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1949-05-11 第5回国会 衆議院 文部委員会 第15号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十四年五月十一日(水曜日)     午前十時四十五分開議  出席委員    委員長 原    彪君    理事 佐藤 重遠君 理事 圓谷 光衞君    理事 水谷  昇君 理事 松本 七郎君    理事 今野 武雄君 理事 稻葉  修君       岡延右エ門君    甲木  保君       黒澤富次郎君    千賀 康治君       高木  章君    田中 啓一君       平澤 長吉君    若林 義孝君       受田 新吉君    森戸 辰男君       小林 運美君    渡部 義通君       船田 享二君    松本太郎君  出席國務大臣         文 部 大 臣 高瀬荘太郎君  出席政府委員         文部政務次官  柏原 義則君         文部事務官         (学校教育局         長)      日高第四郎君         文部事務官         (教科書局長) 稻田 清助君         労働事務官         (職業安定局         長)      齋藤 邦吉君  委員外出席者         議     員 武藤運十郎君         衆議院法制局長 入江 俊郎君         参  考  人         (東京音樂学校         長)      小宮 豊隆君         專  門  員 武藤 智雄君        專  門  員 横田重左衞門君 五月十日  委員淺香忠雄君辞任につき、その補欠として平  澤長吉君が議長指名委員に選任された。     ――――――――――――― 五月十日  年齢のとなえ方に関する法律案田中耕太郎君  外十七名提出参法第四号)(予) 同日  山口市に國際文化館建設請願佐藤榮作君外  一名紹介)(第一四六四号)  新制中学校建設費助成等に関する請願小林信  一君紹介)(第一四七三号)  「婦人の日」を祝祭日に指定の請願戸叶里子  君紹介)(第一四七四号)  六・三制完全実施のため予算確信に関する請願  (戸叶里子紹介)(第一四九一号)  新制中学校建設費助成に関する請願小林信一  君事紹介)(第一四九二号)  教育予算確保に関する請願池田峯雄紹介)(第一五〇八号)  宮城学藝大学設立請願庄司一郎君外五名紹  介)(第一五三四号)  世界暦採用に関する請願柏原義則紹介)(  第一五三五号)  六・三制完全実施のため予算確保請願渡部  義通君外一名紹介)(第一五五四号)  新制中学校建設費助成に関する請願田代文久  君紹介)(第一五五七号)  文化財保存及び保護に関する請願船田享二  君外三名紹介)(第一五五九号) の審査を本委員会に付託された。 同月九日  新制中学校施設整備に関する陳情書外五件  (  第三二八号)  書道を必須科目復元等陳情書  (第三四六号)  新制中学校施設整備に関する陳情書  (第三六〇  号)  六・三制完全実施のため全額國庫補助陳情書  (第三六三号) 同月十日  新制中学校施設整備に関する陳情書  (第三六六号)  六・三制完全実施のため國庫支出金増額陳情  書(第三六七号)  六・三制に伴う中学校整備費全額國庫補助の陳  情書(第四〇三  号)  六・三制完全実施のため教育予算増額陳情書  (第四一五号)  六・三制校舎建築予算に関する陳情書外五件  (第四一六  名) を本委員会に送付された。     ――――――――――――― 本日の会議に付した事件  國立学校設置法案内閣提出第一三〇号)  学校教育法の一部を改正する法律案内閣提出  第一一六号)(予)  派遣委員より報告聽取の件     ―――――――――――――
  2. 原彪

    原委員長 これより会議を開きます。  去る四月二十七日から三十日まで四日間、法隆寺災害実地調査のため委員を派遣いたしましたことは御承知の通りでありますが、ただいまから派遣委員の方より報告を聽取いたします。水谷君。
  3. 水谷昇

    水谷(昇)委員 かねて本委員会から議長あてに申し出ておりました四月二十七日より四日間の法隆寺視察の件は、委員長の一方ならぬ御高配によりましてようやく出発予定の前日、すなわち二十六日に運営委員会の認めるところとなり、同日夕刻委員長より派遣せらるべき議員專門員指名がありましたので、即夜現地に連絡いたしまして、予定通りに翌二十七日出発、おかげをもつて所期の目的を果すことができました。はなはだ僭越でありますが、私から簡單にまずその模様を御報告申し上げまして、足りない部分同行委員各位からあとで十分に補つていただきたいと存じます。  派遣議員伊藤郷一君、淺香忠雄君、受田新吉君、渡部義通君の四名に不肖私で五名、それに武藤專門員同行せられましたが、なお若林義孝君が私費をもつて参加せられましたことは大いに意を強うするものでありました。  すなわち一行は委員長の御指示通りに四月二十七日午後七特東京駅発、翌二十八日午前七時五十二分奈良駅着、出迎えの奈良縣松友教育長視察日程打合せの後、法隆寺に直行、親しく金堂を初め五重塔聖霊院、食堂、宝物館夢殿等視察し、中宮寺保存工事事務所壁画のいわゆる記憶模写現場にも立ち寄りました上、寺務所において佐伯貫主以下の法隆寺側乾技官以下の保存工事事務所側、また文部省の委嘱によりまして折から出張調査中の國家消防廰並びに東京消防廳事務官、それに奈良縣縣廰側を加えまして懇談を重ねました。  調査の概要を申し上げますと、まず金堂内部でありますが、全部が残るくまなくむし焼となつております惨澹たる状況は、まつたく眼をおおわしめるものがありました。  回顧すれば、一昨年第一回國会当時、時の文化委員長福田繁芳君は本会議での緊急質問において、國宝重要美術品の散逸は、奈良、京都を爆撃から救つたウオーナー博士に対して相済まないと申されましたが、そのウオーナー博士は今度の金堂火災を聞知せらるるや、ただちに翌一月二十七日フオツグ博物館に、壁画展覧会を催しそのみずから執筆せられた解説において、この法隆寺金堂をヴアチカンのシスチン・チヤペルやスタンブールのアヤ・ソフイヤに比せられたそうでありますが、その傷心はいかばかりでありましたでしようか、われわれはいまさら何とおわびを申し上げてよきや、その辞に窮する思いがいたしました。一千年以上も前の木造建造物が今なお嚴然として存在していたこと自体が奇蹟と申すべきかもしれませんが、われらの祖先はよくこれを持ちこたえてきたのでありますから、われわれとしてはこの際十分に反省し、二度とこのあやまちを繰返さない決意が肝要と存じます。とまれこの金堂火災前後の状況につきましては、過日武藤專門員より本委員会におきましてしさいな報告がありましたので、ここでは重複を避けまして、次の諸点を指摘するにとどめたいと存じます。  先ず金堂復元につきまして、第一に問題となりますのは、燒けた円柱措置でありましよう。外陣の円柱十八本はおのおの約三分の二、すなわち堂の内部に面した部分だけしか燒けておりませんので、この部分はいわゆる張りつけ補強すれば十分でありましようが、内陣の円柱はいずれも深さ二寸くらい丸こげとなり、火氣が相当に浸透しておりますので、はたしてこれで上層をささえる力があるか、またほぞも燒けているということなど、この際十分に検討すべきであると存じます。  次に雲肘木は飛鳥の姿として、少しでも多く現状のまま残すことが望ましいのでありますが、幅が三尺もある八枚のとびらは、現在ではとりかえるべき木材を見つけることが絶対に不可能となりましたので、結局樹脂注射でこげた部分を固めるか、ないしはこの部分を取去つて別材を内側から張りつけるかが問題となるわけであります。  壁画の燒失は何といつてもあきらめ切れないものがあります。あの鋭い鉄線描とゆたかな色彩は、もはやありし日の面影をしのぶべくもありませんが、ここにゆるがせにできないことは火災以來、從來からの壁面亀裂がややはがれかけていることであります。絵具の離剥も心配でありますけれども、この壁面全体の補強こそ急を要するものと思われます。火災以來宮本氏が施しましたアクリル樹脂注射も、薬品がないとの理由で、わずかに六号壁だけが全部の吹きつけを終えたに過ぎません。四囲の柱が燒けて壁画に密着した部分が離れ、わずかにぬきで持つている壁のことですから、早急に対策が立てらるべきでありましよう。  ついでに五重塔について一言いたしますならば、この方はすでに万端調査が行き届いておりますので、その復元上の支障はまずないと存じます。その際塔の高さは創建当時の百四尺に改められましようし、各層の軒たる木も長さ九寸、瓦も一枚分延ばされたる木端と尾たる木端の金具も創建当時のものにかえらるべきでありましよう。空洞深く秘められた佛舎利納器を明けるかいなかは別な問題として檢討せられましよう。  また防火のための國宝建造物のアイゾレーシヨンとか、警火装置を初め消火栓の増設や、さしつかえない箇所でのスプリンクラーやドレンジヤーの取付もなさるべきでありましよう。  來る五月十九、二十両日には再び法隆寺保存協議会が開かれるわけでありますが、去る二月五、六両日にわたつて法隆寺復興対策協議会で未解決のまま残された諸問題が打開せられんことを祈つてやまない次第であります。保存機構簡素化と責任の明確化もぜひこの際なし遂げられたいものであります。そして金堂五重塔復元が急がれなければなりませんが、氣にかかるのは工事担当陣の人材の貧困であります。大岡、淺野両專門家を失つたことは、その責任問題は別といたしまして、一抹の寂寥感は爭えないものがあります。  午後三時法隆寺を辞し、奈良帰つて倉院を拝観いたしました。周囲に十分な空地を持ち、風よけ火よけのための樹木も吟味して植えつけられ、避雷針や消火栓も完備し、人の立入も制限して常時警察官一名を見張らせている、ここの保存状態はまず完璧と申すべきでありましよう。興味ある古裂や麻布疊表などの御物を拝観の後、縣廳におもむいて野村知事と懇談し、柏原政務次官の東道によりまして丹波市に天理図書館視察の後同町に一泊、翌二十九日は奈良市内における要修理國宝建造物のおもなるものを調査いたしました。すなわちます藥師寺を訪れて三重塔南門鎭守八幡社殿等視察いたしましたが、昨年六月旧文化委員会において出張調査折崩壊に瀕していたここの若宮本殿が時の小川委員長努力によりまして今春四月修理を終えておりましたことは、せめてもの慰めでありました。次いで唐招提寺講堂法華寺本堂を経て極楽院修理現場に立ち寄り、さらに十輸院本堂、新藥師寺本堂春日大社本殿を観察して東大寺廻廊調査いたしました。  奈良縣下における要修理國宝は、昨夏國会に寄せられました諸請願書記載分だけでも四十二件に上つております。同縣においては焦慮の余り修理費捻出のために宝くじの賣出しを敢行し、今また國宝保存募金運動を起しておりますが、私どものささやかな調査によりましても、早急修理の必要が痛感せられた次第であります。  かくして二十九日夜大阪駅発東上、翌三十日静岡市登呂遺跡を踏査いたしました。この遺跡につきましては本委員会におきましてしばしば紹介せられましたので、いまさら申し上げる必要はないと存じますが、とにかく農耕地までも含めた古代聚落遺跡は実は世界でもまれなものでありますので、ぜひとも予定通り完全発掘を行いたいものであります。  以上がこのたびの視察の大要でありますが、文化財、ことに國宝の危機はただに奈良縣下にとどまらず、しいて申し上げますはらば、わが國の國宝建造物の大半が廃頽していると申すも過言ではありません。今次國会におきましての本委員会に付託せられております請願書によりますも、中尊寺や冨貴寺や日光の二社一寺などもそのようでありますし、國宝だけではなく、たとえば桂離宮のごとき建物も庭もその荒廃まことに痛ましいものがあります。この現状を認識し十分な予算と愼重な科学的措置を容易ならしめ、一日も早く救急の道を開いて文化日本の実とあげることこそ、本委員会の責務と申さなければなりません。これがためにはなお國宝保存法重要美術等に関する法律の改正も必要でありますが、ここに付言いたしたいのは、陳腐なる言葉ながら、制度よりも人ということであります。法隆寺火災以來、いたいけな学童さえもが痛心の余り復興のための淨財を寄せております。われわれはマウント・ヴアーノンなるワシントンの家の保存運動に乗り出した一婦人にかんがみ、またモナ・リザの像が、ルーブル博物館から姿を消しただけで引責辞職したフランスの文相の態度思い、この際文化財に対する世人の関心を大いに高めなければならないと存じます。國宝保存調査は、実は開会中だけでは不十分でありますので、ぜひともこれは継続審議とし、休会中も委員会として活動できるよう、特に委員長の御配慮を煩わしたいと思います。  終りに、今回のわれわれの出張が早急の計画であつたにもかかわらず、かくも順調に行われ、しかも多大の收穫をあげることができましたのは、文部省奈良縣に負うところが多いのでありまして、まことに感謝にたえませんが、別して柏原政務次官の御厚意を銘記しなければなりません。同氏は、われわれのためにわざわざ行を共にして西下、親しく日程の編成から、乗物や宿泊のせわまでせられたのであります。ここに同僚諸君とともに、同君に対し厚くお礼を申し上げて、私の御報告を終りたいと存じます。どうぞ、足らないところは、同行委員諸君から補足していただきたいと思います。
  4. 原彪

