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衆議院法制局長(入江俊郎君) 私
衆議院の法制局長の入江でございます。先程
衆議院の
事務総長の
大池さんがおつしや
つたと同じ
意味におきまして、私は本日ここで
個人入江として
自分の
考えを申上げたいと存じます。この
懲罰の問題につきましては、すでに前にお述べにな
つた方々が問題にしたごとく、
懲罰そのものの
本質をどう
解釈するかという点に問題の第一歩があると思うのであります。これは私は各院がその院において、その院の正当なる
活動及びその本來の性格を正しく維持するために、若しこれを侵害するものがあ
つたときに、而もその侵害をするものというのは、その院の構成者である
議員が、そういう
行爲をした場合に
自律権によりまして、自主的にみずからを守るという作用だと思うのです。それですから、結局その院における
秩序を自主的にみずから守るということでありまして、その
意味においては、廣い
意味で
秩序を維持するための罰であると思います。
從つて刑罰とは勿論違う。併し
秩序を維持するという
意味の罰という
意味においては公務員の懲戒に極めて類似している点があると思います。ただ懲戒につきましては、或る
一つの組織体がみずから自主的にその構成者に対して
処罰するというよりも、むしろ公務員を選任する、或いは選任した側における統轄権というようなものの
働きから、公務員社会全体の
秩序を保護しようという
働きで懲戒が出て参りますので、その点においては、この院の
懲罰と聊か趣を異にする点はあると
考えております。そういうふうなものとして
懲罰を
考えましたときに、この
懲罰の根拠はやはり
憲法五十
八條にあると
考えております。前の方がお述べにな
つたように
國会法、若しくは両院の
規則で掲げた
懲罰の事由等は例示であるという点は私も同樣の見解でありまして、
憲法五十
八條自身が
懲罰の根拠を示したものであり、いわば
懲罰に
一つの法的の根拠をはつきり與えておるという、これは刑罰ではありませんけれども、罪刑法定的な根拠は
憲法五十
八條を以
つて足るものと
考えております。ただ何がそれに当るかということは、先程申しました院の自主権という点から見て、院そのもので決めるというようなことにな
つて來ようかと
考えるのであります。それから尚それに関連いたしまして、その院の
秩序を害した人間は、院の構成者である
議員であることを要する。これも言うまでもないと思います。而も私の
考えでは、
議員が院の構成者として働く面における
行動に関連して起
つた場合に限るのであ
つて、院の構成者であ
つても、その者が全く
個人の立場においてや
つた行爲というものは、この場合問題にならないと思うのであります。そのことはやはり懲戒の
本質から自然そうなるということと、それから国会法、若しくは院の
規則の書き方等を
考えましても、そういう趣旨で以て建前ができているように思うのであります。尚、
参議院規則二百七條、
衆議院規則二百十一條の
議院の
品位を保つ
義務があるということを
規定しております。でこの
規定は
議員の
個人の
行動の面まで規律しているのかどうかという点でありますが、私はやはりこれはそこまで行かないのであろうかと
考えております。
個人の面において正しい
行爲をするということは、これは道徳的な問題で、
衆議院規則、
参議院規則に取上げる問題ではない。やはり両院の
規則は、内部の紀律に関する
規則であるという点から見ましても、言葉は廣く書いてありますけれども、それは
職務の外のことまで触れているものではないように思うのであります。ただこの
懲罰を行うときに
職務の外の
行爲を問題にすることができないか、できるかにつきましては、或いは
立法の方法を用いればできるかも知れないという氣がするのです。それは先程申しました懲戒の
本質から見て
職務に関する
行爲であるとい
つたことと聊か矛盾するかも知れませんけれども、これは矛盾とまで行かないように
考えられるというのは、本來的に
職務に関する
行爲でありますけれども、
職務に関しない
行爲をや
つたとしても、それが結局その人の
職務を行う面における
行動に大きな影響を及ぼすというからこそ、それを捉えるのでありますから、そういうふうな場合においては、
立法論的には
職務の内外を問わず
懲罰の客体にするということも不可能ではないように思うのです。併しこれは
立法を要するのであ
つて、或いは
