運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login

1949-06-29 第5回国会 参議院 法務委員会 閉会後第5号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十四年六月二十九日(水曜日)    午後一時四十二分開会   —————————————   本日の会議に付した事件檢察及び裁判運営等に関する調査  の件  (長野縣における新聞記者証言拒  否事件米子事件)   —————————————
  2. 伊藤修

    委員長伊藤修君) それではこれより法務委員会を開きます。最近長野地方檢察廳において朝日新聞記者証言宣誓拒否についての起訴事件がありましたが、その事件についての経過並びに法律上の根拠、又は外國におけるところの事例等について一應御説明をお願いいたします。
  3. 高橋一郎

    説明員高橋一郎君) 先日各新聞紙上に取上げられました長野縣下における新聞記者証言拒否事件を起訴したという問題のお尋ねでありますが、先ず事実の経過簡單に申上げますと、長野縣松本市におきまして、松本市警察署松本税務署員收賄被疑事件について本年四月二十四日松本簡易裁判所逮捕状請求をいたしたのであります。それで翌二十五日逮捕状発付されたのでありますが、その逮捕状発付されましたのが四月二十五日の午前九時頃であります。ところが朝日新聞松本支局員石井清という人が、その日の午前十一時頃及び午後一時半頃の二回に亘つてこの逮捕状に書き上げられております関係者の一人を訪問して、その被疑事実について取材しておるのであります。そうしてこれはあとから確かに分つたことでありますが、その日の五時頃その記事東京の本社に電話で送つております。一方逮捕状執行の方は若干遅れまして同日の午後九時頃に執行を了しておるのであります。ところが翌日二十六日の朝の朝日新聞長野版石井記者の送つた記事が掲載されておつたのでありまして、そのことから、その記事には令状発付があつたということ、及びその被疑事実が書いておつたのであります。從つてそのことが非常にどこでも問題になりまして、この石井記者に対して警察か、檢察廳か、或いは裁判所職員のうちの誰かが逮捕状発付されたということを間もなく話をしておるのじやないか、こういう嫌疑を生じまして、その搜査が始まつたのであります。で調べて見まして、只今申上げたことと、それから確かこの令状請求は前日なされたと、令状が出たのは二十五日でありますが、令状請求して警察官が裁判所に行きまして説明などをいたしましたのが四月の二十四日であります。結局日曜日になるのでありますが、この石井記者の書いた記事には、警察の方から初め令状請求の書類に書いてあつた被疑事実以外に、或る金額が、報奬金金額が載つてつたのでありますが、この報奬金金額というのは、その警察署署員が二十四日の日曜日に犯人説明しまして、そのときに犯人の忠告なんかもありまして書き入れました金額なのであります。警察の方なんかには行つて説明した警察署員以外にはそれは知つていない。檢察廳にもそれが分つていない。こういうような事情があつたのであります。それからそのとき日曜日でありましたので、その裁判所の勤務の職員の数が少かつたのでありますが、これを扱いましたのが、当時宿直の或る事務官裁判所事務官であります。ところがその裁判所事務官は、この石井記者の家に寄宿しておつたのであります。で誰かがこの令状発付の事実及び否認事実というものを、令状発付を直ちに洩らしているのじやないかと、こういうような嫌疑につきまして警察側で調べました結果も、それから檢察廳側で内偵いたしました結果も、大体裁判所事務官の人が出しているのではないだろうかというようなふうに考えられたわけであります。そうなりますというと、その裁判所事務官のやつた行爲は、國家公務員法の百條の「職員は、職務上知ることのできた祕密を漏らしてはならない。」という條項に反する。從いまして百九條の「一年以下の懲役又は三万円以下の罰金」というのに該当するということになるのであります。余談でありますけれども、裁判官國家公務員法特別公務員ということになつておりますので、この適用はないことになつております。それでその事件搜査が必要となりまして、他の方法による搜査はいろいろ十分やつたのでありますけれども、何分にもこれを洩らした人と恐らくはそれを聞いた人との間のやつたことでありまして、これを知り得た人は石井記者その人でありますが、その人に聞いて見ないというと誰がそういうことを話したか、殊に石井記者本人から聞く以外の方法で取材したのかも知れませんけれども、それも全然見当がつかない。從いましてこの國家公務員法第百條違反の事実を調べるためには、どうしても石井記者を喚んで聞かなければならない、こういうことになつたわけであります。それで檢察廳におきましては石井記者を喚んでその点を尋ねたのでありますが、石井記者はそのときにも新聞記者としてニュースソースを取得することは当然の権利であるという理由で以て証言に應じなかつたのであります。それで檢察廳といたしましては、止むを得ず刑事訴訟法の二百二十六條の「犯罪捜査に欠くことのできない知識を有すると明らかに認められる者が、第二百二十三條第一項の規定による取調に対して、出頭又は供述を拒んだ場合」ということで、この規定によりまして裁判所証人尋問請求をいたし、裁判所がそれに基きまして石井記者を喚んで証言を求めたのであります。そうしましたところが、石井記者は……。ちよつと拔けましたので補足いたしますと、裁判所に対して二百二十六條に基く証人尋問請求いたしました日は、四月の三十日であります。それで石井記者宣誓拒否になつておりますが、証人に喚ばれまして宣誓を拒否いたしましたのが五月の十六日、長野地方裁判所になつております。石井記者はその場合に証言宣誓を拒否いたしまして、その理由として、先程述べたような新聞記者としての当然の権利であるということを詳細に上申書を添えて裁判所に提出し、裁判所も止むを得ず証言をさせなかつたわけであります。この上申書にはその点に関しまするところのアメリカ文献写し写眞版を数ページ添付してありました。  ここまでが現地檢察廳限りの処分でありまして、中央で聞きましたのはこれから後でありまして、こういうことになつたが後の処置をどうしようか。即ち石井記者宣誓を拒否いたしましたのは、刑事訴訟法の百六十一條に基く主張であります。即ち「正当な理由がなく宣誓宣証言を拒んだ者は、五千円以下の罰金又は拘留に処する。」ということであります。そうしてそれにつきましては、百六十條におきまして同じ場合、即ち「証人が正当な理由がなく宣誓又は証言を拒んだときは、決定で、五千円以下の過料に処し、」という規定があります。ところが裁判所はこの百六十條の規定による処分は何も行わなかつたのであります。檢察廳としては、これをこのまま見送るか、或いは百六十一條によりますところの公訴を要求するかという問題として、長野縣檢察廳から東京高等檢察廳に指揮を仰いで來たわけであります。東京高檢は、問題の重要性に鑑みまして、最高檢察廳及び我々の方にも御相談があつたのであります。私共聽きまして、これは非常に何と申しますか、いわゆる官廳祕密、或いは搜査祕密というようなものと、やはり新聞の自由といつたものとの関係において考えなければならない非常に重要な問題であるというふうに考えたので、その点だけを明らかにして研究を重ねたわけであります。その場合に、最初問題になりましたのが、刑訴の百六十一條によるいわゆる「正当な理由」というのは、刑訴の百四十四條乃至百四十九條までに挙げられております「正当な理由」というものに限られるかどうかという問題を最初に議論したのでありますが、結論は無論それに限られるものではない。例えば選挙における投票の祕密は、憲法でも保障されておりますような強い権利であつて、且つ選挙法にも具体最の規定がある。このようなものは、やはり当然百六十一條の「正当の理由」と言つていいのじやなかろうか。それから外の法律祕密を守る義務規定しております場合、例えば裁半隊会議祕密でありますとか、或いは廣く國家公務員祕密遵守義務という場合はどうであろうかということになりますと、その場合に直ちにそれに持つて行つて刑事訴訟法上の正当な理由ということにはいかないのではないか。それはその根拠といたしましては、百四十四條で公務上の祕密証人資格規定がございます。これは國家公務員法と大体同趣旨の規定でありますけれども、監督官廳承諾を受けて証言する。