    原委員長 ただいま水谷委員から、このたびの法隆寺を中心としての文化財調査につき、るる御報告がございまして、私どももさながら目の前に見る思いがいたしました。準備期間もなく、かつあわただしい御日程であつたにもかかわらず、多大の收穫を得られたことは、ひとえに委員各位の御熱心な御努力のたまものであると厚く感謝申し上げます。なお柏原政務次官には、終始同行万端ごあつせんいただきまして、ありがたく存じ上げます。  この法隆寺視察委員派遣のことにつきまして、過日運営委員会に、派遣出張方を私が説明いたしました際に、特に幣原議長より発言を求められまして、この壁画保存につきまして力説されたのでございます。さらに昨日は、特に議長が会いたいということで、議長室に参りましたところ、幣原議長より、アメリカのウオーナー博士フオツグ博物館に、自分が秘蔵しておつた法隆寺壁画原寸大写眞をかけまして、展覽会を催されたことをお話されまして、その原寸大壁画写眞原版日本にもあるはずである、これを永久に保存することが、日本文化のためにも必要なことであると自分は思うが、文部委員会でも、このことを取上げて協力してはくれないかというお話がございました。ちようどその原寸大壁画写眞を持参いたしましたから、ごらん願いたいと思います。  この原寸大写眞原版永久保存をはかることは、何をおいても必要なことでありますし、またその燒付若干組を調製し、ないしは原色版によつて壁画の印行をいたしまして、後世に傳え、内外の要望にこたえますことは有意義なことと存じますが、具体案につきましては、いずれ理事会にお諮りいたしまして、これが実行については文部当局とも、あるいは博物館なりともよく協議いたしまして、ともかくも本委員会におきましては、この壁画写眞保存をはかるという方針につきまして、委員諸君の御賛成を得たいと思います。御異議はございませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  5. 原彪

    原委員長 それではさようおとりはからいいたします。  法隆寺につきまして、ほかに御発言ございませんか。
  6. 千賀康治

    千賀委員 法隆寺災害につきまして、委員諸君、その他関係の諸君が非常に調査のために活躍をせられまして、いろいろ貴重な資料を得られたことは、まことに満腔の賛意を表するもの、また満腔感謝を表するものでございます。しかしながら、法隆寺はわれわれ民族が持つてつた一番古い木造建築であり、古い壁画である、かような意味で特にわれわれは尊重するのでありまするが、戰爭のために何百という各都市が災害を受けまして、ある地方の、また個人の財として保存せられた國宝ないしは國宝に準ずる貴重な資料の燒け出されたことは、実におびただしいものでありまして、およそどれくらい日本のさような宝が減つたであろうかということは、計算することさえもできない莫大なものでございます。この比率が大きければ大きいほど、現在残つておる國宝ないしはこれに類するものの貴重さの度合いは、正比例して倍加しておるのであります。そこで残つた文化財を大切にするというようなことは、これも実に重要なことでございます。われわれはこの残つたもの、これを大切にすることが、可能であつて、しかも適切な民族の仕事であると思います。ところが現在かような観点に立つてわれわれが燒け残つた宝を見まするときに、そこに非常にそまつにされておつて、私の考えておることと逆行しておるようなことがずいぶん多いと思います。たとえば赤坂離宮に参りましても、あの輪奐の美をきわめた建築は、およそ当時の日本人の建築科学の粹を集めたもので、実に優秀なるものでございまするが、その保存は実に遺憾な点が多いと思います。一々例をあげると、あまりにも煩雑でありまするが、中の濕度調節が悪いため、たとえば使わないところをいつまでも締め切つてつておくから、そのために濕度と温度の調節失つて、ペンキがどんどんはげて行く、あるいは木材部に施してあるニスが亀裂を生じたり、あるいははげかかつている、こういうことがありましたり、ああいう貴重な建築の中に住む人たち、これを使つておる人たちが、さほど貴重なものであるということを認識せずに、不注意のために方々に欠損を幾らでもつくつて行く、貴重なガラス類をこわしているというような点もあつて、実にそまつに扱つております。ああいうりつぱなものが開放されたときには、國民がだれもここに入り得る、これを観賞し得るということは、もちろん國民の仕合せでありますけれども、もつと大切なことは、その貴重なもの、りつぱなものを取扱うときに、どのくらい注意しなければならないかという、その態度國民に植えることが非常に必要であると思います。現在は單に、開放と申しましようか、だれでも行けるのだから入れと、これを権利のごとく入つて行くだけであつて、その貴重なものを開放されたために、自分の情操をこれによつて高めて行くというような、その指導が全然欠けておる。これを入つて行く人々に——そういう氣持のない人々考えろといつたつて、なかなか放つておけば考えない。これはやはり、どつかに指導力がなければいけない。かような國宝あるいは國宝に類するものを保存する、その局に当る人に指導力が必要だと存ずるのでありますが、かような点にあまり意を用いられておらないのでございます。また現在東京における木造建築にいたしましても、われわれが一番中心的に親しみ敬つてつたあの御所が燒けてしまつたのでございますが、残るところの、各宮家のお使いになつてつた木造建築御殿づくりの、ほんとう日本式の型を後世に残すべきものでも、大臣が使つたり、議員が使つたり、私自身もそこに一部屋借りて入つておりまするが、これを使う者の態度が、さほど貴重なものであるということをみんなが考えてくれるかどうか、私は実にここに疑いを持たざるを得ぬのでございます。またその中には、國宝に類する書画、骨董のごときが相当ございます。またこの取扱いにおきましても、非常に遺憾な点がございます。取扱いさえ注意するならば後世に残るべき文化財が、取扱いの悪いために、あたら早く消耗して行く。それが何か他に國家的利益があるならけつこうでありまするが、りつぱな文化財を心なく毀損したところで、どこに利益も幸福もあるのではない、これはまつたくむだなことでありまするので、かような点につきまして相当私は考えなければならない点があると思いつつあります。かような点でも私はもつと積極的に指導しなければならない。いわゆる民主々々というような言葉で、指導という言葉がほとんど開店休業といいましようか、氣絶したような形になつておりまするが、必要なところにはどんどん指導力を発揮してけつこうだと思うのでございまするが、さような点についてどうやら当局の信念がぐらつきつつある。これは大いに目ざめさせまして、私の今例をあげた以外に、ほんとうに残り少くなつたわが國の文化財に、もつと保存のために周到な注意をしなければならぬことがたくさんあるのでございます。当局の御意見をあえて伺いたい。  いま一つそれに関連をいたしますが、私が今まで数えあげたものは大体古い形式、古い文化財を尊重する、これは古きをたずねて新しきを知るというような面から言うのでございますが、今までの日本青少年思考力ということについて非常に軽く扱いつつあつた。これが科学が非常に世界に立ち遅れてしまつた最大原因でありまするが、青少年といわず、あるいは一般発明家といわず、すべてのくふう創意に対しまして、そうしたことに没頭した人々に対する國家的の報われ方が、非常に日本は少いのであります。これは日本民衆そのものがかようなものについて非常に興味が薄いのでありますけれども当局政府の方は特にこの点に注意を喚起して手厚くしなければ、日本民衆の行き方、一つ民族のローカル・カラーをつくるためにほんとうに溌剌とした日本をつくり出すことは不可能であると思います。一つ例をあげて見ますると、たとえば鉄を鍛える刀工におきましても、昔、正宗、村正のごときが名刀をつくつた。当時大名たちは財を盡してこれらの名刀を買い入れた。その刀工たちは十分な経済的報酬が得られたのでありまするけれども、現在学究がこれに相当するような、たとえば採鉱治金考案いたしましても、別段それほど社会的名声を博するのでもなければ、それほどの位置を得られるでもない。もつと小さい考案がわれわれの青少年の手によつてなされても、一向社会はこれを見返ろうともいたさない。かような点について十二分に彼らの考案発明を経済的に報いてやるようになつて行きますれば、われわれの民族の將來は発明考案に非常に大きな力を現わすようになると思うのであります。かような点に画期的な変化を與えるべきは今こそその時であると思うのでありまするが、この点につきまして当局はどうお考えになるか。戰爭中に空氣と水とで人間の食べるものをつくろうというようなことが、日本に食糧が少かつたから大分考えられましたけれども、今日になりますと依然として地を拂つてしまつて、さようなことを言い出す人は一人もない、われわれの足らざるところは原始産業の農業に依存して行くというようなことで、また戰爭からしばらく過ぎればかような重要な点にでも発明考案興味はなくしてしまつておる日本民族であります。結局これはさような点に指導が手厚くなりさえすれば、必ずこれは復活し得ると思うのでありまするが、この点につきまして政府当局はどうお考えになるか、これもひとつ伺つておきたいと思うのであります。
  7. 柏原義則

    柏原政府委員 戰爭を放棄いたしましてから日本文化國家として立つて行くのであります。かつて世界から日本は好戰國民だ、戰爭が上手な國民で、ほかに能がない國民のように外國から誤解されたこともありますが、すでに一枚看板のように誤解されておつた戰爭がなくなつた今日、日本民族としては何で行くかといえば、文化國家として立つて行くのであります。それなら日本民族文化的に世界的な優秀な民族であるかどうかということも根本的に考えなければならぬ問題だとも思うのでありますが日本の古文化財を御説の通り見てみますると、西洋にもそれはりつぱな藝術美術もたくさんございますが、それに負けぬ程度の日本文化の特色を発揮した、たとえば法隆寺壁画のようなものを見ましても、決して負けていない。また佛像一つ見ましても、ミケランジエロの彫刻もりつぱでありますが、それに劣らぬものも中にはあるというような観点から見まして、日本民族は鍛えれば、また方法をもつてすれば、りつぱな藝術も理解し、高度の文化もつくり得る能力のある民族であると私たちは自覚いたしておるのであります。ただ日本の古文化につきまして、民衆は非常に興味を持つ場合と忘れる場合と波を打つことは、時代の影響でいたし方がないのでありますが、政府といたしましては、新憲法ができて文化國家として立つて行くためには、どうしても古文化財のような、日本本來の優秀な音樂にしろ、また彫刻にしろ、また劇のようなものにしろ、絵のようなものにしろ、日本本來の優秀な文化財を、放つておけばあるいはなくなるかもしれぬという心配もありますので、ここに文部省といたしましても、これに力を入れるという考えからいたしまして、文化財を特に保護するし、また文化運動を盛んならしめるような方途については、最近内外の情勢に伴いまして考え出しておりまして、今期國会におきましても文化財保護に関する法律案も衆参両院で取上げていただいて提案される運びになつておるようでありますが、そういうふうにいたしまして、しかもそれは民主的にその方面の大家の人、官僚だけの絵も藝術もわからぬ者が杓子定規でやるのでは困りますから、民主的にその方面の逹人に相談して、これがりつぱに保護育成されるような民主的委員会をつくつて予算におきましても、インフレで金の値打はありませんが、昨年よりよけいくれておるようでもありますし、さらに來年度におきましては、日本民族の特殊性を象徴した方面に力を入れる上におきまして、文化財保護法というものができましたら非常にけつこうだろうと思うのであります。そういう意図のもとに進めております。
  8. 原彪

    原委員長 この際各位に特に御了解を得たいことがあります。会期も余すところ日曜を除きますと五日しかございませんし、審議未了の法律案も五件ありますし、また議員提出法律案も一件あるようでございますので、審議も非常に容易ではございません。時間的余裕も十分になく、議員の方の御発言のあつた場合も満足を得られるだけの御発言ができないようなことになると思いますが、さような事情でございますので、要点を簡潔に御質疑を賜わらんことを切にお願い申し上げまして、審議の円滑な運行に御協力賜わらんことを切にお願い申し上げます。なお本日の日程によりまする質問の方々も非常に多いようでございますが、質問の順位によつてこれを許可いたしますと、党派別にかたまるきらいがございますので、この順位はまことに恐縮でありますが委員長に御一任願いたいと思います。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  9. 原彪

    原委員長 ではさようとりはからうことにいたします。
  10. 原彪

    原委員長 それでは日程に入ります。学校教育法の一部を改正する法律案を議題といたします。千賀君。
  11. 千賀康治

    千賀委員 委員長の御勧告もありましたし、今長い質問をさせていただいたので棄権をいたします。
  12. 原彪

    原委員長 では森戸辰男君。
  13. 森戸辰男

    ○森戸委員 学校教育法一部改正の重要な点は、いわゆる短期大学の問題でございまして、百九條の、「大学の修業年限は、当分の間、第五十五條の規定にかかわらず、文部大臣の認可を受けて、二年又は三年とすることができる。」この点であります。大学が教養と研究の水準を高めるために四年制であることを正常とするのは当然でありますが、同時に諸種の事情から考えて、二年または三年の短期大学が必要であるということも、後に述べますように方々からの強い要請もあり、現状からもそれが妥当と考えるのでありまして、まことに適正な改正であると存じております。ただ私が承りたいのは、ここに「当分の間」といたしまして、提案理由によりましても、新制大学の基準に沿わないものの処置として、短期大学が当分の間できるのである。「当分の間」がそういうような関係であるように読めるのであります。そうしますと、この短期大学は新制大学を落伍したものの大学である、こういうような印象を與えるのでありまして、これははなはだよろしくない、短期大学といえども十分よい大学ができなければならぬと思うのでありますが、この点提案理由並びに「当分」という文字はどう解釈したらいいのでありましようか。
  14. 日高第四郎

