○
眞鍋勝君 すでに
圓谷君から
説明があ
つたのでしようが、
請願人が私の県でありまして、この
請願人の父君が熱心にこれを
研究いたしました
関係で、私に
説明のお許しをいただきましたから、念のためもう一度申し上げます。
請願の
要旨は、すでに申されたと思いますが、
要旨とするところは、
政府はすみやかに
民主的組織による
暦法審議会を設け、
東西の
暦法、ことに
世界暦及び
本邦中正暦等を愼重
調査し、も
つて来るべき
暦法改正に遺憾なきを期するよう措置せられたいというのが
要旨でありますが、
明治維新の際、
わが国は
文明諸国に伍するため
改暦の方針を決定し、
明治五年に、
改暦詔書によ
つて改正を断行いたしました。閏年に関しでは
明治三十一年の
勅令追加があ
つたのでありますが、当時はいまだ国会の
制度がなかつたために、
改正につき何ら民意に問うことはなか
つたのであります。爾来七十七年を経たる今日、
現行暦はなおいまだ十分に行われていない、すなわち正月、お盆その他多くの
民間行事が、旧暦または一月遅れによ
つて行われておるような現状であります。しかしこれは單なる
旧慣墨守ではなく、
現行暦と
わが国の
季節及び
農事その他の
民生と、不調和の点が多いからであります。また
欧米諸国におきましても、
現行暦の欠点を認め、ことに米国の
世界暦協会は、輓近
わが国の一部にも呼びかけ、
改暦を早急実現せんとしているのであります。でありますから、
改暦の問題は遠からず必至の情勢にあります。
わが国といたしましては、
講和條約締結に引続き、
暦法改正が行われるのが望ましいのであります。しかしながら、
暦法の
改正は何分重大な問題でありますから、
研究に
研究を積み、
審査に
審査を重ねることが必要でありまして、決して軽々に断行すべきものではないのであります。また
專門家のみによ
つて決すべきではなく、広く
社会全般の
輿論にまつべきであります。
さきに
国際連盟交通部が
暦法改正問題を取上げた当時、
各国とも
改歴の
輿論がいまだまとま
つていないことがわかり、
連盟は
各国に
暦法改正に関する
国内委員会の
設置を勧誘いたしました。しかしてこれが
設置を見ましたのは、仏、伊、米、蘭の四箇国でありました。
暦法改正問題は国際協調をはかると同時に、
国内委員会を設けて、国内の
輿論をまとめる必要があります。でありますから、
政府はすみやかに
民主的組織、すなわち学者、官吏、政治家のほか、民間より暦
研究家、農業、漁業、商工業、金融界、勤労者等各方面の実際家を網羅いたしまして
暦法審議会を設け、広く
東西の
暦法、ことに
世界暦及び
本邦中正暦等を愼重
審議し、
改正の目標を暦の恒久性と、あわせて
季節、産業、国民の実生活に置き、
暦法改正の準備に遺漏なきよう措置することが、きわめて緊要と認められるのであります。
大体
現行暦は、西暦一五八三年、ローマ法王グリゴリオ十三世により定められたもので、その欠点は、一、年始が無意味なること、二、各月の長さが不均等なること、三、暦日と週日との
関係が一定しないことで、これらを改良せんとする案は、十八世紀以来多数に上
つておるのであります。国際
連盟に集まつた案は合計百八十五であります。また故平山清次博士はその著「
暦法及時法」に、改良案三十八種を載せておりますが、その中にあるジハルト案は
世界暦のことで、工藤案は中正暦をさしておるのであります。
世界暦というのは、ドイツ人のジハルトが一九〇三年に提案したもので、これを米人のアケリス女史が一九三〇年に
世界暦の名称を付し、
世界暦法協会を設立いたしましてこれが宣伝に努め、遂に世界的に有行にな
つたのであります。
それで今申し上げます中正暦というのは徳島県の工藤茂三郎——
請願人の父でありますが、
明治三十年、西暦一八九七年に創作したもので、
明治四十二年、第二十五議会に
暦法改正の件の
請願が通過し、
政府において
調査中でありましたが、そのまま今日に至
つております。次に
明治四十三年、第二十六議会に補助費下付の
請願が通過いたしましたが、
政府において下付不実行に終りました。大正十四年、西暦一九二五年に故新渡戸博士により国際
連盟に提出せられたこともあります。また
昭和二十四年第五国会に、
暦法改正に関する
請願を提出したような滑革もあります。
以上申しましたこの中正暦を、
政府におきましてはいずれ
暦法の
改正の問題も起ろうと存じますので、
請願の
要旨を採択せられまして、何とか適当の措置を講ぜられんことをお願いする次第であります。
—————————————