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1949-04-19 第5回国会 参議院 法務委員会 第5号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十四年四月十九日(火曜日)    午前十時五十一分開会   ————————————— ○檢察及び裁判運営等に関する調査  の件  (右件中佐々木松夫事件に関し證人  の証言あり)   —————————————
  2. 伊藤修

    ○委員長(伊藤修君) ではこれより法務委員会を開きます。  本日は佐々木松夫事件について證人取調べることにいたします。證人桐生政夫松浦光城中村文男吉川正治、權逸、以上五君を取調べることにいたします。うち松浦光城君は病氣のため出頭でき難いという申出がありますから御承知願います。   —————————————
  3. 伊藤修

    ○委員長(伊藤修君) 吉川さんですね。
  4. 吉川正次

    證人吉川正次君) はあ。
  5. 伊藤修

    伊藤委員長 今日佐々木松夫事件につきまして、あなたの御関與になつた点を御証言願いたいと存じまして御出頭願つたのですが、先ず証言をお願いする前に宣誓書の朗読をお願いいたします。    〔総員起立證人は次のように宣誓を行なつた〕    宣誓書   良心に從つて眞実を述べ、何事もかくさず、又、何事もつけ加えないことを誓います。         證人 吉川 正次
  6. 吉川正次

    吉川證人 私の名前間違つておりまして、マサツグが正しいです。それからキツカワと読みますから……。
  7. 伊藤修

    伊藤委員長 はあ……。お住いはどちらですか。
  8. 吉川正次

    吉川證人 武蔵野市吉祥寺五百三番地です。
  9. 伊藤修

    伊藤委員長 お齢は。
  10. 吉川正次

    吉川證人 三十八才。
  11. 伊藤修

    伊藤委員長 ちよつと学校を卒業してからの御経歴を簡単に……。
  12. 吉川正次

    吉川證人 中央大学法学部卒業です。それから最初半年ばかり判事になりまして、それから檢事に轉換しまして、それが昭和十六年ですね。それからずつと今日まで檢事をやつております。
  13. 伊藤修

    伊藤委員長 任地はどちらですか。
  14. 吉川正次

    吉川證人 任地は、檢事の初任地甲府であります。それから甲府から横浜へ行きまして、横浜から東京へ、当時の東京裁判所檢事局ですね、そこへ参りまして、それから昭和二十年、戰争末期のときに長野地方裁判所檢事になりました。それから浦和の地方裁判所檢事になりまして、二十一年の十一月東京檢事局に帰りまして、それからずつと現在に至つております。
  15. 伊藤修

    伊藤委員長 東京におられるときに佐々木松夫事件取調べになりましたか。
  16. 吉川正次

    吉川證人 調べました。
  17. 伊藤修

    伊藤委員長 その事件の概要を一つおつしやつて頂きます。
  18. 吉川正次

    吉川證人 ちよつと今日……。起訴事実なんかも、そういうこともですか。
  19. 伊藤修

    伊藤委員長 簡單でよろしいですから、こちらは大体分つておりますから、順序として……。
  20. 吉川正次

    吉川證人 佐々木松夫事件昭和二十二年の十一月初めに恐喝の容疑で警視廳が逮捕いたしまして、それを私が主任檢事として取扱うことになつたのです。そうして逮捕して取調べた結果、最初の法定の拘束期間中の十日間の間で大体、戰災救済会を始めたり、その事業をやることについて各小学校行つて校長先生に対して威しがましいことを言つて、ミシン、それから机、そういつた物を召上げて來たという点について、大体恐喝が認められるということになりまして、その結果十一月十五日に第一次恐喝罪によつて起訴いたしました。そして尚引続き余罪がある見込みでありましたので、身柄拘束のまま取調べを続けて、その間戰災救済会へ一度事業の模様、その他を見に参りました。その結果倉庫の中に相当救済物資と称する物資が沢山ありましたので、この物資入手などについて、相当つておるものですから、そこにいろいろ不正があるのじやないかという点で、その点を調べた結果、外部業者と結託して、まあ結託してと申しましても、この点については証拠上いろいろな議論があるのですが、法律的に私共の方で共謀の上と認められる程度において、第二復員局被服類申請救済会名義で出して、そうして配給を取つた物を外部業者が横流しをしておるというような事実を掴えまして、それを結局詐欺罪、要するに第二復員局を騙して全部戰災救済会物資を入れるような予想で配給物資を取つたという認定を下しまして、その点を詐欺で押えまして、そうして尚佐々木松夫配給を受けた物資の中一部を自分が私行上のことに使つておるというような部面もありましたので、その点は横領罪起訴することにしました。そうして十二月十七日に詐欺業務横領で追起訴したというのがこの犯罪事実の取調べ関係です。
  21. 伊藤修

    伊藤委員長 それから事件はどうなつたのですか。
  22. 吉川正次

    吉川證人 それからその間に順次これを入れて行きましようか。事件の内容だけでいいのでしようか。
  23. 伊藤修

    伊藤委員長 事件の結末だけ。
  24. 吉川正次

    吉川證人 そうしまして、日時ははつきりしませんが、それから二月頃から公判を数回開廷されまして、これは地方裁判所の刑事第十二部加納裁判長の部です。そこで数回、何回というか、五、六回開廷になつたと思います。その結果、檢事からは佐々木松夫に対して懲役四年の求刑をしました。それからそれと結託した外部業者、これは名前は……。
  25. 伊藤修

    伊藤委員長 沼田西村ですね。
  26. 吉川正次

    吉川證人 沼田西村、その二人については、西村に対しては懲役三年、それから沼田に対しては懲役二年の求刑をいたしました。そうしてその結果、判決は、佐々木につきましては檢事求刑と非常に異つて懲役一年六ケ月、それから西村に対しては二年だと思いましたが……。
  27. 伊藤修

    伊藤委員長 一年です。
  28. 吉川正次

    吉川證人 一年ですか。それから沼田に対しては、二年で執行猶予が付いたと思います。沼田は二年ですか。
  29. 伊藤修

    伊藤委員長 十ケ月です。
  30. 吉川正次

    吉川證人 十ケ月で、それで執行猶予が付いたのですが、大体の檢察廳と、裁判所意見の開きは、これはまあ、私共の方で裁判所考えは分りませんが、事案が非常に古いということが、裁判所が軽くした理由のように思われたのです。併し私共の方で佐々木松夫西村につきましては、量刑が軽過ぎる、こういう点と、沼田檢事控訴しなかつたのは、沼田は終始一貫警視廳調べ以來供述について、ずつと正直を述べておりまして、公判まで終始一貫した態度をとつてつた。ところが西村公判で先の犯意を否認したり、非常に面白くない態度をとつておる。佐々木もそういうところがあつたのですが、それで、そういう事情と、それから量刑が軽いという点から、沼田に対しては判決を尊重して、そのまま檢事の方も黙つていた。それから佐々木西村については檢事控訴ということになりまして、檢事控訴いたしましたところが、被告人側も、佐々木西村はやはり不服で控訴いたしました。それで沼田は服罪いたしまして、一審で確定いたしました。控訴した結果多少保釈になつて、その後大分裁判がかかつて、昨年の十一月頃であつたと思いますが、佐々木については二審では結局二年六ケ月、それから西村については、私只今どのくらいになつたか知りませんが、判決が下りまして佐々木は、その前後に連合軍当局からいろいろな話があつたということから、恐らくそれが原因だろうと思いますが、佐々木は直ちに服罪いたしました。そうしてずつと刑の執行を受けております。
  31. 伊藤修

    伊藤委員長 あなたが搜査中に、佐々木若しくは佐々木のグループの人間から、いろいろ暴力的な圧力を加えられたということはなかつたのですか。
  32. 吉川正次

    吉川證人 全然ありませんでした。
  33. 伊藤修

    伊藤委員長 搜査については、そう難儀は、なされなかつたのですか。
  34. 吉川正次

    吉川證人 その点について私は、最初佐々木檢挙は、いわば尾津というような組織的暴力團檢挙が、この年の春からありまして、いわば何と申しますか、警視廳でも残党の処理という意味で、搜査の対象になつて來事案で、初めて檢挙になつて、これが暴力的なものであるというわけで、取調べをしておりました。ところが佐々木は過去においても暴力的な事案がありまして、乱暴者であるということが分りました。併し彼は非常に智能が低いというのと、非常に昂奮性のためにこういうことをやつてつた終戰後の混乱に乘じて……、そういうような印象を受けまして、私は調べについては何等圧迫どころか、そんなことは全然感じませんでした。ただ小学校先生證人として調べましたが、先生達は当時事案として二審へ出すときに、佐々木に圧迫されたということは申しておりましたが、その取調べ証拠関係で、佐々木は無論檢挙いたしておりましたし、暴力的な威圧というようなものを受けたというようなことは、全然私は聞いておりませんし、私及び警視廳調べに対しては、そういつたような威力は全然ありませんでした。
  35. 伊藤修

    伊藤委員長 いわゆる佐々木配下ですか、部下ですか、そういう者は関係者に対してはどうですか。
  36. 吉川正次

    吉川證人 それは私は全然聞いておりません。恐らく佐々木には部下配下と称する者が、当時私共調べた材料では大したものがないようですし、そういうことはないと私は思つておりました。
  37. 伊藤修

    伊藤委員長 あなたの調べの過程において、佐々木配下と称する者はどのくらいあつたのですか。
  38. 吉川正次

    吉川證人 その配下は、只今申上げたように組織的にできたものでなくて、佐々木という者が復員して來て、浮浪者とか、そういう者を集めてやつたのであつて、ただ彼の腹心になつてつたの中村とかいう若い男がおりました。その程度でありまして、他に見るべき組織的な部下というような者があるということは考えなかつた
  39. 伊藤修

    伊藤委員長 元特攻隊員と称する者が五、六名おつたのではないですか。
  40. 吉川正次

    吉川證人 そういうことは、搜査線には現われなかつた
  41. 伊藤修

    伊藤委員長 彼の言うところによると、特攻隊の血盟の士が十二、三人おつて、段々それが脱落して五、六人最後に残つて、それと手を組んで本事業を開始したというようなことを言つておりましたが……。
  42. 吉川正次

    吉川證人 それは当時私共が、何か暴力的なものが非常に背景にあるということを感ずれば、そこを調べたのでしようが私共は恐喝事案調べて、何ら調べに支障が起きませんでしたものですから、その背後の連中が彼と一緒になつて恐喝的事犯をやつてつたということも出ませんでしたから、別に私の方では、そういう点ははつきりしなかつたのですが。
  43. 伊藤修

    伊藤委員長 併し少くとも佐々木は、そういうような背後関係團体的の威力は利用しておつたわけでしようね。
  44. 吉川正次

    吉川證人 それが、そういう特攻隊員が五、六名あつたとかいうことが搜査線に出て來ますと、そういうことがはつきりしたのでありますが、まあその点搜査不十分と言えば不十分かも知れませんが。
  45. 伊藤修

    伊藤委員長 あなたとしては、暴力行爲取締規則のあの法律に適合するような團体には、考えられなかつたのですね。
  46. 吉川正次

    吉川證人 当時は、搜査の頃は、その点は証拠上出なかつたのです。
  47. 伊藤修

    伊藤委員長 あれは一体日本人ですか。朝鮮人ですか。
  48. 吉川正次

    吉川證人 それは私の方でも、戸籍調べましたのですが、はつきりしない。大体本人の言うところによると、日本人であつて朝鮮渡つて浮浪生活をして、又帰つて來た。私の方ではまあ朝鮮人じやないかと思いましたけれども、併し浅草署に、あの辺に戸籍があるのじやないかと考え調査さしたのですが、どうもはつきり出なかつた。それで事案に対してそれが決定的に影響するものでもないから、そのままにして置いたわけです。
  49. 伊藤修

    伊藤委員長 戸籍が二つあることについては、お尋ねになりませんでしたか。
  50. 吉川正次

    吉川證人 本人に聽くと……、ただ私の方は浅草署に命じて調べさしたところが出て來なかつた本人の言うことは一應聞くだけで分りませんから……、それに仕事に追われておるものですから、そのままにしてしまつたのです。
  51. 伊藤修

    伊藤委員長 戸籍が二つあるらしい、荏原と江東と……。
  52. 吉川正次

    吉川證人 江東の方にも何か……。
  53. 伊藤修

    伊藤委員長 両方にれつきとして……。年令は戸籍面では違いますけれども……。
  54. 吉川正次

    吉川證人 もう一つは、当時は佐々木松夫という者がそれ程、昨年暴力團体として解散命令を受けた時頃までは、そう大したものじやないというような考えつたですから、割合にそういう点について緻密な搜査も、最初の頃は單なる暴力團事犯のものの程度でこれは恐喝してよくない野郎だというので入れたというような程度つたんです。
  55. 伊藤修

