた。またお母さん婦人会の会計方面を受持つてつた。これがために自分子供のしつけにおきましてもいかにも几帳面な、そういう家庭に育つて来た。ところが先ほど申し上げましたように早く両親にわかれて以来、しかも十四歳の身に四人の弟あるいは妹の養育という母親にかわつての責任がある。姉としての務め、母親がわりとしての務めといつたようなことにつきまして、いかにもほがらかな、しかもひねくれた気持は全然なく一生懸命に農業に励んでおる。あるいはその農事方面におきまする技術という方面につきましても、近所で伺いましても、何か百姓としてこういうことをやらなければいかぬというような時分には、いつも良子さんが先にやつておるというようなことで、近所の方々も良子さんに教えられるというようなことで、農業方面につきましても相当な習得をされておる。あるいはそういううるわしい性格でありまするから、きようだい仲のよいことはむろんでありまして、ことに弟あるいは小さな妹さんを——最初は栄養失調で、四つになるのにまだ歩くことがどうかといつてつたのを、背負つてつてつたというようなことで、非常に明るい性格の持主のように、私二、三回会いましてからそういう感じがいたしました。
  177. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それから生活状況、周囲の事情等はいかがでしようか。
  178. 五島貞雄

    五島証人 生活状況は、貧農の家といいましようか、現金収入は生活の扶助と、供出によつてつて来た金ばかりじやないかと思いますが、その生活扶助に対しましても、五人の家族といたしますと相当額あるわけでありますが、一生懸命に働いて、その差引いた足らない点を生活扶助でもらつておるというようなわけでありますので、この生活扶助につきましても、感謝のうちにいただいているといつたようた気持を本人は持つております。またいわゆる全国的な考え方、あるいは愛媛県たけかもわかりませんが、人がりつぱなことをやると、少し悪口を言つてみたいというようなねたみの気持があるわけでありますが、肱川村に行つてどなたに聞きましても、土居良子さんには一点の非の打ちどころがない。何もかも、聞くこと見ることみな感心していることばかりだというような、近所の方々の羨望の的といいましようか、感激の的といいましようか、そういつたようにほんとうに近所からも尊敬され、かわいがられているような状態であります。
  179. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 そこで先ほどからお述べになつたような事績があつたことについて、社会的にどういう影響があつたとごらんになつておりますか。
  180. 五島貞雄

    五島証人 社会的には非常な関心を呼んだといいましようか、雑誌にいたしましても「婦人世界」の四月号、「家の光」「婦人倶楽部」の五月号、修養団の発行の「親和」の六月号、「ニッポン・ダイジェスト」の七月号、こういう方面にすべて土居良子さんの記事が出ておりますし、また愛媛県で出しております愛媛県政の陛下御巡幸特集号の表紙に、土居良子さんが陛下にお目にかかつているその写真がはつきりと載つております。また私がちようどこちらに出発いたしますときに、日本ばかりでなくして、アメリカの邦人新聞の加州日報の六月六日付に三段抜きで土居良子さんの善行が報道された。これを聞いたロサンゼルスにおります日本人は、敗戦国日本にこのようなけなげなおとめらがあつたのか、このくらいうれしいことはないということになつて、九日の航空便で激励の慰問品を贈つたというようなことが新聞に出ております。こういうふうに国ばかりでなく、また石川県か富山県であつたと思いますが、新聞を見て奇少年に及ぼす影響が非常に大きいから、詳しいことを知らしてくれぬかというような照会がありました。また県下各方面の婦人会にいたしましても、男女青年団にいたしましても、ほんとうにいい影響といいましようか、あるいはいいことがあれば、第二の土居良子だというように、みな感激のうちに良子さんの善行を見習おうじやないかといつたような動きがあるのがうかがわれるわけでございます。
  181. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 なお今おつしやつた書少年に及ぼす影響について、何か実験されたことはありますか。
  182. 五島貞雄

