○田嶋(好)
委員 先般国会の承認を得まして、われわれ国
会議員は武生の
裁判所並びに
検察庁に起りました放火
事件の調査に参
つたのであります。その調査につきまして、ただいまから報告をさせていただきます。
福井地方
裁判所並びに同
検察庁武生支部庁舍の火災及び公判記録等重要書類の燒失は、武田太平及び伊原忠成こと伊聖熙等十数名の暴力破壊を好む分子、及びもと朝鮮連盟構成員が、
審理処罰を免がれんがためになしたと認められますところの大胆不敵な集団的、計画的放火であ
つたのであります。これはわが国司法史上ま
つたく前代未聞の
事件であります。
今その遠因をたど
つてみますと、元来福井県人は、北陸の他県人に比べまして気が荒いと言われております。そうして名古屋
高等裁判所管内におきましても、従来難
事件の一番多い県とされているのでありまして、終戰後においては特にこうしたことがひどく
なつたようであります。博徒、的屋等の暴力団の数もたいへん多いのでありまして、十七個団体を数えることができます。そうして人員は五百名になんなんといたしておるのでありまして、そのうちの半数以上は子分三十名以上を持
つた有力な暴力団体ということにな
つております。なかんずく津一家は子分三十二名、坂本組は子分百七十名、橘一家、子分四十四名等は、県下におきましてもその名をうたわれました朝鮮連盟であ
つたのでありますが、武生市におきましては、木下繁という的屋の
親分がありまして、これは子分を四十人以上も持
つておるということであります。現在市
会議員をいたしております。その輩下におる和田善次こと和田吉春というのは博徒の
親分でありまして、子分を三十名くらい持
つておるのであります。木下は相撲勧進元である府中山五代目というのを自分は退いて、この和田善次こと和田吉春に六代目を襲明さしておるのであります。
また武生市会においては
——まことに遺憾なことでありますが、武生市会の定員三十名の中で、半数以上が前科者である。また市内の不良暴力分子は、これらの市
会議員と緊密な接触を保
つており、市制について常に関與いたした状態があるのでありまして、まことに武生市は暴力の町とも言
つていい町とな
つているのであります。これに対して警察の整備状況はどうかと申しますと、国警の地区署が八つあります。そうして自治警が十七あ
つて、自治警、国警あわせて二十五になるのでありますが、その定員がわずかに八百三十二名という少数の状態であります。また警察のこの状態に対して、朝鮮人の県内居住者は何人かと申しますと、福井県内に男二千七百三十四名、女四千三百六十九名おるのでありまして、これらの朝鮮人はほとんどやみ買いやみ商売ということで生活を営んでおるようであります。福井においては、朝鮮人は男が六百七十八名、女が五百二十二名、合計千二百名、居住いたしております。今回問題の起りました武生市には、三万の都市に二百八名の朝鮮人が居住いたしておりまして、この数は男が百三十六名、女が七十二名ということにな
つておるのであります。
こういう状態からいたしまして、これらの分子がどういう活動をしてお
つたかということを申し上げみますと、まず市政
関係は、現在民主自由党の系統と称するところの人が市長に就任をいたしておるのでありまして、この市長の派に対する反市長派というのは、現在民主党の立場に属する方々によ
つて、構成をせられておるようであります。なおそこには、共産党の支部、社会党の支部等もあるようでありますが、市政は主として市長派、反市長派によ
つて運営をされているようであります。市会の分野は、
先ほども申し上げたように、三十名の構成員であるのでありますが、この中で半数がほとんど前科者であるというような形であり、反市長派は現在民主倶楽部というものを構成いたしておるのであります。この反市長派を牛耳
つておりますところの高木政二という者は、民主党系でありますが、前科数犯を持ち、なお市
会議員として選任せられる直前には、前科の
