運営者
Bitlet
姉妹サービス
kokalog - 国会
yonalog - 47都道府県議会
nisalog - 東京23区議会
serelog - 政令指定都市議会
hokkaidolog - 北海道内市区町村議会
aomorilog - 青森県内市区町村議会
iwatelog - 岩手県内市区町村議会
miyagilog - 宮城県内市区町村議会
akitalog - 秋田県内市区町村議会
yamagatalog - 山形県内市区町村議会
fukushimalog - 福島県内市区町村議会
ibarakilog - 茨城県内市区町村議会
tochigilog - 栃木県内市区町村議会
gunmalog - 群馬県内市区町村議会
saitamalog - 埼玉県内市区町村議会
chibalog - 千葉県内市区町村議会
tokyolog - 東京都内市区町村議会
kanagawalog - 神奈川県内市区町村議会
nigatalog - 新潟県内市区町村議会
toyamalog - 富山県内市区町村議会
ishikawalog - 石川県内市区町村議会
fukuilog - 福井県内市区町村議会
yamanashilog - 山梨県内市区町村議会
naganolog - 長野県内市区町村議会
gifulog - 岐阜県内市区町村議会
sizuokalog - 静岡県内市区町村議会
aichilog - 愛知県内市区町村議会
mielog - 三重県内市区町村議会
shigalog - 滋賀県内市区町村議会
kyotolog - 京都府内市区町村議会
osakalog - 大阪府内市区町村議会
hyogolog - 兵庫県内市区町村議会
naralog - 奈良県内市区町村議会
wakayamalog - 和歌山県内市区町村議会
tottorilog - 鳥取県内市区町村議会
shimanelog - 島根県内市区町村議会
okayamalog - 岡山県内市区町村議会
hiroshimalog - 広島県内市区町村議会
yamaguchilog - 山口県内市区町村議会
tokushimalog - 徳島県内市区町村議会
kagawalog - 香川県内市区町村議会
ehimelog - 愛媛県内市区町村議会
kochilog - 高知県内市区町村議会
fukuokalog - 福岡県内市区町村議会
sagalog - 佐賀県内市区町村議会
nagasakilog - 長崎県内市区町村議会
kumamotolog - 熊本県内市区町村議会
oitalog - 大分県内市区町村議会
miyazakilog - 宮崎県内市区町村議会
kagoshimalog - 鹿児島県内市区町村議会
okinawalog - 沖縄県内市区町村議会
使い方
FAQ
このサイトについて
|
login
×
kokalog - 国会議事録検索
1949-03-10 第5回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第6号
公式Web版
会議録情報
0
昭和
二十四年三月十日(木曜日) 午前十時二十八分開会 ————————————— 本日の会議に付した事件 ○
引揚者厚生対策
に関する件(右件に 関し
証人
の証言あり) —————————————
星野芳樹
1
○
理事
(
星野芳樹
君) それではこれより在外同胞引揚に関する
特別委員会
を開催いたします。本日は
梁瀬美智子
氏の
証人喚問
を行います。初めに
宣誓
をいたさせます。 〔
総員起立
、
証人
は次のように
宣誓
を行な
つた
〕
宣誓書
良心に
從つて
、
眞実
を述べ、
何事
もかくさず、又、
何事
もつけ加えないことを誓います。
証人
梁瀬美智子
星野芳樹
2
○
理事
(
星野芳樹
君)
皆さん
にお諮りいたしますが、どういう形式で喚問いたしますか。
北條秀一
3
○
北條秀一
君 それは
証人梁瀬
さんから直ちに
梁瀬
さんの
身分
についてのことを述べて頂いて、後
梁瀬
さんがどういうふうにして
満州
から本國に帰られたか、その
経過
について詳細に承わ
つて
、その後で
質疑應答
を進めて
行つた
らどうか、そういうふうに考えます。
星野芳樹
4
○
理事
(
星野芳樹
君) 只今の
北委員
の意見で
皆さん
御
異議
ないでしようか。 〔「
異議
なし」と呼ぶ者あり〕
星野芳樹
5
○
理事
(
星野芳樹
君) それではそういうふうに進めたいと思います。 それでは
証人梁瀬美智子
さんに先ずその
身分
そしてどういう
経過
で
満州
まで行かれ、そしてそれから
中共
からどういう
径路
で
通つて來
られたかを御
報告
願います。先ずお
名前
は何んとおつしやいますか。
梁瀬美智子
6
○
證人
(
梁瀬美智子
君)
梁瀬美智子
です。
星野芳樹
7
○
理事
(
星野芳樹
君) 生年月日は。
梁瀬美智子
8
○
證人
(
梁瀬美智子
君) 大正十五年六月一日。
星野芳樹
9
○
理事
(
星野芳樹
君)
現住所
は。
梁瀬美智子
10
○
證人
(
梁瀬美智子
君)
長崎縣松浦
郡福江町。
星野芳樹
11
○
理事
(
星野芳樹
君)
本籍
は。
梁瀬美智子
12
○
證人
(
梁瀬美智子
君)
本籍
も同じです。
星野芳樹
13
○
理事
(
星野芳樹
君)
本籍
と
現住所
は同じですね、それから学歴はどうですか。
梁瀬美智子
14
○
證人
(
梁瀬美智子
君)
女学校
を四年で
日赤
の方に
行つたの
です。
星野芳樹
15
○
理事
(
星野芳樹
君) どこの
女学校
ですか。
梁瀬美智子
16
○
證人
(
梁瀬美智子
君)
長崎縣
です。
星野芳樹
17
○
理事
(
星野芳樹
君)
縣立
ですか。
梁瀬美智子
18
○
證人
(
梁瀬美智子
君)
縣立
です。
星野芳樹
19
○
理事
(
星野芳樹
君) 何んという
女学校
ですか。
梁瀬美智子
20
○
證人
(
梁瀬美智子
君)
ただ
縣立女学校
にな
つて
おります。
星野芳樹
21
○
理事
(
星野芳樹
君) それはどこにありますか。
梁瀬美智子
22
○
證人
(
梁瀬美智子
君)
長崎
市にあります。
星野芳樹
23
○
理事
(
星野芳樹
君) それから
看護婦
にな
つた
わけですね、それで
看護婦
にはいつな
つたの
ですか。
梁瀬美智子
24
○
證人
(
梁瀬美智子
君)
昭和
十八年三月十九日に
満州
の方に應召にな
つて
行きました。
星野芳樹
25
○
理事
(
星野芳樹
君)
満州
に
行つたの
はいつですか。
梁瀬美智子
26
○
證人
(
梁瀬美智子
君)
昭和
十八年三月十六日です。
星野芳樹
27
○
理事
(
星野芳樹
君) それから先は御
自分
で
経過
を述べて頂きましよう。
梁瀬美智子
28
○
證人
(
梁瀬美智子
君)
昭和
十八年三月十八日私は
ハルピン
一四一
部隊
の七
部隊
に入隊いたしました。それから
日赤看護婦
として、
見習看護婦
として入隊したのです。
昭和
二十八年八月十六日まで同七
部隊病院
で勤務しておりました。同年八月二十四日
ソ連軍進駐
、それから
ソ連軍
が二十年の十二月
引揚げ
て、その次に
中共軍
に引渡されたのです。
牡丹江
で一ケ月、
ハルピン
第一
後方病院
三ヶ月、
チヤムス
一ヶ月です。
星野芳樹
29
○
理事
(
星野芳樹
君)
ちよ
つとゆつくり……。
梁瀬美智子
30
○
證人
(
梁瀬美智子
君)
牡丹江
一ヶ月、
ハルピン
三ヶ月、
チヤムス
一ヶ月、それから
ハルピン
へ引返した。そこで二十二年五月まで勤務、二十二年五月から
延吉
の方に來たのです。
延吉
はやはり
後方病院
ですが、一年一ケ月おりました。
星野芳樹
31
○
理事
(
星野芳樹
君) 二十二年五月ですか。
梁瀬美智子
32
○
證人
(
梁瀬美智子
君) ええ。二十三年七月の六日まで
延吉
の
病院
で勤務してお
つたの
です。
ハルピン
で二十二年十二月一日まで勤務していました。
星野芳樹
33
○
理事
(
星野芳樹
君)
ハルピン
に三度行かれたわけですね。
梁瀬美智子
34
○
證人
(
梁瀬美智子
君) ええ、そうです。
昭和
二十三年十二月十一日
ハルピン出発
。
通つて來
た
径路
をずうつと言うのでしようか。
淺岡信夫
35
○
淺岡信夫君
通つた径路
を
一つ簡單
にお述べして頂きたいと思います。
梁瀬美智子
36
○
證人
(
梁瀬美智子
君)
昭和
二十年からですか。
淺岡信夫
37
○
淺岡信夫君
最後に……。
星野芳樹
38
○
理事
(
星野芳樹
君) 大体
日附
は分りましたから、どういう
状況
の中をどういうふうにあなたが
通つて來
たかですね。分り易く説明して頂きたいわけです。
梁瀬美智子
39
○
證人
(
梁瀬美智子
君) 二十年の八月十五日に
終戰
が分
つたの
ですけれども、八月二十四日
ソ連軍
が入
つて來
たのです。
ソ連
が入
つて來
てそのまま
自分
たは
ソ連軍
の
捕虜
とな
つたの
です。
捕虜
とな
つて
、第一
陸軍病院
だ
つたの
ですが、
ソ連病院
という
名前
に変りました。
ソ連病院
なんですけれども、そこに
日本
の
兵隊
さんを收容してお
つたの
です。
昭和
二十一年の六月までそこに
日本
の
兵隊
さんをみてお
つたの
です。二十年の十二月に
ソ連軍
の
兵隊
さんが
引揚げたあと
に
自分たち
は八
路軍
の
病院
にな
つた
、
中共軍
の
病院
に、そこで
中共軍
の
病院
にな
つたの
ですけれども、その当時はまだ
中共軍
も戰争していなか
つたの
で、
日本
の
兵隊
さんをみてお
つたの
です。二十一年の七月から九月にかけて
内地帰還
の時に、そこの第一
陸軍病院
の
患者
さんは
日本
の方に
引揚げ
てしまいました。その後はずつと
患者
さんもおらなか
つた
ために、
政治教育
を教わ
つて
おりました。
星野芳樹
40
○
理事
(
星野芳樹
君) もう少し続けて下さい。
梁瀬美智子
41
○
證人
(
梁瀬美智子
君) 二十一年八月より二十二年の五月頃までずつと
患者
さんがおらなくて、
向う
に
残つて
お
つた患護婦同士
は、皆
中共軍
の
政治下
ので
教育
を受けたのです。五月、六月頃から段々
負傷兵
も出て來たために、各
方面
に派遣されてしま
つたの
です。その後
牡丹江
、
ハルピン
、
チヤムス
というふうに轉々と
病院
を
患者護送
のために
廻つたの
です。
北條秀一
42
○
北條秀一
君
梁瀬
さんにお話し願いたいのですが、今の話をずつと、二十三年の十二月に
ハルピン
を出発してから、
日本
に帰られたまでのことを話して
貰つて
、それが済んだとあであなたが思う
通り
に
感想
といいますか、
感想
を述べて頂くというようにして頂きたいと思いますが、先ず
日本
に帰るまでの
径路
を先に話して頂きたいと思います。
梁瀬美智子
43
○
證人
(
梁瀬美智子
君)
昭和
二十三年十二月一日
ハルピン
から
自分
ちは來る時は五十二名の
患者
さんの
護送
という
意味
で
自分
は來たのです。その中で大体
自分たち
は
元山
から
丁度船
に乘る
予定
で來たのですけれども、その船が
密航船
であ
つた
ために、
元山
から乘ることができなか
つた
。十二月の一日に
向う
を出たけれども、
元山
に約一ヶ月間待ちました。待
つて
お
つたの
ですけれでも、船が來ないので、二三人の
同士
から、それは
朝鮮人
の
同士
です。
朝鮮人
の
同士
から聞くと、三十八度線を
渡つたら日本
に帰れるというようなことをお聞きしたのです。それが確実に、
向う
へ
渡つて
果して
日本
に帰れるか、帰れないかという問題で、誰が三十八度線を越していく人はおらないかというような、五十名の中で問題が出たのです。その中で誰も
向う
の方に三十八度線はとても死ぬという覚悟で渡らないと渡れないのです。誰も行く人がおらない。その中で
自分
は
患者護送
というのでついて來たものであるし、二人程行くという人が出たのです。
自分
と
高橋
さんという人が、
元山
から三十八度線をずつと、
平壌
を
渡つて
、
平壌
から海州、
沙里院
というところまで來ました。
沙里院
で
内務所
の方へ
渡つて
、
内務所
で
証明
貰うのに一週間かか
つたの
です。その
内務所
で、何しに三十八度線を渡るのかというのです、そこで
自分たち
は、こうこうして
元山
から渡る筈だ
つたの
です、船が來ないために、三十八度線を
渡つたら船
があるというので
連絡
に行きますというようなことをい
つて
、そこで
証明
をと
つて
貰つたの
です。
北鮮
の海州とい
つた
ら三十八度線に近いところです。そこで
自分たち海
州まで來て、
案内者
の人に一人前一万円づつ出して
案内
して
貰つたの
です。三十八度線を
夜中
の三時頃ですか、三十八度線を二人で
渡つた
、途中
高橋
さんという人は、軍隊の靴を穿いて
行つた
ために、丁度雪が二、三日前から降
つて
お
つた関係
上、半分道に來たときに倒れてしま
つたの
です。倒れたというのは
病氣
で倒れたのじやなくして、足が豆が一ぱいできて動けなくな
つて
しま
つた
。
案内者
の知
つて
おる
部落
に泊めて頂いたのです。
自分
一人だけ
案内
の人に連れられて三十八度線を越えたのが
夜中
の三時半頃だ
つたの
です。そこで以南に入
つたの
です。以南も
羅津
でなくしてその一番
最初渡つた
ところの
部落
、
名前
は何ですが、以南に
自分たち
は
案内者
の人と二人が到着したのです。それから
自分
は
京城
まで行きました。
京城
まで
行つて
、
京城
の
市内務所
の方に
行つて
、
自分たち
はこうこうして來たのだとい
つたの
です。
向う
の方で一番
最初
、お前は
スパイ
だからというように怪しまれたのです。いろいろ
事情
を話して、
自分たちスパイ
なんかしない、こうこうして
日本人
の方を連れて來ておるのだけれども、一ヶ月待
つた
が船がない。
南鮮
から
通つて來
た
同士
に聞くと
日本
に行く船があるというので、
自分たち
その
連絡
に來たのですとい
つて
、そこで一週間ほどいろいろ調べられたのです。調べられて、そんならというので
日本
の方は、
京城
の
内務所
で一週間目に
証明貰つたの
です。
証明貰つて
も、又
元山
に引返す途中に、その前の前の日から毎日のように
内乱
が起
つて
いた。丁度
自分
は
京城
から一番
最初
の
部落
に入
つて來
たのです。來たときに丁度その晩に
襲撃
があ
つて
、こつ
ちの方
の
警察
官が百何名殺されたとい
つて
警察
の前にずらつと
棺樋
に入れて並べてお
つたよう
です。そのために
自分
は
元山
に帰ることが、
向う
で許してくれなか
つた
。どうしても、こう
内乱
が起
つて
いるのだから、あなたが行かなくてもこつちから
連絡
してやりますから、あなたは
京城
へ
帰つて
、そうして
釜山
に
行つた
ら船があるから、先に
釜山
にいうようにとい
つて
どうしても渡してくれない。そうして
自分
は仕方なしに
釜山
の方へ引返して來たのです。そういう
径路
で
通つて來
て
釜山
で約二十四、五日間船の來るのを待
つて
おりました。それと同時に
元山
にいる
同士
が今日も來ないか、今日も來ないかと待
つて
お
つたの
ですが、到頭
自分たち
の後には來なか
つたの
です。
自分たち
は
釜山
から二月の三日にぽごた丸に乗
つて
四日に
佐世保
に着きました。
淺岡信夫
44
○
淺岡信夫君
どうでしよう。今の
梁瀬
さんのお話にな
つて
いる合間々々に
ちよ
