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1949-11-30 第6回国会 衆議院 考査特別委員会 第10号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十四年十一月三十日(水曜日)     午後三時三十六分開議  出席委員    委員長 鍛冶 良作君    理事 大橋 武夫君 理事 内藤  隆君    理事 吉武 惠市君 理事 大森 玉木君    理事 木村  榮君       菅家 喜六君    福井  勇君       加藤 鐐造君    坂本 泰良君       橋本 金一君    神山 茂夫君       小林  進君    岡田 春夫君       浦口 鉄男君  委員外出席者         参  考  人         (日本学術会議         副会長)    仁科 芳雄君         参  考  人         (日本学術会議         会長)     龜山 直人君         参  考  人         (日本学術会議         会員)     武谷 三男君 十一月二十八日  委員横田甚太郎君辞任につき、その補欠として  神山茂夫君が議長の指名で委員に選任された。     ————————————— 本日の会議に付した事件  湯川秀樹表彰の件  永井隆表彰の件     —————————————
  2. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 これより会議を開きます。  まず湯川秀樹表彰の件及び永井隆表彰の件につきまして、お諮りいたします。  以上二件につきまして、事務局における基礎調査も一応終了いたしましたので、本委員会において、正式に調査に着手いたしたいと存じますが、御異議ございませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 御異議なきものと認めます。それではさよう決します。  なお湯川秀樹表彰の件につきましては、本日日本学術会議会長龜直人君、同じく副会長仁科芳雄君、日本学術会議会員武谷三男君以上三君を、永井隆表彰の件につきましては、十二月一日午後一時より、カトリツク教神父田川房太郎君、元九大助教授石川敏雄君、厚生省児童局長小島徳雄君、評論家中島健臓君以上四名を、それぞれ参考人として出頭を求める手続をいたしてありますが、以上七名を参考人として決定するに御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  4. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 御異議なきものと認めます。それではさよう決します。  それではこれより湯川秀樹君の表彰の件につきまして、参考人より御意見を承ることといたします。  参考人の方々に申し上げます。本日はお忙しい中をわざわざ御出席くださいまして、ありがとうございました。実は本考査委員会におきまして、その調査項目の一といたしまして、文化科学技術等発達に寄與し、もつて日本再建のため多大の貢献をした諸行為を調査するということがあるのでありますが、先般ノーベル賞を受けることに決定いたしました理学博士湯川秀樹表彰の件につきまして、本委員会において調査することに決定いたしましたので、本日皆さん御足労願つたわけであります。われわれには専門知識はありませんから、あなた方からお教えを受けるためにお願いしたわけでありますから、どうかそのおつもりで、忌憚ない御意見を承りたいと存じます。御意見を承りまする順序は、仁科さんついで龜山さん、かようにいたしますから、まず仁科さんからお願いします。
  5. 福井勇

    福井委員 ちよつと進行上のことについて……。考査特別委員会設置に関する決議案の第二項第二号にある、科学文化技術についての貢献に対する表彰の問題については、今回が初めての正式の委員会だというふうにとつてもいいと思います。なお湯川博士の赫々たる功績についての委員会でありまして、本日お忙しいところ龜山仁科博士おいでになつたにつきまして、従来この委員会では皆さん承知のように、証人という言葉が使われておりましたが、証人という言葉は従来の社会通念では、犯罪などに多少関連のある人も証人というふうになつてつた懸念もありましたし、先般考査委員長がいろいろ心配されて、今回初めて表彰という意味で、また最も崇高な学術上の問題でお話を聞くという点で、どういうお名前でお招きしたらいいだろうかということで、名前について苦心があつたということを、御両人にも敬意を拂うために申し上げておいた方がいいと思いますので、蛇足でありますが、一番先にちよつと申し上げておきます。
  6. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 参考人ということにしておいたのですが、それでいいのでしよう。
  7. 福井勇

    福井委員 けつこうです。御両所にそれが徹底してないと礼儀を失するかと思いましたので……
  8. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 普通ここでは証人として聞くのですが、証人は、証人が経験された事実を承ることが主なものですが、これはあなた方のこれらに対する專門的知識及び御意見等も承ります関係から、かたい意味ではなくて、参考人として承るわけで、かように考えていただいていいと思います。どうぞそのおつもりでお願いいたします。  それでは仁科芳雄さんに承りますが、あなたは日本学術会議会長であるということでありますが、間違いございませんか。
  9. 仁科芳雄

    仁科参考人 間違いありません。
  10. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 なお科学研究所等関係しておられるようでありますが、どういうところに御関係になつておいでになりますか。
  11. 仁科芳雄

    仁科参考人 私は株式会社科学研究所の社長でございます。
  12. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 そのほかは何か学会等には御関係はございませんか。
  13. 仁科芳雄

    仁科参考人 学会はいろいろの数個の学会会員でございます。
  14. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 どういうようなものですか。
  15. 仁科芳雄

    仁科参考人 日本物理学会電気学会電気通信学会その他ありますが、はつきり記憶しておりません。
  16. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 けつこうです。あなたの学者としての專門はどういうことでございますか。
  17. 仁科芳雄

  18. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 ただ物理学だけですか。
  19. 仁科芳雄

    仁科参考人 学問としていたしましたのは、物理学でございます。学生のときには電気工学を勉強しました。現在ではもう物理学はほとんどやつておりません。
  20. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 物理学中には、何か電気物理というのがあるのではありませんか。
  21. 仁科芳雄

    仁科参考人 特にそういう名前をつけておる分野はないと思います。
  22. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 電気物理学のうちに入つておるわけですか。
  23. 仁科芳雄

    仁科参考人 物理学電気を取扱う部門、つまり分野があるわけです。
  24. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 あなたは理学博士湯川秀樹君を知つておいでになると思いますが、どういう人物とごらんになつておりますでしようか。
  25. 仁科芳雄

    仁科参考人 入物という意味は……。
  26. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 学者的の……。
  27. 仁科芳雄

    仁科参考人 紳士であると思います。
  28. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 あなたとはどういう関係の方なのですか。
  29. 仁科芳雄

    仁科参考人 私が湯川君を知りましたのは、昭和四年か五年か、その辺だと思います。私が京都大学臨時講義をしに行つたことがあります。そのとき湯川君は大学院学生であつたと記憶しております。講義を聞きに来ておつた関係上、あとで私の宿屋に来たりなんかして、話合つたことがあります。それが初めてであります。それからずつと今日に至るまで、いろいろと学問上のこと、その他のことについて交渉があるわけです。
  30. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 何か共同研究をするとか、または授業を一緒にやるとか、教えるとかいうような関係はございませんでしたか。
  31. 仁科芳雄

    仁科参考人 いわゆる普通の意味共同研究と言われる、つまり一緒論文を出すとか、そういうことは特にありませんでした。
  32. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 仕事の方は……。
  33. 仁科芳雄

    仁科参考人 ただわれわれの專門の方に興味を持つ人たちで、自然に一つのグループができまして、そして寄るといろいろ問題を議論する、そういうグループのメンバーといいますか、その一人であつたわけであります。
  34. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 湯川博士專門は何でございますか。
  35. 仁科芳雄

  36. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それから湯川博士学位請求論文をお出しになつたときの題目は「素粒子相互作用について」ということであつたと聞いておりますが、その通りですか。
  37. 仁科芳雄

    仁科参考人 私は湯川君がどういう論文によつて博士請求をせられたか、それはあとになつて知つたわけでございます。あとになつたというのは、人から聞いて知つただけでありまして、実際その論文であつたかどうかということは、実は確かめておりません。今のお話論文は、これは今日ノーベル賞を受けられた論文でありまして、当時それが学位論文となるということは考え得られることであります。
  38. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 その後湯川博士学問的の発展とでも申しますかは、やはりこの「素粒子相互作用について」ということが基礎になつておるものでありますか。
  39. 仁科芳雄

    仁科参考人 その通りであります。これについては、むしろ今日参考人としておいでなつでいる武谷君からお聞きになつた方がいいだろうと思います。
  40. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 その後湯川博士が、中間子存在に対する予言ということになつたそうですが、その予言基礎もやはりここから来ておるものでありましようか、また別のものでありましようか。
  41. 仁科芳雄

    仁科参考人 その点はその後でなくて、先ほどのその論文の中に、そういうことが予告してあるわけであります。
  42. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 そうすると、こういうものの発見とでも申しますか、これは、やはり湯川博士独自の研究によつて発見されたものなのですか。
  43. 仁科芳雄

    仁科参考人 実験のときの発見は別の人がやつたわけであります。理論的な予告を湯川君がやりました。実験的な証明は最初にアメリカでやられたわけです。アメリカの人はもちろん湯川理論があるということを知らないで、実験的にこういうものが存在するということを実証したわけなのです。それがつまり湯川君の理論実験的に裏づけた、こういうわけであります。
  44. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 あなたは何か新荷電粒子とかの存在を実証する研究に従事せられたことがあるとかいうことですが、その通りですか。
  45. 仁科芳雄

    仁科参考人 湯川君の理論予言せられたものを新荷電粒子ということにしますと、その研究に従事したことはあります。
  46. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 新荷電粒子というのは、湯川さんの研究……。
  47. 仁科芳雄

    仁科参考人 一番初めにアメリカの人がそういうふうな発見をしましたから、それを私はどこかの通俗雑誌か何かに書くときに「新荷電粒子発見」という題で書いたことがあります。
  48. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 そうすると新荷電粒子というのは、中間子、の存在……。
  49. 仁科芳雄

  50. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それと同じものなのですか。
  51. 仁科芳雄

    仁科参考人 そうです。その当時新しかつたから、新という字をつけたわけであります。
  52. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 そうするとまつたくこれは湯川さんの理論に基いてあなたが研究なさつた、こう聞いてよろしいのですな。
  53. 仁科芳雄

    仁科参考人 そう考えていいかどうか——つまり一方湯川君の理論というものは、われわれは前から進荷電粒子言つて、その実験を始める前からずつと知つてつたわけです。われわれはそういうものの実際存在するかどうかということについては、ずいぶん長い間いろいろ考えておつたわけであります。宇宙線研究をずつと進めておりましたので、おそらくその宇宙線の中に含まれている粒子研究すれば、何かそういうものが出て来るのじやないかと思つて研究をずつと続けておつたわけなんです。そのうちにアメリカの方からそういう発表がありましたが、われわれも実験を続けてやりまして、このアメリカの人と似たような結果を出して、湯川粒子存在ということは確実である、こういう結論にわれわれも到達したわけであります。但しその新荷電粒子というものが今日になつてみますと、湯川君の予言したまつたそのものでは——つまり宇宙線の中に、今日われわれが地上で見、その当時われわれが見たものは、湯川君の理論予言せられたそのものではなかつたということがわかつたのであります。しかしそれは、湯川理論が何も間違つておるとか何とか、そういう意味ではない。たとえば最近になつて湯川理論湯川君が予言しておつたそのもの存在するということが、はつきり証明せられておるのです。そのほかにまた別なものがあつたのです。それと湯川君の予言したものとの間には、もちろん密接な関係があるわけです。
  54. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 湯川さんの言われたほかにあつたというのも、やはり新荷電粒子ですか。
  55. 仁科芳雄