裁判をのがれるために遂に逃走いたしまして、その犯罪を時効によ
つて消滅させ、帰
つて来て市会に当選したというような閲歴を持
つた親分であります。なお、市長派といたしましては、
先ほど申し上げましたように、賭博の的屋の
親分でありますところの、子分を四十名も持つ木下繁というのが市長派の大幹部として牛耳
つておるのでありまして、その下には、木下繁の府中山六代目を襲名いたしました和田善次というのが、院外団的存在といたしまして、やはり市政に関與しておるようであります。こういうような状態が市庁内に見られるのであります。
次に市の警察、つまり市警でありますが、これは前市長時代と現市長時代を区分して
考えなければならぬと思います。前市長である野邊という人は、武生市の放火がありました前の日に辞表を
提出いたしました。二十日に放火があ
つて、十九日に辞表を
提出いたしまして、暴力団一行とともに飲食までしておる市長でありますが、この前市長の野邊という人は、常に暴力団であるところの和田善次につながりを持
つております。野邊市長に和田との
関係を聞きますと、親から和田のめんどうを頼まれておるのだから、和田をかわいが
つておるのだと陳述しておりますが、この野邊前市長と和田の
親分とは密接な
関係で、まだその
関係が切れないというような、まことにいまわしい
関係にあるのであります。現在放火犯人としてあげられておりまして、元朝鮮連盟におりまして、最もきつい主張をしてお
つたと申します伊原忠成事伊聖熙は、野邊市長とは数回にわた
つて飲食を共にいたしまして、
相当関係も濃いものとわれわれは認めて参
つたのであります。こういうような
関係から、市におきましては暴力団を検挙する意思が全然なか
つた。市の公安
委員会において、暴力団検挙を数次にわた
つて市の警察に勧告をいたしておるのでありますが、公安
委員会の言を市長は聞こうともせず、依然として、この暴力団を武生市にのさばらすことに協力してお
つたような
感じが見受けられるのであります。
次に遺憾なことでありますが、
検察庁の武生支部においても、市警同様とは申しませんが、まことに遺憾な点が多々あ
つたのであります。まず第一としましては、今年の五月ごろから十月に至る間において、公金が五十万円なくな
つておるのであります。そのうちの三十八万の金は、
検察庁の庶務会計をや
つておりました久野登志雄というのが、横領して、これは現在刑が確定いたしておるのでありますが、内部の者が横領しておるにかかわらず、六月にわたりまして、しかも回数においては数十回にわた
つてその金を横領したと
本人は言
つておりますが、その数十回にわたる横領を気づかず、しかも外部から入
つた林好視というのが、十三万三千円の公金を窃取いたしたのであります。この窃取につきましては、探究すれば
相当深いものがあるのじやないかと思
つておりますが、この林好視が入
つて来て金をと
つた。とられて探してみて、とられた金よりもなおか
つたくさんの金が足りないということがわか
つて、びつくりして
捜査を開始したところ、自分の内部の久野登志雄が横領しておるという事実がわか
つたのであります。まことに間の抜けたと申しますか、実に緊張度の足らない遺憾な点がここに見出されるのであります。なおこの久野登志雄の公金横領が遺憾なばかりでなく、第一に今年の五月に久野登志雄が二万五千円の
検察庁の公金を横領いたしておるのであります。この横領金に対して、金がないというので
相当あわてたようでありましたが、金がなく
なつたことを上司に報告して措置を仰ぐというような、
検察庁の官吏らしい態度をとることなく、公金横領という事実に対して、臭いものにふたをしようという態度を
検察庁がと
つたのであります。その臭いものにふたをしようという態度をと
つた結果はどう