    伊藤委員長 背後関係については余り衝いていないんですね。
  56. 吉川正次

    吉川證人 ええ、いないんです。
  57. 伊藤修

    伊藤委員長 その事件につきまして、何か最初執行停止か何かの、仮保釈申請があつたのですね。それはいつ頃ですか。
  58. 吉川正次

    吉川證人 最初ですね。これは十二月にも、十一月の十五日に第一の起訴をいたしましたから、それで多少は私の方で、待つてくれ、待つてくれと言つても、もう十二月になつてからは弁護人の方から保釈申請が出まして、それで弁護士が四五人附いておつたと思いますが、入れ替り立ち替り毎日催促に來るんですよ。私の方ではあと起訴した詐欺業務横領がありましたから、それが搜査中でありましたから、搜査の終るまではとにかくイエス、ノーの返事はできない、待つて貰いたいと、それでやつてつたんです。ですから最初保釈申請は、十二月のもう少くとも十日前後には出ていると思うんです。それで私の方では持つておりまして、そうしてまあ一應私の方で諾否を決定するについて、まあ搜査もしておりますし、慎重に考慮するというような意味で握つてつたわけです。そうしてそれで十二月十七日に追起訴をしまして、一應搜査も終了した。それであと残務整理なんかをやつている中に年末がやつて來たわけです。それで年末になりますと、年越をする関係保釈問題についてはできるだけ考慮してやるというようなことになつて來まして、それで私の方では、再々やいやい向う言つて來るもんですから、それで大体住所はありますし、逃亡もする虞れはない。それから証拠湮滅の点ですけれども、この点も取調べに対しては非常に恭順の意を表しておりましたし、関係者もちやんと調べてありましたし、大体勾留の理由がなくなつて來たというようなことから、それともう一つは、彼が相当大規模な救済事業をやつておる。それで年末を迎えて債務なり、対外関係の決済にしても困る、殆んど独裁でやつておるので、非常に困るというような上申もあり、私もその現場を見ておりましたから、それらを総合して保釈にしてもいいんじやないかと考えたのですが、そうしたところが執行停止になつたのは、……それで私等の方は年末押し詰つて、そのときに書類を調べてみましたら、二十六日にですね、今日やらなければ裁判所の方は明日一日しかないからできない。それで二十六日に私の方で確か午後か夕方頃、これを向うに廻してやつたんです。ところが裁判所は、多少恐喝事犯でもあるし、それから突然年末押し詰つてつて來られても決定しかねるというようなことで、一應執行停止するということで、執行停止されたんだと思いますが。
  59. 伊藤修

    伊藤委員長 その当時あれですか、いわゆる正式の名前戰災者救済会というんですか。その救済会仕事というものは、彼がいないとできない状態であつたんですか。
  60. 吉川正次

    吉川證人 まあ彼のあと中村くらいで、彼が殆んど主として対外関係をやつてつたというので、彼がいなければ非常に困るだろうということは、私の方で想像されましたんです。
  61. 伊藤修

    伊藤委員長 外のあれですね、何というのか、部下の人ですね、同志の人がおるんで、それらで切り廻しできないのですか。
  62. 吉川正次

    吉川證人 そいつはまあ必ずしも全然できないということはないでしようけれども……。
  63. 伊藤修

    伊藤委員長 で、そのことについては保釈願が出てから、救済事業の実況を見聞に行つたのですか。
  64. 吉川正次

    吉川證人 いや、それは保釈願が出てからかどうか分りませんが、とにかく警視廳の方で相当物資もあるし、それから事業状況もあるし、これは警視廳でも言つておりましたし、それから弁護人もそう言つておりまして、やはり事業の実態を見て貰つた方事犯判断に非常に効果があるということを言われまして、それは尤もだと思いまして、私一度夕方ちよつと行つて見て來たことがあるのです。
  65. 伊藤修

    伊藤委員長 何か收容者相当おりましたか。
  66. 吉川正次

    吉川證人 ええ、收容者はあの学校に全部一杯入つてつたのです。それともう一つ、私は遠いから見に行きませんでしたが、小平で兵舎を拂下げを受けて、農耕その他の事業をやつておるということはまあ本人言つておりましたが、まあ、そういうのもあるだろうとは思つておりました。
  67. 伊藤修

    伊藤委員長 その程度調べになつただけですか。
  68. 吉川正次

    吉川證人 ええ。
  69. 伊藤修

    伊藤委員長 彼の事業は。
  70. 吉川正次

    吉川證人 ええ、事業は。……。
  71. 伊藤修

    伊藤委員長 そうすると、その事業遂行本人がいなくてはできないということは、それによつて御了承になつたわけですか。
  72. 吉川正次

    吉川證人 ええ、まあそれで大体一つ資料ですね、いろいろな事情の、状況判断資料として無理もないというようなことを考えたのですね。
  73. 伊藤修

    伊藤委員長 あなたがいらつしやつた頃には、收容人員は百七十名ぐらいだつたそうですね。
  74. 吉川正次

    吉川證人 そうですね。人数は何人おりましたか、私もちよつと三十分ぐらい、忙がしいものですから。すつと行つて、何がどこでどういうものがあるということを見て、すぐ帰つて來ましたから。
  75. 伊藤修

    伊藤委員長 それでは正確な数字は御存じないですね。
  76. 吉川正次

    吉川證人 ええ、分らないのです。
  77. 伊藤修

    伊藤委員長 何だか百七十人ぐらいだつたらしいですが、そうすれば本人がいなくても、中村だけでも締りが付くと考えられるのですね。
  78. 吉川正次

    吉川證人 そうですね。小平の方はどのくらいおるのですか。これは御調査になりましたか。
  79. 伊藤修

    伊藤委員長 小平の方は何か佐々木と実体的に離れちやつて佐々木の方の支配下でないらしいですね。
  80. 吉川正次

    吉川證人 それは当時ですか。
  81. 伊藤修

    伊藤委員長 まあ佐々木の息はかかつておるでしようけれども、実体は離れておるらしいですね。
  82. 吉川正次

    吉川證人 まあ私の方では、当時恐喝事件調べておつたので、その事業自身について詳細な調べはしなかつたのです。
  83. 伊藤修

    伊藤委員長 けれどもまあ保釈理由が、事業遂行のために本人がいなければできないということが主な理由によつて……。
  84. 吉川正次

    吉川證人 いや、それが主な理由ではないのですがね、要するに主な理由というのは、取調が済んで……。
  85. 伊藤修

    伊藤委員長 法的條件が、勾留する條件がなくなつた、こういうお考え……。
  86. 吉川正次

    吉川證人 ええ、そうですけれども、恐喝的の事件ですから、一應はどうかということは考えるわけなんですし、そこに大きな事業もやつておるというようなことで非常に困るだろうという想像が、まあ一つ状況判断を加えて、それと当時は特殊な案件を除いては、成るべく保釈にしてやる。まあ新憲法精神でそういうような運用方針がありましたものですからね。
  87. 伊藤修

    伊藤委員長 まあ憲法精神はそうでありましようけれども、まあ憲法、一面におきましては、いわゆる本人人権を尊重すると共に、他の公共福祉というこうも考えなければなりませんから、そういう点も思い合せまして、本人異本人権のみをあまり重大視して、他の一般の公共福祉がそれによつて害せられるという場合には、相当考慮せられなくちやならんと思いますが。
  88. 吉川正次

    吉川證人 それはそうですね。
  89. 伊藤修

    伊藤委員長 そういう点がまあ関係方面では主点に置かれているのではないかと思われます。
  90. 吉川正次

    吉川證人 そうだろうと思います。
  91. 伊藤修

    伊藤委員長 だから、あなたの方で彼の背後関係、彼の持つところの威力、財力いわゆる團体的の力というものが少し重く見られれば、そういうことはなかつたのじやないかと思うのですがね。
  92. 吉川正次

    吉川證人 そうかも知れんです。当時は私の方でもそういつた大きな背後関係があるということは考えていませんでしたし、まあ單純な恐喝事件つたという程度であつたのです。
  93. 伊藤修

    伊藤委員長 恐らくそういう考えつたでしようね。
  94. 吉川正次

    吉川證人 それで実は後日になつて團体調査ということが始まつて、だから搜査する当初がそういう狙いで搜査しておるものですから、それに年末でどこもここも非常にゴタゴタ混むものですから、成るべく事件を片付けて行く方に向けて行くものですから、余り深く入り込んで行く余裕がなかつたわけです。
  95. 伊藤修

    伊藤委員長 そうすると、保釈申請理由は副次的に一つ條件としてお考えになつて、それに主点を置いたわけではない、こういうわけですね。又基本的なあなたのお考えとしては、もう勾留する條件がすべて喪失しているから、その点において重点を置いてそれに意見を付して保釈したのだ。裁判所もそういう考えですね。
  96. 吉川正次

    吉川證人 そうですね。そこで意見のところに二三射出檢事と私との意見相違があるのです。この点はこの前の報告でも申上げて置いたのですが、これは弁護人大勢つて途中で執行停止というものになつたものですから、弁護人が又個々的に出す場合もありますし、連絡が必らずしも取れていない。そうして私どつちの書面か分らんが、兎に角出してくれということで保釈執行停止なんですが、そういう書面が何度も出るわけなんです。それで私としては最初に先ずそういう決定をなしましたから、ですから檢事としては一度意見を決めたからというので、同じ意見を何枚か申請書が出てくるやつに対して附したわけです。ところがその間に大勢弁護士が出したので、私の不在中に何か弁護士から恐らく急がして催促したのだろうと思うのです。そういう場合は、檢察廳では、大体各部の部長檢事というようなところに持つてきまして、そうして檢事を追駈けて歩くということをしないで、そこに行つて印を捺して檢事局意見を付けて貰うということが行われるのです。そういう場合は主任がいないから事件を一々調べることもできんというので、一應態度を慎重にするというような意味で不相当、……兎角今までは檢事局で行われていたのですが、不相当という意見を付けるわけです。それが射出部長の間に入つたわけです。私は今度こちらでお尋ねになるまでは、そういうのが中に入つているのは全然知らなかつたのです。成るほどそう言われて記録を調べてみましたならば、射出檢事意見を付けたものが一枚入つてつた。それで射出檢事がこちらに出された通り、部長としては、部長のところに五枚六枚もいろいろ行くのです。そういう場合に、これは忙がしいので、弁護士なんか來ていますというやつは、大体慎重な態度を取るという意味において不相当という印を捺したということが、この東京地檢が非常に忙がしいものですから行われている、部長はそれでやられた。本人はそうおつしやつていますし、私もそう思います。
  97. 伊藤修

    伊藤委員長 あなたと部長との意見相違は、結局部長主任じやないので分らんから一應不相当として置けば無難だというような軽い意味でなされた。根本的に考え方が違つているというわけじやない。こういう御趣旨ですね。
  98. 吉川正次

    吉川證人 そういうわけです。特にちようど一月から前任の中村部長射出部長が代られた。この事件起訴する頃は中村部長ですから射出さんは御存知なかつたのです。ですからそういうふうになつたと思うのです。
  99. 伊藤修

    伊藤委員長 度々執行延期がなされておりますね。
  100. 吉川正次

    吉川證人 ええ。
  101. 伊藤修

    伊藤委員長 これはどういう理由ですか。
  102. 吉川正次

    吉川證人 それは裁判所執行延期ですか、刑の執行延期ですか。
  103. 伊藤修

    伊藤委員長 いや停止の……。
  104. 吉川正次

    吉川證人 ですから、それは事業整理についてというようなことが今度は裁判所の方に出ているわけです。私の方では今まで申上げたそういつた事情から相当意見を付けましたから、これは執行停止であつて保釈であつても結果的には同じわけですから同じ意見を付けてやつた
  105. 伊藤修

