○千賀
委員 社会教育でございますが、昨日もここで発言をいたしましたが、最も
社会教育を必要とするものは、
成人よりも
青少年であろうと思います。
青少年に対しても、
学校であるとか、おるいは
市町村であるとかいうものは一切
社会教育に干渉しては相ならぬという
條項がここにございますが、しからばだれが
社会教育の操縦をするのかと思
つて議案を探しますと、
社会教育委員会が大体やるようにわれわれは
承知をいたしました。しかしながら
社会教育委員会の
実情というものは、大体町村におきまするおだいさまが選ばれまして、この少数の方の
社会教育委員ができましても、実際それらの人は生活にかまけ、または再少年の生活とはたいへん
年齢的にも縁遠い人で構成せられる場合が多いのでありまするから、
青少年の生活と
社会教育委員方とは、ほとんどま
つたく日ならずして交渉のない無
関係なものにな
つてしまうと思われるのであります。
指導者の
一つの
グループと、指導を受ける者の
グループが全然没交渉にな
つてしまう、さらに、
学校も
市町村も指導してくれないということになると、結局はそれでは
青少年の自治でみすからの修養を高めようということになるのでございますが、この自治がすこぶるたいへんなものであります。若い者もほ
つておけば、十年たてば十才年をとり、五十年たてば五十才年をとるということで、結局は一生を通じて一人前の生活体験を初めて得て、完成した人間になるころには命が終るということでありまして、
社会教育なるものが、こうしたのんきな傾向をたど
つて完成されて行くというならば、それが
目的だというならば、また何をか言わんやでありまするけれども、現在の社会を急速に引締め、
日本の自立復興を加速度的に助長しようと
考えますると、そんなことでは困ると思うのであります。われわれもさような緩慢な氣持で
社会教育制度をながめたいとは
考えておりません。もつと急速に効果があがるようでなければならぬと思
つております。そこで昨日発言をいたしました火災予防の件だけでも、
青少年の自治にまかせるのみでなく、もう少し指導という面も
考えてもらいたい。なるほど火の用心は火事である。火の用心をおろそかにしたならば、たいへんなことになるが、最も注意を要する火の用心のポイントはどこであるかということを自得させるまでに至らしめなければいけない。われわれがこの資源の乏しいところで、虎の子のようにしている
学校なり工場を片つぱしから燒き話してくれたのでは、いかに
社会教育が徹底しようといえども、何をか言わんやということにな
つてしまうのであります。そうすると、もつと急速にこの
青少年の修養の中に、生活体験のゆたかな、生活知識の十分きわめられたるところの、いわゆる先覚
指導者の指導を十二分に取入れなければ、
青少年が一人前の人間になるまでには國家的のロスも多いし、また間の抜けた
社会教育になるのでございます。何とい
つてみた
つて、
青少年の
教育に壮年、老年の生活体験知識を取入れなければ——また見ようによ
つては、これが指導に過ぎるという形になりましても、これは
相当に、場合によれば強硬にやらなければだめだということは
あまりにもよくわかりすぎております。これに対してとうにもこの案ではいくじがなさすぎる。もつと必要なところはぐんぐんとや
つてもいいと私は思
つております。現在
日本の全体の機構でさえもわれわれは民族自治を認められておる形ではありましても、必要な場合には大きな力からわれわれはどんどんあらゆる
方面に強烈なる
社会教育を集中せられつつあります。たとえば
日本の漁業のごときでも、在來の
日本の漁業は漁獲高の多いことをも
つて世界に誇
つてお
つたのでございますが、この漁業をも
つてしては、世界のあらゆる民族から
日本の漁業はボイコットを受ける。
日本の漁業は取る技術を誇ることもけつこうだけれども、取る前に魚をもつとふやしてから、みずからの知識とみずからの努力においてふやした魚をみずから巧みに取
つて、いやが上にも民族をにぎわせるという指導を今われわれは受けつつありまして、翻
つて考えてみれば卒然として氣がついた次第であります。
日本の漁業といえども、その観点に立たなければ、世界の各民族の間にとても
日本人としての位置を認められることができないということから、今や
日本の漁業は画期的に形を改めんとしつつあるのであります。これはた
