○
説明員(
安藤晝一君) それではいわゆる
産兒制限という問題の極く大要だけを主として
実施方法に関する、まあ大まかな御参考になりそうなことを申上げたいと思います。そこに私のお話しようとする順序を書き出してあります。それについてとお聽きを願いたい。
先ず余計なことでありますが、第一の
人口制限法の問題でありますが、
人口の
制限法に
二つの
種類を分けております。
受胎ということを境界としまして、
受胎前に手を着ける
方法と、
受胎後、……
受胎ということは
妊娠という
言葉でも構いませんが、
妊娠する前に手を着ける
方法と、
妊娠した後に手を着ける
方法と二
通りあります。即ち
妊娠する前に手を着ける
方法は
受胎調節法、或いは
受胎防止法と
言つております。これはいわゆる
産兒制限法であります。それから
受胎後に、即ち
妊娠後に手を着ける
方法に二
通りありまして、
人口妊娠調節であります、或いは法律の方では堕胎と申します。もう
一つは生れて子供を直ぐその場所で窒息死する
方法、即ちこれは
日本でも相当
徳川期及び明治の初め頃に行われておりました、
間引きと称するこれは
嬰兒殺であります、この
方法が
二つあります。この
二つの
方法を比較して見ますと相当
違つた点があるのであります。そこに書いてあります比較の対象となりますのは、法規上の問題と、それから
母性保護の面からい
つた二つでありまして、この
受胎前に手を着けるか、後に手を着けるかということに非常に差ができるわけであります。
第一法規上の問題は
御存じの
通り受胎後に手を着けますと
妊娠中絶、堕胎という法規に触れます、故なくしてやると……、それから
間引きと称する
嬰兒殺は
殺人行爲になります。要するに法律上に嚴として禁止されております。罰が設けられております。ところが
受胎前にはまだ何もできていないのであります。意義が全然変
つて参ります。大体法律では主として生れて呱々の声を挙げた瞬間から人となるのでありますが、私共
医学の方面、殊に
産婦人科の方面では、もうすでに
受胎後から入と看做すのであります。この見方は諸
外國においても同じであります。特に宗教、
キリスト教、その中でも
カトリツクは、もう
受胎後のまだ生れない前の胎兒を
人間としてみなしておる。
医学でも大体そういうふうにみなしております。でありますから
受胎した後の取扱いと、
受胎前の取扱は余程本質的に
変つた点があるのであります。でありますから、今度の
優生法案では
受胎後の問題が取扱われて、
受胎前の問題は全然取扱われていなか
つたのを、私共はどういう理由か、これは了解に苦しんでお
つたのであります。今度新たにその方面のことは審議され、立案されると聞いて大変期待しておる次第であります。その問題が今日の問題であります。
それで第一の問題は終りまして、その次にそれでは
現代において、
受胎調節法を称しておるものは即ち
受胎前に処置する
方法はどういう
方法があるか、
現代と申しましたのはこの
調節法は非常に沢山
種類があるのであります。実際に現在に、今、今とい
つて日本だけじやありませんが、
世界で実際行われておる
方法にそんなに沢山はないのであります無論國によ
つて幾らか事情が違いますが、これを
日本だけに限りまして
現代日本において行われている
受胎調節法は、あそこに書いてあります
通り二
種類に大きく分けられるのであります。第一に
予防的性交
第二は
受胎的禁慾法というのであります。第一の
予防的性交法というのは普通に狭義に狭い
意味に避妊と称しておる
方法であります。それは
言葉が現わしております
通りに、
性交をしながら
受胎することを予防するのであります。そういう
意味で
予防的性交法、これが一番正しい言い現
わし方であります。無論これを
産兒制限と今まで
言つてお
つたのであります。或いは新
マルサス主義的方法、
ドイツではそういう
方法が相当長く、
日本でもいいと
言つて使われまして、新
マルサス主義的方法は
サンガーが申しました、
バース・コントロールを
日本語に訳しまして
産兒制限と称しておるのでありますが、実際この
言葉の
意味は
御存じだろうと思いますが、まあ私共元、関係しておりました。
人口政策委員会で一昨年の
正月結論をつけましたときにどうも
バース・コントロール、
産兒制限ということは
嬰兒殺までも加わる、
言葉の
意味においては、それから少くとも
人口妊娠中絶も
産兒制限の方に加わるというように誤解を招く虞れがあるから、この
言葉は止そう、そしてそれに代えるに
受胎調節という
言葉を以てしようというのはその
意味であります。無論これも
日本だけにそういうことが議論にな
つておるのではありませんで、すでに
アメリカにおきましても
バース・コントロールという
言葉は近頃使われないのでありまして、これは
受胎調節ということであります。
受胎防止に当りコントラー・セプシヨン、ということが主として使われる
コントラー・コンセプシヨンというのは、
コンセプシヨンが
受胎、コントラーが反抗するというので
コントラー・コンセプシヨンは
受胎の
防止と言うのでありまして、
ドイツ語でも近頃
コンセプシヨン・フエールフユツング。
コンセプシヨンは
受胎フエールフユツングが
防止ということであります。それが正しいということになりまして、即ち
人口妊娠中絶とすつかり分けてあります。無論
間引きなどは現在行われるわけはありませんが、
妊娠中絶と
はつきり産兒制限は分けてあります。一方で
受胎調節、
調節と
名前をつけましたのは、
余り防止では強すぎるというので
調節、コントロールという
言葉を訳して取上げたのであります。大体は
防止法なんであります。それが、
一つとその中に二
通りあります。大体この
予防的性交法は私自身では対
精子法と名づけておる、即ち
受精をやりますには、
受精ということは
性細胞が
二つ集ま
つて融合することが
受精、これがまあ生殖の
始まりであります。即ち
男性の
精細胞、
生殖細胞と言いますか、
精細胞である
精子、或いは精虫と
言つた、それから女性の
精細胞であります。卵子、卵、この
二つが
一つに融合することを
受精というのであります。
受精した卵が母親の
からだの中にくつ附いて、いよいよ母親と結び附いた瞬間から
受胎と称するのです。その
受精と
受胎という場合は違う、即ち
受精をしましても、
受胎をしなければ
妊娠になりません。即ち
妊娠の
始まりが
受胎なんであります。ですから、
受胎を
防止するためには、
精子に手をつけても、卵子に手をつけてもいいのであります。ところが、
予防的性交法は、
精子に手をつけるのです。即ち対
精子法であります。対
精子法と
言つております。
人間の
受精、或いは
受胎は母性の
からだの中で行われます。即ち卵管の端つこのところで
受精が行われるのであります。ところが卵子の方は、母体の卵巣からお腹の中に排泄される。即ち
受精し得る部位に近いところで排泄されますが、
精子の方は、いわゆる精虫の方は、
男性が持
つておる、異体、
変つたからだの、即ち
男性の、精巣と近頃
