○中川俊思君
諸君、私は與えられたる
自由討議のこの機会におきまして、私の所見の一端を申し述べて
諸君の御賛同を得たいと存ずるのであります。すなわち私は、ここに
国会議員をも
つて強力なる
行政監査
委員会を設置し、
行政整理並びに
行政機構の改革を断行して、その民主化をはからんとする現
内閣と表裏一体のもと、わが国官界の刷新と道義的吏道の確立に寄與し、も
つて国会の使命完遂を全うせんことを、あえて提唱するものであります。
御
承知のごとく、政変の有無にかかわらず、常住不断
行政事務の担当者である官公吏の役得犯罪が、終戰後激増する傾向にあることは周知の事実でありますが、なかんずく利権と密接に結びつく
経済関係官庁の腐敗堕落は、言語に絶するものがあるのであります。かかることでは、絶対に強く正しい政治が行われるはずがありません。いかに政界の腐敗を防止せんとしても、巨大な官僚組織に内在するバチルスを掃滅せざる限り、民主政治の明るい発展は、とうてい期待されないと存ずるのであります。
さきに片山
内閣当時、官界刷新の大綱を
決定し、官紀の粛正と民主的監察制度の確立とを企図され、われわれは多大の期待をも
つてその推移を見守
つたのであるが、残念ながら龍頭蛇尾に終つたことは、まことに遺憾にたえないのであります。また昨年三月、ドレーパー使節団が来朝いたしました際、わが国官僚機構の厖大と、
行政事務の非
能率と、官僚の腐敗とを特に指摘し、テリブルを盛んにとなえていたことは、今なおわれわれの記憶に新たなるところでありますが、折も折、当時使節団長たりしドレーパー氏が再び来朝される今日、くしくも同じ問題を
国会の爼上にあげざるを得ざるに至りしことは、顧みてまことに慚愧の至りにたえざるところであります。
当時の
大蔵大臣であつた北村さんは、特に同年三月二十六日、右使節団との会談席上、官吏の数に関する資料を要求され、
説明されましたので、この間の事情は十分御
承知と存じますが、要するに、右使節団が、当時の芦田
内閣に対し、官僚機構の改革と、これに伴う弊害の除去とを要望したことは事実であります。しかるに、芦田
内閣もまた片山
内閣と同様、遂に何らの成果をあげ得なかつたことは、これを要するに、片山、芦田両
内閣の熱意と気魂の欠如もさることながら、われわれは、いかにわが国の官僚組織が強靱であり、余人を近づけざる官廷政治であるかに驚かざるを得ないのであります。
彼らが役得を当然と考え、国費の濫費はなはだしきのみならず、法の運用さえ彼らに都合のいいように解釈するとともに、ややともすれば
憲法を無視して、
国会軽視の思想さえ見らるるに至
つては、まさに病膏肓の感なきを得ないのであります。藩閥の時代にはそのすねをかじり、政党が盛んになれば、その
中心に食い込み、軍閥の時代にはその爪牙となり、さらに終戰後新たなる権力が生ずれば、巧みにこれに食い入る巧智は、まことに度しがたいものがありまして、彼らの同化力というか、生活力の旺盛なることは、あたかもコレラ菌にもにた存在というべきであります。
われらが明治
憲法を弊履のごとく捨てて新
憲法を制定したのも、一切の封建的残滓を取除いて、ポツダム宣言の実行に伴う民主
国家の再建を世界に誓つたからであります。しかるに、ひとり官外のみ依然として旧套を墨守し、非民主的なる独善ぶりをたくましゆうするにおいては、
国家の前途すこぶる深憂にたえざるものがあります。あたかもドイツが、ビスマルク
憲法を弊履のごとく捨て、ワイマール
憲法を制定して民主
国家の再建を企図せしにもかかわらず、やがてヒツトラーが現われまして独裁政治を敢行するに及び、遂にドイツ
国家の破滅を招来せしことを想起し、われわれは断じて前車の轍を踏むべからざることを痛感するものであります。
さらにまた、今や講和
会議近きを思わしむるの秋、すみやかに挙
国民主化整備の
観点からも、ただひとり独善を敢行しつつある官界の悪弊を看過することはできないのであります。現
吉田内閣が、去る第五
国会において、定員法の制定とともに、
行政整理や機構の改革を断行いたしましたのも、前述の片山、芦田両
内閣と同様、官界刷新に伴う
行政の民主化を念願したからであります。ただ、前二者はこれをなさんとしてなし得なかつたが、後者すなわち
