○
説明員(
井藤半彌君) 國の
政治、
経済、
社会全体に
関係のあることでございますので、それで
税金の問題だけ切り離して話をするとなりますと、実際これを実行する場合に、その
通り実行できないというようなことがありますので、併しそんなことを申しますと、まるで
学校の教科書のようなことになりますので、それで
皆さんに対してそういうことを申上げますと、失礼かと存じますので、問題を非常に狭く限定いたしまして、
租税技術の問題と申しますか、狭い
意味の
租税技術の問題を中心に
卑見を申述べさせて頂きたいと思います。勿論その
背後には
政治、
経済全体の問題があるということは申すまでもないことであります。極く大げさな言い方で申しますと、共産党の
立場からものを言う場、それから民自党の
立場からものを言う場合というようにみずから小さな問題でもやはり
立場の相違があるわけであります。私も〇〇党だとかかくかく党かは別といたしまして、やはり何かの
立場がございますので、やはりそういう
立場を
背後においてものを
言つておると思いますけれども、併し勿論それとの
関連は直接申上けないことにいたします。
そこで
租税の問題でありますが、これは
皆さん御
案内の
通り問題は
二つございまして、
一つは
租税の
数量の問題と
租税の
種類の問題であります。
数量の問題というのは、一年に
日本なら
日本で二千億とか三千億とか四千億の
税金というものが、
日本の
國民の層から見て果して当を得たものであるかどうかということは
数量の問題であります。それからもう
一つの
内容の問題で
数量が全体として当を得たものであ
つても、
税金の
種類内容が果していいか悪いかによ
つて國民経済に及ぼす影響はみずから
違つて來る。そこで
数量と
内容というこの
二つについて問題になるわけでありますが、この
数量の問題それから
内容の問題これについて実はこれまで多くの方々が議論しておりますので、これも私申上げる必要もないのじやないかと思います。
併し
数量の問題でありますが、
数量と
内容、この丙の
数量の問題ですが、現在
日本で
税金が非常に重い、これは一体
國民経済がら見て果して当を得たものであるかどうか、こういう問題でありますが、これを計る
方法といたしまして、一番普通に行われておりますのは、
租税の
國民所得に対する
割合を求める
方法である。これによると我が國では
租税の
國民所得に対する
割合は二六%、去年はどうでしたか、
アメリカと比べてこういうことが大きな問題にな
つております。これについても私
意見はありますが……
結論から申上げますと、少し重いじやないか、但し
租税の
國民所得に対する
割合の二六%という
数字のみ大きな
意味を持たしてはいかないというようなことは実は一昨年でありましたか、参議院の当時は
財政委員会という名前でありましたが、そのとき
公聴会をお願いしまして、その席上で申上げましたが、その当時の考えとは少しも変えておりません。それで、二六%というのは重いか軽いかという問題は、一
應重いという
立場で見ようと思います。但しこれはいろいろ不正確な要素があるということは申すまでもないことであります。今日は誰もが
減税が必要だということは輿論でありまして、殆んどすべての
立場の人が
言つております。
そこで
減税をするとなると、それでは
國家経費を減らさなくちやならない、どういう
経費を減らさなければならないかという問題になりますが、これはもうとにかく
税金が重過ぎるということは、これは申すまでもないことであります。
皆さん御
案内の
通り、今年の
予算が、
昭和二十四年度
予算が決まるときに、この
減税措置をやることは
シヤウプ使節團が來るまでは延すことにな
つておりました。だから当然
本当は三月に
減税措置をやるべきであ
つたのが、実は延期されたことにな
つております。延期されたが
減税するのには
経費を減らさなければならん、それにはどういう
経費を減らすか、そこで
内容の問題で、総額が少し重いので減らさなければならない。それで今度は
租税の
種類及び
内容の問題であります。
そこで
租税の
種類並びに
内容を問題にいたしますについて、直接税と
間接税の
比率によ
つて、現在
日本では
税金が重いとか軽いとかいうことが問題にな
つておりますが、先程木村さんからも
ちよつと
お話がありましたが、現在
日本では直接税と
間接税の
比率によ
つて、この
間接税が多いとか何とかいうことは
意味がなくな
つてしま
つた。というのは御
案内の
通り、直接税は普通は
金持が負担する。それから
間接税はいわゆる
消費税というものであるから
消費者が負担するものであると言われております。
そこで
終戦前、直接税が
割合に重か
つたが、
終戦後段々と
間接税が殖えて参りました。そのために
大衆課税が殖えたということは一應は言えるのでございますが、
日本の現在の
状態から見ますと、直接税と言われておるものでも、いわゆる昔の
意味の