つと聞いた方がよろしいかと思いますが、よろしうございますか。
星野芳樹
45
○
理事
(
星野芳樹
君) 聞いた方がはつきりするでしよう。
淺岡信夫
46
○
淺岡信夫君
梁瀬
さんに
ちよ
つとお尋ねしますが、
元山
を出られまして、勿論三十八度線を越えられて
京城
に行かれて、それから
釜山
から船に乗られるまでの間の行程は
乗物
はどういう
乗物
を……、或いはお歩きにな
つたの
ですか。
梁瀬美智子
47
○
證人
(
梁瀬美智子
君) ずつと船でなくして汽車があるのです。
ただ
三十八度線だけが船もなにもない。
日本
の数で三里くらいあるかないか……。
淺岡信夫
48
○
淺岡信夫君
もう
一つ
お尋ねしますが、
証明書
を頂かれたり、或いはその途上々々で
高橋
さんと
一緒
にお調べになられたりなんかした場合の、調べられる相手の方はどういう方ですか。
梁瀬美智子
49
○
證人
(
梁瀬美智子
君) 思うに
内務所
とい
つた
ら
警察署
にな
つて
います。
淺岡信夫
50
○
淺岡信夫君
朝鮮
の方ですか。
梁瀬美智子
51
○
證人
(
梁瀬美智子
君) そうです。
淺岡信夫
52
○
淺岡信夫君
それから
看護婦
として
附添
に來られた方、その五十数名というのは皆
日本人
の方ですか。
梁瀬美智子
53
○
證人
(
梁瀬美智子
君)
日本人
の方です。
淺岡信夫
54
○
淺岡信夫君
全部
日本人
ですか。
梁瀬美智子
55
○
證人
(
梁瀬美智子
君) そうです。
淺岡信夫
56
○
淺岡信夫君
高橋
さんは男ですか、女ですか。
梁瀬美智子
57
○
證人
(
梁瀬美智子
君) 女の方です。
淺岡信夫
58
○
淺岡信夫君
もう
一つ
お伺いしますが、その間の、出られます間の
食事
とか或いは金とかいうものはどういうふうに御所持にな
つた
り、
食事
をされたんでしようか。
梁瀬美智子
59
○
證人
(
梁瀬美智子
君)
向う
を出て來るときに
北鮮
の金で一万七千円
貰つたの
です。
淺岡信夫
60
○
淺岡信夫君
一万七千円貰われた、それはどこから……。
梁瀬美智子
61
○
證人
(
梁瀬美智子
君)
中共軍
の方から
貰つたの
です。
淺岡信夫
62
○
淺岡信夫君
中共軍
の方から一万七千円頂かれた……。
梁瀬美智子
63
○
證人
(
梁瀬美智子
君)
北鮮
の金です。
淺岡信夫
64
○
淺岡信夫君
北鮮
の金をね。
梁瀬美智子
65
○
證人
(
梁瀬美智子
君) それが
北鮮
まではよか
つたの
ですが、今度そのうち……、二人の
案内
の人には
十分お金
も與えることができた。
お金
も
沢山余つたの
ですが、
北鮮
から
南鮮
に來ると
お金
を全然換えてくれないのです。もう
日本人
だということが分
つた
ら、
南鮮
の方へ來ると各
部落各市
、町に
収容所
があるのです。その
収容所
に入
つて日本人
の方だけは面倒を見てやるというふうにしておりました。
淺岡信夫
66
○
淺岡信夫君
もう
一つ
お伺いしますが、
食事
は金を
拂つて食事
をされたんですか或いは
向う
の
官憲
が
食事
を給與されたのですか。
梁瀬美智子
67
○
證人
(
梁瀬美智子
君)
食事
は
お金
は一銭も拂いません。
淺岡信夫
68
○
淺岡信夫君
そうすると
食事
の内容は
簡單
でよろしうございますから、どういうような
食事
をとられましたか。
梁瀬美智子
69
○
證人
(
梁瀬美智子
君)
御飯
は
白米
両方とも
北鮮
も
南鮮
も
御飯
は
白米
です。
淺岡信夫
70
○
淺岡信夫君
その量は十分に。
梁瀬美智子
71
○
證人
(
梁瀬美智子
君) 十分でした。
淺岡信夫
72
○
淺岡信夫君
もう
一つ
三十八度線を越えられる際、
証明書
をお出しにな
つて
、そうしてその間は
徒歩
で帰られたのですか。或いはその間に
監視人
が附いて、そうして一方の
官憲
に渡されたのですか。
梁瀬美智子
73
○
證人
(
梁瀬美智子
君)
証明
があ
つた
から堂々と
渡つて
來られるようなものですけれども、
向う
の方ではずつと山のてつぺんに
警備兵
が立
つて
いるのです。
日本人
だということが分
つた
ら別にうるさくない筈ですが、
日本人
かどこの人か分らないためにどんどん
襲撃
するそうです。そのために盡は全然渡れない。
警備兵
が寢た間に三十八度線をずつと奧の方から越えて來るというような工合でした。
淺岡信夫
74
○
淺岡信夫君
すると夜祕かに越えられたのですか。
梁瀬美智子
75
○
證人
(
梁瀬美智子
君) そうです。
天田勝正
76
○
天田勝正
君 まず
元山
というが、それは
東海岸
ですね。
梁瀬美智子
77
○
證人
(
梁瀬美智子
君) そうです。
天田勝正
78
○
天田勝正
君
東海岸
の
元山
におられて三十八度線を越えるには安邊を
通つて普通來
ると思いますが、
最短距離
は三十八度線を越えさえすれば自由が得られると思うならば、安邊を越えて南へ出なければならぬと普通思うのです。ところがそれを平壤を
廻つて海
州に出たということになると、普通
平山線
を
通つてあすこ
は
鉄道
なんかでも相当山の中で、普通でも
通り
にくい所です。これをどうして西海岸まで廻らなければならなか
つた
か、どういう
事情
ですか。
梁瀬美智子
79
○
證人
(
梁瀬美智子
君) その
事情
は今
言つたよう
に
自分たち
はずつと奉天、新京の方を
廻つて來
たのが早いということを聞いたのですけれども、その
方面
は今全然渡れないのです。大体
元山
から船で直接
日本
に渡る
予定
だ
つたの
です。
元山
の
証明
がずつと海州まで出して呉れたのです。そのために
自分たち
はそこはどういう道か分らないのですけれども、
元山
の
内務所
の指導の下でずつと廻
つて
きたのです。
天田勝正
80
○
天田勝正
君
元山
の
内務所
が
京城
の方へ行けと……。
梁瀬美智子
81
○
證人
(
梁瀬美智子
君) ええ、成る
たけ危く
ない所を通るのだ
つた
らという
意味
で出して呉れたのです。
天田勝正
82
○
天田勝正
君 そこまでは
徒歩
で行かれたのですか、高山線は
鉄道
……。
梁瀬美智子
83
○
證人
(
梁瀬美智子
君) ずつと
鉄道
ですね。
天田勝正
84
○
天田勝正
君 それで
元山
や
京城
に
行つた
場合の宿所ですが、
元山
の
宿舍
というのは、
ちや
んと送還するための
收容所
がきちんと整
つて
いるわけですか。
梁瀬美智子
85
○
證人
(
梁瀬美智子
君)
元山
の方では
共産地区
と
連絡
の下で
ちや
んと宿をと
つて
置いて呉れたのです。
元山旅館
とい
つて
大きな
旅館
で泊らして
貰つた
。
南鮮
の方に來るとそうじやなくて
收容所
というような所で
泊つたの
です。
天田勝正
86
○
天田勝正
君 それじや
南鮮
は
さつき淺岡委員
が聞かれたように、
ただ
で全部出されたということが分
つたの
ですか、
北鮮
の宿に
泊つた
場合は、そのときはどうですか。
梁瀬美智子
87
○
證人
(
梁瀬美智子
君) それはそれだけの旅費が皆出ております。
天田勝正
88
○
天田勝正
君 それは一万七千円ですか。
梁瀬美智子
89
○
證人
(
梁瀬美智子
君) その中から拂うのですが……。
天田勝正
90
○
天田勝正
君 一泊どのくらいですか。
梁瀬美智子
91
○
證人
(
梁瀬美智子
君) 百円です。
天田勝正
92
○
天田勝正
君 それで
さつき証明書
があ
つて
も、而も
山上
の
監視所
から
襲撃
を受けた。だから
夜中
通るのだというこういうことなんですが、通過するときにはいずれも
監視所
があると思いますけれども、そうすると
山上
の
監視所
というのは、
通行路
における
監視所
で信用をしていないということになるわけですか。
梁瀬美智子
93
○
證人
(
梁瀬美智子
君) それは例えば眞直ぐ
行つた
ら早道でもずつと大廻りして廻るのです。だからこつ
ちの方
にはずつと一軒一軒に
警備兵
が立
つて
いるのです。こつ
ちの方
から來ると所々にしか
警備兵
が立
つて
いない。
天田勝正
94
○
天田勝正
君 そうするとそういう
径路
を
通つて來
るならば、
証明書
がなくても通れるわけですね。
梁瀬美智子
95
○
證人
(
梁瀬美智子
君) そうですね。
天田勝正
96
○
天田勝正
君
証明書
というものは何の効果もないように聞いてお
つたの
ですけれども、その
証明書
があ
つて
その
証明書
で通路の
警察
に見せて通るのではないのですか。
梁瀬美智子
97
○
證人
(
梁瀬美智子
君) そうじやないのです。その
証明書
というのは
南鮮
に
渡つて
からの
証明書
です。
天田勝正
98
○
天田勝正
君 通れるということを許可している
証明
じやないのですね。
梁瀬美智子
99
○
證人
(
梁瀬美智子
君)
証明書
は何ですけれども、
自分たち
ははつきりした
事情
も分らなか
つた
ために、
案内者
という人に頼んだのです。
案内者
が見つか
つた
ら五年間、十年間の懲役になるのです。
天田勝正
100
○
天田勝正
君 どうもそこが僕には分らない。
星野芳樹
101
○
理事
(
星野芳樹
君) どういうふうにいたしますか、
梁瀬
さんの
報告
を一
應承つて質問
に移りますか。
天田勝正
102
○
天田勝正
君 非常に話が早過ぎるので途中でそういう
経過
を聞いた方が聞きいいですが……。
星野芳樹
103
○
理事
(
星野芳樹
君) それは
質問
として
質問
すべきですが、
経過報告
はこれで打切りにしますか。
北條秀一
104
○
北條秀一
君 その
経過報告
の中で、これは
梁瀬
さんに
事情
を聞きますと、
ハルピン
を
渡つて
、五十二名の
患者輸送
という名目で
ハルピン
を出発されたのでしよう。
梁瀬美智子
105
○
證人
(
梁瀬美智子
君) そうです。
北條秀一
106
○
北條秀一
君 その五十二名は何人が男で何人が女であ
つた
かということと、その人がずつと
元山
まで來るのに五十二名が
一緒
に來られ、あなた以外の方は何人
向う
に残られたか、その中で何名があなたと
一緒
に
帰つて來
られたか、そういうことについて述べて頂きたいと思います。
梁瀬美智子
107
○
證人
(
梁瀬美智子
君) 五十二名の方はみんな
元山
まで來たのです。來たのですけれども……。
北條秀一
108
○
北條秀一
君 五十二名はあなたも入れて五十二名ですね。
梁瀬美智子
109
○
證人
(
梁瀬美智子
君) そうです。その中に殆んど
胸部疾患
の方とか、前線に
行つて
怪我された方は、
自分たち
六、七名で
輸送
をして來たのです。
星野芳樹
110
○
理事
(
星野芳樹
君)
ちよ
つと
委員
の方にお諮りいたしますが、
質問
が全般に亘
つて
いろいろの点を
質問
されて纏りがつかないので、
質問
を時期時期に区切
つて
したら如何かと思います。先ず第一にどういう
径路
で
ハルピン
から出るまでの
事情
を先ず聽いて……。
北條秀一
111
○
北條秀一
君 今の五十二名の話をしますが……。
星野芳樹
112
○
理事
(
星野芳樹
君) それはその中で……、それを聽いて、
径路
を聽いて、それから
向う
の
在留同胞
の
状況
を聽くというように整備したいと思います。そうして今
ハルピン
の
中共
の中にいて、それから出る
径路
ですね。出る
径路
、今言われたように何人で、誰がどこに
行つて
おられたか、こういうふうに集約して聽いて頂きたいと思います。 それから途中で
ちよ
つと妙ですが、
梁瀬
さんに御注意いたしますが、
委員会
の
証人喚問
というのは、先程お読みのように
宣誓書
の手続をと
つて
おりますので、証言が誤りがありますと、
所罰規定
がありますことは勿論のことでありますから、間違いなく正確のところをお述べ頂きたいと思います。 それで
ハルピン
から出られたのは何人ですか。
梁瀬美智子
113
○
證人
(
梁瀬美智子
君) 五十二名です。
星野芳樹
114
○
理事
(
星野芳樹
君) それで男の方は何人ですか。
梁瀬美智子
115
○
證人
(
梁瀬美智子
君) 二名だけです。
星野芳樹
116
○
理事
(
星野芳樹
君) 男は二名ですね。女の方は何名ですか。
梁瀬美智子
117
○
證人
(
梁瀬美智子
君) 五十二名から二名引くから五十名です。
星野芳樹
118
○
理事
(
星野芳樹
君)
病氣
の方は何人ですか。
梁瀬美智子
119
○
證人
(
梁瀬美智子
君) 殆んど
病人
です。六人だけ
附添
いで、六人の方も
胸部疾患
の方が帰えられたのです。
星野芳樹
120
○
理事
(
星野芳樹
君) 六人は
病人
ですか。
梁瀬美智子
121
○
證人
(
梁瀬美智子
君) 六人が
附添
えとして來たのです。
星野芳樹
122
○
理事
(
星野芳樹
君) 女の人ですか、男の方ですか。男は二名とも
病人
ですね。
梁瀬美智子
123
○
證人
(
梁瀬美智子
君) そうです。
胸部疾患
の方です。
星野芳樹
124
○
理事
(
星野芳樹
君) 六名だけが
附添
えですね。
矢野酉雄
125
○
矢野酉雄
君 六名の
附添
えは
胸部疾患
を侵されている。
星野芳樹
126
○
理事
(
星野芳樹
君) あなたはよそで以て、お帰りにな
つたの
が三十二名と言われておりますが、どちらが
本当
ですか。
梁瀬美智子
127
○
證人
(
梁瀬美智子
君) 三十二名というのは、それは一番
最初あすこ
に
揚つたの
ですが、
新聞記者
の方が私から何も聽かずにそういうことを話して來ているのです。
自分
としては三十二名ということは言
つて
いない筈なんです。
星野芳樹
128
○
理事
(
星野芳樹
君) それから半分程が
病人
で、半分程は
向う
で成績優秀と認められた
看護婦
の人が帰えられたということを言われているようですが、これは
新聞
でなくて
佐世保
の
援護局
でおつしや
つて
いるようですが、これは今の話だと……。
梁瀬美智子
129
○
證人
(
梁瀬美智子
君) それは
自分
は言い落したのですが、その
患者
の中でも全然動けない人という人より
胸部疾患
の方です。その
胸部疾患
の方は
日本
に
行つた
ら治るという人が半分以上お
つたの
です。そういう方はまだ
向う
に沢山いらつしやるんです。いらつしやるんですけれども、
向う
は
思想
上に関してとてもうるさいのです。その中でみんな帰りたい人は沢山おられるもので、
選挙
みたいにして帰す人を決めたわけなんです。その
病人
の中でも、大体誰を帰したらいいかということにな
つて
、まあ
病氣
でもこの
人たち
を帰したらいいんじやないかということで、みんなが
選挙
して帰したわけなんです。それで同じ
一つ
の
病院
から帰していません、殆んど各
病院
から……、
一つ
うるさいのは、
北鮮
と
南鮮
に來てからうるさいのです。元氣な人達だけ帰すということはできないから、
病氣
の人でも成績優秀な人を中に入れて帰すと言われて
帰つて來
たのです。
星野芳樹
130
○
理事
(
星野芳樹
君) あなたは身体がどこか悪か
つた
んですか。
梁瀬美智子
131
○
證人
(
梁瀬美智子
君) 別に私は悪くありません。
星野芳樹
132
○
理事
(
星野芳樹
君) そうすると、あなたのように全然悪くない人は何人ですか。
梁瀬美智子
133
○
證人
(
梁瀬美智子
君) 全然悪くない人は三名ほどです。
星野芳樹
134
○
理事
(
星野芳樹
君) 女の人が三名……。
梁瀬美智子
135
○
證人
(
梁瀬美智子