    五島証人 青少年に及ぼす影響につきましては、現在の不良青少年に対する防止の考え方につきましては、衆議院におきましても昨年四月十四日に決議され、参議院におきましても五月八日に決議された。こういうふうに私は不良化とか犯罪とかいうふうなことがきらいでありますので、何か明るい面はなかろうか、光を仰ぎ、光をしのんで、ものは伸びて行くのだというような見地から考えましたときに、こうした明るい面が各方面で取上げられまして喜ばれるということは、奇少年に及ぼす影響は非常に大きなものがあり、これでなくてはならない、できれば悪いことを探すよりは、こうしたいい方を全国的に探す、そうしてそういう方を中心として青少年のあたたかいつどいというか、うるわしい動き方というか、そういう方面にまで持つて行くのには、非常にいい機会であつたと思います。従いまして将来の青少年対策にいたしましても、こういう方面は非常に重く取上げねばならぬじやなかろうか、あるいは知事さんにいたしましても、そういうふうな見地から愛媛県におきましては青少年問題が大きく取上げられまして、二十五年度の予算におきましても、おそらく他県に見ることのできない青少年対策費を組むに至りました。その反面にはこうした明るい面を伸ばして行こうというふうなこと多が分にあるのではないかというふうな気持はいたしておりますので、青少年の保護育成、子供の健やかな生長を念じておりまする児童課長といたしまして、ほんとうにうれしく力強いという心境でございます。
  183. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 よく世上にあることですが、表彰されたりすると本人に大きなシヨツクを與えまして、これがよいこともあり悪いこともあり得るのですが、それらの点について何か感じられたことはありませんでしたか。
  184. 五島貞雄

    五島証人 その点につきましては、おそらく表彰の反面には本人を精神的なといいますか、きゆうくつにするような気持が多分に起つて来るというふうな過去の例も聞いておりますが、せめて土居良子さんだけは、大自然の中に育つておりまする関係上、世間が朗らかな気持で見守つてやれば、非常にすくすくと伸びて行くのではないだろうか、おそらく土居良子さん自身につきましては、あるいは表彰とか、こういうふうに世間から騒がれますと、精神的な非常に苦痛があるのではないかというふうなことも考えられますけれども、しかし伸び行く全国の青少年のことを思つたときに、伸び行く全国の青少年の方々の明るい、すなおな魂とともどもに良子さんもまた伸びて行くのではないかというふうな気持を持つておりますので、将来これがためにおかしな考えになるというようなことはないような気持がいたします。
  185. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 本人が非常にきゆうくつがつたり、また非常に偉くなつたというような、そんなような影響は聞いておりますか。
  186. 五島貞雄

    五島証人 偉くなつたというふうな影響は聞いておりません。ただ黙々としてじつと働けばいいのだ、先ほどちよつと廊下で会いましても、早く東京がら帰りたい、東京のはなやかな生活を見るよりは、早く帰つて田植えをしなければ、来年の供出にさしつかえがあるのではないだろうかというふうな気持、また麦も今年取入れて十俵庭に積んである、供出の割当があればいつでも供出できる準備をいたしているというふうなことで、こうなつたから自分は偉いのだといつたような誇りがましいような点は絶対ない、こういうふうに考えております。
  187. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それではあと青木さんに伺いますが、あなた愛媛県知事でしたか。
  188. 青木重臣

    青木証人 はい。
  189. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 いつからですか。
  190. 青木重臣

    青木証人 昭和二十一年十月からでございます。
  191. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 昭和二十一年の十月、それから公選になつて続けておやりになつているのですね。
  192. 青木重臣

    青木証人 さようでございます。
  193. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 あなたは知事として、昭和二十四年十月二十五日に愛媛民事部司令官ウエリントン・B・サールス君と同時に、県下の喜多肱川村の土居良子という少女を表彰されたそうですが、その表彰に至るまでの経緯並びに事由をまず伺いたいと思います。
  194. 青木重臣

    青木証人 実は経済部長から、現地の地方事務所長からこういう感心な子があるという報告があつた、できるならば知事から表彰の言葉でもしてもらいたい、したらどうかという伺いがありました。それがたしか表彰いたしましたよりも数箇月前かと思います。私は生れが農家の者でありますし、ちようど調書を見てみますと、二、三歳から九歳くらいの弟妹四人をかかえ、自分をまぜて五人で、そうして父親がたくなり、引続いて母親がなくなりましてからの事績を大要書いておりました。これは知事が簡単に表彰するというようなことではないというような感じがいたしました。それかうちよつと異例ではありましたが、私から金一万円を添えて、本人は子供だからすぐびつくりするので、村長にも連絡して、ぜひためになるように、しかも私もついでにそつちに行くから、よくほめておいてもらいたい。そうしてそのときに正式に表彰するということを申したのです。そして事務所長並びに村長から再度詳しい報告をとつてみますと、ますますちよつと例のない、しかもただ善行というような、生まれながらにして行つたということでなしに、とにかく実際面に、このせちがらい世の中で、二、三歳から九歳までの弟妹四人をかかえて、わずか十四、五歳の子供がこれだけのことをするということは、私はちよつと神わざでなければできないことだということを痛切に感じまして、そうして実はひどく感銘を深くいたしまして、単なる子供善行というような意味でなしに、人間としてこういうことができるだろうかというふうに、調べれば調べるほど非常に強くそういう感じがいたしまして、かような表彰をいたすことにいたしました。それが新聞記事に出ましたもので、当時の愛媛民事部のサールス司令官がわざわざ私のところまで参られまして、自分はぜひこの子に会いたい。しかも現地へ行つて、その子の家でほめてやりたいという言葉がございました。それでは一緒に参りましようということにいたしましたが、ちようど私は当時公務のために行けませんので、県からは私の代理を差向けたのであります。正式の表彰手続をいたしまして、そしてサールス司令官みずからそこに参りました。私のところは代理者の経済部長が参りました。さようないきさつでございました。
  195. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 表彰式のときの模様は、あなたそれじや御承知ありませんね。
  196. 青木重臣