    ○日高政府委員 今お話の通り「当分の間」ということには多少誤解がつきまとうと思うのでありますが、この改正の理由の一つには、六・三・三・四だけでは現状に沿わない、また現在各方面で短期の大学がほしいという要望が積極的にございますし、特に女子の教育の場合においては、日本の実情において短期の大学を設けることが女子教育を高めるのに非常に必要にして有効な処置であるというような点もありまして、そういう積極的な面が一つあるわけであります。もう一つは御指摘にもありましたように、大学設置委員会において四年の大学として十分でないものであつても、なお短期大学としては規模の点において、また教師の数等において妥当であるものでありながら、しかもこれが專門学校としては長く存続できないことは遺憾であるという状況もありまして、短期大学を設立いたしたいというふうに考えるようになつたのであります。「当分の間」としますと、その「当分」というのは何年のことかということは、関係方面でも質問もございましたし、また民間の人たちからも、かりであつてやがては消えるのかというような質問もあつたのでありますけれども文部省といたしましては、この制度については教育刷新委員会の意見をよく聞き、また大学設置委員会の意見も聞きまして、その結果永久の処置とするのにはまだ成果がわからない。せつかく六、三・三・四というような基本的な線を立てましたものを十分に実驗もしないうちに枝をつけるようなことは考慮を要するというような注意もありましたので、実驗的な意味も兼ねて「当分の間」といたしたわけであります。つくつた大学がいい成果を上げますならば、やがては永続的なものになる見込みもあるかという希望と期待とを持つて「当分の間」といたしてあるわけでございます。この点についても十分御審議、御檢討をいただきたいと存じております。
  15. 森戸辰男

    ○森戸委員 ただいま学校局長のお話でありますと、将來四年制なるものの一時の間の準備期間であるというそれだけではなく、積極的な短期大学の必要があるということを承りましてはなはだ私同感であります。同時に「当分」というのは実驗的の意味で当分の間とつけたのだというお話でございますけれども、こういう制度のときに、いつも実驗的であるというようなことで、この「当分」ということをつけることは、法律を改正する場合には、どうかと私は考えられるのでありますが、この点はさらに私ども十分考えることといたしまして、なお最近公立私立の方では新制大学ができておりますが、ことに女子の家政科等の入学の状況はどういうようになつおりますか。四年制度を前提としておるのに、十分生徒が募集人員以上に行つておるかという事情はどうでありましようか。
  16. 日高第四郎

    ○日高政府委員 まだ十分な調査をいたしておりませんので、はなはだ申訳ございませんけれども、聞くところによりますと、今年は特別な事情もあるせいと考えますが、四年の大学に対して十分な志願者がないそうでありまして、おそらくこの短期の大学ができますならば、公立私立の女子の大学等においては二つのコースを設ける方が、学校の教育の面からも、親や学生たちの志望の面から申しましても、また学校の経営の面からいたしましても必要ではないかという想像をいたしております。まだ十分な調査をする段階に至つておりませんので、確実なことを申し上げられませんのははなはだ残念でございます。
  17. 森戸辰男

    ○森戸委員 これは、至急御調査願いたいと思うのでありますが、私の二、三聞いたところによりますると、ことに女子の家政学科等では、四年の課程では長過ぎるというようなことが父兄たちにもあり、費用の関係等もありまして、四年では大学に行こうという者も行けないというような事情があつて、かえつてこの制度のために向学心を持つておる者の大学への入学を困難にしておるという事情もあるのではないかと心配いたすものであります。そのことはわが國の現状では、二年あるいは三年制の短期大学あるいはジュニア・カレッジといわれておるものが、正常な四年の制度ではあるが、例外的に、しかし当分ではなく認められるような制度が適当なのではないかと思つておるのであります。わが國の戰後の経済事情その他を考えまして、從來あつた專門学校程度のものが、國民の多数の教育水準、教養水準を上げるのに実際に役立つのではないかと思われるのであります。それには高等学校に二年の別科あるいは研究科を付するということでも目的は達せられるのでありますが、しかしこれは実際には大学という名前と言いますか、これに非常な魅力がありますので、高等学校に二年多くしたのでは、その目的は達せられない。そこでどうしても大学ということになり、しかもあるものでは、ことに女子の一般教養並びに家政科等では四年は長過ぎるということから、二年制度あるいは三年制度の大学が、当分ということでなく必要なのではないだろうか、ことにわが國と事情を異にするアメリカにおいてすら、大学のうち半数近くはジユニア・カレツジであると聞き及んでおるのであります。ことにわが國の敗戰後の経済状態から見ますれば、また学校の施設等から考えましても、二年制度の短期大学を本格的といいますか、四年が正常であるが、しかし当分の間ということでない意味で、この制度として承認するということが適当であると私は考えるのであります。ことに先ほどからたびたび申し上げましたように女子教育等におきましては、むしろ四年よりも一般的には二年というものの希望が非常に多いのではないか、こういうように思うのでありますが、この点につきまして当局のお考えはいかがでございましようか。
  18. 日高第四郎

    ○日高政府委員 御説の通りであります。ただ二年の大学を終えて、四年の大学に何らかの連絡がつきさえすれば、二年の大学もしくは三年の大学というものができることは、原則として考えられるのではないかと思つておりますが、先ほど申しましたように、現在文部省がいわば顧問のように、相談相手のようにいたしております学制改革上の最も信頼すべき委員会としての刷新委員会においては、当分の間というのが適切であろうという御指示もありましたので、文部省もその御説に從つてこういう原案をつくつたのでありまして、もし國会において二年もしくは三年の大学を、当分の間でなくした方がいいという御判定がございますならば、文部省といたしましては喜んでそれに服する用意を持つております。
  19. 森戸辰男

    ○森戸委員 なおその点では私ども二年制度がわが國の現状から必要であるという点につきまして、御当局のお答えを聞きましてはなはだ喜ばしく存じておりますが、同時にこの大学は二年でありましても、四年の大学との関連を持つ大学にならなければならぬので、これはこの改正案中にもありまするように、二年制度あるいは三年制度から四年制度の大学への進学の道が十分につけられなければならぬことは当然なことであります。なおこの改正が本年度から行われないで、二十五年度から行われるというようなことになつておりますが、本年度から行えないというのはいかなる理由によるのでありますか。
  20. 日高第四郎

    ○日高政府委員 短期の大学も大学のカテゴリーの中に入ります限りにおいては、文部大臣がこれを認可いたします前に、大学設置委員会の審査を受けなければならないことになつております。大学設置委員会においては、短期の大学の学科課程その他の基準をただいま研究中でございまして、これは先ほど御指摘もございましたように、いわゆる落第生の集まりというふうに考えたくない、短期大学には短期大学としての信用ある教育機関であるという面目を発揮もし、また維持もさせたいというつもりもありまして、ただいま基準について檢討中であります。これらの用意が二十四年度から出発するのにはとうてい間に合わないというのが最大の理由でありまして、本年中にできるだけ用意を進めまして、來年度から制度の実施に移りたいという趣意でございます。
  21. 森戸辰男

    ○森戸委員 これで私の質問を終りますが、私はこの「当分の間」ということがいろいろ誤解が起きる。ことに短期大学が落第学校の救済策であるような感じも與えまするので、これは本格的な積極的な必要から認められたものであるという姿で、わが國の四年制の大学を補足するものとした充実されたものになることに強い希望と期待を持つております。これで私の質問を終ります。
  22. 原彪

    原委員長 今野武雄君。
  23. 今野武雄

    ○今野委員 私はこの法律案の第一の眼目について御質問いたしたいと思います。第一にこの文章でございますが、この文章はちよつとわかりかねるような気がするのです。「医学又は歯学の学部を置く大学に入学することのできる者は、前項の規定にかかわらず、その大学の他の学部又は他の大学に二年以上在学し」、云々となつておりますが、おそらくこれが大学の医学部または歯学の学部に入学することができる者はという意味じやないのですか。そうでないと、たとえば東京大学に入学するのには、つまり東京大学の二年またはその他の大学に二年以上在学しということになるから、何かおかしいように思いますが、その点をまずお答え願いたいと思います。
  24. 稻田清助

    ○稻田政府委員 ごもつともでございますが、学校教育法それ自身の書き方が大学の入学資格につきまして、その他の関係においても、大学に入学するという字句を用いておりますので、それとの対比上、こういう書き方になつたわけでございます。
  25. 今野武雄

    ○今野委員 そうすると、これはどういうふうに理解したらよろしいのでしようか。たとえば東京大学に入学する者は、東京大学の二年を修了するということは、入学しなければ不可能なんですから、そうすると結局ほかの大学の二年を修了した者を入れる、こういう意味になるのですか。
  26. 稻田清助

    ○稻田政府委員 東京大学に入るといたしましても、事実問題といたしましては、いすれかの学部に入学することになることはもちろんでございますので、この條文の解釈といたしましても、医学部または歯学部に入学する場合におきましては、その大学あるいは他の大学における他の学部に一應入りまして、二年を修了してから医学部または歯学部に入るというふうに解釈いたすほかはないわけであります。
  27. 今野武雄

    ○今野委員 この字句の問題であまり長引きたくないのですけれども、これは日本語としては、ぜひわかりやすく直していただきたいと考えます。  なおそのほかに、提案理由を見まするに、医学並びに歯学というような重要な技術を学び、かつ人格を練磨する、こういうためには、どうしてもいわゆる四年制の新制大学では不十分であるというふうになつておるわけであります。しかしながら、このことはほかの面においても、たとえば理学あるいは工学などの方面においても同様ではないかと考えられるのであります。と申しますのは、たとえば理学、工学にいたしますと、現在の新制高校では、從來の中学とほとんど同程度の数学などしか学んでおりません。微分、積分もろくに知らない者が來て物理学を專攻するといいましても、これはとうてい不可能なわけであります。そういう意味からいたしまして、現在、從來のような高等工業等でなくて、東京大学、京都大学、その他の実力のある大学において、相当に学力を持つた高等学校の卒業生が入つて來ていながら、しかも非常に履修課程が多くて忙しいのであります。そういう点を考慮して、そういうようなものにおいても、特例を認められるようにしたならばどうかとも思われるのでありますが、文部省ではどうお考えになつておるのでございましようか。
  28. 日高第四郎

    ○日高政府委員 ただいまのお説は、医学及び歯学については、履修する学生の人格的な、また基礎的な研究を十分にした上でしなければいけない、そういう趣旨よりも、それは他の方面でも同様ではないかという御質問だと思うのでありますが、むろん程度の差は幾分あると思うのでありますが、他の方面でも同じようにそれに願わしいことだと思うのでありますが、現在の日本状況といたしましては、すべての学部を医学や歯学と同じように取扱つたといたしますと、敗戰の後に大学の教育年限を延長するというような結果にもなりますので、將來はともかく、今の日本においては、これは希望をいたしても、実現の望みがない、そういう意味でありまして、決して他の大学の卒業生が、人格や学力において劣つていいという意味ではないのであります。特に人命を取扱います医者の場合においては、その必要が力説されまして、それが教育刷新委員会においても承認を受けましたので、その御趣旨に從つて制度を立てた次第でございます。
  29. 今野武雄

    ○今野委員 ただいまのお話でありますが、人命を扱うのは非常に重大でありますから、この御処置が私適切であると考えるのでありますが、同時に日本の將來の産業の発逹というようなことを考えますならば、やはりそれと同じように、工学、理学というような、そういう方面の充実ということは非常に重要ではないかと考えるのでございます。しかもこういう御措置をとるからには、よほどの理由があつてなさることと存じますが、今おつしやつた敗戰後に延長することができたいということは、主としてどういう理由から、つまり経済的な理由からとでも言うのでございましようか。
  30. 日高第四郎

    ○日高政府委員 他の方面につきましては、いすれ今後成立されます大学院の制度において、從來の大学教育、あるいは高等専門学校の教育のレベルが、維持されるばかりではなくして、一層充実し、発展し得るような処置をとりたいと思つております。主としてそこに期待をおいておる次第でございます。それから医者の方面につきましては、これは関係方面において、日本の医学が、特に戰時中に医学專門学校等を設けて人命を取扱つたというわれわれの失敗に対しまする強い批判がございまして、こういう処置をとつたのでございます。
  31. 今野武雄

    ○今野委員 ただいま大学院の設置のお言葉がありまして、たいへん心強く感ずる次第でありますが、しかしながら大学院と申しますのは、これは学術を純学術的に研究するという立場に立つものでございます。しかし同時に現在の新制大学を見まするに、高度の技術を習得する者も出なければならないということになります。そういう者はおそらく大学院には行かないで、そして技術を習得する新制大学をもつて終ると思うのであります。そういたしますと現在でも日本の工業技術は、部門によつても違いますが、まずざつと十年は遅れておるというふうに申されておるくらいなのでありますが、このことは日本の産業の非常な弱味になつておるところでございます。それですから、願わくは工科や理科においても、そういう高度の技能を持つ者を養成するという点がどうしても実現されなければならないのではないかと考えるのであります。このことについてお伺いしても、同じような御趣旨のお答えしか得られないかもしれませんが、なお念のためにお伺いいたします。
  32. 日高第四郎

    ○日高政府委員 すべての工業やあるいは理学の方面をやる者に、十分な力量を與えて、自発的な発見や発明をし得るような、そういう者を養成することは、理想としては最も願わしいことでございますけれども、現在の政府として、理科及び工科に行く者にそういうように教育の長い年限を與えることは実行不可能なのでございまして、そういう独創的な方面の研究等は、特に研究にすぐれた者を集めて大学院等において研究者並びに高度の技術者の養成をはかる予定でおりますので、その点御承知おきいただきたいと存じます。
  33. 今野武雄

    ○今野委員 最後に一つだけお伺いします。この改正に関連することになりますけれども、それではその大学院のことについて、この國立学校設置法その他には何ら見えておりませんので、後ほどに譲つてよろしいのですが、そういうような明文をもつて、いつからやるというようなことをやる必要は現在ございませんでしようか。
  34. 日高第四郎

