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1949-11-22 第6回国会 参議院 人事委員会 第5号 公式Web版

  1. 会議録情報

    公聽会   ————————————— 昭和二十四年十一月二十二日(火曜 日)    午前十時四十四分開会   —————————————   本日の会議に付した事件 ○国家公務員職階制に関する法律案  (内閣送付)   —————————————
  2. 中井光次

    委員長中井光次君) 只今より国家公務員職階制に関する法律案に関する公聽会を開きます。この法案は十一月十四日内閣より提出、同日本委員会予備審査として付託いたされました。この法案公務員制度を確立する画期的な法案であり、一般的な関心も非常に強くありますので、国会法第五十一條による公聽会を開いた次第であります。  会議に先立ちまして、公述人方々が御多忙のうちから御出席頂きましたことに、委員長といたしまして厚く御礼を申上げます。案件は国家公務員職階制に関する法律案についてということであります。公述をお願いいたします時間は二十分以内でありまして、各委員の御質問を願うことにいたし、その時間は概ね十分以内といたしたいと存じております。わざわざ万障をお差繰り御出席を願たましたにも拘りませず、時間の関係公述方々に対しましては、甚だ短い時間よりないことに対しまして、ここにお詫びを申上げる次第であります。公述の順序は御出席の都合によりまして多少の変更はあると存じます。それではこれから公述をお願いいたしたいと存じます。先ず最初に全官公庁労働組合寒冷積雪地対策協議会会長笹川重雄君にお願いを申します。
  3. 笹川重雄

    公述人笹川重雄君) 只今御指名に預かりました全官公庁労働組合寒冷積雪地対策協議会笹川重雄でございます。只今から今国会に上程せられました、国家公務員職階制に関しまする法律案に対する私の陳述を申上げたいと思うのであります。  結論を申上げますと、現在の我が国の実情から鑑みまして、今直ちに職階制公務員に布くことにつきましては、尚早であるという趣旨を以ちまして、私はこれから反対陳述を申上げたいと存じます。尚この陳述に先立ちまして、私は参議院の中井人事委員長始め委員各位がこの重要な法律案に対しまして、私共下部の組合の意を十分汲取りまして、御参考になさるというこの公聽会の企てをお催し下さいましたことは、実に新憲法に則つたところの国会の民主的な有方一つであると存じまして、委員長始め委員各位に、寒冷地帶百二十万の公務員を代表いたしまして心から厚く御礼を申上げる次第でございます。尚今後かような法律案につきましては、でき得る限りこのような公聽会をお催し下さいまして、私共の意のあるところを十分お汲取り下さらんことを尚重ねてお願い申上げて置く次第でございます。時間が十分ございませんので、意のあるところを十分申上げかねることを甚だ残念には思いまするが、以下要点を述べたいと思います。  私共は敗戰日本を建直すためには、先ず何といたしましても官庁民主化でなければならないという考えを持つているものでございます。私共組合組織いたしまして、この官庁民主化と取組んで今日まで参つておるのでありまするが、遺憾ながら我々の意図するような方向に行つていないことを甚だ残念に思うのでございます。従来の日本官庁はいわゆる官尊民卑の国であつたことは御承知通りであります。心得違いの一部官僚が職権を濫用いたしまして、或いは時の権力結付き、或いは財閥と結託し、或いは軍部の御機嫌を伺つて、今日日本をこのような悲惨の状態に陷れたことにつきましても、その責の幾らかはそうした過去におけるところの官僚の誤つたことに原因しておることを我々は心から悲まざるを得ないのであります。私共はそうした過去におけるところの行跡を考えまして、是が非でも官庁民主化を成し挙げて、そうして一日も早く祖国を復興し、祖国民主化せねばならないと考えまして、今日まであらゆる闘争を展開して参つたのでございます。遺憾ながらまだ現在の官庁における、或いは官僚におけるところのそうした過去の積弊が一掃せられてないのであります。人事院が設けられまして、この官庁組織について、民主化方向を迫るというような意味合いにあることも承知いたしておるのであります。ところが人事院が設立されまして、今日まで果してそういう使命を成し遂げて来たかどうかということをつぶさに考えるならば、残念ながら我々はこのように了解することができないのでございます。人事院の存在というものの意義が、国家公務員法一條に規定されておりますところの、いわゆる職員福祉及び利益を保護するための適切なる措置を含んだところの根本的基準を確立し、公務員がその職務の遂行に当り、最大の能率を発揮し得るように民主的に方法で選択され、且つ指導さるべきことを定め、以て国民に対し、公務の民主的且つ能率的な運営を保障することを目的とするということが人事院規則を制定したところの趣旨であり、人事院使命でなければならんと思うのであります。であるが故に公務員法第三條におきまして、「この法律の完全な実施を確保し、その目的を達成するため人事院を設け、この法の実施の責に任ぜしむる」ということが規定されておるのであります。我々はそのように理解しておつたのでありますが、果して人事院がこの使命を完全に、而も民主的に最もよく実行し得ておるや否やということにつきましては、甚だ我々は疑問を持たざるを得ないことを悲しむものであります。一体、人事院は今日まで何をやつたか、公務員利益の擁護について何をやつたか。又公務員福祉の増進について何をやつたかということにつきまして、疑問を持つものであります。否、むしろ人事院は我々の自由を拘束し、我々を圧迫し、我々を彈圧するような、さように汲取られるところの人事院規則を次から次へと発しておるのであります。その最も大きなものは、今我々が憲法によつて保障されましたところの基本的人権をも或いは拘束するやに思われるところの、政治活動禁止のようなことすらもやつておるのであります。かような大きなことすらやつておるのであります。  更に極く小さい例を一例申上げます、これは極く小さい例であります。ということは、私共が組合組織しまして、組合費の納入につきまして、過去におきましては、俸給総代人からしておのおのの給料からこの組合費控除を命じておつたのであります。ところが人事院は、その組合費控除すらも禁止をしておるのであります。小さい例でございますが、このようなことまでもやつて、我々の健全な民主的な組合方向にすらも阻害を與えておるのであります。このようなことしかやつていないのであります。ただ一つ人事院が、敢て私は人事院を褒めるのでありますが、寒物地手当石炭手当につきましては、比較的我々の意図を汲取つたところの勧告をしておるのであります。勿論不都合な点もあります、金額の点において……。併しこの法律案は、いわゆる国会議員の非常なお骨折りによりまして、議員提出法律案に則つておるのでありまするから当然ではありますが、これを除きましては、残念ながら殆んど我々のためになるようなことをしてないように感ぜられることは、甚だ我々の残念とするところであります。  更に私共は、何故一体そういうふうになるかということにつきまして、私共は人事院独善振りを発揮しておるのじやないか、いわゆる独裁振りを発揮しておるのじやないかということが痛切に感ぜられるのであります。と同時に人事院のやることは、すべて祕密主義のように我々には感ぜられるのであります。私は祕密のあるところに明朗性はないと信じておるのでございます。祕密主義というものは、原則として少くとも民主主義に相反するものであると私は理解しておるのであります。その証拠に、人事院が次から次へと人事院規則を発布しておりますが、未だ曾て公聽会を催したということを私は不幸にして知らないのであります。本当人事院が民主的にやるならば、人事院規則を発布するときには公聽会のようなものを設けて、一体どういうふうに国民賛成を得られるか、納得を得られるかというようなことをやるのが私は常識だろうと考えておるのでありますが、不幸にして私は人事院は未だ公聽会をすら開いたということを聞かないのであります。更にそうした人事院独裁振りの例を若干申上げますならば、人事院は来年の一月十五日に上級官職にあるいわゆる課長以上の試験を行うことを告示いたしておるのであります。公務員法第二十九條におきましては、「職階制は、法律でこれを定める」ということが決定しております。更に「人事院は、職階制を立案し、官職職務の種類及び複雑と責任の度に応じて分類整理しなければならない。」ということが決められ、「職階制においては、同一内容雇用條件を有する同一職級に属する官職については、同一資格要件を必要とするとともに、且つ、当該官職に就いている者に対しては、同一の中の俸給が支給されるように、官職分類整理がなされなければならない。」更に第四項において「前三項に関する計画は、国会提出して、その承認を得なければならない。」以下云々とあるのであります。私はこの第四項の「前三項に関する計画は、国会提出してその承認を得なければならない」ということになつているいわゆるその承認が、果して、なされておるかどうかということについては、私は未だ聞いておらないのでありますが、更に第三十二條において、「一般職に属するすべての官職については、職階制によらない分類をすることはできない。」というふうに書いてあるのであります。少くとも人事院がそういう試験をしようとするならば、職階制度というものを確立され、而もその計画国会提出して、国会承認を得て初めてなすべきであると私は理解しておるのであります。ところが人事院は一月十五日の試験をするということを告示しております。一体私は何を根拠にしてやつておるか、私は理解に苦しむのであります。すべての基準が定まつている以上、少くとも国家公務院法第二十九條第四項の精神汲取るならば、私は人事院のそうした計画というものは国会承認の上においてなされなければならない。そういう承認を得て実施しないということは、私の法律解釈からいたしますならば、或いは私の法律解釈が成り立つものであるといたしますならば、明らかに人事院独善的な越権行為をやつておるのではないかとさえ私は感ずるのであります。このようなことをやつております。  更に私はこの人事管理というもの、人事管理というものを一体人事院はよく解釈しておるかということについて私は申上げたいと思うのであります。私はこのように考えておるのでありますが、人事院というものは、人事管理というものに必要ないわゆる任用、或いは給與の問題、或いは能率等の問題がありますが、これらに関するところの基準を或いは計画する、或いは調査する、そういうところが本当人事院であろうと思うのであります。そうしてそうしたところの基準を調査研究し、或いは計画したものを国会提出して、国会承認を得てこれを実施するのが本当の民主的な在り方だろうと存ずるのであります。ところが公務員法においては人事院に対して大巾の委任規定を設けております。そこに勿論人事院としてのやり方があるのではないかと思うのでありますが、人事院が勝手に規則を作り、勝手にこれを実施して、そうしてやるということは私は民主的な方法ではないと考えるのであります。人事院というものは実施官庁であつてはならない。少くともそうしたところの立案官庁である方が好ましいのではないかという私は考えを持つておるのであります。公務員法におきまして大巾に権限を委讓してあるために、人事院独善な、或いは独裁的と思われるような人事院規則自分作つて自分で勝手に実施するということが本当の民主的の在り方であるかどうかについては、私は大きな疑念を抱かざるを得ないのであります。こうした方向から見まして、今度のこの国会に上程せられましたところの職階法に関する法律案を見ましても、殆んど漠としておりまして、内容は盡く人事院に委任せよということの趣旨であるのであります。私はこれがいけないと思うのであります。私共は従来の官僚組織を破壞せんとしておりますが、新たに人事院官僚、或いは人事官の独裁的なそういう傾向の起きることを怖れるものであります。このような観念からいたしまして、私は国会というものが最も権威あるものであらねばならんと思うのであります。従つてそうしたところの人事院立案計画というものは、すべて国会承認国会で徹底的に討議されて、その上で決定されて施行されなければ、決して私は立派な官庁組織は成り得ない、又立派な公務員というものを置くことができなくなるということを私は考えておるのであります。そうしたところの人事院考え方を改めないで、従来のような、現在の公務員法のような在り方を今職階法に織り込むならば、ますますこの人事官をして独裁的な権利、或いは独善的な権力を振わしめるような虞れがあることを私は怖れるのであります。戰時中国家総動員法が設けられまして、いわゆるすべてのものを統制し、すべてのものを独善的にやつたことは我我はまだ記憶に新たなところであるのであります。公務員法のごとき、或いは職階法のごときものを、さような人事院の独裁的なものに任せるならば、戰時中国家総動員法のごときものになる。総動員法のごとき役割を果たさせるようなことがあつてはならないと考えておるのであります。更に戰時中におきまして、情報局が或いは言論を圧迫し、或いは言論を統制したことは御承知通りであります。人事院をしてあの情報局のような役割を果たさしめたならば、これは大きな弊害を生ずることを私は怖れるものであります。更に私は今回上程せられましたところのこの職階制に関するところの法律案を貫ぬいておる精神というものを、つぶさに検討して見ますというと、国家公務員というものを人間視しておらない、機械視しておる、さように私は感ぜられるのであります。機械部分品として公務員を扱うというように我々は感ぜられるのであります。こうしたところの職階法を用いて、果して完全なるところの人事管理を行い、果して理想的なるところの官庁組織を作り上げることができるかどうかについて、私は大きな疑念を抱かざるを得ないのであります。私は人事管理は少くとも人物と識見というもの、或いは経験というものを十分取入れたものでなければならないということを私は痛切に感じておるのであります。経験というものと、或いは識見人格というものを取入れないところの人事管理が行われたならば、公務の民主的な運営は絶対にできないと私は考えております。更に公務能率的な運営というものは絶対に不可能であるという私は考えを持つておるのであります。  これは遺憾ながらこの公務員法を基といたしますところの職階制法案というものは、こうしたことを全然見ておりません。少くとも公務員をして機械視し、機械部分品視しておるように感ぜられることを私は非常に遺憾に思う次第であります。先程も申し上げましたが、この人事院試験等につきましても、いろいろ新聞論調を下しております。十五日の朝日新聞の「天声人語」の欄におきましてもこれらの事項が載つておりますが、この新聞に発表せられたものが事実であるといたしまするならば、この人事院の行うところの試験制度というものは、如何にナンセンス的なものであるかということを我々は感ぜざるを得ないのであります。いわゆる俳句の例をとりまして、一つ俳句二つにちよん切つて、「「米洗う前」と「螢が二つ三つ」の問に「や、の、にを」とテニオハを四ら並べ、一番適当と思うて助詞に〇をつけよ」というような問題があるかと思うと、更に「勤務時間中に新聞を読んでいるところへ課長が入つて来た。君ならどうするか」という問題がある。その答えとして、課長が入つて来たときにはいわゆる「新聞を続み続ける。」「読みやめて新聞を伏せる。」「出て行く。」「こんな記事が出ていますとトピツクを持つて行く。」というような四つのことが出ておるのであります。而もその答えが、こんな記事が出ておりますというようなことを言つた者が合格するのだというようなことを書いております。こういうような試験で以て果して完全な公務員試験をすることができるかどうか、私は人事官常識を疑わざるを得ないのであります。更に二十日の東京新聞におきまして、「筆洗」という欄にもいろいろ出ております。こうした新聞論調を見ましても、いわゆる俳句であるとか、或いは和歌であるとか、或いは川柳、或いは都々逸のようなものまでも研究しなければ試験が受けられないというような結果を生ずるのではないかということを怖れるのであります。一体こういう問題を試験して、優秀な国民全体の奉仕者であるべきところの優良なる公務員を採用し得ると人事官考えておるならば、人事官常識というものについて我々は疑わざるを得ないのであります。  而も人事官というものは公務員法第五條におきましても、人事官は高潔でなければならないということを言つております。即ち「人事官は、人格が高潔で、民主的な統治組織成績本位原則による能率的な事務処理理解があり、且つ、人事行政に関し識見を有する年齡三十五年以上の者の中から両議院の同意を経て、内閣が、これを任命する。人事官の任免は、天皇が、これを認証する。」以下云々とあります。いわゆる能率的な人事官試験問題が今述べた新聞に出ておるようなこういうのであります。これが日本人事官であります。而もこの人事官最高裁判所長官の面前において宣誓しておるのであります。その宣誓文の中には「私は、国民全体の奉仕者として公務を民主的且つ能率的に運営すべき責務を深く自覚し、国民の意思によつて制定された法律を尊重し、誠実且つ公正に職務を執行することを固く誓います」とあります。能率的に、民主的に運営すべき責任を深く自覚しておるところの人事官がこのような試験問題を出しておるのであります。この点は我々大いに銘記しなければならないと思うのであります。時間が迫りまして、まだ申上げたいこともありますが、以下簡單に結論の方に持つて行きたいと思います。  かような状態におきまして、果して優秀なるところの国民全体の奉仕者公務員を得られるかどうか、試験をすることについては私も賛成であります。決して反対するものではありません。だが、試験方法、或いは試験そのもの内容について我々は異議があるのであります。こういうナンセンス的な或いは常識外れのようなかかる一片の試験を以て、或いは一回の試験によつて優秀ないわゆる公務員を採用することができるという考えをせらるるならば、大きな間違であるということを私は申上げたいのであります。  更に最近米国におきましてもこのような制度が論ぜられまして、いわゆる人事管理というものの最も大事なことは、人格識見或いは経験というものを大きく取入れなければならない、そうしたものを無視することはいけないというようなことを或る有名な学者が主張されておることを私は聞きまして、むべなるかなと考えておる次第であります。  更に国会において十分考えて頂きたいと思うことは、この人事官国会承認を必要とするのであります。現在の人事官国会承認しております。その意味におきまして、国会といたしまして、人事官が如何なる考えを持つておるか、如何なることをやつておるかについても国会としては重大なるところの関心を抱いて頂きたいと思うのであります。若し人事官にして不適正の者があるならば、国会の権威において、内閣に対して警告を発するだけの責任があると考えているのであります。この人事官につきまして、先般全官公二百数十万の信任投票を行なつた結果、大多数が不信任といたしておるのであります。こうしたところの事項を十分に考えて頂きまして、国会として更に御留意をして頂きたいのであります。  更にこの公務員法職階制につきましては、給與の問題と職階制は別だということを言つております。確かに別でありましよう、理論的には別であります。だが併し、職階制法律とこの給與の問題とは、紙に例えますならば裏と表の関係があるのであります。この間を分離することはできないのであります。理論的には、言葉の上では職階制給與の問題は別でありますが、この紙の裏と表の関係があるのであります。この認識を誤つてはならないのであります。現在の給與はどのような状態であるかということを申上げるつもりでありましたが、時間になりましたのでそういう点は省略いたしまして、尚この際数多くの公述人から述べられることと存じますが、要するに私の結論的なものは、すべての決定は国会員行うべきものである。人事院というものは基準となるべきものを調査研究し、立案するのが本当に民主的な人事院ではないかということを考えるのであります。従いまして、現在のごとき混乱的な社会情勢のときにありましては、国家公務員法、或いは今度の法律案のように、すべてを人事院に任して人事院の好き勝手にやらせるということは時機尚早であるという考えを持つているのであります。従いまして、でき得べくんば公務員法を改正し、更に民主的な国家公務員法を制定いたしまして、その上に立つて、そういう職階制をもつと検討いたしまして、もつと十分に研究をいたしまして、最も理想的なるところの職階制を確立し、更にその上に給與問題をかみ合せまして、実施するのが妥当でないかと考えるのであります。給與状態は、現在生活給的な要素を取入れなければならないところの現状を無視いたしまして、能率本位給與実施し、この職階法と結び付ける、こういうところに現在の不適当なるものを感ずるのであります。そういうような意味におきまして、時機尚早の見地から立ちまして、この法案に対する反対陳述を終る次第であります。
  4. 中井光次