    仁科参考人 そのころわれわれは新荷電粒子言つてつたのです。
  56. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 そうすると湯川さんのも新荷電粒子、そのほかのあなた方が発見なさつたのも新荷電粒子ですか。
  57. 仁科芳雄

    仁科参考人 湯川君が予言しておつたものが、実際はずつと後になつてはつきりわかつた、こう言つた方がよろしいでしよう。われわれがそのころ見ておつたものは、そのものではなかつた、こういうふうに考えていいと思います。ことにソビエトの物理学者は、それと同じような種類のものが三十幾種類もあるというふうなことを旨つておりますから、そういうことは何も湯川君の理論がどうこうという問題ではなくて、そういうもののたくさんあるということの示唆を與えたもの、こう考えるのであります。
  58. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 わかりました。湯川博士が今度受賞せられましたノーベル物理学賞対象となつた功績とでも申しますか、それは何であつたのですか。
  59. 仁科芳雄

    仁科参考人 それは先ほどお話のありました、学位論文となつたその論文であります。
  60. 鍛冶良作

  61. 仁科芳雄

    仁科参考人 そうです。
  62. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 ノーベル賞というのはどういうものなんです。
  63. 仁科芳雄

    仁科参考人 ノーベル賞というのは、前にノーベルが爆薬をつくりまして、それでそれが戦争に際して非常な惨害を及ぼす。それでいわば罪滅ぼしのために、そういう文化の卓越した功績——文化といいますか、その当時ノーベルの考えたのは、つまり物理化学、医学、文学、平和、この五つの賞を設けました。そして毎年そういうことに特に貢献した人にそれを與える。私はつきり何年から始めたかということを記憶しておりませんが、それでずつと今日まで行われて来た、そういうものであります。
  64. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 これはやはり今日の世界としては、こういう科学者として最も栄誉ある賞與となつておるものでありますか。
  65. 仁科芳雄

    仁科参考人 その通りであります。
  66. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 そうすると、湯川博士はその世界的の栄誉を得られた一人、かように考えてよろしいわけですね。
  67. 仁科芳雄

    仁科参考人 まつたくその通りであります。湯川君の仕事ノーベル賞に値するかどうかという問題は、少くとも私個人といたしましては、前から当然ノーベル賞に値するものだ、こう考えておりました。
  68. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 そのついでに承りますが、かつて長岡博士からも、ノーベル賞委員会とでも申しますか、そこへ湯川博士ノーベル賞を受けられるだけの価値のある学者であるという推薦をせられたとかというお話もありますが、御承知でありますか。
  69. 仁科芳雄

    仁科参考人 この間新聞で見て、初めて私伺つたのであります。それは毎年ではありませんが、各国学者に、ときどきノーベル委員会の方からそういうことを聞いて来る。それに対するお答えであつたのではないかと思います。
  70. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 こつちから進んでやつたわけではないのですね。
  71. 仁科芳雄

    仁科参考人 そうではなく、毎年ではありませんが、どういうふうにしてやつておるのか知りませんが、ときどき各国にそういう聞き合せをして来ることがあります。おそらくそれでお話があつたのじやないかと思います。これは長岡博士にお聞きになればわかると思います。
  72. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 その内容はどういうことであつたかは、御承知ありませんですか。
  73. 仁科芳雄

    仁科参考人 私全然存じません。
  74. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 湯川博士は、日本でも恩賜賞または文化勲章を受けておられるということですが、その通りでありますか。
  75. 仁科芳雄

    仁科参考人 その通りであります。
  76. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 恩賜賞文化勲章とは、どういう違いがあるのでありますか。
  77. 仁科芳雄

    仁科参考人 恩賜賞は、今日の日本学士院、元の帝国学士院の授賞でありまして、帝国学士院には恩賜賞学士院賞、その他の賞があります。それで恩賜賞が一番上のものというように考えられます。それから文化勲章は国家の勲章で、文化発達に卓越した功労のあつた人に與えられます。
  78. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それはどこでやるのですか。
  79. 仁科芳雄

    仁科参考人 賞勲局であります。
  80. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 この恩賜賞並びに文化勲章対象となつたものも、やはり先ほどのあの論文と考えてよろしいのですか。
  81. 仁科芳雄

    仁科参考人 まつたくそうであります。
  82. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 湯川博士は現在アメリカに滞在中であるそうですが、これはどういう関係から渡米せられたのでありましようか。
  83. 仁科芳雄

    仁科参考人 渡米せられたのは一年半ぐらい前でございまして、一昨年の九月であります。これはプリンストン大学にインスチチユート・アドヴアンスド・スタデイスというのがあります。これの所長のオツペンハイマーという人に招かれまして、一年間の契約で行かれたのです。それが済んで、今年の秋からは、コロンビヤ大学の方に客員として、一年間という契約で行つておるわけです。
  84. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 どういう目的なのですか。
  85. 仁科芳雄

    仁科参考人 どういう目的かということは、実は私はつきりわからないのでありますが、向うでいろいろの講義をしておられるようですから、物理方面素粒子理論的研究、そういうことに貢献するためと思つております。ことに最近の新聞でも読みますし、前からも話を聞いておりましたが、コロンビヤ大学原子物理の方の大きな研究装置ができつつあつて、もう間もなく完成するでしようが、それの理論的な問題について、いろいろ湯川博士意見を聞きたいという気持があつたのではないかと思います。というのは、そういう意味のことを向うで発表しておりますから。
  86. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 その学問はなおその後ずんずん進んで、大いに発展して行くものなのでしようか。
  87. 仁科芳雄

    仁科参考人 これは私一人の考えかもしれませんが、今日素粒子の問題は、ちようどあかつきの時代にあると私は考えております。今後多くの実験的事実が発表され、また新しい理論が提出されて、現在の理論とよほど様相のかわつた新しい理論ができて行くと思つております。
  88. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 なお「プログレス・オブ・セオレテイカル・フイジツクス」という雑誌がありまして、それを湯川博士が主催しておいでだというのですが、御承知でしようか。
  89. 仁科芳雄

    仁科参考人 知つております。これは元湯川君が主催して、京都大学の方で出しておつた。最近本屋の方が経済的に困りまして、これを日本物理学会が引受けて発行しておるわけです。しかしその主宰者はやはり湯川博士ということになつて主宰者はそのまま残つておりますが、出版だけ物理学会で引受けるという形になつております。
  90. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 これはどういう意義を持つている雑誌でありますか。
  91. 仁科芳雄

    仁科参考人 これはむしろ武谷博士からお聞きになつた方がいいと思いますが、日本理論物理学研究を網羅しておると思います。これは外国でも非常に賞讃しておるものでして、戰争中でも日本は、この方面では世界にさきがけて、いろいろの研究成果を出しているということを、事実の上に証明した雑誌であります。
  92. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 この湯川博士研究は、日本理論物理学界に対してどういう影響とでも申しますか、あるいは地位というものがあつたものでしようか。
  93. 仁科芳雄

    仁科参考人 先ほど申し上げたように、今日日本理論物理学世界で尊重せられているというのは、一にこの湯川理論が元になりまして、有能な物理学者がそちらの方に集まつて力を注いだ結果にほかならないのであります。先ほどその雑誌湯川君が主催していると申し上げましたが、それはすでに湯川君が中心になつて、そちらの推進をはかつた。ともかく日本物理学世界の第一線に押出したことは、湯川君が、その理論を出したことに基くと私は思つております。もちろん湯川君の周囲に集まつて、これを推進した人たち功績を無視することはよくないと思いますが、ともかくもそういう人たちが一体となつて進めたことが、今日日本理論物理学世界のそちらの方面において重からしめたことは、そういう共同の努力であると思います。
  94. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 かように承つて参りますと、湯川博士貢献は、日本学界に対する大貢献と同時に、世界学界に対しても大なる貢献をせられた、かように考えてよろしゆうございますか。
  95. 仁科芳雄

    仁科参考人 まつたくその通りであります。
  96. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 そのほか湯川さんのことに対して、御感想か何かございませんか。
  97. 仁科芳雄

    仁科参考人 大体私の今申し上げたことで盡しておると思います。
  98. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 あなたは日本学術会議の副議長でありますとともに、学士院会員でもありますね。
  99. 仁科芳雄

    仁科参考人 学士院会員でございます。
  100. 福井勇

    福井委員 理論物理大家仁科先生には、たいへんお忙しいところおいでくださいまして、私たち議員としては、あまりサイエンスの方に詳しくない者ばかりで、ほかに農業では小林君などの専門家もおります。あるいはこの方面では、神山君なども相当研究されておるようでありますが、概してワツトソンのプラクティカル・フイジツクの了解もつかないような者ばかりの集まりでありますから、愚問が出るかと思います。その辺はどうか御了承願いたいと思います。  このごろ議会の方では、湯川博士の問題を機会といたしまして、ほかの空気も非常にいろいろな面から刺激されている関係上、先ほども実は天然色映画について、田口さんという方が控室で三十分ばかり前に説明に来られましたし、また今ここでは大家をお招き申し上げてお聞きするときに、サイエンス関係のなかつた代議士諸公が、これに非常に勉強する気持になつておるこの空気が、私は非常にうれしいのであります。そういう関係で、どうかほんの少しの時間をさいていただきたいと念願する次第であります。  終戰後仁科博士が、今は通産省でありますが、商工省の方の一属僚の、二十二、三才の資金課の一事務官にまで行かぬ者に、科学研究の融資を懇々として、足を棒にして出頭せられておることを、私自身始終近々にまのあたりに見ておりまして、まことに日本科学についての見解が劣つておることを、われわれ科学技術者として残念に思つてつたのであります。  あまり前提が長くなつてはまことに申訳ないから、省略いたしますが、私たちはこの理論的物理学のうち、特に原子科学につきまして、私たち内閣技術院におりましたときに、これは原子爆彈ではありませんが、原子科学についての世界中の調査をいたしましたときに、私の記憶では、この原子科学のスタートはアメリカでなくて、一九二〇年ごろ英国のラザフオードから出発しているのだ。そしてその流れから西欧ではカイザー・ウイルヘルム研究所あたりのオツトハウエン、シユトラウスマン等がリードしておつて、その後金の力で、また非常に科学の理解の深いアメリカの方に移つて行つたのだということを聞いておりますが、その点は原子科学の面においてはいかがでございましようか。
  101. 仁科芳雄

