○證人(細野日出男君) 今度の運賃改正は、
経済九原則を実行するという
日本経済再建のための画期的な時期でありますと同時に、
日本のこの國有鉄道がパブリック・コーポレーシヨンとしまして、
日本國有鉄道として独立してや
つて行くという丁度時機にも際会いたします。いろんな
意味から根本的な檢討或いは改正が加えらるべき時機だと考うるべきだと思います。私は
交通経済学の專攻の学徒という見地から、又國有鉄道の財政或いは運賃問題を研究しておる者の一人という
立場から申上げたいと存じます。
経済九原則によりまして、財政の赤字を絶対に出さないということが最も強く要請されておりますので、
從つて日本國有鉄道に対しては独立採算ということが強行されることにな
つて來たわけであります。
日本國有鉄道の新発足といたしましても、独立採算でも
つて新らしくや
つて行くということが、これは望ましいわけであります。併しながら今までの
状況では、去年は三百数十億というような大きな赤字を出しております。これは殊に國家の物價政策或いは
経済政策、社会政策の
影響によるところが大きいのでありまして、多額の
政府補給金を貰
つて漸く辻褄を合せておるような
状態でありますから、一挙に独立採算に持
つて行くということは、これは非常にむずかしい問題だと思うのであります。
從つて今度の予算といたしましては、一通りは健全、独立採算の予算を立てられておるようでありますけれども、その中身を拜見いたしますというと、非常に無理がかか
つておると
考えるのであります。殊に旅客運賃の方は値上げをしない。旅客運賃だけで行こう。而も経費の方をうんと節約しなければ、その辻褄は合わないというところから、
経済九原則実行のための
経済政策的乃至社会政策的の負担というものが、旅客の画と、利用者のうちの旅客だけ、それから鉄道
経営自体即ち鉄道の從業員か多分にこれを負担するという
立場になるのでありますが、そういう利用者とそれから利用者に対しては、旅客の運賃値上げ、それから
経営者は從業員に対しましては、
経営の合理化という
名前の下に、強力な節約を励行させるというような結果にな
つておるのであります。即ち
経済政策的な犠牲というものを旅客、それから鉄道從業員というものにかぶせてしまうというような結果にな
つておるということが
考えられるのであります。
日本國有鉄道といたしましては、独立採算を確立することがこの際是非必要でありますけれども、併しながらその
内容を健全なものとして確立するということは、今度はまだ到底できない。従
つて本当に健全な財政確定の時期に対して見通しをつけて段階的に鞘寄せをや
つて行くというようなことをする必要があると思いますから、
経営の合理化なるものも今回一挙に実行することはできないと
考えられますが、
経営の合理化におきましては、客観的な適正原價を発見するというようなことが一番必要だと存じます。即ち適正定員、どのぐらいの人間があればこの
仕事がやれるのか、それからどの
程度の資本、國有鉄道でありますから、資本報酬なるものは益金として配当するようなことは必要がない筈でありますけれども、併しながら新らしい新資本の自己積立を行うということは是非或る
程度は必要だと
考えます。そういう原價を入れる、殊に原價のうちには、減價償却というものを十分に盛り込まなければならないと
考えます。減價償却は今度十三億何がしか計上されておるようでありまするが、これがいわゆる帳簿價格に過ぎないのでありまして、鉄道のような永久的生命を持ちました公益事業におきましては、常にアツプ・ツー・デートな
状況にして置かなければならないのでありますから、減價償却は即ち取替え費でなければなりません。取替えが新らしい現在の物價による、今後の物價によるところの取替え費に
相当するものを減價償却費として積立てて行くということが必要でありまして、これが即ち適正原價の中身になると思うのであります。この適正原價に基きまして、合理的な運賃体系を立てるということが、これが望ましい次第、合理的な運賃体系というものは勿論コストを睨み合せる、この適正原價を睨み合せまして、そしていわゆるオーヴアーヘツド・コストに当る部分というものが負担力によ
つて按配される、負担力によ
つて分担されるというような行き方で行くべきものだと
考えるのであります。そういう合理的運賃体系を立てるべきであるという見地から、今度の運賃改正
法案を拜見いたしますというと、一向そういう問題は
考えられておらないということができると思うのであります。適正原價というものは、まだ発見は
相当困難のようでありまするが、一應の原價はこの頂きました配付
資料によりましても出ておるようでありますが、原價によりますというと、去年の第一四半期七月から九月まででありまするが、單位当りの收支におきましては、黒字を出しておりますものは定期外の旅客だけであります。これだけが收入の方が支出よりも多い。一・三一という
