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説明員(
柴沼直君) お話の
通り、
螢光燈を入れますときには、
保存協議会において皆さん熱心に討議して
貰つて、
安全性を
確めた上であれはや
つておるのであります。
從つて今度も当然若し
電氣座蒲團を使うためには、そういうこともやるべきだ
つたと思います。併し何と申しますか、少し物事を軽く考えたのでありまし
ようか、非常に急にやりたいというので焦
つたのでありまし
ようか、そういう
方面に少しも
相談せずに事実上や
つてしま
つたわけであります。それで二十六日の朝七時過頃でありまするが、数名の者によ
つて殆ど同時に
金堂の
内部から煙の上るのが認められまして、それから皆駆けつけて
消火に從事したのでありまするが、発見してから約十分ぐらいで水が堂の中に入り始めまして、これが御
承知の
ように周りをすつかり閉め切
つた建物でありますために
内部に
空氣が余り入らないのでありまして、
蒸焼の
ような形にな
つてお
つたわけであります。そこで
素屋根と天井との間から
ホースで水を入れまして、
あとで扉を開けましたときには、水が約一尺以上も
溜つてお
つたというぐらいの大量の水が非常に早く入りました。そのために
消火そのものは、
消防関係の人に襃められるぐらい非常に手順よく
行つたのでありますけれども、併し問題はあそこの木材でなしに
壁画でありましたので、その火と水と両方のために
壁画が非常な
損傷を受けるという結果に相成
つたわけであります。丁度
ホースの出ますときに、隣の
五重の塔にも、大きな百尺を越す
ような
素屋根が直ぐ傍に建
つておりまして、それにも火が移りかけたのでありますが、この方は
水圧が非常に高い
消火栓であるために、一瞬にして消すことができまして、幸に
五重の塔の上には少しも
損傷を與えることなしに、
火水共に
損傷を與えることなしに、その方は済んでおります。それから只今申上げました
ように、
内部が
蒸焼きの
ようにな
つたのでありますので、柱や木の扉は約五分から一寸ぐらいの
程度に、
堂内平均に黒焦げにな
つております。無傷の柱が北西の方に一本あるのでありますけれども、これがどうして火が行かなか
つたかというぐらいでありまして、その他は全部殆ど同じ
程度に焼かれております。
壁画は
写眞で御覧下す
つたと存じますが、大きな六
号壁と申しますのに大穴が三つ程あいたのであります。その他
剥落、
亀裂等相当入
つておるのでありますが、六
号壁以外の
損傷は、大体
從來ありました
損傷の線に沿うて、その
損傷が拡大されておるのであります。それから顔料は熱によ
つてすつかり酸化されました
色彩を殆ど失
つております。丁度見ました
感じが
写眞のネガチヴの印画を見る
ような
感じでありまして、線だけが
残つておるという
事情にな
つたのであります。尚その
壁画に直接に触れております以外のものは、先ほど申上げました
通り安全なところに疎開してありましたために、この方は無論
損傷はございませんけれども、
建造物そのものをもとの
通り建直すことは、殆ど問題ないくらい
簡單にやれるのであります。ただ
壁画だけはどうにも回復の見込がない
程度まで
損傷を受けてしま
つたわけであります。そういうことになりましたので、私も実は即日向うに駆けて参
つたのでありますけれども、直ぐに
善後措置に取掛ることになりまして、取敢ず
壁画の
損傷の現状を、そのまま
將來に記録を残すための
調査及び
写眞撮影を開始いたしました。尚同時に前ありました
素屋根が焼け落ちておりますから、それに代る小さな
雨蓋いを作り、それから一方
壁画に從事しておりました
画家の
人たちには、
記憶の新しいうちに若干でも昔は偲ぶことができる
ような
模写……
模写ではございませんが、
記憶画と申しますか、そういうものをコロタイプの線を
土台にして、
色彩の
複原を図るという
ようなことを取敢えずいたして置きまして、復旧の
方針につきましては今月の五日、六日に約三十名の
委員の方が、いずれも
專門家でありますがお集まりを
願つて、又
寺側もそこにおりまして
相談をいたしたのでありますが、その結果決まりましたことは、事ここに至りましたために、もはや
壁画を絶対に動かしては相成らんということは言
つておられないのであります。
土台から組直さなければいけないのでありますからして、これは
寺側も了承しまして、一時壁を取除いて解体をする、そうして表面の燒けた材木につきましても、果して再び使うことができるかどうかを檢討し、壁は水平にして安全なところに一時納めて置く。
將來この壁が元へ戻せるかどうか若干疑問なのでありまするが、尚これは科学的な
研究を加えて、できれば壁がもう一遍元へ戻れる
ように準備だけし
よう。しかしそれにしても燒けたために
顏料の
剥落が激しくなりましたので、
顏料だけを取敢ず壁に固着させる
ような
方法を、
アクリル酸樹脂を用いてするということが決められました。それから燒けて現在のままでいつまでも放置して置きますと、若し地震でもありましたときに、更に大きな
損傷が
壁画及び
構造物に來ますので、
金堂の
修理計画が二十六年度からにな
つておりますのを、もし
予算が許せば繰上げて五重塔と並行に二十四年度からやりたい。そうして取敢ず解体してしま
つて、後直ぐに組上げて行くという
ようなことをいろいろ
相談をいたしたのであります。尚
壁画の
專門家に言わせますと、燒けても
残つている線が非常な
参考資料として貴重なものであるので、今日の
損傷程度よりもより以上の
損傷が及ぶことをできるだけ避ける
ような
方法をして貰いたい。そのためには場合によ
つては相当な藥品を用いてでも、とにかく壁の崩れるのを防いで貰いたいという
ような
希望が非常に出ておりまして、そのために外して、その方は
