○證人(
荒木光太郎君) すでにいろいろ御
意見が出たことと存じますが、一応私の
考えを述べさせて頂きたいと存じます。今回の
値上げの
理由を拜見いたしますと、
通信事業は終戰の年以來いろいろの経営難にな
つて、そのために
赤字に苦しんでお
つた。そこで能率増進とか或いは経費の節約をや
つてお
つたのであるが、それでも依然とし
赤字が出て來る。そこで
赤字に対して借入金とか或いは数回の
料金値上げをや
つて見たが、尚不足である。結局
一般会計から補てんすることにな
つた。併し二十四年度の
予算編成に当
つては、
日本の
経済的自給体制を確保するため、又特に
独立採算制を確保する必要があるので、極度の経費を節減をしたが、五十億というものが足りないから、そこで
値上げをするのだ、こういう
ようにして
收支の均衡を得
ようというのが
理由の
ように
考えるのでありますが、結局この
値上げの要旨というものは、本來の建前であるところの
独立採算制というものの確保にあるということであると拜見したのであります。併し私はこの問題を取扱うのに、やはり公共
事業である
通信事業の
料金の
値上げというものは、二つの見地からものを見て行かなければならんと
考えます。その第一は、申すまでもなく公共的のいわゆる企業である、こういう見地から
一つ見て行かなければならんと思います。即ちそういう場合に、公共
事業であるところの
郵便料金の
値上げということをや
つた場合に、どういう
ような
影響があるか。直接的に
考えますならば、各家庭における生計費に響いて来るということは、これは勿論であります。殊に今回の
値上げというものは、当局のお
考えにな
つておる如く、大衆的の
負担というものを避けるために
葉書の
値段というものを上げない、即ちこれは
通信事業の
公共性ということを
考えて、か
ようにお取計らいにな
つたのであると思います。つまり
葉書については
値上げをしないが、それ以外のものについては値を上げて行こう、こういうことであります。併しこの場合に
考えなければならないことは、
郵便というものを
一つの公共……廣い
意味において
経済交通の一環であ
つて、或いは
お話も出たかと存じますが、鉄道、
運輸というものと併せて
考えて行かなければならんと思うのであります。換言して申すならば、相手方に用向きを知らせるのに、交通機関によ
つて行くか、或いは
郵便通信によ
つてそれを向うに到達させるか、ここに二つの問題があろうと
考えます。この場合には、今日交通機関は非常に混雜しておるし、又その時間的な問題も
考えなければなりませんから、そこで一般大衆にのこ殘された問題というものは、……、結局
一つの方法というものは
郵便によ
つてや
つて行く、
通信機関によるということが殘された途と私は
考えます。從
つて値上げというものは、この点から十分に考慮をせられなければならないと思います。或いは生計費に対する
影響は、
通信の度数を減らせばいいのではないかという
ような
お話も出るでありまし
よう。併しこれは先程も
お話が出たと思いますが、大体各家庭におけるところの
通信というものは最小の限度があると私は
考えます。それ以上には減らし得ない、少なくともそれだけの、
日常生活に必要な
通信の度数というものが
考えられると思います。これは
経済の複雜化に伴
つてますます度数というものは増して行くと私は
考えるのであります。
從つてこの点から、
値上げは、その節約によ
つて生計費に対する
影響というものを調和して行
つたらどうかということは……、一概にはそれだけを以てこの
影響なしということは言えないと思うのであります。又、一方この
通信の
値上げをする上において、できるだけしない
ようにしたい。又上げるならば僅かに上げる
ようにしたいということを申上げる。
只今申しました
理由によりまして、鉄道或いは
運輸の方を是認しておいて、片方の
通信の犠牲においてこれを調和して行こうという
考えであるかも知れませんが、これはひとり
通信機関のみならず、交通の
方面にも同様なことがいえるのであ
つて、私は決して
通信の犠牲において鉄道の方の
値上げを是認しておるものではありません。
從つてこの
意味から申すならば、
値上げというものは、でき得る限り交通機関と
通信機関の兩者もよく並べて
考えて、先程から
電話とか或いは
郵便とか、兩者を
考えろという
お話でありますが、御尢もであ
つて、私は鉄道或いは
運輸の
方面と
通信というものは両方併せて
考えて、それの社会的又
経済的な
関係というものを考慮して、この
値段ということをお決めになるべきであろうと思うのであります。こういう
ような見地から