    ○日高政府委員 学校教育法によりますと、大学設置委員会において大学院の制度及び内容等については十分檢討をした上で、大学院をつくるということになつております。新制大学の大学院というものは、今後三年もしくは四年後に出発するものでありますので、ただいま研究、用意中でございまして、まだ成果が出ておりませんので、この法律に入れることができなかつた次第でございます。
  35. 今野武雄

    ○今野委員 私の質問はこれで終ります。
  36. 原彪

    原委員長 若林君。
  37. 若林義孝

    若林委員 過般、学生のアルバイトについて関係があります法案が、労働委員会において審議せられ、過般の本会議に上程され通過を見たのでありますが、これは学生のこの方面に関するきわめて重大な案件であつたのでありまして、その当時一應質疑をいたしてみたいと思つてつたのでありますが、その機会を得ませんでしたので、ただいまの機会を得まして、当時の御意向を伺つてみたいと思うのであります。  現下の経済的変動期に際しましては、一般國民大衆はもちろんのこと、青年学徒といえども、その過程を通じで陰に陽にその影響を受けまして、ただ單に氣の毒という言葉だけでは済まされないところの社会問題をかもしておるのでありまして、私はここに、学生生活に関しまして三点の質問をいたしたいと存じます。  その第一点は、学生の職業問題、いわゆるアルバイトの問題であります。現在において、学生の約八割はいわゆるアルバイトをなしておるといわれておるのであります。学問が主であるか、アルバイトが主であるか、これを轉倒するかの観を呈しておるのでありますが、その実情を文部当局として、また労働関係御当局として、いかようにお考えになつておるか。これに付随いたしまして、夜間学校の学生たちが、四十八時間勤務というものに非常に影響せられておると聞いておるのでありますが、この間の事情をまずお伺いいたしたいと思います。
  38. 日高第四郎

    ○日高政府委員 今の日本が経済的に逼迫しております結果、学生も專心学業に打込むことができませんので、やむを得ず内職をいたさなければならないということは、残念なことではありますが、やむを得ない事情でございます。これについては、文部省においても係をつくつておりまして、学生の職業のあつせんや、職業上の保護等については、若干処置をいたして來ておりますが、ただいまその係の者がおりませんので、私こまかいことを申し上げることができないのは、はなはだ残念でございます。あとで係の者が参りましたときに、詳しい報告を申し上げたいと思いますが、私の聞きましたところでは、たとえば東京大学の工学部の学生たちについては、約二〇%くらいの者はアルバイトをしないで済むが、あとの二〇%は、ほとんど学業と両立しがたいようなアルバイトをしておつて、十分に学校に出ることができないような状態だそうであります。そうして残りの者は大体半分々々の、学問と労働、あるいは他の職業とをあわせてやつておりまして、辛うじてこれを続けておるというようなことを聞いております。これはもちろん放置しておけないことでありますが、一方においては、学生の職業においても、学問と両立し得るものと得ないものと、性質上の差別もございますし、また身体その他の維持の上からいつて、両立しがたいようなものもございますので、それらのものを十分檢討いたして、なるべく両立し得るようなもので、学業を続け得るような限度において学生を指導して行きたいという考えを持つておるようであります。他面においては、自分の力を証明し得るような優秀な学生に対しては、日本育英会において、なるべく労働過重にならないで済むように、学費を貸與いたしまして、その保護をいたしたいというふうに考えておる次第であります。  それから夜間学校につきましては、今日の日本において、晝間の正常の学校が十分でございませんので、でき得る限り夜間の学校を奬励をいたし、また増設もいたして、晝間の学校の教室や施設等を利用すると同時に、先生の應援を得まして、なるべく働きながらも学業を続けられるようにいたしたいと考えておつたのでありますが、お話のように四十八時間労働というようなことが一般的になりました結果、官廰におります若い人たちが、働いたあとで夜間学校へ行くことには、多少の支障を加えて來ております。それらのことについては、内閣においても全般的な問題として考えまして、はつきり記憶してはおりませんが、約三十分ぐらいの手心を加えて、なるべく学業にいそしむことができるように便宜とりはからつておるようであります。これらももちろん十分でございませんので、学生のアルバイトについては特別の委員会等も設けまして、しがるべき対策を講ずるようになつております。係の者がおりませんので、私が聞きましたり、あるいは印象的に知つておりますことを申し上げまして、もし間違いがございましたならば、後日御訂正申し上げたいと思つております。
  39. 齋藤邦吉

    ○齋藤(邦)政府委員 私から、労働省の関係として、学生、生徒の内職の状況につきまして簡單に御説明申し上げたいと存じます。  御承知のように、学生、生徒の内職の雇用面に現われております問題といたしましては、從前におきましては、家庭教師といつたような仕事が非常に多かつたのでありますが、最近におきます学生、生徒の経済上の理由からいたしまして、各方面に仕事を求めて行こうという傾向に相なつておりますので、学生、生徒の職業紹介につきましては、今日まで文部当局または地方におきます各教育行政官廳とも十分緊密な連絡をとりながら、学校におきましてもいろいろごあつせん願つております。また私どもの方の公共職業安定所におきましても、全力を盡しまして学生、生徒の内職、職業あつせんに努力しておるような次第でございます。学生、生徒の内職は、まあ時期的に、休みの間に非常に多くなるということは当然でありますが、そのほかの場合におきましても、あるいは進駐軍関係の労務、翻訳関係あるいは通訳または進駐軍関係の雜役といつた方面にも出ておるところの学生生徒もあります。私どもの公共職業安定所におきましては、そうした学生生徒の内職あつせんにつきましては、学業の完遂と並行して行けるような作業を適当に探してやるという点に努力を傾けておるような次第であります。なおまた学生生徒の職業につきましては、事業主の側におきましてはとかく安い賃金で雇うという傾向もないでもありませんので、さようなことのないように十分力を盡しまして、職業のあつせんに努めておるような次第でございます。
  40. 若林義孝

    若林委員 現下の経済事情に照しまして、御当局が御配慮になつております心持に対して敬意を拂うものですが、なお文化の向上という面から考えましても、学生のアルバイトというのは、一部分の学生の事柄でなくして、高等專門的にわたりまする各学生に関する全般的な問題として國家として万全の措置を講ずるように御研究御協力を願いたいと思うのであります。なお先ほど御説明の中において三十分ぐらいの余裕を持つておるというお話でありますが、上司においてはいいかもしれないのですが、ここに何らかの法的根拠がないために、同僚間に白眼視せられるというきらいがあり、これに関係しております学生諸君の心持が萎縮しておるような氣持がしてならぬのであります。特権というわけにも行きますまいが、当然與えられる國家の文教に対する心持の現われとして受入れられる心持が学生に起るような御配慮を願いたいと考えます。  次に第二点といたしまして、学生生徒の職業問題が深刻になつておるのにかんがみまして、このたび職業安定法の一部が改正されたと思うのでありますが、学校と職業安定機関との協力体制が整備されまして、まず第一に学校長は労働大臣に届け出て、学生生徒及び新規卒業者について無料の職業紹介事務を行い得ることとしてあり、第二には公共職業安定所長は学校長の同意を得てまたは学校長の要請により、その学校長に公共職業安定所の業務の一部を担当させることができるという二本建の方式が樹立されたわけであります。この二本建の方式は、実際においていかように使い得られるのであるか。またこの二方式とも、必要なる事項は労働大臣の一方的命令で定め得るようになつておるのでありますが、これに対して文部省としてはいかなる見解を持つておられるのであるか、この点をお伺いをいたしたいと思います。
  41. 齋藤邦吉

    ○齋藤(邦)政府委員 私労働省の職業安定局長ですが、私からこの法の建前につきまして御説明申し上げます。御承知のように学生生徒あるいは新規学校卒業者の就職問題あるいは内職問題その他が深刻になりましたので、職業紹介方式をきわめて円滑にするという考え方から、ただいまお述べになりましたような二つの方式を採用いたしたのでございます。御承知のようにこの法律によりまして二つの方式がきめられます以前におきましては、学生生徒が自分で職業を探して歩くという方式、もう一つは公共職業安定所が学生生徒、新規学校卒業者の申込みを受けて職業のあつせんをするという二つの方式よりないわけでございます。ところが御承知のように学校は公共的な性質を有しておるものでもあり、さらにまた学校自体が学生生徒あるいは新規学校卒業生の家庭の事情なり、あるいは一身上の事情なり、あるいはその職業的な能力といつたことにつきまして、十分の認識を持つておられるのでございます。また職業あつせん機関であります公共職業安定所は、労働事情。すなわち雇用関係に関する情勢が一應明るいという建前になつておりますので、おのおのの長所を生かし合う。すなわち学校と公共職業安定所が相協力し合つて、職業紹介の円滑化をはかつて行きたい、こういう根本的な考え方からこの二つの方式を採用することといたしたのであります。  まず一つの方式はお述べになりましたように、從來の法律の建前によりますと、学校が職業紹介をやりますときは、許可主義でありましたが、これを届出主義に改めることにいたしました。このときには学校は独自の立場において職業紹介をやりまして、労働関係の機構といたしましては監督の立場においてその事業を指導して行くということに相なつております。法の建前はさように相なつておりますが、実際上の問題といたしましては、当然これは学校教育関係の役所の方々と十分相談をして進めて参りたい、かように考えております。  二番目の方式の学校長の要請がありました場合、あるいは学校長の同意があつた場合に、安定所の業務の一部を行う場合のやり方につきましては、学校が職業安定所の業務の一部を分担するという建前でありまして、相互の連絡関係は最初に述べました場合よりも、もつと緊密なるものがあるのでございます。從いましてこのやり方の場合には、法律の建前にもそう書かれてありますが、職業紹介の業務を行います場合の基準につきましては、文部大臣指名するところの文部省の官吏と職業安定局長が相談の上その基準をきめて行くというやり方にいたしてあります。あるいはまたそうした学校が將來職業紹介業務をやめるといつた場合におきましても、事前によく相談をし合つてつて行く。こういうことにいたしてあるのでありまして、労働省の方におきまして、一方的に職業紹介に関する業務の基準をきめる、かような考えは私どもは毛頭持つておりません。すなわち学校教育ときわめて関係の深い問題でありますので、文部御当局と十分相談をいたしまして、御納得の行つた上でいろいろな問題を処理して参りたい、かように考えておる次第であります。
  42. 原彪

    原委員長 若林君、なるべく簡潔に願います。
  43. 若林義孝

    若林委員 申し上げたいことはたくさんありますが、先ほど御注意もありましたので、時間を簡單にするために希望を申し述べておきます。学生といたしましてはあくまでも学問本位で行くという建前から、文部大臣なり、文部省のわく内にあるのだという氣持が強いのでありますが、今度提出せられました安定法の一部の改正によつて、学生が労働省のおせわを受けることが非常に濃くなつて來る感じがあるのであります。できれば文部省のものであるという観念を失わないように、この二本建を十分円満にやれるようにいたしまして摩擦の生じないよう、また学生の心的状況に対して重点が労働省の方に移らないよう、ひとつ万全の行き方をやつていただきたいと思うのであります。  次に昨年の九月に文部省の提唱によりまして、学校関係者や民間有識者がいわゆる学生生活改善協議会を結成されたと聞き及んでおりまして、本委員会といたしましていまだこれに関する御報告を受けておらないのであります。先ほどの御答弁の中にもこの意味があつたのじやないかと思うのでありますが、その経過現状について簡單に御説明願いたいと思います。
  44. 日高第四郎

    ○日高政府委員 今御質問のありました学生生活改善協議会と申しますのは、昨年の九月二十一日に学校関係者及び学識経驗者等に集まつてもらいまして、関係方面の特別な関心もございましたので、学生生活の指導についていろいろの方面から相談をいたして参つたのであります。御承知でありましようが、終戰後は学校におきまして学生の指導ということに非常に遠慮がちになりまして、悪い場合には民主主義というものがはき違えられて、学生と教師との身分の差というものをほとんど認めない、一対一であるという考え方が横行するようになりまして、そうしてそれがまた民主主義であるというような誤解を生むようになりまして、いろいろの弊害も出て來ておると思うのであります。もちろん人間が一人の個人としては平等でございますけれども、学園内における学生と教師との位置と意味とは違うのでありますし、從つて一方が指導者であつて一方が指導を受ける者である、一方が先輩であつて他方が後輩である。この位置と意味の差を十分に認識いたしまして、学生を單なる強制もしくは権力による統制ではなくして、心から指導をするような組織が必要であることは、学校当事者もわれわれも長い間感じていたのであります。これがちようど昨年の秋に問題になりましたので、十数名の教育者、大学教授その他あらゆる方面の代表者を集めまして、学生生活改善協議会というものをつくりまして、学生生活における指導の各部面について長い間討議をいたし、大体昨年の暮ごろに一應の成果を得たわけであります。いすれこの成果をまとめまして、学生の指導に関する学校関係者とよく打合せをし、その参考にいたしたいというふうに考えております。すでに教育長等の講習の際に、大学高等専門学校の学生指導に任ずる人々に集まつてもらいまして、その趣旨を参考のためにごひろういたしておるわけでございます。今後もこういう点については十分に研究もいたし、学校の特殊性、地方の事情をも考えまして、総意の入り得るような組織をつくつてつたならばいかがかと思つておる次第であります。
  45. 若林義孝