君) はあそうです。
高橋
さんという人と
自分
と
細川
という人です。
星野芳樹
136
○
理事
(
星野芳樹
君)
高橋
さんと
細川
さんですね。そしてどういうわけでその三人が選ばれたわけですか。
梁瀬美智子
137
○
證人
(
梁瀬美智子
君) まあどういうわけということもないのですけれども、それもみんな
選挙
の下で帰されたのです。その
選挙
についても
五つ
のあれがあります。
思想
、学習、工作、作風、
日常生活
というような
五つ
のあれがあるのです。その
五つ
、それによ
つて選挙
みたいなのがあるのです。その
選挙
の結果、
病氣
の人でも
日本
に帰
つた
らこの人はよくなるから、優秀な人をという
意味
で帰されて來たのです。
星野芳樹
138
○
理事
(
星野芳樹
君) それではあなたはそういうふうに成績優秀なんで、毛沢東より賞状三回だか
貰つた
ということを話されたことがありますが、それは
本当
ですか。
梁瀬美智子
139
○
證人
(
梁瀬美智子
君)
自分
は
貰つて
おりません。
星野芳樹
140
○
理事
(
星野芳樹
君) あなたは
貰つて
ないのですか。
梁瀬美智子
141
○
證人
(
梁瀬美智子
君) はあ。でも、私と
一緒
に
帰つて來
られた方は
貰つて
います。
星野芳樹
142
○
理事
(
星野芳樹
君) 誰が
貰つて
いますか。
梁瀬美智子
143
○
證人
(
梁瀬美智子
君)
高橋
さんという人です。
星野芳樹
144
○
理事
(
星野芳樹
君)
高橋
何という
名前
ですか。
梁瀬美智子
145
○
證人
(
梁瀬美智子
君)
高橋よし江
さんです。
星野芳樹
146
○
理事
(
星野芳樹
君) いくつですか。
梁瀬美智子
147
○
證人
(
梁瀬美智子
君) 二十七です。
星野芳樹
148
○
理事
(
星野芳樹
君)
細川
さんの
名前
は。
梁瀬美智子
149
○
證人
(
梁瀬美智子
君)
細川
さんは
自分たち
の
病院
から來ておりませんから、
細川
さんという名は知
つて
おりますけれども、
名前
ははつきり分りません。
淺岡信夫
150
○
淺岡信夫君
思想
がむずかしいとか、やかましいとかいうことはどういう
意味
ですか。
星野芳樹
151
○
理事
(
星野芳樹
君) つまり
思想
がむずかしいというのは、途中の
思想
がむずかしいというと、
中共
から出る場合の
思想
のことですね。
梁瀬美智子
152
○
證人
(
梁瀬美智子
君) まあ
思想
と言いますと、
向う
で
教育
を……、大体
終戰
前の
思想
というものは、全然捨ててしま
つて
、新らしい
思想
に入れ変えてしまうということです。例えば共産
思想
を徹底的に
自分たち
は植えつけられているんです。その中に反動的なことを吐くというのが、やつぱり
思想
の中に入るためにそういうために
思想
というものを……。
淺岡信夫
153
○
淺岡信夫君
もう一点、先程一万七千円ほどの旅費を支給されたと言いますが、五十二名の
皆さん
が全部含めて一万七千円ですか。あなたお一人で一万七千円ですか。
梁瀬美智子
154
○
證人
(
梁瀬美智子
君) それは、一人々々です。
矢野酉雄
155
○
矢野酉雄
君 お尋ねします。その一万七千円という金の値打を、
日本
の金の値段に比べると、いろいろ調べてみるというと、一万七千円あなたがお貰いにな
つたの
でも、その当時は鉛筆が一本一万円してお
つた
わけでしよう。
梁瀬美智子
156
○
證人
(
梁瀬美智子
君) それは
北鮮
の金で一万七千円と言
つて
いる筈ですけれども……。
矢野酉雄
157
○
矢野酉雄
君 それで、鉛筆はその頃小一万円、タオルが三万円、万年ペンが三十六万円、古い背廣が百万円と言
つて
おるが……。
梁瀬美智子
158
○
證人
(
梁瀬美智子
君) それは
満州
の物價であ
つて
、又
北鮮
とは全然違います。
矢野酉雄
159
○
矢野酉雄
君 そうすると、大体一万七千円ぐらいというのは、
日本
の値段にすれば、大体どのくらいのものに当るというふうに常識上解釈されておりますか。
梁瀬美智子
160
○
證人
(
梁瀬美智子
君) まあ六万円にはなるんじやないかと、
自分
の考では思
つて
おります。
矢野酉雄
161
○
矢野酉雄
君
日本
の金にしたらね。
梁瀬美智子
162
○
證人
(
梁瀬美智子
君) はあ。
矢野酉雄
163
○
矢野酉雄
君 その六万円の金に相当する一万七千円というと、三年半に亘
つて
働いたその最後の俸給という
意味
か、或いは
ただ
の、
帰つて來
る最終の旅費の心組みであ
つた
んですか、どうですか。
梁瀬美智子
164
○
證人
(
梁瀬美智子
君) それは
終戰
からまあ現在三十二年の十二月までの勤務中に、いろいろ配給ものを
貰つて
います。
向う
で
貰つた
配給ものというものは、
自分
のものは全然持
つて來
れないんです。それを置いて來たために、衣服代とか、まあ三年間のを
貰つた
大体のものを
北鮮
に來て買うというために
貰つたの
です。
矢野酉雄
165
○
矢野酉雄
君 そうすると、その間にお手当というものは頂かなか
つた
ね。
梁瀬美智子
166
○
證人
(
梁瀬美智子
君) ええそうです。
矢野酉雄
167
○
矢野酉雄
君 ああそう。そうすると、約四年間に、あなた方が大変働かれたところの收入というわけだね。
梁瀬美智子
168
○
證人
(
梁瀬美智子
君) はあ。
矢野酉雄
169
○
矢野酉雄
君 そうしてあなた方があちらでお使いにな
つて
おりました分の物というのは、
満州
の
日本
軍が沢山持
つて
お
つた
ね。その物ですか、別に
中共軍
が新たに造
つて
お
つた
ところの物資を頂いたのですか。
梁瀬美智子
170
○
證人
(
梁瀬美智子
君) それは新らしく造
つた
物資です。
星野芳樹
171
○
理事
(
星野芳樹
君)
ちよ
つと矢野
委員
に御注意いたしますが、そういう在留邦人の待遇に関することは後に纒めて、現在は
ハルピン
からどうして出て來たかということに集中して聞いて頂きたいと思います。
北條秀一
172
○
北條秀一
君 それでは五十二名の方が帰られた
径路
は分りましたが、結局三名だけ
日本
に帰られたわけですね。
梁瀬美智子
173
○
證人
(
梁瀬美智子
君) いえ、二名だけです。今話したように、誰も行く人がおらなか
つたの
です。三十八度線を越して、……。
高橋
さんという人と
自分
と二人だけ帰
つた
んです。その
高橋
さんは編上靴を履いてお
つた
ために……。
北條秀一
174
○
北條秀一
君 分りました。
高橋
さんとあなたは
日本
の帰られてから、
連絡
はありませんか。
梁瀬美智子
175
○
證人
(
梁瀬美智子
君)
連絡
はありません。
北條秀一
176
○
北條秀一
君 全然ない……。
梁瀬美智子
177
○
證人
(
梁瀬美智子
君)
高橋
さんは現在まだ三十八度線の中途の所におるんです。果してその人も
日本
に
帰つて來
ているか、
帰つて來
てないか、
自分
にははつきり分りません。
星野芳樹
178
○
理事
(
星野芳樹
君) そうすると、
ハルピン
からどうして出て來たかということは、これで完了していいですか。
北條秀一
179
○
北條秀一
君 もう
一つ
附加えて……。金のことは分りましたが、荷物を持
つて來
られたかどうかということと、それからもう
一つ
ハルピン
を出られるときに、
北鮮
の金を
貰つた
ということですが、
ハルピン
から
北鮮
に入るまでの旅費は、これは
自分
の金を持
つて
おられたのですか。
梁瀬美智子
180
○
證人
(
梁瀬美智子
君) いえ、そうでないんです。皆
向う
で
貰つた
んです。
北條秀一
181
○
北條秀一
君 そうすると、一万七千円の金は、
北鮮
の金ではないんですか。
梁瀬美智子
182
○
證人
(
梁瀬美智子
君)
北鮮
は南陽で……。
羅津
までは中國共産党員の本部があるんです。日共本部というのが……。そこで
貰つた
んです。
連絡
の下で呉れたんじやないかと思うんです。
北條秀一
183
○
北條秀一
君
ハルピン
から南陽までは汽車で行かれたんですか。
梁瀬美智子
184
○
證人
(
梁瀬美智子
君) ええ、ずつと汽車です。
北條秀一
185
○
北條秀一
君 その間は只であ
つた
わけですね。
梁瀬美智子
186
○
證人
(
梁瀬美智子
君) はあそうです。
北條秀一
187
○
北條秀一
君 汽車の中の
食事
は……。
梁瀬美智子
188
○
證人
(
梁瀬美智子
君)
食事
は、
向う
から
お金
を五万円ぐらいを、約三日間ぐらいの
予定
で
貰つて
いるんです。
食事
は二日間ぐらいの
食事
を用意をして來てお
つた
んです。
北條秀一
189
○
北條秀一
君 荷物は持
つて
おられたんですか。
梁瀬美智子
190
○
證人
(
梁瀬美智子
君) 荷物は制限されて沢山持てません。
北條秀一
191
○
北條秀一
君 どんなものを持
つて
帰りましたか。
梁瀬美智子
192
○
證人
(
梁瀬美智子
君) 冬衣一着、一揃いですね、冬だ
つた
ら。夏は二揃い持
つて
出られます。毛布が二枚ということにな
つて
おります。シヤツ類は二、三点は持
つて來
られました。全然買
つた
ものなんかは持
つて來
られません。
北條秀一
193
○
北條秀一
君 ではその持たれた荷物は、
日本
に持
つて
お帰りになりましたか。
梁瀬美智子
194
○
證人
(
梁瀬美智子
君)
元山
に來る
予定
で持
つて來
たんですけれども、
自分たち
三十八度線を渡るために
自分
は何にも持
つて來
ておりません。
北條秀一
195
○
北條秀一
君 その荷物は途中で段々と処分された……。
梁瀬美智子
196
○
證人
(
梁瀬美智子
君) それは三十八度線を渡るために、又引帰すつもりだ
つた
んです。そのために
自分
は何にも……
ただ
着ておるままで來たんです。
星野芳樹
197
○
理事
(
星野芳樹
君)
ちよ
つと伺いすが、
ハルピン
を出るとき
中共
の政府から何か訓話か何かありましたか。何か別れに際して言葉が何かありましたか。
梁瀬美智子
198
○
證人
(
梁瀬美智子
君) 別にありません。
星野芳樹
199
○
理事
(
星野芳樹
君) 何の指示もないで、誰から帰るんだと言い渡されたんですか。
梁瀬美智子
200
○
證人
(
梁瀬美智子
君) 別に帰るからとい
つて
そういう指示はないんです。
星野芳樹
201
○
理事
(
星野芳樹
君) 併し幾らかの旅費を頂いたでしよう。それは誰から
貰つた
んですか。
梁瀬美智子
202
○
證人
(
梁瀬美智子
君) それは政治局の方から
貰つた
んです。まあ政府ですね。例えば
日本
共産党員の方があすこにいらついやいます。そういう方から頂いたんです。直接
日本
共産党員の方から
貰つた
んではなくして、あすこの又代表者とか、いろいろな方から貰いました。
帰つて來
るときも全然指導というあれじやなか
つた
んですけれども、
日本
に
帰つて
も
病氣
を治して、一生懸命に人民のために戰
つて
呉れというようなことは言われました。
星野芳樹
203
○
理事
(
星野芳樹
君) 大体
ハルピン
から出る
径路
はそれでよろしうございますか……それでは今度途中について御
質問
願いたいと思います。
ハルピン
を出発して内地に來るまでの途中について……。
穗積眞六郎
204
○穗積眞六郎君
南鮮
に入られましてから、
京城
にも
釜山
にも
收容所
がございますか。
梁瀬美智子
205
○
證人
(
梁瀬美智子
君) みんなあります。
穗積眞六郎
206
○穗積眞六郎君
收容所
はどんな所でございますか。
梁瀬美智子
207
○
證人
(
梁瀬美智子
君)
北鮮
の方にはありません。
穗積眞六郎
208
○穗積眞六郎君
京城
、
釜山
の
收容所
はどういうふうなところですか。建物とか……。
梁瀬美智子
209
○
證人
(
梁瀬美智子
君)
京城
はとてもいい建物だ
つた
んですけれども、又
釜山
の方に來ますと、元の
連絡
船が着いておりますね、あすこの何か物入れ場みたいなところにずつと莚を敷いてお
つた
んです。
穗積眞六郎
210
○穗積眞六郎君 外に
日本人
はおりましたか。
梁瀬美智子
211
○
證人
(
梁瀬美智子
君) いらつしやいませんでした。
天田勝正
212
○
天田勝正
君 折角
委員
長が整理されたんですから、今度は
ハルピン
から出て
元山
まで來ると、こう限定して、その間に、要するにどういうふうに通つと來たか、汽車の中の宿泊はどういうふうであ
つた
か、そういうふうに限定して
一つ
整理して貰いたい。
星野芳樹
213
○
理事
(
星野芳樹
君) それでは
委員
の方は
ハルピン
から
元山
までのところで……。
北條秀一
214
○
北條秀一
君 先ず
最初
に
ハルピン
から
元山
までの主立
つた
ところの
経過
地点を言
つて
貰いたい、そうしないと分らないから……。
星野芳樹
215
○
理事
(
星野芳樹
君)
ハルピン
から
元山
まで主立
つた
どういう町を
通つて來
ましたか。
梁瀬美智子
216
○
證人
(
梁瀬美智子
君)
ハルピン
から汽車に乘
つて
牡丹江
に來たんです。
牡丹江
から……。
北條秀一
217
○
北條秀一
君 汽車に乘
つて來
た、それをはつきりして頂きたい、
ハルピン
から
牡丹江
まで、
牡丹江
からどこまでは汽車というふうに言
つて
頂きたいと思います。
星野芳樹
218
○
理事
(
星野芳樹
君)
ハルピン
から
牡丹江
まで汽車で何時間くらいかかるんですか。
梁瀬美智子
219
○
證人
(
梁瀬美智子
君) はつきりしたことは分りませんが、大体二日間くらいで來ました。
牡丹江
から図們までが約一日半ぐらいでないかと思います。それもはつきりした日にちはわかりません。
星野芳樹
220
○
理事
(
星野芳樹
君) これも汽車ですか。
梁瀬美智子
221
○
證人
(
梁瀬美智子
君) ずつと汽車です。
星野芳樹
222
○
理事
(
星野芳樹
君)
牡丹江
で一回乘換えるんですか。
梁瀬美智子
223
○
證人
(
梁瀬美智子
君)
牡丹江
で一回乘換えて図們へ來ます。
星野芳樹
224
○
理事
(
星野芳樹
君) ここで
泊つた
んですか。
梁瀬美智子
225
○
證人
(
梁瀬美智子
君)
牡丹江
では泊りません。すぐ汽車に乘
つた
んです。
星野芳樹
226
○
理事
(
星野芳樹
君) それから図們ですね。
梁瀬美智子
227
○
證人
(
梁瀬美智子
君) 図們からの一般の人は汽車に乘れないんですけれども、軍関係で
帰つて來
た人は図們から南陽まで汽車があります。南陽とい
つた
らもう
朝鮮
になるんです。
星野芳樹
228
○
理事
(
星野芳樹
君) 図們が滿州で、南陽が
朝鮮
ですね。
梁瀬美智子
229
○
證人
(
梁瀬美智子
君) そうです。南陽で
お金
なんか貰うために二日間
泊つた
んです。
北條秀一
230
○
北條秀一
君 南陽で
北鮮
の金一万七千円を
貰つた
んですね。
梁瀬美智子
231
○
證人
(
梁瀬美智子
君) そうです。
北條秀一
232
○
北條秀一
君 南陽というのは國境ですか。
梁瀬美智子
233
○
證人
(
梁瀬美智子
君) 國境です。図們と南陽の間が國境にな
つて
おります。図們江とい
つて
橋があるんですけれども、中國の方からずつと汽車が通
つて
いて、船は客船なんかはありません。貨物船でした。
北條秀一
234
○
北條秀一
