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1949-11-25 第6回国会 参議院 法務委員会 第3号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十四年十一月二十五日(金曜 日)    午前十時四十四分開会   —————————————   本日の会議に付した事件検察及び裁判運営等に関する調査  の件 ○少年法の一部を改正する法律案(内  閣提出、衆議院送付) ○刑事補償法案内閣送付) ○裁判官報酬等に関する法律の一部  を改正する法律案内閣送付) ○検察官俸給等に関する法律の一部  を改正する法律案内閣送付)   —————————————
  2. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 只今から委員会開会いたします。検察及び裁判運営等に関する調査に関して、何か御質疑のおありの方は、殖田法務総裁もお見えになつておりますからこの際お願いいたします。速記を止めて。    午前十時四十五分速記中止   —————————————    午前十時五十一分速記開始
  3. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 速記を始めて。
  4. 松井道夫

    松井道夫君 法務総裁も御出席になりましたので、この際若干御質問申上げたいと思います。先に私から総理大臣施政方針演説に関連いたしまして質問を申上げた事項について、尚疑問といたす点がございまするから、その点をお尋ねしたいのであります。先ず在日朝鮮人に関する問題でありまするが法務総裁の御答弁によりますると、在日朝鮮人は、これは日本国籍を有するものであるという御見解であつたのであります。私もさよう了承いたしたのであります。ところがその後新聞によりますると、大韓民国在日代表部におきましては別個の見解をとつておりまして、在日朝鮮人大韓民国の、大韓民国とは書いてございませんでしたが、韓国籍を有するものであるということを申しております。その理由として、国籍法韓国に施行されておらなかつたというようなことが述べてあるので、まあ法律上どういうことになるか、私も疑問に思うのでございまするが、その大韓民国代表部における意見、そういう意見法律上成立するものかどうか、それに関する法務総裁の御意見を拜聽したいと思うのであります。それからそれに関連いたしまして、在日朝鮮人日本国籍を有するものであるという前提に立ちますると、公民権がないというのが、これは少し矛盾いたすし、又外国人登録令も奇異に感ぜられるのであります。その公民権関係は暫く別といたしまして、私のお尋ねしたいと思いますることは、これは本会議質問のときにも申して置いたのでありまするけれども、法律上はともかくといたしまして、実際上朝鮮人は、例えば職業安定所においても相手にされない。日本人でさえ職業がないのであるからして、君達はとても駄目だといつた工合で、事実上受付けられない場合が多いのであります。それから生活保護法、これは適用を受けておる人もあるそうですけれども、これはまあ地域的にいろいろ取扱いが違つておるらしいのでありまして、全然生活保護法適用をして貰えないという者が多々あるのであります。又国民健康保險、これは地方自治団体などで主体となつて行われておるのでありまするが、これにも入れて頂けないというような事実もあるのでございます。法務府の御見解として、これらの労働関係法律、その他生活保護関係法律、或いは厚生関係法律、そういうものは、日本人と差別なく在日朝鮮人にも適用さるべきものと考えておられるのかどうか、その点をお尋ねしたいのであります。更に、これは本会議でも御質問してお答え頂けなかつたのでありますが、国籍法は現在新憲法に即した態勢で行われておらないのであります。在日朝鮮人日本人であるということならば、その朝鮮人に関する限りは格別問題はないのでありましようが、この際、国籍法を全面的に改正いたしまする時期に達しておるのではないかと私は考えておりますが、その点について御意見を先ず伺いたいと思います。
  5. 殖田俊吉

    ○国務大臣(殖田俊吉君) 甚だ相済みませんが、私も際しい御説明がいたしかねるかと思いますが、朝鮮人国籍の問題は非常に曖昧なのであります。つまり朝鮮人についての国籍については従前の通りにするということでありますから、先ず日本人ではない。日本国籍を持つてつた者はやはり国籍を持つているというのでありますけれども、さればといつて、純粹な日本人と同樣に扱うというのではない。例えば外国人登録令によりますと、外国人と申しますのは主として朝鮮人を指すのであります。その登録令によりましては、朝鮮人外国人になるのであります。台湾人等外国人になつて然るべきでありますが、台湾人は大部分連合国人ということになつておる。連合国人外国人の区別がこれ亦甚だ妙なものである。そこで朝鮮人はその意味においてはいわゆる外国人になつておる。併しとにかく講和会議朝鮮人の問題が本極りに決まりますまでは、とにかく国籍としては日本国籍を持つているものと、こう認められますから、お話のごとく厚生或いは労働等関係におきまして、これが日本人でない取扱いを受けておるといたしますれば、その運用は私は間違つておる。これはやはり日本人並みに取扱うべきであろうと思います。それらは十分今後注意いたしたいと思います。大韓民国が、朝鮮人自分国籍に属する者として取扱いますのは、これ亦いたし方ないといいます。二重国籍はそこに認められるのであろうと思います。併し只今のところ、日本大韓民国と直接外交関係を持つておらないので、大韓民国の政治が日本におりまする朝鮮人に及んでおりまするや、おりませんや、これらもはつきり分りません。いろいろなことを申して参りますが、日本政府として大韓民国意見に直ちに接触するわけには参りません。大韓民国といたしましては、代表者司令部に参りまして、意見を述べるようであります。直接私の所へ申して参りましたのは、公の交渉としては受付けておりません。朝鮮人の問題は、今のところそういうわけでありますから、甚だ曖昧なる状態にあることは、これは止むを得ないのであります。そこで国籍法を今のお話のごとく新憲法によつて改めて、そうしてこれらの問題を解決したらどうかというお話があるのであります。その点も我々の方といたしましても、従来より考えておりまして、研究いたしておるのでありまするが、只今のところ、講和会議で本当に條約が決まるまでは、先ずとにかく曖昧でも何でも、現在のそのままにして置くより外ないという結論に達しましたので、実はそのままになつておるのであります。国籍法を最終的に決める段階に達しておりません。研究は努めてしておるのであります。
  6. 伊藤修

    委員長伊藤修君) ちよつと速記を止めて……    午前十一時二分速記中止    ——————————    午前十一時四十三分速記開始
  7. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 速記を始めて。それではこれで休憩いたします。    午前十一時四十四分休憩    ——————————    午後一時二十七分開会
  8. 伊藤修

    委員長伊藤修君) それでは午前に引続き法務委員会開会いたします。  少年法の一部を改正する法律案刑事補償法案裁判官報酬等に関する法律の一部を改正する法律案検察官俸給等に関する法律の一部を改正する法律案、以上四件を一括議題に供します。前回に引続き質疑を継続いたします。  私一つ伺いますが、刑事補償法案についてお尋ねいたしますが、この法案手続規定は、この性質上非訟事件になるだろうと思うのですが、そこでこの法案規定されておらぬ細かい手続規定は、最高裁判所ルールで決められるつもりか。又そのルールで決めるとすれば、大体の案が用意されておるかどうか。又民事訴訟法又は刑事訴訟法手続を当然準用するか、或いは類推適用するというような場合は、これはあり得ないと思うのですが、この辺は如何ですか。
  9. 高橋一郎

    政府委員高橋一郎君) 只今お尋ねの点は本法案の二十三條で、「この法律決定即時抗告、異議の申立及び第十九條第二項の抗告については、この法律に特別の定のある場合を除いては、刑事訴訟法を準用する。期間についても、同様である。」、こういうふうに規定してございます。そこで例えば刑事訴訟法の四十三條について見ますというと、その第三項に「決定又は命令をするについて必要がある場合には、事実の取調をすることができる。」ということになつております。このように決定について規定のあるものは、この二十三條によりまして準用されることになるので、従つて刑事補償請求手続刑事訴訟法手続によつて行われる。従つて刑事訴訟法に関連する裁判所規則も、当然これに伴つて適用されるということに考えております。尚、裁判所の方で特に法律運用につきまして、手続きにつきまして必要があるとお考えになれば、この法案範囲内でやはり規則を設けることができるのではないかというふうに考えておるのですが、例えばこの刑事補償請求の書式の問題でありますとか、そういつたものは尚規則でこれを補う可能性があると存ずるのであります。ただこの法案が若し施行されましたならば、そのような特別な規則制定を待たずに、裁判所としては当然然るべき申立があれば、それを受理して審理しなければならん義務を負うというように考えておるのでありまして、特別な規則を必ずしも要しない。全体としては刑事補償手続によるというふうに考えております。
  10. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 例えば現行法では、請求請求書を出せというようなことが書いてあるのですが、今度の新らしい法案ではこの点を削除しておられます。それらの点については請求書による外、或いは口頭でもよいとかいうようなことを自由に任せておるのではないですか。
  11. 高橋一郎

    政府委員高橋一郎君) これはお尋ねのように、口頭でも書面でもよろしいというふうに考えております。
  12. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 次に、この法案名称についてでありますが、先般来の御答弁によつて、これは国家賠償法性質を持つておるものであるというふうに拜承されますが、そうすると、現行法制定当時には国家賠償はなかつたのだからして、そこで現行法制定当時の政府説明などに徴しますと、現行法国家賠償法とは認め難いというふうに考えられるのです。本法案国家賠償法特別法というふうに解釈すべきであろうと思いますので、そこで現行法と本法案とは、その本質を異にするものだというふうに理解すべきであろうと思います。そうすると、この補償法という名前も、或いは賠償法と改めた方がよいのではないかというふうに考えられるのですが、その点如何でしよう。
  13. 高橋一郎