その場合監督官廳は、國の重大な利益を害する場合を除いては、承諾を拒むことができないということが刑事訴訟法上にはかかつておるのであります。そういうような点からして、やはりその点は刑事訴訟法上の観点からも考えてみるべきであつて、他の法律祕密遵守義務を決めてあるからといつて、直ちに百六十一條の正当の理由というふうにはならないのではないか。こういうふうなことになりまして、それからそれ以外の場合で正当の理由、即ち法律なんかに何も規定がない場合に、そういうことがあるであろうか。それは例えば肉体的に今日は頭が混乱しておつて、全然筋道の立つたお話ができないというような場合には、これはやはりこの場合の正当なる理由と言えるであろう。それ以外にも何らかやはり考えられるのではないか。こういうような結論になりまして、從つて場合によつてはこの種の問題も正当の理由として考えなければならない、こういう前提で尚研究を進めたのであります。  次に今の問題となつておりますのは、新聞記者ニュースソースを秘匿することが百六十一條の正当な理由であろうかどうかということでありますが、憲法上はどうであろうかという問題では、憲法にいわゆる表現の自由、これはやはりその文理上は表現そのものの自由と解すべきではないかということになりまして、從つて本件は直接この表現自由云々の問題ではないということに結論がなつたのであります。ただ表現の自由を考えます場合に、よく新聞記者諸君によつて言われるように、ニュースソースに自由に近付き得る権利というようなことが、やはり考慮されなければならないし、更に進んではニュースソースを秘匿する権利というものが考えられなければならない。そういう観点からはどういうふうに考えたらよかろうかということで、再び刑事訴訟法に戻りまして、百四十九條あたり業務上の秘密証言拒絶の、即ち医者とか弁護士とかという人が、業務上知り得た個人の秘密とはどうであろうかということを考えたわけであります。そうしますというと、こういう医者とか弁護士という人が秘密を知るというのは、これは患者、或いは依頼者一般國民日常生活を営む上において、そういう人の助けを借りなければならない。医者にかかろうと思えば、どうしても体の秘密も打明けなければ必要の治療を受けられないということで、当然日常生活を営む上において秘密を打明けなければならないような関係にあるのであります。ここに書き上げられておりますのは皆そういうものと考えられるのであります。  ところが新聞記者が或る人から取材するということは、成る程、君だから言うというような関係はありましようけれども、言う方としましては、それを話さなければ日常生活を行うことができないというような関係にあるわけではないというふうに考えられて、百四十九條の場合とは別個の考え方で処理すべき問題ではなかろうかということになつたのであります。  それで今度は、いわゆる新聞道徳と申しますか、そういう観点からはどういうふうにであろうかと考えたのでありますが、成る程新聞記者諸君の通常の考え方といたしまして、自分が取材した相手方名前は誰には洩らさないということは、誰もが言つておりますし、又そういうふうに行なわれておるようであります。ところが一方新聞記事信憑性新聞が社会の公器として眞実を傳えなければならないというような観点からして、新聞記事出所については、その出所を明らかにするだけの用意がなければならないというようなことも言われておるようでありまして、そういう意味から、ニュースソース秘密するということは、必ずしも固定した道徳と申しますかそういうものではない。尚分析してこれを考える必要があるのではなかろうかということになつたのであります。  更に外國、特にアメリカあたりではどんなふうになつておるであろうか。石井記者の出した上申書にも、ちよつと今名前を忘れましたけれども、二つの文献写しが出ておるのであります。私共の方でその文献を精密に翻訳して研究いたしましたし、その他にも手許で得られるだけの資料を一應当つて見ました。それによりますというと、アメリカでは各州の立法で、こういう場合に新聞記者ニュースソース祕匿権刑事訴訟法上認めております州が六つか七つあるようであります。その他の州においてはそういうことはない。そうしてそういう規定のない州で、起訴陪審の表決の公式の発表以前に新聞がそれをすつぱ拔きまして、誰がこれを洩らしたかということから、その新聞記者裁判所によつて証言を求められて言わなかつたために、監獄に送られたということがありまして、やはり今度の我が國におきますると同じように大変議論を巻き起した事例などがあるようであります。そのときの論議によりますというと、新聞の中でも、それは当然のことだ、若し新聞記者がそういう場合にニュースソースを秘匿するという権利を認めるというと、利口な裁判官は常にそういうことで証言を……失礼いたしました。ちよつと今私正確に覚えておりませんから省略させて頂きますが、新聞によりましては起訴されるので当然であるというふうに申しておるのもありますし、併し外の新聞は勿論これは新聞の自由を害するものであるというような反駁をしていろいろ議論をしておるようであります。併しアメリカとしても通説といたしましては、特に立法のあります場合はともかくでありますが、それ以外の場合においてはニュースソースを隠すという権利は、当然形式手続証言拒絶の正当の理由とすることはできないというように相成つておるように我々は見たのであります。  そうして一應そういうようなことを研究いたしました上で本件に立返つて見ますというと、本件の場合は石井記者が果してどういう方法で以てこの記事を得たか、それは実は我々には分りません。実際に公務員である裁判所事務官の口からそれを聞いたのか、或いはそれ以外の何らかの方法でこれを得たのか、それはまだ分りませんが、若し相手の口から直接聞いたわけではないならばそのことを証言するのに何程の一体必要があるであろうか。又若し本人の口から直接聞いたのであれば、その相手方というのが即ち國家公務員法上の違反を犯しておる者であつて、その違反行爲相手方にただなつたのでありまして、その場合に洩らした本人を特に秘匿してこれを保護するだけの必要はないのではないか。逆にこの場合にそれを秘匿することを正当の権利と認めますというと、それ以外には實は方法はないのでありますから、それで國家公務員法違反犯人を結果的にはそれによつて隠匿するというような結果にならざるを得ないのであります。そのお互いの法益というようなものを考えて見まして、どうもこれを正当ということは困難ではなかろうか、こういう結論に到着したのであります。  それでこのような結論に到着いたしました以上は、これは重要な法律問題でありまして、檢察廳限りの処分でどうなるものでもありません。是非これは裁判所の有権的な決定を待つてこの点を明らかにして頂きたい、こういう考え方であの事件を起訴した次第であります。  尚申し落しましたけれども、一般ニュースソースを祕匿することは刑事訴訟法第百六十一條関係の「正当な理由」とは認められないというふうに、一般的に言えるかどうかということは我々としても疑問を持つております。例えば新聞記者が何か官廳に、公務員に贈收賄があるというようなことを新聞に書立てまして、で搜査官が直ちにその新聞記者を喚んで証言を求める。証言をしないとすぐ裁判所に二百二十六條の請求をするというような場合には、例えば二百二十六條の関係で「犯罪搜査に欠くことのできない知識」というような條件に当嵌まるかどうか。それは甚だ疑問でありますし、それのみならず一般的にそんな慣行が行われるといたしますならば、新聞記者の活動というものは著しく制限されることになることは明らかでありますから、そのような搜査はなすべきものでもなく、仮にいたしたとしてもそういう場合にはやはりこれは拒絶しても「正当な理由」として認められる場合があるのではないか。これはまだ私共は一般的に問題を解決したつたもりでおりませんので、研究中ではございますが、そういうふうな考え方もありまして、問題はやはり証言を拒絶することによつて保護すべき法益と、それから証言させることによつて法益と両方をやはり睨み合せての問題ではなかろうか。結局は相対的で具体的に判断すべき事項ではなかろうか。こんなようなふうに少くとも私は只今のところ考えておる次第であります。大変冗長になりましたが、一應長野事件はこのような経過で起訴いたしました次第であります。
  4. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 何かお尋ねがありますですか。岡部さん何かお尋ねがありますか……。では次に米子事件について松村さんの御質問がございます。
  5. 松村眞一郎