君 南陽から……。
梁瀬美智子
235
○
證人
(
梁瀬美智子
君) 南陽から
元山
へずつと汽車です。
星野芳樹
236
○
理事
(
星野芳樹
君) それは何日ぐらいかかりますか。
梁瀬美智子
237
○
證人
(
梁瀬美智子
君) 三日間ぐらいかかりました。
元山
で一ケ月と三日ぐらい待
つて
お
つた
んです。
星野芳樹
238
○
理事
(
星野芳樹
君) それから
元山
から……。
梁瀬美智子
239
○
證人
(
梁瀬美智子
君)
元山
から
自分
と
高橋
さんという人だけが平壤経由で海州まで出て來たんです。
星野芳樹
240
○
理事
(
星野芳樹
君) それから三十八度線を越えたわけですね。
梁瀬美智子
241
○
證人
(
梁瀬美智子
君) そうです。
星野芳樹
242
○
理事
(
星野芳樹
君) そうすると
ハルピン
から
牡丹江
までについて
質問
して下さい。
矢野酉雄
243
○
矢野酉雄
君 その機関車を動かしている人は
日本人
ですか、
向う
の人ですか。
梁瀬美智子
244
○
證人
(
梁瀬美智子
君)
朝鮮
の人です。
矢野酉雄
245
○
矢野酉雄
君 全部……。
梁瀬美智子
246
○
證人
(
梁瀬美智子
君) はあ。
矢野酉雄
247
○
矢野酉雄
君 車掌さんは……。
梁瀬美智子
248
○
證人
(
梁瀬美智子
君) 図們からは皆
朝鮮
の人だ
つた
んです。
矢野酉雄
249
○
矢野酉雄
君 図們からは……。
梁瀬美智子
250
○
證人
(
梁瀬美智子
君) 図們から先は中國人もいらつしや
つた
し
朝鮮人
もいらつしや
つた
し……。
矢野酉雄
251
○
矢野酉雄
君
日本人
で、汽車そのものや駅々なんかを覗いて見て、駅の職員なんかで、この人は
日本人
だと思われるような人はいないですか。
梁瀬美智子
252
○
證人
(
梁瀬美智子
君)
ちよ
つと見受けられませんでした。
北條秀一
253
○
北條秀一
君 今の一般人は乘車できないという話だ
つた
んですが、これは図們と南陽間だけですか。
梁瀬美智子
254
○
證人
(
梁瀬美智子
君) そうです。
北條秀一
255
○
北條秀一
君 他の列車には一般人が乘
つて
いる……。
梁瀬美智子
256
○
證人
(
梁瀬美智子
君) 軍関係の方でないとそこに乘して呉れないんです。
北條秀一
257
○
北條秀一
君
ハルピン
からずつとですか。
梁瀬美智子
258
○
證人
(
梁瀬美智子
君) はあ。
北條秀一
259
○
北條秀一
君 ずつと……。
梁瀬美智子
260
○
證人
(
梁瀬美智子
君) ずつと……
証明
があれば乘せます。
証明
があ
つて
も軍関係以外の方は乘せません。
北條秀一
261
○
北條秀一
君 一般人はそこを歩いて
渡つて
いるわけですね。
梁瀬美智子
262
○
證人
(
梁瀬美智子
君) それも二つに分れておりますが、
証明
があ
つた
ら橋を渡れます。
日本人
の方には絶対に
証明
を出して呉れないというようなことを聞いております。何か特別の引揚か、又はいろいろの
事情
がないとそれの
証明
を出して貰えない、
証明
を出して
貰つた
ら橋を渡れるんです。
証明
がなか
つた
ら海を……海とい
つて
も河ですけれども、その河を
渡つて
來るそうです。
矢野酉雄
263
○
矢野酉雄
君 それからあなたは戰前の
ハルピン
の街を御覽にな
つた
ことがありましたか。
梁瀬美智子
264
○
證人
(
梁瀬美智子
君) あります。
矢野酉雄
265
○
矢野酉雄
君 そうするとその御経驗からすれば、こちらの
日本
に引揚のときに、
ハルピン
を御出発のときの
ハルピン
の樣相と戰前の
ハルピン
と同じ姿でしたか、何か特別に非常に変
つて
おりましたところがありましたか。建物とか市街とか、破壊されているような所をお氣ずきになりましたか。
梁瀬美智子
266
○
證人
(
梁瀬美智子
君) 特別に変
つて
おるというような所は
ちよ
つと見受けられませんでした。
北條秀一
267
○
北條秀一
君 それではお伺いしますが、
ハルピン
を出るときに政治局員から食糧と五万円の金を
貰つて
出られたわけですか。南陽に行かれたときには
ハルピン
の
中共軍
から
北鮮
の共産軍に対して
証明書
か何か持
つて
行かれたんですね。
梁瀬美智子
268
○
證人
(
梁瀬美智子
君)
証明
が出ているんです。
北條秀一
269
○
北條秀一
君 その
証明
を見せて一万七千円を又そこで
貰つた
わけですね。
梁瀬美智子
270
○
證人
(
梁瀬美智子
君) そうです、それは政府の方から
ちや
んとそれを貰う
証明書
を貰うのです。それを日共本部の方に持
つて
行つて
貰うのです。
北條秀一
271
○
北條秀一
君 それでは次に伺いますが、まだ
残つて
いる
日本人
のことについてあなたが今知
つて
おられるだけ教えて頂きたいと思うのですが……
ハルピン
、
牡丹江
、図們、南陽……。
星野芳樹
272
○
理事
(
星野芳樹
君) 御注意しますが、途中のことに
質問
を先ず集中して、残留
日本人
の
状況
は後ということに……。もう
一つ
伺いますが、
ハルピン
から図們まで中國内の汽車は一般の中國人は切符を買うだけで乘せるのじやないですか。
証明書
が要るのですか。
梁瀬美智子
273
○
證人
(
梁瀬美智子
君)
証明
が要ります。
星野芳樹
274
○
理事
(
星野芳樹
君) 中國人でも……。
梁瀬美智子
275
○
證人
(
梁瀬美智子
君) そうです。
矢野酉雄
276
○
矢野酉雄
君 どうですか。その汽車で來るときに夜とか何とか
襲撃
されたり何かするような危險はなか
つた
ですか。
梁瀬美智子
277
○
證人
(
梁瀬美智子
君) 全然そういう危險はありません。
北條秀一
278
○
北條秀一
君
牡丹江
に來られたときに、
牡丹江
から佳木斯に行く
鉄道
は動いてお
つたの
ですか。それは知りませんか。
梁瀬美智子
279
○
證人
(
梁瀬美智子
君)
牡丹江
から
自分たち
図們に
行つたの
です。
星野芳樹
280
○
理事
(
星野芳樹
君)
向う
の
鉄道
のことについては聞きませんでしたか。
梁瀬美智子
281
○
證人
(
梁瀬美智子
君)
鉄道
はどこでも通
つて
いるというようなことは知
つて
います。
北條秀一
282
○
北條秀一
君 汽車は石炭を焚いてお
つた
か、薪を焚いてお
つた
か、そういう点は氣付きませんでしたか。
梁瀬美智子
283
○
證人
(
梁瀬美智子
君) ずつと石炭を焚いておりました。
北條秀一
284
○
北條秀一
君 列車は何輛くらい繋いでおりましたか。あなたの列車は。
梁瀬美智子
285
○
證人
(
梁瀬美智子
君) 図們から南陽までですか。
北條秀一
286
○
北條秀一
君 いや、
ハルピン
から
牡丹江
に行くその列車は何輛くらい繋いでおりましたか。
梁瀬美智子
287
○
證人
(
梁瀬美智子
君) 相当長か
つた
ですけれどもはつきり分りません。
北條秀一
288
○
北條秀一
君 長い列車で、荷物は沢山積んでおりましたか。
梁瀬美智子
289
○
證人
(
梁瀬美智子
君) 荷物は客車ですから積めません。
星野芳樹
290
○
理事
(
星野芳樹
君) そうすると大体
ハルピン
から
元山
までの間について、
質問
はもうありませんか。
天田勝正
291
○
天田勝正
君
ハルピン
から図們までどのくらい時間かかりましたか。
梁瀬美智子
292
○
證人
(
梁瀬美智子
君) はつきりした日にちは分りませんけれども三日くらいだと思うのです。
天田勝正
293
○
天田勝正
君
元山
に何日に着いたのですか。
梁瀬美智子
294
○
證人
(
梁瀬美智子
君)
元山
に着いたのは……。(「それは聞いたよ」と呼ぶ者あり)
天田勝正
295
○
天田勝正
君 それじやよろしうございます。
北條秀一
296
○
北條秀一
君
梁瀬
さんにお伺いしますが、ずつと
ハルピン
から
元山
まで來られた汽車ですね。駅でいろいろなものを乘
つて
いる人に賣
つて
お
つたの
でしようか。
梁瀬美智子
297
○
證人
(
梁瀬美智子
君) ええ、賣
つて
おります。
北條秀一
298
○
北條秀一
君 どんなものを賣
つて
おりましてか。食い物は……。
梁瀬美智子
299
○
證人
(
梁瀬美智子
君)
ハルピン
とか中國の方どは例えば中國で食べるような饅頭とかいろいろな……何でも賣
つて
います。
矢野酉雄
300
○
矢野酉雄
君 イーメンポーなんかまだ駅は
ちや
んと健在でありましたですか。
梁瀬美智子
301
○
證人
(
梁瀬美智子
君) あります。
北條秀一
302
○
北條秀一
君 何でも賣
つたの
ですが、あなたは買いましたか。
梁瀬美智子
303
○
證人
(
梁瀬美智子
君) 買いました。
北條秀一
304
○
北條秀一
君 饅頭
一つ
どれくらいしましたか。
梁瀬美智子
305
○
證人
(
梁瀬美智子
君) 饅頭
一つ
私が來るとき千円だ
つた
です。
北條秀一
306
○
北條秀一
君
朝鮮
と
満州
とでは物價はどちらか高いと思われましたか。
梁瀬美智子
307
○
證人
(
梁瀬美智子
君) ずつと
満州
の方が高いです。
星野芳樹
308
○
理事
(
星野芳樹
君)
満州
の
お金
は何ですか。
中共
の幣貨ですか。法幣ですか。
梁瀬美智子
309
○
證人
(
梁瀬美智子
君) 東北銀行にな
つて
います。
星野芳樹
310
○
理事
(
星野芳樹
君) 東北銀行券ですね。
梁瀬美智子
311
○
證人
(
梁瀬美智子
君) はあ、十万円が一番上で千円が一番下です。
星野芳樹
312
○
理事
(
星野芳樹
君) 千円札ですね。
梁瀬美智子
313
○
證人
(
梁瀬美智子
君) はあ、これくらいの幅でこのくらいの大きさのものです。
北條秀一
314
○
北條秀一
君 印刷は非常に立派ですか。
梁瀬美智子
315
○
證人
(
梁瀬美智子
君) はあ。
北條秀一
316
○
北條秀一
君 紙はどうですか。
梁瀬美智子
317
○
證人
(
梁瀬美智子
君) 紙はとても悪いです。
矢野酉雄
318
○
矢野酉雄
君 それから、前に看護しておられましたから敏感に氣付くと思うですがね。生水を殆んど白城子辺りのものなら別ですが、その他の地方の水は飲めないのですが、
ハルピン
からずつと
牡丹江
を経て図們に行き、南陽から
元山
までの間の飲料水の供給はどういうふうになさいましたか。
梁瀬美智子
319
○
證人
(
梁瀬美智子
君) それは各駅々々でお茶を賣
つて
おります。
矢野酉雄
320
○
矢野酉雄
君 瓶に入れて賣
つて
おりますか、土瓶ですか。
梁瀬美智子
321
○
證人
(
梁瀬美智子
君)
自分
は水筒に買
つて
……
向う
じや瓶なんかに入れて賣
つて
おりません。藥罐に入れて持
つて來
るのです。
星野芳樹
322
○
理事
(
星野芳樹
君) それでは
ハルピン
から
元山
までは大体これで御
質問
を終了したようですが、
元山
では一ヶ月と三日だか泊られたようですが、これは初めからそういう
予定
だ
つたの
ですか。何かの手違いでそういうふうにな
つたの
ですか。
梁瀬美智子
323
○
證人
(
梁瀬美智子
君)
元山
は二、三日の
予定
で遅くとも五日くらいで乘れるという
予定
で來たのです。
矢野酉雄
324
○
矢野酉雄
君 何で。
梁瀬美智子
325
○
證人
(
梁瀬美智子
君) 船で。それが途中で
密航船
であ
つた
ために捉ま
つたの
です。
予定
が狂
つて
しま
つたの
です。それで私たち一ヶ月以上、まあ何か
日本
の船が來るだろうというので待
つて
お
つたの
です。
日本
の船が來なくても
釜山
まで行く船が來たらと待
つて
お
つたの
ですがなかなか來なか
つたの
です。
日本
の船が來たのだそううですけれども、荷物を積む船であ
つて
乘せて貰えなか
つたの
です。
矢野酉雄
326
○
矢野酉雄
君 そうすると
元山
の一ヶ月と三日間いらつしや
つた
というのはどういう場所ですか。
梁瀬美智子
327
○
證人
(
梁瀬美智子
君) それは元
收容所
をしておりました。海の近くでした。
矢野酉雄
328
○
矢野酉雄
君 そうするとそれはそこのお役所の
收容所
ですか。
梁瀬美智子
329
○
證人
(
梁瀬美智子
君) ええそうです。
矢野酉雄
330
○
矢野酉雄
君 そこの食費とか何とか只でしたか。
梁瀬美智子
331
○
證人
(
梁瀬美智子
君) ええ只です。
矢野酉雄
332
○
矢野酉雄
君 それは三食供給しましたか。
梁瀬美智子
333
○
證人
(
梁瀬美智子
君) はあ。
北條秀一
334
○
北條秀一
君
梁瀬
さんにお伺いします。
元山
に一月もおられます間に
日本人
にお会いにな
つた
かどうですか。
梁瀬美智子
335
○
證人
(
梁瀬美智子
君)
日本人
の方に三人程お会いしました。それは或る大きい工場の技師——技術者か何かの方と思うのです。
朝鮮
でも一番高い一級給料を
貰つて
おるというような方です。
北條秀一
336
○
北條秀一
君 その
日本人
から何かこと付けはありませんでしたか。実は
日本
に早く帰りたいとか。
梁瀬美智子
337
○
證人
(
梁瀬美智子
君) 別にこと付けはなか
つたの
ですね。その方のお話では
日本
に帰るよりも
朝鮮
にお
つて
朝鮮
の人よりもよい待遇を受けているから帰らない方がいいというようなことを言
つて
おられます。
北條秀一
338
○
北條秀一
君 その
日本人
は家族と一諸ですか。
梁瀬美智子
339
○
證人
(
梁瀬美智子
君) ええ家族も……。
北條秀一
340
○
北條秀一
君 あなたは
元山
におられていろいろなことを見られたと思いますが、それで言葉は
日本
語で通じましたか。
梁瀬美智子
341
○
證人
(
梁瀬美智子
君) はあ。
日本
語です。
北條秀一
342
○
北條秀一
君
朝鮮人
の話した場合にも……。
梁瀬美智子
343
○
證人
(
梁瀬美智子
君) はあ。 〔「議事進行」と呼ぶ者あり〕
星野芳樹
344
○
理事
(
星野芳樹
君) それでは大体
元山
まで
質問
がないようですから……。
天田勝正
345
○
天田勝正
君 食違いがあるのです。つよつとお聞きしますが、先程
質問
しましたら
元山
におるときは一万七千円で
元山旅館
に
泊つた
とこういうふうに聞いたのですが、
南鮮
の方に來れば全部
收容所
があるのだとこういうふうに聞いたのですが、今聞くと役所の……。
梁瀬美智子
346
○
證人
(
梁瀬美智子
君) それは
元山
と
釜山
と間違
つたの
だと思うのですけれども、前のお話は
元山
のお話をして、今のお話は
釜山
の話をしたのです。
釜山
と
元山
と間違
つて
いました。
天田勝正
347
○
天田勝正
君
釜山
だろう、間違いですね。矢野
委員
のお聞きしたのは、
元山
に一ヶ月おられる間どういう所に收容されたかと聞いたら……。
梁瀬美智子
348
○
證人
(
梁瀬美智子
君) それは
旅館
にです。
星野芳樹
349
○
理事
(
星野芳樹
君) そこでは
日本
語が通じましたか。
梁瀬美智子
350
○
證人
(
梁瀬美智子
君) ええ、通じました。
穗積眞六郎
351
○穗積眞六郎君 今の技師なんかに会われたのも
元山
ですね。
梁瀬美智子
352
○
證人
(
梁瀬美智子
君) はあ。
星野芳樹
353
○
理事
(
星野芳樹
君)
ただ
收容所
が違
つた
だれですね。
矢野酉雄
354
○
矢野酉雄
君 私の
質問