    仁科参考人 まつたくその通りでございまして、原子の問題は大きくわけて二通りございます。御承知のように、原子はまん中に核がありまして、外側原子があるわけです。外側原子に関する問題、原子核そのものに関する問題と、二通りあるわけであります。外側原子の問題は、たとえば化学的結合とか、つまり化合物をつくるとか、あるいはそれを分解するとかいう問題、あるいはスペクトルを出すとか、いろいろな問題があるわけです。今日原子爆彈以来、特に一般の注目を引いている問題は、原子核の問題であります。この原子核の問題が一番初め問題になりましたのは、結局放射性の問題であります。つまりキユーリーに始まるラジウムの発見ということから、だんだんと研究されたわけであります。その研究者の非常に卓越した者がイギリスのラザフオードで、それが一九三二年あたりになりまして、人工的に原子核をかえる、つまり原子核に変化を及ぼす手段をわれわれが結局持ちまして、それの研究は一九三二年以来どんどん進んで来たのであります。今日ではそれの研究に必要な設備というものは、厖大な設備を必要とするようになつて参りました。従つてそういうことは結局アメリカ発達させたわけであります。そのような設備の大きいものは、とうてい貧乏な国では行うことができないのでありまして、今日ではほとんどアメリカが、独占とは言いませんが、少くとも現在、先ほど申しましたコロンビア大学でつくつておるというようなもの、またカリフオルニア大学でつくつておるというようなもの、そういうものはとうていほかの国で行うということは、全然不可能ではありませんが、非常に困難である。そういう状況にありますから、自然とそちらの方面アメリカの方に移つて行くわけであります。ことに実験方面になりますと、これはもうほとんどアメリカの一人舞台のような感がしております。しかし理論の方になりますと、その出た結果を使つて理論の材料として新しく理論を組み立てて行くわけでありますから、これは必ずしもアメリカでなくてもできるわけであります。その例が日本素粒子の方の理論物理学者のやつておる業績に現われておるわけであります。ですから、やはりそういうふうにアメリカの方へ渡つてつたということは、お話通りであります。ただし理論の方は必ずしもそうではない。しかしもちろん実験の方が盛んなところに、どうしても理論物理学者も、それらの影響を受けて新しい仕事ができて行く、これは自然の勢いだと思います。  それからもう一つつけ加えておきますが、先ほど一番初めにお話のありました、われわれが皆さんのお役に立つならば、いつでも参つていろいろな説明を申し上げますから、決して御遠慮なく今後ともお呼び出しになつてけつこうだと思つております。
  102. 福井勇

    福井委員 もう一つ二つお伺いいたしたいのですが、これは教えていただきたいと思つております。現在原子爆彈を完成したのはオツペンハイマー、あるいはニールス・ボアだつたと思いますが——ニールス・ボアはコペンハーゲンで、おそらく仁科先生はお会いになつている方だと思います。あるいはコナントにしてもチヤデウイツクにしても、チヤデウイツクは死んでおりますが、コナントもアメリカにおりますでしようが、湯川さんはボアやアインシユタインやコナンドあたりの教えを受けたり、あるいは学問上のスタデイをされたという関係はございましようか。
  103. 仁科芳雄

    仁科参考人 そういう関係は、最近プリンストンに行かれてからは、アインシユタインともいろいろ話をせられていることと思いますが、それより前には、ボアが日本に来たときには会われたことはあると思います。しかしそれ以外には、今のお話人たちにはおそらく特に会つておられなかろうと思います。
  104. 福井勇

    福井委員 あなたが一番苦心しておつくりになつた設備のサイクロトロンでございますが、これは原子核破壊について日本の一番貴重な設備であつたのを、東京湾へ沈めたのでありますが、その後この問題は、中間子にも関連がありましようし、あるいはニユートロンにも関係がありましようが、あれは実際間違いで東京湾へ沈めたのでしようか。仁科さん御自身のお持物であつたので、その真相はその後どういうふうになつておりますか。
  105. 仁科芳雄

    仁科参考人 あのサイクロトロンをどういう理由でこわさなければならなかつたか、そういうことは、今日少くとも私の知る範囲ではだれも知らないと思います。ですから今日その理由を言い得る人はだれもいないと思つております。従つてそれが間違いであつたということも、ある人はそれは間違いだと言いましようし、ある人は間違いではないと言いましよう。何とも言えない。何とも言えないというのは、その人によつていろいろ見解を異にするだろう、そういうふうに考えております。
  106. 福井勇

    福井委員 ありがとうございました。
  107. 小林進

    小林(進)委員 お忙しいところ失礼でございますが、先ほどのお言葉の中で、私の聞き違いかもしれませんが、アメリカ実験の結果、中間子でありますか、素粒子発見されたその実験の裏づけをする湯川理論というものが当時アメリカにはわからなくて、あと日本にその理論があつたということがわかつたのだというようなお言葉かと思うのでありますが、そうすると、アメリカ理論のないところに実験によつて発見した。そうするとその価値問題としまして、理論発見したものが優先をするのか、実験によつてその存在発見したものに価値があるのかというようなことがちよつと疑われるのであります。さつきのお言葉をいま一回わかりやすくお教えいただきたいと思います。
  108. 仁科芳雄

    仁科参考人 それは、たとえば湯川理論がなかつたとすれば、そういう新しい粒子発見したということが、おそらくノーベル賞をもらうことになると思います。しかしその前に、それを発見をした人が知ろうが知るまいが、とにかく理論がすでにあつたのですから、あつたとすれば、当然そのプライオリテイはその理論の方に行くわけです。ただし私の見解としましては、その理論の方のプライオリテイと実験の方のプライオリテイは、おのおの別なことで、どつちが早いというようなことは、つまり理論理論の中でいろいろなプライオリテイがある。実験実験の中でプライオリテイがある、この考えるべきだと思います。現にたとえばデイラツクの電子論というのがあります。それに従えば、電子の中でも陽電気を持つておるものがあるべきだという理論はすでにあつたわけです。このデイラツクの電子論は、そういうわけでデイラツクはノーベル賞をもらつております。それからそういうデイラツクの予言した電子論を発見した人もまたノーベル賞をもらつております。ですから、もしそれと同じようにパラレルに行くとすれば、アメリカで今の中間子発見した人もノーベル賞をもらうはずだと思いますが、この男はもう前にノーベル賞をもらつた男なのです。ですからもうもらえないだろうと思います。
  109. 小林進

    小林(進)委員 ありがとうございました。
  110. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それではお忙しいところをありがとうございました。  龜山直人さんですね。
  111. 龜山直人

    龜山参考人 そうです。
  112. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 あなたは学術会議会長であられますか。
  113. 龜山直人

    龜山参考人 はい、その通りです。
  114. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 そのほか学士院会員でもございますね。
  115. 龜山直人

    龜山参考人 はい、ついこの間なりました。
  116. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それから東京大学教授にも御奉職のようですが。
  117. 龜山直人

    龜山参考人 それは元来の本職です。
  118. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 そのほか何か学会等に御関係がござい事ますか。
  119. 龜山直人

    龜山参考人 たくさんあります。
  120. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 そのおもなるものを言つてください。
  121. 龜山直人

    龜山参考人 日本学会会員電気化学協会会員、写真科学会員、それらの会長をしたこともあります。そのほか多少縁の遠いのも二つばかりあります。
  122. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それであなたの専門の学問は何でございますか。
  123. 龜山直人

    龜山参考人 一番専門にしているのは、電気化学と光化学というものです。機械科学、ことにその応用の方をやつております。
  124. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 カガクはどの字を書くのですか。
  125. 龜山直人

    龜山参考人 電気化学化学で、それから光の化学です。その応用の方をおもにしております。
  126. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 物理学とこれとの関係はどういうことになるのでございますか。
  127. 龜山直人

    龜山参考人 物理学は、それらの学問には、ごく基礎のものが必要です。しかし今湯川さんなどの問題の原子核物理学などというものとは、私の専門としてはたいへん縁が遠いので……。
  128. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 先ほど仁科先生に聞きますと、物理学のうちに電気のこういうものがあるのじやないですか。これとまた違いますか。
  129. 龜山直人

    龜山参考人 違います。
  130. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 これは化学ですね。
  131. 龜山直人

    龜山参考人 電気化学というのは、簡單に申せば化学電気の間みたいなものです。
  132. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 この日本学術会議というのは、どういう目的のためにつくられておるものでございますか。
  133. 龜山直人

    龜山参考人 ことしの一月二十日に発足しまして、その目的は、日本科学技術発達させ、それから日本の国の内、それから外、つまり外国に対する日本科学の代表になる。
  134. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 代表者になる……。
  135. 龜山直人

    龜山参考人 ええ、そういう科学関係の機関として最高の機関です。それ自身研究所を持つたりなんかしているものではありません。いろいろ意見を言つたり連絡をしたり、そういうことをするのであります。
  136. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 湯川秀樹博士とあなたとは、どういう御関係でございましたか。
  137. 龜山直人

    龜山参考人 個人的に親しいということはありません。会えばお話もしたり、あいさつをしたりすることくらいはあります。それから湯川さんは日本学術会議会員でありまして、その点では知つてもおりますし、またそういう方面で多少の往復などをしておる、こういう関係であります。
  138. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 何か研究を共にするとか、教えるとか教えられるとか、そういう関係はありませんか。
  139. 龜山直人

    龜山参考人 ありません。
  140. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 このたび湯川博士ノーベル物理学賞を授興されたということでありまするが、その対象となつた学問並びにその学問学術上の功績とでも申しますか、そういうものはどういうものでございますか。
  141. 龜山直人

    龜山参考人 その方の専門家でありませんから、よくわかりませんけれども、先ほど仁科君の御答弁の通り思つております。
  142. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 素粒子相互作用ということでありますか。
  143. 龜山直人

    龜山参考人 つまりメゾンと称せられる中間子予言し、そしてこれが後に発見せられまして、その方の学問基礎を築いたというところにあると思います。
  144. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 表彰を受けるのは……。
  145. 龜山直人

    龜山参考人 はい。
  146. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 学問上の価値としてはどういう……。
  147. 龜山直人

    龜山参考人 非常に卓越した価値だと思います。その後もそのメゾンと称するものの研究が全世界にわたつて行われております。しかしもう少し私に意見を言わせていただけるならば、スエーデンのノーベル賞授賞の選考委員が選んだというのが、学術上の功績の判断の最高のものだ。私がここで湯川さんの業績を判断するよりも、ノーベル賞物理学委員会の判断の方が、一番世界で最高のオーソリテイを持つておると思います。
  148. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 これは日本人として初めてのことでございましたか。
  149. 龜山直人

    龜山参考人 そうです。
  150. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 いや物理学だけでない、すべてのものでノーベル賞日本でもらつた者はなかつたのですか。
  151. 龜山直人

    龜山参考人 そうです。
  152. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 そのほか湯川博士恩賜賞及び文化勲章を受けておられるそうでありますが、その通りでございますか。
  153. 龜山直人