なつたかと申しますと、遂に現在の庶務課長の服部というのが、市長の派である一方の暴力団を牛耳ると称せられる木下の上にある大澤清に借金を申し込みまして、二万五千円の金を大澤清から服部が借りております。そうして二万五千円の穴埋めをいたしております。大澤清はそのつながりを持つところの前市長の加藤勝安に頼みまして、この金を出して
検察庁の穴埋めをいたしました。それからさきの
検察庁と市長派とのつながりは、どういうふうにな
つてお
つたかということは、皆さんの御想像におまかせいたしたいと思います。なおこの反市長派の高木政二というのはひんぴんと
検察庁に出入りをして、副
検事の中田氏が病気入院の場合には、その入院のあつせんまでしたと言われております。こういうように、
検察庁においても遺憾ながら暴力団とのつながりを肯定しなければならないような状態があるのであります。まことに暴力団の武生市を中心として、国家機関への浸透は恐ろしいものがあ
つたことをわれわれは想像しなければなりません。
次に
裁判所の
関係でありますが、
裁判所に対しては、幸いにしてそこに駐在する伊藤という判事が温厚篤実な方であり、そうした面に対してまことにりつぱな態度をと
つておるかのごとくわれわれは想像せられるのであります。この人の人柄は、
裁判所関係からは、そうした暴力団とのつながりを見受けることができませんでしたが、暴力団は
裁判所にもその足を延ばしまして、伊聖煕と和田は、伊藤判事を脅迫いたした事実が証言せられておるのであります。自分の言うことを聞かなければ、このままではおかぬからということを伊藤判事に申しておる事実があります。
以上が武生市を中心として見た状態でありますが、こうした状態にあ
つたものが、どうして今回のような放火にまで発展したかと申しますと、これは
先ほども申し上げましたが、林好視というのが元地方
事務所の職員でございまして、なかなか頭がいいようでありますが、
窃盗的習癖がありまして、数次にわた
つて窃盗いたしておるようであります。この林好視が
窃盗によ
つて裁判にかけられると、彼は何とかして自分の罪をのがれたいとあせり、常に
裁判所においても否認を続けてお
つたようでありますが、だれ言うともなく、
裁判所の記録をなくしてしまえば
裁判ができなくな
つて、結局
無罪になるということを耳にしまして、自己の犯罪に対する
裁判記録の窃取を企てたのであります。遂に七月二十日には、記録六冊を
裁判所の内部から盗み出して
——その
裁判所の内部の当時の設備はあとで申しますが、まことに不完全であ
つた関係上、林好視がそのすきに乗じまして、七月二十日記録六册を盗んでおります。八月十一日にはまた記録を盗むべく入
つたのでありますが、これは未遂に終り、遂に八月十三日には林好視は
裁判所でなくして、
検察庁まで侵入して、
検察庁の公金十三万三千円を窃取いたしておるのであります。九月の四日には、同じく公金の窃取か記録の窃取か知りませんが、
検察庁に侵入いたしておるのであります。これは未遂に終
つております。これが本件の放火犯の被疑者である林のやり方なんでありますが、この林につながるものに、やはり被疑者の武田太平というのがあります。これは三枚
新聞の社長でありまして、今恐喝罪で
裁判中であります。この恐喝罪で
裁判を受けている途中、
本人非常に
検察庁や
裁判所に反感を抱いてお
つた。そうしたきらいが見られるのでありまして、この武田は林といとこという
関係から、放火に対しては武田と林が連絡をと
つたものと認められます。なお
先ほど申し上げました伊原忠成こと伊聖煕という、元朝鮮連盟員の有力な方でありますが、これはやはり公務執行妨害罪で現在
裁判中でありまして、同じく
検察庁や
裁判所に
相当な反感を抱いてお
つたかに見えます。武田太平と伊原とは、武田が恐喝罪で市警にあげられ、伊原が公務執行妨害罪であげられた当時、市警間において知合いの
関係ができ、その後密接な交際が生まれたようでありますが、この武田太平を通じまして、伊原と林との連絡がついたようであります。また和田善次、