言つておりますが、つまり睾丸と昔
言つてお
つた、その精巣の中で作られてから、それを
受精部に持
つて行かなければならん。その持
つて行く行爲が
性的交渉であります。
性交によ
つて母体の中に、精管を通
つて持
つて行かなければならん、持
つて行く場所が膣であります。膣の中に射精される、その射精された
精子は膣の一番奥のところに溜ります。溜
つた部位かち
子宮外口を
通り子宮腔を上る、
卵管腔に入
つて参ります。
受精部に行くのであります。即ち対
精子法は、その膣の中に注がれた
精子を
子宮腔の方に上らないように堰をする、これが
機械的方法であります。即ち上昇して行く道を遮る、ここにバリケードを置く、即ち
機械的の
一つの柵を設ける、或いは防柵を設ける、或いは堰をしてしまうのを
機械的方法と
言つております。それからもう
一つ方法がありますのは、堰をしないでも、洗い出してもやはり
機械的の
方法であります。直ぐ注がれた
精子を膣の中から外に洗い出すのも
一つの
機械的方法であります。それからもう
一つ、
化学的方法というのは、注がれた
精子を、膣の中で直ぐ精液の中の
精子をその場所で殺してしまう。即ち殺
精子をやる、スペルム・サイダル、だからその科学的な
方法は
精子を殺してしまい、
機械的な
方法は
精子を殺さないで、
精子の上昇を妨げる、堰を作る、現在ではこの
二つの
方法しかない、無論これは
受精に行うところの
方法でありますが、もう
一つ、対
精子方法だけは
男性にも行われる、即ち
男性の陰茎の上にサツクをかぶせて射精しない、膣内に射精しない、それからもう
一つ、
男性にやる
方法としては、
中絶性交というのがあかます。いよいよ射精をする瞬間に陰茎を引抜いてしまう。今
中絶性交という
言葉を使いませんで、
アメリカではウイズ・ドローワル。これは引抜くこと、引抜法と
言つておりますが、これらも一部の
方法であ
つて、
一つの
男性に行うところの
機械的方法てあります。まあそれだけは
予防的性交法の主な
種類ですが、まだ細かく申せば沢山あります。ただその
機械的方法の中に、又いろいろな
種類があるのであります。
機械的方法の中の
種類は沢山にあるのですが、今日現実に行われておるのは
一つしかありません。御参考までに申上げますと、先つき申上げましたように、
精子が膣の中に射精されて、それが
子宮膣部というところの下に
子宮外口があるのですが、その
外子宮腔から
頸管を
上つて子宮内に入
つて行くのであります。ですからどこで止めてもいいのであります。止める部位が三ところある、即ち第一は膣の中に堰をしてしまう、即ち膣の中に、奥の方に精液が入らんように
膣部の上部、膣の大体上三分の一、中三分一ぐらいの間で堰をしてしまう。その第二は
外子宮腔を塞いでしまう。即ち
子宮膣部というのはこれは
子宮の一番下部にある、その下部に帽子をかぶせたように、キヤツプをかぶせたように、
ベレー帽をかぶせたように、即ちしつかり帽子をかぶせて
外子宮腔を塞いでしまう、その第三には、ちよつとその奧に入りまして、
外子宮腔かち
頸管というところに入ります。その
頸管の中に栓を入れる、この三つが
機械的方法の代表的なものであります。一番初めの膣の上部に堰をする、こういうことを大体ペツサリ一というのであります。或いはペツサール、即ち遮断する栓であります。專門的には私共は、
創意者の
名前を附けまして、最初の膣の上部に堰をする
方法をメン・
シンガーと称しております。これは
ドイツ人の、考えた人の
名前であります。それから
子宮膣部に帽子をかぶせるのを
子宮膣部帽とも、或いは
ポルチオ・キヤツプとも、申します。これは
発見者が
カフカーという人であります。
カフカーと我々は
言つております。それからその次の
子宮頸管に栓をするのは、これは
発見者の
名前が附いておりませんで、これは
子宮頸管栓と称しております。実際
日本で一時賣出されたので、殊に以前に衆議院にあられました
太田典禮君が考えた、プレセア・リングというのがある、これは
子宮腔の中に入れるものでありますが、これは実は対
精子、
受精を妨げるものではなく、
受胎を妨げる、
受胎というのは
受精した卵が
子宮腔に入
つて來て、そこにくつ附くことが
受胎であります。この
子宮腔の中にそういう器械を入れておいて、
受胎を妨げる、これは少し
意味が違うので、無論これは非常に有害なものでありますために、発賣を禁止されております。それから
皆さん御存じであると思いますが、いわゆる
バース・コントロールを非常に主唱された
世界的に有名な人は英國と米國にあります。
英國人の方は少し先輩でありますが、マリー・ストップスという女医であります。それからもう一人は
保健婦でありますが、ニユーヨークのミセス・
サンガー、その当時はミス・
サンガー、この二人が代表的の
婦人として、
人口制限の運動をや
つた人であります。このストップスはボルチオ・キヤツプを非常に推奨した人であります。それから
サンガーは今申しました、メン・
シンガーを膣の中に入れます。これはオツクルジーブ・ペツサール、オツクルジーブとは閉鎖というのであります。もう
一つは
ダイヤ・
フラグマス、これは
横隔膜、
人間の体の胸腔と、腹腔の間にある
横隔膜という
意味である、あんなようなところに、しつかり堰をしてしまう、そのことをも
ダイヤ・
フラグマス、これは
アメリカで一番使う、
ぺツサリーは一番ダツチで使われる、
オランダで使います。
オランダは非常に
受胎調節の盛んな所であります。それで
ダツチ・ぺツサリーと申しております。
日本では大体
ダツチ・ぺツサールという
名前であります。これは
サンガーの推奨した
方法、それからマリ一・ストツプスは
ポルチオ・キヤツプ、それから奥の方に入れる
子宮頸管栓はもう今日では全然使われておりません。今
機械的方法として、
器具、即ち
避妊器具として残
つておるのは
ダッチ・ぺツサリー、即ちメン・
シンガー、それからマリー・ストツプスの申しました
ポルチオ・キヤツプ、この
二つが残
つていると言われております。それが一体今日どうな
つているかは後で存します。
それからその次の第二の
方法でありますが、
受胎期禁慾法という
方法であります。これは
日本人が考えまして
世界的になりました。その
日本人の
発見者の
名前を採りまして
荻野法と申しております。これは今新潟の
竹山病院長をしております
荻野久作君が考えたのであります。無論
荻野久作君がこういうことを考えて実行に移したわけではありませんが、
オランダ人が移したのでありますが、理論は
荻野君の理論を取
つて実行に移したのであります。これは全然本質的には違
つているのであります。これを一々申上げると長くなりますから申上げませんが、
機械も藥品も使わない全然使わないで
人間の
性週期のうちに、まあ
性週間という
言葉は
動物で使いますが、
人間では
月経週期と
言つております。
動物では
月経がありませんために
交尾期と
言つている時期を、
交尾から
交尾の間を
性週期と
言つて一週期にしております。
人間は
はつきり性週期に関係しまして