大衆課税が多いのであります。というのは直接税の代表的なものは
所得税でありますが、
所得税と申しましても、その大部分がいわゆる
大衆と言われている人が負担しておるものである。例えば
昭和二十二年度の
申告納税者について申しますと、一年七万円以下のものが人数から申しまして九〇%を占めております。
昭和二十二年度と申しましても、実は去年でありまして、今で申しますと一昨年でありますけれども、大体は一年か一年半ほど前に七万円でありますので、大したものではございません。それが全体の九〇%を占めておるということは、
日本の直接税が、いわゆる
大衆課税的のものにな
つておる、
従つて直接税は
金持が負担し、
間接税は
大衆が負担するのだということは、少なくとも現在の
日本のように、國を挙げて貧乏にな
つております
社会におきましては、
割合にその
意味が少くな
つております。これから出て來る
結論はどういうことになるかと申しますと、
従つて税金を取る場合に、昔でしたら直接税を重くし、
間接税を軽くしようということも言えるのでありますが、この頃は少々
間接税を重くしても、直接税を重くしても、結果から言うと余り変らんような
状態にな
つておると思うのであります。ですが
一般論といたしましては、勿論直接税を重くするようにしなければならないということは言うまでもないことであります。そこで
一般的なことはそのくらいにいたしまして、個々の
租税の
内容につきまして
卑見を申上げたいと思います。
そこで
日本の
租税制度につきまして問題になるのは、結局大掴みにいたしますと
二つの点でありまして、
一つは
租税体系の
整備であります。
租税の
体系を
整備すること。もう
一つはこれも結局今申しましたことと
関連があるのでございますが、
インフレーションによりまして、
日本の
租税制度に歪みができたのであります。
インフレーションによりまして
日本の
租税制度が曲
つておりました。その
曲つたのを直すということ、これは或る
意味において
租税体系の
整備と同じことになるのであります。この
二つが問題になる。それがどういうことになるかというと、税法の改革ということになるのであります。そこで先ず
所得税について申上げます。この
所得税につきましては、これはもう確かに
減税すべきであるということは言うまでもないことでありまして、現在は
所得税は確かに重いのであります。殊に
インフレーションが進みまして、そうして
租税制度が昔のままであるといたしますと、
所得の
名目價額が自動的に高まりますので、
税率が自動的に重くなる。だから当然これは形式的に
減税の
措置を講じなければならんということは言うまでもございません。勿論これは形式的の
減税でありまして、実質的に申しますと
減税でないこともあるのであります。併し形の上から申しますと、どうしても
減税的措置をとらなければならんのでないかと思うのであります。それは
基礎控除の
引上げであるとか、その他
税率の引き下げであるとか、いろいろの形をとるであろうと思うのであります。現在の
税金が如何に重いかということは、これは
皆さん御
案内のことだと思うのでありますが、例えば
昭和十一年頃、
支那事変の前年の頃の
日本の
租税制度を見ますと、第三種
所得の
免税点が千二百円でございました。当時の千二百円というと、今の
貨幣價値に直しますと、大体二十四万円であります。そうすると機械的に二百倍いたしますと二十四万円、そうしますと二十四万円までは
昭和二十一年までは
免税であ
つた。現在は二十四万円なんと言うと、二十万円を超える
金額には五〇%の
税金がかかることにな
つておりますので、現在とにかく相当な重税であるということは申すまでもないことであります。そこでどうしても
基礎控除の
引上げ、それから
税率の
引下げという形式的な
減税措置を講じなくちやならんと思います。それではどの
程度でよいかという
程度の問題でありますが、これは実は抽象的に問題にすることはできませんので、
経費の
引下げの問題、それから外の
税金の
関係もございますから、プリンシプルとしてはいろいろでございますが、具体的に幾らかということは申上げることはできません。
それからその次に問題にしたいのは
合算制度であります。
日本では家族の
所得を合算いたしております。そのためにいろいろ
税金を増しております。これも
日本の
財政収入全体と
関連がございますので、
合算制度は必ずしも望ましいことではございませんが、併しながら何とかこれは緩和する必要があるのではないかと思うのであります。そこで我が國におきましても、小さな
商工業方面、それから
農業方面から
合算制度を止めよとか、或いは
商工業や
農業というものは
勤労所得者に準ずるものであるからして、
勤労所得に準ずるような
扱いをしたらどうかというような提案があるようであります。私は大体その
趣旨は
賛成でありますけれども、併しながら
勤労者と全然同じようにせよ、
勤労生活者と、
