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1950-04-05 第7回国会 衆議院 考査特別委員会 第19号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十五年四月五日(水曜日)     午前十一時三十五分開議  出席委員    委員長 鍛冶 良作君    理事 安部 俊吾君 理事 小玉 治行君    理事 高木 松吉君 理事 内藤  隆君    理事 吉武 惠市君 理事 梨木作次郎君    理事 石田 一松君       尾関 義一君    岡延右エ門君       木村 公平君    佐々木秀世君       佐々木盛雄君    篠田 弘作君       島田 末信君    田渕 光一君       塚原 俊郎君    西村 直己君       丹羽 彪吉君    坂本 泰良君       稻葉  修君    横田甚太郎君  委員外出席者         証     人         (カラカンダ地         区引揚者)   菅  季治君         証     人         (カラカンダ地         区引揚者)   山森友太郎君         証     人         (カラカンダ地         区引揚者)   渡部 武士君     ————————————— 本日の会議に付した事件  日本共産党在外胞引揚妨害問題     —————————————
  2. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 これより会議を開きます。  昨日に引続き日本共産党在外胞引揚妨害問題について調査を進めます。証人より証言を求めることといたします。  ただいまお見えの証人菅季治さん、山森友太郎さん、以上お二人ですね。  ただいまより日本共産党在外胞引揚妨害問題について証言を求むることになりますが、証言を求める前に、各証人に一言申し上げますが、昭和二十二年法律第二百二十五号議院における証人宣誓及び証言等に関する法律によりまして、証人証言を求める場合には、その前に宣誓をさせなければならぬことと相なつております。  宣誓または証言を拒むことのできるのは、証言証人または証人配偶者、四親等内の血族もしくは三親等内の姻族または証人とこれらの親族関係のあつた者及び証人の後見人または証人の後見を受ける者の刑事上の訴追または処罰を招くおそれのある事項に関するとき、またはこれらの者の恥辱に帰すべき事項に関するとき、及び医師歯科医師、薬剤師、薬種商、産婆、弁護士、弁理士弁護人公証人、宗教または蒔肥の職にある者、またはこれらの職にあつた者がその職務上知つた事実であつて黙秘すべきものについて尋問を受けたときに限られておりまして、それ以外には証言を拒むことはできないことになつております。しかして、証人が正当の理由がなくて宣誓または証言を拒んだときは、一年以下の禁錮または一万円以下の罰金に処せられ、かつ宣誓した証人が虚偽の陳述をしたときは、三月以上十年以下の懲役に処せられることとなつておるのであります。一応このことを御承知になつておいていただきたいと思います。  では法律の定めるところによりまして証人宣誓を求めます。御起立を願います。  菅さん、それを代表で読んでいただきます。     〔証人管季治君各証人を代表して朗読〕    宣誓書   良心に従つて、真実を述べ、何事もかくさず、又何事もつけ加えないことを誓います。
  3. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 署名捺印を願います。     〔各証人宣誓書署名捺印
  4. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 証言を求むる順序は菅さん、それから山森さんといたしますから、山森さんはもう一度控室でお待ちを願います。  こちらから聞くときはかけておられてよろしゆうございますが、答弁せられるときには委員長の許可を求めて、立つてつていただきたい。それから答えはこちらの質問をしたことに関する要旨だけを述べて、なるべく簡明に願います。  菅季治さんですね。
  5. 菅季治

    菅証人 そうです。
  6. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 あなたの現在の職業及び年齡は。
  7. 菅季治

    菅証人 現在満三十二歳、無職、東京教育大学研究科に入る準備をしております。
  8. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 学生ではないのですか。
  9. 菅季治

    菅証人 ええ、学生ではありません。しかし応召前に大学学生でした。これからもまた学生になろうとしております。
  10. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 あなたの入ソ前の経歴、それから入ソ後の径路ですね、それを簡單に概略だけを述べてください。
  11. 菅季治

    菅証人 大正六年七月生れです。北海道で小学、中学を終尾、それから東京高等師範学校の文科第一部第三学年を終つて東京文理科大学哲学科を卒業しましたのが昭和十六年、昭和十六年四月から昭和十七年の十月まで、北海道旭川師範学校の教諭、それから昭和十七年十一月から昭和十八年の十月まで京都大学大学院文学部哲学科において勉学、昭和十八年十一月三十日に召集されました。部隊北海道帯広の北部第九十一部隊、それから初年兵時代を北千島において送り、向う幹部候補生に採用されまして、また昭和十九年の三月北海道帯広に帰り、それから千葉の陸軍高射学校を終了し、昭和二十年の二月満洲に見習士官として、満洲の鞍山にありました満洲第一二二四部隊、これは照空部隊ですが、それに入隊しました。そこで小隊長をしておりましたが、昭和二十年の終戰直前奉天部隊は集結を命ぜられて、奉天に集結し、そして奉天で武装解除され、捕虜になつたものであります。それから昭和二十年九月の末に奉天皇姑屯という駅から私たち部隊は乗車しました。そうしてカラカンダに着きましたのが昭和二十年、つまり一九四五年の十一月の初めであります。それから私はずつとカラカンダにおりました。正確に言えばカラカンダです。京都大学院においてロシヤ語の初歩を学んだ関係上、部隊通訳がおりませんでしたので、通訳をやつておりました。それからずつと大体収容所内並びに収容所外の作業場の通訳をやつておりましたが、一九四七年の七月から二箇月、九月ごろまで、その当時私たち収容所にできました政治経済研究会というものの指導をやつておりました。けれども、私が責任者となつておる間に、会員が初め五、六十人いたのが、五、六人に減つてしまつたために、政治部将校に非常におこられ、反動ブルジヨア観念論者として非難され、責任者を解除されました。それから以後、その会は民主グループとして発展して行つたようであります。それ以後私はずつと収容所作業関係通訳をし、また実際に肉体労働にも従事しておりました。それから一九四九年の三月から私はカラカンダの各収容所共通通訳として日本人側から推薦され、ソ連側がそれを認めました。またその当時カラカンダにおいて東京外国語学校とか、ハルピン学院におつた優秀な通訳の人はすべて特別な収容所におりました。そこで私のような独学に近い者でも、その当時一番優秀な通訳となつてつたわけであります。ソ連側としては、収容所共通通訳として捕虜を採用するわけに行かない。しかしながら捕虜の間の講師としてという名目で採用しようということになつておりました。実際私も通訳の限界にとどまるつもりでありましたけれども、哲学をやつておりました関係上、弁証法とか唯物論とかいうことを聞かれれば、講演する機会もありました。一九四九年の十月の十日に私は帰国の命令を受け、カラカンダを出発しました。それからナホトカの港に十月の末に着き、一月ばかり肉体労働に従事し、それから十月二十七日東舞鶴の港に着いたわけであります。それからふるさとに一月ばかりおり、今年の一月十日上京して勉学しております。
  12. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 あなたはカラカンダにおいて民主グループの中へ入つてアクチーヴとして活動しておられたという人もあるのですが、そうじやないですか、今のお言葉ですと……。
  13. 菅季治

    菅証人 私は初めはアクチーヴであつたわけです。さつき申しましたように、一九四七年七月から九月くらいまでは、その当時できました政治経済究研会指導をしておりました。けれどもさつき言いましたような事情から、ソ連側からブルジヨア観念論者反動として目され、それ以来ずつとアクチーヴではありませんでした。一九四八年の六月か七月ごろソ連政治部将校、本部の方から少佐の人が来て、お前は一体、民主運動をやるつもりかと言われました際、私は民主主義者ではないと断言しておきましたけれども、向う日本人の間の民主運動に対して肯定的であるか否定的であるかと言われれば、やはり収容所生活の危機を脱する一つの方法として、それはやはり肯定しておりました。それから一九四八年の中ごろから一九四九年の二月、カラカンダにもまた全ソ連を通じて、日本人とかドイツ人そのほか全部を通じて、各収容所民主委員会ないし反フアシスト委員会というものが設けられた。その委員会においては小隊長以上くらい、また通訳も全部アクチーヴということにする。そうしないとアクチーヴの数が少いということで、私も初めは拒みましたけれども、一九四八年の九月ごろからアクチーヴの名簿に載るようになりました。しかし政治教育にはタツチしませんでした。しかしながら一九四九年分二月からは、さつき申しましたようにタツチしました。最後にはアクチーヴであつたわけです。
  14. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 この間からいろいろな証人から聞いたところでは、いわゆる民主主義にあらざれば反動ということで、中間というものは存在せぬというが、あなたは民主主義でなくてもアクチーヴにすると言われたということはちよつと今までの証人と違うようですが、それはどうですか。
  15. 菅季治

    菅証人 それは初めはアクチーヴ、ほんとうの熱心な民主主義者というのはほとんどいないわけです。ソ連側としては、もうどんどんアクチーヴをたくさんつくれ、民主主義者をたくさんつくれということを要求されるわけです。ですからできたばかりの民主委員会としては、どうしても形上数を多くしないといけない、数を多くする必要を感じたわけです。とりあえずとにかく思想を問わないで、小隊長以上はみなアクチーヴにしようじやないかということで、私どもの方の収容所分所ではやつておりました。けれどもだんだんそのうちに実際の政治活動をやる分子も出て来ました。
  16. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それであなたは政治活動はやつたんですか、やらないのですか。
  17. 菅季治

    菅証人 ですから最後の段階においてはやりました。
  18. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 一九四九年の九月十五日、カラカンダ地区において、いわゆる徳田要請なるものを、第九収容所俘虜ソ連政治部将校が伝達した。そのときにあなたがそれを通訳せられたと言われておるのですが、そういう事実があつたか。それで、あつたらどういうことでできて、どういう内容のものあつたという、その点を聞かせていただきたい。
  19. 菅季治

    菅証人 要請を伝達したというような事実はなかつたと思います。九月十五日のあの日あの場の状況を、私の記憶に基いてお話します。九月十五日、その当時第九分所所長親衛中尉のマルテルスキーという人ですが、帰還する日本人を輸送中で留守でありました。所長代理中尉シヤフイーエフという人が、収容所クラブに、数日前新しくウズベツクスタンのタシケント地方から移つて来たところの日本人軍事俘虜並びに抑留者を集めまして、収容所側からは所長代理シヤフイーエフ中尉と、それから政治部将校上級中尉エルマーラエフという人が出席しました。所長代理シヤフイーエフ中尉は、集めたところの日本人に対して、新しく他の地区から移つて来たところの日本人に対して、収容所生活心得を訓示しました。清潔、整頓、生活秩序、特にカラカンダ地区においては寒季向う折柄でありますから、建物のそうした防寒というようなことについても電話しました。それから一通り生活心得についての訓示が終つた後に、彼は日本人に対して質問があつたらするようにということを要求しました。で、いろいろな質問がありましたけれども、こういう質問がありました。われわれはいつ帰れるのか、十一月までに日本人を帰すというソ連政府声明はわれわれに適用されるのか、されないのか。それまでの質問に対しては、すべて所長代理シヤフイーエフ中尉答えておつたのでありますが、この質問に対しては、彼はそばにすわつてつた政治部将校エルマーラエフ上級中尉答えを促すようなゼスチユアをしました。で政治部将校は立つて答えたわけです。その答え内容はいろいろ言われておるようでありますけれども、私の記憶するところでは次のようだつたと思います。——ロシヤ語も言いましようか。
  20. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 いや、それはあとでいい。日本語で……。
  21. 菅季治

    菅証人 いつ諸君が帰れるのか、それは諸君自身にかかつている。諸君がここで良心的に労働し、真正の民主主義者となる日諸君は帰れるのである。日本共産党書記長徳田諸君反動分子としてではなく、よく準備された民主主義者として帰国するように期待している。以上があの日あの場の事実で、私の関知するところであります。
  22. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それはどういう目的で、どういう人を、どれほど集めたものでした。
  23. 菅季治

    菅証人 それは新しく移つて来たところの日本人に対して、所長代理生活心得を訓示するというのが主目的であつたろうと思います。それは初めて行われた集合であります。クラブ収容人員は大体三百名くらいだと思います。三百名くらいの日本人が集められました。そのとき第九分所に移つて来た日本人は九百数十名いました。ですから、予定から言えば、まあ二回ないし三回にわけてソ連側でも話す予定つたようですが、時間もたつた関係上、一回だけでよして、第一回の集合に聞いた者が、あと兵舎帰つてみなに話すようにということでした。
  24. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 全部で幾らくらいおつたんですか。
  25. 菅季治

    菅証人 その収容所にいる日本人ですか。九百数十名です。
  26. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それを二回にわけて話をする……。
  27. 菅季治

    菅証人 いやいや、初めの予定では二回ないし三回にわけて話すようなことも、ソ連将校言つておりました。けれども、第一回の集合終つてから、時間の関係もあつたでしようが、第一回に聞いた者が兵舎帰つて、仲間に話すようにということで、その後の集合は行われなかつたようです。
  28. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 そのとき、その政治部将校のそういう話の出るについての質問をしたのは、だれとだれの質問に対してそういうことになつたのですか。何人くらい質問したか、覚えておりませんか。
  29. 菅季治

    菅証人 帰国の問題についてでありますか。
  30. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 うむ。
  31. 菅季治

    菅証人 帰国の問題については一人であつたと思います。その一人の質問に対して、政治部将校はかなり長く答えたわけです。
  32. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 参議院の同胞引揚委員会並びに私の方の委員会で、この第九収容所におつて、今の場合に立会つた人が数人出ているのですが、それらの人々は、徳田日本共産党書記長から、反動は帰すなと言つて来ている、こういうことを間違いなく聞いたと言つておるのですが、あなたはこれをそうじやないと言えますか。いかがです。
  33. 菅季治

    菅証人 まずあの人たちの気持なり、あの場の雰囲気も十分考慮に入れなくてはならないと思います。私としては、少し事実とは違うと言えます。けれども、事実とまつたく違つた悪質なデマとも私は考えないのであります。
  34. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それはかういう意味ですか。
  35. 菅季治

    菅証人 第一に、帰国の問題については、捕虜の間ではきわめて話に尾ひれがついたり極端化します。第二番目には、特にあの人たち帰国問題には非常な不安を持つていたです。というのは、今までおりました土地においても、帰国たびごとに選から除外された人であり、またカラカンダに来るときも、帰国という希望を抱いていたのに、帰国の話は出ないで、かえつて生活心得、これから冬になるから防寒の用意をしなければならないというような話も所長代理がしたということから、一層不安であつたわけです。第三番目には、あの人たちの中には、日本共産党に対して好意を持たない人も少くなかつたわけです。ですから徳田が期待していると言えば、それは何か連絡している、関係している、工作している、あるいは要請、また手紙をもらつたというようなところまで発展して行つても、それはむりではなかつたかもしれない。むしろ自然であつたかもしれないです。
  36. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 あなたが参議院証言されたところを読みますと、今のあなたが言われたことを各新聞社手記として出されましたね。それと同時に、これに符合するロシヤ語をも書いて出されました。その点について、あなたはこの手記にあるのは、あなたの頭に残つておるのは、日本語が主であつて、それに合うようにロシヤ語を書いたのだ、こう言われたのですが、それは間違いありませんか。
  37. 菅季治

    菅証人 日本語の方がはつきり記憶に残つております。けれどもロシヤ語の重要な各語は覚えております。全部の言葉を完全にロシヤ語で覚えておるかといえば、そうは言えません。
  38. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 日本語の方が完全だというわけですね。
  39. 菅季治

    菅証人 完全であります。
  40. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それならば、日本語だけ完全なものを書けば、それでよさそうなものだが、なぜ不完全なロシヤ語を各新聞社や何かにお出しになつたか、この点われわれ了解に苦しむのですが、どういうわけですか。
  41. 菅季治

    菅証人 すべてのロシヤ語一語々々に至るまで完全とは言えませんが、大体は、私の記憶するところはそうである。特に重要な言葉については、ロシヤ語を入れておく必要があると思います。ことに向うさん側にも通訳の人がおりましたし、私の通訳としての立場からも、ロシヤ語を入れておく必要があると思いまして……。
  42. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 私の方に原文があるから間違いありませんが、これはあなたの手記を資料として各委員配つたのですが、ロシヤ文はこれに間違いありませんか。
  43. 菅季治

    菅証人 ロシヤ語の二行目にあるタブロソーウエスノというつづりが間違つております。これは私が手記を送つたときの間違いであります。手記としては間違つておりますけれども、あとですぐ気がつきました。それから三行目の最後のデモクラータミ、そこにコンマを打つて、その次の行の一番初めの字タクダーは、これは大文字でなくて、手記には小文字にしてありました。そのほかは大体……。
  44. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 このほかにほかの証人の言うのでは、十一月帰すという声明は、反動分子には適用にならないのだ、まず前提にそれを言つたというのですが、その点ばいかがでしたか。
  45. 菅季治

    菅証人 そういうことはなかつたと思います。あのときあの場の会合では……。
  46. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 間違いないのですか、覚えはないのですか、どつちですか。間違いないと言う人は幾人もありますが……。
  47. 菅季治

    菅証人 そういうことはなかつたと思います。反動分子を帰すな、そういうことは言わなかつたと思います。
  48. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 いや、まずさつきあなたも言われた、十一月には帰すという声明があつたが、帰れるのかと言つたら、十一月に帰すという声明反動分子には適用はないのだ、こう言つたというのです。
  49. 菅季治

    菅証人 適用される、されないということは、あの政治将校は確かに明言しなかつたです。そしてそれは諸君次第だ、こういうふうに言つたと思います。
  50. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 その意味適用ないのだというふうに解釈したわけですね、あなたとしては。
  51. 菅季治

    菅証人 そうです。
  52. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 今言つたよう日本語が主であつてロシヤ語は重要なことは覚えているが、全部は覚えておらぬと言われるにもかかわらず、これをロシヤ語をつけて出されたのはどういうわけで、どういう意味で出されたのですか。
  53. 菅季治

    菅証人 それは大体ロシヤ語は正しいと思うからであります。
  54. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 ロシヤ語で言えば、こういう意味つたということですね。
  55. 菅季治

    菅証人 ロシヤ語でも大体そう言つたろうという意味で、個々のといいますか、大体重要なことは全部記憶しております。
  56. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 参議院では、むしろ日本語を覚えておつたので、日本語ロシヤ語に直したのだと、こう言われたようですよ。
  57. 菅季治

    菅証人 日本語の方がよく覚えているとは言いました。
  58. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それだから、それによつてロシヤ語通訳した……。
  59. 菅季治

    菅証人 そうでなくて、あのときの委員の方の質問が、これを専門家に言わせると、むしろ日本語からロシヤ語をつくつたような感じがする文章だ、こういうふうにロシヤ語専門家言つているが、君自身としてはどうかと言われたので、それは完全な記憶という点からいえば、日本語の方が正しいと、こういうふうに言つたのです。
  60. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それから今あなた言われたのですが、「日本共産党徳田は、諸君反動分子としてでなく」と、こう言つたということは間違いないのですか。
  61. 菅季治

    菅証人 「日本共産党書記長徳田は」と、「書記長」という言葉が入つております。
  62. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それは間違いありませんね。
  63. 菅季治

    菅証人 ええ。
  64. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 ところがこれについてあなたは参議院で、政治部将校徳田書記長の名をつけ加えて使用したものだ、こう言われたというのですが、そういうことはありましたか。
  65. 菅季治

    菅証人 そういうことはありません。私は手記を出したときから、ずつと始めから終りまで、今言つた通りです。日本共産党書記長徳田はということを、ちやんと政治部将校の話として言いました。つけ加えてということは言いません。
  66. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 参議院で……。
  67. 菅季治

    菅証人 ええ、言いません。
  68. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 三月九日のアカハタに出ておるのですが、あなたの話として参議院における久保由、その他の証言に対して、ロシヤ語をわかつておるものであり、またソ同盟政治のことを知つておるものなら、あんな非常識な証言は行うことはできない、こういうことを言つておられますね。
  69. 菅季治

    菅証人 はい。
  70. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 これはあなたの言われたことに間違いないのですか。
  71. 菅季治

    菅証人 大体あのアカハタ記事誇張があり、私の言葉を極度に彼らの都合のいいようにやつておると思います。ソ同盟における言葉の使い方とは違う、こういうことを言つたことは事実であります。
  72. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 ではここに書いてあるようなことじやなかつたですね。
  73. 菅季治

    菅証人 それとは違います。
  74. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 先ほどのあなたの言われたところによると、むしろそう言うのは当然だと、こういうように言われた。
  75. 菅季治

    菅証人 当然というよりは、あの人たちの主観的な心理に即して言つてみれば、自然であつたかと思います。
  76. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 しかるにこういうことが出ておる。それではこれは誤りですれ。アカハタの方は……。
  77. 菅季治

    菅証人 誤りというよりは、誇張だと思います。
  78. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 よろしゆうございます。  次に、日本新聞カラカンダにおいて始終ごらんになつておりましたか。
  79. 菅季治

    菅証人 ハバロフスクから発行されて、一週間か十日くらい遅れて入つて来ました。読んでおりました。
  80. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 日本新聞の中に、反動つるし上げろというような記事が載つてつたようですが、これば御承知ですか。
  81. 菅季治

    菅証人 反動摘発反動暴露反動つるし上げろ、しばしば載つておりました。
  82. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 論説としてですか、だれかの言としてですか。
  83. 菅季治

    菅証人 カラカンダというところは民主運動が遅れておると言われておりましたので、第四一回に各地の分所の模範になるような政治活動状況を伝えておるわけです。何地区何分所収容所においては、こういうふうに反動を摘発した、反動を暴露した、こういうふうに反動つるし上げたというような例がたくさん載つておる。
  84. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それは普通の記事としてですか。
  85. 菅季治

    菅証人 記事としてです。
  86. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 たれかの言ではないのですね。
  87. 菅季治

    菅証人 第一欄に論説もあつたが、論説においても、反動分子を摘発せよという論説もときどき出ていたと思います。
  88. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 だれかの言、または意見、論説として、そういうものを見られたことはありませんか。
  89. 菅季治

    菅証人 各分所における反動摘発反動暴露反動つるし上げの例にはその收容所の通信員の署名が入つていたと思います。けれども一々の名前は記憶しておりません。
  90. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 つるし上げというのはロシヤ語でどういうことをいうのです。どう読み、またどういう意味ですか。
  91. 菅季治

    菅証人 暴露し批判することであり、別につるし上げということに該当するロシヤ語はないと思います。日本新聞社でつくつた言葉と思います。
  92. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 原語はないというのですか。
  93. 菅季治

    菅証人 ないと思います。しいて言えば暴露し、ラゾブラチヤーテイ、批判する、クリテイコワーテイ、両方組合せて、暴露し批判することを極端に言つてつるし上げ、こういうふうに日本新聞ではやらした言葉だと思います。
  94. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 今言われた批判というのは、クリテイカというのですか。
  95. 菅季治

    菅証人 名詞からいえばクリテイカ、動詞からいえばクリテイコワーテイ。
  96. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 イ・サマ・クリテイカというのは……。
  97. 菅季治

    菅証人 イというのは及び、サマ・クリテイカというのは自己批判です。
  98. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それらのことを日本語に訳して——訳してというか、それを日本語としてそういうふうに使つたのじやないかという人もありますが、それはどうですか。
  99. 菅季治

    菅証人 つるし上げといえば自己批判——つるし上げられる方では自己判別にもなりますが、自己批判を強制して——要するに反動を批判し、暴露することだろうと思います。
  100. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 クリテイカ・イ・サマ・クリテイコワーテイということはありましたか。
  101. 菅季治

    菅証人 ありました。ソ連人たちは盛んにそれを使つて、おりました。
  102. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 前にもどりますが、日本共産党書記長徳田、こういつたことに間違いないと仰しやつたのですが、タス通信では、そういうことはなかつた言つて来たそうです。そこに違いが出て来ますが、これはどういうところから起つたと思いますか。
  103. 菅季治

    菅証人 もう一度聞きます。
  104. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 タス通信ではそういうことはなかつた言つて来ているそうです。
  105. 菅季治

    菅証人 そういうことというのは……。
  106. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 徳田要請はなかつたという。ところがあなたは先ほどのことは、期待していることと帰すなということの違いはあるようですが、いずれにしてもそれに似たことはあつたわけですね。
  107. 菅季治

    菅証人 似たというのは、どの程度、どの範囲かということは、立場なり政治の主観によつて左右されるのではないかと思います。
  108. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 いずれにしても、日本共産党書記長徳田が言ついてることだけはたしかに聞かれたんでしよう。
  109. 菅季治

    菅証人 期待しているというわけです。その期待している。ということは私はあの場合には、日本人の方は、いつ帰してくれるか、その期日を知りたがつているのに、あの政治将校は、そんな期日は明確に言わないで、民主主義者として帰国することを期待するというようなことを言つている。あとで、逃げたなという感じがしたのであります。久保田さんたちのように解釈することも、なるほどあの場の雰囲気では、あの人たちにとつては自然であつたかもしれない。この問題が大きくなつてから、しみじみそういうふうに思うわけです。そのところは何とも言えないのです。そうした人たちでも、それじやあれをすぐ要請しているんだというのか、それともただあの政治部将校のように、徳田は期待しているんだから、お前たちはしつかりやれ。彼自身の推測であるか、そこのところは私は言えないのです。
  110. 吉武恵市

    ○吉武委員 私は証人に二、三点承りたいのです。まず第一に令の問題ですが、先日からここで数人の証人を呼んで調べました際に、どの方も、今、委員長が言われましたように、反動は帰すなというはつきりした言葉でもつて表現されているのであります。それから今日もあなたがその点を蜿曲にではあるが、期待をしているという言葉でもつて、やや修正をするかのようなお言葉を用いられている点が、私にはどうもまだ納得が行かないのであります。私はこの徳田要請の問題が参議院てまだ取上げられないで、新聞で問題になつているときに、その数日後どの新聞でしたか、初めてあなたの名前を私は知つて、その菅通訳談として出たその言葉が、今言われたように、期待しているという言葉でもつて、今まで徳田要請として論議されているものに、やや消極的ではありますが、違つた意味の意思表示をされているので、私はそのときも不審に思つたのであります。一人の人だけであれば、多少の主観的な言葉の受入れ方が違うということも、これは今あなたが言われたように、心理的な作用としてあり得ることであります。この間から五、六人呼びました。名前は申し上げなくてもおわかりでしよう。私はここにみな筆記しております。昨日呼びました橋本忠義君、日高清君、小笠原唯雄君、山口茂君、それから上村宗平君、亀澤君、みなこの点はきわめて重要な点でありますので、委員長なり私どもからしばしば証言を求めたのですが、どれも言葉は多少違つているが、徳田書記長より反動は帰すなという言葉の点については、ほとんど一致しておる。それをことさらにあなたが期待しておるというような言葉で粉飾されるような気がするのですが、どうでしようか。この点はあなたはおびえて言葉をそういうふうに警戒されておられるのじやないかと思うのですが、もう一度真実に従つてお述べを願いたいのであります。
  111. 菅季治

    菅証人 ただいまの御質問では、私が事実を修正し、あるいは粉飾しておるのではないかというふうに言われましたけれども、そういうことはありません。私は事実の通り述べたのであります。また今あげられた証人の中には、あの第九収容所のあのとき、あの場にいた人以外の証人もあげられておるようですけれども、私は他の地区、他の場所のことは知りません。徳田要請があつたかなかつたかということについては、私は言うことはできないのであります。ただ事実をありのままに述べただけであります。また事実を修正し、粉飾するということを言われましたけれども、たとえばこういう事情をお考えになつていただきたいと思います。あの事件について、久保田さんたちはあの集会を、政治教育のための集会であつた、思想教育のための集会であつたというふうに言われておりますけれども、所長代理は、政治局に関係のない主計出身の中尉でありますけれども、所長代理が、新たに迎えられた日本人に対して生活保護令を訓示する、それが主目的でありました。政治部将校の名前にしましても、あの証人たちはヒラトフ少尉というような名前を用いておりますけれども、そういう名前では全然政治部将校はなかつた上級中尉、スタレシナ・レチナント、エルマーラエフという人でありました。これは私のよく知つておる人であります。どんな機会に話されたか、あるいはたれが話したかということを伝えられる人々が一はだして完全に誤りなくその話の内容を伝えることができるかどうかということも、知つていただきたいのであります。
  112. 吉武恵市

    ○吉武委員 私が今列記しました名前の中に、他の地区の方が二、三入られたかもしれません。中を詳細に見るひまがありませんが、その大多数については同様の意見であつたのであります。それから今ここに同僚の内藤君のところに石川県の方から手紙が来ております。この手紙を見ましても同じことが書いてあります。本日徳田球一氏は参議院引揚特別委員会の喚問に対しその証言を拒否したことはまことに遺憾である。われわれは昨年九月十五日午前十時ごろカラカンダ地区九分所集会所においてソ連政治部将校ヒラトフ少尉の講演の際、通訳菅季治氏を通じ、今年十一月末日までに在ソ全日本人帰国させるとプラウダが発表しているが、いまだにわれわれが帰されない理由はどこにあるか、具体的な見解いかんとのわれわれの質問に対し諸君帰国諸君自身が決定するのである。この辺は同じであります。それは民主主義者になるかいなかが諸君帰国を決定せしむるものである。この辺も同じである。反動分子である限り絶対に帰さない。これは日本共産党の依頼によりソ同盟政府はこのような方法をとつておる、こういう答弁があつた言つております。このことがわれわれ同胞の帰国に重大なる支障を與えていることを、在ソ五年の生活を通じて体験している限り、われわれはこの嚴然たる事実の徹底的究明をしたいという声明が、これは石川県の下口さん、あるいは米山さん、辻さんその他数名から出ておるのであります。今あなたが声を大きくして言われますが、この集会が別の意味で持たれたとは証人はだれも言つておりません。あなたがおつしやつた通り、このカラカンダ地区に来た最初のときに集会所へ集められて、初めにいろいろの心得のお話があつた。そうしてその次に国際情勢についての話があつた。そうしてその後にあすこにも図があります。この点もほかの証人みんな言つておられます。初めに峯田君が質問をして、その後に植松君が質問をした。あなたは一人と言われますが、どの証人も二人したと言つておられます。この質問に対して将校の一人、これは証言は、名前はどういう方だつたか覚えはないと言つております。あなたは今はつきりとした名前を言つておられますけれども、ここで証人が述べられたのはそういうことは言つておられません。みんなそう考えながら、言葉言つておられるのじやなくて、すらすらその当時の記憶をみんな言われておる。ですからどうもそれを考えますと、あなたがきよう言われました点には何か意図があるようにしか思えないのですが、どうでしよう。あなたはお帰りになりまして、あの問題が大きくなつてから後に、共産党のだれかにお会いになつたことはありませんか。
  113. 菅季治