月経というものが
婦人にありますために、
月経と
月経との間の、
月経の第一日からその次の
月経の前日までの間を
月経一週期としております。
動物は
性週期に待
つて受精する時期と
受精しない時期が
はつきりあるのであります。いわゆる
妊娠する時期と
妊娠しない時期があるのであります。
受胎時期、
動物は即ち
交尾期以外は
交尾いたしませんから、從つで
妊娠はいたしません。これはいわゆる
交尾期と
言つて、今日では
交尾期と申しておりませんで
発情期と
言つております。その
発情期のときに
雌性動物は
雄性動物を近づけます。これは
人間よりも遥かに
嚴重で、この
発情期のときは
雌性動物は
雄性動物を近づけます。いわゆる
交尾を許しますが、それ以外は全然許しません。
從つて受精いたしません。その
発情期は
排卵期であります。
動物でありますと卵がそのときに出る、
從つて動物は
性週期のうちに
妊娠する時期と
妊娠しない時期と
はつきり分れている、ところが
人間はどうかという問題が、これは
産婦人科の領域では非常に年來の懸案であ
つたのであります。まあ
世界の
産婦人科学者がいろいろと研究したのでありますが、なかなか解決がつかずに、結局はこうな
つたのであります。
人間は
除外例だ、
哺乳動物の中でも
人間だけは
除外例で、いつでも
妊娠する、即ち
月経週期中に
妊娠するということは、
性交のことであるが、どういう時期に
性交しても
妊娠する、例えば
月経週期中に
性交しても
妊娠するということにな
つたのであります。これは第一次
欧州戰争のときにこれが裏附けられたのであります。即ち第一次
欧州戰争は
ドイツでは、大体
ドイツ國内には戰線がありませんので、他の隣国に行
つて戰争したのでありますが、
人口を殖やすため戰線から勇士を一週間ぐらいを限りまして帰郷さしてお
つた。帰國さしてお
つた。それを利用したのであります。そうすると一週間だげの開きはありますが、これを
月経週期と照らしますと、どういう時期に
妊娠するかということの統計がとれるわけであります。折角の機会だというので、これを利用しまして、でき
上つたのはそういう成績にな
つたのであります。いつでも
妊娠する、
月経週期中の
性交でも
妊娠するという関係があ
つて、今までの臆説が証明された形にな
つて來てお
つたところに
荻野君が出たのでありまして、それに
荻野君の
学説は全然これを覆して
しまつた。即ち
人間も
動物と同じように、いわゆる
受胎、
荻野君の言う
受胎、
性交によ
つて、即ち
受精を招來するところの
性交期が決ま
つておる、それ以外の時期には全然
受精はしない、
從つて全然
妊娠しない、これは詳しく申しますと長くなりますが、この説が勝を制した、即ち
日本の
荻野説が今までの
世界の学者が信じてお
つた説を覆えして
しまつた、即ち
人間にも
受精する時期としない時期とが
はつきり決ま
つておる、その時期はいつだ、こういうことに決ま
つた、その時期が決ま
つてしまつた、その時期の決め方に対しても
荻野君は全く新らしい
学説を出したのであります。そういうふうにしまして決まりますと、その
受精期だけに
禁慾をすればよいことになります。
受精期には
禁慾する、このいわゆる
受精期、そういう時期にだけ、一定の時期だけに
禁慾することによ
つて受胎を妨げるという
方法は
荻野君に始ま
つた。そのアイデイアはそのときに始ま
つたのではありませんで、もうすでに十八世紀にあるのであります。申すまでもなくこので
マルサスの
人口論から新
マルサス主義を出しまして、それから新
マルサス主義に変りまして、暫くすると、これはちよつと余談になりますが、御参考に申上げますのは、
荻野説と似たものが出ておるのであります。これは非常に
予防的性交法が新
マルサス主義として出たために困ま
つた社会の人ができた。それは
カトリツク、
カトリツク信者は
外國には非常に多いのであります。
カトリツク信者は
性交しながら自然に反して
妊娠をしないような
機械、
器具、薬品を使
つてするということは絶対に許さないそうであります。これは非常に
嚴重でおりまして、現在でもそうであります。今日でも
カトリツクの方は非常に
嚴重で、
妊娠しまして
妊娠を中絶しない、
幾ら母胎に危險がありましても
マルサス主義を適用せずして今
妊娠を続ければ母胎は死亡するというような状態でありましても、
妊娠中絶をしません。これは私よく知
つております。そのように
嚴重でありまして、
カトリツク信者は
予防的性交法は全然許さないのです。ここに
カペルマンという
ドイツ人の、これは
カトリツクの坊さんで、そうして医者なんですが、この人が考えたことは、これは
定期的禁慾法というのであります。即ちこれは大体
マルサスは絶対
禁慾を主張したのでありますが、絶対
禁慾ということは実際言うべくして行われないものでありますがために、
定期的禁慾というものを
カペルマン学説によ
つてや
つた、
カペルマンはやはりそのときには先つき申上げたように
妊娠というものはいつでもする、
月経週期中でもいつでもするが、高率に
妊娠する時期がある。割合によく
妊娠する時期と、割合に
妊娠しない時期がある、高率に
妊娠するときにだけ
禁慾をする、即ち
性交を止めて置く、これはどういうわけかというと、丁度
ドイツの第一次
欧州戰争によ
つて出た結論と同じような、
月経後一週間か十日までの間は一番
妊娠しやすいという説を採りまして、その頃までに
禁慾をする、これは即ち
カペルマンの
定期的禁慾法であります。これは無論誤ま
つてお
つたために失敗が沢山出たのでありまして、三、四年くらいは行われてお
つたらしいのでありますが、間もなく廃たれてしま
つて、
定期的禁慾又即ち新
マルサス主義、
予防的性交法が擡頭して
世界を風靡して來たのであります。そのところに
荻野君の新らしい
学説、
定期的禁慾法、從來の
カペルマンの
学説の誤
つた傳統を持
つた定義を切替えたのでありますが、今度は
荻野君がしつかりした
学術的根拠を立てて
定期的禁慾法を採
つたために、非常に
欧州には、少くとも
オランダに
始まりまして
アメリカに
渡つて、
欧州と
アメリカでは
荻野法は相当に有名にな
つた。それがお膝元の
日本では余り採用されなか
つた。これはまあ
日本人の悪い癖、殊に
医学者の悪い癖で、
医学者と言いますか
産婦人科学者と言いますが悪い癖があるのでありますが、それがために余り行われないでお
つたのであります。でありますから結局
現代品の
受胎調節法としましては、
予防的性交法とそれから
荻野法との二
種類が行われておるということだけを申上げて置きます。
その次は第三番目で、今度比較に移
つて参ります。即ち
予防的性交法、いわゆる
避妊法と
荻野法とを比べて見るとどうであるかという問題でありますが、その第一には、本質的に差があります。本質的の差は、今申しましたように一方は
機械、
予防的機械、
予防的性交法は、
機械、
器具及び薬品を以て
受胎を
防止しておる、
荻野君の
方法は、全然
器具も薬品も使わないで、ただ
