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1949-04-22 第5回国会 衆議院 文部委員会 第10号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十四年四月二十二日(金曜日)     午後一時三十四分開議  出席委員    委員長 原   彪君    理事 伊藤 郷一君 理事 佐藤 重遠君    理事 圓谷 光衞君 理事 水谷  昇君    理事 松本 七郎君 理事 稻葉  修君    理事 今野 武雄君    淺香 忠雄君       岡延右エ門君    甲木  保君       千賀 康治君    高木  章君       中山 マサ君    黒澤富次郎君       若林 義孝君    受田 新吉君       渡部 義通君    船田 享二君  出席政府委員         文部政務次官  柏原 義則君         文部事務官         (学校教育局         長)      日高第四郎君  委員外出席者         専  門  員 武藤 智雄君        専  門  員 横田重左衞門君 四月二十二日  委員川端佳夫君辞任につき、その補欠として千  賀康治君が議長の指名で委員に選任された。     ――――――――――――― 四月十一日  教育委員会法の、一部を改正する法律案(内  閣提出第六九号) の審査を本委員会に付託された。 同日  六・三校舎建築予算に関する陳情書外三十五件  (第一  二九号)  新制中学校施設整備に関する陳情書外十七件  (第  三二号)  六・三制國庫補助等陳情書  (第二五一号)  上田繊維専門学校昇格陳情書  (第二五二号)  法隆寺その他の國宝保存に関する陳情書  (第二六四号) を本委員会に送付された。     ――――――――――――― 本日の会議に付した事件  委員派遣承認申請に関する件   請願  一 福岡市に國立博物館設置請願松本七郎    君外八名紹介)(第三六八号)  二 無縁故引揚兒童教育施設費全額國庫負担の    請願山崎岩男紹介)(第三六九号)  三 宮城学芸大学設立請願庄司一郎君紹    介)(第三七〇号)  四 新制高等学校國語教育に関する請願(伊    藤郷一君外一名紹介)(第三七一号)  五 高田忠周書石文保護に関する請願仲出一    太郎君紹介)(第四一一号)  六 芸術大学邦樂科設置請願水谷昇君外    一名紹介)(第四一二号)  七 國民道義高揚に関する請願河原伊三郎君    紹介)(第四一七号)   陳情書  一 開拓地に小母校設置陳情書    (第三二号)  二 宗教教法人令の改正に関する陳情書    (    第二正号)  三 新制中学校施設整備に関する陳情書外一件    (第    五八号)  四 風連村開拓地小学校設置陳情書    (第六八    号)  五 私学助成に関する陳情書    (第七    六号)  六 六・三制校舎建築予算に関する陳情書    (第二号)  七 中学校教員の定数に関する陳情書    (第八号)  八 六・三制に伴う地方財源確保陳情書    (第二七号)  九 戦災小学校復旧に対する起債及び國庫補助    増額陳情書    (第一六七号) 一〇 仙台工業専門学校工業大学昇格促進の    陳情書(第    一九〇号) 一一 六・三制校舎建築予算に関する陳情書    (第二〇五    号) 一二 教育予算増額陳情書    (第二一一号)     ―――――――――――――
  2. 原彪

    原委員長 それでは議会を開きます。  本日の議会といたしまして、文部省機構改革に関して当局より生命を求めることに相なつておりましたが、二、三の点につきましてその筋の了解を得られない点がございますので、次会に譲りたいと思いますが、いかがでございましようか。
  3. 渡部義通

    渡部委員 請願もしくは陳情の方は非常に多いのですが、ある程度まで議事の運営いかんによつては短縮も延長もできると思います。しかし文部省設置法案にも関係するような機構の問題とか、その他いろいろな重要な原則的なものは、短縮するよりも、むしろできるだけ延長して、内容をはつきりさせることが必要だと思いますので、皆さんの御賛同を得れば、いつでもそういう方から先にやつて請願及び陳情の点は文書にもできておるのだし、問題の性質もはつきりしておるわけですから、そういう点で時間の方を縮めるようにしてもらつたらどうでしようか。
  4. 原彪

    原委員長 ただいま渡部君の御発議がありましたので、一應当局より答弁を求めます。
  5. 柏原義則

    柏原政府委員 ただいまの御趣旨よく了解いたしましたが、今日のこの委員会に、それの担当社として詳しい方が関係方両に呼ばれまして行つておりますので、二時中ごろに帰るという予定でありましたが、まだ向うの都合で帰りにくいという情勢でありますので、次会に延ばしていただけたらと思います。
  6. 原彪

    原委員長 ただいまり御答弁で御了承を賜わりたいと思います。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  7. 原彪

    原委員長 それではそういうことにいたします。     —————————————
  8. 原彪

    原委員長 昨日の理事会法隆寺災害実地調査を行うために、委員派遣するに意見の一致を見ましたので、委員会として御決定願わなければなりませんが、まず委員派遣承認申請書議長に出したいと思います。ただいま申請書を朗読いたします。    委員派遣承認申請書一、派遣目的 法隆寺災害実地調査一、派遣委員氏名一、派遣の期間 四月二十七日より四月十日まで四日間一、派遣地名奈良市右により委員派遣したいから衆議院規則第五十五條により承認を求める。議長あて申請書でございます。ただいま朗読いたしました通り委員派遣するに御異議ございませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  9. 原彪

    原委員長 御異議なしと認めます。  なお派遣委員氏名は、理事の方におかれまして委員と御相談の上、本日の委員会終了までに御報告願いたいと存じます。     —————————————
  10. 原彪

    原委員長 請願審査に入ります。日程第一、福岡市に國立博物館分館設置請願文書表第三六八号、松本七郎君外八名紹介請願議題といたします。松本君。
  11. 松本七郎

    松本(七)委員 この請願者福岡縣知事杉本勝次君外五名になつております。この要旨簡單に申し上げますると、政府從來文化美術中央集中主義を改めまして、各地に國立博物館分館の建設を計画中であるということであります。そこで福岡市は西日本随一の政治、経済、産業、学術、文化中心地であります関係から、分館設置をするには最も適当な土地と思われます。そのために縣会も市会も現在この設置のために非常な努力を拂いつつあります。建物といたしましては昔の武徳殿がこれに充てられる最も好適な、建物として存在しておりますから、ぜひ福岡市に國立博物館分館設置されたいというのであります。何とぞ全員の御賛成によつて、本請願がご採択にたるようにお願いいたします。
  12. 原彪