数字が頂きました
資料の中に出ておりますが、それ以外のものは、すべてこれは赤字にな
つております。定期のごときは〇・二六原價に対して收入が僅かに四分の一しか人
つていない。それから手小荷物につきましては、やはり四分の一の〇・二六、郵便のごときは約半分〇・四七、それから貨物は小口扱も車扱もどちらも〇・四三ずつ、又自動車、船舶も旅客も貨物も一切がひどい赤字であります。即ち定期外旅客だけが現在の
状況におきましても償
つておる。原價に対して三割以上の余計の收入を挙げております。結局國鉄全体の赤字は三百億を挙げておりますから、この割合で行きますと定期外旅客というもので以て、その赤字のうちの
相当部分を結局負担しておるということになるのであります。ところが今度の改正案で参りますと、やはりこの定期外旅客というものが一番主なる負担者となるのでありまして、六割の引上げの結果は、もう
一つの第七表の方で拜見いたしますと、定期外旅客の原價に対する收入の割合は二倍七分一厘八毛ということにな
つております、約二倍七分になる。定期の方が漸く〇・五九、手小荷物が〇・五〇、郵便は〇・六二、小口扱が〇・五六、車扱が〇・五〇、貨物運賃がちつとも変らないのに原價に対する收入の割が去年よりもよくな
つて來ておりますのは、これは國鉄の
経営合理化の反映だと思うのでありますが、〇・五〇というところにな
つて來ておるようであります。自動車その他汽船も連絡船
関係も一切赤字でありまして、唯一の黒字はやはり定期外の旅客だけなのであります。定期外の旅客というものが一切合切を背負い込まされておる。それで独立採算になるということは合理的運賃体系から言いますと、甚だ滑稽な不健全なものたと言わなければならないと思います。
勿論國有鉄道というものは、私設鉄道と違います。私設鉄道におきましても公益事業といたしましては、
相当公共的な政策を執行する権利と義務があるものだと思うのでありまするが、國有鉄道はその独立採算の範囲内におきまして、みずから公共政策を行うべきであります。
從つて営業政策上のみならず
経済政策、社会政策という見地からも、運賃のコストに比較しまして、運賃の負担の
程度というものを或る
程度割振りするということは、これは当然やるべきことであります。併しながらそれにも或る
程度の限界があると
考えるのであります。勿論
営業政策的見地から申しますと、余裕輸送力を利用するという見地から、いわゆる追加的運輸を獲得するために、割引運賃を行うというようなことが、
営業政策的なり、前引運賃的なものにな
つて出て参りますが、
経済開発的の貨物だとか、物價政策的の貨物運賃を低く置く、或いは通勤者や通学者の定期券の運賃とい
つたようなものを安く置こうというような、社会政策的な運賃というようなものは、これは勿論國有鉄道の独立採算の範囲内におきまして、或る
程度は実行できるところであります。併しながら現在見ますような一切合切が定期外旅客が負担するというようなこういう
状態は、その限界を逸脱したものだと思うのでございます。一應各種の輸送物がコストを償うということがこれは望ましいのでありますが、必ずしもそうはいかないのがこれが各國とも
実情であります。併しながら
日本におきましては最近までの
状況では、競爭という事情から、
交通機関の競爭という事情から運賃政策を左右されるとい
つたような面が少いという点が大変
日本の國有鉄道の特徴だと思うのでありますが、そういういわば独占の威力というものを発揮いたしまして、定期外旅客にのみ極度の負担を掛けるというようなことは、健全なる運賃政策とは言い難いと思うのであります。簡單に申しますと何人と雖も自分のコストを他人に拂わせようとしないということは、これはやはり民主主義の大原則であるべきだと思います。利用によ
つて直接利益を受ける日が、そのコストに
從つて拂うということは、これは民主主義の原則でありまして、俺の運賃、俺の汽車賃は誰かが拂
つて呉れ、この貨物の運賃は俺が拂えないから誰かが拂
つて呉れというような態度は、これは非面に民主主義の原則に、反するものだと思うのであります。そういう面から言いましても、できるだけ各種の輸送物が、それぞれのコストを償なうというような運賃が決められるべきものだと
考えます。それから米國の例などから申しますというと、原價論から言いますというと、アメリカの鉄道も最近戰爭後は又
経営状況が、経費が上りますし、殊に人件費なども非常に上
つて來ておりまして、
経営が苦しくな
つて來ておるようでありますが、貨物運賃は、すでに六回も小刻みでありますが、値上げをいたしまして、戰爭の初めの
状態に比べまして、四割五分
程度、六回程に小刻みの値上げをしておるような