受精性交期という
自然現象、その時に
性交をしない、即ち
禁慾をするということだけで、何らの
器具をやらないでや
つておる
方法でありますから、これは
自然法だと
言つておるのであります。そこに非常に差があるので、この差の非常にそれが
はつきり現われたことを申上げますと、
荻野法を
カトリツクで認めておる、
予防的性交法は
カトリツクでは今でも認めておりませんが、
荻野法は差支ないということにな
つておる、私も
ドイツの神父さんをよく知
つておる人を知
つておりますが、発表した論文がありましたが、ただそれだけ一、二の人だけの発表ではいけないので、一般に
カトリツクはどうかということを
言つたら、
荻野法は差支ない、何も
カトリツクの教義には触れたい、これは
自然法だという点でいいのであります、少し牽強附会のところがあるのでありますが、本質的に違
つておる、一方は非自然的
方法であり、
荻野法は自然的
方法であるということをと
つておるのであります。それが本質的の差であります。
その次に 今度は本質以外の比較をして見ると、これは今までこの比較を論ずる上において、理論的と実際的の問題とを別にしておるのであります。結論的に申しますると、
荻野法を批判する場合に、実際問題だけを論じて理論的の比較をしていないのであります。そこに
荻野君のために非常にお氣毒なことがあるので、私はそれを前から強調しておるのでありますが、
荻野法は、即ち
荻野法と在來の法とを比較する上においては、理論と実際を別々にしてやるということを主張しておるのであります。極く簡單に申上げますと“理論的に申しますと、
荻野法は決しで誤りがない、一部初めには、当初においては異論がありました。殊に
日本においてありました。
日本の学者は、ともすると非常に狭量でありまして、
日本人の出した
学説はけなして黙殺する、
外國人の
名前の附いた研究であれば、小さなものでも、それを直ぐ宣傳するとふうような風がよく現われて、
荻野君の方にもそれが見られたのであります。相当に反対説もありましたが、現在はもうどこにもない、即ち理論的にはない、幾らかその間にまだ研究の余地のあるところが残されておりますが、大局的には
荻野説は全然揺ぎは起らないと思
つております。理論的には
荻野法と、それから無論
予防的性交法の細かいこととを後で比較しますが’実際問題としましてどうなるなというと、これは実際問題といたしますと、
荻野法には相当の欠点がある、その弱点は
二つあるのであります。即ちネツクと称する、隘路があります。隘路がこつあるのであります。第一の隘路は、この方は今申上げませんでしたが、
月経というものを基準として計算をして行く
方法であります。即ちちよつと申し上げますと、自制即ち
禁慾をする時期は、次回
月経の前日から逆算をいたしまして第十二日及び十九日の八日間とい
つておる、即ち次回
月経の、予定
月経の前日から逆算します、逆算しまして、順算でありません、逆算して來て第十一日及び十九日の八日間が
禁慾期である、こういうことは、これはもう間違いないのであります。ところが予定というのはまだ未発の現象であります。起
つた月経から順算するのは確実に行きますが、予定の
月経から逆算するのは、その予定が確実でない以上は、その計算は不確実になるのは当然であります。ところがその予定が即ち
月経を予定することができないへ若し
月経が一般の人のお考えにな
つておるように、絶対に狂いなく來るものであ
つたならば、例えば何月何日の今月は何の日、これから何日目に
月経が來る、確実に來る、正しく來るものならば予定できますが、これは全然反対なんであります。この予定
通りきちつと來るという人は、百人の中に二人ぐらいしかない、私の方でも
日本人の統計をと
つております。一万五千人ほど一昨年から一年間以上の統計をとらなくちやならんというのでと
つております。
アメリカでも統計はできておる、そういうふうに、即ち
月経というものは、常に正しく現われるということを
言つておるが、これは記憶によると同じだということになるので、記録によると正しく現われて來ない、変動がある、変動の範囲が人によ
つて違う、或いは三日、或いは四日の変動、或いは一週間、十日、甚しいのは二週間も、或いはもつと長い変動があります。要するに規則正しく現われるという人は非常に少い、待
つて予定ができない、だから未発の予定
月経から逆算するということに非常に困難なことがあると思われる、それに対して、
荻野君は対策を講じて、今
荻野君の言う即ち既発の
月経から順算して行く
方法に、まあ何といいますか、対策を講じておるのですが、その対策が確かに行かない、凡そ大体行きます、きちつとは行かない、それを計算をして行くその詳しい説明は申しません、それが第一のネツクであります。
第二のネツクは、この現象が、
荻野君の
学説は生物学的現象を論拠としておるものであります。生物即ち生きてるものに現われる現象、どういうことかというと
月経という現象、それから排卵即ち卵子の
排卵期という現象、それから卵子及び
精子の生殖の
受精能力保有期間というこの四つのものから下き上
つた学説なんであります。もう一度申上げますと一
月経という現象と、それから
排卵期という問題と一それから卵子及び
精子の
受精能力保有期間という、この四つの現象からできた
学説であります一生きてるものが行う損象であります。生きてるものの大体生物学的現象というものは、決してきちきちといつでも予定
通りには行われないものである、これは物理的現象と全然違
つて來る、或いは天文学の現象、例えば彗星が何月何日の何時何分に現われる、月食が何月何日の何時何分どの辺から欠けて行くということは、
はつきり計算的に行きます。電氣現象でもそうでありますが、生物が営んでおる現象は、原則は分
つております。原則の
通りには行かない、これが
医学のむつかしい点でありまして、私共が学校で学生に
医学を教えておりますのは、教えておることは原則だけその原則の
通りに、即ち診断でも、治療でも、予防でもその
通りに行くと思
つたならば間違いであります。狂いが非常に起る、それを我々が調整して経驗で行くところに、経驗が入
つて來るのであります。決していつでも学校で習
つたように症状が現われ、いつでも学校で習
つたような藥を使
つて治療したならばなおると思うのは間違い、これは生物学酌現象である、
月経の日から
排卵期という問題、それに対して
排卵期に対して
荻野君が
世界的の即ち学齢を現わしておる、これは原則であります。
人間の、生物の排卵というものは生物的現象である限り、決してきちきちと物理的現象のようなものでない、必ず何らかの狂いがある、何らかの外的因子で、環境で、或いはその人の性生活状態、氣候の状態、或いは精神状態によ
つても幾らかの変動の起ることは止むを得ない、
從つてこれによ
つてでき上
つたものが実際用いた場合に狂いが起ることは当然であります。で、普通の人が批判するのに、
荻野学説によ
つてや
つたが、何人の中失敗が何人であ
つて、
從つて荻野学説は駄目だというふうにこれは普通の人が申しますが、これは先つき申しましたように
