○
公述人(川崎巳三郎君) 私はこの
日本銀行法の一部を
改正する
法律案に対しましては、全面的に反対の
意見を持
つておるものでございます。この
條文そのものにつきましては、後で時間があ
つたら
簡單に触れたいと思いますが、実は読んで見てさつぱり、私の頭の惡いせいですか、全然わけの分らんところが沢山あるのであります。その点は後にいたしましても、この
日本銀行法を
改正する
法律案は、今日のこの
日本銀行が置かれておりますところの非常に大きな改革の問題、つまり
日本銀行が長い間
日本の
経済の上に持
つて参りましたところの歴史的の性格と申しますか、國家と密接に結びついて、そうして
産業界及び
金融界に君臨するというこういう
制度、これを根本的に改革して民主化することが、現在の最も重要な改革のポイントであると思うのであります。ところがそういうような点につきましては、この
改正案は何ら触れるところがない。根本的に
言つて何ら触れるところがないということが第一点であります。
もう
一つは現在の
金融界がこの我々が当面しておりますところの非当に深刻な
経済危機を突破する
ために重要な挺子にならなければならない、その
意味においても非常に大きな根本的の改革が必要であるにも拘わらず、そういう点については何らこの改革案は触れておらない。この二点を以ちまして、私はこの
法律案に対して反対の
意見を持
つておる者でございます。
第一の点はもはや皆樣お氣付きのように、
日本銀行の民主化という問題であります、これは非常に長い歴史を持つ問題でありまするけれども、この
日本銀行が
政府の出先
機関として官僚勢力というものと結托をいたしまして、
金融界及び
産業界に君臨するという態勢は前からあ
つたのでありまするけれども、昭和十七年の
日本銀行法の制定によりまして、これが極端にまで高められたわけであります。今
日本銀行法を
改正するというときにな
つて、その点に対するところの何らの
改正が企図されておらないということは、どうしたことであろうかと私は思うのであります。あの東條軍閥の下において戰爭
経済を遂行する
一つの重要な武器としての
金融統制をやる
ために作られた
日本銀行というものが、その
日本銀行法の第一條及び第二條がこの
改正法律案においては問題にな
つておらないのであります。御参考の
ためにそれを読んで見ますと、こういうことであります。第一條は「
日本銀行ハ國家
経済総力ノ適切ナル発揮ヲ図ル爲國家ノ
政策ニ即シ通貨ノ調節、
金融ノ
調整及信用
制度ノ保持育成ニ任ズルヲ以テ目的トス」ということが書かれておる。第二條におきましては「
日本銀行ハ專ヲ國家目的ノ達成ヲ使命トシテ
運営セラルベシ」こういうような規定がそのままにな
つておりまする以上、その中にこのような
政策委員会を設けてそれに若干の民間の人達を入れて來るということにな
つて参りましても、決して根本的な性格を変えて行くことはできないというように私は考えるのであります。
第二の現在の
経済危機の問題でありまするが、これを私は今までいろいろ申されました方々のように、銀行の
立場或いは
金融家の
立場という点からではなくて、むしろ逆に野に在る者として、労働者や、農民や、
中小企業者や、或いは又いわゆる民族
産業と我々
言つておりまするが、外國資本と結び附かないところの
産業資本の
立場から考えて参りますると、今日においては結局この
金融問題というものが非常な重大問題にな
つておりまして、労働者諸君は
金融の梗塞の
ために賃金の遅配ということで非常に悩まされ、或いは又その
ために首切りが行われるというような
状態、又中小
商工業者の方々は殆んど
金融の途がつかないで倒れて行く。更にもう少し規模の大きな
産業資本家にいたしましても、金詰まりの
ためにどんどんと破壞されて行く、破滅して行くというような
状態、中には、私の知
つているそういう方もありまするが、バランスシートは合
つておりながら金がない
ために、
資金が得られない
ために、賃金も拂えない、工場閉鎖もやらなければならないというものが非常に沢山出て來ておるのであります。その
原因というものを私達が辿
つてみますと、決してそれは單に
資金が引締められておるからという、單なる
金詰りの問題ではないということに氣が付くのであります。つまりよく
財政と
金融とが分離されたというようなことを申しますけれども、実はこの総合予算の均衡を取るというその取り方が、民族
産業以下の人達の
ために、その人達本位に予算の均衡が取られておるのではありませんで、極めて少数の大きな独占資本、そういう独占資本本位に中小民族
産業以下の人達の犠牲において予算の均衡が取られたというところから、
産業の破壞、
中小企業の崩壞、
農業の減退、生産力の減退、或いは又労働者や農民の人達の非常な苦難とな
つて現われて來ておるのであります。でありますから、本当の
意味で我々がこの
金融問題というものを考えまするならば、銀行の
立場、或いは
金融資本の
立場ではなくて、むしろそういう民族
産業以下の
大衆の
立場に立
つて考えなければならないと思うのであります。そういたしますると、どういう点が問題にな
つて來るかというと、結局この
金融制度の改革というものも、このような少数の大きな独占資本本位の
金融政策ではなくして、民族
産業を破壞から讓り、
中小企業、労働者、農民の生活の安定を確保するというような観点から、大きな
金融制度の改革というものが行なわれなければならんと思う。然るにこの
