○
天田勝正君 本
來公團等が設立されましたのは、その
目的は國が行うところの
事業体である、そこで
事業体の
性質に鑑みまして、これを
役所の形で行わせるということは非
能率である。そこで
機動性を発揮せしめるために
公團にした方がいい。こういうことが一貫して
公團等を設立した
理由にな
つておるわけであります。ところが今度はそれを作
つてしまいますると、このように段々國のやることに
眞以て來てしまう。成る程
予算の上から見まするならば、國といたしますれば、一年間の
歳入を
見合つて、これに支出を合わせて行かなければならんという
関係もありますので、
予算の面はどうもこれは非
能率に見えましても止むを得ざることである。こういうふうに
考えられるわけですが、
決算の方は
一般事業体、
民間の
会社等から見ましても、実は成る程二割くらいに分けてある
会社もありますし、一年に一回というところもありますけれども、実際的には殆んど一月、二月、甚だしいのになると毎日の帳尻を見まして、ちやんと一体これで
能率的に上
つているかどうかというのは見ておるわけであります。ところが今度はその
機動性を発揮するいい部面であるところの
決算、こういうことがやはり非
能率的に結果においてはな
つてしまう態勢ではなかろうかと私は思う。現在二十二
年度あたりの
決算書が盛んに
國会に
提出されている。こういうことは各議員とも実は迷惑に感じているし、現在今
黒田委員がおつしや
つたように何か比重が軽くな
つてしまう。どう使われたかということが
予算を組むと同様に重要であるにも拘わらず時が経
つて來ますというと、どうも忘れ勝ちになるのであります。それが國の
機構の問題であるということになりますればたとえ一時廃止されましても、それが何らかの形で引継がれる。ところが
公團の方は
会社を解散するのと同様でありまして、止めてしま
つて今の調子で二年くらい経
つてから
決算書が出て來る。一体これを幾ら信用して見たところで、実際上はもう無駄な議論である。こういうことにな
つて來るだろうと思う。そういう
公團のいい面は一切捨てて、
役所の惡い面のところだけを國に
倣つて來るという、一体新らしい
法律を出す根拠というのがどこにあるか、私には発見することができないわけです。そこでただ倣うということをここに
説明されておるわけでありますが、
倣つた方がこのように点で有利であるということを……ただ
取扱者が便利だと、そういうことでは誠に困るので、有利であるという点を
一つお示し願いたいと思うのであります。