○小峰
参考人 会計検査院の検
査第四局長の小峰でございます。議題にな
つておりまする
決算を
議案として取扱うべきかどうか、この
案件につきまして、これから
会計検査院といたしましての所見を申し上げたいと思
つております。
御承知のように、
会計検査院は、先ほども御紹介がありましたように、合議制の機関でございます。私がここで申し上げることは、一応検査官
会議の了承を経て、
会計検査院の
意見として申し上げる次第であります。もちろん私
個人の
意見もま
つたく同様であります。
会計検査院の
意見であると同時に、私の
意見としてお聞き願いたいのであります。
新
憲法下におきまして、
決算を重視するということになりましたのは、これは新
憲法の精神というもの、あるいは
財政の現段階から考えましても、当然のことでありまして、その
一つの
方法といたしまして、結局
国会の
財政監督を強めて行くという
意味におきまして、
決算をどう取扱うべきかということをお取上げに
なつた点は、まことに適切な御処置と私どもも考えております。ただ現在の
方法がそれほど惡いか、言いかえますると、現在の
憲法の
提出という用語に従いまして、法規に準するような
取扱いをなさ
つていることによりまして、
決算を通じての
財政監督というものができないのかどうか、
議決あるいは
議案、こういう形式に改めなければ
財政監督ができないかどうか、十分な効果を期待し得ないかどうか、この点につきましては私どもといたしまして若干の実は疑問を持
つております。
結論から先に申し上げますと、現在の
方法も活用の
いかんによりましては、ただいま大西教授からイギリスの例のお話がございましたが、これに一応敷衍してもよろしいかとも思いますが、活用の
いかんによりましては、これで相当の効果を上げるのではないだろうか、
議案にいたしまして、御審議をなさるということになりましても、それが決して現在以上の効果を上げ得るかどうか、抽象的、観念的にはいろいろなことが言えるかと思います。実際問題といたしまして、はたして効果を上げるかどうか、私といたしましては、若干の疑問を持
つておる次第でございます。
これにつきまして、大体これからお話しいたしますが、まず第一に、その段階といたしまして、
決算に対する
議院の
審査、その結果なされる
意思表示、
決議の形にな
つておりますが、これが
決算に対していかなる効果を持
つておるか、現在の
憲法の
解釈といたしまして、いかなる効果を持
つておるか、これをまず第一段に申し上げたいと思います。第二に、
審査の形式の
いかん、現在の
方法を改めて、
議案という形にする。この形式の
いかんが、
委員としてなさいます
意思表示に何か別な効果を新たに加えられるものであるだろうかどうかということを、第二に申し上げたいと思います。第三に、かりに
議案としてお
取扱いになる場合に、現在の運営の方式との間にどういう特質が現在想像できるだろうか。これを第三に申し上げたいと思います。第四に
現行憲法、新
憲法の
解釈といたしまして、はたして現在の
憲法のままで
議案、
両院を通じての
議決をする。こういう
方法に行くことは、はたして妥当であるだろうかどうだろうか。これを第四に申し上げてみたいと思います。最後にこれはあるいは議題を離れるかもしれませんが、旧帝国
憲法七十二條、
現行憲法の九十條、これの差異の中に
一つとかく見落されがちなものがございます。それは「検査確定シ」ということが旧
憲法では使
つてあ
つたのに対しまして、新
憲法では、
会計検査院がこれを検査し、その
検査報告とともに
内閣が
国会に
提出する。片方は検査確定して
国会に
提出する。新
憲法は検査して
国会に
提出する。確定という字が落ちておるのであります。この点につきまして、あるいは
国会が確定するのが新
憲法の精神にかなうのだというような御
意見も、一部にはあるやにも拜聽しておりますが、その点に最後に触れまして私の話を終りたいと思います。
まず先ほど申し上げました第一の、
決算に対する
議院の
審査の結果なされる
意思表示、
決議、あるいは
議案の形になればそれが
議決になるかと思いますが、それがどういう効果を持
つておるだろうかという点について簡單に申し上げてみたいと思います。大体
決算の
内容とな
つておりまする歳入、歳出、これは
予算案とか、
法律案とか違いまして、すでに
政府の諸機関が收入をし、あるいは
支出をなしました行為によりまして、
法律上は、日本の制度におきましては、これは確定しておるものであります。アメリカのように