    松村眞一郎君 先達つて米子事件につきまして当時の檢事正においでを願つて大体のその時の模樣は承わつたのであります。私の要点は、廣島の方から御報告になつております中の文字を見ましても、家宅搜索という字を用いて報告ができておるのでありまするから、その行われましたいわゆる家宅捜索なるものの深さ、どういう程度家宅搜索をされたのか。それから幅、どういう程度の人々までも搜索されたのであるかということを伺つたのであります。その意味は、若し手続を経て裁判官から令状貰つて家宅搜索をした場合には、行わるべき深さと或る範囲があるわけであります。それとの違いはどういう点にあるかということを伺つたのであります。それははつきりしたお話もなかつたのですが、普通の令状を受けて行われるような家宅搜索程度には及んでいないというような意味の御説明があつたわけであります。実際どういうふうな工合状態で行われたのであるかということと、若しその中にその令状を受けて行う程度のそうして範囲家宅搜索が行われたとすればその場合に本人搜索を受けた方の側で承諾をすれば令状がなくてもよろしいというような工合な解釈が、檢察廳の側においても取つておられるのかというようなことがお聞きいたしたい要点なのであります。その点についてお考えをお述べ願いたいと思います。
  6. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 事実からお尋ねになるか法律論から先に……
  7. 松村眞一郎