    原委員長 政府所見を求めます。
  13. 柏原義則

    柏原政府委員 請願の御趣旨はよくわかりますが、國立博物館分館地方に持つということにつきましては、やはり関係方面ともいろいろ協議を経なければならぬので、分館を持つなら、むしろ地方博物館をつくつたらよいではないかというような考えもあり、いろいろ折衝いたしておるのであります。いずれ古文化財保存法が今度出ることになつておりますので、その際にどういうふうに処置するかということも審議していただきたいと思います。できるだけ御趣旨に沿いたいと思いますが、今ただちにできるという段階には達しておらぬのであります。
  14. 松本七郎

    松本(七)委員 ちよつとお伺いしておきたいと思います。私どもの知つておりますところではこの福岡市の分館設置の問題については関係方面も非常に熱を入れてくれておるのでありますが、この福岡市に設置することについて特にその方との関係がおありなのでしようか、それとも全般的に博物館については関係方面とり折衝が必要であるという意味か、そのところがちよつとはつきりいたしません。
  15. 柏原義則

    柏原政府委員 今私のいたしました答弁は、全般的に分館を設けるということが問題になつておるので、特に福岡だからいかぬとか、いいとかいう問題ではないのです。
  16. 松本七郎

    松本(七)委員 その関係者はどういう所でしようか。
  17. 柏原義則

    柏原政府委員 美術関係方面です。なお必要であるたらば説明員から説明いたさせます。     —————————————
  18. 原彪

  19. 今野武雄

    今野委員 この請願青森縣下北郡大漆の町長からの請願であります。請願趣意は、樺太から引揚げて來た人たちのために、特に内地に縁故がない者のために收容所が設けられております。その費用全額國庫負担厚生省予算から出ておりますが、しかしその家族たる生徒兒童に対する教育ということには少しも費用が出ておらず、全部たまたまそこに引揚げて來た定着地負担においてなされている。しかるにその定着地においても、新制中学の六・二制の問題、その他で財政上非常に困難を來しており、数百名の学童、生徒を受入れて、それを町村の負担においてやつて行くことが非常に困難である。であるから、この問題について市町村としてはもちろん十分な熱意をもつて今までこの問題に当つて來たけれども、もう限界が來ておるからひとつこの問題については特に教育費全額國庫負担をお願いしたい、こういう趣旨なのであります。  この問題は私どもが考えましても、樺太から、またほかから引揚げて來た方々生活というものは、非常にたいへんである、その方々お子さんたちがこういうふうに教育も受けられないような状態、あるいは受けたにせよ、その市町村に非常に御迷惑をかけておる、こういろ状態をできるだけ早く解消すべきであると考えますので、ぜひとも御採択あらんことを願います。
  20. 原彪

    原委員長 政府所見を求めます。
  21. 日高第四郎

    日高政府委員 ただいまの御趣旨はまつたくごもつともでありまして、私ども全額國庫負担にいたしたいと思いまして努力いたしたのでありますが、今のところ経済安定本部との折衝の結果八割國庫負担ということになつておりまして、他の二割は地元に御迷惑をかけなければならないような状態であります。これははなはだ不十分でありまして、申しおけありませんけれども、しかし一面から申しますと、全額國庫負担になりますと、建物帰属等地元のものになるというような点に多少の支障も起るという点もありまして、今のところ論議の結果そういう面も出て参りましたので、八割補助なつておるのであります。これはむしろつけたりの、どつちかといえばあとのどうでもよいような問題ではないかというふうに考えておりますが、將來はできるだけ全額國庫負担で進みたいと思います。財政上のゆとりのないという点でこういうことになつておることは、世話をしてくださる地方方々にはなはだ御迷惑であるということも十分承知いたしておりますので、今後もこの点についてはできるだけ努力をいたしたいと思います。
  22. 今野武雄

    今野委員 この請願主意書を見ますと、実は定着地全員担において現在教育がなされておるように申しておるのであります。しかるにただいまの御説明を伺いますと八割國庫負担といすことでありますが、それはいつ、またどういう形で出ておるのでありますか。
  23. 日高第四郎

    日高政府委員 本年度、二十四年度から八割ということになつております。     —————————————
  24. 原彪

    原委員長 日程第三を議題に供します。宮城学芸大学設立請願文書表第三七〇号、紹介議員庄司一郎君。
  25. 松本七郎

    松本(七)委員 紹介議員にかわりまして本請願要旨を申し上げます。  宮城縣下小学校中学校教員は、現在のところ東北大学の前期二年を終了した者でこれに充てておるのでありますけれども、これをもつては新学制の趣旨に反しまして、教員素質低下を招來しており、かつ修了生教員に就職を拒否いたしたり、あるいは僻地への赴任を忌避する者が出て参りますわけでありますから、小学校中学校教員養成機関として、宮城学芸大学設置せられたいいうのであります。
  26. 原彪

    原委員長 政府所見を求めます。
  27. 日高第四郎

    日高政府委員 宮城縣師範学校が独立して新制学芸大学になりたい希望のございますことは、文部省も十分承つておるのでありますが、先般申上げましたように、全國の大学高等専門学校二百七十八を今度新しい大学に転換させますときに、十一の原則が設けられたのでありまして、その十一の原則によりますと、宮城縣にございます大学はできるならば東北大学中心にして一つにまとめてりつぱな大学にしたいという方針が立つわけであります。もう一つは一昨年衆議院文教委員会の決議によりまして師範学校新制大学に転換する場合に、できるだけ総合大学の中に入れて、從來師範学校の欠陥をなくすようにという文部省に対する御指示もございました。大体そういう方針によりまして、東北大学に新たにできます教育学部一環として宮城師範学校とあわせで教育学部をつくる方針をとつて参りました。両方の学校の間に相当意見の食い違いもございまして、十分なる了解点に到達することは困難な状態でございましたが、最近に至りまして、両者の間に十分な了解点に到達いたしましたので、東北大学教育学部一翼として宮城師範か入ることに決定いたしております。地元の御意見のように、ある点では四年の大学を出る者が宮城縣におちつくという点においては、幾分不便もできると思うのでありますが、しかし学問や技術のすぐれている東北大学一環として、教授世びに施設を共有することによつて師範学校の転換する学芸大学がほかよりも水準が低くなるというようなことは、文部省としては考えておりません。かえつて全國に先がけてよい教育学部ができるのではないかという、非常な期待を持つておる次第であります。ただ両者の合併について、立場相違からいろいろ意見相違等もございまして、決定の遅れたことは残念でございますが、最近にはそれも十分な了解がついて転換できるようになつておりますので、御了承いただきたいと思います。     —————————————
  28. 原彪