    政府委員高橋一郎君) 国家賠償刑事補償との関係は、私共は一般と特別という関係とは考えておらないのであります。国家賠償の方は、公務員故意過失がある場合を前提とした国家賠償責任を定めたものであつて、一方刑事補償の方は、故意過失前提としない国家補償を考えておりますので、一般法特別法、即ち特別法規定のあるものについては一般法適用を除外するというような考え方に立つておりませんので、従つて第五條にその趣旨が現わされておりますような刑事補償を受けまして、金額がまだ十分でない、而も公務員には故意過失がある、こう思つた場合には、更に国家賠償法によりまして差額の賠償を受けることができるのであります。そういうふうに私共は考えておる次第であります。ただお尋ねの今回の刑事補償法というものは、現行法刑事補償とは違うのではないかという点は誠に御尤もでありまして、私共もさように考えております。現行法刑事補償は、何と申しますか、国が補償してやるというような感じがあると思うのでありますが、今回の法案は全く国民の当然の権利であつて、国としては補償する義務がある。こういう考え方に立つております。そうしてその本質は、損害填補であるというふうに考えておりまして、この損害填補であるという意味においては国家賠償と同様の本質であるというふうに考えておるのであります。尚、名称の点につきましては、賠償ということも考えられるかも存じませんが、憲法補償とございますので、それを取ることが適当ではないかというふうに考えて刑事補償とした次第であります。
  14. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 次に、第一條についてでありますが、補償を受ける者は無罪者に限られるということ、及びその範囲を拡張すべきじやないかというような点について、先般来本委員会でも質問が出たのでありますが、裁判によつて無罪を言渡される場合に最も近い一つの場合として、刑事訴訟法の三百三十九條に、決定公訴を棄却する場合のその第一号に、「起訴状に記載された事実が真実であつても、何らの罪となるべき事実を包含していないとき。」というのがあるのであります。これは申すまでもなく裁判による、つまり判決によつて無罪とするまでもない、それ程明白であるということで、決定公訴を棄却するというふうに規定されたわけでありまして、その限りにおいては、判決無罪の言渡しを受けた場合以上に、一層強い理由補償せられて然るべきものじやないかというふうに考えられるわけであります。それからその第二号の、公訴取消しがあつたときという場合も、恐らくは検事が後に至つて間違つて起訴したということが明らかとなり、そうして判決無罪を宣言されるのを待たないで、進んで良心的に取消しをすると、そのために公訴棄却になるという場合が考えられるのでありますが、これらの場合も一層強い理由で実質的には補償せられるものではないかというふうに考えられるのであります。これらの点を殊更に除外されたのは如何なる理由によるものであろうか、一つその点を率直に御説明願いたいと思います。
  15. 高橋一郎

    政府委員高橋一郎君) 誠に御尤もの御疑問と思うのでありますが、この法案を立案いたします際に、先ず私共第一に考えましたのは、勿論憲法四十條の規定でございます。この四十條によりますと、「抑留又は拘禁された後、無罪裁判を受けたとき」というふうに規定してあるのであります。それでやはり裁判所寃罪者たることが確認された場合には、少くともこれは憲法によつて当然刑事補償をしなければならないというふうに考えたわけであります。さて、そういう補償をその他の場合に推し広めるということも考えられるわけでありますが、その点につきましては、例えば今お示し公訴棄却というようなものは、寃罪者たることが必ずしも確定されていないのでありまして、そういう点で果して刑事補償をするということが適当であるかどうかというふうに考えた次第であります。そうしますというと、非常に国民の側にとつては不公平なことになるのではないかという御懸念もおありかと思うが、例えばその三百三十九條の第一項第一号でありますが、これら恐らく起訴状書き方が非常にまずい、一見して物にならないというような場合を指しておるものと考えられるのであります。ところが單に起訴したというだけでは身体の抑留拘禁ということは起つて参らないのでありまして、別にやはり令状を出す必要があるわけであります。その場合に罪とならない被疑事実について令状を出すということは、これはもう明らかに過失でございまして、その場合には当然国家賠償を受けるべきものである。こういうふうに考えるわけであります。従つて必ずしも刑事補償法から除外いたしましても、実際問題として不当な結果は生じないではないか、こう考えられるのであります。  それから次の第二号、公訴取消しの場合でありますが、確かにお示しのような場合があると思うのであります。で、その点につきましては、公訴取消し運用につきまして、我々の方では従来もそういう方針でありましたし、今後も又それで参りたい、参らなければならないというふうに考えておるのでありますが、実際の例をとつて申上げますと、或る殺人事件について甲を起訴して審理中に、別に乙という者が真犯人であるということが分つて参りまして、その者について起訴する場合がございます。そういう場合には裁判上はまだ決まりませんでも、大体もうどちらが真犯人であるかというようなことが見当が付くだろうと思うのであります。そのような場合には、前に誤まつて起訴したと思われる甲の方の身柄は、直ちにこれは何らかの方法、即ち保釈でありますとか、或いは拘留取消でありますとかいうような方法によつて、これを釈放しなければならないものと考えます。それをしないと、それは当然過失になると思うのでありますが、さて身柄を釈放した後において、そういう場合には公訴取消すことが良心的であるか、或いは直ちに無罪の論告をして、無罪裁判を受けしめるべきかであるかと言いますというと、やはりこれは後者をやるべきではなかろうか。公訴棄却でありますれば、実体の裁判は受けないことになる。従つて既判力という点においても無罪裁判よりは、被告人にとつても、不利益である。こう考えるのであります。従つてそういう場合には公訴取消をすべきではなくて、無罪裁判を得しめて、無罪たることを確認し、従つてその効果として刑事補償を受けることになるというふうに考えるわけであります。
  16. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 次に、第二條の第一項について伺いますが、相続人のこうした請求権は、相続によつて承継取得するものであるというふうに理解すべきだろうと思いますが、この場合に、死んだ人の明示し意思に反して請求してもいいのですかどうですか。
  17. 高橋一郎

    政府委員高橋一郎君) それは特段の規定がございませんで、明示し意思に反しても相続に際して請求ができるというふうに考えております。
  18. 伊藤修

    委員長伊藤修君) それではその第二項が非常にむずかしい書き方になつておりますが、これは死亡の場合にも承継取得とする場合の擬制的な規定のように拜見されるのですが、そう解して差支ないのですか。
  19. 高橋一郎

    政府委員高橋一郎君) おつしやる通りであります。
  20. 伊藤修

    委員長伊藤修君) そこで法案では、相続人遺族として、これは現行法ですが、相続人相続人としてでもいいのですが、遺族として継承取得するというような場合がないように考えられるのですが、如何ですか。
  21. 高橋一郎

    政府委員高橋一郎君) その通りとなります。
  22. 伊藤修

    委員長伊藤修君) そうすると、死刑執行を受けた者に対して補償する場合には、その死刑執行を受けたものについて先ず請求権が発生して、それをその相続人相続するというふうな擬制的な方法を用いたわけですか。
  23. 高橋一郎

    政府委員高橋一郎君) そういうふうな建前をとつたわけであります。
  24. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 現行法では、この請求権一身專属権というふうに解釈しておつたと思うのですが、本法案では一身專属権ではなくなつたものと解すべきだろうと思いますから、そうすると、例の讓渡禁止規定と考え併せて、限定承認の場合にどういうことになると解すべきでしようか。
  25. 高橋一郎

    政府委員高橋一郎君) 相続人限定相続をした場合には、補償請求権はどうなるかというお尋ね趣旨と思うのでありますが、補償請求権相続財産になります。ただ補償請求権讓渡されないので、限定相続をしてもその請求権を換価処分することはできません。相続人から裁判所請求して支拂いを受けて、初めて相続債務償還を受けるというふうに考えております。
  26. 伊藤修

    委員長伊藤修君) そうするとその償還に充てないで、自分使つた場合には相続違反として限定承認の効力を全般的に失うことになりましようか。
  27. 高橋一郎

    政府委員高橋一郎君) 相続財産を処分することになりますので、おつしやる通りと考えます。
  28. 伊藤修

    委員長伊藤修君) そうすると讓渡禁止と矛盾することになりませんか。
  29. 高橋一郎

    政府委員高橋一郎君) 相続の場合の限定相続でありますとか、或いは相続分の放棄というようなことに伴つて讓渡をしたと同じような形ができることは考えられますけれども、やはり本質が違うというふうに考えておるのであります。
  30. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 今はなくなりましたが、前時代に、華族世襲財産というものがありまして、これは相続の場合に特別な扱いを受けておつたことは御承知の通りであります。本案の請求権も、華族世襲財産とやや似たものがありはしないかというふうに考えられますので、讓渡禁止にするならば、限定承認の場合にも相続財産からはその意味において除外して考えた方が適当じやないかというふうに考えられますので、その点先ず明確にして置きたいと思います。
  31. 高橋一郎

    政府委員高橋一郎君) 私はこの刑事補償請求権性質相続の対象になるというふうに認めて、従つて一般相続の例に倣うということにすることと、それから讓渡禁止の問題とは、理論的に、必ず片方がこうなれば、一方もこうならなければならないというものではないように考えております。それで相続の点などはすべてこれは一般民法原則によりまして、ただそれについて讓渡禁止の特別な規定を設けたわけであります。それで御意見のように讓渡禁止があるということと、一般民法原則によるということとの間に何か食違いが感ぜられるではないかという御趣旨と思うのでありますが、その辺は先程も申しましたように、民法原則によつてやはり讓渡禁止をしてはならないというようなふうなものではなくて、そのままの性質従つてどちらを選んでも差支えないものではないかと、こういうようなふうに考えておるわけであります。そういうふうに立案の趣旨を御了解願いたいと思います。
  32. 鬼丸義齊

    鬼丸義齊君 法案第三條の「裁判所の健全な裁量により、」というこの趣旨はどういうことであるか、殊に「裁判所の健全な裁量」という文字を特にここに掲げました趣旨を承わりたいと思います。
  33. 高橋一郎

    政府委員高橋一郎君) これは不健全な裁量というものがあつて、それと区別する意味で健全な裁量という文字を用いたのでは決してございません。裁判所裁量と言えば、もうそれは社会通念によつて適正な判断をすることでありまして、それならば特に健全なというふうなことは要らんではないかという疑問も生ずるかと思うのでありますが、憲法で認められた刑事補償請求権というものの例外を判断する場合でありますので、特に丁寧な書き方をいたしたというに過ぎないのであります。
  34. 鬼丸義齊

