○岡(良)
委員 私も
日本社会党の
立場から、本
改正案に
修正案をも含めまして、
賛意を表します。
私
どもが
賛意を表するゆえんは、ただいま
青柳委員からも申されましたことく、これまでは
生活保護法と言えば、いわば
救貧制度であ
つた、お助けの
制度であ
つたものが、このたびの
改正を通じまして、
憲法の第二十
五條に明確にうたわれておるその
理念を
制度上にはつきりと打ち出して、
国民の
最低生活が正当な
国民の
権利としてその
保障が要求されるということは、また同時に
政府もその
責任においてその
保障に当らねばならないということをも
意味するという建前におきまして本
改正は、とりもなおさず
日本の
生活秩序が民主主義的な
一大前進を遂げるということについては、何人も
異議なかろうと思います。こういう
観点から、私
どもは本
改正法案につきまして
賛成をいたすものでありますが、しかしなおいわば羊頭を掲げて
狗肉を売るということわざもありますので、党の
立場から、数点にわた
つて強く希望を申し上げたいと思います。
第一点は、これまた
青柳委員からも御指摘になりましたように、
生活扶助額の
実情に即した
引上げを断行していただきたい点であります。昨年の
統計によりますと、
東京都においては、大体
一般家庭五
人世帶で、その月の
支出が一万四千五百円ということに相な
つておりますが、その中で
飲食物費の占めるものは、約九千円ばかりであります。ところが
生活保護法が
適用されておる五
人世帶の
家庭におきましては、その
最低生活費の
基準額はわずかに五千二百余円でありまして、その中において、
飲食物費の占める
割合が四千三百円であります。要するに一箇月の総
生計費の
基準として與えられておるものが、同様の
規模の
一般家庭の三分の一に近いような、きわめて零細なものであります。なおかつ
飲食物費と総
支出との
割合は、いわゆる
エンゲル係数は、
一般家庭にあ
つては六二でありますが、被
保護者の場合におきましては八二ということに相な
つております。こういうようなことでは、少くとも健康で文化的なという名に値しない。いわば
犬小屋につながれた犬のような、動物的な
生活をしておると申しても過言ではないのでありまして、これでは
せつかく法を
改正いたしましても、その
実施面におきましては、とうていわれわれは満足をいたすことができかねるのでありますから、実態に即した
生活扶助額の
引上げを、この際強くお願いいたします。
第二点は、
教育扶助費の
引上げであります。
教育扶助費は現在のところ、
小学校においては、各
学年を通じての平均でありますが、
月額九十円、また
新制中学においては、
月額、各
学年を通じて百九十円ということに相な
つておりますが、
東京都内の父兄の声に聞きますと、
交通費、娯樂費を含めまして、
子供を一人
小学校や
中学に通わせますと、千円内外の
支出がどうしても必要であるということを訴えておりますので、かかる
実情からしましても、われわれといたしましては、この
教育扶助費をも
つてしては、十分に子女の
教育には値しないものと考えざるを得ないのであります。なおかつこの
保護法の被
適用家庭には
母子家庭が非常に多うございますが、現在
全国七十万の
戰災未亡人、またそれを中心とする百四十万あるいは百六十万と称せられる
母子家庭におきましては、
子供の成長こそがただ一つの望みでありまして、そういう
観点からも、この
教育費というものは、もう少し実際に即して安心をして
子供たちが
学校へ行けるようにしてや
つてほしいと思います。それからそれとあわせまして
育英資金の
充実を、国としてももつとはかるべきであろうと考えております。本
年度の
予算を見ますと、
育英資金は十五億三千七百万円で、新規に
育英資金の
交付を受ける者が、大体四万三千人ということにな
つておりますが、しかし
育英資金の
交付を要求する者は、二十四万人と推定されております。かようにいたしまして、貧しい
家庭にあるために、あたら
英才でありながら、上の
学校へ行けないというようなことにな
つておりますことは、私
どもとしてもきわめて遺憾でありますから、
教育扶助費の
引上げと同時に、
育英資金そのものをもう少し拡充いたされまして、
英才はたとい
家庭が貧しくとも、自由に進学の道を講じてやるという
政策が、当然行わるべきものと考えております。
その次はこの
予算の面であります。県費の
負担がやはり依然として
従前通りということにすえ置かれておりますが、この問題は昨年の
民生委員全国大会におきましても、
軽減ないし撤廃の要求が強く起