    原委員長 日程第四、新制高等学校國語教育に関する請願文書表第三七一号、伊藤郷一外一名紹介
  29. 佐藤重遠

    佐藤(重)委員 紹介者にかわりまして御説明申し上げます。  本請願東京大学教授加藤常賢氏以下二十名の請願であります。これはみな各専門学校並びに新制高等学校のそれぞれの教壇に立つ先生方であすますが、その請願要旨は、昭和二十二年四月七日附、発学第一五六号通牒、それから同じく昭和二十三年十月十一日附発学第四四八号通牒、これは文部省次官通牒のようですが、この中に、新制高等学校教科課程中の國語という部分が表に示されておるのであります。これがまた國語漢文の二つにわけてありまして、その中で國語という部には必修教科を示すしるしがしてございますが、漢文という方には全然それが抜いてあるために、漢本扱い方が非常に軽視されておる。これでは、だんだん育つて行く学徒たちが、漢文に対する知識が低下して、そのために言語、文章の面からも、あるいは思想攝取の面からも、たいへん不自由なことになる、こういう主張判断のもとに、日本の今日の文化を築く上にも、非常に重要な面を持つてつた漢文に対する扱い方を、もう少し十分にしてもらいたいという点にあるのであります。新制高等学校教科課程中、ことに漢文の取扱い方は、どらも眞重を欠いた処置でありて、これは一部論者の一方的見解によつたもので、とにかくこれは正しい教育のあり方ではない、はなはだこれは遺憾なことに思う。ついては漢文日本古典として必修國語中においても取扱うことができるような措置をされたいというわけであります。しかるべく御採択をお願いいたします。
  30. 原彪

    原委員長 政府所見を求めます。
  31. 日高第四郎

    日高政府委員 新制高等学校目的は、要約いたしますと、健全で有能な社会人をつくるということにあるのでありまして、この目的に沿うための國語教育主眼点は、読むこと、書くこと、りくること、語すことの四つの面を、できるだけ総合的に養うことを目標といたしておるのであります。漢文國語歴史的傳統の中に大きな流れを持つておりすして、相当な地歩を占めておることは、争われない事実でありまして、文部省も決してこれを無観しておるわけではないのでありますけれども、現在の社会生活上、必要欠くべからざる漢文という点に行きますと、漢文専門にやられた方の見解にただちに同ずることもできないような面もございまして、相当長い間の批判檢討を経た上で、國語の中の一翼として選択の自由を残して漢文をやるという建前なつておるのであります。御承知のように、今度できます新制高等学校教育方針の中には、一般普通教育のほかに職業的な教育もございます。そして一般普通教育の中でも、必修科目というものはできるだけ狹い範囲にとどめまして、その他は学校並びに地方及び学生等自由選択を許して、教育内容が多様豊富なもりを持ち得るように画一的にしないというのが趣意なのでありまして、こういう点から考えますと、漢文必修科目の中に入れるということは建前論議がございますので、現在のところでは、お示しになつたよすに國語一翼として選択の自由を学校並びに地方、父兄、学生等にまかせてあるわけであります。こういう点から言いますと、昔漢文を習つたときのよすに、みずから漢文を書いたりつくつたり話したりするということはないのであります。現在の新制高等学校の程度における教育においては、漢文を読むことが必要なのであります。そしてそれ以上の大学等に入つたときに、漢文の読めるということはけつこうなことでありますけれども、これを全般的にしいる点については論議がございますので、御承知のような状態にあるわけであります。これらの点についても方々論議がございまするが、その論議についてはできるかけ虚心坦懐に檢討いたす心組みでおりますけれども、今のところはそれが大勢を制しておらないような状態でありますから、御了承置きいただきたいと思います。     —————————————
  32. 原彪

    原委員長 日程第五、高田忠周書石文保護に関する請願井出一太郎紹介文書表第四号を議題に供します。
  33. 船田享二

    船田委員 紹介議員井出一太郎君にかわりまして、高田忠周書石文保護に関する請願趣旨簡單に御説明申し上げます。  この石文は皆様御承知通り國会の正門の前の通りにありますもとの大山元帥銅像背後銘なのであります。これは高田忠周の手にはつた書でありまして、また石刻も非常に優秀なもので東洋一といわれたものでありますが、大山元帥銅像が取去られたあと、まつたく雨ざらしになつておりまして、保護されておりません。かようなすぐれた美術品を、そのままにさらしておくのは遺憾にたえない。ついてはこれを何とか保護する手段を講じてもらいたいというのが請願趣旨であります。どういうふうにするかというような具体的な方法につきましては、請願者の要求もないのでありますが、大して大きなものでもなし、あるいはどこか建物の中に取込むということを講ずることが、何らかくふうすれば文部省の方でできるのではないかと思いますので、適宜御審議の上、よろしく適当な方法を講じていただきたいと思います。
  34. 原彪

    原委員長 政府所見を求めます。
  35. 柏原義則

    柏原政府委員 御趣旨は承りましたが、比較的新しいものでもありまして、またその内容が十分わかりませんことでありますから、よく調査いたしたいと思います。そして必要でありましたならば、あの礎石をとりのける場合に適当な方法を講じたいと考えております。     —————————————
  36. 原彪

    原委員長 日程第六、芸術大学邦樂科設置請願水谷昇君外一名紹介文書表第四一二号を議題に供しま  これは小宮校長よりいま一度説明を聞くことになつておりますので、採否はあとまわしといたしまして、とりあえず請願趣旨紹介議員より承りたいと思います。
  37. 水谷昇