の対してお答えにな
つたの
は、
釜山
の
收容所
というだけで、
元山
では
元山旅館
で、その他のお話しにな
つたの
は、大体全部同じですね。
星野芳樹
355
○
理事
(
星野芳樹
君) それでは議事進行いたしまして、
元山
から一應帰れなくな
つたの
で、
梁瀬
さんと二人の方が平壤まで行かれたわけですね。その点の御
質問
ありませんか。
天田勝正
356
○
天田勝正
君
朝鮮
の方でそうして出掛ける場合に、汽車に乘るのは自由ですか。
梁瀬美智子
357
○
證人
(
梁瀬美智子
君) やはり
証明
が要ります。
星野芳樹
358
○
理事
(
星野芳樹
君) それから
北鮮
から
南鮮
に渡るというところについて
質問
ありませんか。
南鮮
に入
つて
からの
事情
は必要ありませんか。
矢野酉雄
359
○
矢野酉雄
君
元山
から
釜山
までいらつしや
つた
ところで汽車が止ま
つた
りしましたか。ずつと直行なす
つたの
ですか。
梁瀬美智子
360
○
證人
(
梁瀬美智子
君)
元山
から、平壤で乘換えるのです。海州まで行く汽車ですね。海州からは汽車がないのです。海州から三十八度線まで三里程歩くのです。そこだけは汽車がなくてあとはずつと……。
矢野酉雄
361
○
矢野酉雄
君 海州から汽車に乘
つて
、その次に止ま
つた
所はどこですか。
梁瀬美智子
362
○
證人
(
梁瀬美智子
君) 海州から
ちよ
つと
行つた
部落
に、鎌鶏という大きい港があるのです。そこから……。
矢野酉雄
363
○
矢野酉雄
君 一々そんな
名前
は要らんから、結局海州から
京城
にいらつしたのですね。
梁瀬美智子
364
○
證人
(
梁瀬美智子
君) そうです。
矢野酉雄
365
○
矢野酉雄
君 そうすると、
京城
では汽車が止まりましたか、一泊か何か。
梁瀬美智子
366
○
證人
(
梁瀬美智子
君) はあ。
矢野酉雄
367
○
矢野酉雄
君 一泊して、檢査か何か受けられましたか。
梁瀬美智子
368
○
證人
(
梁瀬美智子
君) 別に檢査はありません。
ただ
証明
だけです。
北條秀一
369
○
北條秀一
君 鎌難から
京城
まで汽車賃は拂
つたの
ですか。
梁瀬美智子
370
○
證人
(
梁瀬美智子
君) 汽車賃は拂いません。
北條秀一
371
○
北條秀一
君
南鮮
では
お金
が
北鮮
と違
つた
と思うのですが……。
梁瀬美智子
372
○
證人
(
梁瀬美智子
君) 違います。
北條秀一
373
○
北條秀一
君
南鮮
で
京城
から
釜山
まで出て來られる途中の金はどこで手に入れられたのですか。
梁瀬美智子
374
○
證人
(
梁瀬美智子
君) それは
北鮮
まで
お金
があ
つたの
ですが、
南鮮
に入
つた
ら
お金
は一銭もないのです。直ぐ
内務所
かどこかに行くのです。行くと、
日本人
だと分ると無料で
日本
まで帰すということにな
つて
いるそうです。
淺岡信夫
375
○
淺岡信夫君
どうですか、
北鮮
と
南鮮
の待遇はいずれがよか
つた
ですか。
梁瀬美智子
376
○
證人
(
梁瀬美智子
君)
自分
の考えでは、人に対しての親切ということは、言葉遺いですね、それは
北鮮
の方がずつとよか
つた
です。
北鮮
では、汽車の
お金
でも買物でも
自分
の
お金
で出すのです。
南鮮
に來ると、
お金
は持
つて
お
つて
も、汽車の
お金
でも買物でも出して呉れたのです。と
つて
も
南鮮
の方は親切にして呉れました。
矢野酉雄
377
○
矢野酉雄
君
北鮮
は
自分
の金で自由に買えるんでしよう。
南鮮
では、
お金
は通用するものをお持ちにならんから、皆
内務所
か何かで
日本人
ならば只で帰すというので、食糧でも何でも
向う
が支給するわけですね。
梁瀬美智子
378
○
證人
(
梁瀬美智子
君) そうです。
矢野酉雄
379
○
矢野酉雄
君 そうすると、その支給するときのいろいろな待遇の様子はどうでしたか。
梁瀬美智子
380
○
證人
(
梁瀬美智子
君)
南鮮
の方がずつとよか
つた
です。
淺岡信夫
381
○
淺岡信夫君
委員
長どうでしよう。大体
釜山
へ出られるまでの経緯というものは、もう一時間有余に亘
つて
おりますから、議事進行を
一つ
。
星野芳樹
382
○
理事
(
星野芳樹
君) そうすると、その次は在留邦人の
状況
をお伺いしたいと思います。先に在留邦人の大体推定のところを
梁瀬
さんにお伺いしますが、あなたの知
つて
おられるところでは、
満州
に大体
日本人
はどのくらいおられますか。
梁瀬美智子
383
○
證人
(
梁瀬美智子
君) 一般に言
つた
ら分らないのですけれども、去年の十一月に民週日報に載
つて
お
つたの
では、
看護婦
だけでも二万二千六百人から
残つて
おるというようなことが
新聞
に出ておりました。あとの方は
自分
には想像つきません。
星野芳樹
384
○
理事
(
星野芳樹
君) 併し、おりますか。
梁瀬美智子
385
○
證人
(
梁瀬美智子
君) いらつしやいます。軍医さんたちはもう殆んど
残つて
いらつしやるのではないかと思うのです。軍医さん又は衞生兵。
星野芳樹
386
○
理事
(
星野芳樹
君) 軍医とか衞生兵でなくて、軍人としている人おりますか。
梁瀬美智子
387
○
證人
(
梁瀬美智子
君)
ハルピン
の方に、引揚済んだ五日か六日目に奥の開拓團から來られた方が六百人程
残つて
おります。その方たちは、
ハルピン
会館という大きい建物があるのです。そこに殆んどいらつしや
つたの
ですけれども、とても苦しい生活をしておるのを
自分
は見て來ました。希望で残られた方が大分
ハルピン
にはいらつしやるようです。
矢野酉雄
388
○
矢野酉雄
君 その
看護婦
は、結局
自分
で私は
看護婦
になりたいと言
つて
行く人と、それからそこの地区なら地区で割当てて來て、まだ娘さんであるとか若い奥さんであるとかいうような
人たち
が、結局籖を引いたり相談したりして徴発されたのですね。あなたの
看護婦
さんの仲間で、どういうふうなことで或る
部隊
に連れて行かれたか、その様子を話して見て下さい。
星野芳樹
389
○
理事
(
星野芳樹
君) つまり今の
看護婦
の中で、前から
看護婦
をしておられた方、そうでない人、何人くらいお
つて
、それがどういうわけで
看護婦
にな
つた
か。
梁瀬美智子
390
○
證人
(
梁瀬美智子
君) 分りました。
日赤
、陸看は、皆
ソ連軍
の
捕虜
にな
つて
引渡されたのです。そのまま残されてしま
つたの
です。一般の
看護婦
さんとか若い方なんかは、徴用みたいに皆連れて來られたのです。二十一年の五月頃からどんどん
看護婦
じやない一般の人を、見習
附添
看というのですか、そういう
意味
で
見習看護婦
にするのだと言
つて
連れて行かれた方が大体いらつしやいます。二万二千というのも、正看の
看護婦
は一万くらいで、あとは皆一般
病院
の
看護婦
さんとか、又は普通の
看護婦
として残された方なんです。
北條秀一
391
○
北條秀一
君
ハルピン
に二万二千
残つて
おるということは、
新聞
に発表されておるので分りましたが……。
梁瀬美智子
392
○
證人
(
梁瀬美智子
君)
看護婦
は、
ハルピン
だけではなくして、全満の
看護婦
です。
北條秀一
393
○
北條秀一
君 一般の
日本人
のことについてお伺いしたいのですが、一般
日本人
というものはどのくらい
残つて
お
つた
か。
元山
は分りましたが、
ハルピン
、
牡丹江
、図們、南陽、この四つの所について
日本人
がどれだけ
残つて
お
つた
か。
梁瀬美智子
394
○
證人
(
梁瀬美智子
君) それもはつきりした数字は言えないですが、大体見たり聞いたりしたことをお話ししますけれども、
ハルピン
の方に
残つて
おる方が六百人程いらつしやるそうです。
自分
も事実見て來ました。
牡丹江
の方にもやはり百人程
残つて
いらつしやるのではないかと思います。図們の方には、去年の七月帰られたので、元氣な方が五十人か、百人に足りないのではないかと思います。それは一般の方です。
延吉
の方に去年までは二、三人いらつしや
つた
そうですけれども、去年の七月大概
病氣
の人は
帰つて
しま
つたの
で、今のところ組織全体として二百人足らずの人が
残つて
おるのではないかと思います。
矢野酉雄
395
○
矢野酉雄
君 あなたの耳にこういうことが入らなか
つた
ですか。通化とかその他の山奥に
日本
の
兵隊
さんたちがまだ立籠
つて
おるとか、
残つて
おるというようなことは
一つ
もお耳に入らなかたのですか。
梁瀬美智子
396
○
證人
(
梁瀬美智子
君) 全然そういうことは聞いておりません。
淺岡信夫
397
○
淺岡信夫君
南陽ではどうですか。
梁瀬美智子
398
○
證人
(
梁瀬美智子
君)
日本
の方は一人もいらつしやいません。
淺岡信夫
399
○
淺岡信夫君
羅津
はどうですか。
梁瀬美智子
400
○
證人
(
梁瀬美智子
君)
羅津
にもいらつしやいません。
淺岡信夫
401
○
淺岡信夫君
図們、
延吉
、或いは
ハルピン
とかいろいろ言われましたが、一体
満州
に
日本人
がどのくらいおられるか。これは勿論あなたみたいな女性の方も、或いは曽ての軍医の方も、或いは一般邦人の方、或いは技術者で
残つて
おる人、そういうふうで、俗に
中共
地区と言いますか、或いは
満州
地区と言いますか、そうしたところにどのくらい
残つて
おるかということをお聞きにな
つた
ことはございませんか。例えば十二、三万
残つて
おるとか、十二万
残つて
おるとか……。
梁瀬美智子
402
○
證人
(
梁瀬美智子
君) はつきりしたあれは分りませんですけれども、まだ五、六万は
残つて
おるのじやないかと思うのです。
淺岡信夫
403
○
淺岡信夫君
五、六万は
残つて
おる、そういうふうにしよつちゆう聞かれるわけですね。
北條秀一
404
○
北條秀一
君
帰つて來
られる途中の
日本人
の状態についてのあなたの考えは分りましたが、
ハルピン
を立たれて
朝鮮
の
釜山
に來られる途中長い間かか
つて
いますが、
日本人
に会われたのはどことどこですか。
梁瀬美智子
405
○
證人
(
梁瀬美智子
君)
自分
は
京城
で会いました。
京城
でもお会いしたのですけれども、それは嫁に
行つた
方とお会いしたのです。
元山
で会
つた
方は技術者として……。
北條秀一
406
○
北條秀一
君
元山
は三人ですか。
梁瀬美智子
407
○
證人
(
梁瀬美智子
君)
元山
では三名程お会いしたのです。
北條秀一
408
○
北條秀一
君 その他は
牡丹江
でも図們でも南陽でも
日本人
にはお会いにならなか
つたの
ですか。
梁瀬美智子
409
○
證人
(
梁瀬美智子
君)
牡丹江
で会いました。
牡丹江
で会
つた
方は医務官の課長です。
北條秀一
410
○
北條秀一
君 それではお伺いしますが、
牡丹江
とか図們とかいう
鉄道
関係に元の満鉄社員は
残つて
いなか
つたの
ですか。
梁瀬美智子
411
○
證人
(
梁瀬美智子
君) それははつきり分りません。
北條秀一
412
○
北條秀一
君 それは会いもしなか
つた
し、聞きもしなか
つたの
ですか。
梁瀬美智子
413
○
證人
(
梁瀬美智子
君) はあ。
矢野酉雄
414
○
矢野酉雄
君 あなたの仲間に長野縣出身で十八、九歳と思いますが、大内さんという、
看護婦
に徴用された方は見なか
つた
ですか。
梁瀬美智子
415
○
證人
(
梁瀬美智子
君) それはどちらの方で徴用された方ですか。
矢野酉雄
416
○
矢野酉雄
君 あれは
牡丹江
です。
梁瀬美智子
417
○
證人
(
梁瀬美智子
君) 大内さんという方はいらつしたのですけれども、十九ぐらいの方でなくして二十七、八の方でしたらお会いしましたが、若い方は……。
淺岡信夫
418
○
淺岡信夫君
それでは
満州
では中國共産党の中に
日本人
の党員がお
つた
わけですが、
北鮮
の政府には、政治の方には
日本人
はいなか
つた
でしようか。
梁瀬美智子
419
○
證人
(
梁瀬美智子
君) おりませんでした。
淺岡信夫
420
○
淺岡信夫君
おるということも聞きませんでしたか。
梁瀬美智子
421
○
證人
(
梁瀬美智子
君) はあ。
淺岡信夫
422
○
淺岡信夫君
ちよ
つとお尋ねしますが、あなたが
元山
を出られるまでの間は、大体お聞きいたしたのですが、この
病院
においでになるとき、初めは
日本人
を看護されたのですが、さつきのお話ですと、ずつと終い頃は中國の人も看護なさ
つた
というのですが、そうした事実はどうですか。
梁瀬美智子
423
○
證人
(
梁瀬美智子
君) それは
中共
側の方ですね。
自分たち
は
日本人
の
兵隊
さんを看たというのは、
昭和
二十年の八月以前の負傷者を看たのです。その方をずつと看
ただ
けであ
つて
、今度は
中共
地区に
行つて
からは、一番多いところで一万近くからの
兵隊
……。
北條秀一
424
○
北條秀一
君 それは
中共
の
兵隊
ですか。
梁瀬美智子
425
○
證人
(
梁瀬美智子
君) それは
中共
の
兵隊
です。
淺岡信夫
426
○
淺岡信夫君
そうすると初め
ソ連
の
捕虜
にな
つた
その当時は若干
日本
の
人たち
を看護されてお
つた
わけでしよう。
梁瀬美智子
427
○
證人
(
梁瀬美智子
君) そうです。
淺岡信夫
428
○
淺岡信夫君
それで今度
捕虜
にな
つて
、
ソ連
兵が
引揚げたあと
、
中共軍
にあなたは渡されたのでしよう。
梁瀬美智子
429
○
證人
(
梁瀬美智子
君) はあ。
淺岡信夫
430
○
淺岡信夫君
その後はどうなのですか。
梁瀬美智子
431
○
證人
(
梁瀬美智子
君) その後もずつと……二十一年の七月
引揚げ
るまで
日本
の
兵隊
さんを看ておりました。
淺岡信夫
432
○
淺岡信夫君
そうすると
中共
の
兵隊
さんなり、或いは一般の人を看護されたということは余りないわけですね。
梁瀬美智子
433
○
證人
(
梁瀬美智子
君) いや、ずつと二十二年の二月、三月ごろからぼつぼつ入
つて來
たのです。方々の
部落
又は町なんかで
内乱
が起りまして、そうしてその
負傷兵
を看たのです。二十二年の半ば頃からどんどん入
つて來
ました。
淺岡信夫
434
○
淺岡信夫君
そうすると、二十三年の十二月に帰られるまでその間は殆んど
中共
の
兵隊
さんばかりを看護されたわけですね。
梁瀬美智子
435
○
證人
(
梁瀬美智子
君) そうです。
淺岡信夫
436
○
淺岡信夫君
その数は多か
つた
ですか。
梁瀬美智子
437
○
證人
(
梁瀬美智子
君) はつきり分りませんけれども、
自分たち
の
病院
だけでも一万から入れるような
病院
です。そこの
病院
に殆んど一杯で、入り切れない場合もありました。それで両方の
患者
さんを入れておりました。
淺岡信夫
438
○
淺岡信夫君
分りました。
北條秀一
439
○
北條秀一
君 先にも
新聞
の話が出たですが、その
新聞
はどういう
名前
の
新聞
でしようか。
日本人
の
新聞
ですね。
梁瀬美智子
440
○
證人
(
梁瀬美智子
君) 民週日報とい
つて
、
日本人
同士
だけで発行した
新聞
なのです。
北條秀一
441
○
北條秀一
君 それは毎日発行されておるのですか。
梁瀬美智子
442
○
證人
(
梁瀬美智子
君) 一週間に一回くらいじやないかと思います。
北條秀一
443
○
北條秀一
君 それから