    菅証人 何か意図があると言われると、はなはだ私は遺憾であります。事実をありのままに述べただけであります。それから帰りましてから共産党に会つたことはないかという御質問でありますけれども、私は帰りまして一月ばかり北海道の北見というふるさとにおりました。その間共産党員は一人も来たことはありません。アカハタ、朝日新聞にあの記事が出ましてから、私の現在おります地方の細胞の人が来ました。
  114. 吉武恵市

    ○吉武委員 それはいつごろでございますか、北海道アカハタの人が来られたのはいつごろですか。
  115. 菅季治

    菅証人 北海道におりましたときは一度も来たことはありません。私は一月十日に上京して来ました。現在おりますのは北多摩郡の小平町です。私は四日の午前十時ごろにあの手記を投函いたしておりまして、アカハタの記者が来たのは六日の午後三時ごろ……。
  116. 吉武恵市

    ○吉武委員 アカハタに出たのは何日ですか。
  117. 菅季治

    菅証人 六日……。
  118. 吉武恵市

    ○吉武委員 六日にお会いになつたのですね。
  119. 菅季治

    菅証人 小平で……。
  120. 吉武恵市

    ○吉武委員 それから十日は。
  121. 菅季治

    菅証人 一月十日には上京したのであります。
  122. 吉武恵市

    ○吉武委員 六日というのはいつのことですか。
  123. 菅季治

    菅証人 それは三月です。
  124. 吉武恵市

    ○吉武委員 そうしてアカハタ記事が出たのはいつの何日ですか。
  125. 菅季治

    菅証人 三月七日でしたかね。
  126. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 今私の言つたのは九日です。それからまだあるようですが……。
  127. 菅季治

    菅証人 そうですが。
  128. 吉武恵市

    ○吉武委員 どなたにお会いに余りましたか。
  129. 菅季治

    菅証人 アカハタの紺野という記者が来ました。正確には私は名刺をとつておりますから。あとで……。写真班の人が来ております。
  130. 吉武恵市

    ○吉武委員 その活の内容は、最初どんなふうに言つて参りましたか。
  131. 菅季治

    菅証人 手記を読んだ。で、あの手記についていろいろ聞きたいというふうに言つて来ました。
  132. 吉武恵市

    ○吉武委員 それから当時のことですが、何かあなたに希望は述べられませんでしたか。
  133. 菅季治

    菅証人 希望というと、別に述べなかつたです。向うの方では……。
  134. 吉武恵市

    ○吉武委員 細胞が来たのですか、アカハタ記者以外にもお会いになつたのですか。それはどなたにお会いになつたのですか。
  135. 菅季治

    菅証人 新聞に載つてから、小平細胞の福島という人が来ました。
  136. 吉武恵市

    ○吉武委員 それはいつお会いになりましたか。
  137. 菅季治

    菅証人 新聞に載つた次の日くらいじやないかと思います。
  138. 吉武恵市

    ○吉武委員 そうすると十日ころですね。
  139. 菅季治

    菅証人 はあ。
  140. 吉武恵市

    ○吉武委員 その人はどういうことを言いましたか。
  141. 菅季治

    菅証人 あのアカハタ記事をそのまま信じて、今度はああいうふうに言つてくれると非常にいいと言いましたけれども、私はそうではない。あの記事にはずいぶん誇張がある、歪曲がある。私は共産党とは関係なく、事実を事実として明らかにするから、もう来ないでくれと言いました。
  142. 吉武恵市

    ○吉武委員 それだけですか。何かもつとほかに話はありませんか。
  143. 菅季治

    菅証人 別に話はない。小平細胞の人は、われわれは平和と民族の独立のために闘つておるのだという共産党の宣伝めいたことを言つておりました。
  144. 吉武恵市

    ○吉武委員 それからもう一つは、今問題になつておる集会所、一九四九年の九月十五日の日のことでありますが、そのほかにカラカンダの食堂の壁に徳田球一氏から来たはがきが張つてつたということですが、それはあなた御存じですか。
  145. 菅季治

    菅証人 それは私記憶しておりませんけれども、第九分所には徳田日本共産党の本部からはがきが来ていたことを今記憶しております。
  146. 吉武恵市

    ○吉武委員 どういうふうな内容の……。
  147. 菅季治

    菅証人 大体第九分所の人に聞きましたところが、徳田氏に対して爆弾を投げた事件があつたの日本新聞に載つて、それに対して見舞状を第九分所日本人が出したそうです。それに対して共産党本部から徳田球一代筆といも返事が数通来ておるということを聞きました。私もその一通を読みました。
  148. 吉武恵市

    ○吉武委員 どういうふうに書いてあつたですか。
  149. 菅季治

    菅証人 共産党本部にアルバイトに来ておる学生であるというような記事でありました。徳田さんはあの爆弾事件以後も非常に活発に活動しておる。現在は総選挙の運動の最中であり、徳田さんはトラツクの上に乗つて演説をやつておる。そのまわりにおじいさん、おばあさんも目を輝かして聞き入つておるというようなことを書いてありました。
  150. 吉武恵市

    ○吉武委員 その一通だけですか、ほかにごらんになりませんか。
  151. 菅季治

    菅証人 もう一通くらい女の人から来ていたのがありましたが、内容はよく記憶しておりません。忙しいからそのとき見なかつたのですが、十通以上は来ていたと思います。
  152. 吉武恵市

    ○吉武委員 これはカラカンダにいた吉田君が言つておることですが、九月初旬に徳田日本共産党書記長から収容所にあてられたはがきが来ておる。それに「オテガミアリガトウ、オゲンキニテソドウメイキヨウカノタメマイシンサレ、リツパナトウシトシテ、キコクサレ、ハンドウニタイシトモニタタカウヒノアルノオオマチシテオリマス、ニホンキヨウサントウトクダシヨキチヨウ」こういうようなのがあつたよう言つておりましたが、あなたはそういうのをごらんになつたこともなければ、聞かれたこともないですか。十通くらい来たはがきといえば、非常に日本から来たはがきとしては珍しい、みんなが興味をもつて見たがり、または聞きたがるのですが、あなたはただ一通しか記憶がないと言われるのですけれども、どうでしよう。
  153. 菅季治

    菅証人 そうですねえ。——そのことは別の地区証人に……。
  154. 吉武恵市

    ○吉武委員 これは吉田君ですが、そういうような共産党から、いわゆる民主主義者になつて帰れとか、あるいは反動分子帰つてほしくないというような意味のはがきがあつたように、ほかの証人は言われるのです。
  155. 菅季治

    菅証人 反動分子帰つてほしくないというようなことはなかつたと思います。民主主義者になつて帰つて来ることを期待しているという手紙はあつた
  156. 吉武恵市

    ○吉武委員 そうすると、あなたは徳田球一氏が爆弾にやられたときのことしか知らぬとおつしやるのだね。
  157. 菅季治

    菅証人 そうでなかつたと思います。つまり元気で活発にやつておる。徳田球一氏がトラツクの上で演説をしておるのを、日本のじいさん、ばあさんやおかみさんがみな熱心に聞いておるというようなことであつたと思います。
  158. 吉武恵市

    ○吉武委員 その点はまたさらにお聞きするとして、もう一つお聞きしたいのは、あなたはカラカンダに入られましたのが二十年の十二月ですね。
  159. 菅季治

    菅証人 十一月の初めです。
  160. 吉武恵市

    ○吉武委員 それから今年帰られるまでカラカンダにおられた。
  161. 菅季治

    菅証人 そうです。
  162. 吉武恵市

    ○吉武委員 その間にあなたはアクチーヴになりておつたかという委員長質問に対して、最初は自分はそうではない、こう言われて、途中で終りごろにアクチーヴになつた、こう言つてアクチーヴになつたということを非常にいやがられる感じがあるのですが、アクチーヴというのはどういうことを一体しておつたのですか。
  163. 菅季治

    菅証人 別に私はいやがつておるわけではありません。ただ私としては政治的な確信というものを、ソ連においても、また現在においても持つていません。アクチーヴというのは、ソ連側ではこういうふうに規定したと思います。日本の民主的な改造に対して賛成し、そしてソ連においてそのために政治、文化、生産において何らかの活動をしているものをアクチーヴという。それからただ日本の民主的な改造に賛成しているとい、だけであるならば、アクチーヴでなくして、民主主義者、詳しく言えば民主的な傾両者である、こういうように規程していたと思います。
  164. 吉武恵市

    ○吉武委員 それではあなたが、終りごろでもよいのですがアクチーヴになられたというのは、動機はどういうのでなられました。
  165. 菅季治

    菅証人 一九四九年の二月ごろ、ある収容所において青年代表会議、青年のアクチーヴ会議が開かれました。私はその当時十六分所という分所にいたのでありますけれども、そこの代表会議に出席するものが、どうもいつもこうした会合においては通訳がいなくて困る、だから君行つてくれというので、私行きまして、そのとき通訳したのであります。そのときの通訳が、ソ連側にも日本人出席者にもよい印象を與えまして、その場において日本人の代表から、こういう通訳を今後会議にどんどん活用すべきであるというような提言がありました。それからその後工作員といつて、各収容所には政治教育、文化活動を専門にやつておる日本人がおりましたけれども、その工作員が収容所本部に私を通訳として推薦したのであります。
  166. 吉武恵市

    ○吉武委員 そうすると、もう一つお尋ねしますが、あなたは先ほどの証言のうちに、一九四七年の七月から九月までの間にもアクチーヴになつた。その後自分はアクチーヴをやめたと言われましたが、最初のときにアクチーヴになられたのはどういうわけですか。
  167. 菅季治

    菅証人 カラカンダ地方は政治教育が非常に遅れておると言われておりました。ところが一九四七年に入りましてから、日本新聞においても、各地において民主運動が活発になつておる。またカラカンダ地方においても民主運動が活発になり、各収容所民主グループができている、こういうふうになつておりました。そこで私がおりましたのは第十一分所であります。第十一分所においても、なぜほかの分所のように民主グループができないかというようなことを、ソ連政治将校がきつく言いました。その意向を私は大隊長に伝えましたところ、大隊長は、それではわが十一分所にも民主グループをつくろうじやないか、そして菅君は幸いに哲学をやつており、思想上に詳しいから、責任者になれと言われて私は責任者になつたのであります。
  168. 吉武恵市

    ○吉武委員 それをやめられてからも、あなたは四年の間ですか、ずつと通訳をやられておつたのですか。アクチーヴは最初と終りで、その間が抜けるのですが、通訳としては終始一貫してやられておつたのですね。
  169. 菅季治

    菅証人 大体一貫しておりました。しかしその間通訳の仕事がないときには、ソ連の方では非常にきびしくで、収容所内に残るもの、それから肉体労働に従事しないものは非常に制限しましたから、通訳の仕事がないときにはどんどん肉体労働もさせられました。
  170. 吉武恵市

    ○吉武委員 そうしますと、通訳をさせられておれば、向うの幹部との間の折衝というものは、あなたが常に携わられたと思うのですが、このアクチーヴの会合等における通訳もあなたがやられたわけですね。
  171. 菅季治

    菅証人 一九四九年三月以後におきましてはやりました。
  172. 吉武恵市

    ○吉武委員 三年以後はそうでしようが、その前にも日本人との間の通訳というものはあなたがやられたとすれば、かりにその間にアクチーヴでなくても、通訳としてアクチーヴの会合の席その他において、向うの幹部の人との間の折衝というものはやられたわけですね。
  173. 菅季治

    菅証人 第十一分所においてはやりました。
  174. 吉武恵市

    ○吉武委員 そうするとアクチーヴの中の内情というものはあなたは御存じですね。
  175. 菅季治

    菅証人 大体知つておるつもりであります。
  176. 吉武恵市

    ○吉武委員 どういうことをやりました。アクチーヴの会合の席で取上げられた戰術とか、あるいは教育方針とか、そういうものがあるでしようが、その概略をひとつ……。これはほかの証人からも大体は聞いておるのですけれども……。
  177. 菅季治

    菅証人 大体ソ連収容所本部としては、捕虜を成果を上げてよく働かせる、それから政治教育を活発にする、文化活動を活発にする、こういうふうに生産、政治、文化ということに重点を置いて、そうして捕虜の間の指導者としてアクチーヴを認めていたわけであります。それでアクチーヴ会議などにおいて問題になつたのは、よく働くものの名前を知らせるとか、あるいはサボつておるものはいないかとか、サボつておるものはどんどん言つて来いというような生産に関する問題、それから政治教育に関する問題、政治教育は、大体私の考えでは三方法ぐらいにわかれたと思います。一つは図書による政治教育、モスコーにおける外国の図書出版所から政治関係の書物が日本語で来ました。日本新聞においてもいろいろな書物が発行されておりました。それから日本新聞、これは一番大きいのでありますけれども、日本新聞による政治教育、第三番目には講習会による政治教育、こういう問題もアクチーヴの会においては問題になりました。それから文化活動、演劇、音楽、合唱というようなものを活発にやらなければならないというふうに、そしてその方向もいろいろ変遷はあつたようですけれども、大体日本における天皇制を打倒する、そして労働争議なり、小作争議における闘争方法をテーマとするというようなことが中心であつたと思います。それから最後の段階においてはソ連に親しみ、ソ連の事情をよく伝えよう、ソ連の真実を伝えようということが日本新聞から非常に力強く呼びかけられましたので、ソ連の歌を歌うとか、ソ連のオペラを見に行くというようなこともやつたようであります。
  178. 吉武恵市

    ○吉武委員 これは私一人から尋ねてもどうかと思いますが、簡單にひとつお答え願いたいのは、今のアクチーヴの会合においていろいろ論議研究された項目のうちの、生産あるいは政治教育、文化活動、その政治教育のうちで、今あなたが取上げられた天皇制の問題、あるいは労働争議に関する問題、これらはおそらく私は、教育の内容としては重要な点であつたろうと思うのです。ただ軍に抽象的な民主教育などというなまやさしいものでなくて、教育をするということは、いわゆる強固なる民主主義者、すなわち共産主義者となつて内地に帰つて、日本における民主化、実は共産化、共産革命——ロシヤで言う共産革命といえば、いわゆる暴力革命のことを指す以外にないのですが、そういう具体的なものまで、おそらく論議されたことだろうと思うのですが、この点どうですか。たとえば今お話になりましたように、日本の労働争議の指導というようなことについても、その争議を通じてやる方法等、もつと具体的なものがおそらく話になつたと思うのですが、どうですか。
  179. 菅季治

    菅証人 それほどソ連政治部将校は、日本の事情とか、あるいは労働争議、小作争議の戦術とか、そういうふうなことまで立入つて話したことはありません。
  180. 西村直己

    ○西村(直)委員 反動は帰してくれるなということを聞いたという、第九分所証人が先日来異口同音にそれを答えております。また地区をかわつた証人におきましても、徳田書記長の名前において同じよらな意味にとられることがあつたということを答えておりますし、あるいは巨人軍の水原君が帰り、あるいは柴田法務中尉が国内に帰つて来まして、ソ連の実情、それから反フアシズム委員会の猛烈な強制による共産主義教育というものの実態をあばかれた結果として、徳田書記長の名前で、身体の虚弱な者、あるいは素行不良な人間を内地に帰してくれては困るというような手紙が来ております。それははつきり各証人から出ておるのでありますが、本日の菅証人言葉で、その点がきわめてぼけております。この点におきまして、大勢の人が言つておる、反動は帰してくれるなという点を聞きたいのと、いま一つは、私どもがいただいております文書のほかに、さらにソ連将校が、十一月になればソ連は全面的に帰すのだ、これは反動には適用しないということをはつきり言われておる。たまたまそれが抜けておる。これはどういう意味でこれだけをあなたは新聞に御発表になつたのでありますか。ほかの諸君はみんな、反動ぽ帰すな、それから反動には適用がないのだということを、異口同音に言つておられる。それに対してあなたは、この部分だけをぽこつと抜いて出しておられるという意味が、私にはわからない。
  181. 菅季治

    菅証人 私がソ連ないし共産党を弁護するように、意図を探つておられるようですけれども、私は全然そういうことはあり得ないのです。また他の地区において共産党の徳田書記長から要請があつたかなかつたか、そういうことについては、私は知らたいのであります。また私は、あの場の事実だけを述べておるわけであります。
  182. 西村直己

    ○西村(直)委員 しかし、あなた自体も非常に帰国の問題は大きな関心を持つておられたと思う。あかたはあくまで心理学者とか、哲学者とかいう立場で、冷静になつておると言われるけれども、やはり国に帰りたいという気持はあつたと思うので、その場合に、反動には適用しないのだという言葉がまず最初に頭に出て来ただろうと思う。おそらくあなたは、露語がおわかりになるのならば、頭に残つておるはずだと思う。それだけはぼけちやつたのですか。
  183. 菅季治

    菅証人 私としてはむしろ、反動には適用されないのか、されるのか、あるいはいつ帰るのかということは、実際日本人は聞きたかつたのです。それをソ連将校はくるりと逃げたという感じがしたのです。実際言わなかつたのです。
  184. 西村直己

    ○西村(直)委員 この点は、大勢の証人と、菅証人一人の言葉でありますから、その点については他の第三者が冷静に判断する以外にないと思いますから、私は話をかえまして、次に、かりにこの点に触れないにしましても、もう一ぺん念を押して聞きますが、日本共産党徳田書記長という言葉が出たことはこれは間違いありませんね。
  185. 菅季治

    菅証人 間違いありません。
  186. 西村直己

    ○西村(直)委員 これは日本共産党と連絡があつてとお考えになるか、ただ單に政治部将校がその際に徳田書記長の名前をお使いになつたとあなたはお考えになるか、その点をお聞かせ願いたい。
  187. 菅季治

    菅証人 私としては、現在何も言えないのです。政治ということはいろいろなからくりが伴いますから、実際連絡があつたのかもしれません。なかつたのかもしれません。私としては、政治については言うことはできません。
  188. 西村直己

    ○西村(直)委員 その点証人の信憑性を疑うのは、参議院におきましては、岡元委員長が同じようなことを聞いておる場合に、菅君はこういう返事をしておる。あの政治部将校エルマーラエフがその場限りのことを言つたのだと私が感じましても、客観的に実際そういう徳田要請があつたかもしれない、客観的事実があつたかもしれない、これまで言い切れるのであります。客観的に実際あつたろうと思う。こう言つておきながら、いざむずかしい問題になると、私は政治の問題はわからないと、こう言つてお逃げになるのは、いささか信憑性を欠くのではないかと思いますが、その点いかがですか。
  189. 菅季治

    菅証人 参議院言つたのと、全然間違いはないと思います。参議院の岡元委員長から聞かれたのは、あのときの印象ということを聞かれたのであります。私はその通り述べました。事実あの政治部将校が、ただ徳田書記長をその場限りのこととして持出したとしても、客観的には、また別に徳田書記長の要越南があつたかもしれない、そういう意味です。
  190. 西村直己

    ○西村(直)委員 そこで徳田書記長要請があつたかどうかという点がぼやげて来ますが、いま一つ参議院におきまして徳田書記長は、そういうことは全然徳田書記長という名前も使われたことがないように言われておる。言いかえれば、タスの声明、タスの通信を論拠にしております。タスの通信は、私の手元にあるのは新聞に発表になつたものではありません。ロンドンをまわつて来たのでありますけれども、日本の国会の参議院における証言は、惡質に満ちたつくりごとである、タスの通信はこういうふうに世界に発表しておるわけであります。あなたは、このタス通信の言われる通り、たとえばカラカンダの第九分所で行われたこの通訳自体も、あなたは惡質に満ちたつくりごとであるとお考えになるか、それともこれ自体は事実であるとお考えになりますか。
  191. 菅季治

    菅証人 これ自体というのは……。
  192. 西村直己

    ○西村(直)委員 これ自体というのは、今あなたが御証言になつたことは事実ですね。
  193. 菅季治

    菅証人 事実です。
  194. 西村直己

    ○西村(直)委員 そうすると、タスの発表はうそということになる。
  195. 菅季治

    菅証人 タスの否定している内容は、何を否定しているのですか。
  196. 西村直己

    ○西村(直)委員 否定しておる内容は、国会における証言——タス通信に出ておるのは、日本の国会で引揚者が証言しておるのは、惡質に満ちたつくりごとだ、こういうことを言つておる。そうすると、タス通信がうそをついておることになる。あなたの今までの証言は、全部真実ですね。
  197. 菅季治

    菅証人 そうです。
  198. 西村直己

    ○西村(直)委員 それでよろしゆうございます。
  199. 塚原俊郎

    ○塚原委員 ちよつと関連しますから、簡單に伺いますが、証人哲学を勉強され、非常に頭のよい方で、物覚えもいいようでありますから、念を押して聞きますが、一九四九年九月十五日、第九分所におけるシヤフイエフ中尉とエルマーラエフ上級中尉の話のうち、日本人質問に対して答えておる部面を、ロシヤ語でけつこうですから、あなたの記憶にある限り、詳しく御説明願いたい。
  200. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 速記の関係がどうなりますか……。
  201. 石田一松

    ○石田(一)委員 ロシヤ語証言することを委員長が許可するとおりしやれば、有効なんです。ただいま事情を聞いて見ますと、事務の方にロシヤ語の先生をしていた方があるそうでありますので、その方にも一応参考にこれを聞いていただく、こういうことにして、今の質問を継続されんことを望みます。
  202. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 一応述べていただいて、書いて出してもらつて間違いのないということを認めたら、速記録に載せる、そういうことで進めます。菅君。     〔菅証人ロシヤ文朗読〕     —————————————     〔参照〕   カグダー・ウイ・モージエテ・バエーハテイ・ダモイエート・ザビーシト・アト・ワース、カグター・ウイ・ラボータエテ・ズデイエーシ・ダブロソーウエスノ・イ・スターネテ・ポードリンヌイミ・デモクラータミ・タグダー・ウイ・モージエテ・パエーハテイ・ダモイ・ゲネラーリヌイ・セクレタリ・ヤポンスコイ・コンパルテイイ・トクダ・ナデーエツア、チトーブイ・ウイ・ブリエーハリ・ナ・スワユ・ローデイヌワ・カーク・ハラシヨ・ポドガトーブレンヌイエ・デモクラートウイ・ア・ニエ・カーク・レアクツイオネールウイ。     —————————————
  203. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それではよくわかつたそうですから。大体そこにある通りで、手記の通りだそうです。
  204. 塚原俊郎

    ○塚原委員 私は今証人に、向う上級中尉の話を言つてくれと言いましたが、これを読んでくれと言つたのではありません。これ以外にもあるはずです。おそらくあなたは知つておるはずです。それを言つてもらいたかつた。それを記憶にある限り言つてください。
  205. 菅季治

    菅証人 今詳しくは記憶しておりません。ただそのうら、今興奮しているので、ロシヤ語の方はうまく言えませんが、日本語では、九分所に今までいた者が非常によく秩序を守り、非常によく動いて来て民主主義者になつた、おそらく彼等にソ連に残るという希望が許されるならば、半分以上は残つたであろうといようなことを言つたと思います。
  206. 塚原俊郎

    ○塚原委員 私は日本語を聞こうとは思わないのです。あなたは先ほど一番初めに、委員長質問に対して、日本語で述べましようか、ロシヤ語でやりましようかということを申しました。そのロシヤ語が先に聞きたいのです。言えるなら言つてください。
  207. 菅季治

    菅証人 日本語の方は今言つた通りですが、ロシヤ語にしても一語々々正しく言えるかどうかということは疑問であります。
  208. 塚原俊郎

    ○塚原委員 あなたが先ほどのやはり証言の中に、日本人質問に対して、向う所長代理シヤフイーエフ中尉が自分が答弁するのをはばかるようにして、政治部上級中尉エルマーラエフ答えるというようなぜスチユアを示したというようなことを言われましたけれども、あなたはそれをどういうふうにお考えになりましたか。自分が答弁しにくいからか、あるいはそこに何か意図があるか、そのときの感じをちよつと御説明願います。
  209. 菅季治

    菅証人 それはしにくかつたろうと思います。
  210. 塚原俊郎

    ○塚原委員 どうしてですか。
  211. 菅季治

    菅証人 というのは、私はあの十一月、ソ連政府声明はわれわれに適用されるのか、適用しないのかということを聞かれた場合に、所長代理としては非常に答えにくかつたと思う。十一月までに帰すと言えば、九月半ばですから十一月がすぐ来る、十一月に帰れない場合に、実際困るわけです。それから十一月後である。十一月までに帰れないということをはつきり言えば、日本人たちは騒ぐでありましようし、非常に不満が起ると思うのです。きわめてデリケートな問題であつたので、答えにくかつたと思います。
  212. 塚原俊郎

    ○塚原委員 それから先ほどの証言の中に、この委員会に来た今までの数名の証人は、全部徳田要請のことについてこれを肯定するような証言をしているのです。あなたはその証言というものは、あの場の雰囲気からすれば、そりい、感情を持つことはあるいは考えられるかもしれないというようなことをおつしやいましたけれども、私は非常にそれを疑問に思う。全然白のものを黒と言うことはできません。ただ感情だけで白のものを黒と言うことは想像できないのです。どうしてああいう証言をなさつたのですか。
  213. 菅季治

    菅証人 ソ連将校徳田書記長の期待しているということを知つているとすれば、そこに連絡がある、そこに関係がある。こういうふうに推理発展して行くのは当然であつたかもしれ率い。けれどもその期待しておるというのは、軍なるソ連政治部将校の推測であつたかもしれないということは、私はわからないのであります。
  214. 塚原俊郎

    ○塚原委員 あなた自身はどうお考えになります。
  215. 菅季治

    菅証人 政治のことはわかりません。しかしながら私はこういうことは言えると思うのです。日本新聞には反動を盛んに摘発し、つるし上げる、あるいは日本新聞には反動を帰さないようにということを、ある收容所の例でしたけれども、ソ連の内務省でしたかへ請願する、そういうような例も麗々しく載つております。問題は日本新聞日本共産党関係だと思います。
  216. 塚原俊郎

    ○塚原委員 あなたは政治のことはわからぬ、政治のことは知らぬと先ほどから申しておりますけれども、あなたはそれは本心から申しておりますか、実際に政治には関心を持つていないのでありますか。
  217. 菅季治

    菅証人 私は実際政治のことはよくわからないのであります。帰還のことについても、ソ連と日本とはまつたく違つていた。ソ連というものは信用ができなくなつて来る。だから政治というのはいつもからくりがあり、率直單純に事実が事実として通らないような気がするのであります。ですから政治については私は懐疑的であります。
  218. 塚原俊郎

    ○塚原委員 わかりました。
  219. 田渕光一

    ○田渕委員 証人は非常にギリシャ哲学の研究者で、頭が冷徹なのですが、私は御記憶を伺いたいのですが、証人は一九四五年の十一月にカラカンダ市に入られまして、その後お引揚げになるまで、カラカンダの炭鉱に連れて行くのに、收容所が何回くらい捕虜を入れかえしましたか。それを伺いたい。
  220. 菅季治

    菅証人 今のは炭鉱に連れて行く……。
  221. 田渕光一

    ○田渕委員 カラカンダ收容所へ来るまで、今年九百人なら九百人帰します。そうしてまた連れて来る、交替を何回くらいやりましたか。
  222. 菅季治

    菅証人 一九四七年後半においてアラマアタの地方から私の收容所にも数百名くらい参りました。
  223. 田渕光一

    ○田渕委員 およそどのくらい、三百か五百か……。
  224. 菅季治

    菅証人 四、五百名くらい来たのではないかと思います。
  225. 田渕光一

    ○田渕委員 八年には参りませんでしたか。
  226. 菅季治

    菅証人 八年においては私のおりました分所はなかつた…。
  227. 田渕光一

    ○田渕委員 それから入所当時と帰還当時のその間における炭鉱の過酷な労働のためになくなつたパーセンテージをおよそ……。この四年間カラカンダにおられた間今年は何人ぐらい死んだ、今年は何千人くらい帰つたという御記憶があつたらお教えいただきたい。
  228. 菅季治

    菅証人 カラカンダに一九四五年に入つたときには、日本人收容所が十ぐらいあつて、一つには、多少はありますけれども、大体平均して千人くらいいたと思います。九十九収容所というのは、大きなカラカンダ全体の名称ですが、その中に大体千人くらいを単位として、日本人ドイツ人も、それからルーマニア人も分所としていたわけです。日本人収容所の十ぐらいのうち、五つくらいは炭鉱、五つくらいは地上建築、それから雑役に従事しておるわけです。私が一九四九年二月までいましたのは、地上建築の方であります。炭鉱の話もうわさとして聞くのでありますけれども、相当大きなけがをしたり、死んだのもあつたようであります。またソ連のやり方としては、各収容所分所においては、なかなか死なせないから、各分所としての死亡率は低いわけであります。幾らか重病人になると、すぐ病院とかに移してしまうわけであります。ですから病院玉はかなり死んだと思いますが、私はそれは知りません。
  229. 田渕光一

    ○田渕委員 年別でおわかりにくかつたら、四年の間に大体何万人くらい入つて、何千人くらい死んで、何千人くらい帰つたという御記憶はありませんか。
  230. 菅季治