    青木証人 はい、私は東京へ招集されましたもので……。
  197. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 大体お聞きになつておると思いますが、どんなふうなものでしたか。
  198. 青木重臣

    青木証人 承知しております。村の関係者はもとよりでありますが、地元喜多郡の瀧幸事務所長を初め、おもな者がたくさん参列いたしまして、サールス司令官非常な感激をもつて、今までかつてない感激の表彰式だつたという報告を受けております。
  199. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 このことの與えた影響ですね。村に與えた影響、それから社会的の影響等について御承知の点をお聞きしたいと思います。
  200. 青木重臣

    青木証人 実は主食の増産並びに供出が、現在重大な問題としていろいろな問題を起しまして、ことに愛媛県といたしましては、数次にわたる災害の影響、あるいは天候の影響等で、非常に供出を完遂するに困難でございまして、しかも肱川村は県下切つての大村でありまして、数箇村合併の村でありますので、村内のごたごたもありまして、非常にむずかしい村でございます。しかしながらどういうものか、こういうことが私の耳に入る前に——非常にむずかしいのですけれども、いつでも供出を完納いたすのです。こういうことになりました以前の、むしろ私はこの子の事績というものが村の、少くとも農家の生産増強並びに供出に、これは無言のうちに非常に大きな影響があつたということが、このことを調べてからはつきりいたしました。さらにこういうことが新聞に出、また現地で私どもが表彰いたしました後の影響というものは、もう先ほど児童課長から申し上げました通りに、県下の困つておる戦災者や、それから引揚者、あるいは戦争未亡人等で、むしろ非常に泣言を言つているような空気が、逆にそんなふうな泣言を自分たち言つておれない、こんな子があるのじやないかという空気が、いかなる場所、いかなる会議等でも議題になるし、また実際にそういうような人たちに非常に元気を與えまして、こんな十四、五歳ぐらいの、まるで鼻たらしの娘がこれだけのことをやるのだから、お前たちもやらなければいかぬじやないかということを言い出す声が、未亡人の会合なんかで非常に強く起りまして、私もその点は——数字では計算できませんが、非常に大きな影響があつたということをその後あらゆる場合に感じておりました。全国からも、先ほど児童課長から申しましたが、大阪からは全然匿名で、私あてで一万円あるいは五千円を、土居良子にやつてくれというような、全然わからない金が数次参りました。非常に大きな影響を與えておると思います。
  201. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それから先ほど児童課長も言われ光が、最もやかましく言われている青少年不良化に対する影響はいかがですか。
  202. 青木重臣

    青木証人 私、ちようど足かけ五年愛媛県知事をいたしておりますが、ちようど敗戦直後でございまして、何としても青少年、若い十二、三歳から二十歳までの子供の強力な育成というものが、建設日本の礎であるということを強く感じまして、実は児童課などをつくる以前から、県政の上に大きく考えているわけでございます。いろいろなことをいたしますよりは、こういう子供が一人でも二人でもできて、さらにそれが大きく影響して、無言の間に感化を受けて元気が出るということは非常にいいことだということを、はつきりと表面の統計には出て参りませんけれども、そういう空気は争えないものであるということを確信しております。またそれに刺激されたというわけではありませんが、不幸なる家庭から不良少年少女というようなものが出る場合も多いのでありますから、ヘレン・ケラー女史が参りましたときにも、実は全国に例のない、そういう不幸なる人の会館などをつくる気運が起り、さらに未亡人の金融機関を一昨年から——これも全国に例のないことでございますが、一千万円の金庫をつくつて、いわゆる根本を絶やす方法を考え、さらに昭和二十五年度予算では一千万円の予算をもつて、今いろいろ対策を考えております。さような意味において、こういう事例ではこの子が特例なことではございますが、若い、むしろ子供に近いもののこういう善行というものが、ただいまのような政策の実際の裏づけであるということを、私は痛切に感じておるわけでございまして、その影響ははかり知れないものがあると思つております。
  203. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 表彰したことについての今までの影響については、先ほど児童課長さんから開きましたが、今後こういうふうに非常にやかましく表彰されると、本人に対して悪い影響があると思いますか、いい影響があると思いますか。
  204. 青木重臣