学説と実際とを混同しておる、即ち理論的に言えば間違いないが、その理論がそういうふうなネツクを持
つておる限り無論正確を期し得ない場合があることは当然であります。即ちそれがために
荻野説を云々することはできない、そういう
意味でありますために、
荻野説は少くとも現在の状態では全く絶対確実を期することはできない、だからこれのみにま
つて受胎調節はできないものと認めます。これを少し変えれば、
荻野の
学説を根拠として、その当人に現われる
排卵期というものを見る
方法が近頃進んでおります。私共も今盛んにや
つておりますが、
排卵期というものは計算でやらないで、その人の身体について徴候が現われますから、今排卵をしておる、今日から排卵をしたのだというようなことが分る
方法が若しあ
つたとしましたら、それは最も確実になる、それを今私共がや
つてお
つて、大体成功しておるのでありまして、今度の学会にもそれを持
つて参ります。だから、これは変えれば何ですが、現在の
荻野学説の方では、そのネツクがあるために正確を期し得ない、結論を申しますと、両者を比較すると、
荻野説は理論的にはいいが、実際的には絶対の確実性は持
つておらないということになります。
それで第四の器械的
方法と
予防的性交法の二
種類、即ち器械的
方法と
化学的方法の優劣になります。多分今日はそれが主題だ
つたと思います。これもやはりいつでも私が申しておりますのは、理論上の方面とそれから実際上の方面と
二つに分けなければ本当の批判はできない、こういう考えであります。第一の理論的に批判してみる、即ち
精子を殺す藥品を用いてやるか、或いはベツサリー、或いはポルチオカツプを用いるか、器械
器具を用いるか、藥品を用いるかという問題、それを理論的に比較してみます。理論的に比較してみますと、その比較の対象となるものは確実性と無害性である、即ち確実であるか、或いは無害であるかという
二つの問題であります。これを比較してみますと、理論的に申しますると、即ちその理論が実現されておれば、その理論というのは、
精子を止めてしまう、或いは
精子をすつかり膣の中で殺してしまう、精液は大体
日本人は
外國入よりちよつと少いんですが、私共の分
つておるところでは、大体
日本人で射精能力を持
つた若い男では三CC、三グラムあるが、多い人は五グラムであります。
外國入は大体五グラムであります。
日本人は大体三グラムであれば我々当り前であるとします。五グラムある人もあります。そうして一CC、ークビツクセンチメーターの中に
精子の数は、不妊性でない人は一万、一万以上あります。先ず八千万を限度としておる、大体に一回の射精の中に少くとも三億の
精子が射精される、多ければ五億、その
精子を全部殺してしまわなければならない、
受精するのはその中の一個であります。いわゆる一匹であります効全部を殺してしまわなければならない、即ち射精された全部、五億ならば五億の
精子を全部瞬間的に殺さなければならない、瞬間的にやらなければ相当に早く進みます。もう
頸管の中に入りますのは相当に早いのであります。これは今少し調べているのでありますが、まあ十分内外、十分以上も経
つてはいけない。まあ少くとも我々は数分の後に殺さなければならないということを
言つてお
つたのであります。余り長くあとからそろそろ殺されたんでは上
つてしまいます。無論そのときの
子宮膣部の方向とか、大きさとか、精液の量だとかというもので、個人的に幾らかの差はありますが、まあ瞬時に殺してしまわなければならない、即ち瞬時に射精されたものが殺される、それから一匹も
精子を通さないということが実現されれば、理論的にはどちらも過ちがありません。即ち確実性にお、ては過ちはありません。併し実際上は別になります。理論上はどちらも同じであります。第二の問題は相当違
つて来る、即ち無害性であるかという問題は、科学的
方法とは大分建
つて来る、これも無論無害の
方法を考えればいいわけであります。この点においては即ち藥品及び
器具、器械の中では膣の上部に堰をする、いわゆるダツチ・ベツサリー以外のものは有害を伴
つております。その中で一番有害なのは、
頸管の中に栓をする
頸管栓であります。殊にプレセアリングの
子宮膣の中に入れますのは、第一
日本でも禁止されたのはその
意味であります。
頸管の中に入れますと、無論これは自分で入れられない、医者に入れて貰うのでありますが、粘液分泌は全然止めてしまう、
月経も無論止めてしまう、
月経時には取らなければならん、それから
子宮腔部の、即ちマリーストープスが
言つた、カフカも同じであむますが、きちつと入れてしまいます、きちつと帽子をかぶせる、これは自分ではできない、
婦人科医に持
つて行
つてかぶす、無論分泌物は止まり、
月経の時は取らなければならんということで、これはもうすでにマリーストープスも見切りをつけたそうであります。今余り宣傳しないそうでありますが、結局器械的
方法としましてはダツチ・ペツサリーが残
つているだけで、これは無害性で害は大体ありません。藥品の方はどうかと申しますと、藥品の
種類によりまして見ますと、藥品は主剤と賦形剤の
二つに分れますが、主剤の中に非常に殺
精子力に強いものをやると、膣粘膜というものは非常に吸收力の強いものであります。直腸、腸の中とか胃の中から吸収され、膣の内膜からも相当に吸収が早く行われます。でありますから吸収によ
つて中毒するようなものではいけない、ところが強い殺
精子力を持
つたものは吸收によ
つて中毒を起すものが多いのです。その点においてこれは注意すればいいのですが、器械的
方法と比べると、やや危険が伴
つて来るのであります。これは注意をしなければならない、理論的にそれが比較であります。結局理論的に申しますると、むしろべツサリーの方がいいということになるのであります。藥品を使うよりも無難だ、過ちが起りにくい、こういうことになります。即ち実際問題となりますというかと申しますとこれは主要條件は
一つあります。手技の難易であります。即ち器械或いは藥品をその目的の場所に理論に合うように、合理的に挿入することの手技です。テクニツクです。テクニツクがやさしいかむつかといか、これが実際問題で、理論的には堰をすればいい、殺してしまえばいいということになりますが、それならばそれを実現させる手技です、これの比較が実際問題というと起るわけです。第一にこの点において結論を申しますと、この点においては器械的
方法は全然劣るのであります。何故かと言いますと、カフカとメン
シンガーとありますと、カフカの
方法は自分で全然できない、医者に持
つて行
つて、
子宮膣部というものは
御存じでありますまいが、子供を生んだ人と生まない人、生まない人でも大きさが違う、形が違う、生んだ人は生んだ数により、それからその時の状態によ
つて形が皆違う、それにぴ
つたり合
つたものを嵌めるということは自分では無論できないことであります。非常に沢山
アメリカ、
ドイツで賣