    松村眞一郎君 事実の方からお尋ねいたします。
  8. 山本嘉盛

    説明員山本嘉盛君) 事実の方から私から説明いたします。家宅捜索をやる前に檢事正が予め全廳員を集めて承諾を求めたということは、確かでありましてその承諾が果して完全なる承諾であつたかどうか、その点について私は調査に重点をおいて調べたのでありますが、それが調べたことに角田檢事は積極的に取調べを受けることを申入れたのであります。その程度相手の名誉とかそれから感情を書しないように、できるだけ外部から分らないように警官に向けましても全部それは私服になつておるのであります。そうして警官は十名おりましたが大抵二、三人程度でありまして、二、三人の警官とそれから事務官一名というわけであります。殊に角田檢事家宅捜査の場合におきましては殆んど形式的でありまして、押入をちよつと開けて見た程度で、その外この吉野という雇の家宅捜査のごときは、その父が進んで少し暗くなつてきたので電燈を差し出して電燈のコードを延ばして、そうして見せるというように非常に好意的な態度を取つたのであります。それに対して檢察事務官の方でもできるだけ普通のいわゆる強制力を用いてやるという家宅捜索のように、家捜しをするという程度には至つていないような状態でありました。殊に搜査を受けた者が、家宅捜査といいますけれどもこの家宅捜査という言葉はいわゆる強制力を用いた場合の言葉でありまして、今回のこの米子事件においては刑事訟訴法にいういわゆる家宅捜査ではないと私は考えるのであります。それでありまするから搜査を受けた者は決してこれに対して憤慨をしておるという事実は見られなかつたのであります。ただ家宅捜査でなくいわゆる檢事正から取調べを受けた際のその態度とか言語に対して、多少憤慨しておるという氣持でありまして、その捜査の点については殆んど全部が惡感情を持つておらないという事実でありまして、その点から考えればこれは完全な承諾の下に家の取調べを受けたとこう私は思われるのであります。尚御不審の点があればお答えいたします。
  9. 松村眞一郎