    青木証人 この点は、先ほど委員長さんからお話がありましたのでありますが、実は最初私が表彰を決心したときに、一番心配したのはこの問題でございます。ただ默つて、世間にちやほやされないで、この一万円の金も本人にも世間にも言わずに、村長にでも預けておいて、医療費のためとか、ほんとうに困つたときに出すようにしろということを特に注意させたのであります。さような意味で、その後ずつと心配しておりますのは、あの子をいわゆる英雄にしては困る、また世間にちやほやされては困るということでありましたが、私がそういうことをいたしましてから、もうかれこれ一年ばかりたちますが、全然そういう影響はございません。またこれは後ほどこうんいただきたいと思いますが、実は世間でちやほやされるような子ではありませんで、まつたく見る影もない田舎の一農家の子供でございまして、風采も決してよくはありませんし、全然その心配もないので、私も安心いたしました。しかしいなかでは、それでも近所の青年などは相当関心を持つだろうと思いますから、そういつた点は十分に注意はいたしておりますが、全然逆でございまして、ただいまあそこの控室で私が会いましたのですが、私が行つても、私に今日はをいたしません。児童課長知事さんだよと申しましたら、ただぺこつと頭を下げただけです。陛下がおいでになつて、あの子に特にセ言葉があつたのでありますが、そのときも私はそばで注意深く見ておりましたが、全然それによつて自分が特に感動を——感動は受けておりましようが、偉ぶつたり、それによつて特にどうということはございません。いわば無表情でございます。ざような意味において本人は性格的にも、実は私の一番心配したことが、むしろ本人の迷惑がつておるような気持としてちよつと見受けられますが、それによつてうぬぼれるとかいうことはないということを確かめまして、非常に喜んでおる次第でございます。
  205. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 何かありますか。
  206. 井手光治

    ○井手(光)委員 たいへんけつこうな御証言をいただいたのですが、先ほど来青少年問題に関しての御意見、詳細にありましたが、むしろ御証言の内容から言うと、青少年に與えた影響もさることながら、戦災者、未亡人団体等、おとなに與えた影響も社会的にも相当大であつたと思います。ただ私どもが注意をしなければならぬのは、春少年の不良化の問題はなかなか大きな問題であります、けれども、そういう面に対して大きな影響を與えたということが、重要な問題だということは申し上げるまでもないのでありますが、りつぱな善行なり、その本人のりつぱな性格、こういうものがむしろ青少年の教育方面に與えた影響というものは、よほど注意しなければならない。そこで県知事さんから、県下の教育界に與えております実情、及び学校側、おそらく小学校、新制学校在学の過程にあるものに対して、そういう面におきましての学童等に及ぼした影響、その影響によつて教風と申しますか、教育界の空気にどういう反映をしておるかということを詳細にお聞きいたしたいと思います。
  207. 青木重臣

    青木証人 この問題は、今お話のように教育そのものに対する生きた材料として、県下の教職員諸君がいろいろな話の場合の材料にいたしておることは相当ございます。また学校の教科書の内容にでもしたらという話も、県内でもたくさんございますが、私はそれに賛成いたしませんが、さように深刻に県の教育界には影響を與えているわけであります。
  208. 横田甚太郎

    ○横田委員 表彰されることに特別にけちをつけるわけではないのですが、表彰される理由をはつきり言つていただきたい。たしかこれは基礎調査報告書の中ですが「良子が僅かに十四歳の少女でありながら、両親をなくした悲しみのどん底から勇気を振つて立ち上り、」と書いてありまして、それからちよつと抜かしまして「いまや、全村民がはりきつて増産にまい進ずるようになつて来た。また、従来肱川村は供出成績が不良であつたが、良子が連年、トップを切つて供出を先途している範例は、ついに村内にセンセーションを捲き起し部落から部落へと供出意欲を昂揚させた」と書いてあるのですが、この供出は米ですか、麦ですか。
  209. 青木重臣

