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証人(
牧野修二君) お時間もないようですから、お
手許に実は漸く終
戰後足掛け四年目で
未亡人問題を取上げられたということについて、聊か私としては淋しい
氣持を持ちますと同時に、又一面非常に有難いとも思います。この
機会に
未亡人問題につきまして、
厚生委員の
先生方に十分お
聽取りを願いたいと
思つて参りましたが、時間がないという
お話で、誠に残念ですが、極く大体お
聽取り願いまして、先程の
お話のように、細かい点は後で堀下げていろいろ御質問下されば幸いと思います。お
手許に
ちよつと
プリントを差上げましたが、それについて全く問題の所在といいますか、それを申上げる
程度にいたしまして、でき得れば尚詳しく申上げる
機会をお與え下さることを切にお願いいたします。十分か、十五分くらいで本当にはしよ
つてやります。結局
現実に、本日私は先ず第一に問題の
兒童及び未亡人というふうに問題が限られておることに先ず第一に
ちよつと失望した。
兒童及び未亡人という
二つに分けないで、
母子の問題というふうに、
母子の
福祉ということに対してお
考えにならなか
つたのかという点、それから尚今日
母子の
保護の現状はどういうふうにな
つておるかという点につきましてはくどくど申上げません。ただ要するに私共として要望いたしますることは、飽くまでも
母子保護の
特殊性をはつきり認識して、
母子の
特殊性の上に立
つた保護を、政府においても
民間においてもやらなければならない、これにつきましては、如何に特性があるかと申しますと、今日
未亡人問題にいたしましても、
單身未亡人もいろいろな問題もございますが、決するところは、扶養しなければならない子女を抱えている
未亡人の問題、即ち
母子の問題でありまして、而もこの
母子の問題が
未亡人問題の大宗をなしていると思います。而も
母子の問題の中においても、
戰後において発生いたしました
戰爭未亡人、或いは
戰災未亡人、
引揚未亡人、これらの
人々は
戰前のいわゆる寡婦と違いまして、
國家的な強権の下に或いは戰地に引張られて行き、或いは又
一つの
國家政策といいますか、その破綻の上から外地を
引揚げて來る。或いは
戰災によ
つて爆死したということによ
つて、すべてがいわゆる
國家的原因によ
つてこのようにな
つたのでありました、極端な例を申上げますれば、
社会的犯罪、
殺人強盗として死刑に
なつたという者の
未亡人と全く同一に取扱うということに対しては、いわゆる戰歿者、
引揚者、
戰災者等によるそういう
犠牲の
未亡人の大きな不満がその胸中に祕められている、その
現実をはつきりと認識して頂くときに、無差別平等的な
取扱いという観念的な
やり方は
未亡人に対して
満足を與えないものだということを是非お認め願いたい。もう
一つの
特殊性は、先程も
ちよつと申上げましたように、
兒童及び未亡人、これが実際の場合には兒童は單独に
取扱いますが、母と子というものは絶対に不可分の問題であります。
從つて、母及び子でなく、
母子としての
一つの固まりとして、そうしてすべての施策がそこから発すべきであるという点です。それから尚
戰後におきましていわゆる
生活保護法が、無差別平等の
取扱いをするというようなことにおいて出ました。これは又
一つの観念から見ますれば、いわゆる
戰爭における
犠牲、それから或いは
社会的犯罪を行な
つた者も、これは結局基本的の
社会制度の問題だというような
考え方をすれば、或いは無差別平等もいいかも知れませんが、又例えば
原因がどうであろうとも、現に困
つておるというだけの問題を取上げるという場合においての無差別平等も是認されますけれども、
現実においても果して無差別平等の
保護が行われておるかということを
考えまするときに、又私共
引揚の方に対しては絶大な同情と申しますと失礼ですが……何をも
つております。又私自身も
兄弟にそれがありますが、併しそうした場合に
未亡人に対する今日のいわゆる
戰爭未亡人に対する今日の
取扱いということと、
引揚者の方に対する
取扱いが果して無差別平等であるか、或いは
終戰直後においての
戰災者に対する
物資配給、それが
未亡人に対しての
物資配給というふうな点において、果してそれが無差別平等であ
つたか、又最近の実例におきましては、私共の
母子寮に
引揚援護愛の
運動が行われた。ところが、その愛の
運動において、同じ
母子寮で同じ
生活に苦しんでおりながら、
引揚者の
母子にだけその贈物がある、こういうようなことが果して無差別平等であるかという点について、可なり疑念を持
つております。私はそれをこの間取上げてラジオで愛の
