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中野重治君 恐らく
労働行政当局は今度とも、例えこれが通らなくとも、そういうことについての正しい
意見が徹底するようには努力なさるだろうと思います。それで、それについて通らないうちに是非聞いて置いて頂きたい。それは、今までも段々話がありましたように、我々も
労働組合と
企業家、或いはその他とのいざこざにおいて、絶対に
暴力の形が現われない、今後も現われないと言おうとするものではありません。これは今まで
政府側も我々側も協同して認めたように、こういうことは少くな
つております。
漸減の
傾向にあるけれども、併し
可能性が絶対なく
なつたということは言えません。併し私が言うまでもありませんけれども、ここの問題は
可能性に基くべきではなくて、
現実性に基かなくてはならんわけですから、
現実性に基いて行く以上は、どうしても
組合運動において
暴力的発言が
漸減の
傾向にある、この
現実を我々は尊重しなければならない、こう思います。
現実がそうであるのに、
法的観念としては明らかに可能だということを以て
暴力規定を
差狹むということは、どうしてもそれが取締りのために逆用され、その
可能性を
現実性に持
つて來ることだと、こう思わざるを得ない、これが
一つですね、私としてはこういうふうに
可能性に基いて
暴力は
一般に否定さるべきだということから挿入すれば、折角
現実が改善されつつあるところに持
つて來て、悪しき
可能性を
現実化することにな
つてしまうだろう、ここをどう考えるかということが
一つと、それからこれは他の
委員からも昨日
お話がありましたが、
現実に
暴力的な
発言が
漸減しつつあるにも拘わらず、
発案者の方が何かおびえているように思われる、今の
大臣のお
言葉からもそれが類推されるわけですね、それでこの間から
公聽会で、
使用者側、
労働者側、或いは
学者達の
意見を聞きましても、
資本家側の
代表のうちには、こういうことを言われておる人がありました。こういう
規定を入れないと、
労働組合の方では
労働爭議である以上、何をや
つても構わないのだという
観念がなかなかなくならないのである。現にどこそこにこういうことがあ
つた、あそこでは重役のところへ來て坐り込んでどうだ
つたとかというような例を出されております。私は今
名前を申上げませんが、
参議院の
公聽会に
資本家側の
代表として出て來られた人と直接話をしましたが、現にこの
委員会でもみずから
経営者であり、
資本家である人がこの
改正案に反対しておりますが、そういう人でない人の中には連合してどこそこではこういうことがあ
つた。例えば
煙草盆がなか
つたからどうしたとかというようなことをパンフレツトに作
つて廻しておる。併しそういう細かい問題は
公聽会ではさすがに氣恥しいと見えて発表しない。こういうことをみずから言
つております。それで
公聽会で問題に
なつたように、
労働組合の方ではこういう即ち
暴力を取締るということは一應筋が通るけれども、
会社側、
使用者側の方が
暴力團を使
つたりいろいろなことをやる、こういうことは問題にしないで、たまたま
労働組合側の
人間が、行過ぎかも知れないが、何かがあ
つたとかというようなことを問題にするのは怪しからんじやないかという
意見があ
つたのに対しては、
労働組合側ではそういう不当な
暴力を
使用者側から差向けられた場合にはこれと鬪えばよい、そこに
正当防衞の
権利が明かに行使できる、又その他のことがあればそれを法に訴えればよいじやないか、こういうことを一方では言
つておるわけです。それだから
暴力規定をこういうふうに入れることは
労働組合の
権利を侵害する
意味ではない、こう弁解しておるわけです。ところがそれならば
資本家側に
被害があ
つた場合に、何故その
人達はこれを法に訴えないのか、何故
正当防衞の手段を講じないのか、私はその点を比べて見ると、
労働組合側は明から
憲法に
保障された
人権を守るために、みずから鬪おうとする用意があることを表明しておる。
資本家側はみずからそれを守ろうとする意思がないということを表明しておる。而もそうや
つてもなかなかうまく行かん場合がありますから、そういう場合には
労働者の方では止むを得なくて、或いは
職場離脱というような
立場をとることもあり、
ハンガー・
ストライキにまで訴える。併し
資本家側は盛んに
政府を突つついたかどうかは知らないが、同じような方式でこういう
暴力規定を入れることに皆賛成しております。
衆議院でも、
参議院でも、
資本家側の
代表は……。その
人達が
自己の
基本人権を守るために
ハンガー・
ストライキに訴えたというような例を
一つも聞いたことはない。私は
ハンガー・
ストライキに訴えなさいと言うのではないが、この問題を
二つの
流れ方から見ると、
資本家側は、特に悪
資本家側は決して
自己の
人権を守ろうとの
積極的行動に出ていない。そういう人々がこの
暴力規定をここに入れようとしておるわけです。そうすればこれは
暴力が現われたために誰かが
被害を蒙むるというのではなくて、
暴力を
可能性として恐れておるところから、その
恐怖心から問題を法的に規制しようという途へ出て來ておると、こう考えます。併しもうそれは
ユスチニアヌス法典以來神経質な人が、普通の人ならば恐れないことに恐れて、そして表明した場合には、これは現状から見ても
條件を備えないもの、こういうふうにな
つております。ですから我々はこれが
資本家側の何か、やましい点から來る
畏怖心から來る要求ではないか。これを
政府ではどうお考えになるか。(「
簡單々々」と呼ぶ者あり)第一の
可能性の問題と
恐怖心の問題と……今他の
委員から
簡單簡單という
言葉がありましたが、私はこういう問題に非常に十分の関心を持たない人が
簡單に叫ぶことを敢えてすることを好まない。(「
議論と
質問と」「分らない」と呼ぶ者あり)分らない人に
説明の労を惜しむものではない。(「分り過ぎている」と呼ぶ者あり)どうぞ。