    委員長中井光次君) 御質問があれば、あとで纏めて伺うことにして、次に全国官庁労働組合連合会委員長及川知行君にお願いいたします。
  5. 及川知行

    公述人及川知行君) 全官労及川であります。  結論から先に申上げますと、この法案を棚上げ返上して頂きたいということであります。その理由只今から申上げますと、第一番目には、この法案は極端に言うならば、職階制という言葉だけを示してこれを認めて欲しいというようなものだと考えます。その理由は、この法案に示されておりますのは職階制のほんの外枠だけでありまして、実際の中身はこの法案の第四條に書いてありますように、大巾に人事院に任せられておるのであります。で、第二章には根本原則というものが書かれてはおりますけれども、これも極めて抽象的であつて、これでは人事院にゆだねられたところの実施の面を押えて行くことはできないと考えます。而も、権限人事院に大巾に任せるということは非常に危險だと考えます。その例として、公務員法の第百二條の政治的行為制限並びに第一次改正法律附則第四條の職員団体の登録問題、こういうふうなものが非常に人事院によつて曲げられて、勝手なことが行われていると我々は考えます。公務員政治活動禁止人事院規則が大きな問題となつたことは事実であります。このような問題を起すような行為行政措置に任せられることに問題があると考えられます。苟くも職階制国会で問題とするのであれば、その実質的な内容こそ具体的に審議すべきであつて、その形式のみを問題にすべきではないと考えます。その実質的な内容を審議するためには、五百種に及ぶ職種及び各職種ごとに数段の職級と、その職級明細書を対象としなければならないのでありまして、又その示された案が果して職場の実情を正しく捉えたものかどうかということを十分に検討しなければならないのだと信じます。この法案の第二十九條第四項の計画国会提出して承認を得なければならないというのは、單に抽象的な方向を示すのではなくして、具体的な内容国会提出して承認を求めることだと考えます。  第二番目に、私は職階法の制定を余り急ぐ必要はないと、こういう工合に考えます。実はこの職階制の模範であるアメリカについて見ますと、連邦公務員法は一八八三年に制定されておりながら、職階法は本日配られました国家公務員法職階制なる本の二頁にも書いてありますように、一九二三年になつてやつと実施されておるのであります。この間実に四十年かかつておるのであります。日本公務員法は一昨年十月に公布されておりますから僅かに二年でありまして、いろいろな意味で遅れておる日本において、アメリカの二十分の一の期間でこれを果そうとすることは極めて無謀だと私は考えるのであります。若しもでき上つた形式だけを機械的に押付けようとするのであるならば、これは極めて危險なことであると考えます。四十年と言わないまでも、まだまだ実情について調査研究する必要がある、そういう工合に考えるのであります。で「公務員」という雑誌の七月号においての職階制に関する座談会におきまして、人事院の前職階課長である三宅太郎氏は次のことを言つておられます。日本ではアスフアルトの道を作るときに、土の上に砂利と砂を敷いてその上にアスフアルトを流すから、直く壞れて穴が開いて、水が溜つてつて交通の邪魔になる、外国では先ず基礎工事をしつかりやつてこれに相当の費用をかける、だから職階制というものも遠大なる計画の下に先ず基礎工事をしつかりやらなければいけない、そうしなければその目的を達することができないということを言つておられるのであります。私は非常に尤もな意見だと考えますので、是非とも今後長い期間に亘つてこの職階制の調査研究を進めて頂きたい、これが二番目であります。  三番目は、この職階制の具体的な実施内容がどのようにして今まで行われて来たかということであります。これは人事院が独占的に行つて来ておりまして、この職階法の直接の対象となる公務員や、間接に利害関係のある一般の国民諸君の意見は何ら取上げられていないということであります。職階制については公務員の殆んどは名前のみを知つてつて、その内容については殆んど知らないのが実情であります。これは非常に私は問題だと考えます。これは現在人事院職階課におられる永田一郎さんがその著「国家公務員法の解説」の中に書いてあるところでありますが、民間の專門家を以て民主的に組織した職階制度審議会を人事院に附随せしめ、十分な立案上の具体的な問題が扱かわれねばならないと言い、又人事院規則を以て職階制の実質につき取り決めることについて、人事院が独占することは民主的なものであるかどうか疑問である、そこで職階制度審議会のようなものを作つて純立法的機能が営まれることが望ましい。ということを繰返して言つておられるのであります。而もこの本には淺井総裁の序並びに推薦がされておるのであります。総裁としてもこの趣旨賛成のことだろうと考えるのであります。で先程申上げましたように、今後更に調査研究を続けるべきであると申上げたいと思うのでありますが、その調査研究も今申上げましたように、民間の民主的な專門家並びに公務員の労働組合の代表者、こういうようなものをも加えた職階制度審議会を作つて今後徹底的に検討して頂きたい。そうしてそれから出されました実質的な内容について国会が十分審議して頂きたいということであります。  第四番目には、今まで申上げましたことは、職階制は急いで行うべきでないということと、その準備、調査研究を民主的な職階制度審議会において行うべきであるということを申上げたわけでありますが、私は職階制というものは非常に高度に発展したところの資本主義的な職務体制であると考えております。従つて職階制実施される対象そのものが近代的且つ民主的な制度でなければならないと思うのであります。で国会資料のナンバー・ワンの四頁に書いてありますように、職階制というものは、そもそも叙述的であつて拘束的ではないと、こういう工合に書いてありますし、この法案の第一條の第三項にもこの法律は、人事院に対し、官職を新設したり変更したり、廃止したりする権限を與えるものではないと、こういう工合に書いてあります。職階制というのは結局現情をそのまま写真のように捉えてこれを科学的に分類する、そういう作用をするものだと考えます。そこでこの職階制実施することによつて、直ちにお役所仕事と言われるような非能率性や或いは封建的な身分関係が取除かれるものではないと考えます。却つてこの職階制を布くことによつてむしろ封建的な、或いは非民主的な身分的な関係がこの職階制なるものに直ちにまとわり付く、そしてその身分的な或いは封建的な関係をむしろ職階制によつて固定化させるというふうに私共は考えます。ですから、先程申上げましたように、今後職階制を十分研究して行く間にこのような封建的な、或いは非民主的な関係官庁の中から徹底的に取除くようなそういう活動が必要だと思います。このためには何よりも必要なことは、官庁の労働組合に対して十分な権限を與える、組合の強化こそが最も必要だと考える次第であります。  第五番目には、この職階制によつてますます人事院が独裁的な官庁になるということであります。これは笹川さんも言われましたので詳しくは申上げませんが、このように人事院に対しまして、ますます大巾な権限が委任されるということは、人事院権限がますます大きくなり、人事に対するところの非常に大きな権限を持つようになると考えます。而も人事院は第三者性ということを頻りに言うのでありますが、私共に言わせれば、この人事院の第三者性なるものは極めて当てにならないものだと考えます。その例として今度行われました定員法による首切り、その際の首切られた者の資格問題につきまして、最初は人事院は首切られた者も組合員であるし、役員にもなれるという見解を取つていたのでありますが、次第に政府の見解に接近して、今では遂に完全に政府の見解に屈しております。それから先程申されましたところの高級官僚試験につきましても、今日の報道によりますと、すでに政府の見解に屈服して、この試験を延期するというようなことを言つております。こういうようであれば、明らかに人事院の第三者性というものはすでに失われておつて、時の政府の意見に従属するということになれば、その時の政府の意見に従つてこの人事院を通して官吏の、公務員の人事が壟断される。ですから今度のような試験が苦し行われたとしても、時の政府の気に入らないような者がそれ試験によつて追出されるような結果になりはしないかと思います。これはむしろ新らしい意味で排撃さるべき猟官制度というようなものの復活だと私は考えます。で公務員法の第三十條によりますと、職階制実施につき必要な事項人事院規則でこれを定めるとありますが、実施につき必要な事項という中に、職種職級の決定まで含まれると考えるのは私は行き過ぎであると考えます。而も同じく二十九條には計画国会提出してその承認を得なければならないとあるのですから、具体的な職種職級計画提出すべきであるのに、この法案では先程も申上げましたように、單に人事院権限に認せられているのであります。この法案の第一條第二項によりますと、この法律の規定が国家公務員法以外の従前の法律に牴触する場合は、この法律の規定が優先するとありまして、この法律に基く人事院規則が以前の法律を変えて行くということが起り得るのであつて、これは極めて非民主的なことであると思います。このようなことが行われれば、すでに幾多の不当な人事院規則によつて行われていると思うのでありますが、行政権が異常に拡大されて立法権を侵し、独裁的な傾向が強まるだろうと思うのであります。  六番目には給與の問題でありますが、これは簡單に申上げます。私は給與の問題をこの職階制から徹底的に切離して頂きたいということであります。従いまして、職階制は單に民主的且つ能率的な人事行政のためにこれを制定するということにいたしまして、給與の問題は飽くまでも生活給の考え方を貰いて頂きたい、そういう工合に考えます。  最後に申上げたい点は、提案理由は、国家公務員法第二十九條で職階法を作ることになつているということが大きな拠り所になつているようでありますが、私は法律にそうなつていても何もあわててやる必要はないと考えます。若しも何でもやらなければならないとするならば、その二十九條の一つ前にあるところの第二十八條の情勢適応の原則、即ちベース改訂勧告は六千三百七円ベースと同所に行われなければならなかつた筈なんであります。而も職階制についてはこの第三十條によりますと、実施できるものから逐次これを実施するということになつているのでありますから、現在私共が考えますように、準備が極めて不十分であるという見解から現在まだ実施できる段階になつていないというふうにして、これを延期して頂きたい。  以上申上げましたいろいろの理由によりまして、職階制を今直ちに行うということについてはいろいろ問題もあり、又この法案の中にもいろいろと疑問の点がありますので、よろしくこの法案は今国会において棚上げ、或いは返上願いたいと考える次第であります。
  6. 中井光次