    青木証人 両方であります。
  210. 横田甚太郎

    ○横田委員 そうしますと、米のことはここに書いてないのですが、何か表でもございますか、これをもらつただげでありますが、委員部で調査なされたところによりますと、ここは山間僻地であつて米が非常にとりにくい。米がとりにくいから米を供出するのではなくて、保有米であつて、麦を供出するということになつておりますが、この点はどういうことですか。
  211. 青木重臣

    青木証人 ちよつと申し上げますが、米、麦、かんしよ、ばれいしよ、もとよりこれは供出と申しましても、供出で誘い出すとか——あの村はもとより移出村ではありません。あそこは非常に全国的に薪炭の供出量の多いところでございます。主食は多少移入村でございますが、村内では供出がございまして、村内の消費者が食べるわけでございます。主としてこれは薪炭業者でございます。従つて供出というものはあるわけでございます。村そのものでは足りませんが、村の中で出すものはやはりあるわけでございます。
  212. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 あなたの開くのは、良子供出のことを聞いているのでしよう。
  213. 青木重臣

    青木証人 良子の家では麦でございます。
  214. 横田甚太郎

    ○横田委員 そういたしますと「昭和二十四年の夏作についても、百九十余戸の未完納者があり、」と書いてあるが、この夏作は麦でしよう。いわゆる「良子が連年、トップを切つて供出を完塗している範例は」麦ですね。そのあとに書いてある「昭和二十四年の夏作についても、百九十余戸の未完納音があり、中には強硬に完納を拒む者もあつて、強権発動寸前の実情となつてきたが、その人達も長子の話を聞くと一宵に供出を誓い、このため同村が優良村に変つた」と言つておりますが、これは……。
  215. 青木重臣

    青木証人 雑穀でございます。
  216. 横田甚太郎

    ○横田委員 ちよつと参考までに聞いておきたいのですが、この人は田を耕しておりますね。田は一体どのくらいの反当収量になるのですか。
  217. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 知事じやわからぬだろう。
  218. 横田甚太郎

    ○横田委員 わからなかつたら、委員部でよく調査してほしい。これを見ると、子供でありながら、供出を完遂したために表彰するほかに、善行児童であるから表彰したのだということがありますが、この文章を見ると、善行というのは、供出を指しておるのでしようね。
  219. 青木重臣

    青木証人 先ほど児童課長から申しましたが、最初出発点が供出の問題から出ましたから、こういう調書になつておりますが、私が表彰したのは、もとより生産増強並びに供出、いわゆる篤農的な意味において表彰したわけでございます。それがだんだんと世間の問題になり、またこちらでお取上げになつたりいたしまして、そうして一方善行者ということになつて、所管もかわり、いろいろな調査も本人の覚悟なり、あるいは一家の状況なり、あるいは先ほどのお話のように、精神的影響を方々に與えたところから、実はかわつておるのでございます。従つてだいまでは私どももむしろ供出を完納した、あるいは生産増強に邁進しているということは、その一部でございまして、小さい子供をまつたくこの子が一人で背負つて立つという意味で、こういう年齢層の、こういう貧農の……。
  220. 横田甚太郎

    ○横田委員 わかりました。
  221. 青木重臣

    青木証人 そういう意味で取上げておるので、その点ちよつと調書と合わないのです。
  222. 横田甚太郎

    ○横田委員 もう一つ聞きますが、こういう小さい子に、たとい幾らかでも供出があるということ自体が驚異でございます。ところが供出しているのは、昭和二十二年の麦では割当が一石七斗二升に対して一石七斗二升供出した。二十三年は一石二斗に対して一石二斗供出した。二十四年は病虫害で少かつたのですが、四斗の割当に対して四斗を出しておるというようになつておりますが、先ほど申し上げましたように、それだけの数量を出すこと自体がほむべき点であることはよくわかりますが、ここでは一体どのくらいとれるのですか。
  223. 五島貞雄

    五島証人 段々畑でありますので、おそらく麦でしたら反当一石そこそこではないかと思います。
  224. 横田甚太郎

    ○横田委員 それは、ここにある昭和二十四年の牧支は年収入が二万二千七百三十一円四十銭、その内訳が供出して得たところの代金が六千百四十一円四十銭になつておる。この代金の中には麦とか、米とか、あるいはどうもろこしとか、いもとか、雑穀を入れて、それ以外に薪炭をやるとか、そういうものが含まれているのですか。あるいは供出の、いわゆる出した麦のことだけですか。
  225. 五島貞雄