    鬼丸義齊君 御説明によりますというと、特にこの「健全な」という三字の意味を掲げなければならない趣旨は甚だ薄くなつて参りまするが、併しながらこれを書くことによつて却つて裁判所裁量というものをやはり健全な場合と不健全な場合と法文自体において区別するようなことになつて、書くこと自体がそれ程必要でないのであるならば、さような逆作用を生ずるような文字を殊更法文に現わすことはどうであろうかと思いまするし、又勿論條文はいわゆる無用の文字は成るべくこれを省いて、そうしてやはりありのままの本当の文句に整備して法律は作ることの方がいいのではないかと思うのであります。そこの「健全な」というのは、丁寧になる意味なんでせうが、却つてこれを書くことによつて非常に大きな疑問を生じて参るように思います。特にこれは余り見られない文字でありますから、お伺いいたしました。  それから尚この刑事補償法が新らしく立案されましたことについて、従来ありまする刑事補償法と、それから今度新法によりまする場合の予算の立て方、法務府の方ではこの新法案による場合の予算はどういうふうに見ておりますか、これを承わりたいと思います。前回ちよつと私は説明を承つたのですけれども、従来の補償法によりまする補償金額説明を先だつて承わりましたけれども、どうも私まだ十分呑み込めないのですが、重ねて一つ何年に件数は幾らというふうにもう少しよく説明を後で承わりたいと思います。
  35. 高橋一郎

    説明員高橋一郎君) 「健全な裁量」につきましては当然のことであつて、むしろ書くことによつて他の場合に粗末であつてよろしいというような反対解釈を生ずる虞れがありはしないかという御懸念、御尤であります。「健全な」を省きましても別段意味には全く変りはないと考えておりますが、ただ「健全な裁量」と置くために、單に「裁量」と書いた場合が、不健全と言いますか、或いは一段下つた粗末な裁量になる、或いは一般にそういうふうに解せられるというような心配はないのではないかというふうに考えております。  それから予算の点でありまするが、従来の刑事補償法によりまする場合には、法定金額も非常に僅かなものでありましたし、それから件数も僅かでありましたので、予算的に見るべきものは殆んどございません。新らしくこの法案によります所要金額ちよつと申上げます。これは最高裁判所予算の中に組まれるものでありまして、本年度の補正予算と昭和二十五年度の通常予算との分について、大蔵省と最高裁判所との間に協議の整つたものについて申上げます。先ず計算の基礎を申上げますが、お手許に配付いたしました刑事補償請求事件の累年比較表というのがあります。一綴りの中に第三表といたしまして、新憲法実施後、本年七月末日までの未決勾留を受けた後、無罪の確定判決を受けた者の罪名別、人員並びにその未決勾留日数調が付けてございます。それでこの表の最後を御覧願いますというと、人員が千九百二十名で、未決勾留日数が十一万一千五百六十九日と、こういう数字が出ております。この中で本年一月一日以後の者はどれだけあるかと申しますと、この間には出ておりませんけれども、一月から三月までの調べてありますけれども、無罪の人員が六百三十八人であります。それでこの無罪になつた者の中で、抑留拘禁された者はこのうち約三分の一でございます。それからその者の拘留日数は一人平均六十九日という数字が出ておる。これだけの資料を基礎にいたしまして、千九百二十人の溜つております分の中から、本年に入つてからの分を一応除きまして、それだけはつまり初年度にだけ経費を要するわけであります。その溜つております分を、この刑事補償法が施行になつてから、すぐに全部拂つてしまいますれば、あとは毎年々々の無罪の分だけが経費を要するという勘定になつておるのであります。そこでこの毎年毎年恒常的にどのくらいの経費を要するだらうかということを、先程申上げた六百三十八人のうち三分の一が拘留で、一人平均六十九日の日数であるということを基礎にいたしまして、結局これを四倍いたしまして、四倍と申しますか、それが三ヶ月の数でありますから、年間にして見れば、それの四倍ということになります。そういう計算をして、一年間の刑事補償の対象になるところの日数と件数を計算したわけであります。この日数に現在二百円乃至四百円となつておりますので、平均三百円という数字を掛けまして、それから別に新聞広告、官報広告等の経費を、これを一件一万五千円という計算をいたしたわけであります。そのような方法をとりました結果結論を申上げますと、今後一年間、具体的に申しますと、昭和二十五年の四月一日から再来年の三月末日までの一会計年度中に刑事補償法の対象となるものについての経費、これはその後も毎年恐らくほぼ似た金額が計上されなければならないと思うのでありますが、その経費は千九百八十四万二千九百円という数字になります。それからその分を除きまして、今までに溜つております分、初年度だけ要するであろうという経費が四千八百六十三万二千百円という数字になつたわけであります。ところでこの補正予算といたしましては、それだけ今までに無罪が溜つておりますけれども、全部が刑事補償法決定が本会計年度内に決まりまして拂渡しを受けるとは実は限らないわけで、むしろもつと延びるだろうと思います。その関係で今申上げた四千八百万円余の中から追加予算……先程補正予算と申上げましたが、追加予算でございます。追加予算では九百八十六万四千円だけ一応計上いたしまして、残りは来会計年度に亘るということで繰越しまして、三千八百万円ばかりを、前に申上げました年間計上分の千九百万円余を加えまして、来年度予算中に五千八百六十一万一千円を計上しておるわけであります。大体そんなふうなことであります。
  36. 鬼丸義齊

    鬼丸義齊君 只今の基礎となるという第三表の二十二年五月の三日から二十四年の七月末日までにおける累計の人員並びに未決勾留日数の調、この表が基礎となる場合は、この点で違つて来るのでありませんか。従来ありまする補償法過失相殺ですか、過失相殺を今度は非常に狭めて参りましたことによつて、件数だけでは予算が足らないのじやないかと思うのです。過失相殺をする場合というのは、今度は三條の規定によつて改正されたために非常に範囲が広くなつて来るのじやないか、その点はどういうふうに御覧になつておりますか。尚続いてこの第三條の第一及び第二についての説明を承わりたいと思います。
  37. 高橋一郎

    政府委員高橋一郎君) 只今申上げました予算の方では、過失相殺的な考慮は全然加えておりません。つまりこの三條によりまして、刑事補償を受けられないという者が若干は出るかと思いますけれども、それは無視した計算になつております。ですから予算で賄えないという心配は先ずないだろうというふうに考えております。  それから今お尋ねの三條の趣旨でございますが、これは旧案では、御承知のように「本人がことさらに任意の自白をすることにより、」云々というふうに書いてあつたわけであります。その点を今回案を練り直しますについていろいろ議論をしたのでありますが、この旧案の書き方ではやや意味が不明確である。それで解釈の如何によつては従来のような、先程申上げた過失相殺的な運用に近くなる虞れがあるのではなかろうかという点を心配いたしまして、それでもつと趣旨を明確にしようじやないかということで、今回のこの一号のような表現になつたわけであります。そこで今回の表現にいたしました結果、私共といたしましてはどういう場合がこれに当るかというと、先ず考えられる例としては、親分のやつた犯罪を隠すために、子分が買つて出たというような場合、それからこういうことが実際にありますか、どうですか分りませんが、刑務所志願のために、ありもしない罪を買つて出たというようなことが若しあれば、それも含まれる。併しまあ考えられるのは、そんな場合ではなかろうか、大体の場合はもうそういう問題を考えないで、刑事補償をすることができるというふうにいたしたわけであります。尚、そういう場合の立証はどうするかという問題もありますのですが、それは裁判所の方でこれは判断すべき問題でありまして、刑事補償請求する側において、一々この例外には当らないというようなことは、特に立証する必要はないというふうに考えております。
  38. 鬼丸義齊

    鬼丸義齊君 そういたしますると、第三條第一号並びに第二号の場合においての立証責任は、裁判所にあると解していいのですね。
  39. 高橋一郎

    政府委員高橋一郎君) さようであります。
  40. 鬼丸義齊

    鬼丸義齊君 尚、只今説明になりました一号、二号というふうな場合があるといたしますれば、故意若しくは過失によつて、みずから国家に対して損害を与えたというようなことになるのであつて、殊更に條文自体がなければならないというふうにも考えられないのですが、これはなければやはりいけないでしようか。その点を……他に何かやはりその点に対するそういう不自然な行為について、国家の立場として本人に……これはちよつと間違えました。これはやはり特にこの程度に書かなければならんということで、結局事実の問題は殆んど三條の適用の場合にないというふうに見ていいのですね。
  41. 高橋一郎

    政府委員高橋一郎君) 非常に少ないと考えております。全然ないわけではないと思うのでありますが……
  42. 鬼丸義齊

    鬼丸義齊君 前回第一條の補償範囲について私よりお尋ね申上げたのでありますが、政府の方では憲法の四十條に規定してある無罪裁判を受けた場合、即ちこれは起訴における事件のみが無過失補償をなすというふうに解しておるのであられるか。或いは憲法の四十條の趣旨というものは、国家理由なく抑留若しくは拘束をしたすべての者に対して、それが無罪、即ち罪なくして、理由なき拘束であつたというような場合は、すべてやはりこの憲法の四十條によつて救うべきものであるというふうに、基本人権の尊重の意味から規定されたというふうに解するわけには行かないのですか。その点もう一つ明確にこの際お答えをして頂きたいと思います。
  43. 高橋一郎

    政府委員高橋一郎君) 憲法四十條の解釈自体といたしましては、私共としては、やはり裁判所無罪が確認されたというものというふうに考えておるわけであります。ただそれでは、それ以外のものについては何らの措置を取るべきではないという趣旨では勿論ございませんので、同じ人権尊重の精神を外の場合に押し拡げるということは十分考えられることでありますが、ただこの憲法四十條によりまして、国が義務付けられておるのは、やはりいわゆる無罪裁判の場合であるというふうに解釈しております。
  44. 鬼丸義齊