    若林委員 大体了承いたしたのでありますが、先ほどの学生のアルバイトの現状につきましては、ひとつ至急に御報告を承りたいと思います。今日はこれをもつて質問を打切ります。     —————————————
  46. 原彪

    原委員長 次に國立学校設置法案を議題とし質疑に入ります。武藤議員より本法案につきまして発言を求められております。これを許します。武藤君。
  47. 武藤運十郎

    武藤運十郎君 私は文部当局に対しまして、新制國立大学の募集人員の問題並びにその試験問題作成の二点につきまして質問をいたしたいと存じます。  第一に本年度の新制國立大学の受驗者数は、適性檢査を受けた人は数から言いまして約十二万であるそうであります。全國の國立大学の收容者数は全部で何ほどありますが、私はつまびらかにいたしておりませんが、おそらく八、九万人であるかと思うのであります。そうしますと、かりにこの適性檢査を受けました十二万人の学生が受驗をいたしましても三、四万人のいわゆる白線浪人を出すわけになるのであります。これは非常に多くの数でありまして、從來も白線浪人というのはないことはありませんでしたが、こういうふうに多量の浪人を出しますことはこれは問順だと思うのであります。これが年々三、四万人ずつできて行くということになりますと、たいへんなことになりますし、ことに失業者が多く町に投げ出されるときでありますから、学生のアルバイトというようなものも困難になるでありましようし、学生本人に與える精神的の影響はもちろんでありますが、各家庭におきましても生活困難な時代に一年も二年も浪人をかかえるということは非常に大きな問題であると思うのであります。申すまでもなく文科系の大学はこれという特別の施設を必要としないのでありますから、この際從來予定されております定員を三割ないし五割くらい増加をいたしまして、受驗者の大部分を收容するという方法をとられてはいかがでありましようか。新聞などで見ますと、施設の許す限り各新制大学において多く收容するようにということが報道されておりますけれども、これは文部省において各大学に対して何らか通牒でもお出しになつたのであるか、根本的な御方針をおきめになつておるものでありますか、この点についてお伺いいたしたいと思うのであります。
  48. 日高第四郎

    ○日高政府委員 新制大学の受驗をいたしますのに必要な條件といたしまして、あらかじめ適性檢査を受けなければならないことになつております。適性檢査を受けました者の数は大体十二万ほどございます。國立新制大学の一学年の定員は今のところ四万九千人くらいになつております。この四万九千人と申しますのは、旧制の大学高等專門学校の第一学年の定員が四万八千五百でございますから、ほぼ前のものと同じでございます。それで今回はその十二万のうちから九万ないし十万くらいが一應は國立の新制大学の受驗をいたすであろうという推定をいたしております。それが受驗の機会が二期にわたつておりますので平均二回くらいございますから大体受驗者の延べ数から申しますと十八、九万から二十万人ぐらいだろうと推定いたしております。  それから今お話もございましたように、現在いわゆる白線浪人というものが相当ございまして、これらの処置については途中から特権を失つたような状態になつておりまして、学生たちも親たちも非常に苦慮いたしておりますので、私どもとしては大学当事者に対してなるべく事情の許す限りよけいに收容してもらうように頼んでございます。それから初めの試驗で定員に満たないような場合には、二次、三次等の試驗をして、できるだけ多く收容して出発してもらうように処置をいたしてございますので、地方的にはいろいろむずかしい問題もあるかと思いますが、全体的にはあまり大きな障害なしに進み得るのではないかという予測をいたしております。もう一つ、特定の大学に殺到いたしまして、そのために入学の機会を失うような場合が從來も相当ございましたので、それらの点については出身学校等の指導によりまして、なるべくその学生の力量に應じたようなところで、また家族の負担のかからないようなところで就学するように指導をしてもらうことになつております。
  49. 武藤運十郎

    武藤運十郎君 大体了解いたしましたが、先ほどお伺いしました從來の定員に対して二割とか三割程度増員をするというお考えはないですか。大体收容し切れる見込みでございますか。
  50. 日高第四郎

    ○日高政府委員 從來は学校の定員を文部省で相当はつきりきめまして、その定員内でまかなうように学校に打合せをしてございました。文部省としては予算の関係上からそういう処置を從來は相当きびしくやつておりましたが、現在の状態では、予算関係においては定員をはつきりきめますが、予算を特別に要求しないで現在の学校の施設等を運用において幾分学生を増すようなことはなるべく考えてもらうように頼んでございます。その辺ではおそらく一割程度は、定員よりはよけいに入り得るのではないかという見込みをいたしております。
  51. 武藤運十郎

    武藤運十郎君 少し具体的に伺いたいのですが、新制大学には幾つかの高等学校を吸收收容するようでありますが、その両者の合併した数だけ、またはそれ以上ということに定員がなつておるのではないですか。
  52. 日高第四郎

    ○日高政府委員 これは学校のコンビネーシヨンがいろいろございまして、簡單に高等学校に入つた者の定員と從來大学へ入つた定員とを合せたものというふうには行かない面もございます。これらの点の適正であるかどうかにつきまして、大学設置委員会の審査を受けて、それらについて專門的に各委員が檢討されました結果、多少定員を減したようなところもございますが、先ほど申しました四万九千ぐらいな定員に定めたわけでございまして、やや專門的な檢討を経た後の大学設置委員会の審査に從うことにいたしてございます。
  53. 武藤運十郎

    武藤運十郎君 大体了承いたしましたが、希望といたしまして文部当局においてもできるだけ各大学に多く收容できますようなおはからいを願いたいと思うのであります。  それから第二に新制大学の試驗問題の作成についてでございますが、今度は先ほども申しましたように從來の高等專門学校を吸收しておるようでありますが、試驗問題の作成について、たとえば從來の高等学校において教鞭をとつてつた者が大学の教授または助教授になつた場合に、この教授または助教授が試驗問題作成に当るということになりますと、その包括されました大学高等学校に在籍しておりました学生は非常に有利な立場になる、それ以外からの受驗者は不利益な立場に立つというようなことが想像をされるのであります。從來も、たとえば在京大学に入学するにつきまして一高の諸君が非常に入学率がよろしい、概算でありますけれども、法科に例をとりますと、一高卒業生の合格者は六〇%ぐらいであるが、他の高等学校の卒業生は三五%前後である。一高には秀才が集まるという点もございましてパーセンテージに多少よろしくなるのではないかと存じますが、倍というのはどうか。この場合に東京大学の教授であつて一高に講師を兼任をしておる、一高に教鞭をとつておるというような人がありまして、その人が試驗問題の作成に当るのではないかというような疑惑を世間に残した例を私は聞いておるのでありますが、そういうことではまことに遺憾な次第でありますから、この際東大、一高ということでなくて、全体的に見て從來大学から吸收せらるる高等学校に教鞭をとつてつた者、並びに吸收せらるる高等学校の教授、先生にして今度は大学の先生になる方は、試驗問題の作成から除外をするという考慮をせられるかどうか、この点を伺いたいと思うのであります。
  54. 日高第四郎

    ○日高政府委員 その点につきましては、私どもも多少懸念を持つてつたのでありまして、これは文部省からそういうことを申したわけではないのですが、二、三の学校について私が聞き及びましたところでは、学校自身の方でそれを遠慮させておるようであります。具体的に申しますれば、第三高等学校の教授は、京都大学の新制の学生を迎える場合には試驗委員には入らない。ただ採点には若干必要な場合にだけ参加する。しかし試驗問題の作成等には関係してないという報告を受けております。それから東京の場合においても、東京大学で試驗の準備の委員会か何かできておりまして、一高の者は技術的に援助するだけで問題の作成には参画してないように聞いております。
  55. 千賀康治

    千賀委員 ただいま武藤議員発言委員長は独断でお許しになりました。私は過去二年間の体驗において、どの委員会に行つて発言をお願いするときでも、委員長は常にその委員会の意向をとつて発言を許しておつたのが私の体驗である。ただいま委員長委員会に諮らずして、ことに会期も切迫いたしておつて、非常に議事の進行には一秒これ千金というようなときに、武藤議員の質問を長々とお許しになつておる。これはどういう御信念によるのか伺いたいのであります。または委員外の人の発言委員会に諮らずに委員長独断でやることが、委員長の権限であると思つてお許しになつておるのか、その点をはつきりいたしたいのであります。今後残りますわずかな時間に、かようにどんどんお許しになつてつたならば、われわれが議事の進行に協力をするということはことに私は先ほども御承知の通り自分発言を捨てております。さようなことがみなむだになるので、委員長の御信念を伺つておきたいと思います。
  56. 原彪

    原委員長 武藤議員から発言の申込みが約一時間前からありまして、委員の方々の申込みより前でございましたので、委員の方々に諮らずに許してしまつたのでございますが、今後は諮るようにいたしましよう。発言の許可の権限は委員長にあるのでございますけれども、皆さんにお諮りすることが民主的だと思いますから、さようにいたします。
  57. 甲木保

    甲木委員 私、今回多数の新制大学が発足するに伴なつて、大学の目的ないし使命の何であるかを明確にしておく必要があると考えるのでございます。つきましては、大学はその名称のみにとどまらず、実質的においても大学である以上、それは單に一國の教育制度の最上級にある教育施設としてのみ観念せらるべきものではなく、國家、社会よりして、眞理の探求を委任せられたるところの特別な社会的及び法律的存在としての意義を有するものでなければならないと思うのでございます。  また第二は、大学の財政をできるだけ合理化し、予算科学的編成に努めることであります。大学が國立の場合においても、單なる鉄道、郵便施設、病院、図書館あるいは氣象台のごとき営造物とは異なつた性質を有しておることは御承知の通りでございます。從つて教授が官吏であつても、その職務の性質が前述の営造物の技師たちと本質的に違つておるのも、これまた御承知のことと存じます。その結果一般官吏に関する服務紀律のごときも、大学教授に関しましては、自然変更を見なければならないことを総合的に認識理解する必要があると思うのでございます。  なお第三は大学の運営方法でありまして、國立大学を運営する行政機関、すなわち官立大学と國家との関係は、一般行政官廳や地方自治体との場合とははなはだしく違つているのでありまして、國家は官吏という機関によつて外部的に行動するのでありますが、大学教授は官吏たる身分を持つていても、その職務は行政官廳を構成する官吏の職務とはまつたくその性質を異にするものであります。その職務の遂行は、すなわち研究の実行において、政府当局の指揮命令を受けぬ独立の地位を有するものであります。大学院や研究所を持つに至る大学の機構を果すための人員や施設に要する経費は、あるいは單に学生の数などによつて按分さるべき性質のものではないのであります。もしこのことにつきまして十分な考慮が拂われなければ、わが國の学問と文化は、やがて低下の一路をたどるのであろうことは火を見るよりも明らかでございます。  なお大学の自治は大学の生命であります。その生命の維持、独立発逹のために大学自治が必要となつて來るのであります。大学の自治ということは学問の蘊奥をきわめること、及び最高の教育が國家から大学当局の手に信頼して委託せられ、大学当局はその信頼に沿うように実行して行く最も適当な方法であると存ずるのであります。以上につきまして、文部大臣の御所見をお伺いしたいと存ずる次第でございます。
  58. 高瀬荘太郎

    ○高瀬國務大臣 お答えいたします。大学が学術の最高研究機関としての使命を持ち、教育のほかにそういうような重大な使命を持つておるという点につきましては、ただいまの御意見にまつたく同感であります。大学の目的は学校教育法の五十二條に規定してありますが、そういう趣旨がむろん入つておりますので、その目的をできるだけ逹成するようにしたいということを文部省考えておるわけであります。  それから第二は大学教授としての活動について、十分やれるような組織、予算等についての問題であろうかと存じますが、御意見にありましたように、現在の大学教授の待遇とか、あるいは研究費等でははなはだ不十分であることは、私も大学におつた経驗から見まして十分に承知しておるところであります。できるだけその方面も考慮して、大学の最高使命が逹成できるように改善したいということを考えてやつております。しかし現在のような財政経済の状況のもとでは、なかなかその点が理想的に参らないので非常に困つておりますけれども、ぜひともそのつもりで努力をいたしたいと考えております。  それから第三の大学自治の問題でございます。これも私大学におつた経驗から申しまして、御意見に賛成です。ただ自治のあり方等につきましては、いろいろ方式がございまして、ただいまそれについて檢討をしております。大学運営の自治方式というものはこれとは別途に、いわゆる大学校において規定される問題であります。この國会にはそれは間に合いませんが、十分愼重に檢討して、御意見のあつたようなぐあいに大学の自治組織ができるようにいたしたい、こう考えております。
  59. 圓谷光衞

    圓谷委員 音樂学校長が見えておりますので、音樂学校長の発言をこの委員会において許すよう、委員長においてお諮り願いたいと思います。
  60. 原彪

    原委員長 小宮校長がお見えになつておりますので、参考人として御発言願うことに、お諮りいたしますが、御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  61. 原彪

    原委員長 それではさようとりはからいます。
  62. 水谷昇

    水谷(昇)委員 その発言については私はこの前から申し込んであるのですが、発言を許してほしいと思います。
  63. 原彪

    原委員長 甲木君の発言中でありますから、終り次第いたします。
  64. 甲木保

    甲木委員 先ほど申し上げます通り、音樂学校長としては邦樂を認めないという意見でありますが、これに対する文部当局の御意見を承りたいと思います。
  65. 日高第四郎