賃金生活者と全然同じようにせよということは私は
反対であります。それはやはり
商工業者といつても、
農業者といつても、
労働所得だけでなくて、資金
所得的の
方面もあるのでございますので、
勤労者と同じような
扱いをするということは、これは問題があると思うのであります。殊に
勤労所得者につきましては、
源泉課税が行われております。
商工業や
農業につきましては
源泉課税でなくて
賦課課税であります。
勤労者の方はとかく早く
税金を取られるということ、もう
一つは
所得の
把握率の問題であります。
つまり脱税の問題であります。
勤労所得税は
脱税は非常に困難であります。だから最近においても
國税廳が大いに頑張
つて、できるだけ
脱税のないように努力すると申しましても、どんなに努力いたしましても、これは
商工業や
農業の
把握率を高めるということは困難でありまして、
勤労所得の場合でありますと、九〇%までは把握できて、
脱税するとい
つても一〇%内外ではないかと思います。それに次いで
脱税の困難なのは
農業であります。
農業は不動産というものが表面に現われておるので
脱税は困難であります。
一般の
商工業というものはやはり
脱税が多い、これは殊にいい加減な当てずつぼうであります。
勤労所得税は九割までは把握できる、例えば
農業は八割とか、
商工業では七割ぐらいしか把握できないじやないかと思うのであります。それでそういう事実を考えますと、
勤労者所得と、小さな
農業者とか、小さな
商工業者とを同じ
扱いにするというのはどうかと思うのであります。殊に
勤労所得の場合は二割五分の
控除がございますが、併しながら
経費を引いておらないのであります。若しそういうことであるならば、
勤労所得者については
経費を引かなくちやならんじやないか、現に
外國の例を申しますと、ドイツなんかでは
勤労所得については
通勤費を引いております。
フランスにおいて本
來所得税、これは最近変
つたらしいのでありますが、少くとも一両年前までは
フランスの
勤労所得税につきましては、
基礎毎控除があります外に、次のような
経費を
勤労所得かち引いておるのであります。それは
恩給め納金であるとか、
社会保険の掛金であるとか、その
外職業上の
経費を引いております。
商工業や
農業についてやはり
経費の
控除を認めております。
日本では
勤労所得についてはこれらの
控除を認めておりません。その代り二五%の
控除というものがありますが、そういうことを考えますと、一概に
勤労所得と、小さな
農業や小さな
商工業と同じようにするということは、これは
勤労所得者の側から言うと、少し負担が重くなるんじやないかと思うのであります。とにかく併しながら小さな
商工業や
農業について、
合算制度やその他について特別の考慮が必要であるということは問題がない、これもどの
程度までかというと、
國家の
收入に
関係があるのでありまして、具体的に
数字を私は挙げることはできないのであります。
その次に
所得税について問題にな
つておりますのは
申告納税制度であります。この
申告納税制度というものは、
皆さん御
案内の
通りアメリカで発達して、非常に民主主義的であり、又進歩的な
制度でありますが、これが実施されるときにも大分問題にな
つたのでありますが、これはどうも少なくとも
日本の現在の
國情から申しますと、余りに進歩的過ぎるんじやないかと考えております。それで
申告納税制度につきましては、実は私はずつと前からこういうような案を考えてお
つたのであります。その案は大したことじやなしいのでありますが、この
申告納税制度で面倒なものは何かというと、年に三回
申告するという点が非常に面倒くさいのであります。年に三回
申告する、それも過去半箇年とか五箇月の
実績を見て、そうしてそれを
基礎にして一
年分の
税金を計算して、そのうち三分の一を納めるということは、これは
学校の試験問題のようでありまして、実際なかなかこれは実施するとなるとやりにくいのであります。私はこういうふうにしたらどうか。これは結局
申告納税と同じことであります。これはどういうことをするかというと、前年度の
実績を
基礎にするという場合に、前年度拂いました税額を
基礎にするという場合と、前年度の
所得高を
基礎にするという場合とニつの場合があり得ますが、これは又いろいろ問題があろうと思いますが、とにかく前年度の
実績を
基礎にして、そうして年三回納めるのでございますから、第一期と第二期は前年度の
実績を
基礎として三分の一ずつ納めるのです。これは前年度の
実績によ
つて納めるのでこれは税務署が通知さえ出せばいい、そうして翌年の月に今まで、現在で申しますと
確定申告をする時に、過去年間の
実績を計算いたしまして、そうして
確定申告をやる。そうしてこの
過不足を、多い場合には返して貰う、足りない場合は更に拂う、こうすれば一月になりましたら、
確定申告をする階段に達しますと、結局今の
