○
安藤公述人 私は
北海道信用
漁業協同組合連合会の
会長をいたしておる
安藤孝俊であります。
発言をいたします前提といたしまして、私が今までどういう仕事をしたかということを御参考に申し上げて、それから入りたいと思います。
私は大正十二年から
北海道道庁の水産課に職を奉じまして、昭和十三年まで水産行政の方の実際の仕事をや
つて参りました。それからさらに
漁業協同組合の
理事として今日までずつと継続いたしております。ことに道庁におりました間の水産行政の中には、
漁業権の
免許処分、
許可漁業の処分ということが、私の大きな仕事の
一つであ
つたのです。ことに
北海道におきましては、昭和三年ごろまでは、きわめて
漁業の行き詰まり状態にな
つておりまして、ここで何か局面転換の、今日で申しますならば、
漁業法の改正ということの何か手を打たなければ、勤労
漁民大衆というものは、ま
つたく仕事にありつかないという事態に追い込まれましたので、昭和三年にただいままで行われておる
北海道漁業取締規則の改正をや
つた経験を持
つておるのであります。その当時の立案者の一人であります。その当時その改正において、ただいま簡単な例を上げますと、沖合
定置漁業が盛んに勃興して来て、それに勤労
漁民がどんどん入
つて来たという例がありまして、それの処分の体験を持
つております。それからもう
一つは、
漁業協同組合の事業監督をやりました。
漁業組合の
法案の出まする場合におきましても、やはり
漁業組合がどのような動きをしたかということも、一応体験をしておるのであります。そういう観点に立ちまして、ふつつかな体験でありますが、今回の
漁業法案に対する私の
考えを申し上げたいと思います。
漁業法案全体としましては、第一條に示してありますように、
漁業生産の基本制度を定め、これを民主的に設けられる
漁業調整機構を運用して、水面を総合的にかつ高度に利用して、
漁業生産力を発展させる。なおあわせて
漁業の
民主化をはかるという、実に高遠な
理想を盛り込んでおるのであります。この
考え方に対しましては、私はきわめてけつこうだと思うのであります。しかも現在あらゆる点で行き詰ま
つておりまする
漁業秩序を改めまして、
漁民の意識によ
つて、
漁民の
ための新しい秩序をつくりあげるということの基本的な
考え方でありますから、まことに私としては異論もないところであります。しかし要するに、これはきわめて
理想に過ぎるようなきらいもなきにしもあらずでありまして、この
運営をきわめて適切にするかしないかによ
つて、この
民主化ができるかできぬかのわかれ目になると、私は非常にその点に重点を置いて
研究を続けたつもりであります。
従つて体験を基にしまして、逐條的に実際の処分をする場合を予想しながら、これを検討してみたわけであります。相当各
條項に起案者の御苦心の
あとは見えますけれども、私としましてはさらに数項の修正を希望せざるを得ないのであります。時間がありませんからごく簡単に申し上げます。
第一に、第十四條一項三号でありますが、「海区
漁業調整委員会における投票の結果、総
委員の三分の二以上によ
つて漁村の
民主化を阻害すると認められた者であること。」これに該当しますとオミツトされてしまう。いわゆる不
適格者にな
つてしまう。これは私自身としましては、結局これに該当する者は事実上ない。
北海道の例から申しますと、ほとんどないというように私は
考えるのであります。
従つてこの
條項を置きますことは、いわゆる民主
国民とする啓蒙的な事項であればまた別ですが、これはいたずらに論争を繁くするだけで、大した実効がない。なぜそう言えるかといいますと、万一この
條項に該当する者があると仮定しますならば、それはきわめて人格的にも劣等であり、しかも法治
国民としての第一條件を欠いておるような素質を持
つた人である。
従つて、それであるならば、おそらくはこの十四條中
——三号ではありませんが、一号、二号のうちに、つまり
漁業に関する法令の悪質違反者、あるいは労働に関する法令の悪質違反者であるというようなことに、その種の人は該当しているに違いない。おそらくはその一号、二号によ
つて、駆逐さるべき問題だ、整理さるべき問題だ。
従つてその
條項の活用によ
つて、
民主化を阻害する者は整理されますから、このような論争を繁くするものは削除してもよろしいと希望するものであります。
それから第十六條九項の、
漁業協同組合に
