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岩間正男君
数字が示されないというと、実は話にならないのですが、漠然と並べて二十三年度の
実態調査とそれから
自然増を見込んでというような
お話であ
つたのでありますが、それは明示して貰わなければ困ると思います。実は私も一週間ばかり前に全國に亘りまして、各府縣別の生徒数、
教員数、これを中学、小学、新制高校、この三つに亘
つて質問書を提出しておりますから、これによ
つていずれ判明すると思うのですが、これは直ぐにこの次までに、この数は一應纏ま
つたのを統計だけでも知らして頂きたいというふうに思うのです。二十四年度のこの
自然増というものが押えられていないと、先刻からの議論の問題が中点がすつかり外れてしもう。
自然増に対する考え方が果してこれは今までに含まれているかどうか。この点についてはすでに日教組あたりで若しも今
文部省が
説明されたような方法で以て
教員配置をやられるというと、恐らく今年度の
自然増の点につきましては十分に
教員が廻らないという
事情が起るということは、これは
調査の結果指摘されておるところでありますから、特にその点は
文部省は
努力して御返答願いたいと思います。
それから二部、三部の問題ですが、これはまだ
実態がつかまれていないということで、これは甚だ残念な結果しか引出されなか
つた。併しながらこういうことを一体考慮に入れておられるのか。つまり二部の場合、帳面ずらでは二部の場合二名という配置にするということに一應な
つておる。ところが
教員がなかなか見つからない、或いは途中で生活苦のために
教員がやめてしもう。そういうために止むを得ずその後を一人で二学級や
つておる。二人で三学級や
つておるという
実情がこれは非常に発生しておる。そのために
教員の方から労働強化が猛烈に起
つており、單にそれが労働強化だけの問題だけでなくて、実は子供の
教育の質的な低下ということにな
つて非常に現われている。こういう
実態をつかまれないでさつきのような
根拠を進められる。そうして
教員配置の行政を進められるというのは、非常にこれは犠牲になるものは
教員と兒童である。こういう
実態を私は指摘したいと思います。これは
文部省から
数字が詳しく出されるならば、もつともつとこういう数について議論をやりたいと思いますが、
文部省は
一つ肚を決めて
数字的につかまれて、そういうことに遺漏のないように準備して來て貰いたいと思います。
次にもう
一つ。五十人
定員定額制ということについて根本的に発言して置きたい問題が
一つ。というのは大体
文部省の行政が
教育の機会均等ということを完全に破
つておる
教育制度をや
つておる。つまり五十人ということで
一つなぎに北海道も
東京も、つまり都市も
地方も同じに押えておる。ところがこのことが非常にこの
教育の機会均等を破壊しておるのですから、この点について嚴重な注意をして欲しい。例を挙げますと、
東京において五十人という場合には非常に人口が密集しておりますから、六十人とか四十人というような分布でいいわけなんです。ところがこれが
岩手縣とか北海道とか青森縣とかいうような僻陬の
地方で山間にいわゆる分教場のようなもので一学級二十人、十五人というような数を持たなくちやならない
地方においては当然それらとの連関において同じ五十人においても一方においては七十人、八十人というような過大な学級がそこに出て來る。そうするというと、七十人、八十人のところに大きな犠牲が起
つて來る。そういうところには明瞭に
教育の質的低下が始
つている。
從つてこのような
定員定額制というものは、これは單なる
一つの便法的な、
予算を見付け出すところの手掛りに過ぎないのであ
つて、
教育の機会均等を何ら確立するものではないということを、はつきり私は指摘したいと思います。例を挙げれば、岩手の例なんかはつきりしておりますけれども、ここでは申上げません。併し
定員定額制というものは、当然これは今度の
教育改革の趣旨から、やめなくちやならないものです。どういう点でそんなら押えなくちやならないかというと、一学級の最高人員数をはつきり押えて、五十人なら五十人ということで、五十人以下に決めなければ絶対に
教育の機会均等はできない。この事実を
文部省は握んでおられるか、こういう点について
努力せられるお考えがあるかどうか、この点を伺いたい。