予定申告納税制度と全然同じになるのではないかこう考えております。この
制度の便宜なことは何かというと、年一回の
申告で済むということであります。それでこれに対して出て来る
反対論は、
インフレーションの場合はどうだろうか。
インフレーションの場合ですと、前年度の
実績を
基礎として計算いたしますと、初めの二回は
税金が少くてしようがない。それで
インフレーションの場合はどうするかというと、
原價倍数を、
原價倍数と申しますと、
價値が減少する。
原價倍数をいたしますと、
價額が倍くらいにな
つて來る、
物價が倍になる、
國民の
所得が倍になるだろうと思う。これはやはり
國会でその倍数を決めて、前年度の
実績に倍数したものを、〇・五倍を前年度の
実績とみなす。そういう
原價倍数を設けたらどうかと思うのであります。又極端なる
デフレーションの場合は逆に前年度の八割を以て本年度の
金額とみなす。そういうようなこともできるのであります。私はそういうふうに
予定申告納税制度を止めて、
趣旨は結局同じでありますが、二年三回に分けて納めるのであるが、
最初の二期は前年度の
実績を
基礎として納税し、第三期のときに
年分の総
実績を計算して
過不足を調整する。そうするとこれは
昭和二十年度から行いました前年度
実績主義、
昭和二十二年度から実施されました
確定申告納税制度の
折衷案でありまして、結果から言うと、今の
制度と同じことになるのであります。こうなると完全であります。これに対するも
うつの
反対論は、前年度の
実績と申しましてもやはり控え目に
税金を取る、第一期、第二期はどうしても控え目に取る、そうするとやはり第三期が即ち
確定申告をやるときにうんと多い
税金を取られることになるので、やはり
國家財政というような点から申しますと困るという
反対論がありますが、確かに私はそういう
反対論はあり得ると思います。併し現在の
予定申告納税制度におきましても、そういうこともあるのであります。私は前から
言つているのですが、どうも
賛成者が少いのであります。それで私は又妥協いたしまして、こうしたらどうか、現在の
制度と、それから今の前年度
実績によるものと併用したらどうか、
予定申告納税制度を
生産業者に対して前年度の
実績課税をやる。殊に今日のように
デフレーションの
傾向がありまして不
景氣になる
傾向があると、前年度の
実績によ
つて課税されると
一般納税者の
立場から申しますと、やはり
税金は安い方がいいのでありまして、
金額は安い方がいいのであります。その場合に
デフレーションになりますと、前年度の
実績によ
つて課税されると、
税金が重くなり困る。だから算盤を彈いてやると、
予定申告納税制度の方が得なのであります。それで私は前年度
実績納税制度というものと、それから
予定申告納税制度と併用して、そうして
予定申告書を出さない者に対しては前年度
実績によ
つて一應
課税する。私の言いましたようなやり方をやればいいのじやないかと思います。これは
賛成論者が少いのであります。でも私はそういう論でおります。それが
申告納税制度の問題であります。併しながら
申告納税制度というものは確かに進歩的なものでございますので、段々とこれを
國民が慣れるように
税務当局においても指導する必要があるということは言うまでもないことであります。そのために
帳簿制度を、
簿記制度を普及する、その他いろいろ指導の必要があるのであります。これまで私が申しました
方法でや
つたらどうかと思います。それから
所得税につきましてもう
一つ問題になりますのは、
所得税に
補完税がないということであります。と申しますのは、
所得税というものは大体あらゆる
所得を同じ
扱いにいたしまして纏めて
課税いたしますので、
所得の
種類別によ
つた課税ができない。それからもう
一つは、現在のように
闇所得が多い場合
所得税の
脱税が多い。
所得税の
脱税はそれを把握する途が困難であります。どうしても
所得税には
補完税が要るのじやないかと思います。それで現在の
日本の問題といたしましては、
経常財産税が
補完税として必要じやないかと思います。
税率はそう高いものでございません。併しながら
経常財産税というものはこれは非常に手数が掛かります。それからもう
一つは、今
デフレーションの時期に入
つたとは言いますけれども、尚
貨幣の
價値に対する
信頼感というものは
國民の間にございませんので、現在
経常財産税を実施するのは妙に
換物運動を助長するというような……相当困難を起しますので、直ぐ実施はできないのであります。
補完税は
経常財産税をかける必要があるのじやないかと思います。
所得税の問題はそれだけでございます。
今度は
法人税の問題であります。
法人税は、私は次の
二つが問題になります。それは
法人の
資産再
評價の問題、それからも
うつは
超過所得税をどうするか。この
二つの問題にな
つて來るのであります。この
資産再
評價の問題でございますが、これはもう多くの方方が大いに