運動に対する批判を述べたのであります。ここにいわゆる基本的な
意味においての今日の
未亡人というか、いわゆる
母子に対する
行政及び
民間協動の基本的な誤りがある。これを是非是正願いたい。それで尚
指導行政の問題につきましては、いわゆる
母子問題、
未亡人問題に対しましての所管が実に
曖昧模糊としている、昨年の春「週刊朝日」に
未亡人問題が取上げられまして、その統計が発表せられた。それについて元の、今日ございませんが、福利課へその統計について伺
つたところがはつきりしない、それから兒童局へ伺
つたところがはつきりしない、これはたまたま伺
つた係の人がはつきりしないのか分りませんけれども、いずれにしろ
未亡人という場合においては社会局の
取扱いであり、
母子という場合においては兒童局の
取扱いである、そういうふうにはつきりしないということは、その後のあらゆる問題についてもはつきりせず、
從つていずれがそれに重点を入れて
仕事をや
つて行くかということもおのずから違
つて來ます。地方においては厚生課が扱うとか、兒童課が扱うとかいうようなことによ
つて、
未亡人は、全く今日の
未亡人の有樣を示すがごとく、あつちにやらされこつちにやらされ、結局は何にもな
つていないのだというようなな今日の所管の状態であると思います。又
未亡人を如何に
保護、指導するかという問題につきましても、実にこれがはつきりしていない、場合によりましては、例えば最近の児童
福祉法におきまして、
母子寮の問題は、最初原案を作る前には
母子寮を入れるようにな
つてお
つてお
つたのが、原案として提出されたときには削られ、幸いにして
國会の方のお力によりまして、そこが修正されて
母子寮が入
つたという、丁度年行かない
未亡人が婚家先から突き出され、こつちは預からない、あつちも預からないというような実情を
行政的にも示されておる、実に惨めなものです。又指導的におきましても例えば遺族村を作ることを一方に奬励しておりますが、私は遺族村を作るということには絶対に反対であります。遺族が
一つの特殊集團を作る、而も村とすれば恐らく死んでしまうまでその村におるのであろうということが予測される。この遺族村を作るというようなことは絶対反対であります。或いは先程
徳永先生がおつしやいました
母子寮の
共同炊事問題、これは
徳永先生は私の先輩で実に敬愛しておりますが、これは
母子保護の根本からいきましても、
母子寮のあり方からい
つても、亦
現実的に今日の配給の状態からい
つても、或いは
母子全体の要求からい
つても、あらゆる点からい
つて、
母子寮が
共同炊事になるということには私は徹頭徹尾反対するわけです。この細かいことについては後程御質問があればお答えいたします。尚又
母子寮のことにつきましても、例えば過般福井に震災がありまして、
母子寮が燒け、その跡に
母子寮を建
てるというようなことがありましたときに、仄かに承わるところによれば、安定本部においては、福井には復興住宅が建設されるのだ、だから
母子寮は要らないじやないかと
言つておるとか仄聞いたしましたが、若し仮にその仄聞が眞実としたならば、実に政府部内におけるところの
母子保護に対する指導理念がなくな
つていないというように私は憤慨せざるを得ないのであります。住宅ができれば
母子寮は要らないという、
母子寮というものを單なる建物というように解釈する
考え方が今尚要路にあるということは
ちよつと信じられないわけであります。
尚
生活保護法につきましては、これは昭和十二年に施行された
母子保護法というものが廃止され、
生活保護法一本となりました。ところがその
生活保護の実際の状態はどうかと言いますと、先ず第一に
母子の
生活に対する生計扶助の限度というものが非常に実情に即さない、これにつきまして、実は私の方の寮におる村山千代というのが手記を書いております。これは「
家庭朝日」に近く掲載されると思いますが、その手記の五、六行を読んでみますと、「
生活扶助のベースでは
子供の下駄、七、八円の下駄が年に二足ということです。今どき七、八円の下駄で終日男の子が遊んだりして一月も保つ実情にありましようか、こうした根本から誤
つた計算で私達の
生活が
保護できましようか」、これは手記の一節ですが、この
言葉からでも窺い知れます。尚又要
保護者、現に
生活扶助を受けておる者と受けていない者とには、そこにその線をすれすれのような昔のいわゆる第二種カードという
意味の取扱がない。それで例えば物資を配給する、或いは食糧を呉れるときには、いわゆる
生活保護を受けておる者のみに呉れて、それが官廳としては或いは基準を決めるのに非常に困難ですから、イージーゴーイングをなさるかも知れないけれども、結局そのすれすれにな
つておるというものに対してはそういうものがない。そこにおいて二面その