会計検査院の検査が済まなければ確定しないというものとは日本では違うのでありまして、
政府の
支出、收入、こういう行為によりまして、これが確定しております。そしてかりに違法あるいは不当ということがありまして、
会計検査院なりあるいは
国会から批難されましても、それは効果には何らの影響を及ぼさないのであります。これは皆様御承知の
通りと思いますが、
政府において当事者と協議の上、納得ずくで返させるとか、とりもどす、こういうことは別といたしまして、
法律上は確定しておるものであります。
会計検査院がいろいろなことを申しましても、その効力は左右されるという
性質のものではございません。
国会がいろいろの
議決をなさいましても、これが
法律上当然に効力を左右するというようにはならないのであります。従いまして、
決算に対しまする
国会の
議決、これは先ほど申し上げましたように、
法律案とか
予算案のようにある成立條件と申しますか、そういうようなものとは大分
性質が
違つて来るわけであります。結局
国会の
決算の
審査なり
決議というものが、
予算執行の
事後におきまする会計
経理の監督ということに帰するのであります。これはあらためて申し上げるまでもないかとも思いますが、結局国家の大局から見まして、
予算執行上、
政府の
責任追究ということに帰着するわけであります。
このように
議院の
決算に対しまする
決議の効果というものが、今申し上げましたものであるという点から考えますと、
決算審議の手続きについての形式が、
法律だとか
予算と同じように
議案の形式にぜひよらなければならないという
結論は、どうも効果という点から考えますと、見出しにくいように思うのであります。
法律とか
予算のように成立の要件ということになりますと、これは
両院の一致ということも絶対に必要にな
つて来ると思いますし、一致しない場合のいろいろな特例ということも、
法律上、
憲法上いろいろ考えられておるわけであります、
決算の場合は必ずしもそういうふうに
議案の形をとらなければいけないという点は、絶対に必要だということも考えられないかと思うのであります。かりに
議案の形式によ
つたといたしましても、結局否認
事項の善後措置を要求するなり、あるいは当局者の
責任を追究するなり、将来においていましめるなり、経費の節約等について十分の考慮を拂わせる。こういう
意味におきまして、
政府を鞭撻する以上の効果は期待し得ないのではないかと思うのであります。これに影響を及ぼすような措置をとるということは、これは相当大きないろいろの点の改正が必要ではないかと思うのであります。従いまして、
議案という形にいたしましても、そう大きな実質的な効果は期待できないのではないだろうか、こういう点を懸念するわけであります。非常に愼重になり、審議が早くなるというように行きたいと思いますが、その点につきましては、後ほど触れるつもりでおりますが、そういう点について実質的な効果という点になりますと、いかがかと思
つておるわけであります。
第三点でありますが、先ほど申し上げました、現在の運営方式との間の特質、この点に触れたいと思います。第一に、
決算審査が
衆議院、参
議院各別に広義、狭義の別なく、現在のように行われておる場合におきましては、
両院の
意思表示が合致しない場合が自然的に生じ得るのであります。
国会として不統一というようなことになりまして、それははなはだ歓迎すべきことではもちろんございません。先ほどもどなたからか御
意見がありましたように、いわゆる
迫力のない結果を来す、
迫力のない
決議になる。こういうことは歓迎すべきことではないのでありますが、しかしながら要するに監督を受ける
立場に立
つて考えなければいけない問題でありまして、監督を受ける側で、片方の批難、
一院の批難だから軽く見ていいというものでもないと思うのであります。言いかえますれば、それは
政府がむしろ
一院の強い批難を受けたということによ
つて、大いに自粛してしかるべき問題でありまして、
両院の一致した
決議がないからいいんだ、こういう態度をとるというのはいかがかと思います。またもし非常に重要な條件でありまして、ぜひ
両院一致の
議決が必要であるということでございましたならば、それは現在の合同
審査会というような制度もございますし、
両院委員会の協議というような制度もございます。従いましてこれを適用することによりまして、今の不一致ということはある程度避けられるのではないか、こう考えております。要するに
政府側として
一院の批難だからどうでもいいんだというような態度をとらせなければいいのであります。強い
決議を受けました