免許の第一
順位を與える、同時にこれに準ずる法人にも與えるという
條項でありますが、これは
理想としては、
協同組合の運動に当
つている
自分としては、ぜひ必要だと思います。しかしながらこの
條項だけで参りますと、先ほどの
公述人も言われましたように、この
法律を運用して来て、いわゆる非民主的分子の策動がないとは言えない、私は
協同組合運動に当
つておりますが、あくまでも穏健適正に、しかもわれわれの
理想に向
つて前進しようとしているのであります。従いまして、この
條項だけで行きますと、ある場合にはそういうとんでもない結果を招きますから、私はここに修正を希望するのであります。その末尾の方に「当該
漁業組合に対して、資本その他
経営能力ありと認める者」ということを入れたいのであります。こうしますれば、ほんとうにまじめな
漁業協同組合が、資本の蓄積をはかり、しかも相当の
経営能力ある者の人的構成などを
考えた場合、これは明らかに第一
優先順位を與えてしかるべきものだと思う。これを私は存置したいと思う。それと同時に、この
組合に準ずる法人に対しても、そういうふうな末尾の字句を加えたい。この字句は適当に御修正を願
つて御採用を願いたいと存じます。もしこの第一案がどうしてもいかぬという見込みの場合には、第二案を持
つております。この法文全体を見ますと、ある場合にはイデオロギーに走り過ぎ、
原則論にとらわれ過ぎている。たとえば
漁業協同組合を
漁業権を與える管理者としては認めておらない。それは
漁業権の貸付を禁止する
條項に反するからという
原則論を固執しておる。私は
漁業協同組合の将来の発展の
ためのはけ口を與えてやるべきだと思う。その
意味からいたしますと、法條の中に同種の
漁業権が不当に集中する場合の排除規定がありますが、その場合、たとえば
北海道の例で申しますと、ある会社の
自営の
漁業百箇統ある。これが不当に集中する場合において、五十箇統に
制限されるかもしれない。その
制限されたものは別に会社以外のものが使
つているわけではないから、それらはその地元の関係
協同組合に管理せしめまして、しかも例外として貸付を認めるということにして行きますと、
漁業協同組合がみずから仕事をする條件が完備した場合、ただちに
自営に入り得る。私はこれが一番妥当ではないかと思う。もう
一つは相続によ
つて得たところの
定置漁業権をそのものが
適格者でない
ために譲渡しなければならぬということがありますが、そういう場合におきましても、これを
漁業協同組合に管理せしめる。それから抵当権によ
つて強制執行を受ける場合におきましても、それもやはり管理者としての
漁業協同組合に移管する、こういうような道を
考えますと、
漁業協同組合の
自営に対する機会も将来生れて来ると
考えますので、第二案としてつけ加えて申し上げます。
それから第二十一條中
定置漁業権の存続機関を五年としておりますが、これは短かきに失すると私は思う。この立案者の
趣旨は、
漁業権の固定化を防ぎ、すべての海況の変化に応じて、合理的な内容とする
ために、
免許する者を固定せしめずに、常に高度利用をはかる等の
目的に沿う
ため、長くしてはいけないという純理論に立脚した規定だと思う。しかし一応これは合理的には見えるが、
定置漁業が非常に深い
経験と多額の資本を要し、しかも常に
漁業の豊凶に支配されている今日、
漁業保險でもあ
つたらそんなでもないが、そういう制度が今日ない限り、このような不合理千万の中に
経営をする
定置漁業権の
存続期間を、きわめて短く押えることは、理論に走
つて漁業というものの本旨を没却するものだと私は
考える。つきましては、ここに常識的に
考えましても、
北海道あたりの例で申しますと、
経営安定の一周期と
考えられる十年を
存続期間として認めるよう修正方を希望するのであります。たとえばさけ、ます、
にしんなどにつきましては、五年ということにな
つておりますが、五箇年ではきわめて不安定でありますので、十年くらいにするのが一番安定性を確保するのではないかと思います。これは二十年にいたしますと立案の
趣旨からあまり遠くなりますから、私は十年説を主張するものであります。担保性の増加についても五年では現在ほとんど担保力がありません。現准
北海道の担保は約一割だけありますが、実質上金融の場合におきましては、抵当権を設定しなくとも、
漁業権の