母子達は
生活保護費を貰わなくてもいいが、もう少しカバーが欲しい。
生活保護費を貰
つておるとカバーもされない。やはり
生活補助費を貰いたいというような
氣持を結果的に誘発するという状態がある。或いは医療
保護の問題におきましても、例えばこれは誠に申訳ありませんが、私の事実の問題でありますから申上げますが、実は私の義理の弟が未だソ連から帰
つて参りません。その留守にその嫁がとうとう疎開先で四人の
子供を抱えて遂に、非常に丈夫だ
つたのですが、肺結核にな
つて、四人の
子供を抱えて後のことを心配しながら死んで
行つてしま
つた。そうしてその肺結核が当時生れた
子供にうつりまして、小兒結核、脊髄カリエスになりました。実はその
子供を生むと間もなく亡くなりましたので、その
子供を私が預か
つております。私も実は社会事業家で六千三百円ベースもないわけですから、非常に大変ですけれども、併しどうにかこうにかその
子供を食わして行くということはできるのです。併しその脊髄カリエスのギブスを作るときに、あの新円封鎖時代に八千円もかかる。この八千円はしがないサラリーマンでは出し得ない。眤懇の
民生委員の方が非常に心配して呉れまして、区役所でも心配して呉れまして、医療
補助を貰
つたらどうかというので、そういう臨時
補助だけは取らして貰おうかと行
つたところが、これについては貧困証明をしなければならない。それで私が貧困者であるということを書いて出さなければならない。貧困については、その貧困者であるということは、毎日の
生活についての貧困者の証明を出さなければならん。そんなことは私は出せませんから、それをお断りした。そうしたら
民生委員の方が申訳ないが、これは規則だからと
言つておりました。この一例を以ちましても、非常に医療
補助というものが非常に実際上の手続きにおいて実状に即しない。他に沢山のそういうのがあります。又
補助に対してもいわゆる
民生委員の方が非常に分
つてお
つても、民生事務所の
取扱いが惡い。要するに哀訴難願しなければ
補助が出ない。そういうときに
未亡人や
母子達は、夫が生きてお
つたらあんなに哀訴歎願しなくても済むのだ。何も好き好んでや
つておるわけじやないということを訴えて來る。私もそれを聞いて憤慨するのです。その都度私は
社会保障制度を
実施して、そうして郵便局に行けば、哀訴難願しなくても
國民の權利としてそれができるような時代に早くしなければならないのだということを、あなた方もその点を全國の
母子のために闘いなさいということを
言つております。又たとえそういう不十分な
内容を持つところの
生活保護法であ
つても、それがとにかく不十分ながらも行われておるかというと、これはやはり
現実に濫救、漏数があるという点は非常に残念であります。而もその影響がやはり
母子の方に引つ掛
つて來た実例もあります。それから又第二にこちらから
お話のありました兒童の育英について否定的である。小学校の義務
教育だけは認めるが、それ以上のものは認めないということ、これに対する育英というものは、
戰爭前の
未亡人と
戰爭後の
未亡人との本質的な差違ということから、育英ということの希望は非常に沢山ある。私は各地に出張した序でに
未亡人の方々のお集まりを
願つて、努めて
意見を聞いておりますが、むしろ
生活の方は何かかんかや
つて行く。併し
子供の
教育だけは何とかお國で見て呉れそうなものだという切実な訴えがいつも
未亡人からあります。又いつまでも
生活保護を受けることを
未亡人達は潔しとは思いません。尤も
生活保護費を貰
つて遊んでおるというようなあれがありましよう。それは実態をよく知らないものの言うことで、そんなものがあ
つても一%か〇・何パーセントぐらいに過ぎないわけであ
つて、結局
自分達も自立したいという希望を持
つておる。そういうものは
授産所に通うよりも、むしろ職業の補導を受けまして、職業技能を習得させるべきだと思う。併しそれを習得させるために補導所なり或いは職業学校に通うという健氣な決心をいたしておりましても、その期間中はやはり
生活保護が受けられない。そんな贅沢なことをすることはいけない。これは或いは本省としてはそういうことでなく、結局これは末端におけるなにかも分りませんが、実際上そういうようなことに対する便宜な取扱がないということ、結局要するに段段
生活が向上して行くという場合に、これは結果的の問題でありますが、これは
生活保護法を制定する場合には予期されなか
つた。結果的にはいわゆる
未亡人や
母子達が自力更生して行くというのを止めるような、牽制するような結果を生んでおるということを申上げたい。
次に兒童
福祉法の問題ですが、兒童
福祉法で幸い
母子寮を取扱
つて下さいまして、これは全國の