    五島証人 それは出した麦、あるいは大豆、雑穀すべて含まれております。本人の現にとるのは供出の代金と生活扶助金ばかりであります。
  226. 横田甚太郎

    ○横田委員 そういたしますと生活保護費が一万六千五百九十円、それから供出代金が六千百四十一円四十銭ですから、働いた金では一箇月の収入としては五百十二円あまりにしかなつておらない。それから扶助費が一箇月千八百九十四円あつたわけですね。それで生活しておつたのですね。
  227. 五島貞雄

    五島証人 魚でも年に二回か三回しか買わないというような状態……。
  228. 横田甚太郎

    ○横田委員 体位は……。
  229. 五島貞雄

    五島証人 非常に強大です。一番下の子供がちよつと栄養失調でありましたが、それもなおりまして、皆普通以上でございます。あるいは土居良子さんの力などはおとな以上で、十六貫のものでしたら背中へかついで段々を上つて行く……。
  230. 横田甚太郎

    ○横田委員 それでは低収入の結果粗食に甘んじて、おとうさんが出征されて、死なれて、それから後こういうふうな状態のもとにおいて体位が別に落ちずにうまく行つているのですか。
  231. 五島貞雄

    五島証人 そうです。
  232. 中村寅太

    中村(寅)委員 ただいまの質問に関連するのですが、土居良子さんが耕作をしておられる面積をちよつと聞きたい。それと同時に、供出はやはり一つの大きな條項になつておると思いますが、十四歳、十六歳の女の子がひとりでやつておるというようなことは、どうしても考えられないと思いますが、生産から供出までの過程において、近所の人たちがいろいろ手伝つておるというようなことがあるのかないのか、そういうことをちよつと……。
  233. 五島貞雄

    五島証人 ただいまのことでありますが、田が一反五畝、畑が三反、両方で四反と聞いております。  それから非常に忙しい田植えとか取入れといつたようなときだけおじさんが手伝いに来る。あとは全部、肥料を買いに行くこと、耕すこと、肥料をやること、すべて自分がやつております。だからちよつと聞いただけでは、十四、五歳の方にできるのであろうかと私ども疑問を持つたわけでありますが、行つて近所の人に聞いてみますと、おとなの元気な方よりは仕事が早い。あのあたりはとうきびがとれるのですが、とうきびをたたいて穂から落すことや、大豆をとることなどはおとな以上だ。おじさんの話では、もう良子のうちでも大豆を取入れるころだから、おじさんのうちのむすこ夫婦に行つて手伝つてやれと言つて、行つてみるともう済んでおつたという状況でありましたが、山へ行くにしても、約一里くらいあります。そこへ行つて薪炭をとつてかついで帰つて来る。先ほどおつしやいましたように、リヤカーを大阪の方に買つていただきましたので、それからはリヤカーをひつぱつてつて来るということで、大分楽になつたと思います。田にいたしましても、川を渡つてよその部落へ行つて耕す。そこからかついで川のところへ帰つて、舟へ積んで渡つて、またかついで帰るということで、四反の田畑を耕すにつけましても、おそらく普通の平野——普通の田畑の耕作からいうと話にならぬじやないかと思います。
  234. 青木重臣

    青木証人 手伝いのことですが、これは御参考までに……。実は今回も、ちようど今田植えの始まるときでございまして、お呼び出しになつたのについては、本人は小さい子供をかかえていますし、一年で一番忙しいときでございますので非常にたじろいだのであります。近所の者がそういう話を聞いて、お前行つて来なさい、私たちがやつてやるというので、青年団や婦人会の人がやつてくれているので、本人が帰つたころは田植えが大体済んでいるだろうということであります。ですから、たとえば本人が病気で寝たときはやむを得ませんから、だれが頼まなくても近所の人が行つて手伝つてつている。それで本人は気にして、東京見物はいらないから今晩帰ると言つております。そんな状態であります。
  235. 田渕光一

    ○田渕委員 だれか伺つたかもしれませんが、近因はそういうわけでよくわかるのですが、たとえば家系というか、先租はどういうことであつたかということがおわかりになれば、それを伺いたい。
  236. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それは先ほど祖父及び祖母等のことは聞きました。相先までは開かなかつた
  237. 田渕光一