賛成しておるのでありますが、私の
結論を申上げますと、この前の
税制審議会の
中間報告の案ぐらいでいいのじやないかと私は考えております。その
内容については
皆さん御
案内の
通りだと思います。ここで私はもう
一つ申上げたいのは、私はあらゆる
意味から考えるのでありますが、あの場合にはとかく
資産再
評價と
関連して起るのは、
固定資産の
評價替えをする、そうして帳面ずらで、帳面の上で
評價益が出る、確かこれに対して二割取れというの
税税制審議会の案でありますが、二割の
税金を取るというのは、帳面ずらの
利益で
本当の
利益じやないのであります。そういう名目的な架空の
利益に対して
税金を課けるのは怪しからんという主張がどちらかと言うと
企業家側かち出ておるのでありますが、私はやはり
課税の必要はあると考えております。但し二〇%の
課税がいいかどうかということについて、
税率につきましては自信はないのでありますけれども、やはり
課税は必要である。その理由は次のニつであります。それはどういうことかと申しますと、これはこの
名目利益に対して
課税するということは、これは
本当の
実質利益じやないのであります。
從つてこれは
所得税とか、
收益税と考えたらいけないのでありまして、一種の
財産税であります。それで
インフレーションの
時代になりますと、要するに物が足らないから
インフレーションが起る。
インフレーションの
時代になりますと、
國民全体が何かの
意味で
筍生活をやるのであります。というのは、
勤労者はどうかというと
賃金が少いので、そこで言葉が極端な、大げさになりますけれども、栄養不良というような形で
筍生活をやります。
預金は、私は一生縣命稼いでおりまして一万円貯金いたしまして、
預金者は
実質價値の下落ということで元本を自然に
失つたと同じであります。そういうふうに
國民全体が
筍生活をや
つておるその場合に、
企業家が
実質價値を維持するという
立場から、
インフレーションの
犠牲の一部を分担しないということは、私は
インフレーションに伴う
社会的犠牲を
國民全体が合理的に負担するという
立場から
言つてどうかと思うのであります。そういう
意味におきまして、
名目利得、
実質利得でなくてもやはりインフレの
社会的犠牲を分担するという
立場から
言つて、
法人と雖もやはり
評價金に対して僅かでもいいからやはり
税金を拂う必要があるのじやないか、それが
一つであります。
それからもう
一つの根拠は例の企業再建
整備、金融機関再建
整備に
関係するところであります。というのは、
皆さん御
案内の
通り企業再建
整備のときには企業の損失の計算、損益計算をするときに帳簿價格によ
つて計算をしたのであります。そうしてややこしいことをや
つて結局どうしたかというと、債権者が結局損をしました。債権者はいろいろありますが、一例を申しますと、第二封鎖を持
つてお
つたものが切られたのであります。それであれば確かに企業再建
整備によ
つて第二封鎖を持
つている
預金者は切られる、これは確かに
インフレーションに伴う損をしたということであります。ということはどうであるかというと、当時帳簿價格によりまして企業の当時の決済をしたからでありますが、ところが多くの出資者、株主とかその他出資者の側から見ますと、あとから未拂込金を拂い込んだ人もありますが、拂わん連中はどうかというと、帳面づらで
金額が減
つただけでありまして、損はなか
つたのでありますが、今度は企業の再
評價をや
つてぐ
うつと
利益を出します。そうると何かの
意味において
企業家、出資者側が
利益を得る、そうすると結局清算して一番馬鹿を見るのは何か、債権者であります。即ち第二封鎖を切られた人が損をしている、それとの
関係から申しますと、企業の再
評價の
利益の一部というものは、企業再建
整備によ
つて損をした債権者に返してやる、折角落着いているのに又第二封鎖で損をした人に返してやるとか、債権者に補償をするということは面倒くさい、そこで済んだことは済んだこと、打切られる代りに
國民の代表としての
國家が、それを
税金という形でとる必要があるのではないか、これが、私の再
評價益に対して
課税すべしという第二の根拠であります。併し
金額は勿論問題であります。それからもう
一つ念のために申して置きますが、企業再
評價益に
課税するということは前から
言つておるのでありますが、併し
日本経済の再建の邪魔になるようなことをや
つていいかというと、そういうことは言えない、この点はどうか誤解しませんようにお願いいたします。勿論
日本経済の再建の邪魔にならないようにするということは必要であります。それから
超過所得税の問題であります。そこで
資産の再
評價をやりますと、これは確かに
法人課税というものは合理化されます。その場合に一体
超過所得税を置いておく方がいいかどうかという問題であります。これについて近頃
