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龜山参考人 お尋ねの点二つあるかとも思いますが、前の方は、
ノーベル賞に政治的な意図があるかどうかというお尋ねで、もしあるならば、私はそういうことがあるということを
知つておりません。それはインドの人でももら
つた人がありますし、それからまた
日本の人が今までもらわなか
つたということにつきましても、そうむりでないと言えるか、とも思うのでありますが、この
湯川さんの業績などは、非常にはつきりわか
つてけつこうですが、大体
日本人の
論文は
日本語で書かれて、なかなか向うによく徹底しておらぬということもあります。
日本人もまた業績をそう外国へどんどん発表しておるという
——これも相当あることはあるのです。しかし私の言いたい最大のことは、どうしても外国人が
日本をよく知らないということです。それでたとえば一つの例を申しますと、
湯川さん及び
理論物理学関係者でも、ドクター・ケリーというのは、今占領軍の中の
科学技術の方のチーフをや
つている、この
人たちが、
日本には非常に進んだ
学問の
分野があるということを認めまして、そうして
アメリカに行
つてそれを
お話する、またオツペンハイマーという方が
原子核物理学の話をしても、その四分の一ぐらいは
日本の業績などを話しているというくらいに認めておる。しかし一般の人々は、いやあれは
日本びいきの
人たちが言うだけだろう、こう感じていまして、そう深く
研究した上で
日本の業績がないのだとか、あるのだとかということはない、そういう状態である。今度
ノーベル賞をもら
つたにつきまして、ドクター・ケリーなども非常に喜んで、自分が一生懸命に
言つて、そうして説明しても、そうかとは言いながら、いやあれはひいきだろう、こう思われる点が若干ある、ところが全然第三者であるスエーデンの
学士院で選んだ、これは最も公平ではないかということで、その前
湯川さんなどが
アメリカのアカデミーのメンバーに、フオーリーン・メンバーに選ばれました。これはイギリスのデイラツクと
湯川と二人、ま
つたく業績によ
つて選ばれた、これらをだんだん向うは認識している。そういうわけで、私の考えますのには、政治的な意図はないけれども、
日本を十分に
研究しておらないということであ
つて、業績があることを知りながら、政治的意図でとめていたというほどのことは、ないのだと私は思います。
あとのノ
ノーベル・プライズに値するような方々があ
つたのではないだろうかという
お話もありまして、多少心に浮ぶ方もありますけれども、それは差控えたいと思います。