母子及び関係者は感謝しておりますが、併し実に残念なことは、兒童
福祉法には主体性が確立していない。
生活保護法によ
つて可なり縛られておるということをお認め願いたい。それから尚この児童
福祉法においては主体性がないという
一つの問題として、おのずから
民生委員と兒童
委員の問題になりますが、只今も兒童
委員に対するいろいろな御批判がこちらから出ましたが、これはやはり私として思いますのに、
民生委員の方にも兒童
委員として適当な方もあり、兒童
委員でも
民生委員として適当な方がある。
從つて民生委員は兒童
委員であるということ、
民生委員でないものは兒童
委員でないというような
生活保護法を基礎にして兒童
福祉法が成立つというような、兒童
福祉法の主体性が確立していないというようなことであ
つては、少くとも文化
國家における非常な意義を持つ新らしい兒童
福祉法というものが飽くまで
生活困窮者を対象として、その上に立つ
生活保護法に縛られておるかのごとき状態であるということは早くこれを改善すべきだと思います。兒童
福祉法におきましても、
母子に対しては第二十三條ですかに、要するに
保護すべき
母子がある場合には、市町村長はこれを
母子寮に委託しなければならない、但し近隣に
母子寮がなければ止むを得ないという條項があるのです。近隣に
母子寮がなければ止むを得ない、後は放
つて置けという條項があるのです。併し
母子寮は
現実にどのくらいあるかという問題、
母子寮の
施設又その予算がどのくらいあるかということを
考えますと、
母子寮というものは全く現状のままで、これに対する多少の何はあるでしようが、積極的に
母子に対する
保護策というものが、兒童
福祉法に表れていないのを非常に残念に思います。兒童
福祉法におきましては
母子の
保護というものは、
母子寮を設置して入れる以外に、いろいろ
母子の
保護の方策はある筈である。それが兒童
福祉法にはつきり盛られべきことを期待するわけであります。
尚只今までは法制の面でありましたが、
施設の面におきましても、この
母子にはいわゆる地下道あたりの浮浪
母子、それから定着性を持
つておるところの要
保護の
母子、或いは
経済的には職業的に或る
程度安定しておるが、併し小さな子を抱えておるので、
從つて母子寮を出されるというと要
保護者に落る。
母子寮に入
つておれば
生活保護法の扶助を受けないでもや
つて行けるというもの、仮にこれを自回
母子と私は名付けております。こういうように
母子の
生活状態は三段階ある。これらがごつちやに入れられておる。このことも大いに考うべき問題である。それから
母子寮の少いということは
皆さん方よく御存じですから喋々申上げませんが、ただ現在この
母子寮というものは、完全なその
母子保護の目的を達するに適当なる
母子寮であるかというと、誠に
自分達の恥を申して恐縮ですが、ノーと答える外はないのであります。全く住宅提供としか思われないような
母子寮が大部分を占めている。然らばそれで
母子寮経営者は
満足しているかというと経して
満足していない、併しそうすることができない、これは最近最低基準令ができましたが、最低基準令によ
つてその完璧を期するという。それだけの財政的な背景がある、この財政的な背景が、最低基準令による裏付けがございます。それで國費の
補助とかそういうようなもので占められておる、或いは共同募金の不当なる配分がある、そういうような問題から行きまして、最低基準令を以て完全に折角このいい
母子を
讓つて呉れるが、
母子寮の基準を上げることができない。又一方
授産所がこの
母子にと
つては今後ますます必要であ
つて、この
授産所の
経営におきましても、資金、資材というふうな面からおきまして、現に例えば資材問題におきましても、
現実に
授産所では相当
仕事をや
つておるのです。勿論資材は不十分です。そうすると、それは一部は厚生省のお取計いによ
つて、その資材を配給されております。足らないものは何をや
つているか、これは業者の下請をや
つている、この業者の下請をや
つている事実は資材があるということを示しているのです。即ち業者でミシンを持
つていない者がうまく
授産所と連絡をいたしまして、そしてそのミシンを業者が登録をして、いわゆる配給を商工省から貰
つて、そして下請をさして中間搾取をする、
從つて授産所における
経営者も苦労をし、そして又作業員も低賃金に甘んずる、そのために折角今日の
経済九原則下における日本において、絶対に必要な
授産所がそういうような表だけの低賃金とか、そういうような問題を見まして、いわゆるその筋から
授産所を貸すというような者がいわゆる上の方からも出るというわけで、この
授産所についてはどうしてもこの際
母子のためのみならず、今日の九原則下における厖大なる要