    鬼丸義齊君 若し只今の御説明のごとくであるといたしまして、故なき拘束に対しては、国民に対しては国家が責任を負うのが正しいのだというふうでありといたしますならば、私は無罪裁判を受けて起訴後において扱われます事件というものは、むしろどちらかというと、嫌疑の濃厚な場合、嫌疑濃厚であつて罪の成立が見通しの上において十分だという場合にのみ起訴されるものだと私共解釈します。検事の方では……そうしますと、その事件自体性質からいたしますれば、起訴後における事件こそ嫌疑が濃厚であるが、起訴せられずして嫌疑なし、或いは証拠不十分というようなことになりますに至つては、更にそれよりもいわゆる嫌疑というものは薄いわけであります。いわゆる本人の場合に取りますならば、むしろ思わざる災厄を蒙むつたことになる。それに対しては一般国家補償故意過失の立証をなして原状回復を認めるということ、になりますならば、どうもその間の区別が甚だ逆な実は結果になるように思う。でありまするから、基本人権を尊重する意味において、やはり国家国民との間においても、そうした不自然なる理由なき拘束等があつた場合においては、やはりこれを原状に回復してやるということであるならば、むしろ私は起訴にならないことによつて抑留或いは拘束された者が罪なしということに決定した理由ある場合においては、当然それの方を先ず以て成るべく本人の方でたやすく賠償を受けるようなことにすることの方が私共正しい行き方ではないかと考えるのであります。立案者の方では、そういうものは結局非常な予算も厖大になり、或いは手続上においても非常に面倒だということによつて、起訴と不起訴とにおいて区別をすることになるのは、一方に非常に厚く、一方に非常に薄くなるような不平等扱いをするようになりますが、その辺の切捨てた趣旨はどこにあるかを、もう一遍御説明を頂きたい。
  45. 高橋一郎

    政府委員高橋一郎君) 只今の御質問の点でありますが、前回申上げましたように、これを認定するような場合に、いわゆる刑事補償をすべき場合であるか否かということを認定する制度自体の問題もございますし、又勿論財政上の問題もあると思うのであります。その点は前回お答え申上げた通りなんでありますが、尚附加して申上げますと、不起訴になりました場合には、抑留、拘禁の日数が限定されてございます。勿論これは最長二十三日に亘るわけでありまして、受けた本人にとつては非常な苦痛であらうと感ずるのでありますが、ただ起訴されて長い間拘禁されることに比べては、すべて制限がありまして、それよりはより少ない、一般より少ないということが言えるわけであります。  それからこの刑事補償ということを一体どこまで押し拡めるかという問題については、私共はこういう実は感じを持つておるのであります。つまり小さな或る村のようなものについて考えますと、村から例えば役所に呼び出されますというと、電車賃も要れば弁当代も要るというわけでありますが、その場合に全く外の所からそういう弁当代や汽車賃などが拂つて貰えるならば、これは如何なる場合にも拂つてつた方が、これは人権尊重のためにあついということになると思うのであります。ところがやはりそれが同じ国民の間で負担しなければならない、つまり村で言いますというと、その村の誰かが呼び出されたならばその費用を、その当人じやなくて、当人を含めて全部が負担する、一々全部が負担すると、こういうふうなことになると思うのであります。そういたしますというと、そこにやはり、そこまでしない方がよいのではないかというような考え方もやはり出て来るのではないか。この辺は国民一般の感じで、これは決めざるを得ないところではないかと思うのであります。従いまして若し極端にこの刑事補償という精神を押し拡めて参りますと、苟くも国家公権力により理由なき拘束等の迷惑をかけた場合には、全部これを補償する。例えば何も抑留、拘禁に限りませんで、臨検、捜索なんかにいたしましても、それが理由がない場合には、やはりこれを補償するというような議論にもなつて参るのではないかと思う。どこへ来るかということは非常にむずかしい問題でありますが、不起訴処分の補償につきましては、いろいろそういうような点を考えました結果、今日の段階においては、これがやはり適当ではないかというふうに考えております次第であります。
  46. 鬼丸義齊

    鬼丸義齊君 現行の刑事補償法ができますまでは、御承知の通り国家は何ら補償の救済の途も何もなかつたのであります。切捨御免、国家のなすところは皆悉く正しいのだというふうにして切捨御免の状態であつた。それは如何にも公正でないという趣旨から、現行刑事補償法というものができたのだろうと思います。そこでとかく元のやはり考え方で、元は全然切捨御免じやなかつたじやないか。それがせめてもの若干の補償なつたならば、むしろそれはその人に対する一つの恩典だ。それだけはむしろ恩典に考えるべきものじやなかろうか、今度の補償法創設に対しましても、やはりそういうような考え方があるのじやないかと私は思います。尤も刑事補償に対する列国の先例等もいろいろありますが、一体民主国となつて今度行きまする上においては、やはり正義、公正で、国家と雖ども国民に対して理由なき拘束等の迷惑をかけた場合には、これはやはりちやんと公正に賠償をして、地なしをして行くことが正しいものなんだというので、国家みずからが義務を負う。それを原状に回復してやる義務国家が持つのだというような考え方で、私は刑事補償というものは立案すべきものじやなかろうか、又この制度を布くべきものじやなかろうか、いわゆる元の考え方のごとくに、一つの恩典的、恩惠的の制度のごとくに考えまするというと、せめて起訴後の分だけやつたならば、あとは切捨御免で、仕方がないじやないかというふうに見られるものでありますけれども、私は刑事補償法を作る趣旨は、列国の先例の有無に拘わらず、苟くも国家理由なき抑留拘束等をして精神的にも、物心両面に対して国民に迷惑をかけた場合には、国家はそれを原状に回復してやるということがむしろ正義、公正になるのだ。こういうふうに私共考えることの方がこの刑事補償法制定の本旨ではないかと考えております。立案者の方ではやはり従来の一つの沿革に捉われて、そういうような考え方があるところから、その起訴、不起訴によつて前は切捨御免だ、あとの方は賠償するのだ、こういうふうに御覽になつたのじやないかと思いますが、少しうがち過ぎたお尋ねでありますけれども、併しながら重要な根本になると思いますから、伺いたいと思います。
  47. 高橋一郎

    政府委員高橋一郎君) 我々は立案に当りまして、若しそういうことがあつてはならんというふうに考えまして、できるだけ前の現行法のような恩惠としてやるというような考えを持たないように実は努めて参つたのでありまして、ただ今の不起訴の場合や何かについても、これが当然やらなければならないのじやないかというふうには実は考えませんで、その辺は全くこれは政策の問題として決めて行かなければならないのであつて、原案の程度で一番程のよいところではないかというふうに考えたわけでありまして、その点を、立案の趣旨としましては決して恩惠などというようなことはいたさなかつたつもりであります。
  48. 松村眞一郎

    ○松村眞一郎君 私は只今の鬼丸さんの御質問に関連して、原案者のお心持は、起訴、不起訴を決める前の、捜査時代における拘禁というようなことに対しては、証人などの関係から見て何らの金銭上の形における補償をしなくてもよいという考えなのでありましようか、どうですか。それは捜査時代における証人の尋問というものがありますね。その証人はやはり日当を頂くのではないかと思う。そうすれば証人すら日当を貰うのに、捜査の本人である方はよろしいということになるというのでは不均衡とは考えられないかどうかという点をお答え願いたいのです。
  49. 高橋一郎

    政府委員高橋一郎君) 確かにお示しのような点はあると思います。ただ証人の点は、現在は裁判所で呼びました場合に一定の旅費、日県を支給する。それから検察庁で呼びました場合には特別の必要のある場合に限つてこれをやることができるようなふうになつておりまして、非常に遠方から呼んだ場合とか、何とかというときにこれを支給しておるようであります。併し少いにいたしましても、そういう場合はあるのでありまして、その場合に比べますと、この場合には支給するということにならざるを得ないと考えるわけでありますが、そういうところはございますけれども、それでは一般に不起訴の場合のみ補償するようにしたらよいかということになりますというと、どうも不適当というふうに考えておるわけであります。
  50. 松村眞一郎

    ○松村眞一郎君 そういたしますと、疑いのある人は、あとでは起訴しなかつたというような人もある。その人に迷惑をかけた程度が、その捜査の……起訴、不起訴を決めようとする材料として来て頂く証人、それよりも軽く見ているが、迷惑はむしろその方がかかつておるのではないかと思う。疑いがかかつておるのですから、証人は極く淡白なんで、そういうことがあるかどうかということを決めるだけの出頭に過ぎないのに、それに対して場合によつては証人に対して日当なりを出すというのであれば、その疑いのかかつておる人も場合によつては出してもよいというぐらいまでの考えは起らなかつたのであるか。その点をお聞きしたい。
  51. 高橋一郎

    政府委員高橋一郎君) これは結果から見ますというと、非常に気の毒な結果になるわけでありますけれども、身柄抑留拘禁という場合には、必ずそのようなことが起りますだけの嫌疑というものが前提にならなければならないわけであります。このような嫌疑をかけますについて、役人側に故意過失があれば、これは国家賠償の対象となるわけでありますが、そういうことがない場合には、やはり数多くの中では不幸な偶然があるわけであります。証人の方はそのような嫌疑も実はないわけでありまして、成る程これは受けます側から見れば、証人として呼び出されるよりは、実際に被疑者として抑留拘禁される方がどれ程辛いか分らないわけでありますがやはり一方において疑いがあつて、そういう掛かり合いになつた。それを若し御指摘のような点を考えまして、証人でさえも旅費、日当をやるのである。もつと迷惑のかかつた場合には当然これはやるべきではないかということになりますというと、要するに嫌疑なしの不起訴全部については、これはやるということにならざるを得ないと思うのであります。ところがそれにつきまして、前回及び今回申上げたような難点がございまして、それはやはりやることができないというふうに立案者といたしましては考えました次第であります。
  52. 松村眞一郎

    ○松村眞一郎君 裁判所の健全なる裁量によつて補償の全部又は一部を支給しないということがあるということが、三條にあるわけですが、裁判所の健全なる判断ということを、そういう場合に用いるという余地もあるのではないかと私は思いますが、いろいろの場合があるだろうと思います。明瞭にこれは間違いであつたということが、必ずしも私はむずかしいということは言えないと思います。非常に嚴格な議論をしますと、上の裁判所で引繰り返るというような裁判をしたのは、それは善意であつて過失ということが言い得ると思います。そういうことは問わないで、裁判所過失があつても、それはあとの求償問題に讓つてしまうということに刑事補償法の精神があると思います。或いは本当に故意過失に出ておる場合でも、一応補償法被告人の側になつておる人だけを片付けて置いて、尚それが故意過失であるとして求償することは妨げないと思います。それは一応の手続として補償法請求する。その後は裁判官に実際過失があつたかどうかということになれば、それは内部の方の関係で相当判断し得るのではないかと思います。私はこの補償の場合でも故意過失があれば、賠償国家は求めてもいいのではないかと思います。その点は如何ですか。国として過失のために或いは金を拂つたという場合、国家は求償し得るという権利を留保するという考えがないかどうか伺いたい。
  53. 高橋一郎