    龜山参考人 その通りです。
  154. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 そしてその対象となつたものも、今あなたがおつしやいました素粒子相互作用ということですか。
  155. 龜山直人

    龜山参考人 その通りであります。
  156. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 そうしてやはり中間子存在ということになつておるわけですね。
  157. 龜山直人

    龜山参考人 はい。その通りであります。
  158. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 ここに昭和十五年の帝国学士院の授賞審査要旨というものをもらつて来たのですけれども、この五ページから八ページにわたりまして、湯川秀樹君の新粒子存在に対する予言、こういうものに対する授賞審査要旨、こうなつておりますが、これは今おつしやいました、この恩賜賞授興に対する授賞審査要旨なのでありましようか、御承知でございますか。
  159. 龜山直人

    龜山参考人 そのもの承知しておりません。これは今ここで何ページかを読む必要もないと思います。もうこの審査要旨の通りだと思います。
  160. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 これは恩賜賞なんですね。
  161. 龜山直人

    龜山参考人 はあ。
  162. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それから文化勲章恩賜賞については、先ほど仁科先生から承りましたが、その通りですね。
  163. 龜山直人

    龜山参考人 その通りです。
  164. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 ちよつと範囲の大きい問題でめんどうかもしれませんが、日本学術というものは、各部門において世界学界に対してどのくらいの水準にあるものでありますか。まあいろいろありましようが……。
  165. 龜山直人

    龜山参考人 学問種類がいろいろありますが、自然の、天然の真理というようなものは世界共通であります。が学問には非常に国内的な問題の学問もあります。それですから、世界的のレベルを比較する場合は、自然そのナチユラル・トルースというような基礎的なもの、理論物理学、数学、生物学、ことに遺伝学、それから化学というようなものは相当世界的でりつぱな業績をあげております。その中でも理論物理学、ことにその原子核物理学というものが一番進んでいると思います。おそらくそれに次ぐものは数学だろうと思います。
  166. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 この原子核物理学が、何か世界の水準に達しておるというのですか。ずつと上におるというのですか。
  167. 龜山直人

    龜山参考人 これは私よりも仁科さん、あるいは武谷さんのお答えの方がいいかと思います。しかし私の了解しておるところは、世界のリーダーの二、三の中の一国だと思つております。
  168. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それは湯川さんをもつてさように任ぜられるのですか。そのほかの一般を総合してでありますか。
  169. 龜山直人

    龜山参考人 日本理論物理学は、湯川さんがリーダーであると思います。しかしそれは孤立した一人の人ではなくて、そのリーダーに続くところの相当な学者が多勢おる。つまりすそ野に割合に広い山をつくつておる。こう思つております。
  170. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 そうしますと、湯川さんの学問というものは、日本学界において最高のものであることはもちろん、世界においても最高の一人であると考えてさしつかえないわけですな。
  171. 龜山直人

    龜山参考人 私はそう思います。しかしそれについては、ことに専門をひとしくしておられる仁科さん、あるいは武谷君にお聞きになつた方が適当ではないかと思います。
  172. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 なお湯川博士のこのたびのノーベル賞授賞に関連しまして、御感想なり、またこういうことがいいとかいうお考えでも何かございませんか。
  173. 龜山直人

    龜山参考人 それは大いにあります。私考えますのに、日本科学者の現在においてやるべきことは大体二種類にわかれると思つております。その一つは、日本の復興を促進させる。日本が非常な惨状にあるのを回復して、自分たちの生活を安定して、そうして食物なども得られ、そのもとに輸出もし、原料も買えて、みんなの生活を楽にするという国内的なことに直接間接に貢献することが、科学者の一種類の役目だと思います。もう一つの役目は、戰時中に日本の国民が野蠻人であり、非常に非文化的であるという汚名をこうむつております。それに値いすることもあつたかと思いますが、これから日本国の栄誉、日本国民の栄誉を再び回復しまして、平和国民としての仲間に日本国を入れるということが、日本科学者としてのもう一つの大きい役目だと思います。湯川さんの業績は、もちろん湯川さん個人のりつぱな業績でありまして、湯川さんがノーベル賞をもらつたことを、われわれがもらつたかのごとく感ずるのは非常に僭越だと思います。しかしわれわれ国民の中に、こういうりつぱな人があるということを証明することによつて湯川さんは日本の国威を相当あげた、日本国民の栄誉をあげたものと思いまして、その功績はりつぱなものとたたえてしかるべきかと思います。
  174. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 ほかに何かありますか。
  175. 木村榮

    ○木村(榮)委員 龜山先生に一点だけお尋ねしたいのですが、湯川博士のような世界的なお方を出した日本の現在の科学研究の面で、国として今までの研究なりに相当な援助を與え、あるいはまたそういう研究機関が国家的な予算において満足にやられておるかどうか。そういう点はどのようにお考えになつておりますか、承りたいと思います。
  176. 龜山直人

    龜山参考人 ちよつとお尋ねの意味がわかりませんが、今の研究機関が満足でないということですか。どうして湯川さんが出たかということでしようか。
  177. 木村榮

    ○木村(榮)委員 そのこともございますが、そのことはあと武谷先生にお尋ねしたいと思いますので、龜山先生には、現在日本の政府が各大学、あるいはまた民間的に研究のできるような大きな学問を、もつともつと助成し発展さすだけの設備、あるいは補助金とかが満足に——満足にとまでは行かなくても、あなた方専門家の立場からごらんになつて、相当行つているとお考えになつておるか、それとも至つて貧弱かというような点を承つておきたいと思います。
  178. 龜山直人

    龜山参考人 至つて貧弱だとはつきり思つております。それだけの返事でいいんでしようか。もしこの席を借りて申し上げるならば、もつと十分に研究機関を充実し、それから研究費も十分に出すべきだと思つております。学問は急にあしたから役に立つというものではないと思います。たとえば自分の家に生れた子供を、育てて一人前にするにも相当かかる。学問でもその結果が出て来るまでには、相当かかると思うので、国としましても、将来かくするために、また世界文化貢献するために、私の考えではナシヨナル・インカムの若干はさいて将来のために残す。こういうことがしかるべきだと思つております。今のはあまりに貧弱だと思います。ぜひもつとたくさん研究費も国が出し、また研究設備なども十分にしていただきたい。それからまた結果を実際に役立つようにしていただきたい。さつきからのお話で、アメリカでは非常な実験もでき、理論もある。日本ではそういうものなどなくて、そして理論的な研究ができない。しかしやはり理論的の研究実験的の証明とが一緒にあれば、これに越したことはないのです。ですから日本でも、やはり実験も相当にやれることが望ましいのでございます。ただ原子学、物理学実験アメリカにおいて非常に大きくなり、やはり国の富とのフアンクシヨンになる。非常に大きな設備で、今にわかにアメリカと同じようなものを望んでもむりかと思いますが、しかし元来理論物理学であつても、やはり一方に実験的な証明をすることはどうしても必要だと思うのです。ですから今の日本研究費及び研究施設の現状は、はつきり満足だとは言えないと申し上げなければなりません。
  179. 木村榮

    ○木村(榮)委員 もう一つだけ伺いたいのは、龜山先生は日本学術会議会長になつていらつしやるわけでありますが、そこで私たちが、湯川博士を今度国で表彰するような相談を今しておるわけでありますが、このことも非常に大事なことだと思います。同時に学術会議会長になつていらつしやる先生として、ただそういつたような湯川博士表彰するということだけでなしに、これをほんとうに裏づけするような、国の今の科学設備と申しますか、そういつたことに対しても、もつと積極的な裏づけをしなければ行き詰まつて来る。そういうふうに考えますが、その辺はどういうお考えですか、承つておきたいと思います。
  180. 龜山直人

    龜山参考人 そういうことは私は望ましいと思つております。しかしどういうことが湯川さんのこの功績の記念にふさわしいかということにつきましては、いろいろ御議論があろうと思います。私の考えますことを申し上げますと、何といつてもりつぱな学者が必要だと思うのです。それで湯川さんの記念に、方々に大きな研究所や何かをたくさん建てる。何十億あるいは何百億をかけて記念につくろうといつても、それはむりかと思いますが、私はどうしてもやはりりつぱな学者が必要であると思う。湯川さんなどは、やはりアインシユタインが来られたりなんかしたので、刺激を受けたというようなことを考えますと、どうかこういうようなプランはできないか。それはノーベル・プライズを得たような世界的な学者を年に数人——そう多くなくてもいいのですが、二人とか三人日本に呼び、それから日本からも、日本でナンバー・ワンと言われるようなりつぱな学者を外国に送りまして、日本文化貢献するということを示し、世界学問貢献できるような人が直接向うに行つて話ができるように、そういうフアンドを年た幾らかずつでも出せるというような記念になればいかがかと念願いたしております。朝永さんが船の三等に乗つて行かれたということは、新聞雑誌で見たのですが、せめてフアンドでもありまして、日本のりつぱな学者が外国に行くのを、そういう状態でなしに、心もからだも楽にして、向うへ行つて十分講演ができ、研究ができるような状態で送り出したいと思うので、そういう学者のエキスチエンジのフアンドでもできれば、これは非常にいい記念になりはしないか。古い話でありますが、イギリスで一八五一年に万国博覧会を開きまして、その記念というのが、方々の記念館ではなく、エイテイーン・フイフテイ・ワン・フアンド、そういうフエローシツプをつくりまして、ブリテイツシユ・エンパイヤの方々の国から学生が留学に来られる。エイテイーン・フイフテイ・ワン・フアンドというものは非常に大きなもので、やはり学者の養成ということ、そうしてりつぱな学者を呼び、外国に送るというのが、湯川さんの記念事業にでもなつて、年々数千万円か、一億ぐらいの金でやれたならば、いいのではないかというように思うのであります。一万ドルぐらいというと、三百六十五万円ですか。二、三人とすると、とにかく五、六千万円か一億ぐらいそういうフアンドがあれば、りつぱな人も二、三人は呼べるし、またこちらからもりつぱな人を送れる、そういうフエローシツプというのではない、やはり偉い学者のそういうような機構でも記念にできたら非常にいいのではないか、こう思つております。
  181. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それについて承りたいのは、何かこの間の新聞に、京都大学において湯川研究所をつくるとかいう計画があるということが出ておつたのですが、さようなことをお聞きになつておりますか。
  182. 龜山直人

    龜山参考人 それは聞いてはおります。それもけつこうなことだと思つております。
  183. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 ところがその研究所は、どういうものができる予定でございましよう。
  184. 龜山直人

    龜山参考人 そういう詳しいことは存じません。これは武谷さんの方があるいはよく御存じかもわかりません。
  185. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 内容はお知りではございませんか。
  186. 龜山直人