    委員長中井光次君) 御質問が今なければ後程に讓つて、次に進行いたします。関西学院大学助教授足立忠夫さんにお願いいたします。
  7. 足立忠夫

    公述人(足立忠夫君) 私は国家公務員法職階制に関する法律案に対して、次の二点から反対したいと思います。  第一の点は、ここからもつとより詳細な規定をお願いするわけでありますが、それはこの法律案が少くともこのままでは公務員法第二十九條第一項の規定に明確に違反しているということであります。公務員法第二十九條第一項は職階制法律で定めると規定しまして、職階制の制定権は国会にあることを明言しておるのであります。この第二十九條第一項は一昨年公務員法が制定されましたときに、原案には見られなかつた箇條なのでありますが、「公務員人事行政国会が更に深く干與すべきである。人事院への委任は制限すべきである」とする東京大学の公法研究会の意見を入れて挿入したものであります。でありますから、この規定と矛盾する、従つてこれを無視するような規定が存在するということは、それだけ国人の持つ職階制の制定権が侵害され、無視されているということになるわけであります。即ちこのような違反があるということは、職階制は私はそれは従来の特権的な官僚制度を打破する有力な武器であると思うのでありますが、その職階制の制定権を形式的のみならず実質的にも国会が依然として持つか、或いはそれを失うか、換言すれば従来の官吏制度の改革に実質的に国民の代表である国会が参加することができるかどうかという重要な政治の問題と関係するのであります。私が本法が第二十九條第一項の規定に違反すると強く主張するのは、それが單に、法の解釈上の問題であるばかりではなく、これは極めて重要問題でありますが、実は今述べたような重要な政治の問題が關連するからであります。さて本法が第二十九條第一項の規定にどのように違反するかを述べることにいたします。本法案は、第一條は本法が公務員法第二十九條第一項に規定する法律に該当するということを暖味な表現ではありますが、前提しているのであります。今更申すまでもないことでありますが、本法が「職階制は、法律でこれを定める」という法律である限り、本法は職階制そのものであり、従つて又本法は職階制を全面的にその中に規定しなければならないのであります。ところが本法の第二條は、「職階制は」云々とありまして「この法律に定める原則及び方法従つて分類整理する計画である。」と職階制の意義を明かにしているのであります。従つて職階制がこのようなものであるといたしましたならば、第二十九條第一項の規定は、「官職分類整理する計画法律でこれを定める」と言い換えることができるのでありますから、その法律に該当する本法は、このような計画そのものを全面的に規定しなければならないのであります。或る計画法律で規定しなければならないという要求があります場合に、その計画の具体的内容法律が第一に規定しなければならないことは言うまでもありますまい。こういうことは法律学の常識であるばかりではなく、日本語を解する普通の人ならば誰でも承認する当然のことなのであります。ところが驚くべきことには、本法案官職分類整理する計画の具体的内容については一言半句も触れておらないのであります。ただ本法は第二條に「この法律に定める原則及び方法従つて分類整理する計画である。」と規定しておるごとく、官職分類整理する場合の原則及び方法のみを第二章に「職階制根本原則」として規定しておるのであります。従つて第二章の根本原則は、いわば官職分類整理する計画即ち職階制を作成する場合の原則及び方法を規定しておると見ることができるのであります。そうして本法は、第二章以下においては、即ち第一章においては本法の目的、用語の定義、人事院権限等に関して、第三章は職階制実施に関して、第四章は罰則に関して規定するのに過ぎないのでありますから、結局職階制そのものに関しては、ただその作成の原則及び方法だけを規定し、私の理解によりますならば、法律そのもので規定しなければならないと考えられる職階制の具体的内容は、本法の第四條その他によりまして、今後人事院が制定する人事院規則及び人事院指令並びに職種職級一覧表及び職級明細書にゆだねよと要求しているのであります。これが公務員法第二十九條第一項の規定に明確に違反しないでありましようか。同項は職階制そのものを、従つて当然その具体的な内容法律で規定すべきことを要求しているのでありまして、断じて職階制作成の根本原則だけ規定することを要求しているのではないのであります。又先に述べたような国会公務員人事行政に対する関與と、人事院規則への委任の制限を目的として挿入された第二十九條第一項の主旨を、本法のごとき規定の仕方では全く踏みにじつていると考えざるを得ないのであります。例えば今仮に「予算は法律でこれを定める」という規定があつたといたします。そうしてその場合に、その規定に基いて、本法のごとく予算は国の歳入歳出の予定的計画であると定義を與え、予算作成の根本原則だけを規定し、予算の具体的な内容の決定を国会以外の他の主関に盡くゆだねよと要求する法律案を作成して、これが予算は法律でこれを定めるという規定に基く法律であると言うことができるでありましようか。そのような法律案が、予算は法律でこれを定めるという規定に基く国会の予算制定権を全然侵害しないと言うことが考えられましようか。これも恐らく法律学の常識のある方ならば、断じて維持できないことだと私は思うのであります。このために本法は至るところに矛盾撞著があるのでありますが、時間がありませんので、その細かいことは一切省略いたします。  元来この二十九條第一項は、アメリカの一九二三年の分類法のクラシフイケーシヨン・アクトの故智に習つたのであります。この分類法は、アメリカの公務員法には衆が国のごとく職階制法律で定めるという規定がないのにも拘わらず、職階制即ち官職分類整理する計画内容を相当具体的に規定しているのであります。伝え聞くところによりますと、この分類法も今度訂正されて、本法のような職階制根本原則だけを規定した法律がこれに代るとのことであります。そうして人事院の当局者は、この実例を挙げて、職階制の具体的内容法律で規定するのは古い考え方であつて、本法のごとく職階制根本原則だけを法律として規定し、職階制の具体的内容は、人事院のごとき機関に全面的に任すのが合理的であり、進歩的であると説き、更に又アメリカの人事行政学も挙つて本法のごとき規定の仕方を推奨していると述べているのでありまして、この方法の正しいことを強調しているようであります。  職階制のこのような仕方は、人事院が本法の規定する根本原則以外は、国会その他の機関から掣肘を受けないのでありますから、正に人事院にとつては合理的であり、好都合であることは間違いありますまい。併し根本原則以外は国民の代表たる国会の介入を許さんというこのような規定の仕方が、従来の我が国の一切の政治の病弊を集約的に表現した特権的官僚制度を打破することができるかどうかという見地から考えても、やはり進歩的であり、合理的であるとは限らないのであります。即ちアメリカの行政学乃至は人事行政学において進歩的であり合理的であると言われている方法であつても、それがそのまま我が国でもやはり進歩的且つ合理的な役割を果すとは一概には言えないのであります。  ちよつとアメリカの行政学のことをここでお話しますが、アメリカの行政学の権威ウイロビーという学者が、行政学とは、その行政の目的たる作業の能率を確保するために必ず守らなければならない根本原則を究明する学問であると定義付けております。このような行政学を、作業能率を増進させるための学問であるとする理解の仕方は、この国の行政学の非常に特徴的な面でありまして、私はこれをその性格から、能率工学的行政学と呼んでおるのであります。ではなぜこのような特徴的な行政学がアメリカで成立したのでありましようか。これはいろいろの條件を挙げて説明できるのでありますが、それらの條件の中でも、最もアメリカ的な條件と申しますのは、いわゆる猟官制度であります。即ち猟官制度は、政党が任命した素人を役人にすることによつて、人民の自由を抑圧する官僚政治に陥り易い職業的官吏制度の出現を防止し、よつて以てデモクラシーを維持するという輝やかしい役割を果すものとして正当化されていたのであります。けれども時代の進展と共に行政が漸次複雑化し、專門化するにつれて、猟官制度は政党の情実任免に伴う腐敗堕落と、素人の非能率のために、到底アメリカ人の堪え得るところではなくなつたのであります。かくてアメリカ人は、腐敗と非能率を生むけれども、人民と政党が公務員を直接支配し易いという猟官制度よりも、むしろ人民と政党の支配力は著しく減退するけれども、能率的にして公正な職業的官吏制度を選ぶに至つたのであります。アメリカの能率工学的行政学は、このように消極的には猟官制度の生んだ非能率な行政を打破し、積極的にはたとえ官吏に対する人民の直接支配は多少損われても、職業的官吏制度による能率的行政の樹立という実践的な使命を果すべく発足したのであります。  このような実践的使命を果すべくして成立した行政学の成果を、我々の官僚制度の改革に全面的に採用するということができるでありましようか。我々の過去の官僚制度は絶対主義的な天皇制の支柱であつた考えられ、そのために人民とは無関係に形成された特権階級として專ら人民に対して権力的な支配を強制して来たのであります。だから我々の今日の第一の使命は、このような官僚制度を如何にして人民がみずから支配することができる人民全体の奉仕者たらしめるかというところにあるのであります。でありますから、以上の点から極く簡單に申しますと、アメリカのごとく、人民と政府が余りにも公務員を支配し過ぎたために生じた弊害を打破し、少くとも少々の公務員に対して批判する原則というものが損われても、職業的官吏制度による能率的な行政を確保しようとする使命を持つたアメリカの行政学の教える諸原則を、我が国のごとく公務員が余りにも人民を支配し過ぎたがために、人民の恨みの的となつた特権的職業官吏制度を打破し、真に人民の支配し得る、人民の奉仕者たらしめようとする今日の我々の使命の解決に、無條件に採用することは重大な過ちを犯さないとも限らないのであります。即ち彼の国の能率工学的行政学の教える諸原則を模倣的に採用することは、ときには却つて従来の特権的職業官吏制度を温存する方向に役立つという危險をさえ犯すことになるのであります。勿論このように述べましても、アメリカの行政学の成果を我々が全面的に採用してはならないと言うのではないのであります。否、アメリカの行政学の教える原則は、最も近代的な合理主義的精神の所産でありまして、それは我が国の前近代的な、非合理的な官吏制度を改革する場合の有力な指標たることは疑いのないところであります。ただここで強調したいのは、その採用には一応の限界があり、又採用に際しては特別の考慮が必要であるという点であります。即ち大雑把に言えば、アメリカの行政学の教える諸原則を我が国の特殊事情に照し合せて勘案し、官僚制度民主化に役立つ方向に採用すべきであると主張いたしたいのであります。尚余談でありますが、アメリカにおきましても、最近は過去の行政学に対する反省が漸次盛んになり、従来の行政学が能率を強調するの余り、ややもすればデモクラシーを危機に陥れる傾向のあることを認めつつあるようであります。  ではアメリカの行政学が職階制に関して教える諸原則は以上のような観点からするならば如何なる採用の限界があり、如何なる愼重なる考慮を必要とするのでありましようか。この問題に対する私の解答がやがてアメリカ行政学の教える諸原則をそのまま模倣的に採用している本法案の批判にもなり、それが又私が冒頭に述べましたように、第二のより愼重な考慮をお願いする理由ともなるのであります。その一つ給與職階制との結合であります。公務員法職階制公務員給與との結合を要求しておるのであります。職階制給與とは別ものであるということを申しておりますが、それは何としても私には理解できないと思います。このように給與のための職階制、即ち給與と、職階制との結合は職階制をしてどのような構造を通らしめ、従つて又そこからどのような結果が生じるでありましようか。これを知ろうとする場合に最も都合のよい資料を提供して呉れるのは昨年新給與実施法に基き、新給與実施本部が作成した職階制、即ちかの十五級の職務による級別区分の基準であります。ここでお断りしたいことは、従来からもそうでありますが、特に本法案提出に際しても人事院当局がこの級別区分の基準が本格的な職階制でないことを繰返し強調しているのでありますが、この級別区分の基準給與という人事行政の機能にのみ役立つために作成されたものであつて、それが公務員法及び本法が規定するような職階制とは異るものであることは言うまでもないのであります。けれどもそれがとにかく人事行政の機能に役立つために作成されたものでありますから、非常に奇形的ではあるにせよ、職階制の一種たることには変りがないのであります。このことは公務員法第二十九條第五項もみずから認めておるところであり、而も第五項の例の「給別区分基準」を表現した「職務分類」という言葉も、第二十九條第一項の「職階制」という言葉も驚くべきことでありますが、英文の公務員法においては同じ言葉が用いられておるのであります。とにかく奇形的にしろ、例の十五級の分類職階制の一種であり、而もそれが給與という人事行政の機能にのみ役立つように作成されたものでありますから、その職階制の構造とそこから生じる結果とは、本法の規定するような職階制においてもそれが給與という人事行政の機能に役立つように作成される限り、多かれ少かれ含まれると思うのであります。  第一に、このような十五級の分類給與とを結合することが、最上級の級に格付けされる職員給與と雖も生活を保障し得ないような今日の情勢においては、徒らに下級職員の不満を買い、上下職員の摩擦を招くという結果を生じるということであります。併しこの点については多くの人々が当時指摘しておるのでこれ以上申上げません。第二に問題になりますのは、この十五級の分類そのものであります。十五級の分類は今後の職階制においてもそれが苟くも給與とも結合する限り、多少の数の増減はありましようけれども、存続することと思いますが、この十五級の分類が間接的にはやがて公務員法の十五級の分類になるということは申すまでもありません。ところがこの十五級の分類は、奇妙なことには曾ての我が国の官吏の階級である一つの親任官と、九つに分れる勅任官、奏任官、即ち高等官と、四つに分れる判任官及び一つの雇員の階級、合せて十五級の階級とぴつたりと一致するのであります。更に又この十五級の分類は最近では若干形を変えて国家公務員の採用試験にも適用されておるのであります。つい最近も各地で五級職、六級職の採用試験が行なわれておるのでありますが、この六級職の受験資格は大学卒業者であることを要求しておるのですが、この資格はほぼ曾ての高文試験の要求する資格と一致しているのであります。六級職が下から六番目の階級と同様に、高文試験に合格したものがなる高等官九等もやはり下から六番目に当るのであります。  以上のような十五級の分類といい、六級職の場合といい、曾ての官吏の分類とぴつたりと一致するということが單に偶然の一致といたしましても、それを等閑視することができましようか。勅任、奏任等の官吏の分類は今日でも一級官二級官と名前を代えただけで存在しているのでありますが、これらはその名の示すごとく、天皇の官吏に対する恩惠の濃淡、或いは天皇からの距離の遠近に基づく分類でありまして、正に曾ての官吏の天皇制的性格を集約的に表現するものであります。従つて給與のためにしろ職階制でこのような等級を認めるときには、我が国においてはそれが直ちに曾ての身分的秩序を固定化するような方向に作用するのことになり勝ちなのであります。昨年の職階制に対して官公庁労働組合が「封建的職階制を葬れ」と非難したのも強ち正鵠を逸した批判とは言えないのであります。これはアメリカのような、公務員職務上の序列と等級が全然公務員の全生活領域をも支配するような身分的な序列等級と混同されない所では問題ではないのであります。ところが我が国のごとく、非常に身分意識の濃厚な所では、これが直ちに身分的序列等級のごとき存在となるのであります。勿論職階制給與との結合を切断し、職階制を任用試験のごとき人事行政の機能に重点を置いて作成いたしましても、官職の等級の生ずることは必然的であります。併しその場合には給與と結合する場合よりは等級の数が少いでありましようし、それが給與によつて裏付けられないのでありますから、上下の差別意識は非常に少くなるのであります。  元来職階制給與とを結合させる制度は、それが円滑に運営されるためには欠くべからざる二つの條件が必要なのであります。そもそも職階制の原理というものは、一口に申せば重要な複雑な困難な仕事、即ち高い職務責任を、それに相応する高い資格を持つた人間に担当させ、その高い資格に対して高い給與を支拂い、それは逆に低い職務責任を低い資格の持主に担当せしめ、低い給与を支拂うということを確保するものなのであります。この高い資格には高い給與、低い資格には低い給與という制度が円滑に運営されるためには、資格即ち具体的には特定の技術や能力でありましようが、かかる技術や能力に対する経済的な金銭的な評価というものが、その社会において一定しておらなければならないのであります。我々の社会がかかる評価の安定性を持つておるといたしましても、今日のごとき社会の大変革期におきましては、その安定性はアメリカの社会のそれに比較する場合には可なり動搖しておるということができましよう。更にかかる安定性があつたといたしましても、資格と給與との結合が円滑に行なわれるためには、更に今一つの條件を必要とするのであります。それはその社会において高い資格を修得する機会が能力次第で誰にでも惠まれておるということであります。若しこの機会が恵まれないならば、経済的な事情で低い資格しか修得し得なかつた者は一生低い給與に甘じなければならないことになるのでありますから、下級職員はその能力があるにも拘わらず一生下積みに辛抱しなければならないことになります。アメリカにおいてはかかる機会が相当公平に誰にでも惠まれておるのであります。即ちアメリカでは一年のアルバイトによつて数ケ年の学校生活が可能であり、夜学やその他低廉に技術を修得し得る機関が非常に多い社会であるからであります。これに反してかかる機会が各人の能力よりむしろ経済的事情によつて非常に異なるイギリスにおきましては、最近アメリカのキングスレーという学者が分析したごとく、官吏の職務上の階級分類がそのまま社会の経済的な階級分類と一致するということになるのであります。ちなみに、従つて英国におきましては、職階制給與との結合はアメリカに比べると非常に暖漫なのであります。我々の社会においてもそのような高い資格を獲得するところの機会というものが能力次第によつて誰にでも惠まれているということは言えないのであります。即ち我々の社会は、このような職階制給與との結合が円滑に運営されるために必要な條件を欠いておるのであります。このような條件を欠くところに職階制給與とを結合する制度を採用するときには、徒らに公務員の中の大部分を占める下級職員の不満を買い、彼らの高いモラルを維持することができなくなり、遂には人事行政は不成功に終るのであります。以上のような理由から、私は職階制給與との結合をアメリカ行政学の教えるところとは異つて、これを切断或いは極めてルーズにすることが望ましいと考えるのであります。尚これに反しまして、職階制と任用試験との結合は、官吏にその官職の要求する資格を備えた人間を配置することを要求するのでありますから、我が国の従来の官僚の根本的な病弊でありました官吏の專門的技術性の欠如を救済する意味におきまして、十分進歩的且つ合理的な役割を果すものと考えております。例えば我が国の曾ての警察において、犯罪検挙の能率というものは相当の成績を上げておりました。併しそれは警察全体及び警察官が專門的技術を所持しておつたからではないのでありまして、被疑者を片つぱしから拘引するというような人民の自由の犠牲により確保されておつたのであります。従つて專門的技術性の欠如を権力によつてつてつたのであります。従つて專門的技術性の欠如こそが我が国の官僚制度の特質を集約的に表現しておつたのであります。この故に職階制と任用制の結合こそ、我が国の官僚を天皇の権威の担い手という意識から、單なる專門的技術の所持者にまで解体する有力なる武器であり、かくてこそ職階制は真の意味における進歩性を持つと思うのであります。  尚この他に本法の規定する職階制に対する不満は多いのでありますが、時間の関係上それらは省略させて頂きます。本法は内外の情勢すべて速やかに本法の通過を要求しておるようでありますけれども、こういう方面を研究しております私が真劍にこの問題を考えます場合には、以上のような見解を持つておるのでありますことを十分御認識下さいまして、愼重討議されんことを切にお願いする次第であります。
  8. 中井光次