    政府委員高橋一郎君) 前回も申上げましたのでありますが、刑事補償法故意過失前提といたしませんので、それに重大な過失のある場合において当該公務員に求償権を国に認めるということは、どうもこの刑事補償法においては不適当に考えております。国家賠償法などにそういうふうな規定を設けるかどうか、つまりお尋ねのような故意過失があるけれども、併しそれを立証するというような面倒なことをしないで、刑事補償法手続で比較的簡單に補償は受けたい。こういうような場合にやはり刑事補償を受けるわけでありますが、こういう場合においてもやはり国家償賠法と同じような求償権を認めた方がいいのではないかという御趣旨と思いますが、その場合にはやはりそういう手続によります関係で、当該公務員故意過失のものが、確認されていないと考えるのでありまして、どうも求償権はこれは必要がないのじやないかというふうに考えております。
  54. 松村眞一郎

    ○松村眞一郎君 賠償法補償法との関係は、賠償原則であつて、その証明をしないでかかる場合には補償で行くという趣旨とお考えになつているのじやないでしようか。広い意味賠償の中に補償も入るのでありまして、ただ被害者の側から見れば同じなのです。官庁に過失があろうが、なかろうが、とにかく拘禁されたという事実がある。それに対して或る程度の補償をするということが人権擁護のために必要なんだ。補償といつて賠償といつても、それはただ法律がそういうことを書いておる、憲法がそういうことを書いておるだけであつて、被害者の方の側から見ますと、故意であろうが、過失であろうが、ともかくそこに拘禁されたという事実がある。それが理由がない、その理由がないというのは、原因は官吏の方の、公務員の方の過失であつたか、無過失であつたかこれは別として、国としては、ともかくなすべからざることをしたのであります。でありますから被害者の方から見れば、原因によつてかれこれ言われては実は困るのです。それは国家内部の話なのであります。そうすれば迷惑を蒙むつておるのは、ともかく国から何とかして貰おうじやないかというのが精神であると思います。そうすれば出したあとで、国家は又内部関係でそれを検討して見て、過失があるなれば求償して一向私は差支えないと思う。だから補償手続で来た場合には、明らかに過失があるけれども、政府はその公務員に対して何ら求償をすることができないのであるというような立法をするということはどうかしらと、私は考えます。補償をしようが、賠償しようが、国家がともかく補償をした以上は、その名目が公務員過失であろうと故意であろうと……特に故意であるという場合も私はあるだろうと思います。併し一々故意であるというようなことを証明するということは、被告人の側になつた方としては非常に面倒でありますから、取敢えず名誉侠復の意味において金は貰つて置こうということで、その点において被害者の場合は処理が済んでおる。国家はただ被害者の態度だけで満足することができない。やはり検討して見なくてはいかんと思う。内部で公務員がどういうわけでそういうことをするか、検討した結果は明らかにこれは故意であるということが分つておるけれども、本人が補償料の方で行つたから、請求はしない、それは勿論懲戒を問題にするようなことがあるかも知れない、それでもともかく償償法だから賠償を要求しないというような考え方では、私は内部の統制が付かんと思うのです。そういうわけだから補償法も亦賠償法の一部である、相続賠償法にあるのだという考え方から、補償法賠償法とを一丸とした纒まつた立法を作る必要があるのじやないかというような私は考え方なのです。賠償はただ憲法に「賠償」と書き、片方には「補償」と書いておりますけれども、文字を受けることはこれは止むを得ないことでありますが、国家賠償するという方の立場は、いずれにしても人権擁護の根本精神から来ておるとすれば、国民の権利を保護するというのが要点であつて憲法もそのつもりで書いておるのでありますから、それでありますから、立法する場合においては、打つて一丸として、国民に対する迷惑は何とかして償おうじやないかという出発点から考慮すべきものじやないかと私は思う。憲法と両方の趣旨を酌んで、纒まつた立法をするという時期に到達しているのじやないか、取敢えず国家賠償法というのもあの際出した、併しその中の規定というものは極めて不備であつて、今の相続権というような関係もまだはつきりしていない。この補償法に基く権利はこれはどうしても相続を許さない、それから賠償法で行くというと、相続を許すかどうかという問題も直ぐ起つて来るわけです。故意過失の場合であれば相続はできるのである。故意過失でなければ相続ができないというような考え方も私はおかしいと思う。賠償法でひとしく裁判官の失態であつた請求をした場合に、補償法で行けば相続はできない、賠償法で行けば相続はできるというようなことで私はこれは説明ができないと思う。どうしても賠償法補償法とが一団となつて、よつて得たところの権利の本質がここに同じものであるか違つたものであるかということを、ここに検討しなければならないと思いますが、本質は違つたとお考えになつておるのですか、同じとお考えになつておるのですか。
  55. 高橋一郎

    政府委員高橋一郎君) 国家賠償刑事補償とは、損害の補填であるという点においては全く同様であるというふうに考えております。先程委員長の御質問に対しまして、特別法一般法との関係にないということを申上げましたのは、若しそういう表現を用いますというと、刑事補償法特別法であつて刑事補償を受けた場合にはもはや一般法適用はないので、国家賠償を受けられないという解釈も成立つだろうと思うのでありますが、そうではないということを申上げたかつたわけであります。で損害の補填であるという意味におきましては、これはもう国家賠償と全く同様でありまして、ただ国家賠償法公務員故意過失前提とするし、刑事補償の方はそれを前提としないところの、いわば刑事補償、社会補償的なものであるというふうに観念しておつたわけであります。それで只今御指摘のようなことも、特に国民の方から言えば同じことであるからして、刑事補償相続国家賠償法にあるというふうな考え方をしてもいいのではないかと言われます御趣旨は御尤もであると思うのであります。ただ実際問題といたしましては、まあ普通は瑣末な過失なんかを一々立証してやる煩に堪えないので、刑事補償で行くと思うのでありますが、求償権の問題になりますのは、故意又は重大な過失という著しい場合でありまして、そういう場合は恐らく刑事補償では賄い切れないのではないか、実際問題としては国家賠償によらざるを得ないのではないかというふうに考えますので、特にこの刑事補償につきまして、求償権の問題を考えなくてもよいのではなかろうかというようにも考えておるのであります。
  56. 松村眞一郎

    ○松村眞一郎君 私としてはこの求償権よりも、この請求権です。補償請求権というものと賠償請求権というものは、財産権としての性質を異にするものだというお考えであるかどうかということが要点です。相続を許すかどうかという点です。そういうようなことは賠償の方にも考えなければならん問題じやないか。賠償のところにはそういう規定は書いてない。それからこれは当面の必要から極く簡單な條文で進んでおるのでありますが、今度は補償法というこんな詳細な規定を作られるという段階になつたならば、賠償法補償法を今度は一緒に考えて、権利の性質を根本的に検討して始めるべきじやないか。補償法で行けば相続、移転は許さない。私はこれは又別に質問するつもりでありますけれども、権利の移転性ということに対して制限を与えて、おる。この補償請求権というものは制限を付けておる。それから賠償の方にはそうした規定がない。そうするというと、故意過失によつて重くなつた場合には移転はよろしいということになるかも知れません。軽い場合には移転は悪いということになるかも知れません。それは事柄によつてはどつちで請求してもいいことがあるわけなのでありますが、故意過失のあつたということが明瞭な場合には必ず賠償法で行かなければならんという規定はないのでありますから、それは実は損害を蒙むつた者の勝手である。どつちに行くか、片一方に行けばその請求権性質が違うというような、そういう不便なことを国民に強いるということは私はどうかと思うのです。国民はどつちで行つても、ともかく同じような賠償をして貰えばいいのであつて、そういうことを考えますというと、補償賠償とを通じたる広い意味賠償と言つていいと思いますが、その相続をここに考える必要があるのじやないか、凡そ国家公務員全体が如何なる行動に出するとを問わず、それが司法権の発動であると行政権の発動であるとを問わず、国家、国というものの損害行為があつた場合の請求権に対する根本観念を固めてかかつて、そうして立法すべき事態になつているのであります。今日ただ刑事補償法というものが元からありましたから、それをただ改正案で行くというようなもう場合ではない。憲法から変つてしまつておる。その際の法律を作る場合には憲法を受けて、憲法の十七條、四十條とを打つて一丸として、ここに総合的な考えをして、或る原則を作つて、それから刑事の方はこうする。刑事にあらざる行政についてはこうやるというような工合に立法を進めるものではないかというように私は思うのです。個々別々にやつて、どれが総則であるのか、原則であるのか、原則であるのか、これは御説明になつても分らないと思います。賠償法適用を妨げるとか、或いは賠償法によるとかいう規定はこの補償法の中に明瞭に書いて置かないというと、そういうことは立法の際に用意すべきである。そういうふうに考えるのですが、一緒になつて考えを統一した思想の下に立法がされておるのか、どうかということを伺いたい。それであるから、もう少し明瞭に公則と特別法一般法との関係を付けて置きたいと思うのです。先程の御説明のような意味の、総則と特別法というような関係ではない。今申上げましたような権利の本質から考えて行かなければならないと私は思うのです。そういうように考えられたのであるかどうか。補償法の系統と賠償法の系統を打つて一丸となして或る考えができて、そこで補償法ができたのであるかどうかということを、この立法の用意の方面から御答弁を頂きたい。
  57. 高橋一郎

    政府委員高橋一郎君) 刑事補償補償請求権本質と申しますか。これはいわゆる財産上の請求権でありまして、その意味では国家賠償請求権と同様であると考えておるのであります。それについては民法原則に一応よることにいたしまして、その点も国家賠償請求権と同様であります。ただ讓渡禁止などにいたしました点で、若干取扱いの差違が出て参つたのでありますが、これは又あとにお尋ねによりましてお答え申上げることといたしまして、こういう機会に国家賠償なり、刑事補償なり、そういう個々のものに捉われないで、一般国家補償責任というものについて統一的に考えるべきではないかという説は誠に御尤もなのでありますが、ただその問題を統一的に解決いたそうとするときには、單に刑事手続に限りませんで、いわゆる公権力の行使の中でこれを考える必要は無論ありますし、さてそういう点を実際に考えて、これを統一的にこの段階において何か決めるということは、ややその時期ではないのではないか。それでやはり個々に問題となる点を具体的に解決して行つて、漸次進むべきではないかというふうに実は考えているのでありまして、非常に、初めに先ず原則というようなものを統一的に把握してやるということは、これは誠に結構でありますし、我々も又そういうふうに努力しなければならないのでありますが、それでは却つて何と申しましようか。その方の研究によつて刑事補償手続自体が遷延する虞れも多分にあるのではないかと考えたのであります。
  58. 松村眞一郎