    龜山参考人 私、新聞で見たことぐらいなものでございます。大学、学術会議で聞きましたけれども、詳しいことは聞いておりません。
  187. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 ではよろしゆうございます。
  188. 小林進

    小林(進)委員 一つだけお聞かせ願いたいと思うのであります。これはせつかくの名誉賞に何か因縁をつけるようで、お聞きずらいのでありますが、このノーベル賞については、十年ばかり前でございますが、政治性があるというようなことを聞いたのであります。大体今まではノーベル賞の平和賞、物理賞、化学賞、その他の賞につきましては、黄色人種は入つていないで、白色人種だけである。もつとも最近になりまして、インドで二人ばかりノーベル賞をもらつた方があるそうでありますが、そういうことで、ノーベル賞には何か政治性があつて日本にも実はこの人の功績ノーベル賞に該当するぐらいの大きな価値ある仕事なのだ、こういうものがあるけれども、ノーベル賞の受賞には、どうもそういうことでもらえなかつたというような話も聞いたことがあるのでありますが、それに関連しまして、先生のお気持の中に、また過去のノーベル賞をもらわれた多くの方々に匹敵いたしまして、日本人の中にも、過去にやはりノーベル賞ぐらいに値する、あるいはもらつてもいいと思われる人があつたのではないかと思うのであります。こういうようなことがもしありましたら、ひとつお聞かせ願いたいと思うのであります。
  189. 龜山直人

    龜山参考人 お尋ねの点二つあるかとも思いますが、前の方は、ノーベル賞に政治的な意図があるかどうかというお尋ねで、もしあるならば、私はそういうことがあるということを知つておりません。それはインドの人でももらつた人がありますし、それからまた日本の人が今までもらわなかつたということにつきましても、そうむりでないと言えるか、とも思うのでありますが、この湯川さんの業績などは、非常にはつきりわかつてけつこうですが、大体日本人の論文日本語で書かれて、なかなか向うによく徹底しておらぬということもあります。日本人もまた業績をそう外国へどんどん発表しておるという——これも相当あることはあるのです。しかし私の言いたい最大のことは、どうしても外国人が日本をよく知らないということです。それでたとえば一つの例を申しますと、湯川さん及び理論物理学関係者でも、ドクター・ケリーというのは、今占領軍の中の科学技術の方のチーフをやつている、この人たちが、日本には非常に進んだ学問分野があるということを認めまして、そうしてアメリカに行つてそれをお話する、またオツペンハイマーという方が原子核物理学の話をしても、その四分の一ぐらいは日本の業績などを話しているというくらいに認めておる。しかし一般の人々は、いやあれは日本びいきの人たちが言うだけだろう、こう感じていまして、そう深く研究した上で日本の業績がないのだとか、あるのだとかということはない、そういう状態である。今度ノーベル賞をもらつたにつきまして、ドクター・ケリーなども非常に喜んで、自分が一生懸命に言つて、そうして説明しても、そうかとは言いながら、いやあれはひいきだろう、こう思われる点が若干ある、ところが全然第三者であるスエーデンの学士院で選んだ、これは最も公平ではないかということで、その前湯川さんなどがアメリカのアカデミーのメンバーに、フオーリーン・メンバーに選ばれました。これはイギリスのデイラツクと湯川と二人、まつたく業績によつて選ばれた、これらをだんだん向うは認識している。そういうわけで、私の考えますのには、政治的な意図はないけれども、日本を十分に研究しておらないということであつて、業績があることを知りながら、政治的意図でとめていたというほどのことは、ないのだと私は思います。  あとのノノーベル・プライズに値するような方々があつたのではないだろうかというお話もありまして、多少心に浮ぶ方もありますけれども、それは差控えたいと思います。
  190. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 よろしゆうございます。それではお忙しいところをどうもありがとうございました。  武谷三男さんですね。
  191. 武谷三男

    武谷参考人 はい。
  192. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 きようはお忙しいところをわざわざおいでを願いまして、ありがとうございました。  実は本考査委員会におきましては、その調査項目の一つといたしまして、文化科学技術等発達に寄與し、もつて日本再建のため、多大の貢献をした諸行為を調査するということがあるのでありますが、先般ノーベル賞を受けることに決定いたしました理学博士湯川秀樹表彰の件につきまして、本委員会において調査することに決定いたしましたので、本日皆さん御足労願つたわけであります。われわれには専門的知識がありませんから、あなた方からお教えを受けるためにお願いしたわけでありますから、どうかそのおつもりで、忌憚ない御意見を承りたいと存じます。  あなたの現職は何でございますか。
  193. 武谷三男

    武谷参考人 現職は、今のところ所属はございません。
  194. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 名古屋大学……。
  195. 武谷三男

    武谷参考人 名古屋大学は、この春まで講師でございましたが、現在はありません。
  196. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 この春までですか。
  197. 武谷三男

    武谷参考人 そうです。
  198. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それからそのほかどこか学校でも……。
  199. 武谷三男

    武谷参考人 いいえ、どこにも勤めておりません。私はもつぱら著述でもつて生活を立て、研究をいたしております。
  200. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 専門の研究は何をおやりでございますか。
  201. 武谷三男

    武谷参考人 専門は原子物理学でございます。
  202. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 これは先ほどから聞きました、理論物理学というのとは違うのですか。
  203. 武谷三男

    武谷参考人 原子物理学には、実験でもつて原子物理研究するのと、理論でもつていたしますのと、両方ございます。私は今は実験はやれない状態にありますが、前は実験もやり、理論もやり、両方いたしておりました。
  204. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 現在は理論の方が主ですね。
  205. 武谷三男

    武谷参考人 ええ、理論だけでございます。
  206. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 あなたは湯川博士とどういう御関係がございましたか。
  207. 武谷三男

    武谷参考人 私は昭和八年、大学の三年で湯川さんの量子力学の講義を聞きました。その後その湯川さんの弟子になりまして、あるいは大学の湯川さんの研究室の副手というような地位で、研究一緒にいたしました。
  208. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 そうすると子弟の関係ですね。
  209. 武谷三男

    武谷参考人 そうです。
  210. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 今度湯川博士ノーベル賞を授與されることになつたそうですが、その功績は何によつて與えられたものでありますか。
  211. 武谷三男

    武谷参考人 それは中間子理論を初めてつくつたということによります。
  212. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 この中間子理論というのは、前に湯川博士学位請求論文として出された「素粒子相互作用について」というのと、これはどういう関係にございますか。
  213. 武谷三男

    武谷参考人 その素粒子相互作用という理論が、まさにその中間子理論でございまして、素粒子相互作用と申しますのは、原子の核でございますね。原子のまん中に小さな、しかも原子の重さをほとんど全部持つているところの原子核というのがございます。その原子の核には、陽子と中性子というのがたくさんございまして、それが非常に強い力で結びついております。つまり普通の化学的な化合の力の十万倍くらいの非常な強い力、この強い力で結びついておりまして、その強い力の原因は何か、その強い力の原因が中間子である。つまり電子の二百倍くらいの目方を持つた中間子だ。そういう予言湯川さんが最初にやつたわけであります。
  214. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 このノーベル賞というのは、世界的に見てよほどいいようなものでありますか。
  215. 武谷三男

    武谷参考人 ノーベル賞は、もちろん世界学者の最高の栄誉であるということになつております。
  216. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 そうすると、湯川博士世界最高の栄誉を得られた。かように考えてよろしいわけですね。
  217. 武谷三男

    武谷参考人 そうであります。
  218. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 なお湯川博士恩賜賞文化勲章日本で受けられたことがあるそうですが、その対象となつたものも、先ほどの御説明の素粒子相互作用による中間子理論、こういうものであつたのですか。
  219. 武谷三男

    武谷参考人 そうでございます。
  220. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 この素粒子相互作用ということの学問的の問題は、その後理論的に発展せられるものでありますか。また発展するとすれば、いかように発展しているのでありましようか。
  221. 武谷三男

    武谷参考人 この素粒子相互作用中間子というものを予言されまして、それが現在素粒子論という物理学の中心をなしておりまして、現在この理論物理学素粒子論というものは、中間子を中心にして非常な発展をしつつあります。その発展した現在の素粒子——理論物理学の最も尖端である素粒子論の最も重要なきつかけをなしたのは、この湯川さんの論文でございまして、これを中心にいたしまして、素粒子物理学が非常に発展しつつある。先ほど仁科先生のおつしやつたあけぼのだというような時代であります。
  222. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 われわれはその発展というても実はわからぬのですが、発展するとすれば、どういうことになるのですか。
  223. 武谷三男

    武谷参考人 こう申しますと、大げさにお聞きになるかもしれませんが、物質の一番究極の要素は何かという問題が、ギリシャ時代から問題になつておりまして、今日やつとその問題にわれわれが密接に、その秘密に接近しているというふうに申すことができる。最初に湯川さんが、この素粒子相互作用というもので中間子というものを予言された。それからそれがきつかけになりまして中間子発見され、それからまたさまざまの中間子というものが導入され、現在この原子の核の中でどういう秘密があるか。つまり強い相互作用というものの秘密でございますが、それが非常に多種類中間子というものがどんどん発見されて来て、今までわかりかけて来たと思つたのが、まだもつと多くの秘密があるということがまたわかつて来たというような状態にある。そういうわけであります。
  224. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 この研究湯川博士の独自の研究の結果達せられたものでありますか。
  225. 武谷三男

    武谷参考人 そうでございます。
  226. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 しかし先ほど両先生のおつしやつたように、さらにこれに助力せられた周囲のいろいろの学者があることはもちろんでございましような。
  227. 武谷三男

    武谷参考人 はい。
  228. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 この湯川博士の「素粒子相互作用について」という論文日本物理数学学会というのですか、その記事に四次にわたつて掲載されておるそうでありますが、そういうことはございましたか。
  229. 武谷三男

    武谷参考人 そうでございます。
  230. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 そうしてその理論にあたつて、あなたなり及び坂田、小林というような方が協力されたということですか。
  231. 武谷三男

    武谷参考人 そうでございます。それは一九三五年、昭和十年の最初に出ました論文は、湯川さんの一人の名前で、それは素粒子相互作用の位置と、いう論文でございます。第二論文は一九三七年に坂田君と一緒になされた仕事で、これは第二論文、それから一九三八年に第三次論文、これが坂田君と私と湯川さんと三人の共著でございます。そうして同じ年にまた小林君が一人ふえまして、四人で第四次論文をつくつたわけでございます。
  232. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 これはやはり湯川博士論文基礎になつて発展して、そこまで来た、かように考えてよろしいのでしようか。
  233. 武谷三男

    武谷参考人 そうでございます。
  234. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 これは先ほどからたいてい聞きましたが、またあなたから承るのですが、この湯川博士理論物理学というものは、日本においてはどのような地位にあり、またどういう意義を持つておるものであるか。
  235. 武谷三男