つておりますが、つまわ二十四、五個の物が皿を重ねたような大小のものがあります一それを合うものを嵌めて貰う、そういうふうな、即ちこれはテクニツクにおいて全然劣るのであります。ただダツチ・ベツサールは自分で入れられる、即ち
日本でも今盛んに賣
つておりますが、自分で入れることができる医者に頼まなくてもできる、ところが自分でこれを入れまして
婦人自身で入れる、確実な正しい位置に、正しいというのは少しも精液が漏れないなうに、奥の方に進まないように堰をする技術ができるかどうかという問題、ここにありますのがダツチ・ベツサールであります。こういうようなスプリングがあ
つて、相当にこれは強いスプリングであります。それにこういうようなゴムの膜が張
つてある、これで以て膣にすつかり堰をしてしまう、そうして精液を射精しましてもここで堰をして奥の方へ進めないまうにこの膣壁とリングの間に隙があれば何んの
意味もなさない、それにはその隙のないように入れる
方法があるのです。こういうふうにして入れるということがあるのです。それがうまく実行されれば無論いいのであります。人の膣というものは、
子宮膣部の形、及び大きさなど、同じ人でも人によ
つて全部違う、廣い人もあれば狭い人もある、子供を生んだ人と住まない人、余計生んだ人と少く生んだ人、それによ
つて緊張度も余程違
つて来るのであります。
從つてぴ
つたり合うものでなければならんので、こんなものは
一つだけ賣
つてお
つたのでは困る、いろいろサイズがあるのであります。ただ自分で買
つて來てこれを入れただけでぴ
つたり合うとは限らない、それからいろいろ合うものを得たとしましても、これを毎回正しく入れることができるでしようか、相当の訓練が要るのであります。訓練によ
つてはでき得るのであります。これを一番慫慂しておるのは
サンガーであります。私は
サンガーのところに行
つてよく見ております。三回とも
サンガーのところに行
つた。初めは小さい事務所だけのものから現在では、五階建の大きなビルデイングで
サンガー・バースコントロール・ビルと申しております。その頃は上海事件の勃発当時であります。その頃はインテリ
婦人で大体五人ぐらいのグループをつくりまして、先ず医者が模型を持
つて來て実際に、こういう理論の下にペツサールはこう使うのだということを説明いたします。それから今度はそういうふうな模型で説明したあとで、今度は当人に医者が入れます。そうして自分で探
つてみます。そうしてこういうふうに入るのだ、それから今度自分で入れてみますこれは誤
つておる、こうだこうだそういうことを相当に繰返しております。一回にはできません。何日でありましたか、とにかくそういう訓練を繰返してそれならよろしいというので一番下にドラツグがありましてそこでこれを賣るのであります。無論これだけでは不安心だというので、
サンガーはゼリーをつけた、即ち
化学的方法等をコンビにや
つておる、この裏表に相当沢山のゼリーをつけて行かなければならんというふうにしておる即ち
機械的方法だけでは足りないという考えがあるのであります。そういうふうにして使
つて行くのであります。即ち
アメリカの
婦人、殊にインテリ
婦人というのは、
日本の
婦人とは違いまして、相当に小さい時から性的の訓練を受けております。
日本の
婦人はどうでありましようか、今までは性教育というものを全然否定しております。
從つて性的には殆んど訓練されていない、これからは違いましようが、訓練されていません。今まで多くの人が、ただこういうものを用いてもそれは正しく入れるということはできません。これから優生相談所ができまして、そこで丁度
サンガーのやるような仕組にしまして、訓練をさせることにしましたならば、よろしうございますが、併しただこういうものがこういう理論で以てやらせる、それを入れなさいと
言つても、正しく入れることは相当困難だと思います。そうして正しく入れたものが、
性交行爲の間にそれが何時でも動かないようにするということは相当の無理です。これは恥骨結合に尖の方が支えられまして動かないようにするのが理論です。ところが
機械的方法がそういうふうな弱点を持
つております。即ち理論はいいが実際的にはこれを正しく入れるということが相当困難であります。一定の訓練を経なければならん、これは
アメリカでは随分古くから行われておる
方法でありますが、最近一月の
アメリカン、ジヤーナル、メデイカル、アソシエーシヨン、医師会の雜誌の批判が出ております。相当詳しい批判が出ておりますのを見ますと、すでに
機械的方法を見限
つておるのであります。向うの医師会の
委員の話であります。即ち今まで
受胎調節法というものが、ブラグマー・ペツサールにゼリーを併用した
方法であるとのみ考えるのは大間違いであるという見出しで書かれておる、ゼリー、オンリー、或いは坐藥オンリーでどういう成果を來たしておるかという報告がされておるのでありますが、その中でペツサ—ルの統計報告が出ております。それを見ますると、非常に面白いのでありますが、今まで使
つたのは、それがニユーヨークとか、フイラデルフイア、シンシナテイとか、それから都会でない方と分けてみますと、ニユーヨークにおける成績は一番いいのであります。段々と田舎に行く程ペツサールの成績が悪いのである、それは何故かというと、即ちインテリ人が多く、インテリの人は即ち訓練された
婦人が用いるということを示しておるのであります。その点から申しましても、これは理論的には無論間違
つておりませんが、まあ大体無害である、でありますが、実際問題としては、これを正しく使うことは相当困難があるということは申上げられます。少くとも
日本の現在の状態は、これから訓練すれば別でありますが、そういうふうにな
つております。
それから今度は藥品の方でありますが、藥品の方はそういうことは全然ない、即ち正しい部位に藥品を入れるということだけが問題なんであります。即ち入れさえすればあとは技術は要らない、何らの訓練も要しないで、即ち正しい部位に入れられる
方法を講じて呉れればそれでいい、何らそれに技術の誤りは起らない、即ち正しい部位に藥品を入れなければ駄目であります。正しい部位に容易に誰でも訓練なしに入れられる
方法が考えられておれば、ぺツサールよりも遥かに勝さる、それで而も殺
精子力が強い、こういうことになります。その点においてみると、理論的には先ず
機械的方法がいい、併し実際問題として少くとも現在の
日本の
婦人、女性に対してはむしろ
化学的方法の方が勝
つていやしないかというのが私共の結論であります。
それからその次の化学的製剤のことであります。それならば化学的
避妊法の方が幾らか勝
つておるが、今度はそれにいろいろな
方法がある、いろいろなものがあるが、即ち形とそれから主剤との問題であります。これは現在藥事法で盛んに議論されておるところで、明後日から結論がつくわけであります。沢山に現在
日本では出されております。第一に形でありますが、形はあすこに書いてある四
通りあります。即ち粉末状のもの、粉のものと、それから錠剤の形にしたものと、それから坐藥の形のもの、坐藥といいますのは、体躯の中の、例えばどこでもいいのですが、口の中でも膣の中でも肛門の中でも尿道の中でも、とにかく押込めるような形にしたものを坐藥、サポジツトリーと申しております。それからクリームと、ゼリーと申しておりますもの、クリームとゼリーは、