    ○松村眞一郎君 私のお尋ねするのは、賠償法が総則であつて補償法がそれに対する特例であるというような御説明があつたのじやないかと思います。それであれば、総則的の考えを先ずどこにかお定めになつている筈であると思うのであります。全然別の法律という御説明なら明確でよろしい。ところが場合によつて賠償法によるのだという考えもあるように考えられますから、それであると両者の関係をはつきりして置かないと、権利の観念が不明確になるということを私は申しているのであります。賠償法で行きますのは……そうするというと、相続は構わないというお考えでしようね。
  59. 高橋一郎

    政府委員高橋一郎君) さようであります。
  60. 松村眞一郎

    ○松村眞一郎君 そうしますと、なぜ補償法相続を禁止しなければならんのですか。
  61. 高橋一郎

    政府委員高橋一郎君) これは刑事補償法相続を禁止しておりませんのです。
  62. 松村眞一郎

    ○松村眞一郎君 私の申すのは第十六條、第十七條を言つているのです。いろいろ細かい規定があるが、こういうことをなぜ書かなければならんのかということを言つている。補償請求をする場合に、或る順位の相続人があつた場合に、その一人に対してなされたものは、同順位者全員に対してしたものとみなすとか、いろいろなことを書いてありますが、そういうような関係から、そうして一旦請求手続取消した者は、もう一遍請求することはできないという規定があるわけですね。そうしまするというと、その意味では請求手続だけはできないのであつて相続の方の側では、やはり内部関係ではその権利を持つているのかどうかということを前に私は質問している。請求するという手続だけによつて一旦請求取消した以上はもう一遍できず、他の相続人の方は請求して差支えないのですか。他の相続人が全額の請求をするでしよう。そうした場合に、今度はそれが国家から補償金額が決まつて、支拂の金額が確定して支拂いがあつた場合に、前に請求をして取消した者は、あとで分配の請求をすることができるかどうかということで、私先だつてお尋ねしたのです。私は分配できると思う。ただ請求手続だけを禁止しておるのであつて、内部関係では一つの権利であると私は思いますが、その点どうですか。
  63. 高橋一郎

    政府委員高橋一郎君) 刑事補償請求いたしました相続人の中の一人の者がそれを取消した場合には、その者は再び請求手続はできませんけれども、他の者が請求することは妨げませんし、又その請求手続による効果は取消したところにも及びます。それは御意見通りと考えております。
  64. 松村眞一郎

    ○松村眞一郎君 それでありますというと、その請求権は、確定した後は相続財産になるという考えでありとすれば、その後は移転は自由でありますね。確定した後においては相続財産になつてしまう。そうすると、相続債権者はそれに対して請求は勿論できるということになるのじやないかと思いますが、如何でしよう。
  65. 高橋一郎

    政府委員高橋一郎君) その補償をする決定が確定いたしました場合には、第二十二條によりまして、名付ければ補償拂渡請求権ということになると思うのですが、確定された決定の公報を以て、裁判所に実際の金銭を受取りに行くという手続なんでありますが、それもやはり讓渡禁止になつておりますので、その手続を経て現実の金を受け取つた後には自由でありますけれども、それまでは讓渡禁止はできず、従つて差押の対象にもなし得ないというふうに考えております。
  66. 松村眞一郎

    ○松村眞一郎君 それは第二十二條の立法理由が私には分らないのであります。これは補償請求権補償拂渡の請求権とは同一であるという立場になつておるのであります。それは私は同一に見るべきでない。補償請求権というものは手続上の問題でありますから、請求をして取消した者が、又請求するというようなことをやつたのでは困るのでございますから、一旦取消した者はいけないということで、補償請求権について讓渡ができないということは、一旦取消をした以上はもう一遍請求するということはできないということから出ておる思想だと思うのであります。併しながらそれは決まつてしまつて裁判所でこれだけの金額を拂渡すと言うた以上は財産権になつてしまつておるのです。それは先程の御説明でも、あとは相続財産として分配を禁じないということであるならば、それが請求しても一向差支えないというふうに私は思うのであります。それから立法論としても、二十二條で補償請求権讓渡すことができないというところを仮に認めても、後段については私はよくないと思つておりますから、それとは別な問題かと思うのであります。そういう手続だけのことであるならば、この法律手続の方が要点でありますから、これはよかろうと思うのであります。ところが確定したものでも讓渡ができないという思想が、刑事補償法はそうでありますが、賠償法の場合にもやはりこういう考えであるかどうか。そうであれば賠償法の方にも書かなければならん。そういう場合には何にも書かないで、こちらだけに書くということは、どちらが総則であるか、例外であるかということが私にはよく分らないのでありますが、その点のお考えはどうですか。国家賠償法もそういうふうに考えておるのですか、どうか。
  67. 高橋一郎

    政府委員高橋一郎君) 先程私が国家賠償法の方が総則であつて刑事補償法の方が特別法であるというようなふうに申上げたようにお取りになつたのではないかと思うのでありますが、そうではございません。全く別個な法律でありまして、その間に一般、特別、その他の関係はない。ただ繰返して申しますように、損害補償であるという意味においては両者全く同樣であります。ただ国家賠償の方は、いわゆる民法損害賠償と同樣、故意過失を前堤とする場合の国家損害賠償を定めておるのでありますが、刑事補償の方では、その点が国家賠償と違いまして、つまり損害を補填する意味においては全く同樣でありますけれども、刑事補償の方が社会保障的なものであるという意味において、国家賠償と区別されるというように考えておるわけであります。従いまして、この二十二條の讓渡禁止等も、とにかくちやんと現金にして請求者に差上げる。あとは勿論御本人の自由でありますけれども、それまではきちんと他の者を入れないで直接に補填するということがこの社会保障的な特質に鑑みまして本当ではないかというふうに考えました次第であります。労働者災害補償保險法、その他まあいろいろの性質の違いはございますけれども、社会保障的な制度におきましては、やはり同種の制度を設けているようでありまして、そういう意味では国家賠償とは区別されるというふうに考えております次第であります。ただ国民の側といたしまして請求する場合には、どちらに、国家賠償によるか、或いは刑事補償によるか、場合によりまして、どちらを選んでもそれは自由であります。従つて同じような働きを持つ面もあるのでありますけれども、やはり制度の本質からいたしまして、こういう区別があつてもいいのではないかというふうに考えております。
  68. 松村眞一郎

    ○松村眞一郎君 そうすますと、故意過失裁判官が間違つた裁判をした場合に、両方で請求できるわけですか。補償法でも請求し、賠償法でも請求する、その場合の金額の査定はどうやるつもりなんですか。
  69. 高橋一郎

    政府委員高橋一郎君) それは両方で差支えございませんと解釈しております。それで勿論両方の手続によりましても、同じ損害を二度補填するということはあり得ませんので、それだけ減額されるわけでありまして、本法案の五條におきまして「補填を受けるべき者が同一の原因について他の法律によつて損害賠償を受けた場合においてその損害賠償の額がこの法律によつて受けるべき補償金の額に等しいか、又はこれを越える場合には、補償をしない。その損害賠償の額がこの法律によつて受けるべき補償金の額より少いときは、損害賠償の額を差し引いて補償金の額を定めなければならない。」ということになつております。この規定によつて補償をするわけでありますが、例えば先ず刑事補償手続をやりまして二百円乃至四百円の枠の中で、例えば三百円なら三百円という補償決定を受けてその拂渡しを受ける。ところがどうも公務員の側に故意過失があつて三百円ではどうも納得できない。五百円くらい呉れて然るべきものだと思います場合には、更に国家賠償法による請求をいたしまして、故意過失を立証してもつと増額して貰うこともできるわけであります。その場合には、つまり差額だけが国家賠償法によつて拂渡されることになると考えるのであります。逆に国家賠償法によつて或る程度の賠償を受ける。更に刑事補償の方で行けばもつと取れるのではないかというような場合には刑事補償手続をとりますというと、この五條によりまして五條の適用を受けるわけであります。この場合においてこの法律によつて受けるべき補償金の額と言いますのは、一応裁判時の上で二百円乃至四百円の枠の中で、この事案については一切の事情を考慮して幾らが適当か、若し補償するとなれば幾らかということを考えて定めるわけであります。一応仮定するわけであります。そうしてその金額と現実に他の方法で受けている額とを比べまして、この五條を適用することになるというふうに考えております。
  70. 松村眞一郎