    武谷参考人 日本でこういうすばらしい研究が突如としてできたということではないのでございまして、その前に長岡先生の原子模型、石原純先生のいろんなすぐれた理論物理学研究、それからさつき言つた仁科先生のクライン仁科方式という有名な業績がございまして、これは教授ボアのところでおやりになりました。そういう大体世界的水準の研究が、ずつとさきの諸先生方によつて行われました。そういうふうな地盤のもとにこういうりつぱな、もつと卓越した、すぐれた研究が出て来ました。私が一つ申し上げておきたいことは、湯川さんの研究は、外国に一度もおいでにならずに日本でそういうすぐれた研究をされた。同じことがその湯川さんを継ぐ者として、先ほど仁科先生は、宇宙線の中の中間子湯川さんが言つた中間子じやない、ほかのものであると言われた。そういう理論を戰時中、一九四二年につくりました。坂田君やその他の人たちも、外国に一度も行つたことがない、日本でそういうすぐれた研究をされた。こういうことが非常な意義がまた特別にある。もちろんその湯川さんの業績たるや、今日の物理学の中心問題をそこから起して来たという非常に重大な業績があり、これが日本にはなかつたという点で偉大なものだと思います。
  236. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 これは世界学界に対しても、日本理論物理学、ことに湯川さんの物理学というものは相当意義のあるものでございますか。
  237. 武谷三男

    武谷参考人 そうでございます。先ほど申し上げましたように、現存の理論物理学は、この中間子を中心にして展開されているというわけです。それから日本物理学の状態と申しますと、たとえば湯川さんのこの仕事がぽつくり出て、あとだれも何にもしなかつたとなれば、何だか偶然まぐれあたりのように思われてもしようがありませんけれども、その後中間子理論の発展並びに坂田昌一博士の業績、それから朝永シユヴインガー理論という業績がありまして、こういうものが今日の理論物理学の中心問題でございます。これを中心にすべての世界理論物理学者並びに実験物理学者は一齊に研究をしている。そういう状態でございます。
  238. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 そうすると、現在湯川博士は、世界における物理学の尖端を行つているものと、かように見てもよろしゆうございますか。
  239. 武谷三男

    武谷参考人 さようでございます。
  240. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それから湯川博士が主宰しておられるプログレス・オブ・セオレテイカル・フイジツクスという欧文雑誌があるそうですが、これはどういうので、また現在どういう役割を果しておりますか。
  241. 武谷三男

    武谷参考人 戰後間もなく湯川さんが主宰して出されたものでございまして、先ほど仁科先生の御説明があつた通りであります。現在年に四回クウオータリーとして出ております。それに日本の業績がずつと出ておりまして、外国から非常に高く評価せられております。現在はそうでもありませんが、ちよつと前までは、論文を入れても、その出版までには一年ぐらい、いろいろな出版事情その他財政上の理由で遅れておりました。このことについてフイジカル・レヴイユーというアメリカ物理学中心の雑誌のある人の論文の註のところに、日本雑誌の出方が非常に遅いので、われわれは非常に不便をしておる、もつと早く出してもらいたいものだということが書いてあつたぐらいで、世界の好評を得ておることは事実であります。
  242. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 先ほど仁科さんにも聞いたのですが、ずつと以前に長岡博士が、湯川さんの学問ノーベル賞を受けるに十分値するものであると、推薦とでも申しますか、何かされたということでございますが、さような事実がありましたか。
  243. 武谷三男

    武谷参考人 私はそういう事実は聞いておりませんけれども、物理学者としてそう考えるのは当然のことと思います。この業績がノーベル賞に値することは、もつと早くからだれもがそう考えるべきであるということは申し上げられます。
  244. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 なお湯川博士研究に、非極所場の理論というものがあると聞いておるのですが、これはございますか。あるとすればそれはどういうことですか。
  245. 武谷三男

    武谷参考人 ございます。それは前からそういう考え方をいろいろの機会に表明されておいでになりましたが、アメリカにいらつしやるころから、朝永さんの超多時間理論から発展いたしました理論物理学におきまして、素粒子の構造というようなことまでいろいろ考えるべき問題、それから名古屋の坂田教授のこのC中間子理論というのがやはり素粒子の構造に関する理論でございます。そういうようなものとの関連で、まだ何ともわかりませんが、一つの素粒子の基本的な構遁の可能性としてそういうことが考えられている。つまりそういうような考え方、現在の素粒子理論には、論理的な非常な困難な問題がございまして、それを何とかして克服しよう、そういう現われが、そういつたいろいろな理論でございまして、その一つの理論でございます。アメリカにいらつしやる前ころからそういうことをいくらか進めておられましたが、アメリカでそういうことをもう少し進められた研究を発表されたのが、この非極所場の理論でございます。
  246. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 なおそのほかに、湯川博士ノーベル賞受賞について、あなたとしての特に感想なり、また今後の御意見でもあれば承りたいと思います。
  247. 武谷三男

    武谷参考人 湯川さんがノーベル賞を受けられたことは、われわれ非常にうれしいのでありますが、ただうれしいと言つておられない問題が非常にあると思うのでございます。湯川さんが賞を受けられても、日本物理学者にその後の仕事がなければ、あまり喜んでおられないのでございますが、幸いに非常に輝やかしい業績がその後続々とございますので、賞を受けたことに、われわれその後の研究でこたえているわけでございます。  もう一つは、日本に現在湯川さんの仕事をきつかけにして、非常に優秀な若い研究者がたくさんおりますが、その人たちがほとんど現在研究所の支持を受けていない。それだのに理論物理学でいい仕事ができるというのは、理論物理学の特殊性と申しますか、極端に言えば、文献と紙と鉛筆があれば何とかできる、もちろんこれだけでできると思つてもらつては困るのですが、そういうことがあるので、とにかく困苦を忍んでやつている。しかしこの研究の状況というものはよくないのでありまして、われわれがお互いに励まし合いながら、お互いに各大学の横の連絡を緊密にして、そして学界と申しますか、大学などの普通よく言われています研究にふさわしくない気分というものを打開して、若い連中が横の連絡を非常に緊密にしてとにかく切り抜けております。しかしあまり社会的な実力も持つておりませんので、非常に困苦欠乏に耐えながらやつている。それで湯川さんを表彰されるということは、その裏づけとして、現在こんな状況で研究している若い人たちに対しても、ぜひ皆さん方も目を向けていただきたいというふうに考えております。
  248. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 そうすると研究機関の充実と、若い学者の養成ということになるわけですね。
  249. 武谷三男

    武谷参考人 そうでございます。つまり現在やつております多くの人たちにもつとよい環境で研究をさせる、例を申し上げますと、われわれの着想の方が現在のアメリカ学界理論物理学者よりも半年か一年くらい早い。ところがやつているうちに、アメリカの方がいろいろ研究の状況がよいので、どんどん研究が向うは早いスピードでできる。そうするとでき上るのが両方同じごろになる。またこちらの負けることもあります。またこちらがよい考えを発表すると、ただちに向うは非常に大きな設備をもつて、さあつとやるというわけで、最初はこつちが進んでいても、終りには向うにとられてしまうという状況がしばしばございます。そういうことは、われわれとしては非常に残念でございます。
  250. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 京都大学研究所をつくる計画があるということですが、その内容はお聞きになりませんか。
  251. 武谷三男

    武谷参考人 私は新聞で読んだだけでありまして、それについて直接また間接にお聞きしたことはございません。
  252. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 ただ何か建つというだけじやないでしようか。やはりあなたのおつしやるようなことじやないでしようか、どうでしようか。
  253. 武谷三男

    武谷参考人 私の想像では、むしろ建物が建つだけではないかという気もするくらいでございまして、われわれグループの者がひそひそと申すところでは、何か建物を立てて、湯川さんのように偉い学者は、建物を建てないと呼びもどせないであろうというような京都大学の意向のようだと、うわさをする人もいるくらいで、実際この間も私学術会議の第四回会議で京都に参りますと、湯川さんがノーベル賞をもらつている間に、京都の研究室は人員整理をされているということを、直接井上助教授、田村助教授が私に訴えたくらいでありまして、おそらく建物が建つても人間の方はそれほど見てもらえないのじやないかという懸念を私は持つております。
  254. 浦口鉄男

    ○浦口委員 先ほど仁科さん、龜山さんにもしどなたかがお尋ねになつたことで、重複していたらお許し願います。武谷さんにお尋ねしますが、湯川さんがアメリカ原子核破壊研究所と覚えておりますが、そこへ招聘されるという新聞記を見たのでありますが、この原子核破壊研究所と、今度湯川博士表彰対象になりました中間子理論との関係をお尋ねしたい。
  255. 武谷三男

    武谷参考人 湯川さんは現在コロンビア大学のプロフエツサーでございますが、そのコロンビア大学に非常に大きなサイクロトロンという原子核破壊装置ができまして、それがいよいよ活動を始めるので、理論家の湯川さんが相談を受けられるということだと思います。この原子核破壊装置のサイクロトロンないしはシンクロ・サイクロトロンと申しますものは、四千トンの電磁石を持つた非常に大きな装置のもので、これが最初に活動を開始したのはカリフオルニア大学においてでありますが、カリフオルニア大学では、昨年の二月に、原子核破壊装置でもつて、非常に速いアルフアー線でもつて物質の原子につけまして、初めて中間子を人工的につくりました。それまで宇宙線の中にしか見つからなかつたのを、初めて人工的につくることができたのであります。そういうふうに人工的につくりましたので、中間子の成立過程ということが、宇宙線の中で見ていたときよりもずつと早く精密にできるようになりました。その後中間子に関するいろいろの研究が、カリフオルニア大学の原子核破壊装置で続々と出ております。それと同じような、もしくはそれより少し大きい規模のものがコロンビア大学にできたというふうに聞いております。でございますから、どういう実験をやつた中間子理論の発展に寄與するかということについて、湯川さんが相談を受けられるのは当然のことであります。そういうふうに承知するのでございます。
  256. 浦口鉄男

    ○浦口委員 いま一つ一般的なことですが、お尋ねいたします。先ほど武谷さんは、従来は理論物理学実験物理学をおやりになつていたと言うが、現在では理論物理学だけをおやりになつているとおつしやいましたが、これは敗戰後の日本が置かれた国状等の関係か何かでそういうことになつたのでございますか。
  257. 武谷三男