    水谷(昇)委員 この請願芸術大学邦樂科設置実行委員会稀音家浄観氏外三十正名の請願であります。私紹介議員の一人として、その趣旨理由を申してみたいと思います。  今回の字制改革に伴いまして、昭和二十四年度より芸術大学が設立されますにつき、日本音樂洋樂と同じく芸術大学の一学科として取扱われますことを請願するのであります。その理由は、昭和二十三年六月七日に東京音樂学校から文部省に提出されました芸術大学音樂部案には、日本音樂が除外されております。日本音樂邦樂科の名称のもとに昭和十一年東京音樂学校に新設され、爾來十二年洋樂と並行して本科の一学科として置かれ、卒業生百六十一名、在学生四十名を数え、日本音樂発展と正しい古典維持のために盡して参りました。ただいま日本画美術学校において重要な地位を占めておりますが、これもその当時におきましては、洋画でなければ画でないように言われておつたものでありますが、現在では非常に重要な地位を占めております。これと同様に、音樂学校における邦樂科も、將來大いに期待されるようになつて來たのであります。この十二年の歴史を持つ邦樂科芸術大学から除外するということは、日本音樂のため、廣くは日本文化心ため許さるべきではないと思います。これは音樂学校長個人的私見によつて作成された大学案でありまして、幾度か開かれた大学案審議教授会には、全然邦樂問題を不問に付し、一切審議せず提出されたものでありまして、その除外した理由は、邦樂は近い將來消滅すベきもので、発展性がない。理論が確立していないから、大学で扱うのにふさわしくないというのでありました。邦樂理論がないならますます邦樂人大学において教育し、理論を確立しなければなりますまい。高い教養を身につけ人格をつくり、進んで洋樂と交流し、西洋の理論をも研究し新しい時代にふさわしいすぐれた日本音樂演奏家作曲家理論家評論家教育家をつくり、眞の日本音樂への道を開くのが芸術大学の本旨であろうと思います。理論がないとは申しながら、邦樂立場としては、各流派とも相当理論を持つております。能樂を初め琴、三絃のすべてを芸術大学学部から抹殺するということは、文化國家として復興すべきわが國の國情からして、まことに悲しむべきことと存じます。校長は学者の研究保存のみを主眼として研究所案を主張しておりますが、邦樂人に高い教養を與えなければ、古典保存も正しい研究も望み得ないでありましよう。学部邦樂の講座がないのに研究所だけ設けても、芸術発展上無意味であると思います。ことに現在では研究所も容易にできないような状態であります。私ども邦樂の現状にかんがみ芸術家の人間をつくる重要性を思い、邦樂を志す青年達も、洋樂志望者と同様、芸術大学において十分な教育を授げられんことを熱望いたします。この点につきましては現在の音樂学校邦樂科卒業生こめ点十分自覚しまして、この熱望かあるのであります。  以上のような理由によつてこの請願をするのでありますから、何とぞよろしく御審議の御採択あらんことをお願いする次第であります、
  38. 原彪

    原委員長 政府所見を伺います。
  39. 日高第四郎

    日高政府委員 芸術大学の構想の中に邦樂が入つていないという点についてのいろいろな御批判及び御不満は、昨年の夏からしばしば承つておるのであります。そのうち音樂学校から出して参りました案の中には、音樂研究所というものを設けて、日本音樂を学問的に研究をすると同時に、他の音樂理論をも研究いたし、そうして日本音樂將來発展のために、深刻な反省をするというような案になつておつたのでありますけれども、御承知のように経済原則によりまして、新しい事業を始めることは、本年度においては全般的に抑制せられておるような折柄芸術大学の中に音樂研究所を設けるということも、おのずから差控えなければならないような状態なつておりますので音樂研究所もできてないわけであります。こういう点から私どもとしては音樂学校の当事者に対して、邦樂の取扱いについてもう一應考慮してもらうように、すでに交渉はいたしてございます。もう一つ新制大学芸術大学をつくるという、いわばわくの問題でありますが、これには文部省といたしましても多少むりがあるように感じておる次第であります。主として学問や技術を教育する機関を目標にしてできました新制大学のいろいろの條件と、芸術家を養成することに相当な重きを置いておる芸術大学の構想の中では、少しく違つた面があつていいのではないかというのが、いろいろ問題の起きましたあとでわれわれの考えた点であります。そういう点で一般の新制大学と同じように、理論的の部門を技術や実驗と並べて必ず修めなければならないというような、悪い言葉で申しますと、きゆうくつな制度は、芸術家を養成する場合にはかえつて害のある場合もありはしないかということを、檢討の結果氣づいたのでありまして、そういう点につきましても、芸術大学の方に幾らかの運営上の自由さを認めてはどうかという考えを持つておる次第であります。この点も音樂学校の方に交渉をいたしまして、できるだけ何らかの形で他の技術の面と同じようなとりはからいを邦樂についてもしてもらえないものであろうかということを申し込んであるのでありますが、まだはつきりした返事に接しておりません。  それからこれは付け加えて申し上げることでありますが、音樂学校長芸術に対する熱心とその理論的の反省ということにつきましては、私も十分に虚心坦懐に聞いておりまして、私どもの知らないことや気づかないような点で相当深刻な反省をしでおることは、私も認めないわけに行かないのであります。これは行政的な立場から簡單に押しつけることには、愼重を要しなければならないということを考えてはおるのでありますが、しかし日本音樂を、欠点があれば欠点があるところを補充して育てて行く意味において、芸術大学のうちのあるコースにそういうものを置くことには一般の御希望もありますし、文部省といたしましても、その点は考慮してもらうように望んでおる次第であります。芸術上の反省や理論等につきましては、先ほど委員長からもお話がございましたが、小宮校長から聞いていただくことを私もお願いいたしたいのであります。いろいろ聞いたのでありますけれども、事が非常に微妙な微細なところにわたつておりまして、私からこれを再び私の言葉をもつてお傳えすることは非常にむずかしいのであります。その点は專門家である小宮校長から御聽取いただきたいと存じます。  なお私はつけ加えて申すのでありますが、率直に申しますと、小宮校長日本音樂に対しては相当ゆかりの深い人でありまして、うわさですから、どこまで事実かは知りませんけれども、若いころには娘義太夫にこつてつたというようなことも聞いております。その後歌舞伎や何かについて非常な関心を持つて、吉衞門等とも非常に親密な状態にあることも聞いておりますし、また歌舞伎の批評とか、あるいは日本芸術の閑雅とか、あるいは傳統だとか、あるいは奧義だとか、そういうことについても特別な研究もいたし、関心を持つておる人でありまして、日本音樂に対する軽い意味での軽蔑とか反感とかいうものを持つているものではないことは、私の信じて疑わないところであります。それらの点についてはむしろわれわれよりは、あるいは皆様よりはもつと日本音樂について深い理解を持つておるのではないかと思うくらいでありまして、そういう人が言い出したことについて、ひとつとくと御承知いただければ幸いだと思います。
  40. 圓谷光衞