政府というものは、相当にいろいろな影響を受けるのであります。これは
両院のそれぞれ
一院におきまして、強い
意思表示を現在の
方法においてもしていただけば、所期の目的は達せられるのではないだろうか、こう考えております。またかりに
議案の形式によるということになりますと、
両院の
議決が合致したものだけについての批難が成立するというほかはなくなるわけであります。
一院だけで、いかぬという
方法がないわけであります。
両院一致の批難
事項というものが必然的になくならざるを得ないのではなかろうか、この点をむしろ懸念するのであります。御承知のように
決算は、その
内容の
審査を
両院でおやりくださるわけでありますが、結局は
会計検査院の
提出いたしました
検査報告というものが主体にならざるを得ないのであります。過去におきましてもそうでありましたが、将来においても、おそらくそういう
方法が持続されることと思います。
法律とか
予算というものになりますと、
両院の不一致ということがかりにありましても、それは一、二の
事項についてのみ起り得ることであります。全面的に不一致というようなことはもちろんありませんし、多数の
案件についての不一致ということも考えられないのでありますが、
決算審査は、
検査報告が事実上の主たる対象ということになりますと、御承知のように、
検査報告事項というものは、六百も七百もあります。今お手元に差出してございます昭和二十三
年度の批難
事項で、
会計検査院が
検査報告書に掲載いたしました
事項は六百二十一ございます。こういうたくさんの数をお取上げになりまして御審議を願うわけでありますが、そういたしますと、勢い
両院の不一致
案件というものは、相当にふえて来る懸念が多いのであります。この点が私どもとして実は懸念をしておる点でございますが、六百も七百もあるこの数は、将来といえども減らないのではなかろうか。
会計検査院というものが曲りなりにも充実して参りまして、もちろん満足すべき段階ではございませんが、一応逐次充実の途に立
つております。そうしますと、六百数十という
案件もおそらくふえればとい
つて減ることはないだろう、こういうことが予想されるわけでありますが、そうしますと、いよいよ
両院において
議案の形でお流しになる、こういう
方法をおとりになると、不一致の面が非常に多くなるのではないだろうか。そういたしますと、
政府側から見ますと、批難さるべき
案件が減
つて来る、こういうような結果を来すおそれが多分にあるように考えるのであります。
予算あるいは
法律案というものと、
決算審議の相違という点についてもお考え願いたいのであります。
それから
決算に対する
国会の
審査、
意思表示というものが、はなはだ申し上げにくいことでありますが、現在とかく遅れがちというのが実際の姿であります。これを
議案の形式に改めまして、はたしてこれが促進されるかどうかという点が
一つの疑問だとも思うのであります。これが非常に促進されればまことにけつこうであります。
予算のような
性質のものと違いまして、成立の要件とか、あるいは
議決が何かの効果を付與するというような
性質を持
つておりません
決算といたしまして、
予算のように期限にしばられるということがないものでございますが、そういうものがはたして
議案の形式に、ただ形式をかえたことによりまして審議が促進されるかどうかということについては、そうなるという断定も今のところ下せないのじやないだろうか、この点も実は懸念しております。結局
決算が審議が遅れたり、次の
国会に延びたり、こういうようなことは、
決算の
予算、
法律案と違う本質に基く結果でありまして、それの審議の形式が、單なる
提出事項として審議するか、あるいは
議案の形で審議するということによ
つて生ずる差異ではないと思うのであります。むしろ
議案として取扱
つた場合は、当然
会期下継続の原則というようなことになりまして、再度の
提出、説明も同じことを二度お聞き願う、こういうようなことにもなりますし、
審査の手続が結局重複して行われるというようなことになるわけであります。かえ
つて出もどりになるということが実は懸念されるわけであります。
結局以上申し上げましたことによりまして、現行の審議の形式を変更することによりまして、
財政監督という非常に重要な、また新
憲法から強く期待をかけられております
国会の
財政監督、こういう
方向に実質的なプラスをもたらすかどうかという点について、はなはだ疑問があるのではないだろうか、こういうふうに考えておる次第であります。