ハルピン
に六百人程
日本人
がお
つたよう
ですが、この
日本人
は自由に往き來はできたのでしようか。
梁瀬美智子
444
○
證人
(
梁瀬美智子
君) ええ、自由にできました。
北條秀一
445
○
北條秀一
君 開拓團が六百人ばかり
ハルピン
会館にお
つた
といいますが、これは管理されてお
つたの
でしようか。
梁瀬美智子
446
○
證人
(
梁瀬美智子
君) 管理という
意味
じやなくして、そこに收容されているのです。收容というのは政府の方で見て呉れるのではなくして、
自分たち
の六百人の中で三百人程の元氣な人がお
つた
、その三百人の人があとの三百人を養
つて
行くというふうにして……。
星野芳樹
447
○
理事
(
星野芳樹
君) 行動は自由なわけですね。
梁瀬美智子
448
○
證人
(
梁瀬美智子
君) そうです。
星野芳樹
449
○
理事
(
星野芳樹
君) 町を通
つた
り買物をしたり、そういうことは自由なわけですね。
梁瀬美智子
450
○
證人
(
梁瀬美智子
君) そうです。自由に歩けるわけです。
北條秀一
451
○
北條秀一
君 それではお伺いしますが、
残つて
いる
日本人
は、
日本
の様子がみんな知りたか
つた
と思うのです。同時に又
日本
に手紙を出したいという希望を持
つて
お
つた
と思うのですが、それについて中國共産党の政治局の方では、手紙を出すことについて今禁止しておるのですが、それについてあなたのお考えはありませんか。例えば
日本人
が中國共産軍の政治局に、
日本
に手紙を出すことを許して呉れというようなお願いをしたというふうなことはありますか。
梁瀬美智子
452
○
證人
(
梁瀬美智子
君) そういうことはお聞きしたことはありませんですけれども、みんな
日本
に手紙を出したいということは言
つて
おりました。特に
ハルピン
に
残つて
おられる六百名の方なんかはお蒲團を持
つた
方
つて
一人もいらつしやいません。みんな眞綿衣を二、三枚配給を
貰つて
、それを被
つて
著て寝ている。そうしてそのお部屋は、このくらいのお部屋ですけれども、三十人又は四十人入
つて
います。冬でも全然石炭なんかないのです。その眞綿衣にくるま
つて
著のみ著のままで寝るという状態を約二年、三年は続けているのじやないかと思うのです。食べるものでも一番そこの
人たち
が悪いのです。
北條秀一
453
○
北條秀一
君 手紙を出したいというのはみんなが希望しているのですが、あなたが帰られるときには、この手紙を持
つて
行つて
呉れということを頼むのは人情ですけれども、誰からも頼まれませんでしたか。
梁瀬美智子
454
○
證人
(
梁瀬美智子
君) そこの方たちからは頼まれません。私は行かなか
つた
です。
自分
の
病院
の
看護婦
同士
からは頼まれたのです。約二、三十通の手紙を預か
つたの
ですけれども、それも持
つて來
ることはできませんでした。
北條秀一
455
○
北條秀一
君 それはどこでとられましたか。
梁瀬美智子
456
○
證人
(
梁瀬美智子
君) それは全然書いたものなんか……又
新聞
でも雑誌でも全然持
つて來
られないのです。
北條秀一
457
○
北條秀一
君 それは
ハルピン
を出るときに……。
梁瀬美智子
458
○
證人
(
梁瀬美智子
君) いや南陽で……。
北條秀一
459
○
北條秀一
君 南陽で二、三十通の手紙を沒收されたわけですか。
梁瀬美智子
460
○
證人
(
梁瀬美智子
君) ええ、そうです。
矢野酉雄
461
○
矢野酉雄
君 眞綿衣の中に何も入れないのですか。あのままの眞綿ですか。
梁瀬美智子
462
○
證人
(
梁瀬美智子
君) そうです。
矢野酉雄
463
○
矢野酉雄
君 凍傷なんかになる者はありませんか。
梁瀬美智子
464
○
證人
(
梁瀬美智子
君) 凍傷、それは、外に出るときはいろいろな恰好で出ておるのですけれども、殆んど十人お
つた
ら、働く人は四人とい
つた
ぐらいの割合です。そういうあれです。六人の人が四人の人を見て行かなければいけないということだから、生活がとても苦しい。そのために、幹部の方が十何名かが、政府の方に申込んだらしい。申込んだのに対して、政府の方では、監獄のようなものの中に入
つた
かどうか私は知りませんけれども、去年の十一月に留置場に入
つた
ということは
新聞
に出ております。それは
内地帰還
かなんかの運動をなさ
つたの
じやないかと思います。
北條秀一
465
○
北條秀一
君 お尋ねしますが、南陽であなたの友達の手紙を全部没收されたのですが、
満州
では持
つて
行くことを許して呉れたのに、南陽では、南陽に関係のない手紙をなぜそう没收されたか。それについてお考えはありませんか。
梁瀬美智子
466
○
證人
(
梁瀬美智子
君) それは
自分
個人で持
つて來
た。
向う
では、一切のテキスト又は書いた物は持
つて來
ることはできないと言われた。
北條秀一
467
○
北條秀一
君 どんな物でも……。
梁瀬美智子
468
○
證人
(
梁瀬美智子
君) はあ。
自分
は手紙ぐらいはいいだろうと思
つて
いたけれども、リユツクの下に入れて持
つて來
たのです。
向う
の方で檢査をされて……。
矢野酉雄
469
○
矢野酉雄
君 その六百人の人、今死を待つ人がそのうち六割ぐらいあるのですけれども、そういう人をあなたの四ヶ年間の尊い体験を通して、あな
ただ
けの考えで、こういう手を打
つた
ら
日本
に帰すことができる、こういう方法を打
つた
らどうかというお氣持から、その在
ハル
ビン
日本人
の救出の何か考えはありませんか。よく考えて下さい。
梁瀬美智子
470
○
證人
(
梁瀬美智子
君) まあ、そこの
人たち
は技術者として残されたわけでもなんでもなくて、
本当
に船さえあ
つた
ら帰れるのです。だから
日本
から相当或る程度の運動をして呉れないと、いつまでも帰れないのじやないかと思います。
天田勝正
471
○
天田勝正
君 その六百人の
人たち
の悲惨な状態に分
つて
おりますけれども、これは留め置いているのではなくて、要するに船やなんかがないから帰れないとその
人たち
は信じておるのですか。
梁瀬美智子
472
○
證人
(
梁瀬美智子
君) そうです。
天田勝正
473
○
天田勝正
君 あなたたちもそう思
つて
おりましたか。
梁瀬美智子
474
○
證人
(
梁瀬美智子
君) 私たちもそう思
つて
おります。
自分たち
は技術者として残されたのですからそうですけれども、この六百人、この
延吉
方面
に残されておる
人たち
は、どつちかとい
つた
ら直ぐ軍隊の後に入られたので、衣類なんかは十分にあ
つたの
です。一人に毛布なんかも六枚か七枚又、蒲團なんかも沢山持
つて
おります。一番困
つて
おるのは
ハルピン
の人です。
天田勝正
475
○
天田勝正
君 この際それらの
人たち
が、自主的にやらなければならんし、
帰つて
も來られないのに帰還運動をや
つた
というだけで主謀者が留置された。こういうことはあなたもお聞きですから分
つた
と思うが、どういう帰還運動をしたらいかんというのですか。分りませんか。
梁瀬美智子
476
○
證人
(
梁瀬美智子
君) それは
自分
もはつきり分らないのですけれども、それは、二十二、三年頃から、
向う
に
残つて
おられる
日本人
に対して、政治学者があるのです。そうして
本当
に
自分たち
が
自分
という個人を考えていなか
つた
ら、どこで勤務してもいいというあれにな
つて
しまう。
ただ
帰るという氣持を起すということは、やはりまだまだ反動的な言葉じやないかと思います。そのために……。
星野芳樹
477
○
理事
(
星野芳樹
君) それは、軍に徴用されておる
人たち
の何でしよう。今聞いているのは、
ハルピン
のは、何も
向う
の政府の仕事をしていないのでしよう。
梁瀬美智子
478
○
證人
(
梁瀬美智子
君) 政府の仕事をしていない者でも、一般
残つて
いる方はどんどん
教育
しております。やはりその組織の中には、いろいろ共産党員の方がいらつしやいます。あそこには、町なら町に、民衆学校であるとか、又はいろいろな学校が設けられております。そこで月曜日とか、火曜日とかいうものは、民衆学校に
行つて
、政治学とか、又はいろいろの学習を習う。それで残されているだけでなくして、もう現在のところでは、一般の方でも、学習をどんどんしております。
天田勝正
479
○
天田勝正
君 分りました。それでその
人たち
は、一般の人でも、政治学習が進んで、要するにさつきあなたの言
つた
ところの、成績がよいということになれば、帰れるわけですか。
梁瀬美智子
480
○
證人
(
梁瀬美智子
君) それは
自分
で分りません。いや、その方たちは、
日本
から船さえ持
つて
行つた
ら帰れるのではないかと、
自分
の考えで思
つて
おります。
天田勝正
481
○
天田勝正
君 それであなたたちの立場で、さつきの
思想
的な
五つ
の項目がありまして、その
五つ
の項目が成績がよくなれば帰られると、恰かも帰れるのが褒美のごとくな
つて
いるわけですか、ところが
向う
は、
政治教育
やなんかの場合は、この
教育
が、又この國が天國だというような教え方をするわけでしよう。当然。
梁瀬美智子
482
○
證人
(
梁瀬美智子
君) そうです。
天田勝正
483
○
天田勝正
君 そうすると、天國にいるのが、褒美に、要するに地獄の方へ帰すということはけたいなことを言うという理屈ですが、それを何の無理もなしに、聞いている人は押し付けられるから聞いているが、教える方は、それを何と説明するかという……。
梁瀬美智子
484
○
證人
(
梁瀬美智子
君) 天國とか地獄とかいうようなことでなくして、
本当
に
自分たち
は、今まで
日本
の政治というものも、全然私なんかには、そういうこともはつきり分らないですけれども、一番
最初
は、共産党というもの、それからよくその政治というものを習
つて來
ると、今までの
日本
の政治というものは間違
つて
お
つた
んではないかと思います。
本当
に
自分
一個人というものを考えないで、
自分たち
は人民のために闘うんだという氣持で、私たちはみんなが闘爭して來た。そのために、そういう氣持にな
つた
ら、どこで働いても、耕作するのは同じだという
意味
になるので、
帰つて來
るということはみんなは思
つて
いない。だからその地獄とか極樂とかいうことは、
自分
一個人のことであ
つて
、
本当
に
自分たち
は、幸福の世界を造り上げたら、それでこそ始めて極樂に行くんじやないかと思います。
淺岡信夫
485
○
淺岡信夫君
さつき政府からも徴用されていない六百の方が最も悲惨だとおつしやたことですね。
梁瀬美智子
486
○
證人
(
梁瀬美智子
君) はあ。
淺岡信夫
487
○
淺岡信夫君
そうしますと、今のようなお話から行くと、そうした
人たち
がどんどん政治学習をして行けば、幸福になられると思われますか。
梁瀬美智子
488
○
證人
(
梁瀬美智子
君)
自分たち
は、たとえそれが幾ら学習をしても、それはみんなの決心
一つ
だと思います。だから一人々々のあれではできないですから、
本当
に團結することであ
つて
、やはりその政治を作るその基礎というものがなか
つた
ら作れないと思います。
星野芳樹
489
○
理事
(
星野芳樹
君)
ちよ
つと伺いますが、その
看護婦
の方々の生活
状況
はどうなんでしようか。待遇は、食べ物とか着物とか。
梁瀬美智子
490
○
證人
(
梁瀬美智子
君) 待遇は、内地よりもずつと今のところいい。軍関係はとても待遇がいいです。
星野芳樹
491
○
理事
(
星野芳樹
君) とてもというような形容でなくて、どのくらいですか。主食は十分にありますか。
梁瀬美智子
492
○
證人
(
梁瀬美智子
君) 十分です。
星野芳樹
493
○
理事
(
星野芳樹
君) おかずはありますか。
梁瀬美智子
494
○
證人
(
梁瀬美智子
君) あります。
星野芳樹
495
○
理事
(
星野芳樹
君) どういう物を食べさせますか。
梁瀬美智子
496
○
證人
(
梁瀬美智子
君) おかずは、
日本
じや食べられないような、日常みんな支那料理です。衣服も一年三回、夏が二着と冬が一着、それにオーバーからなんか、みんな附きます。
天田勝正
497
○
天田勝正
君
ちよ
つと天國地獄論を……。
木下源吾
498
○木下源吾君 今の発言で、給料やなんかを。
星野芳樹
499
○
理事
(
星野芳樹
君) 今の、
看護婦
さんは、給料は貰えないのですか。全然お小遺も何もないのですか。
梁瀬美智子
500
○
證人
(
梁瀬美智子
君) それはお小遣はあります。
星野芳樹
501
○
理事
(
星野芳樹
君) どのくらい貰いますか。
梁瀬美智子
502
○
證人
(
梁瀬美智子
君) 一級から六級に分れています。で、大体
看護婦
の方は三級から四級にな
つて
おります。三級ぐらいで一万五千円から一万円ぐらいまでまあ
看護婦
は貰います。
星野芳樹
503
○
理事
(
星野芳樹
君) それは一月分ですか。
梁瀬美智子
504
○
證人
(
梁瀬美智子
君) ええ、そうです。
日本
の金にすると百五十円か百円ぐらいにしかならいのです。
木下源吾
505
○木下源吾君 今の金で……。
星野芳樹
506
○
理事
(
星野芳樹
君) 何も買えないですね。
梁瀬美智子
507
○
證人
(
梁瀬美智子
君) でも何も買う必要はないのです。皆配給になります。
木下源吾
508
○木下源吾君
病院
では
患者
はどういう
人たち
ですか。
梁瀬美智子
509
○
證人
(
梁瀬美智子
君) 主に前線で怪我された方です。
木下源吾
510
○木下源吾君 ああ軍の……そうしてあなたたちだけが
看護婦
してお
つて
、
向う
の人は……。
梁瀬美智子
511
○
證人
(
梁瀬美智子
君) いや、中國からも集ま
つて
おります。
木下源吾
512
○木下源吾君 それから
梁瀬
証人
にお尋ねするのだが、帰りたいという氣持は皆
一緒
ですね。
梁瀬美智子
513
○
證人
(
梁瀬美智子
君) ええ、あります。
木下源吾
514
○木下源吾君 そこで帰る方法について何か皆で相談でもしてお
つたの
ですか。
梁瀬美智子
515
○
證人
(
梁瀬美智子
君) いや、
昭和
二十一年二十二年度頃までは、皆どんなふうにしたら帰れるかということを口に出してお
つたの
です。段々
自分たち
に政治の行き方というものが分
つて來
たら、そういう特に軍関係におる方は帰りたいということは全然口に出さないのです。
本当
に
自分たち
はもう全世界が幸福にな
つて
から堂々と帰るのだということを殆んどの
看護婦
は言
つて
おります。
木下源吾
516
○木下源吾君 そこで何ですか。そうすると
向う
でも帰すというようなことについては、何というか、言わないのですか。
梁瀬美智子
517
○
證人
(
梁瀬美智子
君) まあ一番
最初
は、その入るときの約束としては
満州
國全体が解放されてから……。
星野芳樹
518
○
理事
(
星野芳樹
君)
満州
國ですか。中國ですか。
梁瀬美智子
519
○
證人
(
梁瀬美智子
君)
中共
ですね……だからどういう範囲なんですかね。
木下源吾
520
○木下源吾君 そうすると何ですか。こういうことになるのじやないかね。段々
教育
をされて、そうしてその
人たち
が
日本
に
帰つて
も、そういう
教育
の方針で
日本
で活動ができるようにな
つた
らば帰す、帰るがいいと、こういう氣持を皆持
つて
お
つたの
ですね。
梁瀬美智子