    委員長中井光次君) それでは次に東京大学法学部助教授辻清明君にお願い申上げます。
  9. 辻清明

    公述人(辻清明君) 職階制と申しますのは、問題そのものは非常に技術的なものでありまして、その意味では今度提出されます職階法案を一瞥しましたところでも、法案というよりもむしろ職階制の説明書であるかのごとき観を呈しておりますが、これからも分りますように、技術的な意味職階制が長所を持つているか、或いはそれとも欠陷を持つているかということと、それをそのように技術的な長所と欠陷を持つている制度を異つた国家とか社会に適用する場合には、又技術とは異つた欠陷と長所を発揮するものではないかと、こういう点につきまして、私は今日お話申上げたいと思う次第であります。  私遅れて参りましたので、詳しくは存じませんが、今足立さんからも非常に詳細にこの職階制の技術的な欠陷、或いは又その長所についてお話になつておりますし、すでにこの私より以前に話されました公述人の方も多分いろいろと詳しくお話になつたことと思います。又民間会社でもこの職階制というものは所々によつては採用されてもおりますし、その方面のエキスパートの方がこれから後できつと詳しく、実際行なつて見てどういう長所と欠陷を持つているかというような点については、恐らくお話されると思いますので、私はむしろこの技術的な職階制が設けられるに至つた根本精神、即ち公務員法の第二十九條並びにこの職階法案第一條が謳つておりますような「公務の民主的且つ能率的な運営を促進することを目的とする。」というこの大目的に照らして見まして、この職階制というものが果して所期の目的を到達するかどうか。若し到達しないとすれば、どのような條件を加えれば到達するか。そういうような点についていわば総括的なお話をいたしたい、こういうように考えている次第であります。  私のこの制度に対する根本的態度は、これを実施することに賛成であります。但し、それを実施する場合には、多くの條件を加えなければ所期の効果を発揮しない、こういう考えであります。でこうした見地から大体意見を申述べます。  この職階制がそもそもアメリカで採用されましたゆえんは、詳しく申せば長くなりますが、簡單に申上げますと、二つの点にあります。一つはアメリカでは自由任用制が非常に腐敗いたしまして、その結果公務員の任用とか、昇進というものが政治的な慣行によつて自由に行なわれる。政党運動に活動したためにその御褒美として官職を與えるとか、そういうつまり行動によつて或いは人より早く無能な癖に昇進される、こういう弊害があつた。それに対する一つの矯正であつた。つまりそれによつて本当に專門的な知識を持ち、同時に責任心を持つた公務員を確保しようと、こういうところからまあ一つ職階制を採用する理由が生まれたのであります。それから第二は今申しましたような弊風から勢い国家の予算が濫費される。そういう意味から財政上の節約、こういう二つ意味から、この職階制というものがアメリカで採用されたと思うのであります。それも一挙になされたのではなく、早くは十九世紀の中頃から徐々に始まりまして、それが十九世紀末の公務員法一つの形を整え、更に一九二三年のクラシフイケーシヨン・アクト、職階法というか、分類法というか、それによつて整理された。勿論職階制によつても完全な分類化がされたわけではありません。現在まだその全良公吏の三分の一が自由任用の、いわゆるスポイルス・システムの支配下にあると言われております。こういう職階制日本の場合に適用すると、どういう長所があるかというと、先ず任用とか昇進が公平に行われる。例えば今まで高等試験を通つた者と通らない者とは、任用並びに昇進の條件に非常に差がある。或いは東大法学部の出身者が外の私立大学の法学部出身者よりは非常に早く昇進する。又時には、上官に気に入つた者が、平素上官に対して侃々諤々の弁をいたす者よりも良い地位を占めるというような弊害が見られたが、そういうような弊害が防げるのではないかということが第一点。第二は、待遇がこれによつて公平になる。例えば厚生省と大蔵省と比べて見ても、同じ仕事をしているに拘わらず、大蔵省は古くからの歴状を持つているために、そこで働いている人は、新設官省よりは、これは一例ですが、そういうことはあつたろうと思いますが、つまりそういう点で待遇が異なつて来る。そういう点を防ぐことができるということになる、それが第二の点。それから第三に、それぞれの各部課の責任とか事務内容が非常に明確になる。例えば許可とか認可とかを提出しても、これをどの課へ先に持つてつたらいいか、どの係へ先に持つてつたらいいかということをまごついて、非常に時間と手数をかける、或いは余り自分関係がないけれども、とにかく捺して置けというので、めくら判をべたべた捺すというような今までの弊風が、これによつて完全に除かれるかどうか分らんが、一応それを排除するということになるだろうというように考えるのであります。従いまして、先程申しましたように、公務の民主的且つ能率的な運営に資するというような点から見ますれば、一応こうしたところの長所を持つているのではないかというように私は考えます。併しながらこの場合の長所というのは、私が頭の中で描いている制度上の長所でありまして、これが実際に適用される場合に、果してそれだけの効果が発揮されるか、こういう点が恐らく疑問になるわけであります。この職階制、これはそもそもさつき申しましたように、大体アメリカにおいて発達した制度であります。これを今日日本に適用しますのも、大体その制度を模倣したと言うと語弊がありますが、大体それをお手本にした。そこで日本をアメリカとは少し政情なり社会、風土を異にしておりますので、やはりそのまま適用するのは非常に危險ではないか。この点については恐らく私のいない先程の公述人がいろいろお話なすつたと思うのでありますから、極めて簡單にどういう点とどういう点に注意してこれを日本に適用しなければならないかということを順番に述べて見ます。  第一は職階制の施行がアメリカでは先程申しましたように、約一世紀近くの間に徐々になされたのであつたという点であります。ところが日本ではこれを一挙にしよう、こういうわけであります。これは具体的な例を話しますと、丁度皆さんも御経験だろうと思うのですが、新婚の家庭では大体調度品が少い、旦那さんのお茶碗、奧さんのお茶碗、それからお客さんのお茶碗というようなものは非常に少いわけでありますから、これを例えば戸棚の中にしまつて置くにしても非常に簡單であります。そのうちに子供が生れたり、段々所帶が大きくなつて来てお客さんも殖えて来る、客用の茶碗とかコーヒーセツトとか、果物皿というように殖えて来ましても、もともときちんと整理した後に加えて行くわけですから、非常に簡單明瞭であります。これが大体アメリカの場合の職階制作つて来た一つの過程だろうと思いますが、丁度日本の場合は火事があつて倉庫が燒け出されたときに、それをそつくり整理するようなもので、非常に大変な仕事なんです。真黒になつた万年筆、或いは半分かけた茶碗とか皿とかがごろごろしている。それを適当に整理をしろ、こういうふうに言われておるわけですから、これは非常に愼重に且つ大変な仕事であります。つまりアメリカの場合には比較的スムーズに行われた。そういう職階制実施ということが日本では特に愼重な手続でされねばならないのではないかと思うのであります。現に一九二三年の職階制法がアメリカでできましたときにも、パーソネル・クラシフイケーシヨン・ポード、職階院というようなものができたわけであります。その長官は予算局長と人事委員会の委員長、それから能率局長、この能率局などという局はもうなくなつた筈でありますが、この三人が会議制の長官となりまして、そうして始めた。日本の場合におきましても、こういう各官庁に跨がつている非常に厖大な新らしいこの制度に手を付けるわけでありますから、少くともこの職階制を準備し、且ついろいろ施行して行く上には、例えば何といいますか、局長とか長官といつたような人、若しくはその他の官庁、それらともつとより緊密に行うべきではなかつたか、こういうふうに私は考えるのであります。つまり人事院で窃かに何か職階制作つている。ときどき書類を官庁に持つて来て、これに記入して呉れ、私も記入させられましたが、そういうようなやり方では恐らくこれがでて上りはそれぞれエキスポートの方でありますから、立派でありましようが、その他の仕事をして行く場合におきましても、他との反目が強くて、ただでさえ日本官庁というのは非常にそうだが、セクシヨナリズムが甚しいわけですから、殊に新らしく出て来た人事院は眼の上のたん瘤のように思つておりますから、そういう意味でとかく障害を受ける、そういう障害をできるだけ付けないように実施を速やかにするためには、それだけ愼重な手続が必要ではなかつたか、こういうように思うわけであります。  第二はアメリカの場合と日本の場合とはいわゆる一般職の範囲が非常に違つておる。日本の場合は一般職は遥かに大きいわけであります。普通何といいますか、政策決定職ポリシー・メーキング・ポジシヨン、こういう官職はアメリカの場合では、これは大体スポイル・システムの支配下にあつて自由任用であります。日本の現世で言いますと、次官とか局長とか重要な課長クラス、そういうような現実にポリシー、政策に参與する官職一般職の中に入つておりません。スポイル・システム即ち自由任用になつておるわけであります。ところが日本の場合ではそういう次官局長、いわゆる従来の高文出身の事務官吏と言われておる人達は、僅かにそういう人は一般職に入つておるわけでありますから、これを職階制の枠に入れようとすると專門がはつきりしないものですから、非常に困難なわけです。そこでこの作られておる職種一覧表を見ましても、一般行政職というような、一般行政職群という一つ分類を作つたわけであります。ところがそもそも職階制という制度は、つまり大体行政組織の中から不合理的な要絵を排除して、そうしてできるだけ企画化された仕事の單位を作る。そういう單位を構成要素とする科学的な組織を作ろう、こういう制度であります。それでありますから、それぞれの部分に分れておる行政の仕事が相互に連絡して、事務上の円滑な運用を導くように配列されるためには、それぞれの官職が皆細かい而も非常に合理的な單位に分解される、そういう單純な技術的な要素に分解される。そういうことが前提になつておるわけであります。従いましていわば専門的且つ技術的な行政の分解においてみのみの職階制は可能になるわけなんであります。ところがこの一般行政職職種の定義表を見ますと、「この職種は一般的な行政事務即ち專門的、技術的な部面を除いた行政的な責任を有する業務の監督又は指導」云々、この定義自身が職階制に非常に矛盾しておるのであります。つまり專門的、技術的部面にこそ職階制が適用されるにも拘らず、それを除いた部分にこの職階制を適用しよう、それでありますから、この一般行政職群というので作つたことそのものが初めから非常な矛盾なわけであります。でありますからこれは細かく分けようがない。例えばこれを比べますと、技工職というようなものはその職群が百以上に分れておるにも拘らず、この一般行政職群は僅かに五つしか分れていない。非常に、非常にどころじやなく、極端に巾が広い、こういうことになつておるわけであります。それは無理もないので、実際上分けようがないのではないかと思うのであります。現在の事務官の職務というのはこれは大体において日本の場合は、今まで国会の地位は非常に低かつたわけでありますから、大体において行政官庁が実質上の日本の政治を行なつていた。従つてそういう事務官系統の而も特に高級になりますと、大体においてそれらの人の仕事というのは、むしろ純然たる技術的な職務というよりはむしろ政治に関係する政策決定の仕事をして来た。そういう政策決定の仕事をば專門の標準によつて細かく分類するということ、それ自身が矛盾であるわけであります。ですからこれが簡單であるということも、そういう点から見ますと無理はないわけであります。これは関係いたしまして、最近高級官吏に試験を行うということが問題になつております。これについて非常に反対もあるそうでありますが、実際そういう意味から言いますと、高級官吏に專門試験をやつて見たところで、これは余り効果が上らないのじやないか、又同時に今度はやつても将来私は試験制度というのは果して存続するかどうかという点についても私は疑いを持つております。つまり試験はやるけれども、それは非常に形式的になつて大体通るというようなことになるか、それとも全然しなくなるかというようなことが結局落ちであろうと思うのであります。つまり、それは日本の場合、一般行政職に属する人達は專門の文字通り技術的な專門職をやつておるのじやないからそういうことになるわけであります。でありますから、それはむしろこのポリシー・メーキング・ポジシヨン、いわば行政職というものをこれから外しまして、これはすべて自由任用にすべきであるというように考えるわけであります。自由任用にすべきであると申しますと、そういうことを今すると折角安定している行政が混乱を起すというのが大体それに対する反対意見のようでありますが、併しポリシー・メーキング・ポジシヨンを大体において自由任用にしておるアメリカにおいても、必ずしも政治と行政が混乱しておるというようなことはないと思うのでありますし、と同時に又下級から昇任して行かれる官吏の中からでも、自由任用によつて次官とか局長に採用するということも可能なわけでありますから、これはむしろ日本の場合においては一般行政職分というものは職階制から外して、そうしてこれは自由任用にすべきだと、こういうように考えるものであります。それが第二の点。  それから第三は、今申しましたように、職階制は大体技術上の見地に立つて合理的な行政の体系であります。従いまして決してこの個々の行政職を占めておる個々人の社会的な値打ちというものの差違を示すものではありません。従つて長官であろうとその下のタイピストであろうと、その間に上下の身分の違いというものは全然ないわけであります。ところが日本の場合には、そういう意味でなら昔から親任官、勅任官、奏任官、判任官というような、形式的に見ると職階制に近い制度があつたのでありますが、併しこれら上の人は下の人より社会的な地位が高いというような観念を持つていたわけであります。こういう考え方はこの際徹底的に排除いたしませんと、職階制そのものが立派にできなくなる。例えば今年の文芸春秋の九月号に坂井米夫という人が書いておりますが、アメリカでは長官と新入の公務員との間は全然平等であつて、入つたときに「はあ」とか「そうでございます」とかそういうことを絶対に言わない。廊下で出会つても頭なんか下げない。頭なんか下げたら気狂い扱されるだろうというようなことを書いておりますが、日本の場合は格段の相違がある、そういう雰囲気の中でこそ職階制というものは本当の妙味を発揮するのでありまして、日本のように依然として、先程足立助教授が大いに主張しておられましたように、依然としてそういう上の者は下の者より偉いというような考え方のある所では、この職階制というものはなかなか運用が困難になるのではないかと思うのであります。つまりそういう場合には職階制というものはそれぞれの職務の人がその職務に関しては完全な権限を持つておる、そういうポジシヨンが幾つもあつて、それが技術的に連結して流れ作業を行うという点に特色があるのでありますが、ところがこれに反して、上の人だから言われた通りにして置こうとか、或いは又長官の御機嫌を損うといかんから前例のままにして置けというような気持である限りは、今言つた職階制というものは決してうまく運用ができない。従いましてこの職階制を施行すると同時に今申しましたような公務員のモラルといいますか、そういう精神をできるだけ今言つたように身分的な観念を排除する、そういうようにして頂きたいと私は希望するわけであります。で、そういう意味で、第四に、つまり現在の官職内容と、そうしてそれを占めておる個々人の資格とか能力とかいうものが、果して十分に調査されたかどうかという点について、私は疑いを持つものであります。例えば、私の所へ職務記述書というのが廻つて来ました。一応私はまあその方をやつておるわけですから適当に書いたわけですが、外の同僚の人達のを見ますと、書くべきところが、つまり法律上の自分に與えられておる仕事と現実に自分にやつておる仕事と、それが必ずしも一致していない。或る人は事実上やつていることを書いておるかと思いますと、或る人は本当はそういうことはやつていないけれども、とにかく法規の上では自分に與えられた仕事はこういうふうになつておるからという点を書いておる。そういう点が非常に混乱して書かれておるのではないかと思うのです。従つてそういう記述に基いて行なわれたこの職階制のいろいろの職群とか職種の調査というものは、必ずしも十分に科学的であるかどうかという点は、非常に疑問というと失礼でありますが、そういう点は疑わしくなるのではないかと思うのであります。で、人事院の淺井稔裁はその著書の中で、職階制というのは大福帳を新らしい簿記にするようなもんだというように言つておられます。私ももとよりその通りだと思うのでありますが、併し私はその点において科学的な調査が足りない。つまり大福帳の上に罫線を引いただけでは決して簿記にはならないというように私は考える次第であります。そういう点についてより愼重な調査をして頂きたいと思うわけであります。  大体以上の四点が主たる問題であります。これに附随いたしまして、極く簡單に若干の点を附加えて置きますと、この中で特殊な職務については例外の処置を考えるべきではないか。例えば、研究所であるとか、大学の先生であるとか、そういう人の研究している科学内容というものは、恐らくいわゆる技術的な基準によつては決して分類のつくものではないのであります。時間的に、これは時間の量でも分りませんし、或いはどれだけ勉強しておるかということ、或いは講義の内容に学生がどれだけ聽講者がおるかというような点では測定がつかない、こういうように考えます。従つて特殊な職務については例外処置が欲しいということ。それからこれは例えばさつき申しましたが、職務の決定に当つて、例えば法案第十一條のように「一職級をもつて一の職種を形成する」というようなことにいたしますと、幾ら長い間勤めておつても一向うだつがあがらないというような結果になりまして、例えばこれに用人というような地位に在る人には気の毒な結果を来すのでないかというふうに考えます。ですから、アメリカでも最近そういう種類の人は職階制の枠から外したというように聞いておりますし、読んでもおります。  それから職階制実施解釈について、人事院規則人事院指令に委ねられておりますが、これは第四條で……。ところが、これが一般の場合と同様に、やはり何か国会においてこれら規則とか指令の施行乃至発布についてコントロールする手段を考える必要がある、そうでありませんと、比較的独立の地位を持つておる人事院というものに対する何といいますか、国民の統制、英語でいうとポピユラー・コントロール、これが不可能になつて来まして、委任命令の跋扈がやがて国会の職能を奪つて来る、そういうことが今日多くの学者の唱えておるところであるからであります。  第八には、アメリカでは民間企業で行なわれておることが日本では特に国有乃至は国営で行なわれております。従つてそういう点についての従業者というものは、むしろ職階制によるよりは、何といいますか、労働協約によるというような制度が、実情に即するのではないか、こういうように思います。  非常に制限時間を突破いたしまして恐縮でありますが、つまり私の申しますことは非常に大雑把で、或る意味ではラフなことでありますが、要するに外国で発達した制度日本に入れるときには特に愼重でなければならない。必ずしもその外国で発揮したと同様の効果を発揮するとは限らない。特に日本のように強力な官僚制に支配されていた官庁機構においてはその点において特にいろいろの、何といいますか、法案に用心棒を付けて置かないと、なかなか思う通りの効果を発揮しない。こういう点についていろいろ御審議の際に参考にして頂けばと思いまして、非常に粗雑な話でありますが、申上げたわけであります。時間を取りましてどうも……。
  10. 中井光次

    委員長中井光次君) 午前中の公述はこの程度にいたしたいと思いますが、午前中のことで何か委員の方で御質問ございますか。……じや御質問あれば最後にいたしまして、ここで休憩いたします。午後一時から再開いたしたいと存じます。    午後零時二十一分休憩    —————・—————    午後一時十七分開会
  11. 中井光次

    委員長中井光次君) それではこれから午前中に引き続き開会いたします。  午前中の公述に対しまして、御質問がございましたらこの際お願いいたします。
  12. 寺尾博

    ○寺尾博君 私は先ず足立さんにお伺いしたいと思います。実は今質問しようと思うことは、必要ないだけにすでにお話を伺つていると思うのでありますが、尚一応念のためその点をはつきりするようにお伺いするに過ぎないのであります。  第一は、この法律案には、職種及び職階の分類体系の表が含まれていない、でこういうものを職階制を認め得るかどうかということの御意見をお伺いしたいと思います。  第二に、もう一つは、この法律案の中に、「人事院の指定するもの」、この指定するものというのは、私が委員会で質問したところでは、つまり各省のその方の関係の係の者、こういう意味になるようでありましたが、そういうつまり各省に格付を行わせるというような点が幾らも出ておりますが、これに対する可否又は御意見をお飼いしたい。その二点を足立さんにお伺いいたします。
  13. 足立忠夫

    公述人(足立忠夫君) 午前中お話いたしました時に、非常に早口で申しまして、実は三四十分の時間を頂けるというように聞いておりました。然るに二十分以内に話しろというので、非常に早口で、而も至るところ飛ばしましたので、御理解の行きにくい点があつたかと思うのであります。  最初の職階制というものの内容の関する御質問であると思うのでありますが、公務員法の第二十九條第一項に、明確に本法に違反するということを申上げたわけであります。これは少し余談でありますが、先程から公務員法の第二十九條第一項に違反するのみならず第四項にも違反するというような発言があるのであります。私はこの第一項と第四項が、何といたしましても、日本語の公務員法の文言を理解しようとする限り、第一項と第四項は矛盾すると思います。これは曽て或る雑誌にも詳細に書いたことであります。職階制に関する計画職階制計画という言葉がございます。前三項に関する計画、それから第二十九條第一項に職階制という言葉があります。これを日本語ではあくまで別にしてあります。片一方は法律で制定するものであります。片一方は人事院が立案して国会承認しなければならない計画なんであります。全然日本語では別であるのでありますし、制定の手続も違うのであります。ところが、この人事院から出ております英文の公務員法によりますと同じことなんであります。こういうふうに公務員法には至るところに理解しにくい点が非常に多いのであります。この職階制という言葉の定義も、私はある機会に詳しく書いたことがあるのであります。公務員法の中からは、正確な定義を導き出すことはできない。ここで日本語の法律を解釈する場合に、英語の公務員法を借りて来て、引用して来て解釈するというのは、どうも滑稽なことだと思うのでありますが、外に有力な手掛りがないので、人事院が発行しました英文の公務員法では、ポジシヨン・クラシフイケイシヨン・プランとなつておるのであります。このポジシヨン・クラシフイケイシヨン・プランと申しますのは、アメリカの人事行政乃至は職階制に関する書物、すベて次のように定義されておるのであります。第一に、クラスの表である。即ち、恐らく日本語の本法の文言によりますと職種職級一覽表に該当すると思います。第一項は、職種職級一覽表、第二に、クラシフイケイシヨン、職級明細書、第三に、そういうものを実施するに必要な手続乃至は規則、これは人事院方々が喜んで常に引用されるアメリカの書物に全部、十中の八、九そのように定義されているのであります。職階制というものは、日本語で申しますと職種職級一覽表及び職級明細書及びそれらを実施するに必要な規則、手続、この三つを含まなければならない、含むものである、こういうふうに定義されておるのであります。この法律は、実は私五月に、人事院の方から出ました職階制法案内容であります。これは官庁の極秘なのでありますが、さるところから入手しましたのでありますが、それによりますると明確に、第三條の第二項に職階制は、一、職務の種類及びその複雑とその責任の度に応じた職級及び職別の体系、本法のいう職種職級一覽表、二、職級明細書の体系、即ち職級明細書、三、職階制運営手続を定めなければならない。こういう規定があるのであります。元来こういう規定を設くベきであると思うのでありますが、若し設けたならば、職階制というものは、そういう具体的な内容はその三つに職階制というものは規定されなければならないのであります。ところが公務員法の第二十九條によつて、それは法律によつて規定されなければならないのだ、即ち職種職級一覽表、職級明細書或いは職階制運営に必要な手続というものが、法律によつて制定されなければならないということが、こういう規定が本法に若し盛られたならば、誰でも気付くことでありましよう。そういうことから、これをぼかすために敢えて削除したのだと私は邪推しておるわけであります。職階制内容というものは、アメリカではそういうように理解しておりますし、人事院の当局者もそういうように理解しておるように思います。  尚余談でありますが、この法律が、公務員法第二十九條第一項による法律であるということを、本日出ております本法案の第一條には、先程お話しましたときに申上げたのでありますが、極めて曖昧に規定しておるのです。第二十九條第一項の法律であるということを明確に書いていないのであります。で五月の法案によりますと、本法は公務員法の第二十九條第一項の法律にしてということが明確に出ております。これもそういうことを具体的に、容易に追及されるので、それも私は削除したのじやないか、こういうように、そういう嚴密な法律論を何とかしてのらりくらりと免れる、抜けるためにいろいろな随分ここに配慮がなされておると思うのであります。そのためにこの本法の個條が、随分理解しにくい條文が多いと思うのであります。一例を申しますと、第四條の、「人事院は、この法律実施に関し、左に掲げる権限及び責務を有する。」というように規定してあります。二十九條の一項が法律であるならば、その法律職階制そのものでなければならない筈である、ところがその二十九條の一項に、その職階制実施しその責に任ずるということが出ております。この法律職階制であるとするならば、冒頭の文句を第一項で繰返しておることになる、これが結局、この法律が第二十九條第一項に基く法律でないという工合に規定しなければ、この文言は調和的に理解できないのであります。若しこの本法が、二十九條第一項に基く法律でないとするならば、この職種職級一覽表、職級明細書というものも、今後これらは職階制内容を記述するものと思うのであります。ですから今後法律的な形式で出さなければならない筈なのです。ところがそれを明かに否認しておる條項が本法に多数含まれておるわけであります。法律解釈論も極めて、大した重要な問題でないと言われればそれまででありますが、今日においては規則法律を破つたり、法律憲法を破つたりするのが非常にはやつておるといいますか、多いのでありまして、そういう傾向は非常に日本の政治にとつて憂慮すベき状態だと思います。とにかく法体系の一貫性を維持するということも大いに必要と思いますので、とにかく立法技術的にも、もう少し細かい規定というものがなされなければならないのじやないか。  第二の点でありますが、これも人事院の指定するものが、格付け乃至はいろいろなことをするということを本法が規定しておるわけでありますが、これに対しまして、それでは人事院がすベて各官庁官職の格付けに干渉し得るか、全部格付けをなし得るかというと、人事院の現在の能力では、恐らく不可能でありましようし、又中央にいて官庁の細部の実情を知るということは不可能でありますから、これは或る程度各官庁のいわば自由というものを認めてもいいのではないかと思います。これは今後職階制実施の技術上の問題でありまして、私はこれに対して今明確な批判をなし得ない、今後全部人事院が各官庁官職の確付けに干渉するということが望ましいか、或いは相当程度の各官庁の自治性といいますか、自由を認めることが望ましいかということについては、今後の経験を待たなければならないと思うのですが、大体のところ、人事院一つの機関で何十万ある官職のすベての格付けをやり得るというのは不可能ではないか、その意味におきまして、人事院の指定するものが格付けをやるということは、技術上穩当なことではなかろうかと思います。
  14. 寺尾博