先ほど申し上げました暴力団の親方でありますが、これと伊原とのつながりは、市会の分野において、政治的な折衝をする場合に、いろいろな問題を通じまして知合いに
なつたきらいがあるのでありますが、この和田善次の子分が
裁判にかけられるに至りまして、和田も子分の
関係から
裁判所や
検察庁に
相当な反感を持
つて、和田、伊原、そうして武田、林の関連性がここに生れたように思います。以上の人間は
裁判所、
検察庁に反感を持つ
関係から、時期があれば放火をしようと計画をいたし、いかに放火し、いかにしてその結末をつけるかを協議したように思われますが、協議の結果、
裁判所、
検察庁、市警察、こうした国家機関の無能であることを彼らは認めたようでありまして、この無能な国家機関がある以上、自分たちが放火しても、決して検挙せられることはないだろうという結論を生み、遂に今回の放火
事件に到達したのではないかということが、各証人の証言によ
つて、私
どもは裏づけをされました。こうした
関係で放火が十月の二十日に決行されましたが、内容につきましては、こういうような内容を持
つております。
昭和二十四年の九月二十日午前五時ごろ、あらかじめ山口龍男、武田勉、これはいずれも和田の子分でありますが、この二人及び佐藤勇を擁して、同市吾妻町武生市消防署の自動車車庫に在庫中の消防自動車二台の配線をとりはずしまして、そうして消防自動車の消火活動を妨害した上で、武田太平、山住鎭亮、澤田仁美、渡邊廣、坂井正作その他におきまして、右
裁判所附近で見張りをいたしました。こうして伊聖熙と林好視、李喜雨、車東宋等におきまして、同
裁判所事務所室内で所定の軽油を床の上に撒布いたしまして、持ち合せのライターで点火いたし、放火いたして同
裁判所並びに福井
検察庁武生支部、
法務府武生支局の共同庁舍でありますところの、同時に
裁判官伊藤泰藏の住居に使用せる建物を全燒してしま
つたのであります。林好視はこの場合に誘導役、それから軽油をまく役等をいたしておるようでありますが、この軽油につきましても、普通の軽油ではなく、非常に点火が早く、一旦つけた以上必ず燃え上るという性質を持
つた油、特殊の知能と、特殊の方面から入手したのではないかと認められるところの油が用いられているとも承
つておるのであります。こういうような状態におきまして本件の
事件は発生し、結末を告げたわけであります。
私たち派遣
委員といたしましては、この事情、状態を総合いたしました結果、こうした結論を生み出すに至りましたので、
委員会の御承認を得るに至れば、まことにけつこうだと思います。
第一に国政の面でありますが、国政の面におきましては、武生市を中心といたしまして、あらゆる機関の内部に暴力的手段を好む分子が侵入いたしまして、国政は極度に腐敗紊乱していて、その
運用がま
つたく阻害せられてお
つたものと認められます。
第二に治安の問題でありますが、国家機関が左のような状態でありますから、機能が麻痺いたしまして、その能力を発揮することができず、治安維持上も憂慮すべきものがあ
つたのでありますが、幸いこの点は放火後の福井地方
検察庁、国警等の努力と、武生市警の人事の交替等により、漸次回復するものと認められるのであります。
第三、国家機関に欠陷がなか
つたかどうかという点でありますが、遺憾ながら国家機関にも人員の配置、有能人の欠乏、設備の不十分等、幾多の欠陷を認めざるを得ないのでありまして、この点におきましては、
政府といたしましても十分な施策が必要であると認めるのであります。
なお本件は、暴力的行為を好む分子と、元朝鮮連盟員の共同行為より発生した
事件であるということは確認せられるのでありますが、その背後
関係につきましては、單純なものとは認められないのであります。その背後勢力
関係は、裏日本に最近続いて起りました
裁判所、
検察庁等の放火、同未遂
事件等と照し合せまして、徹底的にこれを調査し、
国民の前にこれが真相を明らかにする必要があるものと認めるものであります。以上報告いたします。