吉田内閣は、よくこれを断行し得たというだけの相違であります。
しかしながら、要はあくまでも、今後における運用のいかんにかか
つていることは申すまでもありません。国権の最高機関にあるわれわれ
国会議員が、政務につき司令部と
折衝する場合、法制局やGSを通ぜねばならぬ
制約を甘受しながら、
国会の監督下にある官僚は、しやあしやあとして司令部
通りにうき身をやつしつつあるところに、彼らの独善が胚胎するのであります。
国会に出席しては、まことに処女のごとき彼らも、足ひとたび
国会を外にせば、脱兎のごとく振舞いつつあるのが、今日のわが国官僚の実態であります。英語のポリス・コミツシヨナーという平易な言葉を警視総監と訳す彼らであります。
行政の民主化、
行政の合
憲法化を妨げる
原因の一つは、彼らが公僕精神になりき
つていないからであります。換言すれば、こうしたキヤラクターの旧式役人が、旧官僚制の牙城をどこまでも守り抜き、独裁王国を築こうとしているところに、わが
国民主化が阻害されているのであります。しかしながら、ローマは一日にして成らず、のたとえもあり、わが国官僚の民主化も、けだし前途遼遠の感なきを得ません。しかりといえ
ども、
国民の嚴粛なる信託にこたうる
国会としては、断じて傍観は許されざるところであります。
すなわち、彼らに対し特権排除の
立法を周到にするとともに、
公務員再教育法を強化する等幾多の方途が考えられますが、同時に、
議員も大臣、次官等に
なつたとたん、官僚の軍門に降
つて、ミイラ取りがミイラとなるがごときだらしなさは、嚴に愼まねばならぬところであります。さらにまた、
経済九
原則の要諦により、好むと好まざるとにかかわらず自立安定の大方筆を敢行せねばならぬわれわれが、厖大なる
国家予算を、実質的には大蔵官僚に一任し、彼らの成案が著しく変更されることなく、
閣議でこれを了承し、
国会またこれをうのみにするがごとき冒険については、かなり検討の余地があると考えるのであります。世情ややともすれば、
憲法を
改正して、
予算編成は
国会でなすべし等の議論が散見いたしますのも、またむべなるかなの感を抱かざるを得ないのであります。しかも、ひとたび
国会で承認を與えた以上、法の運用にはあくまでも
責任ある
国会が、実質的には官僚の恣意のままにまかせ、二箇年後に彼ら自身の作成になる決算書を突きつけられて平然たるさまは、断じて
国民の信託にこたうるゆえんにあらずと存ずるのであります。
あえて尾崎咢堂先生の言をかりるまでもなく、われわれは
国民の器、
財産を預
つていると言うも過言ではありません。敗戰の結果、
国民は幾多の苦難と耐乏とを強要され、あまつさえ質八おいて納めた血税であ
つてみれば、かりに一銭一厘といえ
ども官僚に浪費を許すことは、われわれの断じて承服できざることを深く銘記せねばならぬとともに、ひとり官僚のみ
国民大衆のらち外に晏如たり得ることは、絶対に許されないのであります。これすなわち、本員があえてここに
行政監査
委員会の常設を要望するゆえんであります。
官界刷新上早急に
実施せねばならぬことは幾多ございますが、まず経費の節減と事務の簡素化であります。特に諸経費中厖大なる人件費、
物件費等が、はたして有効適切に使用されているかいなかにつき、実は若干の疑いなきを得ないのであります。去る第二
国会において、本院
予算委員会の要求に基き大蔵省の提出いたしました
昭和二十二年度末の
政府職員予算定員調べによりますと、当時
一般会計で四十二万名弱、
特別会計で百十五万名余でありまして、
合計百五十七万余名であ
つたのであります。しかして、これに要する人件費は、当時のベースにおいて、
一般会計では二百五十六億二千九百万円、
特別会計では四百三十八億五千二百万円、
合計六百九十四億八千百万円の巨額に達したのであります。しかるに、この
予算定員に対し、実際の充足率はどうであつたかを検討してみますと、
一般会計において九一・二%で、八・八%すなわち三万六千余名のさばが読まれ、この人件費が九億余円とな
つてお
つたのであります。また
特別会計においては、九七、八%の充足率でありました