先ほどイギリスのお話が出ましたが、イギリスは、大西教授もおつしやられましたように、世界でおそらく最も会計検査の効果を上げている国の
一つであります。効果を上げている一番大きな原因は、
決算委員会が非常に活躍されるというところにあるのであります。
委員の構成というような話が出ましたから省略いたしますが、これは非常に活躍しておるようであります。イギリスでは、御承知のように、
予算については世界の母国というような
関係にな
つておりますが、
予算の制度の運用に伴
つて、
予算が
国会の
議決を経た
通りに行われていない面が多い、これを
国会で感知されまして、相当長い間かか
つて現在の
決算制度が確立しております。
国会がイニシアチーブをと
つて決算制度をおつくりにな
つておるのであります。
国会の
決算委員会——
国会というよりも下院でありまして、上院はイギリスでは、ほかの
予算段階と同じように、あまりタッチしておりません。下院の
決算委員会が非常に強力に働きかけておられるのであります。会計検査——会計検査ということはイギリスではふさわしくございませんが、合計監督機関を国王の任命にかかる官吏をも
つて構成しながら、しかも下院の
決算委員会の機関として自由に駆使しておるのであります。人数は少い、非常に貧弱なもののようでありますが、相当よくこれを駆使いたしまして、
決算委員会が活躍されております。それから日本の会計制度の非常に大きな欠陥は、会計行為の
責任者があまり判然としていないということが、世界におそらくあまりないくらいの日本の重大な欠陥じやないかと思います。イギリスでは会計
長官制というものを置きまして、会計
責任者をすこぶる明確にきめております。
決算委員会の席上にその
責任者を呼びまして、いわゆるクロス・エグザミネーションと
言つておりますが、十字砲火的な質問を浴びせてその
責任を追究する。これがイギリスの会計監督の行届く一番いい
方法だ、こういうことを
言つております。
決算委員会に
責任者が呼び出されまして、そのクロス・ファイヤーを浴びせられる。これによ
つて会計の非違行為が将来に向
つて逐次減少して行くということは当然の理であります。結局、
決算委員会というものが非常に活躍されていらつしやるところに、大きな効果を生ずる原因があるように見受けられるのであります。
それからもう
一つ、これは先ほど御紹介になりましたヒルスと同じようなりつぱな学者でありますが、ヒルトン・ヤング、この人がまことにおもしろいことを言われております。イギリスは
会計検査院がやぶをたたいてうさぎを追い出す。
国会がそのうさぎをつかまえる、大蔵省がそのうさぎを料理する、こういうことを本に書いてございます。うさぎを譬喩
事項にたとえまして、追い出すのは
会計検査院、つかまえるのは下院の
決算委員会、それを料理するのは大蔵省、結局大蔵省が
国会の下院の意を受けまして、
政府部内で、検査院がつかまえ、見つけ、
国会が、不当だ、違法だ、こうい
つて断定をお下しになりましたものを実行する機関であります。これが非常に日本と違うところであります。検査院も、実ははなはだ行き届きませんが、一生懸命にな
つて見つけておるつもりであります、
国会もつかまえます。しかしながらしり切れとんぼになりましたというのが日本の現情ではないかと思います。イギリスでは、大蔵大臣というものは、
国会の非常に有力な人がなるのが常でありますが、大蔵省というものも日本の大蔵省と違いまして、
国会、検査院と同じ
方向に向いて立
つておるのであります。
政府側を大蔵省がにらんでおるのであります。日本ではそうないのでありまして、大蔵省が
政府側のトップに立ちまして、一生県命にな
つて陳弁するというよううな
立場にあるというのが実情であります。
検査報告をごらんになればすぐわかるのでありますが、大蔵省所管の批難が一番多い、そういうような状態が日本であります。
従つて決算委員会がイギリスでは活躍する、そうして惡いことをすぐ批難するという機関が
政府部内にあるわけであります。その点でわれわれとしてはイギリスに大いに学ぶ必要があるのじやないか。
決算委員会が非常に有力だという点、それから
政府部内に
決算委員会の意を体してただちにそれを実行に移す最も有力なる機関が存在する。これが
財政というものをりつぱにし会計監督の効果をあげる一番大きな原因ではないかと、私どもは実はうらやましく思
つておる次第であります。要は
国会の審議
方法が
議案であるかあるいは
報告であるかというようなことよりも、やはり運用の妙ということが一番の眼目ではないだろうか、はなはだよけいなことを申し上げましたが、そういうふうに実は考えております。
それからもう
