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國務大臣(殖田俊吉君)
田中さんのお尋ねにお答えいたします。誤解を避けますために詳細にお答えをいたします。
松本治一郎君は、
昭和十六年十月、
大政翼賛会福岡縣支部の顧問に就任しております。また、同十七年四月十日施行されました衆議院総選挙にあたりまして、
大政翼賛会の推薦候補に推されて当選をしておるのであります。同年六月一日には、衆議院議員として翼賛会に入会されております。次いでまた大日本政治会にも入会せられております。これらは資格審査調査の記録によ
つて明らかであります。
そういたしまして、右の翼賛選挙において
大政翼賛会の推薦を受けた議員候補者であ
つた者は、当選したといなとにかかわらず、当然
昭和二十二年
勅令第一号別表第一の
規定に該当いたしまして、覚書該当者として指定さるべきものでありまして、現実にこの
基準の適用を受けて
追放されたものは、当落のいかんにかかわらず、これら推薦候補者のほとんど全員に及びまして、その数は実に四百四十九名の多きに達しておるのであります。
松本さんはその一人であります。しかるに、ひとり
松本治一郎氏のみは、前記のようないわゆる推薦を受けた事実があるにかかわらず、覚書該当者としての指定を受けず、この間まで
参議院議員としておられ、副
議長の重職についておられたのであります。
本來
勅令第一号は、その
性質上ポツダム宣言の趣旨に照し、最も適正に施行されねばならないことは申すまでもないことでありまするが、当時わが
政府が
松本治一郎氏に対して特にかようなる
措置に出たのは、けだし次のような政治的考慮によ
つたものであろうと思われるのであります。すなわち、
松本治一郎氏が前記のような
大政翼賛会の推薦候補者とな
つたことは、同氏の経歴上唯一の例外と認めらるべきものであ
つて、その例外を除けば、
松本君は多年にわた
つてわが國社会
運動の一翼であります部落開放
運動に参画し、その有力なる
指導者の一人として終始社会正義のために
活動されたものとみさなれたからであります。
松本治一郎君がかような経歴の持主であることを前提として同人を覚書該当者として
追放するよりも、むしろあえて
勅令第一号による覚書の該当者としての指定を中止し、同人をして引続き政治
活動に從事させることが、終戰後のわが國民主化のため、はるかに好ましいものと考えられたからであろうと思うのであります。
大政翼賛会の推薦を受けた議員候補者であ
つた者に対する
勅令第一号の適用に関して、わが
政府がかような政治的考慮を拂うことがはたして適正な
措置であ
つたかについては、いささか檢討を要する問題でありますが、しばらくこれを論外といたしまして、
松本治一郎君が稀有の例外として覚書の非該当者としての指定をされてお
つたということは、少くとも同君の過去の経歴が前途のように民主的なものであ
つて、他に
追放されるような事由がないということを前提とするものであ
つたのであります。もしこの前提が多少でもくつがえされるような場合におきましては、遺憾ながら、もはや
松本君に対しましてこれ以上政治的考慮を加えて
追放を免れしめる余地はないものといわねばならぬのであります。
しかるに、昨年八月に至りまして、
大和報國運動本部なる
團体が
昭和二十一年
勅令第百一号第一條に該当するものといたしまして
解散を指定されたのであります。これは、ただいまもお話がありました通り、
芦田内閣の当時、鈴木
法務総裁の名においてこの指定を受けたのであります。ところが、意外にも
松本治一郎君がこの
團体の主要役員として指導的
活動をしてお
つたところの疑いが生じましたので、愼重に調査をいたしました。その結果、以下申し上げますような結論に到達したのであります。つまり、昨年の八月に
解散團体に指定されて、ただちに
松本君の問題を調べまして、昨年の十二月十一日に至りまして、
松本君の
追放を確定するほかないという結論に達したのであります。その
理由を申し上げます。
大和報國運動本部と申しますのは、
昭和十五年十一月三日ごろ、いわゆる翼賛政治体制確立の一翼といたしまして、大東亞新秩序の建設及び國防
國家体制の完成ということを
目的に掲げまして、
部落解放運動の有力
團体である全
國水平社その他の諸國体を統合して結成されたものであります。いわゆる大和一致の
運動を通じて右
目的を実現し、これによ
つて水平
運動をも大いに発展せしめようと考えられたのでありましよう。講演会の開催その他諸般の
活動を展開いたしまして、
昭和十六年八月ごろ
大和報國会という名前に変更されました。これは今
田中君のお話の通りであります。
しかしながら、次いでこの報
國会が大
日本興亞同盟に参加するに至
つたのでありますが、そのときに、
大和報國会の名義をも
つて参加してはおられません、
大和報國運動本部なる名義をも
つて参加されておるのであります。しかも、この両会は、本部と申し、あるいは報
國会と申しましても、実はま
つたく
同一のものでありまして、名前が違うだけであります。そうして、十六年十二月ほんとうの戰爭が勃発するに及びまして、この報國
運動本部も発展的に解消するという
意味でありましよう、翌年の三月に
解散をいたしておるのであります。つまり
大和報國運動なるものは、
部落解放運動を大和一致
運動として実践することによ
つてその
目的の実現をはか
つた、軍國主義的かつ超
國家主義的な