    菅証人 一九四九年の二月まで私は十一分所、それから十一分所が解散になりましてから十六分所、この一つの分所にしかおりませんでしたが、一九四八年度までにおいて千人のもちから三、四百人くらい帰つたのではないかと思います。死んだ者は今言いましたように、各分所の死亡率としては低いのであります。私のおりました十一分所においては、これはあとで軍医の人の名前がありますから、正確なことは軍医の人に聞いてもらえばわかりますが、十数名ではなかつたかと思います。そのうち一九四七年度においても、とにかく相当衰弱しました。衰弱した順からどんどん帰すわけです。特に重い者は病院に移して、生きる者もおりましようが、そこで死ぬ。ですから実質的な死亡率はよくわかりません。
  231. 田渕光一

    ○田渕委員 大体トータル的にわかりませんか。
  232. 菅季治

    菅証人 わかりませんね。最初に入つたときは他に分所が十くらいあつて、一万人くらいおつたのではないかと思いますが、一九四九年十一月に帰るときに、今の久保田さんたちの組九百数十名を含む日本人が、私の帰るときだから一九四九年の帰還が始まるまでに、やはり八千人はいたと思います。
  233. 田渕光一

    ○田渕委員 カラカンダに送り込まれて来る捕虜はほとんど反動分子だというようなことは御記憶ありませんか。総じてでもけつこうであります。
  234. 菅季治

    菅証人 大体そういうふうな印象を受けた。というのは、カラカンダというのは中間集結地で、西の方の收容所帰国を除外された著たちが、そちらの方の收容所で清算されて残つた者カラカンダに来るという結果になつております。
  235. 田渕光一

    ○田渕委員 そういたしますと一九四九年、去年の九月十五日に九百名ほど送つて来たときに、やはり反動分子が来るということは一応想像されるのですね。九百人から入つて来ましたね。その前後にソ連将校とか政治部将校らが、今度やつて来るやつはとてもきつい反動分子なんだ、これらに対して民主教育をよほどしなければならぬというような事前の話などはありませんでしたか。
  236. 菅季治

    菅証人 事前の話は私聞きませんでした。しかじながらその政治部将校は知つていたろうと思います。ちよつと言い忘れましたが、その政治部将校はこういうことも言つたと思います。諸君の構成は——諸君がどういうメンバーになつておるか、その構成を知つておるというようなことも言つたと思います。
  237. 田渕光一

    ○田渕委員 生活訓示のときに、エルマーラエフという将校がいろいろやつておるのですが、この人の個性を証人は御存じですか、どういう方でございますか。
  238. 菅季治

    菅証人 一九四五年十一月私がカラカンダの第十一分所に入つたときにその所長でありましたけれども、無能であり、また酒飲みであるというので、その所長をやめさせられました。それから私はずつとかれがどこに行つたか知りませんですが、一九四九年の春くらいまで第九分所の倉庫係をやつていたそうです。
  239. 田渕光一

    ○田渕委員 将校の訓示するときの態度とか表情、あなたが通訳する。通訳来い、菅君来いというぐあいであなたが行かれる。そこでどうです。態度が非常に嚴粛でしたか、半ば冷笑的な態度でしたか、どうですか。あなたの目に映つたところで……。
  240. 菅季治

    菅証人 そうですね、義務的に出席したような……。
  241. 田渕光一

    ○田渕委員 そこで重大になつて来る。そういうふうになつて来ると、收容所から九百何人やつて来た、訓示しようというので頭からなめておつたというような態度に見られましたね。
  242. 菅季治

    菅証人 なめていたがどうか知りませんが、所長代理に付添つて義務的に出席した、顔を出したというような感じです。
  243. 田渕光一

    ○田渕委員 いつ帰してくれるかということをこちらから聞いたときに、いつ諸君が帰れるか、それは諸君自身にかかつている、こういうようなことを私はあなたが心理学者であるがゆえに、哲学者であるがゆえに、心理的にこうだ、そんなことは言わぬでもわかつておるじやないか、お前たちは極端な反動分子が来たから、徹底した共産主義者とならなければ帰れないじやないか、そうでなければ帰れないというような暗示を與えるような訓辞であつたかどうかということを心理的に伺いたい。
  244. 菅季治

    菅証人 それほど極端ではないけれども、やはり一種の暗示があつたかと思います。
  245. 田渕光一

    ○田渕委員 そうでしよう。そうでなければならぬ。そこであなたの結論から聞きたいのだが、徳田君が「反動分子としてではなく」という反動分子というのは、共産党以外のものを反動分子というのですから「反動分子としてでなく」こういうのはりつぱな共産党員になつて来いという結論になるわけです。私はそうとつておる。そこであなたは「反動分子としてではなく」ということはりつぱな共産党員になつて来い、こういうぐあいに言うておるのだとあなたの心理に向う将校の言うことが映りませんでしたか。
  246. 菅季治

    菅証人 そういうことを徳田書記長は期待している。そういうふうに私も思います。
  247. 田渕光一

    ○田渕委員 そうすると「諸君がよく準備された民主主義者として帰国するように」——結局準備された民主主義者というのは、りつぱな共産主義者になつて来い。こういうふうに言つておるとおとりになりますか。
  248. 菅季治

    菅証人 そうですね。
  249. 田渕光一

    ○田渕委員 日本共産党徳田書記長はそう期待しておる——期待しておるということは、帰すなというふうにあなたはとりませんでしたか。共産主義者でなければ、こんなうるさいものは帰してもらつては困るのだ、そういうふうにあなたは心理的におとりになりませんでしたか。
  250. 菅季治

    菅証人 私はそういうふうに期待するというので、励ますというふうにとりました。
  251. 田渕光一

    ○田渕委員 わかりました。そこで私は、人間の生活というものはごく自然的な自由な生活でなければならぬと思います。しかるに相いれないところの思想を共産主義のギブスに入れて酷使しておる。諸君はここで良心的に労働し——不自由なるギブスの中で良心的にやれということは、あなたが心理学者、哲学者として心理的に考えても、これはあり得べからざることであると思います。この問題は非常に重大な問題であると思う。真正の民主主義者になれといつて、このギブスの中に入れた人間変革の道程において良心的などということはあり得ない。そこで結局完全なる共産主義者になつて——それはソ連のいわゆる民主主義である共産主義、いわゆる破壊主義というものをはつきりして来る。そうしたら諸君は帰れるのだ、こういうようなぐあいに一般はとつたと思うのでありますが、聞いていた九百人何がしかがそれをどういうぐあいにとつたか、それであなたのそのときの心理状態はどうでありましたか、やつらはどうとつたかというようなことは……。
  252. 菅季治

    菅証人 大体反感を買つたと思います。そのときせせら笑いの声が聞えたと思います。
  253. 篠田弘作

    ○篠田委員 証人にちよつとお尋ねしますが、先ほど吉武委員質問に対しまして、徳田書記長民主主義者となつて帰国することを期待しておる。期待しておるのであつて要請しておるのではないというあなたの証言がありました。そこで今ここに出されましたゲネラーリヌイ・セクレターリ・ヤポンスコイ・コンパルテイイ・トクダ・ナデーエツアという言葉のナデーエツアということを期待しておるというふうにあなたは訳しておられるのでありますけれども、それを日本共産党書記長は期待しておるのではなく、要請しておると訳すことは、ロシヤ語としてできませんか。
  254. 菅季治

    菅証人 私は哲学、心理学をやつて言葉についてはいろいろな自己流の解釈を持つておるものでありますが、要請というのは、哲学で言えばカントの実践理性の要請という特別な言葉であり、ふだんにおいては私自身としてはあまり用いておりません。第一私の語感から行きますと、要というのは対等並びに上の方から要求する、請というのは下の方からこいねがうというような感じで、あいまいな言葉だと思います。私も主として用いません。ふだんも用いませんし、またそれと期待とどう結びつくか、元来あいまいな言葉ですからわかりません。
  255. 篠田弘作

    ○篠田委員 あなたが用いるか用いないかということは別問題であります。ナデーエツアという言葉要請していると訳すことは誤りであるかどうか、その点をお伺いいたしたい。
  256. 菅季治

    菅証人 デリケートですね。ちよつと強過ぎると思います。
  257. 篠田弘作

    ○篠田委員 ちよつと強過ぎると思うということはあなたの主観であつて言葉というものは普遍妥当性を持つておる。であるから、訳し得るかどうかということは、あなたの主観を聞いているのではない。あなたが通訳として期待しておると訳したその訳し方を、もし私が徳田書記長要請しておるとナデエエツアという言葉を訳したとしたら、それは誤りであると思われるかどうかということを聞いている。
  258. 菅季治

    菅証人 それは強過ぎると私は言わなければなりません。
  259. 篠田弘作

    ○篠田委員 これは正常の言葉でありますから、普通希望しておる、結局英語で言つても、要請ということはホープ、片方の期待ということはエクスペクト、そういうふうに区別はあるが、この場合ロシヤ語には私は区別はないと思う。この点を事務局のロシヤ語の專門家の方に、ナデーエツアという言葉を期待していると言う通訳もあるし、これに対して要請していると解する委員もあるから、要請ということが誤りであるかどうかということを「專門家の立場においてお聞きしたい。     〔「参考意見としてということだ、これを証拠にするなら証言として、宣誓しなければいかぬ」と呼ぶ者あり〕
  260. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それでは参考の意味で、原口君にこれを答えさしてよろしゆうございますか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  261. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それでは原口調査員。
  262. 原口作太郎

    ○原口調査員 徳田書記長という一つの大きなゲネラーリヌイ・セクレタリ・ヤポンスコイ・コンパルテイイ・トクダという言葉があるわけです。それからあとに非常に重大な問題もあるし、そのとき菅君は期待しておると訳したかつたから訳したのであつて、菅君がもし要請じておると訳したいならば、要請しておると訳してもいい言葉だと私は思います。失礼ですが、私は菅君がさつき言つたハルピン学院の第一期卒業生であります。
  263. 篠田弘作

    ○篠田委員 そうしますと、本委員会で今までずつと呼んだ証人が、徳田書記長民主主義者となつて帰つて来ることを要請しておる、すなわち要請しておるという言葉の裏には徳田書記長民主主義者とならないものは返しては困る、こういうふうに言つておる。片方は期待しておるというように訳されておるから、その間はぼやけておるけれども、少ぐともここに原文のロシヤ語のまま提出された今読み上げましたこの言葉だけによると、期待しておるという言葉は、通訳の主観的な考え方でそういうふうに訳しただけであつて、ナデーエツアという言葉要請しておるというふうに訳すことは、ロシヤ語の上において何ら誤りでないということがはつきりしたと思う。そうすれば要請しておるというこの前の証言と今のあなたの証言との間には、ただ主観的な感覚の相違はあるけれども、食い違つておらない。もしこの通り向う言つたとすれば、この点について証人はどういうふうにお考えになつておりますか。
  264. 菅季治

    菅証人 そうです。確かに主観的な解釈の問題です。
  265. 田渕光一

    ○田渕委員 今の篠田君の質問に関連して証人に伺いますが、証人は今文意的に期待とおつしやるのだが、私は文意よりもその文の裏に含まれておる含意というもの、徳田氏がこれだけのものを出すのは、あるいは期待しておるというようななまやさしいものではない。その文の奥に含まれている含意が要請の真意じやないかととれるのですが、あなたはどういうふうに考えられるかということを、ひとつ伺いたい。
  266. 菅季治

    菅証人 その当時カラカンダの各収容所において、徳田書記長の肖像がべたべた張つてつた。特に爆弾事件以後徳田の名を知りました。球一という名は知らなかつたけれども、徳田という名を知つた。私自身としてはその場の印象としては、徳田書記長の名前を持ち出して、政治勉強をしつかりやれという励ましと思つたのでありますが、その人たちの心理に即立て言えば、そういうふうに解釈するということもむりはないと思います。
  267. 篠田弘作

    ○篠田委員 それからナデーエツアという言葉を期待していると訳されて、要請しているというのは強過ぎると言われましたが、それではほかに要請しているというロシア語はどういうふうに使うか、ちよつと教えてもらいたいと思います。
  268. 菅季治

    菅証人 私も要請については興味を持つて和露辞典を本屋で見たのでありますが、要請はありませんでした、要求するというのはトレーボワーテイ、頼む、請求するというのはプロシーテイです。
  269. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 高木松吉君。
  270. 高木松吉

    ○高木(松)委員 お疲れでしようけれども、冷静にお答え願いたい。今あなたがロシア語で読まれたこの手記は、どこでまとめたのですか。
  271. 菅季治

    菅証人 東京であの事件を新聞で知つてからです。
  272. 高木松吉

    ○高木(松)委員 そうしますと先ほど質問者にかなり長く政治将校答えたというが、それは思い出せませんか。かなり長くという言葉を使つておりますが……。
  273. 菅季治

    菅証人 かなり長くと言いますのは、その以前に九分所にいた日本人がいかに秩序正しく、いかによく働き、いかに多くの民主主義者がいたかということを盛んに述べた、その点が長かつたのであります。
  274. 高木松吉

    ○高木(松)委員 あなたは長いこと通訳をされておつたのだが、その間政治将校であつた人、何人と接触されましたか。
  275. 菅季治

    菅証人 各分所政治将校とは、一九四九年以来数回会つております。
  276. 高木松吉

    ○高木(松)委員 その前はありませんか。
  277. 菅季治

    菅証人 その前は一分所、十一分所がおもであります。
  278. 高木松吉

    ○高木(松)委員 何人くらい会つておりますか。
  279. 菅季治

    菅証人 全部で十数名だと思います。
  280. 高木松吉

    ○高木(松)委員 そこでその政治将校とあなたは雑談をかわして、いろいろ話をしたことがありますか。
  281. 菅季治

    菅証人 ある将校とは話したことがあります。ある将校とはあまり話をしてない、いろいろあります。
  282. 高木松吉

    ○高木(松)委員 その政治将校と話した場合に、日本共産党ソ同盟関係、それから国際共産党の関係などについてお話を承つたことがありますか。
  283. 菅季治

    菅証人 他の国の共産党のことはあまり聞かなかつたのですけれども、爆弾事件以来徳田さんが向うの方で有名になつたので、徳田さんの名前が話に出ることがありました。
  284. 高木松吉

    ○高木(松)委員 ではあなたは日本新聞をお読みになりましたね。——日本新聞に、日本共産党もしくは党員の人らについて種々の記事が掲載された事実は御存じでしようか。
  285. 菅季治

    菅証人 直接掲載というのは私は記憶いたしておりません。ただアカハタ記事がほとんど毎号のように載つておりました。野坂さんの話、志賀さんの話なども載つておりました。徳田さんの話も載つておりました。アカハタ記事だということは、アカハタという字がうしろに括孤して書いてあつたと思います。
  286. 高木松吉

    ○高木(松)委員 そのアカハタ記事は、日本新聞にどういう径路をたどつて、どういう方法で掲載されたか、見たり聞いたりしてあなたの記憶の中に残つていることをお話し願いたい。
  287. 菅季治

    菅証人 径路については私は知りませんが、ハバロフスクに日本新聞社があつた。ハバロフスクの日本新聞社アカハタが送つて来られるのだろうと思いました。
  288. 高木松吉

    ○高木(松)委員 そこで私はこの徳田要請のあなたの手記に触れるのですが、この政治将校がお話になつた日本共産党書記長という前の言葉、これとあと言葉と、これをどういうふうに表現されたのですか、前はこれを切つて話されたか、これを続けさまにずつと話されたか。
  289. 菅季治

    菅証人 いつ帰れるかという日本人質問に対して、いつ諸君は帰れるかとこう受けて、そこから始まつたわけであります。そのあとはそのまま続いて言つております。
  290. 高木松吉

    ○高木(松)委員 そこであなたが良心的に訳すということはわかりますが、真正の民主主義者というのは、一体その言葉内容を構成するものは何ですか。
  291. 菅季治

    菅証人 ソ連ではコミユニストというのは共産党員だけに限つております。捕虜に対しては反フアシスト、あるいは民主主義者、あるいはそのうちの一部は民主アクチーヴ、こういうふうに呼んでおりました。今帰つて見ますと、現在世界はソ連流の社会主義と民主主義との対立であると言われておりますから、ソ連民主主義者と呼んでいたのは、実は共産主義者ないし共産主義に同意する者、肯定する者、こういうふうに思います。
  292. 高木松吉

    ○高木(松)委員 そこであなたに聞きたいのだが、特に真正の文字を頭にかけておりますね。あなたのお答えになつた單なる民主主義者という言葉で表現される内容は、あるいはそうであるのじやないかと肯定できるが、真正と特につけたのは、まつ赤な共産党という意味じやないのですか。
  293. 菅季治

    菅証人 真正とついたらそうなると思います。
  294. 高木松吉

    ○高木(松)委員 そうしますと、問題の中心に入るのだが、前の文面はソ同盟の意思でありますね。考え方であります。あとの文面は日本共産党徳田書記長の考え方でありますが、前の受けてあとのを表現したことになりますね。
  295. 菅季治

    菅証人 前のはソ連将校の考え方である。つまりソ連側の考え方である。またあとのが彼氏が推測したのか、実際要請を知つていて期待しておると、うふうに言つたのか、そこのところは私としてはちよつとわからない。
  296. 高木松吉

    ○高木(松)委員 そこでこの問題をお聞きする前に、あなたは政治は知らないのですか。興味はないのですか。ここで重大な問題になつて来るのだが……。
  297. 菅季治

    菅証人 私を知つておる人はだれでもわかるのでありますが、私は非政治的な、非現実的な男であります。
  298. 高木松吉

    ○高木(松)委員 あなたは幻兵団というのを知つておりますか。
  299. 菅季治

    菅証人 新聞や本の広告では読みました。
  300. 高木松吉

    ○高木(松)委員 広告を読んだのを聞いておるのじやない。これを知つておるか。それに加盟した事実はありませんか。
  301. 菅季治

    菅証人 全然ありません。
  302. 高木松吉

    ○高木(松)委員 そこであなたは、期待しているという訳ですな。元来これは日本から——日本人であるかどうか疑問だが、日本の言葉を使つている徳田君が、ソ同盟要請して——あなたは期待してでもいい。そして日本人にあなたが、ソ同盟のいわゆる言葉日本人に訳して聞かしたのですな。そういう形になりますな。
  303. 菅季治

    菅証人 私はソ連要請があつたかなかつたかということは、それはわからないのであります。
  304. 高木松吉

    ○高木(松)委員 しかしこの文面から言えば、そのときそのつもりであなたは訳されたのでしよう。
  305. 菅季治

    菅証人 私としてはさつき言いましたように、そのときの印象としては、答えるべきことを答えないで、ソ連政治部将校は逃げたという感じであつて……。
  306. 高木松吉

    ○高木(松)委員 いやそういうことを聞いておるのではありません。私の聞いておるのは、少くともあなたが日本人に訳してやられたこの言葉は、ソ連将校が日本から要請なり期待なりあつたことを前提としてしやべられて、そのしやべつたことを日本人にあなたが翻訳したのじやないですか。
  307. 菅季治

    菅証人 実際ソ連将校が、日本から要請なり期待なりがあつたかどうかということを知つていたかどうか、それはわからないのであります。
  308. 高木松吉

    ○高木(松)委員 事実あるかないかは知らぬが、ソ連将校はこういう期待、要請があればこそ、こういうことを言われたのだという感じで、あなたは訳されたのでしよう。
  309. 菅季治

    菅証人 私はそういう気持では訳しませんでした。
  310. 高木松吉

    ○高木(松)委員 それじやどういう気持で訳された……。
  311. 菅季治

    菅証人 ただ期待しておるというから期待しておると言つた……。
  312. 高木松吉

    ○高木(松)委員 いやそういうことでなく、期待しておるという言葉で表現される内容が、少くともソ連将校の立場において、表現において、日本の徳田書記長からそういうものが来ているから、そこでそれを君を通じて向う日本人にわからしめてくれろと言つて、あなたを通訳に使つたのでしよう。
  313. 菅季治

    菅証人 そうでないかもしれません。そうであるかもしれません。それはわかりません。
  314. 高木松吉

    ○高木(松)委員 それはそうじやないか、あなたの側から見ればそうであるべきでしよう。この文面から見れは……。
  315. 菅季治

    菅証人 ただ徳田書記長は期待しておると、そういうことをソ連将校が言うたとしても、実際彼が期待を、要請を知つている、受けているからか、あるいは單に推測として述べたのか、それはわからないと思います。
  316. 高木松吉

    ○高木(松)委員 それはよろしい。そこで何にしても諸君がよく準備された民主主義者として帰国するように、反動分子としてではなくと、この言葉を受けて徳田書記長が期待しているという。あなたの訳し方がこの言葉を受けているときに、期待にあらずしてこうしてもらいたいという要請に解釈できなかつたのですか。その言葉から……。
  317. 菅季治

    菅証人 その解釈の問題です。
  318. 高木松吉

    ○高木(松)委員 解釈の問題……。
  319. 菅季治

    菅証人 ええ。
  320. 高木松吉

    ○高木(松)委員 どう考えても、こういう具体的な事実をはつきりと掲げて、そうして少くともソ同盟将校は、これを徳田書記長がこう要求した、要請した。そのときにあなたが、これを要請と訳さずに期待と訳すことは、日本人流のものの表現の仕方としては、これは要請と訳すことがあたりまえで、期待と訳すべきものではないと私は思うのだが、それはどうです。
  321. 菅季治

    菅証人 私はそんなに深く考えなくて、ただナデーエツアというのを期待と訳しておるから期待と訳しただけです。
  322. 木村公平

    ○木村(公)委員 ちよつと一点だけお伺いいたしますが、いろいろの証人証言を伺つておりますると、スターリンへの感謝という言葉が盛んに用いられておりますが、そのスターリンに対する感謝という言葉の原語はどういうのですか。スターリンに対する感謝という言葉が、各種の証人の口からしばしばここで証言されておる。スターリンヘの感謝、その原語はどういうのですか。
  323. 菅季治

    菅証人 スターリンヘの感謝という原語は——スターリンへの感謝文をたくさんつくつたということなんですか。
  324. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 だから、感謝々々という言葉は始終使つただろう。それを原語で言えばどうなるか。
  325. 菅季治

    菅証人 ブラガダールノス・テイ・ク・ゲネラリスムス・ウ・スターリン……。
  326. 木村公平

    ○木村(公)委員 私はロシヤ語はわからないが、コリーとか何とか……。
  327. 菅季治

    菅証人 クリヤトソ……。誓いですね。
  328. 木村公平

    ○木村(公)委員 その誓いという言葉向うでは用いておりますか。スターリンに対する誓い……。
  329. 菅季治

    菅証人 日本新聞は盛んに用いておりました。
  330. 木村公平

    ○木村(公)委員 盛んに用いておる……。また捕虜が帰還する場合、日本人が帰還する場合、その帰還にあたつて、感謝文をつくつてスターリンに誓うというようなことをやつておりますか。
  331. 菅季治

    菅証人 ……。
  332. 木村公平

    ○木村(公)委員 スターリンに誓う場合には、署名する場合もあるのですか。
  333. 菅季治

    菅証人 その感謝する場合においてはみな署名しました。
  334. 木村公平

    ○木村(公)委員 署名した者は帰つてから、何か制肘を受けるということは聞きませんですか。
  335. 菅季治

    菅証人 そういうことは別に聞きませんでした。とにかく帰還する者は全員署名したです。
  336. 木村公平

    ○木村(公)委員 全員署名させる。いわゆる誓い文に……。
  337. 菅季治

    菅証人 そうです。誓い文というよりも感謝文です。
  338. 木村公平

    ○木村(公)委員 その原語はどういうのです。それは誓わせるという原語があるでしよう。
  339. 菅季治

    菅証人 誓わせる……。まあ帰るときには帰還者の大会というものをやるわけです。その大会の決議文として感謝を現わすわけです。だから決議文としては、私は各分所のそうした感謝文を訳しました。決議文というふうに訳しました。
  340. 木村公平

    ○木村(公)委員 誓文——誓う文章という意味じやなかつたですか。
  341. 菅季治

    菅証人 誓う文章という、誓いという言葉は用いていたですね。たいていの文章は……。それは各分所の起草者によつて違うわけです。
  342. 木村公平

    ○木村(公)委員 それからもう一つお尋ねしたいのですが、アクチーヴの原語はどういうのですか。
  343. 菅季治

    菅証人 アクチーヴ……。アクチーヴ・デモクラテイーチエスキイ。積極的な概念と行動の……。
  344. 木村公平

    ○木村(公)委員 アクチーヴということの意味は……。
  345. 菅季治

    菅証人 積極的なる活動分子というのでしようね。実際ソ連側のある収容所分所政治部将校は、こういうふうに私に言つてくれた。さつき言つた通りですけれども、日本の民主的な改造に賛成し、政治文化、生産の方面からいつて実際に活動しておるものである。
  346. 木村公平

    ○木村(公)委員 アクチーヴになつた場合は他の捕虜より待遇がよくなるのですか。
  347. 菅季治

    菅証人 大体各分所の條件によつて違いますが、カラカンダだけに限つて言いますと、各分所とも一、二割ぐらいアクチーヴというのがいたと……。
  348. 木村公平

    ○木村(公)委員 その人たちは待遇は……。
  349. 菅季治

    菅証人 別に待遇はよくありませんでしたけれども、アクチーヴの者は、作業場においても作業隊長になつた小隊長になつたり、あるいはまた逆に、小隊長、作業隊長はアクチーヴに準ずる、こういうようになつておるのです。
  350. 石田一松

    ○石田(一)委員 ちよつと簡單にお尋ねしたいのですが、一九四九年の九月十五日、このエルマーラエツ上級中尉日本人の收容者の質問答えて、あなたのいわゆる手記にあるロシヤ語答えた。これは先ほどおつしやつた。多分三回くらいにやろうと思つたのだけれども、一回くらいで終つた。そうするとこの将校言つたことは言い直されないで、ただ一回だけで言われたのですか。
  351. 菅季治

    菅証人 そうです。その一回の注文きりです。
  352. 石田一松

    ○石田(一)委員 それでこれだけのことを——途中にいろいろなこともあつたかどうか知りませんけれども、これだけの意味のことを初めから終りまで全部言つてしまつて、あなたがお訳しになつたのですか。いわゆる途中までしやべりながら、あなたが訳し、また向うでロシヤ言葉でしやべり、それをあなたが訳すというように、部分的にお訳しになりましたか。それとも全体におやりになりましたか。
  353. 菅季治

    菅証人 その意味は全体的に要点をノートしておいて、訳したのです。
  354. 石田一松

    ○石田(一)委員 全体的にその上級中尉答えたのをノートしておいて、あなたがこれを翻訳なすつたのですか。
  355. 菅季治

    菅証人 ええ。
  356. 石田一松

    ○石田(一)委員 そうするとこのときの翻訳者といいますか、この収容所にいて翻訳のできる人、要するにこれだけの露語が聞いていてわかるというのはあなた一人ですか。それともほかにたくさんおりますか。
  357. 菅季治

    菅証人 私は新しく第九分所に来た人々をよく知りませんが、話によりますと、相当ロシヤ語に達者な人もいたそうです。
  358. 石田一松

    ○石田(一)委員 相当ロシヤ語の達者な人がいたというだけで、その人の名前とか何とかはわかりませんか。
  359. 菅季治

    菅証人 名前は記憶しておりません。
  360. 石田一松

    ○石田(一)委員 そういう方が幾人くらいいたというようなことをお聞きになりましたか。
  361. 菅季治

    菅証人 私はちよつと記憶は、何名くらいいたということはわかりませんです。全然新しく来ましたし、私は間もなく帰つてしまつたものですから。
  362. 石田一松

    ○石田(一)委員 そうするとその人たちあとに残つて、あなたの方が先に帰つて来たのですね。
  363. 菅季治

    菅証人 そうです。
  364. 石田一松

    ○石田(一)委員 そういたしますと、今あなたのおつしやつた、相当ロシヤ語の達者な人がいたということは、あなたより以上にロシヤ語の達者な人がいたということですか。それともまあ今の上級中尉答えくらいは、楽に翻訳できて、通訳できる人がいたという意味ですか。どちらですか。
  365. 菅季治

    菅証人 まあ上級中尉の話くらいは、わかる人がいただろうと思います。
  366. 石田一松

    ○石田(一)委員 そういたしますと、その人はもちろん話がわかるので、ロシヤ語がわかるので、あなたの翻訳を、一緒にその第一回目のときに入つて聞いていたという事実はありませんか。そういうことはわかりませんか。
  367. 菅季治

    菅証人 わかりません。
  368. 石田一松

    ○石田(一)委員 まあこれは私の想像ですが、それほどロシヤ語にたんのうな方だつたら、あなたの通訳間違つていはしないか。ほんとうは何を言うかというようなことで、ほかの人たちにおそらく言つて聞かせることは間違いない。こう思うのですが、それは私の推察です。そこでそうすると、そのときこの上級中尉言葉日本語に翻訳して話したのはあなただけですか。
  369. 菅季治

    菅証人 通訳したのは私だけであります。
  370. 石田一松

    ○石田(一)委員 それはたくさんいましたね。九百人が三班にわかれていたというと、三百人か二百五十人くらい入りましたね。そうして入りましてあなたが通訳された。その通訳しましたときに、何かあなたの通訳に対して異議を唱えたり、そうじやない、今のはこういうことも入つていたというようなことを言つた人はいませんでしたか。
  371. 菅季治

    菅証人 別にいませんでした。というのは通訳終つて、私は文化活動の指導者をやつてつた人に会いまして——その人もロシヤ語ができるというふうなことを聞いておりましたが、名前も全然私は知りません——その人に、私は独学ですから、たいへんはずかしいですと、謙遜して言いましたら、いやけつこうですと言いました。
  372. 石田一松

    ○石田(一)委員 その人の名前がわかるとよいのですが……。そういたしますと、そういうロシヤ語のわかる人は、その中のほんとうの数人の方で、あとの人はあなたの今ここにお出しになつた手記を聞いた。要するに日本語で聞いた人。こういうことになりますね。
  373. 菅季治

    菅証人 ほかの人と言いますと……。
  374. 石田一松

    ○石田(一)委員 二百五十人か、三百人入りましたね。この入つた人は、この中尉のロシヤ語で話したことを日本語でしやべつたのはあなた一人でありますので、要するに公式的に翻訳されたことを聞いたのは、あなた一人が日本語に翻訳されたのを聞いた、こういうことですか。
  375. 菅季治

