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横田委員 とぼけるのもいいかげんにやめていただきたい。われわれは今までの
委員会において、何を
基準にして論議したか、
簡單に申しますならば、
日本政府が動員いたしたのでありまして、
アメリカ人は
日本人を一人も動員したことはないのであります。これを
はつきりしてもらわなければならないのです。にもかかわらず、
アメリカ人が、
日本人の
外国に行
つているのをこれだけ知
つておりますとい
つて、それを
英語で書かれたものでございまして、その書いたものを翻訳しておりますというような、つらあつかましいことが言えるかというのです。これが
国民の憎悪なんです。さればこそ、昨日の
新聞でも、
参議院のれつきとした
議員記章を持
つておられる人までが、
ソビニト大使館にねばり込んでおられる。もし
ソビエト大使館が、
ソビエト治下に、
政府のこの
数字によ
つて——政府の
数字と
言つていけないのだつたら、
連合軍総
司令部の
外国人の調べによ
つて示された
人間がお
つて、それが帰されないのであるならば、
国際信義を守
つておらない点において非難さるべきである。これを糾彈する点において、
共産党は決してやぶさかではありません。しかし、おるかおらないかという点にな
つて来ますと、もしこの
数字が
基準でないのであるなれば、何を
基準にして、
ソビエトにはこれだけの
人間がおるのだということを
言つて、あんな運動をしているのかということを承りたいのです。そういうような問題に対しましては、少くとも
政府が
中心にな
つて、
引揚げの問題をその一本にまとめて行こう、そして少くとも
日本人の問題である限り、財産であろうと、数であろうと、あらゆる問題の
交渉は、
日本の
政府が
中心にな
つて、しかも
外交部面を担当しておられるところの
人たちがやられるのがあたりまえだ。演説する
気持はないのでありますから、これ以上強く申しませんが、
簡單に申しますと、これを提出いたしましよう。これは
委員会に提出されたものであります。
委員会に出ておられるお方が持
つておられ、
委員長もこれは承認しておられる。しかもこの点について、あなたと論争したのです。
参議院においても論争されたのです。だから問題の要点は、
連合軍総
司令部発表とな
つてお
つて、しかも一九四九年三月、
外務省管理局引揚援護課が
発表いたしましたところの、
日本文に直しました
数字なんです。私
たちは倭島さんというような
人たちを一々追究する
意思はないのです。あなたが役不足だから追究しないのではないのです。要は、
日本人が
戰争によ
つて外国にやられて、帰
つて来ない、この一人の命を争う、これをいかにわれわれは迎えるか、もし死んだのであるなれば、この
人たちの冥福を祈ろうじやないか、そういう
気持でやるのでありますから、もう少し事を自然の立場からや
つていただきたい。もしこの出しました
数字がいけないのならば、そこに持
つて行きます。これを見ていただいて、これをあなた
たちが、
アメリカのものを翻訳されてお出しにな
つたのか、出されないのか、それが
一つ。それから
新大阪新聞が出しておりますところの
——これは
一つじやないのです。御希望ならいくらでもありますが、二十四年の十一月の六日、
新大阪新聞が出しておる「命の綱は
野豚八十頭」という、これで
マヌス島の
密林から
日本兵が帰
つて来たのでありまして、この
人たちの言うところによりますと、「十九年二月ごろ
マヌス島に
米軍が上陸して来た時、二十四名のものと
密林の中へ逃げ込んだが、十月ごろにはそのうち病気で倒れたりしてばらばらになり、二人きりに
なつた。二人は海岸まで二
里位奥に入
つた川辺に
ヤシの木で小屋を建て
最初はヘビ、トカゲ、
ヤシの実などを食べていたが、そのうち
野ブタを捕えることを覚えて六十貫位のやつを二年間に約八十頭食べた。マラリヤにもかかつたが、
野ブタを食べるようにな
つてからは、熱が出なくな
つたのは不思議であつた。またこわれたピストルの
ラ線で針を、木の繊維で糸をつく
つて魚をつるため足にくくりつけて寝たが、よく大きなやつがつれた。これらを焼いて食べるうち、わずかなマッチがなくな
つてからは、手製の木筒に
炭粉を入れて上から望遠鏡のレンズで太陽熱を吸收させて火種をつくつた。衣服は
最初のうちは戰死者のものをはずして着ていたが、これらも駄目にな
つて、しまいには
野豚の及をはいでこれを着ていたので、本年三月原住民に捕えられた時には、彼らも異様な身なりに驚いていた。
また
マヌス島の
戰犯收容所で刑を終えた
鈴木傳四郎氏(東京都)
はつぎのように語つた。
われわれは本年三月ラバウルから
マヌス島へ移され、ここで
軍関係の清掃をや
つていたが、現在はここには元第二十六
野戰貨物隊長の
廣田少将(山口県)ら二百二十五名が入
つている。
刑了者は今年はこれが
最後で、つぎは来年一、二月ごろになる。
受刑者が一番希望しているものは、
收容所を
内地に移してもらうことと講和の
早期締結であるが、これは減刑の恩典に浴したいからで、給養もよく皆元気でや
つている」こう書いてある。この書かれた人が帰
つて来たのであるか、来ないのであるか、帰
つて来たのであれば、
マヌス島という島は地球の上にあるのかないのか。もしあるとすれば
政府の分類されております一から八の
地区のどこに該当するのか、このことが
一つです。これは小さいことですが、これからや
つてください。