名前は変
つておりますが、大体ゼリーの方が少し硬度が強い、クリームの方が少し柔かいというくらいの程度で余り区別はしておりません、クリーム、或いはゼリーこの四つの形しかないのであります。主藥はもう大体今日決ま
つておるのであります。主藥は、これも新聞にもたびたび出ておりますが、水銀剤、即ちフエニール、キヤリール、アセテート、フエニール醋酸水銀というのが一番有効だとされているのであります。無論これは毒力の強いものでありますから、吸収によ
つて中毒を起させる量は用いられない、だからこれは、幾ら殺
精子力が強くても、一程度以上には用いられない、これが実行されてないのが相当にありまして、ただ効果の点を狙
つて相当に大量に入れているのが見られるのであります。これは愼しまなければなりません。それからもう
一つは、原虫類……
精子は虫でありませんけれども、まあちよつとアミーバとかいう原虫によく似ておりますが、原虫類に使うトリバノゾーラーというのを使います。マラリヤの時にはキニーネを用いますが、キニーネ剤がその次に使われます。主藥としてはオキシキノリンと申しているのを入れてあります。主剤によ
つて中毒を起さないように入れてやればよい、この問題はあまりありません。昔はまだいろいろなものが入
つておりました。主藥だけでは、駄目であります少量でありますから、そこに副藥が要ります。即ち、形を整えるために、即ち形は粉にするか或いは錠剤にするか、ゼリーにするか或いは坐藥にするかそれによ
つて入る副藥が違います。大体、ゼリ一だとか錠剤だとかというものの中には油が入ります。それから錠剤の中には油は入りません、坐藥及びゼリーの中には油が入ります。それから錠剤の中には一時
ドイツで以て盛んに……
サンガーもそれを
言つてお
つた、後で言います拡散性を強化するためにフオーミングしまする泡を出しまする藥を入れることが必要だとされた時代があります。
ドイツでもそうであります。
サンガーも盛んにそれを
言つておりました、即ち酒石酸と重曹とを入れてそれが液体に会いますと、丁度ラムネのように泡が立ちます。この泡が出ることは藥品の拡散性を強化するに是非必要だとされてお
つた時代があります。今日でもその考えで泡を出すものを入れておるものが相当沢山であります。
サンガーのところで、申し忘れましたが、
サンガーのところで、インテリの夫人でなければベツサリーを渡さない、
言葉は悪いですが、余り頭のよくない、インテリでない下層のおかみさんに渡すのは別にある。それはスポンジです。スポンジにフオーミング・パウダーというのをつける、即ち粉を振り掛けまして、そうして事前に、スポンジに糸がついております。天然スポンジであります。糸をつけまして、それにフオーミング・パウダーを即ち発泡剤をつけます。そうして事前に入れますと、中で泡を吹くというのであります。それだけに簡便法としております。これは訓練も何も要らないというので、インテリでない人には、それを賣
つておりません。
サンガーのところには二
種類あります。それに対して
ぺツサリーはどうしても訓練をしてやるということが必要だということが、それでも分るのであります。それでありますが、これをどう批判するか、私共は約一昨年からこれを比較研究をずつと進めて來たのであります。そうしてこの研究というものは、今までの化学的藥剤の、避妊藥の研究が、多くは試驗管でやられるのであります。即ち実際に即しない試驗のやり方をやるのであります。ところがそれでは何も役に立たないのであります。
動物では駄目なんでありまして、どうしても実際に即した即ち実際と同じ
方法で試驗しなければ何もならないのです。それには即ち対象としては、いつでも
人間の精液を用いなければならん、それから場所としては
人間の膣の中を利用しなければならん、即ち
婦人を使
つて……使
つてというのは実驗じやありませんが、いろいろ相談に來た人に我々はやる、そうして外で試驗するときには必ず精液を使
つてやらなければならん、そうしなければ比較はできないのでありましてこれを食塩水や葡萄糖液を使
つて比較して見るとか、溶解性を見るとか、或は拡散性を見るとい
つても駄目なのであります。だからい
つてもこういうふうな比較は、これだけの七つのものを比較をしておるのでありますが、これを対象としてちよつと申上げます。殺
精子力が第一、即ち
精子を何分で殺してしまうかということ、第二は拡散性、藥剤を入れて、それが精液の中にどのくらいの時間の中に拡散するか、溶けるか、油であれば溶解する紛であれば拡がる、ずつと全体によく混じる拡散性、それから第三には滞留性、滞留性というのは、入れてお
つて、即ち直ぐ流れてしまうのはいけません、入れてお
つて一定時間は一定な場所、即ち後膣、上向にやすんでおるときに、膣の一番行当りのところに、そこに精液が溜
つて、ゼミナール・プール、精液の池ができるのであります。その池の中に藥品が早く全部拡散する、即ちゆつくり拡散したのでは駄目で、少くとも数分の間に混
つてしま
つて、全体の
精子にコンタクトしなければいけません、それまで留
つてなければいけません、直ぐ流れ出てしまうんではいけません、それが滞留性、その次の刺戟性というのは、膣粘膜を刺戟するのはいけません。後で膣粘膜を刺戟したり、痛いとか痒いことがあ
つてはいけません。第五には装置法、その所定の場所に正しく太れる
方法を比較しなければいかん。第六には性感の影響であります。即ちこれはよくいわれるので、性感、快感を減殺するような
方法では、或は反対に不愉快になるような
方法は、
調節剤としてはまあその資格は欠けることになるわけであります。重要なものじやありませんが、或は重要なものであるかも知りません。それから最後の七番目は後で処置する必要があるかないか、これも後でいよいよ始末をしないでいいというものと、後でどうしても洗わなければならんというものと、或は拭かなければならんというものと、比較になるわけであります。こういう七つの対象、目標を置きまして、私達は科学的製剤を比較したのであります。詳しいことを申上げませんが、第一殺
精子力においては、主藥の殺
精子力は決ま
つておる、大体ここに現在出ておる有名なものを持
つて來ておりますが、大体殺
精子力は決ま
つております。又藥事
委員会でも先つき申しましたオキシフエノール醋酸水銀を取上げておりますから、これから出るものは、それを使うことは当然でありますが、殺
精子力は問題ありませんが、今度いよいよ藥品が、精液というものに混
つてからの殺
精子力を調べる、この場合にはこれはいろいろな関係がある、即ち拡散性とかいろいろなものが関係いたしますが、ちよつとこれは私自分で考えて藥を作
つておりまして、そうしていろいろなものを非難するのは非常に心苦しいのであります。私は良心的に科学的に比較をした点を申上げるのですから、誤解を懐かないように、いろいろな検査をやりましたうちで殺
精子力の差が出て來る、同じ坐藥を入れましても殺