    菅証人 そうです。しかしその後どういうふうに話が彼らの間に発展したかということはわかりません。
  376. 石田一松

    ○石田(一)委員 ほかにロシヤ語にたんのうな人があるので、このたんのうな人がこれを聞いて、彼の通訳したのはちよつと違う、こうこう言うべきだということを言う人があつたと想像されますか。
  377. 菅季治

    菅証人 わかりません。
  378. 石田一松

    ○石田(一)委員 そうするとあなたが一人でその場で日本語に翻訳なすつたときに、だれも異議はなかつた。文化面をやつている方で、名前はわからないけれども、相当ロシヤ語のわかつている人が、いやけつこうでしたと言つた。こういうことで間違いありませんね。
  379. 菅季治

    菅証人 はい、そうです。
  380. 梨木作次郎

    ○梨木委員 先ほど田淵委員質問に対して、あなたが通訳された、日本共産党徳田書記長は期待している、諸君がよく準備された民主主義者として帰国されるように、反動分子としてではなく……。こういうように通訳されて発表されたこの言葉、これがそこへ集まつてつた方々に対して、共産主義者にならねば帰れないという暗示を與えたことになるかもしれぬというようにお答えになつたと私は開いたのでありますが、これはあなたが今から考えてみて、そういうような暗示を與えたことになるかもしれぬと思うのでありますか。そのときにそのように思つたのでありますか。
  381. 菅季治

    菅証人 やはり彼らに深い失望を與え、そうして暗示を受けて、そういうふうになつたと私はそのとき思いました。
  382. 梨木作次郎

    ○梨木委員 次に伺いますが、あなたがアカハタと朝日新聞へ、このいわゆる徳田要請問題について寄稿されましたね。このことがあつてから後に、どこからか取調べのために出頭せよというような事実がありませんでしたか。
  383. 菅季治

    菅証人 参議院へ一度取調べのために出頭せよということがありまして、出頭しただけであります。
  384. 梨木作次郎

    ○梨木委員 それ以外にその筋あたりから出頭せよということはありませんか。
  385. 菅季治

    菅証人 全然ありません。
  386. 梨木作次郎

    ○梨木委員 まだ少し聞きたいことがあるのですが、休憩してから……。
  387. 島田末信

    ○島田委員 先ほど証人は、政治将校が原語で皆さんに伝えたとき、あなたはメモをとつたと言われたが、そのメモは今持つておりませんか。
  388. 菅季治

    菅証人 持つておりません。というのはソ連から帰るときは、全部どんな小さな紙きれでも引上げられます。
  389. 島田末信

    ○島田委員 そのメモは大体一言一句違わないようにとつたのですか。
  390. 菅季治

    菅証人 そうです。
  391. 島田末信

    ○島田委員 その記憶ははつきりしているのですか、日本語として……。
  392. 菅季治

    菅証人 そうです。
  393. 島田末信

    ○島田委員 そこでちよつとお聞きしたいのですが、あなたは原語は現在一言一句はつきりしていない、抜けている点があるかもしれないが、日本語は非常にはつきり記憶しているということで、これをつくられたとおつしやいましたが、私はロシヤ語はわかりませんが、あなたの記憶しておられる日本語は一語一句違わない訳になつているわけですか。
  394. 菅季治

    菅証人 日本語としてですか。
  395. 島田末信

    ○島田委員 あなたが記憶せられている日本語とこの原語とある。ところがこの原語自体は、その当時聞いた原語とはどこか違つている。一言一句覚えていないという原語ですね。
  396. 菅季治

    菅証人 重要な根本は完全に覚えているのだけれども、個々の副詞などはどうかと思います。
  397. 島田末信

    ○島田委員 そこであなたの記憶のはつきりしておるとおつしやられる日本語と、一語一句違わない原語だとすれば、当然その通り一語一句違わない言語というものが現われて来るとしか私は解釈できないのであります。ところがこれは足りない原語ですと言われるが、そうすると記憶がはつきりしておるという日本語も、千のところ八割か九割とかいう程度しかはつきりしていなかつたという結論が出て来るわけなんで、それはどうですか。
  398. 菅季治

    菅証人 たとえば帰るとか帰国するという言葉についても、ロシヤ語ではいろいろ言い方があるわけです。
  399. 島田末信

    ○島田委員 そうすると、今ここではつきりしておるとじう日本語と、直訳せられたいわゆるロシヤ語というものは、直接に一致しておるけれども、その当時の原語自体とは、どこかいろいろ間違いがあり抜けておるところもあるということだけは、はつきり証言願えますか。
  400. 菅季治

    菅証人 そんなに多くはありませんが、全面的に確信は持てません。
  401. 小玉治行

    ○小玉委員 あなたは先ほど日本新聞記事に、反動は帰すな、つるし上げてしまえとかいう記事がしばしば載つてつた、それをごらんになつたとおつしやいましたね。それは間違いないですか。
  402. 菅季治

    菅証人 反動摘発つるし上げ、暴露というような記事が載つておりました。それから反動の帰還拒否について申請するということを、私は読んだ記憶があります。
  403. 小玉治行

    ○小玉委員 そうしますと、そういうことはあなたが上級将校から問題になつておる言葉を聞いた昨年の九月十五日以前において、たびたびそういう記事は新聞に載つてつたのですね。
  404. 菅季治

    菅証人 日本新聞のある一時期において、たしか載つておりました。日本新聞はおそらくいろいろと方針をかえたろうと思いますが、あるいは強硬に、あるいは少し軟化するというようにかえたと思いますが、ある一時期には、相当はげしい言葉で、反動摘発、暴露、つるし上げというような言葉が……。
  405. 小玉治行

    ○小玉委員 それから反動帰国を拒否することを上申する……。
  406. 菅季治

    菅証人 帰国拒否を上申するというような言葉も載つておりました。
  407. 小玉治行

    ○小玉委員 九月十五日以前に、そういうことはたびたびごらんになりましたね。
  408. 菅季治

    菅証人 ええ。
  409. 小玉治行

    ○小玉委員 その日本新聞というものは、俘虜收容所の者はみな読んで知つているわけですね。
  410. 菅季治

    菅証人 大体知つていると思います。
  411. 小玉治行

    ○小玉委員 そうしますと、ソ連当局と申しますか、日本新聞編纂者の背後にあるものの考え方としては、いわゆる反動分子は帰還させるなという意図であるということは、それでうかがい知ることができますね。
  412. 菅季治

    菅証人 まあソ連側として、日本新聞とどの程度密接に連絡しておるか知りませんが、ソ連の意図もそういうところにあつたと言われてもしかたがないと思います。なおつけ加えて言いますれば、一九四八年の二月に、全ソ連收容所にわたつて日本人ドイツ人にかかわらず、民主委員会なり反フアシスト委員会というものをつくつた。そのときの委員会の権限の一つとして、帰国問題について、委員会帰国の時期が適当でないと思う者については、意見を具申する権限を與えるというようなこともありましたから、ソ連の意向として、やはり思想、政治傾向から、帰国について考慮を加えるという方針はあつたと思います。
  413. 小玉治行

    ○小玉委員 そこで、そういうことを俘虜収容所のみだが承知しているというその雰囲気の中で、日本共産党徳田書記長の書簡で、よく準備された民主主義者として帰国するように、反動分子としてではなく、というようなことを言えば、そのことを聞いた人は、平素日本新聞にさようなことが載つている点と照し合せて、これはすなわち反動分子帰国を拒否するのだという意味だと、直感的に私は取れると思うのですが、いかがですか。
  414. 菅季治

    菅証人 私もそういうふうに、心理的な事実としては認めます。
  415. 小玉治行

    ○小玉委員 けつこうです。
  416. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それでは三十分休憩いたします。     午後二時五分休憩      ————◇—————     午後三時十四分開議
  417. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 休憩前に引続き会議を開きます。
  418. 梨木作次郎

    ○梨木委員 カラカンダ地区で炭鉱で働いておつた日本の捕虜の方々が、全然金をもらわなかつたということを言つておる証人がおるのですが、あなたが見聞されたところではどうでありましたでしようか。
  419. 菅季治

    菅証人 どういう場合に金をもらうとか、もらわないとか、その点……。
  420. 梨木作次郎

    ○梨木委員 どういう場合に金をもらうかということも説明してほしいのです。それからその後において、カラカンダの炭鉱で働いておつた人で金をもらつた人があるかどうかということ、それをひとつ……。
  421. 菅季治

    菅証人 大体作業パーセントに応じて金を配当されました。一箇月の働き高が四百五十六ルーブル、それ以上越えた分だけ金をもらう、こういうことになつておりました。だから四百五十六ルーブル働かなくちやいけないわけです。そうしなければ一文ももらえないわけです。雑役関係、土掘りとか、掃除とか、あるいはごみを運んだりする、そういう作業だとなかなか四百五十六ルーブル働けません。また技術を持つている者は、旋盤とか、あるいは大工とか、そういうふうなものはそれ以上働くことも困難ではありませんでした。しかし炭鉱の場合は私はよく知りません。一九四九年三月以後、各收容所通訳としてまわるようになりまして、見てみますと、相当たんさん金をもらつているような者もいました。もちろん作業の種類においてもらうのですから、もらえないような日本人もいたわけです。どの收容所においても、カラカンダ地区においては、たくさんもらつた日本人委員会に金を何パーセントか、それは各収容所によつて違いますけれども、出して、そうしてそれを委員会の方で全員にわける、こういうようなやり方になつておりますが、そういうことはソ連の方には秘密でして、ソ連側では社会主義の原則に応じて、各人の労働の量と質に応じて分配すべきである。だから働きがなくて、金をもらえない者はしかたがない、やる必要はない、こういうふうにやつておりました。
  422. 梨木作次郎

    ○梨木委員 そうすると、働いたけれども全然金をもらえないという人は、結局実情としては四百五十六ルーブルに相当する仕事をしない人が金をもらえなかつたのだ、こういうことになりますか。
  423. 菅季治

    菅証人 働きに出て金をもらえない者はそうですね。その他は病人とか、あるいはまた一箇月働く日数の足りない者とか、そういうものはもちろんもらえないわけです。
  424. 内藤隆

    ○内藤(隆)委員 これは多少私事にわたるかもしれませんが、あなたは北海道の出身ですか。
  425. 菅季治

    菅証人 はい。
  426. 内藤隆

    ○内藤(隆)委員 北海道の自宅は何を職業としておられますか。
  427. 菅季治

    菅証人 父は満六十八歳で穏居しております。一番上の兄が私より六つ上でありますが、歯医者をしております。
  428. 内藤隆

    ○内藤(隆)委員 さいぜんの証言を聞きますると、目下文理科大学へ入る準備をしておる、こういうことでありますが。
  429. 菅季治

    菅証人 研究科です。
  430. 内藤隆

    ○内藤(隆)委員 相当学資はかかるでしような。
  431. 菅季治

    菅証人 弟が歯科大学行つております。それで一緒に下宿しております。両方合せて一万二千円ぐらいかかります。
  432. 内藤隆

    ○内藤(隆)委員 それから京都帝大でロシヤ語を学ばれたそうですね。あなたの專攻が哲学あるいは心理学で、ロシヤ語は何か特例な必要があつておやりになつたのですか。
  433. 菅季治

    菅証人 私は東京高等師範と文理科大学において、外国語が非常にすきなので、英語、フラシス語、ドイツ語、ギリシャ語、ラテン語、この五つをやりました。それ以後ロシヤ語とイタリア語をぜひやりたいと思つておりましたけれども、機会がなかつたので、京都の帝大へ行つてロシヤ語の講座——ギリシヤ語とロシヤ語とちよつと似たようなところがありましたので、興味を持つてやりました。私は全期間を通じて出席したわけではありません。一週二時間一回の講義ですが、半年ぐらいも通わなかつたと思います。
  434. 内藤隆

    ○内藤(隆)委員 それから通訳としては何か特別な待遇でもされておりましたか。
  435. 菅季治

    菅証人 別にありませんでした。けれども通訳のやりようによつては、幾らでもぜいたくをすることも若きたでしよう。実際にそういうことをやつてつた通訳も見ましたから。
  436. 内藤隆

    ○内藤(隆)委員 それでは最初に吉武委員質問のときに、あなたは壁に張つてつたはがきを最初は一枚見たとおつしやつたが、その一枚は、選挙のことで徳田球一君がトラックの上で大いに民主主義を叫んでおるというふうなことを書いてあつたという証言をされた。質問が進みますに連れて、もう一枚見たような印象を私は受けましたが、もう一枚とは何ですか。
  437. 菅季治

    菅証人 壁に張つてあるのは、私初めから記憶していないと言いました。それから今度は数枚、そこの第九分所委員会において、これは十通以上はたしかにあつたと思いますが、そのうちの一通、二通見た記憶があります。
  438. 内藤隆

    ○内藤(隆)委員 その一通は選挙のことですね。
  439. 菅季治

    菅証人 そうです。
  440. 内藤隆

    ○内藤(隆)委員 あとのは何を書いてありましたか。
  441. 菅季治

    菅証人 よく記憶しておりませんが、ちようど向うの出した期日が総選挙のころであつたろうかと思いますが、そのもう一通も同じような内容であつた記憶しております。
  442. 内藤隆

    ○内藤(隆)委員 さいぜんの証人証言では、民主主義者として帰国を期待する云々ということを書いてあつたということを証言されましたが、そういうものもあつたんですか。
  443. 菅季治

    菅証人 民主主義者として……。
  444. 内藤隆

    ○内藤(隆)委員 民主主義者として帰国を期待しておる。こういう意味のもあつたとさいぜん証言されたようですが。
  445. 菅季治

    菅証人 そういうのはあつたような気もしますね。そういうことを書いてあつたかもしれません。
  446. 内藤隆

    ○内藤(隆)委員 私の疑問とするのは、その言葉が、ちようどあなたが通訳されたロシヤ人のエルマーラエフ上級中尉ですか、この人のしやべられたのと偶然かもしれませんが一致しておるようですね。民主主義者となるとき諸君は帰れるであろうということを言つておるが、これはどうお思いですか。これは偶然の一致でしようか。何かそういうことが徳田君の文章の中にあつたので、こういうふうな表現になつたのでしようか。
  447. 菅季治

    菅証人 それはちよつとわかりませんですが、しかしまあ日本共産党が帰還者に対して、常によき民主主義者として帰られるよう期待するというような話は、アカハタ記事からだと思いますが、野坂さんのお話としても、民主民族戰線のよき指導者、よき党員たるとともに、よき組織者たらんことを期待するというようなあれが載つておりましたから……。
  448. 内藤隆

    ○内藤(隆)委員 そうすると、要するにロシヤの上級中尉言葉は偶然の一致ではなかつたのですか、どう思います。
  449. 菅季治

    菅証人 日本共産党の意向と合つていたわけですね。
  450. 内藤隆

    ○内藤(隆)委員 私らは少くとも徳田要請の文章を読んでおるので、こういう表現になつたのであるというふうに考えざるを得ないのであります。  それからもう一点、あなたは最初はアクチーヴであつた、ところが途中で観念論者だという折紙をつけられまして、反動扱いにされた、こういう証言がありましたが、その反動であつたあなたが、スターリンヘの誓いのときのししゆうの模様とか、あるいはそのみつぐものと申しますか、そういうものをどうしてごらんになつたのですか。
  451. 菅季治

    菅証人 ししゆうとかみつぎものとかいうものは私は見ませんでした。ただ日本新聞にどこの地域かでそういう物すごい豪華なししゆうの贈りものをするのだということが書いてあつた
  452. 内藤隆

    ○内藤(隆)委員 要するに日本新聞を通じてそういうことを知つたのであつて、実際は知らない。こういうわけですね。
  453. 菅季治

    菅証人 ええ、そうです。小規模の箱入りの感謝文を贈るというようなことはカラカンダ地区においてもやつておりました。
  454. 安部俊吾

    ○安部委員 先ほど高木委員でしたかの質問に、幻兵団という言葉がありましたが、証人は何かこのことに関しまして、新聞で見たとか、あるいは何か知識がありますか。
  455. 菅季治

    菅証人 私としては全然ありません。
  456. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 読んだとか聞いたことはありませんか。
  457. 菅季治

    菅証人 私は新聞雑誌の広告として、日本へ帰つて来てから見ました。
  458. 安部俊吾

    ○安部委員 こちらへ帰つてから見た。
  459. 菅季治

    菅証人 そうです。
  460. 安部俊吾

    ○安部委員 それまでは何も知らなかつたのですね。
  461. 菅季治

    菅証人 知りませんでした。
  462. 安部俊吾

    ○安部委員 証人は今正式に入党した共産党員でありますか。
  463. 菅季治

    菅証人 いや共産党とは全然関係ありません。
  464. 安部俊吾

    ○安部委員 あなたは四箇年数箇月にわたつてカラガンダにいらつしやつたのですが、先ほどの証言によれば、その間多く通訳をやつてつたということですが、あなたのほかにだれか通訳する人がおりましたか。
  465. 菅季治

    菅証人 おりました。
  466. 安部俊吾

    ○安部委員 何人くらいおりました。
  467. 菅季治

    菅証人 私は十一分所にいたのでありますが、作業場が五つか六つありまして、各作業場ごとに通訳がおりました。
  468. 安部俊吾

    ○安部委員 それはみなロシヤ語にたんのうな人ですね。
  469. 菅季治

    菅証人 そうたんのうとは言えないのです。たとえば満洲にいて、白系ロシヤ人とちよつと知り合つたとか、そういうことからだんだん覚えた人だと思います。
  470. 安部俊吾

    ○安部委員 そういう通訳は、おもに作業に関して、こういう作業に従事せよとか、あるいはこういうような分所の方へかおつて仕事をせよとかいうような通訳で、文化問題とか、あるいは教育問題に関する通訳はしなかつたのですか。
  471. 菅季治

    菅証人 まあ各分所とも通訳が大体きまつておるわけです。作業場において、今日はかくかくの仕事をするというような仕事の割当、それから仕事が終つたときに、ナリヤードといいまして、その人の仕事の成果を書いて、こういう仕事をやつた、こういう仕事をやつた、だから何パーセントであるはずだという計算をやる。そういうことをやつておりました。
  472. 安部俊吾

    ○安部委員 各收容所における数名の通訳は、あなたと同じようなことをやつてつたわけですね。あなたは格段別の方面でなく、それらの人と同じようなことを通訳としてやつてつたわけですか。
  473. 菅季治

    菅証人 第十一分所におりましたときは、相対的に言つて、私が一番優秀な通訳であつたために、さきに言いました一九四七年の九月ごろまでは、大体収容所内において通訳をやつておりました。
  474. 安部俊吾

    ○安部委員 そういう場合には、作業のほかに、あるいは冠婚葬祭——と言うとおかしいけれども、とにかく人が死んだ、病気になつたという場合には、あなたは炊事将校なり、あるいは收容所長なり、その代理なりの伝える言葉、訓辞とか、そういう伝達に関しての通訳をやつておりましたか。
  475. 菅季治

    菅証人 冠婚葬祭についての……。
  476. 安部俊吾

    ○安部委員 人が死んだり病気になつた場合に、通訳をやりましたか。
  477. 菅季治

    菅証人 通訳をやりました。
  478. 安部俊吾

    ○安部委員 九百何名か、千名内外おる収容者に対してはいろいろなことがあつたでしよう。たとえばこの人は年齢からいりて重労働には適当せぬ。あるいはこれは病人であるから労働には適せぬとか、あるいは過去の経歴によつて、つまり労働者でなかつたとか、事務員であつたということによつて、いろいろ区別して、そうして異なつた作業に従事させるようなことがありましたか。
  479. 菅季治

    菅証人 それはカラカンダ地区ですと、月に三回、收容所付のソ連人軍医の立会いのもとに、あるいは軍医自身が身体検査をやります。身体検査といいましても、まつ裸にしてしりの肉をつねつてみる。そうして肉づきがよく、弾力性のある者は労働に耐えるというような大ざつぱな身体検査をやりまして、一級、二級、三級、四級、あるいは四級のかわりにオツカーというような言葉を使つたこともあります。そういうぐあいにして区別して、大体一級、二級は収容所外の作業、三級は軽労働、それからオツカーは休養——労働に従事させないというような区わけをやりました。
  480. 安部俊吾

    ○安部委員 そうして年輩者、それから労働にたえぬような身体の健康でない者、そういうものを早く日本に帰還せしめるというような方針でもあつたのですか。
  481. 菅季治

    菅証人 そういう方針であつたですね。
  482. 安部俊吾

    ○安部委員 あつたのですな。
  483. 菅季治

    菅証人 ええ。
  484. 安部俊吾

    ○安部委員 その場合に、あなたは四箇月にいろいろ通訳をやつたでしようが、日本人の便宜をはかつて、こういう人が病気だから薬を與えてくれぬかとか、あるいは何か自分が勉強したいというような本を要求する場合の通訳とか、あるいは栄養に十分な食糧がないから、そういうものに関して何か懇願したりする人が千人に幾人かあつて、そういう場合に通訳としてあなたはやつたか。あるいは被服の問題で、寒い場合に足らぬから、これでは寒いから何か適当なものをくれ、こういうことをあなたが通訳として伝達したということはありましたか。
  485. 菅季治

    菅証人 それは非常にしばしばありました。特に生活に慣れない前半の二年間においては、しよつちゆうそういうお願い、要求をしなければいけなかつたのです。
  486. 安部俊吾

    ○安部委員 要するにそういう場合には、あなたは同胞の一人として、収容者として、日本国民の一人としてお互いに同情して、できるだけ便宜をはかつたということはやつたのですね。
  487. 菅季治

    菅証人 もちろん私は一生懸命やりました。
  488. 安部俊吾

    ○安部委員 しかしながら先ほどの証言のうちに、どうもこのアクチーヴというものになれば、反動という烙印を押された者とほとんど反対の方向に行かなければならぬ。なぜならば、アクチーヴというものが反動というものに同情したり、便宜をはかる。それもあるいはスパイじやないか、反動じやないかというような疑いをかげられて、非常にいろいろな問題に逢着する。従つてできるだけそういうような反動分子には遠ざかつて、敬遠主義をとるというようなことがあつたのではないですか。
  489. 菅季治

    菅証人 大体おもな要求は、日本人側の大隊長を通じてなされていましたけれども、私が個人的になした場合には、やはり通訳としてはだれでも区別しないでやつたつもりであります。
  490. 安部俊吾

    ○安部委員 そうすると、先ほどのいろいろ質問の対象にもなつたのですが、日本新聞というものの二ページ、四ページにはアカハタの翻訳などが大分転載されておつた。そういう場合でも日本に帰りたい、帰還したいという人が——これは收容所におけるだれでもの共通した希望、念願であつたのでありますが、その場合に反動は帰さぬというような記事がしばしばあつた。あなたも他の収容者と同様に帰りたかつたということは、十分われわれ推察できるのでありますが、そういう場合に反動は帰さぬと言うのは、ソ連政府の自主的なそういう方針であつたのですか、あるいはまた日本共産党のそういうような要請反動分子帰つてもらつては困るというような日本共産党の方針とか、あるいは希望とか要請によつてそういう記事が新聞に現れたか。そういうことに関して、あなたはどういうふうに見、あるいは聞いたですか。
  491. 菅季治

    菅証人 日本新聞に載つておりまして私が記憶しておるのは、ある収容所においてそういう反動の名前をあげ、また反動の行状をあげて、そういう者を帰還せしめないようにお願いするという記事が載つておりました。ああいうのは、日本新聞の一つのある時期の方針であつたと思います。それから日本共産党との関係については私もよくわかりませんが、日本共産党要請があつた、なかつたにかかわらず、ソ連としては、思想的なものに対しては手心を加える。絶対帰さないかどうか知りませんが、とにかく幾らか手心を加えるという方針はあつたと思います。というのは、先ほども申しましたように、一九四八年二月に全ソ連收容所民主委員会、反フアシスト委員会というものをつくつたときに、その委員会の権限として、帰還についてまだ時期が適切でないと思う者については、意見を具申せよということを言つております。
  492. 安部俊吾

    ○安部委員 そうすれば、九月十五日ですか、カラカンダの集会所において、そこで中尉の人が質問答えた。そういう帰還するのはいつごろからであるかというような質問をあなたが通訳したのは、そのときが初めてですか、その前にそういう通訳をしたことはありませんか。
  493. 菅季治

    菅証人 一九四九年のあのソ連政府声明が出るまで、しよつちゆう日本人の間においてはソ連に——正式な場所においては私は記憶しておりませんけれども、個人的に職員に聞いたり、あるいは作業場において聞いたり、しよつちゆうそういうことを繰返しておりました。けれどもソ連側としては、はなはだ頼りない返事しか與えないで、時が来れば帰れるのだ、計画通り帰れるのだと言つて、はつきりしたことは與えてくれなかつた。一九四九年のソ連政府声明が出たあとは、あの声明通りだから、お前ら軍事俘虜はみな帰るのだ、取調べ関係以外の者はみな帰るのだ、こういうことであつた
  494. 安部俊吾

    ○安部委員 大体において、十一月には帰ることができるというような、そういう情報があつたのですね。
  495. 菅季治

    菅証人 ええ。
  496. 安部俊吾

    ○安部委員 従つてその中尉に聞いたのはただ一人だけ、こうおつしやつたのですが、われわれの調査によつて聞いた範囲内においては、一人ではない。何か軍曹もしくは兵長の人、二人が聞いたということにわれわれは了解しておるのですが、どうですか。その一点は一人ですか、あるいは二人ですか。
  497. 菅季治

    菅証人 あのときあの場としては、私は一人であつた記憶しております。
  498. 安部俊吾

    ○安部委員 一人だつたと思いますか。
  499. 菅季治

    菅証人 一人だつた記憶しております。
  500. 安部俊吾

    ○安部委員 はつきりしておりませんね。
  501. 菅季治

    菅証人 記憶がはつきりかと追究されるとなんですが、あのときの帰国問題についての質問としては、一人であつたと思います。
  502. 安部俊吾

    ○安部委員 それは一人は兵長、一人は軍曹で、二人が聞いたのです。そのときに、先ほども吉武委員もあなたに申し上げたように、ここで証言要請した証人が異口同音にみな、反動分子は帰さぬように、帰しちやならぬということを証言しておるのですが、あなただけがきわめて微温的な期待するというような言葉であるのですが、あなたがアクチーヴならば、日本に帰つて来ても、アクチーヴというものは何かやはりそこに拘束があるのですか。それが彼らのいわゆる反動だろうが、共産主義でないもの、普通の日本人だろうがそうなんですが、アクチーヴというのは日本に来ても、何か若干の拘束を受けておるのですか。共産産員にならなければいかぬとが、共産党本部に行かなければならぬとかいら拘束があるのですか。
  503. 菅季治

    菅証人 ただ日本人の間において、集結地に来ますと全員入党、集団入党ということをしよつちゆう言いまして、全部日本共産党に行かなければならぬぞということを言つております。
  504. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 あなたはどうですか。
  505. 菅季治

    菅証人 私自身は別に拘束を受けておりません。
  506. 安部俊吾

    ○安部委員 けれどもアクチーヴの一人だというならば、ほかのアクチーヴがそういうような拘束を受けたならば——拘束と言つて語弊があるなら、そこへ行かなければならぬというような條件付であつたならば、あなたも普通そこに行かなければならぬと考えたことがありますか。
  507. 菅季治

    菅証人 私は日本の現実と自分の生活とを考えないで、日本の港に着き次第、すぐ代々木の本部に行くというああいう方針には反対でありました。
  508. 安部俊吾

    ○安部委員 けれどもアクチーヴというものは、共産党員でなければほんとうはソ連の官憲が認めないのではないですか。アクチーヴならずんば反動反動ならずんばアクチーヴということではなかつたのですか。
  509. 菅季治

    菅証人 共産党員でなければアクチーヴということではなかつたわけです。それからまた各收容所によつて違いますけれども、大体全收容人員の一、二割がアクチーヴ、六、七割が民主的傾両者、あるいは民主主義者、そして残りの者が反動、大体そういうふうに区わけされておつたようです。
  510. 安部俊吾

    ○安部委員 あなたが言うところの民主主義者というものは、われわれの了解しているデモクラシー、英国とかあるいはアメリカのデモクラシというものとは違つて、ほん乞うの意味における共産主義のことを民主主義というのでしよう。
  511. 菅季治

    菅証人 ソ連流の民主主義はそうだと思います。
  512. 安部俊吾

    ○安部委員 そうでしよう。そうすればあなたが民主主義に協力すれば、やはり共産主義に協力したわけですね。
  513. 菅季治

    菅証人 はい。
  514. 安部俊吾

    ○安部委員 そうすれば実行の上でもそういう共産主義の行動をとつたわけですね。
  515. 菅季治

    菅証人 どういう場合の実行でありますか。
  516. 安部俊吾

    ○安部委員 たとえばスターリンに感謝したいとか、あるいは天皇制護持を信じないとか、天皇制を打倒しなければならぬ、天皇制護持を信ずる者は、天皇の忠臣となつてうまい汁を吸つたのだというようなことが言われておつたということを聞いているのだが、あなたはそういうことをやはり信じて、反動に対して、お前らは天皇護持をしてうまい汁を吸つたやからじやないかということを指摘したことはあるでしよう。
  517. 菅季治

    菅証人 反動と積極的に鬪争したことはありませんが、天皇制に対しては私は反対であります。
  518. 安部俊吾

    ○安部委員 それからいろいろなつるし上げなどにも賛成した方ですね。
  519. 菅季治

    菅証人 心のうちでは恐ろしいとは思つていましたけれども、しかたがないと思つていました。
  520. 安部俊吾

    ○安部委員 それから生産大会とか、平塚運動というものは、非常に長い時間とか、あるいは一定の時間の間に非常な成績をあげないといかぬというので、健康も保てぬほどの働きをやつたとか、そういうこともあなたは認めたわけですね。
  521. 菅季治

    菅証人 私たちカラカンダの方ではよくも働き、また丈夫でもなければならぬという収容所の方針でありました。実際働き過ぎてからだを惡くした者もあります。
  522. 安部俊吾