    ○寺尾博君 尚今度はちよつと辻さんにお伺いいたします。  この職種職級分類をする前に、官庁の機構とか組織とか、それからその官庁事務の指揮の系統、そういつたような官庁の機構と運営関係することがそれぞれの官職につきまとつておると思うのでありまして、名前が同じような官職であつても、その置かれた場所によつていろいろ事柄に違いが出て来ると思います。従つて職階制内容を決定するには、そういうことも考慮に入れられなければならんじやないかと思いますが、その点に関する御意見を一つお伺いしたい。  もう一つ、これは多少些細なことではありますが、この法律案には罰則が書いてあります。成る程正確な資料を必ず人書院が確保するのに罰則ということの制限も必要であるかも知れませんが、とにかくどういう御意見か、これについてもお伺いしたいと思います。どうぞその二点を……。
  15. 辻清明

    公述人(辻清明君) 第一の御質問でありますが、私も官庁内部の仕事につきましては、詳細をよく存じておりませんので、詳しくは分りませんが、私の知つている範囲でも、先程も触れましたように、つまり内規とかそういう規定で定まつている仕事、それだけをしているというのではなくて、又それに附随して、非常にそれに関連するような仕事も併せてしておる、或いは又今おつしやいましたように、同じような名称の官職であるにも拘わらず、各官庁によつてその内容の違つた仕事をしているものがあるのではないか、そこの具体的の私は実情は一々ここで分りませんし、申上げかねるのでありますが、私の知つておる範囲でもそういうことが非常に多いと思います。従いましてそういう場合に、そういう点について深く注意もせずにこの記述書を渡して、そうしてその書く点については、それぞれの官職にある人に任せて置くということになりますと、集まりましたこの記述書を、成る程この記述書をば、何と言いますか、参考資料で見ますように、扱う場合には、非常に科学的に扱つてはおいでになるようでありますが、元が比較的違つているとしたならば、扱い方を科学的にすればする程、結果になつて非常にその誤つた成果が出て来るのではないかと思うのであります。従つてその点ではもつと愼重な手続が必要じやないか、従つてそのためにも人事院のみでやらずに、もつとこういう厖大な新らしい制度を採用することにつきましては、各官庁並びに財政当局、それから人事院も加わつて、そうして衆智を集めた上で詳細な計画、それからいろいろの細い点にまで至る親切な配慮をした上で実施されるのが適当であつたのではないか、こういうふうに私は思います。  それから第二は、罰則の点でありますが、これは国家公務員法の場合におきましても問題になつたのでありますが、いわば国家公務員法とか、それから職階制の問題は、各官庁内部の規律を主として取締る法律であります。むしろ一般の人には特に関係がない、若干あるとしましても、主たる関係を持つ法律ではないのでありまして、これはむしろいわゆる昔で言う行政罰でいいのではないか、特に刑法のいわゆる刑事犯と同様の罰則を適用するのは必ずしも適当なことではない、こういう私は考えを持つております。
  16. 中井光次

    委員長中井光次君) 外にはございませんか。
  17. 赤松常子

    ○赤松常子君 私足立先生にお伺いしたいのでありますが、先程の皆さんの御意見の中に一貫してございます御意見は、人事院に過大なる権限を與えるために独善官僚の出現ということを言われておりますが、私も同意見でございます。それではこの法案実施いたします場合に、人事院といたしましては、最小限どの程度の権力を與えたらよいのか、皆さんの先程の御意見では、調査研究の程度でよろしいような御意見もございますが、その辺はどういうふうに先生はお考えになつていらつしやいますか、お尋ねいたします。
  18. 足立忠夫

    公述人(足立忠夫君) 人事院権限をどの程度にしたらいいかということは、非常に重要な問題でありますが、今の御趣旨をもう一度お尋ねいたしたいのでありますが、人事院権限が、職階制の立案実施等に関する人事院権限をどの程度にすべきか、人事院一般の権限ではないんでございますね。
  19. 赤松常子

    ○赤松常子君 両方含めてお尋ねしたのでございます。
  20. 足立忠夫

    公述人(足立忠夫君) そう申しますと、人事院の今度の昇進試験の問題にいたしましても、或いは人事院政治活動禁止規則、あの問題にいたしましても、非常に広範囲な問題になりまして、凡そ人事院というような機関は、どの程度の権限を持つべきかという問題になるわけであります。勿論職階制に関してどの程度の権限を持つべきかという問題も、究極的にはその大きな問題と関連するわけでありますが、一応大きな問題になりますので、職階制の問題だけに限定して、そこから人事院権限がどの程度であるかというような示唆を申上げる程度にして御了承を願いたいと思うのであります。  今まで申上げましたことは、この法案公務員法第二十九條第一項に違反するということは、公務員法第二十九條第一項、即ち職階制というものは法律で定めなければならないんだ、こういう原則を前提として、この原則を曲げ得ないものとしてお話しておるのであります。そうして職階制というものが、仮に先程申しましたように、アメリカの人事行政というものの理解するように、職種職級一覽表及び職階明細書、或いはそれの運営の手続、こういうものをすべて職階制の中に含むものであるとするならば、国会がすべてそういうものを決めなければならない、こういうことになるわけであります。この公務員法の第二十九條第一項の原則は曲げられないとして今までお話して来たわけであります。併し人事院の極限がどの程度のものであるかということについては、ここでははやりの言葉を申しますと、法律の問題ではなくて、政策の問題になつて来るわけであります。それでその公務員法の第二十九條の第一項というものはないものとしてお話いたすわけであります。職種職級一覽表及び職階明細書というようなものは、これは例えば連邦政府の職階明細書というものは、恐らくこれは数千ページに亘るものだと思います。こういうものを全部国会が作成することができるかと申しますと、実質上は非常に失礼な話でありますが、現在の国会では不可能だと思います。こういう職階制の細かいことまで国会が敢えて干渉する必要も又ないと思います。ただ大雑把な分類と言いますか、そういうものを国会は制定すべきだと思うのです。そうしてこれは又公務員法第二十九條第一項の問題でありますが、第二十九條第一項は、私先程申しましたように、第四項と矛盾すると申しましたのですが、とにかく人事院にそういう職階制を作らせて、そうしてそれを国会に上程して国会承認を得るというように。今後この本法によりますと、職級明細書職種職級一覽表というようなものが全然国会の認証を経ることなくして作られる人事院規則職級明細書職種職級一覽表というものは法的にはどういうものでありますか。規則といいますか、規則の一種でありますが、そういう規則を、全然国会の介入することなく、出し得ることになつておるのでありますが、それを国会承認を得て出し得るというようにすべきではなかろうか。  結論といたしましては、公務員法第二十九條第一項が、職階制の細かいことを国会で決めるということは事実上不可能なんであるから、職階制内容の大綱を国会で決める、或いは職階制内容を決めた人事院規則というようなものを国会承認を得なければならない、こういうようにすべきではなかろうかと思います。先程アメリカの人事行政学のお話をしたのでありますが、能率ということを第一番目にして、能率一点張りで物ごとを考えて行きますと、どうしてもそこでいわば曖昧な表現でありますが、民主的であるということがとかく阻害されがちなのであります。一九三九年でありましたか、アメリカで行政機構改革法が国会に上程されたことがあるのです。それはこの能率運営ということを重点にしたのでありますが、大きな権限を大統領に持たせるという……権限が非常にあちらこちらに分散しているということは、能率運営を妨げるわけでありますから、大きな権限を大統領に集中させる、こういう法案が上程されたのでありますが、国会においてルーズヴエルト大統領は、みずからの地位をヒツトラーの地位に真似ようとしておるのかというように非常に糾彈されまして、これが可なり骨拔きにされた例があるのであります。このようにこの能率一点張りの行政学というものに対して、何なりアメリカでも批判がなされていると思うのです。このことは最近のアメリカの文献を見ましても、容易に窺えるのではなかろうかと思うのです。最近の職階制の最も権威的な書物というのが、合衆国の人事行政協議会というものから出ておりますが、その協議会から出ておる職階制の相当厖大な著述があるのでありますが、この著述などは、職階制人事行政機関、例えば我が国の人事院のようなものが立案して、そうしてそれを国会のようなこういう機関に承認を求める、上程するまでに何十回、或いはもう恐らく百回にもなんなんとする程の、それまでに公聽会或いは組合との協議というものを開くことを要求しておるのであります。このようなことを読みますと、それでは一体人事行政機関の能率はどうなるのだろうかと、述に我々が心配したくなる程、この職階制を立案作成する期間に、いわゆる民主的な手続というものを何十回となく踏んでおるのであります。で如何に能率を確保する制度であつても、それを如何にして人民の承認と、人民の参與の下に作成するかということに非常な努力を拂つておるのであります。この点につきまして我が国の人事院は、それと全く対照的な態度をとつておるのではないかと思います。これは先程辻先生が言われた点でありますが、決して人事院が厖大な権限を持つて、而もそれを独善的に行使してよいのであるということを、アメリカにおいても教えているのではないということを申上げたいと思う。人事院の今後の権限が如何にあるべきか、その他一切の人事行政についての権限が如何にあるべきかということは、非常に大きな問題でありますので、この点は御了承願いたいと思います。
  21. 中井光次

    委員長中井光次君) 御質問がなければ、午前中の公述に対する質問はこの程度にいたしまして次に移ります。  次は全国財務労働組合委員長高島清君にお願いします。
  22. 高島清

    公述人(高島清君) 只今御指名にあずかりました高島でございます。国家公務員職階制に関する法律案につきまして、公述の機会を得ましたことを大変光栄に思つております。  初めに結論といたしまして、反対でございます。午前中におきまして足立先生初め皆さん方から、法理論的にも、今回提出されました職階法案が違法であるというふうな御意見が縷々述べられましたが、私もこの点全く同意見でございまして、この法案公務員法第二十九條乃至三十二條の内容をいわば敷衍したに過ぎない、そうして実質的内容が殆んどないというふうに言えるのじやないかと思います。極端に言いますと、字句の説明であつて、民主的に制定せらるべき職階制が、本当に民主的にされるという保障がなされていない、そうしてすべてが人事院に委任されておる。こういうことは先程来かずかずの公述人が述べた通りでございまして、この法律案そのものにも、又この法律案に附せられました提案理由書にもその趣旨がはつきり盛られていないわけです。二十九條第一項には、法律で定める、第四項には、計画国会承認を求めるということがありますが、この法案と一緒に出されました提案理由には、法律を制定し、併せて国会承認を得たいというふうな言葉がございますが、果してその計画がどの程度のものがはつきり明示されていないわけであります。科学的な人事管理方法としまして、このようなあらゆる官庁官職を、職務責任という点から分析するやり方、分類するやり方は、技術的な問題として大きな進歩であると思いますが、その実施を一切人事院に任されるということは、法理論的にも又我々労働組合の者としましては、実際的にもどうしても賛成できないということを申上げたいと思います。人事院も認めその他も大方は認めているように、今までの官僚機構といいますものは、やはり天皇制的なもの、天皇制に基くものでありまして、この人事院から配られました「国家公務員職階制」というパンフレツトにも、高等文官試験に合格した人達だけが将来の昇進を約束され云々ということがありましたが、こうした今の官庁機構を民主化して、新らしい官庁機構に持つて行くというような使命を持つ人事院、それはあらゆる政治的な勢力からも公正な立場に、いわば第三者的な立場にあると称せられる人事院が、このような職階制実施をすべてやるということは、表面如何にも民主的のように思えるのでございますが、私共としては、どうしてもそれでは納得できない。今まで我々は人事院に対して、人事院がどのように我々に対して来たかということを考えますと、どうしてもそれでは一般働く下級公務員は納得できないと思う。例えば公務員法の第一次改正法律附則第四條で、まあ労働組合の登録ということが規定されておりまして、その第四條には、登録の手続きは人事院規則で定めるというふうになつていまして、その法律に基きまして発せられました人事院規則が、果して手続きが決まつたかと申しますと、我々としましては、決して手続きだけではなかつた。それで今官庁の労働組合がどういう結果になつているかということは、少し今の労働組合の現状に注意して頂く方は十分お分りと思う。あの登録の規定で、現在完全に登録をされているような全国的な組合というものは、殆んどないと言つて過言ではないのであります。登録の締切りが九月一日でございまして、只今もう十一月末になつておりまして、その期間末だに全国的な組合で、無條件で登録されたものは、一つもないというふうな、こうした人事院規則を出す人事院、それから先程来問題になりました政治活動を、はつきり言えば禁止する人事院規則、こういうふうに今迄人事院は、いわば公務員を縛るように縛るようにというふうに、それから労働組合を何とかして彈圧しようしようというふうにやつて来る以外に、何ものもないと言つても過言ではない程であります。そういう工合に職階制のことを人事院に任せるということは、下級公務員として、どうしても納得できないのであります。具体的にちよつと例を申しますと、今じや人事院がどういうことをやつているかと言いますと、職階制のその準備が十分にまだ科学的ではないと思います。先程来諸先生が申されましたように、アメリカではこの職階制実施のために数十年の期間が費やされたそうでありますが、この人事院は僅か二年ぐらいで、これをやろうとしている。現実に私共人事院の職階課に参りますと、二百数十名の方と覚えておりますけれども、その方々が非常に狭い事務室に押し込められまして、非常なきつい労働をやつておられますが、それだけでこの全公務員、八十四万の公務員官職分類がはつきりできるとはどうしても我々納得できないのです。例えば職務記述書がどのようにしてサンプリングされたか、それがはつきりしない。職務記述書を撤かれた範囲も東京だけと聞いております。それから公務員に対して約一〇%の割にしか職務記述が配られていない。それから職務記述を書くに際しまして、先程辻先生もおつしやいましたように、はつきり職階制を作る種になるのだからと、はつきり分つて書いておる人は非常に少いのでありまして、殆んどがただ職務記述書が来たから書く というので、非常にこの重要な、我々の給與並に人事行政一般を規定する職階制の非常な重要な資料になるというはつきりした自覚を以て書かれた人は非常に少い。こうしたことと一緒になりまして、立案の態度にも非常に欠陥があると思うのです。この初めの立案の全経過に当りまして。各省の職階担当官の方々と協力してやられたというふうに我々伺つておりますけれども、この担当官の方々は、まあこの職階制実施目的として排除さるべきいわば特権的の立場にある方々でありまして、そういう方々人事院の実際事務をやつておられる方々と協力して、果して下級官僚の立場を尊重して頂けるかどうかということは、我々としては疑問を懐かざるを得ないのであります。いわば東大を出た方とか、高等試験を通つた方、そうした方々と我々のいわゆる下つ端の連中とはやはり異つた立場があるのでございまして、淺井人事院総裁、その他の方々は、公務員にはそういつた異る立場がないとたびたび申されておりますけれども、現実にはやはり下級公務員と、それから将来を保障された特権的な公務員の間には違つた立場があるのでございまして、そうした違つた立場、非常に数の多い下級公務員の立場を保障される立場は全然ないのであります。と申しますことは、この職階制実施に当り労働組合が関知するということの規定が全然ない。現実に全然行われていないということであります。これは時間の制約とか予算上の制約等ございまして、必ずしも人事院責任ではないと思いますが、やはり現実にはそうした我々の意見というものを述べる機会が全然與えられていないということは、事実であります。  それから科学的な分類によりまして職級職級明細書ができまして、職級の等級ができますが、各職級間の調整はどのようにしておられるかということがはつきり規定されておらないと思うのであります。この人事院から配られましたこのパンフレツトにも十三頁にございますように、これは仮の例でございまするけれども、例えば大工の一番上の人と、それからお医者さんの外科の一番下のところと一緒になつておる。給與が一緒になる。それから製糸工等の一番上の人は、第一級の人は大工の第二級の人と一緒、こういう職級の改正、職級の調整というものは、我々給與の面に一番感心を持つのでありますが、これが十分に民主的にやられる基準がないわけであります。明確な基準が謳われておりません。それから今度は職級の格付ですが、実際に私達が何級の大工になるだろうという場合に、結局格付をする人は、やはり旧来のその官僚方々がやられる。そこにもやはり労働組合はタツチする余地がないように我々としては感ずるわけです。こういうふうな点で、私はこういう内容が全然盛られてないという点で、この法案反対したいと思います。  それから更に給與の点でございまするけれども、やはり職階制目的の第一としまして、給與準則の統一と、それから公正なる基準を決めるというふうに謳われておるのであります。このために先ずやられておることは、この官職官職を担当する職員との間に完全なる区別を設けるというふうになつておりまして、これは人事院の説明でも人の問題とは切り離して考える。例えばここにございますように、絶対に考慮してはならんタブーとしまして、職員能率とか、仕事の量とか、職員の持つておる資格、身分、生活費、配偶者の有無、性別、家族というものを職階制においては考慮しないこと、こういう点で公平な給與が生れるというふうに教えられておりまするから、それは確かにそういう不公平な面は或いは除かれるか知れませんけれども、実際に今我々が困つておるのは、勿論不公平もありますけれども、一番困つておるのは、公務員は今の賃金ではどうしても食えないというのが一番問題なのでありまして、こうした点を人事院がはつきり見て呉れないで、こういうような職階制だけするのは納得できない、今の問題は、やはり我々としては、今の政府によりまして出たらめに定員法によつて首を切られる。今の職場では何かと騷げば首を切ると脅かされて、非常に低い賃金でどうして食つて行こうかということが一番の関心の的なんであります。人事院はそうしたことを明確にすると直ぐそれじやその第二十九條第一項に該当するならば、法律でそういう具体的な内容を規定しなければならんじやないかということを、今まで殆んどやつて呉れない。今度定員法の首切りにおきましても、人事院は科学的な調査ができないからといつて手を引いた。そうしたことをやつて来た人事院に、我々としてはやはりこの重大な職階制を全面的に任せるという、こういう法案にはどうしても私は賛成できないのであります。  それで以上を以ちまして私共は先ずやつて貰いたいことは、我々が果してどのようにしたら食えるか、一番下級のものが食えるかということを先ず最初に人事院にやつて頂きたい。そうしてこの職階制につきましては、国家公務員法第二十九條第四項にありますように、もう少し国会にタツチして頂きたい。そうして第四項にあります通り技術的な、或いは国会承認を得るというようなことでやつて頂きたい。その間におきまして必ず労働組合の意見も十分に反映できるような保証を與えるような法案にして頂きたい。かように思う次第でございます。非常に散漫でございますが、私の意見を終ります。
  23. 中井光次