    武谷参考人 そういうことも関係ございます。私は昭和十六年ごろまで関西の大阪大学で理論物理学実験物理学の両方やつておりましたが、それ以後は実験の方は全然やらなくなりました。これはもちろんそういうことと関係ありますが、現在私は所属もありませんし、実験物理学の方は日本ではほとんどやらないのでございます。ただ先ほど仁科先生より、大きなサイクロトロンがなければ手も足も出ないというふうな感じをお受けになるかと思うようなお言葉がございましたが、それは確かに、中間子を人工的につくつてやるというようなことはできませんけれども、幸い宇宙線というものがありまして、これはサイクロトロンでつくるよりも、もつと大きなエネルギーのものがどんどんございまして、それを研究いたしますと、こういうふうな中間子研究もそれほど大きな装置をつくらなくても研究を進め得る。たとえば戰後坂田君の中間子論の証明を最初にやつたのは、アメリカのサイクロトロンではなくて、イタリアの実験、ブラジル並びに英国での実験が、初めてこの中間子宇宙線を使いまして証明したのであります。ですからある程度の費用と、ある程度の頭とを持つてやれば、現在といえども相当のよい仕事日本ですらできるのである。当然できるというふうにわれわれは確信しているのでございます。しかしそれだけのまだ財政的な余裕はわれわれにはないのでございます。
  258. 浦口鉄男

    ○浦口委員 それに関連いたしまして、研究事機関の充実ということを希望される。これはごもつともでありますし、また日本の現状としてたいへん貧弱なものでありますが、今の実験物理学がたいへん実行の困難な日本の現状において、ともすれば若い学者が非常にそういうことに熱意を欠くような傾向があるのではないか、とりわけ学生などがそうであるということを考えますが、そういう点について何か御感想を……。
  259. 武谷三男

    武谷参考人 実際実験という方面はさじを投げたというような感じが見られます。それで勢い理論の方へ来る人が多いというよりも、理論でなければできないというようなことになつているのは非常に残念なことでありまして、そういう点で熱意を欠くというような点があると思いますが、しかしとにかく学問に対する熱意という意味であるならば、これは今の若い学生人たちが非常に熱意を持つておりますし、それから大学を出た人たちも非常な熱意を持つているのでありますが、何せ何もできない状態におかれておりますので、その熱意が結晶しない形になつているということは、われわれ直視している者にとりましては、非常に何とも言えない残念なことでございます。
  260. 浦口鉄男

    ○浦口委員 ありがとうございました。
  261. 木村榮

    ○木村(榮)委員 私たち専門家じやないですから、非常におかしな質問になるかもしれませんが、お答えできたら……。と申しますのは、この研究がほんとうに発展した場合、また現に発展しつつあると思うのですが、これがほんとうの意味の平和のための貢献になる見通しといつたようなものは——これはいろいろな社会情勢なんかもあると思いますが、そういつたことについては、学者としての立場からどのようにお考えになつておりますか、お聞かせを願いたい。
  262. 武谷三男

    武谷参考人 もちろん物質の究極のものを研究するということは、人間の考えそのものを進めて行くという文化的意義がございまして、こういうことは最も平和の重要な問題だというふうに私は考えておりますが、それ以外に、また人間の生活をゆたかにするという意味から申しましても、物理学の尖端というものが、いつ直接役に立つかということはまつたく予測できないことでありまして、たとえばこれは平和的でなく使われましたが、しかし結局は平和を招来した原子爆彈におきましても、一九三九年においては、このウラニウムの原子核分裂の研究というのは純粋の最尖端の研究でありまして、これはもちろん実用とは何の関係もないと思われていた研究でございます。ところが一九四五年——それからたつた六年間の間に、そのときは悲惨な実用でありましたが、とにかくそういつた実用の最もすぐれたものになつて来て、これが平和を招来した。しかし将来これが戰争に使われれば悲惨なことになりますが、しかしまたこれが平和的に使われれば、すばらしい得を人類に約束してくれる。そういうものができたわけであります。実際物理学の最尖端の研究は、いつ実用になるかということは予測も許されない、ひよつとしたらあすにでも役立つかもしれない、しかしまだ何とも申せないというような、そういうものであります。われわれは科学の実用性という場合にでも、非常に大きな夢を持つて聞いていただかなければならない、そうでなくても、人間の考え方そのものに対する寄與というだけでも、單に文化的の寄與というだけでも、物質というものの究極がどうなつているかという問題の解明は、非常に偉大なものがあるというふうに考えているのでございます。
  263. 木村榮

    ○木村(榮)委員 湯川博士は、日本で民主主義科学者協会というものの会員であつたように承つておりますが、御存じですか。
  264. 武谷三男

    武谷参考人 そういうふうに聞いております。また民主主義科学者協会なるもので後援されたということを私は聞いております。
  265. 木村榮

    ○木村(榮)委員 武谷さんは民主主義科学者協会の会員じやありませんか。
  266. 武谷三男

    武谷参考人 会員であります。
  267. 木村榮

    ○木村(榮)委員 そういたしますと、民主主義科学者協会というものは、ごく簡単でよいですが、どのような性格ですか。
  268. 武谷三男

    武谷参考人 民主主義科学者協会は戰後にできたもので、戰時中までの日本学界のはなはだわれわれが感心しないような空気を一掃するというような熱意を持つた人が集まつたものと私は考えております。素粒子論をやつているような頭の新しい人たち、われわれはそう考えております。こういう人たちは、民主主義科学者協会なんかに比較的たくさん入つておりますし、ちようどわれわれが戰時中、戰前からやつておりました素粒子論の全国的な組織——そういつた民主的な組織でございますね。これがちようど民主主義科学者協会の意図を徐々に実現しつつあつた、戰後そういつたような人たちが民主主義科学者協会に好意を持つてつているというのが、また当然であろうというふうにわれわれは考えておるのであります。
  269. 木村榮

    ○木村(榮)委員 武谷さんが湯川研究所の副手をおやりになつていたとおつしやいましたが、当時はその研究所は国家あるいは政府機関から相当の補助なんか受けていましたか。
  270. 武谷三男

    武谷参考人 湯川研究所というのではなしに、大阪大学の湯川研究——つまり大阪大学の講師を湯川さんがしておられまして、助教授におなりになられました。そうして講師、助教授の時代にそこの無給副手でございますが、副手をしておりました。補助といつても、湯川さんにいくらか研究費が来ておりました。大阪大学での湯川さんの扱いは、はなはだわれわれから申しますと満足できない状態であるというふうに、われわれは考えていたのであります。
  271. 木村榮

    ○木村(榮)委員 そういたしますと、このような偉大な研究を完成するには、相当な経済的な問題もあると思うのですが、そういつた点で非常に湯川さんの個人的な負担と申しましようか、そういうものがおもであつて、国としてはあれだけの業績に適当するような待遇はできなかつたと解釈できるわけだと思いますが、湯川さんの御家庭か何かが特によくて、そういつたふうな困難な面を克服できたのですか、その点を承つておきたいと思います。
  272. 武谷三男

    武谷参考人 湯川さんが直接研究に寄付せられたりなんかはされなかつたのですが、湯川さん自身の生活は、もちろんそういうふうなことで、つまり湯川さんの御家庭が非常に惠まれておりましたせいで、自由に伸び伸びと研究されておられたわけでございます。それからまたそこの助手をしておりました坂田君も、家が割合によかつた、それでやつておられました。われわれは中学校に教えに行きまして、いわゆる現在のアルバイトをやりながら研究をいたしているようなわけで、それで湯川さんの研究がそういうふうに伸び伸びされた原因は、もちろん御家庭が非常によかつたというふうなことも一つの原因だというふうにわれわれは考えております。それほどの研究に値するような補助は受けておられなかつたというふうにわれわれは考えているのでございます。
  273. 小林進

    小林(進)委員 私簡單にお尋ねいたしたいと思いますが、武谷さんは湯川博士と、一緒研究所その他で御生活になりました期間はどれくらいでございますか。
  274. 武谷三男

    武谷参考人 副手になつておりました期間というのは、そう長くはないのでございますが、私は京都大学の副手といたしまして、京都大学では全然そういう研究をやつている人がおりませんでしたので、ちようど昭和九年に私が卒業しました春から、湯川さんが大阪の講師になられました。そうして坂田君がその助手になつて参りました。そのころからちよちよ湯川さんの所に参りまして、いろいろ御意見を承つたり、それからこれについて教えていただいたりしておりました。それからもう少しあところからは、京都から大阪に通いながら、積極的に御一緒研究を始めました。それから大阪の副手になつたわけであります。ですから期間は……。
  275. 小林進

    小林(進)委員 そうすると、その期間は京都時代から通じまして……。
  276. 武谷三男

    武谷参考人 京都時代が卒業しました昭和九年から始まりまして、大体昭和十四年に、湯川さんは京都大学の教授になつて移られました。ところが私は大阪の大学に行つておりまして、今度は大阪から京都に通いながら、一緒にいろいろ討論したり研究したりいたしたのであります。それから私が東京に参りましたのは昭和十六年でございます。それまでとにかく一緒に顔を合せながら意見の交換や何かをいたしました。
  277. 小林進

    小林(進)委員 それではお尋ねしたいのですが、ちよつと当面の問題とはずれるかもしれませんが、私どもはやはり湯川博士の全貌を知るという意味合いにおいてお尋ねしたいのですが、湯川さんのこのたびの研究に対しまして、研究をする学者的な態度でありますが、俗に言う天才型か努力型の人かという日常の形でございます。それからまた日ごろの行動の中に、何か普通一般の紳士的な方であるか、あるいは学者によくある奇行などというものがあるものかどうか。あるいは湯川さんの趣味があればどんなものでありましようか。こういう点を少しお聞かせ願いたいと思います。
  278. 武谷三男

    武谷参考人 湯川さんは非常に温厚な方でございます。それから物理学に対する考え方はなかなか天才的な方でございます。そしてわれわれもいろいろな先生方といろいろ討論いたしましたが、湯川さんなんかは、一番私たちと討論してびんびん直接に理解し合うことができる、非常に少い学者の一人でございます。朝永さんもそういう一人でございます。ですから私は物理学に関する限り、湯川さんと意見がいつも一致していたのでございます。湯川さんの性格は、温厚な君子という言葉が一番当りますので、これは渡邊慧君がつけたあだ名ですが、お公家さんというあだ名がついております。趣味なども南画をおやりになつたり、それから短歌をおつくりになつたり、そういうふうな非常に優美な趣味でございます。いわゆる君子というタイプの方でした。
  279. 神山茂夫

    神山委員 本会議が始まつておりますし、その上この問題については各党の間に意見の違いもないことでありますし、さらに極端な表現を使えば、いまさら本委員会を開くことがかつこうが惡いくらいの問題であります。かてて加えてきようお呼びした三人の方は、いつもの証人とは違つて参考人として御意見を伺うのでありますから、私としてはすでに他の委員から聞かれました以外の点について、ごくかいつまんで二、三お尋ねしてみたいと思うのです。その第一点は、非常にいい質問を今小林君がしたので、さらに続けて日常の態度に関連するのでありますが、太平洋戰争中に湯川博士はどういう態度でおられたか。ことにあの戰争との関係において、どういうふうな態度でございましたか。その点をまず聞きたいと思います。
  280. 武谷三男