改正法律案は、そういう点におきましては、殆んど何の取り上げて言うベき点を持たないという点で、私は現に我々が当面しておるところの最も重大な
経済危機突破の
ためには、こういうような
制度の改革を以てしては不十分であるというよりも、殆んど何らそれには役立たないということが断定できるのではないかと思うのであります。というのは、よく
財政と
金融の分離ということが言われますけれども、私の考えでは、結局において分離できるものではないと考えるのであります。形式的に
財政の分野と
金融の分野とは分けることはできまするけれども、併し現在の
金詰りが何故起
つておるかということの
一つを考えてみても、それは二十三年度において租税收入は三百億円も余計に取上げた、一方において六百億円も
政府が支拂を遅延しておるというような、そういうところからいたしまして、それが
一つの大きな
原因になりまして、現在の
金詰りが起
つておるのであります。そういたしますと、そういう
財政政策というものを一方でそのままにしておいて、その尻拭いを
金融面においてするというても、これはできない相談であります。でありまするから、先程申上げましたように、今日の危機を突破する
ためには、やはり
財政も
産業政策もそうして又貿易政計も、そういうものとの総合的な関連において
金融政策が立てられなければならない。そういう
金融政策を立てるような何らかの
機関がここに私は作られなければならないと考えるのであります。ところがこの
法律に出されておりますところの
政策委員会というものは、実は
金融政策の中での極めて限られた部分しかその権限には属しておらないのであります。つまり
金利の調節及びオープン・マーケツト・オペレーシヨンを通じての信用の調節という、大体この
二つの事項だけでありまして、大きな
意味での
金融政策というものは全くこの
政策委員会の権限外に置かれておるわけであります。例えば今日我々が当面しておる問題でも、例えば長期
資金をどうするかというような問題、或いは融資準則、これをどこでどういうふうに
運営するかというような問題、或いは又例の見返
資金の運用の問題、或いは又やがて外債の募集というようなことができるというようになるということも傳えられておりまするが、こういうふうにして入
つて來る外資の運用をどこでどうするか、或いは又外國の銀行や外國の生命保險会社が、
日本の國内において
仕事をすでに始めて來るわけでありまするが、こういうものに対して
日本としてどういうふうな
金融政策を持つか、そういう問題に関しましては、この
政策委員会は殆んど触れるところがない。そういうことはこの
政策委員会の権限の外に置かれておるわけであります。そういう
意味で、この
改正法律案は
金融政策の極めて少部分、つまり
日本銀行に委任されたと申しますか、委任された
政策、或いは
日本銀行の本來持
つておるところの権限、それが或いは大藏大臣の認可事項であ
つたり、或いは又総裁の單独の
決定事項であ
つたりしたものを、この新しくできる
政策委員会に移すというだけのことにな
つておるように思うのであります。
次に
金融機関の民主化の問題でありまするが、この点におきましても、ここに掲げられておりますように、民間の人々を
委員に挙げて來ますと、それによ
つて金融機関の民主化ができるように形式上見えるのでありますけれども、併し実際はそうではないと思うのであります。先程申上げましたように、
財政政策や一般
経済政策や貿易
政策によりまして、すでに大きな枠が與えられておる。その枠自体が現在民族
産業を破壞し、
中小企業を滅亡させ、労働者を失業と賃金遅配の苦しみの中に陥れ、農村を窮乏に追いや
つておるのでありまして、そういう
意味で、その枠自体がすでに非常に民主的ではない。反人民的である。そういう枠の中におきましてこういう
委員会を設けたところが、これは決して本当の
意味での民主的な
委員会にはならないと思うのであります。特にすでに今朝の新聞紙などに傳えられておりますように、この
委員になる人の下馬評がすでに出ておるのであります。これなども、余計な話でありますが、実に國会の審議権を無視した怪しからんことであると思うのでありますが、下馬評に上
つておる人々を見ましても、結局以前に官僚としての経緯を持つ人とか、或いは又
金融界及び財界のいわゆる独占資本、
金融資本を代表する人々、こういう人々しか出て來ないわけであります。そうしますと、この
改正法律案が通りましたときはどういうことになるかというと、結局いわゆる総合予算の均衡というようなことによりまして、実は
資金は非常に窮屈にされておる。
從つてその中に占める銀行資本の地位というものは、ひとりでに強化されるような客観的な條件ができて來ておるわけであります。その中において、先程も申上げましたような今下馬評に上
つておるような人々が出て來るということでありますと、これは結局
金融資本と申しますか、独占資本と申しますか、そういうものの
経済支配力をますます強化するという
一つの
委員会に結果的にはな
つて來るのではないかと思うのであります。先程
中小企業の問題に関連しまして、一体これができて
中小企業の
金融はよくなるのか、惡くなるのかという御質問があ
つたようでありまするが、私は
中小企業の
金融というものは、これによ
つてよくなるとはとても考えられない、むしろこれは逆であるというふうに考えるものであります。そういう点で私は本当に
金融の民主化を実行し、又現在の
