○小林進君 私は、新
政治協議会並びに同罪極刑論を主張する
野党を代表いたしまして、このたびの
懲罰委員会における
決定に
反対せる
理由を述べたいと思います。
私は、民主主義下における
國会は、二つの基本的原理を掲げて、この二つを常に擁護し、これを暢達するために不断の努力を拂うべきであるという信念を持
つているのであります。その二つとは、すなわち言論の自由であり、その一つは暴力の徹底的排撃であります。あくまでも言論の自由を高度に守り抜くという信念、あくまでも暴力を徹底的に排撃するという信念、この二つを全うして初めて理想的な
議会政治の実現を期することができると思うのであります。この基本的な考え方をも
つてこのたびの暴行
事件を見る場合に、私はこのたびの裁決にとうてい承服しがたいのであります。
明治二十六年十二月、第五
議会において、
議員の体面を汚したる場合として、第一回の
懲罰がこの
議会において行われて以來今日に至るわが國の
國会は、
議員の自由な発言に対する言質をとらえてこれを
懲罰に付している事犯はまことに多いのであります。われらは、今その前例を調査してみて、か
つてわれらの先輩が築き上げた
國会が未だ眞の民主
政治に徹底せず、封建的残滓を多分に残していたという事実を、この
懲罰の一点より充分に察知し得るのであります。特にこのたびの戦爭初期における西尾末廣君の、その当時の近衛首相に対する
質問演説において、ヒットラーのごとく、あるいはスターリンのごとく果敢であれという激励の辞に対しても、スターリンの四字がいかぬというので
除名処分にせられたごときは、わが國の
國会の歴史上における重大なる汚点であると思うのであります。
かくのごとく言論に対して至厳なる
態度をも
つて臨んだわが
國会が、翻
つて暴力の問題になると、はなはだその処置が緩慢であ
つたという感を抱か
ざるを得ないのであります。(
拍手)
議場の
騒擾をかもしたる場合としてこれが処分を受けた事犯も相当ありまするが、いずれもこれは、われらの考える以上に軽き処罰をも
つて行われているのであります。特に大正中期において、当時の民政党鈴木富士彌
議員に対して、当時の政友会の鳩山一郎
議員その他の
議員がこれを院内において殴打した
事件があります。この当時の政友会というのは、もちろん今の
民自党の前身であります。このたびもまた、院内における暴行
事件がこの
民自党によ
つて行われている。代々この党はこのようなことをおやりになる先天的危險性を備えているのではないかとわれわれは疑わ
ざるを得ないのであります。(
拍手)
ともかく、かような殴打
事件がいずれも軽き処分によ
つて行われていることは、これは一にわが國の
國会が眞の
議会政治に徹底しなか
つたこと、また暴力というものを日常茶飯事のごとく考えていたということの二点にとどまると思うのであります。こうした暴力軽視の考え方がいかに社会全般に惡い影響を及ぼしたか、想像にあまるものがあるのであります。だんだんこの思想を徹底して行くところ、
國民の中には、
議会内に暴力を振う
議員をむしろ英雄視する、人氣の焦点とする、かような風潮にまで至
つて、今なおこの残痕が全然なしとは言えないのであります。かような暴力肯定の氣持、暴力を軽く考える氣持、暴行者を英雄視する氣持は実は恐るべき氣持でありまして、これがひいては
議会政治を否定する思想となり、あるいは独裁的権力を礼讃する思想となり、あるいは戰爭を挑発する氣分ともなるのであります。われらは断固としてかような暴力是認の封建的性格を完全に
國会から追放し、か
つてわれらの先輩がつく
つた國会のこの
懲罰事犯に対し、ま
つたく新しい角度より、新しい先例をつくり上げるという角度から、この問題を取上げなければならぬのであります。(
拍手)このたびの
懲罰事犯に対しましては、かくのごとき至厳なる
態度が必要であ
つたのであります。
翻
つてこのたびの問題を見まするに、
共産党の
立花君が
民自党の小西君を殴打したのがそもそも
事件の発端であります。この問題は、これをも
つて終りとすれば、これは実に單純な暴行
事件であります。むしろ被害者たる小西君は罰せられ
ざるが至当であるかもしれません。しかし、問題はその後幾多の派生的
事件を勃発いたしておるのであります。
第一に、殴打された直後の小西君の
議場内における追跡行為の中には、單に
議場を
騒擾せしめただけにとどまらず、その行為の中に、すでに將來の問題を予測せしめるに足る危險性が多分に含まれていたのであります。もし、刑法にいうところの客観説と主観説の問題、行為そのものよりも、その危險性を包含するその意思に重点を置くという主観説の刑法論によるならば、小西君の
議場内における行為は、危險なる意思の表現として、すでに何らかの処置を講ずべきであ
つたにもかかわらず、これが放任せられていたところに第一の問題があるのであります。
第二の問題としまして、小西君が
民主自由党の代議士会において、これは直後有志代議士会に名称がかえられたそうでありますが、そこで侠客道を説き、私的報復を説き、加害者を
懲罰するな、みずからの手でこれに報復するということがごとき言葉があ
つたのに対し、
民自党の代議士会も
——有志
議員諸君は、これに急霰のごとき
拍手を送られたという問題であります。
第三の問題は、
共産党の志賀君が
立花君を帶同して小西君に面会して、そこで
立花君が小西君になぐられているという問題であります。これが不問に付されている。
第四の問題は、これらの殴打
事件に関して、その翌日、院外のある封建的勢力とみなされる者が議院内に現われて、仲裁の労をと
つたということであります。
手打式をや
つたかいなかは問うところではありません。ただ、この侠客道と称する院外の勢力によ
つて仲裁されたことは明らかなる事実であります。
國会議員がなぐられて、なぐり返されて、院外のある種の封建的勢力によ
つて仲裁せられるという、この睡棄すべき行為が問題の第四であります。
この四つの問題がそれぞれ眞相を明らかにされて、その
責任の帰属を明確にしなければ、われわれ
懲罰委員としては、これらの一切を総合しての公平なる裁定を下すわけにはいかぬのであります。(
拍手)
從つて、わが党といたしましては、まず第一の小西君の
議場内における危險性の表徴の問題、第二の、控室における報復的暴行問題について、
議長の
意見、ひいてはその
責任を問わんことを提議いたしたのであります。もしこの問題を
懲罰動議の範囲内にとどめておくならば、小西君の
立場から言えば、
議場内の
責任だけとれば、あとの廊下、控室、食堂における行為は、全然
責任なしということになるのであります。またわれわれ第三者よりすれば、
議場における暴行あるいは傷害行為については、いわゆる
懲罰動議によ
つて身を守られる。あるいは一歩
議場の外に出れば、警察権によ
つてわが身を守られている。しかし、院内の廊下や控室や食堂においては何ら身を守られないというところの結果になるのであります。
〔「時間々々」と呼び、その他発言する者多し〕