團体にほかならないという結論に達したのであります。
これが、昨年の八月に鈴木
法務総裁のもとにおきまして
解散團体として指定されたゆえんでありまして、その指定は決して違法でもなく不適当でもありません。まことに適当な
措置であ
つたと考えるのであります。
從つて、
田中さんただいまお話のごとく、この指定を取消す意思はないかというお尋ねに対しましては、取消す意思はないとお答えしなければなりません。
さらに申し上げますが、
松本治一郎君は、陸軍中將島本正一及び
山本政夫氏らの勧誘に應じまして、
大和報國運動本部のその
目的を承認されながら、同人らとともに、
昭和十五年秋ごろ、東京における発起人会にも出席しておられますし、さらに発足大会にも参加しておられます。そうして、これらの結成に協力をしておるのであります。さらにまた、先ほどお話がありましたが、十六年の五月には、大阪
中之島公会堂における第一回全國推進
委員大会というものがあ
つたのでありますが、その大会にも出られまして、講演をしておられるのであります。それを訣別の講演である、
反対の講演であるということを言われるのでありますが、当時の記録によりますれば、これは激励の説演であるという記録すらもあるのであります。そのほか、全國協議員会等にもたびたび出席しておられます。
こういうわけで、
松本さんは主要なる役員とな
つておられるのでありますが、ただ
松本氏御自身及びその他
関係者の中には、その事実を今の
田中さんと同じように否認されまして、その記録がない、あるいはそれが間違いであるというような弁解をされておるのであります。これをも
つて反証といわれるのでありますが、これらの反証を採用してその事実を否定するというほどの値打があるとは考えられないのであります。ただ、
松本氏が次第にその会内において消極的態度をたられたという事実はあるようであります。しかしながら、たとい消極的態度をとられたにいたしましても、最初から消極的であ
つたわけでもなし、すでにこの
團体が
解散團体として指定されております以上は、その
團体の
経過の中でどのような態度をとられたにいたしましても、どうもこの
團体のわくから逃れるわけには行かないと思うのであります。
大和報國運動本部の
関係者の中で、
松本氏を初めといたしまして、島本正一、
山本政夫、深川武、伊藤末尾、中村至道、田原春次、中西郷市、
田中松月及び井元之の十氏は、いずれも
勅令第百一号の第五條の三、第一項に
規定する役員たりし者に該当するのでありまして、当然これは第二項の
規定によ
つて指定しなければなりません。
勅令第一号による覚書該当者として指定を受けたものとみなされるわけになるのであります。なかんずく
松本治一郎氏に対しましては、同君が
大和報國運動本部の
理事であ
つたことが認められる以上、同君が前述のように消極的な態度をおとりにな
つたといたしましても、これを
理由としてその指定を免除することはできないのであります。ということは、ただいま申し上げた通りであります。のみならず、
松本氏の指定について、
松本氏が水平
運動の有力者である、この有力者を指定することは政治上いろいろな影響があるから、これを考慮する方がいいというお話も各方面からあ
つたのであります。しかしながら、その人の政治上の背景、そ人の政治上の勢力というものを考えましてこの
追放を左右するがごときことになりますれば、國民の中に差別をいたすものでありまして、とうてい公正な
追放の適用はできないのでありますから、たといいかなる御勢力がおありになろうとも、断固これを
追放するとりはかいたしかたがなか
つたのであります。
かようなわけで
松本さんが
追放されたのは事実でありまして、いかにもお氣の毒な点もございますが、やむを得ざることと御
承知を願わなければならぬのであります。また、
松本さんは
追放を要しない、これは非該当とするというような記事が、昨年の九月の初めに新聞に現われてお
つた。これは非該当にきま
つたのである、こういうお話でありますけれども、それは新聞の記事でありまして、私はその記事に左右されるわけには参りません。私が
法務総裁に就任いたしましたのは昨年十一月七日でありましたが、そのときは決して非該当と
決定はしておりません。該当と
決定するほかなき状態にあつのでありまして、その後十分に調査をいたしまして、
関係方面ともよく愼重に協議を遂げました結果、該当せざるを得ないという結論に到達いたしたのであります。それが十二月の十一日でありまして、その日に該当の
決定を終結いたしたのであります。ところが、ただちにこれを発表すべきであ
つたのでありますが、時あたかも総選挙が予想されておりました。そこで、総選挙を予想されておりまする場合に、該当として
松本氏を有力なる地位より奪いますことは、社会党の勢力
関係に大いなる影響があると考えまして、(
発言する者あり)これは総選挙に影響を及ぼすものと考えました結果、特に考慮いたしまして、選挙の終了を待ちまして、選挙が終了した後に発表をいたしたのであります。これが、昨年の
決定が延びまして今年の一月二十五日に発表にな
つたゆえんであります。
それから
訴願委員会のお話がございましたが、ただいま
松本氏は、
訴願委員会に訴願を提起しておられます。
訴願委員会は愼重に考慮いたしまして公正なる結論を出すことと思います。もし
訴願委員会の結論が正しく出ますならば、
政府はむろんその結論に從うにやぶさかなるものではございません。(拍手)