    武谷参考人 湯川さんは戰争中、特に戰争を鼓吹される方でもないし、またそうかといつて積極的に反対される方でもございません。そういう点でも温厚な方でございまして、われわれが戰争——私はこんなことを言うのは変ですが、戰争のいろいろ批判をしていたものでございますが、そういう話をしても、湯川さんはそうだそうだというふうにおつしやいますし、そうかといつてまた必ずしも積極的な反対などはおつしやられない。また国民的な感激というようなことは、一応は短歌なんかにつくられたこともございますが、積極的に鼓吹するというようなことはない、普通の常識的な万であつたというふうに申し上げていいと思います。
  281. 神山茂夫

    神山委員 それでわかりましたが、その当時の空気の中で、そういう常識的であつたということは、やはり私たちとして湯川氏を表彰する場合には、ことに平和に貢献したということを十分考慮しておかなければならぬ問題と思つてお尋ねしたのです。  次に話は少しかわりますが、先ほどから日本では理論物理学発達したことについて、あなたの言葉では紙と鉛筆さえあれば、これは極端にあなたがおつしやつたことと思いますので、私もよくわかるのですが、この紙と鉛筆さえあればやれるというような点もおつしやつていますけれども、しかしもつと深めてこれを考えれば、なぜ理論物理学日本ではかくも偉大な発達をして、世界的水準をつき得るにかかわらず、実験物理学の領域ではかくもみじめな状態であるかということについてお伺いいたしたいと思います。
  282. 武谷三男

    武谷参考人 その紙と鉛筆の点は、消極的な原因にすぎないのでありまして、積極的な原因は、もちろん天才的な才能も要しますし、それからまたその研究が非常に何と言うか、いわゆる教授独裁というような形でなくて、非常に民主的に、討論を十分できるような雰囲気をわれわれはつくり上げた。それからまた物理学の方法に対するわれわれの考え方が非常によかつたというようなことがあつた思つております。  それから実験物理学が進まなかつた原因は、もちろん財政的なことにもよりますが、しかし大体こんなことを申し上げるのも変でございますが、実験物理学というのは、比較的やはり普通の大学の空気が強くて、積極的に民主的な組織をつくり上げ得られなかつたということにも原因がある。それくらいに財政的にもある程度もつとすぐれた研究ができたのではないかというように、われわれは考えているのでございます。
  283. 神山茂夫

    神山委員 さらに私はその基礎となるものをわれわれは考慮しておかなければならないと思うのですが、現にあなた方が、ことにあなたがここで嘆かれたように、アメリカ学界よりも約半年ないし一年先にあなた方は理論的な点で追い越している。ところがそれが一たび実験と関連するやいなや、これがすぐ追いつかれるか、追い越されてしまう。その一番基礎になるものはアメリカにおける科学技術の発展と、日本科学技術の水準、さらにその基礎になりますアメリカ産業と日本産業との違い、そういうふうなものと関連があるかないか。そういうことをお考えになつているかどうかということをお聞きしたいのです。
  284. 武谷三男

    武谷参考人 今おつしやられたことと、私がさつき申しましたことと多少食い違いがございますが、まことにそういうことはおつしやる通りだと思います。私がさつき一年か半年われわれの着想が早くても、現われるときが遅いということは、実験に関して申し上げたのではなくて、理論を完成するのに長い計算を要しますので、そういう計算かいろいろなことをやるのに、アメリカの人は非常に生活條件が、いい、つまり日本では生活條件が惡いので、着想が早くても、それができ上るのにいろいろ手間どる。向うでは自動車を乗りまわしているのに、こつちは電車で歩いて行つているとか、向うはバターを食べているのに、こつちは非常に貧弱なものを食べているというような、体力的な問題、その他さまざまな條件、それからまた私個人で申しますと、私だけでなしに、若い研究者がアルバイトをしなければ食えない。そういう状態でございます。それが最大の原因でありまして、アメリカ研究者たちは、ちやんと月給をもらいながら研究しているのに、日本の若い研究者たちは何か副業で食つていて、正業か副業か、どつちかわからないような状態で研究している。だから勢い物理学者の計算を完成するのが非常に遅れる、こういう嘆かわしい状態であります。これは單に人件費を出すだけである程度解決できるような問題でございますが、つまり実験施設というようなところまで行かないようなものであります。ですから、そういう点は皆さんにどうか御考慮願いたいと考えております。
  285. 神山茂夫

    神山委員 それでは貧乏話が出ましたので、遠慮なく貧乏話を聞いておきたいのでありますが、これは東京工業大学の調査の結果でありますけれども、教授から雇員まで含めて、本年の六月で、俸給だけで生活しておる人がわずかに四%、そして俸給だけで足りず、あなたのお言葉のアルバイトその他をしていらつしやる人が九六%、こういうような数字を見るのであります。これは若干行き過ぎとしましても、一般に日本物理学界と言つて言い過ぎれば、理論物理学者は非常に苦しい生活をしていらつしやるということは御確認願えますか。
  286. 武谷三男

    武谷参考人 そうでございます。大体数学的に私は調べたことはございませんが、大体においてそういう状況であることは、いなめないことだと思います。
  287. 神山茂夫

    神山委員 こまかい点は今の武谷さんのお言葉そのものでわかつておるし、もし時間があつて武谷さんに伺えば、哀音切々として、いかに日本学者がみじめな状態で研究しておるかということはよくわかるのでありますが、時間の関係もありますし、私の方ではわかつていることでもあるので、保留しましよう。  これはあなたには直接関係ないのですが、あなたが科学者としてお考えになつて適当かどうかを、一応御判断願つておきたいことがあるので、お尋ねします。これはもちろんあなたはごらんになつておりませんが、当考査委員会事務局から、そこにすわつておられる鍛冶委員長に出した報告書の中に、文化勲章のことが書いてあるのです。こういうふうに書いてある。文化勲章日本文化の功労者に対する国家最高の表彰方法である。(文部省)これは私たちの見解をとやかく言うのは避けますけれども、もしも文化勲章が国家最高の表彰であるならば、あえて国会であなた方に御足労を煩わして、この湯川氏の問題を論ずる必要はないと思う。これは御承知のように、天皇陛下より文化勲章を授與されるのですが、それがほんとうに国家最高の表彰方法であるのか。それとも今問題になつておる国会が表彰する方が真の意味での国家最高の表彰方法であるか。この点についての私たちの見解は別としまして、一応あなたの見解を承つておきたいと思います。
  288. 武谷三男

    武谷参考人 その問題については、いろいろの方がいろいろのお考えをお持ちでありましようが、私個人としては——私は個人以外にはないのでありますが、私の気持といたしましては、やはり民主的に選出されました国会の方々が表彰されることが、一番私としては——もし私が表彰されるような場合になれば、一番うれしいことでございます。そういうことを申し上げておきます。
  289. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 神山君、さつき石川さんは、文部省と書いてあるが、国家が表彰するものであつて賞勲局でやつた、そう言われております。文部省と書いてあるのは、間違いだろうと思います。これはただ文部省で資料を得ただけのことです。
  290. 神山茂夫

    神山委員 見解はあとで聞きます。話は余談だが、この研究調査報告は、内容そのものの論議は別として、表現その他の点でまつたく昔の官庁文書と同じものである。民主化された国会が出す——私は率直に部長の前で言いますが、まことに困ると思う。将来委員長はこういう文書について注意してもらいたい。  それでは最後にお尋ねしますけれども、湯川研究室の首切り問題を先ほどおつしやいましたが、一方では湯川研究室に定員の削減が来ている。しかも一方では、文部省が建物としての湯川記念館をつくろうとしている。こういうようなことについてあなたのごらんになつたこと、あるいは訴えられたこと、あるいはお考えでもいいのですが、簡單にでも……。
  291. 武谷三男

    武谷参考人 この点については、大体先ほどから申し上げたことでありますが、訴えられましたことは、私が京都へ参りまして、あちらの助教授の人たちから非常に痛切に訴えられました。また長谷川萬吉教授、これは湯川研究室じやありませんが、理学部の方で、学術会議第四部会の会員の方でありますが、その方からも痛切に訴えられまして、こういうことでは非常に困る。また何か建物を建てるというさつきのお話については、私は新聞紙上以外には全然聞いておりません。どういうことなのか一向にわかりませんが、しかし片方で建物を建てて、片方で人員を整理されるということは、私は悲しむべきことである。つまり研究の実質を考えずして、研究の何か飾り物のようなものをつくるのじやないかというふうな気もするくらいに、非常に悲しいことと考えます。
  292. 神山茂夫

    神山委員 それでは最後にお尋ねしますが、理論物理学の上で優秀な業績を残しておられる武谷さんに、こういうことを言うのは気の毒ですが、これは私の見解ですから、間違つておれば遠慮なく言つていただければいいわけです。日本理論物理学が非常に発達していることはまことにけつこうだと思う。しかし他の医学その他の問題は一応おくとしましても、物理学の他の領域と同じように、世界的な水準をつくようなものがあるのかないのか。ないとすれば、それはどういうことに基くであろうか。それから理論物理学だけがこういうふうな業績を遂げ得るのには、あなたが述べられたようなみじめな経済生活の中でも、あなた方がそれを耐え忍んで、いわば紙と鉛筆でやれるような物理学だからこそ、その程度の業績をあげ得るような條件があるのじやないかということを、私たちは政治家であるだけに心配しているわけですが、私の考えが間違つていればけつこうでありますが、武谷さんからその点について、率直に御意見を承つてみたいのです。
  293. 武谷三男

    武谷参考人 大体言われた通りでありますが、ほかの領域でもすぐれた研究はあります。しかしこういうふうな一つの領域を開拓するというような、つまりノーベル賞に値するような研究は、私の知る限りではそうないのじやないかというふうに考えます。それはやはり施設の貧弱さだとか、学会自身の運営の仕方が惡いというようなことがおもな原因だと思います。その紙と鉛筆でできるという観念を国民が持つていただいては非常に困るのでありまして、紙と鉛筆とで何とか忍びながらも、ほかの要素でいい研究をつくり上げて行くというのは、しかたなくわれわれがやることでありますが、しかしこれもさつき申し述べましたように、一年や半年の差がアメリカなんかと比べるとどんどんできて来る。こつちが先なのに、結果はあとになつたり、前後して研究が完成したりするわけです。紙と鉛筆といえども、ほんとうの研究する條件、つまり人間の生活を保障したりなどしていただければいいわけですが、現在の状況では施設はおろか、研究している人の生活すらも満足でないというような状態であります。ですから、さつき龜山先生が外国と研究上の交換ということを言われましたが、それは非常にけつこうなことでありますけれども、われわれから申しますと、それもやつていただきたいし、その前にもつと研究者自身が十分研究できるような生活とか、そういつた方面をしていただきたいというふうに思うのであります。
  294. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 じや済みました。御苦労さんでした。  これで散会します。     午後六時散会