    松村眞一郎君 承諾の有無は第二点、第二段なのであります。私の伺うのは捜査実質を伺つておるのであります。その実質刑事訟訴法で行うところの捜査の場合と深さがどうであるか、今のお話であればそれ程進んでいないということであります。凡そ訴訟法上で家宅捜査を行います場合の深さであります。深さが今度行われた程度である場合もあるかどうか。全然実質が違えば深くお尋ねする必要はないと思います。やはり外観から見ても家宅捜査をした、憲法にいわゆる搜査ですね、それをしたのだということに当るじやないかというようなことになるというと、やはり問題が起りはしないか。むしろ刑事訴訟法で言うよりも憲法言つてよかろうと思います。憲法において家宅捜索するということは、これは許されていないことはないんでありますから、若しそういうことを行うには令状がなくてはいかんということが第二段に書いてあります。そこで実際の搜索ということが憲法に言うておる、むしろ刑事訴訟法というよりも、憲法に遡つた方がいいかと思います。憲法で言うようなところの搜索というものの程度に及んでおるのではないか、及んでいないのであるかということが要点になるわけですね。そのためには或いは刑事訴訟法を引くということの方が便宜かも知れません。刑事訴訟法程度のものをここで言つておるのであるということであれば、その意味において刑事訴訟法をお引きになるということは結構でありますれども、その場合の刑事訴訟法で行われる搜索というものの程度、深みが、今なにがしの場合にはこういう程度だ、どの場合にはこういう程度だとおつしやりますが、その浅かつた程度のものも実際の家宅捜索の場合にもやはり捜索として行われることがないのかどうか。凡そ令状を以て行いました場合においては、そんな簡單なものじやない、ここまでいくのであるということであれば、そこははつきりしますから、そういうことが程度の上において明瞭に示し得るかどうかということが要点と、それから今檢察事務官が一人だというようなことでありますが、一人では普通の場合行わないものである。それから家宅捜索調書といいますか、そんなふうなものを作つたのかというような点ですね。実際の事実を承わつておるわけなんです。どのくらいの程度に行われたものであるか。調書でも作つて檢事正報告されたのかどうか、或いは口頭ででも報告されたのかどうかというような点、その事実をもう少しく詳しくお話し願いたい。
  10. 山本嘉盛

    説明員山本嘉盛君) 刑事訴訟法にいわゆる強制捜査ではないことは問題いないのです。ただその程度一般的に見れば外観上は家宅捜索というふうに見られるかも分りませんが、それは強制力を行使する意味のいわゆる強制捜索、いわゆる家宅捜索ではないと考える。その調書とかそういう正式の手続はしておらんようです。ただ口頭だけで述べておるように思われるのです。そのいわゆる証拠金二十数万円がなくなりました。それがどこかに家の中に匿されていないかどうか。それからそういうふうにやることによつて、本当に盗んだ者が、皆が迷惑をするから進んで自分が盗んだということを自供して呉れるのじやないか、そういうような考えから形式的にやつたように私は推察されるのであります。
  11. 松村眞一郎

    松村眞一郎君 いろいろ問題がそういう場合に想像して行かないというと、苟くも家宅に入つてその程度はたとえ薄くとも捜すのでありますから、そういう場合に若し反対の証拠が出たらどうしますか、あつたらどういう取扱いをするのですか。そこまで考えて置かんというと、苟くも探すのですから、あれば仕合せだという思想はそこにあるわけです。そういう場合にどういうふうにするかということと、それから強制搜索と言いますけれども、本人の方でどうぞお調べ下さいという場合もあるのじやないかと思います。家宅捜索の場合に、令状を持つて來たときに、私の方ではそんなことをした覚えはない、それでどうぞ調べて下さいということが家宅捜索の場合にあるのであつて、必ずしも意思に反することばかりではないと私は思うのです。家宅捜索というものは如何なる場合でも拒絶してもできるというところに強制という意味があるのであり、本人の方で進んでやつて下さいと言つてもやはり家宅捜索たることは変らない、こういうふうに私は思う。そこで承諾をすればよろしいということになりますか。
  12. 高橋一郎