    伊藤委員長 別に事情をあなたの方でいわゆる延期する理由があるか取調べになつて相当という意見を付けたわけじやないのですか。
  106. 吉川正次

    吉川證人 特に調べたわけじやありません。
  107. 伊藤修

    伊藤委員長 これはただそういう考え方が継続したに過ぎない。
  108. 吉川正次

    吉川證人 そういうわけです。
  109. 伊藤修

    伊藤委員長 それから四月頃に保釈申請に廻つたわけですね。
  110. 吉川正次

    吉川證人 そうです。
  111. 伊藤修

    伊藤委員長 勿論これは相当と……。
  112. 吉川正次

    吉川證人 勿論最初に付けましたから相当という意見を付けたのです。
  113. 伊藤修

    伊藤委員長 それは結局事件引延ばすというためじやなかつたでせうね。執行停止ですか、保釈申請は……。
  114. 吉川正次

    吉川證人 引延ばすという意味じやありません。
  115. 伊藤修

  116. 吉川正次

    吉川證人 延びていないと思います。ただ身柄勾束中事件よりは、不勾束の事件の方が延びやすいという点はあります。その程度だろうと思います。
  117. 伊藤修

    伊藤委員長 それがため延びているということはないですか。
  118. 吉川正次

    吉川證人 そういうことはないと思います。
  119. 伊藤修

    伊藤委員長 その保釈中に、彼が事業面において相当暴力若しくは圧力を加えて多くの人に迷惑をかけているということはお耳にしなかつたのですか。
  120. 吉川正次

    吉川證人 それを聞かないのです。それを若し聞けば私の方では直ちに保釈を取消したのです。これは本人にお聞きになると分りますけれども、私は本人が出るときにもう懇々とそれを言い聞かして出したのです。そういう問題でお前は調べを受けたのだから、暴力的なことだとか威張るとかということは絶対慎まなければいかん。若しそういうことが僕の耳に入つたら直ちに保釈の取消をするぞということを私も言つたのです。それで佐々木保釈になつてから公判中にて一二度私の所にやつて來たことがある。というのは、來たのは檢事さんにそういうふうに言われたので、私は注意をしているつもりですけれども、檢事さんの耳に私のことが何か入りましたかということを聞きに來たことがある。ですから本人もその点は、私の言つたことはよく心に留めておる筈だと思つたのです。私の方は第一線から離れておりますから警視廳の方からも別に、それから一般の投書なども私の方に全然來ないものですから、私の方としてはそういう事実があるということは知らなかつたのです。
  121. 伊藤修

    伊藤委員長 佐々木という人物がそういう危險性のあるというふうにはお考えにならなかつたのですか。
  122. 吉川正次

    吉川證人 本來はそういう暴力的な危險のある男だということは考えました。
  123. 伊藤修

    伊藤委員長 相当激しやすい男です。
  124. 吉川正次

    吉川證人 激しやすいので、最初申上げたように昂奮性の強い、智能が低いのですから、どうしてもそういうことになりやすい。併しあの今度の檢挙で約二ケ月間中に入つて、そうして取調官からも懇々と話してありますし、もう彼も三十ぐらいになつてつていろいろな事業をやろうとしている男ですから、私の方では我々の言うことは分つて、今後は改めて呉れるというふうに考えておつたのです。
  125. 伊藤修

    伊藤委員長 あなたは佐々木に対して相当好意的に考えられていらつしやるらしいですね。
  126. 吉川正次

    吉川證人 好意的と言いますか、戰災のゴタゴタに彼が浮浪者を救済するために熱を入れたという点については、まあ惡いことじやないと思つていました。
  127. 伊藤修

    伊藤委員長 やつた考え方はよかつたでせうけれども、それはたまたま手段にして結局私腹を肥やして多くの人に迷惑をかけている。
  128. 吉川正次

    吉川證人 そうして私腹を肥やした点ですね。その点も当時搜査したのですが、忙がしいせいもあつたでせうけれども、私として救済会物資を動かした面は起訴したわけです。ですからそういう点も私も関心を持つて調べたのです。
  129. 伊藤修

    伊藤委員長 けれども彼に言わしても、最初一万円であつたものでも、現在の時價にすれば一億に近い資力ですからね。それは彼が働いて得たものでないということは明らかですね。
  130. 吉川正次

    吉川證人 結局それは拂い下げたものです。
  131. 伊藤修

    伊藤委員長 拂い下げたりいろんな手段によつて救済事業に名を籍つて獲得した財産ですね。その財産と彼が持つところの、いわゆる團体との結合によつていろいろな惡い活動が行われたということも考えられるのですがね。
  132. 吉川正次

    吉川證人 それで、それはですね。ですから彼個人でなくて、個人みたいなものですが、法律的に言うとやはり團体というものになつてつて、彼が自分の本当の個人ですね、私としてやつておる面でないものですから、その点はまあ私も搜査の時は必ずしも大した問題にしなかつた
  133. 伊藤修

    伊藤委員長 彼の考え方は、貰つたら最後自分の物だという、法律上の所有権の問題は別として、自分が任意に使つてもいいという考え方をしておるのですね。
  134. 吉川正次

    吉川證人 調べるときもそういう考えを持つておりました。実際私はそういう点も注意して、搜査には直接関係はないけれども、丁度岩城弁護士が付いておりましたから、岩城さんは前に判事、檢事をやつていて、温厚な人ですから、あの人が熱心にやつておりましたから、それで岩城さんにでも相談して、要するに個人というものと團体というものを区別して行かないと誤解を招くから、だからそういう方向へですね。この事件が済んだらやるように岩城さんに相談したらどうかということを本人に言つたんですが、本人はそんなような考えを持つてつたようです。
  135. 伊藤修

    伊藤委員長 そんな考えは抜けきらんですね。  不忍池に上つた米の処分については、お調べになつたとこがありますか。
  136. 吉川正次

    吉川證人 それは詳しく調べなかつたんです。大体本人の言うことを聽いて、調べの過程で……その程度つたんですがね。
  137. 伊藤修

    伊藤委員長 相当流しているんじやないですかね。あれは……。
  138. 吉川正次

    吉川證人 それは一部流しているという噂がありまして、当時、しかしまああれは何と言いますか、野郎、上手なんでせうか、宮様の所へなんかも献上しておりますね。
  139. 伊藤修

    伊藤委員長 宮様へ持つてつたというような美名に隠れてですね、実際の目的とするところの貧困の人に分ち與えるということは少くて、そういうような面に多く利用されているんじやないですかね。
  140. 吉川正次

    吉川證人 それは当時警視廳にも行つて調べさしたんですがね。まあ纏まつてどこえ流したということは、はつきりつかめなかつたですね。
  141. 伊藤修

    伊藤委員長 内務大臣とか、警視総監とか、或いは区の建築の課長ですか、そういうものに対する暴力ですね。そういう点はずつとお調べになつたんですか。
  142. 吉川正次

    吉川證人 それは内務大臣に対する暴力というのは、前にも事件になつております。区の建築というか、都廳に対してもそれから管財局ですか、財務局の方ですね。管財部と言いますか、あの方面の奴も警視廳調べさしたのです。それで調べた結果、まあ暴力的なこともあるということになりましたのですがね。ただそれを起訴事実にするかしないかという点につきまして言うと、私の考え、当時捜査しておつた感じでは、少し行政部門がだらしかないという非常に……決定権を自分の方に持つておるのに佐々木が怖いから出すというのでは理由にならん。やはり都側に落度があるというふうに見まして、万一暴行というようになると、告訴というような問題がありますしね。これは状況証拠にして恐喝と大きな詐欺がありましたら、それから状況証拠としてとつたらいいだろう。採り上げてAを脅迫したとか、Bを脅迫したというと細かくなるので、それは状況証拠として裁判所に送ろうというので、関係書類を付けてやつたのです。
  143. 伊藤修

    伊藤委員長 屍体を三十六、いわゆる栄養失調によつて地下道で倒れたという三十六の屍体を大八車に積んで陛下に見せて、陛下を彈劾するのだといつて二重橋に持つてつたということを調べたことはありませんか。
  144. 吉川正次

    吉川證人 それは調べません。
  145. 伊藤修

    伊藤委員長 事実行なつたらしいのですね。
  146. 吉川正次

    吉川證人 自分は調べるときに、陛下に対して自決を私は最初迫るつもりだつたというようなことは言つておりました。
  147. 伊藤修

    伊藤委員長 その手段に供するために、屍骸を三十六大八車に積んで二重橋まで持つてつたという……
  148. 吉川正次

    吉川證人 それは調べませんでした。
  149. 伊藤修

    伊藤委員長 そういうふうに直接暴力的なことはしないけれども、間接的に相手方の嫌がる、よく朝鮮人かやるそういうことを常に彼が手段に供しておるのではありませんかね。
  150. 吉川正次

    吉川證人 ただ彼は、あの頃は、朝鮮人というのは、自分は朝鮮人だということで威張つて歩く時代なんですね。彼は日本人名前を使つて、そうして日本人を救おうというようなことをしておつたのですね。それで私はね、この男は普通の朝鮮人よりか——まあ朝鮮人かどうかはつきり分りませんでしたが、大体朝鮮人と思つておりましたから、ちよつと変つた男だなあとは感じておりました。
  151. 伊藤修

    伊藤委員長 要するに美名に隠れて私腹を肥やすと、いわゆる救済事業というのは手段で、実際は自分の私腹を肥やすのですね。財産を作るというのが彼の目的であつたのですね。
  152. 吉川正次

    吉川證人 その点が捜査によつて、まあ当時僅かの捜査で、忙がしいものですから掘り下げて見ませんでしたけれども、それまでと確定されてよかつたのですね。ですから、そこまで行かなかつたわけです。
  153. 伊藤修

    伊藤委員長 何か本件について政治的の圧力はありませんでしたか。
  154. 吉川正次

    吉川證人 まあ、そこで速記して貰うのはどうかと思いますが、捜査のときは何もなかつたのです。併し……速記を除いて貰いたいのですが。
  155. 伊藤修

    伊藤委員長 速記を止めて。    〔速記中止〕
  156. 伊藤修

    伊藤委員長 速記を始めて……。  そうるると今お聞きした以外にはないのですね。外に政治的な圧力というものは……。
  157. 吉川正次

    吉川證人 何もないのです。
  158. 伊藤修

    伊藤委員長 そんなことはおありになりませんでしようけれども、何か利益で誘うということはないのですか。
  159. 吉川正次

    吉川證人 それも全然ありません。私は恐らくその問題も、連合軍当局でもお考えになつたのではないか、又参議院で調査報告を求められたのもそうではないかと思いましたのですが、私は佐々木という男は無論調室で調べただけで、佐々木の留守中に三十分ばかりあそこで見て來た。それから弁護士外部では会つたこともありませんし、水一杯一緒に飲んだこともありませんし……。
  160. 伊藤修

    伊藤委員長 別に子分やなんか出入したことはなかつたのですか。
  161. 吉川正次

    吉川證人 全然私の所へは來ません。
  162. 伊藤修

    伊藤委員長 それではどうも有難うございました。
  163. 吉川正次

    吉川證人 余談ですけれども、保釈取消しのときに、特別審査局の吉橋総務課長が私らと同僚でありますから、私の所に來まして、君かやつた事件でこういうのがあるだろう、これが何か連合軍で解散団体にしろという話だ。それで俺の方で調べた結果、保釈を取消せという話だという話なんですよ。それは今高等裁判所にあるから直ぐ連絡しましようと言つたところが、それは月曜日でしたが、土曜日の日に、進駐軍が見えて直ぐ取消せと言われて、高等裁判所で慌てて、判事はもういないので、検事の方は直ぐ取消申請を出した、理由ちよつとはつきりしない。そうしたら判事の方は何か土曜日にやつたので、つむじを曲げたかどうか知りませんけれども、連合軍の最高司令官の命により本件はこれを取消すということが報告があつた。あんなまずいことは……その必要がなくて幾らもその後暴力團体に指定になつて、それで、そういうのを泳がすということはよろしくないという理由を出せばよかつたのですれども……。
  164. 伊藤修

    伊藤委員長 決定に対してちよつと不穏当ですな。
  165. 吉川正次

    吉川證人 ちよつと、そういうことを表向きに出すということは、幾らでも理由がありますから……。
  166. 伊藤修

    伊藤委員長 日本の裁判の威信も関することだ。
  167. 吉川正次

    吉川證人 そんなことがありました。
  168. 伊藤修

    伊藤委員長 それではこれで休憩いたしまして、あとは食後にいたします。    午前十一時四十三分休憩    —————・—————    午後一時十六分開会
  169. 伊藤修

    ○委員長(伊藤修君) 午前に引続き会議を開きます。   (證人中村文男君着席〕
  170. 伊藤修

    伊藤委員長 中村さんですね。
  171. 中村文男

    證人中村文男君) はあ。
  172. 伊藤修

    伊藤委員長 今日は佐々木松夫氏のことについてお尋ねいたしたいのですから、証言をする前に宣誓書を朗読して宣誓して頂きます。    〔総員起立證人は次のように宣誓を行なつた〕    宣誓書   良心に待つて眞実を述べ、何事もかくさず、又何事もつけ加えないことを誓います。         證人 中村 文男
  173. 伊藤修