    圓谷委員 日高学校局長は、たいへんに小宮さんの日本音樂の理解あることをただいま御説明なつたのですが、先日小宮さんのお話になつたことでは私ども納得できないので、いま一度小宮さんをここへ呼んでいただいて、そうしてもう少し小宮さんの意見を聞くようひとつ委員長においてとりはからつていただきたいということが一つ。  それからもう一つは、今度参議院の方でも用意しているという文化財の保存法案でありますが、この点から見ましても、邦樂が今回音樂学校から取去られるということを憂えるものでありますし、かつまた皇室における雅樂もこの委員会から何人か行つてごらんになつたことと思いますが、ああいうふうな民族の長い間の歴史的なものを、私は存続したいという考えを持つておりますので、水谷君の説明された請願については、この委員会において相当研究いたしまして、一旦これが廃止されれば、音樂的價値がないとして葬り去られるような心配を持つておりますので、特に申し上げておきます。  さらに日高局長にお伺いしたいことは、大学設置法案なるものが近くこの委員会に付託になることでありますが、大学設置法案の中に、この委員会邦樂科設置についての意見を付して決議することになれば、文部省なり、また大学設置委員会においでこれを採択して取上げることができるかどうか、その点ひとつお伺いしたい。
  41. 日高第四郎

    日高政府委員 ちよつと誤解のないように申し上げておきますが、私は小宮校長意見を、うのみにしているわけではないのであります。それには多少異存もございますし、また実際上の取扱いとしては小宮校長意見を決してそのまま取扱うという意図はないのでありますから、その点を御承知おきいただきたいと思います。そうしてすでにこまかい議論につきましては、專門家とわれわれしろうととの論議では、一致しないところがあるのでありますけれども、全般的の教育の面において、理論がないから全然大学に入れないということには、私も不服の点がございますので、初めに申しましたように、学問の教育機関と芸術教育機関とは、必ずしも同じように取扱わないでもいいではないかというのが一つの論点であります。そういう面で、たとえばバイオリンの奏法を教えることと、三昧線の奏法の教え方との中に、それは現在の段階においては、一方は理論的なものがあり、一方は勘が主であるというような点は、程度の差であつて絶対的の差ではないのではないかといことが、私どもの考えであります。こういう面でバイオリンを一生の仕事にするような人が、專心やることが可能であるたらば、三昧線を一生やるというような人があつてもいいのではないか。こういう場合に道を開いておいてほしいということを、私も学校長に申し込んであるわけであります。誤解はないと思いますけれども、私は小官校長の説をうのみにしておるのではないということだけ御承知おきをいただきたいと思います。  それからもう一つは、今申しましたことと連関いたしまして、大学設置委員会においても、私どももこういう問題があるということはあらかじめ大学設置委員会説明してございますので、幾らかあとのとりはからいができますように、これは表面には出ておらないのでありますが、全体の学科の編成はさしつかえないが、芸術大学の特殊性を発揮できるよう、將來一層くふうを凝らすことが望ましいということを、希望條件の中に入れてくだすつたのであります。こういう点においても、なお学校当事者とよく相談をいたしまして、あまりむりでない処置をいたしたいというのが文部省の考えでございます。それからもし附帶條件というようなものをおつけになるようなことがあつたといたしますれば、現在のわくの中でも若干の操作はできると信じております。
  42. 水谷昇

    水谷(昇)委員 ただいま日高局長の御説明を伺つて芸術大学は他の新制大学と異なつてもいいのだというようなお考えは、私も賛成です。洋樂においても、いわゆる五線符を同じように引くのならば、芸術はないと思います。その人々によつて、ほんとうの芸術が現われて來るのだと思う。こういう意味から言うと、もちろん邦樂にも五線符を使つておるのでありますが、洋樂に比べてその点がたとい劣つてつても、芸術としてはそれで私はいいのだと思う。それから理論がないということについては、人間としての一般教養を身につけて行きますならば、そこに芸術理論というものが生れて來るのだ。今までの日本音樂をやつておられる人は、そういう点に欠くるところがあつたので、せつかくのその芸術理論的に発表する発表の能力が足らなかつたように考えられる。それでありますから、一般的教養を高めることによつて、りつはな理論が生れて來るのだと思う。美術学校における日本画のごとく、今日重要な地位を占めておりますが、そういうようなことになつて行くのだと思います。  なおもう一点お伺いいたしたいのでありますが、邦樂科を本科にいたしまして、百四十数名の卒業生を出したのでありますが、卒業生邦樂に対する深い反省から、流派や家元制度にとらわれない学校教育をしてもらいたい。こういう自覚がありまして、特に邦樂芸術大学に入れてもらいたいということは、そこから出発しておる。これは私考えるのに、邦樂科音樂学校の正科として入れて生徒教養した、その教養したたまものがここに現われて來たのだ。教育の最も大切なることがこれでも私はわかると思う。そこでこの点については、日高局長はどういうふうにお考えになりますか伺いたい。教育が最も大切だという点から言うと、芸術大学の一学部に入れてこれをりつぱなものに仕上げるということが、最も日本文化を高めるゆえんである。かように私は考えるのでありますが、この点に対する御意見をお伺いいたします。
  43. 日高第四郎