超過所得税をやめたらいいじやないかという議論が有力でありますが、どうも私端的に急にやめるのはどうかという感じがするのであります。それはどういう点かと申しますと、
超過所得税をやめたらどうかという議論は、一方は
税金が重いから困るのだ、これは勿論
税金は皆が困るのであります。
もう
一つは外資導入であります。外資導入という
立場から
超過所得税は
外國から入
つて來ない、
外國から資本が入
つて來ないじやないか、例えば
アメリカなんかで申しますと、普通
所得税は
アメリカでは五万ドルを超えた場合は二四%の比例税が課か
つております。それ以下は
税金が安くな
つて、五万ドルを超えた場合は二四%、それに附加税といたしまして一四%課か
つております。合計いたしますと、三八%という比例税が課か
つているのであります。
日本では御
案内の
通り超過所得税が課かつでおるので、外資導入という点から申しますと、どうも困るのではないかという問題であります。これは大きな問題でありますが、その点だけを比較いたしますと、
日本に投資するより
アメリカへ投資する方が得だということであります。併しながら結局これは、私これに対しては
結論を申上げかねるのでありますが、外資導入という点から
言つて今申上げた点から申しますると、
超過所得税はない方がいい、あ
つても非常に軽いものにしなければならんということになるのでありますが、併しながら今
日本へ
外國から資本が入
つて來ない、いろいろな
税金がありますけれども、これは
日本の
経済が不安定であるからです。それからもう
一つ問題になるのは、
アメリカの
立場から申しますと、
日本の
税金とフイリピンの
税金とか或いはその他
アメリカの勢力圏内の諸國の
税金との比較、そういうことによ
つても決まるのでありまして、外資導入という点から申しますと確かに
税金が安い方がいいと言えるのであります。併し外資導入と申しましても導入の
方法が株を買うとか、直接投資する形式をとることもございます。或いは社債、金を貸すという社債のような形をとることもございます。これによ
つておのずからこれも違
つて来ると思いますが、外資導入という点から申しますと、
税金が安い方が望ましい。特に
アメリカにおきましては比例税が課かるという事実から比べますと、この点からいうと、
超過所得税は全廃するか軽くする方がよいと思います。併し私急に全廃するのはどうか、これは
所得税の
関係でありますが、
超過所得税は
皆さん御
案内の
通り結局は累進税、普通
所得税に比例税をかけて純益が資本に対して三割五分を超えた場合超過
所得として
課税する累進税であります。簡単に申しますと、
超過所得税と普通
所得税を合計した
所得に結局は累進税が課かつでおるということであります。そこで
法人に一体累進税を課けるのがよいか悪いかという問題ですが、これは個人でも企業でもそういう点から言うと、
税金は安い方がよいのでありますが、結局
税金の問題は要するに負担の均衡であります。私は個人の
所得税の均衡という点から考えて、個人の
所得税に対して今のような最高八五%というような重い
税金が課か
つておるのであ
つたら、やはり
法人に対しても累進税を課けるということは極めて月並みの議論でありますが、私は必要と思います。やはり個人と
法人は性質が違いますから、個人と
法人を同じ
扱いをするのではできないと思いますが、併しながら個人に対する累進税をそのままにして置けば、今のような
程度であるから、
法人の或る
程度の累進税は止むを得ないのではないか、そういう考えで私は
超過所得税は存置する方がいいのじやないか、外資導入の
関係から言われると、もう少しまける方はいいのじやないか、そういうようなことを考えてこの問題が決める必要があるのではないかと思います。これは
法人税です。相続税の問題でございますが、相続税につきましてもやはり
免税点の
基礎控除でありますが、
基礎控除五万円は余りに安過ぎるのでありまして、
昭和二十二年に税制改革をや
つたときに五万円、
所得税につきましては絶えず
基礎控除の
引上げ、税の改正があ
つたのであります。相続税贈與税につきましてはそれがないのであります。これが何とか
引上げる必要があるのではないかと思います。ただ相続税は
金額から
言つて非常に少いのでありますが、個人的にはなかなか重い
税金でありまして、
國家收入という点から行くと何ですが、併しながらこれも今申上げましたような
基礎控除の
引上げが必要と思います。
それから問題の取引高税であります。取引高税については先程木村さんから
お話がございましたのですが、私は取引税は昔から余り
賛成はしておりませんが、併し去年の夏これを実施される案が出ましたときに私
賛成いたしました。というのは私は取引高税は
租税の性質から
言つて余りよい税じやありませんが、併しながら今日の財政
状態から
言つて新たに新税を起すことには
賛成しておりますが、現在は取引高税は廃止するとい
つてもこれも廃止できない