状況であります。一昨年、四十七年の実績というものは、貨物では十二億ドル程儲けておる。十二億五千万ドル程儲けまして、旅客で以て四億五千万ドル程の損失をしておるのであります。これは丁度
日本におけると正反対の
状況なのでありますが、
日本のように旅客だけで非常に沢山儲けて、貨物の方でひどく損失しておるとい
つたような鉄道は、世界にも又珍らしいことではないかと
考えます。アメリカがなぜ旅客運賃で以て損するかということは、これは競爭が激烈だからなのでありまして、航空機、バス、殊に個人の乘用自動車というものが、三千万台もあるのでありますから、鉄道の旅客運賃の方を物價に
從つて上げよう、原價に
從つて上げようといたしましても、却
つて個人乘用車の方に皆行
つてしまうというような結果になります。競爭事情から、これは上げることができないのであります。ところが
日本の事情におきましては、全くそういう旅客面におきましては、殊に独占性が強烈でありまして、旅客の負担において、貨物の赤字を、郵便物の輸送の赤字まで旅客が償う。それも定期外旅客というものが償うというような
状況にな
つておるのであります。非常にこれはアブノーマルなことではないかと
考えます。勿論
日本のような國情におきましては、今までの國有鉄道の沿革をずつと見ましても、旅客收入の方が常に貨物收入を上廻
つておるという傾向にあり、旅客の方が貨物よりも儲かるというようなことにな
つておるのでありますからして、こういう時期におきましては、その傾向は今までよりも、もつと強く現われるということは、これは止むを得ないと思いますが、現在までの
状況と、それから今度の案に現われましたような
状況というようなものは、これは
相当なる行過ぎだと
考えるのであります。やはりですから貨物運賃の引上げということが、或る
程度行われて、旅客運賃の引上げというものが、或る
程度緩和されるということが望ましい。殊に旅客運賃のうちでも定期券の運賃はこれは原價に見合いまして余りにも償
つておりません。何人も自分にかか
つたコストは自分が拂うべきだ。誰かに拂わせるべきものではないという見地から言いますというと、定期券運賃も当然値上げすべきものだと
考えます。一ケ月定期の外三ケ月、六ケ月の廃止というようなことで以て、四十八億円とい
つたような厖大なこの増收が上るということは、これは一面定期の利用者にと
つても非常に負担を
意味するということであるのでありますが、今までが非常に安過ぎるのでありまして、いつかの時期にこれは調整されなければならないものと
考えます。但しそれを一挙に持
つて行くというところに問題があるのだと思うのでありまして、そこに或る
程度の緩和
期間を置くという
意味から、私個人の
考えといたしましては、六ケ月定期は廃しても三ケ月
程度のところは残して置くというようなことも過渡的の
方法ではないかと
考えます。
尤も近頃は定期券というもの、一般に通勤定期というものは官廳以外におきましては
経営者負担のところが大変に多いのでありまして、これらは、旅客の方は値上げしても物價に
影響しないという見地が今度の案の根本だと思うのでありますが、必ずしもそうはいえない。又定期外旅客運賃においても、大幅の値上げが行われますというと、長距離乘客の
実情を或る
程度調べた話を聞きますというと、長距離乘客の中には官廳、会社の出張による用向の者が大変に多いということであります。官廳や会社の出張による用向の人達は一等或いは二等の運賃を貰います。そうして実際は一等車が連結してなか
つたり、或いは二等車が連結してなか
つたり、或いはありましても一等や二等は買えなか
つたり買わなか
つたり、というようなことで、下級の乘車券を買いまして、会社や官廳の負担としては運賃高が十不に現われて参りますけれども、鉄道の收入としてはそう現われて來ない。二等の出張旅費を貰
つても三等の切符で済ましてしまう。一等の出張旅費を貰
つても二等、或いは三等の運賃で済ましてしまうというようなことをいたしますと、それは結局物價高の原因にはなりますけれども、鉄道收入の効果は挙らない。徒らに、個人の利益になりまして、それは儲か
つたものとして何かに濫費されるというような傾向になるものでありまするからして、そういうことから見ましても、旅客運賃のみを大幅に上げるというようなことは余り策を得たものではないと
考えるのであります。又貨物運賃の引上げが必要であるということは、鉄道
経済自身としてコストの半分に達するか達しないかということのみならず、例のトラックや海運、汽船、それから機帆船というようなものとの運賃の調整の問題もあるのでありまして、そういう点からも或る
程度の修正が施されて然るべきだと
考えます。併し貨物運賃を引上げれば、必ず物價に
影響する。
從つて物價の改訂を必要とすることを避けるために今度はそうや
つたというようなふうに聞いておりますが、これは或る
程度は事実であります。併しながら或る