    日高政府委員 ただいま私が申し上げたことに、多少不徹底のところがありますので、補足しておきたいと思います。芸術大学新制大学である限りにおいては、最小限度の大学設置基準というものを守らなければならないという制限があるのであります。それにも私は多少むりがあるのではないかという——これは正直な告白なのでありますが、最小限度の制約と申しますと、たとえば一般教養が必要だという場合に、芸術家になろうとする者が、ほかの、たとえば経済大学とか、あるいは工科大学とかいうのと同じように、一般教養をいたさなければならないといたしますと、音樂をやる人とか、あるいは美術をやる人等が数学をやつたり、物理学をやつたり、あるいは社会科学をやつたりすることは、むしろ非常に不得手なとでありまして、そういうものを必ずある單位とらなければならないというふうにきまりができますと、これは勉強のひまがなくなつてしまう。非常に不得手のものに、また消化のできないような方面のことをむりやりに食べさせるようなことになりますと、消化不良を起して、益になるのではなくて、害が起る、こういう面も相当ありはしないかというのが、私の心配なのであります。こういう点から言いますと、一般教養は必要だと思うのでありますが、それは芸術の姉妹芸術に対する理解とか、あるいは一般の文化的の教養とかいうもの、あるいは人文的の教養というものは、芸術家になるのにも非常に役立つ。狹い範囲にとじこもつてほかのことが全然わからないということではなくて、廣い見地から自分の芸術の特色や、役割りというようなことを反省できることは、芸術の発達にも非常にいいことだ。そういうふうに思つておるのでありますけれども、今申上げましたように、規定された最小限度の中にも、数学や、物理学というようなものが入りますと、芸術家に数学を教えるというようなことは、私の経驗から言いますと、これは犬にわじを食わせるような、あるいは馬に肉を食わせようというような、そういうむりがありはしないかというのが私の憂えている点でございます。これを新制大学の規格からはずしますと、大学にならないわででありまして、形式上はどうしてもそれを置かなければならないということになつておるところに、現在の芸術大学の案そのものにも改正すべき点があるのではないかと思います。これは普通の学校とは違いまして、いわゆる学校教育法に縛られない各種学校として、大学程度、あるいは大学以上の学校というようなものができればいいのではないか。こういうことを考えておるのでありますが、しかしそれは用意ができませんでしたので、今さしあたつては一般の大学の基準に從つて出発するという強意の処置をとつてあるわけであります。こういう点から考えますと、すべての芸術、ことに從來美術学校音樂学校に入つた者が、出るときに学士号がほしいという者はほとんどないと思うわであります。むしろ学士号なんというものは第二、第三の問題でありまして、出た人がほんとうに実力を身につけるということが、学生たちの一番望んでおる点だと思うのであります。その実力をつけるのに必要欠くべからざる理論的の訓練とかいうものは、その方が將來発展にはいいと思うのであります。必ずしも学士号をとらないでもいいようなコースを考えることが、最も適切ではないかということが文部省論議をした結果なんであります。しかしそれをすぐは法制化することができませんので、そういう心持をもつて、今の状態でできる限りのくふうをいたしたい。その中にはほかの技術の面と同じように邦樂も入れてほしい。こういうのがわれわれの考なんでありまして、今お話のございました邦樂の方の流派だとか、あるいは家元だとかいうものを超越して、どこの流派に属しても、どの家元に属しておる者でも、すぐれた者は虚心坦懐にすぐれた者として学び得るような反省や態度は、今後の日本芸術のためには非常に好ましいことではないかと、私自身考えておるのであります。
  44. 千賀康治

    ○千賀委員 私の発言は、ただいまの邦樂の問題についてでありますが、せつかくの機会ですから皆様にごあいさつ申し上げます。今日からこの文部委員会のお仲間入りをさせていただきますから、どうぞよろしくお願いいたします。  この前制限漢字の問題で文教委員会に発言を求めに参りましたときは、ちようどやはり邦樂の問題が論議されておつて、その時には家元師匠がたくさんこの席上に詰めかけておられたときであります。ちようど今日同じ問題がここに論議をせられつつあるのでありますけれども、私はこの問題がいまだ当局の採択するところにならないということにつきまして、非常に遺憾を表するものであります。制限漢字の問題も同様でめつたのでありますが、これは学者とかあるいはその專門家とかいうものが、あまりにも大きな変動である敗戦の今日、並びに支配國に支配されておるこの今日、どぎもを失つて、何とか自分たちもかわつたようなまねをしないと、あれは旧態依然として新しい事態に即應する能力がないんだというようなことを支配者に思われると、つい飯の種がなくなるだろうという心配からじやないかと思うのですが、とつぴなことをみんな始めて参ります。この点は実に日本全体の社会各層にその弊が現われておると思うのでありますが、制限漢字も同様であり、また音樂をやる力みずからが邦樂にけちをつけて、大学の面から邦樂を抹殺しようなどと考えることも同じだと思います。明治以來の教育も、すでは半世紀以上の年月をけみしておつて、その間一貫して小学校小学校等におきましては、邦樂というものとは全然縁のない西洋から渡つて來た旋律によつて日本の子供たちは教育をされて來たのであります。これがほんとうに効果があがつておるならば、それが依然として今日も日本國民の音による情操というものを支配しなければならないはずでありまするが、半世紀以上にもわたつたその日本の過去の努力はあまり大した効果がなかつた。これによつて國民情操を一変させるだけの効課のなかつたことは事実であります。今日諸君は、櫻の下へ行つて酒を飲んで、ほんとうに飾りのないわれに返つた人たちが何を歌つておるかは、おわかりになりましよう。たいていは在來のどどいつを歌うとか、さのさ節を歌うとか、また若い人でさえも大体歌謡曲を歌つております。学校で教えられた西洋の節に、日本語をはめただけの歌を歌う者はほとんどありません。十人の中で一人という割もありません。百人の中でどれくらいあるか知りませんが、大体は私が先ほど流べた歌を歌つて、それで音感による満足を得ておる。歌謡曲のごときは、あたかも西洋の歌をつくりかえたように見えまするけれども、そうではない。西洋の歌だけを日本人が歌つたのでは、何となしにもの足りないから、西洋の旋律、その節まわしに日本の歌謡を入れて、そこで日本化した西洋節を歌う。これが歌読曲でございましようが、こうして日本人みずからが苦しい中にも慰めを求めておるのであります。漢字についても制限をしてみた。これも向う側にこびる学者の一つの運動だろうと思いまするけれども、やることはやつてみたが、日本の全体の國民かどれくらいそのために難儀をなしておるか。また官廳自身も制限漢字を使わなければならないために、必要な文字による表現ができない。とつぴな文章をつくつたり、また一つの文章を書くために、制限漢字にあてはまつておるかおらないか、これを調べるために、そんなことを氣にしなければ五分間で書ける書類が、一本二十分も三十分も一時間もかかる。こういうようなむだが日本全体の何十万という官吏の間で行われておる。その能率の低下度から考えてみますると、一体益と損と比べてみたらどんなに大きな開きがあるのか。こうやつて参りますると、われわれがほんとうに考えてみなければならぬことは、一部の指導者がどんなに時流にこびるためにいろいろな運動をやつておりましても、国民全体の流れというものはなかなかそれによつて動かすことはできない。音樂におきましても、日本音樂理論がないというようなことで、大学の科目にいたしがたいというようなけちをつけてみましても、國全生体がやはりそれでなければならぬというならば、大学の運動と國民の行き方とは全然遊離して來る。そんなことならば、むしろ大学なんかやめてしまつた方がいい。理論のためにというならば、大体音樂なんかは理論じやない。情操から來るもの、感情から來るもので、西洋の音樂理論から始まつたのではない。ヴエートーヴエンというピアノのうまい小僧が、自分の感情にまかせてひきなぐつたものを譜にして、あとから音樂の学者という人々がこれにりくつをつけただけのことでありまして、西洋の音樂も決して理論かう始まつているのではない。日本音樂つて日本流に理論をつける人があれば理論かつく。日本音樂を西洋流の理論に当てはめて取扱つてみようというのであるから都合が悪い。あくまでも日本人の好む情操、日本人の好む音感、感情等を正しく解して、しかもこれらの人たちに樂しみを與える根源を日本的に理論づけて行こうということばらば、必ずできるはずであります。それを西洋式にやりにくいからやめよということで、あつさりやめたならば、あの人は新日本運動に挺身しているということで、新しい権力者から喜び迎えられるだろうという卑屈な考えが相当たぎつているのではなかろうか。この点をわれわれは非常に疑うものでございます。西洋の音樂の樂典から考えてみて、日本の樂典がいいか悪いか、あるいは日本音樂の形式がいいか悪いかは、理論の差異でありますけれども、一世紀に近い努力日本学校が何億万人と子弟を教養して参りましたものが、結局学校を卒業してしまえば、日本人の生命に一向にそれが宿つていない。ことごとく日本人というものは昔に帰つて、ある年配に達すればさのさ節やどどいつを歌い出すということを考えてみまするときに、もつとほんとうに地についた民俗全体をこのままの姿で教養するということを考えなければ、われわれは敗戦という苦杯をなめてほんとうに考え直さなければならないときに、再び明治以來のミステークを繰返さなければならないだろうと思います。今理論がないから日本音樂をやめよということを強行するとすればむしろことごとく日本の言葉も禁止してしまえ、文字も英語を使え、言葉も英語を使え、あらゆるものことごとく英語になれ、米語になれ、日本のあらゆる形式は禁止するというところまで行けば、またこれはもつと深刻な批判をすべきものがあります。それでなければ、今当局が考えておる程度の新運動は、百害あつて一利ない。私はこういうことを強く感じておるのであります。この線からお考え直しになれば、当然大学音樂科目の方針から言いましても、邦樂を無視することは賛同しがたいものであるということは、当然であると思うのであります。重ねて当局の御意見を伺いたいと思います。
  45. 日高第四郎