    ○田渕委員 何か隠れた血統がなければ「こういう珍しい女性は出ない。そういうことを県で調べたことがあるかということと、もう一つは、これからの対策を県としてはどういうぐあいに考えているか。もちろんそういうぐあいに忙しいときは手伝いもするし、やつてくれるのでありますが、だんだん一人前になつて来ると、どういうぐあいに県として取扱つて行くか。今日の状態ではまことに純情であり、そして表彰されたというようなことも何ら鼻にもかけない、珍しいことでありますが、これからますます子供も大きくなり、また妹、弟の学校その他の点も考えて行かなければならぬ場合に、どういうようなことを児童課長として、あるいは県知事として考えてやつていただいているか。表彰されるについて将来の名誉保持というようなことも伺えれば伺いたい。
  238. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 父母については二人ともたいへんりつぱな人だつた、祖母も祖父も老後であつたが、むすこさんが出征されてからもう一ぺん立ち直つて死ぬまで働いて、村中で最もまじめな人だつたということでありました。その他に深いことをお調べになつたかどうか。
  239. 青木重臣

    青木証人 ただいま血統と申しますか、家柄の点のお話でありますが、実は私も気になつているのでありますが、今まで聞いた程度では、あまりそう特別なことはございませんようでございます。父親も母親も非常に実直でうそをつかない。人に迷惑をかけることは絶対にしなかつたあとは名もなき一農家にすぎなかつた。  それから今後の対策についてでありますが、まつたく御心配の通りであります。私も実はこの点将来どうしようかと思つておりますが、結論から申しますと、何もせずに、このままそつとしておくということ以外にないと思います。ただいいことには、実は陛下が行幸になつたときに、松山に篤農家というか善行者として呼んでも、一応断りを出しまして、小さい子供もあり、自分自分の近くの大洲の駅でお迎えするからというので、それではよろしいというくらいに、非常にすなおなのでございます。結局松山へ出て参つたのであります。近所の人が、妹も見てやる、弟も見てやる。せつかく陛下が特に県下の数少い中にお前もお呼びだから、出て行きなさいというので、結局出て来ましたが、これが松山に汽車に乗つて出て来た最初の旅行だそうであります。私が特にそう言つて来なさいと言つても、すぐ近所の大洲の駅でお迎えするというようなことでございますから、この後もなるべくおせつかいをやかずに、ほんとうに農家の娘で大きくなるように、いろいろ細工をしないつもりであります。ただ私どもの心持でありますが、もう四、五年もたつて二十か二十二、三になつたら、一番普通の農家から、だれか実直な青年をお婿さんに村長でもがせわをして、家庭を担当するように、そういうように実は考えております。
  240. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 その点について先ほど村長つた部落会長だつたかから、婦人会で一生誤りのないように見守ろうということに今きめているということであります。
  241. 横田甚太郎

    ○横田委員 知事さんにひとつ聞いておきたい。篤農家というと私は納得が行かない。今知事さんの証言中にもありましたように、善行ということならば、なるほどということも言われるのです。そういう点はどうですか。
  242. 青木重臣

    青木証人 お話の通りでございますが、農業技術の普及、向上から見ましても、また精励恪勤するという意味でも、篤農家にもなるのでございます。しかしこの子としてはむしろその面よりは今では善行、孝子、節婦という線が強くなりましたが、篤農家の領域にも十分入る実績を持つているのであります。非常に私驚いているのですが、作物のつくり方なども、技術者が行つて教えると、非常にそれを早くのみ込みまして、生れつき百姓のことでは天才なのでございます。非常にものをうまくつくるのだそうでございます。従つて反当り収量なんかも比較的いいというような、驚くべきことなのでございます。
  243. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 済みました。御苦労さんでした。  土居良子さんですね。あなたは何年何月生れですか。
  244. 土居良子

    土居参考人 昭和九年一月十一日、十六歳五箇月です。
  245. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 あなたのうちには妹さんが何人ですか。
  246. 土居良子

    土居参考人 三人です。弟が一人。
  247. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 幾つ幾つですが。
  248. 土居良子

    土居参考人 妹が十五、弟が十二、次の妹が十、その次が七つになります。
  249. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 男一人と女四人なのですね。
  250. 土居良子

    土居参考人 はい。
  251. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 きようだい仲よくやつているのたろうね。学校へはみんな行つておりますか。
  252. 土居良子

    土居参考人 はい。
  253. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 何年と何年ですか。
  254. 土居良子