税金でありますので、これに代る代り財源がございませんので、やはり取引高税は止めることはできないと考えております。ただこれについて考えなくちやならんのは、この取引高税に対する
反対論ということが、とかく業者から出ました
反対論は
租税負担が多いのじやない。百分の一が多けりじやなくて、印紙で納めると
所得が分
つて脱税ができぬからと、人様の前で大きく言うことができない理窟が主な理由であ
つたのではないかと思います。その証拠には近頃はどうしたのか取引高税
反対論を余り聞かないのでありますが、これはどうもそういう事情が主とな
つたのはでないか。そこで今は
申告制度になりました。
申告制度になりましたので、取引高税の
反対も少い。その代り近頃は物品税が重過ぎるという声が非常に高いようであります。そこで私これは
学校教員の空論を言うのでございますけれども、物品税というものは
租税の性質からいうとよいのです。奢侈品に課か
つておる。ところが取引高税というものは、奢侈品であるものも奢侈品でないものも均一に比例税的に課かるのでありますので、
学校教員の
立場から言いますと、取引高税は悪税なんです。ところが物品税というものは案外一概に悪税とは言えない。多少
整備を要とますけれども……、だから一部の
方面では物品税というものを減らして、その代り財源として取引高税の
税率を殖やしたらどうかという声があるのでありますが、私は
一般的な理論から申しますと、これは悪い
傾向ではないかと思
つております。ただこれについて問題にしなくてはならないことは、取引高税が課かり物品税が課かる、これは大体同じであります。酒の
消費税が課か
つて來る、カルタ税が課か
つて来る、それから砂糖の
消費税が課かる。何とかかとかで物品税がある。そかられいろいろ各種の
消費税、取引高税が雑然に課か
つておりますが、これはもう少し
制度としては整理する必要があるのではないかと考えておるのであります。併しながら
一般の問題としましては、私はそういうふうに考えております。
今度は地方税の問題であります。これは一番大きな問題でありまして、なかなか地方税の問題などは、
國家と地方團体との利害
関係、それから同じ地方團体などでも都道府縣と市町村、都会の府縣と田舎の府縣と利害
関係はいろいろありましてばらばらで一致いたしませんので、いろいろ面倒な問題が起るのでありますが、併しながら
一般的に言えることは、地方團体が非常に困
つておるものが多い。困
つておる地方團体に対して何とか財源を與えなければならんということは、これは問題ないと思います。そこで國税と地方税の
関係をどう調整するか、これはやはり
経費の問題にも
関係します。地方團体の負担する
経費と
國家が負担するとか何とかいろいろ問題はありますが、
税金だけの問題といたしまして、どうも地方團体の
收入が少いということ。それからもう
一つは雑税が多いということ。これは確かに現在の地方税
制度の欠陷と言えるのではないかと思います。ただもう
一つ雑税が多いという問題でございますが、これはどうも少し誇張されて傳わ
つておるのではないか、というのは、例えば蜂蜜の箱に税が課か
つて來るとか、わんわんに税が課かるとか、何のかのと細かい
税金がありますが、全國的にあらゆる府縣、市町村にそういういわゆる悪税が課か
つておるというような印象を受けるのでありますが、なかなか悪税は、これは
一つか
二つしかないのでありまして、
一つ二つは言い過ぎでありますが、全國に皆どこでもあの
税金があるわけではありません。これは困るのでありますが、それを取
つております市町村の
立場を見ますと、どうもその
税金を取らなければや
つて行けない、現在の
制度から申しまして……。そのために止むを得ず悪税と知りながらああいう
税金の課か
つておる点も随分ありますので、一概に悪いとは言えないのでありますが、併しながらとにかく悪税であることは言うまでもないのでありまして、こんな悪税でないようなものを
制度として勿論考える必要がありはしないかと思います。そこでどういう
税金を國税として課けたらよいか、こういう
税金を地方税として課けたらよいか。結局
結論を申しますと、私は
所得税のようなものは、これは國税がよいだろう、というのは
所得というのは個人の
所得は市町村に拂わなければならない。方々の地方がらそういう
所得税を
所得税で取ると困るから、そういう人税は、これは國税としてやる方がよいだろう。それからもう
一つ直接、それから間接
消費税であります。物品税であるとか、それから輸入税、関税であるとかいうようなものは、やはり全國統一して課ける必要がありますので、これは私は國税として取る方がよいのではないかと思います。それで地方の財源としてはどういうものが要るかと申しますと、収益税とか直接税、
消費税、即ちどちらかと申しますと、
利益主義をも加味して課ける
税金、地租、家屋税、営業税、こういうものは
利益主義を加味して課ける
税金である。それからもう