    ○安部委員 従つてあなたは、反動分子に対して非常に何か一つの偏見と言つては語弊がありますが、異なつた考えを持つてつたわけですね。
  523. 菅季治

    菅証人 私自身としては、政治的な確信というものは持つておりませんでしたけれども、たとえばソ連収容所生活において反動と言われる人たちは、多くたとえば麻雀をやつたり、あるいはいかがわしい話をしたり、あるいは規律を破壊するというような行動をする者もいたわけです。ですからやはり日本人としてみな規律を守つて、できるだけゆたかな生活をするという意味においては、収容所における民主運動というものを肯定したわけです。
  524. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 どうもそこはさつき私も聞いたのだが、ちよつと論理が合わぬようだが、あなたは先ほど民主主義にあらざれば反動民主主義とは共産主義だ、これは肯定されたのでしよう。
  525. 菅季治

    菅証人 はい。
  526. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 そうしてみれば、その民主グループのうちのアクチーヴとなれば、共産主義者中の実行者、積極行動者でなければならぬと思う。当然共産主義の熱烈なるものとわれわれは解釈するのだが、これは、どうですか。
  527. 菅季治

    菅証人 これはアクチーヴの中にはいろいろあると思います。帰りたいからアクチーヴになつた人もいるでしよう。あるいはまた小隊長、中隊長をやつているので、形式上アクチーヴになつた人もいるのです。また熱烈に日本に帰つて革命でも起そうという者、そういうふうにいろいろいたと思います。
  528. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 けれども民主主義にあらざれば反動反動にあらざれば民主主義民主主義とは即共産主義だ、そのうちのアクチーヴなんですから、最も共産主義の熱烈なる者と思うのだが、便宜主義でやつたというのは、やむを得ぬからカモフラージをやつていたというのですか。
  529. 菅季治

    菅証人 いろいろな人がいたと思います。
  530. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 あなたはどうですか。
  531. 菅季治

    菅証人 私としては立場の上からアクチーヴになつたわけです。
  532. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 カモフラージをしたのでしか。
  533. 菅季治

    菅証人 カモフラージではないが、収容所における民主主義運動というものは肯定したわけです。
  534. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 けれども、あなたの言われたように、規律を守ればいいとか、ゆたかな生活をすればいいということと、純然たる共産主義とはたいへんな違いじやないですか。
  535. 菅季治

    菅証人 けれども、私は日本における生活と、ソ連にれける收容所生活と分離しなければならぬと思つたのです。
  536. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 では便宜上やつたのですか、便宜上ではなくてそうなのかね。
  537. 菅季治

    菅証人 日本に帰つて共産党に入るか入らぬかは、日本に帰つて現実の生活に合して考えなければいかぬと思つたのであります。しかし收容所民主主義運動というのは、いろいろな行き過ぎとか、極端なものもあつたけれども、やはり規律を守り、生産をよくし、ゆたかな生活をするためには、あれは一つの危期を脱する道であつたと思つております。
  538. 安部俊吾

    ○安部委員 ではそのために、ほんとりに共産主義でなかつたけれども、その仲間に入つたというのですか。
  539. 菅季治

    菅証人 ほんとうの共産主義ではなくて、また共産党に入る意思もなかつたわけです。
  540. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 カモフラージですね。
  541. 菅季治

    菅証人 ソ連収容所生活においては、私は民主主義運動というものはやはり惡くなかつたと思います。
  542. 安部俊吾

    ○安部委員 日本に帰りましてから、参議院の海外同胞引揚げに関する特別委員会に、あなたが喚問されるというようなことがいつわかつたのですか。あなたが証人として証言を要求されるということは、参議院からそういう通知を受けるまで知らなかつたのですね。
  543. 菅季治

    菅証人 はい。
  544. 安部俊吾

    ○安部委員 あなたが通訳したその言葉を、それはどういうわけで新聞を通して弁明的な——最も重要な部分であるところの期待をする、あるいは要請するという言葉を特にあなたは新聞に掲載したのですか。どういう動機ですか。
  545. 菅季治

    菅証人 あそこがかんじんであつて、はつきり要請すると断定できないのではないかということがあつたわけです。
  546. 安部俊吾

    ○安部委員 何人の要求においてそのことを発表したのですか。
  547. 菅季治

    菅証人 私自身の……。
  548. 安部俊吾

    ○安部委員 あなたがソ連におつたとき、通訳として将校と特別にいろいろと折衝する機会が多かつた、かつまたあなたがアクチーヴであつた従つて共産主義というものの実行をある程度まで実現して来たのだ、日本に帰つてからもやはり徳田問題とか、そういうことに関して普通の場合より多く共産党に同情をしておつたということは、これは否定できないですね。
  549. 菅季治

    菅証人 そういうことは疑われると非常に苦しいのでございますが、私はまじめな一人の国民として、事実を事実として述べる、そういう気持でやつたのであります。
  550. 安部俊吾

    ○安部委員 けれどもあなたはアクチーヴとして、カラカンダで部分的ですけれども、共産党員と同様な行動をして来たのでしよう。従つてあなたは日本へ帰つて来ても、その思想から一朝にして脱却するわけにいかぬでしよう。そういう感化を受げておつたりだから、やはりある場合には共産党というものに同情するか、あるいは共産党に非常な了解を持ち得ることが当然だと私は思うのですが、どうですか。
  551. 菅季治

    菅証人 私は日本へ着いてから考えているのでありますが、同情するしないにかかわらず、やはり事実は事実でありまして、私は主観的な気持から共産党を弁護するという気持はありませんし、弁護しようがしまいがい正しくなくて滅ぶべきものは滅ぶべきだと考えております。
  552. 安部俊吾

    ○安部委員 しかし冷静に考えてみると、特にあなたが何人からも尋問され、聞かれないのに、みずから進んでその重要な点を最も微温的に、期待するのだということを世の中へ発表するということは、私はどうも冷静に考えて、何かそこにだれかに聞かれた、あるいは特に何人か北海道における細胞で会つたとか、あるいは話合いとか——あなたが自主的に共産党の弁護をするためにそういうことをやつたのではないという疑いを持つているのですが、いかがですか。証人としてあなたは宣誓しているのだから、決して詭弁がないはずだから、はつきりしてください。
  553. 菅季治

    菅証人 そういうように疑われることは私は非常に苦しいのであります。私はほんとうに一人の国民として、まじめに事実を事実として述べたのであります。
  554. 安部俊吾

    ○安部委員 あなたがそうおつしやるならば、それ以上は追究はできませんが、しかしそこにわれわれは非常に疑義を持つておる。あなたはロシヤ語日本語を対照してこれを発表しておるのですが、これはどういう必要があつたのですか。最初委員長からも質問があつたのですが、あなたははつきりとわれわれに納得せしむるに足るような答弁がなかつたのです。これは必要があつたのですか。日本人に対しては日本語でいいわけですが、わざわざロシヤ語を対照的にやつておる。しかもロシヤ語はきわめて的確なものじやない。日本語は的確に記憶しておるだろうが、それに該当するロシヤ語の單語は、あの接続詞のごとき、また副詞の点などにおいて違つておるかしておる。これは何の必要があつて発表したのですか。
  555. 菅季治

    菅証人 通訳としては当然であると思います。
  556. 安部俊吾

    ○安部委員 たれかに聞かれたのですか。
  557. 菅季治

    菅証人 別に聞かれません。
  558. 安部俊吾

    ○安部委員 それならわれわれの常識として、頼まれもせぬのにやるということは、弁解の行動に出たというように考えられる。われわれの経験から、質問された場合に言わなくてもいいことを質問以上に言うことは、多くは弁解です。弁解するということは、何かやましいところがあるか、真実でないから、必要以上に進んでこれを多くの人にそういう印象を與えようというような行動だと思うのですが、その点はどうですか。
  559. 菅季治

    菅証人 私としてはそう思いません。
  560. 安部俊吾

    ○安部委員 あなたは思わないが、何の必要があつたのですか。たれも聞かぬのに、期待する、あるいは要請するという問題が大分デリケートな問題になつておるその場合に、あなたは進んでこういうことを公表することは、何の必要があつて公表するのですか。
  561. 菅季治

    菅証人 実際あの場にいた者として、これほど国際問題化すれば事実を述べなければならぬと思う。証人としていくら待つてつても来ないから……。
  562. 安部俊吾

    ○安部委員 しからば国際問題になつた重要な問題だから、そういうふうにもし進んでやれば、先ほど塚原委員質問した場合に、あなたがこの期待するとしうヴオキヤブラリイが、ある場合においては要請するということに翻訳してもさしつかえない。ただ言葉がいささか強いんだという程度ならば、なぜそのこともつけ加えて世界に弁明しなかつたのですか。
  563. 菅季治

    菅証人 それはまた実際に証人に呼ばれた場合に言えるだろうと思いました。
  564. 安部俊吾

    ○安部委員 その以前に、こういうようなおもに徳田要請を否定する資料になるような弁明をしておきながら、今度は四十三名か四十四名は対日理事会のシーボルト議長まで確証を持つておるということを新聞で発表しておる。それを幾多の人々が発表しておる。山形においてもあなたの言つたことははなはだうそである、逆である、われわれはほんとうのことを言うと証言した者も十二、三人ある。そういう場合において、一方的に單に徳田氏を弁護する、共産党を弁護するような口調——両方に意味がとれる場合に、一方的にそれを微温的にやることは、徳田氏を弁護するような行動をとつたとしか思われぬ。その点はどうですか。はつきり言つてください。
  565. 菅季治

    菅証人 弁護はしてない、あるいは共産党の利益になるようにはしません。はつきり事実として述べたのです。
  566. 安部俊吾

    ○安部委員 それなら何ゆえにその事実を両方に、これは要請と解釈することができるんだと発表しなかつたか。
  567. 菅季治

    菅証人 要請すると解釈することもできる。しかしながら要請すると解釈しない人もおるでしよう。
  568. 安部俊吾

    ○安部委員 だから両方をなぜ……。
  569. 菅季治

    菅証人 両方とも解釈の問題ですから、私は通訳の見解として……。
  570. 安部俊吾

    ○安部委員 しかしこれは冷静に考えて、言葉というものは、最初がら結論に至るまで行くのに一貫した一つの順序がある。この言葉から言えば、反動分子としてはいけないと言つておるでしよう。諸君はここで良心的に勤労し、真正の民主主義者たるとき、そのとき諸君は帰れるんだから、反動分子である諸君は帰れないというのは当然である。そうして終りになつて日本共産党は期待しておる。ずつと弱めておる。これは言葉から言つて自然じやない。言葉のあやではいいけれども、この文章ははなはだ自然じやない。最初は非常に強く否定するところの文章である。その文章の後になつて非常に弱くなつておる。非常に作為的である。文章の構成からいつてもこういう言葉は自然じやない。
  571. 菅季治

    菅証人 私としては事実を述べただけであります。それはあなたの解釈じやたいかと思います。
  572. 安部俊吾

    ○安部委員 もう一点聞きますが、あなたは先ほど石田委員質問答えて、この通訳をする場合に、みんなずつとメモをとつてあと通訳したのですね。
  573. 菅季治

    菅証人 そうです。
  574. 安部俊吾

    ○安部委員 一語一句じやなく、これだけの言葉を言うには、よほど記憶のいい人間でなければわからない。やはり的確の通訳をするなら、二つなり三つなり言つてもらつて、それを通訳して、さらにこれに続いて言つてもらうのが順序だと思う。あなたはこれだけの重要なことを全部言わして通訳したのですが、的確な通訳はできますか。
  575. 菅季治

    菅証人 私としては少しずつ区切つて話してもらうこともありました。その場合は政治部将校はずつと述べたのであります。最初の文句でありますから、記憶がはつきりしておるのでありまする
  576. 安部俊吾

    ○安部委員 少し長い文章でも、翻訳すればできるというのですか。
  577. 菅季治

    菅証人 私は長い文章を翻訳できるというのではないのであります。いつ帰れるかという質問答えて、いつ帰せるという最初の文句ですから……。
  578. 安部俊吾

    ○安部委員 あなたはメモをとつたというのは、あなたは速記ができますか。
  579. 菅季治

    菅証人 通訳としての習慣から大体できます。速記という記号を使うわけじやありません。
  580. 安部俊吾

    ○安部委員 ロシヤ語の……。
  581. 菅季治

    菅証人 日本語でもやる場合もあります。
  582. 安部俊吾

    ○安部委員 速記によつてメモをとつたのですね。
  583. 菅季治

    菅証人 そうです。
  584. 安部俊吾

    ○安部委員 ぼくの言うのは、日本語でもかなでも、普通われわれが使うところのものでメモをとつたのであるか、あるいはここにおる速記者がとるようにして速記をとつたのか。
  585. 菅季治

    菅証人 私の習慣としては、初めの言葉をずつと書き並べて行くという速記であります。
  586. 安部俊吾

    ○安部委員 ロシヤ語で相当早いように聞えるんだが、それをあなたの独特の速記の方法によつて迅速に全部ノートにとれますか。
  587. 菅季治

    菅証人 大体とれます。
  588. 安部俊吾

    ○安部委員 そうして確実に期待するということを向う言つたのですか。
  589. 菅季治

    菅証人 それは特に重要な言葉ですから……。
  590. 安部俊吾

    ○安部委員 どうして重要ですか。先ほどの証言では、それほど重要でなかつた、日本に帰つて来て、こういうふうなことが国際的な問題になると思わぬから、自分は注意せぬと証言しておるにかかわらず、ここにおいて私の質問に対して、重要であるから特に注意して記憶しておるというのは、はなはだ矛盾撞着した証言じやないですか。
  591. 菅季治

    菅証人 失礼しました。私はそれだけの文章が重要だと思つたからです。
  592. 安部俊吾

    ○安部委員 ほんとうはあなたは、要請ということはみなほかの人間が了解しておるように通訳したが、日本に帰つていろいろ問題になつて来たから、徳田氏とかその党のために特にあまり波乱が起きぬように、これをきわめて微温的に期待するというように声明したじやないか。
  593. 菅季治

    菅証人 御指摘ですけれども、これは事実です。
  594. 安部俊吾

    ○安部委員 あなたの証言はそうだけれども、その場所、事情によつてあらゆる角度からこれをずつと集めて帰納した場合に、そこに一つの答えが出るわけなのです。それが多くの誤りない一つの論理的帰結というか、そこが出て来る。そうすればわれわれ多くの委員というものはそういうところに当然行かなくちやならぬ。どうも口先というか、後に至つて何か必要上、あるいはあなたが一人の通訳なんだから、ほかのものはロシヤ語はわからぬのだから、そういえばこのものが円満に解決するだろう。そういう善意をもつてあなたは書いたんじやなかろうかと私は思うのですけれども、そらじやないのですか。
  595. 菅季治

    菅証人 絶対にそうじやありません。また私は久保田さんの立場にも同情しております。
  596. 安部俊吾

    ○安部委員 それからあなたは先ほど石田委員よりのあなたのほかに三百何名の方々のうちにはロシヤ語がわかる人がおるかという質問に対して、おるだろうと言つております。おるだろうというのははなはだ明瞭でない。これは証言にならぬ。おるかもしれないがおらぬかもしれないということでは、はなはだはつきりしないのであります。おつたということは、何人おつたということを確認するのでありますか。
  597. 菅季治

    菅証人 私は第九分所に移つて来た日本人アクチーヴの人と話をする機会があつたのであります。彼らはロシヤ語をわかるものがおると言つておりました。
  598. 安部俊吾

    ○安部委員 何人くらいおつたのですか。
  599. 菅季治

    菅証人 何人ということはわかりません。アクチーヴと話したときに、われわれの集団の中にロシヤ語がわかるものがおる。こういうことを言つたのです。
  600. 安部俊吾

    ○安部委員 われわれの常識から言えば、あなたが最高学府においてロシヤ語をやり、ギリシヤ語、ラテン語をやつたといわれるが、そういう人はおそらく普通じやないはずだ。これは百人に一人か二百人に一人、そのグループの中で、あなたができるほど期待、要望、あるいは要請、そういうことをはつきりわかる人はおそらくいなかつたと思う。ただなべを持つて来い。かまを持つて来い。シヤベルをもつてこういう作業をやれ、そういう程度はわかつたかもしれないが、しかしある程度こみいつたようなことをわかつた人はいなかつたでしよう。
  601. 菅季治

    菅証人 わからないですね。本日証人としてここに来ておられる大隊長宇野さんに聞いてみれば、ロシヤ語をわかる人がおつたかどうかといことはわかると思います。
  602. 安部俊吾

    ○安部委員 おつたかもしれぬ。おらなかつたかもしれぬ。それはあなたの想像にすぎぬわけですね。
  603. 菅季治

    菅証人 大体そうです。
  604. 安部俊吾

    ○安部委員 石田君がこういうことを言つたので、そういう証言をしたのかもしれぬが、もしもあなたが誤訳をした。通訳間違つてつたならば、他にロシヤ語をわかる人がおればそれを訂正するはずだ。訂正をしないところをみれば、あなたの通訳が正当で誤訳がなかつたというような解釈をする前提と思うのでありますが、そうじやなかつたのでしようか。確かにおつたかおらぬかということは、わからぬというのですか。
  605. 菅季治

    菅証人 しかし大体いたというようなことは聞いておりました。
  606. 安部俊吾

    ○安部委員 だから聞いたのです。
  607. 菅季治

    菅証人 だからアクチーヴの人ですね。     〔「少しくどいぞ」と呼ぶ者あり〕
  608. 安部俊吾

    ○安部委員 しかしくどくても、この問題は聞かなければならぬ。それはだれかと言うことはできないですか。
  609. 菅季治

    菅証人 松永という人がおりました、アクチーヴとして……。
  610. 安部俊吾

    ○安部委員 今その人はこつちへ引揚げて来ておるのですか。
  611. 菅季治

    菅証人 それはロシヤ語のわかるアクチーヴの人です。
  612. 安部俊吾

    ○安部委員 今来ておりますか。
  613. 菅季治

    菅証人 宇野さんに聞いたのですが、今九州に帰つて来ておるということです。
  614. 安部俊吾

    ○安部委員 その人がそこで聞いておつたのでずね、
  615. 菅季治

    菅証人 はい。
  616. 安部俊吾

    ○安部委員 そうですか。  大体その程度にしておきます。
  617. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員 先ほど安部委員からの問いに対して、あなたはこの問題について証人になるということを想像していたかどうか、証人になるということがわかつていたかというときに、それはあなたは考えていなかつた参議院から証人という通達を受けてへ初めて証人になるということがわかつたと言われましたが、その通りですか。
  618. 菅季治

    菅証人 当然もつと早く証人として呼ばれるはずなのに、なぜ証人として呼ばれないのかと不審に思つておりました。
  619. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員 そうすると証人になるということは考えておつたのですね。
  620. 菅季治

    菅証人 参議院の方の方針では、呼ぶつもりがあるのかないのかわからなかつ、たものですから……。
  621. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員 ただここに三月九日のアカハタにあなたが「日本国民全体の利益のために、事実を事実としてはつきりさせなければならないと思い、この問題が大きくなり久保田が証人に立つたので私も証人に立たされる心構えでいたが」こう書いてありますが、これはどうですか。
  622. 菅季治

    菅証人 そういうことは九日のアカハタに堂々と書いてありますが、私は証人として立つということは言つたことはありません。
  623. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員 そうするとこれは間違つておりますか。
  624. 菅季治

    菅証人 間違つております。
  625. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員 もう一つ。「日本国民全体のために」ということも言いませんね。
  626. 菅季治

    菅証人 それも言いません。
  627. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員 これもアカハタがかつてに書いたのですか。
  628. 菅季治

    菅証人 そうです。
  629. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員 もう一つ伺いますが、先ほどからあなたは、共産党や徳田君からは、そういう要請があつたかなかつたかということはわからないということで、これをあなたは出したということでありますが、そうするとそういう要請とか、共産党との連絡というものがあるということは、はつきりあなたはわからないのですね。
  630. 菅季治

    菅証人 要請とか連絡ですね。
  631. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員 そうです。
  632. 菅季治

    菅証人 日本新聞アカハタとの連絡ぐらいはあつたと思います。
  633. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員 そうするとやはり三月九日のアカハタに「徳田氏の要請によりとか書簡によりその他のことはすべて虚偽のものだ」と書いてあります。虚偽という字を使つたのもあなた自身で使つたのじやないのですね。
  634. 菅季治

    菅証人 そうじやありません。それに対してあとアカハタ紙に抗議を出しております。
  635. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員 虚偽ということも、虚偽だか虚偽でないかもわからないというのですか。
  636. 菅季治

    菅証人 そうです。虚偽の方が自然であつたかもしれない、こう言つたのです。
  637. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員 わかりました。  そこであなたは入ソ中に、日本がポツダム宣言に基いて降服した。ポツダム宣言には武装を解除された国の軍隊は、ただちにその郷里に帰つて云々とありますが、そういうことは知つておりましたか。
  638. 菅季治

    菅証人 武装を解除された軍隊がすぐ郷里に帰る……。
  639. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員 生産的な平和的な生活を営ましめる……。
  640. 菅季治

    菅証人 日本新聞で読んだことはあります。
  641. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員 ありますね。そうするとあなただけでなく、一般に向う行つて収容されている人も、大体それは知つておりましたね。
  642. 菅季治

    菅証人 大体それは知つておりました。
  643. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員 そうすると当然われわれはポツダム宣言によつて、ただちにとは言わぬが、早く帰されるのだというようなお考えもあつたでしようね。
  644. 菅季治

    菅証人 ありました。なぜわれわれはこんなに長くとめられるか、非常に疑問でした。
  645. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員 そう考えていたやさき、日本新聞とかあるいはその他のいろいろな向うの報道機関等によつて、その日本新聞等に日本共産党の野坂君や志賀君あるいは徳田たちの方から、盛んに民主主義者になつて帰れと言つて来たというようなことを先ほどから証言されております。そういう記事が出て来れば、またあなたがこれを期待と解釈しようが要請と解釈しようが、要するにどつちでも解釈されるとしても、共産党なり共産党員と、ソ同盟が常にいろいろな連繋があつて反動という人は次から次へと収容所が移されて行く、そうして帰るのが遅くなつて行く。その事実もあなたは認めることができますか。
  646. 菅季治

    菅証人 反動という人は收容所を転転と移された。そういうことは認めます。日本共産党要請によつてそれをやつておるかどうか……。
  647. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員 それはいいのです。連絡があつたというが、その連絡はどの程度です。
  648. 菅季治

    菅証人 連絡はあつたが、どの程度かということはちよつと……。
  649. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員 薄くても濃くても……。
  650. 菅季治

    菅証人 アカハタ記事がどんどん日本新聞に載つたということは、確かに連絡があつた……。
  651. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員 そうするとソ同盟の考え方も共産党の考え方も、徳田氏、野坂氏の考え方も、收容所反動に対して行われた事実と大体一致しておるなという考えはあなたは持ちませんでしたか。だんだん延びて行つたという事実です。反動の帰りが遅らされていた事実、それらを総合して考えて……。
  652. 菅季治

    菅証人 それはちよつとわかりません。というのは、カラカンダには日本人のほかにドイツ人、ルーマニア人がおりました。彼らに対しても、ソ連收容所本部は同じような方針だつたのですから……。
  653. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員 そうするとソ連だけの考えで反動は帰されないのだ、延びておるのだ、こうあなたは言い切れますか。
  654. 菅季治

    菅証人 そこのところはよくわからないのです。
  655. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員 そこなんです。
  656. 菅季治

    菅証人 私はよくわからないのです。ただソ連のやり方としては、共産党の要請のあるなしにかかわらず、ああいつた方針をとつたろうと想像はつきますが、ちよつとわからないですね。
  657. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員 そこで二箇月や三箇月ならいざ知らず、三年も四年もの間、反動という人たちが次から次へと帰国が延ばされて行つておる。あなたはソ同盟の相当な指導者、政治部将校たちと交渉しておるが、ポツダム宣言でも捕虜は帰せということになつておりま。すソ同盟も連合軍に入つておるが、なぜ早く帰さぬかという話を、あなたは向うの相当な立場の人——中尉とか、少尉とか、収容所所長とかに、あなたは個人的にも話したことはありませんか。
  658. 菅季治

    菅証人 私は特に取調べ関係——三十九師団というのがありましたが、あれが残されて、十一月までに帰されそうもない。調査がまだ十一月に続いておりましたから、あれについては数回なぜ帰さぬかと聞きましたが……。
  659. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員 どう言つておりましたか。
  660. 菅季治

    菅証人 わからない、調査が早く済めば早く帰すと言つておりました。
  661. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員 どういう調査ですか。
  662. 菅季治

    菅証人 それはよくわかりませんが、国家保安部ですか、収容所の一角にソ連の取調べ関係将校がいて、それが三十九師団関係の人々を呼び入れて調書をつくつておる。大体取調べを受けた者の話などを聞きますと、三十九師団は北支ですか、中支ですか、支那においてどういう行動をやつたか。そうしてその際において自分はどういう行動をとつたかということを調べていました。
  663. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員 そういうことははつきりわかつていても、帰されない反動がたくさんいたのではないですか。もう調書はできていても……。
  664. 菅季治

    菅証人 軍人俘虜の場合だと、取調へ関係のなかつた者は大体帰れたと思います。けれども各收容所のこまかいところはわかりません。
  665. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員 それから要請と期待で大分いろいろ質問があつたようで、あなたもそれにはまだはつきり答えていませんが、これは期待と解釈して間違いないという厘とは、あなた断言できませんね。別な適当な言葉を使えるということは言えますね。
  666. 菅季治

    菅証人 それは通訳としては別な言葉も使えると思います。
  667. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員 次に私聞きたいのは、あなたはいつ帰つて来られたのですか。
  668. 菅季治

    菅証人 私は昨年の十一月二十七日に東舞鶴に着きました。
  669. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員 そのとき日本共産党の方々多数が出迎えておられましたか。
  670. 菅季治

    菅証人 全然出迎えておりません。
  671. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員 途中も出迎えはありませんでしたか。
  672. 菅季治

    菅証人 途中弘前に小さな赤旗を持つて数名迎えに出ておつた学生もおつたが、そのほかでは別になかつた
  673. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員 その人は何か言わなかつたですか。
  674. 菅季治

    菅証人 別に言わなかつたですね。
  675. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員 こういうことを言わなかつたですか。日本に帰つて、われわれと同志になつて、一緒にやろうじやないかと言わなかつたですか。
  676. 菅季治

    菅証人 そうですね、まあ列車の窓のうちと外から話をしてましたね。私自身は何も話さなかつたが……。
  677. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員 握手して、同志一緒にやろう、こう言つておるのをあなた聞いたですか。
  678. 菅季治

    菅証人 聞きました。握手しておるのも見ました。
  679. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員 あなた自身は……。
  680. 菅季治

    菅証人 私自身はやりません。
  681. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員 個人的になつて恐縮ですが、あなたは北海道が郷里だと言われたが、私も郷里は北海道ですが、北海道から出て来たのは、この問題が起つてからですね。
  682. 菅季治

    菅証人 一月十日です。
  683. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員 この問題は全然あなたの耳に入つてなかつたですね。
  684. 菅季治

    菅証人 そうです。
  685. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員 そうして今弟さんとおられて、月に一万二千円くらいかかるとおつしやいましたが、そういう費用は郷里から送つて来るのですね。
  686. 菅季治

    菅証人 そうです。
  687. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員 もう一つお聞きしたいことは、あなたがソビエトにおいでのときはアクチーヴとしてお働きにもなつたし、またああいうふうでなければならないという考え方も持つておられたであろうし、それから国民の利益を、守るためにもいろいろやらなくてはならぬということの証言がありました。それはよいと信じていたあなたが、今日本に帰つて来て、ソ同盟言つておることに対して、何らの興味も持たないような、政治的な知識もないし、政治というものに全然関係していないし、考えてもいない。もう学校に行くことだけしか考えていないとおつしやいますが、それはほんとうの心境ですか。
  688. 菅季治

    菅証人 私は政治などに関係しないで勉強したいと思います。
  689. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員 そうなると、日本のこうした苦しい生活の中に帰つて来て、そうして今政治という方面から離れても、生活の環境から言つて、何か若い者として活動しなくてはならぬという考えもありませんか。
  690. 菅季治

    菅証人 私としては、とりあえず京都大学にいたときにやりかけた研究を何とかまとめるというのが、第一の目的だと思つております。
  691. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員 ちよつとそれと関連しますが、京都大学哲学やなんか習われたらしいのですが、京都大学の石川與二博士という経済学をやつた先生に講義を受けたことはありませんか。
  692. 菅季治

    菅証人 ありません。
  693. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員 これで終ります。
  694. 田渕光一

    ○田渕委員 先ほど佐々木委員からお聞きしましたことに関連するのですが、さつき私がお伺いしましたとき、に、第六点のうちの、生活態勢の訓辞を與えたときのエルマーラエフという将校は、あなたの先ほどの話で、態度、表情あるいはその人の個性という方面から見て、その方の心事をここから推測して、どつちかというと非常に嘲笑しておつた従つて言う言葉も、どちらかというと、非常に嚴粛味を欠いておつて、その言葉をずつと通訳して行つて最後言葉を期待しておるというふうに通訳なさつたとおつしやつておるけれども、今ほんとうにあなたが無我の心境に立つて、ほんとうに良心的に考えてみたら、あのときは自分は期待しておると通訳したけれども、要請と訳したかつたのだ、真意は徳田要請して来ておるのじやないか、あのときは要請と訳すべきであつたというぐあいに考えておられませんか。
  695. 菅季治

    菅証人 現在においても別に気持はかわりません。しかしあのとき聞いておる人たちの気持について言えば、非常にがつかりもし、いつ帰れるかはつきりしなくなるし、またみんなが民主主義者になつたときに帰すというのですから、がつかりしますし、あの話の中に出て来た日本共産党に対する反感も、かえつてつのつただろうと思います。私自身は、無我の境地に立つてと言われても、ちよつと答えられないですね。
  696. 岡延右エ門