    ○日高政府委員 この前の委員会で申し上げましたように、音樂学校の新制大学への轉換の案の中には、邦樂の問題は音樂研究所の中で適当な方法をもつて解決して行きたいという希望が出ておつたのであります。しかるに九原則によりまして新しい研究所を設けることの困難に出合いましたので学校の希望をいれることは今日の場合むずかしくなつております。先日音樂学校長に対しては、この事態に即して邦樂の問題にも適当な処置をとつて、たとえばほかの技術を專修するような科目と同じような形において、邦樂も取入れてもらえないだろうかということを希望いたしておりますが、音樂学校の側でも研究いたしておりまして、まだ正式の返答を得ておらない状態であります。今日学校長が見えておりますので、あとからでも私の方から学校長に聞きたいと思つております。
  66. 甲木保

    甲木委員 世界歴史を見ますと、政治や経済は往々にして諸國民の間に不和を生ずる原因となつておるのであります。ところが眞善美の理想は諸國民をして互いに結合させるものでありまして、かのベートーベンの音樂は世界のすみずみまで鳴り響いておるのであります。今回の戰爭においても、ドイゾの敵國人であるところの各國の軍隊は、陣地で、あるいは一般の人々は空襲を避けながら、かの音樂を歌い、かつ聞かなければ暮らして行けないという状態であつたのであります。音樂は洋樂のみが正しい音樂ではないと私は信じおります。(「ヒヤヒヤ」)わが國の邦樂は日本民族が長い歴史とともにはぐくみ育てて來たので、一朝一夕に捨て去らるべきものでないと信ずるのでございます。戰いには敗れたといつても、國民性が根こそぎ外國風にかわつたわけではないのでありまして、日本の古い美術とともに、日本人に捨て去ることができないものはすなわちわが邦樂であります。アメリカ式流行の流れに押し流されて、邦樂を捨て去るようなことがあるならば、何年かの後にきつと悔いることがあると思うのでございます。現在の青年男女でも、すべてがジャズなり洋樂だけを愛好しておるとは思つておりません。ある電氣会社の労働者はこう申しておりました。あまりに欧米色一点ばりで邦樂を音樂学校でとりやめるというような話であるが実に情ない、われわれは邦樂によつてのみ祖國日本の再建を思うときが朝な夕なある。竹のといから落ちる水の音、このさびは日本人でなければわからぬ。洋樂は洋樂のよさがあり、また邦樂には邦樂のよさがあるのでございます。日本民族の滅びぬ限り邦樂は捨てられぬという私どもは信念でございます。どうぞこの点を当局といたしましてはお考えのほどをお願い申し上げておく次第であります。
  67. 圓谷光衞

    圓谷委員 小宮校長にお伺いいたします。邦樂を廃止する理由につきましては、この前小宮校長より親しくお伺いしたのでありますが、私はどうしても納得行きません。しかし今この点についての論議を小宮さんといたしても時間がかかりますから、これはやめることにいたしますが、小宮先生も邦樂の重要性についてはお認めになつておる。そうしてこの前の御意見によつても、研究所を設置して邦樂の研究をするという御意思であつたようでありますが、これはただいま政府当局の御答弁もありましたように、予算措置上この研究所は設置せられなくなつたのであります。そうしますれば小宮さんは、邦樂の研究所のない音樂学校から邦樂をとる、邦樂を音樂学校に入れないという御意思であるか、第一にそれをお伺いしたい。  第二には、今回文化財保護法案が提案されることになつておるのであります。この法案の骨子とするところは、文化的遺産がわが國文化の傳統と精髄の象徴であることを認識し、周到の注意をもつてこれを保存し、且つ利用するように努めなければならない。とありまして、第三條の第一項においてその一号に、この目的を逹成するためには建造物とか絵画、彫刻、工藝品、筆跡、史料、演劇、音樂ということも入つておるのであります。しかもこの法律によりましてこの音樂を委員会が命令することができるようになつておるのであります。こういう場合において、文化財保存の重要性を國民の代表であるわれわれ議会が認めて行く場合においては、小宮さん一個人の考えとしても、自分の意見をもつて音樂学校にこれをどうしても置かないという強い御意思であるかどうかをお伺いしたいのであります。  もう一つは、これは文部大臣にお伺いいたしまするが、前の小宮さんの御意見によれば、かくかくの意見のうちにも、これは私の考えである、私の考えであるとたびたびおつしやる。なるほど洋樂と邦樂との教授の賛成か不賛成かの決はとつたように承つておりますが、これを御発表にならない。そうするとどうしても小宮校長お一人のお考えであるように私どもは受取つたのであります。しかし國会の意思として、われわれ國民の代表者が邦樂は置くべきであるということをこの委員会が認めた場合において、文部大臣は小宮さんの御意見を尊重して廃止するか、またはこの委員会の意思を御尊重になるか、どちらかをひとつお伺いしたい。
  68. 小宮豊隆

    ○小宮参考人 邦樂を大学に入れない氣かというお話でございましたが、私は全然入れないというふうなことを考えておるものではないのでございます。ただ大学教育の中に入れるには、邦樂は、不適当だから、大学の教育の本筋の中からは取除きたい、また取除くべきであるというふうに考えております。しかし邦樂というものは、とにかく日本に長い年月をかけて、日本人のはらわたにしみ込んでいるようなものを持つているものでございますから、それを全然大学の中から捨て去るのはよろしくないというふうに考えまして、別科としてこれを置きたい。別科として、つまり正科ではないけれども、別科の中に邦樂を入れたい。その理由はこの前もちよつと申し上げましたように、大学教育の中に入れるほどの理論も系統も立つていないという弱点がありますので、音樂研究所でそれを一方では研究させて、ちやんと理論を與え、系統を立てて、そうして一般の教育に向くようなものにした上で正科に入れる入れないを考えるべきである。さしずめ今のところは邦樂は技術だけなのでありますから、技術だけを教えるというのならば、音樂学校の正科に入れないで別科に入れればよろしい。別科は邦樂だけでなくて、洋樂の方にも別科というものを置いてあります。それは一般教養だの、あるいは学科だのの入学試驗には十分な点数はとつていない。しかし技術はすばらしくできるというふうな学生が、これまでの音樂学校の場合にもちよいちよい出て來るのでございます。ところが技術だけでは音樂学校には入れるわけに行かない。これはどうもやむを得ないから落そうとか、あるいはこれはあんまりよくできるから何とかして助けてやろうというふうな手心を加えて今までやつて來ておつたのでございます。そういうふうな、一般的な教養は十分ではないけれども技術がすばらしくできるというふうな人の技術を伸ばさせるために、洋樂の方にも別科を置く、從つてまた邦樂の方にも別科を置く、そういうふうなことをして当分の間進んで行きたいというのが私の考えなのですけれども、私の考えは私の考えでございまして、この委員会でぜひ邦樂は入れなければいけないというふうな御意見がきまりましたならば、もちろんこれは國民を代表していろいろなことをお考えになる方々の御意見が一決したということになるわけでありますから、それに対して私はなお置いてはいけないというようなことは、私の立場として言えないわけです。これは御決議に從うより仕方がないと思います。  私が邦樂を認めないとか、あるいは邦樂を低級だというふうに考えてないことは、私は四十年來歌舞伎のことをやつて参りましたし、それから能のこともやつて参りました、俳句のこともやつて参りました。日本のいいものがどういう点にあつて、どれだけの世界に誇るに足るものを持つているかということもわかつておるつもりでございます。ただしかし日本の傳統としましても、どの傳統は將來に生かすべきであるか、どの傳統は生かすべきではないかというその判断をはつきりつけた上で、これから先の方針を決定すべきだと私は考えておりますので、私の判断では洋樂というふうなもの、それから邦樂というふうなものを二つ並べて考えて、これから先の音樂は洋樂が本流になるべきもの、また教育するとすればその本流に從つて教育すべきであつて日本の音樂はそういうピアノを使い、ヴアイオリンを使う中から日本の傳統的な精神というものはけつこう流れ出て來るものであるというふうに感じておるものでございますから、それで私はこれまでのように考えておる次第でございます。
  69. 柏原義則

    柏原政府委員 藝術の問題は非常にむずかしい問題であります。もちろん文部省は役所でありますから、きめなければならぬのでありますが、藝術とか宗教のような深い問題になりますと、事実役所では決しかねる問題もあるのであります。また國会においてもきめにくい問題もあると思います。各方面の多数の代表ではありますが深い眞理とかあるいはまた藝術とかいう問題になりましたら、多数できめたことが必ずしもいいとは言えない場合があるのでありまして、後世に悔いを残す問題もあるという点、私は多数主義を排斥するものではないのでありまして、多数は尊重するのでありますが、しかし音樂学校は小宮先生の塾ではないのでありまして、公の学校であります。教育方針を立てる場合には、大体は校長にまかすべきでありましようが、塾ではないのでありますから、自分の意見がこうだからといつて、たとえて申しますなら、自分が民自党の校長であるから共産党はこうしてやろう、これは私は邪道だろうと思うのです。そういう意味で、自分の教育観から教育全体を抑えつけるということは、一つの邪道だと思うのであります。私ここで申しますのは、これは文部省の意見というよりは主観が入つておりますから御了解願いたいと思うのでありますが、これも文化財保護法と深い関係を持つもので、文化財保護法の中には無形の文化も残す、その無形の文化の中には浪花節も入るだろう、謠も入るだろう、こうなつて参りますると限界の判定が非常にむずかしいのでありまして今度も五人、六人の專門家の意見できめるのでありますが、おそらくどの技術には政府が金をやる、何にくれぬ、こうなると謠がもらうが、浪花節がもらうか、非常にそれをめぐりまして專門の立場から、けんかの始まることは火を見るよりも明らかであります。そういうような関係もありますので、非常にむずかしい問題でありますが、しかし音樂学校は文化財保護法におきまして、邦樂のある一部のものは、非常にこれを尊重して残さなければならぬというような結論も出、國会においてもそうだというふうに両方からそういう結論が出るとすれば、校長は校長の塾ではないのでありますから、その意見に從わなければならぬだろう、こういうふうに私は解釈するのであります。
  70. 圓谷光衞

    圓谷委員 小宮さんにお伺いするのですが、邦樂には理論がない、しかし勘というものはお認めになると思う。日本人は非常に直覚力が発逹している。ザヴイエルも、日本國民は東洋において最も理解の早い國民であると言つております。こういう点は、絵画とか音樂から養成されて來る。そこで理論がないとして、理論というものは研究の上、形式できないという御認定であるのかどうか。理論がないけれども、この理論は、あなたも造詣が深いとおつしやるのですが、これはとうてい不可能な問題であるとお考えになつておるかどうかということを伺いたい。今柏原政務次官のお話は、私の聞いたのと見当が違つて自分の私見を申された。そうでない、國会の意思によつてこの委員会がきめたことと、小宮校長の意見を尊重するか、どちらを尊重するかということを聞いたのであつて、一分間でお答えになればいい。どつちを尊重するか、あなたが、私はそう考えるでは困る。文部大臣を代表しておつしやるならば、そこをはつきり簡單明瞭に、一言でわかる、その一言をお聞きしたい。どちらを御尊重になりますか。
  71. 小宮豊隆

    ○小宮参考人 邦樂は理論的な研究ができないとは私は思つておりません。ただ今までの研究者が理論的なものをちつともこしらえていないという事実はあるのでございます。
  72. 柏原義則

    柏原政府委員 先ほど長々申しましたが、その結論は國会の決議を尊重する。そのようにきめるのが当然であると最後に申したはずであります。
  73. 圓谷光衞

    圓谷委員 私は考えるでは…。
  74. 柏原義則

    柏原政府委員 それは途中はそうでありましたが、しまいはそういう結論になりました。
  75. 水谷昇

    水谷(昇)委員 小宮校長さんにお尋ねするのでありますが、私は音樂については一向無学な者でありますので、質問の的がはずれるかもしれません、あらかじめ御了承の上、よくわかるように御説明を願いたいのであります。この間小宮校長の大学に邦樂を入れないという理由として、三点をあげられておつたのでありますが、簡單に申しますと、第一は金の問題である。第二は理論的、歴史的研究ができていないということ、第三は教育の方法として技術ばかりで理論的に段階的に教えることができないのだというような三点を伺つたのでありますが、私の今申し上げました以外に、もつと重要なことがおありでありましたら、もう一回つけ加えて御説明を願いたいと思います。
  76. 小宮豊隆

    ○小宮参考人 私の理由とするところは、今仰せになりました三点で盡されていると思う。ただ三点の中で重要な重さの点から申しますと、第一よりも第二が重い。第二よりも第三が重いというような重みのつけ方が一、二、三と違つているだけのことです。
  77. 水谷昇