    伊藤委員長 宣誓をなさつたのですから、嘘のことがありますと処罰されますから。ではあなたのお住居はどちらですか。
  174. 中村文男

    中村證人 台東区浅草千束町一丁目百四十五番地
  175. 伊藤修

    伊藤委員長 お年は。
  176. 中村文男

    中村證人 年齢は三十才です。
  177. 伊藤修

    伊藤委員長 仕事は何をやつていらつしやいますか。
  178. 中村文男

    中村證人 リンタクを引いております。
  179. 伊藤修

    伊藤委員長 あなたの御経歴は。
  180. 中村文男

    中村證人 経歴と申しますと。
  181. 伊藤修

    伊藤委員長 小学校はどこを出られましたか。
  182. 中村文男

    中村證人 小学校は神田の西神田尋常小学校。中学校東京の東洋商業、大学は中央大学の專門部を中途退学しております。
  183. 伊藤修

    伊藤委員長 それから何をしましたか。
  184. 中村文男

    中村證人 それから軍隊の方一入りました。
  185. 伊藤修

    伊藤委員長 軍隊というと、どちらですか。
  186. 中村文男

    中村證人 ビルマの方へ参りました。
  187. 伊藤修

    伊藤委員長 海軍ですか、陸軍ですか。
  188. 中村文男

    中村證人 陸軍であります。
  189. 伊藤修

    伊藤委員長 いつ復員して参りましたか。
  190. 中村文男

    中村證人 二十一年の五月の半ばに、廣島の大竹へ戻りました。
  191. 伊藤修

    伊藤委員長 お帰りになりましてから何をやつておりましたか。
  192. 中村文男

    中村證人 帰りましてマラリヤで家の方で少し休んでおりましたが、丁度佐々木君が、私が家で寝ておるときに参りまして、これこれこういう仕事をやつておるから手傳つてくれというので、すぐその翌日から、現在元の共済会の方へ参りましたのです。
  193. 伊藤修

    伊藤委員長 佐々木君とはどうして知合いになられましたか。
  194. 中村文男

    中村證人 会長とは、私が商業の一年に入りましたときに、当時東京海上ビルに火災保險の倶楽部がありましたが、そこは保險会社の重役連中の娯樂所になつておりました。私は晝間学校へ参りまして、夜そこの給仕をやつておりましたときに、丁度そこへ佐々木君が当時中央亭というフランスの料理屋がありまして、そこのコックをやつておりました。そこで知合いになりまた。
  195. 伊藤修

    伊藤委員長 それ以來、終戰になるまでつき合つていたのですか。
  196. 中村文男

    中村證人 中学を出ましてから少し、一年ほどつき合いをやめておりました。それから直ぐ軍隊に参りまして、戻つて来ましてから又付合つております。
  197. 伊藤修

    伊藤委員長 そうすると、あなたが佐々木君の仕事を手傳つて呉れと言われたときに、佐々木君は仕事を始めておつたのですか。
  198. 中村文男

    中村證人 始めておりました。
  199. 伊藤修

    伊藤委員長 その当時どんな仕事を始めておりましたのですか
  200. 中村文男

    中村證人 当時授産場、それから上野の方の田圃、戰災の孤児、浮浪者を收容した。外には、当時学校の二階、三階にどんどん戰災者を收容しておりました。
  201. 伊藤修

    伊藤委員長 佐々木君のその事業についてですね。幹部という人があるでしようか。
  202. 中村文男

    中村證人 あります。
  203. 伊藤修

    伊藤委員長 それはどういうような人ですか。あなたもそのお一人ですね。
  204. 中村文男

    中村證人 そうであります。外に農耕の方は農耕部、輸送の方は輸送部、教育の方は教育部、事業の方は事業部、いろいろ各部がありまして、そこには各部の部長がおりまして、その部長が皆幹部になつております。
  205. 伊藤修

    伊藤委員長 その部長になつた人は、どういう人がなつたんですか。
  206. 中村文男

    中村證人 輸送部は渡邊、修理部は小澤、農耕が石川、教育が高橋、それは女の先生です。事業部の方は金村。
  207. 伊藤修

    伊藤委員長 こういう人は、元から佐々木の何か知り合いの人ですか。
  208. 中村文男

    中村證人 元からでありませんですが、石川二三夫とか金村というのは私が來る前にすでに來ておりましたし。相当古い人だと思います。渡邊、小澤、高橋というのは私より後から來た者です。
  209. 伊藤修

    伊藤委員長 何か特攻隊におつた人が四、五人グループにおつたというのではないですか。
  210. 中村文男

    中村證人 当時飯塚というのが一人おりましたですが、それは佐々木君と同じ海軍におつたそうです。一年程おりまして止めました。ですから、その外、特攻隊の人はいなかつたと思います。
  211. 伊藤修

    伊藤委員長 海軍出身の人はおりましたか。
  212. 中村文男

    中村證人 海軍出身の人はおりました。今の飯塚。
  213. 伊藤修

    伊藤委員長 今おつしやつた名前の中におりますか。
  214. 中村文男

    中村證人 各部長にはおりません。
  215. 伊藤修

    伊藤委員長 そういうような人はどうしておるのです。
  216. 中村文男

    中村證人 輸送部の方の自動車の運轉をするとか、修理の方の修理部員という中におりました。
  217. 伊藤修

    伊藤委員長 幹部ではないのですか。
  218. 中村文男

    中村證人 幹部ではありません。
  219. 伊藤修

    伊藤委員長 そういう人は指導力を持つておるのですか。
  220. 中村文男

    中村證人 指導力は殆んどありません。
  221. 伊藤修

    伊藤委員長 機械的の仕事をやつておるわけですね。
  222. 中村文男

    中村證人 そうです。
  223. 伊藤修

    伊藤委員長 そうすると、その組織を動かして行くのは誰が動かして行くのですか。殆んど佐々木君。意見だけですか。
  224. 中村文男

    中村證人 殆んど会長が……。
  225. 伊藤修

    伊藤委員長 独裁ですか。
  226. 中村文男

    中村證人 引張つておりました。
  227. 伊藤修

    伊藤委員長 独裁ですか、何か会議でもやるのですか。
  228. 中村文男

    中村證人 いえ、そんなことはやつたことありません。
  229. 伊藤修

    伊藤委員長 独裁ですね。
  230. 中村文男

    中村證人 殆んど自分で……。
  231. 伊藤修

    伊藤委員長 それを指示して行く強力なメンバーがおるんですか。そうでもないのですか。
  232. 中村文男

    中村證人 別にメンバーというものはありませんです。
  233. 伊藤修

    伊藤委員長 すると今あなたのおつしやつたような人は月給ですか、皆月給貰つてるんですか。
  234. 中村文男

    中村證人 現在ですか。
  235. 伊藤修

    伊藤委員長 そういうメンバーの人は、部長という人は月給を貰つているんですか。仕事に興味を持つて奉仕しているんですか。
  236. 中村文男

    中村證人 勿論興味を持つてつてつたと思いますが。
  237. 伊藤修

    伊藤委員長 奉仕ですか、月給を貰つているのですか。
  238. 中村文男

    中村證人 月給は出しておりました。
  239. 伊藤修

    伊藤委員長 この資金関係なんかどうしたんですか、仕事をなさる上の……。
  240. 中村文男

    中村證人 貸金関係は当時トラックを大部持つておりましたのですが、それでガソリンの方は公定價で買いまして、附近のお得意を受けては、トラックを出してはその運賃を貰つたり精米の機械を備えまして、附近の製粉、精米をやつたり、或いはパンの製造の委託加工をやつたりして收入に充てておりましたから。
  241. 伊藤修

    伊藤委員長 その後、事業をなさつて收入を挙げてですね、それで以て会を運営されていたのは事実ですか。その收入を挙げる基礎たる設備や何かする資金はどうしたんですか。自動車を持つにしても金は要るでしようし、どつかから取つて来るんですか。
  242. 中村文男

    中村證人 自動車とかああいうものは無償の拂下げでありますから何ですけど、精米の機械を備え付けたし、或いはちよつとしたものを買うときには、拂下げの物品を賣つて充てがつたものもあります。
  243. 伊藤修

    伊藤委員長 一般に寄附金も取つたのですか。
  244. 中村文男

    中村證人 寄附金は募りません。ただ水害のときにやつたことはあります。
  245. 伊藤修

    伊藤委員長 そうすると、いろんな寄附金を取つて來たり或いは品物を貰つて来たりして、そういうものを資金化して事業を始めてるわけですね。
  246. 中村文男

    中村證人 それであります。
  247. 伊藤修

    伊藤委員長 收容者はどのぐらいあつたんですか。
  248. 中村文男

    中村證人 收容者は一番多いときは二千二・三百名あつたと思います。
  249. 伊藤修

    伊藤委員長 それは会の方で補助するんですか。
  250. 中村文男

    中村證人 何でありますか。
  251. 伊藤修

    伊藤委員長 会の方で金銭的或いは品物の方で補助をするんですか。
  252. 中村文男

    中村證人 生活の特別に苦しい者は月謝を出したり、或いは特別の補助もしたことがありますが、その外の者はそうしたことはありません。ただ物品の配給を年に二回なり三回なりしておりました。
  253. 伊藤修

    伊藤委員長 その配給というのは官廳から貰つて来たものを配給しておるんですかね。
  254. 中村文男

    中村證人 そうであります。
  255. 伊藤修

    伊藤委員長 それはただ配給しておるんですか。
  256. 中村文男

    中村證人 有償でありました。無償のものもありましたが、僅かながら取つておりました。
  257. 伊藤修

    伊藤委員長 救済事業といつたところで金は要らないのですね。皆收容されている人は個人々々自分の力で生活しているのですか。
  258. 中村文男

    中村證人 殆んど生活はしておりましたが、私の方では戰災孤児が二十七、八名おりましたから、そういう者にも相当費用は掛つておりました。
  259. 伊藤修

    伊藤委員長 戰災孤児を除く外の人の生活力というものに対しては、会が補助するというわけではないですか。
  260. 中村文男

    中村證人 いえ、特別に苦しい家計の者は会の方で補助しておりました。
  261. 伊藤修

    伊藤委員長 救済金はどのくらい使つておりましたか。
  262. 中村文男

    中村證人 僅かの金額であります。
  263. 伊藤修

    伊藤委員長 どのくらいのものです。
  264. 中村文男

    中村證人 月に千円足らずと思います。
  265. 伊藤修

    伊藤委員長 それじやまあ名目的ですね。
  266. 中村文男

    中村證人 そうであります。
  267. 伊藤修

    伊藤委員長 あとは大体自活しておるわけですか。
  268. 中村文男

    中村證人 あとの者は大抵自活しておりましたが、特別に苦しい者には会の方で事務所の方に言つて來ておるから、会の方で会計から出しておりましたが。
  269. 伊藤修

    伊藤委員長 沢山の人がおれば全部補助すると言えば大したものですからね。
  270. 中村文男

    中村證人 はい。
  271. 伊藤修

    伊藤委員長 孤児の方はどうですか。
  272. 中村文男

    中村證人 孤児の方は全部負担をしておりました。
  273. 伊藤修

    伊藤委員長 それはどのくらい使つておりましたか。
  274. 中村文男

    中村證人 月三万五千か、四万くらい使つておりました。
  275. 伊藤修

    伊藤委員長 そういう費用はどこから、さつきの事業收入で充てるのですか。
  276. 中村文男

    中村證人 そうであります。
  277. 伊藤修

    伊藤委員長 事業として全体で自動車部いろいろなものを合せてどの位上つたのですか。
  278. 中村文男

    中村證人 多いときには五十万以上も上つたことがあります。平均にしまして三十二、三万だと思います。
  279. 伊藤修

    伊藤委員長 それだけ上つて、その救済事業の多い場合、孤児の方に二、三万近く、そのあとは何に使うのですか。
  280. 中村文男

    中村證人 あとは職員の月給を拂つたり、或いはガソリンをとる費用にあてがつたり……。
  281. 伊藤修

    伊藤委員長 ガソリンは流動資産なんだから又それによつて運送して利益を上げて行くのだからそれは殆んどし放しじやないですね、戻つて來ますね。
  282. 中村文男

    中村證人 そうであります。
  283. 伊藤修

    伊藤委員長 流動貸本ですね。経済事情でなくなつてしまう金は僅かですね。
  284. 中村文男

    中村證人 そうであります。
  285. 伊藤修

    伊藤委員長 何か外に救済事業に金を出すのですか。
  286. 中村文男

    中村證人 外にはそう大きな金額で使つているものはありません。
  287. 伊藤修

    伊藤委員長 ないですね。そうすると残つた金はどうなりますか。
  288. 中村文男

    中村證人 残つた金というのもそうは別に残りません。
  289. 伊藤修

    伊藤委員長 さつきおつしやつたように三十万から五十万あつて、その中から救済事業の方に二、三万使つてあと……給料はどれくらい拂うか知りませんけれども相当残る計算になりますね。
  290. 中村文男

