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山本参考人 承知いたしました。そこで私は実は北海道の
定置漁業の沿革史を申し上げる前提といたしまして、今引例をしたのでありますが、従いまして国内の人口がふえて参ります。このはけ口をどこに求めるかというようなことにな
つたのでございましようが、本州の北の方には、その当時えぞ地という相当広汎な物資、資源の豊かな土地がある。この方に向
つて進んだならば、必ずこの窮地を脱するはけ口があるのじやないか、かように考えられました結果、しからばどういう人間を向うにや
つたらいいか、それにはまず第一に船に乗れる人間でなければ渡れません。あそこには津軽海峡という大きな障害がありますので、まず第一に船に乗れる人、それから向うに着きましても、すぐに食糧の輸送ができませんから、野放しにしておいても死なないような人間ということを考えますと、これは漁師が一番適当ではないか、こう考えられたのであります。従
つてわれわれ
漁民の先祖が、まずその特攻隊になりまして、海を押し流されながら向うに渡りまして、大いに海岸伝いに奥地に進出して、今日の北海道開発の礎にな
つたのは、われわれ
漁民の先祖の努力であると私は信じて疑わないものであります。
そこでこの
定置漁業権の問題になりますが、最初は、もちろん私
たちの祖先は、
漁業資材な
どもございませんから、あるいは手やりであるとか、竹かごとかというものを用いまして、大いにその地方に寄せ集まる魚をと
つてお
つたのでございましよう。それがだんだん改良せられ、あるいは刺網にもなり、角網にもな
つたのであります。その当時の角網はいきなり綱と申しまして、人が立
つているところでもかまわず、そのままおつかぶせるとか、
海上は非常に混乱をきわめてお
つたそうでございます。毎日流血の惨事に見舞われてお
つた。これではいかぬというので、自分の本拠をまず土台にして、お前はここの土地に綱を立てろ、お前はこつちだ、君は向うでやれというので、一定の場所を與えられて、これが
定置漁業にな
つたのだと私
たちは先祖から聞いております。しかしここでひ
とつお考え願いたいのは、せつかく位置は指定されましても、海の底はこの東京の市中のように鋪装され、平坦ではありません。大きな岩も、大きな石もあります。そういう所にわれわれの先祖は綱を立てに行く。あるいは自分で入れない所は違く小樽、函館方、面より潜水夫を雇い入れまして、網をすえつけられるようにこしらえたのでございます。それも一代では、できないで、その息子に譲り、さらにまたその孫に議るというように、船業権をいただいたのは、無償でいただいたように言われる方もございますが、これに要した費用は実に莫大なものでございます。私はあそこにおきまして、ちようど私で四代この
定置漁業の
経営をしておりますが、どうやらこうやら満足に網をを立てられましたのは、ちようど私の親の代だ
つたそうでございます。そうしてようやく私の手に移りまして、どうやらこれから本格的に力を入れて、大いに
生産増強に当ろうと思うやさきにおきまして、いろいろと社会の情勢がかわ
つて、少し待
つたというような号令がかか
つたのであります。はたしてこうした状況にあります
定置漁業権が、こうした
方法によりまして再配分されるということが、現下の厳正なる意味における民主主義のやり方であるかどうかということを、もう一ぺん賢明なる先生方に御再考を願いたいと思うのでございます。
次に逐條的の問題に入
つて行きますが、この第一の優先順位の問題でございます。これは先ほど以来申し上げましたように、私の方の町で、
沿岸八里にわた
つておりますが、この町だけでもにしん
定置漁業は百箇統余りございます。しかも先ほど以来休業統というようなことも言われておりますが、北海道には特に繁殖保護規則が施行せられておりまして、その関係上、立てたくても、立てられない、強制的に休業させられておる場所もあるのであります。そういうふうな関係で、私
たちの町では、ただいま約九十箇統立て込んでおりますが、これに要しまする費用は、現在の漁船、並びに海面の施設をそのまま使
つたといたしましても、その
経営費に少くとも一箇統七十万円はかかる。幸いに中央金庫を通じまして、本年は一箇統当り十五万円の
漁業資金の
貸付を受けられましたが、残余の約五十万円に余るものは、
自己資金を使
つたのでございます。その
自己資金を獲得するにあたりましては、いろいろと艱難辛苦もございますが、とにかく何とか自分
たちでも
つてくめんをして立てたのでございますが、この
修正案にもありますように、もし優先的にこれを
漁業協同組合にやるといたしましても、われわれ地方におけるのみの
漁業資金さえも、すでに一箇統五十万円たらず、まいの五十万円にいたしましても、四千五百万円の
漁業資金はいるのであります。こんなような莫大な資金、しかもその間にはさけ、ます、さば、その他たくさんのいろいろな種類の
定置漁業権がございます。こんなものが一ぺんに
漁業協同組合にころげ込みましても、とうていその資金のまかないはできるものではございません。御承知の
通り、
漁業協同組合は、
加入脱退は自由であります。しかも有限責任でありまして、こうしたような
漁業資金のくめんは、一体だれがするのか。どんなぐあいに、どんな
方法で持
つて来るのか。
漁業は絶対にもうかるものである、決して損をするものでないという建前から申しますならば、あるいは
金融機関で貸してくれましよう。しかし私は、私の代になりましてからは連続三箇年、にしん一尾もとらないでえらい苦労したこともございます。そういう歴史を持
つておりますが、
個人的の
経営でありました関係上、親戚、知己あるいは友人等の援助によりまして、どうやらこうやら持ちこたえて来たのではございますが、これが
一つの団体となりますと、とうてい維持することはできなくなる。もう
加入脱退自由でありますから、もぬけのからの
協同組合が現出されるのではないか、かように考えておる次第でございます。従いまして、しいて優先順位をつけなければならぬという御規則ならば、ここで声を大きくして言いたいことは、
漁業協同組合とかあるいは
個人とか言わずに、ほんとうに自営のできる、力のある、しかも
漁業に長い
経験と知識を持
つておる、
生産の拡充のできる適格者にこれを與えるのが、ほんとうの民主主義的の
方法でないか、かように考えております。
時間がございませんので、どんどんはしよ
つて行きますが、第二番目の問題につきましては、いろいろと
漁業権を十分に活用するにあたりましては、ただ船や綱のみがあ
つたのではいけないのです。海面施設には相当いろいろな施設を要します。従いましてこの免許期間を三年や五年頂戴いたしましても、十分にその施設をすることができない関係上、
漁獲も十分にできない、かように思われるのでございます。そういうような関係上、今まではこの免許期間が二十箇年であ
つたのでございますが、二十箇年はあまりに長いと言われますならば、せめて十箇年、十箇年はどうしてもいただかないと、十分な施設はできない、かように考えておる次第でございます。
第三の
漁業証券の問題につきましては、これは劈頭より私は、乱暴しごくのものだと断定するものでございます。どこの世界をさがしましても、こういうときにあたりまして、人のものを三十箇年の、しかも今経済状態の変動の激しい時期にあたりまして、三十箇年の先つけ小切手—その間に年々償還はするのでございましようが、そういうものを與えて自分の売る品物は現金だ、こういうような取引はどこの国をさがしてもないものだと私は信じております。どうぞ賢明なる諸先生方には、こうした漁師を困らせるような案は撤回されまして、買うものも売るものも現金というようなあんばいにや
つていただきたいと思います。
どうもいろいろ取りとめのないことを申し上げて、たいへん時間をつぶしまして恐縮いたしました。