    説明員高橋一郎君) これは法律解釈とも関連しますので私の方からお答えいたしたいと思います。それでは当時現地でどのようなことが起つたかということにつきましては、人権擁護局の山本さんが直接お調べになつておりますので、山本さんにお答えを譲りたいと思うのでありますが、只今の松村委員のお尋ねの点は法律解釈の点とも絡みますので、私の方からお答えさせて頂きたいと存じます。  結論的に申しますと、楢原檢事正のやりましたいわゆるこの報告書にあります家宅捜索というようなことが、松村委員のお尋ねちよつと言い換えまして、若し相手方承諾がなかつたらどうか、こういうことになりますと、それは勿論令状の要る方法であるというふうに申上げなければならないと思うのであります。  次にそれでは如何なる場合、即ち相手方承諾がある場合であつても、そういう形のものは憲法第三十五條に申しますいわゆる搜索であり、從つて令状を常に要するのではないかという点でございますが、その点に関しましては昨年三月五日附で当時の木内檢務長官から各檢察廳の長に通牒を出しております。便宜その通牒をここに引用してお答えを進めたいと思うのでありますが、これは確か委員部の方にも御連絡申上げてありますが、承諾による家宅捜索、任意領置の取扱いについての通牒でございまして、「捜査官が任意搜査として住宅等の立入及び証拠物件の領置を行うことは、裁判懐の令状によらない不法な搜索押收であるかのごとき誤解を生ずる虞が多分にあるのに鑑み、今後人の住居又は人の看守する邸宅、建造物、船舶等に立入つて捜索、押收を行う場合には、いわゆる任意捜査方法によることなく」云々と、こういう通牒であります。この通牒は刑訴應急措置法当時の問題でありますけれども、この精神は今日の新刑訴の下においても同樣に考えておる次第であります。この通牒の理論的な根拠といたしましては完全に間違いのない相手方承諾というものがあつた場合には、やはりいわゆる憲法に言う搜索ではない。又刑事訴訟法上も今状は要らない。理論的に申せばそういう考え方の基いておるのであります。  それではどうしてこういう通牒を出したか申しますというと、旧刑訴時代には大変いわゆる任意捜査ということがむしろ濫用されておりました。その後刑訴應急措置法、新憲法下になりましてさすがに任意領置というような問題は先ず絶無と言つてよろしいのでありますけれども、その後もやはり搜索なんかにつきましては、一部の地方におきまして任意承諾があつたのだ、こういうようなことで比較的放漫にそういうことをやつておる、こういうことを我々は聞いたのであります。ところがこの一体任意承諾領置などと申すのは言語同断な話であつて、成る程時の勢いで、そんなに疑うのなら私は一晩それなら証を立てますというようなことを申すかも知れませんけれども、それは勿論眞意による承諾とはいえないので、先ず私は捜査上の必要に基くところの、いわゆる承諾領置といつたような場合の承諾というものは、仮に外形上そういうことがあつたといたしましても、先ず眞の承諾ということはあり得ないというようなふうにさえ考えておるわけであります。で搜索となりますというと、それよりは若干実際にそれはちつとも構わない、寧ろやつてもらつた方がいいというような考えの場合もあるのではなかろうか。その例といたしましてこれはまあ適当な例とは申せないかも知れませんけれども、理論的に申せば同じ場合と考るのでありますが、例えば泥棒に入られた家が警察に届出をいたしまして、すぐに家の中を見ていろいろなその証拠でもあつたならば、一つ持つてつて早く犯人を見つけて欲しいというようなことを申します場合にも、形はやはり家の中に入つてつて遺留品とかその他があればそれを持つて帰る。こういうような手続になるのでありますけれども、先ずこの場合は本当の承諾に基いてやつたということで、仮に令状なくしてやつてもそれは違憲或いは違法というわけには参らないのではなかろうかというふうに考えられます。被疑者として、或いは容疑者といつたような種類の者として捜索なんかを受けます場合は、余程実際問題としては承諾等を認めるか否かについて愼重でなければならないと、こう思うのでありますが、まあ若し理論的につきつめて申せばやはり承諾ということはありうるのであるし、又客観的にそう認められる場合には、違憲、違法というわけには参らないのではなかろうか、例えば今憲法第三十五條に「何人も、その住居、書類及び所持品について侵入、搜索及び押收を受けることのない権利」とこうありますけれども、形だけを見ますというと、我々の家の全部留守のときに親類の子供がやつて來まして、家の中に入り込んで待つておるというような場合、当然もう承諾が予想される。予想して間違いない場合といつたような場合と、それから空巣が家の中に入つて來て飯でも食つておるというような場合と、やはり形は同じでありますけれども、承諾ということによつて本質的に違つて來るのではなかろうかというわけで、理論的には今申上げたような考え方に立ちまして、ただその運用を非常に制限するつもりで、この前の通牒は書かれておるのであります。
  13. 松村眞一郎

    松村眞一郎君 只今いろいろ例を引いてお話しになりましたが、そういう場合とはこれは全然違うのですね。泥棒が入つて來た場合にどうぞ家の中を調べて下さいという意味は、その頼んでおる人が被疑者じやない、被疑者はむしろ外にある。ところが本件はそうではない。うちが被疑者である。だからやはり刑事訴訟法と性質が同じじやないか。やはり檢事正がやられたのでは、被疑者とか何かその中にあるかもしれんということでおやりになつておるのでありますが、今おつしやつた例とは違うのです。すべて相手方被疑者としてお取扱いになつておる。若しそういうことであればそこに或る罪跡が出て來るかも知れんということを私は心配するのです。その場合のことも用意してかかりませんとうつかりこういうことをやりますというと、やはり被疑者に対する家宅搜索に違いない。それであればただ友達が來て中に入つておつたじやないかというようなのと全然違うのです。泥棒の搜査は家に入られる人が疑かを持たれて入つて來ておるわけであります。そういう場合には承諾がありさえすればよろしいというふうにお考えになつておるかどうか。この捜査及び家宅捜索というものは、これからやらないように、いわゆる任意搜索によることになつておるのでありますが、これは外に承諾すれば令状がなくてもいいということになりますかどうか。令状なくして出かけて行つて承諾を受けるならそれでよろしい、令状なくして出かけて行つて……、任意なんですが、出かけて行つたが令状は持つていない。よく話をして実はあなたの家に調べに來たのだ、それでよろしうございますか、調べて下さいと言つた場合、それは承諾があるのですから、心の中から承諾するかもしれません。そういう場合にそれでよろしいのですか。つまり承諾によつて令状発付はなくてよろしいということに御解釈になつておるかどうかということなんです。
  14. 高橋一郎