免許期間が長いということが、当事者に非常に安心感を與えておるのですから、担保性の増加、それから行政費の軽減につきまして、五年ごとにこれをやられては実際たまりません。国家としてもきわめてたまらぬ。それでどうしても担保性の増加と、行政費の軽減という
意味から見ても、やはりそういう効果がありますから、十年説を主張します。
第六十五條によりまして、主務大臣または都道府県
知事が、
漁業調整の
ために必要な命令を出すことにな
つておりますが、これは
知事が命令を出します場合には、当該連合海区
漁業調整委員会の
意見を聞きます。しかし大臣が命令を出す場合になりますと、中央
漁業調整審議会に諮問するらしくありますが、きわめて不明確だ。はつきり諮問すべしということはない。これを
考えました場合、この
法案全体に現われる、いわゆる
漁業権にはきわめて力を入れておりますが、
許可漁業に対してはま
つたくそれをらち外に置いておる。きわめて軽くこれを一蹴しておる。これは私の非常にふに落ちない点であります。ことに
北海道あたりの勤労
漁民にとりましては、むしろ
定置漁業によ
つて保護されるよりも、いわゆる沖合いないし遠洋に進出する
許可漁業の
利害関係というものが、重大なものであります。これに対して当局がきわめて軽く扱
つたということは、私はその意を知るのに苦しむものであります。ぜひこれは適当な、本
漁業法案に流れる精神を、
許可漁業においても十分生かすようにおとりはからいを願いたいと思います。
その次は
漁業調整委員会の制度でありますが、これはきわめて
本案全部に流れる大きな問題でありまして、いわゆる
委員会システムと申しましようか、それによ
つて高度の
理想を織り込んだ
法律を動かそうとするのでありますから、この
調整委員会が適法に動くか動かないかということが、この成否を決することになります。しかもこの
法律全般を見ますと、きわめて難解である。今日の
漁民意識におきまして、この
法律を理解する者は何人あるかと、私は非常に心配しております。そういうことになりますと、いろいろ運用に当る
調整委員会がきわめて大事だということになります。
従つて調整委員会に人材を得るということが、たいへん困難なことになります。それで私は、この法令周知と、各種の場合の監督に対して、十分なる
責任ある当局の万全策を要望するものであります。そこで
北海道の例になりますが、
北海道におきましては市町村に海区
調整委員会を置く。市町村に海区
漁業調整委員会を置かれますと、市町村には十名の適材を得がたい事実があります。しかも
学識経験者が二名、公益
代表者が一名というものを、市町村からとるということは実際不可能なことであ
つて、ほんとうに重大な使命を果し得る
調整委員会の構成者には向かない。私は少くとも
北海道の支庁単位ぐらいに区域を広げまして、その広い海区から、できるだけ高度の、いわゆる民主的な、事に理解のある人たちを集めまして、そうして
理想を盛り込んだ
法律の運用を、誤らないようにしたいと思うのであります。ことに人間の悲しさに、小さい
——つまりすぐ目の前におるものに対しては常に感情に支配されやすいことが、われわれ人間の共通的な欠陷であります。どうしても広い地区から持
つて参りますと、そうそう一々感情に支配されたり、あるいは情実に左右されることがないということを私は信じますから、ぜひ
法案のそういう一部を修正していただきたい。
次に第七十五條における
免許料及び
許可料の関係でありますが、これは
補償金の交付に使うのはやむを得ない。しかしこれが行政費に使われるということに至
つては、私は非常にびつくりしたわけであります。大体農地調整法は、私は詳しく知りませんけれども、農地調整法の行政費は国庫負担のはずだ。しかるに
漁業のみが、何がゆえに行政費を負担せざるを得ないのか。ややともしますと、全体の人々は、
漁業はぼろいという誤れる常識によ
つて片づけるから、こういう間違
つた不公平な案か出て来ると思います。
漁村の今日の窮乏はそのようなものではない。どうしても公平な見地に立
つて、国庫負担に修正をお願いします。
最後に、
水産業協同組合法は、先般皆様の御盡力によ
つて実施期に入
つております。しかし
漁業法が唇歯輔車の関係にありながら、いまだに審議過程にある。非常にめんどうでむずかしい立法でありましようが、何とかすみやかに御
研究を進められまして、一日も早く
漁村の
ために御公布になられますように、御盡力をお願いいたします。簡単でありますが、これで終ります。