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議長(
松平恒雄君) それでは私から
皆さんに御
報告をいたしたいと思うことがございますが、それは
アメリカに
派遣されます
議員の選考の結果を申上げたいと存じます。これは一番初めに六月の四日、
衆議院の方にガヴァーメント・セクシヨンの方から、その問題を申して参
つたそうでありまして、
衆議院から私
議長、
事務総長に
衆議院の
議長官舎に來て呉れという
要求がありまして、議題は何も言
つて参りませんし、又集まる人も
衆議院の方の
各派の幹事というようなことでありまして、
ちよつとなんの
相談か分りませんでした。私も
ちよつと外の用がありましたものでしたから私出ませんでしたが、後から聞きますと、そのとき初めて
両院から十名
アメリカに
議員を出せということに
考えておるからということで、その選定のことを
司令部の方から
言つて参つたそうであります。それでそのときはなんでも
両院の
各派を通じていろいろ協議の結果、六月六日に一應先方に返事をしたのであります。これは尚
総長から詳しく申上げることにいたします。ところがその問題は中止に
なつたように、沙汰止みになりまして、到底
派遣のことは、まあ永久に延びたのかと
思つてお
つたのであります。それは六月六日であります。ところが六月の二十四日になりまして、突然
司令部の方から
ウイリアムス君が
両院議長その他副
議長、
事務総長に会いたいということで、二時に
衆議院議長室に集れということを申して参りまして、私
ちよつと遅れましたけれどもそこに参列いたしました。そのときに
ウイリアムス君は
参議院から二人、
衆議院から三人
議員を
派遣して呉れ。急いでおるから、成るべく
両院の
議長がここにおるのだから
一つ早く指名して呉れるわけに行かんかということでありました。併しどうもそう急に行かんし、やはり一應
各派に話をしないと工合が
惡いからということで、明日まで待
つて呉れというので、そのときは分れたのであります。それから翌日即ち二十五日に、当時在京しておられる
各派の主な方で
連絡のできる方にお集り願いまして、そうして午前十一時にその点について御
相談をいたしたのであります。結局その
人選については
議長に一任するという御
決定でありましたから、私はそれを含みまして、午後になりまして
高田寛君と、それから
櫻内辰郎君、この両
議員にお出で願うということを、選考いたしたことを
皆さんに申上げまして、そうしてそのことを
衆議院を通して
司令部の方に回答したのであります。これは今度はこの問題はすべて
衆議院の方に言
つて参りまして、そうしてこちらにそれから通知するという形にな
つておりましたので、そこで
衆議院を通じて回答いたしました。それからそういたしましたところ、
衆議院の方の
人選について多少ごたごたいたしましたけれども、更にこういう問題が起
つたのであります。それから二十五日の午後更に又
ウイリアムス氏の方から私に合いたいということを言うて來たそうでありますが、私がこちらを出ました後で
連絡が取れませんで、そのままにな
つてお
つたのです。それでも宜しいということであ
つたそうですが、それでその翌日二十六日は日曜日で、二十七日に
衆議院議長室に集
つて呉れということで、
衆議院議長のところに私も参りまして、そしてそのときの話に、更に
ウイリアムス氏の方から第二回の
派遣のことについて至急
人選して呉れ、こういうことを
言つて來たが、至急ということは、二十七日一杯に
衆議院三人、
参議院二人ということを言うて來たということでありましたけれども、多少まだ
衆議院の方の第一回の
人選についてごたごたしてお
つたものでございますから、
衆議院が決りません
状態でありましたから
從つて第二回の分を直ぐ決めるということはなかなか参りません。そこで午後
衆議院議長と私と同道いたしまして
ウイリアムス氏のところに参りまして
いろいろ話をいたしました。それは
衆議院の方の第一回の
人選がまだむずかしいような
状態を話し、
從つてそれが決らないとどうも
参議院の方も第二回の
人選を
ちよつと出すわけにはいかないというような形にな
つておるというようなことを
説明いたしまして、要するに二十七日中に第二回の
人選をするということは困るというので、翌日の盡まで延ばして貰いたいということ頼んだわけであります。まあ
ウイリアムス氏も止むを得ないというようなふうに、それをはつきり認めたわけではございませんけれども、ノーとも言わないで、それで翌日正午までに出すということに肚を決めて
帰つて來たのであります。それで二十七日に
各派の方にお集りを願いまして御協議いたしたのでありますが、これも
議長一任ということに
皆さんも御
同意になりましたので、それで又私が
人選いたしました。そのときは
参議院は二人でありまするが、それに
予備ということで二人、二人と二人で四人ということになるのでありますが、これは初は
予備という
文字を
使つてお
つたのでありますが、
衆議院の方から多少なにか話があ
つたと見えまして、
予備とか第二
候補者という
文字は使わなか
つたのでありますが、ただやはり一人出して、その人が
故障があ
つたときに代る人をつけて行く、こういうことにな
つたのであります。それでこのときは私は
民自党から一人、
社会党から一人、これはまだ
参議院としては
両方とも第一回の分に入
つておりませんので、そういうことにいたしまして、実は
決定する前に一應はやはり
民自党にも
社会党にも御協議いたしましたが、その結果
最後の指名は
民自党から
大野木秀次郎君、それから
故障があ
つた場合という方に
小串清一君、
社会党の方から
波多野鼎君それから
中村正雄君、この四人を
候補として指名いたしまして先方にも通知したのであります。その方については又別に詳しいことは向うから返答はございますが、それでいつ立ちますか、そのことはまだ
決定しないようであります。それまでの
準備として、いろいろ健康上の
準備、その
外旅券のこと等について
準備は進めているようであります。けれども立つ日にちも決まりませんし、第二の方のことは確定したことは言
つて参りません。大体そういうような経過でございまして、実はその都度
運営委員会に御協議するのができればよか
つたかと思いますが、そういうような突発的にや
つて参りますし、又在京の方も多いということのためにそういう
臨時の処置を取
つたということその点は御了承願いたいと思います。又足りないところは
事務総長から
お話申上げることと思います。