精子力、これは後の拡散性どか滞溜性に関係があるのでありますが一これを全体を引つくるめまして一々報告を申上げませんが、紛末錠剤坐藥、ゼリーというものがある、七つの対象によ
つて比較したらどれが一番よいか、どれが一番合わないかと言いますと、一番條件に不合格の点が多いのは錠剤です。錠剤であります。無論拡散性が非常に悪いし滞溜性があり、刺戟性があります。ものによりまして現在市販のものも相当よく溶けますと、割合によく溶けたと……これは人によりますが膣というものは膣の中に殆んど液体はないのであります。液体は
頸管カタルというものになりまして粘液を出す人もありますが、通常の人の膣内にはワジナルコンテントとい
つて極く少量の液体があります。流動性ではない、牛乳の凝固したようなものしかないのでおりまして、大体膣の中には液体はないのであります。だから粉とか錠剤というものを事前に入れまして、それが溶けるということは考えられない、即ち実際見ましても長く残
つておる。だから粉及び錠剤というものはその点においても、拡散牲においても非常に悪い、即ち精液の拡散が非常に悪い、先ずせいぜい三時間ぐらいしないと全部拡散いたしません。私の方で精液を使
つてや
つたのであります。それでは何もならん、まあ少くとも大体形がふやけたなと思う頃が三十分ぐらいでありますから、これは根本問題です。非常にこれを使
つておる人には申上げるといけないのでありますが、実驗の結果はそうです。それから装置法が問題であります。装置法、即ち坐藥とそれから錠剤、これは何ら器械を用いないで入れられる、そこに特徴がある、即ち坐藥はここにあります
通りに、大体このくらいのもので、これを手で押込む、それから坐藥はこれは形が悪いので私も注意してあげておるのです。大体はこういう形を備えておるものです。これを手で押込むのであります。押込むのに器械は要らない、ところが粉はどうしても、開いて器械で吹き込まなければいけない、それで粉は殆んど使われておらん、錠剤はこれは器械を使わないので相当使われると思います。今じや粉はなくな
つておる、坐藥はあります。錠剤と坐藥と比較しますと錠剤はこんな小さいもりで辷らないので、無論
医学的知識のある人、それから業者は相当、中をいじりつけておりますから割合奥に入れる二とは簡單でありますが、本当に性的知識を受けていない普通の
婦人は、どうや
つてみても入口で止
つておる、せいぜい眞中辺で止
つてお
つて、一番大事な奥に入らない。坐藥の方は入る、つるつるしておりまして今でもつるつるしておりますので、ただ押込めば一番奥まで入る、でありますからその点においても錠剤が非常に不利なんですが、器械を使わないという点において錠剤も坐藥も遥かに勝
つております。ゼリーでありますと、これはゼリーでありますが特別の挿入器を必要とする、これがゼリーの欠点であります。で挿入器はいろいろあります。こういうような挿入器はチユーブに入
つておりまして、これから押出す
方法と、それからこういう
器具がありましてここに螺旋があります。この螺旋を捻じ込む、そしてこれを押込みますと、これで一グラム半ぐらい入ることにな
つております。そうしてこれをただ押込んでピストンを押せばよい、これはこれを入れましてきゆうと一回だけ……、特殊な器械であります。これはちよつと短いのです。これも変えなくてはいけないと注意してあげておるのです。膣の長さが後膣円蓋に達するには、十糎、十二、三糎、そういうような特殊な器械を入れる、結局そういたしますとこういうふうなものを比較してみますと、一々申しませんが、一番理論的に優
つているのがゼリー法であります。ゼリーはただ今言いましたように、装置法が特殊な器械を必要とする点だけに、不利な点、即ち欠点がありますが、後は全部優
つております。それに次ぐのはサポジツトリー坐藥の形であります。坐藥の形は特別に器械を使わないという点に特長があります。そしてただその外の殺
精子力とか、拡散力とか、その後で洗わなければならん、後処置を必要とする、ゼリー法は非常に量が少ないから一グラムか一グラム半までで、全然後で洗う必要もありませんので、その点ゼリーが一番優
つておるのでありますが、坐藥法はどうしても洗い出さなくてはならない、まあ氣持の悪いのはよせばよい、我慢すればよいけれども、私共の結論はゼリーの形が一番合理的だ、実際的には合理的である、次いで坐藥である、ゼリーの欠点に特殊な器械を必要とするが、器械は何も一本持
つておれば一生涯あるわけです。その点で大したことはないと思いますが、器械を使わなければならないという点において劣
つておる、後は全然優
つておる、坐藥としては私共……、これは非常にいいカカオ脂であります。賦形藥のカカオ脂によるのですが、こういう純良なカカオ脂が得られるならば、坐藥は非常に冬になるといいが、夏になると溶ける、純良なやつは体温では溶けるが、外氣では溶けない、直射月光に当てなければ溶げないというようなものができるのであります。そういう点があります。それからこういう形は駄目です入らないから、そしてどうしても量が少ないのでありますがこれもいけないのであります。大体表面が一番多い形にな
つてなけりやいかん、円錘状にしまして表面の多い形は数学的に出るのであります。表面が一番多い形は、そうしますと拡散が早く、溶解も早く、まあこれでもう四、五分でも溶けてしまう、これはもつと早く三分ぐらいで溶けます。ゼリーは直ぐ拡散します。
大変長くなりましたが、結局私共は結論としましてゼリー法がよかろうということにな
つておる、併し何もゼリーでなければならんことはないが次いで科学的製剤としては坐藥がよかろう、坐藥を勧める、残念ながら錠剤はいかんといふうに考えておるのであります。この発泡ということも、錠剤を作
つておる方のところに行きますと、こんなに発泡しますと
言つて、時計グラスの上に水を入れて、そうしてやりますと瞬間的に泡がふうツと出ます。その泡がなかなか消えないというのですが、膣の中に水と一緒に発泡剤を入れればいい、錠剤を使うのならば、膣の中に入れてそうして水を入れるということにすればいいのです。
大体これで申上げたいことは済みましたが、何か御質問がありましたらお答え申上げます。
もう
一つ申上げたいのは、私自身も作
つておりますから、それを何か宣傳するように誤解されても非常に恐縮なのでありますが、私共は何も利益のためにや
つたのでありませんで、先に申上げました
人口政策委員会の
委員でありまして、
人口問題、即ち子供を制限するか、或いは殖やすかという問題は夫婦の意見に任して置いて、ただいわゆる
受胎調節をやるならば器械及び
器具でコントロールする、正しく確実で無害なものを使うようにする、それから有害なものは取締
つてこれを賣らないようにしようということを、執行機関でありません、建議機関でありますから、政府に建議したのであります。そのときから私は始めたのです。それならばどういうものが一番
受胎調節剤としては優秀であろうかという研究を始めまして、今日まで來たものであります。私共がその研究をやりました結果から申上げただけでございます。どうぞ誤解のないように……、大変長くなりましたが御静聽有難うございました。