一つ、第四でありますが、
現行憲法上
憲法を改正しないで、
議案議決という
方向にそのまま行けるだろうか、この点の疑問であります。いろいろ先ほどから承
つておりますと、積極、消極、両方の御
意見があるようでありますが、
結論的に申しますと、沿革あるいは過去旧帝国
憲法以来約七十年の運用、それが
憲法違反でなか
つたという事実によりまして、私といたしましては、
政府の
責任解除というようなことに、結局は
結論としてならざるを得ないような
議決の
方法によるということは、
現行憲法のままではどうも少しむりじやなかろうか。これは詳しく実は資料の準備はしておりますが、時間の
関係で端折ります。旧プロイセンの
憲法の百四條、先ほど御紹介がありましたが、これが日本の旧
憲法の七十二條、
決算の
規定の母法であります。ほとんどそのまままねをしたような
法律でありますが、その中で非常に重要な点が一箇所違うのであります。それはプロイセンの
憲法の百四十四條には、
政府が
責任の解除を受けるため、こういう字句が入
つております。日本の旧
憲法の七十二條はそれを消しておるのであります。それから
憲法議会の資料によりますと、当初は必ずしもプロイセンと日本でそう大きな差をつけるつもりもなか
つたようでありますが、その後七十年の運用、旧
憲法の七十二條をそつくりそのまま口語体に改めた程度の現在の
憲法九十條、このものの現在の運用にまで及んでおるわけでありますが、この運用と
憲法の
規定というものの調和を考えますと、どうも
政府の
責任解除というような効果をつけなければ、
議決というふうにかえましても
意味がないのであります。そういう効果を期待しなければ
意味のない
議決の
方向に持
つて行くためには、やはり
憲法の改正を要するのじやないだろうか、この点はなはだ御説明が不十分でありますが、もし御質問がありましたらお答えいたしますが、
結論といたしましてはどうも
議案として取扱
つて、
議決の形にして、結局は
政府の
責任解除なり何かの効果を期待するというような
方法は、やはり
憲法の改正を待
つてやるのが穏当ではないだろうか、こういうふうに私どもとしては考えております。
それから最後に新しい
憲法の、
会計検査院が
決算を検査しという
文字、それから旧
憲法の
会計検査院が
決算を検査確定し、確定という字にかえましたことにつきまして、
会計検査院側の
調査いたしました事実をこの際簡單に御
報告申し上げておきたいと思います。旧
憲法で検査確定しと
言つておりましたことと、
現行憲法で検査しということは、
結論から申しますと同じことだ。結局先ほども御発言がありましたように、旧
憲法でも新
憲法でも、
決算は
会計検査院の検査によりまして、最終的に法事上は確定する。これが動かすべからざる
決算となる。この点につきましては確定という字の有無にかかわらず同じだ、こういうふうに
解釈し、それから運用しておるわけであります。それは新
憲法に基きまして現在の
会計検査院法というものを制定するときにも、実は私どもも疑問を持ちまして、確定という字が除かれたことによ
つて、
決算の最終確定は検査院の手を離れて
国会に移
つたのじやなかろうか、私どもももしそうならばそのように
会計検査院法をつくらなければならないということで、各方面と打合せをいたしまして、結局到達いたしました
結論は、
国会に移
つたのではない、従来
通りの
意味の
規定だ、こういうことになりまして、現在の
会計検査院法というものをつくりまして、そうして
会計検査院法では確定、実はドイツ語の原語を御紹介いたしますとわかるのでありますが、非常に不明確な字であります。あ
つてもなくてもいい字、ドイツでは現にそういうふうに
法律の改正がありまして、前には確定に相当する字が書いてあ
つたが、
あとでは
ちようど日本の新
憲法で除かれたと同じように、除かれても前とさつぱりかわらず運用してお
つたという先例も、ドイツにあるのであります。そういう点から考えまして、確定というようなまぎらわしい字はやめようというので、現在の
会計検査院法では確認という字を使いまして、検査の最終段階、広義の検査という中に入る。ただそれを段階を切
つてわけますと、確認ということが検査の最終段階、新
憲法の九十條の
会計検査院が検査しという中の最終段階としての確認行為、こういうことを新しい
会計検査院法に
規定いたしまして、現在数年にわたりましてその運用をして来た次第であります。この点はあるいは説明がまずか
つたかもしれませんが、もし御質問があ
つたらお答えることにいたしまして私の話を終りたいと思います。