521
○
證人
(
梁瀬美智子
君) まあ持
つて
いないとも言えないですけれども、そういう氣持より、
本当
に
自分たち
は新らしい社会を造るのだという氣持でや
つて
おるのですね。
木下源吾
522
○木下源吾君 いや、新らしい社会はよろしいが、ですから
日本
に
帰つて
も
向う
で何か任務を與えられて一口に言えば……そうしてそういうふうにな
つて
からならば自由に帰す、帰るがいいというような氣持を持
つて
お
つたの
ですか。
梁瀬美智子
523
○
證人
(
梁瀬美智子
君) 持
つて
おりません。
木下源吾
524
○木下源吾君 それで今こちらから何さか手を打てば、
向う
へ何か響くような感じがしますか。何か手を打
つた
らば、
日本
の方でね。そうすれば
向う
から帰して貰えるような、まう何というか、
向う
に何かあてがありますか。あなたのお考えで……。
梁瀬美智子
525
○
證人
(
梁瀬美智子
君) それは軍関係の方にですか。
木下源吾
526
○木下源吾君 軍でも……まあどこか私らに分らんので聞いておるのです。
梁瀬美智子
527
○
證人
(
梁瀬美智子
君) 一般の方だ
つた
ら
日本
の方で相当運動して下さ
つた
ら帰れると思うのです。
木下源吾
528
○木下源吾君 運動の方法は先は一体どこに運動したらいいか……ラジオで放送だけしてお
つて
いいのですか。
梁瀬美智子
529
○
證人
(
梁瀬美智子
君) ラジオで放送してお
つて
も、帰國の運動というものはモスクワの方に入るから不可能じやないと
自分
は思いますが、とにかく
日本
の方でも一日も早く一人でも
日本
の方へ
引揚げ
さしたいという氣持があ
つた
ら何か
向う
への船を出すとか、又はそれに対して何か條件をつけるとかいうふうにしないと帰れないのじやないかと思います。
木下源吾
530
○木下源吾君 そうすると、迎いの船というと正式には
元山
切りより……それから先は……。
梁瀬美智子
531
○
證人
(
梁瀬美智子
君)
元山
でも
羅津
、清津、その
方面
まで行くと思うのです。
木下源吾
532
○木下源吾君 そうしたらこの帰るとき
元山
から船に乘
つて
……。
梁瀬美智子
533
○
證人
(
梁瀬美智子
君) 違います。
釜山
からです。
木下源吾
534
○木下源吾君
元山
で船に、
お金
を出せば乘れるという話があ
つたの
じやないですか。
梁瀬美智子
535
○
證人
(
梁瀬美智子
君) それは捉ま
つて
しま
つたの
です。途中で……。
木下源吾
536
○木下源吾君 捉ま
つて
しま
つたの
だが、今船をそこへやればと言うが、や
つた
つて
捉ま
つて
しまえば……。
梁瀬美智子
537
○
證人
(
梁瀬美智子
君) いや、それはそこの間には
ちや
んと
日本
の政府と
朝鮮
の政府と
連絡
をとらないとできないと思うのです。
木下源吾
538
○木下源吾君 こちらで
連絡
をとりますね。
朝鮮
でも
南鮮
でもとれるだけとる。とるが
向う
からとる
連絡
はどうしてつけたらいいのです。
梁瀬美智子
539
○
證人
(
梁瀬美智子
君) それは
向う
の共産党員の方のお話を聞きますと、幾ら
日本
の方に運動しても、今のところは船が
ちよ
つと來ない。それで船さえ來たら帰すというようなことを聞いたこともあるのです。
木下源吾
540
○木下源吾君 そうすると、相手は
日本
の共産党の
人たち
だね。こちらからいろいろ
連絡
するのは……。
梁瀬美智子
541
○
證人
(
梁瀬美智子
君) そうと思いますけれども……。
木下源吾
542
○木下源吾君
ただ
船だけや
つて
も
向う
から來なければ乘せて來られないでしよう。
梁瀬美智子
543
○
證人
(
梁瀬美智子
君) 軍関係の方は
ちよ
つと不可能だと思うのですけれども、一般の
ハルピン
とか
延吉
とかゐそういうところに
残つて
おられる方は、船さえ持
つて
行つた
ら帰して貰えるのじやないかと思います。
星野芳樹
544
○
理事
(
星野芳樹
君) それから
梁瀬
君に伺いますが、
看護婦
さんたちが若し
帰つて
しまえば、
向う
の
病院
は非常に困るわけですね。それに対して何か
看護婦
は
帰つて
も困らないような準備を
向う
でしていますか。
梁瀬美智子
545
○
證人
(
梁瀬美智子
君) それは
日本
の
看護婦
さんにしても、
本当
に眞から
自分
から愛國人民戰線に鬪うのだという氣持は半分以上の方があるのです。だから
日本
から船を迎えに
行つて
も
自分たち
はもう少しどつちか見通しがつくまでは帰らないという方がきつとおられると思うのです。
淺岡信夫
546
○
淺岡信夫君
先程木下先生がお尋ねにな
つた
件なのですけれども、船が
日本
から迎えに
行つた
ら帰れるのだ。これは
日本
の政府と、それから韓國の政府との話合いということが根本でしようけれども、そうしたことは別として、
日本
から船があるのだ。例えば
ソ連
地区から帰る。或いは樺太から帰る。そうした面に対してはもう三十ばい以上の船がいつでも用意してあるのだ。或いは凍
つた
ときにはそれを砕く砕氷船まで用意してあるのだというようなことをあなたは
向う
にいるときは、お聞きにな
つた
ことは勿論ないでしよう。
梁瀬美智子
547
○
證人
(
梁瀬美智子
君) ええ。
淺岡信夫
548
○
淺岡信夫君
それではこつちへ帰られてからそういうふうなことをお聞きにな
つた
ことはありますか。
梁瀬美智子
549
○
證人
(
梁瀬美智子
君) 聞きました。
淺岡信夫
550
○
淺岡信夫君
そうすると今あなたはお迎えに行く船はあり余
つて
いるのだということをよく御認識ですね。
梁瀬美智子
551
○
證人
(
梁瀬美智子
君) ええ。
木下源吾
552
○木下源吾君 そこでさつきの続きなんですが、軍関係は別として、
延吉
辺りに何万かの人がそういうところにおる。
梁瀬美智子
553
○
證人
(
梁瀬美智子
君) 百人です。
木下源吾
554
○木下源吾君 そういう人にどうしたら
連絡
がつくと思われますか。
梁瀬美智子
555
○
證人
(
梁瀬美智子
君) それは個人には
連絡
はつかないと思うのです。一番
連絡
のとり易いのは
延吉
の方です。
延吉
じなやくてもどこの政府にでも、こういうふうにして
日本人
の方が
残つて
おるということを聞きましたから連れに來ましたというふうに政府の方に
連絡
すれば、きつと政府の方が、
日本
の方に
連絡
すると思うのです。政府の方は
残つて
いる人に対しては帰す帰さんということは絶対言
つて
おりません。
木下源吾
556
○木下源吾君
向う
の政府というのは
中共
政府ですか。
梁瀬美智子
557
○
證人
(
梁瀬美智子
君) ええそうです。
木下源吾
558
○木下源吾君
中共
政府とこちらとの
連絡
がつかんのではないか。つかないから聞いておるんです。
中共
という政府と
日本
との
連絡
がつかないのです。今までの蒋介石、南京の政府とは
連絡
はどこでもつく。今は南京政府と
中共
とが戰爭しているんでしよう。それで
連絡
がつかない。こちらと
中共
の
連絡
がつかないんです。それをあなたは今までつくと思
つて
おられるかも知れんけれども、そうじやないのです。これをつかせたいからで、だからそれを今聞いているんです。どこかで何とかそれをつかせる工夫がないものかと、みんな始終心配しているのです。
梁瀬美智子
559
○
證人
(
梁瀬美智子
君)
自分
一個人の考えですけれども、とにかく
日本
じやなくして中國に渡らないと
連絡
ができないと思うんです。だから私たちは、
元山
へ
行つて
、
元山
まで
行つた
ら中國本部というのがあります。
元山
に中國日共本部というのがあるんです。
木下源吾
560
○木下源吾君 中國の日共本部ですか。
梁瀬美智子
561
○
證人
(
梁瀬美智子
君) ええそうです。そこに
連絡
したら
日本人
のおるところはどこでも分るんです。
木下源吾
562
○木下源吾君 場所は
元山
ですね。
梁瀬美智子
563
○
證人
(
梁瀬美智子
君) ええそうです。
木下源吾
564
○木下源吾君 そこへ行く
とつ
まり
向う
へ
連絡
……
向う
の機関があるわけなんですね。
梁瀬美智子
565
○
證人
(
梁瀬美智子
君) ええそうです。だからまあ私は船を持
つて
行つて
、そして中國なら中國に誰か
連絡
に行くというふうにした方が一番早いんじやないかと思います。
星野芳樹
566
○
理事
(
星野芳樹
君)
皆さん
にお諮りいたしますが、十二時を過ぎて参りましたが、今の木下さんの非常に注意されている
質問
ですが、
一緒
に來ておる日和佐という人が、相当の資料を持
つて
いるわけなんです。それでどういうようにいたしますか。続けてお聽きして、
梁瀬
さんからその前に話して頂きますか。
木下源吾
567
○木下源吾君 もう少し時間がかかると思うから、後でもいいと思うのです。
星野芳樹
568
○
理事
(
星野芳樹
君) そうすると休憩して午後からいたしますか。
北條秀一
569
○
北條秀一
君
証人
の話は速記を取
つて
や
つて
いるわけですから、補足的な説明、
質疑應答
は懇談にでもしたらいい。
星野芳樹
570
○
理事
(
星野芳樹
君) それは勿論懇談のときになるわけですが、
ただ
非常に資料を持
つて
いるらしいので……。
北條秀一
571
○
北條秀一
君 だから改めて喚問したら……。
矢野酉雄
572
○
矢野酉雄
君 今
委員
長が、
自分
勝手な議事進行の動議を出しているが、今の
委員
長の動議をどうしますか。
星野芳樹
573
○
理事
(
星野芳樹
君) 矢野
委員
に御注意しますが、発言は少し言葉をお愼みにな
つて
よろしいと思うのです。
自分
勝手な、子供に物を言うような、
委員
長に対して会議の型式でないということは、反省を求めるもんです。反省を求めます。
矢野酉雄
574
○
矢野酉雄
君 反省します。
木下源吾
575
○木下源吾君 私は只今
質問
してお
つたの
ですが、もう少し行けば私は明瞭になる。
星野芳樹
576
○
理事
(
星野芳樹
君) それじやもう少しこれを続けて、お晝の休憩にしますか。 〔「賛成」と呼ぶ者あり〕
木下源吾
577
○木下源吾君
元山
は
北鮮
ですね。
梁瀬美智子
578
○
證人
(
梁瀬美智子
君) そうです。
木下源吾
579
○木下源吾君 そうすると、あなたが
元山
から南の方へ來るときも、相当に苦労されたんでしよう。
梁瀬美智子
580
○
證人
(
梁瀬美智子
君) ええ。
木下源吾
581
○木下源吾君 そういうような、こつちの船が
元山
まで行くのもやはり相当苦労しなければいかんと思うのです。
北鮮
と
南鮮
と違うのですから……。そこで
元山
まで船が行けば、
向う
は來られると思
つて
おりますか、
元山
辺りの人は……。
梁瀬美智子
582
○
證人
(
梁瀬美智子
君) これは
自分
は
元山
でも
南鮮
でも聞いたんですけれども、それは
日本人
はとにかく
日本
に帰るのが当り前であ
つて
、ここが
通り
路にな
つて
おるんだ。だからいつでも通すということは聞いたんです。これも政府関係の方から聞いたんですが……。だから、やはり或る程度
日本
と
朝鮮
の政府が
連絡
を取
つた
ら、帰して貰えるのでないかと思うのです。
木下源吾
583
○木下源吾君 あなたが今度帰るときに、南と北の國境があ
つた
でしよう。
梁瀬美智子
584
○
證人
(
梁瀬美智子
君) はあ。
木下源吾
585
○木下源吾君 そこの所では、
ただ
密航でや
つて來
たのか、正式に話合いで來たのか。
梁瀬美智子
586
○
證人
(
梁瀬美智子
君) 密航です。
木下源吾
587
○木下源吾君 密航でなければ來らない。
梁瀬美智子
588
○
證人
(
梁瀬美智子
君) それはそういう正式のあれじやないから、來られないわけですね。でも、
日本
と
朝鮮
の
連絡
の下でしたら堂々と來れるのですけれども、個人では
ちよ
つと來れないのでないか。
天田勝正
589
○
天田勝正
君
証人
の証言が時々変る。あなたはさつき
証明
を持
つて來
たと言い、今度は密航だと言う。密航じやないでしよう。
梁瀬美智子
590
○
證人
(
梁瀬美智子
君)
証明
というのは、中國から乘るという
証明
です。ですから、ここから來る船じやないのです。
ただ
朝鮮
でなくして、中國から來る人を
日本
に帰すという船の
証明
であ
つて
、その船が
お金
渡して乘せる船であ
つた
から、途中で捉ま
つた
。その
証明
というのは船まで堂々と乘る
証明
でない。
木下源吾
591
○木下源吾君 私のは大体分りました。
星野芳樹
592
○
理事
(
星野芳樹
君) 中國から
日本
に
帰つて
いいという
証明
を持
つて來
たんですね。
天田勝正
593
○
天田勝正
君 たまたま
元山
で出航した船が
密航船
であ
つた
というなら分る。
北鮮
から
南鮮
に移るのに密航でなければ來れませんかいう木下
委員
の
質問
に対して、それは密航だと言
つた
から、それはさつきと違うと言
つた
んです。
木下源吾
594
○木下源吾君
日本
政府と北の政府と言いますか、それが了解つくかつかないかということを見通しを、現在や
つて來
られておるからお聞きしておるわけで、それがつきさえすれば、
元山
まで船を堂々とやれる。そういう点で今お聞きしたわけです。
北條秀一
595
○
北條秀一
君 大体
質問
は済んだようですが(「まだある」と呼ぶ者あり)最後に私のお聞きしたいのは、この
釜山
を出発するときに、
密航船
に乘られるときに……
密航船
に乘られたんでしよう。
梁瀬美智子
596
○
證人
(
梁瀬美智子
君)
密航船
には乘
つて
おりません。
釜山
を出るときに……。(「
元山
」と呼ぶ者あり)
矢野酉雄
597
○
矢野酉雄
君
終戰
の当時殆んど開拓團の小父さんたちは應召したわけで、その後には奧さんが何人かの子供を抱きながら、開拓團の廣い土地を耕しておる。その旦那さんたちが殆んど帰ることができないようにな
つて
しま
つて
、シベリアに連れて行かれておる。あの開拓團の大部分のお嫁さん、あの遺家族なんかはどういうようにな
つて
おられるか。あなたは長い間のあちらの御経驗でお話を聞かれたり、或いは御推定にな
つて
おる感じは如何ですか。
梁瀬美智子
598
○
證人
(
梁瀬美智子
君) そういう開拓團の方は殆んど二十一月七月に
引揚げ
てしま
つて
おる筈です。
引揚げ
て來ない方は
ハルピン
にまだ六百名
残つて
おる中に入
つて
おるのです。奧の方におられる方は十人に四人くらいは、
襲撃
されて殺された方もいらつしやるし、
病氣
で亡くな
つた
方もいらつしやるのです。
矢野酉雄
599
○
矢野酉雄
君 滿州の方々のお嫁さんとしてもそのまま残らざるを得ない方々があるのですか。
梁瀬美智子
600
○
證人
(
梁瀬美智子
君) 沢山おります。
自分
の記憶だけでも二万人以上……。
矢野酉雄
601
○
矢野酉雄
君 二万人以上の
日本
の婦
人たち
が滿州のお嫁さんにな
つて
おるわけですね。速記を止めて……。
星野芳樹
602
○
理事
(
星野芳樹
君)
ちよ
つと速記を止めて。 〔速記中止〕
星野芳樹
603
○
理事
(
星野芳樹
君) 速記を始めて。
矢野酉雄
604
○
矢野酉雄
君 それで私の
質問
を終ります。
天田勝正
605
○
天田勝正
君 先つき六百名の方の生活が非常に悲惨である一方、あなた方が
政治教育
を受けて、その
政治教育