保護者といいますか、庶民階級のために特別に御考慮を煩わしたい、そして完全にそういうような資材を厚生省から流して頂くということの外ない。又
保育所につきましても同樣である、
保育所は段々幼稚園に変化しつつあるのです。これは
保育所の
経営難というところから、幼稚園に変化する傾向がある、或いは足りない。それからもう
一つは
母子につきまして、常に幼兒の保育と共に母は何を
考えますか。学童の問題をどうしても忘れ勝ちであります。ところがこの学童の問題につきましても、兒童
保護法におきましては、單に兒童厚生
施設という点があるだけでありまして、これも要するに何といいますか、兒童遊園
程度のこと、映画
程度のこと、これはそんなことでは足りないし、又今日そういうものは、なかなか
経済上できません。
現実に母親達が段々
子供が大きくな
つて、幼稚園を卒業する、併し母親は勤めなければならない、その留守に学童がとうなるかということが非常に心配です。これは輿論
調査をすればはつきり分ると思う、然るに学童の問題は全く放擲の状態である。
從つて学專はそのために、或いは今日のような社会情勢下におきましては不良化す、折角
自分の淋しい
生活を我慢して、そうして、苦しいインフレの中に闘
つて、或いはデフレの中に闘
つて行くというのは、結局
子供の成長が唯一の樂しみである。その
子供が不良化して行くという危險にさらされておるときに、これを誰が
保護して呉れるだろう。こうしたいろいろな
現実の問題から見まして、結局のところ誠に極言で恐れ入りますけれども、政府頼むに足らずというような
氣持から、
未亡人の自力更
生活動が必然的に盛り上るわけであります。あの
終戰直後の状態、虚脱状態は全般的でありますが、実に甚しか
つたのであ
つて、例えば軍人援護会のごとき、私はそのとき軍人援護会に勧めておりましたが、会長自体においても軍人援護会の主体は戰犯になるだろうと
言つてびくびくしておる。或いはお役所の人も遺族の「ヰ」の字も言わなく
なつた。実に私は心外に堪えぬ。如何にこの
戰爭が侵畧的
戰爭であろうと、解放のための戰いであろうと、終戰が成り立つと共に
現実の眼の前に繰拡げられた暗を辿り行く者、それを助けることはこれは正義の戰いなのであります。これをや
つて行く分においては何ら恥ずるところはないと思う。であるに拘らずいわゆる右顧左眄しまして、遺族というものが一般から放り出され実に悲しき状態です。そういうことから行きまして、
未亡人達は起ち上
つて團体を作
つた。ところがその
團体は先き申上げましたように、二色の行き方でありまして……(「
委員長、
議事進行について」と呼ぶ者あり)名誉保持をする
團体と、本当に
生活のための
團体と、まあそういうように分けられます。
簡單にいたします。それから
現実にこれからや
つて頂きたいとお願いいたしますことは、どうか
母子寮の対策を確立して頂きたい。そのためには
行政の所管をはつきり
一つにしたい。例えば今日の兒童局をいわゆる兒童
母子局といいますか、名称はとにかく所管をはつきりして、そうして重点的に近寄らせる、又法令の点は
社会保障制度を完備して頂きたい。そうして
福祉法などを社会保障ができるまでは積極的に改正をして頂くか、できれば
母子保護法のような單独法を制定して頂きたい。而もその法制に加えますには、いろいろな融通資金の制度をお立て願いたい。例えば生業資金の制度、それから育英資金のごとき、住宅資金のごとき、それから以前読賣新聞社がよく厚生資金の制度を……(「
議事進行について」と呼ぶ者あり)
簡單にいたします。それで
施設の拡充の点これは先程申上げた通りであります。あれから結論が出ますから……職業指導の問題も省きます。それからもう
一つ申上げたいことは先程申上げましたように、
母子寮が
現実に直ぐ増設ができませんから、それ以外に対する
母子保護の対策を立てて頂きたい。
最後に
未亡人の性の問題であります。
未亡人再婚の問題について御留意を願いたい。これは單に食うためとか性欲のためだけでない。いろいろな面から行きまして、やはり再婚ということの非常に必要性もあります。而もその再婚を最も誤まらない再婚をさせるためには
母子寮が重要な役割を持つ。又寡婦で一生涯通す人も
母子寮は必要であります。それから再婚をする人のためにも
母子寮が非常な役割を果すということを申上げます。それから最後に
未亡人が性的過失をした場合に、これをどう取扱うという問題がございます。それで
未亡人が、母親が過失をしたために転落して行く、そのために罪のない遺兒が母親に喰つついて転落して行くという実情を私は見るのつけまして、やはり
未亡人の性的過失に対する適当な措置ということがここに
眞劍に考究されなければならないと思います。大変長らく失礼いたしました。