つた一つの事例で、私が本文部
委員会に轉籍をして参ります前に属してお
つた水産
委員会において、眞劍に問題に
なつたところでありますが、た
つた漁業
一つにおいてさえもかくの通りでございます。
社会教育、
日本民族全体がいかにしてすこやかに生きて行こうか、民族の思想をいかにしてゆたかにして一行こうか、この
教育のためには、もちろん
相当に必要な
方面には張力な指導がいる。これは理の当然であります。これを今のままでありましては、こわいものに氣がついておりながら、よろ手を触れずに、とうとう青年が一生かか
つて満足な人間になるまでには、
日本のあらゆる
文化財というか、資財は烏有に帰して
しまつて、再びほんとうに完成した人間にな
つて立ち上ろうとしたときには、すでに立ち上がるべき経済的の力が消失をしておるということにな
つてしまうのであります。私は火災の例に
一つ引例をいたしましたけれども、これは決して火災だけではありません、全人生のあらゆる面に対しまして同じ事が言えるのであります。かような点に何もおつかなびつくりでおることはありませんが、もつと有効適切な指導を注入する法はないのか。また当局も氣がついておるならば、一体この
法案でどこでそういういうことがあえてやり得るのか、所信を承りたいのであります。
次は
文部大臣に伺おうと思いましたが、大臣でなくてもけつこうであります。この
法案の表現法であります。ここにレクリエーシヨンというかなが使
つてございます。レクリエーシヨンというかなは英語でもなければ
日本語でもない。こういうあいまいなものをなぜお使いになるか。このレクリエーシヨンというかなが使
つてあるのは英語の何という字に
相当しておるか、
意味がわからなければ
ちよつと辞書を引いて見ようという氣持が出るのは、六・三制をほとんどしま
つた者くらいでなければだめでありましよう。あるいはレクリエーシヨンという字を、これは英語のあの字だなとわかる人は、上級の
学校に中学が済んで入学試驗の準備をしておる者が、そこらに書いてある社会科試験に出たときにという用意で
研究をして腹に入れておる者、かような者くらい以上に英語に堪能な者でなければ、おそらくレクリエーシヨンとかなで書いても、どういうことだかわかるまいと思います。また過去において英語にいかに堪能な方がありましても、あの町にべたべた張
つてあるオフ・リミツトだとか、このレクリエーシヨンだとかいう字は米語でありまして、ほとんどアメリカ人の使うような
意味では、いかに英語が堪能な人でもわかり得ないのであります。文部者は國語
研究機関をみずから持
つておられます。このレクリエーシヨンを一体この議案にお掲げになるならば、みずから持
つておいでになる國語
研究機関に付議をなさ
つて、あそこでも頭を下げたからこのままこんな妙な字をお書きにな
つたのか。この点が
はつきり伺いたいのであります。あなた方は五十万円の
予算を取りまして、まさに國語
研究をして國家百年の大計を今やここに基礎づけんとしておる大
事業をおもくろみにな
つておるのでありますが、レクリエーシヨンなるこの米語が、アメリカ人がどんな
意味にこれを使おうとしておるか。それこそ國語
研究所において
研究なさ
つて、これを
日本語で簡單に表現するならば、何という字を使
つたらいいかということは、およそ國話
研究所の
最初の
一つの
仕事としてできるはずであります。それをなさ
つてもなおかつここにこんな字を使わなければならなか
つたのかどうか、まことに私は遺憾に思います。本議案ではこの一字だけでありますけれども、今回衆議院に提案されている政府の全議案の中では、こうしたあいまいな字を使
つてあるのは
二つ三つでは数え切れない数であるように
考えておりますが、これを統一することこそ、必ず
文部省において確かにやり得ることであると思います。國語
研究所の活用によ
つてやり得ることであると思いますが、
文部省はそれだけの抱負を持
つて、各省に難解な米語があ
つたらおれたちのところへ持
つて來いということの通達をせられて、議案の單一化と申しましようか、正しい國語をも
つて表現する
方法をわれこそはや
つてのけんというだけの意氣に燃える力が、どうしてたくさんのお役人の中に一人くらいはないのか、非常に私はこの点遺憾に思うのであります。この点に関しまして御見解はいかがであるか伺います。