    日高政府委員 小宮校長が権力者にへつらうような意味でああいうことを言つたのでないことは、私の確信しておるところであります。そういうことは、私は絶対にないと思うのでありますけれども、私は音樂にはしろうとでありましで、内容的の價値批判というようなことは、私には僭越でありますから、これは今申し上げることはできないのでありますが、小宮校長日本の官立の管樂学校の唯一の責任者でありますので、日本音樂を今後どういうふうに発展させて行つたらいいかということについては、非常な苦心と苦慮をしておるというふうに私は見ておるのでありまして、決して今のお話のようにこびるようなものではないと思つております。  それから文字のことにおふれになりましたがこれは私の申し上げる限りでないのであります。先ほど申しましたように、私は責任者としての小宮校長の言い分も十分聞いたのでありますし、またそれに対して反対の側の意見も聞いておるのでありまして、これを文部省の行政権の中の問題とするならば、私にも意見はあるのでありますけれども、なるべく話合いで行きたいというので今日まで遷延しておるのでありますが、文部省としては文部省の案を小宮校長に申し傳えて、それらの点を反省もしくは考慮してくれということを言つてございます。まだ正式の返答を得ておりませんが、近いうちにそすいうふうにとりはからいたいと思つております。
  46. 千賀康治

    ○千賀委員 小宮校長に全責任を負わされおるようでありますが、私は小宮校長という方は知りません。そこで恐れ入りますが、終戦前までの音樂教育者としての経歴をお伺いいたしたいと思います。
  47. 日高第四郎

    日高政府委員 小宮校長は元東北大学のドイツ文学の教授でありまして、御承知の方も多いかと思いますが、夏目漱石の弟子の一人だそうであります。本人自身も芸術家はだの人でありまして、先ほども申しましたように、日本芸術、ことに演劇等については造詣の深い人であります。そして芸術に対する理解が深いというので終戰後……
  48. 千賀康治

    ○千賀委員 終戰前の、音樂に対する位置を聞かせてください。
  49. 日高第四郎

    日高政府委員 終戰前は、今申し上げました通り、個人としてどういう職業を持つていたか、私は知りませんけれども東北大学の教授であります。
  50. 千賀康治

    ○千賀委員 音樂関係はありますか。
  51. 日高第四郎

    日高政府委員 音樂関係は私は知りません。
  52. 千賀康治

    ○千賀委員 知らぬと言われれば、これは一番いい逃げ口上でございまして、おつかける手はないのでありますが、この人がむしも終戰前に、音樂のオーソリテイだという自負を持つておらられ、終戦前日本音樂に対する態度がどういうことであつたか、これがはつきり知りたくてこの質問を発したのであります。それについておわかりになつておれば、私は伺いたいのです。おわかりにならなければいたし方がありませんが、この問題は、小宮氏その人が音樂教育の中枢をゆだねるに足る人か、不適任な方であるか、これを考える一番大きな参考資料になると思うので、伺いたいのであります。
  53. 日高第四郎

    日高政府委員 実は千賀委員のお見えになる前に、蛇足ながらつけ加えたのでございますが、小宮校長は若い時分には非常に義太夫などが好きであつたということを聞いております。私はその程度の認識でございますが、日本音樂について決して無関心の人ではないということを申し上げただけであります。
  54. 千賀康治

    ○千賀委員 私は小宮校長がすでに終戰前に音樂教育のオーソリテイとしていすを占めておつた人かどうか、かつて音樂学校邦樂を取入れでおつたときに、いかなる言動をなした人であるか、これが大いに聞いたいのであります。もしもこの言動によつて、あの人は終戰前には邦樂を認めておつたが、自分は今度は認めないという立場になるならば、大いに小宮氏その人の資格に対して、私は議論を持つのでありますが、今わかりませんから、その点はまたあとにまわします。
  55. 水谷昇

    水谷(昇)委員 小宮氏の御意見は、もう一ぺん呼んでいただいて、十分お伺いいたしたいと思つておりますが、文部当局の小宮氏に対する考え方は、小宮氏が音樂学校校長で、責任者であるから、特に音樂学校校長の発言を尊重して聞いてみえる。小宮氏の個人の意見を尊重して聞いてみえるのか、小宮氏が廣く他の意見を総合して述べてみえるのか、その点は一体、文部当局は小官氏に対してどういう態度でありますかお伺いしたい。
  56. 日高第四郎