    委員長中井光次君) 次には全逓信従業員組合職能対策部長赤羽幸作君にお願いいたします。
  24. 赤羽幸作

    公述人(赤羽幸作君) 私が全逓の赤羽と申すものであります。只今から職階制の問題につきまして若干意見を申上げたいと思うのでありまするが、私は草案も持つておりませんし、私の申すことが、多少散漫になるかと思うのでありまするが、我々は現場で働いているものであります。従いまして現場の率直な要望、更に我々としての現在の苦哀というようなものからこの問題に入つて行きたいと思うのであります。  先ず私はこの職階制に対する立場といたしましては、中立の立場をとるものであります。いわゆる是々非々であります。問題は今後のこの職階制に対する扱い方、今後我々にどうこの職階制が影響し、給與にどう関係して来るか、要するに我々はやはり給與の問題を一番大きく考えておりまするので、ここで我々は賛成反対ということを簡單に申上げられないわけであります。先ずその前提となりますところの人事院の政策というものについて申上げて見まするならば、人事院は民主的、能率的といういわゆる我々公務員の活動について、いろいろと保護し育成して行くということを言われておりまするが、現在の人事院に果してその能力ありや否やということを私は考えるものであります。先ず現在我々が要求しておりますところの賃金の問題につきましても、給與ベースの改訂は未だ人事院はなされていない。而も国鉄に対する賃金ベースの改訂につきましては、すでに小さい委員会で数字を出しております。従つて国鉄よりも更に劣悪な給與にあるところの公務員は、当然この改訂をなさるべきであると思うのでありまするが、今以てなされていないということは、我々に言わするならば、やはり人事院が怠慢であり、その能力において欠くるところがあるのではないかということが考えられるわけであります。又我々現業といたしましては、国鉄と差異がある筈がありませんし、当然特別の級職号俸というものが国鉄と同じように考えられなければならない、ところが我々は、一般行政官庁と同じように電通郵政の現場員も格付されている。従つて私共中央電信の例を採りましても、五百名以上のものが頭打ちを喰いましてもうこれ以上昇級できない。何らの希望の持てない形で釘付けされて、能率的に働け働けということを言われているのが実情であります。こうした点に何ら目を向けていない。当然現業官庁同一給與の中において考えられるべきであると、こういうように私は考えるのでありますが、こういう点についても触れておらないということを指摘したいのであります。又勤務時間につきましても、画一的に四十八時間、四十四時間というふうに決めておりますが、この勤務時間は、大局、中局、小局或いは現場、非現場という差異がある筈であります。その重労働の度合においても相当の差がなければならん。こういうことについても人事院は明確に指摘をなさつていない。又研究なさつていない。我々が二年間に亘りまして、労働科学研究所におきまして精密なる電信作業の特異性から来るところの勤務ということを研究をしたのでありますが、この研究の貴重なる結果についても、人事院は一顧だにも與えていない。科学的であるとか、或いは我々は最も進歩した機関であるとかいうことを自負しておる人事院において、こうした労働研究の博士数名が集りまして二年間に亘つた現場の勤務時間というものについても何ら考慮を拂おうとしない。こういうことで我々としては、現在の人事院にこの職階が果してできるかどうかということを私は心配するものであります。又人事院には非常に若い人が多い。年輩の人が非常に少いようであります。聞くところによりますと、無色透明な人間が欲しいのだ、従つて相当長い間、いわゆる官庁において経験されたような人は駄目だ、こういうことが言われておるのでありますが、そういう点も我々としてはやはり資料がないならば、頭の中に資料を持つておる人を十分活用すべきではなかろうかと考えるのであります。以上が先ず職階に対する根本的な問題、いわゆる人事院がこうしたスタツフ、こうした資料の中において早急に決めるということについては非常に危險があるということを私は申上げるのであります。  それからこの職階制はなぜ改正しなければならないかという点は、現在の公務員が非常に評判が悪い。我々公務員が非常に評判が悪いということは遺憾なことでありますが、それではなぜそれが悪いのかということについて、人事院は掘り下げていない。職級考える上においても、先ず一体なぜ今まで我々は非能率的であつたか、非民主的であつたかということを考えなければならない。窓口においても或いは電話や電信の誤謬にいたしましても、その誤謬がどこから来るのか、これは申すまでもなく作業官庁が悪い、結與が悪い。それから昇任する希望がない。人事院試験制度か何かでやるということを言つておりますが、この職階が若し現場に適用されることになるならば、現場の人は電話が掛つて来ようが、電信が呼んで来ようが、窓口に人が来ようが、先ず本を勉強する。机の下に試験勉強の虎の券を置いて勉強せざるを得ない。そういうところに果して現場の特異性が活きて来るか、こういう点が私は非常に案ぜられるのであります。従つて給與については、こうしたものは職階の一番先に考えられて行かなければならない。職階制というものは、殊に現場においては先ず給與という点から職階に入つて頂きたい。こういうふうに考えられます。而もこれは関係方面から指摘されたのでありますが、この電話や電信の従業員の二五%は、これは一年間にやめて行つております。どんどんやめて行く。幾ら人事院が笛を吹いても、太鼓を叩いても、最も少く、質も悪くなる。これで果して本当能率的な官庁の殊に現場官庁の執務ができるであろうかということを私は考えておるのであります。  更に職階制の問題に入りまして申上げますならば、先ず給與と切離した職階というものは我々としては考えたくない。当然人事院はやはり給與というものと職階の結付きを明確にした上で、この法案を私は出して頂きたい。この級職については幾らの給與があるのだということでなければ我々としては簡單にこの問題についてイエス、ノーは言えないというのが我々の考え方であります。又いわゆる職階法が民間には現在余り布かれておりません。従つて官庁がこのトツプを切るわけでありますが、その場合に、例えば大学を出た者が給仕のところに来る。これは当然にその職務について格付したのであるから官庁に来たその大学を率業した人が、当然非常に安い給料で以てこれは雇い上げられる。ところが現在においては皆さんすでに御承知のように、現行においては大学を出た者が初任給で八千円ということを聞いておりますが、それが給仕のところで格付けされると三千円、或いは二千何百円という数字になるのであります。果してそういうところに人事院の期待するところの有能な人間が、国家公務員が集まつて来るであろうか、こういうふうな観点を先ず考えなければならん。いわゆる社会の権衡の上に立つて職階というものを作らなければならん。自分のところばかり先走つて自分のところに縛つて置くということは、こういうことは嚴に避けなければいけないと、こういうふうに考えるのであります。更に現業官庁については、職階については特別の級職を考えて欲しい。これは冒頭にも申上げましたように、ここでは重複を避けまするが、とにかく現場というものは我々が申上げるまでもなく、熟練度というか、郵便配達にいたしましても、本当にこれが道順或いはその他十分頭に入つて、多少間違えてもちやんとその人に届けられるというような熟練、経験というものが中心であります。従つて少くともこの職階制で基本的なものは、経験、熟練度というものを十分考え、最低生活を保障し得る、年令に応じた最低生活を保障するところのものが考えられた上でなければ、この問題に入つて行くということはいけない。職階については重ねて申上げまするが、とにかく我々としては熟練度、経験というようなことを高く評価し、現場官庁としては特別な格付けをして頂きたい。これが我々の希望であります。  次に我々が課長や局長になるというようなことは、必ずしも我々の希望するところではありません。公務員として国民の期待に、要望に副うためには、やはり我々はその職場において十分なる訓練、或いは安心して働らけるという職場、官庁を作る、そうした意図の下の職階制でなければならん。こういうふうに考えるわけであります。  最後に我々は分類の問題につきましても、現場官庁といわゆる行政官庁とが仮に同じ分類に入つたといたしますならば、そこにも大きな問題が来るであろうと思います。夜中も休まずに働いている者と、日曜或いはその他において十分な休養をとれる者の差、こうしたものも十分関連があります。絵に描いた餅では、職階というものは私はやはり成り立たない、常に作業に従事しておる者が安心して、納得して、ここで満足して働けるという職階を作つて行かなければ私はならないと考えるわけであります。  更に最後に人事院独善制。この職階の問題につきましても、どうも人事院は一人よがりをやつておる。どこの国の燒き直しか知らないが、日本の現状を無視した点が多々あるように考えます。こういう点をどうかもつと日本の現状というものを掘下げて、先程私が申上げましたように、どこに非能率の原因があつたのか。これはコストの問題であるのか。人問題であるのか。或いはその他の問題であるのかという点を十分に掘下げた上で、この問題については愼重にやつて行くべきであるということが私の考え方であります。それから民主的にやるということを言つております。一体民主的にやると言つておりながら、法案においては、大網して決めていない、細かいことは全部人事院が、俺のところで指令するのだ、或いは実施するのだというようなことを言つておる。これが一番最初に申上げたように、非常に未熟練な方々がこういう独善制を発揮するということは、気違いに刃物を持たせたようで、我々危くて見ていられない。そこで我々としては、私共組合と官とが、いわゆる人事院のこの道の方々と我々組合員が、機関の方法は問いませんが、民主的な一つの機関を作りまして、本当に職場の実態に即し、而も安心して働き、而も能率の上る職階というものを今後考えて行くべきであつて、今早急にこの法案を出して決定するということについては反対し、我々としては飽くまで、最後までこの民主的な決定によつてやられることを信じまして中立の立場をとるものであります。以上で終ります。
  25. 中井光次

    委員長中井光次君) 次は労働省基準給與課労働基準監督官大澤己代治君にお願いいたします。
  26. 大澤己代治

    公述人(大澤己代治君) 只今指名に預かりました労働省給與課の大澤でございます。  国家公務員職階制に関しまする法律につきましては條件付で賛成であります。国家公務員法第二十九條第一項において、「職階制は、法律でこれを定める。」の規定に基いて制定されるものであります。  国家公務員法目的としましては、民主的且つ能率的な責任ある国民の公僕としての公務員制度を確立すべきことを挙げております。又この職階制に関する法律案におきましても、目的といたしまして、人事院職階制を立案し、官職職務の種類及び複雑と責任の度に応じて分類整理する計画を確立して、公務の民主的且つ能率的な運営を促進することとなつております。即ち国家公務員法職階制に関する法律案目的とは同一であります。従いまして国家公務員法に基き我が国官吏制度の構造は、職階制を骨子といたしましてでき上るということに外ならないわけであります。職階制の採用ということは飽くまでも能率的な公務員制度を確立するための道具ではなくてはならない筈でございます。この国家公務員職階制に関する法律案に盛られている内容を見ますと、單なる職務分類計画であるように思われてならないのであります。職階制の採用の第一目的が、この能率的ということにあります以上、公務員制度能率的になるためにはどういうことを先ずなすべきか、これが第一番に必要な條件であります。即ち職階制という着物を着るためには、その着物が身体に合うということが條件でありまして、その土台となる身体は、官庁組織の科学的な管理が確立しているということが一つの條件でなくてはならないと思います。即ち国民に対する官吏の責任的地位が明確に規定され、一定範囲内の事務の遂行さるべき地位としての官職が規定されていなければならない筈でございます。職務分類計画を確立する前に、先ず取上げなければならない問題は、官庁組織内におけるところの職務内容の規定が不十分でありますために、これを検討しなければならないと思うのでございます。民間の職階制を採用いたしますところの会社におきましては、経営を合理的、且つ科学的に管理するということから職階制を布くという目的があるのでありまして、これが取りも直さず職階制を布くことによつて、少くとも能率化するというところに狙いがあるわけでございます。取扱い事務の種類、方法といつたような抽象的なものを決定するだけに止まらず、職務に伴うところの権限責任の分野を明確にいたしまして、責任分担の範囲を具体的に規定する検討を要する、これが先ずなされなければならないと思うのでございます。職階制を採用することは、單なる機械的な職務分類に終つてしまうということではないと思います。特に各省分課規程を検討いたしまして、仕事及び権限の重複、或いは間隙、こういつたものを矯正することが職階制の採用に当つて一番大事な前提ではないかと思うのでございます。  次に考えられますことは、職階制を採用することにより、公務の民主的な運営を図るということでありますならば、又実際に事務の合理的な改善、こういつたものに対して研究がなされなければならない筈であります。合理的な人事管理の道具としての職階制が、職務分類する前に職務自体が合理化されて、且つ能率化されているかどうかという、こういつたことの検討がされていなければならない筈であります。特にタイム・スタデイー、或いは動作の研究、或いは事務の分析、こういつたようなところから職務調査表と併行いたしまして、実際に人事院自体、或いは人事院の規定するものが、その執務能率の研究ということを行いまして、職務調査表の裏付けをなし、或いはこの職務分類に対するところの実際的な肉のあるところの裏付けをしなければ、單なる職務分類を経ただけでは、官庁組織職階制というものは少しも能率的に移行して行かないと思うのであります。こういう科学的な管理が行われて初めて一定範囲の事務を遂行するに足るところの官職が、職階制の條件として合理的な科学的な裏付けを持つことになるわけであります。従いまして職階制実施という、この法案の第十二條にありますところの規定に、人事院は、職階制の採用、実施に当つてはすべての官職について所掌事務の範囲及び権限を明確に定めなければならないと規定すべきであると思うのであります。  尚行政機構における組織が合理的に運営されるというようなことについても研究しなければ、職務分類計画の合理的な運用といつたことは望めないのではないかと思います。尚職階制を採用するということは、今までの身分的なものから職務に基くところの給予制度、こういうようなものに変わるわけでありまして、身分的な観念の拂拭ということが先ず大事なわけであります。そこで現在ありますところの官吏任用敍級令に基く一級官、二級官、三級官の区別をそのままにしておいて、その中に職階制を布くということは、先ず第一に、この官吏任用敍級令が解かれて、その後にこういうものが採用されなければならないと思うのであります。尚この法案の中には、給與まで規定したところの完全なる職階制給與というような形で、個々の職種についての給與の裏付けがなければ正しい意味職階制度はあり得ないと思うのであります。甚だ簡單でありますが、條件付で賛成であります。
  27. 中井光次

    委員長中井光次君) 次は国鉄労働組合調査給與対策部長木内憙君。
  28. 木内憙

    公述人(木内憙君) 国鉄労働組合の木内であります。これから職階法案についての意見を述べるのでありますが、法案が非常に形式的なものであつて職階の内容につきまして判然としないところも多くあります。従いまして先ず法案に対しまする意見の前に、今まで渡された資料、並びに今まで機会がありまして多少人事院関係官から事情を聽取したこともあります。従いましてこれらを基に現在用意されつつある人事院職階制ということにつきまして、一言、問題点を二、三挙げまして、その後で本案についての意見を申述べることにいたします。  先ず私は職階制ということが政府機構に採用され、これによつて今までの官僚の悪弊が除去される方向に進むということには賛成であります。併しこれは原則的なことでありまして、実際問題といたしまして現在用意されている人事院職階制は、結論的に言つてしまえば、職階制になつていなくて、それはただ表面のみの職階制のごとくにみせかけたに過ぎないと極言できるのではないかと思います。職階制を作るには、いろいろの前提條件が満足されなければならないと思います。この点について考えて見まするに、一つの例を挙げますと、業務分析につきましては、ただ職務記述書のみによつて行うように見えます。これでは完全な職務の分析分類等は困難であると思います。即ち職務記述書は、言葉は悪いのでありますが、端的に言つてしまえば單なる作文に過ぎないのでありまして、よく業務分析、分類を完成するためには、これと併行いたしまして業務を分析し、その上に業務の流れを調査しその結果と、先程申上げました業務記述書を照合いたしまして、初めて先ず完全なものが得られると思います。又実際問題といたしまして、現在のような不規則な業務の流れを整理して、その内容を基とした個々についての業務記述書が作成されるということが先ずいいと思います。併しそのような方法が採られずして、現在人事院職務記述書を基に職務分類を行なつて行くというようなことについては、一番の問題として考えられなければならないと思います。  次に分類方法につきましては、先ず問題はなかろうと思います。  次には、最も問題として考えられることは職務の格付ということであります。人事院において考えられている職階制には、この点について何ら明らかにされておりません。今まで人事院の係の方からも事情を聽取した機会もありましたが、ただ責任とその複雑の度合によつて格付される。こういうことのみしか、抽象的にしか書かれておりません。ここで問題として考えられますことは、第一に各職の評価の基準なるものであります。即ち責任と業務の複雑の度合ということになつております。即ち複雑ということになりますと、熟練とか技術とか、このようないろいろな要因が出て来ると思います。このようなものを、いろいろな数多くの職種の中にこれを総合して行く場合に、それぞれの條件につきまして、どのようなウエイトで、どのような基準でこれが総合され、その結果が得られるということにつきましてはなかなか問題が多いと思います。一例を挙げますと、大工と建築の設計技術者というようなものを考えてみます。そういたしますと、大工の最高の者と建築設計技術者の一番最低の者との比較というようなことになりますと、これを同一クラスに置くか又は最低の者を下に下げるかというようなことにつきまして考えてみますときには、熟練ということにつきましては、成る程人工の一番古い、むずかしい仕事というのは非常に大きいものが考えられます。併し実際に設計技術というようなものにつきますと、殆んど零に近い、先ずありましても非常に少いものであります。次に建築技術者の方を見ますと、これはそういう知識面というものは高く大きく評価される。併し熟練というようなものにつきましては非常に少く評価されます。この場合に熟練を大とするが、又は知識的な要件を大とするかというようなことにつきましても、問題が判然とされておらないのが人事院職階制であります。ただ格付を行われます際に、このようなものを判然とされないで、そのままの状態において従来の観念的な考え方で以ちまして格付をされるというようなことになりますと、これは甚だ重大なことでありまして、職階制の本則というようなこともここにおいて失われてしまう結果になると思います。それでこのようなものが現在そのまま進められると、結局官僚制度の改革というようなことが行われずして、従来のものを尚そのままに置いて改悪し、又はその悪さのところを強化して行く結果になるのではないかと思います。又この点につきまして国鉄の一例なんか申してみますと、国鉄では実際の現場の仕事の流れ並びに單位作業というようなものを個々に調査いたしまして、このためには業務運営調査委員会というものを持ち、これには各経営者の方からも優秀なメンバーが出席し、又組合の参加ということも向うの方から望んでいるような次第であります。このようにして現場の熟練者並びに現場の実情に通じている者、又は経営者としての、立案者という者が会合いたしまして、個々の調査の方法を決定し、その結果をお互いに審議し合つて一つの成案を得るというような方式が採られておるのであります。やはり一応分類基準を作り、又その評価の方法を決定するに当りましても、このような方法が採られなければ、やはり問題はあとに残されようと思います。そうして一応出来上つた職務の評価基準というようなものも、やはりこれはその結果が公にされて、全部に承認されたものでなければならないと考えます。これを据え置くということはやはり非民主的な議りを免れないと思います。この点につきましては、この人事院の現在の職階制ということにつきましては、甚だ足りないものが多いように思います。次に評価の手続につきましても、今国鉄の一例を挙げましたが、やはり評価をして行くということにつきましては、現場の熟練者、職員の代表というものを十分に加えて審議をし決定されて行くことが大事だと思います。  最後に人事院の最近のいろいろな事柄の処理の仕方というものを見て行きますときには、職員組合とか又は外部のいろいろな意見というものを根拠にいたしまして、独善的に物事が処理せられて行つていいということは、これからの人事院関係なり、行き方なり、又官庁人事管理の衝として十分考えなければならないと思います。  以上簡單に二、三問題と思われる職階制の点について上げたのであります。従いましてこの法案につきましての私の意見といたしましても、このような前提を以ちました法案を、このまま審議されるということは問題が余りにも多かろうと思います。従いまして本案につきましては、このような人事院計画が明らかにされ、その実施方向が決められて初めてここに問題になるものであり、未だこの法案を審議する時期でないと、このように考えております。以上簡單に私の意見を申述べて終りといたします。
  29. 中井光次