    中村證人 二十万ぐらい残る計算になります。
  291. 伊藤修

    伊藤委員長 つまりそれは事業拡張か何かに使うのですか。
  292. 中村文男

    中村證人 精米の機械を入れたり、今度製粉の機械に使つたり、事業の拡張にも使います。
  293. 伊藤修

    伊藤委員長 現金としては残りませんか、結局……
  294. 中村文男

    中村證人 はあいろいろ拡張しておりますから。
  295. 伊藤修

    伊藤委員長 拡張の工事の費用に充てるわけですね。
  296. 中村文男

    中村證人 そうであります。
  297. 伊藤修

    伊藤委員長 自動車や何かやつぱり救済事業をするというので官廳から貰つたのですね。
  298. 中村文男

    中村證人 そうです。
  299. 伊藤修

    伊藤委員長 それで営業しておつたのですね。
  300. 中村文男

    中村證人 そうであります。
  301. 伊藤修

    伊藤委員長 いろいろなものを官廳から貰う際に、佐々木は官廳を嚇かして、そうして品物を取つたというようなことは御存じないのですか。
  302. 中村文男

    中村證人 そういうこともありました。
  303. 伊藤修

    伊藤委員長 例えばあなたの御存じの分で……
  304. 中村文男

    中村證人 私の知つている分では、東京都の特殊物件の方から海軍の食器ですとか、そういう食器、或いは水筒ですね、そういうものを取るときに、当時日用品組合というものがありましたのですが、そこの課長を殴打して、私が直ぐ後から謝まりに行つたことがあります。
  305. 伊藤修

    伊藤委員長 そんなようなことですか。
  306. 中村文男

    中村證人 はあ。
  307. 伊藤修

    伊藤委員長 非常に乱暴する人ですか、佐々木という人は。
  308. 中村文男

    中村證人 はあ。乱暴はします。
  309. 伊藤修

    伊藤委員長 收容している人や何か毆つたり何かすることもありますか。
  310. 中村文男

    中村證人 あります。
  311. 伊藤修

    伊藤委員長 自分の言うことを聞かなければ毆るのですか。
  312. 中村文男

    中村證人 はあ、殆んど独裁的なものだつたですから、職員でも言うことを聞かない者があつたときには毆りました。
  313. 伊藤修

    伊藤委員長 マーケットとかいうものをやつておりましたね。
  314. 中村文男

    中村證人 やつておりました。
  315. 伊藤修

    伊藤委員長 その方も相当收入が上るわけですね。
  316. 中村文男

    中村證人 マーケットの方は一番最初に入れるときに権利金として取りましたです。
  317. 伊藤修

    伊藤委員長 権利金として……、営業の方は。
  318. 中村文男

    中村證人 営業の方は……。
  319. 伊藤修

    伊藤委員長 歩合を取るのですか。
  320. 中村文男

    中村證人 家賃として……。
  321. 伊藤修

    伊藤委員長 そうすると家賃と権利金がが目当ですね。
  322. 中村文男

    中村證人 そうであります。
  323. 伊藤修

    伊藤委員長 そういうような材料はなにか官廳を嚇かすのですね。嚇かして取つて來るのですね。そうではありませんか。
  324. 中村文男

    中村證人 そういう材料は國有財産の方から交渉して貰つて來ております。
  325. 伊藤修

    伊藤委員長 ただ救済事業という名目でそうやつてつて来る。そうして建てて今度は権利金を取つて、権利金は恐らく建てた費用くらい取つてしまうのでしよう。
  326. 中村文男

    中村證人 いいえ、そんなには取りませんですが。
  327. 伊藤修

    伊藤委員長 坪どのくらい取るのですか。
  328. 中村文男

    中村證人 一万五千円です。十七戸ありましたから、下の方は全部店ができますものですから各戸から一万五千円づつ取りました。
  329. 伊藤修

    伊藤委員長 一万五千円づつね、何坪くらいの大きさですか。
  330. 中村文男

    中村證人 七坪でございます。
  331. 伊藤修

    伊藤委員長 延坪にして、七坪……。
  332. 中村文男

    中村證人 そうであります。
  333. 伊藤修

    伊藤委員長 当時安い建築費でしようが、幾らくらいかかつたのでありますか。
  334. 中村文男

    中村證人 建築費としては当時七、八十円だと思います。一人人夫……。
  335. 伊藤修

    伊藤委員長 幾らも坪かかりませんね。坪二、三千円のももを大体権利金で以て建築費は上つてしまいますね。マーケットはそういうふうになつておりますからね、家賃はどのくらい取つたのでありますか。
  336. 中村文男

    中村證人 下は六百円取りました。上四百円……。
  337. 伊藤修

    伊藤委員長 少年の家は先程の戰災孤児のことをいうのでありますか。少年の家というのはそれとは別ですか。
  338. 中村文男

    中村證人 入れるように建てまして計画しましたか、ちよつとだけ解散の前に入つただけで現在はそのままになつております。
  339. 伊藤修

    伊藤委員長 戰災孤児を収容したのはそう長くありませんね。
  340. 中村文男

    中村證人 少年の家ですか、少年の家は僅かの期間ですが、その前に旧学校の中の子供部屋というものを教室を二つに区切りまして、そこへ入れておりました。
  341. 伊藤修

    伊藤委員長 そいつを発展して少年の家に收容しようとした……。
  342. 中村文男

    中村證人 移すようにしたのであります。
  343. 伊藤修

    伊藤委員長 自動車の方の営業は許可を取つておるのですか。
  344. 中村文男

    中村證人 取つておりません。
  345. 伊藤修

    伊藤委員長 救済事業という名前でやつてつたわけですね。事実上はやつておりますね。
  346. 中村文男

    中村證人 事実上はやつております。
  347. 伊藤修

    伊藤委員長 自動車は五十台あつたそうですね。
  348. 中村文男

    中村證人 そんなにあつたことはありません。
  349. 伊藤修

    伊藤委員長 どのくらいですか。
  350. 中村文男

    中村證人 一番多いときは二十七、八台……。
  351. 伊藤修

    伊藤委員長 その中九台は警視廳ですか。
  352. 中村文男

    中村證人 そうです。
  353. 伊藤修

    伊藤委員長 あと東京都から三台ですか。
  354. 中村文男

    中村證人 そうです、民生局から三台。
  355. 伊藤修

    伊藤委員長 それからどこか小川企業組合から三台、その他の自動車は一体どこから取つて來たのでありますか。
  356. 中村文男

    中村證人 あとは殆んど警視廳拂下げつたと思います。
  357. 伊藤修

    伊藤委員長 それでは、あなたは佐々木君が勾引された当時おつたのでありましよう。
  358. 中村文男

    中村證人 おりました。
  359. 伊藤修

    伊藤委員長 そうして暫くたつた帰つて來たんですね、法律上の手続は執行停止という名前で。
  360. 中村文男

    中村證人 帰つて参りました。
  361. 伊藤修

    伊藤委員長 帰つて來ましたね、二審の控訴の裁判があるまで保釈になつておりましたね。
  362. 中村文男

    中村證人 おりました。
  363. 伊藤修

    伊藤委員長 その間何をやつておりましたですか。
  364. 中村文男

    中村證人 その間やはり仕事をしておりました。
  365. 伊藤修

    伊藤委員長 佐々木君がいなくては仕事はできないのでありますか。
  366. 中村文男

    中村證人 外交的な仕事はやりませんですが、近所から電話がかかつて來まして車を出して呉れとか、精米をしに來たときには全部やらしてやつております。
  367. 伊藤修

    伊藤委員長 いや、会の運営が佐々木君がしなければ運営できなかつたのですか。
  368. 中村文男

    中村證人 全然できないこともありません。
  369. 伊藤修

    伊藤委員長 要するにあなたのいう只今の外交的なことということは、官廳やなんかと交渉して物を取つて來るというような仕事佐々木君が一番得手の仕事でしようがね、その間でもそういうものを運営して行くのには佐々木君がいなくてもできるのじやないですか。
  370. 中村文男

    中村證人 現在になりましたら、どうやら、こうやらやつて行けたと思いますです。
  371. 伊藤修

    伊藤委員長 その当時はですか。
  372. 中村文男

    中村證人 当時はできませんでした。
  373. 伊藤修

    伊藤委員長 どうして……。自動車の営業をすることは佐々木君がいなくてもできるじやありませんか。
  374. 中村文男

    中村證人 ですけど自動車を集めたり、ガソリンを貰つて来ることが……。
  375. 伊藤修

    伊藤委員長 集めることはすでに集つているのでしよう。ある自動車をお客さんの求めに應じて需要に供給するというようなことは佐々木君がいなくてもできるのじやないですか。あなた達で。
  376. 中村文男

    中村證人 それは輸送部の部長だとか、そういう者が集りまして…。
  377. 伊藤修

    伊藤委員長 要するに私のお尋ねすることは、事業を続行するということはあなた達各部長がおるのだからできるのじやないかと聞くのです。
  378. 中村文男

    中村證人 どうにかやつて行けると思うのです。
  379. 伊藤修

    伊藤委員長 佐々木君がおればそれに越したことはなかろうさ。いなかつたところが事業そのものを遂行して行くには差支ないのじやないか。
  380. 中村文男

    中村證人 曲りなりにもやつて行けると思います。
  381. 伊藤修

    伊藤委員長 それは官廳に行つて物を取つて來るとかなんとかいうたことはやつて貰えんでしようけれども。
  382. 中村文男

    中村證人 はあ。
  383. 伊藤修

    伊藤委員長 それで保釈中にどういうことをやつてつたのですか。
  384. 中村文男

    中村證人 保釈中には少年の家の方の建築ですね。あれの建設のために建設院へ行つたり、厚生省へ行つたり、殆んど少年の家の方の仕事をやつておりました。
  385. 伊藤修

    伊藤委員長 そうすると相変らず官廳交渉だね。
  386. 中村文男

    中村證人 そうでございます。
  387. 伊藤修

    伊藤委員長 その方のみをやつてつたわけだね。
  388. 中村文男

    中村證人 夕方官廳の方から帰つて來ますと今度は事務所の方にいまして、内部の方もやりましたですけれども。
  389. 伊藤修

    伊藤委員長 それは尚おる以上は内部のこともやるでしようがね。  佐々木君の事件について何かいろいろ運動されたことあるですか。
  390. 中村文男

    中村證人 何でありますか。
  391. 伊藤修

    伊藤委員長 佐々木君の事件についてあなた達が心配して各方面へ何か運動されたことがあるのですか。
  392. 中村文男

    中村證人 運動したことはあります。
  393. 伊藤修

    伊藤委員長 どういう方面へ運動されたのですか。
  394. 中村文男

    中村證人 それはお世話になつておる弁護士先生がおりましたものですから、先生方にいろいろと相談したことはありますです。
  395. 伊藤修

    伊藤委員長 外には。
  396. 中村文男

    中村證人 殆んど先生方にお任せしておるです。
  397. 伊藤修

    伊藤委員長 弁護士の人に全部お任せしていた……
  398. 中村文男

    中村證人 はあ。
  399. 伊藤修

    伊藤委員長 弁護士の人はこういう方面へ運動した方がいい、こういう方面へ働きかけたがいいというお話はなかつたですか。
  400. 中村文男

    中村證人 そういう話もありましたです。
  401. 伊藤修

    伊藤委員長 それは実行されたですか。
  402. 中村文男

    中村證人 それは佐々木君が厚生省の次官のところへ行つたり、或いは警視廳行つて運動しておりましたです。
  403. 伊藤修

    伊藤委員長 運動ということはどういうことですか、自分の不利益のことを言わんようにという話ですか。
  404. 中村文男

    中村證人 結局少年の家を完成するためにはセメントとかガラスとかそういうものも貰わなければなりませんし……。
  405. 伊藤修

    伊藤委員長 それは物を貰う運動でしよう。私の聞いているのは、事件についていろいろ官廳とか、或る有力な人とかいつた方面へ運動したかと聞いているのです。事件のことについて。仕事のことではない、事業のことではないですよ。
  406. 中村文男