考えますと、
葉書は上げない、併し封書は上げる、封書の方は六割上げるという
ような法案でありますが、この間の果して区別をつける
理由があるのかということは私は非常に疑問視しております。と申しますのは、
葉書と封書というものは、それだけの間に六割上げる
理由があるかということを
考えてみましても、
葉書というものは封書に比べますと非常に短い、それから封もしないで外に出す、開封のままで内容がさらけ出してある、一定のスペースで、限りがありますから、或る
程度以上には書けない、これだけの違いであ
つて、封書との違いというものは封がしておるかどうかという問題である、こういうふうに長所の問題、長くなれば目方がかかり、余計
料金がかかるのですから、これは別問題であ
つて、結局ただ問題は封がしてあるかどうかの問題であります。殊に今日においては、封書を出すときには、封筒も非常に昔より高くな
つて一枚十銭とか十五銭かかる。又そうして中に使うところの紙というものも昔のごとく安くできないものでありますから、
從つて封書を出すということは相当に各自の
負担にな
つております。そこへ持
つて行
つて、更にこれの六割上げというものは、……
葉書はむしろ紙は
政府持ちであ
つて、そうしてそれ以外に更に向うに届けて呉れる
料金が入るというのですから、この点から言えば、むしろ
葉書の方も同様に少しの
値上げをしても、封書の方の
値上げをできるだけ下げた方が一般の
負担から言えば私はいいのじやないかと思う。封書の方をそのままにしておいて
葉書の方を上げろと言
つても困ると思いますから、兩者の
負担を均分にして、
葉書も上げる、そうして封書の
負担を軽くして頂いた方が私は大衆的じやないかと
考えるのであります。この
葉書は、一体内容から言
つてどういう
ようなことをや
つておるかといえば、これはむしろ内容から言
つてもそう大した重要なことでなくて、実際の必要なことは皆封書でやるということから言うならば、大衆の特に必要なのは封書であると言
つた方が正しいと思います。実際の時候見舞とか、儀禮的なものとか、新年の挨拶状というものは
葉書でありますが、やはり実際のことになれば封書の問題になると思います。その
意味から言
つて、大衆ということを掲げて
葉書を上げないというのならば、その
意味から言えばむしろ私は封書の方にその
考え方を持
つて頂きたいという
ような
考えを持
つております。それから間接的な
方面に、公共
事業としての
値上げの間接的な
一つの
影響として
考えますことは、これは先程も
お話がございました一般的
物價への
影響であります。これも成る程ごく僅かであ
つて物價の
影響というものは殆んどないと言
つてもいいかと思いますが、併しこれは一般大衆の氣持、人々の氣持というものを
考えて見なくてはならないのであります。例えば少し上
つても、
政府がものを上げるということは、やはり今日のデイスインフレーションのときに、一方において
値上げをするということはちよつと逆行した
ような形になります。そこで昨晩もラジオを聞いておりますと、街頭録音で
政府が
通信料の
値上げをするということは、これはどういうわけか、そのために、きつと
物價が上るという
ようなことを録音で言
つておりましたが、こういう
ようなことは、やはり現実の、本当の
理由がなくても、一般に与える氣持ちから物の
値段というものは勿論上
つて來るのでありますから、こらの
影響というものも、やはり忘れてはならない問題であろうと思います。又更に社会的な
方面の間接的な問題でありますが、社会的
方面の
影響を見ても、やはりこれは、いわゆる労
務者、或いは俸給
生活者というものに対する
負担というものが、やはりそれだけ殖えて來るのであります。つまり一定の収入者という者の
負担はそれだけ殖えることになります。又第三としては、商業取引上の
影響というものも
考えて見なければなりません。これは大企業よりも、むしろ中小の企業の
方面にその
影響というものが強く出て來る、いわゆる手紙を出すにしても、百万円の取引の手紙も、百円、二百円の取引の手紙も、これは同様なものでありますので、そういう点から言うならば、取引の小さいもの程
負担が大にな
つて來るということは当然
考えなければならないのでありますから、
從つて通信の
公共性というところから
考えますというと、
値上げというものは、できるだけ限度を小さくして、最小限度においてこれをなすべきであろうと
考えるのであります。併し私はここにもう
一つ第二の見方というものを、この
値上げの場合には
考えて見なければならないと思いますが、それは
経済企業体としての
一つの
通信というものを