    委員長中井光次君) 次には立教大学教授、大内經雄君にお願いいたします。
  30. 大内經雄

    公述人(大内經雄君) 私は立教大学の大内でございます。かねて日本労務研究会の專務理事をしておりまして、民間の会社、工場の職階制のいろいろお世話をしておりまするので、そういうような観点から気の付いた点を申上げたいと思います。極めて簡單に要旨だけを申上げたいと思います。  本法案目的は、第一條に謳われておりまするように、公務の民主的且つ能率的な運営にあるということになつております。然るに本法の第五條及び第四條によりまするというと、職階制実施に関する事項、即ち職種及び職級の決定、職級明細書の作成及び使用、官職の格付その他職階制実施権限はすべてこれを人事院に委ねるということになつておりまするが、これで果して公務員法の所期するところの目的に適つておるかどうか。この点は前の沢山の弁士がお話になつたところでありまするが、私も全くその点は同感であります。特に官職の格付ということは、これによつて官職の価値を決定するものでありまして、それに応じて又給與待遇を決定するということでありまして、公務員にとつては非常な大事な点であります。若し仮にこの重要な格付ということが適正を欠くようなことがありますれば、この法律の第二條第二項の職階制目的であるところの「給與準則の統一的且つ公正な基礎を定め、」「試験及び任免」、「教育訓練並びにこれらに関連する各部門における人事行政運営に資する」という條項がありまするが、こういうような立派なことをやることが殆んどこれは不可能になりはしないか。却つてそのために不平不満の種を蒔いて逆効果を来すようなことになりはせんかということが心配されるのであります。又第八條の第一項によりまするというと、官職の格付は、職務の種類及び複雑と責任の度を表わす要素を基準として職級に格付されることになつておりますが、而してその要素としましては、同條第二項に示されておるように、官職職務責任の性質並びにその職務に対してなされる監督の性質及び程度を以てするというようなことになつておりまするが、その意味するところが極めて抽象的で甚だ分りかねるのであります。要素というのは何をいうのか分りませんが、結局我々流に解釈しますと、これは物差であります。この物差がどういう物差であるか、尺貫法であるのか或いはメートル法であるのか、こういうことが分らんで、何か分らない根拠によつて計られるというようなことによつて、果して公務員が、これに満足するかどうか、一生を棒げて奉仕する官職が、又生活の唯一の根拠であるところの官職というものが、何かはつきりしない根拠によつて格付されるということは堪え難いことと私は思うのであります。これによつて果して公務員の国家に対する忠誠が得られるということは、私は到底期待ができないのであります。右の格付は勿論、その他一切の職階制実施に関する権能が、第四條に示されております通りに、人事院規則その他によつて万端処理されるということは、果して公務の民主的且つ能率的な運営になるかどうか、これは恰も公務員の待遇に関することは一切万事もう白紙委任状態人事院に渡しら貰いたいということと少しも変わらないのであります。  言うまでもなく職階制の制定に当りましては、万事公平を期するということと理解、協力を深めるということが二大要件でありまして、制度そのものに誤解或いは不審がありましては決して成功するものではないのであります。固より一方的の強権によつて、有無をいわせず形式的に決定し得ないことはありませんが、それでは心からの協力を得るということは絶対にできない。そのために不平、不満が積りまして、その結果は綱紀紊乱になり能率の低下になり、この第一條に謳われておる目的は完全に裏切られるということになるのであります。従いまして民間企業の方におきましても、職階制の制定に当つては、極めて愼重を期しております。而も独断事行を避けまして、長い時間を使いまして、いわゆる空気作りということをやつて、一応職階制実施してもいいという見極めをして、徐ろに労資協議の上、原則作つて愼重審議を重ねて練り上げるというのが一般の傾向であります。殊に職務の格付という点は、最も関心の深い給與と結付く点であります。この点につきましては非常に愼重に扱うのであります。そのために労資両者によるところの專門委員会を作りまして研究を重ね論議を盡して誤解や不審のないように注意しておるようなわけであります。アメリカのユー・エス・スチールで職階給與を決めますのに、これに二年半を費しております。この二年半の大部分というものは、労働組合と会社側の協議、相談ということになつておるのであります。かように原則を決め事務的にいろいろ仕事をやるということは、簡單ではありますが、何よりもむしろ重要なことは、お互に了解を求めて十分に理解をして、この作つた制度に対して協力するということであります。こういうような点から見まして、この法案趣旨というものは、極めて非民主的であるということが言えるのであります。大切な官職の格付その他がはつきり具体的に法律の上に謳われていない、すべて人事院規則で決められるということがありますが、こういうことでは絶対に心からの協力を得るということにはならないのであります。又職階制関係しまして不平不満があるというような場合でも、これに対して異議を申立てるというような一つの何らの規定がない。当然そうした異議を申立てる條項というものがあるべきでありまするが、そういうことも一つも持つていない。それでは結局万事もう御無理御尤もであてがい扶持で我慢しなければならんというようなことでありまして、全く封建主義制度の復活ということができるのであります。従いまして私は結論として申上げますというと、本法案の立派なこの趣旨を貫き、その精神を活かすためには、第一には、万事を人事院規則に讓らないで、重要な点、殊に格付というような点につきましては、国民の輿論に愬えて法律の上ではつきりこれを明定すると、而もそれが抽象的でなく具体的にかくかくの要素、かくかくの物指しによつて格付をするというようなことをはつきり謳つて貰いたい。第二には、広く関係各方面を網羅した何か審議会とか協議会とかいうようなものを作りまして、十分に各方面の意見を総合して、そうして実施に公平を期するという点であります。最後に本法案に対して何か文句があるというような者に対しては、これを直接本法律について具体的な異議を申立てるという処置をとつて貰いたい。労働組合法というものによつて、そういう措置が講ぜられておるかも知れませんですが、実はこの労働問題というものは非常に多岐に亘つておりまして、むしろ私はこの職階そのものに、殊に格付そのものに対して異議を申立てて、それを変更して貰うというような処置を是非講じて貰いたい。かように思うのであります。そういうような意味合におきまして、私は條件付でこの法案賛成いたします。
  31. 中井光次

    委員長中井光次君) 次に人事院職員組合中央執行委員長桑原要衞君。
  32. 桑原要衞

    公述人(桑原要衞君) 職階法立案計画に直接或いは間接に参加して、その趣旨内容その他効用について割合に詳しく知つておるところの人事院職員組合を代表しまして、職階法が新らしい公務員制度において持つているところの意味を、職員の立場から明らかにさして頂き、且つその施行に必要な又考慮すべきところの條件を明らかにさして頂きたいと思います。  我々は真実の職階制に関する制度のもたらす人事管理上、ひいては公務全般の民主的且つ能率的な運営に資するべき絶大なる効用と、半面それの必然的に有する限界及びそれによつて陷り易い種々の弊害を示して、有識者の良心に愬えたいと思います。従つて私の法案に対する見解は、條件付賛成であります。職階制の従然性とその効用について述べ、先ず賛成理由を明らかにしたいと思います。  職階制の生れた必然性について論ずれば、近代資本主義経済が高度に発達するに伴い、職業と職務が分業化し、專門化し更に企業の規模が拡大化し、同時に国家の機能が複雑化し、行政が技術化し、その結果民間においても、行政部門においても管理の規模が拡大して来たのであります。管理規模の複雑化と拡大化に伴い、これを合理化するために、そこに何らかの統一ある分類整理が行われなければならないことは当然であります。古くは、その分類整理の対象を、直接構成要素たる人そのものに求めたのであります。然し直接人を対象として分類整理する限り、その人の持つ資格要件、即ち身分、門地、学歴等の要素が分類基準となり、従つて身分的、封建的な人事管理の方式を脱却することができなかつたのであります。この矛盾を解決するものとして生れたものが職階制であると解します。即ち職階制は、資本主義の先進国たるアメリカにおいて漸次採用せられた一つの近代的な人事管理制度であつて、そこにおいては官職とそれを占める職員とを峻別し、專ら官職職務責任に基いてこれを分類整理せんとしたものであります。飜つて我が国の官吏制度を顧みるに、資本主義的後進国として多分に封建的遺性を内蔵し、終戰を転機として急速に種々の民主々義的な諸制度が採択せられたとは言え、依然として天皇の官吏としての身分的、封建的な色彩を脱却することができない現状であります。これを打破するためには、この際何らかの画期的なる新制度をこの分野において確立することが急務であることは、国民のひとしく求めているところであり、昭和二十二年秋、公務の民主的、且つ能率的な運営を図るため、国家公務員法が制定せられ、その中には、我が国においても速かに先の職階制を確立することを宣明しているのであります。法案第二條第二項にも明かなるごとく職階制が確立することによつて官職の名称が等一化し、人件費予算の編成並びに執行を合理化し、給與準則の統一的且つ公正な基礎を定め、成績主義に基く試験及び任免の基礎を確立し、勤務成績の評定を容易公平ならしめ、研修の手引になり、職務の專門的技術化を促進する職務の実態調査に伴い機能の重複、権限系統の困乱、仕事の流れの無駄を明らかにし、以て人事管理上、ひいては一般行政の民主的且つ能率的な運営を期することができるのであります。併しながら職階制は、先に指摘せるごとく、種々の効用を有するものであるが、職階制は飽くまで人事管理上の道具であつて官職を、官職の種類及び複雑と責任に応じて分類整理するだけのものでありますから、職階制を確立することによつて、従来の不合理な人事行政が一挙に解決されるものと考えてはおらないのであります。我々は職階制の運用如何によつては陷り易いところの弊害を次に述べたいと思います。  職階制によれば官職職務責任は明確となりますが、その反面、現実にはこの枠に規正されがちであつて、各自がその職務を極端に固守する傾向を助長し、公務能率化のために制定される職階制が、逆に能率化を妨げることととなる虞れがあるのであります。各職級の区別は、職務の複雑と責任の度によつて分たれるもので、單に指揮命令系統のみを重視するものではなく、又身分的な区別をもとより示すものではないのでありますが、現実には、職務分析の技術の未熟又は職員の自覚の不足から、これが身分的なハイラルキーに堕し、若しくは利用され、その結果悪いところの官僚主義を再現する虞れが多分にあります。従つて職階制の立案及びこれの運営に関しては、将来とも国民の嚴重なる監視を必要とするものであると思います。  次に職階制給與について一言論じたいと思いますが、今回の法案におきましては、職階制給與とは一応切り離して考え給與は專ら給與準則の問題として取扱はれているのでありますが、職員の最大関心は、この給與の問題に懸つておることは多言を要する必要もありません。  職階制給與準則の統一的な且つ公正な基礎を定めまして、同一の仕事に対しては同一給與を支給するという原則を確立せんとしているものであります。併しながら職員に対する給與そのものが、職員の最低限度の生活を少くとも保障するものでなければ、一見公正に見えるところのこの分配方法も、実際には憲法に保障する国民基本的人権を脅かし、明らかに社会的な正義に反することともなるのであります。終戰後の混乱した経済情勢の下にあつて、今日聊か経済安定の曙光が見え始めたとは言え、尚実質賃金が、多くの場合最低生活費を賄い得ない現状におきましては、職階制に基く給與準則を定めると同所に、最低賃金制を確立し、これを保障しなければならないのであります。  職階制に基く給與制度は、資本主義が発達し、国民所得が増大しまして、賃金水準が平均労働力の再生産費を上廻つて給與形態が生活給よりもむしろ能率給にはつきりと移行し得る地盤の上にのみその本当の効果を発揮するものでありまして、現下の我が国の窮乏化して社会におきましては、この点職階制が健全なる体制で運営されるという容観的な地盤が非常に不安定なのであります。従つて最低賃金制が別に確立し、職員の最低生活が保障されない限り、職階制に基く給與制度給與制度そのものが常に重大な驚異を受けなければならないのであります。現在大蔵省が実施しましたところの職階給に見ますように、名前だけは職階給でありますが、職階制において考慮してはならないところの勤続年数であるとか、或いは学歴、その他の要素が重要視されまして、知らず識らずの間に職階制そのものの構造の中にまでも導入されようとする、又今後されるというような職階制そのものを破壊する危險性があることも十分認識して頂きたいのであります。  人事院規則に対するこの法の委任について述べさして頂きたいのでありますが、この法案におきましては職階制の制定、格付の方法、及び職階制運営手続等につきましては、余りにも簡略な規定でありまして、職階制実施における人事院、それから各国の機関及び職員の権利義務に関する規定を大幅に人事院規則に委任してあることは、国家公務員法第二十九條第四項の規定からいたしましても不当であり、不備なものであると言わなければならないと思います。広範な委任立法の形式として将来問題を惹起することを十分恐れなければないないものと考えます。  格付又は格付の変更若しくは改正に対するところの審査の請求について一言触れたいと思います。  この法案におきましては、格付又は格付の変更若しくは改正に対するところの異議の申立、若しくは審査の請求に関する規定が全く載つていないのであります。  昨年実施されました政府職員の新給與実施に関する法律、この中におきましても、錯誤、過失その他の事由によりまして本当に不利益給與調整を受けた職員に対しましては、審査請求の途が開かれておるのであります。  国家公務員法第八十一條第一項第三号によりますれば、職階制による官職の格付の改正については、職員の審査の請求を認めていないのであります。併しながらこのことは官職の格付又は格付の変更についても、審査の請求を認めていない趣旨ではないのでありまして、同條第二項によりますれば、格付の改正についても人事院規則で必要な事項を定めることで出来るように規定されているのであります。職階制実施に伴ないまして、不当な不利益処分を受けた職員については、審査の請求その他の救済規定を当然認める必要があるのであります。この点に関しては、国家公務員法第八十九條以下の、職員の意に反する不利益な処分に関する審査の規定を、直接適用せんとする趣旨であるかも知れませんが、職員の利害に直接関係するところの事項でありますだけに、尚この法案の中に、はつきりとこの規定を挿入して頂きたいのであります。  以上述べましたところは、我々のこの法案に対する賛成並に條件を付したところの理由とその内容であります。簡單でありますが、以上を以ちまして、公述を終らせて頂きます。
  33. 中井光次