    中村證人 事件のことは殆んど弁護士先生にお任せをしておりましたです。
  407. 伊藤修

    伊藤委員長 あなた達は特別にお金を持つてつたり何かしてお頼みしたところはないですか。
  408. 中村文男

    中村證人 そんなところはないと思います。
  409. 伊藤修

    伊藤委員長 事件について相当お金使つたのですか。
  410. 中村文男

    中村證人 そう使いませんでした。
  411. 伊藤修

    伊藤委員長 あなたは会計もやつてつたのでしう。
  412. 中村文男

    中村證人 会計は金子という女の子がやつております。
  413. 伊藤修

    伊藤委員長 あなたは総務をやつてつたのでしよう。
  414. 中村文男

    中村證人 そうです。
  415. 伊藤修

    伊藤委員長 ですから総務の人は何でも知つておるのですね。
  416. 中村文男

    中村證人 大概のことは私は知つております。
  417. 伊藤修

    伊藤委員長 佐々木君の事件でどのくらいの金を使つておりますか。
  418. 中村文男

    中村證人 二十万くらい使つております。
  419. 伊藤修

    伊藤委員長 それは主として何へお使いになつたのですか。
  420. 中村文男

    中村證人 もう殆んど接待の費用に……。
  421. 伊藤修

    伊藤委員長 接待ですか、どういう人へ接待をするんですか。
  422. 中村文男

    中村證人 当時アメリカの方の人を大分会長が連れて来て接待をしておりました。
  423. 伊藤修

    伊藤委員長 その事件のことについて……。
  424. 中村文男

    中村證人 はあ。
  425. 伊藤修

    伊藤委員長 それから外は……。
  426. 中村文男

    中村證人 外は別に……外には別にそう使いませんでした。
  427. 伊藤修

    伊藤委員長 そうすると、アメリカの人に対する接待費用に二十万幾ら使つたんですか。
  428. 中村文男

    中村證人 十六、七万か、二十万くらい使つたと思います。
  429. 伊藤修

    伊藤委員長 弁護士さんにどのくらい……。
  430. 中村文男

    中村證人 弁護士さんには殆ど使つておりません。
  431. 伊藤修

    伊藤委員長 でも只ということはないでしよう。
  432. 中村文男

    中村證人 それも品物なり持つて行くときには買つてつて行きますから、接待費として傳票を切つて品物を買つておりました。
  433. 伊藤修

    伊藤委員長 弁護士さんには弁護料というものがあるでしよう。
  434. 中村文男

    中村證人 弁護料は拂つておりませんでした。
  435. 伊藤修

    伊藤委員長 拂つていなかつたのですか。皆さんに渡していなかつたのですか。実費は拂わなければならないでしよう。
  436. 中村文男

    中村證人 それも会の方としては一銭も出しておりません。個人としてはどうか知りませんが。
  437. 伊藤修

    伊藤委員長 本人が出しておるかも知れないですね。幾ら出しておるか……。只ということはないんでしようからね、何がしか弁護料を持つて行かねばならないでしようからね。
  438. 中村文男

    中村證人 それは私共の方では分りません。
  439. 伊藤修

    伊藤委員長 本人の方で出ておるかも知れないね。
  440. 中村文男

    中村證人 それはどうなつておるか分りません。
  441. 伊藤修

    伊藤委員長 その外、何か役所の方面へ、例えば檢察廳の方へ持つて行くとか、そういうようなことはあつたんですか。
  442. 中村文男

    中村證人 そういうような使い物をしたことはありません。
  443. 伊藤修

    伊藤委員長 警察の人とかそういうことはないのですか。
  444. 中村文男

    中村證人 そういうことはありません。
  445. 伊藤修

    伊藤委員長 檢察の事務官とか、書記の人とか、そういう人にお使い物をしたことはないでしようね。
  446. 中村文男

    中村證人 それに私の方では分りませんです。
  447. 伊藤修

    伊藤委員長 けれどもどこへ持つて行くということに分るでしよう。必ず金を出すんですから……。
  448. 中村文男

    中村證人 金を出すときは分ります。会計から金が一銭も出ないときはどこへ本人が持つて行くか。
  449. 伊藤修

    伊藤委員長 本人は別ですが、あなたの方として……。
  450. 中村文男

    中村證人 私の方としてはありません。
  451. 伊藤修

    伊藤委員長 先刻十五六万をアメリカの人に使つたと言われたが、後四、五万というのは……。
  452. 中村文男

    中村證人 いろいろ行く都度品物を持つて行きました。
  453. 伊藤修

    伊藤委員長 行く都度というのはどこへ……。
  454. 中村文男

    中村證人 先生方のところへ。
  455. 伊藤修

    伊藤委員長 あなたとしては役所の方面へ持つてつたことはないですね。
  456. 中村文男

    中村證人 ありません。
  457. 伊藤修

    伊藤委員長 警察とか何か、この事件について、名士の人、名前の高い人にお願いをして運動をしたという、そういうことはあるんですか。
  458. 中村文男

    中村證人 お願いをしたということは、弁護士先生最初に三人の所へ、岩城先生にもう一度弁護士として立つて貰えるようにとか、それから厚生省の次官のところへ再三再四行つた。それ以外に名士の人は私の記憶にありませんです。
  459. 伊藤修

    伊藤委員長 厚生省の次官の人は、事件のことについてお願いに行つたのですか。
  460. 中村文男

    中村證人 そうです。
  461. 伊藤修

    伊藤委員長 これはどういう関係になるのですか。そこへ行くというと効果はあるわけですか。
  462. 中村文男

    中村證人 厚生省の方では救済事業というふうなことは、厚生省の方でも見ておりますから……。
  463. 伊藤修

    伊藤委員長 仕事に対して理解して貰えるから……。
  464. 中村文男

    中村證人 そうであります。
  465. 伊藤修

    伊藤委員長 そこから口添えして貰いたいという意味ですね。
  466. 中村文男

    中村證人 そうです。
  467. 伊藤修

    伊藤委員長 何という人です。
  468. 中村文男

    中村證人 葛西という次官です。
  469. 伊藤修

    伊藤委員長 そこにも何か物を持つて行つたのですね。
  470. 中村文男

    中村證人 そこへはそんなことはない。私はありません。
  471. 伊藤修

    伊藤委員長 手ぶらで行つたのですか。
  472. 中村文男

    中村證人 私も一度行つたことがありますが、自動車でずつと廻つてつて参るだけですから、そういうことはないと思います。
  473. 伊藤修

    伊藤委員長 保釈についてどのくらい金を使われたのですか。
  474. 中村文男

    中村證人 保釈については、そう使つておりません。
  475. 伊藤修

    伊藤委員長 アメリカの人はあれですか、保釈について金を使つたわけじやないのですか、事件全体について使つたわけですか。特段に保釈ということについてではないのですか。
  476. 中村文男

    中村證人 自分としては事件全体について……。
  477. 伊藤修

    伊藤委員長 いろいろお世話願いたいという意味ですね。
  478. 中村文男

    中村證人 そうです。
  479. 伊藤修

    伊藤委員長 勿論本人帰つて來ておつた時ですね。
  480. 中村文男

    中村證人 そうです。
  481. 伊藤修

    伊藤委員長 次の裁判になるまでの間のことですね。
  482. 中村文男

    中村證人 そうです。
  483. 伊藤修

    伊藤委員長 一審の判決の時ですか。
  484. 中村文男

    中村證人 一審の裁判中から私の記憶としてはあります。
  485. 伊藤修

    伊藤委員長 裁判少し前から……二審の裁判の始まるその間ですね。二審の裁判の少し前から……。
  486. 中村文男

    中村證人 そうです。
  487. 伊藤修

    伊藤委員長 ずつと引続き二審の裁判の始まる前くらいまでの間、いろいろお願いしたわけですね。
  488. 中村文男

    中村證人 そうです。
  489. 伊藤修

    伊藤委員長 何かお尋ねは……。ではどうもお世話様でした。お帰り下すつてよろしいです。休憩いたします。    午後一時五十四分休憩    —————・—————    午後二時七分開会
  490. 岡部常

    ○理事(岡部常君) これより委員会を再開いたします。本日ここに佐々木松夫に関する件につきまして、桐生政夫さんに證人としてお尋ねいたしますが、その前に宣誓をして頂きます。    〔総員起立證人は次のように宣誓を行なつた〕    宣誓書   良心に從つて眞実を述べ、何事もかくさず、又、何事もつけ加えないことを誓います。         證人 桐生 政夫
  491. 岡部常

    ○理事(岡部常君) 御宣誓になりました上には、御承知でもございましようが、それに反しますると処罰を受けますから、御承知置き願います。
  492. 桐生政夫

    證人桐生政夫君) はい。
  493. 岡部常

    ○岡部理事 御住所はどちらでございますか。
  494. 桐生政夫

    ○桐生證人 練馬区練馬二丁目三六五七番地。
  495. 岡部常

    ○岡部理事 年齢は。
  496. 桐生政夫

    ○桐生證人 四十一才。
  497. 岡部常

    ○岡部理事 大体の御経歴を承りたい。
  498. 桐生政夫

    ○桐生證人 昭和七年に東京工業大学を卒業しまして、それから警視廳に入りました。それから……。
  499. 岡部常

    ○岡部理事 大体でよろしゆうございます。
  500. 桐生政夫

    ○桐生證人 昭和十八年の七月に東京都が都制によつてできましたときに、東京都に自然移つたわけでございます。それから現在に至つております。
  501. 岡部常

    ○岡部理事 その職務の復興係長というのはいつ頃からですか。
  502. 桐生政夫

    ○桐生證人 復旧係長というのは……。
  503. 岡部常

    ○岡部理事 復旧でございますか、計画局住宅復旧係長ですね。
  504. 桐生政夫

    ○桐生證人 そうです。これは昭和二十年の十月十日に計画局住宅課復旧係長を命ぜられました。
  505. 岡部常

    ○岡部理事 それで現在に至つたのですか。
  506. 桐生政夫

    ○桐生證人 それから又大分職名は変つております。現在は建設局工事課住宅建設第二係長でございます。その間も途中一遍変つております。
  507. 岡部常

    ○岡部理事 そうすると復旧係長は、佐々木仕事をしたときの係であつたわけですね。
  508. 桐生政夫

    ○桐生證人 そうです。
  509. 岡部常

    ○岡部理事 この問題の佐々木松夫といつ頃お知り合いにおなりになりましたか。
  510. 桐生政夫

    ○桐生證人 正確なところは、はつきりしませんけれども、昭和二十年の秋か、まあはつきりわかりませんが、十一月か十二月頃、役所に現われたわけでございます。その辺は、はつきり覚えておりません。二十年の私が十月から住宅課を担当しまして、それからすぐ間もない頃に現われたと思つておりますが、大体暮前であろうという記憶でございます。
  511. 岡部常

    ○岡部理事 小学校なんかは焼け残りの小学校を改築して、住宅に充てるというのは、いつ頃から始まつたわけですか。
  512. 桐生政夫

    ○桐生證人 それはこの住宅課ができましたのは、昭和二十年の十月に住宅課ができたわけでございます。そのときからでございます。但しそのできた当時から、そのとき直ちに工事に着手したというわけではございませんが、それから一月間ぐらい経過があつたろうと思います。いろいろな準備ですね。その頃です。
  513. 岡部常

    ○岡部理事 そうするとやはり第一期とか第二期とか計画は段階的に決められたのですか。
  514. 桐生政夫

    ○桐生證人 大体二十年度の事業として、やられた焼けビル、その中には学校が非常に多く含まれております。民間の建物があります。先ず最初に都の持つておりました建物から始めました。
  515. 岡部常

    ○岡部理事 その千束小学校は、そのとき、やはり計画の中に入つておりましたか。
  516. 桐生政夫

    ○桐生證人 さようでございます。当時学校は一應全般的に調査しまして、焼けたものを極力住宅に轉用したいというので、一應これも候補には入つておりましたわけです。
  517. 岡部常

    ○岡部理事 千束小学校については、どういうふうな御計画がありましたか。
  518. 桐生政夫

    ○桐生證人 これは時期は、はつきりわかりませんが、当時区役所の方からの紹介か、或いは佐々木本人が現われたかで、まあ私の方の係りで学校を住宅化するということをどこかで聞いて來たのだと思います。それで現われまして、自分がこの学校を住宅にして戰災者が入つているから、直す世話をしたいといので、材料を心配してくれ、こういう話がありました。我々の方は材料を心配するという事業はやつておらない。学校を住宅に轉用するという事業をやつているから、その点なら話に應じられるだろうというのが大体最初の話であつたと思うのです。材料は出せない……。
  519. 岡部常

    ○岡部理事 誰の紹介もなしに來ましたか。
  520. 桐生政夫

    ○桐生證人 区役所の方の紹介じやないかと思います。私のところにぽかつと……そういう仕事をやつていることを知つているわけもないと思います。
  521. 岡部常

    ○岡部理事 余り記憶はございませんか。
  522. 桐生政夫

    ○桐生證人 余り記憶はありません。
  523. 岡部常

    ○岡部理事 誰もそういう業者でないような人がぽかつと行つて、そういう仕事を始めてくれというのも、非常識のように思います。
  524. 桐生政夫

    ○桐生證人 ええ。区役所の方で或いは民生局ですね、当時の……。そちらの方から住宅課の復旧係長に行つて見てはどうかと言われたのじやないかと思います。
  525. 岡部常