程度は必ずしもそうでない。貨物運賃の引上げをいたしましても、その
程度によ
つては第一次においてすでに吸收できるものがある。二次、三次においても吸收できるものが
相当あるのであります。勿論吸收できなくて直ちに生産者價格を上げ、消費者價格まで上げなければならないというようなものも、多少は出て來ると思いますけれども、これらは結局
日本経済の健全化を図るために、終局におきまして健全物價体系を作るということのためには、生産の能率を上げて行かなければならない。その生産の能率を上げるという面におきまして、こういう貨物運賃の合理化による引上げというものは吸收されなければ、健全な物價体系というものにはならないと
考えるのであります。今日のような一般の定期外旅客に徹底的におんぶしましたような運賃、貨物運賃というものを基礎として、その上に成立ちましたところの物價体系というものは、
外國の市場において競爭するというような
日本経済の自立のためには、結局脆弱極まる運賃ではないかと思うのです。
從つて貨物運賃が、例えば新聞で拜見いたしますと五割引上げ、旅客運賃は三割
程度の引上げに止める。定期券は三ケ月定期
程度を残すとい
つたような修正案が新聞に両院のいずれかの案であ
つたようでありますが、そうい
つたようなものが通れば誠に結構だと
考えます。但し私は決して今度の運賃の改正によりまして、一挙に國鉄財政健全化ということができるとは
考えませんで、一定のこれから何ケ月か、一年か或いはそれぐらいの
日本経済の自立の、この
程度ならば合理的なものであるというようなものを作り上げるところの目標的時期を定めるという必要がある。それまでに漸次鞘寄せをする
方法が必要だと思うのであります。その
意味からも貨物運賃を今日このままにして置くということは、その將來の修正のときにおきまして、非常に又大幅に修正をして物價に大きな
影響を與えなければならんというような大きな危險を包藏するものでありまするからして、この際やはり貨物運賃にも
相当タツチして置くということが必要だと
考えるのであります。
それから今
一つこの新聞ラジオ等の聽取者の声を聞きましても、國鉄に対する世論というものは、主として旅客の面から起
つておるのであります。ですから貨物の面からは余り起
つて來ない。國鉄をいろいろ非難し非議するとい
つたような声は主として旅客の面から起
つておるというような
方面から見ましても、國鉄は今度の旅客運賃値上げによりまして、又囂々たる非難の対象となるということが
はつきりいたしておるのでありまして、殊に定期客というものはこれは世論の中心になる、即ち、代弁者とい
つた形になるのでありますので、非常に主張が強いのでありますが、併しながら旅客の中で定期外旅客と言われる者が一切合切鉄道の赤字を背負い込んでおるのだというようなことをこの際もつと
國会方面において、
はつきり國民に知らせるということが望ましいのであります。尚國民の声がそれでも止むを得ないということであるならば、この運賃の定期外旅客が高い唯一の黒字を負担して行くということも又民主的に承認されるということになるのでありますが、この事実を余り
はつきりさせないでそのまま定期外旅客の六割値上げというようなことで國鉄の独立採算を強行するというようなことは、國民と國鉄とも
関係を惡化するものでありまして、決して國鉄のためにも、國民のためにも望ましいことではないと
考えるのであります、学生定期のごときは今の引上げは事実上非常に氣の毒な面が多いようでありますが、併し現在のものは余りにも不均衡である。学生の中でも煙草を吸
つたり、コーヒーを飲んだり、映画に行
つたり、食物や服裝というようなものに
相当金をかけておる者もあるのでありまして、学生定期のみ不当に安くしておるということはこれらの学生に濫費或いは贅沢をさせる結果になるのであります。学生定期も
相当引上げる、そうして本当に困
つておるという者に対しては学生定期に対して特例を開く、例えば
言葉は惡いかも知れませんが、貧困証明書とい
つたものを出すことによ
つてそれらの本当に困
つておる煙草を吸
つたりコーヒーを飲んだりできないというような学生達に対しては学生定期の中に更に特別の割引制度を
考えるというようなことも
方法としてはあるのではないかと
考えるのであります。結局近い將來における完全な國鉄の健全財政を確立する時というものに目安を置きまして、そのときに本当に合理的な運賃体系を作る。それまでは今度は鞘寄せの時期として運賃改正を行うということが適当でないかと
考えます。そこでその本当の
意味の合理的運賃体系を立てられますときには、貨物運賃というものがもつとコストを償うように引上げられる。そのときには現在の今度の非常に高くなりますところの旅客運賃の方は引下げるというような
方法を講じて合理的な運賃負担に戻すべきではないかと
考えるのであります。