    日高政府委員 私は、小宮校長個人の意見ということについては、不満足でありまして、この前実は注意をいたしたのでありますが、これは少くとも教授会に諮つてもらいたい。そして教授会意見を十分檢討した上で意見の訂正すべきものは訂正して持つて來てもらいたいということを、すでに昨年の夏申してございます。そういう意味で、小宮校長は自分の意見を十分発表をして、そして教授会にも諮つたそうであります。そして諮つた上で決をとつたそうでありますが、その決については、故意に私どもの方には、何か思うところがあつて、どういうふうになつたかということは申して來ておりません。これは私の察しますところによりますと、邦樂の人は数が少く、洋樂の人は数が多い。数が多いというので、しかも今までの間、私の推察では、そう仲よく行つていなかつたのではないかと思われるのであります。そこで決をとつて、多数だからというので、少数の人を抑えるということを小宮校長はむしろ控えて、わざとそれを発表しないような、何と言いますか、氣を配つているのではないかと思うのであります。こういう点で音樂学校教授会の意向は、ほぼ想像できるのでありますけれども、私は初めから、これは公にみんなの意見に諮つてくれということを特に注文をつけてございます。私は決して小宮校長一人の意見を尊重する心持はございません。
  57. 水谷昇

    水谷(昇)委員 小宮校長が先日ここにおいでになつたときにも、私の意見、私の意見というふうにおつしやつてみえたのでありますが、ただいま局長の言われたように、教授会に諮つた、諮つたけれどもそれは発表していないのだということも、ここで発言してみえたのでありますけれども、そういうふうで、私どもが伺つておると、ずいぶん自分の御意見を主張せられることが多いようでありますけれども、これに対して文部省は、他の一般からの意見を何か調査をせられたか、研究をせられたのであるか、あるいはそういうことをしんしやくをして、そして今度の大学設置法案というものをおつくりになつたのか、この点をひとつお伺いしたい。
  58. 日高第四郎

    日高政府委員 これは実は邦樂に特別に同情を持ち、そして十分な研究をしております前の貴族院議員の某氏には、私は小宮校長意見というものは妥当であるかどうか、参考のために聞いたことがございます。そのほか私どもの知つておる関係者で、あれが問題になつたこきには、たびたび方々意見も聞いてございます。
  59. 今野武雄

    今野委員 関連して政府委員にお伺いいたします。私、芸術大学内容について、詳しいことを知らないので、ちよつとお聞きしたいのですが、洋樂科とか邦樂科とか、そういう区別を設けるのでありますか。それとも音樂科ということになつておるりですか、どつちですか。
  60. 日高第四郎

    日高政府委員 今度の組織では、中央に樂理科と申しますか、音樂理論をやらせて、それにピアノ科とか、器樂とか、声樂とか、指揮だとか、そういつたものをずつとあわせてございます。まん中に理論を置き、それから技術の面をずつとあわせて、一方では技術の方の理論と同時に、西洋画とか日本画とか、そういうものをずつとあわせて行つております。その中に私ども一つ入れたらどうかというふうに話をしてあるのです。それからそれをやるのに、あまりきゆうくつな考え方でなしにやつたらどうかというのが、文部省の現在の意向なのであります。
  61. 今野武雄

    今野委員 わかりました。
  62. 原彪

    原委員長 それでは難事会に相談いたしまして、適当な時期を選び、小宮校長を呼ぶことにいたしたいと存じます。     —————————————
  63. 原彪

    原委員長 日程第七、國民道義高揚に関する請願河原伊三郎紹介文書表第四一七号。圓谷君に、かわつて説明を願います。
  64. 圓谷光衞

    圓谷委員 河原君が見えませんので、かわつ説明いたします。  本請願要旨は、文化國家再建途上にあるわが國において、國民の道義は頽廃し國家の前途まことに憂うべき状態にある。ついては國民道義の高揚の施策に強力な措置を講せられたいというのであります。  つらつら世相を観みるに、さきに新憲法は制定せられ、凡百の制度面目を一新し、國家の形体ようやく成らんとしておりまするが、しかも綱紀上にゆるみ、遵法の精神は地を拂い、國民道義り廃頽日を追うてはなはだしくなつております。また経済生活は月に緊迫の度を加え、農村は來るべき恐慌におののき、都市は失業のあらしを予想してきようきようたるありさまであります。この際不良の輩はその間に暗躍し、骨肉相食むの状態であることは、國家再建の曙光はたしていずこより來らんとするや、まことに憂慮にたえないものがあるのであります。幸いにして今や庶政更新の好機にありますので、こいねがわくはわれらの微衷を察し、第一着手として國民道義高揚の施策に強力格段の賢慮をめぐらされんことを請願する。  天台宗叡山の議長畑和孝氏からの請願であります。
  65. 原彪

    原委員長 政府意見を求めます。
  66. 柏原義則

    柏原政府委員 道義が廃頽しておりますので、これを高揚して、しつかりした國民生活の安定をはかる翼あることは、請願の御趣旨通りでありますが、道義の高揚も、精神的方面と、また物的方面も深い関係を持つておると思うのであります。ます生活安定のために、日本経済の安定をはかるということも、道義の高揚の一つの基礎的なものでありますが、さらに精神的な方面におきましては、学校教育を通じて、また社会敷音を通じて、各種の方法をもつて道義の高揚をはかろうと政府も考えておるのであります。國民精神を振作するというような問題は、一つの便法でなしに、総合的な、あらゆる角度から集まりまして、値義を高揚しなければならぬと思うのでありまして、文教を通じてやる場合もあれば、宗教を通じてやる場合もあり、また経済問題を解決することによつてやる場合もあります。まあ各種のやり方がありますが、みな我田引水で、教育者は教育だけでやれるように思うし、また社会改良主義者はそれによつてできると思うし、また宗教家は宗教だけでできるように思いますけれども、あらゆる角度から道義の高揚に向つて総合的にその成果をあげなければならぬ、こういうふうに考えておるのであります。一服飲んだらすぐに道義の頽廃がなおるというような名藥はないのでありまして、あらゆる角度から道義高揚に向つて努力いたしたいと、こう考えておるのであります。  簡單でありまするが、以上政府の考えを申し上げました。
  67. 原彪

    原委員長 これにて本日の請願は全部終了いたしました。  なお、請願採択、不採択、保留等に関しましては、理事会に諮つた上、委員会に諮りたいと存じます。  それでは、これにて散会いたします。     午後三時三分散会