○渡部
証人 大体当時の
收容所の総員は九百名くらいでありましたが、それが一箇所の
クラブの中に収容しきれないので、二回にわけて実施する
予定でありました。そして第一回目が十時からその日開催になりまして、私はその第一回目に出席いたしました。まず最初に第
九分所の民主
委員をや
つておりました佐古清というものが司会をやりまして、司会位置はあの図にある通りであります。
政治部将校の紹介と若干の報告がありまして、それで司会位置から下
つてあすこへ
行つております。次に
政治部将校が概要次のようなことについて講演がありました。なお収容
所長代理はその際出席しておりません。最初は菅と
收容所次長、
政治部将校、これだけであります。
政治部将校は世界の情勢、それから日本民主化の状態、ラーゲルの生活、規律、作業、今後の運営等について報告がありました。なおその講演途中において、收容
所長代理シヤフイエフ中尉が入
つて来まして、あの図のような位置に着席いたしました。その後その講演が終りまして——その
政治部将校の講演のときには、菅
通訳は大体筆記いたしまして、十分置きくらいに、その筆記に基いて
通訳をしております。その後収容
所長代理、
政治部将校に対する質疑応答の時間が設けられまして、きわめて座談的に
質問を出し、
向うでも応答しております。一般
質問に対しては主として収容
所長代理がこれに応答しております。たとえて申しますと、ジユバンをくれとか、あるいは雨漏りの箇所をどうこうしてくれとか、
防寒設備を完備してくれとかいう例であります。
收容所全般に対しては
収容所長がその場で応答しております、ところが峯田という男が帰還に対する
質問をや
つております。これは第一回目であります。場所はあの位置であります。峯田の
質問内容は、われわれはアングレンを出発する際に、
ソ連将校から中間集結地に行くのだと言われて来たのであるが、今までそのようなことがしばしばであ
つた、今度もここへ来て、われわれが一番先に知りたいのはいつ帰れるかということである、これは私一人の気持でなくて、みんなの気持であろうという
意味の
質問をいたしました。それに対して
政治部将校は最初簡單に、そのようなことに対しては返答ができない、帰還に対しては知らないというような簡單な受け
答えがあ
つたのでありますが、さらにその後植松がうしろにおりまして——その前に私どもの耳には新聞その他を通じて、大体五月から十一月ごろの間に、取調べ中の一団を除く九万五千は全部復員させるだろうということを発表にな
つておりました。それについて植松が、こういうことを
ソ連政府から発表にな
つているが、このことはどうかということを
質問したわけです。それに対して特に
政治部将校が、
所長に会釈するようにして、その場で起立して、帰還問題に対する説明をいたしました。説明中はあの位置で起立しております。
日本共産党徳田書記長からの
要請によ
つて、
反動は返してくれるなということを言うて来ている、
従つて皆よい
民主主義者にならなければならない、
反動は帰れないであろうということであります。その間
通訳は筆記せず、あの図に示す位置で
通訳しております。
次にそれが終りまして、相当な時間が
たちまして閉会な
つたのでありますが、閉会の前に、
政治部将校から菅
通訳を通じて、今までの集会
状況を宿舎にいる聞かない
人たちによく話しておくように、
従つて第二回目の集会は実施しないという触れがあ
つて解散閉会になりました。大体以上であります。