國会法の
規定等においてそこまで書けばいいけれども、現在はつきり書いてない以上は、そこまでは行かないであろう。例えば官吏の懲戒につきましても、文官懲戒令というものが曾てあ
つて、それに
職務の内外を問わずという文句もあ
つたけれども、やはりこれはそういう言葉があ
つて初めてそこまで
責任を負わせることができるのだろうと、こう思うのであります。故に現行法の
制度の下においては、やはり
職務の完全なること以上には及び得ないというように私は
考えておるのであります。
第二の問題としては、
場所に関する問題でありますが、「
院内の
秩序」と申します「
院内の」というのは、私は
場所的の物理的の
範囲に限るべきではなくして、その院が院としての
活動をなし得る場面という
意味であると
考えるのであります。先程佐藤法制長官も
憲法のときのお話がございましたが、成る程
憲法にはデイスオーダリー・コンダクトと英語には書いてあるようであります。尚それを受けた
規定でありましよう。
衆議院規則の二百四十
五條には「
議院の
秩序をみだし又は
議院の
品位を傷つけ、」という言葉があります。そのときのこれは英訳ですから参考になるだけでありますけれども、
衆議院規則を英訳しておる場合には、このデイスタービング・ザ・オーダー・オブ・ザ・
ハウスというような言葉を使
つて、オーダー・オブ・ザ・
ハウスと書いてある。その
ハウスというのは勿論これは
建物を言うのではなくして、
議院という
活動を行う有機的なものを
考えておるのだろうと思いますから、
院内の
秩序という場合に、その
場所的
範囲は
建物に限らない。併しやはりそれは、公の
行動をする限度においてでありますから、
派遣議員が派遣地においてやる
行爲、その場合は勿論その
院内の
秩序ということに入りますけれども、
議員宿舎或いは官舍等において行う
行爲というのは、この場合、
場所的の面から見ましてもそこは入らない。併したまたまその
議員宿舍において、
議員が何らの
意味において
議員としての公の作業を行な
つておるというような場合があれば、これは先程申しました面から見て、結局そこは院の延長になりますから、
場所的
範囲に入りますけれども、通常の場合における宿舍或いは官舍等は入らないというふうに
考えております。
第三番目に時期の問題でありますが、この時期につきましては、私は現行法の
解釈論としては、
会期中の
事件についてその
会期中に処分をするという建前でできておると思うのであります。その
意味は
会期不
継続の原則というのが
國会法第六十
八條にございますが、この
会期不
継続の原則という問題は、そもそも
國会法六十
八條で生れて來るにつきましては、その根本に
國会活動というものについての
一つの原則が潜在しておるものであるとして、その原則と申しますのは、やはり
國会というものは
一定の
会期中
活動能力を持
つておる、
会期が終ればそれによ
つて活動能力を喪失するという建前でできておるのでありますから、その原則としてすべてのことは
会期中に片附ける、そういうものとしては、いわば
國会として
観念的には形而上的に言えば、具体的に存在をするのは
会期中であるという特別の
意味を持
つた又特別の機構を持
つた國会機構である点から申しまして、
國会の
会期というものを非常に重く見る、そういう
一つの原理があると思うのであります。その原理を基として
國会法六十
八條の
会期不
継続の原則が出て來たと思うのでありますが、同樣にその原則から、やはり
懲罰につきましても、
会期中の問題は
会期中に片附けるということにな
つて來ると思うのです。だから
國会法六十
八條の適用があるというのは、そういうのじやなくて、
國会法六十
八條と
懲罰問題とは別でありますけれども、その両者にやはり
一つの原理が流れて來て、そういう
結論になるというふうに、現在の
國会法と
衆議院、
参議院両院の
規則から見るとそうなると私は
考えておるのであります。そのことは、そういうようなやや
観念論的な
考え方と、今
一つは
文字論になるかも知れませんけれども、
國会法或いは院の
規則を見ますと、各院において
懲罰事犯があるときは、院長は
懲罰委員会に付するというような言葉があるのです。
懲罰事犯というのはどういう
意味がと申しますと、これは私の勝手な
解釈ですけれども、
懲罰に当るような不法
行爲、不当
行爲という
意味だろうと思います。
事犯というものは
一つの
ケースであると
考えますと、
懲罰問題として