    ○岡(延)委員 ちよつと証人に伺いますが、先ほどあなたは天皇制に反対だとおつしやられたようですが、その通りですか。
  697. 菅季治

    菅証人 天皇制に反対です。
  698. 岡延右エ門

    ○岡(延)委員 ところが日本においては共産党はむろん天皇制に反対しておる。しかしわれわれが共産党員に個人的に話してみると、どうも天皇制に反対するのはわれわれ個人としてはいやなんだ、そう言う人さえおる。ところがあなたは共産党員じやないと言われるが、天皇制に反対だと聞かれもしないのに積極的に言うくらいである。しかもカラカンダにおいてはアクチーヴであつた。ところがあなたは今言う通り、党員じやないと言つても天皇制に反対だと言う。和製共産党員以上の、ソ連式の本式のあなたは共産党員だと私は断定してもさしつかえないと思う。そこにあの問題が起つたために、徳田書記長及び共産党が非常に不利に階つた。それでどうでも解釈できるものを、わざわざかばうために、あなたかああいう声明を発したというのが、あなたの傭らざる真の心境ではないのですか。
  699. 菅季治

    菅証人 私は事実を述べただけであります。実際は徳田さんを同志とも思つていません。また天皇制反対といつても、別に実踐活動をやるつもりでなくて、昔は神様といつてわれわれを死地に追い込み、一九四七年の正月ですか、神様でないというようなことを言う、それに対しては私は反感を持つています。
  700. 岡延右エ門

    ○岡(延)委員 あなたは数年間カラカンダにおいて通訳として枢機にタツチした。そこでソ連当局から誓約か何かとられた事実はありませんか。
  701. 菅季治

    菅証人 別にありません。
  702. 岡延右エ門

    ○岡(延)委員 それではまた伺いますが、あなたは数年間通訳として枢機にタツチしたわけですが、その間において、あの歩行もできない人にノルマをやらせるとか、あるいは死ぬと、軒下に積み重ねて置く、こういうようなことが、あるいは国際公法上、あるいはポツダム宣言その他に違反するということはあなたは考えなかつたのですか。
  703. 菅季治

    菅証人 歩行もできない人を働かせるというようなことはなかつたと思います。また死んだものを軒下に並べるというようなことも、カラガンダではありませんでした。
  704. 岡延右エ門

    ○岡(延)委員 それは他の証人——どなたであつたかははつきり覚えていないけれども、はつきりそれは証言しておる。そこで国際公法、ポツダム宣言は別として、とにかくすべての扱いが正義人道に反する、自然法に反するというふうに、すべての捕虜の数年間にわたるところの取扱いを通じてお考えにならなかつたですか。
  705. 菅季治

    菅証人 すべての点において違反ししおるとは思いません。しかしながら個々の点においてはやはりずいぶん不満足な点もあります。たとえば所内に伐る人員を極度に制限する、そしてまた実際病気のために作業を休ませる、そういう人員についてもロシヤ側では、日本人の部員から聞いたのですが、日本人の部員にいろいろなことを言うらしいのです。あまりべらぼうな作業休——軍隊では練兵休と言いますけれども、作業を休ませるということもできなかつたようです。
  706. 梨木作次郎

    ○梨木委員 先ほど日本新聞日本共産党とが何か連絡があるのではないかという質問に対して、アカハタ記事日本新聞に載つてつたから、連絡があるのじやないかと推測した、こういうような御答弁があつたようでありますが、私がお伺いしたいのは、先ほどの質問の、日本新聞日本共産党とが何か連絡があるかどうかという問題について、あなたの知つておられることをもう一度話していただきたい。
  707. 菅季治

    菅証人 それは日本新聞アカハタ記事が載つている。日本新聞があれほど激烈に日本共産党入党ないし支持を日本人捕虜に呼びかけたという点であります。
  708. 梨木作次郎

    ○梨木委員 日本共産党日本新聞との連絡の問題については、その記事の中に、非常に日本共産党に入党せよというような記事があつたことと、アカハタ記事が転載されておるということ、こういう二つの事実から、何か連粕があるのではないか、そうあなたが推測した、こういうことになるのでありますか。
  709. 菅季治

    菅証人 当然の推測だと思います。
  710. 梨木作次郎

    ○梨木委員 それ以外にはないわけですね。
  711. 菅季治

    菅証人 別に感知いたしません。
  712. 梨木作次郎

    ○梨木委員 そこでお伺いしますが、アカハタというのは、これは金を出せはだれにでも販売する仕組みになつておるのであります。従つて日本新聞へもそういう筋を通じてアカハタが届く可能性はあるわけでありますが、そういうことからただちにあなたは日本新聞日本共産党が連絡があるというようにお考えになつた、その論理というのはどうもおかしいように思うのですが……。
  713. 菅季治

    菅証人 おかしくないと思います。あれほど頻繁に毎号々々載つているのですから。
  714. 梨木作次郎

    ○梨木委員 私がお伺いするのは、アカハタというのは、これは一般にだれにでも売つている新聞ですから、日本新聞へもそういう販売網を通じて、これは入手し得る可能性があるわけです。このことだけで連絡があつたとお考えになるのは……。それはそれだけのことなんですね。
  715. 菅季治

    菅証人 それはそうであります。そんなに毎号載り、またアカハタ紙だけ載せるというようなことは、やはり関係があると思います。
  716. 梨木作次郎

    ○梨木委員 その毎号載るというのは、これはアカハタの何月何日の何号というのか、つまりアカハタ記事とどれくらいの期間を経て転載されているか。そういう点は記憶ありませんか。
  717. 菅季治

    菅証人 記憶ありません。ただ号数は載つたと思います。
  718. 岡延右エ門

    ○岡(延)委員 証人に伺いますが、他の新聞は入りましたか。
  719. 菅季治

    菅証人 全然入りません。
  720. 岡延右エ門

    ○岡(延)委員 アカハタだけ入つたわけですか。
  721. 菅季治

    菅証人 そうであります。
  722. 西村直己

    ○西村(直)委員 議事進行に関してお願いしたいのであります。本日の午前中からの証人は、おもに徳田要請通訳された立場におきましていろいろ述べられたのでありますが、私ども委員といたしまして、いろいろ不審の点がまだ残つておるのであります。特に参議院におきましての議事録を拝見いたしますと、他の証人が手続上先になつた場合におきまして、共産党の中野重治君は、なぜ菅を先へ呼ばないかということを言つて“非常に菅の喚問の要求を強くしておる点が一つ、この証人の重要性をなぜ共産党が強調ざれたかという点。それから第二は、期待する、要請するの問題があつた場合におきまして、証人最後言葉は、主観的な立場においては、期待するとも、要請するというような意味にもとれるという御証言があつたわけです。初めは期待するでお通しになりましたが、ややそれがおくずれになつた。一方このあとに本日宣誓をされました山森友太郎という方の速記録を読みますと、自分はロシヤ語は十分にわかるということを参議院言つておられる。その方がやはり相かわらず十一月に帰すという。反動はこれに適用しないということを菅君から言われたのを聞いておる。また反動は帰すなということを、自分は政治将校から言われたのを聞いておるという客観的な事実、それと、菅君の主観的な答弁とは大分食い違いを生じております。それから第三点は、菅君は政治には無関心であるという人が、しかも国際政治の重要な問題であるから自分はこの証人に立つた、あるいは新聞に発表したのだ、こういうような点において、われわれは本日述べられた点におきましては、非常な疑義をはさむものであります。従いまして後日さらに証人としてお呼びになるように、私は菅君の証人尋問に対しまして保留申し上げたい。この議事進行の手続をお願いいたします。     〔「賛成」「賛成」と呼ぶ者あり〕
  723. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 西村さんの申出は了承いたしましたから、いずれ理事会に諮つて時日をきめて、そういうことにいたしましよう。  それじや一応済みました。御苦労さまでした。  山森友太郎さんですね。
  724. 山森友太郎

    山森証人 そうです。
  725. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 あなたの現在の職業及び年齡は。
  726. 山森友太郎

    山森証人 何もやつておりません。
  727. 鍛冶良作

  728. 山森友太郎

    山森証人 数え年二十九才です。
  729. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 兵隊前の経歴から、ソ連へ入つてから帰るまでの経歴、それをほんの荒筋でいいのですから、述べていただきます。
  730. 山森友太郎

    山森証人 昭和十八年の十二月まで九州帝大の法文学部におりまして、学徒動員によつて同年十二月一日、朝鮮の会寧の第七十九師団の七十五連隊に入隊しました。それから半年ほど教育を受けまして、ハルピンのロシヤ語の教育隊に参りました。そこで二十年の五月半ばごろまで、ロシヤ語の教育を一年と一箇月ほど受けました。それから原隊に帰りまして、ただちに転属を命ぜられて、七十九師団の師団司令部の情報部に勤務を命ぜられました。そこで十日ほどおりましてから、またロシヤ語の教育を受けよということで、七月に再びハルピンにおもむきまして、そこで教育を受けているうちに、ソ軍が進攻して来ましたので、原部隊に帰るべく南下中に捕虜となりまして、それから咸興というところでソ軍に收容されて、二十一年の六月に入ソしました。そうしてタシケントのさらに奥地のグルチマザールという油田地帯に送られまして、二十二年三月にベグワード地区に送られた。それから二十三年の末までそこにおつて、それからタシケントに行き、さらにアンダレンというところへ送られました。アングレンに二十四年八月ごろまでおつて、九月にカラカンダ地区に参りました。二十四年十二月二十八日までカラカンダにおつて、それからナホトカに参り、二月八日ですか、舞鶴に上陸しました。
  731. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 カラカンダに送られたとき、昭和二十四年九月十五日に、第九収容所日本人俘虜が一堂に集められて、俗に言う徳田要請なるものを聞かされたということですが、お聞きになりましたか。
  732. 山森友太郎

    山森証人 聞きました。
  733. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 そのときの模様を大体話してもらいたい。
  734. 山森友太郎

    山森証人 大体あの集会所に集まつた者は三百人ちよつと出たと思います。大体の者は、またいつもの例のようなソ連側の注意事項だろう。そんな程度だから、あまり関心を持たずに集まつてつた状態でした。それから政治部将校の講話があつて、例の通りに、收容所内における清掃、整頓、そういつたものの注意、それからこれからの作業における諸注意、作業の能率増進のための気構え、そういつたものについて、長々と話し、また世界情勢について話し、結局ソ連を強化することが、君たちの日本を強化することである、そういつたよ、ないつもの常套手段を使つて、われわれに一場の弁を振つたのであります。その後に質問のある者は質問せよ、こういう話で、峯田という人が立つて、われわれの帰還はいつになるのか、こういうような質問をしたが、これに対しては答えができない、こういうような返答だつたと思います。その次に植松という人が立つて、本年の六月ごろにあつた日本人俘虜は全員帰す、戰争犯罪取調べ中の一団を除いて九万五千人全員帰すというソ連政府の発表は真実かどうか、十一月までに帰すかどうかということを聞いたのであります。それに対し政治部将校が、そのような発表に対しては、日本共産党徳田書記長からの要請によつて反動分子はこの適用を受けないのだ、こういうような話があつて、それを菅通訳通訳したわけであります。
  735. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 日本共産党徳田書記長要請があるから、反動分子にはこの声明適用せられないのだ、こういうのですね。
  736. 山森友太郎

    山森証人 そうであります。菅通訳の訳したのは、そういうように訳しました。
  737. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 すると帰還についての質問は、峯田と植松の二人であることは間違いありませんな。
  738. 山森友太郎

    山森証人 間違いありません。
  739. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 そこでさらに進んで、徳田書記長からの要請内容について何か話が出ましたか。
  740. 山森友太郎

    山森証人 要請内容については別段なかつたと思います。
  741. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 何かあつたのではありませんか。りつぱな民主主義者になつて帰れとか、そういうことがなかつたか、覚えはありませんか。
  742. 山森友太郎

    山森証人 あのときの質問に対する返答としては、別段そういうことばなかつたと思いますが、そのほかの場合には、りつぱな民主主義者になつて帰れというようなことはしよつちゆう言われております。あの場合にはなかつたように自分は記憶いたしております。
  743. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 そのほかのときというのは、徳田書記長要請といつて聞かされたのですか。そうでなく、ただそういつて聞かされたのですか。
  744. 山森友太郎

    山森証人 特に徳田書記長として断つてやられた話ではありません。
  745. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 徳田書記長要請があつたから反動には適用がない、この徳田書記長要請という言葉間違いありませんね。
  746. 山森友太郎

    山森証人 間違いありません。
  747. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 あなたは先ほどから聞けば、経歴上相当ロシヤ語はできるようですね。
  748. 山森友太郎

    山森証人 会話の方にはそれほど自信はありませんが、読んだり書いたりする方にはある程度自信が持てます。
  749. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 そのことを話した政治将校の名前は覚えておりますか。
  750. 山森友太郎

    山森証人 覚えておりません。
  751. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 エルマーラエブ上級中尉という名前だが、そう言つても覚えはありませんか。
  752. 山森友太郎

    山森証人 人間だけは間違いないのですが、名前については知りません。
  753. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 そこでその政治部将校の話したロシヤ語はよくわかりましたか。
  754. 山森友太郎

    山森証人 またいつもの話である、こういう先入観があつたものですから、一番最後尾におりましたので、普通の講演の内容の方ははつきりわかつたのですが、あのときの質問に対する返答ははつきり聞きとれませんでした。
  755. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 全然聞えぬわけではなかつたのですね。
  756. 山森友太郎

    山森証人 全然聞えないということはありません。
  757. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 どういうロシヤ語を使つたか、現在記憶はありませんか。
  758. 山森友太郎

    山森証人 記憶ありません。
  759. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 そうすると菅通訳言葉として、徳田要請によつて反動には適用がないのだと言つたことは、間違いなく記憶しておりますね。
  760. 山森友太郎

    山森証人 間違いありません。
  761. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 ところがあなたはこの間参議院証人に出られて、初めは間違いないと言つたが、あとで遠かつたからそれほどよくわからなかつたと言われたが、それはどういうことなのですか。ロシヤ語がよくわからなかつたのですか。
  762. 山森友太郎

    山森証人 ロシヤ語がよくわからなかつたのです。
  763. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 日本語間違いなく覚えておるのですね。
  764. 山森友太郎

    山森証人 菅君が訳して、それを菅君が発音したのですから、これは全然別で、よく聞きとれました。
  765. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 要請ということは間違いなかつたのですか。
  766. 山森友太郎

    山森証人 はい。
  767. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 ではよろしい。アカハタにあなたの談話が出ておつたそうですね。それは読まれたのですか。
  768. 山森友太郎

    山森証人 読みました。
  769. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 そこにあなたの言われたことと違つたことが出ておつたそうですが、そうではなかつたのですか。あなたの言われた通りのことでしたか。
  770. 山森友太郎

    山森証人 ちよつと内容を……。
  771. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 そう何べんもあなたは談話を出してはおらぬでしよう。あなたがアカハタの記者にしやべられた内容と、アカハタに出ておる活字とに相違がなかつたか、あつたとすればどこに相違があつたか、こう聞くのです。
  772. 山森友太郎

    山森証人 あの会が終つてから一日か二日した夕方だつたと思います。連合通信の中西徹という名刺を持つて自分のところへ尋ねて来た者がありました。それでこの連合通信というのはどういうような使命を持つた新聞であるかということを尋ねましたところが、これは地方新聞に対して特種を提供するところの新聞社である、こういうような話でありました。従つて自分と久保田氏との間にいろいろいざこざがあつた——いざこざというか、醜惡なことがあつたといううわさが飛んでおりましたので、自分としてもある程度釈明しなければならない、こういうように考えたものですから、非常にいい機会だと思つて、久保田氏が自分に対して晝の休憩時間にいろいろ策動した、そういつたような点を釈明しようと思いまして、あの日の状況について話したわけであります。それでまず彼の質問が一番初めに、晝の休憩時間に、久保田氏はあなたに対して、徳田球一という名が入つておらぬが、それをつけ加えてくれというように頼んだかどうか、こういうような質問つたと思います。それに対して自分は非常に意外に感じたのであります。なぜかというと、自分はあのときの証言に対して自分の直訳としては、日本共産党要請によつて、こうこうこういうようなことになつたから、反動分子は帰還が遅れるのだ、こういうように言つた。そのあとに自分としては、その通訳の中には、日本共産党徳田球一の要請によつて反動分子の帰還は遅らされるのだ、こう言うつもりでおり、またそういうように考えておつたのであります。ところがあの日の雰囲気に押されたのか、自分が言い落しておつたらしく、それを久保田氏からそう言われたので、自分としてはこれはしまつたと、こういうふうに思つて、それでは午後になつたらすぐその点だけをつけ加えよう、自分は最初からそのつもりでおつたのだ、しかるにそういうような結果になつたのでは、自分として申訳ない、それではその点はただちに午後つげ加えるから、こういうように言つたのであります。それでその記者に対する自分の談話は、その主眼点がそういつた点にあつた。それでその後に、あの日の記者には、郵船ビルに行つて自分の友人に会つて近況をいろいろ話し、またその友だちの近況を聞いた、こういうような内容をその記者に話したのであつて、あの談話はまるきりそれを歪曲しておつた、こういうように自分には思われたのであります。従つてあの記事を読んだときに、自分ははたしてこういうことをアカハタの記者にしやべつたかどうか、そういうことは全然考えつかないほどに歪曲されておつた、こういうように思います。従つてその人がおつたならば、またその人はある程度自分の言を筆記しておつたと思いますから、彼が自分が今言つた言葉誤りであると言うならば、私にその原稿を余して、自分に対して難詰せられても、自分としてはただちにそれに対して釈明を與えるだけのあれがありますから……。
  773. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 こういうことが書いてありますね。「ロシヤ語のできる山森友太郎証人は二十三日午前中の委員会で「ソ軍将校が話したことは、日本共産党要請によつて本年十一月までに日本人俘虜全員帰還せしめるというソ同盟政府の声明に対して反動分子はこの適用を受けられないと言つた」と証言したのを聞いて、久保田氏は晝の休憩中委員室で山森氏に向つて徳田反動は帰さぬようにソビエトに要請したのだといつてくれ」と手を合せて頼んだ、そのためか山森氏は午後には「私は後の方で聞いていたからよく聞き取れなかつた、久保田証人言つたのが確かだと思う。」と証言している。」こういうふうに言つておる。これは実際のことですか、どうですか。
  774. 山森友太郎

    山森証人 その連合通信の記者が来たときはまだ口説き落したとか、手を合せて自分に頼んだといううわさを自分は全然聞いておらなかつたので、それについては釈明もしなかつたのでありますが、そういう事実は全然なかつたのであります。
  775. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 そうするとまつたく作文ですね。それでは先ほどあなたのおつしやつた言葉には間違いありませんね。
  776. 山森友太郎

    山森証人 間違いありません。
  777. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 もう一つお聞きしたいのは、先ほどの証人にも聞いたが、スターリンヘの誓いということがあつたそうですね。そういう事実はありましたか。たびたびあつたと聞いたが……。
  778. 山森友太郎

    山森証人 スターリンへの誓いが何にあつたというのですか。
  779. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 始終機会あるごとにスターリン元帥に対する誓いというようなことを言つたそうじやありませんか。
  780. 山森友太郎

    山森証人 その誓いの内容は何ですか。
  781. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 感謝決議といつたものとか、誓い……。
  782. 山森友太郎

    山森証人 作業パーセントは今月は何パーセントにしよう、あるいはわれわれ捕虜に対する心づかいに対してスターリンに感謝しよう、そういつたような感謝決議文というものはしばしばなされました。
  783. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 誓いという言葉は、原語でどういう言葉を使つておりますか。
  784. 山森友太郎

    山森証人 クリヤトワ……。
  785. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 これは正式に訳したらどういう言葉ですか。
  786. 山森友太郎

    山森証人 正式に訳すとは——クリヤトワは誓い……。
  787. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 普通今ここで宣誓しますね、それも誓いの一つですね。
  788. 山森友太郎

    山森証人 そうです。
  789. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それにもこの言葉を使いますか。
  790. 山森友太郎

    山森証人 使うと思います。
  791. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 モリツトワという言葉を使うそうですが……。
  792. 山森友太郎

    山森証人 モリツトワというのは祈りということではありませんか。自分は使つたことはありませんし、いつもクリヤトワという言葉を使つております。
  793. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 モリツトワという言葉を使つておるという人もあるのですが……。
  794. 山森友太郎

    山森証人 ソ連プラウダの新聞などに出ておるときは、ただピスモという言葉を使つております。ただ手紙という言葉を使つております。それでその内容としては、誓いめいたことを言つておりますが、自分が訳した場合には、いつもクリヤトワという言葉を……。
  795. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 ほかに何かありますか。——内藤隆君。
  796. 内藤隆

    ○内藤(隆)委員 一点だけお伺いしたいと思います。この植松が発言をする場合に、姓名でも名乘つてやりますか。そのときの光景を記憶があつたらひとつ。
  797. 山森友太郎

    山森証人 姓名は名乘らなかつたよう記憶しております。ただ次々に手をあげて質問をしておつた。こういう形式であつたと思います。
  798. 内藤隆

    ○内藤(隆)委員 それから菅通訳が、その上級中尉言葉を通釈するのに、全部終つてからやりましたか。あるいはまた途中々々で区切つてやりましたか。
  799. 山森友太郎

    山森証人 前の方の講話に際しては、途中で何回にも区切つて翻訳しておりました。すなわちある程度の区切りまで政治部将校がしやべると、それに対して翻訳する、またある程度までしやべると翻訳をつけるという形式でやつておりましたが、質問に対しては一気に翻訳しておつたと思います。
  800. 内藤隆

    ○内藤(隆)委員 そのとき菅通訳は何かノートでもとつてつた記憶はありませんか。
  801. 山森友太郎

    山森証人 自分は先ほど申し上げましたように、最後端におりましたので、彼が何をやつてつたかということは見えませんでした。ただわれわれは翻訳する場合には、まだ未熟なものですから、常に筆記をとりながら、言つたことの内容をある程度自分で翻訳しながら書きとめておつた。そういうこともあじましたし、あのときの状況では、たしか自分の聞いた範囲では、彼は筆記をとりながらやつてつたように思います。
  802. 内藤隆

    ○内藤(隆)委員 それからその筆記をとつておりながらやつてつたその通訳の力、あなたは菅さんの通訳としての語学の力は相当なものだと認められますか。
  803. 山森友太郎

    山森証人 あの程度の談話の内容、あるいはそれに対する翻訳としては十分だつたと思います。
  804. 島田末信

    ○島田委員 あなたはソ連でいわゆる本物の民主主義者という立場で待遇されましたか。
  805. 山森友太郎

    山森証人 全然受けておりません。
  806. 島田末信

    ○島田委員 それではやはり反動の部分に属しておつたわけですね。
  807. 山森友太郎

    山森証人 属しておつたと思います。
  808. 島田末信

    ○島田委員 それで、その政治将校答えられたときの態度ですね、それはどうでございましたか。いわゆる内地でいえば、懇切丁寧な言いぶりをするとか、木で鼻をくくつたような話をするとかいいますが、いずれの態度でありましたか。
  809. 山森友太郎

    山森証人 別段ぞんざいな態度とか、特に丁寧な態度という点は見受けられなかつたと思います。
  810. 島田末信

    ○島田委員 それからそれを通訳された菅君の通訳ぶりはどうでしたか。
  811. 山森友太郎

    山森証人 やはり特に重々しい態度、あるいは軽卒な態度というものは見られなかつたと思います。
  812. 島田末信

    ○島田委員 カラカンダに集まつた方方は、やや反動ぶりのはつきりした方が多かつたようにお聞きしますが、それの質問に対して、やや調子を落して言うとか、軽くあしらうとかいう態度はありませんでしたか。
  813. 山森友太郎

    山森証人 そういう態度はなかつたかと思います。
  814. 島田末信

    ○島田委員 それで要請という言葉ですが、要請とはつきり使いましたか。あるいは要求というような言葉通訳しましたか。
  815. 山森友太郎

    山森証人 要求ともとれますし、要請ともとれると思います。
  816. 島田末信

    ○島田委員 通訳そのものは日本語であなたはどうお聞きになりましたか。
  817. 山森友太郎

    山森証人 要請と聞いたと思います。
  818. 島田末信

    ○島田委員 要請とお聞きになりましたね。それははつきりしておりますね。
  819. 山森友太郎

    山森証人 はい。
  820. 小玉治行

    ○小玉委員 九月十五日に、徳田反動は帰すなという要請をした。それで結局ソ連声明はあるけれども、反動分子帰国が遅れるんだということをソ連将校言つた。それを菅通訳通訳された。そのことをあなた方は聞いて、日本共産党徳田はけしからぬやつだということで、そこに集合した日本人俘虜の中に、日本共産党ないしは徳田に対して相当の反感が勃発したというような事情はありませんでしたか。お互いの間でけしからぬやつじやないか、徳田はけしからぬ、日本共産党はけしからぬというようなことを、大きく言うと怒られるかもしれないが、ささやき合うとか、あるいは語り合うとかいうことをされたような事実はなかつたですか。
  821. 山森友太郎

    山森証人 表立つて大きな声でしやへるということは、あの当時の収容所においては絶対許されませんでしたので、各人の間で小さなグループを持ちながら、そのことについて話し合つておりました。
  822. 小玉治行

    ○小玉委員 どういうふうにですか。私が言つたように、日本共産党はけしからぬじやないか、あるいは徳田はけしからぬというようなことを、お互いの間にささやき合つたのですか。
  823. 山森友太郎

    山森証人 日本共産党あるいは徳田に対するそういつた反感と同時に、また今年もわれわれは帰れないのじやないか、そういつた考え方が非常に重く取扱われておつたように思います。
  824. 小玉治行

    ○小玉委員 そうしますと、あなた方のそのときの感じとしては、結局ソ連当局の声明があるにかかわらず、徳田のさようなあなた方の帰還を妨害するような要請があつたために、自分たちが帰れないんだということでがつかりされたわけですね。
  825. 山森友太郎

    山森証人 もちろんその点もありますし、またソ連自体の労働力補給のための政策といつたような二つの面から、われわれの帰国はまた遅らされるのじやないか、こういうふうに感じました。
  826. 小玉治行

    ○小玉委員 徳田要請と、ソ連の労働力強化という二面から帰還が遅らされるのじやないかとそのとき考えた、こうおつしやるのですね。
  827. 山森友太郎

    山森証人 そうでございます。
  828. 小玉治行

    ○小玉委員 そういうふうな徳田要請というものは、ポツダム宣言からいつても反しておるわけですが、そういうことに対して、あなた方が徳田要請はけしからぬ、そういう要請によつてわれわれの帰還を遅らされるのは困るということで、あなた方が団結して、ないしは代表者をもつてソ連当局に抗議して、そうしてそういう要請を粉砕して帰国を促進するといつた手段はとり得ないのです。その際には……。
  829. 山森友太郎

    山森証人 もちろん決死的な覚悟をしておれば、それほどの手段もとれるでしようが、収容所における九〇%ないし九五%くらいは、そういつた民主主義者あるいは自称民主主義者であつたために、われわれ少数五%くらいの者が寄り集玄つてどうこうしてみたところで、全然相手にされない。こういうふうに考えたので、別段それに対して強硬なる抗議を申し込むといつたようなことはいたしませんでした。
  830. 梨木作次郎

    ○梨木委員 証人は日の丸梯団というのに入つておられるのですか。
  831. 山森友太郎

    山森証人 入つておりました。
  832. 梨木作次郎

    ○梨木委員 その日の丸梯団に入るようになつたいきさつを聞かしていただきたいのです。
  833. 山森友太郎

    山森証人 入ソ以来四年間にわたつて、われわれが言うに言われないところの忍苦の生活をしいられて来た。またその生活だけでなくて、日本に対するあらゆる中傷讒謗をあえてし、ソ連に対しては絶対にこれを讃美する、こういつたようソ連政治教育に対して、非常な憤激の念を持つておりましたので、ソ連並びにこういつた政策を支持しておるところの日本共産党に対して、当然憤激が沸いたわけであります。またいまだに自分らとともにソ連に来て苦しんで来た同胞たちが残されておる。こういつた現状にかんがみまして、当然日の丸梯団に入つたわけであります。
  834. 梨木作次郎

    ○梨木委員 日の丸梯団というのができたのは、だれが言い始めて、どこでできたのですか。
  835. 山森友太郎

    山森証人 言い初めとか、首唱者といつたようなものは別段にありません。ただそういつた忍苦の生活に対して憤激を感ずる者並びに未帰還者に対して同情の念を寄せる者、こういつた者が期せずして船であちこち集まつては語り合い、それが導火線となつて日の丸梯団というようなものができた、こういうように思います。
  836. 梨木作次郎

    ○梨木委員 そこのところを具体的に聞きたいのでありますが、ソビエトにおる時分にできたのか、それから帰るときに船の中でだれかが言い始めて日の丸梯団が結成されたのか、それを聞きたい。
  837. 山森友太郎

    山森証人 ソ連の領土内においては、こういつた組織をつくることは絶対に禁ぜられておりますので、存在しておらなかつたと考えます。ただ日の丸梯団というような名は別として、そういつた憤激を感ずる者が寄り合つて話合つてつた。船に乗つたら、こうやつて赤の連中に抑圧されてその日を送るといつたような、従来の制限をけ散らして、われわれとして伸び伸びとした思い思いのことを言い、思い思いのことをする、そういつた集団をつくろう。こういつたような機運は、すでにソ連領土内においてありました。それがナホトカにおいては特に強くなり、また船が近々入つて来るというよろなうわさが飛ぶにつれて高まつて来たのであります。そうして実際にそういつた組織ができたのは、船に乗つてからただちに話合いができて、そういつた組織ができたのであります。
  838. 梨木作次郎