経済危機を突破ししようとするならば、單に
金融制度を少しいじくるということではなくして、もつと
財政の面におきましても、
産業の面においても、貿易の面においても、もつと拔本的な大きな変革が必要であるというふうに考えるものであります。それは今日一番大きな問題は、やはりもうすでに非常に社会的に大きな
意味を持
つて來ておるところの
産業や
金融というものが実際には独占的な資本家の利潤追求の
ために
運営されるというところにその矛盾があるわけでありますから、これを根本的になくすということ、即ち重要
産業や
金融機関及び貿易を國営にして、その國営にされたものを民族
産業、中小
商工業、労働者や農民やそういう人達の組織から出たところの代表による
委員会で管理するというような根本的な
政策を取
つて、そういう管理機構の中枢として最高
経済会議というものを設け、これを國会に対して
責任を負うだけで、内閣に対しては独立の地位を持つような非常に
権威のあるものに高めて行かなければならない。そういう大きな
構想の上においてこの
金融制度の改革というものを考えなければならない。そうでなか
つたならば、現在の危機を突破して行くというようなことは到底できるものではないと考えるのであります。
最後に
條文について若干申上げますと、実は一番重要な
條文であるところの第十三條ノ二が、これは
意味が不明であります。その一番最後の方に「
國民経済ノ
要請ニ適合スル如ク作成シ指示シ又ハ監督スルコトヲ任務トス」とな
つておりますが、誰が監督されるのかちつとも分らないので、而もこの中におきましては「通貨信用ノ調節」とな
つておりますが、通貨の調節ということこれは根本をなすものはやはり銀行券の発行限度の
決定でありますが、この権限は
政策委員会にはないわけであります。そうして通貨発行審議会の議を経て大藏大臣がこれを
決定することにな
つておりまして、こういう根本的な通貨調節の機能というものが
政策委員会の権限から奪われて、依然として大藏大臣の手に残されておるということが言えるわけであります。それからこの
政策委員会の性格というものは、この十三條ノ二では分りません。これはもう先程からこの
政策委員会を日銀の中に置くか、外に置くかという問題がいろいろ出たようでありますが、これを
條文通りに読んで行きますと、これは
政策委員会は
日本銀行の意思
決定の最高
機関ということになるようでありますが、そうであるとすると、私は先程
ちよつと申上げました指示し監督するということが一体誰を指示し監督するというのか、これはますます不明にな
つて來るわけであります。それから
條文で非常に
意味の不明なところは十三條の三の第九号もそうでありますが「前各号ニ掲グルモノノ外他ノ
法律又ハ契約
関係ニ依リ
政策委員会ニ委任セラレタル信用ノ
調整ニ関スル
政策事項及
金融機関ノ檢査」とな
つておりまするが、この「
政策事項」というのは
政策事項の
決定ということなのか、すでに
政策は決められてお
つて、それを指示し又監督するという
意味であるのか。この点も非常に不明で何だかわけが分らんのであります。次のその十号につきましては「國会ニ対スル毎年ノ報告」ということが書いてありますが、その中でのロに「必要ナル
法律ノ
改正」ということがありますが、こういうようなことも文章としては非常に私はおかしいのじやないかというふうに思います。「必要ナル
法律ノ
改正」を國会に対して報告するということは何か
意味が取れないように考えるのであります。
委員会の機構については
余り詳しく申上げませんが、これはすでにもう問題になりましたが、
日本銀行の総裁がこの
委員の中に加わ
つておるということ、或いはそして又
日本銀行の総裁が
委員会の議長になる
可能性が残されておるということ、これも私
法律はよく分りませんが、
法律的に見ても非常におかしなことではないか。この
委員会は先程の最初の
條文がよく分りませんけれども、指示又は監督するというものが
日本銀行であるならば、或いは
日本銀行のいわゆる職員であるならば、
日本銀行の総裁は監督される
立場に立つと同時に勧告する
立場に立つということであ
つて、非常におかしなことになるように思うのであります。尚これが
委員がすべて内閣の任命である、一方的に内閣の任命であるということ、それから十三條の六におきまして、これが内閣において認定罷免が幾らでもできるというようにな
つておるというようなこと、こういうような点につきましては、もうすでに問題が出たのでありまするから、詳しくは申上げませんが、この
委員会が形式的な
意味においても民主的ではないということが言えると思うのであります。それから第十二條の九の、つまり禁止行爲でありまするけれども、これは私は全面的に削除……若し何であ
つたら削除すべきではないかと考えるのであります。こう私は全体としてこの
日本銀行の
改正法律案が大した
意味がないということ、これはこのまま通るならば、結局それは現に行われておるところのいわゆる民族
産業以下をすべて犠牲にするところの少数の独占資本の
政策というものを遂行する
一つの
機関になるに過ぎないということ、そういう点からこの
法律案に対しては全面的に反対するものであります。でありますから、後で申上げましたいろいろな細かい事柄は、そういうことを修正したらそれじやよろしいのかということにはならんのでありまして、私の
意見としては全面的にむしろこの
法律案には反対されるのが至当ではないかということであります。