    ○松村眞一郎君 この第五條というものは補償の方を定める規定なんです。補償を貰つてから後に、さて損害賠償請求をしたときにはどうなるのですか。そういう御説明ではそれははつきり分りません。補償金が損害金であるということがはつきりしておれば、損害賠償が後になつた場合に差引いて呉れるでしよう。併しながら補償というものは損害賠償ではないのであります。ただ補償を決める場合に損害賠償を考えるということがここに書いてある。だからと言つて補償というものは損害賠償であるということはこれは分らない。補償金額を決める場合に、損害賠償金額を考えるということだけ書いてあつて、考えるからと言つて補償損害賠償であるということはこの規定では分らない。逆のことを今度は想像して、先に補償を貰つたと先程私が申しましたが、面倒であるから、補償金を貰つた、元来故意過失によるのだからと言うて損害賠償法で来た場合に、この規定適用があるかどうかということは明文がないから分らないと思う。何故かと言うと、この補償損害賠償であるかどうか分らない。補償損害賠償なりということがはつきり書いてあれば別でありますけれども、補償ということが書いてあるのでありますから、それに決めてかからないというと、財産権の問題だから本質に影響があるのではないかということを初めからお伺いしておる。補償を定める場合は損害賠償を参照することは一向差支えないが、補償金額の定め方なんです。そういうことをしたからと言つて補償金は損害賠償金になるということにはならない。その関係がはつきりしないじやないかということを申上げておるのでありますから、どうしても損害賠償による損害賠償金と、補償による補償金とは本質において同じものであるということでないと説明ができないじやないか。片つ方は相続を許すけれども、片つ方は相続を許さないということになると、本質が違うということになるので、二重に請求して一向差支えないということになります。補償法はこういうことを規定していますから、損害額を参照しなければ補償金は拂わない、これはよろしい。損害賠償金の方が逆になつた場合には分らない。これが損害賠償金でないということになると、そういうわけだからどうしても損害賠償金と補償金とは性質が同じものである。ただ政府委員説明によりますと、無過失であるが故に、過失故意の証明を取らずして貰えるのだ。私は無過失であるが故に従来から行われている無過失論を持ち出す必要はないと思う。無過失であろうと過失であろうと、とにかくそういう理由なくして拘禁されたことは、私は過失だと思う。本人に責任がない過失であるとも私は言えると思う。広い意味過失と言えば、とにかく間違つたから裁判が引つ繰り返されたのでありますから、広い意味においては過失でしよう。そういうことも言えると思う。従来の過失の通説から考えれば過失ではないでしよう、併しながら善意であるかも知れないけれども、誤まりをしておるということは確かである。だからそんなことでありますから、やはりはつきり考えて、この請求権本質をよく固めてかからないと、両方の法律関係が私は不明瞭であるというふうに考える。でありますから、この補償金も損害賠償金である、こう明瞭におつしやれば又それでもいいでしよう。これは憲法の場合は補償賠償という字を使い分けておるのでありますから、解釈して法律を施行的に作る場合においては、本質を考えてかからないと、憲法文字だけで立法をそのまますべてやるということでは、字義解釈に終つてしまうことになるのでありますから、立法の際に解釈を決めて、それが間違つておれば最高裁判所が別に判決をするでありましよう。併しながら立法上の立場としては、解釈を決めて立法しなければならんじやないか。今の御説明では、どうも補償法の方であとから請求したときに補償金額を差引いていいのかどうかということは分らんと思う。なぜならば、金額を制限しておる。死んだ場合も二十万円ということに制限しておる。又一方では二十万円というものは出て来ない。場合によつてはもつと多いかも知れない。損害賠償でないということも言えるわけです。一部支拂であるという工合にも考えられるし、或いはそれと本質を異にしておるということにも考えられるのでありますから、どうしても賠償法によるところの請求権と、この補償法による請求権本質が同じであるか、違つておるかということを先ず説明してから、観念を決めてから立法しなければ、どうも筆の下しようがないと私は思う。同じと見て進んでおられるかどうかということを確かめたい。本質が同じであるというなら、その通りに我々は考えなければならない。我々は判断しますから、同じであるかどうかということを……立法の際には同じと見られたのか。片つ方は最高人的のものである、片つ方は民法損害賠償方法による権利の性質を出でないと考えられると、本質が違つておるようにもなると悪いですから、そういう点について立法の起案の際にどのくらいの検討をされたかということをお伺したい。
  71. 高橋一郎

    政府委員高橋一郎君) 国家賠償刑事補償との関係につきましては先程も申上げたところであります。損害の補填であるという意味においては同様であるというふうに考えております。併しいわゆる民法で言うところの損害賠償というようなものかどうかということになりますると、国家賠償はそうであるけれども、刑事補償は、それとは違つた社会保障的なものである、その点では異なるものであるというふうに考えておる次第であります。立案の際にもそういう国家賠償との関連を一応考えまして、そういうふうに観念してずつと立案して参つたわけであります。ただ御指摘のような五條の関係では、国家賠償法なり、或いは民法なりで補填した後に刑事補償手続をやるということは書いてあるけれども、この手続を先にやつて、後に他の手続をやる場合にはどうなるのかという点が成る程これは明らかでないかも知れません。その点は或いはもつと工夫すべきであつたかと思うのでありますが、只今の点は衆議院の法務委員会でも同様の御質問がありまして、修正をするのではないかというふうに私は考えておる次第であります。
  72. 松村眞一郎

    ○松村眞一郎君 権利の本質が要点なんです。私が伺つておるのは……これは民法の方は故意過失によつて規定でありますから、それによつて得るところの財産権の原因だけは書いてある。今度のは原因が違うのである。その場合に原因は違うけれども、権利の本質は同じであるかどうかということが要件だと思うということを申しておるのであります。同じならば差引勘定して一向差支えない。損害賠償なんですから、その点を考えておる。私の申すのは……
  73. 高橋一郎

    政府委員高橋一郎君) 損害の補填でありまして、そういう意味でそのような補填を受ける、財産上の請求権という本質であるというふうに考えております。従いまして私共の解釈では当然差引くべきで、お互いにダブるのではないというふうに考えておるわけであります。
  74. 松村眞一郎

    ○松村眞一郎君 今日はこの程度にして置きたいと思います。
  75. 松井道夫

    松井道夫君 先ず私は細かい点について二、三お尋して見ましよう。第一條の一項に、未決の抑留又は拘禁を受けた場合には、その者に対して補償請求することができるという、ことになつております。二項、三項でそれに準ずべき場合が規定してある。それから四條の方を見ますると、日数に応じて補償金を支給するということになつておるのでありますが、一体未決抑留又は拘禁を受けたという場合には、日数の関係で起算点はそれはどういうことになつておるのか。それに関連して初日はこれをどう取扱うかということを先ずお伺いいたします。
  76. 高橋一郎

    政府委員高橋一郎君) お尋ね補償を受けるべき場合の抑留、拘禁の日数の起算点は、現実に身体の拘束を受けた最初の日からであります。而してそれは必ずしもそれに限りませんで、起訴前の手続の期間内は全部入るのであります。それから日数の計算の点については初日は一日として計算いたします。その点は現行法通りと考えられます。
  77. 松井道夫

    松井道夫君 現行法通りと言われますけれども、刑事補償法は独立の法律でありますから、單に現行法通りと言つても分らないと思いますが、その点を明確にする必要があるのではありませんか。
  78. 高橋一郎

    政府委員高橋一郎君) 現行法通りと申上げたので、或いは誤解を生じたかと思うのでありますが、現行法でもその点が経過規定がないのでありますが、それで解釈上は当然に初日から計算をしておるのでありますが、そういう例によりまして特段の規定を置かなくても、その点は従来通りの解釈で行くものであるというふうに考えたわけであります。
  79. 松井道夫

    松井道夫君 刑事訴訟法の計算方法は初日を入れないのが原則であるのであります。ただ時効の起算点のようなものは初日を入れるというようなことになつております。従前の旧刑事補償法は、御承知の通りこの法律で廃止されるということになつておりまして、これは法律全文書き替えるのであるから、全文的の改正としてもよし、廃止するということにしてもよし、今回は廃止ということにしたという趣旨もあるでしようが、更に憲法から根本的に変つてつて、この補償意味合が違つておるという点もあるんじやないかと私は思つております。前の補償法でその点が明確でなかつた。まあ当然のことであつたから、それに従うのだというのでは甚だ不親切であつて、その点が規定がなかつたならば、新らしい全然別個の法律であると新法においては、その点を明確にする必要があるんじやないのでしようか。
  80. 高橋一郎

    政府委員高橋一郎君) 明確にすることについては何ら異議はございません。ただ刑事手続におきまして、このような計算は、大体被告人の利益に計算するというような慣行になつておりまして、このような場合に、最初の一日は半端であるから計算をしないというような虞れは、万々ないというふうに考えておつたわけであります。
  81. 松井道夫

    松井道夫君 では次の点に移ります。これは先程鬼丸委員からの質問にも関連するのでありますが、鬼丸委員は起訴前の問題を問題にしておられるが、起訴後の例の公訴棄却決定の場合、刑事訴訟法の三百三十九條ですが、この一号乃至三号の場合、これは何としてもこの法律で何とか救済方法を定めなければならないのではないかと考えるのであります。何となれば、これはすでに起訴された事件、起訴と起訴前とはこれは相当大きな開きがあるのであります。起訴されますと、これはもう捜査の秘密というようなことはないので、公々然とこれは新聞に書いてもよろしいし、論じ合つてもよろしいのであります。又起訴されますと、検察庁が愼重に起訴、不起訴を決めるわけでありますから、これは一応有罪と推定を受ける。これは勿論刑事訴訟法上のことを言つているのではありませんで、我々はさようなことはありませんが、社会一般ではさように考える。これらの傾向のよし悪しは別といたしまして、とにかくさような問題がある。殊に不幸にして第一審におきまして有罪の判決を受ける。その後死亡したというようなことになりますと、これはもう有罪の烙印を押されてしまうというような結果になるのであります。事実第一審で有罪で、第二審乃至第三審で無罪なつたというような事件は、これは本当あるように聞いておるのであります。それからその点をもう一つは、すでに裁判所にかかつた事件で、この刑事補償法規定する補償の機関が裁判所になつておるのでありますが、公訴棄却規定の場合も裁判所に係属しているのでありますが、やはりその裁判所でその決定をするということが自然に無理なくできるのであります。勿論裁判所補償決定をするについては、今の無罪判決が確定した場合と違いまして、証拠調べにも入る相当な手数もかかりましようが、事件によりましては、そういう手数をいたしても、何とか烙印の冤をそそがなければならないという場合があると思うのであります。現に第一審で有罪を受けて、今二審で継続している事件がある。私共の目から見ますれば無罪にしなければならんというものであります。幸いにして被告はまだ生きているのでありますが、これは官吏でありまして、起訴されますと勿論休職になる。休職になると俸給は三分の一しか入らない。而も外の俸給は今のインフレで上つて行きますが、これは確か休職になつた人はなかなかスライドしない。昔のままの僅かな俸給の三分の一のものしか受けておらないというので、而も休職後一年を経過したのでは、事実上非常に生活上の苦労をいたしておるのであります。親戚の、而も金持の人もおりませんが、多くの親戚から度度暮しの助けを貰つて、辛うじて生きている。家族なんかも栄養失調一歩手前というような状況でおるのであります。生きているからいいようなものの、死んだ場合には是非これは明しを立ててやるという、そういう手続が必要であると私は信じております。それには今申しましたような、いろいろな刑事補償法の僅かな手入れでできると思うのであります。この点について御意見を伺いたいと思います。
  82. 高橋一郎