    ○岡部理事 その当時、そういうことを計画する民間人は相当ありましたか。
  526. 桐生政夫

    ○桐生證人 ありません。
  527. 岡部常

    ○岡部理事 ないのですか。
  528. 桐生政夫

    ○桐生證人 一、二はありましたけれども、もともとこれは都の建物ですから都がやるのが当然なわけであります。
  529. 岡部常

    ○岡部理事 そうすると、そういうふうな計画をする人を都の方で求めておつたようなときでしようか。
  530. 桐生政夫

    ○桐生證人 そういうわけでありません。我々の方から進んでやるべきであります。工事をやること自体は、これは又別問題であります。請負人の問題は、これは別問題であります。
  531. 岡部常

    ○岡部理事 その当時、紹介は分らないが、そのときの佐々木態度なんかはどんなふうでございましたか。
  532. 桐生政夫

    ○桐生證人 あつさり言いますと、相当強引な態度だと思います。
  533. 岡部常

    ○岡部理事 それで結局許したわけでございますね。
  534. 桐生政夫

    ○桐生證人 左樣でございます。これは我我の方としては、どういうわけで佐々木がここに入つてつたか、わからないとしても、相当の戰災者が入つている。これは氣の毒だという意味で、当時、都として越冬対策を住宅関係でやる。速急に各方面に手を打たなければならないというわけでしたから、それで上司に話しまして、やろうということに決定したわけであります。
  535. 岡部常

    ○岡部理事 既に焼跡に戰災者が入つてつたのですね、大分……。
  536. 桐生政夫

    ○桐生證人 佐々木が行つたときには入つてつた
  537. 岡部常

    ○岡部理事 何家族くらい……。
  538. 桐生政夫

    ○桐生證人 それははつきり私は現場を見たわけでありません。入つているということを佐々木はつきり言つたわけであります。何世帶入つてるということを言つたか、私は記憶がありません。入つてつたから何とかしてくれという話から始つたのです。
  539. 岡部常

    ○岡部理事 そういう工事をやろう、工事というより……。
  540. 桐生政夫

    ○桐生證人 工事はこちらでやる。
  541. 岡部常

    ○岡部理事 計画……。
  542. 桐生政夫

    ○桐生證人 計画も学校で現在遊休しているものは極力轉用するということは、当時の都の計画では……。
  543. 岡部常

    ○岡部理事 そうすると佐々木はどういう資格になるのですか。
  544. 桐生政夫

    ○桐生證人 佐々木としては、私の考えでは、そこに戰災者が沢山入つている。自分も入つているから。こういうことを大いに、早く工事を自分がやる、資材を出して呉れという話であつたわけです。我々の方としては都の建物に民間の人が工事をやられては、後で將來造作買取りとか、いろいろごたごたの問題が起きますから、やるなら都がやるというのでやつたわけであります。
  545. 岡部常

    ○岡部理事 そうすると佐々木は何にもそれに資格がないのじやないですか。
  546. 桐生政夫

    ○桐生證人 そうです。ただ佐々木は工事をやつてくれ、最初は材料をくれというだけですから都としてやつてくれという申出は……。
  547. 岡部常

    ○岡部理事 結局佐々木が手を触れてやつたのでしよう。
  548. 桐生政夫

    ○桐生證人 佐々木は工事をやつたわけじやありません。
  549. 岡部常

    ○岡部理事 全然手を触れてない……。
  550. 桐生政夫

    ○桐生證人 全然触れて……そうじやありません。触れておる部分があると思いますが。
  551. 岡部常

    ○岡部理事 結局主体は都ですか。
  552. 桐生政夫

    ○桐生證人 そうです。勿論我々がやる前に佐々木がやつたか。入つてつた戰災者が焼けトタンを集めて臨時の処置をやつてつたと思います。本格的に我々のやつたのは都の費用でやつたわけです。
  553. 岡部常

    ○岡部理事 都の費用で都の命ずる請負人がやつた……。
  554. 桐生政夫

    ○桐生證人 そうです。
  555. 岡部常

    ○岡部理事 後の管理権は佐々木に讓つたわけです。
  556. 桐生政夫

    ○桐生證人 讓つておりません。それは当時我々は、工事はやるぞ、決裁を取りまして工事をやりかかつたわけです。これは、でき上れば正当な家賃は貰うということを申出たわけであります。私の担当は工事をやるだけが担当で、その後の管理は別にありますので、そちらでやります。
  557. 岡部常

    ○岡部理事 千束の小学校の焼跡の人が住めるようになつたのは、すべて都の仕事でできたわけでございますね。法律から言つてどうですか。
  558. 桐生政夫

    ○桐生證人 もう先きに入つてつたわけですから、それで、いくらか焼けトタンを集めたり何かして或る程度の工事は、その工事の程度は問題にならない程度だと思いますが、全然やつておらなかつたというわけじやないと思います。いくらかその当時として本格的な工事にこちらでやつたわけであります。
  559. 岡部常

    ○岡部理事 法律のことになりますと、なかなか物権でむずかしい問題もありましようし、殊にああいう混乱した時代ですから、一層関係は複雑しておりましようが、それについて都にも法律家がおられるわけだし、顧問の弁護士もおる筈です。そういうところに十二分に相談しておられたのじやないですか。
  560. 桐生政夫

    ○桐生證人 そこまでやつておりません。今までどこまでやつてつたというのは、我々の方としては、ほんの焼けトタンで應急的に……人が入つておるからしようがなくて、そこらから集めて取り付けたという程度で、我々の方ではそれは造作と考え程度のものでないというふうに考えております。
  561. 岡部常

    ○岡部理事 それに対して保証するとかいうようなことはないわけですか。
  562. 桐生政夫

    ○桐生證人 そういう考えは持つておりません。
  563. 岡部常

    ○岡部理事 そうすると或る程度のものができたときに、それを管理するのはどこで管理するかという問題が起りますが、それはどんな風に……。
  564. 桐生政夫

    ○桐生證人 当時は千束の場合は別問題として、一般的に学校は区役所が管理しておつたのです。戰爭中から区役所が管理しておつたわけです、区が管理する形になるわけです、一般論として……。
  565. 岡部常

    ○岡部理事 この場合はどうですか。
  566. 桐生政夫

    ○桐生證人 この場合は佐々木は区に対してはいろいろうるさくて、区も手を出し切れなかつた状態だと思うのです。管理には、私直接担当しておりませんから、工事だけの担当ですから。どうも第三者というとあれですけれども関係はあるわけですが、手が出し切れなかつたのじやないかと考えます。
  567. 岡部常

    ○岡部理事 管理が区に移つてからあなたは傍観的な立場に立たれたわけですか。
  568. 桐生政夫

    ○桐生證人 私としては工事だけ仕上げれば、仕上げて請負人に金を拂えば私の担当は一應済むわけです。都の中にも当時はつきりした管理係というものはございませんけれども、庶務を担当しておる企画係というのがありまして、その一部に管理班というのがあつたわけであります。こういうわけでできた。それは区役所から引継ぐべきものだというので、その間、当時の企画係の管理班、現在では管理係というのがありますが、そこでもいろいろ忙がしいのと、どうも佐々木も手が出しにくいようなことで管理人を決めようとしたのですが、その辺でも何かごちやちやしたようなことを聞いております。若しまずければ私が行つて工事をやる。そして後から正当な家賃は貰うと、でき上れば話をして上げようといつておりましたのですが、その後何となく時日が経過したわけです。
  569. 岡部常

    ○岡部理事 今お話を承りますと、あなたに間接的の立場に立つておられたようですが、やはり佐々木とそのとき交渉がありましたが、そのときどんな態度でしたか。
  570. 桐生政夫

    ○桐生證人 管理については別問題として、工事をやるかやらないかということで、工事をやるということに決つたときに向うは喜んでおつたのではないかと思います。いろいろ当時資産の関係その他で工事が長引いた。その間、私のところに参りまして、どうした早くやれやれといつて机を叩いたことがある。私は怪しからん奴だ、こちらで一生懸命にやつておるのにと思つたことがあります。
  571. 岡部常

    ○岡部理事 暴力を振うとかいうことがありましたか。
  572. 桐生政夫

    ○桐生證人 暴力を振いそうな傾向は見えたです。私の机の脇のガラスをがたがたやつたりしましたが、私自身に危害を加えるということは考えられなかつたです。その当時、他の係からも情報を入つておしました。工事に掛る頃はまだ大したことはなかつた。工事期間中は他の官聽、又同じ都の他局の工合なども聞いておりましたから……。
  573. 岡部常

    ○岡部理事 そのとき、あなたはこいつ厄介だなということを考えましたか。
  574. 桐生政夫

    ○桐生證人 考えましたが、もう決裁を取つて工事を始めましたので、今更途中で止めるわけにもいかないというので、でき上つたのです。
  575. 岡部常

    ○岡部理事 一体それにどのくらいの時がかかりましたか。経費はどのくらいかかりましたか。
  576. 桐生政夫

    ○桐生證人 着手したのは昭和二十一年の一月三十一日かでございます。尤もこれは二、三日のことは、はつきりいたしません。昭和二十一年の一月末日頃から二月初め頃と思います。それから当時予定として三月十五日に竣工させるという予定で請負契約をやつたわけでございますが、資材その他の関係で、実際でき上つたのは二十二年の三月末でございます。これも正確なことでなく、凡そのところであります。
  577. 岡部常

    ○岡部理事 どのくらいの工費ですか。
  578. 桐生政夫

    ○桐生證人 工事費は、請負額は三十八万一千三百五十二円六十銭、これは尤も都から請負人に支給した資材などは含んでおりません。請負人に支拂つた金額です。
  579. 岡部常

    ○岡部理事 工事に関係して何か佐々木が妨害したというようなことがあつたですか。
  580. 桐生政夫

    ○桐生證人 私に直接というわけでございませんが、請負人の名前は忘れましたが、浅草辺に住んでおつたのが工事をやつてつたのですが、大工の頭梁の毛の生えた程度なのですが、その者に佐々木がやいやい言つて、工事がやりにくくて困るということはちよちよい聞きました。佐々木に言わせると、ぐずぐずしてやらないからというのです。両方から度々連絡がありました。
  581. 岡部常

    ○岡部理事 佐々木が請負人のやり口がまずいといつて、現場を見て呉れと威圧することが、ありましたか。
  582. 桐生政夫

    ○桐生證人 私が係を連れて行つたのが二度、監督に度々現場に行つております。
  583. 岡部常

    ○岡部理事 その請負人というのは日東組の小島政吉というのと違いますか。
  584. 桐生政夫

    ○桐生證人 名前は忘れました。
  585. 岡部常

    ○岡部理事 日東組の方は御記憶ですか。
  586. 桐生政夫

    ○桐生證人 日東組だつたと思います。名前は帰つて調べれば分ります。
  587. 岡部常

    ○岡部理事 それから請負人の中に眞木康年が入つてつたのですね。
  588. 桐生政夫

    ○桐生證人 その点も非常にちよつとむずかしい点があるんです。当初工事をやるというふう決めたわけです。その当時は請負人が非常に進駐軍その他の関係で忙しくて、都あたりの安い單價の仕事はやらなかつた。大体当時は随意契約で匿名であつた。匿名でその工事をやるということを決定したものの、適当な請負人がなかなかなく、佐々木のような者の住んでおるところでは余程の請負人でなければやりにくかろうというので、我々困つてつたところに、佐々木が日本建設工業社というのを連れて來た。佐々木が連れて來たのか、或いはそれと一緒に來たのか、名前は忘れましたが、日本建設工業社にやらせて呉れといつて來た。それでいろいろ折衝しましたが、その中に眞木康年が日本建設工業の代表者と佐々木とが何がうまくないような状況になつて佐々木も、それから日本建設工業の当時の代表者、名前は忘れましたが、眞木康年がその間に入つて何とか口を利いて、当時、日本建設工業社の代表者、それから眞木康年が区役所に行つて、眞木康年の名前でやつた方が佐々木は余り妨害しないだろうというので、日本建設工業社の代表者は手を引いて、眞木康年の名前でやつた方が眞木康年自身も責任を持つて工事を都のために協力しようというので、それではやつて貰おうということで、当時、前に日本建設工業社の名前があつたから、その名前は重んずるということで、日本建設工業社の代表者として眞木康年が請負人になつた。そういうその工事に取掛かる前にそれだけの経緯があつた。名義上は眞木康年に名前になつておりますが、実際工事をやつたのは日東であります。
  589. 岡部常