関係上、同じく二、二%すなわち三万五千余名のさばが読まれ、この人件費九億八千余万円と相なり、
合計いたしますと、約七万二千名近い幽霊官吏と、十九億円に上る幽霊人件費とが、やみからやみに葬られていたのであります。これは従来から
予算編成上の技術と称され、黙認されていた官僚のやみ取引で、この莫大なる幽霊人件費が、各省、各局、各課の機密費として分配され、その大半は出張費や宴会費等に化けていたのであります。
また他方
物件費においても、同様のことが今日まで行われていたのであります。すなわち、各省に割当られた
物件費によ
つて購入された物品、資材が、年度内に完全消費されるということは、きわめてまれであるにもかかわらず、完全消費されたるものとして、次年度にはまた新規に
物件費が要求されるのが従来の慣例であります。
かくして、これらの残存物品、資材もまた機密費に化けるとともに、ときどきは、巧みに官庁内に食い入る民間ブローカーとの連繋によ
つて不正拂下げが行われ、民間市場に姿を現わし、やみの温床、インフレの助長と
なつた場合もあ
つたのであります。
これらについては多くを語らずとも、
諸君は毎日の新聞紙上、並びに現在院内の考査特別
委員会に取上げられつつあるものをごらんにな
つても、十分おわかりと存じます。
昭和二十四年度並びに二十五年度
予算、ドツジ声明や
経済九
原則の要請により、諸法規の制定も行われ、従来のごときずさんなる
予算の立案は許さるべきではないと考えますが、要は官僚の心構えであり、ことに多年にわたる悪弊が一朝一夕に改善されるとは容易に考えられませんので、
国会はさらに重大なる関心を有すべきだと考えるのであります。
また官庁機構の複雑と、それに伴う事務の煩瑣とが、いかに
国民に迷惑を及ぼし、
国家再建を阻害しているかは、天下周知の事実でありまして些少な許認可にも、いたずらに長日月を要し、やつと許認可に
なつたときは、社会情勢並びに
経済情勢の著しき激変により、まつたく手も足も出せない窮状に陷
つていた等のことは、枚挙にいとまないほどであります。しかも、許認可を促進しようとする業者との間の醜
関係を日常茶飯事と心得ている官僚の多いことも、一驚を喫せざるを得ない実情であります。御
承知のごとく、アメリカの役所においては、こうした場合、わが国の官庁のごとく、下級官吏から十も二十もの捺印をと
つて上級官吏にまわすのではなく、局長、部長のセクシヨンにおいて、きわめて短日月の期限を切
つて部下に指示を與える仕組にな
つているため、多くの許認可は、長くても一週間を出でない実情でありまして、事務の澁滞や業者との醜
関係等を生ずるひまがないのであります。私は、いたずらに外国の模倣に專念する必要もないと存じますがこうした長所はどしどし取入れて官庁事務の促進に資すべきだと考えます。
以上、私は所懐の一端を率直に申し述べたのでありますが、いたずらに過去を責めようなどとは考えません。要はわが国官僚が、いかなる場合においても
国家機構の
運営に対する潤滑油たるところに新たなる吏道のあることを認識し、翻然正道に立ち返ることを希求するからであります。しかして、あえて私の主張いたすところの
行政監査
委員会のごときは、さらにその必要を感ぜざるまでに立ち至らんことを深く念願するものであります。しかしながら現段階においては、残念ながら、今春四月二十二日、吉田総理が、
参議院の
内閣委員会の常上、一委員の質問に答えて、
行政改革の
理由は、第一
財政の縮小、第二
行政の簡素化、第三官公吏の道義心の確立にありと
答弁したことによ
つても明かなごとく、その必要を認めざるを得ざる実情にある
関係上、あえて強力なる
行政監査
委員会の設置を要望せざるを得ないのであります。
最後に一言つけ加えたいことは、本
委員会の性格並びに使命は、あたかも一七九五年アメリカ
国会に設置されたる、公務局におけるチ—フ・エンジニアの権威と使命を果すものであらねばならぬことを強く要望するものであります。何とぞ
諸君の御
賛成を得て、すみやかに本
委員会が
国会に設置され、わが国
行政の民主化に伴い、祖国再建のすみやかならんことを切望してやまない次第であります。(
拍手)