○篠田
委員 ただいま
徳田書記長から言われるわれわれの行動に対して外国の
新聞がこれを批判するという建前と、それからコミンフオルムが今まで愛される
日本の
共産党として立
つて来た、いわゆる野坂理論というものに対する批判というものとの間に、雲泥の相違があるのであります。それはなぜかと申しますと、今回の
共産党が三十五名も三十六名も衆議院議員の選挙で多数をとつたということは、これはいわゆるコミンフオルムなどの影響というものは受けておらないのだ。
日本の民族の独立のために、
日本人の幸福のために、
日本人的な立場において愛される
共産党としての活動をするという、そういう宣言、そういうやり方というものが実際において国民の支持を得て、特殊な人ではあるが三十五名も出たというわけだ。ところが今度の批判というものは、そういうものに対する根本的な批判であります。言いかえれば共産主義というものが、今まで議会
政治の方向に向
つて議会
政治を肯定し、
日本の憲法を肯定して、その
範囲内において
日本の革命をするということに対する国民の信頼と支持というものが、根本的にくつがえされた。なぜかというと、これは野坂自己批判にも
はつきり
言つておる。「以上に述べたような私の誤りは、どこに思想的根源があるか。一、その根源は、目前の戦術のために」
——すなわち選挙に勝つ、あるいは国民の支持を受ける愛される
共産党になりだいとかいう、そういう戦術のために「マルクス・レーニン主義的原則を軽視、または無視した点にある。われわれは、複雑で困難な特殊の事情のもとで活動しなければならないし、また合法性をまもらなければならぬ。そのためには、日々の闘争においては、いろいろのかけ引きや、えん曲な言葉も用いなければならぬ。ところが、私は、これにあまりにこうでいして、原則を踏みはずす傾向を生んだ。特殊性を強調しすぎて、原則を軽視した」
——原則とは何であるか。これは最近日にちは忘れましたが、たしか三月九日であつたと
記憶しておりますが、野坂批判の直後に出たコミンフオルムの第二回の批判におきまして、
アカハタに掲載されておりましたが、そこにいわゆる議会主義というものによ
つて人民の解放はあり得ない、人民を解放するためには、特に植民地並びに従属国家におけるところの人民の解放のためには、人民解放軍を用いなければならないということが
アカハタに
ちやんと掲載されておる。人民解放軍というような、現在のところではとうてい許されないものが、言いかえれば
一つの軍事力なり、あるいは暴力なりというものかなければ、
日本の共産主義の革命というものは行えないということを、
ちやんとコミンフオルムでも批判し、
アカハタも
ちやんと書いておる。それをごまかして、目前の戦術のためにとらわれすぎて、いわゆるレーニニズムの根本原則というものを離れたということを彼が是認して、ここに自己批判をや
つて天下に声明しておる。こういう意味から申しますと、私は
日本の
共産党の
考え方というものは、戦術的には
はつきり野坂さんが肯定しておるような面はあるけれども、戦略的にはあくよでも国際的なプロレタリアート、あるいは革命分子との
団体である。従
つてコミンフオルムとの
関係も
はつきりしておるということを
認めざるを得ない。そういう意味であなたの
言つておることはまつたく
うそであると思いますが、野坂さんの言明を肯定するならば、そこに当然人民解放軍ということも起
つて来なければならぬと思います。その点についてどういうふうに
考えられるか。