つてお
つたことは、
政府も御存じの
通りであります。いわんやこのたび法を
改正いたしまして、
国民の
最低生活は、
政府の
責任においてこれを
保障しようというような、きわめて勇断なる態度を明らかに示す以上は、その
教育費や、
生活費や、
医療費等は、
全額国庫が
負担すべきが当然だと存ずるのであります。そういう理論的な
立場は別といたしましても、実際問題といたしまして、これはある
地方の中都市の例でありますが、
福祉主事に似たようなものを置き、
生活相談所のようなものを置き、
本法の運用に対して相当力こぶを入れた結果が、
保護法の
適用を要求するものが二倍、三倍にふえておるという
実情を、私
どもは見聞しておるのでありますが、
本法の
改正を通じて
適用を希望する者が急激に増加するものではなかろうかと考える。しかもその認否につきましては、いよいよ
市町村長等の権限も大きくな
つているように思いますが、
地方財政の
窮乏の
折柄、
財政的顧慮によ
つて、通用を受けるべきものが
適用漏れになるという事態が起りますならば、これまた、
せつかく美しい
精神を
法案の中に織り込みながら遺憾なことになるのでありまして、こういう点からも、われわれはすみやかに、実際の
扶助費は
全額国庫負担とすべきであるということを、強くお願いをいたしたいのであります。
そのほか第四点といたしましては、いわゆる
ボーダー・
ラインの
人々に対する
生活保障の問題であります。
本法の第
二條には無差別平等ということがうたわれておりますが、この
精神をさらに拡大いたしまして、要するに今一たび事故が起るならば、
生活保護法の
適用を受けねばならない、こうい
つた人たちが、推定によれば二百万人を越えんとし、その
世帶もまた八十万人になんなんとしておると伝えられるのでありますが、こういう
人たちに対する適切な
生活保障の道が、当然講ぜられるべきであろうと考えるのであります。ことに最近には
賃金の遅
欠配は慢性化し、かつまた深刻化いたしておるのでありますが、しかもこうした
生活保障のための
資金は、これまでは
公益質屋をも
つて、いささか間に合せて充当されておるようでありますけれ
ども、
公益質屋の実績も、最近は当初に比べれば非常に少くな
つている。その
理由を尋ねてみると、
公益質屋が
運転資金に枯渇をいたしまして、結局店を閉鎖しておるようであります。一方先般来のこの
委員会においても論議されましたように、
労働者が零細な
資金を
賃金の中から積立てまして、すでに昨年の
会計年度末においては、百八十億を上まわるような
厚生年金の
積立て金を積立てておるのでありますが、こういうような
積立金は、当然やはり働く大衆の
福祉と利益の用に還元されるような措置を、積極的に考えられるべきであろうと思うのであります。こういう
意味から、単に
公益質屋というような
物件單位のみではなく、
対人信用も含めまして、
ボーダー・
ラインの
人々のみならず、
賃金の遅
欠配による
労働階級の人も
対象といたしまして、広汎な
生活のための
資金を供給するごとき金庫も設定されまして、いま一歩誤るならば、
生活保護法の
適用対象に転落せんとする
人々に対する救済の適切な方途を講ぜられたいと考えるのであります。
なおそのほか
失業対策の問題でありますが、現在
統計を見ますと、
生活保護法の
適用を受けておる
登録失業者は一・八%というきわめて零細な数字にな
つておるのであります。しかし私
どもの信ずるところでは、実際働く
意思を持ち、働く手足を持ち、また養わなければならぬ家族を擁しながら、しかも働き
場所がない。これが
生活窮乏の
根本の
原因だろうと思います。従いましておそらく
完全雇用というふうなことが
実現されるならば、
生活保護法というものは、きわめて限局された
社会的機能しか営めないことは、これは当然常識からも納得できることでありますから、こういう点から考えましても、
失業対策の
強化充実という点につきましても、
政府はこの
機会に十分なる
施策を講ぜられたいのであります。現在今
年度の
失業対策を見ますと、
労働省の発表によれば、
輸出産業を振興いたしまして、約八十万人を吸収する。あるいは
見返り資金を大幅に放出いたしまして、
公共事業や、
基幹産業に投資しながら、これによ
つて三十万、四十万を吸収する。
公共事業によ
つて五十万を吸収するというふうにうたわれております。しかしながら最近の新聞を見ますと、アメリカの対
日援助の国務省の線では、一億ドル前後というふうにも伝えられておりますので、一億ドルと考えても、年間の
貿易総額を加えて七億五千万ドルということでは、