    説明員高橋一郎君) 純粹に理論的に申しますというと、やはり完全な眞の承諾があつた場合には強制の処分ではなく、從つていわゆる刑事訴訟法搜索ではないので、令状は要しないというふうに考えております。ただその令状というのは眞の承諾がなければ駄目なので、その場合は非常に少いであろうと考えます。
  15. 松村眞一郎

    松村眞一郎君 それは私はそう簡單に参らんと思いますが、承諾して令状なくして捜索します。やはり搜索なんでしよう。それは……
  16. 高橋一郎

    説明員高橋一郎君) 憲法三十五條に言ういわゆる搜索ではないと考えます。
  17. 松村眞一郎

    松村眞一郎君 それは議論になりますから……。それで証拠が出たらどうするのですか。持つて帰らなくちやならん、調書も作ることもあるかもしれませんね。すつかり用意して行くのです。用意して行くが令状がない。そこでよろしいと承諾した場合に、よろしい、こういうわけなんです。私そういうことを伺うのは、今後の事件につきまして同じようなことがあつた場合に、やはりこういうことが行われることがよろしいかどうかという問題を含んでおる。こういうことを繰返し繰返しやつてもいいのだということでお考えになつておるならば、同じ事件が起つたときに同じことが行われるので、それをどういうふうにお考えになつておるかということが、それが要点なんです。そんなことをしないで、やはり本当に疑わしてことを突きとめてから令状を持つて行つた方がいいのじやないかというふうに御解釈になりますか。今度の場合は後で令状を貰つて搜索に行つておるわけなんですが、その範囲は非常に狭い。一番初めは非常に廣いんです。そういうふうに令状を以て行われたその範囲が、或る意味においては迷惑な話で、薄いけれども疑いをかけられたということになる。だから若し全然なければそういうことをする必要がない。説明はこういうことなんです。一人の家に、家を探すわけには行かんから皆探すということが非常に公平だからということでやるというようなお心持もあるようなんです。それこそ迷惑な話であつて、疑いのない者も疑いのあるがごとき仮面をここに着せられて捜索されるということは、やはり人権の尊重から考えて、よろしくないというような疑いが起りはしないかという外部からの虞れが心配なんですよ。やはりそういう場合に何故そういうことをしたかといえば自分達の仲間だからしたのだという御説明なんです。仲間でなければしないということなんですが、仲間でもあればするという考え方がよいかどうかという問題なんです。普通の考え方を言うと、自分達の部下であるから、同僚であるから他の方とは違つたことをやつてもいいんだということは出て來んのじやないかという心配があるわけなんです。どなたにもやり得る、行い得ることを同人にもやり得るのであつて、同僚だから外の人に行えないことをやるということは、これは民主主義政治として、個人尊重という思想から言つておかしくはないかという心配を持つておるんです。どうも自分達の子供だから、外の他人にやるよりも子供に対してはもう少し進んで詮索してもよい、徴戒権の方でと、そういう理由がつけばよろしい。同僚であるからといつて徴戒権なりの作用があつて、そうしてこれは刑事訴訟法でなくその方の監督権の方で繰作をするという思想であればこれは別です。そういうような工合に言い得るかどうかということが非常に心配でありますから、若しこの問題をただ默つて済んでしまいますというと、同じ事件が起つた場合に、私はこれはたびたび起る、こういうようなことはよくあるのです。郵便局の中で職員がいろいろ物を盗るとかそれと同じようなことが起つた場合、同じことをやられてもそれでよろしいのかということになると、又同じことが行なわれる。そういうことがあつてよいかどうかということを非常に心配するのです。若し愼重にやるべきものであるならば、こういうことはやはり部下であるとかの故に他人よりも少し進んだことをやつてもよいんじやないかということの考え方がそれが民主主義政治の個人尊重という思想から見て……、そういうことの心配を持つて実はお尋ねしておるのです。今出て來ております米子事件と同じようなことが起つた場合に、そういうやり方でよろしいというお考えであるか。これはもう少し行き過きているからやはり令状を出し得る程度までの疑いがなければ、たとい部下と雖もそういうことはしない方がよいということになるかどうかということを或いはお決め願つて檢察廳においても檢事の諸君などともお話合いをして頂いて、問題にならないように……、外部からの問題が起るということを心配してお尋ねいたしておるんです。そういう点について御意見があればおつしやつて頂きたいと思います。
  18. 高橋一郎

    説明員高橋一郎君) 松村委員のお尋ねは、誠に我々としても非常に重要な点を突いて頂いておるので非常に有難いと思つております。お答えの前に、これは松村委員の本筋の御質問ではないようでありますけれども、そういうような場合に、米子で実際やつたような場合に、証拠品があつた場合に一体どうするのだというお尋ねでありますが、これはまあ前段が問題になつております今日、そこを論じても余り意味がないかも知れませんけれども、ただ理論的に申せば、その場合に改めて刑事訴訟法二百二十一條のいわゆる領置という段階になるか、或いはやはり令状によつてそれを押收するかという問題になるのであろうというふうに考えておるのであります。
  19. 松村眞一郎