    水谷(昇)委員 それではお尋ねをいたしますが、邦樂は將來において発展性がないのかどうか。將來の日本音樂としては、極端に言うと無益であるか、あるいは價値がないのであるか、有害となるのであるか。それから藝術大学に邦樂科を入れたいという國民感情を、校長は無視されるのかどうかということ、それから教育基本法によりまして、教育の機会均等ということがあるのでありますが、これを御尊重になられるのかどうか。小宮校長さんが校長として訓育せられました在学生、卒業生が、一般の教養をより以上に欲し、人格の向上をこいねがつて、さらに家元制度なる封建性を打破して、邦樂の革新を熱望することを否定せられるかどうか、もし否定せられるとすれば、みずからの教育によつて制度がそういうふうに向上して來たものでありますから、自分の教育を否定することになるのではないかと考えられるのであります。これらの希望を逹成せしめ、教養することによつて、校長さんのおつしやる、つまり將來校長の理想とする理論の発展を実現するのではないかと思われるのでありますが、この辺の御意見を伺いたい。教育は私はものを殺すようなことをしてはいけない、すべて生かして行くということでなければならぬと思います。現在音樂学校において能樂と長うたと琴とこの三科が正科としてあるものを、これを今度の大学には入れないということは、一面から言うと殺すようなかつこうになると思うのであります。これは教育の精神に反するものではないかと考えられます。西洋音樂に対しまして、じやまするものでもなく、洋樂とともに生きて行こうとするのでありますから、私はそういう生きて行こうという般若の精神で行きたいと考えるものであります。この点についての御意見を伺いたい。それから校長さんが計画をせられました研究所の設置というものは、今日では実現しない。このままでは邦樂は自然に消滅するよりしようがないのでありますが、この責任をどうするのであるか。元來この問題は單なる学者の藝術論上の問題ではないと思います。一國の文化行政の問題でありますから、金の問題については校長先生が一人御心配にならなくてもよいものであります。ことにこれは一つの学校内の小さい問題ではない、こう考えるのであります。以上のような点について納得の行くような御説明をいただきたいと思います。
  78. 小宮豊隆

    ○小宮参考人 邦樂の將來の発展性という問題になりますと、これはどうも私一個の意見になるかもしれないと思いますし、また発展性があるとかないとかいう問題は、水かけ論になるおそれがあると思うのであります。実は私は邦樂には將來の発展性はないというふうにしか考えられないのです。その意味で邦樂の將來に対しては私はスケプチツクなんです。その理由は、邦樂は長い歴史を持つているには違いないけれども、しかし琴だの三味線だのというものは、徳川の時代になつてから発逹したものでありまして、また徳川の時代に完成したものでございますから、いわば徳川の町人の趣味あるいは感情、あるいは思想といえば言い過ぎるかもしれませんが、そういうものを表現しているものではあるけれども、もつと古い時分からの、二千年なら二千年の歴史を貫いて日本に流れている日本民族精神というふうなものを、十分に表現し得ておるものとは、私は考えられないのであります。ことに江戸時代には、音樂は遊里の生活と結びつき、あるいは芝居と結びついて、江戸の町人一般の好尚を代表し、また好尚をしつけて來ているような形になつております。その徳川の町人文化というものは、たいへんいいものもあるし、また一方からいえば、今日の時勢には非常に適しないものをたくさん持つておる。そういうふうな意味で、琴だとか長うただとかいうもののいいものと悪いものをよりわけて、今日の時勢に適するとか、あるいはこれから先文化國家としての日本人の栄養の源になつて、新しい力を奮い起して新しい仕事をしようという、その仕事の燃料を供給することができるような力は、持つていないと私は信じております。  第二番目に移りまして、國民感情の問題をどう考えるかというお話でございましたが、私の考えによりますと、この國民感情というもりが、はたして長うたあるいは箏曲、そういうものだけによつて國民感情が満足しているかどうかということは、よくよく考えてみると、相当疑問ではないかというふうに思われる。たとえば民謡だとか子守うただとか、ああいうふうなものは、長い年月の間に土の中から生れ出て、土のにおいを持つているものでありまして、これこそむしろ國民の血の中に流れている根本的な感情を表現しているものではないかと思うのであります。しかし三味線とか長うたとかいうことになると、そういう土の中から生れ出たものを、その土を洗い落してしまつてお座敷へ上げて、お座敷の中で発逹したものが、琴だとか三味線だとかの曲だというふうに私は考えております。從つてこれをもつて國民の代表的な音樂である、あるいは國民感情の全部を表現しているものであるというふうに考えて、そういうものを入れないのは日本の現在の國民感情にさからうものであるというふうな説をお立てになるのは、私には少し合点が行かない点だと思います。それは一般的に抽象的に申しまして、日本に古くからある音樂を日本の國立の大学に入れないのは不都合ではないかと言われれば、それはその通りでありますが、具体的な問題として、琴をなぜ入れないか、入れないのは國民感情に反する、あるいは長うたとか三味線を入れないのは國民感情に反する、こうおつしやることは、現在の長うた、琴というものが、どのくらいな程度に國民に瀰漫しているか、あるいは國民全体についてどのくらいな程度三味線を喜び、琴を喜ぶようになつているかというふうなことを、もう少しはつきりつき詰めた上でないと、なかなか結論は出ないのではないか。事実私の狭い経驗でございますが、私の方の音樂学校で邦樂科の演奏会と洋樂科の演奏会と日を違えてやることがたびたびあるのでございますが、その場合でも、聞きに來る人の数から申しますと、邦樂の方へ聞きに來る人の数はたいへんに少い。これは單に私の方の邦樂の扱い方がこれまで冷淡だつたとか、あるいは洋樂の方は優遇したとかいうふうなことではなくして、一般の傾向がそういうふうなところにあると見てさしつかえないのではないか。それはたとえば毎日曜日にやつておる放送局ののど自慢をごらんになつても、のど自慢に出て來るパーセンテージは、日本の音樂をやるのと、西洋風の音樂西洋風の音樂と申しましても流行歌だとか主題歌などでありますが、そういう西洋風の歌を歌う方の人がはるかに多い。しかも日本流の三味線を使い、あるいは琴を使つて、のど自慢をしようというふうな人のパーセンテージは、非常に少い。そのことから考えても、そもそも長うたを入れないから、あるいは能を入れないから、あるいは琴を入れないから、國民感情にさからうというふうな結論は、出て來るはずがないように思う。  それからもう一つ、若い邦樂の学生たちが革新の意氣に燃えて、家元制度を打破したり、新しい音樂をつくる意氣込みでもつて、一生懸命にいろいろ勉強しようとしておる。その革新の意思をお前は否定するのか、しないのかという御質問でありましたが、私はもちろんこれを否定はいたさないのであります。革新するのはけつこうです。家元制度などというものは、日本の音樂を毒していることはなはだしいものでありますから、そういうものはどんどんこわれてしまうのがいい。從つて若い人が革新の意氣に燃えてそういうことをやることは、私は賛成であります。ただ私が考えるのは、邦樂を勉強していながら、邦樂の革新はできない、できないのではないけれども非常にむずかしいというのは、邦樂の人たちはやはり家元制度の中に育つて來た。家元もしくは家元に近い者から教わつておるのでありますから、どうしてもそういうふうな空氣にかぶれやすいし、人情上そういう者は当人はそういうふうなものに巻き込まれないつもりでも、自然とそういうものに巻き込まれる傾向がございます。のみならず私から申しますと、今まであるような邦樂を使つて、その邦樂の上に西洋音樂のようなものを継ぎ木をして、その継ぎ木をしたものから新しい日本の音樂をつくろうとするのは姑息な手段であつて、事実は本人がやろうとし、また天才が出て來れば、それは革新はできなくはないと思うのでありますが、一般的な考え方としては、そういうことは私はとうていとうていというのは言い過ぎかもしれませんが、まず非常に困難なことである。それよりも私の言うのは、西洋音樂の知識を十分に取入れて、そうして一方では三味線を捨てられない人、あるいは琴を捨てられない人は、家におつて琴を勉強し、三味線を勉強しながら新しい西洋音樂の知識なり、あるいは新しい現実の感覚なりを積み重ねた上で、日本音樂に関して日本音樂を革新するというのが一番近道だろうというふうに私は考えておる。これは事実邦樂の学生にも私はそういう話をしたこともあるのであります。  研究所は、今年は例の経済九原則で吹き飛ばされてしまつたのでありますが、これは私は來年の予算を請求して、來年度にぜひつくりたい。これはまた文部委員会の方たにもお願いいたしたいのでありますが、これは今年はできなくとも來年、來年はできなくとも再來年にでき上るように御助力が願いたいと思うのであります。実はもし音樂研究所ができなかつたときには困ると思いまして、文部省から、人文科学研究費というもので研究の保護をする制度ができております。実は音樂研究所でやつてもらおうと思つていた問題の一つ二つは、もうすでに人文科学研究費から研究費をもらいまして、ぼつぼつやりかけてもらつておるのであります。これがつまり音樂研究所ができればそれを音樂研究所へ持つて來て、もう少し金をかけてもいいような方法をもつてどんどん発展させて行けるだろうと思うのであります。今芽をふき出しておるような形で、一つ、二つ願い出ているのがあるのであります。それでは音樂研究所ができなければ、邦樂はどうなるかというお話でございますが、邦樂はまだ実は音樂学校としての邦樂科というものは三年間あるのでございます。三年間の人たちが、みんな卒業してしまつたあとで、つまり初めて邦樂科の若い学生がからつぽになるわけでありますから、これは一年や二年遅れてもちやんとした音樂研究所ができて、そうして一方では研究していながら一方ではそこで別科として教育を受けるようにすれば、それで一年、二年の遅い早いは、將來の長い眼で見れば大した問題でなくて済むのではないか、そういうふうに考えております。
  79. 水谷昇

    水谷(昇)委員 それから一國の文化行政の問題だと思いますが、その点についてはどうお考えになりますか。
  80. 小宮豊隆

    ○小宮参考人 もちろんそれは一國の文化行政の問題だと思います。なまいきを言うようでございますけれども、私も單に洋樂がいいとか、邦樂が悪いとかいうふうな、そういう立場からでなくて、日本のこれから先の文化國家として進展して行く上に、こういうふうなことをする方が必要だというふうな意味で、実はそういうことを考えたのでありす。
  81. 水谷昇

    水谷(昇)委員 第一番の邦樂が発展性がないというお考えでありますから、これは意見の相違でありまして、この点は問題にならぬと思いますが、先生の立場によりますと、邦樂は徳川時代に発逹したものである。商人の趣味、感情、思想を表現しておるものであつて、土から生れ出た、この点が閑却せられておる、こういうことでありましたが、これは環境を與えさえすれば校長先生のおつしやるようなものができると考えられます。  それから國民感情を無視するか、しないかという問題で、校長のお考えでは三科だけに限定してきめるようでありますが、私もまたこの三科だけで邦樂全体を代表しておるものとは思わない。だから私はこの三科だけについて論じているのではなくて、邦樂というものについて考えておるのでありますから、この邦樂のうちどれを取入れるかという選択は專門家の人がよく研究して取入れたらいいと考えるのであります。そういう点から、やはり邦樂全体から言えば、國民感情としては大学に入れてよりよい発展をさせてもらいたい、こういう感情があるから、その点を校長は軽視せられるかどうかということをお尋ねしたのであります。具体的には校長の言われるように、土の中から生れ出たこの日本民族の思想を表現したものを適当に取入れることはまことにけつこうだと思うのであります。  それから校長が教育をしたその結果、革新的な希望を持ち、そういう熱意を持つていよいよ向上しようというこの教育の効果を、今中途でとめてしまおう、こういうことはまことに残念だと思います。ただいまの御説明によりますと、先生が封建的な区域を脱しておらぬから生徒がそれに巻き込まれるのだというが、そういう欠点を認めておられるならば、そういう欠点を除却するような環境をつくり、また指導をする、こういうふうに行くのが私は教育だと思う。その点が私は意見が違うのでありますが、この点についてもう一ぺん御意見を伺いたい。  それから研究所の問題でありますが、私どもは研究所よりは大学に昇格をさせて、邦樂を発展させて行きたいという希望でありますから、ほかの委員諸君はどうか存じませんが、私ども考えから言うと、校長は研究所を今年できなければ來年、來年できなければ再來年というお考えでありますけれども、それは協力がしにくい形になるわけであります。  それからただいまの音樂学校は三年制があるのだから、これが全部廃止にはならない、一年、二年遅れてもいい、こういうお考えであります。校長の御意見によれば、これは一年、二年あるいは三年遅れてもいいかもわからぬが、これに満足をしない者の考え方から言うと、この際遅れてしまうと取返しがつかない、こういうような氣分の違いであります。この点をよく御了承を願いまして、主観的な考えから、この邦樂が大学に入れられるか入れられないかという重大な問題でありますから、特に考慮を煩わしたいと思うのであります。今申し上げた点について重ねて御答弁を願いたいと思います。
  82. 小宮豊隆

    ○小宮参考人 封建制に育つた先生方に頼んで教えてもらつていると、学生も、そういう氣はなくても、自然と巻き込まれるおそれがあると申しましたが、これはつまり技術のできる人が、これまでずつとそういうふうな世界に育つて來た人でありますから、どうしても新しい人を入れるということが不可能なような状態になつております。そこへ新しい空氣を注入するということは、ちよつとできないのであります。  それから二年、三年待つたつてよくはないかというのは、私はむしろ、大局のことを考えて、長い目で見れば二年三年待つというふうなことは、名目からいえば、すぐ今年入らなければいけないということになるかもしれませんけれども、そうでなく、日本の音樂の將來をどうすればいいかという観点に立つて考えれば、一年や二年の遅れは大して違いはないのじやないか。私はあなたからのお説を伺つても、なおそういう氣がするのであります。
  83. 水谷昇

    水谷(昇)委員 もう一つ國民感情の点で三科目にだけということを固執せられたようでありますが、私の意見に対して御意見はどうですか。
  84. 小宮豊隆

    ○小宮参考人 それは、もしどうしても邦樂を置け、大学に入れろというふうな御説の場合に、最も重要だと考えられる日本の音樂の中から、たとえば今までのようなものでなくて、別なものをより出して來てもいいというようなことならば、それはまたそれで考える余地が相当あると私は考えます。
  85. 水谷昇