日本の本
年度における
産業規模が、きわめて縮小されるのではなかろうか。してみれば、現在
労働省が考えておるような
失業対策というものは、実際においてとうてい困難であるというふうにも推定されるのでありますので、われわれといたしましては、この際くどくどしく申し上げませんけれ
ども、
失業対策については、あくまでもデフレの現在の
政策を、デイス・インフレの線に切りかえまして、
有効需要の
増成をはかり、
雇用量の増大という点につきましては、万全の
施策を講ずべきであろうと私
どもは信じております。こういうふうな現在のような推算で、樂観的な
失業対策をも
つてしては、この
生活保護法というものがこのように
改正されることは、
ほんとうにますます底なしの泥沼に入り込まなければならないような形になるのではなかろうかと想像されるのであります。
それから次に
人口の問題でありますが、現在
日本の
人口は、昨年は
自然増がすでに百八十万人になんなんとしておる。貧乏人の子だくさんということがありますが、しかしたとえば
社会保障制度が非常に発逹しているニュージーランドにおきましては、
人口密度は一平方キロメートルにつき、わずかに六人である。あるいは第二次
世界大戰中、常々として
福祉国家の実をあげたるスエーデンにおきましては、
人口密度は十五人である。ところが
日本では、すでに二百二十人を突破している。こういうように
人口が盲目的に膨脹いたしますということは、全般的に
国民の
生活水準そのものに対して大きな重圧であるばかりでなく、かつまた
困窮者をますます拡大再生産する
根本の大きな
原因であろうと、私
どもは考えておるのであります。そういう
意味合いから申しまして、
政府当局といたしましては——
人口問題については、
ウレン・トムソン博士は
日本のあらゆる諸
條件から見て、
人口収容能力は五千万人と言
つております。あるいはまた最近百七十七万人の
自然増加に対しては、
世界の新聞紙が適当なる
人口制限の必要を、その論説をも
つて主張いたしておるようであります。かかる国際的な
輿論にもかんがみまして、われわれは
人口制限という点につきまして、これまた具体的な方策につきましては後ほど申し述べる
機会もあるかと思いますが、やはり積極的な
対策を講ずる必要があろうと思います。
あるいはまたわれわれは、
社会保障制度の
実現という
観点からも、本
法案の運営について強く
政府に希望いたしたいのであります。と申しますことは、
社会保障制度の
実現は、現在は
国民の広汎な
輿論にな
つております。しかしながらこの
社会保障制度というものが
実現されればされるほど
生活保護法の
対象はますます嚴に、かつまたその
機能もきわめて限局されて来るものであろうど私
どもは考えております。たとえば現在
社会保障制度が最も発達いたしておるイギリスにおける
保障制度の年間総
予算は七億五千万ポンドでありますが、
身体障害者を含めての法的扶助の
予算は、わずかに四千万ポンドにすぎないのであります。従いましてあるいに全
国民を
対象として、貧富の別なく合理的な
医療が與えられるというふうな、全
国民を
対象とする
医療保険の
制度が樹立され、あるいは現在のような官公吏が恩給年金で、民間
労働者が
厚生年金ということ以外に、農民やあるいはその他の受益番も含めて老後の
最低生活を
保障するような
国民年金あるいは寡婦年金、兒童手当等が実施されるという形になれば、当然
生活保護法の分野はまことに限局される。従いまして
社会保障制度が前進するということは、
生活保護法の
機能がますます限局されて来るということに相なると思うのであります。従いましてわれわれの希望するところでは、
生活保護法がこのように
改正されたことにつきましては、われわれは満腔の敬意を表するものではありますが、それと同時に、この
精神がさらに一段と具体的な
制度として発展をし、
社会保障制度そのものにまで展開をされるという過程において、
生活保護法そのものがむしろ
社会的機能を圧縮し、また同時その
対象もいよいよ少くな
つて来る。こういうふうな形に進むべきであります。従いましてこういうような考え方から申しますと、
生活保護法を
改正したから
社会保障制度の
実現は、しばらく見送るというふうなことになろうならば、われわれとしてはどうしても納得できないのでありまして、こういう点につきましても、今日澎湃たろ
国民の
輿論とな
つておる
社会保障制度実現という方向に向
つて、この
法案が有機的に、よき契機として発展せんことを哀心より希望し、また強調いたしまして、私の
賛成の討論にかえる次第であります。