○中野重治君
政府の
答弁の仕方に対して私先ず註文して置きたいことがあるのです。それでその註文を容れるか容れないかはそちらの自由ですが、
一つは、こちらは眞劍に聞いておるのですから、それについて答えて頂きたい。ということを言うのは、例えば
暴力規定もこういうふうに入れると、役人側の権利の濫用になる虞れが生じはしないかという間に対して、そういう虞れはない、何となればかくの如く別個に決めてあるからという答え方をして、そういうことのない
ようにするつもりだ、そうい
つたように檢事を集めて訓辞をするという
ような約束を答えられる。これは約束はどういうことにするのかという問に対しては、こういうふうにするつもりだということを約束すると答えられても、十分答えとして受取ることができると思いますが、これでは
一つ飛んでおると思う。大体世間では約束を守るならば民自党ではないとさえ言われておるのですから、だから約束をなさることは、つまり民自党がこれを破るという性格において罪を
一つ重ねるということにしかならない。それですから約束について聞かれた場合は、約束を答えられて結構ですが、そうでない場合には問われたことに対して具体的に答えられて、それから信念なり約束を吐露して欲しいと私は望むのです。
そう
一つは
檢務局長にやはりこういうふうに改めて欲しいのです。
暴力規定に関してそれ程窮屈に解する必要はあるまい、こういうお答えで、これはですね、窮屈に
解釈する必要はあるまいということは一応成り立つと思います。いろいろな
條文の
解釈について我我は非常に窮屈に問題を考えて行かなければならない。こういうところですね、
現行法の第
一條に対して、今度
改正の第
一條というものはそれ
自身窮屈にな
つておる。窮屈に且つ曖昧にな
つておる。
文句も長くな
つておる。そうしてこれはなぜであるかというと、
憲法二十
八條或いは二十
一條に
規定してあるからということは分
つておるから、それを一層
具体化し、明確化するためにこういうふうにしましたという
説明があるわけです。私はその
説明に承服するわけではない。それは
言葉としては一応成り立つ、成り立たせる場合、
具体化する場合は、窮屈にな
つて行く、細かくな
つて行く。我々はこれから逐條
審議をや
つて行くのに窮屈に考えなければならん。のみならば今まで
政府がいろいろな
法律を出すとか、或いは
法律を
改正するという場合に、窮屈に考えなか
つたために被害は誰が蒙
つたかというと、これはお人好しに考えた
法律を
適用される人々が蒙
つて來ておる。例えばこの前國家公務員法ができたあのとき、あのどこかに
暴力を以て
政府を轉履し
ようとする
ような、そういう団体に入
つておるものは國家公務員になれないと、こういうふうな
條項が入
つていた。それでそういうものは現在日本におるかと言いますと、ありませんと言う。將來そういうものが出た場合には、
政府が他の現在法令によ
つてこれを
取締るべき責任があるかと言えば、そうですと言う。だからこれは現にないし將來も
政府が自己の責任を実行するならば、あり得ないもの、そういうものは役人になれない欠格
條項だということになれば、例えばまあ河童は日本の役人になれない。これは欠格
條項で書出すのはおかしいということに対して井手政務次官でしたか、併し法的観念として成立つ……。速記録を読み上げてもよいのですが、法的観念として成立つ、そういう
暴力を以て
政府を轉履し
ようという者は國家公務員にはなれないということは、一応法として成立つのじやないかということは言えるわけです。私はそのとき反対したのですが、多数が賛成して入れたわけです。そうして今度は
政府が極めて窮屈に考え、且つ
適用して、教育公務員の免許法案のあれですが、今度の法案はやはりそういうものはそのまま残して、こういう者には教師の免許状を与えることができない、こういうことを言
つております。大体今まで法を
適用される側は窮屈に考えなくともよいといわれると、お人よしだから窮屈に考えない。
政府はまあそうひどくはやらない。だから食糧
関係法規ができた場合にも、あの明らかによる夜中汽車から下ろされるということは誰も考えておらない。であれが問題になると、あれは乘客が警察官に協力して下りたのだ、こういうことを
政府は答えておる。だから我々は何でもかんでも窮屈に考えなければならない。こうは考えません……、
檢務局長が問題によ
つてはそう窮屈に考えなくともいいだろうという
意見が出た。ときによ
つては出得るということは認めますけれども、併しこういう
労働組合のこれからの多くの運命に関する問題は、
現行法規が改められるのであるから、そこに新らしい
規定が挿入されるときはこれを窮屈に考えて行かなければならん。このために我々は
審議に集ま
つておるのであるから、だから窮屈に考えて、それで明確になればそれで決定するわけです。ですから私としてはすべての問題について言うわけではありませんが、こういう問題については、我々は窮屈にこれから
審議して行くのであるから、それに対してそれ程窮屈に考えなくともいいでし
ようということを以て答えとして貰うということは困ると思います。その点をどうか肚に入れて答えを出す
ようにして頂きたいと懇願するわけですがね。
で続いてそういうことを了承して貰
つたものとして、この問題についてお尋ねしたいのですが、この第
一條現行法がこんなふうになりますね。これは文章も長くな
つておる。それから書いてあることがどうも……。私さつき逐條朗読を省略するということについて私も賛成したのですがどうもよく分らないのです。これはつまり
憲法二十
八條、二十
一條関係は
一般に大きく
規定しておるけれども、併し
労働組合に関しては、
規定していないわけですね。それだからあのことを
労働組合に関して、この第
一條できつぱり
規定するということは筋合上成立つと思います。それによ
つて具体化すると、一層明確になる、ところがこれを日本文として読みますと、
現行法の第
一條に比べて文章も悪い。この
目的は何にあるのか。例えばこの
法律は、
労働者が
使用者との
交渉において
対等の
立場に立つことを促進することにより
労働者の
地位を
向上させること、又その
ようにしてなになにすること、更にその手続を助成することを
目的とする、こうな
つておりますね。これならば私はこの
規定には反対ですよ。反対であるが、こういう分り難いことを書くなら、もつと分りやすく書く日本語があるから、これは
労働者が団結して
労働者の
地位を
向上させること、そのために自主的に
労働組合を組織させること、こういうことを守るためにということを
目的とするということを書いたらよかりそうなものを、実に曖昧な書き方をしておる。私はその点だけでも大きく
保障させておるものを更に細かく具体的に
規定したのだということがどうも肯けないわけです。大きく
保障されておるものを具体的に
規定するならば、一層明確にならなければならないわけですが、ところが却
つて具体化し、小さい
範囲に限
つて書いたところが曖昧にな
つておる。これはどういうわけですか。そういうふうに感じられないのですが。