    水谷(昇)委員 最初の日に、邦樂は能樂、琴、長うたの三者で代表することは適当でない、全部にすると多過ぎる。そこで金の問題が起つて來るのだというお考えでありましたが、私はその最も適当なものを選んで、そうしてまずそれを正科にして、さらに研究して入れるなら入れて行くという段階を追つて進んだらいいと考えます。從つて金の問題のために、昇格をさせるとかさせないとか、入れるとか入れないとかいうことは、問題にならないと考える次第であります。小宮校長の最後の御意見といたしまして、この國会の方において決議したことは、それに賛成せざるを得ない、こういう御意見を伺いましたので、私どもは適当に審議したいと思う次第であります。
  86. 千賀康治

    千賀委員 簡單に関連質問をさせていただきます。私は一つの意見を前の委員会で発表しておりますので、小宮校長に私の意見の一端は知つてもらえるだろうと思います。どうか速記録をお読み願いたいと思います。論議はされ盡しておりまするから、この上の議論は必要がないと思いまするが、ただいま伺つておれば、小宮校長自身のお考えでは、すでに行き詰つておると思うのであります。あなたは西洋音樂心醉いいましようかわれわれは心醉と申します。心醉のために他を省みる余裕がない。これはあなた一個の意見か、音樂学校の西洋音樂に関しておられる教授諸君の代表意見かどうかしりませんが、いずれにしてもわれわれの日本音樂を課程から抹殺すべからずという意見を持つものに対しまして、は、行き詰つておるのであります。これは観点をかえて、あなた方が扱つたのでは、もうここまでより行けないということがありましても、廣く知識を日本中に求めたならば、われこそは音樂学校の日本音樂の担任をして、確かに日本音樂に学問としての生命を與えて見ようという人が必ず出て來ると思います。みずからが行き詰つた以上は、そういう道をお考えになる手も十二分にあると思うのでございます。そこで國会日本音樂を取入れるべしと言うか言わないか、これは今後のことでございまするが、われわれ委員会の多数がいずれに意思を表示するかは、少くともこの問題に関しましては、われわれは四百六十名の國会からその権限を委託されておるものでありまするから、われわれの意見はすなわち國会の意見になるのであります。そこでわれわれが多数をもつて、今あなたの議論、あなたの考え方を無視しまして、音樂学校から日本音樂を駆逐すべからずという意思表示をした際には、適当な方法をとつていただきたいと思います。また文部当局のお考え方も、專門家なるがゆえに音樂学校の意見を尊重するのだということを一筋に固執をするならば、何を好んでこの國会に四百六十人の代議士を日本の中から集めて、國政を審議させる必要があるか。経済に対しては経済の專門家がある、美術に対しては美術の專門家がある、ことごとくの專門家の意思を聞いて、專門以外の者の意見というものは一切われわれの関知するところでないという態度になりましたならば、まつた國会なんか必要はない。さようなことはわれわれは一切承諾することができません。それを推し進めるならば、あなた方文部当局でさえも、われわれ多数の議員の意思のもとにあるじやないか。あなた方個人で質問しておるのではない、文部大臣、文部次官といえども議員の総意のもとに立つておるのです。こうして政治の根本がある以上は、いかに專門家の意見を尊重すべしとはいいながら、これに偏重することは、決して現代の政治において許されることではありません。これを取捨選択よろしきを得て、ほんとうに國利民福のために、專門家の意見あるいは議会の意見、この両方を按配して、最もよき線をつづり合せて行つてもらうのがあなた方の任務だと思う。われわれはあなた方にしかく要求いたしておるのであります。かような点から申しましても、先ほど來文部当局が言つておられる意見に対しましては、私どもは満足でありません。文部当局が依然としてさような態度で、この問題に限つては專門なるがゆえに專門家の意見を尊重するということでおいでになるならば、われわれは最後にわれわれの信念によつて、あなた方がわれわれの対抗する目標であるということになつて來るので、この点はあらためて御決心が承りたいのであります。
  87. 柏原義則

    柏原政府委員 私が申しましたのは、專門家の意見偏重というつもりで言つておるのではないのであります。國会できめたら、專門家等がかりにさばいても押えてしまうのかという御質問に対しまして、宗教とか藝術とかいう問題は多数できまらぬ場合もあるということを申し上げたのであります。それは古今の歴史が証明しておるのであります。ただ最後の結論といたしまして、文化財保存法ができて、どれを文化財として指定するかという問題につきましても、まちまちな意見が出るだろうと思う。そういう意味でこの邦樂の問題も非常にむずかしい問題である、こう一例にとつて私は説明したのでありまして、結論といたしましては、小宮さんも、國会で決議してもらえばその通り從うと言つているのでありまして、また文部省といたしましても、國会で決議したら文化行政としては從うのは当然であつて、ことに民主主義の原則としては、太陽が月のぐるりをまわるのがほんとうか、月が太陽のぐるりをまわるのがほんとうか、多少間違つておりましても、かつての歴史において間違つた決議でありましても、多数が押した場合は眞理として通すのが民主主義の政治だと思うのであります。判決は千年の後にまたなければならぬけれども、その当時として多数がいいと言つたのに從うのが、民主主義の國の文化政策だと思う。そういう意味におきまして多数の者がよかろうということになりましたら、政治の段階としてはそれに從うのが当然だろうというふうに私は思うのであります。間違つてつてもと申しますが、間違つたこともかつての時代には眞理として通つたこともあるのであります。だから判決は千年の後にまつこととして、現段階においては國会の意思の通り決定するのが当然であると存じます。
  88. 原彪

    原委員長 なおこの際皆さまにお諮りいたします。その筋より法制局長が出頭を求められまして、委員各位に傳えてくれという案件がございますので、法制局長に発言を許したいと思いますが、御異議ございませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  89. 原彪

    原委員長 それではさようにいたします。法制局長。
  90. 入江俊郎

    ○入江法制局長 衆議院の法制局長であります。最近の機会に関係方面から私に対しまして、当委員会で御審議中の教育職員免許法案につきまして、こういう点を修正してみてはどうであろうかという一つの参考意見の提示があつたのであります。これをとるとらないは委員会で自由に御判断願いたいという趣旨でありますけれども、一應お傳えいたしまして御参考に供したいと思います。  その点は教育職員免許法の第五條に関連いたしまして、第五條第四号に、禁錮以上の刑に処せられた者に対しては免許状を授與しないと書いてありますが、これでは禁錮以上の刑に処せられると長く免許状をもらえなくなる、これは少し行き過ぎではないか。一定の時期を限つて、あとは免除してもよいではないかという一つの意見であります。  いま一つは同條の六号にありますが、「日本國憲法施行の日以後において、日本國憲法又はその下に成立した政府を暴力で破壊することを主張する政党、その他の國体を結成し、又はこれに加入した者」とありまして、そういう者にもやはり授與することができないことになつております。この最後の点につきましては、これは一つの思想の自由を不当に圧迫することになりはしないかという点の疑問を持つているというようなことを言つておりました。  この二点につきましては、私は法律上の観点から考えますと、教職員というのは、やはり特別な公務員でありまして、一般の公務員よりもさらに特殊性を持ち、精神的な面が強い、そういう趣旨でこの規定ができているものと思います。そこでこの「禁こ以上の刑に処せられた者」ということにつきましては、刑法の最近の改正で以後十年間に罰金に処せられなかつたならば、十年たつとその刑の言い渡しが効力を失うという規定もありますので、別に悪いことをしないで済めば、十年たてばよくなるということになつているから、結局十年間の制約になるかと思いますので、あるいはこの程度ぐらいのことがよいのではないかと思います。あるいはまたそれをもう少し短かくすることも一つの意見かと思います。それから最後の「政府を暴力で破壊することを主張する」云々というのは現在國家公務員法にもありまして、國家公務員法の制約よりもこの教育職員の方をさらに軽くするということはいかにもおかしいような氣がするのであります。この最後の問題は、國家公務員法全体とからみ合つて研究すべき問題であつて、教育職員の免許法だけで解釈するのも、法律の建前上どうであろうかと考えます。これは私自身の法制的な見解でありまして、先ほど申しましたその筋の参考意見というものと私の一應の見解とを申し上げまして、すべて御判断は委員会において適当にいたしていただきたいと思います。それだけ御報告かたがた参考に申し上げておきます。
  91. 小林運美

    小林(運)委員 國立学校設置法の提案理由の説明の際に、政府当局から今回の六十七校のほかに、秋田、上田の大学設置に対しましては、文部大臣より設置委員会に諮問をしたというお話がございましたが、われわれはこの問題につきましては、非常に前から文部当局にいろいろお話を申し上げておる次第であります。時に先般の委員会におきまして、この学校の問題につきまして請願をいたしましたときに、詳しく申し上げました通りであります。今になつてようやく設置委員会に諮問したというお話でありますが、その設置委員会に諮問いたしました内容、またどうして今ごろになつてそういう諮問をしたか。しかも諮問をする際には、大体当該学校の調査を設置委員会がしておるはずでありますが、さような文部当局の諮問の線に沿うてかような調査をしたかどうか。その二点を伺いたいと思います。
  92. 原彪

    原委員長 小林君、時間がございませんので、はなはだ恐縮でありますが、その答弁は明日に延ばしていただきたいと思います。明日も質疑を継続いたしますから……。
  93. 小林運美

    小林(運)委員 それは、実は聞くところによりますと、明日設置委員会の総会があるそうでありますが、その総会によつてこの問題が大体方向が見出されると思いますから、本日ぜひ御答弁を願いたいと思います。
  94. 原彪

    原委員長 呼間がございませんから、簡單に願います。
  95. 日高第四郎

    ○日高政府委員 ただいまの御質問に対して要点だけ申し上げます。大学設置委員会文部省との関係は、この前申し上げたことがありますが、教育行政に関する限りは文部省が責任を負うべきであるという建前で來ておりまして、文部省が設置しております学校については、文部省が原案を提出してそれが大学として成立し得るかいなかの可否を決定するのが大学設置委員会の任務というふうに考えておりまして、それは大学設置委員会との打合せにおいてそういうふうに考えておつたのであります。そういう方針で参つたのでありますが、学校及び地方と文部省との意見が一致しない場合に、大学設置委員会考え方をもう少しわくを廣げて諮問したらどうかということで、問題は非常にシリアスな問題になるものでありますから、大学設置委員会にかけて、いろいろな困難な大学設置委員会に轉嫁することをおそれまして、なるべく文部省との話合いできめたいと思つたのでありますが、不幸にしてそれができませんので、大学設置委員会の常任委員会に諮りまして、審査の範囲を特に廣げてもらいまして、特別の審査にかけてあるわけであります。  秋田及び上田の專門学校につきましては、前から予備の審査をして、形式的には正式にかけたわけではないのでありますが、文部省としても、その二つの專門学校を何とかして大学にしたいという意図は、初めから持つておりましたし、すでに非公式に予備的な審査をしてもらつておりますので、あらためて可否についての諮問をいたしてありました。文部省として私も委員の一人ではありますけれども、これに関與することは遠慮すべきだという見地から、私自身はその審査委員会には出席しておりませんので、内容についてはしつかりしたことを申し上げかねるのでありますが、二度か三度常任委員会を開きまして、明日の総会にかけることになつております。私はこの総会にも遠慮すべきであると思いまして、出席をしない心組みでおる次第であります。
  96. 小林運美

    小林(運)委員 ただいまのお話で大体了承いたしましたが、そういたしますと、上田の繊維專門学校につきましては、單科大学として御諮問になつたのでありますか、その点を明らかにしていただきたいと思います。
  97. 日高第四郎

    ○日高政府委員 今書類を持つておりませんので、詳しいことはあるいはもう関係の方には申し上げてあるかと思いますが、私の記憶しておるところでは、文部省は國立の学校の二百幾つかを一々の原則によつて決定したいと思つている。しかし左記の学校については、学校及び地元においてはこれを例外処置として取扱うべしという意見があつて、決定をいたしかねているから、これについて大学設置委員会は独自の立場で判断をしてほしい、それを諮問する、大体そういう前置きを置きまして、問題の所在の点を書いて、この点についての意見を求めるということになつて、大学設置委員会に諮つてあると記憶しております。詳しい書類は今持ち合せませんけれども、あるいは関係の方にはお見せしてあるかと思いますが、さよう御承知おきをいただきたいと思います。
  98. 小林運美

    小林(運)委員 大学設置委員会は、大学を單科大学にするとか、あるいは総合大学にするとかいうようなものではないというお話があつた。それをわけのわからないような例外処置という言葉で言われた。また今詳しくは知らないからあとでというような局長のお話でありましたが、そこのところは非常にデリケートなところでありまして、設置委員会がこれを答申した場合には、やはり文部省はこの設置委員会の答申に基いて國会に提案することと思います。そこに非常にデリケートなところがありまして、今の局長の説明ではどうもよく納得しかねる。しかもあなた方は設置委員会の答申を大学の資格ありやいなやをきめる一番大きな資料にしているにもかかわらず、それにあいまいな諮問をするということは、どうも解しかねます。この点をもう少しはつきり御答弁を願いたいと思います。
  99. 日高第四郎

    ○日高政府委員 非常にデリケートだというお話でございますが、私の言葉使いそのものからでも誤解を生ずるおそれがありますので、はつきりした書類をとりまして、そうして御納得の行くように後刻御説明申し上げたいと思います。
  100. 原彪

    原委員長 本日はこれにて散会いたします。     午後二時五分散会