    ○梨木委員 その次に伺いますが、これは団長か何かというのがきまりましたのですか。
  839. 山森友太郎

    山森証人 きまりました。
  840. 梨木作次郎

    ○梨木委員 だれでしようか。
  841. 山森友太郎

    山森証人 梯団長は久保田善藏氏であります。
  842. 梨木作次郎

    ○梨木委員 久保田善藏氏とお知合いになつたのはその船の中ですか、それともソビエト地区でお知合いになつておられたのですか。
  843. 山森友太郎

    山森証人 久保田氏と知合いになつたとか、別段そういつたことはありません。別段長々としやべつたこともありませんし、ただ筋あいつたような久保田氏のような存在があるということだけは知つでおりましたが、彼と話したことも何もありません。
  844. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 船の中で初めてわかつたのですね。
  845. 山森友太郎

    山森証人 久保田氏という存在があるということは、ソ連領から知つておりました。ああいつたような特異な人格の持主ですから、ああいつた人間がおるということは知つておりましたが、別段話したことも何もありません。船の中でも話したこともありません。ただ組織を同じくした日の丸梯団の中に入つたということだけで、彼と打解けて話した、思想がどうこうだ、あるいはソ通における生活がこうこうであつた。そういつたようなくらいで、いろいろな込み入つた話などは全然しておりません。
  846. 梨木作次郎

    ○梨木委員 船に乗つてからは、船長や復員官の方から引揚者全般について、何か調査のようなものが行われた事実はありますか。
  847. 山森友太郎

    山森証人 それは従来も行われておつたと思いますが、印刷物のひな型があつて、それに対して記入する、こらいつた程度の調べはありました。
  848. 梨木作次郎

    ○梨木委員 そのほかに思想的な調査というものが行われておりませんか。
  849. 山森友太郎

    山森証人 それは全然ありません。
  850. 梨木作次郎

    ○梨木委員 ソ同盟におけるところのいろいろな活動の実情を聞くというような調査は行われておりませんか。
  851. 山森友太郎

    山森証人 残留者の覚書を書いてくれ、あるいは死亡者の覚書を書いてくれ、そういつた程度のもので、深くつつ込んでの思想調査といつたようなものは全然なかつたように思います。これは船の中における調査のひな型というものが全部保存してあると思いますから、その点は明瞭にわかると思います。その調査書類のほかに、呼ばれて調査ざれたとか、そういつたふうなことはありません。ちやんとした印刷物によつたひな型の調査、それがあつただけであります。
  852. 梨木作次郎

    ○梨木委員 船に乗ると同時に、ポツダム政令というものが出ておるのだから、政治活動だとか、あるいはおどつたり、デモをやつたりするようなことはいけないというな注意を受けてはおりませんか。
  853. 山森友太郎

    山森証人 公然と全員集めてそういつた注意を聞いた覚えはないように思います。従つて船に乗ると、すぐ民主主義者たちはおどり狂つておりました。そしてそれに対して、たしか全員に対して注意を與えたというようなことはありませんでしたが、小声で船員連中が、ああいうことは禁ぜられておるのだといつたようなひそひそとした話は聞きました。
  854. 梨木作次郎

    ○梨木委員 舞鶴へ上つてから帰るまでは、幾日とめられるのでありますか。
  855. 山森友太郎

    山森証人 たしか八日の夜に着いて、九日の晝ごろ上陸しまして、それから十五日の晝ごろまで滞留しておつたよう記憶いたします。
  856. 梨木作次郎

    ○梨木委員 その九日から十五日の間、舞鶴の收容所の中でいろいろな議事行われたように聞いておるのでありますが、その点を聞かしていただきたいと思うのです。どういうことを調査されたか。
  857. 山森友太郎

    山森証人 調査は行われました。各人各人の調査の内容というものが違うと思います。従つて私個人の調べについて申し上げます。それでよろしいですか。
  858. 梨木作次郎

    ○梨木委員 けつこうです。
  859. 山森友太郎

    山森証人 ちよつとまとめますから……。  お答えします。大体自分がソ連内で遍歴して来た地区並びにそとに残留している人員、そういつたものについて尋ねられました。それから各地区の概略の地図について質問を受けました。そんな程度だつたと思います。
  860. 梨木作次郎

    ○梨木委員 もう一つ伺います。たとえばソビエト内における兵隊の数だとか、襟章だとか、飛行機の型だとか、飛行場の位置だとか、そういうものを聞かれた覚えはありませんか。
  861. 山森友太郎

    山森証人 そういつた点を聞かれた人もあつたように伺いますが、自分はただ概略の地図だとか、どこに何があるといつたような簡單な質問つたのです。
  862. 梨木作次郎

    ○梨木委員 最後に、共産主義理論を理解し、社会主義をよいと思つておるかとかおらないかとか、こういう点についての調査はありませんでしたか。
  863. 山森友太郎

    山森証人 ありませんでした。
  864. 梨木作次郎

    ○梨木委員 参議院であなたが証言なされたその日、久保田善藏さんと一緒に郵船ビルへ自動車でお帰りになつたというような事実はあるのですか。
  865. 山森友太郎

    山森証人 一緒に乗つて帰りました。
  866. 梨木作次郎

    ○梨木委員 そこで、何か当日の証言についての話はありませんでしたか。
  867. 山森友太郎

    山森証人 全然ありません。
  868. 梨木作次郎

    ○梨木委員 郵船ビルへ行かれた要件はどういうことでしようか。
  869. 山森友太郎

    山森証人 自分の朝鮮からずつと一緒におつた友人がおりましたので、それに一応あいさつし、またいろいろ近況を述べたい、また近況を伺いたい、こういつた意向で行つたのであります。
  870. 梨木作次郎

    ○梨木委員 そうすると、久保田さんが郵船ビルへ用事があるので自動車で行かれるのに乗られたのでありましようか、それともあなたが郵船ビルへ用事があるのに久保田さんが同乗したのか、自動車に一緒に乗つたのか、そこのところはどういうふうになつておりますか。
  871. 山森友太郎

    山森証人 あの自動車はたしか郵船ビル專用の自動車じやないかと思います。あそこに滯在しておつたものが自動車を呼んだわけだと思います。それで、ちようど自分の友人が郵船ビルにおりましたから、それに同乗さしてもらつたわけであります。
  872. 梨木作次郎

    ○梨木委員 そうすると、久保田さんは郵船ビルにとまつてつたのですか。
  873. 山森友太郎

    山森証人 とまつてつたと思います。
  874. 梨木作次郎

    ○梨木委員 それで久保田さんが郵船ビルに行くのであなたが同乗した、こういうことになるのですか。
  875. 山森友太郎

    山森証人 そうです。
  876. 梨木作次郎

    ○梨木委員 それからお晝の時間に、あなたは久保田さんに会つておられますか。
  877. 山森友太郎

    山森証人 控室が一緒ですから、当然会つております。
  878. 梨木作次郎

    ○梨木委員 そこで何か会話が行われておりますか。
  879. 山森友太郎

    山森証人 先ほど言いましたように、君のは徳田球一という名前が落ちておつたが、あれはどうしたのか、こういうような質問を受けたということを先ほど申しましたね。それに対して、それは自分がそこつであつた、明瞭な言い落しであつた、だから今後それはただちにつけ加える。こういうように簡單に自分は述べました。
  880. 梨木作次郎

    ○梨木委員 さつきあなたがおつしやつたうちで、大分こんがらがつてつたのではつきりのみこめなかつたのですが、あなたが仰せられたことと言い漏しましたことの関係がちよつとわからなかつたので、もう一ぺん恐れ入りますが……。
  881. 山森友太郎

    山森証人 あの証言の際に、自分は一番初めにこういうように述べたと思います。政治部将校の談話の内容は、大体久保田氏が述べた通りでありて、重要なポイントであるあなたの質問に対する回答として、自分は遠くで聞いておつた。その際、直訳的には日本共産党要請によつて帰国が遅らされた、たしかこういうように返答したように思います。従つて直訳的にということを明瞭に断つておいた。それですから、そのあとに自分は、菅通訳通訳では、徳田球一の要請によつて反動帰国が遅らされるのだ、こういうことをつけ加えようと思つて、あそこに明瞭に、直訳的にはこうこうだつたということを言つたのであります。ここは何だか弁解のような形式になるのですが、自分としてはそういうつもりであそこに直訳的という言葉を入れておいたと思う。従つて自分としてはそのあとに、菅通訳通訳では、日本共産党徳田球一の要請により反動は遅らされるのだということをつけ加えた、こういうように思つてつたのであります。
  882. 梨木作次郎

    ○梨木委員 ここを見ますと、最初岡元委員長質問に対しましてあなたは「大体ヒラトフ少尉は、日本共産党要請によつて、本年の十一月までに日本人捕虜全員帰還せしめるという政府の声明に対して、反動分子はこの適用を受けない、この声明には関係がないのだ、こういうような話をいたしました。それを通訳菅季治氏が、ただいま久保田氏が申しましたように、共産党の書記長徳田氏からの要請によつて反動分子を帰してくれるな、そういつたよう通訳をいたしたわけであります」とこういうようにあなたは言つておられるのでありまして、ここで日本共産党徳田書記長という名前も出ておりますが、最初の時分に、徳田書記長の名前が出なかつたということについて、久保田さんからおかしいじやないかというように言われたとあなたは今おつしやいましたが、それは何か記憶違いじやないでしようか。
  883. 山森友太郎

    山森証人 久保田氏が、あるいはそのことをしつかじ聞いておらなかつたのかと思いますが、自分はああいうような質問を受けたときに言い落したと思つて失敬した、こういうように謝罪しております。
  884. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員 証人に、三月九日のアカハタに出ておるように、政治将校言つたのはこの通りであつたかどうか、ちよつと見てもらつていただきたい。
  885. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それはかまわぬけれども、その記憶がよほど違つておるようですから、もう一ぺん私から聞きましよう。  菅通訳が新聞に手記を出したのをごらんになりましたか。
  886. 山森友太郎

    山森証人 見ました。
  887. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それからそれにロシヤ語もつけ加えて出しておつたこともごらんになりましたか。
  888. 山森友太郎

    山森証人 見ました。
  889. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それと今あなたの言われるのとちよつと違らのだが、そのときの内容はこれだというのだが、これでもう一ぺんあなたの記憶を呼び起してもらおう。それはそのときの菅氏の手記なんです。
  890. 山森友太郎

    山森証人 これは明瞭に違うように思います。
  891. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 どのへんが違う。
  892. 山森友太郎

    山森証人 この前の方の文書三つ、これはなかつたように思います。張つたの日本共産党徳田書記長要請したのだ、こういうような出だしになつております。
  893. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 ではこういうことを聞きましよう。あなたの言われるのと最も著しい違いのあるのは、この先に反動分子にはあの声明適用ないのだ、こういうことは間違いなくありましたか。ここには出ておらぬのだが……。
  894. 山森友太郎

    山森証人 ありました。
  895. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それは間違いない。
  896. 山森友太郎

    山森証人 ええ。
  897. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 そのときに、それが日本共産党徳田書記長要請によつてである、こう言つたか。そう言つて、それからいつ諸君が帰られるか、それは諸君自身にかかつておる。そうして日本共産党書記長はこういう要請をしておる、こう言つてその内容を言うたのではないか、その点はどうです。
  898. 山森友太郎

    山森証人 もう一度そこのところを詳しく言つていただきたいのです。
  899. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 あの声明反動分子には適用ないのだ、まずそれを言つて、それからいろいろの話をしたか。それからその適用がないの、だということは徳田書記長要請があるからだ、こう言つたか、どつちがほんとうだと……。
  900. 山森友太郎

    山森証人 徳田書記長要請によつてこういうことがないのだ、こういうように言つたように……。
  901. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 反動分子には適用がないのだ、そう言いましたか。
  902. 山森友太郎

    山森証人 ええ。
  903. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それから諸君がよく準備された民主主義者として帰国するように、反動分子としてではなくということは聞きませんでしたか、どうです。これは長くたつから記憶がなければ何だが……。
  904. 山森友太郎

    山森証人 記憶はありません。
  905. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 そういう記憶はありませんか、今思い出しもいたしませんか。
  906. 山森友太郎

    山森証人 思い出しません。
  907. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 ではもう一つ聞きますが、日本共産党徳田書記長は期待しておると言いましたか、要請して来たと言いましたか。
  908. 山森友太郎

    山森証人 要請した、こういうように言いました。
  909. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 間違いありませんね。
  910. 山森友太郎

    山森証人 ええ。
  911. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 この点だけは、ここに書いてあることは間違いないとあなたは断言できますね。
  912. 山森友太郎

    山森証人 断言できます。
  913. 梨木作次郎

    ○梨木委員 私は、先ほど証人の言われたことを聞いておつたのでありますが、最初の話は例のいつもの調子の話をされるりだろうと想つて、一番うしろの最後尾におつた。その方のは大分よく聞えたが、質問の方になつてからあまりよく聞えなかつた、こういうようにおつしやつた。それからさらにロシヤ語の方がわからなかつたが、菅通訳日本語の方は、要請ということは聞いた、こうおつしやいましたね。それから参議院の方で述べられたところを見ますと、自分がソ連政治部将校から聞いた直訳を申しますと、こうなつておるのでありまして、そこでお伺いしたいのは、要請ということを確かに聞いたとおつしやるのは、政治部将校言つたことの原詰から今そういう記憶があるのが、それとも菅通訳がそういう要請——たというような通訳をしたことを今記憶しておられるのか、どちらでありましようか。もう少し具体的に申しますと、あなたの参議院のこれによりますと、直訳から来たところの日本の言葉をここに言つておるわけなんです。先ほど私が読みましたね。ところが先ほどのあなたのここの答弁によりますと、答弁のロシヤ語の方はよく聞えなかつた。菅通訳の方は聞えた、こらおつしやる。ちよつとそこのところが、要請云々の点がロシヤの政治部将校の言われたことの記憶なのか、それとも菅通訳通訳したその言葉記憶なのか、要請問題ですね、そこをひとつ聞きたい。
  914. 山森友太郎

    山森証人 その点は、自分の記憶に鮮明に残つておるのは、菅通訳言葉であります。
  915. 田渕光一

    ○田渕委員 この図面から言いまして、タシケントという所からカラカンダまで何キロぐらいあるか聞きたい。
  916. 山森友太郎

    山森証人 自分はアングレンという炭鉱都市からカラカンダまで汽車で輸送されてな行つたのですが、このときは……。
  917. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 アングレンというのはどのへんにあるのですか。
  918. 山森友太郎

    山森証人 アソグレンというのは、タシケントよりさらに奥へ入るのです。
  919. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 南ですか。
  920. 山森友太郎

    山森証人 南だと思います。
  921. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それでそこからどれくらい汽車でかかつたのですか。
  922. 山森友太郎

    山森証人 十日ぐらいかかつたよう記憶しております。
  923. 田渕光一

    ○田渕委員 汽車からおりてカラカンダまでどのくらい歩いたのですか。
  924. 山森友太郎

    山森証人 汽車を夕暮れにおりて、暗くなつてから着いたのです。あのときはふとんとか、毛布とか、いろいろな雑用品をになつてつたのですが、里半ぐらいあつたよう記憶します。かなり長い間で、年とつてつた人たちは相当困つてつたようであります。
  925. 田渕光一

    ○田渕委員 絶えずあつちこつち動くときは、汽車以外は行軍でしたか、トラツクなどに乘つてつた場合がありましたか。
  926. 山森友太郎

    山森証人 それはある程度地区状況にもよります。自動車の非常に多いような地区では、たまに自動車に乘せて移動させることもございますが、大体において大きな荷物を背負いながら、徒歩で移動することが多かつたようであります。
  927. 田渕光一

    ○田渕委員 菅君に対する信憑上の問題で伺うのですが、菅君に対する通訳としてのあなた方九百人の批評はどうでしたか。端的に表現すれば、菅という男はどういう男だと言い得られましようか。
  928. 山森友太郎

    山森証人 菅君の性格とか、そういつたものについては一般の人のうわさもなかつたし、まだ日が浅かつたので、性格とかそういう点を穿鑿してみたこともございませんのでわかりませんが、大体非難もなかつたというところから見て、相当実直な人ではないか、こういうふうに感ぜられます。大体あの当時通訳としてやつておるのは、赤の連中でなければならないというような第一條件がありまして、また批判とかそういうものがしばしばありますので、あまり軽率な態度はとれなかつたように思います。その点菅君は相当信頼をし得る者であると自分は感じておりました。
  929. 田渕光一

    ○田渕委員 そこでその仲間同士の中に多少彼は手腕家であるとか、あるいはやり手であるとか、要領がいいという意味で、あとアクチーヴにかわつて来たのだから、ひより見主義だというような批判もあつたが、あるいは哲学的な偏見者で非常にまじめだ、徹頭徹尾個人的に非難する点がなかつたかどうか、お気づきのところがあつたら端的に伺いたい。
  930. 山森友太郎

    山森証人 今申しましたようにわれわれは来たばかりでしたし、彼の性格とかいう点は、率直に言つてわれわれにはわからなかつたようであります。
  931. 田渕光一

    ○田渕委員 あまり口もきかず、交際期間も短かいのでわからなかつた。しかしまじめな男だというぐあいに見ておつた、こう伺つてよろしゆうございますか。
  932. 山森友太郎

    山森証人 自分の主観としては、確かにそうだつたと思います。大体ほかの人のうわさが立たないということは、実直な人であつたというように見てよいと思います。
  933. 田渕光一

    ○田渕委員 私の伺うのは、通訳であるから下手を彼に言われるといかぬ。そこで非常に彼はおとなしくて、あなた方の様子を見ておつたのか。あるいはまたあなた方がどうしてもその当時収容所の中で、彼にさからうと申しますか、通報をされては困るというようなおじけでもあつて、彼を非難もせず、あるいは黙つていたというようなことはありませんでしたか。率直に申し上げて、はれものにさわるような、彼にうつかりさからえば帰れない、じつとしてさへいれば帰れるのだという式でしたか。
  934. 山森友太郎

    山森証人 日の浅いのと、彼が全然われわれと別個の生活をしておつた。別個の生活というと語弊があるかもしれませんが、離れたところにおつたような感じを持つておりましたので、ある程度さわらぬ神にたたりなしというような気分もあつたかもしれませんが、大体において全然離れておるというような感じを持つてつたのです。
  935. 安部俊吾

    ○安部委員 一点だけ伺いたいのです。通訳というものは原則として共産主義者で、そして收容所長とか、官憲に協力するものでなければできないのじやないですか。
  936. 山森友太郎

    山森証人 民主主義の運動が盛んになつて来ましてからは、大体において、そういつた、ある程度ソ連側にも覚えのめでたい者、日本側においても民主運動を積極的にやつておるものでなければならなかつた。資格に制限があつた。しかしそれは全然通訳に人を欠いておるような場合には、まるきり彼らの運動に反対しておつて通訳しておる場合がありますが、大体カラカンダ地区においては、通訳も相当飽和状態に達しておりましたから、ソ連側の覚えのめでたいものと、日本側においてもそういつた赤の運動に積極的に参加しておる者、こういつた條件が明瞭にされておつたと思います。
  937. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それでは済みました。御苦労さまでした。  ただいまお見えの証人は渡部武士さんですか。
  938. 渡部武士

    ○渡部証人 そうでございます。
  939. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 ただいまより日本共産党在外胞引揚妨害問題について証言を求めることになりますが、証言を求める前に、各証人に一言申し上げますが、昭和二十二年法律第二百二十五号議院における証人宣誓及び証言等に関する法律によりまして、証人証言を求める場合には、その前に宣誓をさせなければならぬことと相なつております。  宣誓また証言を拒むことのできるのは、証言証人または証人配偶者、四親等内の血族もしくは三親等内の姻族または証人とこれらの親族関係のあつた者及び証人の後見人または証人の後見を受ける者の刑事上の訴追または処罰を招くおそれのある事項に関するとき、またばこれらの者の恥辱に帰すべき事項に関するとき、及び医師歯科医師、薬剤師、薬種商、産婆、弁護士、弁理士弁護人公証人、宗教または祷祀の職にある者、またはこれらの職にあつた者がその職務上知つた事実であつて黙秘すべきものについて尋問を受けたときに限られておりまして、それ以外には証言を拒むことはできないことになつております。しかして、証人が正当の理由がなくて宣誓または証言を拒んだときは、一年以下の禁錮または一万円以下の罰金に処せられ、かつ宣誓した証人が虚偽の陳述をしたときは、三月以上十年以下の懲役に処せられることとなつておるのであります。一応このことを御承知になつておいていただきたいと思います。  では法律の定めるところによりまして証人宣誓を求めます。御起立を願います。     〔証人渡部武士君朗読〕    宣誓書   良心に従つて、真実を述べ、何事もかくさず、又何事もつけ加えないことを誓います。
  940. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 署名捺印願います。     〔渡部証人宣誓書署名捺印
  941. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 あなたの現在の職業及び年齡は。
  942. 渡部武士

    ○渡部証人 ありません。年齡は満三十二であります。
  943. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 あなたが在ソ中カラカンダ地区で——カラカンダ九分所とか聞いておりますが、昨年九月十五日、いわゆる徳田要請なるものをソ連政治部将校から聞かわれたということでありますが、そういう事実はありましたか。
  944. 渡部武士

    ○渡部証人 あります。
  945. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 そこで、そのときの部屋の状況及びおもだつた人の配置等を、あなたは何か記憶によつて書いて参議院へ出されたそうですね。
  946. 渡部武士

    ○渡部証人 あります。
  947. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 その参議院で書かれたのをこちらへ写して持つて来てあるのですが、これを見ていただいて、これに間違いのあるところがあれば、訂正していただきたいと思います。
  948. 渡部武士

    ○渡部証人 このシヤフイーフ中尉というのは、シヤフイエフ中尉、エルマーラエフ中尉は上級中尉です。
  949. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それだけですか。
  950. 渡部武士

    ○渡部証人 そうでございます。
  951. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それでこういう状態においていろいろ話のあつた事実を承りたいのです。
  952. 渡部武士

    ○渡部証人 大体当時の收容所の総員は九百名くらいでありましたが、それが一箇所のクラブの中に収容しきれないので、二回にわけて実施する予定でありました。そして第一回目が十時からその日開催になりまして、私はその第一回目に出席いたしました。まず最初に第九分所の民主委員をやつておりました佐古清というものが司会をやりまして、司会位置はあの図にある通りであります。政治部将校の紹介と若干の報告がありまして、それで司会位置から下つてあすこへ行つております。次に政治部将校が概要次のようなことについて講演がありました。なお収容所長代理はその際出席しておりません。最初は菅と收容所次長、政治部将校、これだけであります。政治部将校は世界の情勢、それから日本民主化の状態、ラーゲルの生活、規律、作業、今後の運営等について報告がありました。なおその講演途中において、收容所長代理シヤフイエフ中尉が入つて来まして、あの図のような位置に着席いたしました。その後その講演が終りまして——その政治部将校の講演のときには、菅通訳は大体筆記いたしまして、十分置きくらいに、その筆記に基いて通訳をしております。その後収容所長代理政治部将校に対する質疑応答の時間が設けられまして、きわめて座談的に質問を出し、向うでも応答しております。一般質問に対しては主として収容所長代理がこれに応答しております。たとえて申しますと、ジユバンをくれとか、あるいは雨漏りの箇所をどうこうしてくれとか、防寒設備を完備してくれとかいう例であります。收容所全般に対しては収容所長がその場で応答しております、ところが峯田という男が帰還に対する質問をやつております。これは第一回目であります。場所はあの位置であります。峯田の質問内容は、われわれはアングレンを出発する際に、ソ連将校から中間集結地に行くのだと言われて来たのであるが、今までそのようなことがしばしばであつた、今度もここへ来て、われわれが一番先に知りたいのはいつ帰れるかということである、これは私一人の気持でなくて、みんなの気持であろうという意味質問をいたしました。それに対して政治部将校は最初簡單に、そのようなことに対しては返答ができない、帰還に対しては知らないというような簡單な受け答えがあつたのでありますが、さらにその後植松がうしろにおりまして——その前に私どもの耳には新聞その他を通じて、大体五月から十一月ごろの間に、取調べ中の一団を除く九万五千は全部復員させるだろうということを発表になつておりました。それについて植松が、こういうことをソ連政府から発表になつているが、このことはどうかということを質問したわけです。それに対して特に政治部将校が、所長に会釈するようにして、その場で起立して、帰還問題に対する説明をいたしました。説明中はあの位置で起立しております。日本共産党徳田書記長からの要請によつて反動は返してくれるなということを言うて来ている、従つて皆よい民主主義者にならなければならない、反動は帰れないであろうということであります。その間通訳は筆記せず、あの図に示す位置で通訳しております。  次にそれが終りまして、相当な時間がたちまして閉会なつたのでありますが、閉会の前に、政治部将校から菅通訳を通じて、今までの集会状況を宿舎にいる聞かない人たちによく話しておくように、従つて第二回目の集会は実施しないという触れがあつて解散閉会になりました。大体以上であります。
  953. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 今あんたの言われたことは、菅通訳の言われた言をそのままお述べになつたのですか。
  954. 渡部武士

    ○渡部証人 そうであります。
  955. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 あなたはロシヤ語はできますか。
  956. 渡部武士

    ○渡部証人 できますが、むずかしい語句までできません。話は通訳なしでも大体聞けます。
  957. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 政治部将校言つたロシヤ語は聞いておりましただろうが、よくわかりましたか。
  958. 渡部武士

    ○渡部証人 よくわかりました。どのようなことを話しているということはわかりますが……。
  959. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 その言葉と菅通訳通訳とは違いはありませんでしたか。
  960. 渡部武士

    ○渡部証人 ありません。
  961. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 これは大分長いことたつので、あなた方手記して来ておられるわけでもないから、間違いもあるだろうが、いろいろ証人間の違つた点を一、二指摘しますから、記憶を思い出して答えていただきたい。  まず第一番に、あの声明反動分子には適用がないのだ、こう言つている人があるのですが、そういうことは覚えありませんか。
  962. 渡部武士

    ○渡部証人 それは私の出したのにも書いてあるのですが、そのようなことを言われた覚えが私にもあります。ここにいるより民主主義でない、いわゆる反動的な者には適用されないのだというような意味を付加されたような記憶はありますが、それは私ははつきり覚えておりませんので申し上げられません。
  963. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 言うたような気もするのですね。その次は、その適用のないのは徳川要請があつたからだ、こう言つたか、それを言つてから徳田からこういうような要請がある、こう言つて内容を言うたか、この点はどうです。
  964. 渡部武士

    ○渡部証人 それは私が申しましたように、徳田書記長からの要請によつて云々ということが先に言われております。
  965. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 要請によつて反動は帰すなと言つて来ているから、よい民主主義者にならなければ帰れないのだ、こうですね。
  966. 渡部武士

    ○渡部証人 そうです。それで反動は帰れないだろう、それとさらに私の記憶では、お前らには適用がないのだと言つた記憶があります。しかしながらはつきりしたことは今記憶にありません。おぼろげながらそういうことを記憶しております。
  967. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 あなたは三月八日か九日に、新聞に菅通訳手記として掲げられておつた記事をお読みになつたことがありますか。
  968. 渡部武士

    ○渡部証人 読みました。
  969. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 どの新聞で……。
  970. 渡部武士

    ○渡部証人 アカハタ新聞。
  971. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 朝日新聞は見ませんか。
  972. 渡部武士

    ○渡部証人 朝日じやなくて、新潟日報で菅の言うていることは大体読みました。
  973. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それには日本語ロシヤ語が載つておりましたね。
  974. 渡部武士

    ○渡部証人 私の見たのは日本語であります。
  975. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 ロシヤ語はなかつたのですか。
  976. 渡部武士

    ○渡部証人 ありません。
  977. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 朝日新聞を証人に見せなさい——そこであなたの言われるのと、その新聞記事とではたいへん違いがあるが、あなたの記憶で、絶対間違いなく、違つている点はどの点とどの点であるか、指摘してもらいたいのです。
  978. 渡部武士

    ○渡部証人 帰る時期は、諸君がここで良心的に労働し、真正の民主主義者になるときに帰れるんだというふうな意味のことが書いてあります。それと、日本共産党徳田書記長は期待しているということ、反動分子としてではなく等の弱い言葉ではない。この点が違つております。
  979. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 最初の一行はあつたのですか、ないのですか。「いつ諸君が帰れるか、それは諸君自身にかかつている、」これはどうですか。こういうことはありましたか。
  980. 渡部武士

    ○渡部証人 これは私が申し上げた通りであります。私はこのような直訳したような通訳を今までやつた人がいないということを言いたいのです。これでは当時聞いておつた者はわかりません。このような通訳はあり得ないということであります。日本人が普通に話す場合でも、このような通訳の話はありません。
  981. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 じや、なかつたわけですね。
  982. 渡部武士

    ○渡部証人 そうであります。
  983. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 その次の「日本共産党徳田書記長は、期待している。」これはどういうことですか。
  984. 渡部武士

    ○渡部証人 期待しているということでなく、共産党徳田書記長要請によつて云々ということを言われているのであります。
  985. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 その次の五つ目のは……。
  986. 渡部武士

    ○渡部証人 「諸君が良く準備された民主主義者として帰国する様に」、というのではなく、だから、と結論づけて、だからしてみんないい民主主義者にならなければならないということを強く言うているのであります。準備された云々という言葉日本人に使つたところでわかりません。そういう言葉は当時使つておりません。
  987. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 反動分子には適用がないんだということを言つたかもしれぬな。言つたとすれば、一番先ですね。そうすると、日本共産党徳田書記長要請によつて反動分子にはこの声明適用はないんだ、こういうことになるわけですね。
  988. 渡部武士

    ○渡部証人 そうであります。
  989. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 反動分子は帰すなと言つて来ているから、みないい民主主義者にならなければならない、こういうことですね。
  990. 渡部武士

    ○渡部証人 そうです。
  991. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 間違いありませんか。
  992. 渡部武士

    ○渡部証人 間違いありません。
  993. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 そこで一番問題になつているのは、期待しているということと、要請しているということだが、これは原語によると、期待とも訳されるし、要請とも訳されているが、あなたの言うことに間違いありませんか。
  994. 渡部武士

    ○渡部証人 間違いありません。
  995. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 原語も覚えておりますか。
  996. 渡部武士