    政府委員高橋一郎君) 今お尋ね公訴棄却決定をする場合は、三百三十九條の一号乃至三号でありますが、このうちの一号、二号までにつきましては、先程鬼丸議員の御質問にお答えをした通りであります。只今の、審理中に被告人が死亡したような場合の問題でありまするが、確かにそういうような場合がありまして、補償でもしてやりないと思うような場合が私はあると思います。併しその点はどうも問題が、刑事訴訟法自体にあるのではなかろうか、つまり被告人が死んだということになれば、もうそれで形式的な公訴棄却というふうに決めてしまう。若し、ちよつとそこのところを簡單に審理をやれば、死んだ人についても実は無罪であつたというような、寃をそそぐという手続のことも考えられるわけであります。ところが刑事訴訟法はその点は踏み切りまして、まあそういうふうな実体に裁判をすれば、非常に死んだ被告人にとつては嬉しい結果になるかも知れないけれども、手続としては、もうそこで打切りというふうに一応決めてあるわけであります。この刑事補償法につきましては、それを受けまして、結局無罪ということが裁判上確認された場合を補償の対象といたしておりますので、自然公訴棄却決定を受けたような場合は、これを除外するという結果になつておるのでありまして、單に金をやつて慰藉するというような問題だけではなくて、いわゆる寃をそそぐという意味では、刑事訴訟法自体の問題ではないだろうか、且つその点につきましては刑事訴訟法が一応こういう方針を決めておるのではなかろうか、本法はこれを受けて、無罪裁判の場合のみを規定した次第であります。
  83. 松井道夫

    松井道夫君 只今の御説明は一応御尤ものように聞えるのでありますが、やはり深く考えると間違つていると思うのであります。刑事訴訟法は、これは国家の刑罰権の実現を期するものでありまして、死んだ者に対して何も刑罰を決定する、或いは有罪無罪決定するという必要はないのであります。でありまするから、寃をそそぐ、補償をいたすという関係は、どうしても刑事補償法の方でなければならないと私は考えるのであります。而も死亡した者についての補償の要求という制度は、いろいろ議論かありましようが、できておるのでありますから、これは勿論憲法規定から直ちに文字解釈から出て来るというわけではないのでありまするが、同じ精神から言いまして、補償を認めるということは十分考えられるのじやないかと思うのであります。その点更にお伺いいたします。
  84. 高橋一郎

    政府委員高橋一郎君) 御趣旨のように、その場合にも補償するということは十分考えられると思います。私共はこの法案のようなところで先ずいいのではないかという考えで提案いたしましたのでありますが、勿論そこは国会において御決定頂く点でありまして、さように御了解を願いたいと思います。
  85. 松井道夫

    松井道夫君 次は第四條の関係でありますが、これは例の技術的な規定で非常に分りにくいのであります。又適当であるかどうか非常に疑問の多い規定であると思うのであります。先ず第一項から申しますと、一日二百円以上四百円以下という補償金の額になつておるのでありまするが、これは資料として刑事補償金額参考資料というものを頂載しておるのであります。併しながらこれを拜見しても、二百円以上四百円以下ということの如何なるゆえんかなかなか了解しにくいのであります。旧憲法下の現行刑事訴訟法では五円ということに相成つておるのでありまして、單に物価指数からいたしましても、これは四十倍乃至は百倍はちよつと欠けるという程度であるのでありまして、普通百倍と申しております。そうすると、四百円という中途半端な数はどうしても分らないのであります。五百円とすれば、百倍にしたのだなあということが分るのであります。四百円というのはちよつと了解しにくいのでありますが、成る程この資料の五というところに、鑑定人及び通事の日当が出ておりますが、これによりますと、証人については六十倍、鑑定人、通事については三十六倍ということで、前者は百二十円以内、後者は三百六十円以内、大体この数字を基礎とされたという御説明であつたと思うのでありまするが、私はこの旧法の数字、或いはその当時の立法の理由であつたところの、こういうものをそのまま新らしい刑事補償法に持つて行くのは私は間違いであると思うのであります。先程からいろいろ御論議のありましたように、旧法のこの制度を認めた根本の立法趣旨と、新憲法下のこの制度を認めた根本の趣旨とは、これは全然違つておるものであると存ずるのであります、その故にこそ全然旧法を廃止いたしまして、新法制定ということに相成つたように私は解したいのであります。権力的な官権の行使はすべて御無理御尤もであつて、これによつて損害国民が蒙むつても、それは国家としての止むを得ざる損害であつて、止むを得ない補償損害賠償はいたさないのでありまして、国家本位の、国家権力本位の考えであつたのが、新憲法になりまして国民に主権がある、国家組織はその国民に奉仕すべきものであるという考えに変つて参りまして、憲法十七條の国家補償とか、国家賠償、それから四十條の刑事補償というものも当然その精神によつて律しなければならないのであります。要するに主客顛倒いたしておるのであります。でありまするから、この刑事補償法金額につきましても、これは單に証人に日当を拂うとか、鑑定人に日当を拂うとかいうような考えであつてはならないと私考えるのであります。通常生ずる損害に、この当然生じまする無辜の者が拘留、抑留されまして、当然生じまするその直接の精神上の苦痛、のみならず名誉を侵害されまするところのその精神上の苦痛というようなものは、当然この中に織込まなければならない。現に第二項にそういうことが書いてあります。ところが第二項があるに拘わらず、第一項の金額を見たところでは、そういうことは出て参らないのであります。現在の俸給を貰つておる。勿論最高は四万円も何がしも俸給にはありますが、最高の四百円にいたしましても、月に直しまして一万二千円にしかならないのであります。でありますから、現実に相当の有力者が拘留、抑留されまして、仕事ができない、或いは職から退かざるを得ないような状況になりましたような場合には、この最高額を以てしても、これは補償にならないのであります。この最低額の二百円は、これは三十倍に直すと六千円になります。今の賃金ペースから言いますと、官庁あたりでは六千円ペースであるのでありますが、漸くそれに達したというところである。それにこの精神上の苦痛をその倍額加えるといたしましても、全然もう補償意味にならんことに考えるのであります。如何にも恩惠的なほんの涙銭といつたものにしか当らないのであります。我々は、殊にこの検事であるとか、弁護士であるとかいう者は、普通刑事事件取扱い慣れておりまして、そんなに苦痛があるということをしみじみ感じなくなる虞れがあるのでありまするが、実際縁に繋がる無辜の者の苦痛は、実に想像に余りあるのでありまして、先程私ちよつとその点に触れたのでありまするが、これは十分な補償をしてやる必要があると存ずるのであります。この二百円以上四百円以下というものは、これは要するに立法趣旨の全然違う旧法の最高五円の百倍にも足らない。生活費その他賃金、その他皆二百倍とか、二百七十一倍とか、ここに資料がありまするが、そういう工合に暴騰いたしておりまするときに、何としてもこのような額は了解できないのであります。先ずその点についての御意見を伺いたいと思います。
  86. 高橋一郎

    政府委員高橋一郎君) 御指摘の点でありまするが、この二百円乃至四百円というのは、確かにかくかくの計算でこうなるのだというようなものはございません。いろいろな数字が関連して考えられるのでありますが、それらによつて制度的に何らか結論が出るというようなものではどうもないという結論になつて、いわゆる達観と申しますか、ということで、金額を定めざるを得ないと考えておるのであります。それが非常に安過ぎるのではないかという御趣旨と思うのでありますが、前回も申述べましたように、刑事補償損害填補であると申しましても、やはり国家賠償となる点もございますし、国家賠償手続によりまして、故意過失を立証して得られるような金額等の釣合いを考えて見ましても、刑事補償法の場合に、それと全く同じ、或いはそれよりも多いというような数字が出て参るということは、均衡上如何なものであろうかという疑問を持つわけであります。それで大体多くの場合をカヴアーし得るような一つの定型を作りまして、それによつて……裁判所裁量の幅が少いだけに、手続も迅速に進むと思うのでありますが、処理して行けば、簡易迅速という点で非常に喜ばれるのではなかろうか、こう思つておりますので、まあこの二百円乃至四百円というものの数字的根拠はどれかということを言われますと、お答えはできかねるのでありますが、いろいろお手許に配付しました資料にも書き上げましたように、いろんな数字をここに計算いたしまして、結局こういう案に落付いておる次第であります。
  87. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 松井さんまだ沢山ありますれば、次回にお讓り願いたいと思います。
  88. 鬼丸義齊

    鬼丸義齊君 ちよつと一点だけ伺いますが、この十六條にありまする「補償請求理由のあるときは、補償決定をしなければならない。理由がないときは、請求を棄却」すると、これですね、これに対する即時抗告ですね、これは入つておるんでしようね。
  89. 高橋一郎

    政府委員高橋一郎君) 即時抗告はできます。
  90. 鬼丸義齊

    鬼丸義齊君 それから労役場留置、後に至つて非常上告或いは再審等により無罪判決の場合には、やはり適当できるわけですか、労役場の留置、それもやはり抑留、拘留の中に入るわけですね。
  91. 高橋一郎

    政府委員高橋一郎君) 当然入ります。
  92. 伊藤修

    委員長伊藤修君) この三百三十七條乃至三百三十九條の場合をも含むように、若し修正されるとするならば、政府の方は異議はないですか……ちよつと速記を止めて……    〔速記中止
  93. 伊藤修

    委員長伊藤修君) それでは速記を始めて。本日はこの程度にいたしまして散会いたします。    午後三時五十三分散会   出席者は左の通り。    委員長     伊藤  修君    理事            鬼丸 義齊君    委員            大野 幸一君            齋  武雄君            鈴木 安孝君            遠山 丙市君            來馬 琢道君            松井 道夫君            松村眞一郎君            星野 芳樹君   国務大臣    国 務 大 臣 殖田 俊吉君   政府委員    法制意見長官  佐藤 達夫君    検     事    (検務局長)  高橋 一郎君