    土居参考人 上の妹は中学校二年、弟が六年です。その次が三年、一番下は行つておりません。来年からです。
  255. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 あなたの所は道野尾部落というのですね。部落人たちはみないい人ですか。いつも親切にしてもらつていますか。
  256. 土居良子

    土居参考人 はい、親切にしてもらつています。
  257. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 あなたはたんぼと畑をどれだけつくつていますか。
  258. 土居良子

    土居参考人 たんぼが一反二畝、畑が三反三畝。
  259. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 あなたはお父さんお母さんがおられたときから、たんぼや畑のお手伝いをしておつたのですか。
  260. 土居良子

    土居参考人 はい。
  261. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 幾つぐらいからやつてつたか。大体でよいですよ。十歳くらいから出ておりましたか。
  262. 土居良子

    土居参考人 ……。
  263. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 覚えがなければよいのです。  お父さんが応召されたときには、まだおじいさんお母さんがおられたのですね。
  264. 土居良子

    土居参考人 はい。
  265. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 おじいさんはいつ死んだのですか。お父さんが応召せられたあとですね。
  266. 土居良子

    土居参考人 はい。
  267. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それからあとお母さんが一人で、あなた方が手伝つてたんぼや畑をやつてつたのですか。
  268. 土居良子

    土居参考人 はい。
  269. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 ところがお母さんもなくなつたそうだね。それはあなたの幾つのときだつたかね。
  270. 土居良子

    土居参考人 十四のときです。
  271. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 数え年でだね。
  272. 土居良子

    土居参考人 はい。
  273. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 お母さんがなくなつたときは、弟や妹はよくわかつてつたかね。ほとんどまだそういうことを感じないようだつたかね。
  274. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 ……。
  275. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それであなたはお父さんが帰つて来なくて、お母さんがなくなられて、どうしようと思つたか。
  276. 土居良子

    土居参考人 ……。
  277. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 とにかくあなたが一人で百姓をすることになつてつたのか。
  278. 土居良子

    土居参考人 はい。
  279. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 御飯をこしらえたり、学校に出すことまでもみなあなたがやつたのだね。
  280. 土居良子

    土居参考人 はい。
  281. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 着物の洗濯だの、破れたのをやるのはどうしたのか。
  282. 土居良子

    土居参考人 私がやりました。
  283. 鍛冶良作

  284. 土居良子

    土居参考人 はい。
  285. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 今来ていませんか。
  286. 土居良子

    土居参考人 はい。
  287. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 どちらですか。身体が悪くて来られないのかね。
  288. 土居良子

    土居参考人 ちよいちよい来ております。
  289. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 いつでも来てもらわぬでもよいようにあなたはなつたのか。
  290. 土居良子

    土居参考人 はい。
  291. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 あなたは知事民事部の司令官などから表彰されたそうですね。その表彰はこちらに借りて来ておるのだが、ウエリントン・B・サールス、愛媛県知事青木重臣肱川村長谷本義光肱川農業協同組合組合長谷本義光肱川農業調整委員会長大野英由、こういう人たちの方から表彰があつたそうですね。
  292. 土居良子

    土居参考人 はい。
  293. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それから本年、陛下が愛媛県にお見えになつたときにも、お目にかかつて励ましの言葉を受けたそうですね。
  294. 土居良子

    土居参考人 はい。
  295. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 そういう表彰をされたり、励ましの言葉をいた、だいたりして、どう思いましたか。
  296. 土居良子

    土居参考人 胸がいつぱいです。
  297. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 子供さんは、中学へ行つているのが一番上で、学校へ行かぬ子供もおるから、まだまだずいぶんめんどうがかかると思うが、今後もずつとせわして、農業もやつていただけるだろうね。
  298. 土居良子

    土居参考人 はい。
  299. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 まあせいぜい一生懸命やつてください。
  300. 中村寅太

    中村(寅)委員 ちよつと補足して聞いておきたいと思います。あなたが今日まで非常に精を出していろいろいいことをなさつておられるのは、われわれ非常にうれしく考えておりますが、あなたが今日やつておられる上について、気持の上でも、物の面でも、どういう点に不自由を感じられるか、あるなら聞かせていただきたいつ
  301. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 何か困つているようなことがあるかね。
  302. 土居良子

    土居参考人 ……。
  303. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それでは忙しいときに来てもらつてかえつて迷惑だつたろうが、ありがとうございました。一生懸命やつてください。  本日はこれにて散会いたします。     午後二時五十一分散会