一つの税源は動かないのであります。家屋やその他はもの税源は動きません。安いから逃げて行くわけでにありませんけれども、税源が地方に固定しておる。こういうようなことを具体的に申しますと、物税、収益税でありますが、こういうものは地方團体の財源にするのがよいじやないか。それから現在行われておる直接
消費税、これは入場税と遊興飲食税、これも直接
消費税で、これは物品税とは違いますので、これ亦やはり地方に全然固定性がないというわけではありませんけれども、物品税に比べて固定性が少いので、これを地方財源にしてよいだろうと思います。
それからもう
一つ問題にな
つておる
所得税附加税、若しこれを課けるのでございますれば、これはどうしても府縣で課けなければならない。市町村で
所得税附加税を課けることになりますと、
所得税は
二つの市町村から取ればいい、ところが方々の市町村に跨
つておるという場合は
税金の配分というようなことが問題になりますから、これは府縣のような廣いところで附加税を課ける方がいいじやないか、それでは市町村ではどうしたらいいかというと、それに当る住民税を強化したらどうかと思います。住民税は御
案内のように均等割で一部は
資産状態、一部は
所得を標準として課けておる。人頭税の部分は一割とか二割とかで、大体
所得税、
財産税の変形であります。若し小さな地方團体で
所得税、
財産税の中から課けるというときには住民税という形で、住民税を強化するという方向を取ればどうかと思います。ただ住民税というものは非常に評判が悪いのであります。現在の住民税は
税金は大して重くないのでありますが、この評判の悪い理由はどうも住民税の
課税標準が住民に徹底しておらない。というのは住民税の
課税標準は御
案内のように
資産それから
所得の
状態であるとか、家屋の賃貸價格によ
つて課けておりますことが、住民には徹底しておりません。だから住民の
立場から見ますと、
所得税を見まして、俺の家より隣の家の方がうんと金が入
つておるのに、俺の方が
税金が重いと感ずる。住民税に対する
反対論というものは
金額が重いということでなくして、むしろ負担の不均衡という点が問題にな
つておるのではないだろうかと思います。これは住民税の
内容が住民に徹底しておらないからでありまして、これは私は隣組の掲示板なんかに住民税の
課税標準なんかをうんと書いてよく徹底すれば、そういうことはなくなるだろうと思います。これはやはり住民税を強化する必要があると思います。
それから問題は煙草、酒の
消費税であります。現在酒の
消費税は課
つております。煙草の
消費税を地方團体に課けさせてはどうかという声が強いのであります。私は煙草や酒の
消費税は地方税には適しない、これは國税に適する。現在酒については販売價格の一割かに限定して課
つておりますが、地方團体が自由に
税率を上げ下げはできません。むしろ地方税として課けるのだ
つたら、地方團体が一定の範囲内において
税率を自由に上げ下げできるものでなければ地方税たる特徴がない。にも拘らずどうしてもあれを固定せしめて、そうして地方團体に上げ下げさせないということは別のことで、そういう
税金は地方税としては適しないということであります。それで私は現在のような形で酒や煙草の
消費税を地方團体に取らせるということは
意味をなさないと思う。それで若しこれを地方團体の財源とするのだ
つたら、これは配付税の税源がいいだろうと思います。配付税という税源にするのだ
つたら、これは形式上は國税であ
つて一部は地方團体に配付する。これは結局は現在のような税源といたしまして、
所得税、
法人税の
関係をどうするか、これはいろいろ問題が出て來ると思います。これは地方團体の財政事情そのものを考えまして、
國家の財政事情を考えて、そして煙草、酒の
消費税、
法人税、
所得税を配付税の財源として、又分配の
割合をそのときの財政
状態を見て適当に分ければうまく行くのじやないかと、こう考えるのであります。
それから最後にもう
一つ申上げたいのは、どうも市町村
関係から申しますと、市町村は財政が苦しくてたまらん、この頃は実に困
つている。市町村の
立場では、もう俺は
税金は取りたくない、だからして村税、町税など取らないで、国家が全部取
つて、その代り困らんようにして欲しい、こういうような氣持が非常に強いのでありますが、これは現在の
状態では御尤もなことと思います。併しながら
終戦後の民主主義の
立場から申しますと、やはりこの地方團体の税務機構を強化いたしまして、地方團体がやはり地方團体の独立税を取るように努力して頂くということは、これは必要じやないかと考えておるのであります。そういう
意味において、どうも地方團体
関係は住民税を強化しようというような考えは歓迎されないのでありますが、私はその前提といたしまして、やはりどうしても市町村の税制の民主化という
立場から言うて、地方市町村の税務機構というものを何とか強化する必要があるのじやないかと考えます。
甚だどうも纏まらないことを申しましたが、私の
意見はこれだけであります。