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鈴木(俊)
政府委員
署名の点に関しまして、詐偽または強迫による
意思表示が無効であるというふうに規定をいたしたわけでありますが、はたしてそういう事実があるかないかということについての実質的の審査権が七十四條の三の第三項で許されておる
権限だけでは、はたして十分にやれるであろうかどうかというお尋ねのようでございますが、詐偽または強迫による
意思表示というものは、実質的の問題でありますから、
署名簿に現われておる
署名だけからは全然わからないわけであります。そこで
署名の審査が終了いたしますと、一応これを一週間
縦覧に供するわけでありますが、その
縦覧の
期間内に必ず詐偽または強迫の
意思表示であるということを、本人なり、あるいはその事情をよく知
つておる者から申し立てて来るわけでありまして、そういう申し立てがあつたものについてのみこれを審査し、詐偽または強迫の事実の有無を確かめるわけであります。そのことだけでありますので、第三項の関係人の出頭、証言ということは、要するに裁判等の証拠を調べる際の方法と同じことでございまして、こういうような
権限を認めることによりまして、今申し上げましたような限度の詐偽または脅迫の
意思表示を調べるためには実質的審査が可能ではないかというふうに
考えるのでございます。
それからその次の一体
署名の取消しを認めるのかどうかという点でございますが、これは
お話のように、いやしくも特定の公職にある者を罷免する、あるいは
條例の制定をするということにつきまして、責任をも
つて自己の
署名をいたしますならば、これをみだりに坂消すということは適当ではありません。またこの
署名行為は、要するに多数人が集まりまして、
一つの合同的な行為としてある事項を請願をする、
請求をするということになるのでありますから、その点から申しましても、その中の者がか
つてに自己の
署名を取消して他の
署名者に対していろいろな影響を與えるということも、これはまた適当でないと思うのであります。これらの点から
考えまして、
署名の取消しについてはおのずから
制限がある。またもつと根本的には、およそ公法上の行為に対しては、私法上と同じような意味の
意思の自由——私法上の契約の自由ということと同じ意味の公法上の自由というものはないのではないかと
考えられるのであります。これらの点から
考え合わせまして、
署名の取消しを絶対認めないという論も、学者の論としては成立つと思うのであります。しかしながら実際問題として、その
署名に基いて
一つの公法上の
手続が開始せられますまでの間は、これは取消しもある程度認めることが実情に合うのではないか。そこでどこに線を引くかということでございますが、一定数の
署名をとむまして、
選挙管理委員会に
署名の審査の
要求を出すというとき、すなわち
証明を求めるために
署名簿を
選挙管理委員会に提出するときに、そこから公法上の行為が開始せられるわけでありますから、それ以後は
署名の取消しは認めない。しかしその前の段階におきまして、すなわち
請求代表者あるいはその、委任状を持
つております者が、まだ
署名を集めておる段階におきましては、そういう者の了解を得まして自己の
署名を取消したいと申し出た上取消すことは、これはまだその段階ではさしつかえないというふうに
考えるのであります。それからリコール制度の適用の範囲を、直接選挙によらないところの副知事とか、あるいは福出納長、各種の委員というものにまで及ぼすことについては、多少疑問がありはしないかというお尋ねでございます。これは選任にあた
つて住民の直接選挙によ
つて出て来た者に対して、また
住民がこれを呼びもどしてその公職から去らしめるという意味のリコールが一番ぴつたりと来ることはその通りであります。しかしながら
議会の同意を得て選ぶものあるいは
議会が選挙するというようなものは、やはり非常に重要な公職におるわけでございまして、そういうようなものに対しましては、單純な一般職の地位にある者と違
つて、
地方団体の重要な行為に関係をするものでありまするから、これにリコールを認めるということは、やはり
地方自治の本旨から申しましても適当なのではないかと思うのであります。外国の立法例等ではむしろ公務員一般に、すべてリコール制を認めておるというようなところもある次第でございますが、そこまで行きますのはいささかどうかと
考えまして、主要公職に関するもののみが、現在リコールの対象にな
つておるのではないかと思うのであります。
それから第五のお尋ねで、リコールの
請求が受理せられましてから、
住民の投票が行われるわけでございますが、その投票の際に特別に多数の投票者の
要求をしたらどうか、あるいは一定の定足数を定めたらどうかというお尋ねのようでありますが、この点も特定の投票に参加する者の限度を定めるということになりますと、どうしてもある程度の投票強制というようなことを予想せざるを得ません。また
住民の三分の一以上の者が
署名をいたしておりまするような重要な行為について、投票の定足数に達しないために何回や
つても遂に投票が行えない、最終的に事がきまらないということになりましても、これまた困ると思うのであります。また投票、選挙等の原理から申しまして、かりにそれに参加いたします’る者がいかに少くありましても、それに参加することはやはり自由の権利でございまするから、その権利をみずから放棄した者がありましても、これはやむを得ないわけでありまして、投票に出て参りました者だけで、事柄を全体の
意思として決定するということは、どうも選挙なり投票の基本理論から申しましてやむを得ない結果だと思うのであります。そういう意味で、投票について特に定足数を設けるということは適当ではない、かように
考える次第であります。