    ○渡部証人 原語はわかりません。
  997. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 菅の言葉要請言つたことに間違いありませんね。
  998. 渡部武士

    ○渡部証人 間違いありません。
  999. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 あなたの言われるのを聞くと、実際において菅氏の通訳と、そこに書いてあるのと違つておりますが、これについて何か感想がありますか。
  1000. 渡部武士

    ○渡部証人 この文そのものが日本語ではないということを言いたいのと、このような問題が取上げられたので、そこから割り出した言葉ではないかというふうに考えられます。次に私は親しく当時話したこともありませんので、菅自身を知りませんが、当時の地区民主委員である最も、前衞的なアクチーヴであつたという彼が、現在このようなことを言わなければならない立場を私は十分承知をしております。それから出た言葉であるというふうに解釈します。従つて両方にと言うてはぐあいが惡いですが、今ここに帰つて全然関係ないというふうに彼は言うております。また当時通訳だけだつたということを言つておりますが、最も前進的な、前衞的なアクチーヴであつたところの彼がここへ来て、当時の事実を否定するわけにも行かない、事実あつたことである。だがそれをそうだというふうに言うわけにも行かないというので、内またこうやく的なこのような文句が現われて来ておるのじやないかと思います。これは私見であります。
  1001. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 菅は向うでは最も進歩的な、過激なアクチーヴであつたことは間違いありませんか。
  1002. 渡部武士

    ○渡部証人 それはカラカンダ地区の最も前進的、前衞的なアクチーヴ、いわゆ共産党教育——被教育者を各收容所から集めて、第九分所において政治教育行つております。期間は三箇月、固定給をもらつて、もつぱら政治教育をやる機関であります。そこの講師として選ばれた彼であります。その一事によつて彼が最も前衞的なアクチーヴであるということは結論づけられます。
  1003. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 民主グループに入る者は共産主義、民主グループに入らぬ者はすべて反動分子だ、これは実際ですか。
  1004. 渡部武士

    ○渡部証人 実際です。
  1005. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 そうすると民主グループ中のアクチーヴというものは最も共産主義の遵奉者、積極行動者である、こう見てさしつかえないのですね。
  1006. 渡部武士

    ○渡部証人 そうです。
  1007. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 菅はその行動者の中の最も前衞であつたわけですか。
  1008. 渡部武士

    ○渡部証人 それを教育する講師であつた、いわゆる前衞的指導者であるということを言い得ます。
  1009. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 どうも私らもそうだと思うが、さつき言うところを聞くと、私は共産主義には共鳴しておらぬ。ただあのときはそういうことがよいと思つたから、その通りやつてつた、こう言つておる。そうかといつて政治講習をやつたと言うし、やつておらぬと言うし、実際あいまいであつたが、そんなひより見主義ではありませんでしたか。
  1010. 渡部武士

    ○渡部証人 ひより見主義ではありません。当時そのような性格の持主であつたならば、また今までにそのような運動の経歴がなかつたならば、地区政治講習の講師として選ばれるはずがありません。そのようなことを見のがすような民主運動ではなかつたと言います。
  1011. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 その後帰つて来てからの彼の行動をあなたは聞いておりますか。
  1012. 渡部武士

    ○渡部証人 全然聞いておりません。新聞によつて……。
  1013. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 帰つて来てからは、政治的なものには何ら関心がないようなことを言つておりますが、あなたとしてはさようなことは信じられますか。
  1014. 渡部武士

    ○渡部証人 私の考えでは信じられません。
  1015. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 そうすると、私はもつと進んで聞きたいのだが、そういう前衞分子でありながら、ここでそれをいかにもそうでないようなことを言つておるということは、私ふに落ちないのだが、これについてあなた何か思い当ることはありませんか。どうしてそういう前衞分子でありながら政治に関心がないということを装つておるのか、その心境その他の事情について、あなた何か思い当ることはありませんか。
  1016. 渡部武士

    ○渡部証人 何か目的があつてこのようなことをしておるのか、これが一つ。あるいは彼の弱い性格からして、当時は夢中になつてつてつたけれども、親のもとに帰つて、内地の状況を見て、ほかの道を考えて、彼は全然その方面にタツチせず、政治に無関心のように現在ほおかぶりしておるか、この二つであると考えます。
  1017. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 しかもその手記は、別にだれからも問われもせずに、彼が自発的に出しておるのだ。これについてはあなたの考えから言うと、やはりそういう立場におるものだから、そういうものを自発的に出したと考えますか。
  1018. 渡部武士

    ○渡部証人 そうであります。私は、このような問題が取上げられたので、この文句が生れて来たというふうに考えます。
  1019. 内藤隆

    ○内藤(隆)委員 菅通訳は、政治部将校通訳をするときに何か筆記しておりましたか。
  1020. 渡部武士

    ○渡部証人 ここには収容所長……。
  1021. 内藤隆

    ○内藤(隆)委員 それではこう開きましよう。菅通訳のさいぜんの証言では、最初の方は部分々々にわけて、それを筆記をしておつた、こう言うのです。ところがあなたの証言では、菅通訳があの場所におつて、何ら筆記もせず、ただちにそれを通訳したということですが、そこはどうですか。
  1022. 渡部武士

    ○渡部証人 申し上げます。新聞にありますが、所長代理がこれこれこういうことを最初話したというのは間違いでございまして、政治部将校が国際情勢その他の若干の講演をやつたわけです。その講演の際の菅通訳通訳要領は、筆記をいたしまして、そうして大体十分置きぐらいにまとめて、その筆記に基いて通訳をやつております。その後質疑応答の時間に入りましたときには、菅通訳は全然筆記なしで——簡單な事項ばかりでありますし、また筆記するような事項でもございませんので、筆記せず、即座に通訳をしております。
  1023. 内藤隆

    ○内藤(隆)委員 そうするとさいぜんの菅通訳証言は、虚偽を申し述べたという事実が一つ現われて来ました。さいぜんは、重要なことであるからこれをノートしたと、こう言つてみたり、あるいはまた通訳するときにメモとして筆記したとか、それがあいまいであつたのですか、あなたの証言を聞くと、質問の際には——そうでしよう。簡單なことですから、おそらくそういうものまでも——講演ならともかくも、そういう質疑もノートしてきちようめんにやつたとはわれわれも常識的に判断できない。あなたの証言が真実だと思います。
  1024. 安部俊吾

    ○安部委員 ちよつと二、三の点を伺いたいのでありますが、証人カラカンダにどれほどの期間おりましたか。
  1025. 渡部武士

    ○渡部証人 カラカンダは二十四年の九月から十二月の出発までであります。
  1026. 安部俊吾

    ○安部委員 そうすれば、その間菅通訳と一緒にカラカンダにおつた時期は相当長いのですね。
  1027. 渡部武士

    ○渡部証人 菅通訳については、同居してないということを申し上げます。菅通訳は大体第九分所所属の人ではなかつたのでありますつほかの分所の人で、第九分所には何ら関係のない男であつた。私どもが第九分所に転属した際に、たまたまほかの分所から来ておつた人であります。
  1028. 安部俊吾

    ○安部委員 第九分所には通訳する人がいなかつたのですか。
  1029. 渡部武士

    ○渡部証人 通訳のために各分所をまわつたということを聞いております。第九分所には宇野団長も通訳であります。それから佐藤、淺井の三名が通訳の專業として各作業その他を行つております。なお取調官の通訳としては相当数の通訳が專業でおります。従つて通訳にことを欠くような收容所ではなかつたということであります。また在ソ間において、通訳が各分所をまわつて通訳をしたというようなことは、今まで見受けたこともありません。
  1030. 安部俊吾

    ○安部委員 宇野通訳、佐藤通訳、もう一人の通訳は、それは反動ですか、あるいはアクチーヴですか。
  1031. 渡部武士

    ○渡部証人 宇野は前衞的なアクチーヴであります。次に淺井通訳、これもアクチーヴであります。次に佐藤通訳、これは通訳專業としてベグワード地区からタシケント、カラカンダというぐあいに、通訳專業でありまして、これはひより見的な男であつたと私は解釈します。
  1032. 安部俊吾

    ○安部委員 大体通訳に任命されますと、通訳をするような者はアクチーヴでなければならぬということは了承しておりますが、その間に、さつき証人が申されましたように、菅通訳は前衞分子である、きわめて過激である。そうして労働をしている場合に、たとえば病人であつても、あるいはからだが虚弱な人間であつても、能率をあげるためには非常に強制的に労働をしている、そういうような点に駒いて菅通訳は、非常に收容所長とか、あるいはその他のソビエトの将校の意を体して要領よくやるから、佐藤、淺井、もう一人の宇野、そういう通訳よりもお気に入りだつたのですね。
  1033. 渡部武士

    ○渡部証人 そうであります。
  1034. 安部俊吾

    ○安部委員 そういう点からして、わざわざ第十一分所から第九分所まで来て通訳するということになつたのではないですか。
  1035. 渡部武士

    ○渡部証人 そうです。
  1036. 安部俊吾

    ○安部委員 そうすれば勢いこの人は日本に帰つて来て、そうしてああいうような問題になつてああ言うということは、すなわち徳田要請というものが問題になつて、そうして国際問題にまでなつた。こういう場合に当然そういうような前衞分子である菅通訳は、だれにも要求されず、だれにも頼まれない、だれにも尋問されない條項に関して、わざわざそれの声明を発したというのは、これは菅通訳としては、要領よくやつた。そしてまたアクチーヴであつたというような点から、当然これはなさるべきであつたというように、大体何ら利害関係のない普通の人はそういうふうにとるのが公正心あると思うのでありますが、あなたはどう思われますか。
  1037. 渡部武士

    ○渡部証人 私の考えとしては、ここに見る菅のこの通訳状況、これあたりは、当時の菅にしたら真向からこんなことはないと否定するのがあたり前であるというふうに考えておりました。しかしながらここまで、歪曲はしておりますが、よく事実を認めて言うておるというふうに思います。
  1038. 安部俊吾

    ○安部委員 言葉をかえて言えば、徳田球一を救い出すというようなことを遠慮して言つたわけですな。この声明によつて、この手記によつて、そういうふうな感じがするのではないですか。
  1039. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 まあそれはいいでしよう。大体わかつておる。
  1040. 梨木作次郎

    ○梨木委員 あなたは元陸軍中尉だつたということですが、そうですか。
  1041. 渡部武士

    ○渡部証人 そうであります。
  1042. 梨木作次郎

    ○梨木委員 それは陸軍士官学校を出てから中尉になつたのですか。それとも幹部候補生か何か……。
  1043. 渡部武士

    ○渡部証人 幹部候補生であります。
  1044. 梨木作次郎

    ○梨木委員 どういう往路を経てですか。学校はどこですか。
  1045. 渡部武士

    ○渡部証人 学校は仙台陸軍予備士官学校幹部候補生
  1046. 梨木作次郎

    ○梨木委員 職業軍人ということになりますね。
  1047. 渡部武士

    ○渡部証人 職業軍人ではありません。召集解除になりまして、また召集されたのであります。予備役であります。
  1048. 梨木作次郎

    ○梨木委員 その予備士官学校を卒業してから、どういうぐあいにまわつて来たのですか。
  1049. 渡部武士

    ○渡部証人 予備士官学校を卒業して、部隊付となつて、内地の部隊を主としてまわりまして、昭和十七年八月に中尉に任官いたしました。昭和十七年十二月に召集解除されまして郷里に帰りました。
  1050. 梨木作次郎

    ○梨木委員 召集解除は。
  1051. 渡部武士

    ○渡部証人 昭和十七年十二月五日であります。さらに昭和十九年七月に召集を受けております。
  1052. 梨木作次郎

    ○梨木委員 今中学校の教官としておるのはどこですか。
  1053. 渡部武士

    ○渡部証人 今ではありません。郷里におつたときです。
  1054. 梨木作次郎

    ○梨木委員 現在は。
  1055. 渡部武士

    ○渡部証人 現在は帰つて来たばかりですから職についておりません。
  1056. 梨木作次郎

    ○梨木委員 日の丸梯団に加盟しておられましたか。
  1057. 渡部武士

    ○渡部証人 そうであります。
  1058. 梨木作次郎

    ○梨木委員 日の丸梯団に加盟されるようになつた動機だとか、いきさつを聞かしてもらいたい。
  1059. 渡部武士

    ○渡部証人 日の丸梯団が結成された動機というのは、ほかに理由づけられません。私たちの今まで抱いて来た気持が期せずして何か連中と別なものになつて、手をとつて日本に帰ろうというので結ばれたものであつて、別に日の丸梯団として日の丸がどういう意味合いのものであるというのではありません。動機としては今まで押えつけれられておつた気持が、今後いよいよ自由にわれわれの意思通りにお互いに討論をし、これからの日本のことを船の中から新聞を読んだり、何か話あつて行こうじやないかというところから生れて来たものであります。
  1060. 梨木作次郎

    ○梨木委員 そうしますと、どこで結成されたのですか、この日の丸梯団は。
  1061. 渡部武士

    ○渡部証人 乘船地の船の中であります。
  1062. 梨木作次郎

    ○梨木委員 一番先に話をしたのはだれですか。
  1063. 渡部武士

    ○渡部証人 期せずしてやつたのですから、だれがというようなことは、数えきれません。だれかが呼びかけてやつたものでもありません。
  1064. 梨木作次郎

    ○梨木委員 呼びかけてやつたものではない……。
  1065. 渡部武士

    ○渡部証人 そうであります。
  1066. 梨木作次郎

    ○梨木委員 そうすると、二千人なら二千人がおそらく期せずしてといつても、何かきつかけがなければ集まらぬように思うのですが……。
  1067. 渡部武士

    ○渡部証人 そこが精神的なつながりを今までも持つていたわけです。それが次から次へと集まつて来たわけです。
  1068. 梨木作次郎

    ○梨木委員 それで団長とか何かをきめたのですか。
  1069. 渡部武士

    ○渡部証人 きめました。
  1070. 梨木作次郎

    ○梨木委員 どなたですか。
  1071. 渡部武士

    ○渡部証人 久保田君です。
  1072. 梨木作次郎

    ○梨木委員 さつきあなたは連中に押えつけられておつたということですが、この連中というのはだれですか。
  1073. 渡部武士

    ○渡部証人 私が言う在ソ民主運動者であります。
  1074. 梨木作次郎

    ○梨木委員 どういうようにあなたが押さえつけられたのですか。
  1075. 渡部武士

    ○渡部証人 在ソ民主運動のことについては切りがありませんが、一、二申し述べますと、民主運動というものと帰還と結びつけて、在ソ日本人を非常に苦しめたということ、それから彼らがいわゆるそういう権利を利用して、全然知らない君たちをこれまでに思想的に麻痺させてしまつたというようなことだと思います。
  1076. 梨木作次郎

    ○梨木委員 思想的麻痺させたということは、どういうことです。
  1077. 渡部武士

    ○渡部証人 これは共産主義云々ということではなく、ソ民主運動者が当時の運動方針を後ほど撤回し、批判をして訂正をしたように、最初の運動は権利を主張し、権限を強制して、帰還というものと結びつけて労働をしい、運動をやらなければ反動として地球上から抹殺するのだ、カムチヤツカに送るのだ、内地の土を踏ませないのだというようなことで、おどかして全部をひつぱつて来たわけです。
  1078. 梨木作次郎

    ○梨木委員 そうすると、あなたは戰争中は兵隊を指揮統率なさつた立場にあつたことだろうと思いますが、そのポストはどういうことになつておりましたか。中隊長とか、小隊長とかいう立場にあつたのではないですか。
  1079. 渡部武士

    ○渡部証人 そうであります。
  1080. 梨木作次郎

    ○梨木委員 何をやつていたのですか。
  1081. 渡部武士

    ○渡部証人 大隊副官をやつておりました。
  1082. 梨木作次郎

    ○梨木委員 捕虜になつてソビエトへ入つてから後、将校将校だけの収容所で生活しておつたよりに聞いておるのでありますが、これはどうですか。
  1083. 渡部武士

    ○渡部証人 私の場合はそうではありません。一時反軍鬪争時代にチヤマという特殊収容所に送られましたが、その後ベグワードに参りまして、それから中隊長をやつて来ております。但し作業面の中隊長であります。作業の組長もやつております。作業員としてまた働いております。
  1084. 梨木作次郎

    ○梨木委員 反軍鬪争というのはどういう経過で起つて来たのですか。
  1085. 渡部武士

    ○渡部証人 いわゆる昔の帝国主義時代の軍隊の惡い面を暴露して、そうして旧軍幹部に対して鬪争を彼らが宣言したもめであります。なおこれによつて軍隊組織をこわし、こうしてさらに旧軍隊の内情を暴露しようとしたのであります。
  1086. 梨木作次郎

    ○梨木委員 そのことに対してはあなたは反対だつたのですか。そういう反軍鬪争、軍隊組織をこわすということにはあなたは反対だつたのですか、賛成だつたのですか。
  1087. 渡部武士

    ○渡部証人 当時の心境はわかりません。
  1088. 梨木作次郎

    ○梨木委員 現在はどうですか。
  1089. 渡部武士

    ○渡部証人 在ソ民主運動のあり方である反軍鬪争には反対をします。
  1090. 梨木作次郎

    ○梨木委員 今は……。
  1091. 渡部武士

    ○渡部証人 今も同じです。在ソ民主運動の行き方であるところの反軍鬪争、いわゆるその運動には反対をします。
  1092. 梨木作次郎

    ○梨木委員 在ソ反軍鬪争というのは軍隊組織をなくするということですね。旧軍隊の中の惡いことを暴露するというやり方にはあなたは反対なのでありますか。
  1093. 渡部武士

    ○渡部証人 そうであります。
  1094. 梨木作次郎

    ○梨木委員 軍隊の中の不正を暴露したり、軍隊組織をなくしたりするということには反対だ、こういうことになりますね。
  1095. 渡部武士

    ○渡部証人 そうではない。その裏を考えていただきたいのであります。反軍鬪争をし、民主運動を高揚することによつて何を求めたかということであります。労働を求め、労働を強制する。それと同時に軍の内情を暴露して、一人でも多くの戰犯をあげようとしたのだというふうに私たちは解釈します。
  1096. 梨木作次郎

    ○梨木委員 あなたは戰犯を処罰することは反対なんですか。
  1097. 渡部武士

    ○渡部証人 戰犯を処罰することには反対ではありませんが、戰犯に該当しない幾多の者が多くその網にひつかかつておるのであります。
  1098. 梨木作次郎

    ○梨木委員 あなたは戰犯を処罰することには賛成なんですね。
  1099. 渡部武士

    ○渡部証人 そうであります。
  1100. 梨木作次郎

    ○梨木委員 戰犯を調べるためにはいろいろと調査をしなければなりませんね。調査をすることにも反対なんですか。
  1101. 渡部武士

    ○渡部証人 その調査の手段であります。
  1102. 梨木作次郎

    ○梨木委員 調査の手段、それがどういうぐあいに問題なんですか。
  1103. 渡部武士

    ○渡部証人 それがはなはだ惡辣であつて、非常に巧妙であつた。いわゆる反軍鬪争をし、民主運動を吹き込んで、ソ同盟の強化なくして民主陣営の勝利はないというようなことで、労働を強制し、それから戰争犯罪人、あるいは軍の内情をお前らが暴露しなければならぬ、お前らは真の民主主義者であり、共産主義者であるならば、自分り上官でも自分の部下でもだれでもかまわぬ、昔のことを暴露しなければいかぬというので、利用されたその運動が私はよくないというのであります。
  1104. 梨木作次郎

    ○梨木委員 そうすると将校なんかの中にいろいろ戰犯的な存在がおる。これは将校みずから私は戰犯でありますからということを、すなおに自分で自首して出る人はありますか。
  1105. 渡部武士

    ○渡部証人 それはみずから出る者はないと思います。
  1106. 梨木作次郎

    ○梨木委員 なければ、やはり戰犯の人からひどい目にあわされたようなそういう兵隊の中から、やはりお互いにあつたらそういうものを摘発しよう、こういう運動が起らなければ戰犯の処罰というものは徹底しないように私は思うのですが、それはどうですか。
  1107. 渡部武士

    ○渡部証人 それはそうだと思いますが、在ソ民主運動のやり方はそうではなかつたということであります。これは今ここで申し上げてもわかりません。というのは在ソ民主運動のやり方が……。
  1108. 梨木作次郎

    ○梨木委員 それはそれでよろしゆうございます。  それから角度をかえてお伺いするのですが、将校は、あなたは違うとおつしやいますが、こういうことをお聞きになりませんか。将校だけが別の收容所に一団となつて收容されて、そこで非常に腐敗堕落したマージヤンをやつたり、賭博をしたり、非常にだらしのない生活をしておつたというようなことも漏れ聞いておるのでありまするが、そういうことはあなたはお聞きになりませんでしたか。
  1109. 渡部武士

    ○渡部証人 聞いておりません。
  1110. 横田甚太郎

    ○横田委員 ちよつとお伺いします。この中央公論三月号に出ております日の丸梯団報告書なるものは、この日の丸梯団にお入りになつた方が相当討議してなさいました連帯責任を負えるような文書ですか。それともまただれか一人の起草者がかつてに書き上げた性質のものなんですか、それをお伺いしたい。
  1111. 渡部武士

    ○渡部証人 これは当時復員業務が忙しくて、あらかじめ全般にその文句をはかつて、あるいは委員を設けてそれをやるという余裕がなかつたために、その案をつくつて全般に発表したのであります。そうして全員の意見としてそれを取上げたのであります。手段としてはそういう方法をとりました。またとられたはずです。
  1112. 横田甚太郎

    ○横田委員 そういたしますと、これを基礎にして少々あなたにお伺いしてもかまわないですか。
  1113. 渡部武士

    ○渡部証人 はい。
  1114. 横田甚太郎

    ○横田委員 この中に出ております在ソ歸還促進同盟カラカンダ日の丸梯団として、その趣旨の二行目に出ております。「吾々は船中鬪争の一段階に於てイデオロギー鬪争でなく日本人同胞同僚戰友を敵に売り、」と書いてありますが、敵とは一体何をさすのでありますか。
  1115. 渡部武士

    ○渡部証人 その内容が私にはわかりませんので、ぴんと来ません。その件に関しては私はよく整理された頭を持つておりません。
  1116. 横田甚太郎

    ○横田委員 この敵ということが私には非常に知りたい本質なんですが、これを聞くのであれば一体どなたに聞いたら一番適当でしよう。
  1117. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 だれが実際に書いたのか覚えていますか。
  1118. 渡部武士

    ○渡部証人 それはわからない。その中央公論に出ておる内容がわかりませんので、全然知りませんから……。
  1119. 横田甚太郎

    ○横田委員 これは相当討議されたのじやないですか。
  1120. 渡部武士

    ○渡部証人 ですから手段としてはそうであります。全員に発表して。
  1121. 横田甚太郎

    ○横田委員 もつとはつきり敵とはソビエトだ、こういうようなことが言えるのじやないですか。
  1122. 渡部武士

    ○渡部証人 そう言えばはつきりするのかもしれませんな。
  1123. 横田甚太郎

    ○横田委員 その通りなんですか。
  1124. 渡部武士

    ○渡部証人 それはどうかはつきりわかりません。
  1125. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 どういうものが出ておるか知らぬから……。
  1126. 横田甚太郎

    ○横田委員 この初めなんですけれども「在ソ帰還促進同盟カラカンダ日の丸梯団」というのが見出しです。それから次に何もないです。「趣旨、一、吾々は船中鬪争の一段階に於てイデオロギー鬪争でなく日本人同胞同僚戰友を敵に売り、文化的、人道的表看板の裏を最も史上にその類なき鉄のカーテン、謎のソ同盟に於て二重三重の鉄柵の中に銃劍で固め獄中に呻吟せしめられ」云々と書いてあります。こういう場合、あとの非人道的なやり方がもしあつたとすれば惡い。だからいわゆる敵とはソ同盟をさすのですかということを伺いたい。
  1127. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 横田君、証人の言うのは、それを読んだこともないし、だれが書いたかわからぬからという。
  1128. 横田甚太郎

    ○横田委員 委員長はそう言いますけれども、今この日の丸梯団の報告書について、船中において、また上つて来で収容所において討議なさいましたときには、相当大衆的に討議せられたのですかと問いとたきに、たしか私の聞くところによりますと、一応腹案が出されて討議したと承つたと思うのです。それで聞いたのです。
  1129. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 そういうことはあつたのだね。けれどもそのままのものがそこに載つているかどうかわからぬというのですね。
  1130. 横田甚太郎

    ○横田委員 われわれ戰争を放棄した国民であつても、事の成行きによつては、世界の歴史において、国というものの決定によつて宣戰布告するような條件に追い込まれたり、あるいは国土が蹂躙されるような場合があるかもしれない。そのようなときになつたら敵というものを生ずるかもしれない。だからここに敵と書いてあるのは、徳田球一が敵なら敵、鍛冶委員長が敵なら敵、アメリカが敵なら敵とはつきり言うていただきたい。このことだけを言うていただきたいのです。このことを言うのに何を躊躇するのですか。
  1131. 渡部武士

    ○渡部証人 それについては、私ははつきりした内容がわからぬので、はつきりした証言もできませんから控えたいと思います。
  1132. 横田甚太郎

    ○横田委員 あなたが答えられなかつた答えていただかなくてもいいのです。けれどもこの文章がある限りにおいて、しかもあなたたちがこの文章を中心に討議なさいました限りにおいて、だれかこの提案理由を説明された方がある、起草された方があるはずだ、その方は一体だれかということをもし知つておるならば、答えていただきたい。
  1133. 渡部武士

    ○渡部証人 その件に関しては、本部に長野県の小笠原唯雄という人がおりますので、その人が詳しいかと思います。私は当時忙しくてあちらこちらひつぱられていましたので、いきさつについてのはつきりした事実は知りません。
  1134. 横田甚太郎

    ○横田委員 それでは次に「それはわれわれが本来の日本人に立ち返ることである、いずれの階級、その意識、知識のいかんを云々するもりではない、日本人日本人としての魂を呼び起すことである」、これは非常に私たちの好きな文句なのです。ところがこの日本人に対するところの解釈によつて非常に困るのです。戰争によつてお困りになつたのはあなただけではないのでありまして、私たちも戰争に反対したために長い間獄舎にあつて、異国ではない母国でありながら、あなたたちより以上の迫害を受けた。十年以上もほうり込まれておつた刀そういうような立場のときに、私たち日本人日本人らしい魂を持てということでいじめられた。異国人が日本人をいじめるということではないので、母国におつて、しかも生れた国の大将にいじめられた。そこで日本人日本人の魂を持てということはどういうふうに解釈したらいいか、これだけを承つておきたい。
  1135. 渡部武士

    ○渡部証人 答えられません。
  1136. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 横田君、証人はそれを読んでみたこともないし、だれが書いたのかも知らないというのです。従つてそこにあることについては答えられぬと言つておるのですよ。
  1137. 横田甚太郎

    ○横田委員 ここにも出ているように、ソビエトの民主主義は独断專行で、これはなつておらない民主主義というのです。ところがそうでないところの民主正義はよいというのです。なぜその民主主義がよいかというと、会議的にいろいろのことについて討議をして、納得した上でやるからだというのです。しかるに日の丸梯団なるものは、そこに一つの綱領ができておつたが、梯団員の一人である方が討議しないし、納得もしないようなものにも同調しておられるということはふしぎだと思うのです。
  1138. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 横田君に申し上げますが、証人はそれを読んでおらぬというのですから……。
  1139. 横田甚太郎

    ○横田委員 それを読んでおらなくて、知らぬようなことでも梯団員になれるような日の丸梯団だつたのか承つておきたいと思います。それも答えてもらえないのなら、それはそれとして、最後に聞いておきたいことがあります。私の解釈する日本人というものは、ソビエトにおつて、ソビエトが不当なことをするならば、命をかけて防衛したらよいと思う。向うにおつて、ポツダム宣言によつて早く帰してもらえるのなら、早く帰してくれということを兵士が言う前に、兵士の親であり、兵士を引連れているあなた方がこういうことを言われるのが当然だと思う。だからそういう意味合いにおきまして、日本人なるものは、あの中に日本人ということが書いてありますから、ソ連将校からあるかないか知らぬが、日本人が異国に来ておつて日本人自身を売るような下劣なことをするなと言われずに、堂々と軍におつて偉い階級であつた人たち自身が、その範を示して日本に帰すというような要求をしてもらいたかつた。そういうような意味におけるところの……(「何を言つてるのかわからんじやないか」「日本語でやれ」と呼ぶ者あり)そういうような意味におけるところの日本人をさしておられるのか、それを聞いただけのことで、これ以上のことは聞いておりません。
  1140. 渡部武士

    ○渡部証人 ちよつと恐れ入りますが、何のことだかよくわからないので、もう一回簡單に……。
  1141. 横田甚太郎

    ○横田委員 ここに書いてございますのは、日本人日本人としての魂を呼び起すことと書いてある。この日本人とは、どんな時代の日本人をさすのかということです。
  1142. 渡部武士

    ○渡部証人 それについては私はわかりません。
  1143. 横田甚太郎

    ○横田委員 簡單に申しますならば、太平洋戰争が起つていたあの世界的戰争の時代の日本人であるならば、ソビエトが敵だ、アメリカが敵だというのは常識だつた。ところが戰争が終つたのですから、世界に敵はないはずだ。だからこの日本人とはいかなる時代の日本人であるかわからないのですから、それを聞いただけのことであります。
  1144. 渡部武士

    ○渡部証人 わかりません。
  1145. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 ほかにありませんか。それでは済みました。御苦労さまでした。  まだ峯田、宇野の両証人が残つておりますが、本日はこの程度にしまして、明日十時より引続き証人の尋問を行いたいと存じますが、御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  1146. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 御異議なきものと認めます。それではさよう決しました。  宇野さん、峯田さんに申し上げますが、本日は大分遅くなりましたので、明日午前十時より証人尋問を続行することに決しましたから、はなはだ恐縮ですが、さよう御了承の上、明日御用頭願います。  本日はこれにて散会いたします。     午後七時一分散会