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説明員(
高野與作君) 私は
経済安定本部の
建設局長高野であります。今
國会の私は
政府委員にはまだ
指名されておりませんのでありますが、少くとも
只今の問題の私は
経済安定本部の担当者といたしまして、お答えをさせて頂きたいと思います。私は実は
満州國に二十数年間、過去の殆んどのすべてを捧げて來て、
満州生活というものを十分知
つておる一人でありますが、特に
満州におられる
開拓者諸君の現地の御奮闘の模樣、又終戰の当時の、御主人が殆んど動員されて、おられない御家族
たちの困難なあの状況など目の当り見て來ておる一人であります。
從つて昨年あたりも出先
会長初め幹部の各位が、この
満州引揚開拓者の措置のために日夜健闘しておられる状況を目の当り拜見いたしまして、心から敬意を拂
つてお
つた一人であります。ところがこの終戰
以來政府が
開拓計画というものを堂々と政策を打立てまして、百五十五万町歩の
開拓政策を天下に発表して、そうして進行して参
つたわけでありますが、顧みてみまして二十一年頃が最盛期でありまして、私の調べによりますと、
内地、北海道合せて四万二千百戸の
入植者を送
つておるのであります。それから二十二年、二十三年と尻下りになりまして、二十二年では二万二千四百戸、二十三年には一万二千戸と、こういうふうに下
つて参
つております。初に大きく旗を上げたのにも拘わらず、それを実行して行く覚悟ならば、今年あたりはすでに最盛期に到達しておらなければならん事業計画であると私は思うのであります。然るにも拘わらずその後の
日本の
経済情勢の変化と申しましようか、初に考えた
通りには
日本の敗戰というものはそうなまやさしいものではなか
つたと、こういう
関係でもありましようか、この百五十五万町歩の
開拓計画はおろか、ほんの一部僅かの部分を今日遂行しておるに過ぎないのであります。この点につきましては私共
当局者といたしまして全く申訳ない心苦しい立場に置かれておるのであります。さてその今
年度、二十三
年度もいよいよ終るのでありますが、私共二十四
年度の公共事業費
予算を編成中でありますが、漸く新内閣も成立いたしまして、やつと昨日わが新大臣が見えまして、まだ私は直接私共が立てております
予算について御報告し、指示を仰ぐ段階ではないのでありまして、その点ここではまだ申上げる時期ではないと思うのであります。特に今年は、來る二十四
年度はいろいろな点におきまして模樣が今までとちよつと違
つたことになりはせんかという予想を持
つておりまして、どうしてもこの現内閣の方針が明らかにならなければ、私共は
予算を本当に組むわけには参らんと、こう
思つておるのであります。
そこで併しながらこの公共事業費全般につきまして、今
年度各省から
要求になりました三千数百億というものをいろいろな内容を調査研究いたしまして、そして今日
日本の現状におきまして、公共事業費が負担して行かなければならん事業内容というものは、非常に明瞭にな
つて参
つております。方針の確定と共にいつでも私共はこの
予算を編成し得る態勢にはな
つております。併し一應私の事務的な考え方では、新規
入植の数は一番うまく行
つて二十三
年度の
数字くらいのものではないだろうか、それから或いは
経済九原則の忠実な実行によ
つて、もつとそれよりも悪くなるか知らんが、決してよくならんのではないか、こういうふうに私今情勢判断をしておるのであります。私が扱
つておりますこの公共事業費全般に亘りましてひとり
開拓関係のみならずその他の部門も、
政府が約束しながら公共事業費の圧縮によ
つて、國民への約束を果しておらんという面が非常に沢山ありまするので、今年あたりは相当思い切
つてこの公共事業費の
予算の
総額を拡大して、そうして今まで不履行、不義理をしておる
政府の約束を相当
程度に果さなければならんということが一点と、更に年々続けて起ります國土の荒廃、災害という問題に画期的な手当をしなければならんと、こういうふうに私共は担当者として実は考えております。
從つてそういう見地からこの二十四
年度の
予算の編成を実はしたいと考えておるわけでありますが、先程申しました
通り、ここ一両日中に大臣にも報告いたしまして、御指示を仰ぐと、こういう段階にな
つております。以上
簡單でありますが……。