    委員長中井光次君) 次は、東京瓦斯株式会社瀧澤松太郎君にお願します。
  34. 瀧澤松太郎

    公述人(瀧澤松太郎君) 瀧澤松太郎でございます。  私は日本労務研究会の職階制委員会副委員長をやつておりました関係上、終戰後からすでに二百数社の職階制につきまして、いろいろ御相談を受けたり、お話合いをしておりましたその関係で、本日お招きに預りまして、本法案の賛否についてお話申上げる機会を得ましたことを光栄に存じております。  私の態度といたしましては、條件付賛成でございます。只今から理由を申上げます。  今回の職階制が作成されたということは、実に再建途上にありますところのに家のために誠に御同慶に堪えないと思うわけでございます。前講師もお話がありましたように、政府業務の能率運営公務員の働き易い態勢、勤労意欲が盛り上るように所期されて作られたところの本法案は、その限りにおいては、誠に結構であり、賛成するものであります。併しながら拜見させて頂きました法律内容というものは、非常に漠然としておりまして、これで果してその目的が達成されるかどうかということを懸念するものでございます。法理論的な解釈は、すでに午前明快なるお話がございましたので、私は午前いろいろ反対論等をお聞きいたしましたのですが、そういうことにつきまして、民間側においても、いろいろ職階制制定につきましては、問題がございました。それらを土台といたしまして、どういうふうに、この現段階におきますところの、公務能率的な運営を図り得るかという面、これを直してゆくような方式がとられるように皆樣と共に、職階制法案を立派なものに仕上げて、現下を乘り切りたいというような信念を持つておるものでございます。それで先ず第一條目的並びに効力でございますが、これは非常に漠然としておりまして、私共考えておりますのは、少くともこの目的には、協同に関するところの官職を設定し、階層的組織として官職の行動の基準を明らかにし、組織的に秩序を合理化し、以て公務の民主的且つ能率的な運営を促進することを目的とする、この程度に広めたいと考えるわけでございます。なぜかならば、業務が能率的に運営されるというのは、人がこれを実施するのでありまして、非常に心理的な面までも考えて行かなければならない、それと同時に、單に分類或いは格付というだけでなく、業務それ自体の、行政官庁それ自体の組織にまでも、或いはその他昇給、昇格制度というような、あらゆる面に有機的に結合して初めて職階制の成果が現れて来るものでありますから、そういう点をはつきりと目的の中に謳つて、それを実施し易いような幾つかの権限というものを明確に與え、そうしてそれを監視する機関を作るとか、或いは実施に当つては、その結果の審査をするというような機関までも明示しておかなければ、現在皆様の言われておりまするように、非常の大雑把な書かれ方で、人事院権限の大巾委讓というようなことであつては、十分なる成果を上げることはできないじやないかと思うわけでございます。  職階制根本原則というものは、すでに御承知のように、職務差を決定するとか、或いは働き易い態勢を作るとか、同一価値労働、同一賃金の思想を盛込むというようなこともございますが、ここでは先ずその第一の採上げられたのが分類の基礎というのであります。そうして次の格付というのが、これが問題になるのでありまして、ここでは職級の格付をすることだけを格付と言つておるわけでございます。私共では、民間においては、職級は恐らく職種の決定というところで、職種名の決定ということになつておるのであつて、格付というのは、職階に各評価要素を以てそれを格付するということが、格付なのでありまして、ここで例えば一級土木技術官とか、或いは一級何々技術官というのがあるとしましても、これが全部同職階に入るということにはなつていない。最後にこれが修正されて、いわゆる本当に格付されて、職階の中に、一級土木官は職階の六階であるとか、或いは一級何々官は何階に入るというふうに、調整されることになると思うのでありますが、その点が本法案においては謳われておらない。恐らくこれは実施されますところの各公務員方々が、自分は一級事務官になつたけれども、何階に入るのだということがすぐにわからない、こういうところに疑念を持たれることであろうと思うわけでございます。こういう点までもはつきりとすることが必要である。アメリカにおきましては先程もお話がありましたように、給與表というのが先ず先に出ております。そうして而もそれの適用範囲というものがはつきり出ておる。ここには権限が與えられておりまするが、これを受入れる受入態勢の側に、強制するだけのものがはつきりと謳われておりません。浮上つてしまうような懸念がなきにしも非ずだと思うのでございます。それから表現方式でございますが、これには例えば職種の決定等において複雑と責任の度という、これは公務員法の方にそういうふうな用語が使われてあつたので、恐らく字句を直さないで、そのまま採入れたのだと思うのでございますが、複雑と責任とこの二つだけが要素かのごとくに考えられますけれども、複雑と困難というのは又違うわけでありますし、重要度、要するにその公務に対する貢献度合、こういうものの重要度というものが單に複雑だけで評価されていいかどうか。複雑であつても非常に楽なものもあるし、簡單なものであつても、簡單と言いますか、複雑でないものであつても、非常に困難なこともあるわけでございます。例えば医者であるとか、電気の方をやる者とかというようなことについては、それで格付要素というものははつきりと法文に現すべきであろうと考えられます。  それから最初に、能率的な運営ということを言われておりまするが、職階制でここにこの法文に現われておる程度で申しますと、分類職務の格付ということが非常に大きく謳われておるのでございますが、先ず官職にしてから、これが能牛化されてない官職、これであつては結局能率的な仕事はできないわけでございます。それから勤労意欲が上がるかどうかでも、これも分らないわけでございます。それで職務を分析したならば、現在民間では先ず能率的な働き得る態勢を整える。それが官職の縱横の地位を確立する。そういうふうな操作をするのでございます。そうして経営と職場の秩序が確立するような、組織化を合理化するという方法がとられるのでございますが、そういう点をどこまで人事院がやり、又行政官庁がやるかということが明示せられておりません。而かも或る程度委任したかのごとくでありながら、第一條の三項におきましては、「官職を新設し、変更し、又は廃止する権限を與えるものではない。」私はむしろ人事の專門家であるところの人事官というものは、各行政官庁に行きまして、新らしい仕事が出たならば、この仕事はどういうふうな官職にすべきである、どういう人をこれに配置するのが正しいのだというようなところまで進んで行くことが、能率的な働き易い態勢ができるのではないかと思う者でございます。少くとも事務の研究をし、その流れを洗つて、そうして無駄を排除し、伴この数を少くするというような努力をして、而かもそこに引出された一つ一つの各人の行為というものが分析されまして、それを能力段階別に分類するというような技術的なことが必要なんでございます。そうして初めて一つ官職というものが、合理的な官職ができ上る。例えば何々の一つの單位の業務があるとします。これの計画的な仕事をやつている者が、雑務的な仕事までもやらされて、そうして能率的な仕事ができるか、これはできないわけであります。そこでそういうような幾つかの考えることは考えられる熟練度と知識と能力を持つた人がやるような官職を作るということが、これが大きな技術であると思うわけです。そういうふうなことをして官職が決められればよろしいのでありまするが、現在ここに現われておりますのは、今やつている官職を格付する、ここに将来恐らく不平が出て来るのではないかと思うわけでございます。  それから最後に給與の面にでございますが、いずれはこれは給與にひつかかつて来るということは、先程来聞いておることでございますが、民間におきましては、現段階におきまして、給與に直くつけるということを非常に困難に感じておるわけでございます。それは直接給與に結び付けると、やはり最低の者は非常に暮しが苦しくなるというようなことで、それをどういうふうな解決方法をしておるかと言えば、給與を二本建にしておるわけでございますが、生活給的な部分を五〇%、あと五〇%を職階給與、職能的な支拂方法にするというふうな方法でこの解決を図つておる。でありますから、給與という面は案外技術的に片付く問題でありまして、給與が低いからと言つて……この職階制の段階には大ざつぱに考えても約四十幾つかございますが、そのうちの給與の部分は暫らくおきましても、先ず実施して行くということが必要ではないかと思います。  詳細な法案を受取りますのが遅くなつてまとまりがございませんが、先ず只今の態勢を整えるという意味でこの職階法案を、セクシヨナリズムを排して、飽くまで、今までできました職階給與法のように笑い物にならないような職階法案を、皆様のお力によつて作り上げて頂きたいと思います。  只今の條件を付けて賛成という意見はこれで以て終ります。
  35. 中井光次

    委員長中井光次君) これで予定の公述人の方の公述は全部終りました。午後の部分につきまして委員の方において御質問ございますか。
  36. 羽仁五郎

    ○羽仁五郎君 全財労働組合の副委員長高島さんにお尋ねいたします。最初に高島さんの公述の御趣旨は、人事院が今までやつて来たことを列挙せられて、それがいずれも職員にとつて利益な、フエアでない処置であつたから、従つて今度の職階法についても、この程度の法案でこれは実際にどう施行されるかということについては信頼は持つことができないという御趣旨であつたようであります。結論としては、職階制というものを施行することに反対ではないので、その職階制が施行せられるのに、現在の人事院の機構又はこの職階法というものでは信頼できない。そういう御趣旨ですか。
  37. 高島清

    公述人(高島清君) さようでございます。趣旨には決して不賛成ではございません。
  38. 羽仁五郎

    ○羽仁五郎君 そうして積極的にはどの程度のことが條件としてあれば、ということが、若し準備がおありならお答えを願いたいと思います。
  39. 高島清

    公述人(高島清君) 具体的の準備としてはございませんけれども、やはり我々が真面目に働けるだけの賃金を與えられる保障を先ずして貰いたい。それから現在のような不当な首切りがない保障をして貰いたい。そうして上に立つて、而も今までやつて来たふうな人事院だけに広汎に任せるということではなくて、国会で十分審議されるというふうな前提がありさえすれば、我々はこういうふうに能率的な人事管理、科学的な人事管理というものには決して反対ではない。その程度のあれしかないのであります。
  40. 羽仁五郎

    ○羽仁五郎君 全逓を代表されている赤羽さんに伺いたいのですが、赤羽さんの御趣旨は、例えば労働科学研究所の調査などもあるが、そういう調査もちよつとも人事院では顧慮していないということを言われていましたが、そういうものも顧慮しながら、そうして労働組合が参加して職階制作つて行くということならばいいというそういう御趣旨ですか。
  41. 赤羽幸作

    公述人(赤羽幸作君) その通りであります。現在我々の方には、先程申上げましたように精密な而も医学的、科学的に実際の労働條件というものを、現場について雑音の度合とか騒音と言いましようか。いろいろと健康を保持するためにはどの程度の勤務時間がいいか、或いは作業環境としてはこの部屋は広さはどうであるか、宿直をする場合にはどれだけの坪数が本当に後の仕事に支えないような、これは電信の例でありますが、電報が間違わないようにするためにはどれだけの休養が必要であるか、どれだけのカロリーを取らなければならないか、更にどれだけの服務時間が適当であるかというような精密な調査がなされておつたわけであります。それでこれは四十八時間施行のときに、私の方は逓信省を通じまして人事院並びにGHQの方にもこの意見を出しておりましたし、労働組合といたしましても異議を申立いたしまして、これは人事院に出しておりましたが、一向にそうした問題については採用されていないというようなことを申上げたわけであります。又労働組合等、できるだけ民主的にこの問題を決定して行きたい、機関はどうでもよろしいが、とにかく労働組合のいわゆる従業員の意見を十分に聞いて頂く、従業員がこれでは困る、いわゆる喜んでこの職階ならばよろしいというところまで愼重にお互いが膝を突き合せて話合つて、その結論でこの職階を作つて貰いたい。従つて今早急にやるということには俄かに賛成しかねる、併し根本的には我々としては今こういうようなことが行われるならば、究極的には賛成できる。従つて現在としては中立の立場をとらざるを得ない、こういうわけであります。
  42. 羽仁五郎

    ○羽仁五郎君 国鉄を代表された木内君の御意見は、労働組合なども参加をして職階制を作るべきであつて、そういうことをしてないから反対だという御趣旨であつたのでしようか。
  43. 木内憙

    公述人(木内憙君) この法律案も、僕が貰つているのは二十九條から三十二條までの拔萃であつて法案の全般の問題ということについて僕の意見が今日の公聽会に求められていない、こういうふうに見える節もありましたし、外の意見もありましたので、重複の所は避けまして、一応法案を貰つた部分について問題の所を挙げたのです。やはり問題を考えて行きますにも、これだけをつけて賛成ということでなしに、僕の意見は二つ三つの意見は、分類並びに格付ということについて考えなければならんという点を挙げて、そういうことが人事院で準備せられていないにも拘らず、ここで法案の審議ということが行われるならば、従つて反対ということになります。
  44. 羽仁五郎

    ○羽仁五郎君 人事院職員組合の桑原君に質問したいのですが、桑原君が知つておられる限りでは、今の労働組合方々が挙げられたような、職階制を決定する上にいずれかの形で労働組合を参加せられたいというような意見は、人事院では職階法作つている過程においてはどんなふうになつているのでしようか。若しその点について御存じならば……。
  45. 桑原要衞

    公述人(桑原要衞君) 人事院の方では如何様になつていたかは私は一向存じません。ただ人事院職員組合としては、勿論そういつたことに参加さして頂きたいという希望はございます。
  46. 羽仁五郎

    ○羽仁五郎君 そういう希望を述べられたことがありますか。
  47. 桑原要衞

    公述人(桑原要衞君) 現在まで別段出したことはございません。
  48. 中井光次

    委員長中井光次君) よろしうございますか。
  49. 赤松常子

    ○赤松常子君 今桑原さんの御意見では、あれはあなた個人の御意見でございますのですね。そうしたら組合としての立場の御意見ではないのですね。
  50. 桑原要衞

    公述人(桑原要衞君) それはどちらに対する御質問なんですか。最初の公述に対する御質問ですか。
  51. 赤松常子

    ○赤松常子君 公述に対するのです。
  52. 桑原要衞

    公述人(桑原要衞君) 最初の公述につきましては、組合の執行部の方で熟慮協議した結果、持つて来ておるので個人ではございません。
  53. 大山安

    ○大山安君 簡單でありますが、これは一々公述者にお尋ねするよりも、大体趣旨は同じであるから、ただ同意とか何とかということだけで差支えないと思いますが、この各公述者の御意見でありますが、いずれも内容が今少し明朗化すれば、或いは調査その他いろいろ具備したところであれば賛成をしてもいいというようなところが多分に聞かれたのでありますが、そういう意味に私は聞かれました。この職階制ということが、完全な場合には、制定してもよろしいという意見になりますか。各公述人に対して委員長の方からお尋ねして頂きたいと思います。或いは面倒であれば一人々々の御意見をお尋ねしますが如何でしようか。
  54. 中井光次

    委員長中井光次君) 一人々々あなたからお聞きして下さい。
  55. 大山安

    ○大山安君 そうですか。それでは高島さんに伺いますが、公述中の御意見を拜聽いたしまして、内容が完備すれば、思うように行けば、この職階制は制定する方がいい、賛成であるというふうな御意見を承りましたが、その点について……。
  56. 高島清

    公述人(高島清君) 御意見の通りとお答えしてよろしいと思いますが、それには私共はやはり相当の年月がかかるということを予想しております。一月とか二月という期待は持ち得ないのでございます。
  57. 大山安

    ○大山安君 次に赤羽公述人に伺います。只今のと大体同じ趣旨の件ですから略してお伺いします。
  58. 赤羽幸作

    公述人(赤羽幸作君) お答え申上げます。大体私も高島公述人の言われたような線でありますが、私が一番懸念しておりますのは、やはり給與との結び付きであります。給與が職階とどう結び付いて行くか、どういうような枠の中でこの給與考えられるかということが最も重要な問題であります。現在も、いわゆる職階法と言つてまあ新らしいように申されておりますが、現在も私は形はともかくとして、職階法らしいもので各省の官庁機構が動いておると思つております。併しながら現在の職階は非常にこれは不備であるし、いわゆる職階的なものではないということも言えましようが、とにかく給與というものが中心になり、給與と職階が常にマツチしたところまでやつてから、この職階をやつて頂きたいという意見であります。
  59. 大山安

    ○大山安君 大澤さんに伺います。
  60. 大澤己代治

    公述人(大澤己代治君) 事務の改善というようなこと、それから組織、管理というようなこと、或いは先程東大の先生がおつしやられましたように、自由任用の面が開かれておるというようなこと、或いはこの法案に盛られてないところの細目を、この法案に盛るというようなこと、それから給與について、賃金水準というものを職階に対しては一番重要な点で考えなければいけない、その点に盡きます。
  61. 大山安

    ○大山安君 木内さんにお伺いいたします。
  62. 木内憙

    公述人(木内憙君) お答えします。それは原則的には賛成ということになります。併しそういう原則論で今提起せられておる具体的な問題を左右するものではないと、こう思います。
  63. 中井光次

    委員長中井光次君) もうよろしうございますか。
  64. 大山安

    ○大山安君 結構です。
  65. 寺尾博

    ○寺尾博君 皆様の御公述から当然判断ができることと思うのですが、私の形式的に伺いたいと思うのは、この法案審議という見地から、そういう見地と、それからそもそも正しき、最も適切な職階制を作るのにはどういうふうに考えるべきかという、こういう研究問題的の考え方、二つの立場があるのでありまして、今私はそのうちのそういう議論の結果から、こういうこの今回の法律案を御判定になつて御批判になり得るわけなんですが、そういう新規の、この法案そのものの審議の見地から見ますというと、恐らくお述べになられた議論の見地からは、相当重大な修正をこれに加える、或いは全然新規に作り直すというような処置を講じなければ賛成できないというような結論になる部面もあるような感じがいたします。それでとにかくそういう見方からして、この法案はこのまま、或いは余り重大でない多くの修正の程度において通過して、皆様のお考えになるような職階制ができるようになるとお考えになりますか、なりませんか。これはイエス、ノーを、一つポイントなんですから、甚だ失礼ですけれども、こちらから順に願います。
  66. 高島清

    公述人(高島清君) 私は一つ返上して頂きたいと思います。
  67. 赤羽幸作

    公述人(赤羽幸作君) 私はやはり更に検討して頂いて、これは白紙に返してやるべきだと考えております。
  68. 大澤己代治

    公述人(大澤己代治君) 私は修正して可能だと思います。
  69. 木内憙

    公述人(木内憙君) 僕はもう一応考え直すべきだと思います。
  70. 大内經雄

    公述人(大内經雄君) 相当な法文的な修正が必要だと思います。そういう意味賛成です。
  71. 桑原要衞

    公述人(桑原要衞君) 先程私述べました希望意見を採入れて頂ければ賛成であります。
  72. 瀧澤松太郎

    公述人(瀧澤松太郎君) 法文を相当に修正いたしまして、希望意見を入れて頂ければ、この法案賛成いたします。尚このままでありましたならば、少くも人事院規則というようなものをもう一度公聽会にでもかけて、一般の輿論を聞いたらどうかと、こういうふうに考えております。
  73. 中井光次

    委員長中井光次君) 朝から大変長時間に亘りまして皆様方お忙しい中を御公述を頂きまして誠に有難うございました。御高見は非常に我々の参考になるところがございました。それでは本日はこれを以て散会いたします。有難うございました。    午後三時二十九分散会  出席者は左の通り。    委員長     中井 光次君    理事            木下 源吾君            小串 清一君            寺尾  博君    委員            赤松 常子君            大山  安君            羽仁 五郎君            岩男 仁藏君   公述人    全官公庁労働組    合寒冷積雪地給   対策協議会会長  笹川 重雄君    全国官庁労働組    合連合会副委員    長       及川 知行君    関西学院大学助    教授      足立 忠夫君    東京大学助教授 辻  清明君    全国財務労働組    合副委員長   高島  清君    全逓信従業員組   合職能対策部長  赤羽 幸作君    労働基準監督官    (労働基準局給    與課勤務)   大澤己代治君    日本国有鉄道労    働組合調査給與    対策部長    木内  憙君    立教大学教授  大内 經雄君    人事院職員組合    執行委員長   桑原 要衞君    東京ガス株式会    社社員     瀧澤松太郎君