壁体の硬化ということの
研究をいたそうということに相成
つておるのであります。そういう
方法で取敢ず
差当りの
調査、
差当りの手当というものに取り掛
つておりまして、本年度一杯はそういうことに掛るかと思いますが、若し
予算が許せば
來年度勿々に
一つ根本修理をして、再び組上げるということを進めて参りたいという
希望を持
つておるのであります。
それで、
火災に関して、
法隆寺についてはどういうことが
從來施設してあ
つたかということを申上げますと、実は
能見式と申します
警火装置がございまして、これは非常に敏感な
警火装置でございまして、堂内で新聞紙一枚を燃やした
程度で
事務所に警報が來るという程敏感なものでございますが、これを
從來修理のできたものには
一つ一つつけて
参つて來ておるのであります。ところがこの
会社が
戰爭中企業整備に会いまして、
警火装置を作ることができなくなりまして、現在尚まだこの
会社が再編成されておらないのでありまして、恐らくはこの四月からは作業が始まるのではないかと言われております。そういう
関係で、
戰爭中の
戰爭中と申しますよりも、戰爭少し前頃からの
修理したものにはこの
装置をつけることができなくな
つております。そのために実は窮余の策でありますが、
法隆寺の裏山の高いところに大きな貯水池を作りまして、それから
消火栓を要所々々に引いたのであります。これは大体百尺を越しますところの五示の塔よりは遥かに高く上るところの
水圧を持
つた消火栓が
境内各地に引いて來ておるわけであります。それからその他の、自動的に水の落ちる
ようになる
装置なども、現在発明されておるのでありますけれども、この
装置をすることは非常に実際問題として困難があるのであります。
一つはこの
装置をつけて日常使
つておる
佛像や坊さんのおりますところに実驗をすることが非常に困難であります。一遍つけますと、二十年も三十年も
試驗なしにつけておる。
故障のあるなしを分らずにつけておくという
ような結果になり易いのと、もう
一つは
故障を起しますと何でもないときに水がさつと出て來るという
ようなことのために、中に宝物を入れておくことが極めて困難である。そんなことからスプリングラーと申しますのは、採用を実は余り寺院では好まないのであります。現在私の知
つておりますのは、奈良の大佛殿がこれを
装置しておるのでありますが、これも実は果して有効に働くかどうかということは必ずしも確かではない。それから
ガス消火の方はこれは実は
法隆寺関係としても
研究を進めて來てお
つたのでありますが、
炭酸ガス消火方法がいいというので、そういうことを随分
研究して
貰つておるのでありますが、まだこれは学術的に必ずしも結論が出ておらない
ようでありまして、尚これを採持するところまで來ておらなか
つた。そんなこんなで今までのところは
警火装置と
消火栓というだけで、
あとは、避雷針などは無論ございます。そういうものはや
つておるのでありますが、直接の
消火としてはそれだけでありまして、後はまあ大体二時間置きぐらいに、
事務所から夜廻りが決められた道順を廻
つて歩くという
ような
方法で
警戒をいたしてお
つたのであります。当日はその
火事の起きます約三十分程前に、あそこの住職が直ぐ脇を通
つておるのでありますけれども、その異変に全然氣が付かなか
つたという
ようなことで、まあ一番安全だと
思つてお
つた油断が、恐らくは
禍いをしておるのじやないかというふうに考えられるのであります。この辺は滋常に遺憾に存じておる次第であります。尚
電氣座蒲團から仮に火が出たといたしまして、そういうことが学問上考えられるかどうかということを、
檢察廳からも
大阪大学に依頼して
調査いたしましたし、私の方も
大阪、
京都その他の
大学專門家の
方々に
研究をお願いいたしておるのでありますが、無論学術的に必ず
電氣座蒲團が
原因だという
ようなことはなかなか言えない
ようでありますけれども、併しこの
電氣座蒲團は、
京都の
高島屋という百貨店から納められたものでありますが、燒けなか
つたものを解剖して見ますと、石綿の使い方が非常に少い。それから線の
接触状況が不良であ
つたそういうことで明らかに戰爭前のものよりも
品質が落ちておる。併し
スイツチは一
應切つたということにこれは確定されておるのでありますが、
スイツチが切
つてあ
つて尚
且電氣座蒲團から火が出るということは非常に不思議なのでありますが、恐らくは
スイツチを切る直前に
接触の
惡いところからの火花が綿に
移つて、それが十数時間継続して燃えたのではないかという
推定でございますが、そういう
推定がされておる。ただ学問的にはそういう
推定ですと、やや時間が少し長過ぎる。時間がかかり過ぎておるそうでありますけれども、それもまあ
説明をこじつければ、別段
説明が付かんという程の難点もないだろうという
ような、今のところまだ
推定なのでありますが、そういう
意見が有力であります。
現場といたしましては、
差当りその
関係者の
責任追及等をいたしておりますとより以上の
損傷が來、混乱するのを虞れまして、実は即日應急手当の方に直ちに一同を從事させまして、その
責任の
所在等につきましては
檢察廳の
調査、それから
文部省にも尚この
法隆寺問題の
調査の
委員会がございます。そういう
方面の
意見等を聽きまして、科学的な
根量を以
つて一つ処分して参りたいと、そういう考で
目下善後措置と並行して、その方の
調査にも取掛
つておる次第でございます。併しいずれにいたしましても、
國宝のうちの筆頭とも申すべきものについて
損傷を起したという点につきましては、誠に我々
責任が重大でありまして、この点は
関係者といたしましても深く皆さまにお詑びを申上げたいと
思つており次第であります。一
應法隆寺の
火災の経過を申上げまして、尚その他のことはお尋ねによりましてお答え申上げます。