    松村眞一郎君 私はそう思います。それをやらなければいかんと思います。新らしい手続を経てやはりそれは進めたいと思います。それはやはり公けにやらなければならないと思いますから。
  20. 高橋一郎

    説明員高橋一郎君) 全く私もそのように考えます。それからこの上官と部下といつたような特殊権力関係なり特殊な関係にある場合には、常人には許されないようないわゆる強制の手続というようなものが或る程度認められるかどうかという点につきましては、私はそのような理由はないというふうに考えております。ただ実際の問題といたしまして、常人であればできないけれども、そういう関係があるためにできるような結果になるのは、例えば勤め先の事務机とかいうようなものになりますというと、やはり公務のために預かつてつておるというような関係で、私は実際の適用においては多少違つた面が現われるのではないかと思います。ただ個人の邸宅や私有物などにつきましては区別する理由はないと私は考える。ただ米子の場合におきまして、私自身仮にああいう立場に置かれた場合にはどのような方法をとるのが一番よろしかつたか。実際に楢原檢事正のとつたような処置をとらないで、尚別途の搜査を進めて令状が出せるということになつた上で正規の手続でやる、これは尤もおつしやる通り本筋のやり方でありまして、これならば法律上異論がないということは当然だろうと思います。又どうも仕方がないということで、そのまま止むを得ず見送るというようなこともまあ致し方のないことでありますが、いろいろやはり楢原檢事正自身ですでに述べられたことと思うのでありますが、そういうような事情の下にあつたことでありまして、その点こう白黒というふうに割り切るということは、これは私自身の甚だ不勉強かも知れませんけれども、非常に困難なむずかしい場合ではないかというふうに只今のところでは考えております。
  21. 松村眞一郎

    松村眞一郎君 その白黒と定めることのむずかしいということは同感であります。併し問題がこれは法律論なのでありますから、これははつきりそれは行き過ぎておるか行き過ぎていないかということを定めて掛らんと、同じ事件の場合どうするかということになれば、それはその時の事情によつて適当にやつたらよかろうということになるのでは、法務廳として私はよくないと思います。今これは問題になつておりますから、このやり方がよいか悪いかということを我々は檢討しておるので、それはやはり明快にこれではいかんとかこれでよろしいとかいうことにならんというと、どうも判断がつかんということであると、この事件の價値判断がつかないことになる。それが今問題でありますから、他の方法考えることは必ずしも不可能ではないので、このやり方が良いか悪いかということだけははつきり決めて頂きたい。他の方法がないからこれより方法がないということまで考える必要はないのであります。他に方法があるかないかということは他の方法で今度考えればいい、同じような取扱いをして何ら我我は疑いをこれに持たない、明瞭にこういうことを可なりとするということに行くかどうかということが今問題ですから、それは今直ぐに私は御即答を求める意味ではない。少しお考え願いたいということを考えるのであつて、將來どういうふうにしたらよいかということになりませんと、これは檢察官の内部の問題であるから、適当に処理したということになつてもこれは困るのです。で御本人に対して迷惑を掛けるというようなことを考えておるのではなく、同じ事件が起ります場合に、檢察廳としてはこういうことではつきり行くんだということにして、こういう問題を片付けるようにしたいということを考えておるのですが、檢察廳として御相談願つて置いたらよかろうと思う。今直ぐにここにおいで願つた方に、檢察廳の意見はこうだということをお尋ねするのは私は無理だと思います。私共の疑問としているところだけを御聽きとり願つて御檢討頂いたら結構だと思います。問題の價値なしということでここではつきり御答弁願えればそれは結構ですが、そういう簡單な問題でないと私は思うのです。むしろ御考慮を願つた方がいいのじやないかというふうに思います。
  22. 高橋一郎

    説明員高橋一郎君) 先程より松村委員の御疑問の点は、私自身が実は解決しなければならない問題でありまして、考えておる問題でありまして、よく御趣旨が分りますから、尚帰つて他の人とも相談いたしまして善処いたしたいと思います。
  23. 伊藤修

    委員長伊藤修君) ちよつと速記を止めて。    〔速記中止〕
  24. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 速記を始めて……本日はこれを以て散会いたします。明後日午前十時より開会いたします。    午後三時五分散会  出席者は左の通り。    委員長     伊藤  修君    理事      岡部  常君    委員            齋  武雄君           大野木秀次郎君            遠山 丙市君            深川タマヱ君            來馬 琢道君            松村眞一郎君   説明員    法務府事務官    (檢務局長)  高橋 一郎君    法務府事務官    (人権擁護局    長)      大室 亮一君    法務府事務官    (人権擁護局第    二課長)    山本 嘉盛君