    ○岡部理事 とにかく三十六万なにがしで工事はできたんでしようね。それは予定通り完成したのでございますか。
  590. 桐生政夫

    ○桐生證人 最初の予定は、最初に施工面積が千二百七十五坪の予定だつたんです。ところが途中に佐々木の申し入れで、この部分はですね。住宅化して貰つちや困る、自分の方でも何か使う考えがあるから、住宅に直すのは止めて呉れという話がありましたので、なるべく我々としては、工事をやる面積は多い方がいいんですが、人は十分入れるという話がありましたので、五十坪五合を工事部門から削除してありました。その部分は我々の工事には関係はないのです。それからミシン工場の部分、あのミシンの置いてあつた部分は最初やる予定だつたのですが、その点は手を触れなかつたんです。
  591. 岡部常

    ○岡部理事 それだけその工事の設計が変更になつたんですね。
  592. 桐生政夫

    ○桐生證人 さようでございます。
  593. 岡部常

    ○岡部理事 工事中に実際働いておる現場員ですかね。そういうふうな人に対して佐々木はやはり余程脅迫的な言動でもありましたか。
  594. 桐生政夫

    ○桐生證人 職員でしようか。大工さんですか。
  595. 岡部常

    ○岡部理事 職員ですね。
  596. 桐生政夫

    ○桐生證人 都の職員ですね。
  597. 岡部常

    ○岡部理事 ええ、職員です。
  598. 桐生政夫

    ○桐生證人 大分私はやいやい言われてたんじやないかと——まあ口頭ですね。その点は監督員からひどく非常に困ると……。
  599. 岡部常

    ○岡部理事 苦情もなかつたんですね。
  600. 桐生政夫

    ○桐生證人 という意味でもなかつたんですが、まあやりにくいということは度度聞いておりました。いろいろ注文をつけられたり、こうやつて呉れとか、ああやつて呉れと言つて注文をつけられてやりにくいという話は聞いておりました。まあ怖くて、寄りつけないという程度のことは聞いておりません。
  601. 岡部常

    ○岡部理事 都の設計と非常に違つたというわけでもなかつたのですね。
  602. 桐生政夫

    ○桐生證人 そうでもございません。
  603. 岡部常

    ○岡部理事 大体話合ができた程度で纏つたんですね。
  604. 桐生政夫

    ○桐生證人 そうです。
  605. 岡部常

    ○岡部理事 それからずつとでき上つてから、区役所が管理しておるわけですか。都のものとして……。
  606. 桐生政夫

    ○桐生證人 区役所が……。
  607. 岡部常

    ○岡部理事 都のものとして管理しているんですか。
  608. 桐生政夫

    ○桐生證人 管理しておるわけですがね。
  609. 岡部常

    ○岡部理事 事実そうでなかつたのですね。
  610. 桐生政夫

    ○桐生證人 なかつたんではないかと思います。これは私は直接区の方に関係しておりませんが、大体そうではないかと想像しております。
  611. 岡部常

    ○岡部理事 そうすると、宙ぶらりんのままですか。これは佐々木の手が触れられておつたんですか。
  612. 桐生政夫

    ○桐生證人 佐々木はもう手が出なかつたんじやないかと……これは私の想像です。しかしまあ全然放置しておつたというわけでないと思います。当時区の民生課長が私の所にちよちよく参りましていろいろ連絡がありました。しかしなかなかやりにくかつた。普通の外の学校のようにはいかなかつたということでありました。
  613. 岡部常

    ○岡部理事 何かそのいざこざの間に、建具の問題とかそれに関連して或いはガラスの問題とか出ませんでしたか。
  614. 桐生政夫

    ○桐生證人 建具の問題はあります。建具は一應、建具を丁度二教室……私の方で手を引いたわけです。それは全部現場に運んでしまつたというので、請負人と佐々木との話合いもありましたし、まあ自分のところで教室にミシンをおいてやるから、その建具を貸してくれというわけで、私の方から一旦運び込んだから、こちらで要るときは返せというので、建具は貸してあるわけです。ガラスの点は我々の方は直接関係はないと思います。建具は取敢えず運び込んだものですから、二教室分が余分のものが出たわけです。
  615. 岡部常

    ○岡部理事 よそのものがですか。よそに行くべきものがですか。
  616. 桐生政夫

    ○桐生證人 いや、よそのもでなくて一應千束学校で使うものとして運び込んだわけです。それが最初数量を勘定して、運び込んだわけですが、二教室分だけ余つたわけです。その余り分を佐々木からそのままお前貸してくれというので、私の方に直接話がありましたが、それと請負人から、佐々木にどうも持つて行かれちやつたという話がありました。佐々木から私に直接貸してくれという申入れがありましたので、どつちが先ですか、話がありまして、それじや、まあ貸しておこうということになつたのです。
  617. 岡部常

    ○岡部理事 それも平穏無事に貸したわけでありませんでしたね。そこにやはり曰くがあるのですか。
  618. 桐生政夫

    ○桐生證人 現場ではごたごたがあつたのではないかと思いますが、役所の中でやつた場合は、そうごたごたはありませんでした。現場ではごたごたがあつたかもわかりませんけれども……。
  619. 岡部常

    ○岡部理事 それから人が住むようになりましてから、何か佐々木が、それを実際上管理しておるわけでございましようね。
  620. 桐生政夫

    ○桐生證人 そうでございます。
  621. 岡部常

    ○岡部理事 そのために、家賃を集めて本人が都に提供するというようなことはないのですか。
  622. 桐生政夫

    ○桐生證人 それは直接担当じやございませんが、我々の方は工事をやれば、いずれ家賃は皆入つておる連中から貰わねばならんといつておるわけで、佐々木としては自分を管理人にして呉れという申入れがあつたわけです。それは都の方の管理をやつておる係の者です。そつちの方の係としては、それはできん。管理人は都から指定して入れるというので、そこでその方でぶつかり合つたと思います。
  623. 岡部常

    ○岡部理事 成るほど。それで本人が差配みたいになつちやつて、金を取つているそうですが、そのことは都の方でどういうふうに……。
  624. 桐生政夫

    ○桐生證人 取つておるという話は聞いております。それについては今これは、私は一應工事を担当して管理人の方に引渡したような格好になつておるので、大体の方針はこの前も申したことがありますけれども、管理係の方としては外の都営住宅と同樣に処理する予定であつたわけですが、現在どうなつておりますか、そこは、はつきり調べてないのです。
  625. 岡部常

    ○岡部理事 外の所では一戸当り大体どのくらい家賃をあげておりますか。
  626. 桐生政夫

    ○桐生證人 その当時の家賃ですね。要するにその当時の工事費から算出した当時の家賃としては、最も安い場合が十円、高い場合で四十円ぐらい。一ケ月ですね。現在はですね……。
  627. 岡部常

    ○岡部理事 佐々木は一戸から月百円取つておるということなんですか、そのことは御承知ですか。
  628. 桐生政夫

    ○桐生證人 その話は聞いております。我々の方から了承したというわけではございません。
  629. 岡部常

    ○岡部理事 そういう金を居住者からは取りながら、都には何も出さないのですか。
  630. 桐生政夫

    ○桐生證人 納めておらなかつたと思います。或いは納める目的で取つてつたのかも分りません。或いは百円取つておるという話は聞きましたけれども、家賃として取つてつたのか、或いは会の会費として取つてつたのか、私の方として確めておらないわけです。
  631. 岡部常

    ○岡部理事 この千束学校のことに関しまして何か都の中の他の部局から時佐々木に何が便宜を図つてつて呉れというような依頼を受けたようなことはございませんか。
  632. 桐生政夫

    ○桐生證人 ございません。
  633. 岡部常

    ○岡部理事 全然ございませんか。
  634. 桐生政夫

    ○桐生證人 はあ、ただ最初、区の方からか、私の方に紹介があつたのではないかと思いますが、私共に便宜を図つてつて呉れというようなことを受けたことは記憶しておりません。
  635. 岡部常

    ○岡部理事 つまりまあ上の方に何か取入つて、上の方を嵩に着て、やれというようなことはなかつたのですか。
  636. 桐生政夫

    ○桐生證人 そういうことはなかつたと思います。むしろ直接に……。
  637. 岡部常

    ○岡部理事 直接にですか。
  638. 桐生政夫

    ○桐生證人 私の方に直接來て、こういう事情を聞いて上司に話したということでございます。
  639. 岡部常

    ○岡部理事 これは今までのとすつかり反対でございますがね。何かこの事実について自分の言う通りやつて呉れたらこんなことをしてやるとかいうような何かうまい汁を吸わせるということもないですか。
  640. 桐生政夫

    ○桐生證人 別に何にもなかつたですね。
  641. 岡部常

    ○岡部理事 実際上、誘惑もなし、そういう事実もなかつたわけでね。
  642. 桐生政夫

    ○桐生證人 ええ。
  643. 岡部常

    ○岡部理事 では最後に承りますが、結局あなたが接触せられた範囲で、佐々木という男はどんな男ですか。あなたの忌憚ない批評をすると……。
  644. 桐生政夫

    ○桐生證人 非常に言動は乱暴ですね。ただ当時としては、戰災者が可哀そうだという点で、早く工事をやつて呉れという点は、その熱意だけは買えると思いますが、余りに言動が乱暴だつたと思います。
  645. 岡部常

    ○岡部理事 あなたは常に一人で應待いたしましたか。
  646. 桐生政夫

    ○桐生證人 はあ、尤も私は大部屋におるものでありますから、端つこの方に席を構えておりますので、一人で應待するというが、まあ沢山の係がおります。
  647. 岡部常

    ○岡部理事 佐々木は……。
  648. 桐生政夫

    ○桐生證人 向うは一人で來た場合もありますが、大底は二人くらい連れております。
  649. 岡部常

    ○岡部理事 それ以上の大勢で來る場合がありませんか。
  650. 桐生政夫

    ○桐生證人 私の所へ來たのは、最も多い場合で三人ぐらい來たかと思います。連れて來た連中は割合におとなしいです。
  651. 岡部常

    ○岡部理事 例によつて、威猛高になつて、部屋中大きな声で人の目をそばだてしめるような行動、態度ですか。
  652. 桐生政夫

    ○桐生證人 來た場合の半分ぐらいはそういう場合があつたですね。割合に今日はおとなしいなあという場合もあつたわけであります。
  653. 岡部常

    ○岡部理事 こういつた、人のため自分は大いに義侠心でやるんだというふうには御覧になつておらんですか。
  654. 桐生政夫

    ○桐生證人 そういう点も一部考えられたわけです。最初の当時ですね。段々工事をやつておる時のいろいろな情報を聞くと、そうでもないらしいというようなふうに見えました。
  655. 岡部常

    ○岡部理事 そうでもないということは、私利を営なむという氣配を感ぜられたわけですね。
  656. 桐生政夫

    ○桐生證人 そういうことでございます。
  657. 岡部常

    ○岡部理事 それでいろいろトラブルも起つたんですね。まあ要するにごろつきですか。とういうふうにお感じになつたんですか。
  658. 桐生政夫

    ○桐生證人 まあ單なるごろつきでもないような、ただ私の受けた感じですが、私の方はただ工事をやつた者と大体交渉はすることになりておりますものですから、その後のいろいろな外のことを聞きますと、それは又別ですが、私の仕事だけに関しては、まあ、これに近いような外の例が割に多いのでございます。
  659. 岡部常

    ○岡部理事 外にもそういうふうなトラブルがございますか。
  660. 桐生政夫

    ○桐生證人 ええ、それは例えば、我々の工事をやつていると、凡そできそうになりますと、いつか入る人を決めるわけです。そうすると、もう入る人を決めたのに、なぜ早く工事をやらんかということを、やいやい言つて來る連中もありますから、そういう面で言うと、幾らか似ておるという点もあるわけです。
  661. 岡部常

    ○岡部理事 いや、どうも御苦労樣でした。  この際御報告を致しまして、皆様にお諮りいたしたいのでありますが、佐々木松夫につきましては、彼が現在受刑者である関係上、昨日府中刑務所に行つて調査をいたしましたのでありますが、その訊問の顛末は現場において速記を致して居りますので、これを本委員会の調査資料と致したいと思います。御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  662. 岡部常

    ○岡部理事 御異議ないものと認めまして、その通り取計らいます。  それから本日、他に二人の證人を呼び出しておりましたが、いずれも差支えで、出て参りませんので、この證人の扱いにつきましては、委員長に御一任を願いたいと存じます。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  663. 岡部常

    ○岡部理事 御異議ないものと認めます。  今日の委員会は、これを以て散会いたします。    午後一時四十八分散会  出席者は左の通り。    委員長      伊藤 修君    理事             岡部  常君             宮城タマヨ君    委員             齋  武雄君             鈴木 安孝君             深川タマヱ君             松村眞一郎君             星野 芳樹君    證人      東京地檢檢事 吉川 正次君      東京都廳職員 桐生 政夫君             中村 文男君