考えますと、そういう問題になる余地もあるかも知れませんが、どうも院の
規則を見ますと、
懲罰事犯というものはそういう惡い
行爲そのものを
考えておるように思われる。例えば
衆議院規則の第二百三十三條というのに「
事犯者」というような言葉がありまして、これはその
行爲者という
意味だろうと思うのでありますが、
懲罰事犯というものは、
懲罰に当るような惡い
行爲という
行爲を押えておるというふうに思うのですが、
会期中において
懲罰事犯があるときは、言葉の
解釈ですから少し牽強附会の感があるかも知れませんが、先程申しましたような
考えからして、こういう
規則ができておると私は思います。やはり
会期中において
一つの
事犯があ
つたときに、これをすぐ
懲罰に付するというような、こういうふうなことにな
つて來るだろうと思うのであります。尚もう
一つ、
議員が
懲罰を問題にするときには
行爲があ
つてから三日以内という制限があります。これにつきましてもやはりその
文字からは直ちに
結論は出しにくいかも知れませんけれども、先程申しましたような原則的
考え方を元にしてこの三日ということも出て來たのだろうと思います。
懲罰が起
つて來たときに、そういつまでだらだらしてお
つたのでは困るというので、恐らく三日ということが出て來たのだろうと思います。ただ
議長が職権を以
つて懲罰に付する場合には期日の制限はない。これは大正十五年に問題にな
つたのでありますが、この
中間報告にもございますが、大正十四年に
懲罰に付する
事件の
範囲が拡張された、ところが
議員が
懲罰動議を出すには三日という期日があるので、
議長がやはり
懲罰委員会に付するにも同じような制限があるように
解釈しておるらしい。私詳しくは知りませんけれども、速記録を見ますと、大正十五年の
衆議院の本
会議におきまして、粕谷
議長がその
解釈を
一つ決めましようという
発言をされて、
議長が
懲罰に対する場合には三日の制限を受けないのだというように
解釈を決めようということを
発言されて、各
議員がこれに賛成して確定したという
経過があるようであります。ですから、この点について
議長はいつにな
つても
懲罰できるというふうに拡げたのであるかどうか。この
会期中ということはやはり当然のことと
考えて、ただ三日ということのみに制限されるということは非常に窮屈になるので、
議員においては三日以内だが、
議長の方は然るべき
期間にこれを
委員会に付すればいいというふうに拡張されたのであろうと、私は想像でありますけれども、
考えております。そういうふうなことから
考えても、
会期中というような建前で現在の
制度ができておるというふうに
考えております。これは現行法の
解釈論でありますが、実は私は
立法論としてはそう狹く
解釈しなくてもいいということを
考えております。即ち同一
会期中ということじやなくして、いわば
立法期、即ちその院の同一性というものを……同一性ということはどこまでであるかということでありますけれども、その構成者というものが同一性を保
つておる間、即ち言換えれば総選挙から総選挙までの間、
衆議院について申しますと……その
立法期という間はこれを同一の
期間と
考えまして、その間においては
懲罰の問題もできるというような
立法論の方が私は正しいのじやないかと
考えております。現にこの
國会法におきましても、
常任委員会の
委員というものは、これは
会期の初めにおいて
委員を選任し、
議員の
任期中ということにな
つておりまして、これらの点は
会期々々で以て切替えるという建前を取
つて現在の
國会法ができておる。それらを
考えても、いろいろな点において昔程嚴格に
会期不
継続の原則は守られていないという節もあるので、
懲罰等についてはその院そのものの保護という点から
考えて見ても、構成員として同一性を持
つておる限度においては問題にできるという
立法論が私は望ましいと思います。併しこれは
立法論でありまして、若しそうなるというと、
議員がその
行爲から三日以内に
懲罰事犯を提起するという
事柄についても更に反省をし、
研究をすべき問題もあろうかと思うので、現行法の
解釈としてはそこまでは行き得ないのではないかというふうに
考えます。尚この
参議院においては、
立法期と申しましても半数交換でどんどん行きますから、
立法期の決定方法が少しむつかしくなるのです、それらは
立法論に属するので、ここではその以上は申上げません。大体私の
考えておるところは以上の
通りであります。