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亀澤証人 昭和二十三年の五月一日前後と記憶しております。これは、
ソ側の
政治部員のキーシイロフ大尉のもとに使
つておりますところのエリセーフという軍費が私のもとに参りまして、そのはがきを掲示板に張
つてくれ、
日本共産党からこういうことを
言つて来たということを受けまして、そうして私がその手紙を掲示いたしました。それは水色の厚紙でありまして、そうして万国赤十字社のスタンプが入り、米軍と
日本と
ソ連と、三つの国の消印のスタンプの入
つてありました手紙であります。そうして、これは実物の手紙のひな型でありますが、お元気にて
ソ同盟強化のため邁進され、りつぱな闘士として帰国され、
反動に対してともに闘う日の来るのをお待ちいたしております、とい
つた内容でありました。なおこのはがきは、
日本人捕虜に、在ソ生活三年間の間に、三回にわた
つて配布されましたところの、
日本の妻子に対して使うようにとい
つた、万国赤十字の手から配付されたはがきでありまして、われわれ
自体がこの手紙を政治的に、親兄弟よりも
日本共産党に出そう、われわれの同志に出そうとい
つた目的でも
つて、それを政治的に
日本共産党中央
委員会または各個人にあてて出した数は相当多数に上るものと認められます。
それから第二回目は一九四八年、
昭和二十三年九月四日、先ほど
自分が
証言しましたあのキーシイロフ大尉が私を呼んだのであります。この話をいたします前に、大体二週間ばかりさかのぼ
つて説明しなければなりませんが、どうしてキーシイロフ大尉がこの手紙を私たちに見せたか、またなぜそうい
つた行動を彼がしたかということに対して、彼はそのときも弁解いたしましたけれども、大体私たち反フアツシスト
委員会というものは
昭和二十三年五月末
結成されまして、当時沿海州における最も民主的な大隊であるとい
つてソ側にもほめられ、また
日本新聞にも載
つたものであります。また最も
反軍闘争、
つるし上げを熱烈にや
つたものでありまして、そういうわれわれ
收容所に帰国
命令が下
つたのは、八月二十六日の夜だと記憶しております。それはあとでわか
つた事実であります。その帰国
命令の来た日に、何名帰れとい
つて命令が来たのであります。そうするとその何名以外の
人間は、全部は帰れないわけです。そこでその
人間を入選したわけです。そのとき
ソ側がいつも
言つて来るのは、成績の悪い兵隊、言いかえれば
反動的な
人間を残せと
言つて来るのが、いつもの例であります。でありますからその場合においても、特にそうい
つたことを
言つて来たのではないかと思いますけれども、
自分は中央
委員ではありませんから、そのことは知りませんけれども、その人名は考課表に載
つた人間、向うが
言つたのかこちらが
言つたのか知りませんけれども、要するに最も
反動的な、不純な、非協力的な
人間が奥地へ転送されたわけであります。そうしてその
人間は去年の月初め帰
つております。われわれより大体帰国が一年遅れております。それからあとは一騎当千の、
日本へ敵前上陸するのだとい
つた特に青年層が大部分でありましたけれども、そうい
つた者が残
つて、帰国が近いうちにあるのではないかという希望を持
つてお
つたわけであります。そうして九月四日にキーシイロフ大尉が私を官舎に呼びまして、それは
将校当番が呼びに来たのでありますけれども、その当時私は美術的な仕事をときどきや
つてお
つたものでありますから、キーシイロフ大尉の家に行きまして壁に模様を入れてくれと言われ、その模様を書くべく準備をしました。ところが彼は
自分を呼んで、こんなことを
言つてもお前たちは
ほんとうにしないだろうが、またお前たちはこんなことを言う必要はないだろうが、今こういうことを
言つて来たという
意味において、彼は個人的に、彼としては
自分が三年間手がけたところのわれわれが実に優秀な、平和と
民主運動の闘士として帰国するにあた
つて、非常な喜びからそういうことを言うたのだろうと
自分は
状況判断するのでありますけれども、内容は大体四枚でも
つて構成されたところの印刷体の文章であります。そうして封筒の上書きには
收容所長、ロシア語でナチヤーニク・ラーゲルと書いてありました。そうしてその四枚のたしか一番しまいだと私は記憶しておりますが、距離が大体一メートルぐらいしか離れておりませんでしたが、彼は差向いにな
つてそれを読みながら、
日本語とロシア語と半分まぜて
言つたのであります。私は政治的にも非常に接しておりまして、ロシア語も相当な程度に会話の方も上達してお
つたのでありますが、彼としては、かんで含めるように私に読んで聞かせてくれました。その内容も、私はちらつとそれを見ながら、彼の
言つておることと内容は一致しておるものであるということは、私は認められました。その内容は、われわれが
日本新聞においてすでに二回も三回も見た事実の問題でありますが、ただそれは
日本共産党徳田書記長のサインのもとに出て来たのであります。今までの
日本新聞は、
日本共産党からではありませんでした。その内容というものは、貴国の好意によ
つて優先的に送還されたところの身体虚弱者、素行不良者は言動著しく反民主的にして、
党活動に大なる支障を来すものである。ゆえに願わくは貴国の好意によ
つて、思想的、肉体的に健全な者を送還されることを希望するというので、そうして「
日本共産党徳田書記長」とタイプに打
つてありました。