考えて見なきやならん。先程も一番
最初に申上げました
値上げの
理由として、
独立採算制を確保するためにという
ようなことがあります。でありますが、
通信会計の
赤字を
値上げよ
つて補てんして行こうという、こういう
ようなことが目的である
ようでありますが、一体この
通信事業というものは、これは官廳でなされておりますが、併しこれは普通の官廳と非常に違いがあるのであ
つて、一般官廳というものが行政官廳であるとするならば、いわゆる、この
通信官廳は
運輸と同様に
一つの、何と申しますか企業官廳である、仕事をしておる、
事業をしておるところの官廳である、この一点において他と区別さるべきものであります。又第二の点は、一般官廳が権力行使の
一つの官廳である、機関であるに対して、
通信官廳というものは
運輸と同様に
経済企業体の形をなしておるものであります。
経済企業体としての特色というものを持
つておるものであります。又第三としては、
從つてこの一般行政官廳の
会計というものは、与えられた
予算をどう使うかという、消費
会計である。でありまするに対して、
通信官廳は
一つの企業
会計であるべきであろうと思うのであります。その
性質を十分に持つべきであろうと思います。又
從つて第四としては、経理面からこれを見ますならば、一般官廳が確定
收入である、租税によ
つて運営がなされるのに対して、
通信官廳というものは不確定
收入、つまり
通信收入というものに基礎を置いている。例えば景氣、不景氣によ
つてその収入が余計にな
つたり或いは少なくな
つたりするという
ような点において、経理面におきましても、
会計面においても、又
行政面においても、それぞれ皆違う、一般のものと違うのであります。これらの特性がありますが故に
独立採算制ということが言われておるのであ
つて、それがその
理由であろうと思うのであります。
一つの企業体として
独立採算制をやることによ
つて、この企業体としての
運営が最も合理的に且つ経濟的になされるというところが、これがいわゆる
独立採算制の目的であろうと思うのであります。それで、その結果、いわゆる
收支の均衡というものもなされているので、
收支の均沼をするために、いわゆる
独立採算制をするというのであ
つて、
收支の均衡をすることによ
つて独立採算制を確保して行こうというのは私は逆になるものではないかと思うのであります。この点において
理由は少しく私にと
つては合点が行かないと思うのであります。従
つて値上げをするということは
独立採算制を目的としておられる
ようでありますが、それはむしろ
経済企業体として能率の向上、そうして、それによ
つて企業の合理的な
経済的な
運営をするのに値上が必要である、そうなれば合理的な経営ができて、そうして、そのために
独立採算制というものも目的を達する、こういう
ように考うべきものではないかと思うのであります。若し單に
收支の均衡を得
ようというならば、これは
收入を増加させる
意味において値上をし、それから他方において支出減をするために、いわゆる冗費の節約とか或は人員整理という
ようなことで辻褄が合う。極めて
簡單なことでありますが、
通信元來のいわゆる
公共性ということから
考えますと、
独立採算制をとるゆえんからして、私は企業の合理的、
経済的
運営の改善を念頭に置いて、そうしてこの値上というものを
考えて行かなきやならん。
独立採算制を維持するがための
收支の均衡であるということはむしろ逆に私は
考えておるものであります。
從つて例えば企業体として
考えるなら、鉄道と同じ
ように、毎日窓口からその日の金が入
つて來るという
ような場合に、その金を例えば金融的に或いは銀行的にこれを管理して行くということによ
つて、必ずしも値上を或
程度までしなくても、それによる利益によ
つて、これを補てんして行くこともでき
ようと思います。でありますから、この
独立採算制ということは、單に
收支の均衡ということではなくて、企業体としての
性質を持
つておるために、ここに
独立採算制という
考え方が出て來ておるのでありますから、その目的を達するためには、企業体としての合理的、
経済的な
運営をするために必要なことであるということによ
つて、値上というものが初めて是認されなければならないと思います。この点について
考えるなら、ただ
收支の均衡を急ぐために忘れられたそういう
ような問題が私はあると思いますので、その点を御考慮あ
つて、初めてこの値上の問題が一般的に是認され納得され得る問題となると思います。或は皆さんの
お話と重複しておるかも存じませんが、私の
考えを申上げて御参考に供する次第であります。