を実践することが幸福であるということにな
つて
おるのですが、それでどうして同胞がそう悲惨なのに片方は給與を受けて全部配給で金が要らないという生活をしてお
つて
、又食物も
日本
で食えないような給與を受けながら、助けたいという氣持が起きないのは不思議だと思いますが、それはどういうわけですか。それらの人々が
政治教育
を守らないから、まあ極端にいえば外道だから構わないという考え方ですか。
梁瀬美智子
606
○
證人
(
梁瀬美智子
君) そういうあれではないですが、
自分たち
現在
残つて
おる
人たち
にはそういう氣持は起るのですけれども、そこまで行けないのです。
天田勝正
607
○
天田勝正
君 持
つて
おるが、許可しないのですか。
梁瀬美智子
608
○
證人
(
梁瀬美智子
君) 許可しないわけでもないですけれども、まだそこまで
自分たち
として助けて行くというところまでは、
自分たち
の生活が裕かでないということもいえると思います。
天田勝正
609
○
天田勝正
君 裕かでない……。
梁瀬美智子
610
○
證人
(
梁瀬美智子
君) はあ、
一つ
は六百名の中には半分以上は働ける人はまだおるのですが、又怠ける人が相当多いわけなんです。
自分たち
はいつ
日本
に帰れるか分らないし、働いても
日本
には金も持
つて
行けないし、どうせここに置いて行くんだ、そういう嫌な氣持を持
つて
おられる方がいらつしやるんです。そのために積極的に働く人は皆んなのために働くし、又心の間違
つて
おる人はそういうふうにずるけるとい
つた
ために、皆んなが團結というものがないからそういう生活に陷
つて
いるんではないかと
自分
は思
つて
います。
天田勝正
611
○
天田勝正
君
從つて
それを助けても何にもならん、こういうことになるんですか。
梁瀬美智子
612
○
證人
(
梁瀬美智子
君) 何もならないということもないですが、そこまでは軍に入
つて
いる人は行けないのです。
天田勝正
613
○
天田勝正
君 第二に
中共
と
ソ連
と引継をや
つた関係
から見まして、
中共
側から
ソ連
には幾らでも
連絡
がとれるのですか。
梁瀬美智子
614
○
證人
(
梁瀬美智子
君) はあ。
天田勝正
615
○
天田勝正
君 そうすると、シベリヤからは幾らでも、先つきもあなたが承知しておられるように碎氷船も用意されておる船が余
つて
おる、シベリヤの方へ廻して、要するに
中共
の方が一般人はどんどん還えすという方針さえ決まればそつちを通して還えし得るということは想像されておるわけですか。
梁瀬美智子
616
○
證人
(
梁瀬美智子
君) それもずつとラジオでも聞いております。
天田勝正
617
○
天田勝正
君
中共
の方へ
連絡
が
日本
からつかないでも、
ソ連
さえ
連絡
がつけば、要するに
中共
さえその意志があれば還えせるわけですか。
梁瀬美智子
618
○
證人
(
梁瀬美智子
君) そうです。
淺岡信夫
619
○
淺岡信夫君
ちよ
つとお尋ねいたしますが、滿州地区ですね、
中共
地区と
北鮮
地区とそれから
南鮮
地区ですね、その汽車はいずれがよろしうございますか。
梁瀬美智子
620
○
證人
(
梁瀬美智子
君)
北鮮
が一番よか
つた
と思います。
淺岡信夫
621
○
淺岡信夫君
それからこれは今あなたも御存じのように
日本
は保障占領下において独立していないですから、勝手にわきの國と交渉できないですね、これはもうマツカーサー司令部を通じてやるよう以外にないですね、仮に
元山
なら
元山
にマツカーサー司令部がお許しにな
つて
、そうして船をどんどん廻すというようなことが決ま
つた
場合におきましてね、勿論それが決まればラジオを通じて
中共
地区或いは
北鮮
地区におる
人たち
にも分りましよう。
梁瀬美智子
622
○
證人
(
梁瀬美智子
君) 分ると思います。
淺岡信夫
623
○
淺岡信夫君
そうした場合にどんどん
中共
地区の
人たち
が、当事者が人を還えして呉れるようなふうな氣持がありますか、ありませんか。
梁瀬美智子
624
○
證人
(
梁瀬美智子
君) 現在のところ
自分
としては技術者の人は不可能だと思います。
淺岡信夫
625
○
淺岡信夫君
技術者の人は不可能ですか、その他の方々はどうですか。
梁瀬美智子
626
○
證人
(
梁瀬美智子
君) その他の方々は還えして貰えると思いますが……。
淺岡信夫
627
○
淺岡信夫君
それでは船を
元山
なら
元山
に廻して頂くというようなことを、
日本
の國民なり政府なりが司令部にお願いする、そうして司令部はそれをお許しになるということになれば見通しがつくわけですね。
梁瀬美智子
628
○
證人
(
梁瀬美智子
君)
自分
一個人の考えでは見通しはつきます。
淺岡信夫
629
○
淺岡信夫君
先程
中共
地区に
残つて
おる
人たち
が五、六万人あるように
自分
は聞き及んでおるとおつしやいましたが、その五、六万人の同胞は、これはどういうふうな人ですか、そういうことは分りませんか。
梁瀬美智子
630
○
證人
(
梁瀬美智子
君) 主に軍関係ですね。
淺岡信夫
631
○
淺岡信夫君
そうすると、私共が聞きますには、十二、三万の人、或いは十四万に近い人が
中共
地区に
残つて
おるのだということを聞かされるのですが、そういうようなことはあなたは
向う
においでにな
つた
ときにお聞きにな
つた
ことはありませんか。
梁瀬美智子
632
○
證人
(
梁瀬美智子
君) 大概私は方々の
病院
を廻
つて
、大きい
病院
は殆んどという程
廻つたの
ですが、そこでは
ちや
んと
ハルピン
なら
ハルピン
で
日本人
がどのくらいおるということを一年に一回か二回
新聞
に載つける、その結果まあ聞いた話が五、六万おるだろうというような……その滿人、中國人の妻にな
つて
おるその方たちを入れてそのくらいおるというように聞きました。
淺岡信夫
633
○
淺岡信夫君
それは中國人、或いは滿人の方々の夫人にな
つて
おる方も入れて五、六万人ということですか。
梁瀬美智子
634
○
證人
(
梁瀬美智子
君) そうです。
淺岡信夫
635
○
淺岡信夫君
そうするとその五、六万人おるということをお聞きになるのは
日本人
の方から聞くことが多いのですが。
梁瀬美智子
636
○
證人
(
梁瀬美智子
君) それは
日本人
からです。
淺岡信夫
637
○
淺岡信夫君
或いは滿人の方なり、言うの
中共
の方々から、或いは
朝鮮
の人から、
日本人
はこれくらいおるぞということをお聞きにな
つた
ことはなか
つた
ですか。
梁瀬美智子
638
○
證人
(
梁瀬美智子
君) ありません。
木下源吾
639
○木下源吾君 二つだけ……。
一つ
はね、あなたは
日本
に還
つて來
て見て……、何年か
日本
にいなか
つた
わけですね……、還
つて來
て見てどういうように感じましたかね。
日本
が家も何も
本当
になくな
つて
しま
つて
いる、食うものもない、そういうようなことを、例をいえば、そういうようなことを
向う
でいろいろ聞かされたり、想像したりしたことが、
日本
の実際とはどれだけ合
つて
お
つた
か、その感じを話してみて貰いたいのが
一つ
、もう
一つ
はあつちでは主として
日本
共産党があなたを
教育
したわけですね、そうでしよう。
梁瀬美智子
640
○
證人
(
梁瀬美智子
君) 両方から……。
木下源吾
641
○木下源吾君 両方から
教育
された。今度還るときに何か任務を與えたかどうか、その三十人か五十人かの人が任務を與えたかどうか、その二つ。
梁瀬美智子
642
○
證人
(
梁瀬美智子
君)
自分
が一番
日本
に還
つて來
て、
向う
で考えていることと、又こつちへ還
つて來
てからの
感想
は、
向う
におるときはまだまだ
日本
という国はこんなに発達していないと思いました。物貨もいろいろな物もこんなにあるとは思
つて
いなか
つた
。一番感じたのは、宗教というものが一番先に倒れているだろうと思
つたの
です。その宗教がまあ前よりよく発達しているということは一番主に考えられたのであります。
木下源吾
643
○木下源吾君 その外に……。もう
一つ
は、先つきあなたの言うた共産党で、
向う
で
教育
を受けて、
教育
というか、いろいろ何してお
つて
、
日本
へ還
つた
らばお前たちは何かどうするとか、こうするとか……。來るときには皆と
一緒
にな
つて
還
つて來
たのでしよう。
梁瀬美智子
644
○
證人
(
梁瀬美智子
君) はあ、別に
自分たち
何十名か還
つたの
ですが、共産党の方から
日本
に
行つて
こういうことをやれというようなことは絶対に指導を受けて参りません。
ただ
自分たち
が、
本当
に
自分
ということを捨ててしま
つて
、そうして闘爭して呉れというようなことは、その日に言われなくてもずつと前から言われておりました。
北條秀一
645
○
北條秀一
君
証人
の
梁瀬美智子
さんにお伺いいたしますが、あなたの御心境、現在
日本
に還
つて來
てからのあなたの氣持を聽きたい、
満州
にまだ沢山の人が
残つて
いるのですが、その中の軍の仕事をしている人は比較的安定した生活をしてお
つて
、他の人は全く悲惨な生活をしていることはよく分りましたが、あなたは滿州に
残つて
いる人を一日も早く
日本
に還えすようにしたいと考えますか。
梁瀬美智子
646
○
證人
(
梁瀬美智子
君)
自分
の考えでは
本当
に一日も早く軍関係の方はそういう氣持もありますけれども、主に苦労なす
つて
いる人を一日も早く救
つて
あげたいという氣持であります。
北條秀一
647
○
北條秀一
君 軍関係の方もそうだというように言いましたが、軍関係に働いている
人たち
も一日も早く還えして上げたいという考えですか。
梁瀬美智子
648
○
證人
(
梁瀬美智子
君)
自分
の氣持としては、同じ
日本人
同志であれば還えしたいという氣持はあります。私の今の氣持としては、たとえどこで勤務しても同じなんだし、又
向う
では
本当
に人民のために闘
つて
いる
兵隊
さんたちを看護しているわけなんです。今のところ
日本
の
看護婦
、お医者さんたちを皆んなこちらに連れて來ると、向こう方が困るということにな
つて
しまうのであります。そうすると
自分たち
の希望
通り
の道に進めないということにな
つて
しまうのじやないかと思います。だから私の氣持としては
本当
に全世界が独立されて、そうしてどこにでも行けるようにな
つて來
るまで、そこで勤務して貰うし、又
自分
も
日本
に上
つて
闘爭して行きたいという氣持です。
伊東隆治
649
○伊東隆治君
梁瀬美智子
さんの御家族の状態を
一つ
伺
つて
置きたいと思います。
梁瀬美智子
650
○
證人
(
梁瀬美智子
君) 私の家は職人なんです。職人ですけれども父は亡くな
つて
、
昭和
二十一年に亡くなたつのです。
自分
の父は大体二十一、二才の頃から天理教という宗教に入
つて
いるのです。そのために父は全然天理教一方の宗教に入
つて
、家庭は
本当
に悲惨で、兄弟も多か
つたの
です。そういうために
自分たち
はとても苦労な生活を
通つて來
たのです。今度還
つて來
るまでは、
自分
に十人の兄弟がおるのに、二人の兄は奈良の方の天理教の学校に
行つて
いますけれども、
自分たち
の家は職業という点で貧しい生活ではあるし、学校も卒業できなか
つたの
です。そのために
自分
は
日赤
の方に志願して
行つたの
です。今度還
つて來
てからも、
自分
が
満州
におるときも、
本当
に
自分
というものを捨ててしま
つて
、
自分
は一労働者とな
つて
闘爭して行くという氣持で還
つて來
たのです。還
つて來
て見ると、
自分
の家庭が天理教という宗教であるし、姉やら又兄も皆天理教の教師としてずつと布教して歩いておるのです。そのために
自分
の現在
向う
を教わ
つて來
た
思想
に
本当
に反対して進むということも現在のところ迷
つて
おります。
伊東隆治
651
○伊東隆治君 お母さんはおいでになりますか。
梁瀬美智子
652
○
證人
(
梁瀬美智子
君) 母はおります。
淺岡信夫
653
○
淺岡信夫君
大体今の御心境よく分りました。尚御家族の状態も分りましたが、これは一言でよろしいのですが、あなたが
向う
においでにな
つた
当時と、こつちへ還
つて來
た今の心境と、なかなかむずかしい問題かも知れませんが、やはり還
つた
方がよか
つた
と思われたのでしようか、或いは
向う
にお
つた
方がよか
つた
と思われたでしようか。
梁瀬美智子
654
○
證人
(
梁瀬美智子
君) 私の今の氣持としてはもう少し
向う
で学習して來た方がよか
つた
と思います。
星野芳樹
655
○
理事
(
星野芳樹
君) 大体このくらいで
質問
はいいでしようか。
淺岡信夫
656
○
淺岡信夫君
今、あなたがもう少し
向う
で学習してお
つた
方がよか
つた
ということになりますと、今
中共
地区にあなたは五、六万おると言われた、
日本
の内地の人は十二、三万おるというふうに常識にな
つて
おるのですね、そうするとこの十二、三万の家庭の人を入れると殆んど百万近い人が一刻も早く還えして頂きたいということで、血書もされれば大勢の五百人近いにが集團的に断食をされる、或いはいろいろな北海道から九州の廃まで都市といわず村といわず一日も早く還えして頂きたいという叫びが、実に悲痛な叫びであり、悲痛な祈りとな
つて
おるのです。ところが今、美智子さんおつしやいましたが、いや私は還
つて來
たけれども、
向う
でもう少し勉強してお
つた
方がよか
つた
方がよか
つた
んでというようなお言葉を伺いますと、逆の結果大きなものが生れて來るのですね、そんな点をあなたお含みにな
つて
どうこうということは別問題といたしまして、併し
向う
にお出でにな
つて
おられる人は一應やはり還りたいという氣持は
一つ
ぱいなんでしよう。
梁瀬美智子
657
○
證人
(
梁瀬美智子
君) それはあります。
自分
はもう少し
向う
で学習して來たいという氣持は
本当
に何万の中から
自分たち
少数の人が還えされた、まあそれもあるし、
本当
にまだまだ
自分
という理想が学習の浅いためにふらふらだという氣持が中には入
つて
おります。
淺岡信夫
658
○
淺岡信夫君
それはあなたが
向う
から看護の
附添
として還えされるときに、あなたのお友達や何か、あなた還ることにな
つて
よろしうございますねというふうに羨しがられませんでしたか。
梁瀬美智子
659
○
證人
(
梁瀬美智子
君) いや、それはそういうことは絶対言いませんでした。
ただ
自分たち
はまだまだ
中共
地区において
本当
に愛國人民戰線のために闘うから、あなたも
日本
に還
つて
闘
つて
呉れというような、
本当
にお互いがどこにお
つて
も團結して通
つて
行きましよう、それだけのことだ
つたの
です。
星野芳樹
660
○
理事
(
星野芳樹
君) 大体このくらいでよろしうございましようか。そうすると午後の喚問は必要はないでしようか、これで終
つた
ことにしてよろしうございましようか。
淺岡信夫
661
○
淺岡信夫君
よろしゆうございます。
星野芳樹
662
○
理事
(
星野芳樹
君) それでは在外同胞引揚に関する
特別委員会
の本日の会議はこれを以て終了いたします。 午後零時三十九分散会 出席者は左の
通り
。
理事
天田 勝正君 淺岡 信夫君 星野 芳樹君
委員
木下 源吾君 伊東 隆治君 小畑 哲夫君 木内キヤウ君 北條 秀一君 穗積眞六郎君 矢野 酉雄君
証人
梁瀬美智子
君